白兎と雪狼の、果てなき旅路

ドライブやドライブや写真撮影を趣味とし、その他、HSPやAセクシャル、イジメ。精神的・心理的なことについて綴っていきます。

【Aセクシャル・人生】結婚していく同期たち ~疎遠になっていくばかり~

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 普段の仕事がシステム管理という業務をこなしている私ですはありますが。

 先日、久しく夜勤を伴う現場作業を遂行して参りました。

 

 半年弱パソコンやシステムとにらめっこする日々の連続で眼精疲労や肩の張りが気になっておりましたが。

 昼夜逆転となる仕事に久しく従事したことで、眠い目を擦りながら粛々と記事作成に勤しんでいる、白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 私の人間関係・友関係は深くとも決して広くないことを、これまでの記事で述べてまいりました。

 最近では最古参である、高校からの友人とも連絡を取り合うこともなくなりました。

 

 元来、他人に対しての興味が希薄な私は、心配という感情から自ら連絡することもなく。

 連絡が途絶えた友人たちの、本人の「連絡を取る余裕もない」と勝手に思う以上に。

 彼ら彼女らの家庭的な事情にさえ憶測を重ねてしまい、飽く迄も他人である私が介在するようなことはしてはならないと、感情や思いを抑制してきてばかりでした。

 そういった身勝手な思いを盾にするかのように、これまでも、ひたすらに受け身の姿勢を貫き通してきました。

 

 そして、かつて同じ職場で苦楽を共にし。

 酒盃を交わして互いの思いを語り合った会社の同期たちでさえも。

 

 結婚という契機を堺にして、私からも、相手からも連絡することがなくなって久しい日々を送るようになりました。

 

 結婚した彼ら彼女らの、その後の生活がどのように変化して。

 結婚し、子を育む親となった同期たちが、今どうしているのか。

 

 Aセクシャルを自負している、と言い訳にする私は。

 人を好きになって、愛し合って、家庭を築き上げていく。

 人が生きる上で当たり前であり、普通のことであると思えば思うほど。

 それを今でも理解できない私は、結婚した同期たちの生活を崩したくないという思いから、自ら一線を引くようになりました。

 

 

 今回は、結婚という大きな経緯を経た人たちと。

 人と交わることを理解できず、嫌悪し苦悩する私。

 

 理由はあれど、疎遠になってばかりいく現実と

 幾度も理解し決意したつもりでも、人を好きになって、愛することがわからない。

 それに対する葛藤や思いについて、綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 入社し不安だらけだった私と同期たち

 

 

 話が少し逸れますが。皆さんは、会社に初めて出社した時のことを。

 ドキドキした緊張感、右も左もわからない不安。

 そういったものを、覚えていらっしゃいますでしょうか。

 

 高卒、専門卒、大卒。

 最終学歴は違えども、入社した際に同じ年代であれば同期と呼ばれる同じ郭として扱われます。

 同級生、かつ同じ学校を卒業した同士なら兎も角としても。

 ほとんどの場合は、初めて顔を見る相手同士。

 新入社員と見られながらも、当人たちは「この人たちが、同じ年代として働く人たちなのか」という感想しか得られるものはないのかもしれません。

 

 私は、そういった人間の一人でした。

 

 配属されたのは、首都圏でした。

 配属先の上司や先輩たちと、上手くやっていけるのか。

 業務説明を受ける、席を同じとする同期は、どんな人たちなのだろうか。

 社会は、自分が就職した会社は、どういったものだろうか。

 

 同期という「仲間」を意識するよりも。

 過去の人格否定から来る人間不信を引き摺っていた私は、自己保身を求める余りに、後ろ向きな感情しか抱けずにいました。

 

 

 身勝手な思いを隠すかのように、新入社員向けの説明続ける人事担当の方の言葉を、私はひたすらメモし続けていました。

 

 そんな私に。

 たまたま隣に座っていて、担当も同じとなることが決まっていた同期の一人が、声をかけてきました。

 

「全部メモ取ってるんだ。凄いね」

 

 褒められたことも多くなかった私からすれば。

 その言葉は、同期と言えど赤の他人から頂戴するには余りに温かくて。優しい口調でした。

 驚いた私は、思考して言葉を考えることもできないまま。

「え?いや、その。今できることを、やってるだけだよ」

 と半ばぶっきらぼうに返した記憶があります。

 

 今思えば。

 照れ隠しするようにして、言い放った気もしています。

 

 そんな、私の思いはさておいて。

  声を掛けてくれたその人だけでなく。

 同じ担当に配属となった、別の二人とも言葉や思うを交わしながら。

 実際に業務を行って行く中で、志を共にしていくようになっていました。

 

 それだけで留まることなく、他担当に配属された同期も。

 最終学歴の差はあれど。

 そのような詰まらない杓子定規で計られない程、時間と共に互いを知り、理解し合いながら。

 同期という括りに囚われることなどないままに。

 

 時には、同じ社員寮に住む同士で、今時古いと思われるかもしれない、麻雀に明け暮れたり。

 近くのスポーツ施設で、バッティングセンターや卓球に入り浸り。

 また別の日には、日常生活に必要な食料品や日用品の買い出しまで共に行き。

 挙げ句には、夏の熱さを和らげる為に。

 近場のコンビニに、アイスを求めて共に歩き。各々好みのものを買い、それを食べながら寮へ戻る道中で、思いを語り合う。

 

 人によっては、中学や高校といった学生時代にしてきたことを。

 私にとって初めて、そのような「青春」と呼べるようなことを、同期と共に過ごしました。

 

 仕事から来るストレスより、遥かに安らぎを齎してくれたそのような時間。

 今では、懐かしいと思うと共に。

 そんな時代もあったな、と感傷に浸る時さえあります。

 

 

 

 転勤しても、同期と機会を設けて酒盃を重ねて

 

 

 当時の会社は、新入社員の地方への転勤や配属というものがありませんでした。

 地方出身の私は、初めての配属先で仕事を続けて、1年と半年で、地方である地元に異動することとなりました。

 

 短い期間ではありましたが、盛大に見送りしてもらった私は。

 新天地で、再び仕事に勤しむ毎日を送り始めました。

 

 しかしながら、研修や出張で首都圏に赴いた折々に。

 かつて同じ職場で働いていた同期と連絡を取って。

 互いの近況報告や仕事や、会社への思い。

 そういったものを含めて語り合う、お酒の場を設けてきました。

 

 時には、居酒屋で。別の時は、同期のアパートの一室で。

 時間と共に、歳を取り、別々の経験をしながらも。

 語らう時間は、いつまでも変わらないまま。

 各々の思いを、変に隠す必要もないまま、ひたすら語り続けていました。

 

 同期というものを、時を経るに連れて。

 掛け替えのない、戦友とも思えるようになっていた、私でした。

 

 

 然れど。

 お酒の場が増えていくに連れて、もう一つ、別の話題が飛び交うようにもなっていました。

 

 人生のパートナーや、結婚に関すること。

 

 私も一時はパートナーを見つけ、同じ時間に浸ることもありました。

 しかしそういった経験も、数少ないとは言え、全て破局し。

 人生のパートナーを持つことや、その先の結婚について、意義を見出だせないままでいました。

 

 そんな私に、同期は熱く語りました。

 パートナーといる時間は、時々嫌気が差したり喧嘩になることもあるけれど。

 それ以上に「幸せだ」と、迷いなき瞳で私を貫き通しました。

 

 また別の同期は、こう言いました。

 お互いを、空気と同じように、一緒にいることが当たり前で。

 違和感がない間柄だ、と。

 

 それらの揺るぎない想いを目の当たりにし。

 私は、馬鹿みたいにひたすら「うーん、わからないよ、私には。人を好きになることや、愛することって、どういうことなのか」と繰り返すことしかできずにいました。

 

 挙げ句に「人を好きになるって、どういう感覚で、どういう感情になるのか、教えてほしい」と、烏滸がましい疑念をぶつけたこともありました。

 それ位、私は理解することができない自分を。

 熱くて真っ直ぐな同期たちと比べるようにして、フラストレーションのようなものを覚えていた記憶があります。

 

 そんな私に。

 

 きっと、いい人が見つかるよ。

 そういう思いを感じられる人と、出会っていないだけじゃないかな。

 

 私を気遣っての言葉だった、と信じたいと思いながらも。

 同期たちの言葉は、鋭利な刃となって私の心に次々と突き刺さりました。

 

 そこで反論するようなことをして、事を荒立てることを嫌った私は「そんなものなのかなぁ」と流し気味で酒盃を煽るようにして。

 酒と共に、今尚消えることのない違和感のような思いを飲み干すのでした。

 

 

 

 結婚式への招待状は、日に日に増して

 

 

 それまで同期と会い、お酒を楽しむだけでなく遊び耽ることも多かった私でしたが。

 同期たちの、パートナーとの話題が増えていくに連れ。

 

 彼ら彼女らの時間を。

 私のような人間が、邪魔をするようなことはしたくない。

 

 同時に、その頃からでしょうか。

 少しずつ、互いに連絡を取り合うことも減っていき。

 時折首都圏へ赴くことがあり、お酒の場に誘うようなことがあっても。

 仕事が忙しいと、断られることが多くなりました。

 

 私は、下手な憶測に憶測を重ねていました。

 

 同期たちは、時を重ね、パートナーを見つけて。

 確実に、ヒトとして真っ当な道を歩み始めていることを。

 恋愛感情や性的意欲さえ見出だせない私とは、根本的に違うんだ、と。

 

 

 そして、あたかもラッシュかのように。

 同期らからの、結婚式の招待状が届くようになりました。

 

 幸いにも「結婚したくても相手がいない」という思いは抱かなかった私は、結婚する同期たちを祝いたいという感情の方が上回り続けることができました。

 時には、式場で振る舞われる料理やアルコール類に手すらだせない大風邪を引いた時に招待されることもありました。

 出席することで、別の意味で迷惑をかけるかもしれないと思いながらも。

 人生の新たな門出を、応援したいという気持ちと気力を振り絞って、出席させていただいたことさえあります。

 

 その時に、同期の親族の方から。

 

 「ごめんなさいね、お身体崩されているのに」

 と仰られた時。

 「あ、いえ。こちらこそ申し訳ありません、こんな有様で」

 などと、平謝りに徹したこともありました。

 

 本来なら、お祝いと応援したい気持ちを出したいのに。

  何で私は、逆に心配される立場になっているんだ。

 

 愛想笑いもいつの間にか覚えて、喩え薬を以てしても、自分の感情や精神をコントロールするような身になっていました。

 

 それなのに。

 門出を祝う場でさえ、どうして私は。

 自分の身を心配される無様な姿を晒しておきながら、それでも。

 好きになることも。愛し合って、結婚する意義がわからないんだ。

 

  あの時、脳裏を過ぎった思いは。

 今も、忘れることが出来ずにいます。

 

 

 

 

 いつしか疎遠になった、同期たちと私

 

 

 同期たちの結婚式に招待され、早数年が過ぎ去ろうとしています。

 

 その後の彼ら彼女らは、子を授かり、気恥ずかしそうにしながらも満面の笑みを浮かべていたことは覚えています。

 

 今、結婚し子を育む同期たちは。

 

 幸せか否かを、私は知りません。

 

 日常会話でも、基本受け身で。SNSを通しても、相手からの発信がなければ、私は自ら働きかけることはほとんどありません。

 

 それ故か、かつて情報のやり取りをし、自らの思いを吐き出し合う仲だった同期たちとも。

 意識することもないまま、すっかり疎遠になっています。

 

 その要因が、結婚した同期たちが新たに築いた家庭の忙しさ故なのか、連絡もよこさない私を見限ったのか。

 憶測の域を出ない以上、断定してはならないと私自身に言い聞かせています。

 

 それと共に。

 私はどうなのかと問われれば。

 結婚した同期たちへの嫉妬のような感情は、今でも何一つ浮かんでおりません。

 それ以上に、同期たちの私生活を、私という個人が介入することで邪魔したくない、という思いが先走るのは確かです。

 

 そして、幸せなのか否かはわからずにいながらも。

 

 恋愛し、愛し合って結婚した、同期たちの思いや感情を。

 理解できないという建前で、私は受け入れたくない。

 感化、されたくない。

 

 そんな身勝手な思いがあるのではないかと、自分を疑うように見始めています。

 

 

 人を好きになり、愛し、子孫を残す。

 同期という、目の前で熱く繰り広げられるヒトとしての生き方を。

 

 私は、理解できないのか。

 それとも、理解しようとしないかのように、遠ざけているのか。

 未だに、その真意を、自分のことなのに見出だせずにいます。

 

 Aセクシャルという言葉を知った今は、そういった生き方もあると信じ、自分の全てを世間の「普通」というものに当てはめなくても良いと確信した。

 はずなのに。

 

 この揺れ動いて、今尚思い悩ませるものは。

 

 私の決意の弱さなのか。それとも、自分ですらわからない感情の錯綜なのか。

 私には、どこまで考えてもわからない。

 

 

 

 誰か……。

 

 ……教えてください。

 

 

 

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。 

  

 

 

 

 

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