白兎と雪狼の、果てなき旅路

ドライブやドライブや写真撮影を趣味とし、その他、HSPやAセクシャル、イジメ。精神的・心理的なことについて綴っていきます。

【トラウマ・生き方】服装にさえ、恐怖に囚われて ~些細な記憶が、縛り続ける~

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 3月の終わりには、最高気温が夏日を記録したのに。

 4月に入った途端、忘れていたように遡るかのようにして。

 再び朝晩は氷点下まで下がり、天候は荒れ狂うように激変しています。

 

 自然さえも、簡単には安寧を齎すことなど許さない。

 そんな思いさえ感じつつも、自然にも、現実社会にさえも。

 不安と訝しさを併せ持って久しい、白兎です。 

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか

 

 

 地域によっては夏日を記録するような気温の上昇と共に。

 半袖や、ハーフパンツ。脛まで伸びて素肌を出す、七分袖のズボンのような軽装を身につける方々をちらほらと見始めて参りました。

 子どもたちも同じように、寒さに耐える為に着込んでいたジャンパーやウインドブレイカーを脱ぎ去って。涼しさを求めるように、肌を露出する薄着になり始めています。

 

 日に日に世間が春を経て、夏へ向かっていこうとしていく中で。

 私は代謝の悪さと冷房に対する耐性の弱さが災いして。容赦なく吹き付ける冷えた空気に耐える為に、長袖の吸汗・冷感生地の薄手インナーを基本として。

 その上に長袖ワイシャツを着込んで、更にベストを着用しています。

 それが喩え35℃を超える真夏日であったとしても、職場においては。

 更にウインドブレイカーを羽織る私は、周りから大抵の場合奇異の目を向けられてばかりでした。

 

 特別、誰かに迷惑を掛けている意識などないのに。それでも冗談を通して声を掛けてくれる人たちの言葉を前にして。

 

 自分が、やはり世間とズレているのだろうな。と自嘲するようにしながら。

 喩え服装にさえ、頑なに拘り続けていること。そこには、微かな記憶と共に。

 思い返せばする程、貫くようになった自分の服装について、心当たりがあることを思い出すのでした。

 

 

 今回は、自らの趣向や季節柄だけに留まらない、自己アピールの一つにもなる服装に対して。

 私は、とある出来事を経験したが為に、今も尚些細な記憶として残り続けて。

 自由に服を選べなくしまったことについて、綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 季節に合わせて、自己表現にもなる服装

 

 

 春を迎えて暖かさが増していき、草木が芽吹いて景色を彩り。夏には、容赦なく降り注ぐ陽光の熱さと地面が沸騰する程の熱さを齎し。

 秋は徐々に冷え始め、世界も枯れゆくように哀愁を漂わせて。冬に向かうに連れ寒さが厳しくなって、いづれ訪れる春を待つように耐え凌ぐ。

 日本は四季に恵まれていることもあり、他の国以上に季節というものを身近に感じるものであると思います。

 

 私たち人間はその中でも、独自の進化と言える文化を築き上げてきたと思っています。

 例えば発汗や新陳代謝を始めとする機能は、恒温動物でありながら毛皮や毛並みを持たない為に発達したものであると考えています。

 

 その最たるものとして。

 私たち人間は服という外装を纏うことで、季節の変化に対応しています。

 暑ければ肌を少しでも露出することで風を受けたり発汗しやすくすることで、夏場を凌いで。

 寒ければ保温性に優れる材質の服を選んだり、重ね着することで体温が逃げないよう調節しながら、冬を乗り越えています。

 

 そうやって寒暖差を、服装を以て乗り越えてきたヒトという種族は。

 現代では個々人が着る服というものが、ファッションという形を経て。その人の自己表現となっていると、個人的に感じています。

 特段、芸能人や著名人が着る服装は、雑誌その他情報媒体を通して。

 多くの人に影響を及ぼしていることに、恐らく事実であることと思います。

 服装というものは。人間の第一印象は、外見であるという言葉が後押して。

 その人それぞれの個性や流行という形で、深く浸透してきたことは、恐らく事実に変わりないと思っています。

 

 私のような、ファッションというものに鈍感で。流行というものに疎い人間でなければ。

 

 

 

 

 小学校までは、好きな服を選んでいた

 

 

 前置きが長くなりましたが、かくいう私も、記憶の限りでは小学校までは周りと同じようにして。

 学校での服装は通学以外は私服が認められず、体操着が基本とされていました。

 当時は現代のようにハーフパンツというものが浸透しておらず、下は短パンというものが当たり前でした。

 低学年ならまだしも。人によっては、思春期を迎えるクラスメイトも少なからずいました。

 私も、その一人でした。

 声変わりもクラスの中で一番早く、また疎いながらも異性や同性に対しても。

 自分という、一つの人格や自我が芽生え初めていました。

 

 半袖について抵抗はなくとも。短パンという、思い切り脚を露出する格好に対して。

 周りが下着をトランクスに変えていく中で、短パンでは下着の裾がはみ出てしまうことを目の当たりししながら。

 

 恥ずかしさは、ないのかな。

 

 クラスメイトの下着が見えてしまっていることに対して。

 私は何故か、無性に気恥ずかしさのようなものを覚えていきました。

 以降は卒業するまでの間。

 半袖はともかく、脚を出す短パンやハーフパンツに対して抵抗感を抱き続けて。遂には、履くことはなくなっていました。

 

 

 

 中学の部活が切っ掛けに

 

 

 中学校に入り、私はテニス部に入部しました。

 入部したての一年生はボールを打つことも許されず、素振りや体力作りのためのランニング、先輩が打ったボール回収といった雑業に明け暮れる日々でした。

 

 そんなある日。

 相変わらずハーフパンツを着ることに抵抗を覚えていた私でしたが、それでも照りつける日差しや身体を動かすことで体温は容赦なく上がります。

 それに対して、少しでも涼しさを得ようと長袖から半袖に着替える。

 暑ければ薄着になって、肌を露出する服選びをする。

 そんな、考える必要も疑問に思うこともないことが。一つの出来事を以て、崩れ去ることとなりました。

 

 いつものように、テニスコートを周回するようにランニングをしていた時。

 いきなり、ボールを横から身体に当てられました。

 視線を向けると、そこには二年上の先輩。入部して間もない私には、面向かったことも話したこともない人でした。

 練習にも励まずに、日陰で座り込みながら。その顔は、何故かニヤついていました。

 

 意味もわからないまま、私はそのまま走り去りました。

 そして、二週目。

 今度は正面から、ボールを当てられます。しかも最初と違って、何発も何発も。

 

 この部活特有の、通過儀礼か何かなのか?

 

 一瞬そんなことも考えましたが、すぐに違うことに気が付きました。

 同じように走っている、一年生部員がいるのに。私だけ、ボールをポコポコと当てられ続けていることに。

 更に、拍車を掛けるかのようにして。

 

 「ちゃんと走れよ、半袖!」

 

 は?

  

 「何無視してんだよ。お前だよ半袖

 

 全くもって意味がわかりませんでした。

 何か癪に障るようなことをした覚えなど、ないのに。

 どうして、私だけが?

 

 ランニングの周回が重なる毎に、その人はニヤついた顔と声でボールを私に当て続けてきました。

 そして顧問が来た瞬間。その人含めた先輩たちは面倒くさそうに立ち上がって、練習に入り始めるのでした。

 

 

 それ以降、大きな出来事もなく。面向かって叩かれることも、呼び出されるようなこともありませんでした。

 

 ですが、そんな些細な出来事は。私に、様々な疑念と恐怖、不安を残すことになりました。

 当時の私は小学生の頃から身体的な成長が早く、クラスの中でも身長は高い中に入りながら。食事量も少なく、運動しても筋肉が付きにくい体質で体重も少なかったこともあり、ヒョロヒョロで頼りない体付きでした。

 加えて楯突くような態度や言動を取ることなど、恐ろしくてとてもできない程の臆病な性格でした。

 

 

 なのに。どうして。

 私だけが、後輩弄りのような目に遭ったのだろう。

 

 単に持て余した暇を、構わずに潰したかっただけなのか。それとも、たまたま目に付いたのが、私だったのか。

 

 真意は、20年弱経った今でもわかりません。

 

 然れど、今でも頭から離れなくなってしまった言葉が、今でも残り続けています。

 

 半袖。

 

 同じような格好で部活に向かっていたクラスメイトたち。それ以上に薄着となり、半袖とハーフパンツを着込んでいた部員もいたのに。

 

 どうして、私だけがそんなことに遭遇して。

 怯えているんだ。

 

 それ以降、二年上の先輩が引退しても尚。同じように弄られるのではないかという不安と恐怖が、たった一度のことで染み付いていました。

 ラケットを握って、ボールを打ち合うことを夢見ていた部活に行くことが、すっかり怖くなっていました。

 

 その要因となって、今でも忘れられない言葉が。私の中で錯綜していく内に、一つの結論を齎していました。

 

 半袖を着ていたことで、私はちょっかいを出された。

 半袖を着たから、弄られた。その人が半袖という言葉を連呼していた。

 少なからず受けた実害と事実から、私は自分なりの答えを見つけてしまいました。

 

 

 半袖を着ることで、不安と恐怖を受けた。逆に言えば、長袖を来ていれば違っていたのかもしれない。

 喩え暑くても、半袖を着るようなことがあれば、再び似たような害を受けるかもしれない。

 ならば、私のような人間は。

 

 半袖を、着ない方が良い。着ては、いけない。

 

 被害妄想が肥大化したような思いであっても。当時の私は、そう考えることが一番で、無難であると信じ込んで。

 どれだけ暑くても。周りが涼やかな服装でいる中、奇異の目を向けられるようなことがあっても。

 自ら強制のように、部活で使うジャージや、制服のワイシャツも。腕まくりして上腕だけ出すことに留まるようになるようになりました。

 

 

 

 服選びに興味を失って

 

 

 そのような些細な出来事だけでなく。半袖やハーフパンツ、七分丈のズボンといった軽装を着ることがなくなり。

 

 服を選ぶことにも興味も関心も、無くしていました。

 

 社会人となってからでも、プライベートと仕事で服装を変えることも面倒になって。見た目はフォーマル風でありながら、スーツ調の無難なジャケットやスラックスを普段着とするようになりました。

 そうすることで、季節や気温に合わせて服装を変える、衣替えというものを行わなくなって久しいです。

 

 

 何気なく過ごしてきた、服装というものに対する自分の思いや考えに好奇心が芽生えて、記憶を探っていく内に。

 

 最初は、他人が下着を露出することに対する気恥ずかしさや羞恥心から始まり。

 季節に合わせるようにして、意識せず選んできた服装に。

 半ば、ケチを付けられるような経験を経て。それが些細な記憶となって、しがみつくように、トラウマのように残って。

 服装というものに、脅迫観念も同時に抱いていることに辿り着きました。

 

 

 

 

 

 

 

 今では個性の一つとなった自分の服装

 

 

 

 想像以上に、私は服に対して複雑な思いを抱えていることを知りました。

 

 しかし同時に、複雑に絡み合ったトラウマのような思いがあるせいか。

 

 自分が選択する服に、二度と文句は言わせない。

 あの時言えなかった言葉を、行動に移すことで、染み付いた恐怖を断ち切りたい。

 私なりの服装に対する意志や考え方が、固まる結果となって、今に至っています。

 

 

 例えば、私は元々平熱が低く、冷房や寒さに耐性がありません。

 高校時代にも冷房風を直接浴び続ける位置に席替えした結果、調子を崩して早退したこともありました。

 社会人になっても、会社や列車に留まらず。大手デパートやショッピングモールでも、熱せられて湿気を帯びた外気を忘れさせるかのように稼働するし続ける冷房は。

 多くの人に快適を齎すものであったとしても。私には、凍えるような冷気でした。

 

 ならば、冷房を遮断するように、兎に角着込めば良い。

 氷点下になるような真冬でも同じこと。兎に角重ね着する。

 場合によっては、夏でも最低3枚。冬に至っては8枚も重ね着することもあります。

 

 

 一方で、気象状況に合わせることも無視して、「長袖長ズボン+α」の姿勢を貫く私に。

 「そんなに着込んで、暑くないのか?」「8枚も着てるの。肩こりそうだね」と笑われたり。

 時には冗談交じりであるとわかりながらも、「見てるこっちが暑くなっちまうよ」と揶揄されることもあります。

 多分、代謝が悪くなることを心配してくれている側面もあるのだと思います。

 

 

 だから、一々気にしたり反論するようなことをしても、誰も幸せになることはないと悟るようになりました。

 何よりも。服装に関してとやかく言われまいと決めた私が、それらによって簡単に揺らぐような決意で終わらせたくない。

 

 そこで私も、愛想笑いを浮かべながら。

 「私冷房や寒いのが苦手なので」や「動きづらくもないですし、慣れですよ慣れ」といった返事を返すようにしています。

 

 

 人によって、様々な考え方がある、服装。

 その人の第一印象を決定づけるものでもあり、個性やセンスを見出す人もいるかと思います。

 

 私は、様々な記憶や経験を経て。プライベートでも、ビジネス寄りの服装を選び続けています。

 それにより、悪いことだけでなく。

 初めてお会いする人に、「仕事帰りですか?」「お仕事でいらしたのですか?」と聞かれることも多くあり。

 それに対して「いえ、これ私服なんですよ」と答える度に、大概は意外と思われるのか。

 自然な笑みを、返されることもあります。

 

 

 正しさも間違いもない、服装選び。

 自ら選んできた、服装についての考え方や選択は。

 

 私の場合は、どうやら合っていそうです。

 

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

 

 

 

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