新型肺炎ウイルスの感染者が、ついに私の住む地域でも出てしまいました。
これまでは「感染者、どう考えても報道の10倍以上はいるだろうな」だとか「感染拡大に乗じて転売や詐欺をする狡猾な奴もいるんだな」などと、どこか他人事のように考えていました。
しかしいざ、パンデミックが目の前に差し迫った途端に。
狼狽するように精神を揺さぶられて、それまで何事もなくこなしてきた仕事にさえ集中できずにミスばかり起こして。
全てのことにやる気や活気を失いかけて、自暴自棄になるかのような気持ちで帰路につきました。
いつかは起こり得るかもしれない。発症しても仕方がないなどと、中途半端な覚悟を抱いておきながら。
目に見えない脅威が現実のものになりかけている瞬間を想像しただけで。
一変して、どうしたら良いんだろうと狼狽えています。
私自身が感染して発症することに、恐怖はありません。
それよりも。
身内や友人、そして職場の人々にウイルスを広げてしまう媒介者になりたくないという思いから。
月明かりすらない、宵闇の中に独り立たされているような不安に刈られている、白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
新型肺炎絡みの報道は、朗報など皆無な現状は、不安に満ち溢れていることと思っています。
新型肺炎のみならず。
皆さんは、不意に不安に刈られ、恐れるあまりに身動きが取れなくなるようなことはありますでしょうか。
私は、日常茶飯事の如く不安を抱き、思考停止に陥りかけることだらけです。
時には、必要以上の不安を抱えるあまりに。
自分というものを失いかけそうになるまでに、心をへし折られかけることさえあります。
今回は、新型肺炎の件だけでなく。
日常で何気なく感じることもあれば、「どうしよう……」と立ち止まってしまうことさえあり得るもの。
希望と言う名の光すら消しかねない、不安というものについて、綴っていきたいと思います。
※注記※
本記事は、私個人が抱え、経験してきた内容を独白する内容が多くなります。
主観的意見や思いが多数を占める為、そういったことが苦手、或いは不快と感じる方がいらっしゃいましたら、誠に勝手ながらお引き返しいただきますよう、お願いいたします。
※注記終了※
新型肺炎の脅威、膨らむ不安
新型肺炎ウイルスの発生から、2ヶ月が経とうとしている今現在でも、状況改善する様子は見られません。
日本国内だけでも次々と感染情報が流れ続ける中、それに対して検査強化をするといった具体的な対応策が成される訳でもなく、ただ繰り返すようにに「引き続き警戒を強めていく」というお茶を濁すような言葉ばかりが目立ちます。
また感染された方の治療状況や、感染確認されたその後については不明瞭なまま。
そして最も感じるのは、国によっては一日数百人単位で感染者が発見されているのにも拘らず、日本だけが感染状況が不気味なまでに穏やか過ぎることです。
そんな混乱と不安ばかりが広がるものしかないのに、冷静な対応を求められても無理があります。
幸いなことに、トイレットペーパーやティッシュペーパーは在庫切れが続いていましたが、ようやく店頭に姿を現し始めてました。
しかし、相変わらずマスクは入荷未定の張り紙が消えることはありません。
不安も去ることながら、訝しさや憤りにも似た感情を燻ぶらせていた中で。
自分が住む地域で感染者が確認された報道を受けて、私の中で一気に、不安という感情が飛び抜けることとなりました。
それ以外の不安も、日頃から抱き続けてきた
今回の騒動を受けて、一気に大きな不安を抱いた私ではありますが。
それ以外の不安や恐怖、心配事。
私は小さい頃から、常日頃抱いていました。
対外的な面では。
時間を忘れて、学校や公園で友達と呼べた人たちと遊んでいるような時でも。
部活に勤しみ、仲間と呼べた人たちと共に切磋琢磨する中でも。
学級会や文化祭、音楽鑑賞会といった、クラスだけでなく学校全体が盛り上がるような舞台に立ち、その前から練習に明け暮れた際でも。
社会人として会社勤めするようになって、今に至っても。
身内の中でさえ。
恋愛結婚したことが嘘のように思える程、喧嘩を絶やさなかった祖父母。
真逆を行くように、言葉さえ交わさず、結局今日まで家庭内別居とも呼べる立場や姿勢を崩さなかった両親。
歳の差はあれど喧嘩した回数は片手で数えるしかない兄が、いつの間にか家からいなくなって、精神を病んで帰ってきたこと。
そして、イジメを経緯に他人というものに十代半ばにして見切りを付け、「人生を語るなんて、夢物語さ」などと達観したように振る舞っていながら。
それ以上に自分自身を見限って、心の奥底では、埋まらない心の隙間を埋める誰かを求めていた、私自身。
いつまで経っても、どこまで行っても。
私は、臆病者です。
ブログとして記事に上げている今の私は、差異はあれど、多少なりとも客観的に自分というものを見ることができるようになりかけていますが。
過去のその時々は、不安と恐怖に、ひたすら怯えるように生き永らえることが、精一杯でした。
何度も、不安に心をへし折られてきた
私は、それこそ数えることをやめてしまった程、数多の不安に心を折られかけてきました。
学校でも、身内でも、そして、自分自身に対しても。
日常的にとも言える程にまで感じていた不安を言葉にして、周りに伝えることなどできず。不安や恐怖にただ、怯えてばかりでした。
そういった時々に、自分なりの意見や思いを伝えられることができれば、少しでも何かが変わっていたのかもしれない。
そんな、あまりにも遅過ぎる後悔の念を、抱いて久しいです。
私は。
自分に危害や損害が出そうな問題に直面した時。
解決しようと努力するよりも、真っ先に自分の身を守ろうとして。
一目散に逃げることを。その場から如何に早く逃げる為に、全力を尽くそうとします。
そんな、臆病で卑怯な人間です。
故に然るべき、なのかもしれません。
不安や恐怖に立ち向かおうともせずに、逃げる姿勢ばかり見せてきた私を、学生時代に真っ向から否定されて、拒絶されて。
不安と共にへし折られた心を、それでも繋ぎ止めるかのよに。
他人など、信用も信頼もできないという思いが、私を支配していました。
社会人になっても尚。
かつて私自身が、周りに失望され拒絶されるという不安を絶対的に避けるかのように仕事にばかり集中して、忙しさやキャパシティを遥かに超えているという自分の警告を無視し続けた結果。
精神を蝕み、正常な判断はおろか。
自分が生きる意味さえ見出だせなくなる、精神的な意味では「死んでいるも同然」とも言える病を患って。
今尚精神科に通い、カウンセリングを受けるようになるに至ります。
不安や眼の前の恐怖に対する、私の行動理念は。
自分が助かりたい。
逃げることで、安らぎを得たい。
そう思い返せばする程、色濃くなって。
時々、無性に自分への嫌悪が一層強くことさえあります。
不安に怯える私に、親友が掛けてくれた言葉
新型肺炎ウイルスが住む地域で発見されたことを目の当たりにした日。
この時も、心が折れそうになる程の不安に刈られ、ブログにも手を出せない程になっていました。
そんな時、私に掛けてくれた、親友の言葉があります。
「風邪やインフルエンザを発症した時、熱や鼻水、痰を出す。それは、身体の持つ免疫が病原体に対して懸命に戦っている証拠。免疫は身体を守る、言わば兵士であること。
花粉症やアレルギー反応は、免疫という兵士たちが過剰反応してしまっている。
薬で症状を抑えることはできても、それ以上に身体へ余計な負担を掛けることや副作用が出ることの方が厄介である。
薬やサプリメントは、飽く迄「援護部隊」であって、本当に大切なのは、自分の身体の持つ免疫力。
病気と戦う兵士たち。免疫力を高める為に、適度で質の高い睡眠を取り、栄養のある食べ物を食べて、耐性を付けていくことが、大事ではないか」
そう聴いた途端、私は自分が精神科医でも言い続けてきた言葉を思い出すと共に。
それすら忘れる程の不安と恐怖に陥っていたそれまでの自分が、急に馬鹿らしくなりました。
親友が掛けてくれたことで、再び思い出したこと、それは。
現実に向き合って、必死に戦っているのは、他の誰でもない自分自身であること。
抗うつ薬や精神安定剤は、弱ってしまった自分の精神を助けてくれる援護部隊である。
薬に頼り切るのではなく、薬に応援して貰う。
薬を飲むことで副作用などの不安を恐れるより、助けてくれる存在と考えれば。
うつ病を持つ自分がを、おかしいだとか、狂ってしまっているなんて、思わなくても大丈夫。
そんな思いから、私は今回の新型肺炎ウイルスも、考え方次第では同じなのではないか、と気づくことができました。
私はまた、親友に救われて。感謝する思いを伝えると共に。
もう一度、現実に向き合う覚悟のようなものを、抱くことができました。
不安を、享受する覚悟
数十年生きてきた今でも、不安というものは私に常につきまとっています。
現実で起きているパンデミックの前に、私はまた、不安に乗っ取られかけて、押し潰されそうになりました。
時には、無駄死にするように挑むようなことなどせず、逃げることも大切だと思っています。
でも、いつの間にか芽生え意識し続けてきた思い。
親友の言葉に助けられて、それを再び思い出した今。
不安だらけの現実に、しっかりとこの目で見据えて、錯綜する情報を自分なりに取捨選択し。
戦う訳ではないにせよ、必要以上に恐れをなして、踊らされるように逃げ回るように。
不安に弄ばれるような、無様な姿は見せたくない。
自分に、そうやってしっかりと言い聞かせています。
願わくは。
今尚衰えることのないウイルスの脅威。そこから放たれる不安や恐怖が、少しでも早く潰えることを、願っています。
今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。