【生き方・HSP】同時並行に処理できない ~一つのことに集中するしか、できなくても~
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4月中旬から下旬並の暖かさに包まれ、夕暮れまでの時間も少しずつ長くなって参りました。
相変わらず暗い報道ばかり繰り返さてる中でも、少しずつではありますが、明るい話題も出始めています。
花咲くのを待つ、桜が綻び始めるかのように。
この調子で、自然も、世の中も。春の穏やかさが訪れるのを陰ながら祈っている、白兎です。
皆さん、おはようございます。如何お過ごしでしょうか。
3月に入り、会社も年度末を迎えるにあたって、多くの仕事が舞い込んできています。
限られた時間の中で、如何に効率よく、業務をこなせるか。
職種によって様々であるとは思いますが、最近はそういった、マルチタスクに仕事ができる人材が求められているように思えます。
皆さんの職場や学校でも、そういったことに長ける人がいらっしゃるのではないでしょうか。
そういった要領よく仕事を捌き、立ち振る舞える人がいる中で。
一つのことに集中し、質の高い成果を残す人もいらっしゃることと思います。
私は、悪い意味で後者に部類しています。
一つのことに集中している時、他の業務を振られた時だけでなく。
話しかけられただけでも、両方に対応しようと勝手に脳と身体が動いてしまい、意識が散漫してしまいます。
一つの仕事を片付けられないまま、別のことに手を出すようにして。
最後はどれも中途半端になってしまって。
上手くこなせない、立ち振る舞えない自分を、不器用な人間だと、自分で勝手に烙印を押してきました。
今もあらゆる方面から来る業務や情報、やらなければならないことが渋滞するように。
一人で勝手に、混乱に陥りながら、脳が半ばハングアップしかけている日常を送っています。
今回は、同時並行に処理ができない、一つのことにしか集中力を注げないことについて。
多くのことをマルチタスクにこなせる人と比べて味わい続けてきた、私が感じ続けてきた苦悩やマイナス思考を交えながら、綴っていきたいと思います。
一度集中すると、周りが見えなくなる
今でこそ、勤める会社の仕事に焦点が向かいがちではありますが。
こうしてブログを綴っている中でも、私はただひたすら「ブログを書く」ということにしか、集中することしかできません。
書き連ねる言葉にダブりがないかだけでなく、文章を起承転結という視点から見て、唐突に内容が飛んでいたりしないかどうか。
何よりも、本当に伝えたい。共感したいと思う以上に。
交える程度ならまだしも、自らの感情が入り込みすぎて私情的になっていないか否か。
指標のない、自分ですら測りかねる微妙な塩梅。
その匙加減を、喩え少しであったとしても、客観的に見ようと試みながら。
本ブログを運営する一個人として、常にそのような思いを抱きながら文字を連ねています。
そういった時に、「どんな言葉を使えばいいだろうか」「本当に、こんな文章で何か伝えられるのか」と思い悩んで、詰んでしまうことも多々あります。
個人的な興味本位な問いになってしまうことを、どうかご容赦ください。
皆さんは、そういったことがあるかどうか。
仮にあったとした時、どのようにして解消して、思いを言葉にし続けていらっしゃいますでしょうか。
思いを言葉にしようと、一度決意した時の私の場合。
BGMや動画という、時には熱中して離さないものであっても。
それらを背景曲として流しながら、ブログを綴ることができません。
言葉や表現を、頭の中の思いと照らし合わせながら文章化していくことに思い切り集中してしまい、他の音楽や情報というものが同時に流れているとそちらに気が散ってしまいます。
結果、何も生み出すこともできないまま、時間を浪費する結末が待っています。
逆に文章を書かない時は、逆にインターネット上で配信されている動画は、興味を持てるものはラジオ感覚で垂れ流しにしてお昼寝するようなこともあれば。
第一期が終わり、二期目の配信を期待する「BEASTARS」を見返すような形で。
入り浸る時もあります。
そして、一度気に入って、カラオケで歌うようになった楽曲。
それだけでなく、かつてプレイしたRPGのサウンドトラックのはじめとする、自分を高揚させるようなBGM。
当時の懐かしさや熱さのような思いを噛みしめるように、ひたすらリピートさせることもあります。
それなのに。
娯楽目的として用いる音楽や情報を、全て遮断してまで。
ブログを書き進めたい思いに刈られた時には、言葉を綴ることに邁進する余りに。
時間が過ぎ去ること忘れるだけでなく、食事を始めとする、生きる為に必要な行動でえ、煩わせしさを覚えます。
一時、そんな私は。
動画のコメント等で、「勉強が捗ります」「溜め込んでいた原稿が一気に捌ける」といったものを見る度に。
皆、外部からの情報があるにも拘らず、自分が成すべきことを進めることができるのか、と落胆のような気持ちに陥ったこともありました。
片や、一つのことにしか集中できない私は。
どこまでも、不器用一筋なのか、と身勝手な自己嫌悪に苛まれたこともありました。
物事を同時並行に処理できる人を、羨んでいた
思えば、学生時代からそういった思いを抱え続けてきました。
イヤホンで音楽を聞きながら、空き時間に図書館や教室で勉強に励む同級生。
大勢の人たちが集まり、会話が錯綜する中でも、聞き分けて的確に返し続ける人もいて。
時にはとある授業中にも拘らず、全く異なる教科書を同時に開きながら勤勉する人もいました。
目の前の授業や教科書に食らいつくようにして勉強を進めることしかできなかった私は、そんな彼ら彼女らが、時に羨ましさに似た感情を抱いていたことを覚えています。
社会人になってからは、それがより顕著になりました。
複数の業務を指示される中、表情一つ崩さず淡々とこなしていく上司や先輩たちだけでなく。
同期として配属された同僚の中にも、パソコンやワークステーションに向かいキーボードを叩き続けながら、先輩の茶々を聞き入れて笑い飛ばす者もいました。
そこでも、私はとにかく目の前の仕事に。或いは会話に。
一つのことに意識を賭すことで精一杯でした。
そのような時に、誰かが頼み事を持ってきたり、電話が掛かって来ても誰も出られない状況になった際には。
自分勝手に、どうすればいいのかパニックになって。
別のことに対応した直後に、本来進めていたことがどこまで進んだのかわからなくなって。
簡単に全部が全部、中途半端になってしまう自分自身が嫌で仕方がありませんでした。
もっと、複数の事柄を同時並行に処理したい。
そうすれば、もっと効率よく仕事が捗って、自分がより楽になるはずなのに。
そんなことが、いつまでもできない。
分散処理できず、単一処理しかできずにいた私は、常日頃からフラストレーションすら抱えていました。
しかし、数十年という長きに渡って私を縛り付けていた、そういった負の感情は。
仕事だけでなく、思いを言葉にする行動において、別の角度から見れば違った見え方になるのではないか、と思えるようになってきたからです。
それは。
複数のことを同時にこなせない、不器用さを抱えながらも。
一度取り組んだことは、最後まで諦めずに取り組めてきたのではないか。
勉学でも、仕事でも。
熱中する、と言っては滑稽かもしれませんが。
そういった側面もあるのかな、と自分を客観視できるようになり始めています。
同時並行に処理できることが、全てではない
時代背景を鑑みた場合。
私のような一点集中型よりも、複数処理可能型の人の方が、社会的には評価の対象になるのかもしれません。
喩えそのような不公平な扱われ方をしても、私は構わないとさえ思えるようになりました。
複数処理、並行処理できる人の方が高価値と認められ、羨むことがあっても。
元より単一処理しかできない頭や身体に生まれた以上。
変わりたくても、変わることはできない。
それと共に、同時並行に物事を処理できないことは、単一な事柄に対する集中力や処理能力は、寧ろ特化しているのではないか。
自分を持ち上げるつもりはありませんが、そういった考えも存在しても良いのではないかと、半ば開き直るようにして考えるに至り始めています。
話は変わりますが、過去上げた記事の中で。
HSPという気質を言い訳として使いたい訳ではないことだけは、どうかご容赦ください。
しかし、実際にHSPを自認する私が、その中の項目で同時並行処理を不得意とする項目があります。
ある一つの物事や情報について、深く考えること。
些細なことであっても、反応してしまうこと。
実際に、やらなければならないことが増えれば増える程、私の中の不安は有限なく膨らんでいきます。
多くのことを上手く捌き切れないことに対して、焦燥感のような感情が芽生え始めて。
どれを優先すれば良いのかわからなくなっていって、最後は集中力を持続できなくなって自滅してばかりでした。
他方で、「この仕事だけは絶対にやり遂げる」と思った時や。
「後で文句や苦情を言われないように、自分にやれることは、最後まで完璧にこなしてみせる」という思いだけは、手放さずにいられました。
かつて効率的に物事をこなせない自分を卑下し、嫌悪してきた私のような、非効率的で単一処理しかできない人間でも。
そういった特化型な人間がいることは、決して害悪ではないはず。
今では、そのような思いを抱いています。
一つのことに集中することを、強みとして生きたい
どれだけ望んでも、変わりたいと努力しても。
性格を変えたい、と願うと同じように。
物事を処理できる範囲や深さを、変えることはできないと、個人的に考えています。
変えられない以上。
自身が持ち得た、物事に対する考え方や処理方法を、より良い方向に。
強みとして捉えていくことも、大事なことであると思い至っている、私がいます。
私の職場における、今現在の立ち振舞を例に上げるとすれば。
社内システムで用いているパソコンのWindowsのアップグレード。3月末までに必ず終えなければならないという期限が決められていて、絶対に終えなければならない業務を抱える中で。
同じように、他社のパソコンのアップグレード業務も併せ持っています。
作業主任と位置づけられ、人員を割けない仕事もこなさなければならない状況において。
どちらも優劣など付けられない、まさに同時並行に処理しなければならない業務が重なっています。
そればかりか、日常業務に欠かせない個人貸与されたパソコンについての相談事から始まって。それまで触れたことすらない、社内システムに関する質問や疑問、対処法を求められることさえあります。
完璧主義、かつ他人を信用することが難しくなってしまった私は。
全てを、自分でこなせれば。
悩むことも。葛藤に苛まれることもないことは、わかりきっていました。
仕事という私情を挟めない場所である以上、自分のキャパシティを超えているという個人的理由だけで、苦悩故に全てを放棄することなどできません。
そこで、単一処理しかできない私が取った策は。
喩え上司や先輩といった、立場や年齢といった差を理由にすることなく、業務の一連の流れを実業務を行う上で説明し、頼る形でお願いして。
情報を取り扱う権限という側面から見て、どうしても外せない業務を遂行する中で「ちょっと教えてくれない?」と相談された際は。
これまではすぐに対応できないことに、申し訳気持ちで一杯になった自分を。
「すみません、ちょっと待って頂けますか」と発言して。
一区切り付いた所で、「遅くなって申し訳ありません」と一言告げて、対応するようになり。
その上で、対処方法を模索して、解決するまでに時間が掛かったとしても。
なんとか解決できた暁には、「ありがとう」「また頼むよ」という、この上ない言葉を頂戴して。
一度止めた仕事を進める為の、原動力に変えて、継続することが出来始めています。
今でも大半の場合において、処理し切れずにパニックになることばかりです。
そういう時、机に突っ伏して明け暮れるよりも。
一服という形で、一度その場を離れ、一人の時間を作るようにして。
自分を一旦落ち着かせてから、どうすればいいかと考えて。
再び仕事という「戦場」に向かうルーティンが、組み上がりつつあります。
私は、一つの事柄に集中することしかできないことに変わりなく、人からどう思われ非難されても変えられるとは思えません。
寧ろ。
喩え完璧に解決できないことがあったとしても、私なりに全力で、一つのことに対して全力で向かって、取り組んで。
単一処理しかできない性質を、「量より質」という考え方に変えて。
それを逸早く実践できるよう、日々試行錯誤しながら。
並行処理できない人間も、ここにいるんだ、と。必死にもがくようにしているんだ、と。
単一処理特化型の私の、強みとしていきたいという願いと共に、日々を過ごしています。
今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。