白兎と雪狼の、果てなき旅路

ドライブやドライブや写真撮影を趣味とし、その他、HSPやAセクシャル、イジメ。精神的・心理的なことについて綴っていきます。

【イジメ・トラウマ】いじめ後遺症 ~癒えない傷との闘い~

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 今宵より雪の予報となっておりますが、その前になんとか初詣に行って参りました、白兎です。

 

 皆様、如何お過ごしでしょうか。

 

 

 

 昨日、基本日深夜に記事とさせていただきました、イジメ。

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 自ら読み返してみて思った感想ですが。

 

 長いな、おい。

 6500文字を軽く超えて、これまで抱え続けてきた思いを感情任せに書いていたことを、少々反省いております。

 

 好きに書いても、どう表現しても良いと私は思いますが。

 

 もっと、大切なことを忘れていました。

 

 読んでくださる人たちが、読みやすいかどうか。

 記事を通して、最終的に伝えたいことは、何なのか。

 

 そこで、今回は前回の記事で中途半端になっていた内容と別に書き起こし、同時に、閲覧してくださる方たちのことを考えながら、ブログというものと向き合っていきたいと思っています。

 

 本日は、イジメという傷が人生に与える影響。

 社会生活のみならず、生きることそのものに苦痛を齎すもの。

 イジメ後遺症というものについて綴っていきたいと思います。

 

 

 ※注記※

 本内容は、私が個人的に得た知識や経験を元にしております。

 専門家ではありませんので、お読みになった上で仮に思い当たることがございましたら、精神科やカウンセリングを受診することを強く推奨いたします。

 ※注記終了※

 

 

 

 

 

 

 

 

 新たな始まり

 

 

 地獄の中学時代を終えた私は、自分というものを完全に失っていました。

 高校に進学しましたが、地元から離れた高校だったことは、私にとって救いとなりました。

 教室に、知る顔はほとんどいない。

 ある意味、孤独でした。それでも私からすれば、その方が良かったのです。

 中学まで付き合いがあった人間たちとは、全て縁切りを終えていました。

 携帯電話の電話帳を全て削除。メールアドレスや番号も変えて、晴れて絶縁完了。

 悪夢とも言えるイジメは、終わったんだ。

 そう信じていました。

 

 始めこそ、初対面の人間との交流は元来持つ人見知り癖で苦戦しましたが。

 一人のクラスメイト、としての立ち位置を、何とか取り戻すことができました。

 同級生からは、距離を保ちながらも冷静、でもツボに入った時は大笑いする、変わり者。

 クールビューティ、なんて言われたことさえありました。

 そう、これが私なんだ。

 そう、信じてきました。

 

 

 

 終わったはずなのに、残り続けた違和感

 

 特別目立つようなことはなく、寧ろ避けていた私でしたが、高校生活は比較的良好に過ごすことができました。

 静かながらも熱い気持ちを持った、理知的で生徒からも好かれる担任に恵まれ。

 最初こそ知らなかったものの、私を一人の「ヒト」として扱ってくれた同級生たち。

 

 

 しかし。

 自覚とまではいきませんが、違和感のような妙な感覚を抱き続けていました。

 

 顕著だったのが、人と目を合わせて会話ができなくなっていたことでした。

 面向かって話しているのに、私はどうしても、相手の目を見て話すことがどうしてもできませんでした。

 見ているのは、いつも喉元から胸元の辺り。

 偶然目が合ってしまうと、条件反射のように慌てて目を背けてしまう。

 それは、人見知りや気恥ずかしさでは、どうやらなさそうでした。

 

 また、思ってもいないのにも拘らず、嫉妬や劣等感のようなものを覚える癖が見についてしまったことです。

 勉強ができる、できない。

 運動ができる、できない。

 友人が、多いか少ないか。

 

 その思いを体現した言葉は、「私なんて」とか、「私には無理」だとか。

 自分を否定する言葉でした。

 

 その時こそあまり深く考えずにおりましたが。

 これが、後々大きな障害となってくることになりました。

 

 

 

 

 時を経るごとに

 

 

 高校を無事卒業し、専門学校に進学して。

 いよいよ社会人になる為の、専門知識を学ぶべく、上京しました。

 専門学校でも、立ち位置は然程それまでと変わらず。

 つるむような友人は少なくても、深く付き合える人たちとも出会えました。

 

 国家資格にも合格し、運転免許も取得して、内定を得るまで。

 この時期が、学生時代という中でも私が一番「黄金時代」と呼べる時間でした。

 それまで音楽というものに恐怖すら覚えて、カラオケに誘われても拒否し続けた私が。

 お恥ずかしながら、その歳になって初めて、カラオケというものに挑戦しました。

 幸いなことに、それなりの評判を受ける程度には歌えることに自信を持ることができ、今では友人が来ればとりあえずカラオケ、と言える程になりました。

 

 

 然れど、そこでも。

 自分自身に違和感を覚え続けていたことに変わりありませんでした。

 

 

 それまで使っていた一人称を、全て「私」と言うようになりました。

 公私拘らず使える、万能な一人称。相手が目上でも、目下でも。年上でも年下でも、同い年でも使える「私」という言葉。

 それと、無駄に敬語口調を使うようになったことでした。

 例えば、「わかった」という言葉を。

 「了解しました」「承知しました」「御意」。

 厨二病をこじらせたような、この二つの事柄。

 

 今なら言えることですが、中学までの苦いにも程がある経験を払拭したかった。

 否定された人格をなかったことにして、新しい「私」という人格を作りたかった。

 

 偽りという言葉に塗り固められた人格、自分。

 これも、社会に出てから、自分を追い込む要因になることとなりました。

 

 

 

 無理に無理を重ねた、軋み

 

 

 

 社会人として世間に出てからは、学生時代程苦戦はしなかったと記憶しています。

 歳が離れた先輩や上司。歳の差が多少ある同期。

 高校、専門学生時代に無理やり……それが無意識であったとしても……獲得し、自分のものにしてきたことが、功を奏しました。

 幸いにも先輩方に(半ば粗暴ながらも)可愛がられ、順風満帆とは言えないながらも、悪くないスタートを切ることができました。

 

 数少ない若手ということもあり、プレゼンを任されたり、少し特殊な仕事を任されたり。

 困難や戸惑いは勿論ありましたが、それでも、自分なりに納得のいく社会生活を送ることができていました。

 

 

 社会人になって、数年が経った時。

 ここで、それまで無理を重ねてきたものが、軋みを上げながら具現化し始めました。

 

 本当にたまたまでした。

 後輩が行ったプレゼンテーションに居合わせた時でした。

 その子の発表するプレゼンは、内容、話し方、度胸、声色。

 全てが素晴らしく、それを聞いていた上司たちが、祝賀会で大きく評価していました。

 

 それを見た、私は。

 

 本当に、何がなんだかわからない状態になって。

 これまで「創ってきた」自分など論外という気持ちに陥って。

 もう、パニックに近い状態になってしまいました。

 

 何も考えられなくなって、過呼吸気味になって。

 私は、その場を足早に、逃げるように去っていました。

 社会人失格と言われても仕方がない、上司への帰宅する旨すら伝えられないまま。

 

 

 そこから、私は再び崩れ始めました。

 あの時のように。

 

 

 

 

 待っていたのは

 

 

 それでも騙し騙し、自分というものを失わないように仕事に励んでいました。私という存在を、滑稽な程、見せたいが為に。

 裏に潜む、どうか私を見捨てないで。

 そんな思いを抱えながら。

 

 

 しかし、そこで待っていたものは。

 

 会社に行こうとしても、身体が起き上がらなくなり。

 仕事もミスばかりが増えて、担当内に迷惑ばかりかけて。

 食べ物も、身体が受け付けなくなって。

 生きている、理由がわからなくなって。

 死にたいという思いが、心を、全身を支配する。

 

 精神疾患、気分障害を患いました。

 

 どれだけ騙してきても。

 身体も、精神も。

 嘘は受け付けないものなのですね。

 

 自覚したら最後、私は本気で、無意識的に。

 包丁を、腹に半ば突き立てていました。

 

 

 

 死んでも良かった。消えたかった。でも……

 

 

 不思議なことと私は思います。

 人間って、「死」というものを意識して、支配された途端に。

 ありえない行動を、平気に取ってしまうんですよね。

 

 刃を、そのまま思い切り突き入れれば、どれだけ楽になれただろうか。

 痛みはあって然りでも、この気持ちから解放されるなら。

 死を。いえ、死ぬことより、私という存在が、この世の記憶という記憶から全て抹消されて、なかったことにできることを、望んでいました。

 無意識が、私という全てが。

 

 

 でも、何とか思い留まれました。

 

 自分の為では、決してありませんでした。

 私が死んだ後の、母や兄のこと。

 遺体の処理だとか、葬儀だとか。

 そして、一番は。

 「これ刺したら、痛いよなぁ……」

 

 という、最後の理性が、私を死の淵から無理やり引っ張り上げてくれました。

 

 それからすぐ、これ以上、馬鹿な真似をしたくないという思いから。

 精神科に受診しました。

 そして今も、治療が続いています。

 

 

 

 

 イジメ後遺症

 

 

 治療を続けながら、なんとか仕事をこなせる程度に戻ることはできました。

 しかしながら、この時になって初めて。

 高校時代から抱き続けていた、違和感の正体を突き止めたいと思うようになりました。

 

 幾ら投薬治療しても、恐らく、治ることはない

 違和感の要因を突き止めて。

 どれだけ苦しくても、正面から向き合わない限り、本当の自分を取り戻せない。

 そんな思いが募っていました。

 

 

 その矢先。まさに、青天の霹靂と言っても過言ではありませんでした。

 

 たまたま、朝の番組で取り上げられていた内容を、呆然とみていました。

 

 その内容が、いじめ後遺症というものでした。

 

 

 まさに、私が求めていたこと、そのものでした。

 番組ではイジメを経験したヒトが、その後の人生で何らかの症状を発症したことや、その経緯、経験談。

 いじめ後遺症かも?というチェックシートの紹介がされていました。

 

 これだ。

 すぐに私はネットで調べ尽くし、それがどのようなものかを知り、理解し、知識を得ました。

 

 いじめ後遺症。

 それは、読んで字の如く、イジメを受けても尚残る後遺症のことです。

 具体的には、自己肯定感が低くなったり、他人を信用できなくなったり、色んなことに自信を持てなくなってしまったり。

 他人が怖いが為に、コミュニケーション不全となって。低すぎる自己肯定感を補うように、他人に縋り付くように肯定を求める、他者肯定を得ることに躍起になる。

 そして、イジメを受けた場面を彷彿させる場面に出くわすと、フラッシュバックするように記憶が蘇り、パニックを引き起こす。

 最悪の場合、それらの症状により精神を蝕まれていき。

 果てには、精神を病んでしまうことになります。

 

 過去のイジメの経験を、どれだけ鎖で雁字搦めにして封印していたつもりでも。

 不図したきっかけで、いとも簡単に蘇って、現実のもととなって、いつまでも苦しみ続ける。

 

 人によっては、イジメから何十年経ってから発症し、退職や休職に追い込まれることという実例もあるそうです。

 

 私が抱えてきた違和感。

 それは、単なる仕事やプライベートのストレスだけではなく。

 イジメという、十数年も前に経験した地獄の日々。

 それが、いつまでも付き纏っていたということを知り、実感するに至りました。

 

 

 

 

 過去の出来事、という一言では済まされないこと

 

 

 それから私は、投薬のことばかりで話を聞こうとしなかったメンタルクリニックを改めて。

 親身になってくれる主治医を見つけ。

 カウンセラーという、普段吐き出せない思いを、言葉に出せる場を見つけて。

 

 そして、車のSNSやブログという場所に巡り合って。

 やっと今、自分という存在を肯定し、「私はこういう人間だ」と認めることが出来始めています。

 

 できました、と書けないのは。

 今尚悩みながら、自分というものを探し続けている為です。

 それだけ、イジメという害悪が齎すものは大きく、計り知れないものだと、私は思っています。

 

 私がこれまで悩み、苦しみ続けてきたこと全てを、イジメに当てはめるつもりはありません。

 

 でも。それでも。

 人格が否定され、一人のヒトとして蔑ろにされることが、どれだけ辛いことか。

 解決の糸口を見つけられても、どれだけ、終わりが見えない程遠いか。

 

 本当に幸いなことに、今の私は、誰にも言えずにいた昏い過去を言える親友がいます。

 主治医やカウンセラーという、味方を見つけることができました。

 

 

 もし、私のような……いえ、自分という存在に、少なからず違和感を抱き続けている方がいらっしゃるのなら。

 誰でも良い。打ち明けられることができる人を、一人でも多く見つけてください。

 

 私は相談するということに愚かさを覚えたが故に、愚直な程、一人で彷徨い続けました。

 ですので、これだけははっきり言えると自負しています。

 

 独りでは、解決するには限界がある過ぎる。続ければ、自分を壊してしまう。

 

 私は、回り道こそしましたが、それでも答えを見つけられたと思っています。

 

 

 イジメというものを、決して看過できない思いと共に。

 被害を受けた人が、少しでも救われることを、心の底から願っています。

 

 

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 風邪気味で会社を休んだ時、偶然、自室の窓から撮った雲。

 大きな鳥が、力強く飛んでいるように、私は感じる一枚です。

 

 

 今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。