白兎と雪狼の、果てなき旅路

ドライブやドライブや写真撮影を趣味とし、その他、HSPやAセクシャル、イジメ。精神的・心理的なことについて綴っていきます。

【HSP・HSS】余韻よりも、落胆するばかりで ~立ち直りの弱さ~

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 本格的な春へと移り変わっていく中で。

 今シーズンとして、ようやく纏まった雪が降り、世界を白銀に彩りました。

 

 天候が悪くなっても雨ばかりだったということもあり、そろそろタイヤ交換を視野に入れていた矢先のことでした。

 交換しなくて良かった、という安堵感と。

 湿り気で重くなった雪をかく作業を終えて、腰の痛みに耐えている、白兎です。

 

 

 皆さん、おはようございます。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 突然ですが、少々当たり前のことをお聞きすることになるかと思いますが。

 

 皆さんは、楽しかったり喜ばしい時間を過ごした後。

 時には現実を忘れるかのように、その思い出に、余韻に浸ること。

 もしくは「あの時は楽しかったよね」と懐かしんだり、談笑に華を咲かせることはありますでしょうか。

 

 というのも、私はそれらがほとんどできないまま、ここまで生きてきたという経緯があります。

 余韻に、思い出に浸って懐かしんだり、心を穏やかにさせるよりも。

 私は、思い出す度に落胆して。後悔ばかりが、残り続けてきました。

 

 そんな折。

 とあるインターネットサイトにて、興味を惹かれる記事を知って。

 少しだけ、私の中で思い出や記憶に関することに対して、新しい視野を見つけることができたが故、冒頭の質問を投げさせていただきました。

 

 

 今回は、思い出という余韻に浸ることよりも、落胆するばかりで。

 立ち直りの悪さも併せ持ってしまった私は、普通でないと勝手に決めつけた自分に失望し続けていたことを。

 そして、無理に普通という枠に収める必要はないことに気づいた契機と今について、綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 思い出の儚さ、それ故の余韻

 

 以前お話ししたこともあったかと思いますが、人間という生き物は、「忘れること」ができる、唯一の生物と言われています。

 コンピュータの記憶媒体が、爆発的に進化するように記憶容量が増えていく中でも。

 人間が記憶できる事柄は、本当に僅かです。

 時代の変遷と共に、常に変化し続ける現代に対応できなければ生きていけないという厳しい世の中で。

 限られた記憶容量しかない脳は、不要と判断した情報や記憶を、新たなものと入れ替えるかのように上書きしていく。

 そのようにしかできないからこそ、人間は「忘れること」ができると私は思っています。

 

 忘れることは、辛さや苦しさから、時間を掛けて解放してくれる優れたものである一方で。

 楽しかったり嬉しかった思い出さえも、容赦なく消去されていきます。

 

 私たち人間は、それを補う手段として。

 楽しかった、嬉しかった場面場面を写真や動画に収める形で記録し。

 いつの日か、それらを見返すことで、再びその当時の記憶を呼び起こす手段を生み出しました。

 結果的に、忙しさとストレスが蔓延するこの世界でも、心休める憩いの場とも言えるものを創り出して。

 時には懐かしさの余りに感傷に浸ったり、時には思い出話の種として語り合うことで。

 喩え一時であったとしても、現実から自分を切り離すことで荒んだ心や精神を落ち着かせて、回復させて、再び現実に立ち向かう勇気や原動力に変えられるのだと思っています。

 

 それがもし、悲しさや苦しさに塗れたものであったとしても。

 思い出す度に腹を立てたり、落ち込んだり、泣いたりする時があるのかもしれません。

 それでも、そういった思いをバネにして、乗り越えて、次に立ち向かっていける強さに変えていけることができるのかもしれません。

 

 

 

 立ち直りの弱さは、記憶に囚われ過ぎる為?

 

 

 そうやって、現実と思い出を上手く交えながら生きられる人たちがいる中で。

 

 私は、楽しかった思い出も、思い出す時度に。

 何故か落胆して。落ち込むばかりで。

 旅先で撮った写真でさえ、編集する時にも。

 いつも溜め息ばかりついてきました。

 

 それが当たり前になっていた私は、思い出に浸ることを拒むかのように。 

 これが普通なんだろうと思い込んで、今日まで生きてきました。

 

 先日綴ってきた、伊豆旅行でさえ。

 楽しかっただとか、素敵な場面に出会えたという愉悦よりも。

 あの時、こう言えば良かっただとか。

 相手を気遣うことができていたらだとか。

 もっと、良い写真が撮れたのでは。

 そんな、負の感情ばかりが先走るばかりでした。

 

 しかし、周りを見回してみると、思い出話で落胆するような人は皆無で。

 寧ろ自分の方が、何かおかしいのでは、と訝しさを覚えるようになって参りました。

 

 

 どうして、私は思い出すら禄に浸れないのに。

 

 イジメや。

 相手の立場が上であったとしても、会社で理不尽な目に遭って、嫌な思いしか持ち帰らなかったこと。

 そんな、どうでもいいことを。

 忘れたいことばかりが、記憶として残り続けているんだ。

 

 

 いつの日か、私のこういった性質は苦汁を舐めた経験を忘れるな、という思いが自分を戒めていると信じ込んでいました。

 戒めを通り越して、自らの行動を縛り付けている足枷を自分に掛けていると、薄々勘付きながら。

 

 

 

 

 HSPは、トラウマを抱えやすいという情報も

 

 

 そんな悶々とした日々を過ごしていた、ある日。

 どうして、数日前の楽しく喜びに満ち満ちていた旅行記の記憶が、早くも朧気になりつつあるのに。

 過去の嫌な思い出ばかりが、夢に出てくる程にまで鮮明に残り続けているのか。

 

 変えられるはずなどない、と決めつけてばかりだった私は。

 初めて疑念を抱いて。

 思い出にすら禄に浸れず、落ち込んでばかりの自分に、半ば憤るような勢いで情報を得始めました。

 

 そのキーワードとなったことは。

 

 五感からの情報を必要以上なまでにに取り入れ、意識したくなくても勝手に深く考えて。

 それが微々たる程の、些細なものであったとしても無意識的に考え込んでしまう。

 

 ブログを立ち上げて以来、自負するに留まらず、積極的に情報発信しようとしている、HSPでした。

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 HSPだからといって、特段嫌な記憶に苛まれるという情報はこれまでありませんでした。

 ですが、検索を重ねていく内に。

 

 HSPは、トラウマを抱えやすい

 

 という内容の記事に辿り着くことができました。

 

 その記事は脳が「記憶」を処理する方法だけでなく、それらが脳内でどのように分類されて記憶されていくのか。

 目に見えない脳神経学、精神学、心理学を独自の考察を用いながら、わかりやすく解説されていました。

 HSPやトラウマといったことに深く言及されたその記事に、釘付けになるように私は見入りました。

 

 このことについては、別の記事にてお話しできればと思います。

 

 

 その記事を見終えた私は。

 どうしてか、泣きたくなるような思いに刈られていました。

  

 実際にうつ病を罹患し、数年経った今でも通院して治療する身でありますが。

 それ以上に、イジメのみならず。

 恥じらいとさえ思える、これまで経験してきたことを鮮明に覚え続けるばかりに。

 

 いつの日か、思い出して。

 それによって癒やされたり、時には泣いてしまうこともあるのかも知れない思い出さえ。

 楽しかった、嬉しかった思い出の余韻を塗りつぶすかのように。

 全部、忘れて。

 過去の苦くて、辛くて、悲しくて。

 思い出したくもない記憶に支配されて、その度に喉元を、胸元を締め付けられるような思いと共に落胆して、後悔して。

 そこから立ち直には、余りにも多くの時間を要してきました。

 

 それを弱さと認識し、この身を以て実感し続けてきた私には。

 これまでなかった、指標とも言える情報が、その記事には詰まっていました。

 

 

 

 HSSとHSP。双方を持つが故に、立ち直りは弱くなるばかりで

 

 

 上記の情報は、私に新たな情報と知識を齎してくれただけでなく。

 私が自負する、HSPに対してさらなる情報を得ることができる切っ掛けとなしました。

 

 しかしながら。

 些細であっても、五感からの情報に反応を示し。多感的で敏感なのにも拘らず深く考え過ぎるばかりに。

 脳の処理能力を遥かに超える情報の渦に、私は飲み込まれてばかりでいます。

 

 外部からの刺激が強いのであれば、避ければ良いのに。

 それ以上に、私は「好奇心」と呼称する気質。

 じっとしていることが苦手で、食事や入浴といった日常にすらゆっくりと浸ることうら窮屈に感じて。

 それを満たそうと、未知なる刺激を、外へと求めていく。

 HSSという性質を併せ持っている私は。

 

 思い出に浸って、疲れた心を癒やし、調整することも良しとせず。

 常に知らない世界へと進み続けようとする、相反する性質を、気質を持ち合わせて。

 疲弊しているにも拘らず。

  

 自分のことなのに、止められない。理性よりも本能が、先走ってばかりいます。

 

 

 そう思えば思うほど。

 楽しかった。嬉しかった思い出に、余韻に浸ることさえできないのは。

 過去の嫌な記憶に縛られているということだけでなく。

 私自身が、勝手に進み続けてきた結果。

 

 思い出を形作る過程を、あたかもすっ飛ばすかのようにして。

 自分が、思い出を作ることができないと錯覚するまでに、突き進んで。

 楽しかった、嬉しかったことを、記憶するよりも早く。

 まるで、突っ走ってしまうような自分自身の気質と性質の為に。

 振り返る頃には、後悔や落胆だけが残って。

 拍車を掛けるかのように、いつまでも残り続ける嫌な記憶ばかりが残っていました。

 

 自業自得。

 

 その言葉が、私のような人間にはまさにお似合いと言えるものでした。

 

 

 

 素直に、思い出に浸りたいだけ

 

 

  私は意識しなければ、思い出の余韻に浸ることさえままならないことに、気が付くことができました。

 

 突っ走る勢いはあれど、その後に待ち構える後悔や落胆。

 これまでは、そういった負の意識に囚われて、「自分は思い出すら語れない、ヒトとして欠陥を持っている」と卑下してきました。

 

 でも。

 変えたいと思っても、変えられない。そういった傾向があることを。

 思い出に浸る以上に、好奇心に突き動かされてしまう自分を、自覚することができた今は。

 

 たった、数分でも。数秒でも良い。

 

 旅に出て目の当たりにした光景や、交わした言葉。

 その情景を、写真という形で記録してものを見ながら。

 

 先へ先へと行こうとする自分に、ブレーキを掛けさせて。

 写真を見ながら、「この時は、確か……」と、少しでもその時のことを思い出して。

 撮影した時から、時間が過ぎ去っていることを自覚しながら。

 懐かしいな、と思えるように。

 

 あわよくば、お酒でも飲みながら。

 あの時は、本当に良かったな、と。

 時間を忘れる位、はしゃぐようにして喋ったり、笑っていたな。

 

 そんなことを思えるように、なっていきたいと願うだけでなく。

 いつか、そうやって足を止めて思い出に耽るようになりたいと、思うばかりです。

 

 そして、願わくは。

 落ち込んだ時の、立ち直りの弱さも。

 そういった思い出に入り込んで、余韻に浸れる余裕を持ちながら。

 徐々にでも良いから、克服していきたいと思う、今宵です。

 

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

 

 ※写真は仕事で赴いた、安曇野近辺からの北アルプス。助手席に座りながらの撮影※

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