【HSP・価値観】自己紹介その4 ~HSP~
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深い霧に覆われた朝。静かに降る、冬の空に似合わない雨。季節外れとはいえ、穏やかに降る雨、濡れぬのは嫌いでも雨音は好きな白兎です。
皆様、如何お過ごしでしょうか。
既にその4まで来てしまっている自己紹介ですが、今回は私が自認している三つの項目の一つについて、私の経験を交えながらお話しできればと思っています。残りの2つは、別の記事として挙げられればと思っています。
HSPとは
皆さんはHSPという言葉を耳にしたことはありますでしょうか。
これまで認知されにくかった事柄ではありますが、インターネットの普及とご紹介されている方々の情報を元にし、私もここ数年で知った概念です。
どういうものか。それは多くの方々が言及されていらっしゃいますので、私は簡単な概略と経験談を絡めてお話ししたいと思います。
HSPは、ヒトが先天的に持ち得る「性質」のことを指します。性格や病気ではなく、飽く迄性質であるが為に周りから理解されにくく、生きづらいと感じることの多いものです。
その「性質」を持つヒトは四つの共通点があるといわれています。
D「Depth of processing」
一つは、「Depth of processing」の頭文字の「D」。これは「深く処理する」という意味があります。
ある一つの物事や情報に対し、深く考える。
例えば、「休日に通い慣れた場所へ行く用事がある。」
解釈や捉え方は人それぞれかと思いますが、私の場合は、
「休日だから走り慣れた道路は混むだろうな」「朝7:00位なら空いてるだろうから、いつもより早く家を出よう」「県外車も多いかもしれないから、国道は避けて裏道を使って行こう」「天気を確認して、綺麗に晴れるようなら出かける人も多いかも」「事故になったら怖いし面倒だから、早すぎてもいいから出発して近くのコンビニで休むように行こう」「燃料あったっけ。なかったら帰り道に補給しよう」
このように自分なりの考えが勝手に出てきて、それを処理するための行動プランを自分なりに立てる。
本当か?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、結構本当にそれ位考えています。否、勝手に考えが浮かぶと言った方が正しいかもしれません。
深く考え過ぎる分結論が出るのが遅い、といった印象でしょうか。
O「being easily Overstimulated」
二つめは、「being easily Overstimulated」の「O」。過剰に刺激を受けやすいことを意味します。
人間が持つ、視覚・嗅覚・聴覚・味覚・触覚。これら五感だけでなく、第六感とも言えそうな感覚から受け取る刺激に敏感に反応することです。
私は昔から「音」と「光」と「臭い」に敏感で、特に音は特別大きく反応します。
爆竹や花火の爆音や雷の音。小さい頃は驚きを通り越して恐怖を感じ、母に抱きついてギャン泣きする程でした。
今でも大音響を垂れ流すクルマやパチンコ屋のドアが開いた瞬間に響く騒音、会社の飲み会で周りが騒ぐ喧騒。最初だけならまだしも、不快感が積もり始めテンションガタ落ちで嫌気すら差してしまう程。
更に周りがそんな私に気遣って「楽しんでる?」と親切に聞いてきた時。これも私は「楽しんでいないように見える私、浮いてて折角の飲み会を潰してるのかな」と勝手に判断して更に落ち込んでしまう程です。
E「being both Emotionally reactive generally and havinng high Empathy in particular」
三つめは、「being both Emotionally reactive generally and havinng high Empathy in particular」の「E」。感情の反応が強く、共感力が強いことを示します。
周りの空気や雰囲気、相対している人の顔色や声色でその場の空気やその人が抱えている「感情」を読み取りながら、無意識のうちにそれに感化されてしまうことです。
学生時代、小学校や中学校って、何かとやんちゃしたりデカ騒ぎすることが多いと思います。縛りがない分、発散する限度を知らないから、でしょうか。
周囲との相違を感じ始めたのは、小学生の頃から。
クラスメイトが悪さして、先生に怒られている場面。端から見れば、その子が怒られているだけの状況です。
ですが私は、何故か同じ場所に座っていて、関係ないはずなのに、「一緒に怒られている」ような錯覚のようなものを感じていました。
全く関係ないはずなのに。
でもその子がそっぽ向いているのに、私は「何か悪いことしたのかな、私まで怒られてる……」と、勝手に嫌な気分になっていたことを覚えています。
中学では更にエスカレートして、生徒指導の先生が叱っている場面で「なんで私まで怒られてるんだ。ややこしくしたのは他の奴らだろ、巻き込むなよ」とますます捻くれた態度を取るようになっていました。
こうやって書いていて、全部私が勝手に感じていることに過ぎないと言われればそれまでのことです。ですが、とにかく場の空気が悪くなること=自分の気分が悪くなるというあまりにも身勝手な感覚が先走っていました。
それ故に、私はとにかくその場の空気を悪くしないよう、間に入ったり顔色や声色を窺って、とにかく怯えていました。
だからという訳ではありませんが、私は昔から、何かと相談を受けることが多々ありました。
周りの同世代はともかく、当時の教師の悩みや、果ては掛かりつけの精神科医の悩みまで。
私自身はそんなつもりは毛頭なく、ずっと「なんで私に、そんな深すぎるようなことを言うの?」と疑問に思ってきた記憶があります。今では、なんとなくではありますがその理由がわかり始めている気がしています。
S「being aware of Subtle Stimuli」
最後の四つめ。「being aware of Subtle Stimuli」の「S」。些細な刺激を察知する。
これは二つめに述べた項目と重なるところではありますが、兎にも角にも、どんなに小さな刺激も反応してしまうことです。
小さな音(身内が気づかなかった、天井裏でコトっとした音にも反応したこと有り)」も拾ってしまい、一度気になると眠ることすらままならなくなる為、就寝時は耳栓がなくてはならないものになっています。
そんな一方で、外で微かに響く雨音は「いつも荒んでいる心が洗われる」ような感覚になり、好きであったり。
震度1程の小さな地震で小さく鳴った、家の軋みを無意識に聞き取って、「今、なんか音した?」と聞いてみたり。
通り過ぎていくクルマから、一瞬響いてくるエンジン音を聞いて「ガラガラ鳴ってたな、オイル交換しているのかな」「キュルキュル音がした、タイミングベルトが限界なのかな」と。これまた勝手に、きちんとメンテナンスがされていないクルマやパソコンに妙に感情移入してしまうことが結構あります。
臭いなら、雨上がりのアスファルトから漂う、少し酸っぱいような、苦味のあるような微かな香り。生の果物を切った直後の新鮮で甘酸っぱい香り。辺にガス臭いと感じたら、コンロの火が付いていないのにガスだけ出ていたり。
他の人が気にするかどうか怪しいそういったものに心地好さや違和感を覚えることが多いです。
上記した四つの特徴が全て当てはまるヒト、それがHSPと言われています。逆に言えば、どれか一つは物凄くあてはまっても他はそうではない場合は、HSPではないと言及されています。
私の場合の「HSP」
説明が長くなってしまいましたが、この性質を持つ私は。
とにかく、「他の人たちと、何か違う」「生きるだけでも精一杯」といった思いを、ずっと感じ続けて参りました。
勝手に場の空気を読んでしまう自分。それによって気分を害されてしまう。
私って、病気なのかな。変わり者を通り越して、何かおかしいのかな。
そう思う時期さえありました。
一言でHSPか否かを述べることは簡単なことであると、私は思います。
ですが、実際に感じていることは、他の人に伝わるかと言われれば、決してそうではない。
これが、私にとって苦痛で生きるのが嫌になる一つの要因でした。
苦痛の裏に隠れていたものは
でも。裏を返せば。
何かに悩んで、苦しんでいる人。声に出したくても出せないその辛さを。
傲慢に思われるかもしれませんが、私はなんとなくではありますが、文章を見ただけでも感じ取ることがあります。
顔色や声の口調、声色を聞いただけでも、「何かあったかな」と勝手に勘ぐったりすることさえあります。
周りから見れば、お節介にさえ思われるかもしれない、HSPという特性。
望んで持ったものではないにしても。
今では、この性質に感謝することさえできるようになりました。
何かの微かな刺激で、自分に訪れるかもしれない危険を察知できたり。
人の悩みを、すんなり聞き入れることができたり。
音楽やアニメで感情移入して、自分の立場に置き換えて、大泣きしたり。
今まで、いえ、今も感じている生きづらさは。
自分だけでなく、誰かの役に立てるかもしれない。
HSPは病気ではない為、自分が嫌ながらとか辛いから治したい、ということはできません。
飽く迄、性質。生まれ持ってしまったものだから、どうしようもないものです。
それを、どう考えていくか。
余計な性質を持って生まれて、辛いか。
それとも、何かに活かせるかもしれないか。
同じ悩みで苦しんだり、お辛い思いに暮れている方は多いかと思います。
私は、そういう方々に。
「同じHSPなんだから、気にすることないよ」と、簡単な言葉で励ますことはできませんし、私はそういうことはしたくない。
「同じ様に感じている人もいるから」と安易に同情したくもない。
一つだけ、言いたいことがあるならば。
「貴方は病気でも、おかしい訳では、決してありませんよ」
その言葉を書きたくて、既に4000字を超える文章となってしまいました。
纏め方が相変わらず下手くそだな、私。
今回は、ここまでにしたいと思います。
ご閲覧くださり、ありがとうございした。それでは、また次回まで。