【ブログ】ブログを始めて三ヶ月 ~変わり始めた、思いを伝える手段~
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3.11から、9年の月日が流れました。
直接的な被害を被った身ではありませんが。
震災で亡くなられた方々に、お祈りを捧げると共に。
未だ復旧にご心労される方々や、心の傷が癒えぬままいらっしゃる方々に。
被災されましたすべての方々に、衷心よりお見舞い申し上げます。
皆さん、おはようございます。如何お過ごしでしょうか。
間もなく、ブログを綴り始めてから三ヶ月が経とうとしている、白兎です。
お陰様で投稿記事数がようやく50を超え、読者様も300を超える程になりました。
熱しやすく冷めやすい、を自負する私ではありますが。
基本的に興味を持ったことに対して、一度ハマったら猪突猛進の勢いで熱中してしまいます。
しかしいざ、熱が冷めてしまったら最後。
それまでの熱の入れようは、果たして何だったのかと言える程興味を瞬く間に失い、過去のものと成り変わってしまいます。
これまで、「何か誇れるような、特技や趣味を持ちたい」という思いから。
様々なことに手を出してきました。
しかしながら、その九割近くは、完璧主義という思いが仇となり。
その分野に長ける人と勝手に比べて、「自分には、これ以上無理だ」と言い訳するように言い付けながら。
三日坊主と呼んで差し支えない程、多くのことを諦めて、見切りをつけてきました。
皆さんは、一度持った趣味や特技。
そういったものでなくても、続けることができているものはありますでしょうか。
片や、諦め癖がいつの間にか染み付いてしまった私は。
これまで飽きることも冷めることもなく続けられてきたことは、片方の手で数えられる程しかありません。
それは、車に関すること。
そして、思いを言葉として伝える、ブログです。
本ブログにおいて、愛車という名の相棒について、多くは綴って参りませんでした。
それらは、また別の記事にさせていたければと思っています。
今回は、始めて間もないブログというもの。
お陰様で、Google AdSenseの審査通過することができました。
それはさておき。
ブログを始めたばかりの頃と、今こうしてキーボードを叩いて文字として。
思いを伝える手段として習慣化している、書くこと自体が好きである、私の中のブログ。
たった数ヶ月ではありますが、変化し始めていることについて、綴っていきたいと思います。
自分の思いや経験の全てを、ブログにぶつけていた
実はブログを始めたのは、本ブログが始めてではありません。
数年前に一度、独自アカウントを取って、ライブドアブログを陰ながら始めていたことがあります。
その時は、うつ病をメインテーマとして記事を書き始めていました。
当初こそ、うつ病を患ってから今に至るまでを。
小説のような形で書き始めていました。
が、しかし。
いざ書こうとしても、言葉が見つからないばかりか。
うつ病を抱える自分の経験を、英雄譚と言えるかのように美化しようとしていました。
ストーリー性を持たせるように、自分の経験を書こうとしていたことを覚えています。
自分語りするような文章を、見てくださる誰かのことなど、蔑ろにするように。
私が経験したことを、小説家を気取るようにして、文字を起こしていました。
同時に、当時は訪問者数を。はてなブログで言うPV数に拘るように見ていました。
当然といえば、当然かも知れませんが。
あるがままをひた隠しながら、それでも尚見てくれる人ばかりを気にしているようなブログに。
足を運んでくださる方など、皆無でした。
それなのに、身勝手な私は「誰も、見てくれない」と勝手に悲観して。
自分には、思いを伝えられる文章力も無いんだと、言い訳にして。
僅か数記事を残しただけで、ブログを閉鎖しました。
今思えば、その時は。
私がかつて経験し、苦い思いを抱えている本音を伝えたいと思うあまりに。
ひたすら「こんな私を、どうかわかってください!」と言わんばかりに、一方通行の文章しか書けなかったと思っています。
次こそは、と意気込んだものの
一度頓挫する形で、思いを文字として、言葉にして。誰かに伝えようとすることを、私は勝手に諦めてしまっていました。
そんな時に。
車のプチオフ会(主催者なしの、個々の集まり)において、親友が「はてなブログを始めた」という言葉を耳にしました。
名前こそ聞いたことのあるものでしたが、一度ブログというものから身を引いた私に取って。
最初こそ、「あぁ、そうなのですね」と半ば流し気味に聞いていました。
しかし、時間を経るに連れて。
かつては、自分の経験や考え、思いを伝えようとするよりも。
恥や汚点をも見せることを怖がって。
「自分が抱える本当の思い」を、思うままに会話や言葉として声にできず、どこまでも美化しようしてばかりでした。
でも。
完全に重なることはないにしても、似たような痛みを味わい、抱え続けている誰かに対して。
私の思いや経験を、伝えたい。
思いを伝える手段が沢山ある中で、私が最終的に選んだもの、それは。
私の中で、最も好きで。
言葉にして、文章として綴っていくことでした。
元々、読書感想文のようなものは別としても。
卒業文集といった作文は、私の中では書くことをやめられずにいられる程、文章を書くことが好きでした。
400字詰の原稿用紙二枚までと言われても、「先生、もっと原稿用紙ください。書ききれません!」と駄々こねていた記憶すらあります。
こうして、はてなブログに登録し、本ブログを立ち上げることで。
思いを言葉とする場に、向き合うようになりました。
ブログで伝えたいことが、感情の捌け口になりかけた
登録を終えて、いざ記事を書き始めようとした私でしたが。
湧き上がる感情や思いばかりが浮かんでは消えていって。
思いを言葉にするには、程遠い文章ばかりが出来上がっていました。
省みるなら、かつて味わった失敗を繰り返えさんとばかりに。
一方的な、感情の捌け口。それがブログとなりかけていました。
しかし、同じ轍を踏むようなことはしたくない。
ブログという形で、本当に綴りたいことは。
私自身が抱える思いや考えを、文章として。
私のような考えや思いを抱える人間が、ここにいることを。
そして、本ブログをご閲覧くださる方々に、少しでも「ああ、それわかるよ」「こんな人もいるんだ」と知ってくださると共に、願わくは共感し合えるようになりたい。
そういった矜持だけは、最後まで守り通したいという思いを胸に刻んで、今に至っています。
ブログを続ける中で、変わり始めたこと
とは言いながらも、私は今でも文章を纏めて要点を伝えることが下手くそです。
本ブログを始めて、数記事は軽く5000文字を超えてしまい、中には8000字弱というものもありました。
それだけ伝えたい、と思いが先走っていたのだと思います。
ですが、自分で後々読み返してみると。
こんな長ったらしい記事を、最後まで御覧くださる方は、果たしているのだろうか。
よくよく見れば、同じような表現を繰り返していたり。一旦反省するような言葉を並べておきながら、結局似たような表現を使って自らの思いを貫き通そうとしていることに気が付き始めました。
これじゃあ、御覧くださる方から見れば。
私が本当に伝えたいことなんて、わからないはずだ。
何よりも私自身が、記事の趣旨が不明瞭だ、と感じ始めました。
そこで、ブログを綴る上で絶対に守ろうという指標を見出し、制約という形で設けるようになりました。
まず、「こんなことを書きたい」と思ったことを、仮でもいいからタイトルとして置く。
次に日々の流れを始めとするような、前置きを書いてから、本題に入るようにする。
目次を作ってから、タイトルに紐付ける形で見出しを設けることで、プロットという文章の骨組みを起承転結になるように作る。
文章の骨格を作ることができたら、あとは見出しを元にして、記事内で同じ言葉が出ないように表現方法を変えながら、文章を書き連ねて肉付けしていく。
最終段階で、誤字脱字や表現方法のダブリを確認しながら、校正して記事をアップする。
そのようなステップを踏みながら、私なりのブログの書き方を。文章の作り方を、学んでこられたつもりです。
3ヶ月と短いながらも、そういったことを心がけることによって、各記事を3000~5000字程度に抑えながら、自分でも納得できる形で文章を書き進められるようになり始めています。
それでも、まだまだ長ったらしい記事ばかりになりがちです。
しかしながら、かつては吐き出せる場所さえなく、頭の中で錯綜してはグチャグチャになっていた私の思いが。
少しずつではありますが、ブログを通して、思いを言葉にすることが出来始めている、と思えるようにになりました。
そして、何よりも。
毎日投稿「しなければ」という脅迫概念のようなものに飲まれないようにしながら、ここまでブログを続けることができていること。
それはPV数といった、目に見えた数値ではなく、飽く迄も。
文章を書くことが、本当に好きであることを改めて確信すると共に。
はてなブログ特有の、ご閲覧くださる方々のスター数やブックマーク機能、コメントに支えられていることで、挫折することなくここまで来ることができました。
特化型でもなく、分類としてはマイナーな話題ばかりの本ブログではありますが。
ご閲覧くださる皆さんに、この場をお借りして、御礼申し上げると共に。
今後とも、さらなる高みを目指し、本ブログを続けて参りたい所存です。
今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。