【うつ病・人生】心を病んだ、あの日 〜自ら手繰り寄せた、死〜
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明け方や夜は冷える日が続いていますが、日中は陽光と暖かさに包まれるようになりました。
そのせいか、外出の仕事では後輩がハンドルを握る車の助手席で、うたた寝することが多くなっている、白兎です。
皆さん、おはようございます。如何お過ごしでしょうか。
このブログを立ち上げて以来、私は精神疾患を患いながら、今尚治療を続けていることを簡単に申し上げて参りました。
ここに来るまで、いつか書こうと思っていた、うつ病。
過去記事を参考にできるかどうか今一度見直した所、簡単な成り行きしか綴ってきませんでした。
振り返ることが、怖かったのか。それとも、思い返すことで当時の葛藤や怒り、自分に対する情けなさを思い出してしまうかもしれないことを、怖がっていたのかもしれません。
そして今、うつ病に至った経緯を書こうとすると、目線を逸らすようにして、タイピングもままなりません。
ですがブログを通して、過去の出来事過去のイジメやHSPという人との違和を感じ続けてきたことと向き合って、自分というものを認めて、共感して。
分離しかけていた自分を受け入れてこれた今、しっかり見つめ合うことを決意して、綴ることを決意いたしました。
今回は、私が気分を害して、自分の身に起こり続けた異変の数々。
日常生活を送ることさえ困難になって、生きること自体が苦しくて。
イジメ以来に、心がへし折れてしまったことについて、綴っていきたいと思います。
今回の内容は長くなる為、数記事に分けて投稿していきたいと思います。
精神と心が蝕まれて
まず始めに。
私は気分障害という分類の中で、うつ病と診断されています。
発病して早くも数年が経とうとしている今も、精神科に通いながら、治療を続けています。
そうなった切っ掛けは、社内異動により、当時激務を極めていた首都圏の職場へ転勤したことでした。
人見知りが激しいだけでなく、過去の経験から「人を信じたり、頼りにする」ことを愚行とも、恥じらいとも思っていた当時の私は。
迎えられた先で、歓迎会と称する飲み会に半ば強制的に参加されて。
異動先の、酔った上司や先輩の聞きたくもない話を聞いて幻滅しながらも。
いざ務めだした際には、通勤する毎日が、限度というものを知らないまでに満員電車に詰め込まれながら。
果たすべき業務を遂行する為に、職場へ向かっていました。
その職場は本社の一角で、席を置く社員のほとんどが出世コースに乗ったエリート集団の集まり。
そんな中に、形式的にはOFF-JTと言われながらも、現実は派遣という形突っ込まれた私は。
学歴や入社時の採用形式の差だけでなく、エリートたちの頭脳との差異を逸早く感じて。
自分が最底辺の、働きアリの役割を担うことになることを知ってしまいました。
最初の方こそ、同じ処遇である先輩や同僚がいてくれたお陰で、愚痴の言い合いや食事を共にすることによって。
痛み分け、とでも言えばいいのでしょうか。
エリート集団の考え方や存在に、辟易しながらも。
何とか自分という存在を保ち続けることができました。
しかし。
今まで、自分を騙すようにしてきたことが、裏目に出始めていました。
それは「相手の顔色を窺う」ことでした。
本心では、誰も話しかけてほしくない時であっても。
黙りを決め込んでその場を凌ぐことよりも、話しかけてくれる会社の人たちに対して、無意味な相槌を打ったり。
愛想笑いを浮かべて、あたかも同調いているように見せかけて。
本当は、掛けられる言葉の数々を聞いている「フリ」をしてきました。
そうやって、事あるごとに浮き沈みを繰り返して。
「聞いていますよ」などと嘘を付き始めて、早くも数年が過ぎ去ろうとしています。
そうすることでしか、自分の身を、精神を守れずにいた私でした。
相手に、そして自分に嘘を貫き通してきた先に待っていたことは。
配属先のエリート集団から求められる、一日のノルマを確実にこなせという無言の圧力と。
配属先とは別の席に座る、上司から一方的に伝えられた「残業は極力避けろ」という、残酷な言葉。
トラブル等により、やむを得ず残業を申告した時であっても。
「それって、本当に必要なの?」
「そういうことを減らす為に、君ができることってもっとあるはずだよね?」
机上の空論で固められた当時の上司の皮肉とも挑発とも受け取る言葉を受けて。
派遣されているこちらの状況も知らないで、知ろうともしない癖に。
綺麗事を言う上の連中に反抗するかのようにして、憤りと不満という感情が湧き出ることに乗じる形で、どうにか自分の身と精神を保っていました。
対をなす両者の思いに、板挟みされて。
それでも尚、同じ処遇で立場を共にする先輩や同期と共に、辛うじて一日を凌ぐ日々が続きました。
異変
そのしわ寄せが来たのは。余りにも唐突でした。
当時仲の良かった同期と、派遣先の方と、お酒を飲みに行った時のこと。
私は経歴が浅かった私ではありましたが、同期と派遣先の方は付き合いが長かったようで、歳の差はあれど、日頃からコミュニケーションを取る仲だったそうです。
そんな折、日頃の鬱憤を紫煙と共に吐き出していた私を。
見かねたかのように、同期に誘われて飲みに趣きました。
席に付き。
いつもならお酒を飲み、次を頼み続けることで、気を紛らわせてきました。
しかしその時は、今まで体験したことのないような感覚が、私を支配していました。
会話を進める同期と、遥か年上の社員。
その言葉が。同じ場所にいるのに。
どうしてなのか、全く耳に入って来ない。
お酒の場に、確かに座っている事実は変わりないのに。
意識だけが、勝手に自分から離れていく。
幽体離脱、と例えて良いのかはわかりませんが、自分の身体と精神が分離して。
まるで自分が、俯瞰視点で席に腰を下ろしている私を、見下ろしているような、訳のわからない状況に陥っていました。
それが怖くて、溜まりなかった。
自分の中で起こっている異常事態に。
目の前のお酒も、料理にも手を出せなくなった私は。
得体の知れない恐怖に飲み込まれていました。
このまま、死ぬのではないか。
不安と恐ろしさが、吐き気となって襲いかかってきて。
お酒の場を共にする二人が直様、荒く息を吐いておかしくなっている私に心配の眼差しを注いでくれました。
そして、まともな応対さえ困難になっていた私を案じてくれるかのように。
憩いの場になるはずだった飲みは中止となりました。
会を潰してしまったことに謝罪しながら、その場を後にしようとした私でしたが。
帰路に就くことにさえ、独りでいることがとてつもなく怖くなっていました。
怯えるように震える私は、いても立ってもいられず。
幸いにも、お酒を飲んでいた同僚が帰路方面が同じだったことを理由にして。
一緒に、帰って欲しいと懇願しました。
声さえ震えていた勝手な願いに、快く応えてくれた同僚に、今でも感謝しています。
電車に揺られながら。
尚も続く吐き気と荒い息。止まらない脂汗。
同僚が降りる駅までの間、彼は震える私の背中を擦ってくれました。
「大丈夫?」ではなく。
「大丈夫、俺がいるから」と言い続けながら。
その声にも、私はひたすら「ごめん……」としか答えることしかできないまま。
次々に発現する身体と、付いていけない心
以来、異変は日に日に進行していきました。
それまで何も考えることなく食べられていた食事が、喉を通らなくなっていました。
食事を目の前にしても。唾液も出ず、空になった胃は胃酸で鈍い痛みを齎しながらも。
食べたくない。
食べること自体が、億劫だと思うようになり。
元々食事に関心がないことに拍車を掛けるかのように、まともな食事を摂ることができなくなっていきました。
これまで会社では、言葉を交わすことができた数少ない先輩や同僚と、昼食を共にすることが多くありました。
ところが、いざ注文した料理が目の前に並んだ時。
本来なら醸し出す香りが鼻を刺激し、湯気を立たせる見た目が視覚から入り込むことで食欲を湧かせるはずのものが。
何の感情すら、浮かびませんでした。
ひたすら食べたくないな、という思いを振り切って、口にしたその味に。
出てくる思いは、何もありません。
五感から齎される情報は確かでも。処理する脳が機能不全となっていたのか。
美味しいとも不味いとも思うことなく。
食事という行為は、ただただ、仕方ないから胃にものを押し込む作業と化していました。
身体の変化は、それだけに留まりませんでした。
元々私は眠りが浅く、特に入眠が下手くそで、寝入るまで30分~1時間は要する程です。
故に眠くなってきたからというよりも、時間が来たから明日に備えて寝よう、という思いで睡眠を取ってきました。
それまでの通りに、寝床に就いても。
睡魔は、確かにありました。
でも、脳だけが覚醒しているかのように、入眠する気配が一切なくなっていました。
逸早く眠ろうと、無理やり寝返りを打って。
眠るのに一番楽な体勢を探すかのように、布団の中で藻掻いてばかりいる内に。
時間だけは、容赦なく過ぎていくばかりで。
眠れないと、明日の仕事に支障が出るという思いばかりが先走って。
寝たいのに、眠れない。
焦燥感と、眠れない自分に対する苛立ちだけが確かでした。
それでも、ようやく意識が飛んで、朝を迎えられて。
やっと眠れたのか。
と安堵する日は、遂に来ませんでした。
喩え意識が静まって、眠ったと思っても。
いつの間にか、目が覚めて。
時計を見ると、意識を手放してから1時間しか経っていません。
クソっ、と苛立つ思いを一服を挟んで落ち着けて。
再び寝床に入っても。
いつまでも、眠れない。
寝たとしても、1時間。長くても2時間程度しか経たない。
疲れも、募る苛立ちも解消できないまま、会社に向かう満員電車の中で。
一切の雑音を掻き消すように、イヤホンから音楽を流して。
その時だけは、唯一意識を手放すことができて。
気が付いたら、降りる駅の直前だった。
そんな仮眠にもならない眠りは、就寝で取ることもできなくなっていた私には、救いとも言える程でした。
唯でさえまともな日常を送れなくなり始めていた私に、追い打ちは止まることを知らないかのように、攻めかかります。
当時はダーツにのめり込んでいたこともあり、一人で無心に、三本の矢を投げ続ける。
その時間だけが、「ダーツを投げる」ことだけに集中でき、会社や日常を忘れ去ることができる、たった一つの拠り所となって。
長ければ3時間、永遠とダーツを続けることさえありました。
それなのに。
それまで興味を持ちストレスを発散することにさえ関心を失って。
雑踏の場に行くことだけで済まされず、唯一無二だった、趣味とも心落ち着ける場にさえ赴く気力もどこかへ霧散して。
帰社後は、夕飯を摂ることも億劫になって。
眠れもしない寝床に、ただ横たわる日ばかりが、無意味に過ぎ去って行くのでした。
心が、折れた
日々の疲労もストレスも、まともに回復も発散も禄にできなくなって。
自分の身体に、精神に起きていることにさえ、違和感を通り越した異常を来していることは明白でした。
でも、何もできない。おかしくなっている現状を打破する手段も思い浮かばない。
どうして、こんな状態になっているのだろう。
何が、自分を変貌させてしまったのだろう。
これまでなら、臆病な為に脱兎の如く逃げ出してまで、自分の身を守ってきた私は。
そんな思案さえ、自分を追い込む思いと化して。
最後は。
自分自身を何とかしたい思いを振り切って。
こんな、辛い思いをしてまで。
生きる必要なんて、ない。生きる価値もない。
その夜も、まともに寝付けずにいました。
焦点すら合わない目と、いつ転んでもおかしくない足取りで向かった先で。
私は、調理用の包丁を手に取っていました。
食べることに関心を失い、永らく使わずにいたその切っ先は。
この身を貫くには、十分な鋭利さを保っていました。
滑らかな銀色を、淡い灯りが照らし返していました。
その輝きに魅せられるかのように。
もう、終わらせてもいいよな。
包丁を握る私の思いは、半ば決まっていました。
今回は、ここまでにさせていただきます。御閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。