【趣味・小説】Tails Intersecting -Stalemate-
※注記※
本記事は前回投稿した「Tails Intersecting」の続編となる短編小説です。
登場人物は私の趣向により、ケモノです。
この注記をご覧になり、違和感や嫌悪感を抱いた方は、申し訳ありませんがお引き返しください。
※注記終了※
Tails Intersecting -Stalemate-
昨日の喧騒が、俺からすれば馬鹿みたいに思える朝だった。
授業開始前の教室には、クラスメイトの連中が少しずつ集まり始めていた。
イヌやオオカミ、ライオンやトラ。
アカシカやシマウマ、ウサギやサイ。
雄雌だけでなく、主食とするもの、種族でさえ全員がバラバラ。
これを共存していると見るか、混沌と捉えるか。
俺にとって、そんなことはどうでもいいことだ。
この学校に入学したのは、単に偏差値の高い学校として有名だったから。
そんな単純な理由ではなかった。
かつては種族や食性を根本的要因として隔てられ、差別もあったこの世の中で。
最近になって、そうった偏見を乗り越えて共存を目指そうという意見が出始めた。
表面は善良に見える政治家の発言だけでなく、大音量で共感を訴えかける街頭宣伝。
それだけでなく、匿名性を良いことに様々な手段を用いて個々人の意見が情報として飛び交うようになった。
この学校も、そんな世間論を汲み取ってアピールするかのように。
種族を問わない名門校、として有名になって久しい。
確かに、表向きには種族という違いを超えて共に学び、切磋琢磨して、共存する大切さを育むことで。
学校という閉鎖的空間から社会に出た時に、種族差起因の偏見。或いは戸惑いや孤立を防ぎ、世の中をより良くしていこうとしているのだろう、と俺は考えている。
が、実際はどうだ。
たかだかクラスの決め事の為に無駄な時間を費やして。
賛同する奴らが多い中、血の気の多いアラスカンマラミュートが吼えたことを切っ掛けにして、そいつだけ除け者にしようと怒号を飛ばし合って。
その後ろで、いつも黙ってばかりのホッキョクオオカミが目を細めて、時々俺を睨むような目線を向けられた。
時間と体力の浪費、と溜め息を吐いた俺を、「食い殺してやるぞ」と言わんばかりの鋭さだった。
挙げ句に何も決まらないまま、今日という日を迎えて。昨日のことなどなかったかのように、笑い話やくだらない雑談が耳障りな程行き来している。
「昨日の決め事、あいつが無駄吠えしなければすんなり決まってたよな」
「ホントそう。何でああいう時に協力しようとしないのかしらね。早く帰って勉強したかったのになぁ」
草食獣の雄雌が声色高く、小馬鹿にする意を含んだ会話をしている。
一方で、肉食獣の奴らは。
「お前らイヌ科は社交的なんだろ?意見違っても周りに賛同して、尻尾振ってニコニコするんじゃねぇのかよ?」
「おいおい、その言い方はないだろ。俺だって中型のイヌ科だけど、頭に来るようなことがあればちゃんと反論するんだぞ」
「だけどさぁ、あのアラスカンマラミュート。吼え散らかして喧嘩吹っ掛けるようなあの言いぐさはおかしいだろ。トラの俺からすれば訳わかんねぇし、わかりたくもないな」
「いや、まあ。俺だってあんなことはしないよ。周りに合わせた方が良い時だってあること位わかってるつもりだよ」
「それよりも、いつも幽霊みたいに黙ってばかりのホッキョクオオカミ。退屈そうにしてるトムソンガゼルの方が、僕からすればイライラするな。クラスの決め事に参加しようともしない奴なんて、本当に邪魔なだけだよ」
トラや柴犬、ピューマ、ハイイロオオカミがあからさまな批判を口走っている。
聞くだけ時間の無駄だ。
何が共存だ、馬鹿馬鹿しい。
溜め息を吐いて下がった眼鏡を押し上げて、俺は一限目の授業の予習を始めた。
今日は確か、ここからだったな。
教科書を開いて、目に飛び込んできたものは。
獣の歴史と共存。
……どこまで、馬鹿にするつもりだ。
授業として教える以前に、今目の前で起こっていることを鑑みれば、矛盾にも程があること位誰でもわかるはずだ。
予習するのも無意味だな。
違う教科を開くとしよう、とした時だった。
教科書を閉じようとした俺の手を、ハイイロオオカミの大きな掌が振り下ろされた。
机を軋ませる勢い。手から伝わる痛みで、思わず声が漏れた。
「優等生は違うね、トムソンガゼル君」
喉から唸り声が聞こえてくる、不快な声。
歯を食いしばりながら見え得たその先には、いかにも不快そうでありながら口元だけ笑っているオオカミがいた。
そして、いつの間にか。
肉食獣の奴らが前後左右、俺を取り囲むように立ち、見下していた。
まるで、逃さないと言わんばかりに。
「何のつもりだ」
眼鏡越しに、首を左右に振って周囲を睨む。
草食獣でトムソンガゼルの俺は、焦点は合わせづらいが、広い視野を持っている。少し首を振るだけで、ほぼ周囲一体を把握できる。
その視野の端、ちょうど俺の後ろに立っていたピューマが、肩に手を載せてきた。
ゴワゴワした毛並みの感触と、俺が持たない肉球の妙な感覚。
触るな、と言おうとした瞬間。
激痛が走った。
「聞こえていなかったかい?いや、聞こうとしなかったのかな。ちょうど君のことについて話してたんだよ、僕たち」
物凄い握力と、鋭い爪。
あと少しでも力を込めれば、俺のようなトムソンガゼルの身体など簡単に砕かれ、突き立つ爪によって血が噴き出すだろう。
そうならないギリギリの所で、ピューマは俺の肩を掴んでいたのだ。
痛みで、声がでない。視界さえぼやける。
「話し合おうともしないお前も、昨日の奴らと同じなんだよ。一人優等生気取りで、自分は関係ないと思ってる、違うか?」
今度は目の前の虎が、大きく顎を開き鋭い牙をちらつかせてくる。
「賛同するかしないか以前に、どうでも良いって顔すること。それって一番汚いやり方だって思わない?」
左の柴犬が、柔らかそうに見える笑みを向けてきている。
こいつらは。
俺のことを非難するだけでなく。
これ以上下手な真似をするなら、いつでも食い殺せるのだと、どうやら言いたいらしい。
周りの草食獣どもも、他の肉食獣どもも、俺がされていることを見ているようで、無視している。
トムソンガゼルの視野の広さからすれば、目の前の奴らも、周りの奴らも。
こいつらは、やはり。
全員同じだ。
「共存、か」
手や肩の痛みが続いているのに、俺は勝手に笑いを浮かべていた。
「なんだって?」
「何笑ってやがんだ、気持ち悪ぃ」
手を抑え込んでいたハイイロオオカミも。
肩を握りつぶそうとしていたピューマも。
牙を向けて獰猛な視線を向け続けていたトラも。
耳元で囁くように笑顔だった柴犬も。
俺から一歩退いて、途端に目の前に集まり始めた。
一斉に襲いかかる、殺意に似た感情を乗せた視線。
ズレた眼鏡を直して、俺はそいつらに言い放った。
「そうやって馴れ合うことが、お前らの言う共存なのか?」
いつもなら、こんな詰まらないことに一々付き合ったりはしない。
だが、今朝は違うようだ。
一匹が手を出そうとしてきたが、声を張った俺がそれを止めた。
「反論したアラスカンマラミュートや黙り込んだホッキョクオオカミを批評した挙げ句に、今度は俺を潰そうとしているのか?なら言ってやるよ。お前らはクラスのことについて全員が参加しないといけないと言ったな。だが実際は、食い下がったアラスカンマラミュートを邪険にしていたな。それに、いつでも止められるように目配りしていたホッキョクオオカミの視線、お前らは気付かなかったのか?」
言い返せないのだろうか、唸り声を上げて俺を見下す肉食獣たち。
それでも俺は逃げるつもりはない。
「ついでに言っておく。実際に意見した奴は、どれだけだった?両手で数えられる位しかいなかっただろう。大半は相槌打つ程度だ。これが何を意味しているか、わかるか?」
俺の声が室内を支配するなか、教室のドアが開く音が聞こえた。
「誰だって思っていることはあるはずだ。だがな、力にものを言わせて発言するような奴らがいるから言い出せない奴だっている。何故なら、自分の意思表示をした結果、排除されたるような目に遭いたくないからだ。今まさに、お前らが俺にしてきたことのようにな」
静寂。
俺の胸元を掴んだ、トラの怒号がそれを破った。
「いかにも優等生らしい発言だな。でもな、あまり調子に乗るんじゃねぇぞ」
釣られるように、ピューマが、柴犬が、ハイイロオオカミが。
「それ、屁理屈っていうんじゃないの?」
「綺麗事言えば逃げられる、なんて思ってないよな。トムソンガゼルのその脚で逃げようとしたって、そうはさせないぞ」
「それとも、その立派な角を振り回して戦うつもりなのかな?」
眼前の四匹が、鼻面にシワを寄せながら、牙を剥き出している。
相変わらず、周りの奴らは怖がっているのか、関わりたくないのか。見知らぬ顔をして、敢えて俺から視線を外していた。
本当に。
クソ喰らえ、だな。
「俺はそんな面倒な事などしない。やりたいなら好きにやれよ。感情任せにした後にどうなるか、わからないなら」
途中で堪忍袋の緒が切れたのか、トラが拳を握って振り下ろそうとしてきた。
肉食獣の一撃なんて貰ったら、確実に瀕死になるな。
こんな時でさえ冷静に分析し続けながら、俺は最後まで言い切ってやった。
「それが、お前らの限界なんだよ」
毛並みが逆立ち、震える程強く握り締められたトラの鉄槌が、振り下ろされた。
あとはもう、好きにすればいい。
殴るなり蹴るなり、噛み付くなり。
殺したいのなら、殺せばいい。
大騒ぎで済まないことになるだろうが、な。
縞模様の腕が、俺を貫いたと思った。
しかし、現実は。
白い毛並みの、細いながらも引き締まった腕が。
寡黙なホッキョクオオカミが、トラの一撃を、左手で支えた右上腕で受け止めていた。
【生き方・価値観】中間的な生き方 ~前向きでも、後ろ向きでもなく~
各季節の前日である、節分。2月3日は立春の前日に辺り、暦上では春に向かっていく時期となって参りました。
春とは程遠い、寒い日々が続いておりますが、それだけ時間というものは意識していていてもいつの間にか訪れ、無慈悲に去っていきます。
それでも、少しずつ長くなり始めた日の長さを目の当たりにして、暖かくなる日が来ることを待ち遠しく思っている、白兎です。
皆様、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
先日は自分のミス故、精神的にダメージを追った私ですが。
先日のこと、もっと言えば過去の出来事として脳裏に焼き付き、教訓として。
同じ過ちは侵さない、とその今日この瞬間思い、一層気を付けて仕事を終えて参りました。そんな今宵は、気持ちは穏やかです。
先日の落ち込みが嘘のように、と言えるのは。
恐らく、今だけなのかもしれません。
人間は、忘れる生き物だと言われています。
嫌なことがあったり苦い経験を体験した時は、無意識的に忘れようとし。誰かに嫌なことを言われたりされたりしたことも、いつかは忘れ去ってしまいます。
心を抉られるような深い傷を負った時は別としても。
忘れることで、嫌なことをされたことだけでなく、嫌なことをした相手さえ忘れ去ることで、自然と「許す」ことができる、とどこかで聞いたことがあります。
他の生き物ができない、忘れることができるからこそ。
多くの人が過去に囚われることなく、未来というものに向かって邁進できるのではないか、と私は思うに至っています。
しかしながら。
私は不図したある出来事を目の当たりにしたことをきっかけに、過去の記憶が不意に蘇って。
俗に言う既視感を覚え、前に進めなくなって、その場にしゃがみ込むように立ち止まってしまう。
そんなことばかりで、私は前向きに生きるということを経験を多く積めないまま、ここまで進んで参りました。
皆様は、果たして如何なのだろうか……と伺いたい、という正直な思いがあります。
今回は、生きることに対して前向きになること、後ろ向きになることについて、私の経験や考えを交えながら綴っていきたいと思っています。
前向きに生きようと、してこなかった
私は昔から、生きることについて希望を持って進んできたという姿勢はありませんでした。
楽観的、と言えば都合よく聞こえるかもしれませんが、「その日を平穏に過ごせれば、それでいい」という考えを幼少期より持っていました。
過去も未来も、深く考えるようなこともなく。
周りが喧嘩していても、怒られていても、誰かが泣いていても。
それを何とか解決しようと努力して、出来得る限り周りを穏やかにして。
最終的には、私自身が平穏を保つ。
そんな思いを抱きながら日々を過ごして参りました。
どうすれば平穏を保てるだろう、と前向きに考えて行動するのではなく。
平穏を崩されそうになるような場面に遭遇して初めて、どうにかしないと、という思いに刈られ考え、行動に移してきました。
能動的にではなく、私の行動理念は飽く迄受動的でした。
部活における試合でもそうでした。
次を落としたら、もう後がない。
窮地に追い込まれた時。
そんな時でさえ、気持ちで負けたら試合も負ける、だから踏ん張ろうとするのではなく。
やれるだけやってみて、ダメならそこまで。これが自分の限界なんだ。
そうやって、勝負事でも前向きになれずに状況対応を優先していました。
結果はその時時で、挽回できたこともあれば、そのまま打破できずに終わってしまうこともありました。
それ故か。
自分の全力や努力の結果を出しきれなかったことを悔いて、次に活かすということはほとんどありませんでした。
どちらかと言うと、日常でも試合でも、自分の力が及ばなければ仕方ない。平穏で有り続けるのなら、それで良い。
いつの間にか、そんな中間的とも、どちらかと言えば後ろ向きな態度を取るようになっていました。
寧ろ。状況を打破するべく上手く立ち振る舞う人の凄さや、勝負に勝つことに執着する人の熱意といったものを、私はいつまでも理解できずにおりました。
逆に、そんな軟弱な態度を取り続ける私を責め、咎められることの方が多かった記憶があります。
だから、でしょうか。
前向きにならなければ、人としていけないことなのか。
そんな疑念すら覚えるようになって。それに抗うように自分を貫き通そうとした結果。
私は多くのものを失い、自分を嫌悪して卑下するようになっていき。
前向きになることを、すっかりやめてしまいました。
後ろばかり向いて生きることは、悪なのか
「どうせ、自分なんかにはできない」
「何をやっても上手くいかない」
そうやって自分自身を勝手に思い込ませて、積極的に物事へ取り組もうとすることなく、歩き続けていました。
私という存在を過小評価し続けることで、他の誰かが上手くやってくれる。
私がやる位なら、やりたいと手を挙げた人がやった方が良い結果が出る。
まるで、自ら自分に暗示を掛けるかのようにして。
そういった言葉や思いを盾にして、ひたすら自己防衛に走ってばかりでした。
そんなことをしてその場を躱すことができたとしても。
必ずと言って良い程、後悔や自責が常に付き纏っていました。
しかしいざ、私が主体となってやらなければならない出来事に遭遇した際は。
今度は鳴りをひそめていた前向きになろうとする気持ちが、中途半端な形で湧いておりました。
「やるからには、上手くやらないと」
「失敗は、許されない」
空回りした思いを胸に挑んだ結果は。
察するまでもない、散々なものばかりでした。
そう。
私が後ろ向きな姿勢に固執していたことは。
前向きになって、頑張ろうとしたことは。
二度と誰かに、周りに嫌われたくないという気持ちの塊でした。
前を向いて進んで、成功することで認められたり賞賛されることよりも。
失敗して失望されることを、何よりも恐れていた為でした。
自分を奮い立たせるよりも、自分を卑下して引き下がった方が、楽だったからです。
前向きという邁進よりも、しゃがみ込んで動かないという、後ろ向きを選び続けた私は。
十数年という時間を、惰性のまま過ごして参りました。
ヒトを形作るもの
自分を変えたいと思っても、願っても。
人間は、そう大きく変わることはできないと私は思っています。
この世に生を受けた瞬間に持ち得た「気質」。
0~3歳という極めて短い幼児期に育まれる「人格」。
その後の経験や境遇により決定される「性格」。
それらは基本的に、小学校高学年辺りの時点でほぼ完成されると言われています。
更に様々な経験を積むことで、物事に対する「考え方」や「価値観」が折り重なって、一人の人間という個性が生まれてくると私なりに考えています。
人格を否定されるような環境に遭遇してしまったり、挫折を経験した際、変わるのは考え方や価値観であって、性格や人格はほとんど幼少期のまま変わることはない、とのことです。
私も、他人に認められなかった経験をしたことで、世の中を見る目が大きく変わりました。
前向きな姿勢に対する疑念や、他人という存在の不許容、意味もなく惰性で生きる己の人生。
これらを全て、私は性格がネジ曲がって、歪んだ結果だと決めつけて参りました。
それも、自分がそうした訳ではなく、「こんな風になったのは、他人のせいだ」と責任転嫁してばかりでした。
捻くれた振る舞いや物見をするようになっていましたが、存外満更でもないと、自分の中で思えてもいました。
距離を置くことで、自分を保てる。他人とは、違う。
そう思うことで、私という「個性」を持っていると信じ込んでいました。
一方で、社交的に振る舞って前へ進み続ける人たちを見て、羨むことを通り越して、妬んでばかりもいました。
自分も、ああやって進んでこられたら。何か違っていたのかもしれない。
自分を肯定しようとする思いと、変わりたいという望み。
表向きには何事にも「興味がない」と涼しい顔をして過ごしてきましたが、実際の私の心の中は、矛盾する「自分という存在の定義」の狭間で藻掻き続けていました。
そういった中で、藁にも縋る思いで、少しでも自分を変えたい感情から、様々な手段を使って「自分を変える方法」を模索して参りました。
インターネットでのキーワード検索であったり、自己啓発本であったり。
それこそ、死物狂いの勢いでした。
しかし、待っていたものは。
「前向きになるには」だとか、「人生を前向きに過ごす方法」だとか。
「自分に自信を持てば、人生は変わる」だとか、「自信を持つには」だとか。
どれも、私から見れば。
「前向きに生きること」を前提にしていたり、過去に囚われ続けてはいけないといった謳い文句ばかりでした。
失礼を承知の上で、申し上げます。
それができないから、悩んで、苦しい思いをしているんだ。
自信を持つ?
簡単に言うけど、自信を、自分自身さえ砕かれた人間は論外、とでも言いたいのか。
勝手な憤りを覚えると同時に、私は失望しました。
一度でも挫折したり、自信を失った人間は、どう足掻いても変わることなんてできないんだ、と。
恐らく、書籍やネット上の情報を元に「自分を変えよう」としたのに、数年は費やしたと思います。
私のような、一度は世の中から拒絶されたような人間は。
結局、全て諦めて、妥協して、惰性で生きる他ないのか。
時間を、お金を無駄にしたその結論に、暫く失意の底にあったことを覚えています。
今思えば……。
ネット上の情報も、自己啓発本も。
間違っているとも、全部が正しいとも言えない。
そう思えるようになりました。
ネットの記事や書籍は、飽く迄「一般的な指標」として捉え、実践することは尊いことであると思っています。
しかしながら、全ての人がそれら「一般的指標」を享受して、実行に移そうとしても。
そうすることによって、皆が皆思い通りに自分を変えることはできない。
少なくとも、私は「一般的指標」を実行しようとして、失敗した一人です。
喩え有名な著作者や人気のネット記事を書く方であったとしても、それは万人受けするものではないと、私は自負するようになりました。
だから、という訳ではありませんが。
私はどうやら、諦めが悪いようです。殊更、自分に関わるようなことであればある程。
今や簡単に手に入る、そのような一般的な指標を頼ってダメなら。
私は、自分で模索するしかありませんでした。
自分を変えたいと「願うだけ」で終わることなく。変わりたいという思いを行動力に変える為に、私がしてきたことは。
表面的な自分ではなく、私という一人の人間が考える思いや価値観、好み、物事の捉え方だけでなく。
忘れ去りたいと。消し去りたいと思う過去。
それらを全て引っくるめた、「私」というものを曝け出すことでした。
自分を曝け出そうと決めた
これまでの記事でも、「クルマ」という共通の趣味から世界が広がった、と申し上げて参りました。
ただ一つだけ、忘却したようにして書かずにいなかったことがあります。
「クルマという共通の趣味を持つ人たちの集まりの中で。
「これまで騙し隠そうとしてきた自分を、素直に出したい」という気持ちが全面に表れたことでした。
言い方は悪くなりますが、「ダメ元」の気持ちで突撃するように開き直って挑んだようなものでした。
卑下するような、半分諦めを抱いていた私に。
オフ会の皆さんは、そんな私を受け入れて。仲間として歓迎して。一人の人間として、対等に接してくれました。
その時の私は、と言うと。
同じ趣味を持つ人と、対等な立場で話がしてみたい。
もしダメだったら、後々まで引きずらないように。合わなかった時は、単に相性が悪かっただけなんだ、と。
そんな思いから、服装や話し方を無理やり合わせることなく、私という存在を。
自分の考えや価値観を貫き通すことができました。
初オフ会は9月あり、残暑も厳しいところでした。
半袖ハーフパンツの軽装が相応しい中、私は長袖ワイシャツにベスト、スーツ調なスラックスという暑苦しい格好で臨みました。
初参加で緊張する私に、「仕事着ですか?」と半笑いする皆さんに対して。
「これ、普段着なんです」と私も笑みを零しながら答えたことは、今でも覚えています。
そう答えて笑われましたが。
この人たちは、馬鹿にする意味で笑っている訳ではない……そう、直感的に思うことが出来ました。
そんな初めてのオフ会は、その後のイベントを重ねるに連れて。
私と言う存在は、色々な意味で「変わり者」と他認識されることとなりました。
こんなことを言うと、おかしく思う方もいらっしゃるかもしれませんが。
私は、そうやって「変わり者」と誰かが認識してくれるだけで、妙な高揚感や嬉しさを覚えてしまう性質のようです。
人と会うことに対してだけでなく、生きることそのものに対して。
決して前向きな姿勢でもなく、然れど後ろ向きでもない姿勢を貫けた切っ掛けとなったことを皮切りに。
建前や偽ってきた自分というものが、このような場では通用しないと、何となく察したことで。
私は、「自分に嘘を付いてまで、付き合うことはやめよう」と決心した瞬間でした。
前向きでもなく、後ろ向きでもなく
こうしてブログを綴る私は、少なくとも「自分を隠したりすることはしない」ようになりました。
自分の性自認や性的指向、過去の出来事を、今では曝け出すことができるようになって、今に至ります。
このことについて、人生を前向きにだとか、後ろ向きに捉えるだとか、そういった概念からは多少ズレが生じるかと思います。
然れど。
私はそのようなことを恐れず、自分は文章が長くなりがりで纏めることが下手くそでであって。
イジメにあったことも、精神を病んだことも。
HSPであり、Aセクシャル自認で、他人という存在が苦手であることを。
そして、ケモナーであることを。
今は恥じらうこともなく、逆に自分の存在を確かなものとしたいが為に、私は臆するようなことはなくなりました。
このよう貫くことができるようになったことは。
誰かに強要されたり、そうしなければならないといった脅迫概念でないことは確かです。
全て、私が「そうしたいから」という思いの元に自分を曝け出した結果です。
逆に。これは私なりの答え、となりますが。
人生に対して、無理に前向きになろうとしなくても、却って必要以上に卑下して、後ろ向きになることもないのだろう。そう思うに至っております。
前向きや後ろ向きといった単なる杓子定規ではなく。
それよりも遥かに尊く、批判や損害されるものではない。
押し付けではなく、自分というものを包み隠さず出す。
簡単にはできない、然れど誰であろうと批判や訂正などできない尊いものという結論に私は至ることが出来ました。
世間では「前向き」であることが評価される一方で。
「後ろ向き」に生きることは過去に縛られている、だからこそ解き放そう、という風潮がある中ですが。
私は、その「中間的な生き方」というものがあっても良いのではないか、と思っています。
かつては、どっち付かずの意見を申して同級生だけでなく、教師からも非難されたこともある、「前向きでもなく、後ろ向きでもない」生き方。
どちらにも付かない、そんな中間的な生き方を、貫いていきたいと思います。
一つだけ、申し上げたいことがあります。
私は、このブログで。
自分自身を、経験を全面に押し出して、評価されたりしたいのではありません。
今後も綴っていく記事も、全て。
もしも同じような境遇で悩んだり、藻掻き苦しむような人がいらっしゃるのなら。
変人と言われても褒め言葉と捉えられるようになった、そんな馬鹿げた人間がここにいることを。
私のような変わり者が、経験を元に文章を綴っている。
それを通じて、少しでも共感していただければ幸いなことこの上ない。
その思いだけは、変えることなく。これからも、ブログを続けていければと思うばかりです。
今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【趣味・写真】首都の夜景 ~毛嫌いしていた、街の夜~
※2020/02/06 内容修正いたしました※
氷点下の世界が、目の前に広がっています。勤務先では、雪が舞い始めておりました。
塩カルや毎朝の寒さに因って汚れてしまった相棒を洗車しようと決意したものの、週末は雪予報。
土日だけ狙って天候が悪くなっているのでは、と疑っている白兎です。
皆様、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
既に記事として上げられていらっしゃいますが、数少ない盟友でありますたーぼぅさんと共に、先日夜景撮影に行って参りました。
盟友、と言われると、何だか照れくさくなってしまいますが。
そう呼んでくれる親友がいることは、友人と呼べる友人が少ない私にとって、嬉しいことであると共に、誇りに思っております。
話が逸れましたが、今回は東京都にある文京シビックセンターの25階にある展望ラウンジから撮影を行いました。
※注記※
今回は、写真が多めとなる記事です。
画像の都合上、読み込みに時間が掛かるかもしれませんが、ご了承いただければ幸いです。
また途中途中でカメラ用語を使いますが、誤りがありましたら申し訳ありません。
コメント等で指摘していただければ、幸いと存じます。
※注記終了※
文京シビックセンター 展望ラウンジ
基本的に無計画で動きたがる私は、いつも誰かに頼ってばかりです。
食事にしろ、撮影場所にしろ、イベントにしろ。
下調べも禄にせず数多くの場所へ行き、多くの人たちと出会えたのも、親切かつ的確な情報収集と案内を買って出てくれる友がいる為です。
私も何か、お返しできるようなことがあれば、いいな。
さて、今回の撮影場所となった、文京シビックセンター。
文京区の役所であるこの建物は、25階が展望ラウンジになっており、東京の街並みのほとんどを見渡せる場所となっています。
夜景を楽しむ家族連れや恋人たち、小母様たち。
撮影目的でなくても、十二分に首都の夜景を楽しめる場所となっています。
そして、写真撮影する者として、他のビルでは見かけない特別な造りにもなっています。
通常硝子は垂直になるように配置されています。
対してこのビルは、外に張り出すような形で硝子張りされています。
ビル内は照明が灯される一方で、外が暗くなっているといった場合。
通常は硝子によって光が反射され、被写体と共に撮影者やビル内の様子が写り込んでしまいます。
それを避ける為に、カメラに暗幕を被せたり撮影角度を変える必要が生じてきます。
一方、文京シビックセンターのような角度がついた硝子張りは反射が起こりにくく、暗幕を用意するといった芝居の高いことをせずとも、外の風景を綺麗に撮影することができます。
夜景撮影に臨む身からすれば、ありがたい配慮であります。
夜間撮影や流れる動きを撮影する為には、三脚や一脚が必須
例えば、星空を普通に撮ろうとすると。
このように、真っ暗な中に灯りが点々とする失敗作が出来上がります。
周りの灯りが乏しい為に、カメラが「光」という情報を十分に得られない為、灯りがある場所だけが移り、周囲は真っ暗になってしまいます。
これを避ける為に、カメラ用語で「シャッタースピードを遅くする」と言う手段を用います。
一眼レフの場合、シャッターが開いている時間が長ければ長い程、多くの「光」の情報を取り込み、一枚の写真に仕上げる仕組みになっています。
その為昼間帯の撮影では然程気にすることはありませんが、夜間撮影といった光が乏しい状況ではとても重要になってきます。
普通であれば「ガシャンッ」と一瞬で切ることができるシャッターを、意図的に長くして撮影する必要が出て参ります。
状況によりけりですが、0.5秒から1秒。
夜景撮影では、20秒~30秒シャッターを開けないと写真にすらならないこともざらにあります。
先程の写真とほぼ同角度ですが、シャッターを開けている時間を30秒程に設定することで、このように天の川も撮ることができます。
このような場合には、また別に留意しなければならないことがあります。
シャッターを開けている時間が長い=カメラが動くと被写体はおろか、全体がめちゃくちゃになる
という問題に遭遇します。
少し極端な例えになりますが、人間の目で言うなら。
例えば、バスケットボール。
ボールの行方を追おうと集中する中で、各選手がコート内を四方八方動き回ります。
その時、本当はボールを追い続けていたいのに、選手の動きに気を取られたとしらたら?
ボールの動きや行方は、いつの間にか全く違う所に移動していて。
それだけでなく、見たいと思っていないはずの選手の動きも重なって、一瞬では訳のわからない構図になっているかと思います。
少々強引な例えとなりましたが、カメラでも同じことが言えます。
被写体を30秒近く、全く動かずに捉え続けることは、人間には不可能です。
カメラが思い切り傾くといった物理的な要素だけでなく、たった一瞬の手ブレだけでも、映し出される写真はメチャクチャなことになってしまいます。
これは能登半島での一枚ですが、この時は風が強すぎてカメラの固定が出来ずに撮った一枚です。
手すりにカメラを置いて撮影したものではありますが、ご覧の通り、ブレにブレております。写真として大失敗です。
このような僅かなブレを避ける為に、三脚や一脚をというものを用い撮影に臨むのが定石です。
しかし、です。
よく観光地で、「三脚の使用禁止」といった立て札をご覧になる方も多いかと思います。
確かに、三脚や一脚といったカメラ用固定器具を使って撮影すればカメラが固定され、いい写真を撮ることは可能です。
しかし一方で、それら固定器具を用いることは、その場を専有することに直結します。
結果、他の観光客に迷惑を掛けてしまい、「邪魔だ!」と言われても仕方ない事態になりかねません。
工夫次第では、三脚や一脚は必要ない
ウンチク垂れてしまいましたが、今回訪れた文京シビックセンターも、三脚や一脚は使用禁止でした。
折角の夜景を、一人占めしかねないことを考えれば、当たり前と言われれば当たり前のことであることは明白です。
そういった時、上手く機転を利かせることも大切な要素であると私は思っています。
たまたまではありましたが、展望ラウンジは手を置けるような縁と硝子壁面付近までの合間に、僅かな段差がありました。
普通にカメラを置いただけでは、空だけが映ってしまうような角度でした。
親友と私、二人で考えて。直様答えが出ました。
スマホを台座にして、段差にレンズを置けば固定できるよね。
相変わらず……と言うよりも、私のブログでは当たり前になってきている、前置きが長くなりましたが。
首都の夜景撮影、開始です。
日暮れ直前の絶妙なタイミングに入れた為、街の灯りが灯る直前から撮影することができました。
この時は雲がとても特徴的な流れ方をしていたので、撮影にはうってつけなシチュエーションでした。
角度は同じですが、こちらは愛機であるPENTAX K-70の「HDR」という機能をフル稼働して撮影しました。
同じ画角を異なる明るさで三連写して、それを合成して一枚の写真に仕上げる機能です。
この機能は段階的に強弱を付けることが可能ですが、今回はほぼ最大限にして撮影しています。
油絵のよう、と仰るかもしれません。
ですが個人的には、こういった写真もあっても悪くないと思っています。
この時、偶然か否か。
都庁のちょうど真横に、雪を被った富士山を拝めることができました。
私が持つ標準レンズでは無理があった為、親友から望遠レンズを借りて撮影しました。
遠くに見えるはずの、雪を被った富士をしっかり写すことができました。
偶然隣に居合わせた方曰く。
このような形で富士を拝めることができるのは、一週間ほどしかない、とのことでした。
そんな時期に、喩え偶然であったとしても。
巡り会えたことを、幸せだったと切に思っています。
今更ながらではありますが。
私が愛機としているPENTAX K-70はエントリーモデルに少し毛が生えた程度のカメラです。
この時使ったレンズも、標準でついている標準ズームレンズです。
フルサイズ云々や、レンズ云々ではなく。
運良く巡り会えたシチュエーションや「自分が撮りたい」と思った構図次第で、写真は幾らでも撮れる。
写真でご飯を食べているのでいるのでなければ、尚更。
カメラやレンズの性能に頼らずとも、「こんな写真を撮ってみたい」という思いと。
そこに繋げられる工夫や手法を駆使すれば、それなりのものは撮ることができる、と私は思っています。
夜の宵闇に沈み行く首都。
展望ラウンジ内では、穏やかで心落ち着くBGMが流れておりました。
撮影と雑談を交えている最中、ここでファイナルファンタジーⅩの「ザナルカンドにて」が流れました。
安らぐようでいながら、どこか哀愁を漂わせる名曲。
撮影シチュエーションと合わさり、思わず感極まりました。
少しずつ灯っていく、ビルや施設の灯りが辺りを照らし出します。
日が沈み、闇に溶けようとする人の住む街並みを、人工的であっても、光で抗おうとするように。
場所を正反対に変えて。
遠くに見えるスカイツリーを収めながら、HDRを使わずに撮影します。
ここで、私は疑念を抱きました。
東京は、こんなに綺麗で美しい場所だったのか?
答えは、後ほどわかりました。
撮影に没頭していたその時は、失敗成功問わずシャッターを切り続けました。
陽は落ちて、人間が生み出した人工的な灯り。
自然とは正反対の明るさが、夜を支配し始めます。
こちらは東京タワーを入れながら、後楽園遊園地の華やかな明るさが際立ちます。
撮影していた場所、それは
無我夢中で撮影していたその場所は。
勝手ながら私の「黄金時代」と呼び自負している、専門学生時代を過ごした地であると共に。
社会人になって、上層部の言うまま通いつめて自分を見失って。
精神を病んだ場所でもあります。
喜ぶよりも、毛嫌いするようになってしまった、その夜景を撮影して。
この時は純粋に。
綺麗だなぁ、と思うばかりでした。
かつての思い出だけでなく。
虚無感や憎しみを覚えるには、あまりにも。
個人的な思いなど忘れさせてくれる、そんな夜景でありました。
ブログを始めて、初となる文章ではなく写真を載せる記事となる……はずでしたが。
相も変わらず、私は写真だけでは表現しきれない思いを、文章にしたい思いが強いことを再認識しております。
今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【生き方・メンタル】脆過ぎるメンタル 〜強く、なれるのか〜
見上げると、月や星々が輝く、晴天の夜空。
派手さや強調が色濃い街並みの灯りと違って、地上を淡く、優しく照らしてくれます。
いつまでも眺めていたいな。そんなことをしんみりとする夜です。
皆様こんばんは、白兎です。如何お過ごしでしょうか。
実は今、大分落ち込んでおります。
仕事でミスを犯し、危うくクレーム沙汰になりかけてしまいました。
幸い現地の方が迅速対応してくれたお陰で事なきを得ましたが、ミスのことを指摘され、途中経過を待っていた私は、気が気ではありませんでした。
また、誰かに迷惑を掛けてしまっている。
一緒に仕事をこなしていた上司や先輩たちからは、「誰だってミスするんだから」「次からは気をつけような」と気遣い、優しく諭してくれる中で。
私は、ただ狼狽することしかできませんでした。
それから仕事を続けて参りましたが、誤入力したり確認項目を怠ってやり直したり、凡ミスを散々やらかす有様でした。
まさに、負の連鎖。
沢山のフォローを貰い今日の何とか仕事を終えることができましたが、帰路に着く私は、馬鹿が付くほど凹んでおりました。
相変わらず、私はメンタルが弱いにも程がある。
失敗を踏み台に、なんてできない。
前書きからどんよりとした雰囲気になってしまいましたが。
今回は、メンタルというものについて。
以前お話しした、「謝罪よりも感謝したい」というものを織り交ぜながら、綴っていきたいと思っています。
気付けばごめんなさい、と言ってしまう
以前お話しした記事で、私は何かあるごとにすぐ「ごめんなさい」「すいません」と口走ってしまうことを触れました。
それは心からの、本当の意味での謝罪ではなく。
飽く迄も、弱い自分を守ろうとして。
相手から敵意や失望を向けられないように。
そうしなければ生きてこれなかった、いつの間にか身についてしまった処世術でしかない、と自分を振り返って改めて思っています。
決して同じだ、と断言などできません。
ですが、私の友人も、同じように苦しんでいます。
勝手ながら。
同じ思いを抱いている人がいるんだ、と安堵している自分がおります。
いつもそうやって、都合よく味方を付けようとする努力ばかりして参りました。
然れど、まさに今この瞬間に。
「本当に謝罪しなければいけない時は、どうするの?」
と聞かれた途端に。
私の心は、精神は。
一気に綻び始め、身体が震える程怯えてしまいます。
本当に謝らなければならない時の、私は
本日の出来事のように、誰かに迷惑や手間を掛けてしまった。
その原因が、私自身であることが明白になった途端。
そこで冷静になって、直様非を認めて謝罪すれば、結果も異なってくるだろう、と思っています。
ですが、私には今でもできずにいます。
薄々「自分が悪い」と察して、思い始めた瞬間から。
平静を装う振りをしながら、動かす手の動きが、思考が徐々に鈍っていって。
目の前のことに集中することよりも、「ヤバい。ヤバイヤバイヤバイ」と混乱し。
問い詰められてようやく、口ごもりながら、しどろもどろしながら。
「申し訳、ありませんでした」と、始めて謝罪するに至ります。
実際の今日のやり取りでは。
「現地から設定不備があったらしいんだけど、誰が設定したかわかる?」
という言葉から始まりました。
最初こそ、「これまでチェック項目や複数確認を増やしたのだから、今更そんなこと」と私は強引に無視するように設定作業を続けていました。
しかし、現実は。特段仕事という舞台では、曖昧という言葉は許されません。
「今現地で手直ししているみたいだけど、この端末だって連絡が来てるんだよ」
端末の更新リストを見せられた瞬間。
設定すべくタイピングする私の手が、止まりました。
設定不備の端末を弄ったのは。
紛れもない、私でした。
わかった途端、私は続けなければならない設定すらまともに出来ないほど、困惑し混乱しておりました。
周りが訝しむ中、「ごめんなさい、私です」と素直に認めて謝らなければいけないのに。
私の口は、そう言いかけて、声に出せないまま戻すという、最後の最後まで逃げようと必死になるという姑息な真似を取り続けました。
そして。
勝手に逃げておきながら、最後は弁明もクソもない状況になって、やっと私は「それ、設定したの、私です」と、余りにも小さな声で非を認めるに至りました。
小さな子どもでも、自分が悪ければ「ごめん!」と言えるのかもしれないのに。
私は、そうやって逃げ回って、逃れられない状況に追い詰められて。
始めて「申し訳、ありません」と詰まりながらも謝罪したのでした。
情けないと恥じる以前に、人として、社会人としてそれはどうなんだ、と詰問されても……私は。
現実に立ち向かう度胸も。
非を認めて謝罪するという当たり前のことも。
そうやって自らの過ちから生じた、人への迷惑を顧みることもできませんでした。
ただただ、自分が迫害され立場を追い立てられることばかり恐れることを避けることばかり考えている私は。
いつまで経っても、脆すぎる程の心と精神を抱える、唯の臆病者です。
文化の違いがある、とも言われてる
閑話休題。
先日、安全に分類される講習を受けてきた時に、講師の方が発した言葉があります。
「日本と諸外国では、文化や考え方が根本的に異なっていると言える」
それまで教科書をただ読むだけで退屈だった講義の中で、思わず聞き耳を立てるように、私は聞き入りました。
「海外では『人間はミスをする生き物であるのだから、ミスを許容した上で最善を尽くす』傾向がある。だからミスしても、最低限「命は助かる」ことを目指している」
一方で。
「日本は『そもそもミスをしないように、教育や訓練を積み重ねようにしている』」
と話していました。
私なりに要約すると。
海外では「人間なんだから、ミスや失敗することは当然のこと。だから、死に直結するような時になんとか助かるように工夫したり改善する」という文化があるようです。
日本ではその真逆で、「死に至るようなミスや失敗を未然に防ぐ為に、しっかり教育して徹底させる」という考えがあるとのことです。
要するに、ミスや失敗を許容するか否かで、講じる策は正反対になる、と私は解釈しました。
人間だから「ミスや失敗する」ことを前提にするのか、働く以上「ミスや失敗は許さない」というスタンスを取るのか。
人間という生き物だけでなく、生死に関わる事柄にさえ、それだけの違いがあるということを知るとても良いきっかけとなりました。
同じ、人間なのに。思いや考え方が違うだけで、そのような違いが生まれてしまう。
実際、日本ではそういった教育や訓練を積ませても尚、それを守らなかったが故に死に至ってしまった事故件数は、ほぼ横ばいだと力強くお話ししていました。
個人的な意見を申し上げさせていただけるのなら。
人間は、どれだけ注意したり教訓として理解していても。
失敗したり、ミスすることがあることは、今回のことも含め大いに有り得ると庵が得ています。
故に、「ミスすること」を恐れるよりも、「ミスすることを前提にして、どうするか」と考えることに、賛同します。
それでも、強くなって生きたい
話を戻します。
私が今日実感した実例だけでなく、ヒトという文化的な違いはあったとしても。
私が過ちを犯し、誰かい迷惑を掛けてしまったことは紛れもない事実です。
ましてや、その過ちが人の死に直結するようなことであったとするなら。
こうして綴っている私の思いや考えなど、脆弱で自分勝手です。
人のことなど蔑ろにして尚、自分を守ろうとしています。
そうまでして、守ろうとする自分の価値は……。
誰かの生死に関わってきた時、そんなものは零に等しい。或いはそれ以下の戯言と言えるのかもしれません。
私が抱え続けて離れない、脆弱な精神。
今は生死に直接関係することはありませんが、いつか、直結する事態に繋がるかもしれない。
その時に、私は自分を守り続ける弱さを跳ね除けられるのだろうか。
今の時点では、できないと断言します。
ですが、いつか。近いかもしれないし、遠い未来かもしれませんが。
世間に向き合う私の脆過ぎるメンタルを克服していきたい。
自分という存在を守る為に逃げ続ける姿勢を捨て去って、自分以外の人と共に歩んでいきたい。
文字だけでは安っぽくなりますが、これだけはちゃんと言いたい。
誰かと共に歩んで行く為には、まずは。
脆過ぎる自分のメンタル、精神を克服したい。その為に。
希望や夢といった、届かないような願望ではなく。
強く生きていきたいと、本気で思っています。
今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【生き方・価値観】ブログを始めて ~変われたこと、変わらないこと~
如月という月が始まりました。
年明けから、あっという間に1ヶ月が経ちましたが、私は未だその実感を得られずにおります。
長いようで短い。それが時間であり、人生でもある。
どこかで聞いたそんな台詞。勝手ながら、自分には関係ないだろうと思い込んでいたその言葉を、ひしひしと噛み締めている今宵です。
皆様こんばんは、白兎です。如何お過ごしでしょうか。
お陰様で、ブログを開始して一ヶ月と少しが経ちます。
私は元々好奇心旺盛で興味を持ったらとことん突き詰める、所謂凝り性な面があります。
一方で諦め癖が強く、興醒めしたら最後。
どれだけ熱意やを時間、お金を掛けていたとしても、簡単に切り捨てて。
以降、全く関心を向けなくなってしまうという悪い癖を持っています。
これは、「ヒトという存在」という観点から見て、私は致命的な欠陥を持っている、とさえ認識しています。
唯でさえ興味が向く範囲がとてつもなく狭い私ではありますが、それまで築いた人間関係の構築や自分自身の生き方さえ、いとも簡単に綻びを生じさせてしまいます。
そんな私が言葉や文章で何かを訴えたところで……と自問自答するとともに、自己嫌悪に陥ることは多々ありました。
そんな折、先日カウンセリングに行って参りました。
大概は抱えている悩みや葛藤を話し、共感していただくその場で。
今回のカウンセリングでは。
自分の口から、私が思いを文章に変えて載せることで、変わり始めている。
何か変わったことはありましたか?とカウンセラーに強制されるようなこともなく。
純粋に、口下手な私が、そうやって話すことができました。
声に出して思いを伝えることも。絵画として表現することも。音楽に載せて意志を伝えることも。
全て不得手で「自分にはできないこと」と断言できる私が、唯一思いや考えを伝えられる手段。
それが、文字の羅列によって生み出すことができる「文章」であることを再認識することができました。
今回は、文章を主とするブログという手段を使い始めて私が変わることができたこと。
そして、それでも私という自分軸を変わらずにいられたことについて、綴っていきたいと思います。
口下手なだけで損をしかねない、このご時世
自分の中だけで生まれた純粋な感情や、人生という経験から培った考え方や価値観。
時には抑え込む場面は必要であることは、十二分に承知しているつもりです。
感情任せの発言や行動は、受け入れられる以前に「理性」の有無を疑われて。
自分なりの考えや価値観という、杓子定規で計れないものを訴え、押し付けようとしたところで。
同情や共感してくれる人が少しでもいれば幸いであったとしても、大概は「異物」扱いされ、排他される未来が確約されます。
口下手で対人関係が苦手と自認する私は、「洗礼」と呼んでも過言ではない場面に数多く遭遇して参りました。
俗に言う、「普通」という範疇から外れていて。
世間体で言う「協調」という概念からかけ離れてばかりだった私が、周りから排除されてきました。
今ならまだ、そうなっても仕方ないと思えるようになりました。
が、しかし。
当時の、特に学生時代の私には理解できず、存在否定されるまでの「イジメ」に至ったことを理不尽に思い、また他人を呪う程でした。
何故なら、第一印象として美形とされる人物や。
言葉巧みに周りを動かせる頭脳や人望を持つ人物。
それらの人の方が、誰にも非難されることなく円滑に事を運んでいたことを目の当たりにしたことに起因しています。
排他された私は、言葉は悪くなりますが、ひたすらに思っていました。
人気者は、こんな惨めな思いをしなくて済むだろうな。
会話というリアルタイムなやり取りが下手くそなだけで、ヒトは選別され優劣を判断されるのかな。
言葉と態度を以て周りを引っ張っていく、そういったヒトたち。
一方で、思ったことさえ上手く伝えることができない自分。
比較できないはずの両者を、そして周囲の人間を見ていく内に、私は歪んだ思いを抱くようになりました。
口から出る言葉や態度だけで、周りが付いていくなんて。そう羨む一方で。
その程度で周囲を、全体を動かせるなんて。先導者以外は、自分の意志を持っていないのか?
言いたいことも言わないで従って、それで満足なのか?
イジメの経験を受けてからなのか否かは、わかりません。
ただ、言えることは、一つです。
言葉や思い以前に、第一印象として出てくるカリスマ性や周りを惹き込んで動かすだけの力。
口上手とセンスの高さが、周囲に齎すものは。
私が信じ、重んじてきた「即答できずに回り道をしても、思いを伝えたい」というものを遥かに凌駕したことでした。
その経験故か。
口下手=誰からも賛同も共感も得られない≒「協調」の元では邪魔な存在。
そんな価値観を周囲から向けられて。
いつの間にか、口下手で物事をはっきり言えない私自身は嫌われ、いつも除外されていました。
。
そのような私は、この世界には不要で邪魔な存在。
誰から強要された訳でも、脅迫された訳でもないのに。
私は自分から、そうやって勝手に思い込んで。
「周りのヒトを信じた自分が馬鹿だった」
自分の非を認めているようで、その実は周囲に「敵意」という形で他責にしてきました。
その根源にあるもの、それは。
自分というものをある程度貫きながら、周りを汲み取るだけの器の大きさを併せ持つ。
そんな人間でありたかった。そういった存在になりたかった。
面向かって自分の意志や思いを伝え、貫けなかった私が最後に抱いた思いは。
上手く周りを動かし成功を収めていたヒトたちへの、ちっぽけな羨みと。
彼ら彼女らを見倣うように自分を捻じ曲げてまでも、尚そうできなかった自分を憎んで呪って。
私自身の器の小ささと、そうまでしたまで認められたかった自分の惨めさ。
その一方で。
そんな無理やりな手段に走らなければ、自分を、自我を保てなかった当時の私の弱さを蔑むとともに。
それだけ、コミュニケーションを取れないが為に無理を重ねてきた自分がいたことを実感して。
何が何でも、「私」という存在を確実なものとして、一人のヒトとして認めてもらうことに、必死に躍起になっていたのだろう、と今は感じています。
思いを伝える手段は、沢山ある
感情任せに、また少しばかり、また過去のについて触れてしてしまいましたが。
カウンセリングを受けた際に発したことについて、話を戻します。
実はカウンセリング自体も、半年以上受けずにおりました。
表向きには仕事での忙しさ、それ由来の精神的疲弊を理由にしてきました。
実際は人と会うことが億劫になって、面倒臭ささえ感じており、拒絶してきたことを、正直に話しました。
数カ月ぶりにお愛したカウンセラーの方は、それでも私をこれまでのように優しく、温かく迎えてくれました。
そこでも私は、相も変わらず面向かってのコミュニケーション……相手の表情や場の雰囲気を組んでのやり取りは未だ苦手である、と伝えました。
唯。
それまでとは違った、唯一変わったことがあることを話しました。
ブログを開設したことで、思いを言葉にして、誰かに伝える方法を見つけることができた。
気恥ずかしいような、なんだか嬉しそうな声で、私は話していました。
カウンセラーからも、「白兎さん、前よりも活き活きしていますね」と柔らかい笑みを向けてくれました。
話が進んでいくにつれて、確かに私は口下手ながらも思いを前面に出しておりました。
会話することも楽しいですし、相手の顔や身振り素振りを見ながら言葉を選んで話すことは、大切なことであることを再認識できて。
そして、改めて。
私は、文章を書くことが本当に大好きなんだと思い、確信することができました。
頭の中は、グチャグチャなんです
これまでの記事でも何回も触れて参りましたが、私は相手と会話する際、言葉を声として出すまでに時間がかかります。
自分の思いや考えを出すまでに、色々なことを考えています。
向かい合う相手の表情や声色、場の雰囲気を覗い、読み取って。
日本語という、多種多様な表現方法があるものの中から、最善と思える言葉を選び抜いて。
そこからまた、本当にこの言葉で良いのか?と頭の中で反芻させ、確認に確認を重ねて、ようやく声が出てきます。
そんな私の頭の中は、会話している時だけでなく、常にフル稼働している状態です。
仕事をしている時でも、休日でリラックスしている時でも。
お昼寝しようかなと横になった時でも、起きた直後や寝床に入り眠りにつく直前でも。
とにかく色んなことを考えては別のことを思考しています。
そんな頭の中は、常にオーバークロック状態。自分でも把握できない程混沌としており、様々なものが飛び交い輻輳しています。
結局、自分でもよくわからない程にグチャグチャになっているのです。
余程切羽詰まった状況に出くわしたり、雑念を忘れる位に集中するようなことがなければ、頭が休まる時間はありません。
どんな時でもこの有様なので、リアルタイムで会話することが苦手なのは然るべき、と言われても否定のしようがありません。
ただ、好きで考えを重複させているのではないのです。
私という存在が持つ自我や理性の範疇を遥かに超えて、ほぼ自動と言える位、頭の中は思案と思いと考えの嵐が吹き荒れています。
たまに、「疲れた時は」といったキーワードでインターネット検索をかけた時に、よく書かれていることがあります。
とにかく、リラックスして頭を休めましょう。
何も考えないようにして、自分を休ませてあげていてください。
考えを捨て去って、瞑想する時間を少しでも作って、一度頭をリセットさせましょう。
仰ることはご尤もです。
風邪をひいて身体が絶不調な時に「会社に行かないと……」と頑張ろうとしないで休みなさい、と同じように。
精神を、頭をたまには休ませないと、いつか調子を崩してしまう。だから、何も考えないようにして休養させることは大切なのは、確かなのだと思っています。
ですが。
自分の意志の有無拘らず、頭が勝手に思考し続け、休めと指示したところで、受け付けない人間には、そのようなことは不可能と私は断言します。
やれるならとっくにやっているよ。
できないからなんとかしたいんだよ。
ネット上の意見を、発信された方を否定するつもりはありませんが。
中には私のような、頭の中が常に混雑しているのに思考を重ね続け、休んだ例がない人も、少なからずいるのではないのだろうかと思えてなりません。
そんな人間が、「頭を休ませて、考えることをやめてリラックスしたい」という願いは、叶えられる日は訪れるのでしょうか。
考えや思いを「文章」にすること
しかしながら、私は幸いなことに絶望せず、にここにいることができています。
それは、混沌とした頭の中の考えや思いを「文章」という形に変換しアウトプットする手段を見つけられたからです。
これまで、頭の中を駆け巡っては消えていった思いや考え。そして閃きや、唐突に浮かび上がった感情。
その瞬間に外へ出して、「あ、今自分はこんなことを思っているんだ」と認識したり、誰かに伝え反応していただければ幸いだ、という凝り固まった考えを抱き続けていました。
ですが、現実はそんなに甘くありません。
タイミングを逃せばそれまで。思いや考えというものを「自分」として表現できなければ、結局は頭の中に逆戻り。思考、思慮の繰り返しは永遠に終わりません。
私は特段、そうやって自分を、自己を表現することが下手くそです。
特にこのご時世では、リアルタイムで進む事態に迅速かつ的確に判断、対応する能力を求められているように私は感じています。
その真逆を行く私は、そのような視点から見られたら最後です。
でも。
私はそうやって上手く世渡り上手することができる、それだけが全てではない、と思っています。
適材適所、という言葉があるように。
人それぞれ、得手不得手があって、それをより強めたり補ったりすることが、ヒトという存在が成り立つのではないかと日頃から考えている為です。
かくいう私は。
思ったことや考え方、価値観、矜持といったものを。
一人落ち着いた場所で、文章という形に変えることで伝えることを好んでいます。
理由はいくつかありますが、一つは頭の中で錯綜する抽象的なものを文字として表すことで、自分の思いを整理できることにあります。
もう一つは、頭の中で思い浮かんでは消えるものは、飽く迄主観的なものです。
それを文字として、文章として書き起こすことで、俯瞰的で客観的な見方をすることができる為です。
それまで曖昧だった、自分の中で勝手に思い浮かんだものの、上手く表現できないまま直接的行動や言動にしてきた結果。
納得も、誰かからの共感はおろか。誤解を生み、最悪軋轢を生じさせてきました。
その末路を体験して、勝手にヒトを疑って、憎んで。
どうしようもない時間ばかり浪費してきました。
そんな私が、自分を納得させて、尚かつ私というものを表現できる手段。
それが、文章で自分というものを示すものであり、今こうして綴っているブログであることを実感しています。
書くことが、大好きなんです
能書きを垂れるように、ここまで書いて参りましたが。
結局私は、文章を書くことが大好きです。
小学校より始まった、作文を書けと言われた時も。
高校卒業時の、卒業文を書けと言われた時も。
社会人となった今でも、目標や将来目指したい姿を文章として書けと指示された時も。
読書感想文のような、「他人が表現したものに対する自分の考え」を述べる場合は除くとして。
大概の場合、四〇〇字詰め原稿用紙二枚に纏めろと言われても、全く足りない程でした。
「先生、原稿用紙足りません!増やしちゃダメですか!?」なんて駄々こねたことさえありました。
それ位、文章を書くことが大好きで、書くことに苦を覚えた記憶はありません。
口に出して思いを出すことを苦手として。
それ以外の美術、芸術、音楽といった手段も点でダメな私が。
唯一と言っても過言ではない、書くことで自分というものを表現する。
それが大好きで、周りから咎められる程、幾らでも書いてしまう。
地味、と言われても構わない。
思っていることは昔から変わらなくても、それを伝える手段を見つけられた。そして、少しずつ変わることができ始めている。
それだけで、考えや価値観を文として書くことが好きな私には、この上ない幸せなことは変わりません。
そう書きつつ、既に6000字を超えております。
私の次の課題は、文章の「表現」方法になるかな、と勝手ながら思っています。
長々と綴るのではなく、如何に上手く纏めて、本当に伝えたいことを伝えられるか。
こればかりは、今の私にはまだまだ足りない所であると自認しています。
表現の「質」。
今はできなくても、こうしてブログを綴っていく中で。
いつか自分なりの考えや表現方法そのものを見出して、見つけて。
皆様にお伝えできればと、切に願っております。
今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【イジメ・トラウマ】怖い、夢を見た
※注記※
本記事は、今朝目覚める瞬間まで覚えていた、夢について綴っています。
内容が物凄く抽象的、かつ歪んだ内容になっております。
覚書、という訳ではありませんが、残しておかなければという思いから、文章として起こしています。
私という人間が見た、詰まらない夢という偶像を綴るだけのものとなっております。
ご興味のない方、抽象的な表現・意味をなさない文字の羅列嫌い、嫌悪される方は、申し訳ありませんがお引き返すことを推奨いたします。
※注記終了※
状況や世界は朧気で。
自分さえ、どこかふわふわした感覚だった。
それなのに、耳は、聴覚だけは、確かに鮮明だった。
そこにいるようで、自分はそこにはいない、奇妙な感覚。
現実なのか、夢なのか。
それとも、過去なのか。
境界線が曖昧になるような錯覚さえおぼる、奇妙な空間だった。
何かの催し物の準備中だったのだと思う。
視界はぼやけ、それがヒトだったのか、視ることはできなかった。
嗅覚も、触覚も。まるで砂でも詰まっているかのように、まるで機能していなかったことは覚えている。
ただ、耳から入ってくるヒト「であろう」ものたちからの声だけが鮮明だった。
鮮明、とはとても言えないだろう。
声であって、そうではない。
ただのノイズだったのかもしれない。
その雑音だけで、周りが、せかせかと動いていることを直感した。慌ただしいような、苛立っているのか。寧ろ、それを楽しんでいたのかもしれない。。
兎に角、無我夢中に、何かをしている。
それ位のことしか、自分にはわからなかった。
周囲に取り残されているかのように、自分だけが、思考停止したように突っ立っていた。
誰もこちらを見ず、まるで自分だけを無視するかのように。
時間だけが、無駄に過ぎ去っていく。
そんな自分を責める訳でも、気にかける訳でもなく。
ひたすらに、自分だけが取り残されているような感覚。
孤独、だったのかもしれない。
それではいけない。
自分も何かの手伝わなければ、としどろもどろしていた。
そう思った時だった。
先程まで朧だった目の前には、何やら忙しそうに、黙々と作業をこなしているヒトがいた。
その輪郭はぼやけ、顔も靄がかかったように。
顔、と認識することができないほど、歪んでいた。
怖かった。
訳のわからないそんな場所にいることが。
自分さえわからないのに、周りのヒトは、ネジ曲がった影のようにしか見えない異様な光景が。
それでも、何かしなければ。
どうしてそんな思いに刈られたのかは、はっきり覚えていない。
しかし、脳裏を過るような「自分の思い」に、抗うことはできなかった。
震える手で、自分は後ろから、手を差し伸べて手伝おうとした。
その時だった。
『触らないでよ』
その声だけは、全てが曖昧な世界で、あまりにも鮮明で。
自分を貫き殺した。
なんでだ。なんでだよ。
忘れたと思っていたのに。忘れようとしているのに。
どうして、あいつの声と言葉だけは。
気持ちが悪い位鮮明に。
あの時言われた声色のまま。
いつまでも、覚えているんだ。
目が覚めた。
いつもの、自分の部屋。あれから十数年経った自室は、すっかり様変わりした。
夢だった、と安心するよりも。
怖くて、堪らなかった。
通勤電車の中でも。寝不足を補おうと仮眠することもできそうにない。
このような夢は、幾度となく見てきた。
その度に幻滅して、気分良く朝を迎えた試しはなかった。
でも、今朝見た夢は。
これまで以上に、あまりに明瞭過ぎて。
あいつの声が、いつまでも耳に残って。
思い出すだけで、どうしてか、体が強張って。
気を抜いた途端、泣き崩れそうになる。
いつか、忘れることはできるのだろうか。
いつか、見なく日が来るのだろうか。
あの地獄を。
この、悪夢とも呼べる、怖い夢を。
それとも。
忘れたくても、心のどこかで覚えているのだろうか。
もう必要のない、過去の記憶を。
【生き方・価値観】開き直ること 〜追い詰められる前に、したいこと〜
今シーズン初、と言っても過言ではない程の寒さと降雪。
1月の終わりにして、やっと冬の到来を感じながら。遅いながらも、ようやく一層寒くなり雪や氷に覆われるのだろう、と思っております。
そう思って眠り、迎えた朝は、雨模様でした。
こんばんは、白兎です。
皆様、如何お過ごしでしょうか。
皆様は、逃げたくても逃げられない。
避けたくても避けられないような状況に陥ったことはありますでしょうか。
重大な決断を迫られた時。
何かを選ばなければならない時。
責任追及され、言及の余地もないような時。
生きている以上、そのような場面は数多くあるかと存じます。
私は、と言いますと。
そうならないように、妥協したり惰性で生きたり。
逃げたり身を引くようにして、自分を守り続けてきました。
問いに対する答えになっていない、と思われるかもしれませんが。
保身の為ならば、自分の意志を殴り捨てて周りに合わせて。
当たり障りのない言葉を選びに選んで、敵意を向けられないように振る舞って。
逃げようがない場面に遭遇したり、陥らない為なら、自分というものを殺すように過ごしてきた。
それ位、私は卑怯で、臆病者です。自分を守る為なら、それこそ、脱兎の如く、逃げてばかりでした。
それでも、限界は当然出て参りました。
叱責されれば、まともな反論や弁明もできずに怯えきって、目を逸し続け。
選択を迫られれば、有耶無耶にした挙げ句に、「本当は選びたくない」選択肢を惰性のまま受け入れ続けて。
そんなことをし続けて十数年が過ぎた時。
自分という存在を、自分の意志や人格というものを忘却してしまいました。
本当は、どうしたかったのか。それすらわからなくなっていました。
しかし、最近は少しずつではありますが。
怯えて逃げても、追い詰められるような時に出くわした時にでも、自分というものを前に出し、意志を貫くことができるようになって参りました。
その切っ掛けとなったのは、開き直ることでした。
逃げに徹して怯える位なら、その瞬間の恐怖や不安を一度受け入れて。
それから、「どうにかなる」と自分を鼓舞するようにして、却って開き直ることで、私は追い詰められた状況を乗り越えることができるようになりました。
ここで私が申し上げる開き直るというものは、「どうにでもなれ」と自棄になることでも、逆ギレするようなことでもないことではないと、ご承知おきくだされば幸いです。
私の中での開き直りというのは。
私が、私自身に「目を背けるのは、もうやめろ」と覚悟を決めさせりするものです。
今回は、そんな開き直ることについて綴っていきたいと思います。
開き直ることの意味は、一つではない
改めて、開き直るということの意味を改めて調べてみました。
開き直る
急に態度を変えて、厳しくなる。
或いは、観念し覚悟を決めてふてぶてしい態度になる。
こう見る限りでは、なんとなく後ろめたいような、乱暴そうな印象を受けます。
もしくは、どうしようもなくなって自棄になる感じです。
これを鑑みて、私は。
そのような事態に陥らないように。自分も相手も険悪にならぬよう、色々考えて、試行錯誤して立ち振る舞ってきました。
こう書くと、いかにも上手いこと立ち回ってきたと思われるかとしれません。
ですが、その実態は。
逃げ場のない、追い詰められた状況を恐れて、不安がって。それを避けるように、ただ逃げるという選択や行動を取る。
逃げてばかりの、臆病者な私は、そうすることでどうにか生きて参りました。
しかし、そんな生き方にも限界はありました。
逃げることも、回避することもできない状況に、これまで幾度となく追い込まれてばかりでした。
私は、追い込まれれば追い込まれる程、言葉が出てこなくなってしまいます。
そんな時の私は、相手に対して「ヤバい、怒られるようなことしたかも」と思うよりも。
得体のしれない「恐怖」のようなものから怯えて、無反応に陥ってしまいます。
その度に無力さや虚無を抱えて。
変わりたいと思っても、私はいつまでも、怯えた子供のままでした。
そんな自分の惰弱な姿勢が、半ば当たり前になって久しい。
そんな時でした。
それまで経験してこなかったことと出会うことで、殺し続けてきた感情が、訴えかけるように芽生え始めていました。
もっと自分を、意志を出して、貫けるようになりたい。
そんな時に、後ろへ引き返そうとする私の背中を押してくれたものがあります。
それが、前述したものとは別の開き直りをすることで、乗り越えてきたことも、実際にありました。
根拠としては乏しくて、主観的過ぎるかもしれませんが。
開き直ることで、私は人生を、生きることを見つめ直し、変えることができはじめています。
私の考える「開き直り」
先日、とあるイベントに参加して参りました。
同じ趣味を持っている、不特定多数・混雑時の首都圏駅構内の彷彿させる程の人が集まるイベントでした。
唯でさえ人間嫌いで、雑踏や人の密集が大の苦手である私は、人の密度や妙な温もりや湿気、そしてノイズだらけの会場に立った私は。
脳内処理のキャパシティを遥かに超えて混乱さえしていました。
そういった状況に置かれた時に。
いつも、どこからか囁かれる言葉が心を支配しかけていました。
「人が怖い」「耳からの雑音が酷すぎておかしくなる」「自分が壊れる」「今すぐ、ここを離れろ」
そんな、不安と恐怖塗れの状態に陥ってしまいました。
それでも。
自分が行きたいと決めたからには、何が何でも終わるまでは向き合いたいと思い。
自分を曲げてまで、逃げたくありませんでした。
否。
逃げるのは、もうやめたいんだろ。
その程度で、逃げるな。
戒めるように、鼓舞するようにして。
私はイベントに挑む覚悟を改め、開き直ることで、初めてだったその場で新たな出会いや交流を経て、自分が望む結果を残すことができました。
自分が決めたのなら、最後まで責任を貫く。
そうすれば、望んだだけでは決して得られないものが手に入り、後に繋がるものが必ず残る。
文章に起こせば簡単になってしまいますが、私はその重み・大切さを身にしみて感じ、今も大事にしています。
無意識でも、開き直っていた
今回のイベントは、私が初めてクルマのオフ会に参加する直前の状態と非常に似ておりました。
緊張や不安で、逃げ出して全部投げ出したくなる思い。
主催者や参加者を蔑ろにしかねない、身勝手で臆病な私の思い。今でもその念に、本能に、振り回されています。
それを振り切ることができたのは、他の誰でもない、自分が決めたからには。
逃げたり避けたりして、自分の意志を無視するな。無駄にするな。
その思いは、無意識的でした。しかし私という意志を、思いを。
目の前の恐怖や不安を原因にして、無駄にしたくないという思いそのものでした。
飽く迄無意識に、と拘るように書き続けているのには、理由があります。
いつもそうやって覚悟を決めて、自分に正直でいられることを目指しています。
ですが、実際は思うことと違う行動を取ることばかりです。
大概のことは、十数年繰り返してきた、逃げるようにして、自分が我慢すれば事は円滑に進む。
そうやって生きてきた時間が長すぎたのか、私が弱すぎるのか。
今でも、「覚悟を決めて生きたい」という理性よりも、「自分を守らなければ」という本能が勝っています。
現実の私は、強くなんてない。弱いままです。
自分を貫くことを、いつかは意志として持ちたい
逃げたり避けたりすることは簡単にできるが、それと拮抗する程の、好奇心や興味を唆られるような場面に出くわした時。
そこから身を引くのか、それとも飛び込むか。
選択の末、飛び込むことを私が自ら選択した時。
それでも、その瞬間が訪れるまで、私は逃げたい、引き返したいという思いが付き纏います。
これまでと同じような思いに刈られた時、私は自分に。
「素直に今を受け入れろ」。
と叱咤します。
普段は出もしない、自分の奥底に眠っている本音であるような、自分を奮い立たせるような、そのような言葉であり感情。
私を幾度となく突き動かし、良くも悪くも、私という存在を無くさずにここまで来ることができました。
唯の我儘で頑固で、弱い自分を隠して。
今でも守ろうとする私がいることは事実です。
それでも。
自分にも人にも良いことのない手段としての開き直りではなく。
私という存在が、覚悟と責任を持って、選択して行動していきたい。
そう心から願っています。
追い詰められて、反抗的になるような稚拙なやり方ではなく。
追い詰められる前に、自分の選択に誇りを持てるようになる為の、開き直り。
喩え、今は無理であったとしても。
いつかは、無意識的にではなく、そういった思いを矜持に変えていきたいと願いつつ、私という存在を少しでも変えていきたいと思っています。
拒絶された過去に縛られてたまま自分も同じように、人を拒絶しないように。
人の意志に共感しながら、自分も大切にしていきたい。
今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【価値観・人間関係】SNSが齎したもの 〜人の繋がりは、発展したのか〜
ブログを綴り始め、早くも一ヶ月以上が経とうとしております。
最近はパソコンだけでなく、スマホを用いて下書きを書くようになりました。
書きたいと思った事柄に出会したり、唐突に閃いた疑問など。
これまではメモ書き程度に残して参りましたが、時間が経ったり別のことを考えていくうちに「本当に書こうと思ったことって、何だったっけ?」と悔やむことも少なくありませんでした。
ところが、スマホで下書きを書こうとしても、私はフリック操作が遅く誤操作多いので時間が掛かり、誤字も増えてしまいまっていました。
そこで購入した、Bluetoothキーボード。
細かな編集はできなくても、スワイプではとても追い付かない、文字を起こすことができる軽快さ。それのみならず、タイピングそのものの心地好さ、携行性の高さ。
便利過ぎるまでの携帯型キーボードを使いながら、いそいそと文字を起こしている白兎です。
皆様、如何お過ごしでしょうか。
さて、今こうして文章として綴っている自分の思いを、遠く離れた誰にでも手軽に伝えたり、情報発信ができる時代となっています。
たった半世紀までは、離れた相手と話しをしたり思いを伝える手段は、電話しかなかったというのに。
ブログだけではありません。Line、Twitter、Facebook、動画配信。
上げ始めたら切りがない、SNSと纏められるもの。
誰もがいつでもどこでも、手軽に情報発信し、交流できる手段に恵まれるようになったと思っています。
その一方で。
匿名性を利用して、交流や人との繋がり以上に、誰かを傷付けたり貶す手段になりかねないのでは、私は考えています。
人と人との繋がりを手軽く、多種多彩にしてきたSNS。
繋がりは増えて意見や意志を示す手段は確かに増えました。
だがしかし、裏では誰かがそれによって傷ついたり苦しんでいる一方で、別の誰かはそうすることで自らの存在感を示し、高める材料にしているのではないのだろうか。
そんなことを、最近は思うようになりました。
今回は、人の繋がりに利便性と手軽さを齎したSNSについて綴っていきたいと思います。
SNSがなければ、外に飛び出せなかった
これまで記事を起こして参りました通り、私は人見知りが激しく内向的な人間です。
面向かって話そうとしても視線を合わせられなかったり、相手の言葉に即応できない程、変に深読みしてしまったり。
その結果、誤解を受けたり訝しげな目線を向けられてばかりでした。
自分の、本当に伝えたいと思う言葉を探そうとすればする程。
私は、周りの反応ばかりを気にし過ぎるあまりに、自分というものから逃げてばかりでした。
それ位、幼少期から人との接触に苦手意識を持っています。
自分の心の中だけが、世界。
そう信じ込んでいた私が、世間という外界に飛び出す切っ掛けとなったもの。
それは紛れもない、SNSです。
私の場合は、同じ趣味を持つ人たちとの出会い。クルマという共通項を持った人たちとの交流が、始まりでした。
最初はオフ会といった、直接的な交流は望んでおりませんでした。クルマのパーツを紹介したり、自分の思いを綴ることで、間接的な交流に徹していました。
顔や私の本音が伝わらないことをいいことに、表向きには理屈好きな人間を気取っておきながら。
実際の私は、自己承認ができなくなっていた補完として、情報発信することで誰かに認めて欲しかっただけでした。
でも、そんな自己嫌悪に陥りかけていた私に声を掛け続けてくれたのは。
気兼ねなく、私を一人の人間として迎えてくれた、温かい人たちばかりでした。
そして、この人たちとなら、向かい合えるかもしれない。
いつの間にか捨ててきてしまった、直接人と交流したいという、素直で我儘な気持ち。
本能的に、希望という形で抱くようになっていきました。
そして意を決する勢いで、初めてのオフ会に参加しました。開始直前までは、不安と緊張で潰れそうでした。
迷子になった子供のようであった私を、クルマ仲間の方々は、警戒や外見で判断するようなことなどせず、私を受け入れてくれました。
普通にできていた、人と会って話しをする、当たり前のこと。
あの時から、そんなことすらできなくなっていた私は、オフ会の時間は笑顔で一杯でした。
無邪気な程に、はしゃぐ位に。
以来、SNSを通じ、それから直接お会いして仲を深めることの喜びと楽しさを覚えた私は、我武者羅なまでに色々な場所へと飛び出していくことになりました。
その場所場所で沢山の人や場所に出会うことで、これまでの自分が余りにも狭い世界でしか生きてこなかったことを実感し、心と脳裏に刻んできました。
人と出会うということを、一度捨ててしまった私が、外の世界に再び飛び出すことができた、一つの切っ掛け。
それが私にとっての、SNSです。
良いことばかりではなかった
成功したり達成感を味わった数以上に、SNSで失敗したり後悔したことも多くあります。
ちゃんとした段階を踏まずに、一度でも自分の投稿を見てくれた人に、友達申請して。
それを無視されて、勝手に「無視された……」と落ち込んだり、憤ったりしたことも。
オフ会に勧誘されて「仲良くなれたら、良いな」と身勝手な希望を抱いて臨んだイベントで、新入りと認識されて誰からも声を掛けられず、また私から進んで仲間入りしようと努力もしなかった時は。
「やっぱり、人を信用した私が馬鹿だった」と、人の輪に入れなかったことを全部他人のせいにして、自分勝手に人を憎んだり。
SNS上での交流を経て、何度か実際に会って仲良くなった「つもり」だった人からのふとした言葉を受けて勝手に傷付いて、自暴自棄になって。一時はSNSから身を引いて「やっぱり、人なんて……」と自己嫌悪ならぬ他者嫌悪に陥ったり。
相手が正しくて、自分が間違っているのかもしれない。
そうやって身勝手な憶測に憶測を重ねて、勝手に人を憎んだことも数多くあります。
しかし全ては、私の勝手な思い込みが生み出した感情に過ぎませんでした。
本当に相手を知りたいのなら、直接会って話すしかないのかも
これは、私の考えに過ぎません。
SNS上で情報を共有したり、時には愚痴を言ったり聞いてほしいと思うことを発信して。
それに対して、誰かにリアクションして貰うことで、安息や癒しを求める。
そういった目的でSNS使うこともあれば。
自分が成し遂げたことを披露して、称賛されることで、自己肯定を高める。
そのような意識でSNSを利用していることもあるのかもしれません。
私は、「それはおかしい」だとか「そういうことして楽しいのか」と非難するつもりも、拒絶するつもりは全くありません。そして、したくありません。
SNSは情報発信の一手段だけであって、明確な利用方法が定義されていない分、どう使うかは使う人に委ねられている、と私は考えている為です。
本題は、別にあると思っています。
それはSNSを通じて知り合い、仲間意識を育んだ、その先のことについてです。
SNSの特性上、個人を特定されない仕組みになっているからこそ。
SNS上での交流を続けるか。
それとも、一歩踏み込んで、SNS上だけではわからない相手と実際に会って向き合おうと思うに至るか。
それの選択次第で、得られるものは変わってきます。良し悪し、なんてものはありません。
ただ、それこそ私事にはなってしまいますが。
幸いにも、踏み出す一歩に怖さや不安を胸一杯に抱えながらも、周りに助けて貰って。今でも助けて貰ってばかりです。
踏み込んだことで、自分が抱える不安・恐怖を少しずつ払拭し、直接的に人と会うことへの抵抗感を薄めて。
今は、喩え僅かであったとしても、SNS上ではできない、実際に相手と目を向き合って話すことができるようになって参りました。
SNSを通じ、人と直接会うという選択を自分が選んで、私は人との繋がりを取り戻せたと思っています。
匿名であることを盾にして
しかし、そう上手くいかないことの方が多いのではないかと、私は思えてなりません。
実際、目を通して見かける事例として。
SNSで特定の個人を極端に責め上げ、それを出汁に周りを巻き込むことで「こいつはおかしいが、自分は正しい」と煽動したり自身の正当性を前面に出して「正しさ」のようなものを語るような言動であったり、投稿であったり。
個人的には、その行動は「自分を正当化して、賛同させることで承諾を得たい」のではないかと、思えてなりません。
自分が持つ考えや価値観と、SNSで公開された内容を比較して、吟味して。
賛同するか否かを決定することは大切なことであり、尊いものであると思っています。
然れど、それを公に非難し、相手を批評して自らの正当性を証明したいとなってくれば、私は「それはどうなんだろう」と思ってしまいます。
本能的なものなのか、意図的なものなのかは、また別にしても。
所謂「拡散」という形で周りをその気にさせ、相手を一方的に責め立てて、非難して、SNSという公共的な場から排除しようとするのであれば。
匿名であろうがなかろうが。それは「イジメ」と言えるのではないか。
私には、そうと思えてなりません。
人と人との繋がりを容易にしてきたSNSと、相反する行動ではないのだろうか。
そう思うのは私だけかもしれません。
ですが、正直に申し上げます。
意図的か否かはさておき、実名や実態をあやふやにしているSNSで。
会ったことすらない相手を。SNS上という、飽く迄「表面的」な表現や意志提示だけを見て。
相手を非難することが、SNS本来の目的なのか。
私は、それは断じて「違う」と思っています。
交流の手段であって、SNSがその人全てではない
相手の顔を直接見たり、直接声を聞くことができないSNS。
発信者や受け取る側の真の意志や思いを見出したり、汲み取ることは非常に難しいと私は思います。
実際、私は下手に深読みし過ぎて、自分から人との繋がりを壊してばかりでした。
逆にもっと上手にこなせる人はSNSでの交流や情報発信で救われたり、より濃厚な関係を築いている人も多いと思っています。
だから、SNSというものは。
交流手段の一つであって、その人全てを表すものではない。
色々と綴って参りましたが、このような結論に至りました。
人を誹謗中傷するような、犯罪のような使い方をしなければ。
SNSが齎し、これから齎すことは、無限大なのではないかと、私は思っています。
今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【趣味・小説】Tails Intersecting
※注記※
本記事はブログ開設以来、衝動により初めて短編小説(のようなもの)を書いております。
登場人物は私の趣向により、ケモノです。
この注記をご覧になり、違和感や嫌悪感を抱いた方は、申し訳ありませんがお引き返しください。
※注記終了※
Tails Intersecting
硬い壁を打ち付ける音が響き渡る。
夕暮れの日差しが、淡く差し込む教室。他の生徒はとうに帰宅し、静まり返ったそこに立つのは、僕と彼だけだ。
壁を感情任せに殴りつけたであろう彼の右手から、血が滴っていた。
敏感な僕の鼻が、鉄の臭いを瞬時に嗅ぎ分けて、それが血液だ、と本能的に分析してしまう。
種族の特性に、本能に辟易しながら、それでも僕は、彼から目を離すことができなかった。
強靭な顎が食いしばられ、歯が砕ける程軋む音と共に、唸り声を上げる彼から。
「なに、見てんだよ。同情でも、したいってか」
僕の視線に気付いたのか。
彼は、喉を唸らせながら、短く言葉を吐き捨てた。
顔の上半分。正確には目元や鼻上面を避けるように並んだ、灰褐色の艷やかな毛並み。
そこに混じるように、口元や頬は真珠に近い優しげな白の毛が覆う。
アラスカンマラミュートの血を継ぐ彼の問に、僕は何も答えない。
「俺を惨めだなんて、思ったのか?お前と違って、遺伝子操作された犬の俺をっ」
こちらを見ない彼が放つ声は、怒りや憎悪以上の何かを訴えている。
僕は、そう直感した。
別に、観察が好きということはない。でも、どうしても言葉以上の何かを感じ取ろうとする僕の思いが。
本能が、僕を黙らせて様子見に徹するようにしているのだろう。多分、恐らく。
「なんとか言ったらどうだ、オオカミ!」
無意識に巡った僕の思いを、彼の怒号が打ち破った。
事は、単純であるように見えて複雑だった。
クラスの決め事に、彼が噛み付くように意見を言ったことが始まりだった。
アラスカンマラミュートの彼はオオカミの血を受け継ぎながらも、犬族故の思考力の高さや誇り高さから、周りを押し切って自分の意志を言葉で示した。
彼は、元々自分の意志を貫くことを厭わなかった。
周りに溶け込んで安寧を得ることよりも、彼自身が持つ考えや思い……それは、本能といっても間違ってはいないだろう。
学校では協調や仲間意識を大切に、と謳われているが。
無意味な謙りや妥協は、彼自身が許せなかったのだろう、と僕は思っている。
そんな彼は、周囲から除け者扱いされることが多かった。
周りに、空気を読むことを敢えて避けながら。今回はそれが顕在化して、より肥大化した結末だった。
自分というものを曲げることも、曇らせて誤魔化すようなことをしない彼を「空気読めよ」とか「自分だけが偉そうな口きくなよ」とクラス全体が蔑んで、罵って、弱者に追い込もうとしていることは、僕にもわかっていた。
普段は余計な一言さえ発しない、妥協という言葉を覚えてしまった僕にさえ。
「黙ってるならさっさと帰れ!オオカミの癖に!あいつらに従うみたいに、黙り続けるお前なんか、目障りだ!!邪魔なんだよっ!!」
出入り口のドアを、教室全体をも震わせる怒号。
多分、きっと。
それはクラスメイトではなく、特別意味もなく居合わせている僕に対するものなんだろう。
彼は、他に。
心の叫びを向ける矛先が、無いのだろう。だからこそ、こうして無言でいる僕に叫ぶしかないのだろうな、と勝手に思っている。
気持ちは、わからなくない。
僕自身も、昔はそうだったから。
「僕はね、ただ面倒事にしたくないから黙っているだけだよ」
そんな思いから、思わず口走ってしまった。
次の瞬間。
壁にもたれ掛かるようにしていたアラスカンマラミュートの彼が、一瞬の間に、僕の胸元を掴んでいた。
「楽でいいよな、お前は。周りに合わせて黙り込んで、無害に振る舞ってるんだろ!?」
種族特有の膂力が、僕の身体を締め付けてくる。
「ホッキョクオオカミのお前にはわからないだろうな。群れることで害がなければそれでいいんだろ!?違うなら、言ってみろよ!!」
ワイシャツを、それを掴む腕を震わせながら睨む彼。右手から流れる血が、僕の白い毛を朱に染めていく。
その視線は、敵意に満ちていた。
僕も昔は……いや、違う。
「さっきも言ったけど、僕はもう疲れただけなんだ」
今でも隠そうとしていても、時々滲み出てくるその感情。一度溢れ出したら止まらない思いを、感情を。
僕は、あの時から殺すようになっていた。
「ふざ、けるな。一人だけ達観したような口、きくなよ、クソオオカミ」
でも。今こうして胸ぐらを掴んで、憎むように睨み続ける彼は違う。
僕が忘れるようにして、なかったことにしてきたものを、周りのことを押し切ってまで出している。
「そんなんじゃないよ。僕にとって、君は羨ましく思えることもあるんだ」
彼と知り合ってから、それほど久しい仲ではない。
たまたま同じ学校で、同じクラスというだけだった。
でも、そんな僕に彼は親しく接してきてくれた。
オオカミというだけで怖がられたり、警戒されたりしてきた僕に。
アラスカンマラミュートという、オオカミにも近いながらも、犬という種族に分類された彼は、種族の差という大きな隔たりを超えて。
他人との共存を諦めていた僕に、さり気なく話しかけてくれ、今でも近く離れずの距離を取ってくれた。
にも拘らず、彼は自分の意志を通すことを厭わなかった。
周囲からぶっきら棒に思われても、己というものを貫き通すその姿は。
今まで周りに関心を持てなかったことを良いことに、批判されたり、邪険にされたり、最後は否定された僕が失ってしまったものを。
アラスカンマラミュートの彼は、貫こうとしていた。
他人から見れば、邪魔で面倒な存在と思われても、負けずに立ち向かい、向かい合った。
諦めて、妥協して、周りの意志に乗って惰性で生きてきた僕と真逆を進もうとする彼を。
羨ましく思いながら。
僕にもかつてはあった思いを呼び起こす、錯覚に近い感情を、彼は齎してくれた。
だから、多分。
僕は今、意固地にも見えるアラスカンマラミュートの彼と、これまで共に学生生活を送ってこれたのかもしれない。
「綺麗事ほざくなよ、今更」
「そんなんじゃないよ」
そう思うからこそ、いつもは口を閉じてばかりの僕が、勝手に言葉を紡ぎ始める。
「行事がある度に、嫌そうに目線を背けた僕に、これまで君は誘ってくれたよね。行事語の余興を『絶対参加しない』って言った僕を、連れ出しれくれたのは。いつも君だった」
「だから、俺とサシで話してるって言いたいのか?」
刺々しい言葉と裏腹に、僕の胸ぐらを掴む彼の腕が、少しずつ緩んでいくのを感じた。
「そんなんじゃないよ。僕だって、好きで黙ってる訳じゃない。意見として言うのが苦手で面倒って思うけど、嫌なものは嫌なんだ」
そう、僕は、彼が言うまでもなく、血筋はオオカミだ。
でも僕は、あの時から。
自分の思ったことさえ言葉にできなくなった、唯の臆病になった。
種族なんて関係ない、と思っていたのに。
僕という存在自体を拒絶されてから、他人なんて、どうでも良いと思って生きてきた。
そんな僕に、今目の前にいるアラスカンマラミュートの彼は教えてくれた。
種族だけではなく、それぞれの身体の大きさや考え方の違いなど関係なく。
自分というものを最後まで示し通す、強さのようなものを。
だからこそ、こうして向き合えるのだと思う。
同級生だとか、友達だとか、そういった建前よりも。
僕というオオカミが、身勝手で、我儘な感情を抱いているから。
「僕は、他人って嫌いなんだよ。みんな自分のことばかり考えて、従わない奴は殺すように貶して、蔑ろにして。そんな奴らが表舞台に立って喜ぶなら、僕は黙ることを選んでいたんだ。表面的にはともかく、裏では『くたばれ、塵ども』なんて思っていたよ」
止まらない僕の口に、アラスカンマラミュートの彼の口が緩んだ。
「で、俺みたいな反骨精神旺盛な奴に同情したんだろ?」
それを見て、僕は首を横に降った。
「僕と違って、逃げたり隠れたりしないで、真っ直ぐ進んでいく。僕も本当は、そうしたかった……でも、僕にはできなかった。だからかな、そんな君を羨ましく思うし、そうできない僕を呪うこともある。臆病者、ってね」
「お前も訳わかんねぇ奴だよ、本当に。いいのかよ、俺のことを庇うようなことして」
皮肉と言わんばかりに、彼は薄ら笑いを浮かべながら吐き捨てた。
事実、クラス全体が彼の言葉によって荒れかけそうになった時。
いつもなら意見もしない僕が「そういう意見があっても、良いんじゃないの?」と言い出したからだった。
僕に向けられる、クラスメイトの視線が、訝しさや敵意を持っていることはなんとなく感じ取れた。
いや、違う。根拠はないが、そう思えてならないと直感的に思ってしまった。
普段黙り込む僕に、「こんな時になんだよ」だとか「あいつの肩持つのかよ」だとか。思い過ごしかもしれないけれど、「誰かが意見しないと、自分を出せないの?」とさえ感じ取ってしまった。
その不快感や不愉快から、相手を睨むような視線を出してしまった。
結果的に、僕は元より。アラスカンマラミュートの彼を、一層毛嫌う結果となってしまったのかもしれない。
けれど。僕が答えたい言葉は、決まっていた。
「そんなんじゃないよ。僕は、たまたま正直になれただけだよ」
そう言った直後に、胸元に痛み。
アラスカンマラミュートの彼が、僕の胸板に拳を突き入れていた。
本気であれば、オオカミというには貧弱な僕をはね飛ばせる力を持つ彼なら、殴り倒すことなど容易いことだ。
彼はただ、僕の胸を小突いて笑っていた。
「俺みたいな、弾かれ者でもか?」
口元は、確かに弧を作るように釣り上がっていた。
それ以上に。
目元は緩み、鋭いキレを見せる普段の彼とはとは違っていた。
荒々しくも、どこか優しげで、温かい。
僕には、そう思えた。
だから僕も。
「その方が、僕には合うかもしれない」
彼の腹に、同じように拳を小突いた。
すっかり日も落ちて、暗闇に支配され始めた教室の中で。
ホッキョクオオカミの僕と、アラスカンマラミュートの彼の。
照れ隠しのような、笑い声を殺すような声が響いた。
他の誰にも理解されなくても構わない。
きっと、僕も彼も、そう思いながらの笑い声であり。
互いの緩やかな笑みと、僕と彼が尻尾を振る光景が、そこにはあった。
【生き方・人間関係】雑談 〜人間関係の始まり〜
大寒過ぎても雨が降る。これまで経験したことのない、前例のない気候。
雪や氷に覆われる白い世界は、いつやってくるのでしょうか。
こんばんは、白兎です。
皆様、如何お過ごしでしょうか。
連日、これまた社会人となって以来、仕事に追われる日々が続いております。
何とか目標指数を果たし、次の日を迎えている、今日この頃です。
唐突ではありますが。
仕事と聞いて、皆様は何を思い浮かぶでしょうか。
業務を遂行していく中で求められる、質や量。完遂すべき目標。
これもまた、答えのないものと思っています。業種のみならず、立場や社会情勢、所属する会社の動向。更には従事する人々によって、仕事に対する思いや考えは様々であると私は考えています。
そんな私が、仕事をすること、と聞かれたら。
真っ先に人間関係が思い浮かびます。
自分がどれ程仕事をこなせても、限界はあります。一人で抱え込めば抱える程、次第に追い詰められていき……自分というものを見失い、或いは無くしてしまいます。
かつて、私はそうやって自分を蔑ろにしてきた結果。
危うく私という存在を放棄し、傀儡と成りかねました。
そんな時、周りの上司や先輩、同僚、後輩。沢山の人たちが助けてくれ、助言を頂戴しました。
社会人として、仕事をこなす一人の人間として、私は人間関係というものが常に付き纏うものであると思います。
大切であるとわかってはいても、口下手で不器用。そして、人間不信である私には、どうしても人間関係を上手く築けずにおりました。
人を信じることをやめてしまったと勝手に思っていた私に、優しくて、温か過ぎる程の。
定年退職して今はもういない、かつて上司だった人に言われた言葉があります。
「仕事を覚える前に、まずは雑談が大切だと思うんだよ、俺は」
その言葉があって、今の私が社会というものに向き合うことができています。
その言葉を掛けてくれたからこそ、私が私でいることができます。
職場を去ったあの人は、今どうしているだろうかという思いは、心の隅に置いておきながら。
今回は、人間関係という複雑で難しいことに対して。
私に教えてくれた、「雑談が人間関係を作り、仕事へと広がっていく」ということについて綴っていきたいと思います。
- 仕事よりも大切で、厄介な人間関係
- 馬が合わない人も出てくる中で
- ハラスメントも関係しているのでは
- 何気なくかけてくれた言葉を、矜恃にして
- 良い人間関係は、言葉のキャッチボールができている
- 思うようにはいかない、人と人との関係・繋がり
仕事よりも大切で、厄介な人間関係
個人的な事情や考え以上に、人間関係は大切であると思う一方で。
時には煩わしく、仕事を辞めかねない引き金にすらなるもの。
しかし哀しいかな、人間関係はいつまでも、どこまでも完全に断ち切ることができません。
近いものとして、学生時代の同級生があると思います。
仕事と学校。
同じ人間関係であっても、似て非なるもの。
学校なら、「この人とは合わないな」と思ったら、関わらないようにすれば済んでしまいます。話しかけたり近寄らないといった物理的接触を断ち、精神面でも気にかけたり感情を出さないようにすれば良い、と私は考えています。
できない時も、たまにはありますが。
一方で、仕事はそうしたいと願ってもできません。
意見が合わない。口も聞きたくない。顔も見たくない。
だから無視する、という訳にはいきません。
学校は生徒「個人」の知識や身体を育む場所であり、仕事は「社会的貢献」する為に遂行するものや場所であるから、と私は考えます。
人間関係が自分自身を視点にしているのか、周りに向いているかの違いとも言えるかもしれません。
それ故、仕事上の人間関係は好き嫌いの問題では片づけられません。
そうやって、頭では理解しているつもりでも。
心は、やはり素直です。
幾ら仕事だから、ビジネスマンだから、と言われても、良好でない人間関係は良い成果を上げることは難しい。
人間嫌いで苦手、人との関係作りを上手くできない私には、悩みに悩んで参りました。
馬が合わない人も出てくる中で
実際、馬が合わずに仕事が滞ったことは、これまでいく度となくあります。
同じ職場にいても、意見の食い違いや経験の差から、 揉め事に発展して仕事が止まったり。
同じ会社の人間なのに、仕事を進める為に開いた会議。
そこに質問や改善案を通り越して、罵詈雑言寸前の負の感情で満ちた発言の応酬で、会議がいつまでも終わらない。
私に限った話を申し上げますと。
一方通行の命令だったり、個人のキャパシティを超えるような要求だったり。
事前の情報提供がなかったのに、他社員が大勢いる中での大叱責を喰らったり。
これらを「うっさいな」と流せる人もいれば、「次は言わせねぇぞ!」と逆境と捉え、奮闘する人もいるかと思います。
が。
私は頑固な所が結構あります。
価値観や仕事に対する考えの相違は仕方がないとしても、筋が通っていなかったりあまりにも一方的に話を進められると、猛反発します。
相手が喩え上司であったり大先輩であったとしても、感情任せに噛みつき返すのではなく、逆に血が引いていって変に冷静になって、指摘された点に反論いていきます。
最悪、話にならないと感じた時は、黙り込みます。「聞いてるの?」と喧嘩腰で迫られても、睨むようにしつつ頷くだけになることさえあります。
こう書くと、つくづく私も人として、社会人として非が多いなぁ、と痛感します。
ハラスメントも関係しているのでは
話を戻します。
人間関係の難しさは去ることながら、最近は各種ハラスメントのこともあり、お互い言いたいことを本気で言えないのではないか、と最近思うようになりました。
上司は上司で、部下は部下で、表面上は良好そうに見えても、互いを警戒し合っている。そのような場面に出くわすことも多々あります。
私が思うに、もしかしたら、人間関係が上手くいかないのは、そんな背景もあるのかもしれません。
何気なくかけてくれた言葉を、矜恃にして
長くなりましたが、本題に入って参ります。
十数年前、会社に入りたての頃の私。
右も左もわからずに、職場に着いた私を出迎えてくれた人。
私の会社は社員の年齢層が極端で、私が入社した当時、一番近い先輩が50歳目前という有様でした。
ジェネレーションギャップという言葉ではとても埋められない、私という存在から見てありとあらゆるものがかけ離れていた職場。
当時の私は、同僚に声掛けすることさえ躊躇う程、怯えて怖がる程の臆病者でした。
そんな私にコーヒーを入れていただき、着任の挨拶を控え萎縮する私に。
その人が掛けてくれた言葉は、今でも私の心に深く刻まれています。
「仕事を覚える前に、まずは雑談が大切だと思うんだよ、俺は」
最初こそ、「えっ?」と思いながら、曖昧な相槌を打ちました。
仕事よりも、本当に大切なのか?と。
戸惑う余りに視線を逸した私に、その人は続け様に話してくれました。
「白兎(実名)は、何か好きなこととかあるのか?」
仕事をして、お金を稼ぐ為に入ったはずなのに。
どうして、そんなことを聞いてくるのだろう。
そんな疑問とは裏腹に、私はその人の目を恐る恐る見ながら。
「そう、ですね。小説書いたり、することです」
冷めぬコーヒーを一口啜って、何故か、警戒という言葉で凝り固まった身体が少し緩んだ感覚。
今でも覚えています。
「小説か!凄いじゃん。官能小説でも書いてるの?」
と笑ったその人に、私も笑いながら「違いますよ!」と無意識に返していました。
仕事を覚える手段は様々あると思います。
マニュアルを見たり、先人が残したメモ書きやノートに目を通したり、実際に仕事を先輩と共にして頭だけでなく、体に覚え込ませる。
それでもわからない、理解できない、腑に落ちない。
そこで初めて、人に聞くという選択肢が出てくると思っています。
ですが。
幾ら自分で調べてきたとしても、いきなり「教えてください!」と言われたら、相手はどう思うのだろう。
親身になってくれる教えてくれる人もいれば、それくらい調べればわかるだろ、と突っぱねる人もいるかもしれません。そればかりは、千差万別。定義しようとする方がおこがましいと思っています。
極端な例を上げさせていただきます。
職場に新入社員が入ってきたり、異動により新しく社員が着任した時。
仮に、そのような人たちがよろしくお願いします、と最初に挨拶を聞いてから、話すこともなく、まともに向き合うこともなかったとして。
いきなり頼まれごとをされたら、皆様はどうお思いになるでしょうか。
今の私なら、「あ、いいですよ」と答えながらも、内心モヤモヤします。
端的に言えば「話をしたこともまともにないのに、いきなり仕事のことを聞くなんて。私には怖くて無理だな」と思う一方で。
「わからなくはない。でも、もう少し段階を踏んだ方がお互い気が楽になるのでは……」と無意識に思う為です。
そうやって、私が仕事に対して、人と接することに対して。
どうすれば、私も相手も、気分良く仕事を進められるだろうか。
その答えを、既に会社を去って久しいその人の言葉、そしてその意味、大切さ。
「仕事を覚える前に、まずは雑談が大切」
今は私なりに理解し、矜持と言えるものにできることができました。
良い人間関係は、言葉のキャッチボールができている
人間関係、と言うと幅が広すぎて難解なイメージになりがちです。
然れど私が思う限り、人間関係=思いが通じるか否か≒親密かどうかと考えています。
思いが通じているかどうか、これもまた微妙なところではあります。
そこで、私としては過去に貰った言葉が大きく影響してきます。
人間関係を新しく作る時、或いは良くする為必要になってくるもの。
それは親身なものではなくても、仕事を遂げるという思いによる大義でなくても。
雑談という、身近でありそうでどうでも良さそうなことを話す。
それだけで、何かしらの変化はあるのではないか。
私はそう思っています。
「好きなものは何?」「ラーメンだったら何味が好き?」「食べられないものとかあるの?」と聞かれたとしたら。
仕事以前に、しょうもない話だと受け取る人もいるかと思います。
ですが、私は素直にこう答えます。
「蕎麦ですね。麺類は全体的に好きです」「以前は味噌でしたが、最近はあっさりした醤油や塩ラーメンが良いですね」「魚介全般」。
そう返しただけでも、自然と会話は弾みます。
「蕎麦か。あ、あそこの蕎麦屋、安いけど味は良いよ」。
「あっさり系か、ならこの店が白兎には合うかもよ」。
「魚介ダメなの!美味いのに、勿体ない。人生損してるよ」。
実際にこんな会話が成立して参りました。
言わずもがな、これらは仕事とは全く関係のない唯の雑談です。
しかし、私は思います。
こういった会話を通して、話す相手と意見を交わすことで。
自分を知ってもらい、相手を知って。
それだけでも人間関係の礎を築く切っ掛けになり、そこから仕事を学ぶというスタートラインに並ぶことができるのではないか。
しょうもないと、と断言されても。少なくとも、私はそうして人との繋がりを築き、発展させて今に至ります。
ここでは食べ物について述べて参りましたが、乗っているクルマでも趣味でも、何でも良いと思っています。
仕事とは無関係の雑談が、相手を知り、人間関係を作り始める切っ掛けになると、私は信じています。
仕事よりも雑談、その言葉に陶酔したり心酔することはありません。
でも、退職してしまったあの人が言ったことは、強ち間違っていなかった。
雑談という、言葉のキャッチボール。相手の、自分の言葉を受け取って、しっかり返すこと。
それが会話であり、人間関係をより良いものになる。
人間関係を良好にし、保つ為の道標を知らなかった、私に送ってくれた言葉は、今でもしっかり生きています。
逆に、一方的な意志投げ方は、言葉をボールにしたドッジボールであると私は認識しています。
相手に言葉、自分の意志や考えというボールを当てれば終わり。
それは、最早会話ですらない。
それが正当と言われるのなら、私はこう返します。
「それなら、壁に向かって話せばいいのでは?」
思うようにはいかない、人と人との関係・繋がり
人と人の繋がり、関係。それが人間関係。
大分私情が入ってしまいましたが、余程のことが無い限り、私は 人間関係を良好に保っていきたいと思っています。
誰だって、好き好んで相手を陥れたいと思ってはいない。そう、私は考えています。
例外があったとしても、それはそれとして。
自分と相手。もっと言えば、自分と世界を結びつけるもの。
私の場合、それが「雑談」というものでした。
切っ掛けは、私は何でもいいと思っています。
その切っ掛けを掴んで、相手と共有し、共感することで。
閉ざされかけていた、人間関係という険しい壁を乗り越えられる切り口になると、私は考え、信じています。
少なくとも、人間関係という問題だけで人生を棒に振っていまいかねない。
それって、私は悔しいと思うんです。苦しくても、悔しくても。そこで折れたら、相手の思うツボと考えたら、負けたくないんです、私は。
経験談で塗り固めた本記事ではありましたが、もし同じよいうに悩んで、苦しんでいる方がいらっしゃれば。
私のような、一見ふざけたような生き方をしているように見えても、何とか生きながらえています。
それに共感し、願わくは、試してくださればこの上ない幸いです。
今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【生き方・人生・価値観・趣味】本ブログについて 〜ご訪問、ありがとうございます〜
お初にお目にかかります。
本ブログを綴っております、白兎(はくと)と申します。
この度はご訪問いただきまして、誠にありがとうございます。
本ブログについて
本ブログでは、主に人生や生き方というものについて綴っております。
世間一般で言われているようなことを綴ることは、あまりありません。
私の元来持った性格や性質。経験や価値観といった視点から、私が疑問に感じたり違和感を抱いたことについて、少しでも多くの皆様と共有や共感をしたい。
そんな思いから、このブログを開設するに至りました。
【やさぐれ紳士】白兎について
簡単に、私という人間についてご紹介させていただきます。
私は、「HSS型HSP」自認・「Aセクシャル(性嫌悪持ち)」自認・性自認は「中性または無性」です。
その為か、幼少期から現在に至るまで、人と少しズレた感覚を抱いたまま生きて参りました。
世間一般が、「普通」だとか「当たり前」というようなことでさえ、私には「そうなのかな?」と思い続けてきました。
一方で、「自分がおかしいのか?」と違和感を抱くことも数多くありました。
独り思い悩むこともありました。
ですが私は、自分自身に、嘘を付き通して。
私という存在を、自分で歪めるかのように、ひたすら歩き続けて来ました。
その先で待っていたものは。
中学生時代のイジメ。人格を否定され、存在を拒絶されて、一度私は壊れました。
そこから更に歪み続けた私は、自分を嘘で塗りつぶしました。
そして、嘘の塊と化した私が社会へ飛び出た時。
様々な人々の思いや社会的価値観を無理やり取り込み過ぎた私は、精神を病むこととなりました。
この手で一度自らの命を絶とうとすら試みたこともありました。
そこで、ようやく。
私は「自分は、本当はどう考えているのだろう?」「本当の自分って、何だろう」と、十数年に渡り隠し、騙し続けた自分自身と向かい合うようになりました。
自身に問い、答えを求めるようになってから、ようやく私は他人と再び向き合うことができるようになりました。
始まりは、クルマという共通の趣味を持つ人たちとの交流でした。
元々クルマに興味のなかった私がすっかり魅了され、今では趣味と自信を持って言えるものとなっています。
そこから人間関係やその人それぞれの考え方、価値観の違いを学んでいくにつれ。
どれが正しいか、間違いか、そういう杓子定規では決して計れないという考えを持つようになりました。
同時に、私という人間が考えていることも、正解不正解もない。
一人のヒトの答えを持っている、と自覚しました。
以来、心療内科やカウンセリングに通い、自分というものを取り戻しながら。
押し付けられてきた考え方や世間体というシガラミを少しずつ解き放って。
身内にさえ言えずにいた、私の昏い過去を受け止めてくれた親友と出会って。
今、こうして文章を綴るに至っています。
あまりにも、遠回りだったかもしれません。
真っ直ぐ、ここに立てていたら、どれだけ楽だったことだろうか……そう思うこともあります。
でも。
紆余曲折を経て、迷いに迷って、生きることを諦めようとした時さえあったからこそ、今の私があると思っています。
奢りではなく、ただ純粋に、そう思います。
同情ではなく、共感したいこと
簡単に、と申し上げながら長くなってしまいましたが。
そんな私が、生きるという「当たり前」なことの中から感じること。疑問に思うこと。
正否という天秤には掛けられないと思うことなどを、私なりの言葉で、文章で、綴って参ります。
私がこのブログを通して、願わくは叶えたいことがあります。
それは、共感。
同情ではなく、共感。
答えのない答えを求めがちな私は、ご覧になる方によっては「そうじゃないだろう」とか「それ、思い過ごしなのでは」と思われることもあるかと思います。
それでも、構いません。物事や考えに対する見方や価値観は千差万別です。
故に、強要するようなことはいたしません。他ならぬ、私がそうされるのが一番苦痛であり、辛いからです。
一つだけ、申し上げさせてただけるのなら。
このブログを通して、私という一個人が述べることに対し「そういう考えもあるのか」や「そういう人もいるんだ」と、少しでも思ってくださる瞬間があれば、それだけで幸いです。
ご訪問いただき、重ねて御礼申し上げます
長々と綴って参りましたが、改めまして、本ブログをご訪問くださいまして、ありがとうございます。
私は文章を書くのが大好きですが、纏めることがとてつもなく下手くそです。それ故、一記事がとてつもなく長くなってしまうことも多々あります。
このような私、白兎でございますが、少しでも興味や共感を抱いてくださる方がいらっしゃれば、幸いです。
何卒、よろしくお願い申し上げます。
【生き方・価値観】謝罪と感謝 ~謝るよりも、ありがとう~
寒い、と思う日はありますが。
それを通り越して、「痛い」と感じることが、今年は本当に少なく感じます。
今日も晴天に恵まれ、日差しの強さでやや日焼け気味な白兎です。
皆様、如何お過ごしでしょうか。
さて、唐突ではありますが。
プライベートでも、仕事でも、人間は一人でこなし切れないことだらけです。
独りが好き。そう豪語している私も、その実は一人でできることは本当に僅かです。
そんな時、手を差し伸べ、助けてくれる人たちがたくさんいます。
そこで、返す言葉。
ありがとう。
温かみのある言葉です。その一方で、至らない所があったり申し訳なさを感じた時には。
すみません。ごめんなさい。
なんだか、後ろめたさのようなものを思わせる言葉が出てしまいます。
𠮟責や責任追及されているような場合を除くとしても、自分に対してしてもらった行動やアドバイス。それが捉え方や状況次第では、真逆とも言える言葉が口から出てきます。
何故、このような話題を取り上げているか。
私が、無意識的で圧倒的に「すみません」「ごめんなさい」と言うことの方が多いと感じている為です。
ありがとう、と素直に言えれば良いのに。
それが、いつのまにかできなくなってきてしまいました。
今回は「謝罪と感謝」ということについて、私の思いや傾向を元にしながら綴っていければと思います。
また今回より、強調したい言葉について青字も使い始めていこうと思っています。
私の中の、謝罪と感謝
すみません。ごめんなさい。申し訳ありません。
謝罪とは、自らの非を認め、相手に許しを請う。
謝る、とも言いますよね。
自分が何かしらのミスをした時やクレームが入った時、もっと大きなものでは、会社が不祥事を起こした際に使われることが多いかと思います。
無意識的に使っていた、謝罪の言葉の数々。
今更ながら意味を知って、疑問が湧いてきました。
相手の好意や助け合おうと思いからの、手助けや救われるような言葉。
ならば、素直に「ありがとう」と感謝すればいいはずなのに、私は謝ってばかりいます。
どうしてだろう。
何か、自分の後ろめたさや非に思うことを常日頃抱いているから?
相手に手助けしたもらわないと何もできない自分に許してほしいから?
思慮を巡らせていく内に。
そうではない、と納得がいく理由が見つかりました。
何となく、朧気ながら。
謙ることで、責められないようにしてきた
私の口から、つい溢れるごめんなさい、すみません。
何かを謝ろらないといけない、という訳ではないようです。
どうしてそのような気持ちが浮かんだのか。
記憶を遡る限り、幼少期はそんな言葉は使ったことはありませんでした。
友達と遊んで、困っているところを助けて来れた時は、ありがとう、と笑っていました。
そう。笑顔でありがとうと言えていました。
それが、いつの間にか。
自分が謙って、相手を上に立たせることの方が、楽だということを覚えてしまっていました。
そう、いつの間にか……。
いや、そうやってまた自分に嘘を付いている。
今でも、覚えています。
それは忘れもしない、あの時からです。
人格否定されたあの日から。
自分に価値などない存在なんだ、という意識を持ち続けてきました。
少々荒い言い方をすれば、そう思うことを「植え付けらた」と言っても悪くないかもしれません。
いづれにしても。
以来私は人の顔色を窺って、自分に向けられる視線を怖がって。
そしていざ、温かい言葉や手助けという尊い行動を貰った時。
真っ直ぐそれに向かい合うことも、受け取ることもできなくなっていました。
ありがとうという言葉よりも。
どんな状況であっても、すみませんと自分を謙るようになって。
言い方は悪くなりますが、相手をヨイショすることで機嫌を取る選択ばかり取っていました。
ここまでくれば、もう、姑息ですよね。
自己保身という言葉だけでは済まされない、自分を欺くだけでなく、相手を侮辱している。そう言われても、思われても仕方がないと思っています。
否。
そうやって逃げてきただけだろ、臆病者。
忘れようとして。無かったことにしたかった。
それでも逃れることができなかった。
その結果が、今の私です。
人と接することを嫌がって、怖がって。歳だけは取っていくのに。
精神は、あの時のまま。
逃げてばかりで、現実と向き合えないままでした。
それでも、自分と向き合って
幸か不幸か、そんな自分と本気で向き合おうと決意した切っ掛けが私にはありました。
私の場合なら、幸い、が近いかもしれません。
それは、精神を病んだことでした。
刃物を自分の腹に突き立てて、少し刃を喰い込ませて。
もう数センチ行けば、出血していたであろう。
死。
それを肌身で感じた瞬間からでした。
※注記※
言い訳になりますが、一つだけ言わせてください。
今この瞬間、精神的に追い詰められ、生きるのがやっとという方もいらっしゃると思います。
私が経験した、精神を病んだこと。それとご自身を比較することだけは、どうかお止めください。
そして、死というものを受け入れないでください。
今回は、飽く迄も私が「謝罪と感謝」を区別し、理解できたことの切っ掛けとして精神を病んだことを出しているに過ぎないこと。
それは、この記事をご覧になっていらっしゃる方とは無関係であると私は思っています。
私には私の、ご覧くださる方にはその方の苦しみや痛みがある。それは比べるものでも、比べられるものでもありません。
どうか、ご自身のことだけは、大切になさってください。
私から、勝手過ぎるお願いです。もしお気に障ることがありましたら、ご連絡ください。記事を即刻削除いたします。
申し訳ありません。
これは、心からの謝罪です。
※注記終了※
脱線しましたが、続けます。
他人から排他され、自分というものに見向きもしてこなかった私は。
この時を切っ掛けとし、やっと自分と向き合う時間を作ることができました。
自ら蔑ろにしてきた、私という存在。
過ぎ去った時間以上に、自分を排除し続け、それでも尚現実に立ち向かい続けていたことを知りました。
現実に向き合い、生きる為に言葉として発してきた謝罪と感謝という、自分の意志。
殺し続けてきた、そんな自分の意志を。
クルマという相棒に出会って、多くの人と出会って交流して、掛け替えのない友と出会って。
遠回りしてきましたが、少しずつ、理解して……私は今、こうして文字として。文章として綴るに至ることができるようになりました。
気のせいかもしれません。ですが、そうではないと反発できるようになりました。
認めようとしないだけで、実はできていたのかも
一度身についてしまった習慣。私の場合だと、相手の意志に拘らず「すみません」「申し訳ありません」とすぐさま出していた言葉。
これを治すには、時間が掛かりそうです。寧ろそう言える自分を、ある程度許容したいとさえ思えるようになりました。
謙るのではなく、相手を単に持ち上げるのでもなく。
私はそういう気持ちも、少しは必要なのではないか、と思っています。
ただし、それだけではダメだと。逃げる為に謝罪の言葉を並べるのは失礼に値する、と自覚し始めています。
謙るのは必要。でも、度が過ぎれば卑下になる。卑下し過ぎることは、却って相手を馬鹿にすることになる。
誰かに、そう言われました。
そう意識し始め、少しでも無意味な謝罪は無くそうと思い始めた一方で。
思っていたよりも、素直に「ありがとう」と言えている自分がいることに気付くことができました。
文章で書くのは、簡単ではありますが。
実際に私が「ありがとう」という時は、物凄く動揺しつつ、心が揺れ動く感覚が今も拭えずにいます。
私の、とても公にできない昏い過去を友に話して、受け入れてくれた時も。
可笑しい位、声も身体も震えていました。
それでも私は、誰かに笑われても、馬鹿にされても構わない。
この気持ちを、感情を、大切にしていきます。
謝るよりも、ありがとう
謝ることは自分の非を認め、相手に許しを請うことと、冒頭で申し上げました。
社会に、この世界に生きる以上、不可欠なことに変わりはないと私は思います。
でも、私がこれまでしてきたような。
必要以上で、過度な自己保身に因る謝罪は、誰にも幸せを齎さない。
今になって、私はそう思えるようになることができました。
ならば、私がしたいことは。
私の過去を垣間見えながらも。
この記事を、私のブログを御覧くださり、ありがとうございます。
少なくとも今は、これ以上の言葉が見つかりません。
人が、そして自分が犠牲になりかねない謝罪という名の過度な卑下。
それよりも、一言で思いが伝わる、たった一つの言葉。
ありがとうございます。
謙るだけでは得られない、誰もが幸せになれる言葉を素直に言えるように。
私は、進み続けたいと思います。
今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。
……お馴染みながらも、言えていましたね、私。
こんな時に、「御閲覧くださり、申し訳ありませんでした」なんて、不自然ですし、可笑しいですよね。
申し訳ないと思うなら、始めから書くな、と自分に説教すると共に、滑稽にすら感じます。
普段から、言えていたことを、このようなところでも実感しています。
改めまして。
今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【生き方・価値観】弄ばれている ~自分軸・他人軸~
山は白く染まり、大地は氷に支配される。
例年より遅いながらも、ようやく厳しい冬の訪れを肌身で感じる陽気となってきました。
雪が全くと言っても差異がない程降らない中、スキー場の経営は大丈夫だろうか……と思う一方で。
ブラックアイスバーンで転んだり、相棒Lupusをスピンさせるような事態にならないことを願いつつ、内心ビビっております。
と言いながら、過去何度も滑って転んで怪我してばかりの白兎です。
皆様、如何お過ごしでしょうか。
現在引き続き「PSYCHO-PASS サイコパス」の二期、劇場版と視聴を続けておりますが、本当に見ていて楽しく、そして興味深い作品です。
私は「カウボーイ・ビバップ」や「攻殻機動隊」も好きな作品です。物語の構成や設定の差異はあれど、それぞれ感じさせられるものが沢山あります。
台詞の言い回しが一々格好良かったり、哲学者の論文を例えに出して視る者を惹きつけたり。
同じく好きな「BEASTARS」は、台詞回しや哲学的な話は出なくとも、描写や設定が訴えかけてくるものがとても強い。
制作者も、脚本家も異なる、私を惹きつけて止まない作品たち。どれもがストーリーの奥深さもさることながら、兎にも角にも。
どの作品にも、私に問いかけてきます。
自分が選んだことが、本当に正しいのか?
自らの行動や言葉は、自分の意志に依るものなのか?
アニメ視聴後の余韻に浸る中、必ずと言っていい程、そんな思いが巡っていました。
いや。
誰かに聞かれているのではなく、問いかけているのは、他ならない私自身でした。
行動も、感情も。
人任せに、してこなかった?と。
題名こそ意味深になってしまいましたが、今回はそんな疑問から、選択の意志について綴っていければと思います。
行動の選択
選択、というといかにも難しい局面や場面で用いられそうな印象を抱きがちですが、実際は本当に身近なところでも選択をしている、と私は考えています。
例えば、服を買おうとしている時。
自分が気に入ったデザインや用途の服を見つけ、試着して。
気に入った。そう思えた瞬間に、選択を迫られます。
買うか、買わないか。
然程意識はしていないながらも、その選択肢の中には様々な要因や情報が加わっています。
気に入ったが、値段が相応か。記載された代金を支払って手に入れる価値が本当にあるのか。
サイズが微妙に合わないが、それを享受してまで買うかどうか。
もっと短絡的なものであるとするなら、買おうと思ってレジに並んだのはいいが、混み合っていて会計まで相当な時間を取られそうと感じた時。
これだけとは言えませんが、私が思う限り、買うという選択を選ぶまでに、このような要因次第では買わないという選択に寄っていってしまうこともあり得るのでないでしょうか。
とは言え、自分が買おうかどうか悩む。それは飽く迄自分主体、「自分軸」というものがあると思っています。
では、選んだ服が「店員が勧めてきたものであった」時はどうであるか、です。
店員さんはその手のプロと言っても差し支えないと私は思っておりますので、私が思いそうなことは「店員さんがそう言うなら」「似合うって言ってくれているし」「勧められておいてやめるのも、なんだか忍びないかも」。
思うことは人それぞれであるかもしれませんが、少なからず、先程述べた選択とは異なる意志が入り込んでくると思います。
買うか否かを決めるのは自分自身であることに変わらないはずなのに、他者という意志が勝手に入り混じっている。
変な話だ、と私は思ってしまいます。自分が決定するはずなのに、他者の意志が自分の意志に介入し、選択肢を改ざんしている。
人に言われたから。アドバイスを貰ったから。
その結果、残されるのは買う買わないの決定権だけになってしまう可能性も高くなります。
これは自分ではなく、他人が主体となる「他人軸」と言えるのではないでしょうか。
感情の選択(受け取り方)
実際の行動だけでなく、感情という目に見えにくいものにも選択が生じてくると思っています。
感情の場合は選択というよりも、浮かび上がる感情を「どう受け取り、自分の行動に影響を出すか」と言った方がしっくり来るかもしれません。
こちらも例えを出させていただきます。
クルマを運転されている方は、ご経験があるかもしれません。
法定速度や規制速度以下で走っている自分のクルマに、後続車が車間も取らずにピッタリ張り付いてきた時。
速度的にはノロノロ運転ではなく、法定的にも規制的にも問題のない。
にも拘らず、後続車が車間を離さない。何を思っているのか、クルマを左右に蛇行させて急かせているようにも見える。こちらが急ブレーキを掛けたら、間違いなく追突される場面。
どんな感情が湧き上がるでしょうか。
「何急いでるんだろ?トイレ間に合わない?」「先行きたければ、追い越してけばいいのに(追い越し禁止区間は除く)」「自分は自分のペース。後ろのことなんか知らん」「うざったいから、コンビニにでも寄って勝手に急いでもらおう」
これらは、憶測の域は出ないながらも、感情から来る行動の決定は「自分主体」であると考えます。
こんな考えも浮かぶかもしれません。
「煽り運転が騒がれてるのに、車間取らないとか馬鹿か」「こっちがブレーキ踏んでも、事故らない自信があるんだろうな。違う?」「そんなに急いでいるなら、ちゃんと出発する時間や渋滞を予想して出てこないお前が悪い」「うざい……自損事故でも起こせ」
私はハンドルを握ると性格が変わる、と周りから言われる為、相当口汚い罵りばかりになってしまいました。
が、しかし。
そんな思いに左右され、不快・不愉快さを覚えている。その要因は、「他人が主体になっている」ではないでしょうか。
後続車が張り付いている、という状況は変わらない。
にも拘らず、これだけの差が生まれても不思議ではないと思うのは、私だけでしょうか。
それだけ、自分の意思決定や感情の受け取りが「自分軸」なのか「他人軸」なのかで変貌してしまいかねない。
文章で記せば、圧倒的に自分軸の方が良さそうに見えるかもしれません。
然れど、それを貫き通すことは難しい。少なくとも、私はそう思っています。何故なら。
私が、自ら進んで「意思決定を人に委ね続けてきた」からです。
人に委ね続けることの末路
行動や感情の受け取り方。私はこれまで、自分よりも人を頼りにし、生きて参りました。
言い方を変えるなら、「自分で決めるより、誰かに決めて貰った方が楽だから」という思いがとてつもなく強いです。
学生時代に。自分がどう振る舞い、どう行動すれば全員の為になるか。
社会人になって。どんな立ち位置にいて、どうすれば良いか。
それを、私は自分という意志を無視して他人に委ね続けてきました。
相手の顔色や声色から、無意識的に感じ取ってしまう性質だから……と言っても、唯の言い訳に過ぎないのは重々承知の上です。
が、それでも尚。
私の振る舞い方で他人が心地好く過ごせるのなら、自分が我慢して、決定権を人に譲渡した方が良いと思っていたのです。
人を不機嫌にしたり、人間関係を悪化させる位なら。
私という意志が犠牲になって環境が悪化しないのなら、その方がマシだ。
本気で、そう思っていました。
身勝手ですよね。もう、自分軸や他人軸なんて関係ありません。
それ位、私は人の顔色を窺って、機嫌を勝手な杓子定規で測って。そこに私の意志を捩じ込んで環境を悪くする方が、私には毒と思い込んでいました。
人それぞれが持つ価値観や思い、考え方なんて関係なしに。
自分勝手なのに、私は自ら進んで人に全てを委ねるという選択を選び続けてきました。
その結末は。
言わずもがな、私の「人に委ねれば」という考え方。
それが齎すものは、何もありませんでした。
あったものは、一つ。
自分が持つ意志を人に預け過ぎた結果、私自身という存在を見失う結果だけでした。
その為に精神を病んだ、自分というものがわからなくなったと嘆く日々は続きました。
でも、そんなものは。
自分が選んでいない以上、誰にもその責任やら怒り・不満の矛先を向けることなど到底できませんでした。
ここまで来れば、最早自業自得です。
「貴方がこうしろ、と言われたから」「こうやって振る舞っていれば良い」
そんなことを、誰にも言われた訳でもない。
唯、馬鹿みたいに、只管に。
人に委ね続けた私が報いて然るべき結末でした。
自分軸・他人軸
ここまで、自分軸・他人軸という言葉を使って参りました。
今、こうして文章を起こしている私が思うこと。
自分軸・他人軸の差異は。
「自分という個人が持つ意志・感情・考え。それらを素直に受け入れ、責任を自負して発するか、他者という存在に委ねて妥協・諦めて、最終責任を他者に差し向けるか」
私は、そう考えています。
見方によっては、一見人に委ねてそれに従う方が簡単に見えます。
その他者が自分よりも年配であったり、経験豊富であったり、立場的に上位であればあるほど。
自分の意志や考えを無視すれば、その方が「的確かもしれない」し、その方が「社会的には正しいかもしれない」。
でも。今の私は。
その「的確かもしれない」「社会的には正しい」という判断はできません。
否。判断するまでもなく、断じて「違う」とはっきり言えます。
どれだけ他人から社会的・会社的に「正しく、従順である」と判断されても。
そこに、自分の意志がなければ。
私という存在は、無いに等しい。
表現法としては悪くなります、が。
他人に選択肢や自意識を委ねた段階で、その人は既に。
他者に弄ばれている。
私は、そう思えてなりません。
もし、このような文章を通した思いや感情を汲み取られ、自分という人間が否定され、社会の一道具にされかねのならば。
個人が抱くこのような意志が不穏因子として排除されても、私は厭いません。
他人に自分という個を委ね続けた身でありながら。
それでも、私は、自分を貫き通したい。
他者や社会に翻弄される位なら、いっそのこと、葬ってくれた方が有り難い程です。
……立派なサイコパスですね、私。
選択肢がある分、人は迷う
身近過ぎる内容だけでも沢山なのに。
人生の転換期だとか、分かれ目といった言われ方をされることが多い言葉。
それは。自分の生き方を決定する瞬間。
選び方次第では、どんな未来が待っているかが真逆になってしまう程大切なことです。
選択肢に対するアドバイスや助言を貰うことはできても、最終的に決定するのは、他ならないその人自身です。自分が選ぶからこそ価値があり、納得する結末が待っている……と言われそうではありますが、私は別の考えも持っています。
人からどう思われても、貶されようとも、蔑ろにされようとも。
自分という意志を貫くことは困難である一方で、尊い。
だからこそ、人に囚われる「他人軸」ではなく、「自分軸」を貫きたい。
自分が決めるより、誰かに決めてもらった方が楽だし、責任転嫁もし易い。判断が難しい場面であればある程、尚更なのかもしれません。
問題が起これば、「あの人がこういったから!自分に責任なんてない!」だとか。
「あの時、人に言われたから仕方なかった!」だとか。
「自分は悪くない!そう言ったあの人が悪いんだ!」だとか。
間違いではないと、私は思います。
自分の選択、という意志がなければ、他人に責任を求める。自然と言えば自然なことです。
しかし、果たして。
それで、自分が納得できるのか。
頭では理解できても、納得できないと言えるのか。
私は自分自身を否定し続けてきた結果、十年という時間を、人に委ねてばかりでした。
そんな私が、偉そうなことは決して言えません。
ですが、良いか悪いのか……そういった意味では、私は頑固です。
相手が上司でも、先輩でも、目上でも他人でも。
筋が通っていなければ、受け入れられない。経緯はどうであれ、ちゃんと説明がなければ反抗するという生き方を、いつの間にか身に付けていました。
病気がどうとか、そういう訳ではない、と思っています。
矜持、と言えば格好良く聞こえそうですが、そんな綺麗なものではありません。
納得できなければ、相手がどうであれ、今の私は反抗的な態度を取ってしまいます。
会社としては、ブラックリスト。反骨精神有りのクズと思わても不思議ではないと思います。
私は、恐らく、どうしようもなく糞で塵で屑です。
それでも構わないし、どう思われても構いません。
私という個が抱いた思いだけは、譲れなくなりました。
そんな私のことなど、さておき。
生きることは、判断や選択の連続であると私は思っています。
それを自分という存在が判断し、進み続けるのは困難で、険しい。
葛藤し、どれだけ悩んでも、それが正しいかどうかはわかりません。正解と思ったことを選んでも、選ばなかったこととはまた別の苦しみや後悔が残ります。
あの時、ああすれば良かった。もっと違う選択肢があれば、と。
しかし、自分自身が道を見出して、決定すること程尊いものはない。私はそう思い、信じています。
何が正しくて、何が間違っているかなんて、そんなものはわかりません。自分が進むと決めた道次第では、天と地に別ける程であったとしても。
それを、自分以外の誰が判断できようか。
しかし他方で、他人に委ねる、ということも必要になってくる場面。哀しいかな、生きる上では十二分にあり得ることであり、私はそうせざるを得ない時があると認識しています。
散々否定して来ておいて申し上げるのもおこがましいと思われるかもしれません、が。
然れど。
選択したことで悔やむことがあったとしても。悩むことや、自分の選択を愚かだったと呪いたくなることもあるかもしれません。
それ以上に。
私は、自分という存在が選び、進んできたことは、他の誰でもない自分の意志を肯定した証であると思っています。
他人から四の五の言われようが、哀れに思われようが、そんな小さなものよりも遥かに尊大な価値がある。
幾重にもある道の中から、自ら選んだ道。それは自分への責任を負うことになります。
同時に、周りに依存することなく選んだ勇気と自分らしさ。
そういったことを、誇っても決して奢りではないと私は思っています。
悩みに悩んで。葛藤を乗り越えて。別の道を捨てたその覚悟。
自ら進んで選んだ道だからこそ、そういったものを抱くことができるのではないでしょうか。
少なくとも、私はそう思っています。
自分という存在の意志や感情の決定・受け取り方。
場合によっては変えざるを得ないこともあったとしても。
人に委ねるのではなく。
喩え、意思決定の割合は少なくても。全体のほんの一、二割でも良い。
自分軸、という名の「自分自身」の意志を貫きたい。そして、社会や情勢に惑わされることなく、多くの方々がそうであって欲しい、と身勝手ながらも願うばかりです。
今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【人生・価値観】理想と現実 ~それは、妄想に過ぎないものなのか?~
小寒を過ぎたのに、特別冷えることもなく、雪も多く降らない。
暖冬、という言葉だけでは説明しきれない、平穏。
気象情報や傾向。言わば表向きにはそうであっても。
そのような情報・予想だけでなく、真にそうあって欲しいと願うばかりの白兎です。
皆様、如何お過ごしでしょうか。
私はどうしても、見えようがないものを追い求める性質のようです。
答えのない答え。答えがないことが答え、と言い換えられるかと思います。
どんな方向にでも、そんなものを求めることが、私の本能……欲求であり、欲望なのかもしれません。
さて、以前お話しした「PSYCHO-PASS」という作品。
精神世界や心理的描写だけでなく、思想・逆説。そして、世界に対する葛藤。
ネタバレは避けますが、作品自体、かなりグロ要素や精神的暴力・負荷を強いる描写が多めです。
※ご視聴は自己責任でお願い申し上げます。※
万人向けとは言えない、と個人的に思う作品です。
が、それ以上に。
五感を通して向き合える世界。それが現実。
時には優しくて、ほとんどが残酷な現実に対して、本当はこうあって欲しいと願い、縋るような思いで創り出される理想。
その齟齬が生み出す、現実世界への疑念・疑問。
色々と考えさせられると共に、見つめ直す作品でした。
私が好む「BEASTARS」と同レベルで、人生という変えられようのないものについて向き合う作品となりました。
今回は、これらの作品から考えさせらたこと、理想と現実について綴っていければと思います。
理想とは
理想的な空間。理想的な社会。理想的な世界。理想郷。
言葉では良く目にし、耳にする「理想」というもの。
皆様が考える理想は、どのようなものでしょうか。
一応の定義としては、「考えられる中で最高の状態のこと」を指すとされています。
または、「ある条件を定義して、それらが満たされるものを理想と呼ぶ」と定義付けられることもあります。
ここには、共通点があります。
理想は、人間が考え、定義づけることで生まれる状態や状況のことを指し示している。
即ち、人の数だけ理想というものは異なり、変化するものと言えると思います。
私なりに、一例を考えてみました。
人間という生き物に対する理想の場合。
・私は、誰からも好かれ、偏見を持たず、全ての人とわかり合える人間でありたい。
・私は、数年後には人の上に立ち、会社の方針を決められる経営層まで登り詰められる社会生活を送る人間でありたい。
社会や世界という概念に対する理想の場合。
・誰もが生まれた時から平等、幸福であることを約束され、いざこざや争いのない平和で健全な社会・世界。
・生まれや学歴、職種の違いはあっても、それぞれの違いを認め合いつつも個人個人が生きることに対し誇りを持って生きていける社会・世界。
お気付きの方もいらっしゃいますが、これらの理想は、絶対的な違いがあります。
実現など到底不可能な理想と、実現可能な理想。
私が適当に考えた、人間と世界の理想で場合では、前者が実現不可能、後者が実現可能です。
実現可能性の有無は、ここでは考えないこととします。
実現不可能な理想は、捉え方によっては「妄想」や「空想」とも言えるかと思います。
逆に実現可能な理想は、「夢」や「目標」と言い換えることもできます。
一方で、共通点もあります。
それは、現実という世界と対比させた時に浮かび上がるものであることです。
現実とは
生きとし生けるもの。動物や植物が地球という惑星に産まれ、育ち、子を宿し、そして死んでいく。一瞬という今この瞬間を、必死に生きている。
日本の場合は季節が入れ替わりを続け、動植物の活動に影響を齎します。
自然という環境が、時には恵みを与え、時としては荒れ狂うかのように激しさと険しさを見せつける。
変えようのない、自然の摂理。
それに対し、ヒトという生き物が与えられた理性や思考力を元に認識している世界。それが現実であると私は考えます。
更に加えるとするならば、時間という概念や、自然というものを観察、検知、計算や憶測することで世界というものを定義づけたものが、現実であると思っています。
身近な例であれば、自分はいつ産まれて、どのような生き方をしているのか。今が何時で、明日は授業や仕事が待っていると認識。そこから生まれてくる考えや感情が複雑に絡み合っている世界。
意見や価値観の違いはあれど、人間が定義づける現実とは、そのようなものではないでしょうか。
ここで重要になってくることは、他の動物が認知しない、ヒトという生き物が「現実世界に対して少なからず、思いや感情を抱いている」ことです。
自分の生まれに、学歴に、職歴に。
育った家族という環境が良かったか、悪かったか。通った学校という閉鎖空間での時間が、有意義であったか否か。働く会社環境に、不平不満を抱いて怒ったり、悲しんだり。或いは任された仕事を完遂させたり、昇進・昇格したりすることで喜びや楽しさを感じる。
人の数だけ、その違いは数えるには愚かなほど数多であり、それを外部から批評することはできないのではないでしょうか。
何故なら、現実を捉えて認識して数多くの思いを抱くのは、個人たる主観であるから。
私が考えるに、そこに良し悪しはないでしょうし、絶対的な指標となるものが存在しないと思えてなりません。
現実とは、ヒトから見れば「人生」である、とも言えるのかもしれません。
中には、様々な逆境を乗り越えて自ら描いた人生を歩む人もいるでしょう。然れど、そのような人は余りにも少ない。
自分の、今生きるこの瞬間に、不平不満は多少なりともあるのではないでしょうか。それ位、人生は必ずしも本人が望んだものとはなり得ないことが、ほとんどです。
私は、現実から目を逸し続けてきました。夢や希望なんて、疾うに捨て去りました。
話を戻します。
厳しすぎる現実を直視し続け、受け入れるがままでいれば、ヒトはいづれ綻びを生じ……最後は壊れてしまいかねない。
そうならない為に、心の安息や拠り所が必要であると思っています。
それが、現実と対比させた理想という世界ではないか、という結論に至りました。
実現可能な理想なら、それを目標や希望にして現実を生きていく糧になり。
実現不可能な理想であっても、現実というものから自分を切り離して、平穏を取り戻す為に浸るものとなる。
理想と現実は、切っても切れない密接な関係があると、私は考えます。
理想=妄想?
こう書いてみると、一つ思うことが出てきます。
理想というものは、結局は妄想の域を出ないのか、と。
妄想、と聞くと。
いかにも危なげさや怪しさといった、暗い面が強調されるかもしれません。
ですが、私はそれでも良いのではないかと思っています。
実現可能な理想が生きる為の糧になるのであれば。
実現不可能な理想……喩え妄想と言われても、現実に向き合い過ぎて疲弊し傷だらけになった精神を癒やし、明日という果てなき人生を生きる原動力を取り戻せる。
そう、思えてならないのです。
妄想だ、と他人から言われても、良いではありませんか。
だって、自分が理想的と思うものを生み出せること。自分の頭の中だけであったとしても、です。
とても素敵なことだと思いますし、大切なものだと私は思います。
差はあっても、それは一つの想像力であり、創造力とも言えるのではないかと、私は考えています。
程良く、理想と現実を見据える
現実の世界を見て、過ごして、明日を生きる。それは人生を歩むことそのものであり、避けて通ることはできません。
そればかり見続けていると、ヒトはいつか限界を迎え、輝きを失いかねません。
夢や目標という理想を掲げ、邁進することは、現実を生きることに力を齎し、ヒトが持つ可能性を開花させたり、時には周りをも惹きつける魅力にさえなり得ます。
その指標が高すぎたり、低すぎたりすれば、却って自分を否定する材料に成り代わることもある。結果、自己肯定感を低くしたり、場合によっては人を羨み憎しみとなってしまうこともあるかもしれません。
妄想と呼ばれても、自分が快適であったり素敵だと感じる理想に入り浸る。一時であったとしても、現実から目を離して癒やしや憩いを求める。更には抑え込んでいた自分を解放して、明日へ進む力を呼び戻す強力な力にも変貌するかもしれません。
あまりにも入り浸り過ぎれば現実を見ることをやめてしまい、人生というものに終止符を打ちかねない。もっと進み続ければ、社会や他人に害を及ぼしかねない負の源になる可能性を秘めています。
理想と現実。
それに対する考え方や捉え方は人それぞれ。価値観や見る角度によっては、とても一言では言い表せない、と私は思っています。
答えのない答え。
正解も、不正解もない。
ですがこの二つはどちらかが強くても、どちらかに偏っても、どこかで心の綻びが生まれてしまうと思います。
その匙加減を上手く調整し、織り交ぜながら生きていく。
それが人生というものであり、人が生きていくことであり、生きた証になる。
私はそう考えます。
哲学的なお話しになりましたが、今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
快晴でなくても、暗い雲ばかりでなくても良い。
迷うことなく一筋の軌跡を、空に描くことができるのなら。
【生き方・HSP】音 ~私を生かす・活かすもの、苦しめるもの~
私事となり恐縮ではありますが、お陰様で、間もなくブログを初めて一ヶ月を迎えることができます。
そして、月間PVが中旬前にも拘らず、1000を超えることができ。
また総合PVも2000という数を超える間際まで来ることができました。
日頃から御閲覧くださる皆様には、深謝いたします。
これを糧に、これからも駆け抜けて参りたく思います。
相棒である、愛車Lupusとともに。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。
とある日の夕暮れ。自然が気紛れに創り出す美しさ。
言葉では語れない、神秘の産物。
三連休の中日。本日は「PSYCHO-PASS」という作品に見入っていた白兎です。
このアニメ作品、漫画が原作らしいのですが……面白く、とても興味深い内容です。
私がブログで綴り続けている、真理や精神、人間らしさや社会に対する疑問、疑念。そして葛藤。
とても上手く、深く表現している作品です。
詳細はネタバレを避ける形で、別記事に起こせればと思っています。
皆様、如何お過ごしでしょうか。
話は変わりますが、今回は音ということについて綴っていきたいと思います。
世界中に発生して、溢れている、音。
雪が降り積もる、微か過ぎる音から始まり、工事現場の大きな掘削音、花火が炸裂する大音響。
私たちヒトが発する心臓の鼓動、歩く度に生まれる靴音、そして言葉を声として外界に出す、音。
様々な楽器や歌声を組み合わせて出来上がる、音楽。
その逆で、異なりすぎる音が積み上がって生まれ得る、不協和音。
これら全てが、音。
私は、HSP自認、その中でも音(聴覚)と言うものに敏感です。
以前上げた、HSPという記事よりも、音というものについて更に深堀りしていきたいと思います。
HSPについては、こちらで言及しています。
それでは、改めて、始めて参ります。
聴覚、耳
幼少期の私が、聴覚以前に耳の調子がとても悪い子供でした。
鼻自体も鼻水が溜まりやすかった当時は、鼻をすすり過ぎたり、かみ過ぎただけでも、中耳炎をしょっちゅう患ってばかりいました。
私自身の記憶としては曖昧ではありますが、特に6歳の時。
滲出性中耳炎という病気を患い、耳鼻科に半年以上通い続けたそうです。
これは鼓膜の奥にある中耳という部分に液体が溜まり、耳が聞こえにくくなるという病気です。
その治療に伴う苦痛や痛みの記憶は朧気過ぎて思い出すことは叶いませんが、母曰く、相当大変だったそうです。
6歳の子供が、専門医に色々聞かれても、自分の症状を的確に言えるはずがない。
事実、私も色々聞かれて、答えられなくて……主治医の訝しげで、怖い顔だったという記憶しかありません。
母は私のことについて説明しようとしたようですが、「貴女に聞いているのではない」と一蹴されたとのことです。
今思えば、ただのヤブ医者。
話は別となりますが、私は保育園の年長期。右肘を脱臼しました。
その時は関節が外れたという自覚はなく、ただ「あれ?腕動かないや、なんでだろ?」とある意味楽観的な思考でいました。
肘が脱臼しているので、上腕を繋げるのは筋肉と筋だけ。自分では気になりませんでしたが、右腕が異様にグネグネしているという異様な光景だったのでしょう。
それでも違和感はないまま、昼食時に利き腕である右手が使えない為、左腕で不器用ながらも食べているという違和を感じた先生が異変に気づき、大急ぎで接骨院に連れて行かれたこともあります。
そんな、自分の状況すら把握すらできない幼児に、聴覚についてあれこれ聞かれても答えられるはずがない。
今の医学、基お医者さんは……どういう対応をするのでしょうか?
それはともかく、私は耳や鼻に劣等感すら 抱いていました。
もっと耳が健全で、鼻も普通であったら。
そんな羨望に似た思いを抱き続けた思いだけは、はっきり覚えています。
今思えば、そんな出来事が私に聴覚というものをより一層意識付けたのではないか、と勝手ながら思っています。
外界を知る為に必要な、五感
人間が持つ五感。それは外界からの情報を得て、自分がどのように解釈し、行動するか。
その割合は人の差はありますが。
約八割が、視覚。目に見える情報から得ているというデータがあるみたいです。
言われれば、確かにと思わざるを得ません。
外界を知る上で、脳が視覚から得た情報を処理して映し出すもの。それが目で見たものであり、ある意味で直感的に普遍的であるか否か、普遍的かそうでないか。
平常か、異常であるか。
言い方は荒くなりますが、てっとり早く判断できるのが視覚が最も適していると考えれば、特別不可思議なことはありません。
また別の論では、嗅覚だけは、脳に直結しているとも言われています。
見た目や音、即ち視覚や聴覚は、情報を得て、それから脳が処理する、という過程をを踏まないと行動に移せないそうです。
五感から得た情報を元に行動に移行するまで。ヒトという生き物は脳が発達しているが故、その処理速度はコンマ数秒という、知覚することさえ難しい次元の世界になるかと思っています。
その中でも嗅覚は、脳にダイレクトに情報を伝え、生存本能に近い行動を身体に求めると言われています。
例えば、買ったいいが放置していた肉の包装を解いた瞬間、腐敗臭を漂わせた。
或いは、開封後暫く放置した牛乳が仄かな匂いではなく、見た目ではわからなくとも、豹変しかけている異臭を放っていた。
そんな時、ヒトはあれこれ考えるまでもなく「これは危ない」と直感的判断を下し、近付くな、すぐに廃棄しろと直接行動させると言われています。
事実、私も下宿時代に経験しました。即刻、腐りかけの食材を臭いという判断の元、廃棄しました。
さて、今現在の私というと。
遺伝からか、左目だけ強烈な乱視かつ微妙な遠視気味で、右目は近視という歪極まりない偏りを持っています。
それ故、眼鏡が必須です。矯正なしに、私には視覚から得られる情報は頼れず、生活すること自体に支障を来しています。
一方、鼻や耳の調子の悪さが昔より改善しています。味覚や触覚は測る元がありませんが……。
聴覚から得るものが、私を生かし・活かし、苦しめる
幼い頃は、医者に通い嫌な経験をしながら。
今では、聴覚というものが私にはなくてはならない感覚となっています。
特別意識している、という訳ではありません。
音というものから得られる情報を視覚並に。
否、それ以上の外界からの情報を得、処理することに特化したもの。
こればかりは、否応なしに生まれ持って得たものなんだろう、と思っています。
音が齎す、苦しみ
HSPの記事でも述べましたが、まず私は、唐突の大音響が大の苦手です。
花火が炸裂する音や、爆竹が爆ぜる音。雷光の後から来る、壁をも震わせる雷鳴。
私からすれば、恐怖や不安を煽るものでしかありません。本当に、今でも怖さを感じます。
直接的な害でないのはないことは、頭ではわかっているつもりなのに。
聞くだけで、「死」という言葉が脳裏を過るほどです。
大げさかもしれませんが、本当にそう感じるのです。
それだけでなく、「気のせいじゃない?」と言われることさえある、微細で些細な音さえ反応します。
震度1にも満たない地震による家の軋み、遥か遠くから聞こえてくる救急車のサイレン、世界が寝静まった深夜に微かに聞こえてくる人の声や物音。
そこには死という概念こそ思い浮かびませんでしたが、脳裏を過ぎっても尚、こびり着く。
怖さ、と言うのが最適かもしれません。
日常生活でも聞き流せば良い雑音や、特別気にする必要のない雑踏や、自分には関係のない会話。子供がはしゃぐ声や赤ん坊が泣く声。
私には、全て苦痛に変換されて脳へと送られてきます。
その度に、体力や気力は容赦なく削り取られてしまう。
更に、幸か不幸か。
苦い経験をした時の記憶。
状況や空気は朧気ながらも。
その時聞いた音や言葉、声色。
今でも鮮明に、全て記憶として残っています。
私の場合は、イジメに合った時に殊更大きな傷を残した場面の数だけ。
顔や名前はぼやけているのに。
その時聞いた言葉、声色。
全て記憶しています。
一字一句、とまでは言えないながらも、概ねは記憶しています。
変な言い方になるかと思います、が。
「貴方はあの時、こう言ったよね?覚えてないかもしれないけど」
「忘れたかもしれないけれど、貴方が言ったこと……全部、覚えてる」
狂人と思う方もいても仕方がありません。
が、事実です。音や声に関しては、嫌気が差す程鮮明に、私は記憶しています。
無意識であるかどうかなんて、どうでもいいと思える程に。
挙げ句に、本来は削られたフィジカルやメンタルを回復する為の睡眠が、いつの間にか、私には心地好いものではなくなっていました。
眠りの入りが悪くなり続け、中途覚醒(睡眠の途中でも起きてしまう)が酷くなり。
寝床に入っても、眠りに入ることさえできず、仮に意識が飛んだとしても、一時間置きには起きてしまいます。
ただ、身体を横にしたまま、意識が。脳だけが現実を見続けている。
体力も精神も。回復や調整もままならない状態が続くことは、とてつもない、果てしない苦でしかありません。
その為、今では眠剤は欠かすことが出来ず、さらには聴覚から入る情報を遮断する為の耳栓がなくてはならないものとなっています。
敏感という言葉いするだけでは、私からすれば、残酷な程。
聴覚から入る音という情報は、私を苛み続けています。
音が齎す大切なもの
今までだったら、悪いことばかりに目が行き、どうにかして治したいという思いに刈られていたと思います。
ですが、物事は表裏があるように、悪いことも良いこともあるということに、気付くことができました。
十数年という、少し遅すぎる位に。
一番は、人の声色からその人が抱えている感情だけでなく、何かしらの思いのようなものを感じ取ることができることです。
感情が変化すれば、自然と声の波長や抑揚、口調が変化します。それに伴って、表情や背格好、目線、瞳の動きも変わってきます。
それを、なんとなく声を聞いただけで、「何かあったのかな」と感じ取る。こればかりは、確証や理論立てて説明がつけられません。
私が思うに、その人それぞれの平常時の声色や口調を、無意識的に記憶しているからではないか、と憶測しています。
無意識的に記録した音と、現実のそれと照らし合わせ、差異を見つけだす。
これによって、体調の変化(風邪等による具合の悪さ)だけでなく、精神的に何か抱えてしまっている可能性を把握できます。
ただ、どストレートに「何かありましたか?」と聞くような真似はいたしません。
飽く迄、相手が切り出すまで、待つことに徹するように心がけています。
何故なら、私が声色から感じ取ったものは「私の感覚」以外の何ものでもない。
その感覚が、その人が抱える「何か」と必ずしも一致するとは限らないから。
逆に言えば、それがあるからこそ傾聴に徹することができるのではないか、と勝手に推測しています。
自覚がなかったのに、人から相談を受けることが多かった理由。
今なら、ただなんとなくですが、わかってきた気がしています。
声以外にも、クルマの音でも何かを感じることがあります。
メンテナンスが十分でない車両は、必ず何かしらの異音を発します。純正マフラーにも拘らず大音響をだしていたり、ガラガラした音やシュルシュルといった滑るような音。
このことで救われたことが、実際にあります。
会社の車に乗って移動中。ハイブリッド車なのに、モーターからエンジンに駆動力が変化する際。通常は違和感なく繋がります。
ところが、その時の車は何故か「キュッ!」という、悲鳴にも似た音を繰り返していました。
これは、マズそうだな、と思った矢先。
オートマチック車ではほぼ起こり得ない、エンジンストール。エンジンが完全停止し、交差点の真ん中にも拘らず発進もままならなくなってしまいました。
幸いエンジン再始動で事なきを得ましたが、修理に出した結果。
エンジンも、モーターからも、ハイブリッド車用のバッテリーにも異常なし。
問題が起こっていた所は、オートマチック制御部の故障。
意外過ぎて、重大な事故に繋がりかねない状態でした。
他の社有車でもハイブリッド車はありましたが、奇妙な音を立てた車はその一台だけでした。
いつもの音と、何か違う。
音という形で故障の兆しを知らせてくれた、私の一事例です。
音感
これは少し論点からずれるかもしれません。
私は幼少期より、ピアノを始めとした楽器を演奏することはおろか、触ったことさえありません。
その為、楽譜を全く読むことが全くできません。譜面という紙の上に、オタマジャクシは沢山並んでいる……その程度の認識しかできません。
よって、例えば「レ」という音を出されたところで、それを的確に「レの音」と答えられません。定義された音の波長を、そもそも知らないからです。
しかし。こんなことがありました。
高校の時、音楽の授業で「グループを作って演奏する」という課題が与えられました。
私はとんでもなく動揺しました。
楽譜を渡されても、全くわからない。
音符という記号が並んだ譜面を読み解いて、音程を理解し、それを的確に演奏することができなかった為です。
当然、ピアノ経験者に聞いたところで理解は追いつかない。どうすれば……と途方に来れていた時でした。
グループを組んだ一人から、こう言われました。
「白兎(実名)さんは、楽譜見ないでボーカルの音程ってわかるかな?」
その言葉がきっかけでした。
演奏する曲は、幸いながら私も知っている曲でした。
楽譜が読めない私は、ボーカルの歌声を、実際に鍵盤に合わせていく手法。
今で言うなら、耳コピでしょうか。
どの鍵盤がどの音を出すのかさえわからないながらも、鍵盤を押して「ん。違う」「半音、ずれてる?」「あ、この音で間違いない」。
音符も記号も、理解できない私には意味を成さない。
楽譜という決定的なものを理解できない私にとって唯一、頼りになるもの。
実際の曲と鍵盤が出す音を一致させる。
楽器が出す音と、一度記憶した音程とを合致させる。それしか、私にはできませんでした。
鍵盤を押しては、合っているか否かを判断。加えてリズムを完璧に一致させる。
試行錯誤の連続でした。楽譜が読めないという、音楽ではあり得ない程、大きなハンデを持った私。グループの人はそんな私を受け入れてくれて、練習も重ねに重ねました。
その結末は。
指一本でしか押せない鍵盤を、自分が記憶・記録した音とリズムだけを頼りに演奏しました。
他の生徒が目の前に楽譜を置くのが当たり前の中、私は一人、視覚を遮断し聴覚に集中する為に目を瞑りながら挑むという異様な光景に映っていたかと思います。
なんとか、課題を完遂することができました。
前もって、グループに人間だけでなく、同じ授業を受ける生徒には、楽譜が読めないと伝えてはいました。
演奏し終えた周りからは「目、瞑ってたよね?」「楽譜もないのに、どうやって?」「演奏するのに、一人だけ必死だったね」
褒め言葉や冷やかしはありながら。
音というものを、私は無自覚で、無意識ながらも。
いつの間にか記憶し、記録し。それを不器用ながらでも、再現できる。
そう実感した瞬間でした。
この経験は、今でも私を活かすものとなっています。
趣味とまではいかないまでも、誘われればニコニコと連いていくようになった、カラオケ。
良いか悪いかは抜きとして、私は原曲キーでなければ歌うことができません。
キーを上げ下げして、自分が出せる声に調整して歌うことができる人も沢山いらっしゃると思っています。
本音を言えば、羨ましく思えます。
反面、私は少しでも音程やリズムが変わった途端、歌うことができなくなります。
カラオケの機械が調整するだけでなく、自分が出した声が、自ずと記憶している音と少しでも狂いが生じた途端、止まってしまいます。
楽譜はおろか、音符さえ今でもわからない私には、世間で言う「絶対音感」や「相対音感」というものはわかりません。
然れど、私が言えることは一つ。
聴覚から入った、音という情報を、無意識に記憶し、記録している。
ただ純粋に、今はそう思っています。
奢ることや卑下することは、二の次です。
体調変化にも用いています
私自身不可思議にさえ思う、聴覚からの刺激に対する反応。
今は自分の体調管理に使うようにさえなっています。
極度に疲弊している、と自覚している時。
その時聞く音楽は、普段より半音低く聞こえます。
また、休日を間近にして半ばリラックスモードに入りかけている時。
この時は、テンポが遅く聞こえてきます。
そんな時の私は、とてつもなく強い違和感を抱きます。
「あれ、音がズレてる?」「テンポが、何だかゆっくりだ」
逆手に取る、と言える程のものではありませんが。
そう感じる時は、精神的に何かしらの影響が出ている。
良くも、悪くも。
視覚から得る情報以上に、聴覚は、私と密接なんだ。
そう、思えてならないのです。
才能でも、天性でも、そんなもの誇れるものではないけれど
経験談を用いて綴って参りました、音というものに対する私は。
単純に敏感なだけで、殊更自慢できるようなことではありません。
一つ、申し上げることができるとするならば。
聴覚が伝える音という情報。そこから脳へと、精神へ伝えるもの。
それ自体を変えることは出来なくても、解釈次第では、強みにも弱みにもなる。
視覚からの情報が大半を占める人間という生き物のなかで、音を重視し、大切にしている人間も、少ないかもしれないが、確かに存在する。
視覚から得られるものに制限が掛かっている私だけでなく。
音とというものに苛まれ、苦しみ。
他のヒトと、違うと思う方がいるのであれば。
それは、異常でもなんでもない。
生まれ持ち得たもの。
変えることはできない。ですが。
自身を生かし・活かすか、それとも苦しみ、悩むものになるか。
音というものに悩まされながらも、活かす可能性を見出すことが幸いにもできた私ですが。
貴方にも、必ずできる。拒むことを選択しない限り。
7500字オーバー……相変わらず、纏め下手な白兎です。
今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。