白兎と雪狼の、果てなき旅路

ドライブやドライブや写真撮影を趣味とし、その他、HSPやAセクシャル、イジメ。精神的・心理的なことについて綴っていきます。

【車・趣味】時期外れのアクセラ旅路 ~静かに営む喫茶店編~

 長野では最近、地震が多発しています。先週の1周間だけで、10回以上の揺れが観測されたそうです。

 

 今の所大きな被害は出ておりませんが、また一つ先行きの見えない不安が増えてしまったと感じずにはいられない、白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 今回は、茶臼山動物絵を後にした私たちが、偶然立ち寄った喫茶店にて。

 時代を超えた懐古的な時間を過ごせたことについて、綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 かつて栄えた町

 

 

 1998年の長野五輪が開催されることを受け、1997年に長野新幹線(現北陸新幹線)が開通しました。

 それ伴い佐久平駅が新設され、それまで田園地帯であった一帯は商業施設らが立ち並ぶようになり。

 市の中心地は、一気にそこへ移ることとなりました。

 当時は大きなショッピングモールも開店したこともあり、小学生だった私は夢が広がっていましたが。

 同時に、かつて買い物や娯楽の中心地だった町が、急激に過疎化していくことになりました。

 

 その一つが、小海線の駅がある中込という場所です。

 

 昼は商店街、夜は飲み屋街となり。見どころが少ない佐久市の中でも、路地やレンガ詰め、街頭はお洒落なデザイン。佐久市の中でも垢抜けている場所でした。

 そして中込駅から歩いて数分の所に、大きなショッピングモールもありました。

 幼い頃は良く、亡き祖父と共に出かけてはゲームセンターで遊んでいました。

 当時のゲームセンターは、ワンプレイ50円。100円玉を50円玉二枚に両替するオレンジ色の両替機が、今でも記憶に残っています。

 

 

 それが今では。

 佐久平駅周辺に客を取られ、客足が減り業績が悪化したショッピングモールは閉店し解体。現在は介護施設となっています。

 近くにあった映画館も閉館し、個人経営していた商店街のお店も数が減り続け、今はシャッター街と成り果てています。

 

 拍車を掛けるかのように、近場だからという理由も重なり、それ移行行くこともなくなっていました。

 

 幼少期の思い出が詰まったそこへ。かつて何度も来ていたというたーぼぅさんの希望により、赴くこととなりました。

 

 

 

 

 静かに営む喫茶店

 

 

 すっかり日も落ち、僅かな街頭だけが町を照らしていました。

 人の往来も少なく、すっかり寂れた町並みに、20年以上ぶりに降り立ちました。

 

 目的は、たーぼぅさんが思い出の時間を過ごしたという、小さな喫茶店でした。

 

 

 喫茶店と言えば、一昔前なら至る所に点在していました。

 私の住む家から車で少し行った所にも、行きつけとは言えずとも何度も寄った喫茶店がありました。

 店内に漂う、コーヒーや紅茶の仄かな香り。ゆったり座れる長椅子と、机に乗ったルーレット式おみくじ機。時代掛かったスピーカーから流れてくる、オルゴール調のBGM。

 ゲームも庶民には手の出しにくかった時代、待ち時間は木でできたボール迷路で遊び耽って。

 出てくる料理は、手作りで熱々で、優しい味が口いっぱいに広がりました。

 

 次第に喫茶店も、コーヒーショップブームの波に押されるようにして、次々と閉店していきました。

 

 席と席が近く、肩狭く飲むコーヒーショップよりも。

 ゆったりと寛げる喫茶店の方が、私は好みです。

 

 

 さて、虫の声すらない静かな町を軽く見回すと。

 ある店舗の一角の二階が、淡い電球色を放つお店がありました。

 

 近づきながら、その入口を見た途端。

 たーぼぅさんが、感嘆の声を上げました。

 地元民の私も知らなかったその場所は。探し求めていた喫茶店でした。

 

 

 

 

 時代を超えた音響の品々

 

 

 

 

 出迎えてくれたマスターは、柔和な表情を浮かべた、見た目では70代程の男性でした。

 適当な席に座り、注文を済ませて周りを見渡すと。

 

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 特捜もので見た記憶のある、とてつもなく大きなリール。

 話を聞くと、これはオープンリールデッキという音響記録・再生機器ものだそうです。

 私の中で最古の音響機器はカセットテープだった為、それよりも前の代物です。

 

 現在のデジタル機器はボタン一つで機械側が音を分析し、低音や高音、ボーカルの声を自動調整してくれます。簡単である一方で、具体的にどのような調整を行っているかは機械任せになる為、処理そのものがブラックボックス化しています。

 

 一方で大きな機材を前にしたマスターが電源を入れ、何やらカチカチとスイッチを入れ、ツマミを少しずつ回していました。

 この音響機材は全て手動で調整を行い、音割れせずかつ小さくなり過ぎないよう微調整が必要らしく、操作する人の手や耳の感覚がものを言うそうです。

 これが、職人技というものだと思う瞬間でした。

 

 良し、と頷いたマスター。

 

 その機材は壁際の超大型スピーカーに接続されており。

 流れてくる音楽は。心地好い低音を響かせ、透き通った高音が絶妙に絡み合った、曇りのない音を店内を包みました。

 

 

 初めて聞くのに、どうしてか、懐かしさを懐きながら。

 私は言葉を失ったかのように、ひたすら聞き入っていました。

 

 その後、注文した料理と飲み物が運ばれたきました。

 私が頼んだのは、ミートソース。出来たてのそれは湯気を立たせ、煮込まれたトマトの芳醇な香りが鼻を優しく刺激します。

 驚いたのが、思い浮かべていたミートソースパスタと異なり、ピーマンやマッシュルーム以外のキノコといった具材が、沢山乗せられていたことです。

 具沢山のミートソースパスタを、店内で奏でられるBGMと共に、楽しむようにしながらゆっくり食べていきました。

 このお店で食べるのは初めてでした。しかし、優しさと味わい深さは、昔喫茶店で食べた味を彷彿させるのでした。

 

 

 食べ終わり、アイスティーを口に含んで、ホッと一息。 

 

 店内を、少し歩き回ってみることにしました。

 すると。

 

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 映像作品では見たことはありました。母の思い出話でも聞いて育ちました。

 蓄音機とレコード。実物を見るのも、実際にレコードが回転し音を奏でる様子も、初めて見ました。

 

 少し雑音が混じりながらも。加工されていない、まさに生の音とでも言えばいいのでしょうか。

 

 音には敏感でも、音にそのものに疎く拘りを抱かないでいた私でしたが。

 

 アナログならではの柔らかく、優しい音色に。すっかり魅了されていました。

 

 

 

 心の底から響く音。浸る懐古

 

 

 

 ※注記※

 ここから述べる事項は、物理学や数学を学ばなかった故に、世間的に公表されている情報を元に文字として起こしています。

 同時に、科学的根拠はなくとも、私が個人的主観に基づいた意見に偏ります。

 専門的な知識をお持ちの方には、違和感や「それは違う」と思うことがあるかと思いますが、どうかご容赦願えればと思います。

 これに対しご意見や疑問を抱いた際には、お手数ですが問い合わせフォームよりご意見くだされば幸いです。

 内容により、本記事を修正。或いは問題箇所を削除いたします。

 ※注記終了※

 

 

 

 物体、空気を振動させることで伝わる、音。

 音波とも呼ばれる、その発信源たる音響機器は、時代と共に進化、発展してきました。

 

 私たちが、今や当たり前として使っている音響機材。それが例えばスマホであっても、パソコンであっても。

 それらは全て、デジタル化された情報です。

 

 それと対を成すように、今回の喫茶店で聞いた音楽は。オープンリールデッキやレコードから発せられたアナログ的な音源とは根本的に異なっていたことだけは、確かな事実でした。

 

 デジタル化された情報は、喩え音楽というものであっても。一つのデータとして扱われ、ソフトウェア上でも音楽データの一つとして振る舞います。

 

 データ化される以上、アナログ的な情報では確かに存在する音波があったとしても。「0か1か」で判断されるデジタルでは、微妙な波形は最適化される形で誇張、或いは存在しないものと扱われ。

 端的に言えば、人間の聴覚では探知できないような超高音域や超低音域は切り捨てられ、代わりに可聴域を増大する形で補完されるように形成され、私たち人間に届くデータとなります。

 

 

 それらは、ある程度の修正は可能です。しかし最終的には機械に委ねられてしまうと、私は考えています。

 

 

 一方で、一般的には揶揄されたり時代錯誤と呼ばれることもあるアナログ的な情報は。

 録音された音源を、連続的な音波として忠実に再生し、私たちの耳に届きます。

 

 経年劣化や摩耗といった、物理的損耗による雑音や音飛びを出してしまうことがあったとしても。

 

 ノイズを始めとした不要な音も的確に再生しながらも、深みと響きある音を目の前にした私は。

 

 これが、心の奥底から響く音なのだろうと、感じずにはいられませんでした。

 

 決してデジタル的な音源を悪く言うつもりも、アナログ万歳というつもりもありません。

 

 寧ろ。

 デジタル的な情報が当たり前の世の中を過ごしてきた私には、アナログが齎す音は、逆に新鮮と言えるものでした。

 

 

 アナログとデジタル。

 時代に左右される両者ではあるものの。どちらが良くて、どちらが悪いとも言えないと個人的に思いながら。

 

 テレビを始めとして、古い技術と言われて久しいアナログがあったからこそ、今のデジタルがあると思うと共に。

 今だからこそ、簡単に手に入れることができる、ある意味機械的な技術であるデジタルというものは。

 

 飽く迄自然的で、無限大で。技術屋と称される方々がいたことで、初めて手にすることができたアナログというものが、根本に存在することを。

 それが齎す奥行きの深さや壮大さがあるからこそ。

 現代では常識で、手にできて当たり前とも言えるデジタル情報があるのではないかと、思えてなりません。

 

 偶然的に出会った、オープンリールデッキや蓄音機、レコードが齎してくれた音楽を聞けたことで。

 その思いが、懐古という形で一層強くなり。

 古い技術は、必ずしも現代に劣るものではないと、確信することとなりました。

 

 

 寂れた町並みで出会った喫茶店。そのマスターが「趣味ですから」と微笑みながら大切にしていた、数世代前の機器は。

 忘れては失礼であると思う、一夜となるのでした。

 

 

 

 今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

【車・趣味】時期外れのアクセラ旅路 ~動物園・終盤編~

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 動物園編も、いよいよ最後となります。

 

 茶臼山動物園、第三弾を綴って参ります。

 

 

 

 

 

 のんびりマッタリ・レッサーパンダ

 

 

 伊豆でもカメラに収めてきましたが。

 こちらでも多くのレッサーパンダたちが、私たちを待っていました。

 

 

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 木の上でお休み中の子もいましたが。

 外にいる子たちは若くて元気な子が多く、この日は陽光に富み、暖かさを齎していました。

 その為か、活発に動く子も。

 

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 デフォルメされた絵などでは可愛く描かれることが多いですが。

 本物は、意外と強面です。

 

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 青空を背景にする強面も、凛々しさのようにも見えて。

 肉球に触りたいという思いを跳ね返す程、力強い生きる意思を示していました。 

 

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 でも、やっぱり眠いよね。

 

 

 更に進むと、レッサーパンダ専用の屋内施設が。

 こちらは歳を重ねた子が多く、と案内板には書かれていました。

 

 

 しかしその実は、年齢など関係ないと言うばかりに。

 

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 温かく調整された室内を、堂々とした足取りで歩き回っていました。

 この室内はアクリル板で個室が設けられていましたが、実際は木の枝を伝って、張り巡らされた梁を使うことで別個室に移動ができるような造りとなっていました。

 自由に歩き回れることは、檻という限られた空間に入れられるよりも。

 ストレスは、ずっと少ないはずです。

 

 人間にも、同じようなことが言えると思っています。

 家といった限られた空間に閉じこもることは、外界からのストレスを遮断できることは確かではあります。

 しかし一方で、別のストレスを抱えることになると言っても過言ではないと思います。

 孤独、閉塞感、圧迫感。そして奪われる、自由。

 ストレス社会と呼ばれる現代ではありますが。ストレスフリーになることは、決してないと思います。

 何事にも言えますが。適量、適当、適度さが大事なのかな、と思い耽りました。

 

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  歳を取っても。毛並みが乱れてしまう程弱ってしまっても。

 この子たちのように、生きる現実を真っ直ぐな瞳で見据えて。動じない強さのようなものを。

 願わくは、自分が歳を重ねた時には、持っていたいと思うのでした。

 

 

 

 寝床へ帰っていく、動物たち

 

 

 閉園時間を間近として、飼育員さんたちが園内の清掃と動物たちを宿舎へ戻す為に動き始めていました。

 付けられた名前を呼ばれて。素直に帰っていく子もいれば。

 まだ外で遊び足りないのか、そっぽ向いて飼育員さんを困らせる子もいました。

 

 その様を見ながら、思わず頬を緩ませてしまいながらも。

 一日の終わりを感じさせて。何だか、寂しい思いが少しだけ込み上げて。

 

 それ以上の癒やしをくれた動物たちに別れを告げながら、私たちは帰路に就きました。

 

 

 

  癒やしと共に

 

 

 

 動物園を訪れたのは、本当に数十年ぶりでした。

 園内に漂う、獣の臭い。四方八方から聞こえてくる、鳴き声。

 数多くの動物たちが、様々な仕草や表情を浮かべる園内。

 

 小さい頃は、檻の中にいる動物を見つけるだけでワクワクして。迫力にドキドキして。

 「あ、いた!いたよ!」とはしゃいでいました。

 

 そんな思いも、学校という閉鎖された空間に閉じ込められたことを切っ掛けとして。

 動物たちよりも、ゲームや玩具、アニメといったものに興味が移っていきました。

 

 その頃にはすっかり、動物園に行くのはもっと小さい子どもたちが行く場所だろう勝手に決めつけて。

 動物と触れ合うことを「まだまだ子どもだな」などと自分も幼いにも拘らず、思い込むばかりに恥ずかしさとなって。

 動物たちと、知らない間に疎遠になっていました。

 

 

 様々な経験をして、人間不信をこじらせて。果てには人間を嫌うようになって、心もズタズタになった私は。

 思いつきでとは言え、訪れた動物園で。喩え間接的であったとしても、触れ合うことで。

 自由きままでありながら、生きることに懸命で、そして活き活きとしていました。

 

 その姿を見て。写真に収めて。予測などできない仕草や行動を取る彼ら彼女らは。

 

 理性を持っているが故に、いつしか行動そのものに自ら制限を付けてきた私たちヒトと違って。

 どこまでも生存本能に従順で、あるがままの姿を見せ付けていました。

 

 時には、種の存続故に力や威厳を以て制することはあっても。

 武器も持たないヒトが、同じヒトに殺されたり排他されることを恐れるばかりに。

 

 卑下や謙るといった、培って、育んでいきながら。いつの間にか「そうすることが当たり前」という概念として、根付きながら蔓延しているように思えるのは、私だけなのでしょうか。

  

  弱肉強食という言葉がある位、自然界で生きる動物たちは。食うか食われるかという立場を、生まれながら背負って。

 それでも種を絶てまいとする、個としての強さを各々の武器としながらも懸命に生きる動物たちは。

 常に死と隣り合わせで生きてきた遺伝子があるからこそ。動物園という、ヒトに「飼われる」立場になったとしても。

  種により異なりながらも、威風堂々と過ごす様は。

 頭脳ばかりが発達し、それにより様々な発展を遂げてきたヒトの前には。

 

 同じヒトという種族が、利権を巡って戦い、和解することをやめなかった私たちに。

 

 

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 詰まらない争いばかり繰り返して、それで満足するのか?

 

 問うように放たれる、無言の言葉に。

 私は、何一つ答えらしい答えを見出すことはできませんでした。

 

 それに対する償い、と言っては過言にはなりますが。

 力強く、ひたすらに生きる意志を全面に出しながら。その自然体故に、時折見せるお茶目であったり間抜けたように見える姿は。

 

 迫力と恐怖に感じさせることがあっても。見詰められる瞳に応えることができれば癒やしとなって。

 生きることに対して、絶望の淵に立たされたヒトに。

 

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 生きろ。

 

 飾り気がない分、全ての思いが詰まった一言だけを、投げかけているように。

 言葉はなくとも。可愛さや凛々しさ。そして精悍さを以て。

 私たちに癒やしを齎しながら、そんな思いを発しているかのようでした。

 

 

 

 今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

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【車・趣味】時期外れのアクセラ旅路 ~動物園・中盤編~

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 さて、早速ではありますが。

 茶臼山動物園、第二弾を綴って参ります。

 

 

 

 

 

 

 食事に夢中のアルパカさん

 

 

 序盤編でも触れましたが、山沿いに造られた茶臼山動物園は各エリアが上下に広がる構造となっており、全ての動物を見るにはそれなりの時間と足腰が必要となります。

 閉園時間も迫っていたこともあり、厳選して見て回ることとしました。

 

 足早に移動する私たちに。

 そんなに急ぐなよ、と言わんばかりに。園内で咲き乱れていました桜が、私たちの足を止めました。

 

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 晴天に映える、白い花弁たち。咲き誇る時は綺麗でも、少しずつ散りゆく桜。

 その様を見ると、何だか哀しい思いに刈られます。

 様々な命が芽吹き始める、春。

 種を繋ぐた為に個としての命を絶っていく、秋。

 真逆の季節は、喜劇と悲劇とも。希望と絶望とも捉えられるのかもしれません。

 

 皆さんは、春と秋。どちらがお好きでしょうか。

 

 私は悲劇や哀愁に惹かれるせいか、秋が好みです。

 

 

 少しの合間時を忘れるかのようにして。桜を見ながら会話と休息を挟んで。

 再び動物との触れ合いを求めて、歩を進めていきます。

 

 まず出会ったのは。

 

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 「あ?何か文句でもあんのか?」

 豊かな毛並みが、ご機嫌斜めであるかのように見せている、アルパカでした。

 ラクダ科に分類されるこの子は比較的大型の胴体を持ちながら、首の長さが際立つ見た目で。写真の通り、たっぷりの毛に覆われています。

 

 失礼ながらも、ブサ可愛い、という言葉が似合いそうな動物です。

 

 カメラを構えた私たちに、一度目を向けたものの。

 普段から人馴れしているせいか、こちらへ歩み寄るような仕草を取りながら。すぐに餌である干し草を頬張る、自由気ままな様を見せてくれました。

 

 餌を咀嚼しながら、アルパカさんは不図顔を上げました。

 

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 干し草が口元に付いているけど、可愛いな君も。

 

 ご飯を食べ切れていないのに、向けられたカメラの存在を感じ取ったのか。

 幸せそうで、それでいてお茶目な姿を見せてくれました。

 

 一枚目と二枚目の写真は、同じ子です。シャッターを切る瞬間次第ではこんなにまで差が出る動物たち。

 本能のままに生きているからこそ、私たち人間が作りがちな愛想笑いと違って。

 愛くるしさを、余計に感じるのかもしれません。

 

 

 

 暗室でネムネム、猛禽類

 

 

 この時訪れた動物園は施設の更改工事が行われていたことも重なり。

 本来ならお目にかかることができたはずの、クマエリアは閉鎖されていました。

 その道中で、小さなプレハブ小屋のような建物を見つけました。

 

 そこでは、小型の猛禽類が飼育されていました。

 入る前に、幾つかの注意書きが羅列する形で掲示されていました。

 音に敏感なので、ガラスを叩かないことと。カメラを使う際には、フラッシュ厳禁。

 

 こういったことを明示しないと、守らない人もいるのかなぁ、と正直落胆しました。

 

 それは、それとして。

 飼育小屋は、暗幕で外界の光を絶ち。鳴き声一つない、静寂と暗闇が満ちていました。

 

 そこでは。

 

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 正確な種類はわかりませんが、フクロウが目を閉じたまま鎮座していました。

 室内が暗いために中々ピントを合わせられない中。レンズの開放を最大にして、感度を少し上げて、明るさを微調整して。

 夜行性のフクロウは、昼間帯は眠いのでしょうか。

 森の賢者とも言われる狩人は、ひたすら眠り耽っていました。

 

 

 お隣では、小屋で唯一目を開けたチョウゲンボウ。

 

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 小型で可愛い見た目ですが、立派な猛禽類です。初めて見る鳥でしたが、この子はハヤブサ科に属し、雄は頭と尾が青灰色であるとされています。
 猛禽類は絵になります。獰猛さと精悍さを持ちながら、時折見せる仕草は可愛ささえも感じる程です。

 

 お次は、こちら。

 

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 眠たげな目のままカメラに感づいたのか、こちらを見るのはオオコノハズクです。

 フクロウの仲間ですが、聴覚としての機能はないものの、耳のように立った「羽角」を持っています。

 

 過去一度だけ、「フクロウ居酒屋」という飲み屋に行ったことがありました。

 ガラス越しに複数のフクロウを眺めながら、お酒を楽しむという一見変わった趣向のお店でした。

 その時のフクロウたちは、大きな目を広げて首を左右に振る様が可愛かったと記憶しています。

 

 時間とタイミングが合えば、この子たちの鋭くもつぶらな瞳を見られるのかもしれません。

 

 

 

 ふれあい広場で駆け回る兎

 

 

 猛禽類エリアを離れ、今度はふれあい広場と称される場所に到着しました。

 エリア内には、子どもたちが動物を実際に抱きかかえている写真が、幾つも展示されていました。

 

 

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 兎のように見えますが、こちらはネズミの仲間であるマーラという動物です。

 脚が細く、毛の量が少ないことが兎との違いです。

 

 同じエリアでは。

 

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 カイウサギたちが、忙しなく動き回っていました。

 カイウサギは野生の兎であるアナウサギを祖先とし。ペットとしてだけでなく、その他用途として利用できるよう品種改良されたウサギたちの総称です。

 

 

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 白黒の毛を持つ、ネザーランドドワーフと思われる子や。

 

 

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 この子は純白の長い毛を持つ、アンゴラでしょうか。

 

 身体の小ささだけでなく俊敏さも兼ね備える兎たちは、止まったところを狙ってカメラを構えても。

 次の瞬間にはファインダー内から消え去ってしまうことが多く、写真に収めるにも苦労しました。

 

 それでも必死にカメラを向け続けたのは。

 私が生まれ年が卯年であり、HNの元となっているせいなのかもしれません。

 

 

 

 日向でお昼寝、タヌキたち

 

 

 撮影を試みようとした動物も沢山いましたが、隠れ家とも呼べる木の空洞や。宿舎に入り込んで姿を見せない子もおり。

 中にはマンホールの中に入り込んで、飼育員さんでさえ苦笑いさせるような子もいるそうです。

 

 日も傾き、夕刻が迫り始めている中。身を隠すかのように、各々がお休みに入り込み始める中で。

 

 意外な形で休む姿を見せてくれた動物がいました。

 その子たちは、暮れゆく日を浴びながら。夢の中で駆け回っているのでしょうか。

 

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 童話が元となっているせいか、お腹がポッコリで鈍そうで。人を騙すような狡猾さばかりが植え付けられていますが。

 

 目の前のタヌキたちは、イヌ科に分類されています。一般的なイヌよりもたっぷりな毛を纏っていますが、真正面から見れば精悍な顔立ちを見せてくれます。

 

 が、しかし。

 

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 何これ可愛い。

 

 給餌用か給水用か。

 容器にすっぽり収まった様は、かつて猫鍋という言葉を彷彿させるかのように。

 

 身体を丸めて眠りながら、果たしてどんな夢を見ているのだろう。

 

 見た目の可愛さも去ることながら、そんな思いさえ抱いていました。

 

 然れど。実際に見せてくれる動物たちの姿は。

 生存本能に従うからこそ率直でありながらも、余りにも力強くて。他の存在からの意見や意志の介入など受け入れないと、無言の威圧と共に発していました。

 

 その姿が、こちらになります。 

 

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 可愛いだろこいつら。死んでるように見えるけど、嘘みたいだろ。添い寝してるだけなんだぜ、これで。

 

 カメラを構えるまでもなく、目の前で広がる光景を目にした私は。

 理性が振り切り掛けていました。

 

 言葉は短絡的になりますが、一言でこの場の心境を言い表すとするなら。

 

 ズルいよ、君たち。可愛すぎる。

 

 

 備忘録として綴っている今だからこそ。俯瞰的に自分を見ることができていますが。

 

 あの時は。

 許されるのであれば、一緒に添い寝させて……と危ない心境に陥りかけながらも。

 シャッターを切ることで、何とか理性を保つことができていたのだろう、と勝手ながらも思い込んでいます。

 

 

  

  今回はここまでとして。

 次回は動物園の終盤編を綴っていければと思っています。

 

 御閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

【車・趣味】時期外れのアクセラ旅路 ~動物園・序盤編~

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 前置きは短めにして。

 アクセラ旅路の第二弾。

 茶臼山動物園にて、カメラを構えながら活き活きとする動物たちと触れ合ってきたことについて、綴っていきたいと思います。

 

 写真が多い為、動物園に関する記事は幾つかに分けて参ります。

 

 

 

 

 記憶朧気な動物園

 

 山に沿うような形で造られた茶臼山動物園。

 その道中も高山地帯に良く見られるヘアピンカーブや狭い道幅、そして勾配が波状攻撃の如く立ちはだかりました。

 しかし、小排気量とは言えど。ディーゼルエンジンとターボを搭載した我が相棒は、私たちを乗せて、難なく登り続けていきます。

 

 そして、到着した茶臼山動物園。

 来園したという幼い頃の記憶は、やはりありませんでした。

 一服しながら眺める、老朽化が進んだ入園ゲート。入り口近くに設けられた、少し古ぼけた子供用の自動遊戯具。

 長野県でも北に位置する篠ノ井は、3月でも桜が満開となっていました。

 その情景が相俟ってか。どこか、哀愁漂わせる雰囲気でした。

 

 ですが、入園料が大人でも600円という良心的でありながらも。

 迎えてくれた動物たちは、様々な表情を私たちに向けながら。野生ならではの、勇気と元気を分け与えてくれるのでした。

 

 

 

 肉食獣の上位者にして、威厳さと茶目っ気溢れるネコ科たち

 

 入り口から、歓喜する子どもたちの声が聞こえてきます。

 そこには、肉食獣の象徴であり。力強さと誇り高さを持った動物が、人間の目を奪って離しませんでした。

 

 

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 百獣の王と称される、ライオン。

 厳かで余裕さえ見せる風貌。

 ……とは、少し違ったようです。

 

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 というのも、どうやらこの子たちはお見合いの真っ最中とのことらしく。

 檻越しながらも、二頭が互いを見つめ合う姿。

 雄の子はすっかり魅了されたかのように、眼前の雌の子に釘いるような目線を見せながら。

 いつの日か妻となるであろうパートナーを、護ろうという決意と優しさのようなものを感じさせながら。「俺と来いよ」と言わんばかりの余裕さに満ちた瞳を魅せて。

 

 撮影する私の方が惹かれる思いに刈られる始末でした。

 

 正面からでは、主に雌ライオンしかお目に掛かることができませんでしたが。

 実は檻の中で過ごす雄の子も見られるよう、裏口とも呼べるスペースがありました。

 

 そこで偶然にも、給餌の場面に出くわすことができました。

 

 飼育員が、雄ライオン君に付けられた名前を呼びかける、優しい声が響く中。中々動かずにいるその子は、私たち人間の視線を浴びているせいか。

 

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 何ですかこのつぶらで優しくて可愛い目は。

 

 先程まで雌の子に向けていたいた、百獣の王の威厳さはどこへやら。

 「うん?何々、どうしたの??」

 視線が集まる余りに、困惑するかのように見開かれた瞳と緩んだ口元。

 このような仕草や表情をお目にかかることは、多くないと思いながらも。

 

 

 お見合いという中でありながらも、私たちヒトに対しても。

 無垢なのかもしれない。それでも、この子が見せる眼差しは。

 

 どこまでも真っ直ぐで。優しくて。

 

 檻の向こうにいる雌の子と、仲睦まじい仲となって。結ばれることを切に願わせるものを感じざるを得ませんでした。

 

 

 その横では。

 

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 雌のアムールトラが、気忙しく動き回っていました。

 この子は茶臼山動物園に移って間もないらしく、環境に戸惑うようにしながら。

 歩き回ることを、ひたすら繰り返しておりました。

 

  

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 獰猛な瞳の奥には。

 私たち人間が。知らない場に放り出されて、戸惑うことと同じようにして。

 不安に満ち溢れていたのかもしれません。

 

 動物として生きる強さや武器を持っている彼女らでさえ。同じ行動を繰り返すことで、怯えを掻き消そうと必死になっている様を見て。

 頭脳ばかりが進化して、闘う為の武器を失った私たち人間が、如何に矮小な存在であることを、感じる瞬間でもありました。

 

 願わくは。この子も逸早く環境に順応して。

 元来持つ強さと余裕さを取り戻して。観に来る人たちに誇るかのように振る舞える日が来ることを、願わずにはいられませんでした。

 

 

 

 開放された敷地で、自由に振る舞うウシとウマ

 

 

 個人的な趣向から、どうしても好きになれないお猿さんエリアを無言のまま通り過ぎてやってきたのは。

 

 草木を主食とする、草食物エリア。

 そこには、かつてイチロー選手が活躍した球団名となった動物。

 

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 鋭く長い角を持つ、オリックスが待っていました。

 

 詳しく知らなかった私は、その立派な角と容姿から、ガゼルの仲間と勝手に憶測していました。

 しかしオリックスは、種としてはウシ科に属している動物です。

 その証拠に。

 

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 角を金網に当てながら放つ声は、「モォ~」という、牛の鳴き声そのものでした。

 

 

 知らないことは罪なのだろう、と思った矢先。

 

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 テレビでも紹介されることは多いながらも、実際にお目にかかることは少ないシマウマたち。

 オリックスと金網で隔てれらながらも、同じ区画で生活を共にしていました。

 

 

 閉園間近となり、飼育員さんに名前を呼びかけられいるにも拘らず。

 

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 身体がかゆいのか、地面に身体を擦り付ける様は躍動感に満ちていて。

 野生を忘れてなどいない、と言わんばかりの迫力でした。

 

 しかし程なくして、飼育員さんの柔和な声に導かれて宿舎に戻っていく姿を見て。

 思わずクスッとしてしまいました。

 

 

 激しい傾斜に負けない脚を持つシカとウォンバット

 

 場所を移動し、場合によってはツ○やウ○コを吐いたり投げてくるサル類の前を素通りして。

 

 案内では動物の名前が記されていながらも。人間では登山用具でも使わなければ落下するであろう傾斜地帯が広がっていました。

 

 案内板には、「大きい声を出さないでください!」という警告文。
 それに従って、カメラのズームを使いながら様子を窺っていくと……。

 

 見つけました。

 

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 ニホンカモシカです。

 この子たちも来園して間もないようで、まだ環境に慣れていない様子でした。

 カメラレンズがピントを合わせる為に動く、小さなモーターにさえ反応して、翻るかのように逃げ去ってしまいました。

 

 

 人間でも、同じことが言えるのかな、と思う瞬間でもありました。

 いきなりカメラを向けられて。レンズ越しと言っても、視線を一気に向けられれば。

 

 逃げたくも、なるよね。同じ状況なら、私もそうするだろうから。

 

 ただでさえ慣れていない神経を逆撫でするようなことをして、素直にごめんなさいと思いながら、その場を立ち去って。

 

 

 少し離れながらも、似通った環境で生きる動物に行き合いました。

 景色に紛れ込むようにしながら、地面に生える草を食べるのは。

 

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 ガンダ○では兵器名として使われることもありながら。

 この目で見るのは初めてである、ウォンバットが自由気ままに過ごしていました。

 

 生態的は異なるものの、コアラに近いと言われているそうです。

 

 ウォンバットという言葉を聞き、本気で「ウルヴァリン」や「タスマニアデビル」を本気で想像しました。

 が、ウォンバットの皆さん。

 本当にごめんなさい。勘違いにも程がありました。

 

 

 食性も攻撃性も大人しく。

 他の来園者が近くにいても、下手に威嚇しようとも、逃げようともしませんでした。

 

 

 

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 大人しい性格に。満開を前にする、手前の桜が似合うかのようでした。

 

 

 今回は、ここまでとしたいと思います。

 

 本記事で撮影した動物たちは。

 前記事で簡単に紹介させていただきましたSIGMAの18-300レンズを用いて撮影してます。

 

 

 撮影した動物たちは。

 威厳や生きる自然さを残すことは勿論ながらも。

 

 様々な理由や事情を持つ、私たち人間に。

 

 分け目隔てなく、意外な側面を見せ付けながら。

 それでも、愛くるしいとも。可愛さとも呼べる姿を残して来れました。

 

 

 今回は、ここまでとしていと思います。

 御閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

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 雄ライオンくんが可愛すぎました。

【車・趣味】時期外れのアクセラ旅路 ~始動編~

 在宅勤務組になった、白兎です。

 システムに関する電話が鳴りっぱなしで、通常勤務よりも忙しさを感じている毎日ですを過ごしておりますが、私は元気です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 3月の中頃。伊豆へ赴いた際に、友人「たーぼぅ」さんとご一緒させていただきました。

 しかし直後になって、急遽再度お会いしなければならない事態が発生しました。

 

 お互いの予定を合わせ、伊豆旅行の直後に会えるように調整。

 そして今度は、伊豆から訪れるたーぼぅさんをお迎えすることとなりました。

 たーぼぅさんの記事は、以下でございます。

 

tabouaxela.hatenablog.com

 

 

  今回はアクセラ仲間と行く長野の旅行記について、綴っていきたいと思います。

 本記事は時期ズレしたネタの為、備忘録となりますことを、予めご了承ください。

 

 

 

 

 

 

 度々訪れてくれた長野へ、初の愛車と共に 

 

 

 私を車の世界に引き入れてくれて。その後も写真を始めとした共通の趣味を持つ仲として、仲良くさせていただいているたーぼぅさん。

 これまでも長野へ遊びにきてくださっていました。

 

 長野とは昔より馴染みのある土地であるようで、下手をすると地元民である私よりも詳しい程です。

 

 前回私が訪れた伊豆と長野は。距離で言えば200キロ強と、数字上では然程近くも遠くもない距離にあります。

 しかしながら一般道や横断道といった道を経由していくこともあり、実際には休憩を減らして5時間。1時間に一回程度の休息を挟むとなると6時間弱は掛かります。

 

 とは言え最近は交通の便も良くなり始めており、長野でも山梨側へ抜ける中部横断自動車道が途中までではありますが開通され。

 伊豆側の交通事情も整理され、大分走る負担が軽減されてきています。

 

 

 さて、予約されたホテルにて合流を果たした私たちは。

 長い旅路でお疲れであるたーぼぅさんの愛車は駐車場に預け、私の相棒と共に長野の旅路を走ることになりました。

 

 

 

 アクセラと向かう場所を選別して

 

 

 お互い食事の量は多くない私たちは。個人的にオススメである蕎麦屋「やまへい」へ趣きました。

 他にも県外の方が多く訪れる蕎麦屋もありましたが、混雑していることが多く、蕎麦そのものも風味が薄い為、今回は除外しました。

 

 昼食を摂りながら、これからの予定について組み立てていきます。

 

 元々計画することが苦手で面倒くさがりな私は場当たり的なことが多く、有名な観光地などの情報も然程ありません。計画するのは京都旅行する時位に留まります。

 拍車をかけるように、私の住む地域は目立った名所もなく、隠れた名所と呼べるような場所もありません。

 一時は桜巡りも考えましたが、3月は蕾のまま春を待つ場所も多く、どうしてもいい場所が出てきませんでした。

 

 その時。記憶の片隅で消えかかっていた、ある場所を思い出しました。

 

 長野県の篠ノ井にある、茶臼山動物園。

 

 幼少期に、母と何度も訪れたと聞かされたその場所は。

 かつて「二本足で立ち上がるレッサーパンダ」として一世を風靡した、風太くん。

 

 レッサーパンダブームの火付け役となった彼と共に、茶臼山動物園もレッサーパンダの聖地と呼称されることもあることを知りました。

 そのパートナーが育ち、今では風太くんの子である風鈴というレッサーパンダが飼育されている情報を仕入れ。

 

 私からすれば、数十年訪れていない動物園へ。

 アクセラを走らせることとなりました。

 

 動物園編は、次回の記事で投稿予定です。

 

 

 

 写真活動にも、新たな仲間が参入

 

 

 動物編へ向かう車内にて。

 私はカメラレンズを新調したことを暴露しました。

 

 以前、東京の夜景撮影でその威力を見せてくれた、300mm望遠レンズ。

 

 

 

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 この時はたーぼぅさんにレンズをお借りしての撮影でしたが。

 18-135といった標準ズームレンズでは寄りきれない所まで、ピンポイントで寄ってくれる様は、私の中で写真の世界を大きく変えるものでした。

 

 そこで購入したのが、「SIGMA 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO OS HSM」。

 広角から望遠までを一本でカバーすることが出来る、高倍率ズームレンズに部類されるものです。

 最初は望遠レンズを購入することも考えましたが、持っているカメラバッグが本体+レンズと交換レンズしか入らないことに加えて。

 レンズの交換の手間を省く為に、このレンズを選択しました。

 SIGMAの単焦点で撮影した写真のシャープさが好みであった私は、迷うことなくSIGMAを選び。

 今回の撮影でも、その力を遺憾なく発揮してくれました。

 

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 こちらは単焦点レンズで取った愛車。

 ズームレンズは便利な分、ズームに頼って構図創りが疎かになる為、単焦点レンズを使って自分の脚を動かせ、とも言われています。

 確かに仰る通りで、ズームが出来ない分、頭に浮かんだ撮りたい構図を如何に模索するか。それも、カメラの醍醐味であると思います。

 

 しかしながら、逆にこう考えても悪くない気がしています。

 

 ズームレンズであっても、最大望遠にして動き回れば、また別の写真が撮れるのではないか、と。

 

 

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 そこで撮ったものがこちら。最大望遠にした状態で、かなり遠い場所からシャッターを切っています。

 

 ズームレンズ故に画質は劣りますが、これはこれで面白いです。

 被写体の中に遮蔽物になるようなものを収めれば強力なボケを取り入れることも出来るので、写真の幅が広がります。

 

 このレンズは、近寄ることができない動物園の動物たちだけでなく。

 枝に止まった小鳥さえも、逃すことなく撮影することとなります。

 

 

 今回は、ここまでにしたいと思います。

 ご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。


 

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 愛車の向こうの電柱も、綺麗にボケが入っています。

【HSS・HSP】出会って、別れて 〜適度な距離感と続く縁〜

 遂に当社でも、本格的な在宅勤務が半ば義務付けられることとなりました。

 これまでも勤務地分散という形で、新型コロナウイルスの感染リスクを少しでも避ける試みが行われてきました。

 今回の決定により、社内での直接的な接触はより厳しく制限され。

 それでも尚仕事を続けなければならない事実を前にして、人の顔色や声色を窺うことが一層難しくなって行く中で。言葉を文字として起こし、伝えることが更に重要になっていくことを感じ始めている、白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 先日試験的に、担当内での在宅勤務者の第一号として業務を終えました。

 今まで会社の人たちと会い、挨拶を交わして。冗談を言い合いながらも仕事を進めていき、一日を終えていく。

 当たり前だったことから切り離された途端に。

 人嫌いを自負して、交流することに煩わしさを覚え続けてきたつもりの私でしたが。

 

 何だか、寂しい。何故か、虚しい。

 

 自分でも不思議に思える程、妙な感情に支配されています。

 

 

 皆さんも少なからず、生きていく上で人間関係というものに苦労したり、煩わしさを感じることがあると思います。

 

 

 私はここに来るまで、自らの手で多くの人に「さようなら」をして。多くの繋がりを自分から切り捨ててばかりだったのに。

 いざ切り離される側となった瞬間から、どこかで、人を求めているのかもしれません。

 私は、どこまでも身勝手で、気分屋で。行き当りばったりな人間です。 

 

 

 そんな折に、携帯に電話が掛かってきました。

 定年退職して数年経つ、OBの方からでした。

 スピーカーから聞こえてくる声は、一緒に仕事をしていた時のままで。互いに変わらない声とやり取りは、今でも続いていました。

 

 それをきっかけにして。

 これまで何気なく考え、持ったり捨てたりしてきた人間関係について、深く考えるのでした。

 

 

 今回は、出会いと別れを繰り返しながら生きている、私たち人間という存在。

 一度でも会う機会に恵まれた際、時には別れを余儀なくされることがあったとしても。

 自ら関係を切り捨ててばかり来た私の経験を交えながら、。全てが別れで終わることなく、数は少なくとも続く縁もあることを、綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 人見知りを盾にして、人間関係を壊し続けてきた

 

 

 幼少期より、私は人見知りが激しい性格でした。

 初めて会った同世代の子たちだけでなく、その親御さん。さらには歳の離れた兄の友人が、物珍しさにこちらを窺ってくる視線に。

 私はいつも気恥ずかしさを覚えて、何か問われても言葉が喉で詰まって。どうすれば良いのかわからなくなてオドオドしていた子だったと、母は話します。

 

 人見知りは、今でも私に付き纏って離れることはありません。

 会社でもプライベートでも、初見する人と会話する時は。私はどこかぎこちなくて、堅苦しくて。相手の視線に対して、真っ直ぐ見返すことも難しいままです。

 一方で相手の仕草や口調、表情を探るようにしながら。その人が持つ、周りに対する振る舞い方や物言いといったものを、ある程度把握することを覚えていました。

 

 そうやってコソコソと相手を知ろうとする行為も。人によっては、いとも簡単に見透かされて。

 元より自分から距離を置こうとするスタイルを押し通してきた私など。話す価値もないと判断されるかのようにして。

 交わす言葉は本の数回で終わる、そんな出会いと別れが平行することも沢山ありました。

 

 では自分はどうなのか、と問われれば。

 私は、そういった人たち以上に。築き始めようといていた関係に拘ることなく、私は見切りを付けるかのように、関係を切り捨ててきました。

 学生時代を共にし、時には笑い合うことも沢山あった相手でさえ。進む道が別れて、連絡一つなかった相手からの、唐突のメールに。

 

 今まで連絡もしてこなかったのに、何を今更。

 

 怒りとも、憤りとも言える感情と共に。人間関係を切ることに何ら躊躇いを持たずに捨て去ることさえありました。

 

 

 

 

 人に嫌われる怖さ

 

 

 私は人間関係について、比較的ドライな傾向にあります。

 自分から相手に踏み入れることも、相手から踏み込まれることも嫌うが為に、一定の距離感を保とうとします。

  この人は、どういう考え方を持っているのだろう。

 どういった口調で話して、どんな話題を持っているのだろう。

 そう考える前に、心が反射的に身を守ろうとしようが為に。少しでも仲良くなりたい、寄り添いたいという考えを上書きしていました。

 人に嫌われて、疎まれて。独りで生き抜くことを決心する場を経験したことも相まって。

 それが意図もしない形になりながら、必要以上に迫る相手に対して。私を突き動かすように、乾き切った思いと共に、決別の言葉を流していました。

 

 そうしてきた私は。

 小学校から高校、そして専門学校に進学して沢山の人と出会い。一時は「この人となら、いつまでも仲良くいられる」と勝手に信じ込んでいた人でさえも。

 ほとんど全てに別れを告げて。残った知人は、片方の手で数えられる程にまで少なくなるという、然るべき結果が待ち受けていました。

 

 それよりも私は、別れを経るごとに、落ち込んだり嘆いたりすることよりも。

 

 一方的に人に嫌われることが、どれ程怖いことか。

 

 その絶望を、再び味わう位なら。手遅れとなる前に、自分の手で見切りを付けた方が、傷口は浅く済む。

 

 一時は、クールイズビューティなどと持て囃されたこともありましたが。

 その実は。決して誰にも話さなかった、絶望を独りで持て余した結果。

 表向きには冷静でドライと言われながら、裏ではひたすら保身に走っていた。情けなくて卑劣な自分が、どこまでも付き纏っていました。

 

 

 出会いと別れを繰り返して、残ったもの

 

 

 学生時代を終えた私は、この手で見限ってきた関係の数は、余りに多く。

 人を疑ってばかりだった私でしたが。

 社会人となって新たに知り合った同僚たちと、多過ぎる程の出会いと付き合いが待っていました。

 

 或いは、裏切られ裏切ってを繰り返してきた私にとって。

 それでも尚残されていた出会い、とも言えるものでした。

 

 以前にも記事で起こしましたが、数年は酒盃を交わす仲にまでなりました。

 

 しかし、彼らも家庭を持ち始めたことを契機に、連絡を取り合うことも次第に減り始めて。

 今では、互いがどのような生活を送っているのかさえわかくなる程に成り得てしまいました。

 

 そして最後には。気紛れで勝手に振る舞う私に、それでも尚付き合い続けてくれた。

 私の中では最古参である、高校の同級生とも。最後の連絡を取ってから、早一年が経とうとしています。

 

 相手の心境や事情を知ろうともせずに、ここまで来てしまった私には。

 下手な言葉を投げかけて、干渉し合うようなことになって。互いに訝し合うような空気になる位なら。

 知らないまま私から、引き下がった方が良いだろうと。

 

 お互いの為に、なるだろうと。

 

 臆病さと諦観と、身勝手な感情が混ざり合って、錯綜していく中。

 私は、逃げるかのように連絡を取れずにいます。

 

 出会いと別れを勝手に選んで、歳だけ無意味に重ねてきた私に。

 残されたものは、苦さに似た思いと、自己嫌悪と。

 

 車という趣味を通じて知り合い、友人となった極僅かな人との交流だけが、残ることとなりました。

 

 

 人のと距離を上手く調整できない気質

 

 

 こんな私が、今でも良好な人間関係を築き続けて。付き合ってくださる方には、共通したものがあります。

 それは、必要以上に相手に対して干渉し合わない、ある程度距離感を得られ続けること。

 そして互いに意見や考えを押し付け合わない関係を保ち続けている方々です。

 

 

 以前、HSPという気質を盾にしたくないと記事に起こしたこともありましたが、今回は失礼を承知で申し上げます。

 恐らく私の人間関係は、HSPという気質が大いに関わっていると思っています。

 

 必要以上に迫られると、唯でさえ薄い自分という意識や領域を侵食されているかのような錯覚に襲われて。

 それが喩え親切心であったとしても。理性では、親切なのかもしれないと一瞬考えることができても。

 

 お願いだから。もう、踏み込まないで。

 これ以上踏み込まれたら、私は。

 

 自我を保てなくなる。

 

 更にHSS気質由来の好奇心や刺激探求を示すことにより、理性上では特段その気はなくても、知らない間に自分からも相手に対して突き進んで。

 勝手に突っ込んでいきながら、別れを告げる頃にはいつも「どうしてあんなこと」と自分を責めて。

 その葛藤と情緒の不安定さから逃げるようにして、人間関係を壊してきました。

 

 

 HSPは、共感力がある分、人の気持に寄り添える優しさを持っているという言葉が多く見られます。

 似たような気質として、「境界性パーソナリティ障害」というものがあります。

 この二つはとても似通っていますが、一つだけ絶対的に異なる点があると言われています。

 それは、「ある行動をした(或いはしている)時、どのような感情が出てくるか」という違いです。

 例えば、小さなことで相手を傷付けてしまったり、自分が傷付いたといった時。

 HSPは自分自身への自己嫌悪や自責に刈られると言われています。

 一方で境界性パーソナリティ障害は、怒りという形で表れるようです。

 

 

 少々脱線しましたが私の場合は、どうやら少し異なっているようです。

 

 

 皆さんも、生きる上でのストレスや生き辛い要因として、人間関係が多分にあるかと思います。

 皆が皆、同じ生まれた境遇や環境を過ごしてきた訳でもなく、性格などによって多岐に渡る分。

 「人間関係とはこういうものだ」と明確な定義はできないと思っています。

 

 

 そんな中でも、調節できない、人との距離感。過去の経験が絡んでより複雑になっている私は。

 これから一生、人間関係というものに悩みながら、生きていくことになりそうです。

 

 

 最後は色々な考えが錯綜して、上手く纏まらなくなってしまいましたが。

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

 

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【トラウマ・生き方】服装にさえ、恐怖に囚われて ~些細な記憶が、縛り続ける~

 3月の終わりには、最高気温が夏日を記録したのに。

 4月に入った途端、忘れていたように遡るかのようにして。

 再び朝晩は氷点下まで下がり、天候は荒れ狂うように激変しています。

 

 自然さえも、簡単には安寧を齎すことなど許さない。

 そんな思いさえ感じつつも、自然にも、現実社会にさえも。

 不安と訝しさを併せ持って久しい、白兎です。 

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか

 

 

 地域によっては夏日を記録するような気温の上昇と共に。

 半袖や、ハーフパンツ。脛まで伸びて素肌を出す、七分袖のズボンのような軽装を身につける方々をちらほらと見始めて参りました。

 子どもたちも同じように、寒さに耐える為に着込んでいたジャンパーやウインドブレイカーを脱ぎ去って。涼しさを求めるように、肌を露出する薄着になり始めています。

 

 日に日に世間が春を経て、夏へ向かっていこうとしていく中で。

 私は代謝の悪さと冷房に対する耐性の弱さが災いして。容赦なく吹き付ける冷えた空気に耐える為に、長袖の吸汗・冷感生地の薄手インナーを基本として。

 その上に長袖ワイシャツを着込んで、更にベストを着用しています。

 それが喩え35℃を超える真夏日であったとしても、職場においては。

 更にウインドブレイカーを羽織る私は、周りから大抵の場合奇異の目を向けられてばかりでした。

 

 特別、誰かに迷惑を掛けている意識などないのに。それでも冗談を通して声を掛けてくれる人たちの言葉を前にして。

 

 自分が、やはり世間とズレているのだろうな。と自嘲するようにしながら。

 喩え服装にさえ、頑なに拘り続けていること。そこには、微かな記憶と共に。

 思い返せばする程、貫くようになった自分の服装について、心当たりがあることを思い出すのでした。

 

 

 今回は、自らの趣向や季節柄だけに留まらない、自己アピールの一つにもなる服装に対して。

 私は、とある出来事を経験したが為に、今も尚些細な記憶として残り続けて。

 自由に服を選べなくしまったことについて、綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 季節に合わせて、自己表現にもなる服装

 

 

 春を迎えて暖かさが増していき、草木が芽吹いて景色を彩り。夏には、容赦なく降り注ぐ陽光の熱さと地面が沸騰する程の熱さを齎し。

 秋は徐々に冷え始め、世界も枯れゆくように哀愁を漂わせて。冬に向かうに連れ寒さが厳しくなって、いづれ訪れる春を待つように耐え凌ぐ。

 日本は四季に恵まれていることもあり、他の国以上に季節というものを身近に感じるものであると思います。

 

 私たち人間はその中でも、独自の進化と言える文化を築き上げてきたと思っています。

 例えば発汗や新陳代謝を始めとする機能は、恒温動物でありながら毛皮や毛並みを持たない為に発達したものであると考えています。

 

 その最たるものとして。

 私たち人間は服という外装を纏うことで、季節の変化に対応しています。

 暑ければ肌を少しでも露出することで風を受けたり発汗しやすくすることで、夏場を凌いで。

 寒ければ保温性に優れる材質の服を選んだり、重ね着することで体温が逃げないよう調節しながら、冬を乗り越えています。

 

 そうやって寒暖差を、服装を以て乗り越えてきたヒトという種族は。

 現代では個々人が着る服というものが、ファッションという形を経て。その人の自己表現となっていると、個人的に感じています。

 特段、芸能人や著名人が着る服装は、雑誌その他情報媒体を通して。

 多くの人に影響を及ぼしていることに、恐らく事実であることと思います。

 服装というものは。人間の第一印象は、外見であるという言葉が後押して。

 その人それぞれの個性や流行という形で、深く浸透してきたことは、恐らく事実に変わりないと思っています。

 

 私のような、ファッションというものに鈍感で。流行というものに疎い人間でなければ。

 

 

 

 

 小学校までは、好きな服を選んでいた

 

 

 前置きが長くなりましたが、かくいう私も、記憶の限りでは小学校までは周りと同じようにして。

 学校での服装は通学以外は私服が認められず、体操着が基本とされていました。

 当時は現代のようにハーフパンツというものが浸透しておらず、下は短パンというものが当たり前でした。

 低学年ならまだしも。人によっては、思春期を迎えるクラスメイトも少なからずいました。

 私も、その一人でした。

 声変わりもクラスの中で一番早く、また疎いながらも異性や同性に対しても。

 自分という、一つの人格や自我が芽生え初めていました。

 

 半袖について抵抗はなくとも。短パンという、思い切り脚を露出する格好に対して。

 周りが下着をトランクスに変えていく中で、短パンでは下着の裾がはみ出てしまうことを目の当たりししながら。

 

 恥ずかしさは、ないのかな。

 

 クラスメイトの下着が見えてしまっていることに対して。

 私は何故か、無性に気恥ずかしさのようなものを覚えていきました。

 以降は卒業するまでの間。

 半袖はともかく、脚を出す短パンやハーフパンツに対して抵抗感を抱き続けて。遂には、履くことはなくなっていました。

 

 

 

 中学の部活が切っ掛けに

 

 

 中学校に入り、私はテニス部に入部しました。

 入部したての一年生はボールを打つことも許されず、素振りや体力作りのためのランニング、先輩が打ったボール回収といった雑業に明け暮れる日々でした。

 

 そんなある日。

 相変わらずハーフパンツを着ることに抵抗を覚えていた私でしたが、それでも照りつける日差しや身体を動かすことで体温は容赦なく上がります。

 それに対して、少しでも涼しさを得ようと長袖から半袖に着替える。

 暑ければ薄着になって、肌を露出する服選びをする。

 そんな、考える必要も疑問に思うこともないことが。一つの出来事を以て、崩れ去ることとなりました。

 

 いつものように、テニスコートを周回するようにランニングをしていた時。

 いきなり、ボールを横から身体に当てられました。

 視線を向けると、そこには二年上の先輩。入部して間もない私には、面向かったことも話したこともない人でした。

 練習にも励まずに、日陰で座り込みながら。その顔は、何故かニヤついていました。

 

 意味もわからないまま、私はそのまま走り去りました。

 そして、二週目。

 今度は正面から、ボールを当てられます。しかも最初と違って、何発も何発も。

 

 この部活特有の、通過儀礼か何かなのか?

 

 一瞬そんなことも考えましたが、すぐに違うことに気が付きました。

 同じように走っている、一年生部員がいるのに。私だけ、ボールをポコポコと当てられ続けていることに。

 更に、拍車を掛けるかのようにして。

 

 「ちゃんと走れよ、半袖!」

 

 は?

  

 「何無視してんだよ。お前だよ半袖

 

 全くもって意味がわかりませんでした。

 何か癪に障るようなことをした覚えなど、ないのに。

 どうして、私だけが?

 

 ランニングの周回が重なる毎に、その人はニヤついた顔と声でボールを私に当て続けてきました。

 そして顧問が来た瞬間。その人含めた先輩たちは面倒くさそうに立ち上がって、練習に入り始めるのでした。

 

 

 それ以降、大きな出来事もなく。面向かって叩かれることも、呼び出されるようなこともありませんでした。

 

 ですが、そんな些細な出来事は。私に、様々な疑念と恐怖、不安を残すことになりました。

 当時の私は小学生の頃から身体的な成長が早く、クラスの中でも身長は高い中に入りながら。食事量も少なく、運動しても筋肉が付きにくい体質で体重も少なかったこともあり、ヒョロヒョロで頼りない体付きでした。

 加えて楯突くような態度や言動を取ることなど、恐ろしくてとてもできない程の臆病な性格でした。

 

 

 なのに。どうして。

 私だけが、後輩弄りのような目に遭ったのだろう。

 

 単に持て余した暇を、構わずに潰したかっただけなのか。それとも、たまたま目に付いたのが、私だったのか。

 

 真意は、20年弱経った今でもわかりません。

 

 然れど、今でも頭から離れなくなってしまった言葉が、今でも残り続けています。

 

 半袖。

 

 同じような格好で部活に向かっていたクラスメイトたち。それ以上に薄着となり、半袖とハーフパンツを着込んでいた部員もいたのに。

 

 どうして、私だけがそんなことに遭遇して。

 怯えているんだ。

 

 それ以降、二年上の先輩が引退しても尚。同じように弄られるのではないかという不安と恐怖が、たった一度のことで染み付いていました。

 ラケットを握って、ボールを打ち合うことを夢見ていた部活に行くことが、すっかり怖くなっていました。

 

 その要因となって、今でも忘れられない言葉が。私の中で錯綜していく内に、一つの結論を齎していました。

 

 半袖を着ていたことで、私はちょっかいを出された。

 半袖を着たから、弄られた。その人が半袖という言葉を連呼していた。

 少なからず受けた実害と事実から、私は自分なりの答えを見つけてしまいました。

 

 

 半袖を着ることで、不安と恐怖を受けた。逆に言えば、長袖を来ていれば違っていたのかもしれない。

 喩え暑くても、半袖を着るようなことがあれば、再び似たような害を受けるかもしれない。

 ならば、私のような人間は。

 

 半袖を、着ない方が良い。着ては、いけない。

 

 被害妄想が肥大化したような思いであっても。当時の私は、そう考えることが一番で、無難であると信じ込んで。

 どれだけ暑くても。周りが涼やかな服装でいる中、奇異の目を向けられるようなことがあっても。

 自ら強制のように、部活で使うジャージや、制服のワイシャツも。腕まくりして上腕だけ出すことに留まるようになるようになりました。

 

 

 

 服選びに興味を失って

 

 

 そのような些細な出来事だけでなく。半袖やハーフパンツ、七分丈のズボンといった軽装を着ることがなくなり。

 

 服を選ぶことにも興味も関心も、無くしていました。

 

 社会人となってからでも、プライベートと仕事で服装を変えることも面倒になって。見た目はフォーマル風でありながら、スーツ調の無難なジャケットやスラックスを普段着とするようになりました。

 そうすることで、季節や気温に合わせて服装を変える、衣替えというものを行わなくなって久しいです。

 

 

 何気なく過ごしてきた、服装というものに対する自分の思いや考えに好奇心が芽生えて、記憶を探っていく内に。

 

 最初は、他人が下着を露出することに対する気恥ずかしさや羞恥心から始まり。

 季節に合わせるようにして、意識せず選んできた服装に。

 半ば、ケチを付けられるような経験を経て。それが些細な記憶となって、しがみつくように、トラウマのように残って。

 服装というものに、脅迫観念も同時に抱いていることに辿り着きました。

 

 

 

 

 

 

 

 今では個性の一つとなった自分の服装

 

 

 

 想像以上に、私は服に対して複雑な思いを抱えていることを知りました。

 

 しかし同時に、複雑に絡み合ったトラウマのような思いがあるせいか。

 

 自分が選択する服に、二度と文句は言わせない。

 あの時言えなかった言葉を、行動に移すことで、染み付いた恐怖を断ち切りたい。

 私なりの服装に対する意志や考え方が、固まる結果となって、今に至っています。

 

 

 例えば、私は元々平熱が低く、冷房や寒さに耐性がありません。

 高校時代にも冷房風を直接浴び続ける位置に席替えした結果、調子を崩して早退したこともありました。

 社会人になっても、会社や列車に留まらず。大手デパートやショッピングモールでも、熱せられて湿気を帯びた外気を忘れさせるかのように稼働するし続ける冷房は。

 多くの人に快適を齎すものであったとしても。私には、凍えるような冷気でした。

 

 ならば、冷房を遮断するように、兎に角着込めば良い。

 氷点下になるような真冬でも同じこと。兎に角重ね着する。

 場合によっては、夏でも最低3枚。冬に至っては8枚も重ね着することもあります。

 

 

 一方で、気象状況に合わせることも無視して、「長袖長ズボン+α」の姿勢を貫く私に。

 「そんなに着込んで、暑くないのか?」「8枚も着てるの。肩こりそうだね」と笑われたり。

 時には冗談交じりであるとわかりながらも、「見てるこっちが暑くなっちまうよ」と揶揄されることもあります。

 多分、代謝が悪くなることを心配してくれている側面もあるのだと思います。

 

 

 だから、一々気にしたり反論するようなことをしても、誰も幸せになることはないと悟るようになりました。

 何よりも。服装に関してとやかく言われまいと決めた私が、それらによって簡単に揺らぐような決意で終わらせたくない。

 

 そこで私も、愛想笑いを浮かべながら。

 「私冷房や寒いのが苦手なので」や「動きづらくもないですし、慣れですよ慣れ」といった返事を返すようにしています。

 

 

 人によって、様々な考え方がある、服装。

 その人の第一印象を決定づけるものでもあり、個性やセンスを見出す人もいるかと思います。

 

 私は、様々な記憶や経験を経て。プライベートでも、ビジネス寄りの服装を選び続けています。

 それにより、悪いことだけでなく。

 初めてお会いする人に、「仕事帰りですか?」「お仕事でいらしたのですか?」と聞かれることも多くあり。

 それに対して「いえ、これ私服なんですよ」と答える度に、大概は意外と思われるのか。

 自然な笑みを、返されることもあります。

 

 

 正しさも間違いもない、服装選び。

 自ら選んできた、服装についての考え方や選択は。

 

 私の場合は、どうやら合っていそうです。

 

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

 

 

 

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Tails Intersecting -En Passant-

※注記※

 本記事はこれまで投稿した「Tails Intersecting」「Tails Intersecting -Stalemate-」「Tails Intersecting -Promotion-」「Tails Intersecting -Material Advantage-」「Tails Intersecting -Promotion-」「Tails Intersecting -Castling-」の続編となる、短編小説です。

 登場人物は私の趣向により、ケモノです。

 この注記をご覧になり、違和感や嫌悪感を抱いた方は、申し訳ありませんがお引き返しください。

 ※注記終了※

 

 

 

 

 

 Tails Intersecting -En Passant-

 

 

 

 

 角を振り上げながら、俺は教室にいる奴ら全員を見渡すかのように顔を上げた。

 目の前で組み合いながら静止して、滑稽な姿を見せる二匹のオオカミ。

 このオオカミ共の争いを前に声を上げることがやっとだった、肉食や草食獣たち。

 集まる視線は、トムソンガゼルの俺の視野が全て捉えていた。そしていつもなら「何見てるんだ」と捨て去ってきた俺は。

 目を点にしながら、因縁を付けるように突っかかってきた。トラ、ピューマ、それに柴犬を睨むようにしながら、俺は叫んでいた。

 草食獣が喚いた所で、大した意味などないとわかっていても。

「お前たちのように上手く自己表現できる奴も、今目の前で力を使ってその場をねじ伏せることができる奴らだって、このクラスにはいる。だけどな、この馬鹿ホッキョクオオカミやアラスカンマラミュートのように、反発したり上手く伝えられない奴だっているんだ」

「ちょっと、ガゼル君。馬鹿ホッキョクオオカミって唯の侮辱」

「煩い黙ってろ白オオカミ」

「いやいや、白オオカミって何なの」

  噛まれた腕から血を流しながら間抜けた声を出したホッキョクオオカミを一蹴して。

 いや、そうじゃない。

 気の抜けたホッキョクオオカミの、拍子抜けした顔を見たからだろう。

 俺は、それまで自分がしてきたことを思い返すように、荒げた声を潜めて呟いていた。

 まるで、ドラマの主人公が独白するかのように。

「俺も、勉強以外興味ないって思うばかりに、関わろうとしなかった。それは、勝手だが謝らせてくれ。すまなかった」

  そうだ、元々は俺から始まった争いなんだ。

 肉食だとか草食だとか。望んでもそうでなくても、生まれてきた種族で、勝手に分けられて。

 草食獣は、油断すればすぐに死ぬと教えられて。その教えに従うように、肉食獣と距離を置いてきた。

 そう教えてくれたのは、母だけだった。

 

 トムソンガゼルとして生まれた俺に見向きもしないで、忌避して。ガゼルの家系を守ろうとしたが為に、無かった存在として扱おうとした祖父母や父親が。

 最後まで、許せなかった。許して欲しいと願うことも、一度も思わなかった。

 

 俺は、蔑ろにされてきた自分を、見返してやりたい思いに狩られるかのように。いつの間にか周りに対して興味を失って。身体能力では他の種族には遠く及ばないこの身体を持ったが為に。

 打ち込めば打ち込む程、この世界のことを知ることができて。呪縛のような声を浴びせられ続けた俺に、この世の中は欺瞞と偽装だらけだと教えてくれた勉学。

 それだけが、俺の生きる証となって。種族を問わず共存を目指すこの学校に入学して、我武者羅に勉学に噛み付くようにしながら勉強して。

 数値化される成績を叩き出す。

 それだけが、母に対する感謝の言葉に変わるものであり。

 塵を見るように見下してきた他の身内共を、見返して。

 いつの日か後悔させてやる、と思うばかりに。

 俺は、草食獣として。いや、獣人の一匹として。何か忘れてしまっていたのかもしれない。

 だからだろう。

 こんなにも、理性を無視して言葉ばかりが先走っているのは。

「でもな、反発したりそっぽ向いているからだとか、何も言えないからといって、協力してない訳じゃないはずだ」

 思いのまま話し続ける俺に。

 どうしてだろうか。今朝の争いを前にして、何も言えずに怯えていた草食の奴らが。

 立ち向かおうとしても踏み切れなかった、肉食の奴らまで。

 何で。

 どうして俺を、目を輝かせてまでで見てくるんだ。

 

 ……クソがっ!

 その眼差しを受け切れなかった俺は。思ったよりも、ずっと臆病だ。

「少しでも反論すれば、怪我どころか殺されるかもしれない。今の状況を実際に見ればだろう、お前たちなら!」

 向けられる視線を、俺は逃げるようにして。行きどころのない思いを、トラたちに押し付けていた。

「ふん、言うじゃないかガゼル」

「全部僕らが悪いって言いたいんだね、君は」

「いつも教科書がお友達のお前がっ、イテテ。こんな時にクラス全員を先導しようってか!?」

 その通りだ。

 俺は、立ち向かうこともできない草食獣だ。それを盾にして、最初に絡んできたトラ。ピューマ、柴犬。

 そして。ホッキョクオオカミと組み合うハイイロオオカミに。

  全て、擦り付けようとしけようとしていたのかもしれない。

 

 でも。

 そんな単純な理由ではない。

「そう思うのはお前らの勝手だ。それを否定する権利も、俺にはない。だから。」

  言って、俺は。

 勉学というものに縋り付いて。周りを蔑ろにしてきたことに。

 今更、気付いてしまった。

 肉も食えない、弱い奥歯を噛み締めながら。

 これまでにない程に、目を見開いた俺は。声が潰れるまでに、思い切り叫んでいた。

「俺の勘違いだって言いたいのなら。今すぐ俺を噛め!引き裂いけ!争いごとの元凶の俺を、なかったことにしてみせろ!」

 

 発してすぐに、トラは牙を剥き出して自制しているように見えたが。

 ピューマと柴犬が、爪と牙を全力で見せ付けて。

 本気で仕留めようとする獰猛な目を光らせて。俺を殺そうとする殺意まで、言葉はなくても感じさせていた。

 

 これで、俺は。

 多分死ぬだろうな。

 ずっと逃げ回ってきた肉食獣に、爪や牙を突き立てられて。

 血と肉片を散らせながら。

 後悔は、なかった。

 

 これまで目立たないようにしながら、肉食獣どもに食い殺されることを恐れて。

 逃げてきた俺は。言いたいことを、全部言い切った。

「身体は細いが、草食獣としての味は保証できる。俺を食い殺して、お前らの気が済むのならっ!」

  無意識に叫んだ声は、止まらなかった。

「どうした。今すぐ殺してみろよ。怖気付く暇があれば、さっさと俺を殺せっ!!」

 言い終えた、俺は。

 爪と牙を向いて飛びかかってくる、ピューマと柴犬を目前としながら。

 

 種族を問わないという、この学校に反する言葉を並べるかのように、肉食獣共に挑発していたことに。今更気付いて。

 いや、そんなことなどどうでも良かった。

 

 草食獣はすぐにでも死ぬと教えてくれた母へ。最期の思いが、詰まっていたのかもしれない。

 

 ごめん、母さん。

 

 身内に疎まれながらも、産んでくれたのに。こんな、どうしようもない息子で。

 

【うつ病・人間関係】カウンセリング ~人生が開けた瞬間~

 一昨日、大雪注意報が発表されました。

 地元に近い軽井沢では、10センチほどの積雪があったようです。

 天候は、どこまでも気紛れだなと思うと共に。人間もまた、気紛れで。

 時には厳しくても、時には、温かい。

 そう思いながら、花粉症でもないのに鼻水が止まらなくなっている、白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 これまで綴って参りました、私のうつ病について。

 現在も治療の最中ではありますが、実際は何度も回復と再発を繰り返しています。

 

 気分がある程度晴れ渡って、心地好さを感じていたかと思いきや。不図した切っ掛けや一時に強烈なストレスに晒された途端に、食欲を失って、自己嫌悪して。

 取り戻しつつあった車や写真撮影への興味もなくしていって、仕舞いにはまたうつ病を再発することを繰り返してきました。

 それも、一度や二度ならず。

 

 回復と再発を繰り返して行く内に。原因は、自分が弱いせいなんだろうな、と勝手に決めつけてきました。

 

 そんな私は、それでも心のどこかで。

 この負の連鎖を止めたい。いい加減にケリをつけたいと思い始めていました。

 

 今回は、イジメの経緯から誰かに相談することに見切りを付けたことで。個人的主観では負のスパイラルを断ち切れないことを思い知ったこと。

 そんな私に、第三者の目となり話を聴いてくれた、カウンセリングに通い始めた経緯と、それにより救われたことについて、綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 浮き沈む気分

 

 

 うつ病を引き摺ったまま、私は地元の職場に就いて8年程経ちます。

 病を患った首都圏を離れ、初期配属という形で入社後初めてとなる勤務地に戻ったことで。当時お世話になった上司や先輩たちは、相変わらずのまま、私を迎え入れてくれました。

 たった2年しか離れていなかったのに、何故か懐かしさを感じながら。

 会社へ赴くことも苦でなくなり、時には凹むこともありましたが。比較的落ち着いた状況にすっかり安堵し、心の余裕もできていました。

 

 

 しかし、時を経て。歳を重ねるごとに。

 面倒を見てくれ、冗談を言い合うようにまでなった先輩たちは、定年を迎えて次々と会社を去っていき。気心が知れた人たちがいなくなっていくことに比例するように、職場は徐々に盛り下がっていきました。

 活気も笑いも薄れていく様は、寂しさと空虚さだけを残していました。

 

 それだけでも、私の気持ちは揺れ動き始めていました。

 

 

 

 上手くいかない人間関係と娯楽の間で揺れ動く心

 

 

 そこへ追い打ちを掛けるかのように。

 社内システムやOA機器の管理者の任に就くことが決定して。引継書はあったものの、次々と変化し刷新されるシステムを前にしてはほとんど意味を成さず。

 わからないことにぶち当たっても、職場に聞けるような人はいない辛さ。

 それでも、社内システムを管理する身として、聞かれたからには答えたり対応しなければならないプレッシャーの嵐に晒されました。

 

 そして、人の宿命とでも言えばいいのでしょうか。

 

 皆さんにも、職場で「この人とだけは絶対に馬が合わない」と思う人が、必ずと言ってもいるかと思います。

 

 私もそのような人とどうしても掛け合わない場面があり、その度に言いたい放題言われて。

 言いたいことは山程ありましたが、「どうせ話しても、聞いてなどくれない」という染み付いてしまった思いが脳裏を過ぎって。ひたすら聞き流すことで、何とか自分を保ってきました。

 しかし時には就業前の職場で、その人と面向かって喧嘩沙汰になりかけたこともありました。

  

 

 一方で車のオフ会といった、趣味に入り浸ることで喜びや楽しみを挟むことで、苦境だらけの生きることに対して、活力を得ながらも。

 大半は人間関係に起因する、虚しさを。時にはどうでも良いようなことからの怒りを覚えて、気持ちが下り坂になることも沢山あり。

 揺らいでばかりの私の心に安寧が訪れることは、ありませんでした。

 

 

 

 

 寝床に就く度に、うつ病を受け入れる自分に嫌気が差して

 

 

 開放と抑うつを繰り返す内に、私は次第に息苦しさと葛藤に悩むようになっていました。

 

 調子の良い時には、激しい離脱症状を伴いながらも抗うつ薬を断薬できても。

 一度精神をグラつかせられる事柄と衝突する度に、私のうつ病の前兆である食欲減退を経て。

 再び抑うつ状態となり、再び抗うつ薬を服用しなければならない状態に陥る。

 

 そのようなことを、毎年のように繰り返してきました。

 

 自分のことであっても制御できない、心の浮き沈みの激しさは。私自身への疑念が積み重なる結果だけを齎しましました。

 

 どうして、一定の心の状態を保てないのか。どうして、事ある毎に一喜一憂して。

 何で、自分から生きることに対して苦しくて辛い思いを背負い込んで、追い込むようにしているんだ。

 

 

 その思いが、更に昇華していき。

 食べても美味しと思えなかった食事に。興味を持っていたことも、日を追うに連れて捨てて。最後は、自分の死さえ享受しようとしたこと。

 全てを思い出して、私は声なき声を叫んでいました。

 

 

 もう、嫌だ。

 

 

 薬を飲んで、一時的な心の安泰を得ながらも。

 寝床に就く度に、すっかり草臥れていた日常に対し。自ら反旗を翻すかのように、私は日常の嫌なこと全てをかなぐり捨てて。

 浮き沈みして苦悩する原因を外ではなく、自分の中にあることと信じ込むように。眠りに就くまでの僅かな合間、閉ざしていた精神と心へ、自ら入り込むことを試み始めるのでした。

 

 

 

 うつの傾向と原因を模索して

 

 

 綴りながら、最初に申し上げたいことがあります。

 

 自分一人で、過去に経験した嫌な経験や忌避してきた記憶に立ち向かうことは、精神的な負担のみならず、心に対して大きな負担となります。

 

 うつ病を繰り返して、気分が浮き沈みする現実に対して。

 私は過去の出来事が原因と勝手に決めつけたが故に、独りで過去に立ち向かって。事実以上の負の感情に飲み込まれかけて、怒りよりも更に根深い憎しみばかりに晒されることになりました。

 

 今だからこそ、迷いなく言うことができます。

 

 忘却しようとした記憶だけでなく。

 その時に覚えた感情の海に晒されて。攫われるかのように流されてしまいかねません。

 最悪の場合、怒涛の如く押し寄せた記憶や思い、感情が。

 今生きる自分まで飲み込んで、死へ誘おうとします。

  その危険性を身を以て知ったことで。私は自分だけではどうしようもできないことを背負ってしまっていることを、初めて自覚して。

 私でも、身内でもなく。第三者の視点や意見がなければ、抱え続けた思いは消えることはないと悟りました。

 

 その決意に突き動かされるように、カウンセリングを受けることを決めるに至りました。

 

 

 

 カウンセリングで、人生が開き始めた

 

 

 そして、初めてカウンセリングを受ける日がやってきました。

 行ったところで、何も変わらないかも知れない。無駄なのかも知れない。

 自分の行動を、嫌悪するかも知れない。

 でもそれ以上に、気分の変調に振り回されたくない。自分を、変えたい。

 

 緊張の中、カウンセリングに臨みました。

 

 初めての訪問だった為、まずは今の精神や身体の状態、症状などを問診という形で聞かれ、それに答えるといった流れで進んでいきました。

 その途中で、カウンセラーから尋ねられました。

「貴方が、今一番治したいこと。変えていきたいことは、何ですか」

 その途端、思考が止まりました。

 

 私は昔から、抽象的であったり曖昧な表現をすることが多い人間です。

 そこで唐突に、「具体的に、どうしたいか?」と問われたことで、思わず言葉が出なくなっていました。

 

 少し、間が空きました。


 そこから、私は徐に口を開きました。


「何かある度に自己嫌悪してしまう自分に、疲れてしまっています。それを、治したいです」。

 

 そこから、気分の浮き沈みが激しくなっていること要因を探るべくを、まるで深層意識に潜っていくかのようにしながら、私とカウンセラーは話を進めていきました。

 そこで辿り着いたのが、消えない過去の記憶。イジメでした。

 当時、私が受けたイジメの中身。その時の周りの状況。その時の、自分の思い。

 これまで無理矢理覆い隠してきた、治りもしていない傷の瘡蓋を抉じ開けるような思いで。私が受けた事実、感じた思いを曝け出しました。

 親にすら話していないことも、全て吐き出しました。

 向き合おうともせず。向き合えなかった過去を、傷を抉るように話している内に。

 イジメの傷は治るどころか。傷口が完全に開いて血塗れで、生々しいまでに悲惨な状態であることを、改めて知りました。

 

 私の気分の浮き沈みは。職場環境が変わったことで罹患したうつ病だけが原因ではなく。

 絶対に漏らさないと誓うようにして封じ込んできた、過去の記憶やイジメの経験が根本的な要因となっていたのです。

 

 一通り話し終えたところで、カウンセラーが一言、私に言葉を掛けてくれました。

「そんな状態だったのに、登校拒否にならず通学し切ったのですね。普通ではとても耐えられないのに」

  一瞬、その言葉に疑問符が浮かびました。

 何故なら、私の中では当たり前のことをしてきたまでだったからです。

 

 登校拒否にならなかったのは、恐らく負けず嫌いな部分があるからだと思っています。
「そこまで、私が嫌か。なら、こっちもお前の思うようにはならないからな」

 という思いが最後まで残り続けていたからでした。黙って引き下がることができなかったのです。余計に嫌われる結果となりましたが、最早知ったことではありませんでした。


 カウンセリングの終わり際。

 カウンセラーはそっと微笑みながら。

「そんな思いをされてまで登校拒否にならなかったのは、凄いことです。誰にでもできることではありませんよ。自分を、褒めてあげて下さい」

 途端に、私は言葉を失って。少しだけ、肩が震えたことを覚えています。

 

 


 帰宅した私は、疲れ切っていました。

 癒えない傷を曝け出し、抉るような思いで話すことは、想像していた以上に疲弊を齎していました。

 しかし、これまで感じたことのない感情が、私を取り巻いていました。

 

 

 否定し続けていた自分を、許しても、良いのかな……

 


 積りに積もった思いを吐き出し、それを基に自分の「認識」を変えていけるのなら。

 私は、私を否定しない自分になりたい。

 寝床に就く私は、これまで自らの手で足かせを付けていたかのような心が。軽くなって、なんとなく解放されたような心地好さに包まれていました。

 嬉しさなのか、安堵なのか。

 その夜は、哀しくもないのに。思い切り、泣きました。涙が止まりませんでした。

 

 初めてのカウンセリングは、カウンセラーの方との相性も良く。今でも、通い続けています。

 

 

 

 

 カウンセリングは怖いものでも、自分の負けを認めるようなことでもない

 

 

 もし、身内や大切な人にも言えない、苦しい思いや過去を抱え続けて。

 生き辛さを感じている方がいらっしゃいましたら。

 

 カウンセリングを受けることは、決して怖いことではありません。

 時には自分と向き合って、一時的には苦しい思いに打ちひしがれることもあります。

 ですが、独りで抱え続けることは、必ず限界があります。

 

 その時は、カウンセラーに思い切って話すことも、選択肢の一つとして、どうかお考えになってください。

 

 人に話すことで、自分に負けただとか、弱みを見せるだとか。時には罪悪感のようなものを抱えるかもしれません。

 でもカウンセリングを受けることは、そういった負の感情を取り払う為にあると思っています。

 私も、最初は自分のことで人が悩んでしまうのではないか。自分のことで、誰かを巻き込みたくないという思いで一杯でした。

 そんな私に、カウンセラーの方は言ってくれました。

 

 それがカウンセラーの役割だから、心配なんて必要ない。

 

 その言葉があったからこそ、私は今もカウンセリングに通って。譬え一時的であったとしても、拠り所の一つとなっています。

 

 

 独りで悩まないで。そう言うことは簡単です。

 

 それでも、もしこの記事をご覧になって、カウンセリングというものに対する意識が変わって。通い始める切っ掛けとなれば、この上ない幸いなことです。

 

 

 

 今回も御閲覧くださいまして、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

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【HSS・HSP】情報遮断 ~刺激の断捨離~

  昼間はすっかり暖かくなってきたのにも拘らず、朝晩の冷え込みは未だに厳しい日が続いています。

 重なるかのように、激しく叩き付ける雨。不安が日に日に積み重なっている、白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 今やいつでも、誰もが簡単に情報発信し、受け取る。情報産業部門は意思伝達の手段だけに留まらず、娯楽の一つとしてなくてはならないものとなってきています。

 

 

 しかし私は、今回の新型コロナウイルスによって、その弱点が浮き彫りになってきているように思い始めています。

 終日流れる情報は多岐に渡り、数えることなど到底不可能な程の数が、ばら撒かれるように錯綜しています。

 数の暴力と言わんばかりの情報の波。人間の脳が処理できる能力を遥かに超えて、それでも尚私たちを飲み込むかのように駆け抜けては消えていきます。

 

 連日の報道やネットニュースに、もう疲れたと訴える方も多くなってきているそうです。

 

 私も、その一人です。

 HSPを自負する私は外界からの刺激を多く取り入れてしまいって。4月の頭頃より、許容を超える情報を前に悲鳴を上げ始めています。

 

 なら、見なければ良いのに。

 

 そう思い、自制を試みても。

 何かと刺激を求めてしまうHSSの側面が強く出てしまい、理性を振り切った「興味本位」のまま情報を漁っていって。

 挙句の果て、飽きた頃には。自分には過ぎた情報過多により、「やっぱり、やめておけば……」と勝手に後悔してばかりでした。

 

 

 今回は、自分への戒めの意味も込めて。

 自分の意志とは関係なく、容赦なく駆け回る情報の渦。それに巻き込まれる危険性と。

 真偽の程も曖昧な数多くの情報の中から、本当に必要なものは何なのかを自分なりに見出す大切さを。

 そして今だからこそ、時には思い切った情報と刺激の遮断と断捨離が必要であることについて、HSSとHSPの気質を持つ私なりの思いと共に綴っていきたいと思います。

 

 

 

 ※注記※

 客観的視点で書くことを目指し努力する本ブログですが、本記事は個人的な主観視点での意見や言葉が多くなります。

 正しさも間違いもないと思いますが、ご意見等ございましたら、お手数ですがコメントや問い合わせフォームよりお言葉を頂戴できればと思います。

 ※注記終了※

 

 

 

 

 

 不安と他責に塗れた報道

 

 新型コロナウイルスについて、本格的に取り上げられ始めたのは、2月の終わり頃だったでしょうか。

 それまで他国で発生していたことにも関心が薄く、芸能人や五輪についての報道が多く流れていたと記憶しています。

 それが、時を経るに連れて。

 新型コロナウイルスが、日本を侵食し始めたことを契機として。報道機関はこぞって、新たな感染者が各都道府県で出る度に、無感情のまま事実だけを伝えるようになっっていきました。

  

 そしていよいよ、世界的流行と国内感染が顕著になり、五輪が一先ず先延ばされたことが決定打となったかのようにして。

 それまで鳴りを潜めていた国内感染者が、倍以上に膨れ上がったことが報道されて。

 対応に迫られる政府の軟弱さを露呈するような記事も、連鎖的に増え始めたように思えてなりません。

 

 人類の存亡を掛ける今、批判することは簡単です。故に、ここでは個人的な思いや感情は控えさせていただきます。

 

 然れど、一つだけ。

 報道される事柄は、少しでも見る人を安堵させる内容は皆無で。どれも不安ばかりを煽るようなものばかりに見えてなりません。

 例えば、マスクが全くない現状に。

 報道はマスクを求めて列を成す人々ばかりを映して、意味や意義があるとは思えないインタビューを繰り返してばかり。

 

 そんなもの、一般人でも十二分に承知していることだよ。要らないよそんな報道。

 

 このような事態でも、企業秘密のようなものでもあるのでしょうか。

 マスクの在庫は十分にある、と政府が自信を持って宣言しているのに。

 街には、「在庫なし、入荷未定」の張り紙ばかり。

 

 マスクを始めとする衛生用品を取り扱う販売店は、現実としてクレームや問い合わせが相次いでいると聞いています。

 ネットニュースでも、当事者が「毎日が地獄です」と悲鳴を上げています。

 

 だからこそ、ではありませんが。

 報道機関だからこそ、できることが他にあるだろうと、思えてなりません。

 店頭にマスクが並ばないことには、必ず理由があるはずです。

 それを追求するだけでなく。実際に製造している生産所の倉庫へ取材して、在庫状況を映し出すことは果たしてできないのでしょうか。

 とは言え、それはそれで製造工場に人が押し寄せるといった、別の問題が出かねないのかもしれません。

 しかしただ単に「在庫は十分だから、買い占めしないで」と根拠や確証を見せずに無責任に訴えられるよりも、余程信用できると私は思っています。

 

 

 そう思い始めて、早二ヶ月程。未だ報道のあり方は変わりません。

 

 感染者が増えている、だから政府の言う通りに自粛して欲しい。連日、同じ謳い文句しか流れてきません。

 

 報道って、何の為にあるのでしょうか。

 

 元よりバラエティやドラマといったものに興味がなく、テレビを見ない私は、こうして記事を叩くように綴っている今も。

 私の部屋にあるテレビは、パソコンの大型モニタとして大活躍しています。

 

 

 

 

 怒りと嘆きに満ち溢れたSNS

 

 

 飽く迄一方的である報道に対して。

 自ら情報発信でき、共有や共感を目的としたSNSでは、更に深刻で凄惨な状況です。

 

 匿名性であるが為に、時には思い切った発言や賛同を呼びかけられるその場は。

 

 行政や報道に対してに留まらず、行き場のない個人的意見や言葉が乱立しています。

 そこには怒りだけに留まることなく、嘆きを通り越した諦観、他者不信とも取れる意志を叩き付けたものも多いです。

 

 実生活を元に、感情任せに叩き込んだ文面がある中で。

 中には敢えてヘイト記事として注目を集めて。あたかも賛同を暗に募るような投稿も見受けられます。

 

 SNSはどんなに素晴らしくて賛同を集めるような言葉や思いが書かれても。

 飽く迄個人的主観を抜けることはないと思っています。

 

 

 しかしながら、そこに羅列される言葉は。余りにも生々しくて、切実で。

 並べられた言葉を遥かに超えた感情のような思いが複雑に絡み合っていて。

 閲覧する私に流入することになりました。

 

 

 

 

 

 

 必要な情報を得ようとして、HSPの気質が感情さえも拾って

 

 

 

 自分が本当に必要とする情報を求めようとした私は。信憑性に乏しい報道やネットニュースを避けてきた結果。

 

 発信者の生の声と言って差し支えない、SNS上の言葉の数々に出会うこととなりました。

 

 

 そのような場面でも。HSPという気質が、無意識的に発現し続けていました。

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

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 私の場合は五感の中でも、特に音に敏感です。

 今回の内容に当てはめると、報道する人々やコメントする解説者の声に、大きく反応しました。

 事実を伝える為に、敢えて感情を出さないようにしている報道関係者はともかくとしても。

 インタビューされる人々や、それを受けて意見やコメントする解説者の声は。

 

 オブラートに包むようにして。言葉を慎重に選びながら、声色さえ平静を装っているように聞こえても。

 私は、表向きの声色以上に深入りして。その人が抱える感情や思いを、半ば無意識的に拾い上げていました。

 それが不安であったり、怒りであったり、嘆きであったり。あたかもそれは、絵の具をグチャグチャにかき混ぜたような、感情の塊のようなものを感じて。

 喉元まで出かかっているものを、必死に抑えているように思えてならなくなって。

 そしてそれが、自分自身が同じ思いを抱えているかのように。

 錯覚、と言えば良いのかわかりませんが。

 今回については尚更強く、そんな感覚にさえ陥ってばかりでした。

 

 

 刺激を捨てたいのに、刺激を求めようとして

 

 

 そうやって勝手に、周りの情報を刺激として取り込んで。その裏に見え隠れする感情に翻弄されてばかりでした。

 

 このままで流されるように情報を取り込み続ければ、自分まで侵食されて。

 最期は、心が壊れる。

 

 頭という「理性」ではわかっていながらも、それでも探求を止められませんでした。

 それは恐らく、刺激を追い求めるHSSの気質が大きく出ていたからだと認識しています。

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 

 ここで少し脱線させていただいて。

 

 HSSとHSPを併せ持つが故の行動について、私なりの見解を綴らせていただきたく思います。

 

 私は元々「超」が付く程の怖がりです。

 その為ホラー的な話や映画は、物凄く苦手です。例えば「呪怨」といった作品は、とてもではありませんが怖くて見ることなどできません。

 

 にも拘らず某掲示板で語られるような怖い話や都市伝説といった類には、恐怖心よりも好奇心の方が上回って。

 突き動かされるかのように読み耽って、背筋が凍るような思いをして。読み終えた頃になってやっと、恐怖と不安が支配するようになります。

 それが後を引くかのように。寝る間際になっても、目を瞑るだけでも妄想のように恐怖が映像化されて、脳裏を過ぎって。 

 

 見なければ良かった。夜中にトイレに行くのも怖い。どうしよう……。

 

 怖いもの見たさが為に勝手に突っ走っておきながら、後々後悔して暫く引き摺り続ける。

 

 それが私が考える、HSS型HSPというものを簡単に表現できることです。

 

 

 脱線した話を戻しますと。

 

 言葉以上の感情を取り入れてしまい草臥れてしまうことはわかっているのに。それでも好奇心と興味が先走ってしまう私は。

 

 今回の事態にさえ、同じことを繰り返していました。

 

 結果的には、自業自得と言える程に。

 好奇心が先走ったが為に、様々な感情を取り込んで、感化して。

 食欲が減退する程に、気が滅入る毎日を送るようになっています。

 

 

 

 情報遮断と刺激の断捨離

 

 

 今の私は。

 全ては、自ら抱える性質を知りながらも、制御できなかったことに起因します。

 

 それをHSPだからとか。HSSだからとか。そういった言葉で片付けて、逃げることはしたくないと思い始めるに至りました。

 

 そこで、これまで受け入れるがままでいた自分自身の性質を。

 

 理性を以て制するという、初めての試みを始めました。

 

 これまでは「入ってくる以上、仕方ない」と信じて止まなかった情報を、五感からの刺激を。

 自分の意志で、必要か不要かを選択して。不要と思えたものは、遮断する。

 情報を遮断した上で、それでも入ってくる刺激につても。

 取り入れるか否かを自分の意志で決定して、断捨離することを決意するに至りました。

 

 

 具体的に私が実践した内容を、簡単に羅列したいと思います。

 

 

 情報の遮断については、簡単でした。

 テレビを主な媒介とする報道は、元々関心の薄かった為、テレビをパソコンのモニターとして用いることで、容易に遮断することができました。

 

 

 苦戦したのが、SNSでした。

 

 ブログを綴る身として、SNSは簡単に切ることはできませんでした。

 特に、インターネットと繋がる度に飛び込んでくるニュースや叫びは。私の決意など成す術も なく、容赦なく情報を齎し続けました。

 

 そこで、逆に考えました。その答えは、容易いものでした。

 

 見に行かなければ良い、と。

 

 自分が「本気で」求めていないのであれば、尚更のこと。

 そうやって不要な情報源を断ち切る一方で。

 

 癒やしとも憩いの場とも言えて、訪れ続けた場所は。

 幸いなことに、今まで通りの活気を保ったままでした。

 好んで見るようになった動画配信者の方も、私の趣味趣向が飛び交う場が、平穏で有り続けていることに、私は安堵するかのように詰まった息を吐き出していました。

 

 

 情報の渦に飲み込まれて、一時は見失いかけた私でしたが。

 報道という全国的にではありながらも、結局は一方的に「押し付ける」ようにしてきたものを捨てて。

 SNSでも、所謂大手と呼称される団体からの情報を遮断して。

 五感から齎される刺激の断捨離も、辛うじて成功することができました。

 

 

 

 とは言え現状を掴むことは、確かに必要なことに変わりはないと思います。

 しかしながら、それ以上の感情や思いを汲み取る必要は。ないと私は思っています。

 

 今の私は、必要以上の情報を齎さない「SmartNews」というアプリだけを用いて、情報を得ています。

 このアプリは事実だけを的確に伝えるものです。

 大手企業のニュース記事でありがりな、筆者の意図や感情は一切排他されています。

 

 個人的におすすめ出来ると共に、情報が錯綜する今だからこそ、頼れる存在です。

 

 

 最後になりますが。

 未だに脅威を広げ続ける新型コロナウイルスは、世界を蹂躙して収まることを知らぬまま、人類を不安と恐怖に陥れ続けています。

 それに立ち向かうことができる術は、今現在でも確立されていないからこそ。

 喩え矮小な意識でも、一個人という弱い意志であったとしても。

 飛び交う情報に左右されずに存在し続ける、一人ひとりの思いが。

 いつの日か多大な情報を上回って、未曾有の事態を打破出来ることを。

 

 正体さえ掴めないウイルスに、報いるようにしてでも打ち勝てる日が必ず来ると、私は信じています。

 

 喩え拠り所をなくしてしまったとしても。

 

 ウイルスを目前にしてでも、負けてなるものかという思いが、続く限りは。

 

 

 

 

 今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

 

 

 

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【うつ病・価値観】何も言わない強さ 〜答えない勇気〜

  夜通しの夜勤を終え、眠気眼のまま帰路に就いていた時のことでした。

 5時を過ぎれば世界は明るくなり始め、夜の街を少しずつ昇り出す太陽が照らし出し始めます。

 この時期になると出勤時間には陽光が突き刺さり、暖かみと眩しさを齎します。

 

 ですが、先日の夜勤を終えて高速道路をひた走っていた私と愛車を。

 

 山と空の境目から、明る過ぎるまでの太陽が照らし出しました。

 その強さは目が眩む程の、激烈なまでに煌めいていました。

 

 太陽って。こんなに、綺麗だったっけ。

 

 目を半開きにしながら拝む光は、晴れ渡った青空に余りにも美しくて。

 ハンドルを握りながら手は疲れていましたが、感情を揺さぶられて言葉を失った、白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 連日投稿している、うつ病について。

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

  積み重なった思いと共に、もう一つ。綴りたいことができました。

 

 うつ病と診断されて、薬やサプリメントが欠かせなくなった身体になってから。

 周囲との齟齬だけに留まらず、一見親切心に見える言葉の数々を受けて、一時的には励まされた気持ちであっても。

 時が経って独りになった時には、私はいつも落胆して、勝手に落ち込んでばかりいました。

 

 そんな時、いつも思い浮かんでは離れない思いがありました。

 

 どうして、思ってもいない言葉を。愛想笑いと共に、返したんだろう。

 

 

 今回は、人からの声に応えなければという思いを全身で受けて。考える余裕もないのに、適当な応答や曖昧な言葉を並べてきたことを。

 誤魔化したり適当な言葉を並べて、良い子振るかのように振る舞うことが、自分だけでなく、相手をも傷付けかねないこと。

 それにより、自分なりに行き着いた「敢えて、何も言わずに答えない」という一つの選択肢を取る勇気と強さについて、綴っていきたいと思います。

 

 

 ※注記※

 本記事では罵りや汚らしい雑言が並びます。

 私が感じたことに準じて記載して参りますが、この注記を御覧になり不快に感じたり嫌悪を覚える方がいらっしゃいましたら、申し訳ありませんがお引き返し願います。

 ※注記終了※

 

 

 

 

 

 

 

 うつ病と言えなくても、声を掛けてくれる人たち

 

 

 会社勤めの身であれば、定期検診やストレスチェックを受けることにより。

 指標的ではあれど、自身の身体的・精神的状況を数値化することで、雇い主は雇用者の健康状態を掌握することができます。

 

 例えば、血液検査にてある値が許容値を超えている結果が出た場合。

 産業医その他を通じて、生活改善や指導を行うことが、ある程度雇用者に通告することが可能です。

 

 

 しかし私は、そういった数値化されたデータよりも。

 血液検査等を経ても、決して数値化などできない事項に対して、疑問に感じてならないことがあります。

 

 それは、精神的な負担や病についてです。

 外見的変化や体内状況を数値化、表面化できないが為に。飽く迄自己申告制であることに、私は長い間疑念を抱いてきました。

 

 

 この場では簡単に、私の例を上げさせていただきます。

  

 任せられた仕事が上手く捗らない自分と。それに対して、上手くこなしている人たちとを、無意識に重ね合わせてしまって。

 私は、どこまでもダメなんだと勝手に比較して、自己嫌悪して。その度に落ち込んで。

 落ち込んだ気持ちを少しでも拭わんばかりに、溜め込んだ鬱憤や嫌悪を、独り喫煙室で吹かす煙草の紫煙と共に吐き出してきました。

 

 そのような時でも。愛煙家の先輩が喫煙所に入ってきた途端に。

 それまで下を向いてばかりだったはずの私は。先輩の顔色を窺うかのように。

 「お疲れ様です」と一言添えながら、自分が抱える本当の思いや感情に対して嘘をついて。

 他愛もない話を掛けられたら、それに適当に合わせるようにして、偽りの笑みを浮かべて答える。そんな日々を送ってきました。

 声を掛けてくれることは、純粋に嬉しいことでした。

 それなのに。

 

 

 私を放っておいてくれ。

 

 

 愛想笑いの裏に隠そうとした、自分の本音を悟られないようにしていたにも拘らず。

 

 「どうした白兎、なんかあったのか?」「元気ないじゃん、どうした白兎?」 

 数十年という長き会社勤めをする先輩たちは、簡単に見破られました。

  さり気なくて、温もりを持った言葉は。

 

 時に励まされて、冗談を交えながら笑い合うことも沢山ありました。

 嘘偽りで塗り固めていた私には、そんな言葉が似合わない程までに恥ずかしくて、掛けられることさえ烏滸がましいと思う程で。

 申し訳ないとすら思い続けてきましたが、それでも。私には純粋に有り難く、何度も救われてきました。

 他愛もない言葉や会話。それらが心の安寧を齎すことを、時を経る毎に実感できるようになりつつあります。

  

 

  

 言われて刺さった言葉の数々を経て

 

 

 そういった言葉を受け取って、乱れた心を落ち着かせられてきた一方で。

 

 親切心に見えても、実際に言われて傷だらけの心に突き刺さった言葉も沢山ありました。

 

 実際にインターネットにおいても、うつ病を患った人に対して「こういった言葉はNG」と記載されていることが沢山あります。

 

 その中でも、本記事では落ち込んで項垂れていた私が実際に言われて、身を抉られるような思いをした言葉だけでなく。致命的とまではいかなくても突き刺さって。

 心に影を落とすように「知りもしないで……!」と勝手に憎んで。『私のことなんれ、放っておいてくれ』という思いを助長させた言葉を並べていきたいと思います。

 

 

 一つ目は、「気にし過ぎだ」。「気のせいだ」

 これは主に精神を病んだ時に、念の為報告と相談を兼ねて話をした上司からの言葉でした。

 イジメを経験していることで、一層癪に障った謳い文句です。

 これらの言葉を掛けられる度に、私は「気のせいだったら、どんなに楽に生きてこられたことか!」と憤りながら虫唾が走って。

 話しても無駄だな、と確信した言葉でした。

 

 

 二つ目は「苦しいのは皆同じだから」「皆辛い思いをしているんだから」

 考え方によっては、周りも辛くて苦しい思いをしているのだから、自分だけが辛い訳ではないんだ……と、堕ちかけている私を救おうと、鼓舞してくれる言葉でさえも。

「頑張れば、乗り越えられる」「今が踏ん張り所だよ」。

 一見寄り添ってくれているように思いながらも、人によって違う苦しさや辛さを、一つに纏めようにしていることに。そうすることによって、「お前だけが辛いんじゃない」と強引に押し込まれるかのように諭される言葉は、私には受け入れがたい言葉でした。

 誰もが苦しんで、辛いながらも生きていることは、わかる。自分だけが辛い訳ではないことは、わかっているつもりではありました。

  

 でも、全部同じように纏めようとするなよ。

 

 頑なに拒み続け、今でも言われれば嫌悪感を覚える言葉の一つです。

 

 

 最後は、「頑張れ」「踏ん張れ」

  これまでにない位、頑張りに頑張り抜いて。それでも自分が高みを求めたり、周りから求められたりして。

 身体の、心の許容量を超えてしまった為に。精神を蝕まれて、生きる意義そのものを失いかけている人に対して。

 頑張れ、という励ましの言葉は。

 

 これ以上頑張れないのに、それでも尚頑張れと鞭打つつもりなのか。

 息をして、食べることも眠ることもまともにできない人に、まだ頑張れと言うのか。

 

 そういった思いから、私が「頑張る」という言葉が嫌いになって。使うことも使われることも避けるようになりました。

 

 

 

 

 

 

 頷くことも、一つの選択肢

 

 

 

 誰しも普遍的で激励の言葉によって、意図的に個人を落ち込ませたり、

 掛けられる言葉の数々は、思いやりに満ちていると思います。

 

 しかしながら、私は疑り深いせいか。

 善意に溢れた声にさえ。その裏を無意味に勘ぐってしまう癖が、未だ抜けずにいます。

 掛けられる言葉や声を真に受けることで。いつも後々後悔して。

 答えらしい答えを見つけられないまま、自分はおろか人さえも信じることができなかった私は。

 

 これまで自分が掛けられて、その度に嫌な思いや不快感を覚えてきた言葉。

 それを、相手にも掛けないようにすると決意しました。

 

 そうする為に出来ることを探して、模索して。一つの選択肢を、見出すに至りました。

 

 何も言わずにただ頷くこと。適当に答える位なら、相槌を打つこと。

 

 少なからず、人の顔色を伺って生きることしか知らずに来てしまった私には。

 端から見れば、本当に聞いているのか。そうする自分に意志はないのか、と問われても。

 掛けられた言葉対して、何も言わないこと。わざとらしい言葉を返す位なら、答えないことが、私にできる最大限のことではないかと思い始めています。

 

 

 しかしながら、現実的にはそういった思いだけでは通用しないことも確かです。 

 実際に会社にて、明確な意志や考えを持っていないと捉われて。

 「ちゃんと聞いてる?」

 と吐き捨てられたこともありました。

 

 

 そんなこともあり、敢えて何も言わなかったり答えを出さないことには、強さと勇気が必要なのだと改めて考えさせられました。

 

  

 喩え誤解されても、軽蔑されるようなことがあったとしても。 

 揺るぎない、強い言葉や思いだけが全てではなく。

 

 私は、言葉として答えることが全てではないと思うと共に。

 自分を不必要に傷つけるだけでなく。時として、相手を傷付けてしまうようなことがないように。

 会話する上での、一つの選択肢の一つとして数えても良いのではないかと、信じています。

 

 

 

 

 

 

 今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

  

 

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【うつ病・人生】一度、死んだ私 〜痛みから、伝えたい〜

 4月に入り、冬の寒さの名残と言わんばかりに、朝夕寒い日が続いています。

 冷たく、強い風が舞う中。

 暫く雨模様が続く予報を見て、スタッドレスタイヤからノーマルタイヤに交換し終えて、やり遂げた感に浸る一方で。

 雪が降ったら「駅まで行けません」と会社に言い訳しようと企んでいる、白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 前書きは程々にしながら、今回は。

 

 前回綴った記事で書き切れなかった、私が罹患し通院を続けているうつ病について。

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 一度は自分の手で命を絶とうとしたことを契機に。

 この身は、一度死んだと割り切りながらも、それでも生きたいと思って。

 精神科に通い始めて、セカンドオピニオンを通して今の主治医と出会い、今に至るまでのこと。

 そして。

 同じ病を抱える方や、今にも精神が壊れかけている、お辛い方に向けて、私なりの思いと言葉を綴っていきたいと思います。

 

 ※注記※

 本記事は死に関して綴るだけでなく、グロテスクな表現が含まれます。

 この注記を御覧くださり、不快感並びに不愉快さを感じた方は、申し訳ありませんがお引き返し願います。

 ※注記終了※

 

 

 

 

 

 

 

 自らの手を以て、自分の命を絶とうとした瞬間

 

 

 

 

 私はそのまま、凶器を両手で柄を握り締めて。

 まともな食事も摂らぬまま痩せてきていた、腹に押し付けていました。

 久しく研いでいなかった刃は、それでも鋭さを保ったままでした。少しでも力を込めれば皮膚を破り、肉を簡単に突き通して。

 内蔵まで、抉ってくれるだろう。

 

 このまま思い切り突き刺せば、食べることにも、眠ることにも。

 人間関係にも疲れて、生きることに対して全てを投げ出していた私に、安楽を齎してくれる。

 死という、絶対的な安寧を信じて。

 

 

 思えば。

 あの時、急所にならない腹に刃を突き立てるのではなく。

 

 喉元に、死への渇望のまま穿っていたのなら、結果は変わっていたのかもしれないな。

 

 などと面白くもない思いを、今は抱いています。

 

 

 一度死を享受したはずだった私は、どうしてか。

 腹に当てた包丁を戻して、聞き手に持った私は、その切っ先をもう片方の指を押し当てました。

 少し力を入れた刃は、指の皮を簡単に引き裂いて、肉を抉って。

 指先から、血が迸りました。

 

 思考も、身体の感覚も麻痺していた私に、痛みが全身を突き抜けました。

 そして、流れ出る血を、徐に舐めて。

 口の中に広がる、鉄と生臭さを足したような、血の味。

 

 そこまで来て、ようやく私は自我を取り戻しました。

 初めに口走った言葉は、余りにも稚拙で、どこまでも切実だったことを覚えています。

 

 

 腹に刺したら、痛いよな。

 

 

 今でもすっ転んだり、家具の角に脚をぶち当てて、その度に痛いと感じていますが。

 指を自ら突き刺して、血を流しながら感じた、この時の痛みは。

 これまで感じてきたどんな怪我よりも、病気よりも、特別な痛みとして記憶に残り続けています。

 

 

 そのような、馬鹿な真似をしてまで感じた痛さなど確かめようとしないで、思い切って凶刃を突き立てれば良かったのに。

 そう思いながらも、やはり、私はいつまでも臆病でした。

 

 その臆病さがあったからこそ。

 こうしてブログを綴ることができる、今の私がいるのだと思っています。 

 

 

 

  全てが狂い、思考も歪んでも尚、痛みだけは。

 上手い表現が見つかりませんが。

 痛みは、空になった私を満たして。死に向かう私を止めていました。

 

 その後、私は決して冷静になった訳ではありませんでした。

 自ら命を絶とうとしたことに対して、戒めることも。

 涙を流すようにして、死に損なったことを嘆くようなこともなく。

 

 包丁を戻しながら、ただひたすら思うのでした。

 自分は、死のうが消えようが構わないと思う気持ちは変わりませんでした。

 

 死のうとすることは、いつでもできる。

 でも仮に自死した後の処理の方が、大変で面倒になると思いながら。

  それ以上に。

 私が勝手な思いで死を選ぶことで、身内に迷惑を掛けることになることになる。

 その方が、死ぬことよりも

 ずっと、辛い。

 

 時刻は、日付を跨ぐ間際となっていました。

 私は自嘲と情けなさを溜め息として吐きながら、眠れもしない寝床に就くのでした。

 

 

 

 

 うつ病と診断されて

 

 

 

 死を自らの手で迎えようとして、結局できなかった私は、出社後も仕事をまともにこなせる状態ではありませんでした。

 

 ここまで来てようやく、精神科に受診しようと決意しました。

 

 

 イジメの時もそうでしたが。

 まさか、自分が精神をおかしくして、精神科に行くだなんて、と。

 

 

 しかし未遂ながらも、前夜に自決を選んだ私は、死ぬことを怖がるよりも。

 次に同じことをした時には、本当に身内に迷惑を掛けることになりかねないということを、何よりも恐れていました。

 

 自ら死を選ぶことで、自分だけは安楽を手にして、この腐った世の中にさよならできたとしても。

 ただひたすら、自分のことで身内に迷惑をかけたくない。

 その思いだけが、私を生かしていました。

 

 そしていざ、受診した心療内科で診断を行った結果。

 

 気分障害であること。

 その中でも、絶えることのない不安や興味への損失を伴い、不眠や抑うつを示す「うつ病」と診断されました。

 

 初めて受診した後に処方される薬は、抗うつ薬、抗不安薬や入眠導入剤という、これまで馴染みのないものばかりでした。

 この時はまだ、それぞれの薬品がどのような効果を示し、その代償としての副作用を齎すのか知ろうともしないまま。

 

 ただひたすらに、異動後から抱え続けた不安と不眠を解消してくれるのであれば。

 得体の知れない薬の数々を服用することに、躊躇いはありませんでした。

 

 

 

 快復しながら、次なる職場へ

 

 

 藁にもすがる思いで処方された薬を服用を続けていく中で。

 最初こそ、目立った効果は見られませんでした。

 

 副作用がなかっただけでも喜ばしいはずなのに。

 

 本当に、効いているのだろうか?

 

 という思いばかりが募っていきました。

 

 しかし数週間経った時を境に。

 落ち込んでばかりで、何に対しても興味も失っていた私は。

 少しずつ、失い続けていた思い理性や感情を取り戻し始めました。

 

 心が徐々に穏やかになって、不安も一時的にであっても掻き消してくれるだけでなく。

 何より、睡眠をより戻してくれたことは、本当に助けられました。

 眠りを欲する身体に対して、覚醒し続ける脳を。

 強制的にシャットダウンさせる。或いは無理やりブレーカーを切るかのようにして眠りに就くことができたことが、嬉しくて仕方ありませんでした。

 決して褒められるようなものではないと言われても、喩え自然な眠りでなくても。

 休息を得られる手段を見つけられたことで、私は救われました。

 

 それと同時に、これまで無関心であった精神科が処方する薬剤に対して興味を持ち始め、私はネット上に広がる知識を元に自ら知識を蓄え始めました。

 

 

 時を同じくして、少しずつ快復し始めた私は、異動命令を受けました。

 それは兼ねてより願っていた、地元の職場に戻れる異動でした。

 

 

 異動を切っ掛けとして、最初こそ救いの手を差し伸べてくれた心療内科ではありましたが。

 そこは受診者の意見を受け止めるようなことはなく、飽く迄主治医の判断だけで処方する薬が決めるという、半ば事務的に処方箋を出しておりました。

  受診する身として、意見するのも烏滸がましいと思いながらも。

 異動にあたり、通うことが難しくなったという理由を元に、セカンドオピニオンを申し付けて。

 

 十年弱が過ぎようとしている、現在の心療内科に通院するようになっています。

 

 

 

 痛みから、伝えたい

 

 

 一度自害しかけた私は。

 

 あの時に、一度死んだ。

 

 そう自負しながら、妥協と惰性と諦めを積み重ねながらも、何とか生きています。

 生きることに。生存本能が希薄な私ではありますが。

 

 

 今この瞬間、同じような症状に抱えて。辛くて苦しみながらも、生きている人たちに。

 もしくは、閉塞感が日に日に強まる毎日に疲れて。何かしろの身体や精神の変化に戸惑い、生きることに絶望しかけている人たちへ。

 

 痛みというものを全身と心で味わって、それでも今ブログを綴っている私が、私なりの思いと言葉で申し上げたいことがあります。

 

 

 まず一つ目にして、一番大切なこと。

 自分について、良く知ることです。

 眠ることについては、普段の睡眠のサイクルがどのようなものなのか。

 食事で言えば、いつもならどのタイミングでどれだけの量を食べているのか。

 意識しなければ気にすることのないことですが、私としてはここがとても大切になってくると思っています。

 

 人間誰しも、落ち込んだり怒ったり、不安になることはあります。

 そういう時は、気持ちだけでなく身体も必ず何かしらの反応が出てきます。

 先程申し上げたことに当てはめた時、例えばイライラしてついヤケ食いやヤケ酒してしまった。反対に落ち込むばかりに、何も食べたくないと食事量が減った。

 眠りに関しても、不安でたまらなくて寝付けない、真夜中なのに何度も目が覚めてしまう。逆に眠くて仕方なく、目が覚めたら昼をとうに過ぎていた。

 

 これらは一過的なストレスに対して揺らいでしまった心を守ろうとする、身体の防御本能によるものであると考えています。故に普段から逸脱した生活習慣に陥ったとしても、それらの行為を行うことでいつも通りに戻れるのなら、私は変に心配する必要も自己嫌悪する必要はないと思っています。

 

 

 問題なのは、そういった身体の変化がいつまで経っても元に戻らない時です。

 目安としては2周間以上生活習慣の変化が変わらないと言われていますが、私は1周間続いたら危険であると思っています。

 それだけ、心と精神はダメージを受けて、身体が「このままだと危ないぞ」と悲鳴を上げているはずです。

 

 

 理性や心よりも、身体は正直です。

 

 

 私の場合は、食欲に顕著な変化が出ます。

 唯でさえ食べる量が少なく、外食で定食を頼むような時は、「ご飯を半分で」と頼む位えです。

 これが会社ないしプライベートでストレスを感じ続けた時、真っ先に食欲がなくなります。

 いつもの食事事情と明らかに違うことがわかった瞬間、「ああ、このままだとマズいな」と判断して、薬の量を調整したり主治医に電話相談するようにしています。

 

 

 些細で繊細な変化な場合もあり、最初は気付くことが難しいかもしれません。

 ですが、どうか。

 自分というものの食生活や睡眠を知った上で。そこから違和感を覚えていつまでも続くようでしたら、可能なら「風邪をこじらせました」と嘘を言ってでも会社や学校をお休みしたり。

 抵抗はあるかもしれませんが、心療内科や精神科に電話相談でも構わないと思います。

 気の問題や一時的なものだろうと決して決めつけないで、ご自身の身体が発する悲鳴を無視するようなことはなさらないでください。

 

 

 もう一つは、もしうつ病を始めとする心の病を患ってしまった時。

 心の病と「闘う」のではなく、「許容して共存」するという意識が大切になってくることです。

 

 精神疾患と言うとネガティブな印象が強く、現に社会でもネット上でも「甘えだ」などと非難したり白い目で見られる現代です。

 その為に、「精神を病んだ自分は、心が弱いんだ」「こんなストレスにも耐えられないなんて、ダメな人間だ」と自己嫌悪したり自暴自棄になることは多々あります。

 

 私も、その一人でした。

 

 ですが、そうなるまで身体と精神を削って、折れそうになっても踏ん張り続けたことで、心が蝕まれてしまった。

 それだけ、必死に生き抜いてきた証なのだと思います。

 限界を超えて、これ以上踏ん張ったら本当に死ぬことになる。それを食い止める為に、身体と精神をダウンさせることで心を死なせないようにしている、最後の防御反応。

 それが心の病であると、私は思っています。

 

 私は元々、「頑張る」という言葉が嫌いです。掛けることも、掛けられることも大嫌いです。

 ですが、ここでは書かせていただきます。

 

 喩え心を病んだとしても、身も心もボロボロになるまで、頑張って生きてきて。

 それでも、病気を患っても頑張って生きている。

 時には、闘うことも必要になります。ですがそれ以上に、そうやって懸命に生きるご自身を。

 

 

 もう頑張らないで、今は、休む時なんだ。

 ここまで、よく頑張ってきたね。ありがとう、自分。

 

 

 そのような言葉を、ご自身に掛けてください。

 

 必死に、生きるという道を歩き続けたことに、疲れてしまったご自身を。

 思い切り抱きしめて、寄り添って。

 受け入れがたく、困難なことですが。

 もしまた、一度快復しても再発した時に、絶望しないように。

 心の病気を敵視しないで、最後に自分を守ってくれたものとして、共に歩んで行くことを、どうか恐れないでください。

 

 

 

 身体と心から血を流して、痛みを感じて。そこから得たものを糧にしながらも生きている、私からの思いです。

 

 

 

 

 今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

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【うつ病・人生】心を病んだ、あの日 〜自ら手繰り寄せた、死〜

 明け方や夜は冷える日が続いていますが、日中は陽光と暖かさに包まれるようになりました。

 そのせいか、外出の仕事では後輩がハンドルを握る車の助手席で、うたた寝することが多くなっている、白兎です。

 

 

 皆さん、おはようございます。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 このブログを立ち上げて以来、私は精神疾患を患いながら、今尚治療を続けていることを簡単に申し上げて参りました。

 

 ここに来るまで、いつか書こうと思っていた、うつ病。

 過去記事を参考にできるかどうか今一度見直した所、簡単な成り行きしか綴ってきませんでした。

 

 振り返ることが、怖かったのか。それとも、思い返すことで当時の葛藤や怒り、自分に対する情けなさを思い出してしまうかもしれないことを、怖がっていたのかもしれません。

 

 そして今、うつ病に至った経緯を書こうとすると、目線を逸らすようにして、タイピングもままなりません。

 

 ですがブログを通して、過去の出来事過去のイジメやHSPという人との違和を感じ続けてきたことと向き合って、自分というものを認めて、共感して。

 分離しかけていた自分を受け入れてこれた今、しっかり見つめ合うことを決意して、綴ることを決意いたしました。

 

 

 今回は、私が気分を害して、自分の身に起こり続けた異変の数々。

 日常生活を送ることさえ困難になって、生きること自体が苦しくて。

 イジメ以来に、心がへし折れてしまったことについて、綴っていきたいと思います。

 

 

 今回の内容は長くなる為、数記事に分けて投稿していきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 精神と心が蝕まれて

 

 

 

 まず始めに。

 私は気分障害という分類の中で、うつ病と診断されています。

 発病して早くも数年が経とうとしている今も、精神科に通いながら、治療を続けています。

 

 

 そうなった切っ掛けは、社内異動により、当時激務を極めていた首都圏の職場へ転勤したことでした。

 

 人見知りが激しいだけでなく、過去の経験から「人を信じたり、頼りにする」ことを愚行とも、恥じらいとも思っていた当時の私は。

 迎えられた先で、歓迎会と称する飲み会に半ば強制的に参加されて。

 異動先の、酔った上司や先輩の聞きたくもない話を聞いて幻滅しながらも。

 

 いざ務めだした際には、通勤する毎日が、限度というものを知らないまでに満員電車に詰め込まれながら。

 果たすべき業務を遂行する為に、職場へ向かっていました。

 

 その職場は本社の一角で、席を置く社員のほとんどが出世コースに乗ったエリート集団の集まり。

 そんな中に、形式的にはOFF-JTと言われながらも、現実は派遣という形突っ込まれた私は。

 学歴や入社時の採用形式の差だけでなく、エリートたちの頭脳との差異を逸早く感じて。

 自分が最底辺の、働きアリの役割を担うことになることを知ってしまいました。

 

 最初の方こそ、同じ処遇である先輩や同僚がいてくれたお陰で、愚痴の言い合いや食事を共にすることによって。

 痛み分け、とでも言えばいいのでしょうか。

 エリート集団の考え方や存在に、辟易しながらも。

 何とか自分という存在を保ち続けることができました。

 

 しかし。

 

 今まで、自分を騙すようにしてきたことが、裏目に出始めていました。

 

 それは「相手の顔色を窺う」ことでした。

 

 本心では、誰も話しかけてほしくない時であっても。

 黙りを決め込んでその場を凌ぐことよりも、話しかけてくれる会社の人たちに対して、無意味な相槌を打ったり。

 愛想笑いを浮かべて、あたかも同調いているように見せかけて。

 

 本当は、掛けられる言葉の数々を聞いている「フリ」をしてきました。

 そうやって、事あるごとに浮き沈みを繰り返して。

 「聞いていますよ」などと嘘を付き始めて、早くも数年が過ぎ去ろうとしています。

  そうすることでしか、自分の身を、精神を守れずにいた私でした。

 

 相手に、そして自分に嘘を貫き通してきた先に待っていたことは。

 配属先のエリート集団から求められる、一日のノルマを確実にこなせという無言の圧力と。

 

 配属先とは別の席に座る、上司から一方的に伝えられた「残業は極力避けろ」という、残酷な言葉。

 トラブル等により、やむを得ず残業を申告した時であっても。

 「それって、本当に必要なの?」

 「そういうことを減らす為に、君ができることってもっとあるはずだよね?」

 

 机上の空論で固められた当時の上司の皮肉とも挑発とも受け取る言葉を受けて。

 派遣されているこちらの状況も知らないで、知ろうともしない癖に。

 

 綺麗事を言う上の連中に反抗するかのようにして、憤りと不満という感情が湧き出ることに乗じる形で、どうにか自分の身と精神を保っていました。

 

 対をなす両者の思いに、板挟みされて。

 それでも尚、同じ処遇で立場を共にする先輩や同期と共に、辛うじて一日を凌ぐ日々が続きました。

 

 

 

 異変

 

 

 

 そのしわ寄せが来たのは。余りにも唐突でした。

 

 当時仲の良かった同期と、派遣先の方と、お酒を飲みに行った時のこと。

 私は経歴が浅かった私ではありましたが、同期と派遣先の方は付き合いが長かったようで、歳の差はあれど、日頃からコミュニケーションを取る仲だったそうです。

 そんな折、日頃の鬱憤を紫煙と共に吐き出していた私を。

 見かねたかのように、同期に誘われて飲みに趣きました。

 

 席に付き。

 いつもならお酒を飲み、次を頼み続けることで、気を紛らわせてきました。

 しかしその時は、今まで体験したことのないような感覚が、私を支配していました。

 

 会話を進める同期と、遥か年上の社員。

 その言葉が。同じ場所にいるのに。

 

 どうしてなのか、全く耳に入って来ない。

 

 お酒の場に、確かに座っている事実は変わりないのに。

 意識だけが、勝手に自分から離れていく。

 幽体離脱、と例えて良いのかはわかりませんが、自分の身体と精神が分離して。

 まるで自分が、俯瞰視点で席に腰を下ろしている私を、見下ろしているような、訳のわからない状況に陥っていました。

 

 それが怖くて、溜まりなかった。

 

 自分の中で起こっている異常事態に。

 目の前のお酒も、料理にも手を出せなくなった私は。

 得体の知れない恐怖に飲み込まれていました。

 

 このまま、死ぬのではないか。

 

 不安と恐ろしさが、吐き気となって襲いかかってきて。

 お酒の場を共にする二人が直様、荒く息を吐いておかしくなっている私に心配の眼差しを注いでくれました。

 そして、まともな応対さえ困難になっていた私を案じてくれるかのように。

 憩いの場になるはずだった飲みは中止となりました。

 会を潰してしまったことに謝罪しながら、その場を後にしようとした私でしたが。

 

 帰路に就くことにさえ、独りでいることがとてつもなく怖くなっていました。

 

 怯えるように震える私は、いても立ってもいられず。

 幸いにも、お酒を飲んでいた同僚が帰路方面が同じだったことを理由にして。

 一緒に、帰って欲しいと懇願しました。

 

 声さえ震えていた勝手な願いに、快く応えてくれた同僚に、今でも感謝しています。

 

 電車に揺られながら。

 尚も続く吐き気と荒い息。止まらない脂汗。

 同僚が降りる駅までの間、彼は震える私の背中を擦ってくれました。

 

「大丈夫?」ではなく。

「大丈夫、俺がいるから」と言い続けながら。

 

 その声にも、私はひたすら「ごめん……」としか答えることしかできないまま。

 

 

 

 

 次々に発現する身体と、付いていけない心

 

 

 以来、異変は日に日に進行していきました。

 

 それまで何も考えることなく食べられていた食事が、喉を通らなくなっていました。

 食事を目の前にしても。唾液も出ず、空になった胃は胃酸で鈍い痛みを齎しながらも。

 

 食べたくない。

 食べること自体が、億劫だと思うようになり。

 元々食事に関心がないことに拍車を掛けるかのように、まともな食事を摂ることができなくなっていきました。

 

 これまで会社では、言葉を交わすことができた数少ない先輩や同僚と、昼食を共にすることが多くありました。

 ところが、いざ注文した料理が目の前に並んだ時。

 本来なら醸し出す香りが鼻を刺激し、湯気を立たせる見た目が視覚から入り込むことで食欲を湧かせるはずのものが。

 

 何の感情すら、浮かびませんでした。

 ひたすら食べたくないな、という思いを振り切って、口にしたその味に。

 出てくる思いは、何もありません。

 

 五感から齎される情報は確かでも。処理する脳が機能不全となっていたのか。

 美味しいとも不味いとも思うことなく。

 食事という行為は、ただただ、仕方ないから胃にものを押し込む作業と化していました。

 

 

 身体の変化は、それだけに留まりませんでした。

 元々私は眠りが浅く、特に入眠が下手くそで、寝入るまで30分~1時間は要する程です。

 故に眠くなってきたからというよりも、時間が来たから明日に備えて寝よう、という思いで睡眠を取ってきました。

 それまでの通りに、寝床に就いても。

 睡魔は、確かにありました。

 でも、脳だけが覚醒しているかのように、入眠する気配が一切なくなっていました。

 逸早く眠ろうと、無理やり寝返りを打って。

 眠るのに一番楽な体勢を探すかのように、布団の中で藻掻いてばかりいる内に。

 

 時間だけは、容赦なく過ぎていくばかりで。

 眠れないと、明日の仕事に支障が出るという思いばかりが先走って。

 

 寝たいのに、眠れない。

 焦燥感と、眠れない自分に対する苛立ちだけが確かでした。

 

 それでも、ようやく意識が飛んで、朝を迎えられて。

 やっと眠れたのか。

 

 と安堵する日は、遂に来ませんでした。

 

 喩え意識が静まって、眠ったと思っても。

 いつの間にか、目が覚めて。

 時計を見ると、意識を手放してから1時間しか経っていません。

 

 クソっ、と苛立つ思いを一服を挟んで落ち着けて。

 再び寝床に入っても。

 いつまでも、眠れない。

 寝たとしても、1時間。長くても2時間程度しか経たない。

 

 疲れも、募る苛立ちも解消できないまま、会社に向かう満員電車の中で。

 一切の雑音を掻き消すように、イヤホンから音楽を流して。

 その時だけは、唯一意識を手放すことができて。

 気が付いたら、降りる駅の直前だった。

 そんな仮眠にもならない眠りは、就寝で取ることもできなくなっていた私には、救いとも言える程でした。

 

 

 唯でさえまともな日常を送れなくなり始めていた私に、追い打ちは止まることを知らないかのように、攻めかかります。

 

 当時はダーツにのめり込んでいたこともあり、一人で無心に、三本の矢を投げ続ける。

 その時間だけが、「ダーツを投げる」ことだけに集中でき、会社や日常を忘れ去ることができる、たった一つの拠り所となって。

 長ければ3時間、永遠とダーツを続けることさえありました。

 

 それなのに。

 それまで興味を持ちストレスを発散することにさえ関心を失って。

 雑踏の場に行くことだけで済まされず、唯一無二だった、趣味とも心落ち着ける場にさえ赴く気力もどこかへ霧散して。

 

 帰社後は、夕飯を摂ることも億劫になって。

 眠れもしない寝床に、ただ横たわる日ばかりが、無意味に過ぎ去って行くのでした。

 

 

 

 心が、折れた

 

 

 日々の疲労もストレスも、まともに回復も発散も禄にできなくなって。

 自分の身体に、精神に起きていることにさえ、違和感を通り越した異常を来していることは明白でした。

 でも、何もできない。おかしくなっている現状を打破する手段も思い浮かばない。

 

 どうして、こんな状態になっているのだろう。

 何が、自分を変貌させてしまったのだろう。

 

 

 これまでなら、臆病な為に脱兎の如く逃げ出してまで、自分の身を守ってきた私は。 

  そんな思案さえ、自分を追い込む思いと化して。

 

 最後は。

 自分自身を何とかしたい思いを振り切って。

 

 

 こんな、辛い思いをしてまで。

 生きる必要なんて、ない。生きる価値もない。

 

 

 その夜も、まともに寝付けずにいました。

 焦点すら合わない目と、いつ転んでもおかしくない足取りで向かった先で。

 

 私は、調理用の包丁を手に取っていました。

 食べることに関心を失い、永らく使わずにいたその切っ先は。

 この身を貫くには、十分な鋭利さを保っていました。

 

  

  滑らかな銀色を、淡い灯りが照らし返していました。

 その輝きに魅せられるかのように。

 

 もう、終わらせてもいいよな。

 

 包丁を握る私の思いは、半ば決まっていました。

 

 今回は、ここまでにさせていただきます。御閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

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Tails Intersecting -Castling-

※注記※

 本記事はこれまで投稿した「Tails Intersecting」「Tails Intersecting -Stalemate-」「Tails Intersecting -Promotion-」「Tails Intersecting -Material Advantage-」「Tails Intersecting -Promotion-」の続編となる、短編小説です。

 登場人物は私の趣向により、ケモノです。

 この注記をご覧になり、違和感や嫌悪感を抱いた方は、申し訳ありませんがお引き返しください。

 ※注記終了※ 

 

 

 

 

 

 Tails Intersecting -Castling-

 

 

 

 教室は、草食獣の悲鳴が反響するだけでなく。

 オオカミ同士の殺し合いを前にして。

 

 騒動の発端となったトラも、ピューマも。

 ホッキョクオオカミに押さえ付けられた関節の痛みに苦悶の声を漏らす柴犬も。

 そして、最初に喧嘩を吹き掛けられた俺でさえ。

 制する声も、出せないまま。

 その光景を、見詰めることしかできなかった。

 

 ホッキョクオオカミの腕に牙を立て、そのまま噛み砕こうとするハイイロオオカミと。

 腕を噛まれ、束縛から逃れようと唸り声を上げ続けるホッキョクオオカミ。

 しかし体格と膂力差から、噛まれた右腕の束縛は逃れることはできずにいた。

 

「その牙を、食い込ませるほど。僕の……俺の腕が上手いか、ハイイロオオカミ」

 

 空いている左肘や脚を使ってハイイロオオカミの顔面を殴るホッキョクオオカミの目は血走り、噛みしめる牙は砕けんばかりに軋っていた。

 対するハイイロオオカミは耳を貸さぬかのように、ひたすらホッキョクオオカミの腕に食らいついて。

 肉食獣の本能とも呼べる、噛み付いた相手を噛み砕くまで離すまいとばかりに。

 ホッキョクオオカミの腕から飛び散る血を、その顔に受けながら。

 まるで、愉悦に浸っているかのようにさえ見える。

 

 

 こいつらは。

 肉食獣は。

 狙った獲物をその牙と顎で噛み砕いて。咀嚼して飲み込むことが、全てなのか。

 その為なら、喩え同じ肉食獣であろうが、同族のオオカミであろうが、関係ないのだ。

 

 目の前の、血が舞い肉が抉られ、骨が軋む音を耳にして。

 脚が震えて逃げることもできない、俺は。

 草食獣の生存本能と同時に。

 

 逃げることもできない俺自身を、咎めるように。

 肉親からも疎まれて、それを見返したい思いで、周りを無視してまで勉学縋るようになって。

 血筋というものに、草食獣の俺ができる唯一の反抗を形にしようとしていたものが。

 眼前のオオカミ共に、崩されそうとしている。

 

 

 こんな、血生臭いことで。

 今まで貫いて、逃げることを勉学に変えたきた俺を。

 草食獣や肉食獣だけでなく。

 種族というものだけで。

 

 草食獣として生まれた俺を。

 肉食獣の強さを持ったお前らは……!

「噛み付くことに、必死なのは構わないが」

 感情を掻き回されるように、知らない間に奥歯を噛み締めていた俺の耳に。

 ホッキョクオオカミの、氷獄のように冷え切った声が、俺の思いを引き裂くかのように響いて。

「腹が、がら空きだぞっ!」

 猛るような声と、喉元から溢れる唸り声と共に。

 ハイイロオオカミの腹に、ホッキョクオオカミが右膝を思い切り叩き込んだ!

 

 奇襲のような一撃に、うめき声を一瞬上げたハイイロオオカミは思わず顎を開き。

 噛まれた右腕の拘束から、その隙きに逃れたホッキョクオオカミは身を翻して瞬時の間に後退、間を広げる。

 

 蹴られた腹を抑えながら、その口から唾液と血を滴らせるハイイロオオカミ。

 その一メートルもない先で、ホッキョクオオカミが片膝を付き、荒々しく息を立てても尚、仇敵とばかりに睨みを効かせていた。

 息苦しそうに声を絞り出したのは、ハイイロオオカミが先だった。

「ゲッ、ホ……身のこなしは、小柄な君の方が上手、か」

 その声を聞いてからか。

「腕を噛み砕こうとしたその口が、良くほざく」

 牙を突き立てられた右腕から流れる血を、徐に舐める。

 あたかも、自分の血の味を楽しむかのように。

 その口を自らの血で赤く染めた、ホッキョクオオカミ。

 

 いつの間にか姿を消したかと思えば。

 知らぬ間に姿を見せ、度々クラスメイトを驚かせてきた。

 これまでの陰湿的とも、影と共に生きていると思わせる程だったホッキョクオオカミは。

 草食獣の俺から見て、獲物を求める野獣に見えて。

 一度捉えた相手を逃がす、という選択肢を捨ててまで。

 尚も執拗に、固執するかのように眼光を光らせている。

 

 これが、肉食獣の本能なのか。

 だとしたら、俺のような草食獣なんて。

 

 こいつらからすれば、獲物であり、ただの食い物でしかないのだろう。

 そう思い始めてしまう。

 

 なのに。

 これまでは、そうやって呆れて諦めるようにしてきたんだ。

 

 それなのに、何なんだよ、この気持ちは。

 言葉に、できないのに。

 ただただ怒りのような、苛立ちのようなものが、全身を支配していく。

 気持ち、悪い。

 闘争本能などないはずの、草食獣の俺が。

 何で、こんな思いが……!

 

「お、おい。流石にヤバいだろこれ以上は。」

「やめて!貴方たちが争うところなんて、見たくない……!」

「誰か先生呼んできて!このままじゃ、二匹が!」

「殺し合う気なのかよ。やめろお前ら、落ち着けって」

 

 自分の感情さえ制御できなくなってきている俺を尻目に。

 周りの草食獣や肉食獣が、ようやく異変に気付いたのか。

 叫ぶように、もしくは戒めるようにな声が、教室に響き始めた。

 

 だが。

「煩いな。今まで黙っていたのに、今更騒ぎ出した外野は黙ってろ」

 ホッキョクオオカミが放った一言が。

 ざわめき始めた、教室にいる全員の意思や思い、そして行動を凍り付かせた。

 その様にホッキョクオオカミは牙を見せながら。

 ニヤリと笑いやがった。

「そう、その顔だホッキョクオオカミ君。隠してきた本性が、やっと出てきたみたいだね」

 目の前のオオカミたちは、争いにケリをつけるかのように。

 肉食獣が闘争する際に顕著となる、前傾姿勢になり。

 いつでも、相手を殺せる状態に成り果てていた。

 「よく口が廻る奴だ。来いよ、何を躊躇しているんだ、「同族」?」

 それでも尚、理性を保っているのか、挑発しているのか。

 両手を床に付けて牙を剥き出すホッキョクオオカミに向かって。

「言わせておけば、やっぱり君は気に食わない……!その首、噛み砕いてやるっ!」

 ハイイロオオカミが、地を蹴って跳躍した。

 それと、ほぼ同時にだったか。 

「何をやっているんだ、お前らっ!!」

  机を叩きながら、俺は今まで張り上げたことのない声を、オオカミどもに叩きつけていた。

 組み合った二匹のオオカミが。

 トラが、ピューマが、柴犬が。

 教室中の視線が、一斉に俺に突き刺さった。

 それでも。俺は。思いも感情も抑えることができなかった。

 そして、眼前の馬鹿二匹に向かって、叫んでいた。

「こんなことばかり続けて何になるって言うんだ、馬鹿野郎共がっ!」

【生き方・価値観】コロナウイルス、自粛 ~試される、生き方~

 暦も、すっかり4月に入りました。

 季節は春に移り変わりながら、暖かみを少しずつ帯びながら、自然は日を増すごとに穏やかさを見せ始めています。

 

 新型コロナウイルスという、猛威を除けば。

 

 

 皆さん、おはようございます。如何お過ごしでしょうか

 

 

 世界的大流行となり、今尚衰えることを知らない新型コロナウイルス。

 各国に大混乱と大恐慌を齎し、首都封鎖という致命的措置を余儀なくされています。

 

 特効薬だけでなく、代替えとなる既存の薬品が効果を示した、といった希望さえないまま。

 今を以て尚、新たな感染者確認や、それにより亡くなられた数だけが虚しい程に報道されるだけで。

 生きることに対して影を落とすかのような、先行きが闇に塗れたままであります。

 

 

 そのような中でも、これ以上の感染を、犠牲者を出さない為に。

 各国の首脳陣は、厳格な外出禁止令を発令して、違反者は罰金もしくは逮捕となる厳しい対応に踏み込みながらも。

 その補填として、給付金や助成金を出すという、明確な対応を打ち出し始めています。

 

 唯一つ。

 対応も政策も、曖昧な態度を取り続ける、日本を除いては。

 

 世界各国だけでなく、日本も数多の感染者が、未だ増え続けています。

 著名な方だけでなく、多くの方がウイルスによって犠牲になり。

 数多の企業が大打撃を受けて、営業停止のみならず破産する会社が止まらないのにも拘らず。

 思い切った規制だけでなく、補償を示していない、日本の政界がまるで機能していないからだと、思えてなりません。

  それ故に、自粛に自粛を重ね、追い込まれる中でも。

 都道府県レベルで、市町村レベルで、そして個人レベルで。

 独自の支援や要請を出して。それに応えるかのように、日本中の人々がウイルスに立ち向かっています。

 

 それはまるで。

 ウイルスという脅威が、 当たり前とさえ思えてきた、これまでの生活が破壊して。

 人間という生き物を、ウイルスに立ち向かう生き方を「試している」かのように、私は感じるようになっています。

 

 

 今回は、新型コロナウイルスという猛威に対して。

 多少強引であったとしても、少しでも感染拡大を抑えようという姿勢を見出だせない、軟弱とも思えてしまう日本という国を。

 それによって、人間の生き方というものを「試されている」のではないかと思えたことについて、綴っていきたいと思います。

 

 

 ※注記※

 本記事は特定の個人を批判、非難することを避けるように努めて参りますが、やや辛辣的で私という個人的感情が大きくなります。

 この記事を御覧になって、不快感や違和感を覚えた方は、手数ではありますが本ブログの問い合わせページからご意見賜ればと思います。

 内容次第を鑑みて、この記事を削除いたします。

 また、本記事では既出の内容、並びに意見については省略いたしますことを、何卒ご容赦願います。

 ※注記終了※

 

 

 

 

 

 

 新型コロナウイルスが、国の存続をも危うくさせて

 

 

 これまで多少疑うようなことはあっても、当たり前と信じて送ってきた現実。

 朝起きて、身支度して、出社、或いは登校して。

 仕事をこなしたり学業、運動に勤しんで。

 日暮れと共に帰宅して、ご飯を食べてお風呂に浸かって、娯楽に浸った後に、眠りに就く。

 これはほんの一例に過ぎませんが、各々がそれぞれの日常をこなしてきました。

 

 辛さや苦しさ、時には痛みを味わうことの方が圧倒的に多い中でも。

 ほんの少しの嬉しさや楽しさを求めて、生きてきました。

 

 しかし、陰謀論さえ囁かされる新型コロナウイルスの出現によって。

 普遍的だった日常はいとも簡単に壊され。

 一つの国に留まらず、世界中の国を侵食して、全て破壊しようとしています。

 

 天災とも人災とも言われる一連の騒動は、収束の光は一向に見えないまま。

 多くの犠牲者と経済損失を齎しながら、尚も拡大を続けています。

 

 

 各国の首脳陣はこの状況を打破すべく、様々な政策を打ち出し始め、施行しています。

 しかしそれ以上に、入外国や外出禁止によって大打撃を受けた企業の破産が止まらない状況です。

 

 特に日本では、自粛や休校といった「要請」を出すだけで、それに対する具体的な対策を出すことを躊躇っているかのように見えます。

 

 

 

 自粛、自粛、そして自粛

 

 

 そもそも、何の為に自粛を呼び掛けているのか。

 勿論、新型コロナウイルスをこれ以上拡散させない為なのは、言うに及びません。

 

 もう、誰がウイルスを保菌しているのかさえわからなくなっている今。

 人との接触を極力避ける以外に、方法がありません。

 自粛自体は、決して間違いだけではないと私は思っています。

 

 

 ですが、その実は。

 自粛要請に従わずに、夜の繁華街へ出歩く人が後を絶ちません。

 要請されていることさえ知らなかった、と答えた若い方がいる程です。

 

 ましてや、感染拡大を防止する為に密室空間に大勢が集まるような場所に行かないことや、不必要な旅行に出向くようなことは避けるべきことであり、それを無視した行動は批判されても弁解の余地はないと思います。

 海外であれば、逮捕や罰金沙汰になる程、感染拡大という側面から見れば軽率な行動、思考であると思っています。

 

 

 ですが私はそれ以上に、自粛を要請してばかりいることの方が気になっています。

 

 要請というものは「お願い」を強調する程度のものであり、法的な強制力はありません。

 極端な言い方をすれば、「あれだけ要請したのだから、後の責任は知らないよ」と言っているようなものです。

 

 それに対する現実は。

 数カ月に及ぶ新型コロナウイルスに対する疲弊やストレス。

 巷ではコロナ疲れと呼ばれていますが、政界の方々はそれらを少しでも和らげるような、安心させるような政策も、今もって何一つ出していません

 

 

 まともな方針や政策も出そうとする気がないのか、したくてもできないのかはわかりませんが。

 

 そのような政界に、希望を失った時。

 

 先の自粛要請を無視して行動したり、「自分の身は自分で守らなければ」と思うようになり、買い占めに走ったりするという悪循環に陥るのではないかと思いつつ。

 

 今が、まさにその時の最中であると、思わざるを得ないのです。

 

 

 生き方を、試されている

 

 

 それでも尚、多くの破壊を齎し続けるコロナウイルスに対して。

 

 自分の身は、自分でしか守れないのだと改めて認識して。

 

 私たちは、人間は。生きる希望を捨てることなく、個人ができることから始まって。

 企業が、市町村が、都道府県が、これ以上の被害を出さないように奮闘し続けています。

 今までの生活を試すかのように、猛威を奮って、壊していくウイルスに。

 感染拡大を防ぎ、人命を守りつつ。崩壊しかけている経済を、立て直そうとして。

 方向性や考え方の差異はあっても、ウイルスに負ける訳にはいかないと、奮戦しています。

 

 私も、一人の人間として。

 コロナウイルスに殺されてたまるかという思いと共に。

 自分が感染者に、誰かに移してしまう媒介者とならないように、しっかり食事を摂って免疫力を高めて、体調管理を怠ることなく。

 俗に言う「三密」と呼ばれる場所に出向くことは決してせず、報道に惑わされることがないよう、情報を最大限に遮断して。

 そして、自分が既にウイルスを持っているかもしれないと自覚する意識を第一として、これからの日々を進んでいきたいと思います。

 

 

 少なくとも。

 人々を、少しでも安心させるような政策も出さない政界の人たち。

 自粛ばかり要請しておきながら、碌な補填策も表明し実施しようとしない方々は。

 納税者からの税金を、まさかの一住所ごとにたった2枚の布マスク配布という形で使うという、稚拙な施策しか出していません。

 そのようなことしかできない、国の舵を握る方々を、感情任せに非難する位なら。

 

 逆境と言える今この瞬間を、懸命に生きていきたいと思っています。

 

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

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