白兎と雪狼の、果てなき旅路

ドライブやドライブや写真撮影を趣味とし、その他、HSPやAセクシャル、イジメ。精神的・心理的なことについて綴っていきます。

【HSP・HSS】余韻よりも、落胆するばかりで ~立ち直りの弱さ~

 本格的な春へと移り変わっていく中で。

 今シーズンとして、ようやく纏まった雪が降り、世界を白銀に彩りました。

 

 天候が悪くなっても雨ばかりだったということもあり、そろそろタイヤ交換を視野に入れていた矢先のことでした。

 交換しなくて良かった、という安堵感と。

 湿り気で重くなった雪をかく作業を終えて、腰の痛みに耐えている、白兎です。

 

 

 皆さん、おはようございます。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 突然ですが、少々当たり前のことをお聞きすることになるかと思いますが。

 

 皆さんは、楽しかったり喜ばしい時間を過ごした後。

 時には現実を忘れるかのように、その思い出に、余韻に浸ること。

 もしくは「あの時は楽しかったよね」と懐かしんだり、談笑に華を咲かせることはありますでしょうか。

 

 というのも、私はそれらがほとんどできないまま、ここまで生きてきたという経緯があります。

 余韻に、思い出に浸って懐かしんだり、心を穏やかにさせるよりも。

 私は、思い出す度に落胆して。後悔ばかりが、残り続けてきました。

 

 そんな折。

 とあるインターネットサイトにて、興味を惹かれる記事を知って。

 少しだけ、私の中で思い出や記憶に関することに対して、新しい視野を見つけることができたが故、冒頭の質問を投げさせていただきました。

 

 

 今回は、思い出という余韻に浸ることよりも、落胆するばかりで。

 立ち直りの悪さも併せ持ってしまった私は、普通でないと勝手に決めつけた自分に失望し続けていたことを。

 そして、無理に普通という枠に収める必要はないことに気づいた契機と今について、綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 思い出の儚さ、それ故の余韻

 

 以前お話ししたこともあったかと思いますが、人間という生き物は、「忘れること」ができる、唯一の生物と言われています。

 コンピュータの記憶媒体が、爆発的に進化するように記憶容量が増えていく中でも。

 人間が記憶できる事柄は、本当に僅かです。

 時代の変遷と共に、常に変化し続ける現代に対応できなければ生きていけないという厳しい世の中で。

 限られた記憶容量しかない脳は、不要と判断した情報や記憶を、新たなものと入れ替えるかのように上書きしていく。

 そのようにしかできないからこそ、人間は「忘れること」ができると私は思っています。

 

 忘れることは、辛さや苦しさから、時間を掛けて解放してくれる優れたものである一方で。

 楽しかったり嬉しかった思い出さえも、容赦なく消去されていきます。

 

 私たち人間は、それを補う手段として。

 楽しかった、嬉しかった場面場面を写真や動画に収める形で記録し。

 いつの日か、それらを見返すことで、再びその当時の記憶を呼び起こす手段を生み出しました。

 結果的に、忙しさとストレスが蔓延するこの世界でも、心休める憩いの場とも言えるものを創り出して。

 時には懐かしさの余りに感傷に浸ったり、時には思い出話の種として語り合うことで。

 喩え一時であったとしても、現実から自分を切り離すことで荒んだ心や精神を落ち着かせて、回復させて、再び現実に立ち向かう勇気や原動力に変えられるのだと思っています。

 

 それがもし、悲しさや苦しさに塗れたものであったとしても。

 思い出す度に腹を立てたり、落ち込んだり、泣いたりする時があるのかもしれません。

 それでも、そういった思いをバネにして、乗り越えて、次に立ち向かっていける強さに変えていけることができるのかもしれません。

 

 

 

 立ち直りの弱さは、記憶に囚われ過ぎる為?

 

 

 そうやって、現実と思い出を上手く交えながら生きられる人たちがいる中で。

 

 私は、楽しかった思い出も、思い出す時度に。

 何故か落胆して。落ち込むばかりで。

 旅先で撮った写真でさえ、編集する時にも。

 いつも溜め息ばかりついてきました。

 

 それが当たり前になっていた私は、思い出に浸ることを拒むかのように。 

 これが普通なんだろうと思い込んで、今日まで生きてきました。

 

 先日綴ってきた、伊豆旅行でさえ。

 楽しかっただとか、素敵な場面に出会えたという愉悦よりも。

 あの時、こう言えば良かっただとか。

 相手を気遣うことができていたらだとか。

 もっと、良い写真が撮れたのでは。

 そんな、負の感情ばかりが先走るばかりでした。

 

 しかし、周りを見回してみると、思い出話で落胆するような人は皆無で。

 寧ろ自分の方が、何かおかしいのでは、と訝しさを覚えるようになって参りました。

 

 

 どうして、私は思い出すら禄に浸れないのに。

 

 イジメや。

 相手の立場が上であったとしても、会社で理不尽な目に遭って、嫌な思いしか持ち帰らなかったこと。

 そんな、どうでもいいことを。

 忘れたいことばかりが、記憶として残り続けているんだ。

 

 

 いつの日か、私のこういった性質は苦汁を舐めた経験を忘れるな、という思いが自分を戒めていると信じ込んでいました。

 戒めを通り越して、自らの行動を縛り付けている足枷を自分に掛けていると、薄々勘付きながら。

 

 

 

 

 HSPは、トラウマを抱えやすいという情報も

 

 

 そんな悶々とした日々を過ごしていた、ある日。

 どうして、数日前の楽しく喜びに満ち満ちていた旅行記の記憶が、早くも朧気になりつつあるのに。

 過去の嫌な思い出ばかりが、夢に出てくる程にまで鮮明に残り続けているのか。

 

 変えられるはずなどない、と決めつけてばかりだった私は。

 初めて疑念を抱いて。

 思い出にすら禄に浸れず、落ち込んでばかりの自分に、半ば憤るような勢いで情報を得始めました。

 

 そのキーワードとなったことは。

 

 五感からの情報を必要以上なまでにに取り入れ、意識したくなくても勝手に深く考えて。

 それが微々たる程の、些細なものであったとしても無意識的に考え込んでしまう。

 

 ブログを立ち上げて以来、自負するに留まらず、積極的に情報発信しようとしている、HSPでした。

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 HSPだからといって、特段嫌な記憶に苛まれるという情報はこれまでありませんでした。

 ですが、検索を重ねていく内に。

 

 HSPは、トラウマを抱えやすい

 

 という内容の記事に辿り着くことができました。

 

 その記事は脳が「記憶」を処理する方法だけでなく、それらが脳内でどのように分類されて記憶されていくのか。

 目に見えない脳神経学、精神学、心理学を独自の考察を用いながら、わかりやすく解説されていました。

 HSPやトラウマといったことに深く言及されたその記事に、釘付けになるように私は見入りました。

 

 このことについては、別の記事にてお話しできればと思います。

 

 

 その記事を見終えた私は。

 どうしてか、泣きたくなるような思いに刈られていました。

  

 実際にうつ病を罹患し、数年経った今でも通院して治療する身でありますが。

 それ以上に、イジメのみならず。

 恥じらいとさえ思える、これまで経験してきたことを鮮明に覚え続けるばかりに。

 

 いつの日か、思い出して。

 それによって癒やされたり、時には泣いてしまうこともあるのかも知れない思い出さえ。

 楽しかった、嬉しかった思い出の余韻を塗りつぶすかのように。

 全部、忘れて。

 過去の苦くて、辛くて、悲しくて。

 思い出したくもない記憶に支配されて、その度に喉元を、胸元を締め付けられるような思いと共に落胆して、後悔して。

 そこから立ち直には、余りにも多くの時間を要してきました。

 

 それを弱さと認識し、この身を以て実感し続けてきた私には。

 これまでなかった、指標とも言える情報が、その記事には詰まっていました。

 

 

 

 HSSとHSP。双方を持つが故に、立ち直りは弱くなるばかりで

 

 

 上記の情報は、私に新たな情報と知識を齎してくれただけでなく。

 私が自負する、HSPに対してさらなる情報を得ることができる切っ掛けとなしました。

 

 しかしながら。

 些細であっても、五感からの情報に反応を示し。多感的で敏感なのにも拘らず深く考え過ぎるばかりに。

 脳の処理能力を遥かに超える情報の渦に、私は飲み込まれてばかりでいます。

 

 外部からの刺激が強いのであれば、避ければ良いのに。

 それ以上に、私は「好奇心」と呼称する気質。

 じっとしていることが苦手で、食事や入浴といった日常にすらゆっくりと浸ることうら窮屈に感じて。

 それを満たそうと、未知なる刺激を、外へと求めていく。

 HSSという性質を併せ持っている私は。

 

 思い出に浸って、疲れた心を癒やし、調整することも良しとせず。

 常に知らない世界へと進み続けようとする、相反する性質を、気質を持ち合わせて。

 疲弊しているにも拘らず。

  

 自分のことなのに、止められない。理性よりも本能が、先走ってばかりいます。

 

 

 そう思えば思うほど。

 楽しかった。嬉しかった思い出に、余韻に浸ることさえできないのは。

 過去の嫌な記憶に縛られているということだけでなく。

 私自身が、勝手に進み続けてきた結果。

 

 思い出を形作る過程を、あたかもすっ飛ばすかのようにして。

 自分が、思い出を作ることができないと錯覚するまでに、突き進んで。

 楽しかった、嬉しかったことを、記憶するよりも早く。

 まるで、突っ走ってしまうような自分自身の気質と性質の為に。

 振り返る頃には、後悔や落胆だけが残って。

 拍車を掛けるかのように、いつまでも残り続ける嫌な記憶ばかりが残っていました。

 

 自業自得。

 

 その言葉が、私のような人間にはまさにお似合いと言えるものでした。

 

 

 

 素直に、思い出に浸りたいだけ

 

 

  私は意識しなければ、思い出の余韻に浸ることさえままならないことに、気が付くことができました。

 

 突っ走る勢いはあれど、その後に待ち構える後悔や落胆。

 これまでは、そういった負の意識に囚われて、「自分は思い出すら語れない、ヒトとして欠陥を持っている」と卑下してきました。

 

 でも。

 変えたいと思っても、変えられない。そういった傾向があることを。

 思い出に浸る以上に、好奇心に突き動かされてしまう自分を、自覚することができた今は。

 

 たった、数分でも。数秒でも良い。

 

 旅に出て目の当たりにした光景や、交わした言葉。

 その情景を、写真という形で記録してものを見ながら。

 

 先へ先へと行こうとする自分に、ブレーキを掛けさせて。

 写真を見ながら、「この時は、確か……」と、少しでもその時のことを思い出して。

 撮影した時から、時間が過ぎ去っていることを自覚しながら。

 懐かしいな、と思えるように。

 

 あわよくば、お酒でも飲みながら。

 あの時は、本当に良かったな、と。

 時間を忘れる位、はしゃぐようにして喋ったり、笑っていたな。

 

 そんなことを思えるように、なっていきたいと願うだけでなく。

 いつか、そうやって足を止めて思い出に耽るようになりたいと、思うばかりです。

 

 そして、願わくは。

 落ち込んだ時の、立ち直りの弱さも。

 そういった思い出に入り込んで、余韻に浸れる余裕を持ちながら。

 徐々にでも良いから、克服していきたいと思う、今宵です。

 

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

 

 ※写真は仕事で赴いた、安曇野近辺からの北アルプス。助手席に座りながらの撮影※

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【車・写真】愛車と行く、冬と春の伊豆旅行 ~バナナワニ園編~

 皆さん、おはようございます。如何お過ごしでしょうか。

 

 5記事に渡って書き連ねて参りました、冬と春の伊豆旅行。

 

 今回は、旅の最後であるバナナワニ園へ趣き。

 私たち人間が新型ウイルスの前に恐怖と不安を募らせる一方で。

 自然のまま、あるがままに生きている動植物たちに癒やされながら、生きる強さを分けて貰えたことについて、綴っていきたいと思います。

 

 今回は写真が多めとなります。スマホからご閲覧くださる方は、何卒ご容赦ください。

 

 

 

 

 

 

 準備体操とばかりに、愛車たちを撮影

 

 

 西伊豆の夕焼けを拝み。

 カラオケで歌い耽た翌日。

 

 宿に着いて早々寝入ってしまった私を迎えた、伊豆の空は綺麗に晴れ渡っていました。

 前日に合流時間を決めていた私たちは、早速目的地へ向かうべく準備していきます。

 

 その前に。

 今回の旅で初となる、互いの愛車を、伊豆の空を背景にしながら撮影します。

 

 

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 私の愛車がチタニウムフラッシュという、暗色系のボディカラーに対して。

 たーぼぅさんの愛車は、暖色のホワイトパールマイカです。

 相反する色合い故、カメラで合わせたピント次第では、どちらかの色が飛んでしまう、或いは色合いを失ってしまうことが多いです。

 この写真の場合はチタニウムフラッシュの相棒にピントが合っているため、ホワイトパールの白味や輝きが飛んでしまい、のっぺりとした印象になってしまっています。

 

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 白系の色はどうしても飛んでしまいがちになります。

 ですがこのボディーカラーはただの白ではなく、名前のごとく真珠の光沢や輝きを、陽光を受けて映し出す、魅了され引き込まれる華麗さを持っています。

 その良さを、写真においてもっと出せるように撮れれば……と思うばかりです。

 

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 一方でチタニウムフラッシュは、カタログでは単なる茶色として紹介される為。

 地味、という印象を多く持たれるとのことです。

 しかしながら、天候次第では様々な顔色を見せてくれる、とても面白い色でもあります。

 噂の域を出ませんが、MAZDAが出すボディカラーの中で、一番苦労したのがこのチタニウムフラッシュだとも言われているようです。

 

 

 愛車の撮影にのめり込む私たちを。

 時間だけは、容赦なく過ぎていきます。

 加えて、午後から悪天候になるという情報を得ていたこともあり。

 

 最後の目的地となる、バナナワニ園へと向かい、車を走らせ始めるのでした。

 

 

 

 動植物が生きる、バナナワニ園

 

 

 熱川バナナワニ園は、二日目に宿泊した伊豆高原から車で20分程走れば辿り着ける場所にあります。

 この施設は名前の通り、数多くのワニと熱帯植物を鑑賞できる場所です。

 獰猛故触れ合うようなことはできないながらも、ガラスや柵越しに小型から大型のワニを間近に見ることができます。

 また施設の温度や湿度を一定にすることで、日本では見られない熱帯植物もゆっくり見たり、写真に収めることが可能となっています。

 

 

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 このワニは小型種でありながら、ガラス越しに撮影するとこの迫力です。

 爬虫類特有の、縦に鋭く伸びた瞳孔。

 「あ?なんだお前、すぐに食い殺せるんだぞ?」

 と言わんばかりに睨みつけてくるその瞳。

 

 私は、美しいとも、つぶらさのような可愛げさえ覚えてしまいます。

 何よりも、その獰猛さを眼光だけで伝えてくるその様に。

 生存本能のままに、生きることに対する強さのようなものさえ、感じます。

 

 

 

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 変温動物故、身体が温まっていないのか、眠たげな目をしているこちらは、(恐らくですが)イリエワニです。

 体長4m、体重450kgの巨体を持つイリエワニは爬虫類の中でも最大級の大きさを誇ります。

 そして最大の武器である、牙と顎の力は。

 人間のそれと比べて、20倍以上を示すデータもあります。

 ゴジラにも見える強面ながらも。

 眠気眼でノソノソと動くその姿は、どこか可愛げです。(活動状態の移動速度は30km/hで、原付きと同等の速さで迫ってくるそうです。いやはや、恐ろしい限りです)

 

 

 ワニエリアから移動して、熱帯植物エリアへ。

 

 こちらは植物の生育を維持するため、外気温よりも高い温度設定と湿度が保たれており、冬装備では汗をかく程です。

 

 そこには、ブーゲンビリアや。

 

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 赤い花弁を開くハイビスカス。

 

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  蓮が広がる水面が、私たちを出迎えてくれました。

 

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 他にも、青い実を付ける奇っ怪な植物もありましたが。

 

 ここで飼育されている、可愛い動物に出会う為に、歩を進めていきました。

 

 

 バナナワニ園のアイドル

 

 夜行性である為か、昼間帯は木の上でお休みしていることが多く。

 身体の小ささから、中々見つけられなかったり、見つけられても写真に収めることが難しい動物。

 

 ここバナナワニ園では、レッサーパンダが放し飼いにされています。

 

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 木の枝に隠れるかのように、静かに寝息を立てる子もいれば。

 ゆっくりとした動作で、毛づくろいする子もいました。

 動くだけでなく、カメラを構える射角に入らない子も多く、撮影は困難でした。

 

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 偶然、こちらを向きながらお昼寝する子を見つけ出しました。

 

 うん、可愛いです。尻尾撫でてモフモフしてみたい。

 

 

 と思っていたら。

 別の子が、木の上で起き上がったのを見つけてました。

 レッサーパンダが動き回るところを見ることは初めてだったので、大急ぎで撮影場所を走り回り、シャッターを切ります。

 軽快な身のこなしは、私たち人間のことなど蚊帳の外と言わんばかりに余裕に満ちていました。 

 

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 その子が向かった先は、水飲み場。水分補給に来たようです。

 

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  水皿の水を、舌を出してペロペロと飲んでいく姿が、これまた愛くるしい。

 レッサーパンダからすれば、生きる為に必要なことをしているだけなのに。

 可愛さだけでなく、それとは別の感覚。

 胸を、キュッと締め付けられるような、そんな感覚を抱きました。

 

 生きる為の本能的行動。

 それを理性その他状況に左右されることなく、どこまでも忠実なその姿に。

 華奢な身体から、生きる強さのようなものを、私は感じました。

 

 

 最後は、こちら。

 

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 老年故に放し飼いにされず、個室に居住する子です。

 この子は 2004年生まれとのことなので、今年で16歳。野生での平均寿命が8~10年と言われるレッサーパンダの中では、かなりの高齢です。

 この子も目を半開きにして、現実と夢の境を行き交っている様子でしたが。

 

 こちらがカメラを向けた途端。

 

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 凛々しささえ感じさせる表情を、生きてきた証と言わぬばかりに起きたと思ったら。

 

 

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 「何撮ってんの?」とでも言いたいのでしょうか。

 突然こちらを向いて見据える様は、長寿者ならではの迫力も兼ね備えていました。

  

 

 

 動植物が、あるがままに生きる姿を目にして

 

 多くの情報媒体を通して、人間界では今、大混乱と恐慌に陥っています。

 陰謀論さえ噂される新型コロナウイルスは、人間の生命を脅かすばかりでなく。

 言語を始めとする、様々なコミニュケーションを用いながら意思疎通し、初期は矮小な存在でありながらもその連携力の強さと頭脳の発達によって、徐々に進化し、文明を築き上げていき。

 時には争いや戦争を経て、同じ人間同士で殺し殺されを繰り返しながらも尚。

 この星の頂点に立つ程の地位を得る程にまでになりました。

 

 絶対的地位を手に入れたはずの人間が、各国の入外出の禁止や首都圏の閉鎖、それによる経済的大損失を被るばかりでなく。

 ヒトとヒトとの繋がりを自らの手で断ち切り、孤独に陥り、半ば破滅に向かう道へ歩み始めているようにさえ、私には思えてしまいます。

 

 感染拡大を防ぐための、やむを得ない措置と、わかっていながらも。

 

 伊豆の地で、 動植物たちの、儚いとも健気とも捉えられる姿を目の当たりにした私は。

 

 自粛という、半ば強制を強いられる私たち人間よりも。

 あるがままに生きる動植物たちの姿は、どこまでも率直で、素直で。

 生きる為の力強さを、感じさせられました。

 

 逆に言うならば。

 

 ヒトという種族が生存本能とは別の、個人事に与えられ、育て上げてきた理性や価値観を築いてきた中で。

 同じヒトという種族でありながら、各々が全く異なる意識の元で、共通の敵である新型ウイルスに立ち向かおうとしていることは。

 

 多様性や応用力という面から見れば、様々な打開策を見出だせる可能性があると言えると思います。

 逆に、同種族という側面から見た時には。

 考え方や価値観の違いが、却って判断を鈍らせ、後手後手に回る結果になっているのではないかと、思えてなりません。

 

 五輪開催が延期され、景気は総崩れし、自粛ムードと追い打ちを掛けるかのように。

 これまで抱えてきた不安や恐怖だけでなく、今度は「自粛疲れ」や「自粛ストレス」といったものさえ、私たちを襲い始めています。

 

 最早、誰を批判したり評価したり、といった次元を越えて。

 既に死後と化しかけていた、モラルやマナーというものが、各々の行動に対して叫び始められるようになってきています。

 

 どちらが正しいか否かなど、誰もわからないと思います。

 

 ですが、一つ言えることがあるとするのであれば。

 自然界で暮らす動植物たちは、個々の意志は強くないのかもしれませんが。

 彼ら彼女らからすれば、私たちヒトが危機的状況に判断を鈍らせ、慌てふためく中で。

 それすらも些細なことだろう、とばかりに。

 癒やしや心強さという、「負けてる場合なのかよ」という無言の叱咤と激励を齎していることを、個人的ながらも、私は感じるのでした。

 

 

 

 冬を、伊豆旅行を終えて、春へ

 

 

 冬と春を行き交う伊豆旅行も、終わりを告げ。

 たーぼぅさんと別れを告げ、私は帰路に就きました。

 道中は往路に近い荒れ模様の天候に遭いながらも、無事帰還を果たして。

 今回の旅を、終えるに至りました。

 

 伊豆では葉桜となっていた桜は。地元では、蕾すらなっていない程です。

 ようやく梅が咲き乱れ、日暮れまでの時間も確実に伸びて。

 この記事を綴る今宵は、静かに降る雨音が心地好い静けさを齎してくれています。

 

 世間は今尚、不安と疑心が蔓延り、収まる気配は暫くないのかもしれませんが。

 

 それでも季節は、春へと確実に向かい始めています。

 

 直様どうにかなるような状況ではないことは、百も承知でありながらも。

 いつの日か、かつて平穏で、ありきたりで。

 ヒトとヒト同士が、再び繋がり合える日が来ることを、陰ながら祈るばかりです。

 

 

 

 この度、伊豆旅行を考案、先導してくたたーぼぅさんに対して、この場をお借りして御礼申し上げます。

 

 そして、本ブログでは分割となる記事を。

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 

 それでは、また次回まで。 

 

 

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【車・趣味】愛車と行く、冬と春の伊豆旅行 ~歌を通じて、訴えたいこと~

 皆さん、おはようございます。如何お過ごしでしょうか。

 

 前回の記事で、日中帯のメインイベントを終えた私たちでしたが。

 

 晩御飯を食べた後には、疲れやストレスの発散の場である。

 カラオケに趣き、喉を鳴らしすことが最早恒例行事となっています。

 

 今回は伊豆旅行の夜にて、歌いに歌ったカラオケ。

 その中で、暗い影を落としている、今この瞬間の現代に対して。

 歌を、歌詞を通して訴えたい思いがあることを。

 歌って、語り合いながら見出したことについて、綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 互いの愛車の特性とは真逆の声質

 

  車のオフ会の前夜祭として。

 或いは、今回のようなプチオフ会の後。

 それ以外にも、互いに会った日の夜には。

 ほぼ必ずと言っていいほど、カラオケで喉を鳴らすことが日課のようになっています。

 

 歳の差はあれど、私とたーぼぅさんは歌うことが大好きで、ストレスを発散するだけでなく。

 お互い声質の違いを目の当たりにして、聴覚から取り込まれる音色という情報が、互いの脳を刺激し、飽きることなく盛り上がり続けています。

 

 と言うのも。

 同じアクセラという名の車に乗るたーぼぅさんは、パワートレインがハイブリッドの愛車を駆っています。

 ハイブリッドは、モーターアシストを受けながら速度の伸びに長け、自然な加速力と伸びの良さが特徴です。

 一方で私は、ディーゼルを搭載する車を愛車としています。

 これまで記事にして参りましたが、ディーゼルはトルクに優れ、重い荷物を運びながら勾配を制する力強さを持つ反面、速度の伸びはお世辞にも良いとは言えません。

 

 お互い特性の違う愛車に乗っているにも拘らず。

 カラオケでは、それぞれの声質が愛車と相反する声色を持ち合わせています。

 

 たーぼぅさんの場合、低音域はカラオケの一室を揺るがす程の力強さとビブラートがとても素晴らしく、心地好さを感じてしまう程です。

 反対に高音域、特に突然音程が上がるような曲は苦手だ、と本人は言っています。

 

 その彼が歌う曲が、こちら。

 津軽海峡・冬景色。

 

 ※掲載については、双方共了承済み※

 

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 低音の響きとビブラートが心地好いと感じる程に、カラオケルームを支配します。

 

 

 一方の私が歌うのは、こちら。

 DEENの「夢であるように」。青春と言うには早すぎるながらも、最も印象的であり。

 今では十八番と自負する、一曲です。

 

 ※録画されていることを知らず、途中で思わず声を荒げています。またカラオケ終盤故喉が掠れかけております。お恥ずかしい映像となりますが、何とおご容赦ください※

 

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 私は、まさにその真逆です。

 低音は潰れてしまう程で、禄にビブラートもできません。

 しかし高音域は脳天を突き破る勢いで出すことができ、これまでも度々、周囲を驚かせることもありました。

 

 今でこそストレスを吐き出し、娯楽として楽しむだけでなく。

 自分の声に自信を持つことが出来た私ですが。

 

 

 一時は、人前で歌うことはおろか。

 声を出すことさえ躊躇う程に、恐れて。

 自分の声質を呪った結果。

 今でも発言の度に「ん?」と聞き直されるまでに小さくなってしまった自分の声を。

 まるで、後遺症のように。未だに引き摺っています。

 

 

 

 声変わりを契機に、歌う楽しさを失って

 

 

 ここからは、旅行記の記事から大分ズレる話になります。 

 

 

 幼少期から小学校高学年まで、私は元々高い声と声量を出すことができ、学級内でもソプラノを張れる程度でした。

 自分で語るには烏滸がましいと思いますが、クラス全体を引っ張れる程の自分の声や音感に自信を持てる程に。

 音楽というものが大好きでした。

 音符や符号は読めないながらも、当時は意識することもなかった、所謂耳コピを用いて。

 カセットテープから流れる音を、声を、再現する。

 その楽しさと「思い切り声を張れる」ことが、特技であり得意と思える程でした。

 

 

 しかし、音楽に対する楽しみは。

 小学5年生という、クラスメイトの中でも早い部類に入る、声変わりを経る内に。

 今まで何の苦労もなく出せた声が、日を追うごとに出せなくなり。

 その変化について行けない、自分の声に自信を失って。

 最後は、音程すら取れているのかさえわからなくなって程でした。

 

 その末路が。

 音痴と馬鹿にされ貶された、中学時代でした。

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 これを切っ掛けに、すっかり自分の声に自信を失ってしまった私は。

 周りがカラオケに入り浸るようになっても。

 軽音部を始めとする、音楽を愛する人たちが学園祭で披露することにも。

 

 音楽というものに、関心を無くしてしまった私は、自らそういったものから遠ざかるようになっていました。

 

 

 カラオケに行って、自分が歌うことになった時に。

 またあの日のように、音ズレを指摘されて馬鹿にされるかもしれない。

 

 

 そうやって怖がって、逃げ回って。

 周りと同調することを、感化されることを、あたかも避けるかのように。

 ストレス発散目的に、自分の声を思い切り出すことを。

 カラオケに行くことを、自ら避けてきました。

 

 そんな私が、本格的にカラオケデビューしたのは、専門学生時代。

 端から見れば遅いと思われるかもしれませんが、その時に歌った曲は。 

 

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 かつて味わった、地獄や絶望など存在しない、理想郷を夢見て。

 現実世界を忘れるかのように入り浸ったゲームの主題歌だった。

 「夢であるように」でした。

 

 この曲は比較的高い声色を求められる曲で、カラオケでの原曲キーは「+1」に設定されています。

 それをいざ、歌い始める時。楽譜も読めないままで。

 自分の声に、すっかり自信を失って、マイクを握る手を震わせながらも。

 それでも、脳裏に焼き付いた記憶を。音程を頼りにして。

 歌い終えた時。

 

 専門学生のクラスメイトから、「上手いな!」「本当にカラオケ初めてなのかよ?」という称賛を得ることができました。

 当時は、卑下に過ぎる言葉ばかりを並べることしかできずにいました。

 

 しかし、それを契機として。

 いつの間にか忘却するかのうようにして、音痴と言われたことがトラウマと化して。

 自ら遠ざけるようにしてきた音楽を、歌うことを。

 久しいという言葉ですら表せない程にまで。

 自分の声で、歌うことを楽しめるようになっていました。

 

 

 

 

 思いの全てを、マイクにぶつける声に乗せて

 

 

 逸れた話を、戻します。

 

 

 カラオケの場を経るに連れて。

 羞恥心を通り越し、出すことさえ嫌っていた自分の声に慣れていった私は。

 今では堂々と声を、思いを。

 マイクに向かって、思い切り出すことができるようになりました。

 

 しかしながら、唯でさえ芸能界やアーティストに関心の薄い私は。

 レパートリーに乏しくあります。

 

 MAN WITH A MISSIONは曲のテンポや日本語訳がすっかり気に入り、片足を突っ込む程度のファンになっていますが。

 

 私の場合、どちらかと言えば好きなアーティストや音響、ノリという側面よりも。

 ゲームやアニメといった主題歌を聞き、直感的に「あ、この曲いいな」と思えた曲を聞き入って。

 その上で、歌詞を重視する形で、カラオケで歌う楽曲を少しずつ増やしていきました。

 

 歌詞は、人によって幾らでも解釈できるものであると、私は考えています。

 

 例えば。

 失恋を嘆くような歌があったとしても。

 率直に失恋歌と捉える人もいれば、愛しい物に対する鎮魂歌と受け取る人もいると思っています。

 

 無限大とも言える、歌詞に対する様々な捉え方がある中で。 

 私は、自分の経験や思いを重ねて、私なりの思いや感情を見出すようにしながら。

 自分の声で歌い上げる曲を、選んできました。

 

 

 

 先が見えない現代に、歌を通して伝えたい想い

 

 

 各々の持ち歌を歌い続けていく中。

 唐突に閃いたかのように、歌から、歌詞から思い汲み取るように。

 

 先行きの指標すら見えない、現代に伝えたいこことを。

 訴えたい思いを抱いていました。

 

 

 ※以下、歌詞引用有※

 例を上げると、TOKIOの「花唄」。

 『ああ、鳥が飛ぶ。急ぐ訳じゃなく。穢れゆく青空を、引き裂いていく。無力な自分と、恥じるその前に。絶望の風に羽広げて、舞う花吹雪』。

 

 DEENの「ひとりじゃない」では。

 『ひとりじゃない。もっと、自由になれるはずさ。プライドや猜疑心(うたがい)とか、もう捨ててしまおう。そばにいる誰かが、喜んでくれること。ひとを信じる始まりだと、やっとわかったよ。君に出会って』

 

 菅田将暉氏の「まちがいさがし」は。

 『間違いだらけの、些細な隙間で。くだらない話を、くだばるまで。正しくありたい、あれない寂しさが。何を育んだでしょう』

  『君の手が触れていた、指を重ね合わせ。間違いか正解か、だなんてどうでも良かった』。

 

 

 これらの歌を聞いて、歌って、思うことは。

 新型ウイルスによって、それまでの常識や「当たり前」が崩壊しつつある現代に向けて。

 激励とも、または諭しているかのように思えて、私はなりません。

 

 

 新型コロナウイルスが蔓延し、世界中を破壊せんとばかりに猛威を振るい。

 多くの犠牲者を出すだけで留まることなく、各国の首都が閉鎖されるという前代未聞の事態に陥って。

 果てには日本でも、首都閉鎖が懸念される未曾有の危機と混沌に支配されつつあり、未だ打開策さえ見えません。

 

 

 命に、ヒトという種の存続に関わる大きな問題であり、安易に意見することなど愚の骨頂。

 そんな思いが先走りながらも、歌の歌詞を通じて私が思うことは、一つです。

 

 自粛という言葉が蔓延る中でも。

 ヒトは、そんなに弱い存在ではないと思うと共に。

 

 未知の新型ウイルスによって、現実的に被害を被っている最中でも。

 

 

 ヒトは、無力と感じる前に、なにかしろ進むことができる。

 ヒトは、決して独りではない。

 ヒトは、間違いも正解も持ち合わせていない。

 

 

 勝手な娯楽の中で。

 私は、そういった歌に鼓舞される形ではありますが。

 報道や世論に惑わされない強さを、ヒトという種族は持っていると信じることができました。

 その一人である私が、申し上げたいことは。

 

 喩え一時であっても、自粛という戦術的撤退を余儀なくされても。

 いつかは、攻勢に転じて。

 新型ウイルスを、打ち破ることができると信じると共に、必ず成し得ると信じています。

 

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

【車・写真】愛車と行く、冬と春の伊豆旅行 ~伊豆半島横断編~

 皆さん、おはようございます。如何お過ごしでしょうか

 

 今回は、前回の伊豆クレイルの列車紀行を楽しんだ後の、メインイベントの2つ目。

 

 これまで踏み入れたことのなかった、伊豆の西へ。

 今度は愛車に乗り換えて、沈み行く夕日を追いかけるように駆け抜けた。

 伊豆半島横断紀について、綴っていきたいと思います。

 

 

 今回も写真が多めの記事となります。スマホで御覧の方は、読み込みに時間が掛かるかと思いますが、何卒ご容赦ください。

 

 

 

 

 

 車幅一台半程しかない県道を、愛車と突き進む

 

 

 西伊豆へ向かうに当たり、本当ならば互いの愛車と共に向かいたい気持ちは強くありました。

 しかしながら、道中がそれなりに悪条件が揃っていることと、運転疲労による事故の可能性を危惧した結果。

 友が駆るモーターと排気量でスムーズに加速することができるアクセラハイブリッドではなく、トルクを持って勾配を制することが可能なディーゼルエンジンを載せたアクセラスポーツで。

 私の愛車で出向き、最悪の場合は運転を交代することで同意して。

 まだ見ぬ西伊豆を目指し、伊豆半島横断の旅が始まりました。

 

 西伊豆までの道のりは、時間で言えば約1時間半。余裕を持たせて約2時間。

 出立した時刻は2時を過ぎていました。

 

 順調に行けば、夕暮れ時に間に合う算段でした。

 

 まずは県道12号に入り、それから国道136号へ合流する形で西を目指します。

 

 

 しかし、早速試練とも言える難所が待ち構えていました。

 

 県道12号は急勾配とキツイカーブが続く、まさに峠道と呼んで遜色ない道でした。

 それ以上に驚いたのは、その道幅。

 

 乗用車同士でさえすれ違うことができない、車一台と半分ほどしかない車道を。

 県外車だけでなく、バスやダンプまで行き交うという修羅場と言える険しい道でした。

 

 どうやらこの県道は、ナビでは西伊豆と東伊豆を行き交いするには最短経路と認識されいるそうです。

 地元の方々やダンプといった運び屋さんといった、険しい道に慣れた人ならまだしも。

 ナビを頼りに誤誘導された県外の方々は、半ば迷い込まされる形で県道12号線に入ってきてしまう、と友は言っていました。

 その実、交通渋滞には慣れているであろう都会のナンバーを背負った乗用車と、次々にすれ違いました。

 恐らく、急勾配や急カーブ、そして車一台がやっとの道を進むのは厳しいことであると思います。

 

 前もって、「白兎さん、ちょっと狭くてキツイ道を走ることになりそうですが、行けますよね?」と、たーぼぅさんが念を押すかのように声を掛けてくれました。

 

 それに対して、私は。

 生まれ育った地元の勾配のキツイ道やヘアピンカーブを幾度となく走った経験と。

 車という世界に飛び出して、様々な場所へ行き。

 時には、未経験故に走ることがやっとで道中を楽しむことさえできずに終わったこともありましたが。

 「亀さん(※注記1※)にならなければ、行けます」

 と、頬を緩ませながら答えました。

 

 ※注記1 車高を落とした車がの腹が、線路のような段差につかえて身動きが取れなくなること。極端に車高を落とした車では、線路の段差やコンビニの入り口でも起こり得る※

 

 険道とも書ける12号線を走り抜けて行く中で。

 確かに、勾配やカーブはキツく、対向車に道を譲れるような待避所もない厳しい道路でした。

  ですが。

 私はハンドルを握りながら、「これは面白い道ですね。いやぁ、運転していて楽しい道だ」と笑っていました。

 

 車に興味を持つ以前であれば。

 とっくに車を走らせることさえ投げ捨てて、運転をお願いしていたと思っています。

 

 然れど、その時の私は。

 愛車を傷つける以上に、対向車や前方を走る車とかち合わないように慎重を期しながらも。

 車を走らせる喜び、愉悦に浸る程で。

 友と語り合いながら駆ける程度の余裕は、身に付けられていたのだと、省みています。

 

 

 知らない間に、少しは成長、できたのかな。

 

 

 そんな思いを潜めながら、県道を道なりに行く内に。

 

 片側一車線の余裕ができる道に辿り着いていました。

 

 「ここまで来れば、あとは道なりに行くだけです」

 友の声に、安堵しながら。

 「了解、ありがとうございます。では、行きますか」

 

 道幅という制限が解除されたことで、更に高揚感が増した私は。

 多少軽減されたとは言え、相変わらず勾配のある道を。

 ディーゼルとターボの力を堪能するかのように、思い切りアクセルを踏み込みました。

 

 1500ccという小排気量ながらも、愛車が生み出す加速力は、時として座席に身を食い込ませる程のGを生み出し。

 隣の友も、愉悦とも驚きとも取れる歓喜の声を聞きながら。

 私も、愛車が齎してくれる力強さにニヤリと笑って。

 購入時の車体価格並にチューニング代をつぎ込んだ相棒と共に、西伊豆へ向かう脚を止めることはありません。

 

 そして夕暮れは、確実に迫っています。  

 

 

 

 東から西へ横断した先に待っていた、冬と春

 

 

 峠道を乗り越え、始めて西伊豆に乗り込んだ私たちを迎えたのは。

 冬至から約3ヶ月、日も伸びて。

 太陽は水平線より遥かに高い位置から、地上を照らしていました。

 その日差しの強さと明るさは、冬を越えて春へと向かい始めていることを直感させるものでした。

 

 しかし、その暑さや眩しさに心奪われる時間はありません。

 途中あったコンビニに立ち寄って飲み物の補充と一服を早々に済ませ、目的地へ向かっていきます。

 

 そして、到着したそこは。

 黄金崎。

 夕日と海を一望できる、まさに字の如く黄金郷を思わせる場所でした。

 

 夕暮れが近い時間帯でしたが、駐車場はほぼ満車状態。愛車を、沈む夕日と共に撮影することを最終目標としていた私たちは、少しでも他車が少ない場所に車を停めて。

 各々のカメラを手に取って。

 初めて訪れた黄金郷えへと、足を進めるのでした。

 

 

 

 強風吹き荒れる、黄金崎での写真活動

 

 

 黄金崎は西伊豆の最西端に位置し、夕日を拝めるには絶好の場所でした。

 条件が揃いさえすれば、富士山も撮影することができるという、まさに自然が織りなす幻想郷とも呼べる場所でした。

 

 激しい波と海風によって削られたそこには。

 

 ※以下写真は、PENTAX 18-135mm 標準ズームレンズにて撮影※

 

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 「馬ロック」と呼ばれる、馬の頭から首筋に掛けてを形どったかのような、独特の奇岩が眼前に広がっていました。

 

 今まで見たこともなかった、絶景とも奇異的とも見える光景に圧倒されるのも、束の間。

 

 

 この日は、海からの風がとてつもなく強く、

 カメラを保持する所か、直立していることがやっと言うほどにまで荒れていました。

 

 

 でも、ここまできた以上。

 二度と来ることはできないかもしれない、と覚悟のような決意を胸に。

 冬と春を行き交う、激しいまでの自然を。

 カメラに収めようと奮闘しました。

 

 

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 風に押されてブレる手を抑えるのが、本当にやっとのことでした。

 

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  激しく押し寄せる波が、岩肌に突き刺さり、

 

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 砕かんとばかりに、飲み込んでいく。

 水の力は、そして自然の力は。

 人間という矮小な存在では、とても計り知れない程にまで強くて。

 凶悪で。

 それでも、美しい。

 

 そして、偶然撮れた一枚がこちら。

 

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 余りに強い波は、地上の私たちにまで水飛沫を齎して。

 眼鏡やカメラのレンズを、たちまち潮塗れにしていました。

 その中で、木の合間からシャッターを切った一枚は。

 レンズに付着した潮と、気象条件が重なって。

 偶然という一言では言い表せない程の、西伊豆の海岸を。

 沈み行く太陽を、撮影することができました。

 

 自然は、カメラで撮ろうとした一瞬一瞬で、たちまち姿を変えていきます。

 その瞬間の度に、美しさや羨望を抱かせながらも。

 自らの手で、物に出来た時の喜びと感動は、ひとしおです。

 

 

 夕日を受ける、愛車の勇姿

 

 展望台に立っての風景撮影は、時間を忘れさせる程引き込まれるものでした。

 しかしながら、叩きつけるかのように吹き抜ける風や海風の冷たさは、体温を奪い、体力を奪っていきました。

 

 限界を察した私たちは撤収し、駐車場で待つ相棒の元に向かいました。

 

 黄金崎に夢中になる、数十分の間に。

 相棒も潮風に打たれ、すっかり潮塗れになっておりました。

 

 ここまで、私と友を乗せて。

 全力を出してくれた相棒の勇姿を、カメラに収めていきます。

 

 ※以下、SIGMA 30mm F1.4単焦点レンズにて撮影※

 

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 ヘッドライトが煌めくように見えるかの如く撮影し。

 

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 シャープさを増々にして、油絵のようにしてみたり。

 

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 カメラを地面ギリギリに構えながら、やや見上げる角度に。

 

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 わざと垂直方向からずらしてみたり。

 

 撮影する角度、被写体、収める全体像。

 少しずつ変えるだけで、無限大とも言える相棒の写真を撮ることができました。

 

 今回もナンバー隠し以外の目的で加工することなく、撮影した一枚一枚を一切弄ることなく上げています。

 高価な機材を用いずとも、自分が「これだ!」と思った一枚を取れて。

 それで満足できるのであれば。

  私のような素人からすれば、それで十分幸せなことであると同時に。

 思った構図を取れないことを、機材の性能を盾にして。

 わざわざ高価なものに手を出す必要など、ないと思う瞬間でもありました。

 

 

 さてさて、いよいよ風も駐車場にまで魔の手を伸ばし始め。

 限界を悟った私たちは、急ぎその場を離れるのでした。

 もっと、穏やかな陽気である日に来られるのであれば。

 

 

 また、来てみたいな。

 

 

 後ろ髪を引かれる思いを振りほどくかのように、帰路に向けて、愛車を走らせるのでした。

 

 

 帰路に着く私たちの道中で。

 西伊豆を代表とする、堂ヶ島付近を通りかかりました。

 

 折角なので、沈み行く夕日を背景に。

 

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 写真では穏やかに見える堂ヶ島ですが。

 ここでも、海風は収まることを知らず、地上に立つ我々を薙ぎ払わんとばかりに吹き付け続けていました。

 

 静けさとおおらかさを垣間見えながら。

 季節はまだ、冬と春がせめぎ合うかのような激烈さを、私たち人間に齎していました。

 

 堂ヶ島撮影も、僅か十数分滞在するのが限界でした。

 

 戦術的撤退を余儀なくされた私たちは、来た道と別ルートを辿りながら、帰路に着くのでした。

 

 

  しかし、夜の帳が下りても。

 

 ゆきゆきて、町の灯りは消えぬまま。

 

 伊豆横断旅行は、夜にまで続いていきます。

 

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。 

 

【車・写真】愛車と行く、冬と春の伊豆旅行 ~廃線間近の、伊豆クレイル~

 皆さん、おはようございます。如何お過ごしでしょうか。

 

 今回は、前置きは省略して。

 

 愛車と行く、冬と春の伊豆旅行記。

 

 今回は、そのメインイベントの一つである。

 伊豆クレイルという、観光列車に乗って。

 日頃、余り列車紀行について、綴っていきたいと思います。

 

 今回は文章少なめ、写真多めの記事となります。

 

 

 

 

 

 大雪の荒れ模様は、一晩経って、春の陽気に

 

 前日の移動で草臥れていたのか。加えて、ブログの下書きを進めていた為か。

 

 起きたのは、8時半過ぎでした。

 部屋のカーテンを開けると、そこには晴れ晴れとした青空が。

 広がってはいませんでした。

 しかし、部屋から見える愛車や駐車場の路面状況を見た限り、明け方まで雨が続いていたことが伺えます。

 

 更に窓を開けて、海風によって運ばれてくる、潮の香りを肺一杯に吸い込んで。

 吐き出す息は、白くもならず。

 暖かい、と感じるにはもう一歩、というところではありましたが。

 思い切り晴れることも、雨が降ってきそうな両極端な気候ではなく。

 

 旅を楽しみ、写真撮影するには絶好の状況でした。

 

 そんな春の陽気に包まれる、伊豆を案内してくれる親友と早速合流し。

 メインイベントの準備の為に、移動を開始します。

 

 伊東駅から神奈川方面へ向かい、目指すは小田原。

 

 そこで、搭乗する列車を暫し待ちます。

 東海道線を始めとする、首都圏でも良く見かける列車たちが行き交う中。

 目的の列車が、ホームへ入ってきました。

 

 その瞬間を待ち望んでいたかのように。

 

 実際に乗り込む人も、列車を撮影しようとする人たちも、一斉にカメラやスマホを構え始めました。

 

 それが。

 

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 写真の横断幕の左側に映る車両、伊豆クレイルです。

 ※私は人だかりとカメラを構えるタイミングを誤り、ピントがボケたり人が写り込んでしまう写真ばかりになってしまった為、ボツの連続に終わりました※

 

 

 観光列車・伊豆クレイル

 

 一応、地元にも小海線というローカル線が走っております。

 通常は学生の方々が利用する列車ですが、この小海線。

 実はJR東日本が列車を走らせ、駅が所在する標高点が上位10位以内のほぼ全てを独占する程の高い標高を走る列車として有名です。

 その筆頭である、高原野菜と眼の前に広がる八ヶ岳を一望できる、野辺山駅には。

 大して大きな駅舎もなく、お土産屋も疎らでありながらも、連日人だかりができるほどだそうです。

 

 

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 地元故関心が薄かったということもありましたが、この路線にも観光を目的とした列車を「HIGH RAIL 1375」という観光列車を走らせています。

 この1375という名称は、列車が通過する最高地点が海抜1375mであることを元に付けられているとのことです。

 

 地元だから、いつでも見に行ける。

 地元だから、旅行計画を立てる必要もなく。

 そういった思いが、却って興味関心を失わせ、これまで敢えて調べたり実際に乗ろうとも思わなかったのだと思います。

 ※この列車は、実際に友と共に乗りました※

 

 

 

 話が逸れましたが、今回搭乗した伊豆クレイルという列車。

 

 2016年に運行を開始。

 「大人に適した列車」という意味を冠され、飲食サービスやグッズ販売を兼ねる観光列車として運行されています。

 

 ※以下写真は、PENTAX純正18-135標準レンズにて撮影※

 

 

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 写真は、伊豆のミカンを惜しみなく使ったジュース。ボッタクるような値段では決してなく、ミカンそのものの甘みとスッキリした飲み味でクドさはなく、旅のお供にもピッタリです。

 

 車両は僅か4両という短い編成で、全てグリーン車扱いです。

 1両目はお弁当と飲み物が予め用意された、純粋に列車に乗りながら食事を楽しむ車両。

 2両目は売店となっており、座席は簡易的なソファーだけが置かれています。ここで飲み物といったお買い物をし、各車両へ持ち帰ってくるようになっています。

 3両目は1両目と同じ趣きながらも、座席が完全個室化されており、親しい人々とより談笑を弾ませ、列車の旅を楽しむことに特化しています。

 最後の4両目は比較的通常のグリーン車と近く、食事サービスはないものの、飲み物は売店で購入することができる為、然程利便性にこと欠くような印象はありません。

 逆に食事に目が行かない分、ゆっくりと流れる伊豆の風景を楽しむことができる分、景色を堪能したり写真撮影したい方には嬉しい設計になっています。

 

 

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 今回私たちが乗ったのは、4両目。

 

 新幹線では荷物置き場になる座席上には、BOSE製スピーカーが各所設置され、緩やかな音楽を流しながら、時間を忘れさせてくれます。

 

 お酒を入れて勢い任せに楽しむような列車ではなく。

 

 純粋に、「大人の為の列車」という言葉がピッタリ。そんな印象を受け取った車両でした。

 

 片側二席という座席設計もあり、約2時間弱の間、私も友と色々なことを語りました。

 

 時間が許されるのなら。

 いつまでも乗っていたい。

 

 そんな感情さえ抱いたこの列車は。

 

 今年の6月を目途に、運行終了が予定されています。

 

 初めて乗ったはずなのに、また、乗ってみたいと思った列車は。

 これが、始めてなのかもしれない、と今でも思っています。

 

 

 

 

 

 のんびりとした時間を味わいながら伊豆を行く

 

 

 

 通常の特急や急行列車であれば、小田原~伊東は1時間弱で到着する距離です。

 

 しかしこの列車は、「観光」というものに拘りを持っているのが特徴でした。

 停車しても、乗車口を開けないまま10数分停まり続けたり。

  各駅を出立する旅に、駅長さん始めとする駅員の方々が見送りするという徹底ぶり。

 

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 写真は、熱海駅を出発した時の見送り場面です。

 

 

 現代の日本は。

 時間に、仕事に追われに追われて。

 休息したり、「時間を忘れて」何かに浸る、ということを忘れてしまって。

 休むどころか、一息入れることさえ少なくなっている

 そのようにさえ、私は感じてしまいます。

 

 

 そんな社会全体に。

「飲まれるな!」と優しく鼓舞してくれるかのように。

 兎に角、ゆっくりとした時を楽しむことを。

 伊豆という、海と山が両立する景色を楽しむことを。

 

 

 言い方を、私なりに強引に言い換えるとするならば。

 普段抱える、仕事や社会からの悩みや葛藤なんて忘れて。

 目の前の景色を、列車に乗ることを、目一杯楽しんで、癒やしを感じてもらいたい。

 

 そんな強い意志のようなものさえ、感じる程でした。

 

 

 車窓から望む景色も、絶景ばかりでした。

 

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 自衛隊のヘリでしょうか?

 

 

 シャッターを切り、トンネルを抜けていくに連れて。

 朝立ち込めていた雲も、すっかり疎らとなって。

 陽光眩しい、晴天に恵まれました。

 

 

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 そして、昨年の丁度今頃だった。

 

 

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 アクセラのオフミーティングが開催された、長浜海浜公園を後にしながら。

 

 

 時間という数字だけ見れば、長いとさえ思った乗車時間もあっという間に過ぎ去り。

 

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 伊東駅に降り立った私たちは、見送る駅長始め駅員さんたちと共に。

 

 

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 喩え、束の間であったとしても。

 24時間という、限られた時間を忘れ去って。

 憩いを齎せてくれた車両を、見送りました。

 

 

 尚現時点では、この車両の予約は早くも満席となり、乗車することも難しくなっているとのことです。

 

 

 いつかは、限られた空間に人が押し込まれるという電車というものを毛嫌いして。

 隣に座る人や、抑えられない感情からか騒いだり、泣き叫ぶ子供に辟易してきた私は。

 出来ることなら、電車というものに乗ることを避けてきました。

 

 

 然れど、電車には電車の。

 車とはまた違った、身体を、精神を休められる場であることを。

 急ぐ心さえなければ、ゆっくりと乗り続けていたいとさえ、思える時間でした。

 

 

 

 電車から降りた私たちは。

 再び愛車に乗り込んで、まだ見ぬ地を目指していくこととなりました。

 

 

 

 ひとまず、今回はここまでといたします。

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

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【車・写真】愛車と行く、冬と春の伊豆旅行 ~冬の険しさ編~

 世界各国の国境並びに入外国規制、前代未聞の株価暴落。

 最近では天災というよりも、人災と揶揄されるようなりはじめたパンデミック。

 

 それに負けるわけにはいかないと咆哮するかのように。

 自粛を呼びかける中でも、イベントや各行事が再開され始めています。

 少しずつながらも、各都道府県や企業が先行するような形で、猛威を振るうウイルスに立ち向かう、力強くも温かくて、失われつつある人々の意識を再結束させようとする動き。

 

 自粛に対して反対の意志を持っている私は、そのような姿勢を強く支持すると共に、私自身も私が思ったことを貫きたいと思っています。

 

 世界を代表する御仁たちのみならず、自国民よりも自身の保身に走るようにしか見えない、明確な意思決定や対策さえ打ち出さない政府よりも、私からすれば余程信用できると共に、自分が成せることを成したいと思う程です。

 

 一度は、私が住む地域で感染者が出たという報道に踊らされるかのように狼狽した私ですが。

 

 いつどうなるかわからない事態にまで陥ってしまった以上、不必要な疑いや不安を持ったり、どうしてこんなことになったのかと、責任を押し付け合うような醜い争いをするよりも。

 

 3月も終盤に入りかけ、桜が綻び始めている今。

 それに伴うイベントに、各地へ赴くことを、自分の意志を以て。

 自粛ムードに抗おうと勝手ながら決意している、白兎です。

 

 

 皆さん、おはようございます。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 先日、車に関する記事を上げさせていただきました。

 

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 この記事は、実際に先日旅行へ出向いた際に陥った出来事を抜き出す形で、「運転」に焦点を当てる形で上げており、本記事で上げようとしていた内容の「前段」とも言える内容でした。

 

 

 今回は、盟友たーぼぅさん企画の元。

 気候的には、冬と春を行き来している中。

 既に桜が散ってしまったという前情報を得ながらも、伊豆半島へ趣き。

 愛車であり、相棒である「Lupus」と道中を駆け抜ける喜びを。

 旅することで初めて知ることができたことについて、綴っていきたいと思います。

 

 尚、今回のタイトルである「愛車と行く、冬と春の伊豆の旅」は、複数回に分けて上げて参ります。

 

 

 

 

 

 

 伊豆への道を阻む、険しい冬の気候

 

 

 これまで、冬らしい気候に見舞われることなく。

 氷点下になったとしても、例年からすれば可愛いと思えるばかりか。

 纏まった降雪さえなかったこの日は。

 

 出発時点から大きな雪が舞い降り、世界を白銀に覆うようにして。

 気温も氷点下スレスレという、悪条件が重なっての旅路の始まりとなりました。

 

 しかし、私はそれに臆することも、出かけることに対して気持ちが萎えることもなく。

 寧ろ、高揚感を抱かのように、相棒と共に地元を出発します。

 

 降雪の濃さからか、視界は半ばホワイトアウトして。

 無灯火の対向車は、数十メートルまで近接しなければ視認できない中。

 

 冬装備を万全とし、車体価格と同等、或いはそれ以上の軍資金を投じてチューニングした愛車と私を止めるものは、ありませんでした。

 

 幸いにも氷点下に落ちなかった気温のお陰もあり、路面凍結を免れて。

 吹き荒れる風に乗った大きな雪の結晶を受けながらも。

 峠道を、ダウンサイジングながらもディーゼルエンジン+VGターボ(可変ジオメトリーターボ。詳細はWebで)と。

 動力に負けぬように強化した足回り。

 高速道路のジャンクションのようなカーブでも、80~90キロをキープしたまま余裕で曲がっていける剛性と粘り。

 

 見た目こそ、ノーマル+αの域を出ない相棒ですが。

 

 

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 私が、私なりに目指した、車の形。

 車本来が持つデザインや意匠を崩すことなく。

 外見は、飽く迄も個人を多少強調する味付け程度に留めて。

 中身は、脱いだら凄いのよ?を目指して。

 

 今シーズンでは珍しいとも言える程の、冬の洗礼を受けるかのように、峠道を駆け抜けて。

 道中、動力やタイヤの摩擦力に負けて横滑りしかかりながらも。

 相棒と私は、ただひたすら駆け抜け続けました。

 

 目の前の雪にも。

 コロナウイルスという、目に見えないものにも。

 負けてなるものかと、吼えるようかのようにエンジンを唸らせて。

 

 

 

 久しく忘れていた、愛車と共に駆け抜ける喜び

 

  峠道を乗り越えも尚、雪は降りしきり。

 行き交う車は少ないながらも、変わることのない気象状況。

 

 高速道路に乗り入れても、標高の高い場所を走っている間は、舞い降りる雪なのか雲なのかさえわからない程、白の世界が続くばかりでした。

 

 しかし。

 伊豆への最短ルートである甲府昭和ICを降りる頃には。

 結晶だった雪が姿を変え、雨となっていました。

 

 雨になったことで束の間の一息を入れられましたが。

 富士山の西を行く、国道139号線は、再び吹雪に見舞われる悪天候に見舞われていました。

 

 天候があまりに不安定だった為、100km程走っては最寄りのコンビニに車を入れて休憩を挟みながら、目的地へとひたすら相棒と共に走り抜けていきます。

 

 そんな状況下で、普段なら壮大な富士山だけでなく、季節の移り変わりを思わせる周りの自然を楽しむことも叶いませんでした。

 

 

 ですが、逆にその状況は。

 忙しさのあまり、久しく忘れていた。

 車を運転する喜びと楽しさを、濃厚なまでに楽しむことができました。

 

 荒れ狂う天候も。世界を蝕むウイルスも。

 アップダウンの激しい道のりも。狭窄ですれ違うのもギリギリな道路も。

 

 相棒と共に走る私には、そのような恐怖も不安も、全部忘れて。

 上り坂を物ともしない、ディーゼルの力強さを以て気持ちよく駆け上がり。

 180°転回するようなヘアピンカーブでも、剛性を高めた相棒には障害にすらならず。

 決して良いとは呼べない気候も、絞られた道路で対向車が来るようなことがあっても。慢心を捨てつつ、経験と身体が覚えている車の操作と車幅を思考を経ずとも乗り越えて。

 

 MAN WITH A MISSIONの曲を響かせる車内で、私の気分は最高潮に達していました。

 その日までに、全ての仕事を片付け、憂いを完全に取り払って。

 休日を愛車と共に過ごすことを満喫する私は、思わず。

 「今日も良い調子だね、Lupus」

 と、同乗者がいたら「何言ってるのこのヒト大丈夫?」と思われるような言葉を、愛車のハンドル越しに掛けていました。

 

 

 その後も前進を続け、新東名高速や有料道路を経て。

 この日の最終目的地に向かう為の、最後の難関である。

 

 亀石峠に、入り込むのでした。

 

 

 

 待っていた、伊豆半島の暖かさ

 

 亀石峠は、最高標高点が451m。

 私の住む地域よりも低いながらも、海と接する伊豆半島の中では高い場所に位置しています。

 道中に箱根ターンパイクや伊豆スカイラインの入り口になる場所もあり、車隙きな者からすれば最高峰に位置する場所です。

 

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 ※写真は、初めて伊豆を訪れた際に、誤って伊豆スカイラインに乗ってしまった際に撮影した富士山です。※

 

 初めて私が伊豆を訪れた際、標高451mと聞いて。

 「大した高低差ではないな」

  と、油断したその場所。

 

 しかし実際は、海抜数メートルしかない場所から、僅か十数キロしかない短い距離で。

 勾配が上り下りの厳しさを、カーブもキツさを、身を持って知って。

 恐怖として覚えてしまったその峠を。

 

 今回は悪天候も重なり、より脅威度は増していたことは確実でした。

 

 それでも。

 いつかは「なんだよ、この道……!」と半泣きで通り越すのがやっとだったその場所を。

 

 超えてみせる。

 今でも、決意にも似たこの時の環状を、言葉で上手く説明することはできずにいます。

 

 強いて言うなら。立ち塞がる峠に対して。

 

 「来いよ。今の私とLupusなら、制覇してみせる」

 

 と、厨二病をこじらせ今尚治らずにいるような感覚を持って、峠道に入り込みました。

 

 亀石峠だけでなく、伊豆は想像以上に山々に囲まれ。

 縦断や横断するには、幾つもの山を越えていかねばなりません。

 それも、標高こそ然程ではないにしても。

 短い距離という条件が重なり、一つの山越えも簡単には済ませてくれません。

 

 それでも。

 私とLupusは、進むことを止めませんでした。

 

 一つ上り坂を越えれば、雪となったかと思えば。

 下り終える時には雨となり。

 目的地に近づけば近づくほど、海風からの風が強くなっていって。

 道は、険しくなっていくなっていくばかりなのに。

 

 私の感情や、相棒が奏でるエンジン音は。

 止まるどころか、激しさばかり増していって。

 

 峠道を、まるで楽しむかのように突き進んでいきました。

 

 一時間弱という短い時間を経て。

 

 最終目的地に、遂に到着しました。

 

 普段見ることも叶わない、海の水面を乱す波。

 激しく打ち付けられる、轟音にも似た、海岸沿いに響く波音。

 出立時点では、氷点下を示していた、車内気温計が、10℃近くを示していて。

 

 そこでようやく、伊豆に降り立ったことを実感することができました。

 

 冬と春を行き交う、不安定で激動すら思わせた旅の始まり。

 宿に到着したと共に、安堵の気持ちと高揚感の残り香を漂わせながら、終わりを迎えました。

 

 車から降りる時、私は再び。

 愛車であり、相棒であるLupusのハンドルをポンポンと叩きながら。

 

 今日も、ありがとう。明日も、またよろしく。

 

 と言い、旅の初日の疲れを癒やすかのように。

 宿にチェックインすると共に夕飯を終え。

 途中で購入したお酒を楽しみ。

 

 次に日以降に、何が待っているのだろうかと、夢見るかのようにしながら。

 早々に床へ付き、眠るのでした。

 

 

 冬と春の伊豆旅行は、まだ続きます。

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

  

 

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  ※写真は本記事で綴った旅とは関係ありません※

【Aセクシャル・人生】結婚していく同期たち ~疎遠になっていくばかり~

 普段の仕事がシステム管理という業務をこなしている私ですはありますが。

 先日、久しく夜勤を伴う現場作業を遂行して参りました。

 

 半年弱パソコンやシステムとにらめっこする日々の連続で眼精疲労や肩の張りが気になっておりましたが。

 昼夜逆転となる仕事に久しく従事したことで、眠い目を擦りながら粛々と記事作成に勤しんでいる、白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 私の人間関係・友関係は深くとも決して広くないことを、これまでの記事で述べてまいりました。

 最近では最古参である、高校からの友人とも連絡を取り合うこともなくなりました。

 

 元来、他人に対しての興味が希薄な私は、心配という感情から自ら連絡することもなく。

 連絡が途絶えた友人たちの、本人の「連絡を取る余裕もない」と勝手に思う以上に。

 彼ら彼女らの家庭的な事情にさえ憶測を重ねてしまい、飽く迄も他人である私が介在するようなことはしてはならないと、感情や思いを抑制してきてばかりでした。

 そういった身勝手な思いを盾にするかのように、これまでも、ひたすらに受け身の姿勢を貫き通してきました。

 

 そして、かつて同じ職場で苦楽を共にし。

 酒盃を交わして互いの思いを語り合った会社の同期たちでさえも。

 

 結婚という契機を堺にして、私からも、相手からも連絡することがなくなって久しい日々を送るようになりました。

 

 結婚した彼ら彼女らの、その後の生活がどのように変化して。

 結婚し、子を育む親となった同期たちが、今どうしているのか。

 

 Aセクシャルを自負している、と言い訳にする私は。

 人を好きになって、愛し合って、家庭を築き上げていく。

 人が生きる上で当たり前であり、普通のことであると思えば思うほど。

 それを今でも理解できない私は、結婚した同期たちの生活を崩したくないという思いから、自ら一線を引くようになりました。

 

 

 今回は、結婚という大きな経緯を経た人たちと。

 人と交わることを理解できず、嫌悪し苦悩する私。

 

 理由はあれど、疎遠になってばかりいく現実と

 幾度も理解し決意したつもりでも、人を好きになって、愛することがわからない。

 それに対する葛藤や思いについて、綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 入社し不安だらけだった私と同期たち

 

 

 話が少し逸れますが。皆さんは、会社に初めて出社した時のことを。

 ドキドキした緊張感、右も左もわからない不安。

 そういったものを、覚えていらっしゃいますでしょうか。

 

 高卒、専門卒、大卒。

 最終学歴は違えども、入社した際に同じ年代であれば同期と呼ばれる同じ郭として扱われます。

 同級生、かつ同じ学校を卒業した同士なら兎も角としても。

 ほとんどの場合は、初めて顔を見る相手同士。

 新入社員と見られながらも、当人たちは「この人たちが、同じ年代として働く人たちなのか」という感想しか得られるものはないのかもしれません。

 

 私は、そういった人間の一人でした。

 

 配属されたのは、首都圏でした。

 配属先の上司や先輩たちと、上手くやっていけるのか。

 業務説明を受ける、席を同じとする同期は、どんな人たちなのだろうか。

 社会は、自分が就職した会社は、どういったものだろうか。

 

 同期という「仲間」を意識するよりも。

 過去の人格否定から来る人間不信を引き摺っていた私は、自己保身を求める余りに、後ろ向きな感情しか抱けずにいました。

 

 

 身勝手な思いを隠すかのように、新入社員向けの説明続ける人事担当の方の言葉を、私はひたすらメモし続けていました。

 

 そんな私に。

 たまたま隣に座っていて、担当も同じとなることが決まっていた同期の一人が、声をかけてきました。

 

「全部メモ取ってるんだ。凄いね」

 

 褒められたことも多くなかった私からすれば。

 その言葉は、同期と言えど赤の他人から頂戴するには余りに温かくて。優しい口調でした。

 驚いた私は、思考して言葉を考えることもできないまま。

「え?いや、その。今できることを、やってるだけだよ」

 と半ばぶっきらぼうに返した記憶があります。

 

 今思えば。

 照れ隠しするようにして、言い放った気もしています。

 

 そんな、私の思いはさておいて。

  声を掛けてくれたその人だけでなく。

 同じ担当に配属となった、別の二人とも言葉や思うを交わしながら。

 実際に業務を行って行く中で、志を共にしていくようになっていました。

 

 それだけで留まることなく、他担当に配属された同期も。

 最終学歴の差はあれど。

 そのような詰まらない杓子定規で計られない程、時間と共に互いを知り、理解し合いながら。

 同期という括りに囚われることなどないままに。

 

 時には、同じ社員寮に住む同士で、今時古いと思われるかもしれない、麻雀に明け暮れたり。

 近くのスポーツ施設で、バッティングセンターや卓球に入り浸り。

 また別の日には、日常生活に必要な食料品や日用品の買い出しまで共に行き。

 挙げ句には、夏の熱さを和らげる為に。

 近場のコンビニに、アイスを求めて共に歩き。各々好みのものを買い、それを食べながら寮へ戻る道中で、思いを語り合う。

 

 人によっては、中学や高校といった学生時代にしてきたことを。

 私にとって初めて、そのような「青春」と呼べるようなことを、同期と共に過ごしました。

 

 仕事から来るストレスより、遥かに安らぎを齎してくれたそのような時間。

 今では、懐かしいと思うと共に。

 そんな時代もあったな、と感傷に浸る時さえあります。

 

 

 

 転勤しても、同期と機会を設けて酒盃を重ねて

 

 

 当時の会社は、新入社員の地方への転勤や配属というものがありませんでした。

 地方出身の私は、初めての配属先で仕事を続けて、1年と半年で、地方である地元に異動することとなりました。

 

 短い期間ではありましたが、盛大に見送りしてもらった私は。

 新天地で、再び仕事に勤しむ毎日を送り始めました。

 

 しかしながら、研修や出張で首都圏に赴いた折々に。

 かつて同じ職場で働いていた同期と連絡を取って。

 互いの近況報告や仕事や、会社への思い。

 そういったものを含めて語り合う、お酒の場を設けてきました。

 

 時には、居酒屋で。別の時は、同期のアパートの一室で。

 時間と共に、歳を取り、別々の経験をしながらも。

 語らう時間は、いつまでも変わらないまま。

 各々の思いを、変に隠す必要もないまま、ひたすら語り続けていました。

 

 同期というものを、時を経るに連れて。

 掛け替えのない、戦友とも思えるようになっていた、私でした。

 

 

 然れど。

 お酒の場が増えていくに連れて、もう一つ、別の話題が飛び交うようにもなっていました。

 

 人生のパートナーや、結婚に関すること。

 

 私も一時はパートナーを見つけ、同じ時間に浸ることもありました。

 しかしそういった経験も、数少ないとは言え、全て破局し。

 人生のパートナーを持つことや、その先の結婚について、意義を見出だせないままでいました。

 

 そんな私に、同期は熱く語りました。

 パートナーといる時間は、時々嫌気が差したり喧嘩になることもあるけれど。

 それ以上に「幸せだ」と、迷いなき瞳で私を貫き通しました。

 

 また別の同期は、こう言いました。

 お互いを、空気と同じように、一緒にいることが当たり前で。

 違和感がない間柄だ、と。

 

 それらの揺るぎない想いを目の当たりにし。

 私は、馬鹿みたいにひたすら「うーん、わからないよ、私には。人を好きになることや、愛することって、どういうことなのか」と繰り返すことしかできずにいました。

 

 挙げ句に「人を好きになるって、どういう感覚で、どういう感情になるのか、教えてほしい」と、烏滸がましい疑念をぶつけたこともありました。

 それ位、私は理解することができない自分を。

 熱くて真っ直ぐな同期たちと比べるようにして、フラストレーションのようなものを覚えていた記憶があります。

 

 そんな私に。

 

 きっと、いい人が見つかるよ。

 そういう思いを感じられる人と、出会っていないだけじゃないかな。

 

 私を気遣っての言葉だった、と信じたいと思いながらも。

 同期たちの言葉は、鋭利な刃となって私の心に次々と突き刺さりました。

 

 そこで反論するようなことをして、事を荒立てることを嫌った私は「そんなものなのかなぁ」と流し気味で酒盃を煽るようにして。

 酒と共に、今尚消えることのない違和感のような思いを飲み干すのでした。

 

 

 

 結婚式への招待状は、日に日に増して

 

 

 それまで同期と会い、お酒を楽しむだけでなく遊び耽ることも多かった私でしたが。

 同期たちの、パートナーとの話題が増えていくに連れ。

 

 彼ら彼女らの時間を。

 私のような人間が、邪魔をするようなことはしたくない。

 

 同時に、その頃からでしょうか。

 少しずつ、互いに連絡を取り合うことも減っていき。

 時折首都圏へ赴くことがあり、お酒の場に誘うようなことがあっても。

 仕事が忙しいと、断られることが多くなりました。

 

 私は、下手な憶測に憶測を重ねていました。

 

 同期たちは、時を重ね、パートナーを見つけて。

 確実に、ヒトとして真っ当な道を歩み始めていることを。

 恋愛感情や性的意欲さえ見出だせない私とは、根本的に違うんだ、と。

 

 

 そして、あたかもラッシュかのように。

 同期らからの、結婚式の招待状が届くようになりました。

 

 幸いにも「結婚したくても相手がいない」という思いは抱かなかった私は、結婚する同期たちを祝いたいという感情の方が上回り続けることができました。

 時には、式場で振る舞われる料理やアルコール類に手すらだせない大風邪を引いた時に招待されることもありました。

 出席することで、別の意味で迷惑をかけるかもしれないと思いながらも。

 人生の新たな門出を、応援したいという気持ちと気力を振り絞って、出席させていただいたことさえあります。

 

 その時に、同期の親族の方から。

 

 「ごめんなさいね、お身体崩されているのに」

 と仰られた時。

 「あ、いえ。こちらこそ申し訳ありません、こんな有様で」

 などと、平謝りに徹したこともありました。

 

 本来なら、お祝いと応援したい気持ちを出したいのに。

  何で私は、逆に心配される立場になっているんだ。

 

 愛想笑いもいつの間にか覚えて、喩え薬を以てしても、自分の感情や精神をコントロールするような身になっていました。

 

 それなのに。

 門出を祝う場でさえ、どうして私は。

 自分の身を心配される無様な姿を晒しておきながら、それでも。

 好きになることも。愛し合って、結婚する意義がわからないんだ。

 

  あの時、脳裏を過ぎった思いは。

 今も、忘れることが出来ずにいます。

 

 

 

 

 いつしか疎遠になった、同期たちと私

 

 

 同期たちの結婚式に招待され、早数年が過ぎ去ろうとしています。

 

 その後の彼ら彼女らは、子を授かり、気恥ずかしそうにしながらも満面の笑みを浮かべていたことは覚えています。

 

 今、結婚し子を育む同期たちは。

 

 幸せか否かを、私は知りません。

 

 日常会話でも、基本受け身で。SNSを通しても、相手からの発信がなければ、私は自ら働きかけることはほとんどありません。

 

 それ故か、かつて情報のやり取りをし、自らの思いを吐き出し合う仲だった同期たちとも。

 意識することもないまま、すっかり疎遠になっています。

 

 その要因が、結婚した同期たちが新たに築いた家庭の忙しさ故なのか、連絡もよこさない私を見限ったのか。

 憶測の域を出ない以上、断定してはならないと私自身に言い聞かせています。

 

 それと共に。

 私はどうなのかと問われれば。

 結婚した同期たちへの嫉妬のような感情は、今でも何一つ浮かんでおりません。

 それ以上に、同期たちの私生活を、私という個人が介入することで邪魔したくない、という思いが先走るのは確かです。

 

 そして、幸せなのか否かはわからずにいながらも。

 

 恋愛し、愛し合って結婚した、同期たちの思いや感情を。

 理解できないという建前で、私は受け入れたくない。

 感化、されたくない。

 

 そんな身勝手な思いがあるのではないかと、自分を疑うように見始めています。

 

 

 人を好きになり、愛し、子孫を残す。

 同期という、目の前で熱く繰り広げられるヒトとしての生き方を。

 

 私は、理解できないのか。

 それとも、理解しようとしないかのように、遠ざけているのか。

 未だに、その真意を、自分のことなのに見出だせずにいます。

 

 Aセクシャルという言葉を知った今は、そういった生き方もあると信じ、自分の全てを世間の「普通」というものに当てはめなくても良いと確信した。

 はずなのに。

 

 この揺れ動いて、今尚思い悩ませるものは。

 

 私の決意の弱さなのか。それとも、自分ですらわからない感情の錯綜なのか。

 私には、どこまで考えてもわからない。

 

 

 

 誰か……。

 

 ……教えてください。

 

 

 

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。 

  

 

 

 

 

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【車】冬の道路に潜む危険 ~最後は、運転する人間次第~

 3月も半ばを過ぎ、東京では桜の開花されたようです。

 冬らしい冬を感じずに終わってしまうかと思っていましたが、世の中そんなに甘くない現実を目の当たりにして参りました、白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 これまでは私が持つ思いや考えを主として綴ってきました、本ブログですが。

 忙しさと余裕の無さから、すっかりお預けとなってしまって久しい、愛車と共に旅に出て参りました。

 

 

 

 その道中。

 今シーズン、鳴りを潜めていた吹雪と大雨に見舞われ、それ故に危うく事故になりかけました。

 

 冬の道には慣れている、という自負が。

 過信でしかなかったことを痛感いたしました。

 

 今回は冬における道路を車で走ること。

 雪国、基氷国に住む私から見た、冬季における車の挙動や扱い方だけでなく。

 これまで幾度も体験してきた、冬の路面において実際に車が滑ったり立ち往生してしまうことで車が動かせなくなる怖さについて、実体験を交えながらお話ししていければと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 車における冬装備

 

 

 私の住む地域は、基本的にあまり雪は降りません。

 山々に囲まれている為、それらに阻まれて降雪し終えた冷たい空気が冬と訪れを感じさせる、そんな場所です。

 そして盆地という地形も重なり、夜は星々が煌めく程の快晴になることが多く、寒い時は氷点下二桁台に落ちることもあります。

 

 その結果。

 たった少しの降雪や霜が降りたら最後、永久凍土と化し。

 道路は濡れているだけかのように見える、ブラックアイスバーンや溶けかけのシャーベット状の雪塗れになります。

 

 徒歩や自転車のみならず、車がなければまともに生活さえままならない私の地域は、それらの移動手段に危険性と制約が課されます。

 

 

 ここで、一つ例えを上げさせていただきます。

 冬季に入り始める、10月下旬辺り。

 テレビではスタッドレスタイヤのCMが流れる始め、実際に御覧になった方は多いと思います。 

 その内容は、氷上や積雪路面で車が急ブレーキを踏んでも「ギュッ」と止まることを強調するような演出が大半を占め。

 凍った路面でも安心できる、という性能を売りにしているかのように見えます。

 

 

 しかし、スキーやスノーボードを趣味として。

 スキー場のある雪道や凍った山道を、実際に車で走ったことがある方は、ご承知おきのことかもしれませんが。

 

 走り始めの時のような低速ならまだしも。

 積雪上や氷上でブレーキ(制動とも言います)しても止まることは、ほぼ不可能です。

 

 

 少し専門的な話になりますが、車の直進方向、つまり車を正面から見て縦方向への動きに対してはある程度制御は可能です。

 アクセルを踏むことで進んだり、ブレーキを踏んで止まることができるのは、道路と直接接しているタイヤの摩擦力が十分である為です。

 先述したスタッドレスのCMでの演出状況は、完全に凍結仕切った氷上です。

 いかにも滑りそうな状況に見えますが、その実は。

 完全に氷と化したものは摩擦力から見れば想像以上に低くなく、制御を失って止まらなくなることはありません。

 

 

 滑る時は滑ってしまう、冬の道路

 

 

 仮に雪が降った場合。

 子供の頃、長靴でフワフワな新雪を「ギュッ、ギュッ」と踏みしめて歩いたことがある経験がある方は、雪を靴裏踏んだ時に「抵抗感」をといった感覚を覚えていらっしゃるかもしれません。

 

  車にも、同じことが言えます。

 降りたての雪は、いかにも滑りそうな印象を抱きがちになりますが。

 実はカチコチに凍った氷上以上に、抵抗力。つまり摩擦力があります。

 結果的に、車のタイヤとの摩擦力が確保される為、怖いと思うかもしれませんが、滑ることはまずありません。

 

 

 問題なのは、そういった雪が車によって踏み固まれて、圧雪状態になっている時。

 或いはアイスバーンのように、ひと目では凍っているのか濡れているのかわからないような路上を走るような時です。

 

 圧雪やアイスバーンのといった路面の表面は、人の目では見ることのできない「水の膜」で覆われている状態となっています。

 

 この状態の道路が、冬場において一番危険です。

 

 そのような路面は、雨天時を凌駕して。

 終日氷点下に見舞われ、完全に氷と化した路面が可愛いと思える程、摩擦力が限りなく低くなります。

 摩擦力がなくなった路面を通過する時のタイヤは、想像を遥かに超えて摩擦力を失い、想像以上に滑りやすくなります。

 

 その結果、例年豪雪に見舞われたり、雪は降らずとも氷点下の日が続くことで、同路面凍結してしまう地域でも。

 或いは、普段雪や氷に覆われることのない温暖な地域においても。

 一度滑ったら最後。

 制御を失った車が単独事故、衝突事故、玉突き事故や渋滞が発生に繋がってしまいます。

 

 車の冬装備をしっかり装備していても、どれだけ気を付けていても、冬の路面は危険であることに変わりはありません。

 

 しかし、それ以上に。

 スタッドレスタイヤを履いているから、大丈夫。

 或いは、自分の車が4WD(四輪駆動、four-wheel drive)であるから、滑ったりすることはないだろう。

 

 タイヤや車の性能に、「安心・安全」を預けてしまった、心の隙。

 そのようなものが、事故やトラブルが引き起こす大きな要因であると、個人的に思えてなりません。

 

 スタッドレスタイヤ、4WD・AWDといったものは、専門的かつわかりやすく説明しているサイトが沢山ありますので、本記事では省略させていただきます。

 

 

 

 一度滑り始めた車が行く末路

 

 

 首都圏を始めとする、あまり雪の降らない地帯で、数センチでも降雪した時。

 歩いている時に滑って転んでしまった。

 周りの視線を浴びることの恥ずかしさを味わうと同時に、思い切り打ち付けてしまった膝やお尻の激痛で「もう、嫌だ!」と思ったことは、ありますでしょうか。

 それで済めば良いのですが、万が一、打ち所は悪ければ。

 骨を折ってしまうことも。

 最悪の場合は、死に至ることさえあります。

 

 滑る怖さは、意外と身近な場所に潜んでいます。

 

 

 これを車に置き換えた場合、事態はより深刻になります。

 

 一例として、信号待ち等により、上り坂で停車した状態から発進しようとした場合。

 その状態からアクセルを踏み込んで、エンジンから生まれる運動力を、タイヤの回転力としていく過程において。

 道路と唯一接し、エンジンを始めとした様々な力を伝えるタイヤが、摩擦力を失った瞬間。

 原動力たるエンジンは、アクセルを幾ら踏んで出力しようとしても、タイヤが本来の機能を失って空回り、つまり滑ってしまうことで。

 直進という本来行いたいことさえできなくなり、運転手を混乱に陥らせます。

 

 

 私も先日、旅行先へ赴く坂道において車が滑りました。

 当時の路面は雪が降っており、塩化カルシウムが撒かれた後だったのか、シャーベット化した雪が路面を覆っていました。

 上り坂のカーブを進んでいく最中、突然、車体が横滑りしました。

 過去にも似た経験を味わっていますが、横滑りした瞬間「マズい!」と軽くパニックになりかけてしまいました。

 幸いにも後続車や対向車はおらず、横滑りを起こした際は「ハンドルを滑った方向と逆側に切る」ことを身体が覚えてくれていた為、制御不能に陥ることなく、ヒヤリハットで済みました。

 

 しかし、これが状況次第では愛車を破損させてしまうばかりか。

 他の誰かが運転する車と接触、追突事故になること可能性は十分あります。

 そして、運転する自分だけでなく、相手が怪我を負ったり、最悪死亡することを考えると、とても恐ろしいことです。

 

 

 

 最後は、運転する人間に委ねられる

 

 

 最近の車はめまぐるしく進化し、追突軽減ブレーキやオートライト、横滑り防止機能と、安全装備が充実しています。

 またタイヤも性能が飛躍的に向上し、滑り始めても止まってくれるまでの距離を可能な限り短くし、タイヤそのものの寿命も少しずつ伸び始めています。

 

 

 そのような、車やタイヤの安全装備・性能が充実していることは、運転する人間に安心を齎してくれます。

 

 でも、それに頼り切ったり、過信する形で車を運転することが、私は一番危険なことだと思えてなりません。

 

 性能に頼るが為に、車を運転する為に必要な人間の判断を鈍らせ、感覚を麻痺させ、動作を遅らせることに繋がると思っているからです。

 

 安全装備や性能は、飽く迄補助的なものであって。

 安全を生み出してくれるものではありません。

 幾ら安全装備が充実し、性能の良いタイヤを装備していても。

 滑る時は、滑ります。滑ったら最後、止まることはできません。

 

 

 絶対的な安心や安全というものがあり得ない以上。

 運転する人間が、安全を意識して、運転することが全てであると、私は考えます。

 

 

 最後になりますが。

 車を運転される方に対して、一言だけ申し上げます。

 冬の道路を、特に積雪や路面凍結が予想される場所へ移動、ドライブされる時は。

 スタッドレスタイヤか、カーチェーンを必ず装備なさってください。

 そうしなかったが為に、事故を作る要因とならないように。

 氷国に住む私からの、勝手なお願いでした。

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

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【趣味・小説】Tails Intersecting -En Passant-

※注記※

 本記事はこれまで投稿した「Tails Intersecting」「Tails Intersecting -Stalemate-」「Tails Intersecting -Promotion-」「Tails Intersecting -Material Advantage-」の続編となる、短編小説です。

 登場人物は私の趣向により、ケモノです。

 この注記をご覧になり、違和感や嫌悪感を抱いた方は、申し訳ありませんがお引き返しください。

 ※注記終了※ 

 

 

 

 

 Tails Intersecting -En Passant-

 

 

 

 

 

 視野の広さで秀でる俺のような草食獣は。

 脚の速さや跳躍力といった運動性や角といった、一応武器と呼べるものを各々が持っている。

 だがそれも、飽く迄目の前の危機から逃れる為のももでしかない。

 

 そう。

 今まさに眼前で繰り広げられている、肉食獣どもの争い。

 獲物を引き裂く爪をチラつかせて。

 肉だけでなく、骨まで砕ける牙を剥き出して。

 膂力だけで、いとも簡単に相手を捻じ伏せられる力。

 

 そいったものを隠そうともしない、肉食獣という獰猛さと奢りなんか。

 ガゼルの俺からすれば、虫唾が走る話だ。

 

 でも、どうして。

 いつもなら、馬鹿馬鹿しいと吐き捨ててその場を離れていた俺は。

 眼前の争い、いや。

 戦いとでも、言えばいいのか?

 

 食うか食われるか。

 その怖さは幼少の頃から感じて、逃げることをいつもしてきた。

 なのにどうして俺は、これまで直感してきた恐れを。

 感じずに、いるのか?逃げようともしない、のか?

 まさか、こいつらの勝手な戦いの行く末を……見届けようとしているのか、俺は?

 

 馬鹿げてる、こんなこと。

 

 

 「でもさ」

 左目からの流れる血を、舌先で舐めながら。

 ホッキョクオオカミの口元は、しっかり笑いの弧を描いていた。

「楽しいかな?愉快かな、こんなことして?それとも、昨日の授業後の会議。そこでクラスの出し物が決まらなかったことへの腹いせとでも言いたいのか?反論したアラスカンマラミュート君や、意見すら出さなかった僕やガゼル君たちへの」

 

  再三敵意を向けられているのに。その気になれば戦おうとする意志を、どこまでも見せつけようとしない、このホッキョクオオカミは。

「肉食獣、それも力では上位に位置する君たちにとって。自分の意志を示さないクラスメイトへの、唯の不満解消や当てつけだった。違うかい?」

 俺には、こいつの考えが全く読み取れない。

 

 殴られそうになった俺と、肉食獣四匹の間に入り込んだかと思えば。

 こいつがしたことは、直接的な攻撃を仕掛けることもなく、飛びかかってきた相手をいなすだけだ。

 何をしたいのか、どんな考えを基準にこうどうしているのか。

 まさか、思うこと全てを気取られないようとでもしているのか、こいつは。

 どこまでも道化を演じるようなことをしてまで、本音というものに仮面を被続けるのか。

 ホッキョクオオカミ、お前は。

 この学園に来るまでに。

 何があったって、言うんだ?

 

 

 待て。

 俺は今、何を思った?

 

 

「あぁ、それと。勝手で悪いけど、ガゼル君が絡まれ始めている辺りから、スマホで録音させて貰っているよ。念の為の保証としてね。僕を一方的に悪者にして貰うのは構わない。でもそれだけで今朝の騒動が終わるようなことがあるのはどうかと思うんだよ。実際、左目をやられた訳だし、ね」

 

 ……このっ。

 俺が色々と考えようとしている矢先に、このバカオオカミは!

 どうしてそんなことをわざわざ言って、自分を追い込むようなことをする!?

 

 なんで、だよ。どうしてだよ。

 

 鉤爪を光らせながら、制止されたことで感情の行き場を失い「クソがっ!」と吠えるピューマ。

 そして、本当なら自ら手を下したい本能と、そうしたことで起こる後々のことが考えられるこそ。

 握り締めた拳に爪が食い込んでいるのであろう、トラの手からは自らの血が滴っていた。

 

 静寂。

 

 靴音と共に、顎の強さ故に噛み締められた牙を軋ませながら。

 一歩前に出たピューマだけでなく、握り込んだ反対の腕を広げて周りを制止し続けるトラを避けて。

 

 再び、ホッキョクオオカミに近寄ったのは。

「そこまで言うなら、良いよ。肉食獣なのに、影に隠れるように生きてる君みたいな奴が。前から大嫌いだった」

 そいつは、先程ホッキョクオオカミの左目を掠めた豪腕を持ち、肉食獣の中でも大型種に分類され。

 単純的な身体の強さや腕力といった、戦闘に使う能力はトラやライオンのような戦闘特化型の肉食獣には劣りながらも。

 研ぎ澄まされた牙と、250キロを軽く超える顎の力。

 噛み付けば最後、相手を食い千切り絶命させることなど容易い能力を持った、ハイイロオオカミだった。

「聞けば聞くほど、君の声は。僕の中に流れる、オオカミの血が、同じオオカミの名を持つ君が、益々受け付けなくなってきたよ」

「ふぅん。だから、何だって言うんだ、ハイイロオオカミ君?僕の目を裂いておきながら、言えるセリフとは思えないな。僕は受け付けて貰わなくて、一向に構わないつもりだけど?」

 左目付近から血を滴らせながらも、姿勢を低くしたままのホッキョクオオカミと。

 ガゼルの俺の顔を片手で覆い隠せる大きさを誇り、その気になれば握り潰せる程の巨大な手を握り込むハイイロオオカミは。

「その言葉が全てを表しているんだよ、ホッキョクオオカミ君。いつもしらばっくれる振りをして、逃げてばかりで」

 互いを睨み合っていながら。

「君の臆病な生き方が。ホッキョクオオカミという君の存在時代が、許せない」

 攻撃する隙を。オオカミという種族同士、最大の武器である顎を。噛み付く瞬間を狙っているかもようにさえ見えた。

 

 いや、少し待て。

 

 ハイイロオオカミは兎も角としても。

 今まで険悪な雰囲気になる中でも、いつの間にか姿を消して。

 何かしろの決定ごとが成される時に限って、影に紛れるかのよういなくなっていた。

 クラスの中で、「肝心な時に。いつもいなくなる卑怯者」と侮蔑されることも少なくない、ホッキョクオオカミが。

 鼻で笑いながら。

「そう。面白そうなことを言うかと思ったら、やっぱり君も「あいつらと」同じことを言うんだね」

 こんな時に限って、どうして。

 眉間だけでなく。

 肉食獣が怒りを覚え、闘争本能に刈られた証拠と言われる。鼻面にさえシワを寄せて。

「所詮君も同じか。残念を通り越して、反吐が出る」

 放つ言葉とはまた別の、唸り声を上げている。

 純白な毛並みに覆われた、オオカミであるお前が。

「来いよ、ハイイロオオカミ君。殺りたいんだろう?なら、殺ってみせろ」

「ふざけるなっ、オオカミ風情がっ!」

 

 

 

 ……クソ!!

 何が、種族や個性を問わないだ。肉食と草食、種族間の争いだけじゃない。

 俺のような、草食獣でも。

 血筋や純血を重視する、くだらない世間では続いてるのに。

 

 肉食獣に肩入れなんてしてこなかったのに、俺の感情が止まらないっ。

 何なんだよ、このホッキョクオオカミは……! 

 

「そう、その態度。舐め腐っているようで、いつも一人達観しているようなその言葉が、目が、オオカミの僕は気に入らないんだよ」

「大それたことを言うな、ハイイロオオカミ君。一匹の顔に傷を付けながら、それでも僕をオオカミという括りにしようとするつもりなのか?唯のエゴだ、そんなもの」

「いいや、違うよホッキョクオオカミ君。確かに君は、肉食獣の中では中型に近いかもしれない。でもオオカミの名を継いでいるのなら!」

 ホッキョクオオカミの口調が、何かおかしくなり始めたことを切っ掛けに。

 流血が止まらない左目を押さえながら、ホッキョクオオカミが素早く身を引いた。

「エゴ塗れの言葉に、説得力も何もないと思うのは、僕だけか?」

 間髪入れず正拳や蹴りを繰り出すハイイロオオカミに対し、突き入れられる拳や蹴りをいなし、攻めに転じる意志を貫くホッキョクオオカミ。

 

 これが、肉食獣同士の戦いなのか。

 草食獣の俺が、半ば見入っていた、その瞬間だった。

「だったら威嚇するような汚いことしないで、その顎で噛み付いてみたらどうだい?こうやってさっ!!」

 繰り出された拳を掌底で払った、ホッキョクオオカミの右腕に。

 勝ちを確信したハイイロオオカミが、同じオオカミ族としては一回り細い、純白の右腕に。

 牙を突き入れ、噛み砕こうと唸る声を更に強くした。

 噛みつかれたホッキョクオオカミの白い毛並みが。飛び散り、溢れ出る自らの血によって、赤く、どす黒く染まっていく。

 

 その痛みなのか、はたまた別の思いからなのか。

 ホッキョクオオカミが、盛大に舌打ちする。

 

 飛び散った血が教室の床を。噛まれたホッキョクオオカミを。

 噛み付いたハイイロオオカミの顔を、紅く染めていく。

 

「左目だけじゃなく、今度は右腕か。やっぱり、力では敵わいない、な」

 言葉さえ発せない程、同族でありながら敵に食らいついて。

 感情任せに噛み砕くことに執着してしまったであろう、ハイイロオオカミは貪るように牙を、ホッキョクオオカミの肉や骨み突き立てることに明け暮れていた。

 その痛みに。苦悶に歯を食いしばながらも、ホッキョクオオカミは振り解こうと足掻ていた。

 

 しかし、思いはどうであっても。

 喩え同じ種族と見做されたところで、実際の能力や頭脳の差を、認められる例は無いに等しい。

 目の前の、ホッキョクオオカミとハイイロオオカミもそうだ。

 

 同じ種族と「社会的に」認められながらも。

 

 実際は個人的な思いや考え方の相違から始まって。最後は自分の血筋を言い訳にして、物別れに終わることがほとんどだ。

 

 俺も、その一匹だ。

 ガゼルという種族として生まれながら。

 同じガゼルという種族にも拘らず、トムソンガゼルという血を継いだ俺を。

 

 トムソンガゼルが、ガゼルの血統として存在してはならない。

 

 そうやって、血筋ばかりに拘った祖父母に、無かったことにされて。

 詰まらないものに感化かれるように、特に親父とは。

 喧嘩別れする様にいて、唯一味方してくれた母の薦めを受けて。

 種族を問わないこの学園に、俺はすすがる思いを隠しながら入学した。

 種族なんていう、下らないものに縛られてなるものか。

 その思い刈られるように、俺は同級生を。

 クラスメイトなど、無視するようにして、勉学に励むことを頼りに生きてきた。

 

 なのに……!

 

「でもな」

 過去のシガラミに、再び囚われかけた俺に。

 まるで、問いかけるかのように。

 

「力だけが能なのかよ、クソがっ」

 

 それまで大して気にすることもなかった、腕を噛まれたホッキョクオオカミの声が。

 地獄に堕ちたかの思える程の、汚らしくも怖ささえ感じさせる低い声が。口元だけが歪んだ笑みの弧を描きながら。

  ホッキョクオオカミが見せることのなかった思いの全てが、全て乗せられているかのように聞こえたのは。

 

 俺だけ、なのだろうか。

【生き方・人生】生きるという意志 〜世論に惑わされない自分軸〜

 緊急事態宣言も、パンデミック宣言も、遅過ぎる程無意味に感じてしまう。

 新型コロナウイルスにより増え続ける感染、死者。リーマンショック以上の株価大暴落、自粛ムード故に途絶えてしまった各業界が崩壊し始めて。

 身の回りだけでなく、世の中、世界中が混乱と恐怖に支配される事態になっています。

 

 こういった時に、どうしてこんなことになってしまったんだ。

 どこで判断を間違えてしまったのか。

 今日に至るまで、悲惨な状況を止められず、寧ろ発展させてしまった責任を、誰が持つのか。

 

 今は、そんな犯人探しをするような詮索など後回しにして。

 兎に角、コロナウイルスショックとも呼ばれ始めた今回の大騒動を、少しでも突破口を見出だすことを。

 ウイルス蔓延から来る不安や怖れに、敗走しかけている劣勢の中で、一人ひとりができることをして立ち向かっていくことが、大切なのではないかと思い始めています。

 

 一人のヒトができることは小さいかもしれません。

 誰かが指針を出さなくても、人の数が集まれば、ウイルスに真っ向勝負できる力を持っている。

 人間は、簡単に滅びる程弱い生き物ではないと信じている、白兎です。

 

 

 皆さん、おはようございます。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 人間嫌いを自負する私が申し上げたところで説得力などないな、と思いながらも、最初から今回は最初から飛ばしております。

 

 早速、今回は新型コロナウイルスという脅威が目の前に迫る中。

 明るい話題が皆無と成り果ててしまった、報道や世論に惑わされないように。

 不安しか齎さない情報に負けないことなどないと勝手ながら信じている、人間が持ってるはずである、生きるという意志について、綴っていきたいと思います。

 

 

 ※注記※

 本記事はある個人に対するものではないものの、私が抱えた思いを超えた批判を羅列します。

 そのような内容に不快感を覚える方は、申し訳ありませんがお引き返すことをお願いいたします。

 また、本記事を御覧くださって、不満や不快感を抱いた方は、本ブログの問い合わせフォームを通してご意見ください。

 内容を吟味し、場合によっては本記事を削除いたします。

 この注記をご閲覧し、かつご同意していただける方は、お読みいただければ幸いです。

 ※注記終了※

 

 

 

 

 

 

 

 諦めと妥協と惰性ばかりの、私の生きる意志

 

 

 過去の記事でも幾度か綴ってきましたが。

 私は基本的に、生きることに対して極めて惰性的です。

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 言い訳にしたい、つもりはありませんが。

 現実的な問題として、過去のイジメやうつ病に至った経験から。

 「生きること」という、ヒトとして生まれた以上、半ば背負うようにして抱える意志は。

 私の中では、今でも尚薄っぺらくて、惰弱なものです。

 

 世の中がどう動こうと、知ったことではないし、知りたくもないと毛嫌うようにして。

 私という詰まらない人間なんて放って、人と交流するできることを楽しめる人は、勝手に楽しめば良い。

 それ以上に、芸能界といった、お金や地位で幾らでも活躍の場が得られるような人を見れば見るほど。

 

 勝手にしろ。

 

 暴虐的に、そして自虐的な思いを、私は募らせてばかりいました。

 

 裏返せば、それはかつて、私が経験することができなかったこと。

 青春という、人生の中でも周りを気にすることなく、最も熱く燃え盛れた時期を。

 人間不信という、鎧のような思いを重ねに重ねて、身を守るようにしながら。

 外界からの刺激や光景から、私は逃げるようにしてきました。

 

 

 そんな、自分を守りたいが為に重ね上げてきた、鎧という名の防御を。

 様々な経験を経て、周りに。世界に対して取り払って、私という人間を曝け出し始めた今。

 

 守りに徹するばかりに、見て見ぬ振りをしてきた世の中は。

 いつの間にか、一変していました。

 

 

 

 パンデミックの前に、生きる意志は更に希薄なって

 

 年明けした、1月の始め。

 その時は小さいながらも、未知のウイルスが広がり始めている、と報道されていました。

 言い方は悪くなりますが、大した興味も惹かれぬまま「すぐに収まるだろう」と半ば流すようにしていました。

 

 しかし、現実は真逆を行くように、日を追うごとに少しずつ。

 確実に世界を、世の中を破壊するように侵食していきました。

 

 数年前の、エボラ出血熱が流行した時のように。

 自分には関係ないことだ、と高をくくる私がいました。

 

 それなのに。現在では新型コロナウイルスと称されるようになった病原体は。

 発生源で収まることなど知らぬまま世界へ広がっていき。

 日本でも、その例外とならぬまま。

 数えることが烏滸がましい程の感染力と多くの犠牲者を出す猛威を振るい続け、月日が流れば流れる程、数々の惨劇を齎しています。

 

 爆発的な感染と、罹患したことで亡くなられた多くの方々。

 それだけで留まることを知らない新型コロナウイルスは、不安と恐怖をばら撒くかのように世界中を巻き込んで。

 経済だけでなく、多国間との交流を遮断させ、数え切れない程の公共施設や娯楽施設、企業に大打撃を与えて。

 それでも尚、人類に「滅びろ」と言わんばかりの勢いで、拡大し続けています。

 

 

 唯でさえ生きることに対する意識が希薄だった私でした。

 それが、世界中を揺るがし崩壊へ導こうとしているウイルスが地元で発生したことを知ってから。

 

 いつ死んでも構わないだとか。

 苦しまない死に方ができるなら、寧ろ享受したい。

 

 そんな甘ったれたような考えを抱いていた、はずだったのに。

 

  自分が生きることに、初めて不安と恐れを覚えて。自分が罹患しても良いと思っていながら、それ以上に。

 身内に、親友に、職場の人々にウイルスをばら撒く媒介者になるのかもしれない。

 そう思った途端、私は恐慌するかのように、震える程にまでの恐怖に飲み込まれました。

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 

 今まで、いつ死んでも構わないと思い、済まし込んでいたのに。

 たった一つのウイルスが、私の思いなど簡単に崩されてしまうことに。

 私の、生きる意志が、どれだけ脆弱で表面的でしかなかったことを思い知らされました。

 

 

 

 

 不安しかない世論が飛び交いながらも、自分という軸を意識し始めた

 

 

 

 オイルショック、リーマンショック。

 世界市場を揺るがす事態のみならず。

 それ以外にも、数多くの震災や天災を経て。

 数多くの犠牲者や被害者の方々を悼み、安寧と平穏をお祈りする中。

 

 東京五輪が開催され、華々しい年となるはずだった、2020年。

 コロナショックと言う危機に見舞われ、収束はおろか打開策さえ見えずにいる、混乱と不安を解消できずにいるのに。

 

 五輪開催を、無観客であっても強硬しようとする世論に、私は憤りと呆れを覚えてなりません。

 

 自国の人たちすら、まともに守ろうとする意志も対策も出す気配すらないのに。

 

 

 そこまでして、五輪を開催することに対する名誉を残したいか。

 新型コロナウイルスをいう逆境を乗り越えた、という偽りを背景にしてまで、歴史に名を刻みたいか。

 

 

 最早何が性格な情報なのかさえ、わからなくなっている今。

 

 世論や報道というものに期待できない以上、私は目を向ける時間がめっきり減りました。

 それ以上に。

 自分ができることがあるかどうか。

 このような現代で、どのように生きていきたいか。

 何を、したいのか。

 

 そんな自分軸を、改めて意識し始めました。

 

 

 

 

  

 

 

 形は違えど、生きる為の強い意志を信じて

 

 

 

 

 人それぞれで、「生きる」ことに対する姿勢や考え方は違うと思います。

 

 今私が思うことは、たった一つだけです。

 

 これまでも、希望や展望という明るいものが希薄だった世の中が、パンデミックを前にして、崩れ去ろうとしています。

 

 それに拍車を掛けるかのような報道や世論。

 そんなものに、踊らされるかように生き方を矯正される位なら。

 

 私は、今までしえきたことを、バカと言われても良い位続けていく。

 仕事をこなして、ゲームや動画に浸って、ブログに心を向け思いを綴り続ける。

 変化し続ける自分としっかり向き合いながら、思いを、言葉にしていきたい。

 

 それが今の、私の自分軸です。

 

 世界が未曾有の事態に覆われていることは百も承知ではありますが。

 

 大きな視野を持つことも大切だと思いますが、それよりもまず、自分が生きることを大切に。

 一人ひとりが考えられることを、できることを崩さないことが、私たちができる最大のことではないでしょうか。

 

 

 

 今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

 

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【ブログ】ブログを始めて三ヶ月 ~変わり始めた、思いを伝える手段~

  3.11から、9年の月日が流れました。

 

 直接的な被害を被った身ではありませんが。

 震災で亡くなられた方々に、お祈りを捧げると共に。

 未だ復旧にご心労される方々や、心の傷が癒えぬままいらっしゃる方々に。

 被災されましたすべての方々に、衷心よりお見舞い申し上げます。

 

 

 皆さん、おはようございます。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 間もなく、ブログを綴り始めてから三ヶ月が経とうとしている、白兎です。

 お陰様で投稿記事数がようやく50を超え、読者様も300を超える程になりました。

 

 熱しやすく冷めやすい、を自負する私ではありますが。

 基本的に興味を持ったことに対して、一度ハマったら猪突猛進の勢いで熱中してしまいます。

 しかしいざ、熱が冷めてしまったら最後。

 それまでの熱の入れようは、果たして何だったのかと言える程興味を瞬く間に失い、過去のものと成り変わってしまいます。

 

 これまで、「何か誇れるような、特技や趣味を持ちたい」という思いから。

 様々なことに手を出してきました。

 しかしながら、その九割近くは、完璧主義という思いが仇となり。

 その分野に長ける人と勝手に比べて、「自分には、これ以上無理だ」と言い訳するように言い付けながら。

 三日坊主と呼んで差し支えない程、多くのことを諦めて、見切りをつけてきました。

 

 

 皆さんは、一度持った趣味や特技。

 そういったものでなくても、続けることができているものはありますでしょうか。

 

 

 片や、諦め癖がいつの間にか染み付いてしまった私は。

 これまで飽きることも冷めることもなく続けられてきたことは、片方の手で数えられる程しかありません。

 

 それは、車に関すること。

 そして、思いを言葉として伝える、ブログです。

 

 

 本ブログにおいて、愛車という名の相棒について、多くは綴って参りませんでした。

 それらは、また別の記事にさせていたければと思っています。

 

 今回は、始めて間もないブログというもの。

 お陰様で、Google AdSenseの審査通過することができました。

 それはさておき。

 ブログを始めたばかりの頃と、今こうしてキーボードを叩いて文字として。

 思いを伝える手段として習慣化している、書くこと自体が好きである、私の中のブログ。

 たった数ヶ月ではありますが、変化し始めていることについて、綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 自分の思いや経験の全てを、ブログにぶつけていた

 

 

 実はブログを始めたのは、本ブログが始めてではありません。

 

 数年前に一度、独自アカウントを取って、ライブドアブログを陰ながら始めていたことがあります。

 その時は、うつ病をメインテーマとして記事を書き始めていました。

 当初こそ、うつ病を患ってから今に至るまでを。

 小説のような形で書き始めていました。

 

 が、しかし。

 いざ書こうとしても、言葉が見つからないばかりか。

 うつ病を抱える自分の経験を、英雄譚と言えるかのように美化しようとしていました。

 ストーリー性を持たせるように、自分の経験を書こうとしていたことを覚えています。

 自分語りするような文章を、見てくださる誰かのことなど、蔑ろにするように。

 私が経験したことを、小説家を気取るようにして、文字を起こしていました。

 同時に、当時は訪問者数を。はてなブログで言うPV数に拘るように見ていました。

 

 当然といえば、当然かも知れませんが。

 あるがままをひた隠しながら、それでも尚見てくれる人ばかりを気にしているようなブログに。

 足を運んでくださる方など、皆無でした。

 

 それなのに、身勝手な私は「誰も、見てくれない」と勝手に悲観して。

 自分には、思いを伝えられる文章力も無いんだと、言い訳にして。

 

 僅か数記事を残しただけで、ブログを閉鎖しました。

 

 今思えば、その時は。

 私がかつて経験し、苦い思いを抱えている本音を伝えたいと思うあまりに。

 ひたすら「こんな私を、どうかわかってください!」と言わんばかりに、一方通行の文章しか書けなかったと思っています。

 

 

 

 

 次こそは、と意気込んだものの

 

 

 一度頓挫する形で、思いを文字として、言葉にして。誰かに伝えようとすることを、私は勝手に諦めてしまっていました。

 

 そんな時に。

 

 車のプチオフ会(主催者なしの、個々の集まり)において、親友が「はてなブログを始めた」という言葉を耳にしました。

 

 名前こそ聞いたことのあるものでしたが、一度ブログというものから身を引いた私に取って。

 最初こそ、「あぁ、そうなのですね」と半ば流し気味に聞いていました。

 

 

 しかし、時間を経るに連れて。

 

 かつては、自分の経験や考え、思いを伝えようとするよりも。

 恥や汚点をも見せることを怖がって。

「自分が抱える本当の思い」を、思うままに会話や言葉として声にできず、どこまでも美化しようしてばかりでした。

 

 

 でも。

 

  完全に重なることはないにしても、似たような痛みを味わい、抱え続けている誰かに対して。

 私の思いや経験を、伝えたい。

  

 思いを伝える手段が沢山ある中で、私が最終的に選んだもの、それは。

 私の中で、最も好きで。

 言葉にして、文章として綴っていくことでした。

 

 元々、読書感想文のようなものは別としても。

 卒業文集といった作文は、私の中では書くことをやめられずにいられる程、文章を書くことが好きでした。

 400字詰の原稿用紙二枚までと言われても、「先生、もっと原稿用紙ください。書ききれません!」と駄々こねていた記憶すらあります。

 

 こうして、はてなブログに登録し、本ブログを立ち上げることで。

 思いを言葉とする場に、向き合うようになりました。

 

 

 

 

 ブログで伝えたいことが、感情の捌け口になりかけた

 

 

  登録を終えて、いざ記事を書き始めようとした私でしたが。

 湧き上がる感情や思いばかりが浮かんでは消えていって。

 思いを言葉にするには、程遠い文章ばかりが出来上がっていました。

 

 省みるなら、かつて味わった失敗を繰り返えさんとばかりに。

 一方的な、感情の捌け口。それがブログとなりかけていました。

 

 しかし、同じ轍を踏むようなことはしたくない。

 

 ブログという形で、本当に綴りたいことは。

 私自身が抱える思いや考えを、文章として。

 私のような考えや思いを抱える人間が、ここにいることを。

 そして、本ブログをご閲覧くださる方々に、少しでも「ああ、それわかるよ」「こんな人もいるんだ」と知ってくださると共に、願わくは共感し合えるようになりたい。

 そういった矜持だけは、最後まで守り通したいという思いを胸に刻んで、今に至っています。

 

 

 

 

 

 ブログを続ける中で、変わり始めたこと

 

 

 とは言いながらも、私は今でも文章を纏めて要点を伝えることが下手くそです。

 本ブログを始めて、数記事は軽く5000文字を超えてしまい、中には8000字弱というものもありました。

 それだけ伝えたい、と思いが先走っていたのだと思います。

 

 ですが、自分で後々読み返してみると。

 こんな長ったらしい記事を、最後まで御覧くださる方は、果たしているのだろうか。

 よくよく見れば、同じような表現を繰り返していたり。一旦反省するような言葉を並べておきながら、結局似たような表現を使って自らの思いを貫き通そうとしていることに気が付き始めました。

 

 これじゃあ、御覧くださる方から見れば。

 私が本当に伝えたいことなんて、わからないはずだ。

 

 何よりも私自身が、記事の趣旨が不明瞭だ、と感じ始めました。

 

 

 そこで、ブログを綴る上で絶対に守ろうという指標を見出し、制約という形で設けるようになりました。

 

 まず、「こんなことを書きたい」と思ったことを、仮でもいいからタイトルとして置く。

 次に日々の流れを始めとするような、前置きを書いてから、本題に入るようにする。

 目次を作ってから、タイトルに紐付ける形で見出しを設けることで、プロットという文章の骨組みを起承転結になるように作る。

 文章の骨格を作ることができたら、あとは見出しを元にして、記事内で同じ言葉が出ないように表現方法を変えながら、文章を書き連ねて肉付けしていく。

 最終段階で、誤字脱字や表現方法のダブリを確認しながら、校正して記事をアップする。

 そのようなステップを踏みながら、私なりのブログの書き方を。文章の作り方を、学んでこられたつもりです。

 

 3ヶ月と短いながらも、そういったことを心がけることによって、各記事を3000~5000字程度に抑えながら、自分でも納得できる形で文章を書き進められるようになり始めています。

 それでも、まだまだ長ったらしい記事ばかりになりがちです。

 

 しかしながら、かつては吐き出せる場所さえなく、頭の中で錯綜してはグチャグチャになっていた私の思いが。

 少しずつではありますが、ブログを通して、思いを言葉にすることが出来始めている、と思えるようにになりました。

 

 そして、何よりも。

 毎日投稿「しなければ」という脅迫概念のようなものに飲まれないようにしながら、ここまでブログを続けることができていること。

 それはPV数といった、目に見えた数値ではなく、飽く迄も。

 

 文章を書くことが、本当に好きであることを改めて確信すると共に。

 はてなブログ特有の、ご閲覧くださる方々のスター数やブックマーク機能、コメントに支えられていることで、挫折することなくここまで来ることができました。

 

 特化型でもなく、分類としてはマイナーな話題ばかりの本ブログではありますが。

 

 ご閲覧くださる皆さんに、この場をお借りして、御礼申し上げると共に。

 今後とも、さらなる高みを目指し、本ブログを続けて参りたい所存です。

 

 

 

 今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

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【生き方・HSP】同時並行に処理できない ~一つのことに集中するしか、できなくても~

 4月中旬から下旬並の暖かさに包まれ、夕暮れまでの時間も少しずつ長くなって参りました。

 相変わらず暗い報道ばかり繰り返さてる中でも、少しずつではありますが、明るい話題も出始めています。

 花咲くのを待つ、桜が綻び始めるかのように。

 

 この調子で、自然も、世の中も。春の穏やかさが訪れるのを陰ながら祈っている、白兎です。

 

 

 皆さん、おはようございます。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 3月に入り、会社も年度末を迎えるにあたって、多くの仕事が舞い込んできています。

 限られた時間の中で、如何に効率よく、業務をこなせるか。

 職種によって様々であるとは思いますが、最近はそういった、マルチタスクに仕事ができる人材が求められているように思えます。

 

 皆さんの職場や学校でも、そういったことに長ける人がいらっしゃるのではないでしょうか。

 

 そういった要領よく仕事を捌き、立ち振る舞える人がいる中で。

 

 一つのことに集中し、質の高い成果を残す人もいらっしゃることと思います。

 

 私は、悪い意味で後者に部類しています。

 一つのことに集中している時、他の業務を振られた時だけでなく。

 話しかけられただけでも、両方に対応しようと勝手に脳と身体が動いてしまい、意識が散漫してしまいます。

 一つの仕事を片付けられないまま、別のことに手を出すようにして。

 

 最後はどれも中途半端になってしまって。

 上手くこなせない、立ち振る舞えない自分を、不器用な人間だと、自分で勝手に烙印を押してきました。

 

 今もあらゆる方面から来る業務や情報、やらなければならないことが渋滞するように。

 一人で勝手に、混乱に陥りながら、脳が半ばハングアップしかけている日常を送っています。

 

 

 今回は、同時並行に処理ができない、一つのことにしか集中力を注げないことについて。

 多くのことをマルチタスクにこなせる人と比べて味わい続けてきた、私が感じ続けてきた苦悩やマイナス思考を交えながら、綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 一度集中すると、周りが見えなくなる

 

  今でこそ、勤める会社の仕事に焦点が向かいがちではありますが。

 こうしてブログを綴っている中でも、私はただひたすら「ブログを書く」ということにしか、集中することしかできません。

 書き連ねる言葉にダブりがないかだけでなく、文章を起承転結という視点から見て、唐突に内容が飛んでいたりしないかどうか。

 何よりも、本当に伝えたい。共感したいと思う以上に。

 交える程度ならまだしも、自らの感情が入り込みすぎて私情的になっていないか否か。

 指標のない、自分ですら測りかねる微妙な塩梅。

 その匙加減を、喩え少しであったとしても、客観的に見ようと試みながら。

 本ブログを運営する一個人として、常にそのような思いを抱きながら文字を連ねています。

 

 そういった時に、「どんな言葉を使えばいいだろうか」「本当に、こんな文章で何か伝えられるのか」と思い悩んで、詰んでしまうことも多々あります。

 

 

 個人的な興味本位な問いになってしまうことを、どうかご容赦ください。

 皆さんは、そういったことがあるかどうか。

 仮にあったとした時、どのようにして解消して、思いを言葉にし続けていらっしゃいますでしょうか。

 

 

 

 思いを言葉にしようと、一度決意した時の私の場合。

 BGMや動画という、時には熱中して離さないものであっても。

 それらを背景曲として流しながら、ブログを綴ることができません。

 言葉や表現を、頭の中の思いと照らし合わせながら文章化していくことに思い切り集中してしまい、他の音楽や情報というものが同時に流れているとそちらに気が散ってしまいます。

 結果、何も生み出すこともできないまま、時間を浪費する結末が待っています。

 

 

 逆に文章を書かない時は、逆にインターネット上で配信されている動画は、興味を持てるものはラジオ感覚で垂れ流しにしてお昼寝するようなこともあれば。

 第一期が終わり、二期目の配信を期待する「BEASTARS」を見返すような形で。

 入り浸る時もあります。

 そして、一度気に入って、カラオケで歌うようになった楽曲。

 それだけでなく、かつてプレイしたRPGのサウンドトラックのはじめとする、自分を高揚させるようなBGM。

  当時の懐かしさや熱さのような思いを噛みしめるように、ひたすらリピートさせることもあります。

 

 

 それなのに。

 娯楽目的として用いる音楽や情報を、全て遮断してまで。

 ブログを書き進めたい思いに刈られた時には、言葉を綴ることに邁進する余りに。

 時間が過ぎ去ること忘れるだけでなく、食事を始めとする、生きる為に必要な行動でえ、煩わせしさを覚えます。

 

 一時、そんな私は。

 動画のコメント等で、「勉強が捗ります」「溜め込んでいた原稿が一気に捌ける」といったものを見る度に。

 

 皆、外部からの情報があるにも拘らず、自分が成すべきことを進めることができるのか、と落胆のような気持ちに陥ったこともありました。

 片や、一つのことにしか集中できない私は。

 どこまでも、不器用一筋なのか、と身勝手な自己嫌悪に苛まれたこともありました。

 

 

 物事を同時並行に処理できる人を、羨んでいた

 

 

 思えば、学生時代からそういった思いを抱え続けてきました。

 イヤホンで音楽を聞きながら、空き時間に図書館や教室で勉強に励む同級生。

 大勢の人たちが集まり、会話が錯綜する中でも、聞き分けて的確に返し続ける人もいて。

 時にはとある授業中にも拘らず、全く異なる教科書を同時に開きながら勤勉する人もいました。

 

 目の前の授業や教科書に食らいつくようにして勉強を進めることしかできなかった私は、そんな彼ら彼女らが、時に羨ましさに似た感情を抱いていたことを覚えています。

 

 

 社会人になってからは、それがより顕著になりました。

 

 複数の業務を指示される中、表情一つ崩さず淡々とこなしていく上司や先輩たちだけでなく。

 同期として配属された同僚の中にも、パソコンやワークステーションに向かいキーボードを叩き続けながら、先輩の茶々を聞き入れて笑い飛ばす者もいました。

 

 

 そこでも、私はとにかく目の前の仕事に。或いは会話に。

 一つのことに意識を賭すことで精一杯でした。

 そのような時に、誰かが頼み事を持ってきたり、電話が掛かって来ても誰も出られない状況になった際には。

 自分勝手に、どうすればいいのかパニックになって。

 別のことに対応した直後に、本来進めていたことがどこまで進んだのかわからなくなって。

 簡単に全部が全部、中途半端になってしまう自分自身が嫌で仕方がありませんでした。

 

 もっと、複数の事柄を同時並行に処理したい。

 そうすれば、もっと効率よく仕事が捗って、自分がより楽になるはずなのに。

 そんなことが、いつまでもできない。

 

 分散処理できず、単一処理しかできずにいた私は、常日頃からフラストレーションすら抱えていました。

 

 

 しかし、数十年という長きに渡って私を縛り付けていた、そういった負の感情は。

 仕事だけでなく、思いを言葉にする行動において、別の角度から見れば違った見え方になるのではないか、と思えるようになってきたからです。

 

 

 それは。

 複数のことを同時にこなせない、不器用さを抱えながらも。

 一度取り組んだことは、最後まで諦めずに取り組めてきたのではないか。

 勉学でも、仕事でも。

 熱中する、と言っては滑稽かもしれませんが。

 そういった側面もあるのかな、と自分を客観視できるようになり始めています。

 

 

 

 同時並行に処理できることが、全てではない

 

 

 時代背景を鑑みた場合。

 私のような一点集中型よりも、複数処理可能型の人の方が、社会的には評価の対象になるのかもしれません。

 

 

 喩えそのような不公平な扱われ方をしても、私は構わないとさえ思えるようになりました。

 

 

 複数処理、並行処理できる人の方が高価値と認められ、羨むことがあっても。

 元より単一処理しかできない頭や身体に生まれた以上。

 変わりたくても、変わることはできない。

 それと共に、同時並行に物事を処理できないことは、単一な事柄に対する集中力や処理能力は、寧ろ特化しているのではないか。

 自分を持ち上げるつもりはありませんが、そういった考えも存在しても良いのではないかと、半ば開き直るようにして考えるに至り始めています。

 

 

 話は変わりますが、過去上げた記事の中で。

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 

 HSPという気質を言い訳として使いたい訳ではないことだけは、どうかご容赦ください。

 しかし、実際にHSPを自認する私が、その中の項目で同時並行処理を不得意とする項目があります。

 

 ある一つの物事や情報について、深く考えること。

 些細なことであっても、反応してしまうこと。

 

 実際に、やらなければならないことが増えれば増える程、私の中の不安は有限なく膨らんでいきます。

 多くのことを上手く捌き切れないことに対して、焦燥感のような感情が芽生え始めて。

 どれを優先すれば良いのかわからなくなっていって、最後は集中力を持続できなくなって自滅してばかりでした。

 

 

 他方で、「この仕事だけは絶対にやり遂げる」と思った時や。

 「後で文句や苦情を言われないように、自分にやれることは、最後まで完璧にこなしてみせる」という思いだけは、手放さずにいられました。

 

 

 かつて効率的に物事をこなせない自分を卑下し、嫌悪してきた私のような、非効率的で単一処理しかできない人間でも。

 そういった特化型な人間がいることは、決して害悪ではないはず。

 今では、そのような思いを抱いています。

 

 

 

 一つのことに集中することを、強みとして生きたい

 

 

 

 どれだけ望んでも、変わりたいと努力しても。

 性格を変えたい、と願うと同じように。

 物事を処理できる範囲や深さを、変えることはできないと、個人的に考えています。

 

 変えられない以上。

 自身が持ち得た、物事に対する考え方や処理方法を、より良い方向に。

 強みとして捉えていくことも、大事なことであると思い至っている、私がいます。

 

 私の職場における、今現在の立ち振舞を例に上げるとすれば。

 社内システムで用いているパソコンのWindowsのアップグレード。3月末までに必ず終えなければならないという期限が決められていて、絶対に終えなければならない業務を抱える中で。

 同じように、他社のパソコンのアップグレード業務も併せ持っています。

 作業主任と位置づけられ、人員を割けない仕事もこなさなければならない状況において。

 どちらも優劣など付けられない、まさに同時並行に処理しなければならない業務が重なっています。

 そればかりか、日常業務に欠かせない個人貸与されたパソコンについての相談事から始まって。それまで触れたことすらない、社内システムに関する質問や疑問、対処法を求められることさえあります。

 

 完璧主義、かつ他人を信用することが難しくなってしまった私は。

 全てを、自分でこなせれば。

 悩むことも。葛藤に苛まれることもないことは、わかりきっていました。

 

 

 仕事という私情を挟めない場所である以上、自分のキャパシティを超えているという個人的理由だけで、苦悩故に全てを放棄することなどできません。

 

 

 そこで、単一処理しかできない私が取った策は。

 喩え上司や先輩といった、立場や年齢といった差を理由にすることなく、業務の一連の流れを実業務を行う上で説明し、頼る形でお願いして。

 

 情報を取り扱う権限という側面から見て、どうしても外せない業務を遂行する中で「ちょっと教えてくれない?」と相談された際は。

 これまではすぐに対応できないことに、申し訳気持ちで一杯になった自分を。

 「すみません、ちょっと待って頂けますか」と発言して。

 一区切り付いた所で、「遅くなって申し訳ありません」と一言告げて、対応するようになり。

 その上で、対処方法を模索して、解決するまでに時間が掛かったとしても。

 なんとか解決できた暁には、「ありがとう」「また頼むよ」という、この上ない言葉を頂戴して。

 一度止めた仕事を進める為の、原動力に変えて、継続することが出来始めています。

 

 今でも大半の場合において、処理し切れずにパニックになることばかりです。

 

 そういう時、机に突っ伏して明け暮れるよりも。

 一服という形で、一度その場を離れ、一人の時間を作るようにして。

 自分を一旦落ち着かせてから、どうすればいいかと考えて。

 再び仕事という「戦場」に向かうルーティンが、組み上がりつつあります。

 

 

 私は、一つの事柄に集中することしかできないことに変わりなく、人からどう思われ非難されても変えられるとは思えません。

 

 寧ろ。

 喩え完璧に解決できないことがあったとしても、私なりに全力で、一つのことに対して全力で向かって、取り組んで。

 単一処理しかできない性質を、「量より質」という考え方に変えて。

 それを逸早く実践できるよう、日々試行錯誤しながら。

 並行処理できない人間も、ここにいるんだ、と。必死にもがくようにしているんだ、と。

 単一処理特化型の私の、強みとしていきたいという願いと共に、日々を過ごしています。

 

 

 

 今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

 

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【趣味・小説】Tails Intersecting -Material Advantage-

 ※注記※

 本記事はこれまで投稿した「Tails Intersecting」「Tails Intersecting -Stalemate-」「Tails Intersecting -Promotion-」の続編となる、短編小説です。

 登場人物は私の趣向により、ケモノです。

 この注記をご覧になり、違和感や嫌悪感を抱いた方は、申し訳ありませんがお引き返しください。

 ※注記終了※ 

 

 

 

 

 Tails Intersecting -Material Advantage-

 

 

 

 食い掛かった柴犬をいなして、抑え込んだホッキョクオオカミ。

 浮かべる表情と発する声の色だけは、見た目と同じで真っ白で、どこまでも平坦だった。

 それに対峙する、虎とピューマ、ハイイロオオカミは、真逆を行くかのように。

 リノリウムの床に押さえつけられた柴犬を尻目に、煮えくり返るような感情を剥き出しにするかのうように。

 牙を。爪を。腕まくりした二の腕から血管が浮き出たせて。

 草食獣はおろか、肉食獣さえも引き裂き、食い千切ることなど容易い。

 そんな意思表示をするかのように、唸るような声を喉元からひねり出していた。

 

 ホッキョクオオカミの行動や言葉が、挑発を第一目標としている訳ではないというのはわかっている。

 わかっている、つもりでいる俺だけでなく。

 周りの草食獣だけでなく、見守るよいうに何も言えないでいる他の肉食獣でさえ。

 緊迫した状況に、怯えて。

 身動きも取れないまま、震えるしかできなかった。

 

「おかしいことだよね」

 あと十数分後には、朝会が始まるにも拘らず。

 ホッキョクオオカミは、冷静を通り越して、天然とも思わせる発言をしやがった。

 多くのクラスメイトが。草食や肉食拘らず緊張している中で。

 

「僕は君たちに囲まれて、殺されるようなことになってもおかしくない。でも僕は、君たちがそれで満足するなら、それで構わない」

 この、馬鹿ホッキョクオオカミは……!

 ガゼルである俺を庇ったことに、慢心しているのか。

 淡々と喋りに喋りやがって。

「なのに、どうしたって言うのかな?その気になれば、柴犬君を抑えていることで精一杯な、オオカミの中でも一回り小さな僕なんて。その爪を思い切り振りかざして、一噛みすれば終わりだなんて、君たちならわかるはずなのに」

 肉食獣に敵うはずもない俺を、勝手に守っておいて。

 それでも尚、どうしてそんな。

「それとも、ガゼル君に手を出しておきながら、今更怖くなったのかい?……来る気は、ないの?」

 細めた瞳で俺を襲い掛けた肉食獣共を見据える真っ直ぐな視線は。

 他の草食獣だけを差し置いて。

 俺に、同情するとでも、言いたいのか?

 ふざけているのか?

 

 ……ふざけるな、馬鹿オオカミ!

 

「普段は黙り決めている君が、そこまでお喋りだったなんて、ね。意外を通り越して呆れる位だよ」

 俺の思いを代弁するかのように声を発したのは、種族そしては同族であるハイイロオオカミだった。

「ガゼル君を勝手に守っておきながら。人質にするように、柴犬君を捻じ伏せている君の方が余程の悪に見えるよ、ホッキョクオオカミ君?」

「そう、だ。偽善者つも、りなのかよこのクソっ、が!?痛っ、ててててっ!!!」

 その声を受けて束縛から逃れようとする柴犬の肩を、締め上げて悲鳴を上げさせても。

「だから、動かないでって言ってるでしょ、柴犬君」

 ホッキョクオオカミは。

 毛色の如く、雪のように冷たい視線を。目線を。表情を。

 どこまでも貫き通していた。

「逆に聞かせて欲しい、ハイイロオオカミ君。僕が柴犬君の肩や腕の筋や関節を痛めるより、君の牙が僕を襲う方が速いはず。身体能力は、僕よりも君の方が断然上。にも拘らず、どうして来ないんだ?後ろめたいことでも、あるのかい?」

 

 ホッキョクオオカミがそう発した途端。

 それまではどんな骨でも砕ける牙を、覗かせながら。

 それでも尚、唸り声を上げていた、ハイイロオオカミが。

 

「同族と括っていた僕が愚かだったね。舐めるなよ、ホッキョクオオカミ君……!」

「やめろっ!」「挑発に乗るんじゃない、ハイイロオオカミっ!」

 一八〇センチを優に超える体躯を持ちながら、体格故の鈍さなど感じさせず。

 トラやピューマの制止を無視して、ホッキョクオオカミに向かって跳躍していた。

 迎撃するホッキョクオオカミも、押さえ付けていた柴犬の両腕を放棄して迎え撃つようにし、利き腕でない左腕を抱えて防御の構えを取る。

 

 血色の花弁とも言える、血飛沫が広がる。

 跳躍からの垂直降下を、持ち得る牙に乗せた、ハイイロオオカミの腕が振り抜かれる!

 豪腕と爪の一撃を、右手で支えた左腕一本で受けた、はずだったが。

 ホッキョクオオカミの細い腕では防ぎ切れず、惰性を残したハイイロオオカミの凶腕は。

 白い毛並みのオオカミの左目を掠め、鎌鼬のような裂傷を負わせることとなった。

 

 飛び散る血の海。血に染まる教室。木霊する悲鳴。

 

 ホッキョクオオカミの瞼を引き裂き、唸るハイイロオオカミ。その瞳は、理性を失った、ただのケダモノだった。

 一方で。

「左目だけで済んだのは、まだ運が良かったか」

 止まらない血の流れに目を瞑りながら。

 持ち前の機敏さと運動能力を使い、素早く後転し跳躍して後退したホッキョクオオカミの動作は。

 視野は広くても動体視力に劣る俺には、細切れの映像のようにさえ見える程素早かった。

 相対するハイイロオオカミとの距離を再び離しながらも、ホッキョクオオカミは左目から止まらない血は開け続けること難しくしていた。

 

 当然、か。

 幾ら戦闘能力に優れるオオカミであっても、体躯的に小柄なホッキョクオオカミが、大型種であるハイイロオオカミに敵うはずがない。

 

 

 俺は。

 惨劇、と言えば理知的と呼ばれるかもしれないが。

 こんな、学校という教室で。

 それも同じクラスに所属する同士で。

 殺して、殺されるという現実が繰り広げられている。

 

 発端は、草食獣の俺が。

 煩わしいと思えるまでに絡んできた、肉食獣共に思いをぶつけただけだったのに。

 

 どうして。いつも黙ってばかりで、浮世離れしていたホッキョクオオカミが。

 同族であるはずの、ハイイロオオカミの爪を受けて、血を流しているんだ。

 

 こんなこと、馬鹿げている。

 なんで誰も、傍観するしかできないんだよ。

 いや。

 俺も、そうだ。

 何も言えないことは、同じだ。

 

 

「傷になるかな、この左目」

 どこか、間抜けた声色。聞き覚えがあるどころじゃない。

「元々小さい頃、縫って傷跡になってるんだけどさ。でもやっぱり、痛いなぁ」

 血を滴らせるように俯いていた顔を上げた、ホッキョクオオカミは。

 どうやら目を潰されるような重傷は、何とか受けずに済んだようだった。

 

 でも。

 天井を見上げるようにして、顔面の半分以上を血色に染めながら息を吸って。

 吐き終えたその顔は、目の前のハイイロオオカミを見据えていた。

 

 潰されかけた左目と、無事な右目はどこまでも獰猛で。

 普段ではやる気のなさからか、終始閉じて微動だにしなかった口元は。

 牙を覗かせながら、鋭い歯を噛み合わせる不協和音だけを醸し出していた。

 

 「これで、満足したかい?それとも、まだ足りないかな?」

【人生・生きること】宵闇に似た不安 〜心折れそうに、なっても〜

 新型肺炎ウイルスの感染者が、ついに私の住む地域でも出てしまいました。

 

 これまでは「感染者、どう考えても報道の10倍以上はいるだろうな」だとか「感染拡大に乗じて転売や詐欺をする狡猾な奴もいるんだな」などと、どこか他人事のように考えていました。

 

 しかしいざ、パンデミックが目の前に差し迫った途端に。

 

 狼狽するように精神を揺さぶられて、それまで何事もなくこなしてきた仕事にさえ集中できずにミスばかり起こして。

 全てのことにやる気や活気を失いかけて、自暴自棄になるかのような気持ちで帰路につきました。

 

 いつかは起こり得るかもしれない。発症しても仕方がないなどと、中途半端な覚悟を抱いておきながら。

 目に見えない脅威が現実のものになりかけている瞬間を想像しただけで。

 一変して、どうしたら良いんだろうと狼狽えています。

 私自身が感染して発症することに、恐怖はありません。

 それよりも。

 身内や友人、そして職場の人々にウイルスを広げてしまう媒介者になりたくないという思いから。

 月明かりすらない、宵闇の中に独り立たされているような不安に刈られている、白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 新型肺炎絡みの報道は、朗報など皆無な現状は、不安に満ち溢れていることと思っています。

 

 新型肺炎のみならず。

 皆さんは、不意に不安に刈られ、恐れるあまりに身動きが取れなくなるようなことはありますでしょうか。

 

 私は、日常茶飯事の如く不安を抱き、思考停止に陥りかけることだらけです。

 時には、必要以上の不安を抱えるあまりに。

 自分というものを失いかけそうになるまでに、心をへし折られかけることさえあります。

 

 

 今回は、新型肺炎の件だけでなく。

 日常で何気なく感じることもあれば、「どうしよう……」と立ち止まってしまうことさえあり得るもの。

 希望と言う名の光すら消しかねない、不安というものについて、綴っていきたいと思います。

 

 ※注記※

 本記事は、私個人が抱え、経験してきた内容を独白する内容が多くなります。

 主観的意見や思いが多数を占める為、そういったことが苦手、或いは不快と感じる方がいらっしゃいましたら、誠に勝手ながらお引き返しいただきますよう、お願いいたします。

 ※注記終了※

 

 

 

 

 

 

 

 

 新型肺炎の脅威、膨らむ不安

 新型肺炎ウイルスの発生から、2ヶ月が経とうとしている今現在でも、状況改善する様子は見られません。

 日本国内だけでも次々と感染情報が流れ続ける中、それに対して検査強化をするといった具体的な対応策が成される訳でもなく、ただ繰り返すようにに「引き続き警戒を強めていく」というお茶を濁すような言葉ばかりが目立ちます。

 また感染された方の治療状況や、感染確認されたその後については不明瞭なまま。

 そして最も感じるのは、国によっては一日数百人単位で感染者が発見されているのにも拘らず、日本だけが感染状況が不気味なまでに穏やか過ぎることです。

 

 そんな混乱と不安ばかりが広がるものしかないのに、冷静な対応を求められても無理があります。

 

 幸いなことに、トイレットペーパーやティッシュペーパーは在庫切れが続いていましたが、ようやく店頭に姿を現し始めてました。

 しかし、相変わらずマスクは入荷未定の張り紙が消えることはありません。

 

 不安も去ることながら、訝しさや憤りにも似た感情を燻ぶらせていた中で。

 

 自分が住む地域で感染者が確認された報道を受けて、私の中で一気に、不安という感情が飛び抜けることとなりました。

 

 

 

 

 

 それ以外の不安も、日頃から抱き続けてきた

 

 

 

 

 今回の騒動を受けて、一気に大きな不安を抱いた私ではありますが。

 

 それ以外の不安や恐怖、心配事。

 私は小さい頃から、常日頃抱いていました。

 

 対外的な面では。

 時間を忘れて、学校や公園で友達と呼べた人たちと遊んでいるような時でも。

 部活に勤しみ、仲間と呼べた人たちと共に切磋琢磨する中でも。

 学級会や文化祭、音楽鑑賞会といった、クラスだけでなく学校全体が盛り上がるような舞台に立ち、その前から練習に明け暮れた際でも。

 社会人として会社勤めするようになって、今に至っても。

 

 身内の中でさえ。

 恋愛結婚したことが嘘のように思える程、喧嘩を絶やさなかった祖父母。

 真逆を行くように、言葉さえ交わさず、結局今日まで家庭内別居とも呼べる立場や姿勢を崩さなかった両親。

 歳の差はあれど喧嘩した回数は片手で数えるしかない兄が、いつの間にか家からいなくなって、精神を病んで帰ってきたこと。

 そして、イジメを経緯に他人というものに十代半ばにして見切りを付け、「人生を語るなんて、夢物語さ」などと達観したように振る舞っていながら。

 それ以上に自分自身を見限って、心の奥底では、埋まらない心の隙間を埋める誰かを求めていた、私自身。

 

 

 いつまで経っても、どこまで行っても。

 私は、臆病者です。

 

 

 ブログとして記事に上げている今の私は、差異はあれど、多少なりとも客観的に自分というものを見ることができるようになりかけていますが。

 

 過去のその時々は、不安と恐怖に、ひたすら怯えるように生き永らえることが、精一杯でした。

 

 

 

 

 何度も、不安に心をへし折られてきた

 

 

 

 私は、それこそ数えることをやめてしまった程、数多の不安に心を折られかけてきました。

 

 学校でも、身内でも、そして、自分自身に対しても。

 日常的にとも言える程にまで感じていた不安を言葉にして、周りに伝えることなどできず。不安や恐怖にただ、怯えてばかりでした。

 

 

 そういった時々に、自分なりの意見や思いを伝えられることができれば、少しでも何かが変わっていたのかもしれない。

 そんな、あまりにも遅過ぎる後悔の念を、抱いて久しいです。

 

 

 私は。

 

 自分に危害や損害が出そうな問題に直面した時。

 解決しようと努力するよりも、真っ先に自分の身を守ろうとして。

 一目散に逃げることを。その場から如何に早く逃げる為に、全力を尽くそうとします。

 

 そんな、臆病で卑怯な人間です。

 

 故に然るべき、なのかもしれません。

  不安や恐怖に立ち向かおうともせずに、逃げる姿勢ばかり見せてきた私を、学生時代に真っ向から否定されて、拒絶されて。

 不安と共にへし折られた心を、それでも繋ぎ止めるかのよに。

 他人など、信用も信頼もできないという思いが、私を支配していました。

 

 社会人になっても尚。

 かつて私自身が、周りに失望され拒絶されるという不安を絶対的に避けるかのように仕事にばかり集中して、忙しさやキャパシティを遥かに超えているという自分の警告を無視し続けた結果。

 精神を蝕み、正常な判断はおろか。

 自分が生きる意味さえ見出だせなくなる、精神的な意味では「死んでいるも同然」とも言える病を患って。

 今尚精神科に通い、カウンセリングを受けるようになるに至ります。

 

 

 不安や眼の前の恐怖に対する、私の行動理念は。

 

  自分が助かりたい。

 逃げることで、安らぎを得たい。

 そう思い返せばする程、色濃くなって。

 時々、無性に自分への嫌悪が一層強くことさえあります。

    

 

 

 不安に怯える私に、親友が掛けてくれた言葉

 

 

 

 新型肺炎ウイルスが住む地域で発見されたことを目の当たりにした日。

 この時も、心が折れそうになる程の不安に刈られ、ブログにも手を出せない程になっていました。

 

 そんな時、私に掛けてくれた、親友の言葉があります。

 

 

 「風邪やインフルエンザを発症した時、熱や鼻水、痰を出す。それは、身体の持つ免疫が病原体に対して懸命に戦っている証拠。免疫は身体を守る、言わば兵士であること。

 花粉症やアレルギー反応は、免疫という兵士たちが過剰反応してしまっている。

 薬で症状を抑えることはできても、それ以上に身体へ余計な負担を掛けることや副作用が出ることの方が厄介である。

 薬やサプリメントは、飽く迄「援護部隊」であって、本当に大切なのは、自分の身体の持つ免疫力。

 病気と戦う兵士たち。免疫力を高める為に、適度で質の高い睡眠を取り、栄養のある食べ物を食べて、耐性を付けていくことが、大事ではないか」

 

 

 そう聴いた途端、私は自分が精神科医でも言い続けてきた言葉を思い出すと共に。

 それすら忘れる程の不安と恐怖に陥っていたそれまでの自分が、急に馬鹿らしくなりました。

 

 親友が掛けてくれたことで、再び思い出したこと、それは。

 

 

 現実に向き合って、必死に戦っているのは、他の誰でもない自分自身であること。

 抗うつ薬や精神安定剤は、弱ってしまった自分の精神を助けてくれる援護部隊である。

 薬に頼り切るのではなく、薬に応援して貰う。

 薬を飲むことで副作用などの不安を恐れるより、助けてくれる存在と考えれば。

 うつ病を持つ自分がを、おかしいだとか、狂ってしまっているなんて、思わなくても大丈夫。

 

 

 そんな思いから、私は今回の新型肺炎ウイルスも、考え方次第では同じなのではないか、と気づくことができました。

 

 私はまた、親友に救われて。感謝する思いを伝えると共に。

 もう一度、現実に向き合う覚悟のようなものを、抱くことができました。

 

 

 

 不安を、享受する覚悟

 

 数十年生きてきた今でも、不安というものは私に常につきまとっています。

 現実で起きているパンデミックの前に、私はまた、不安に乗っ取られかけて、押し潰されそうになりました。

 

 時には、無駄死にするように挑むようなことなどせず、逃げることも大切だと思っています。

 

 でも、いつの間にか芽生え意識し続けてきた思い。

 親友の言葉に助けられて、それを再び思い出した今。

 不安だらけの現実に、しっかりとこの目で見据えて、錯綜する情報を自分なりに取捨選択し。

 戦う訳ではないにせよ、必要以上に恐れをなして、踊らされるように逃げ回るように。

 不安に弄ばれるような、無様な姿は見せたくない。

 自分に、そうやってしっかりと言い聞かせています。

 

 

 願わくは。

 今尚衰えることのないウイルスの脅威。そこから放たれる不安や恐怖が、少しでも早く潰えることを、願っています。

 

 

 

 

 今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

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【価値観・生き方】人の痛みを知る 〜痛みを、知っているからこそ〜

 パンデミック発生から、早くも2ヶ月が経とうとしています。

 その間に沢山のことが起き、未だに収束する気配すら見出だせずにいます。

 

 新型肺炎ウイルスの発覚。爆発的な感染。世界各国での罹患者の増加。

 日本国内では、政府の対応をめぐる賛否。根拠のないデマから始まった、生活用品の不足。

 

 それに対して、ウイルスに対する特効薬やワクチンの開発。マスクの供給見込みといった明るい話題は、余りにも少ない。

 

 情報ばかりが錯乱して、何が正しいのかどうかさえ危うくなっています。

 2020年という年が始まってから、明るい情報が皆無なことに虚しさのような思いを抱えている、白兎です。

 

 

 皆さん、おはようございます。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 先日、清掃スタッフの方と偶然お話しする機会がありました。

 そのやり取りの中で。

 仕事をする上での、立場や境遇などというものは、そこにはありませんでした。

 飽く迄、一人の「人」と、同じ立ち位置で会話をしている。そんな感覚を抱くような思いでした。

 

 その方が抱える家庭的な事情はわからないながらも、深追いするようなことはしてはならないと自分に言い聞かせながらも。

 たった数分のやり取りの中で、言葉や声色から、悲しさや苦しさのような感情を何となく受け取りなるだけに留まらず。

 「痛み」のような、何か。

 言葉では言い表わしにくいながらも、私なりにそのようなものを感じ取りました。

 

 

 今回は、怪我や病気で身体が訴える痛みとは別の、痛みについて。

 人それぞれで深さや広さの異なる、心の痛みという感覚について、綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 何気ない会話の中に見出した、痛み

 

 

  それは、本当に特別でも何でも無い、日常のひと時でした。

 

 一仕事終えて休憩がてら、喫煙部屋で一服している時。

 清掃という仕事を果たすべく、清掃スタッフの方が喫煙所へ入ってきました。

 その方は、これまでも少しながらではありますが、プライベートなお話しをさせてもらっている方でした。

 私よりも、断然年上の方です。

 お掃除の邪魔をしてはいけないと、スタッフの方が入られた時、私は腰掛けていた椅子から離れて端っこに移動するように心がけています。

 そこでいつも、スタッフの方か「申し訳ありません」と言われてしまうのですが、煙草を吸う私からすればお仕事の邪魔になっている気になって、「あ、こちらこそ申し訳ないです」と口が勝手に動きます。

 

 そこまでは、仕事という日常をこなす上で、特段変わらないやり取りでした。 

 

 しかしそんな中で、私が不意に「暗い話題、ばかりですね」と口走った瞬間。

 スタッフの方が、急に掃除する手を止めて、私を見詰めてきました。

 

「本当にね。トイレットペーパーやティッシュペーパーがなくなって、次はお米も品薄になって、ゴミ袋までなくなるなんてね。ここまで来たらもう、家族全員お陀仏になっても良いって話になってるんですよ」

 

 いつもなら、人の目を見ることを怖がっているような私なのに。

 その時だけは、どうしてか。

 手を止めて、独白するかのように話すその人から、目を離すことができませんでした。

 

 寂しさのような、虚しさのようなものを零すスタッフの方に、私は相槌を打ちながら、聞き入るようにひたすら相槌を打っていました。

 そして直後、私は自ら感じた思いと、本音を重ねるように。

「全くです。世の中の状況に食い下がってでも生きたいという気持ち、私にもありませんよ」

 そう、口走っていました。

 

 スタッフの方は、そんな私の言葉に反論することもなく。

 「本当、笑っちゃうよね」

 嗄れた声と共に、笑っていました。

 

 清掃の終わりと、喫煙を終えた私とスタッフの方が喫煙室から出た時に、その方は。

 急に声色を落として、まるで項垂れて零すかのように、言葉を並べていました。

「すみませんね、愚痴、聞いてもらっちゃうようなことになって」

 

 その瞬間。

 私は反射的に「とんでもないことです」と返すと共に。

 「こちらこそ、ありがとうございます。話を聴くこと、好きなんです」

 多分、そう言った私は、笑顔だったのだと思います。

 

 スタッフの方が驚いたかのように「そうなんですか?」と聞き返してくる一方で。

 「ええ。一方的に意見をぶつけるようなドッジボールは、嫌いなんですけどね」

 などと、生意気を言う私を。

 その方は、微かに笑うような声を漏らしていたような気がします。

 

 直後に、「ありがとうございました」と掛けられました。

 

 その言葉の真意は、わかりません。

 ですが、私も。

 「こちらこそありがとうございました」と返していました。

 

 

 私とスタッフの方以外、誰もいない喫煙室で。

 たった数分の合間に交わされた会話

 

 それは、無闇矢鱈に話せるような、軽いことではないこと。

  立場や境遇など関係なく、誰かに訴えたいことであることを直感的に感じました。

  そしてその言葉の数々が、苦しさや辛さといった負の感情を全て乗せているかのように思えてなりませんでした。

 その直後こそ表現できそうな言葉は思い浮かびませんでしたが、こうして記事にしている今は、私なりの言葉で言い表せるものがあります。

 

 心の痛み。

 

 怪我といった、外見的にひと目見てわかるような視覚的な痛みではなく。

 

 胸張って誰にでも言えるようなことではない、本当の気持ちを零した時に垣間見られるような、感情とも思いとも言えるもの。

  

 スタッフの方が愚痴と表現した言葉や気持ち。

 私には、それが心の痛みというものとして感じ取っていました。

 

 

 

 

 自分が負った、癒えることのない痛みと照らし合わせていた

 

 

 清掃スタッフの方が零した言葉や声色から。

 この時は、かつて私が負って、今尚カサブタにすらならない心の傷や痛みと捉えて、無意識ながら照らし合わせていたのだと思います。

 

 

  今までは適当に相槌を打って、いかにも「わかりますよ、その気持ち」と安易に同情するような姿勢で乗り切ってきた場面の数々を。

 

 今回は、そういった感覚はありませんでした。

 それ以上に。

 「誰にでも言えるようなことではないものを抱えている人が、私以外にも沢山いるんだ」と思いを改めて抱くと共に。

 少しでも、相手と同じ立ち位置で向き合おうとしている自分がいることは確かでした。

 

 

 私はどうしても。

 お会いした方の見た目や声音や口調といった、直接五感で感じ取れる相手の仕草や。

 ブログのように、外見を簡単には測れないようなものであっても、惹かれるような記事があっては見入って。

 それらが、あたかも自分のことのように勝手に入り浸って。

 その度に、私が抱えている痛みと照らし合わせるような形を以て、知ろうとして、共感しようとしてしまいます。

 

 しかし、一方で。

 思考という理性を介さずに勝手に動いてしまう、私の思いは。

 それは、本当に共感と呼べるものなのか。

 時折、そんな疑念の矛先が自分自身に向くことがあります。

  自分の本当の気持ちでさえ、わからなくなってしまうことさえ、今もあります。

 

 

 いつの日か、そんな惑うような思いを許容しながら。

 そういう自分があっても良い、と思える日が来ることを、自分に言い聞かせるように願っています。

 否。願うだけではなく、行動として、考え方として変えられるようになりたいと、切に思うばかりです。

 

 

 

 

 自分の痛み≠人の痛みだとしても

 

 

 話が逸れてしまいましたが、戻したいと思います。

 

 

  私の場合、と限定させていただくと。

 

 イジメからの人間不信。認めたくないイジメから逃避して勉学を怠り、高校受験にも失敗して。

 会社に入ってからは自分を含めた人間不信は収まることなく、怯えるようにしながら、人の顔色ばかり伺ってきました。

 最後は、自分という存在から離れてしまった意識が、いつのまにか、他人に認められたいという認識となって行動し続けた末路は。

 自分を。精神を殺す病。

 死にたいというよりも、消えたいという意識がいつまでも残り続けていました。

 

 

 逆に言えば、そういった挫折や精神の病を患った私は。

 その時に、一度死んだのだと、今では思っています。

 

 

 死んでも尚、この世界を生き続けている私は、経験してきたことを痛みとして覚えて。こうして、ブログを綴るに至っています。

 

 

 そんなことを言っておきながら、おかしなことなのかもしれませんが。

 

 

 

 様々な逆行や苦難をバネにして頑張ろうとしても、肉体的・精神的に叶わなかった。

 もしくは世間的に蹴落とされた経験を「復讐心」に変えてでも、進み続けることができなかった。

 或いは現状を以て、本当に必要としているのにも拘らず、手に入れることがという現実を目の当たりにして絶望してしまう。

 

 そういったトラウマや引け目を取るような出来事に遭遇して。

 心の痛みとして残って、抱えて続けて。

 それでも、懸命に生きているのではないかと、勝手ながら思っています。

 

  

 先述した私の痛みは。

 他の人が抱える痛みと一致することは決してない、と思っています。

 

 

 そうだとしても。

 痛みを抱え、知っているからこそ。

 相手の全てをわからないながらも、喩え少しでも寄り添えるように。

 願わくは、その人が抱える思いや感情と、対等な立場に立って向かい合えるようになりたいと、私は切に願っています。

 

 トラウマや絶望を目の当たりにして、一度死んだという歪んだ認識を持っている、私ではありますが。

 人それぞれが抱える痛みの深さや広さは、決して杓子定規で測れないことは承知の上で。

 単なる捌け口になっても、厭いません。

 

 決して、奢ることも、上から目線になるようなことにならないようにしつつ。

 痛みを抱く者同士が、傷を舐め合うような間柄にならないようにしながら。

 

 そうすることで少しでも、心が安らぐ時間を得られるのであれば、私は幸いです。

 

 

  未だに自分の気持ちさえ捉えきれていない私ではありますが。

 抱える痛みを、独りで抱え込まないでほしいと勝手ながら願っています。

 決して多くはないかもしれませんが、誰かにそっと思いを吐き出すことで、安らぎのようなものを得られると私は信じています。

 

 弱みを見せまいと独りで抱え込み続けた私が。

 親友に吐き出せたことで、今の私を少しでも認め始めることができているからです。

 

 

 

 今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

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