【生き方・価値観】コロナウイルス、自粛 ~試される、生き方~
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暦も、すっかり4月に入りました。
季節は春に移り変わりながら、暖かみを少しずつ帯びながら、自然は日を増すごとに穏やかさを見せ始めています。
新型コロナウイルスという、猛威を除けば。
皆さん、おはようございます。如何お過ごしでしょうか
世界的大流行となり、今尚衰えることを知らない新型コロナウイルス。
各国に大混乱と大恐慌を齎し、首都封鎖という致命的措置を余儀なくされています。
特効薬だけでなく、代替えとなる既存の薬品が効果を示した、といった希望さえないまま。
今を以て尚、新たな感染者確認や、それにより亡くなられた数だけが虚しい程に報道されるだけで。
生きることに対して影を落とすかのような、先行きが闇に塗れたままであります。
そのような中でも、これ以上の感染を、犠牲者を出さない為に。
各国の首脳陣は、厳格な外出禁止令を発令して、違反者は罰金もしくは逮捕となる厳しい対応に踏み込みながらも。
その補填として、給付金や助成金を出すという、明確な対応を打ち出し始めています。
唯一つ。
対応も政策も、曖昧な態度を取り続ける、日本を除いては。
世界各国だけでなく、日本も数多の感染者が、未だ増え続けています。
著名な方だけでなく、多くの方がウイルスによって犠牲になり。
数多の企業が大打撃を受けて、営業停止のみならず破産する会社が止まらないのにも拘らず。
思い切った規制だけでなく、補償を示していない、日本の政界がまるで機能していないからだと、思えてなりません。
それ故に、自粛に自粛を重ね、追い込まれる中でも。
都道府県レベルで、市町村レベルで、そして個人レベルで。
独自の支援や要請を出して。それに応えるかのように、日本中の人々がウイルスに立ち向かっています。
それはまるで。
ウイルスという脅威が、 当たり前とさえ思えてきた、これまでの生活が破壊して。
人間という生き物を、ウイルスに立ち向かう生き方を「試している」かのように、私は感じるようになっています。
今回は、新型コロナウイルスという猛威に対して。
多少強引であったとしても、少しでも感染拡大を抑えようという姿勢を見出だせない、軟弱とも思えてしまう日本という国を。
それによって、人間の生き方というものを「試されている」のではないかと思えたことについて、綴っていきたいと思います。
※注記※
本記事は特定の個人を批判、非難することを避けるように努めて参りますが、やや辛辣的で私という個人的感情が大きくなります。
この記事を御覧になって、不快感や違和感を覚えた方は、手数ではありますが本ブログの問い合わせページからご意見賜ればと思います。
内容次第を鑑みて、この記事を削除いたします。
また、本記事では既出の内容、並びに意見については省略いたしますことを、何卒ご容赦願います。
※注記終了※
新型コロナウイルスが、国の存続をも危うくさせて
これまで多少疑うようなことはあっても、当たり前と信じて送ってきた現実。
朝起きて、身支度して、出社、或いは登校して。
仕事をこなしたり学業、運動に勤しんで。
日暮れと共に帰宅して、ご飯を食べてお風呂に浸かって、娯楽に浸った後に、眠りに就く。
これはほんの一例に過ぎませんが、各々がそれぞれの日常をこなしてきました。
辛さや苦しさ、時には痛みを味わうことの方が圧倒的に多い中でも。
ほんの少しの嬉しさや楽しさを求めて、生きてきました。
しかし、陰謀論さえ囁かされる新型コロナウイルスの出現によって。
普遍的だった日常はいとも簡単に壊され。
一つの国に留まらず、世界中の国を侵食して、全て破壊しようとしています。
天災とも人災とも言われる一連の騒動は、収束の光は一向に見えないまま。
多くの犠牲者と経済損失を齎しながら、尚も拡大を続けています。
各国の首脳陣はこの状況を打破すべく、様々な政策を打ち出し始め、施行しています。
しかしそれ以上に、入外国や外出禁止によって大打撃を受けた企業の破産が止まらない状況です。
特に日本では、自粛や休校といった「要請」を出すだけで、それに対する具体的な対策を出すことを躊躇っているかのように見えます。
自粛、自粛、そして自粛
そもそも、何の為に自粛を呼び掛けているのか。
勿論、新型コロナウイルスをこれ以上拡散させない為なのは、言うに及びません。
もう、誰がウイルスを保菌しているのかさえわからなくなっている今。
人との接触を極力避ける以外に、方法がありません。
自粛自体は、決して間違いだけではないと私は思っています。
ですが、その実は。
自粛要請に従わずに、夜の繁華街へ出歩く人が後を絶ちません。
要請されていることさえ知らなかった、と答えた若い方がいる程です。
ましてや、感染拡大を防止する為に密室空間に大勢が集まるような場所に行かないことや、不必要な旅行に出向くようなことは避けるべきことであり、それを無視した行動は批判されても弁解の余地はないと思います。
海外であれば、逮捕や罰金沙汰になる程、感染拡大という側面から見れば軽率な行動、思考であると思っています。
ですが私はそれ以上に、自粛を要請してばかりいることの方が気になっています。
要請というものは「お願い」を強調する程度のものであり、法的な強制力はありません。
極端な言い方をすれば、「あれだけ要請したのだから、後の責任は知らないよ」と言っているようなものです。
それに対する現実は。
数カ月に及ぶ新型コロナウイルスに対する疲弊やストレス。
巷ではコロナ疲れと呼ばれていますが、政界の方々はそれらを少しでも和らげるような、安心させるような政策も、今もって何一つ出していません
まともな方針や政策も出そうとする気がないのか、したくてもできないのかはわかりませんが。
そのような政界に、希望を失った時。
先の自粛要請を無視して行動したり、「自分の身は自分で守らなければ」と思うようになり、買い占めに走ったりするという悪循環に陥るのではないかと思いつつ。
今が、まさにその時の最中であると、思わざるを得ないのです。
生き方を、試されている
それでも尚、多くの破壊を齎し続けるコロナウイルスに対して。
自分の身は、自分でしか守れないのだと改めて認識して。
私たちは、人間は。生きる希望を捨てることなく、個人ができることから始まって。
企業が、市町村が、都道府県が、これ以上の被害を出さないように奮闘し続けています。
今までの生活を試すかのように、猛威を奮って、壊していくウイルスに。
感染拡大を防ぎ、人命を守りつつ。崩壊しかけている経済を、立て直そうとして。
方向性や考え方の差異はあっても、ウイルスに負ける訳にはいかないと、奮戦しています。
私も、一人の人間として。
コロナウイルスに殺されてたまるかという思いと共に。
自分が感染者に、誰かに移してしまう媒介者とならないように、しっかり食事を摂って免疫力を高めて、体調管理を怠ることなく。
俗に言う「三密」と呼ばれる場所に出向くことは決してせず、報道に惑わされることがないよう、情報を最大限に遮断して。
そして、自分が既にウイルスを持っているかもしれないと自覚する意識を第一として、これからの日々を進んでいきたいと思います。
少なくとも。
人々を、少しでも安心させるような政策も出さない政界の人たち。
自粛ばかり要請しておきながら、碌な補填策も表明し実施しようとしない方々は。
納税者からの税金を、まさかの一住所ごとにたった2枚の布マスク配布という形で使うという、稚拙な施策しか出していません。
そのようなことしかできない、国の舵を握る方々を、感情任せに非難する位なら。
逆境と言える今この瞬間を、懸命に生きていきたいと思っています。
今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。