【HSS・HSP】出会って、別れて 〜適度な距離感と続く縁〜
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遂に当社でも、本格的な在宅勤務が半ば義務付けられることとなりました。
これまでも勤務地分散という形で、新型コロナウイルスの感染リスクを少しでも避ける試みが行われてきました。
今回の決定により、社内での直接的な接触はより厳しく制限され。
それでも尚仕事を続けなければならない事実を前にして、人の顔色や声色を窺うことが一層難しくなって行く中で。言葉を文字として起こし、伝えることが更に重要になっていくことを感じ始めている、白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
先日試験的に、担当内での在宅勤務者の第一号として業務を終えました。
今まで会社の人たちと会い、挨拶を交わして。冗談を言い合いながらも仕事を進めていき、一日を終えていく。
当たり前だったことから切り離された途端に。
人嫌いを自負して、交流することに煩わしさを覚え続けてきたつもりの私でしたが。
何だか、寂しい。何故か、虚しい。
自分でも不思議に思える程、妙な感情に支配されています。
皆さんも少なからず、生きていく上で人間関係というものに苦労したり、煩わしさを感じることがあると思います。
私はここに来るまで、自らの手で多くの人に「さようなら」をして。多くの繋がりを自分から切り捨ててばかりだったのに。
いざ切り離される側となった瞬間から、どこかで、人を求めているのかもしれません。
私は、どこまでも身勝手で、気分屋で。行き当りばったりな人間です。
そんな折に、携帯に電話が掛かってきました。
定年退職して数年経つ、OBの方からでした。
スピーカーから聞こえてくる声は、一緒に仕事をしていた時のままで。互いに変わらない声とやり取りは、今でも続いていました。
それをきっかけにして。
これまで何気なく考え、持ったり捨てたりしてきた人間関係について、深く考えるのでした。
今回は、出会いと別れを繰り返しながら生きている、私たち人間という存在。
一度でも会う機会に恵まれた際、時には別れを余儀なくされることがあったとしても。
自ら関係を切り捨ててばかり来た私の経験を交えながら、。全てが別れで終わることなく、数は少なくとも続く縁もあることを、綴っていきたいと思います。
人見知りを盾にして、人間関係を壊し続けてきた
幼少期より、私は人見知りが激しい性格でした。
初めて会った同世代の子たちだけでなく、その親御さん。さらには歳の離れた兄の友人が、物珍しさにこちらを窺ってくる視線に。
私はいつも気恥ずかしさを覚えて、何か問われても言葉が喉で詰まって。どうすれば良いのかわからなくなてオドオドしていた子だったと、母は話します。
人見知りは、今でも私に付き纏って離れることはありません。
会社でもプライベートでも、初見する人と会話する時は。私はどこかぎこちなくて、堅苦しくて。相手の視線に対して、真っ直ぐ見返すことも難しいままです。
一方で相手の仕草や口調、表情を探るようにしながら。その人が持つ、周りに対する振る舞い方や物言いといったものを、ある程度把握することを覚えていました。
そうやってコソコソと相手を知ろうとする行為も。人によっては、いとも簡単に見透かされて。
元より自分から距離を置こうとするスタイルを押し通してきた私など。話す価値もないと判断されるかのようにして。
交わす言葉は本の数回で終わる、そんな出会いと別れが平行することも沢山ありました。
では自分はどうなのか、と問われれば。
私は、そういった人たち以上に。築き始めようといていた関係に拘ることなく、私は見切りを付けるかのように、関係を切り捨ててきました。
学生時代を共にし、時には笑い合うことも沢山あった相手でさえ。進む道が別れて、連絡一つなかった相手からの、唐突のメールに。
今まで連絡もしてこなかったのに、何を今更。
怒りとも、憤りとも言える感情と共に。人間関係を切ることに何ら躊躇いを持たずに捨て去ることさえありました。
人に嫌われる怖さ
私は人間関係について、比較的ドライな傾向にあります。
自分から相手に踏み入れることも、相手から踏み込まれることも嫌うが為に、一定の距離感を保とうとします。
この人は、どういう考え方を持っているのだろう。
どういった口調で話して、どんな話題を持っているのだろう。
そう考える前に、心が反射的に身を守ろうとしようが為に。少しでも仲良くなりたい、寄り添いたいという考えを上書きしていました。
人に嫌われて、疎まれて。独りで生き抜くことを決心する場を経験したことも相まって。
それが意図もしない形になりながら、必要以上に迫る相手に対して。私を突き動かすように、乾き切った思いと共に、決別の言葉を流していました。
そうしてきた私は。
小学校から高校、そして専門学校に進学して沢山の人と出会い。一時は「この人となら、いつまでも仲良くいられる」と勝手に信じ込んでいた人でさえも。
ほとんど全てに別れを告げて。残った知人は、片方の手で数えられる程にまで少なくなるという、然るべき結果が待ち受けていました。
それよりも私は、別れを経るごとに、落ち込んだり嘆いたりすることよりも。
一方的に人に嫌われることが、どれ程怖いことか。
その絶望を、再び味わう位なら。手遅れとなる前に、自分の手で見切りを付けた方が、傷口は浅く済む。
一時は、クールイズビューティなどと持て囃されたこともありましたが。
その実は。決して誰にも話さなかった、絶望を独りで持て余した結果。
表向きには冷静でドライと言われながら、裏ではひたすら保身に走っていた。情けなくて卑劣な自分が、どこまでも付き纏っていました。
出会いと別れを繰り返して、残ったもの
学生時代を終えた私は、この手で見限ってきた関係の数は、余りに多く。
人を疑ってばかりだった私でしたが。
社会人となって新たに知り合った同僚たちと、多過ぎる程の出会いと付き合いが待っていました。
或いは、裏切られ裏切ってを繰り返してきた私にとって。
それでも尚残されていた出会い、とも言えるものでした。
以前にも記事で起こしましたが、数年は酒盃を交わす仲にまでなりました。
しかし、彼らも家庭を持ち始めたことを契機に、連絡を取り合うことも次第に減り始めて。
今では、互いがどのような生活を送っているのかさえわかくなる程に成り得てしまいました。
そして最後には。気紛れで勝手に振る舞う私に、それでも尚付き合い続けてくれた。
私の中では最古参である、高校の同級生とも。最後の連絡を取ってから、早一年が経とうとしています。
相手の心境や事情を知ろうともせずに、ここまで来てしまった私には。
下手な言葉を投げかけて、干渉し合うようなことになって。互いに訝し合うような空気になる位なら。
知らないまま私から、引き下がった方が良いだろうと。
お互いの為に、なるだろうと。
臆病さと諦観と、身勝手な感情が混ざり合って、錯綜していく中。
私は、逃げるかのように連絡を取れずにいます。
出会いと別れを勝手に選んで、歳だけ無意味に重ねてきた私に。
残されたものは、苦さに似た思いと、自己嫌悪と。
車という趣味を通じて知り合い、友人となった極僅かな人との交流だけが、残ることとなりました。
人のと距離を上手く調整できない気質
こんな私が、今でも良好な人間関係を築き続けて。付き合ってくださる方には、共通したものがあります。
それは、必要以上に相手に対して干渉し合わない、ある程度距離感を得られ続けること。
そして互いに意見や考えを押し付け合わない関係を保ち続けている方々です。
以前、HSPという気質を盾にしたくないと記事に起こしたこともありましたが、今回は失礼を承知で申し上げます。
恐らく私の人間関係は、HSPという気質が大いに関わっていると思っています。
必要以上に迫られると、唯でさえ薄い自分という意識や領域を侵食されているかのような錯覚に襲われて。
それが喩え親切心であったとしても。理性では、親切なのかもしれないと一瞬考えることができても。
お願いだから。もう、踏み込まないで。
これ以上踏み込まれたら、私は。
自我を保てなくなる。
更にHSS気質由来の好奇心や刺激探求を示すことにより、理性上では特段その気はなくても、知らない間に自分からも相手に対して突き進んで。
勝手に突っ込んでいきながら、別れを告げる頃にはいつも「どうしてあんなこと」と自分を責めて。
その葛藤と情緒の不安定さから逃げるようにして、人間関係を壊してきました。
HSPは、共感力がある分、人の気持に寄り添える優しさを持っているという言葉が多く見られます。
似たような気質として、「境界性パーソナリティ障害」というものがあります。
この二つはとても似通っていますが、一つだけ絶対的に異なる点があると言われています。
それは、「ある行動をした(或いはしている)時、どのような感情が出てくるか」という違いです。
例えば、小さなことで相手を傷付けてしまったり、自分が傷付いたといった時。
HSPは自分自身への自己嫌悪や自責に刈られると言われています。
一方で境界性パーソナリティ障害は、怒りという形で表れるようです。
少々脱線しましたが私の場合は、どうやら少し異なっているようです。
皆さんも、生きる上でのストレスや生き辛い要因として、人間関係が多分にあるかと思います。
皆が皆、同じ生まれた境遇や環境を過ごしてきた訳でもなく、性格などによって多岐に渡る分。
「人間関係とはこういうものだ」と明確な定義はできないと思っています。
そんな中でも、調節できない、人との距離感。過去の経験が絡んでより複雑になっている私は。
これから一生、人間関係というものに悩みながら、生きていくことになりそうです。
最後は色々な考えが錯綜して、上手く纏まらなくなってしまいましたが。
今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。