【生き方・価値観】開き直ること 〜追い詰められる前に、したいこと〜
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今シーズン初、と言っても過言ではない程の寒さと降雪。
1月の終わりにして、やっと冬の到来を感じながら。遅いながらも、ようやく一層寒くなり雪や氷に覆われるのだろう、と思っております。
そう思って眠り、迎えた朝は、雨模様でした。
こんばんは、白兎です。
皆様、如何お過ごしでしょうか。
皆様は、逃げたくても逃げられない。
避けたくても避けられないような状況に陥ったことはありますでしょうか。
重大な決断を迫られた時。
何かを選ばなければならない時。
責任追及され、言及の余地もないような時。
生きている以上、そのような場面は数多くあるかと存じます。
私は、と言いますと。
そうならないように、妥協したり惰性で生きたり。
逃げたり身を引くようにして、自分を守り続けてきました。
問いに対する答えになっていない、と思われるかもしれませんが。
保身の為ならば、自分の意志を殴り捨てて周りに合わせて。
当たり障りのない言葉を選びに選んで、敵意を向けられないように振る舞って。
逃げようがない場面に遭遇したり、陥らない為なら、自分というものを殺すように過ごしてきた。
それ位、私は卑怯で、臆病者です。自分を守る為なら、それこそ、脱兎の如く、逃げてばかりでした。
それでも、限界は当然出て参りました。
叱責されれば、まともな反論や弁明もできずに怯えきって、目を逸し続け。
選択を迫られれば、有耶無耶にした挙げ句に、「本当は選びたくない」選択肢を惰性のまま受け入れ続けて。
そんなことをし続けて十数年が過ぎた時。
自分という存在を、自分の意志や人格というものを忘却してしまいました。
本当は、どうしたかったのか。それすらわからなくなっていました。
しかし、最近は少しずつではありますが。
怯えて逃げても、追い詰められるような時に出くわした時にでも、自分というものを前に出し、意志を貫くことができるようになって参りました。
その切っ掛けとなったのは、開き直ることでした。
逃げに徹して怯える位なら、その瞬間の恐怖や不安を一度受け入れて。
それから、「どうにかなる」と自分を鼓舞するようにして、却って開き直ることで、私は追い詰められた状況を乗り越えることができるようになりました。
ここで私が申し上げる開き直るというものは、「どうにでもなれ」と自棄になることでも、逆ギレするようなことでもないことではないと、ご承知おきくだされば幸いです。
私の中での開き直りというのは。
私が、私自身に「目を背けるのは、もうやめろ」と覚悟を決めさせりするものです。
今回は、そんな開き直ることについて綴っていきたいと思います。
開き直ることの意味は、一つではない
改めて、開き直るということの意味を改めて調べてみました。
開き直る
急に態度を変えて、厳しくなる。
或いは、観念し覚悟を決めてふてぶてしい態度になる。
こう見る限りでは、なんとなく後ろめたいような、乱暴そうな印象を受けます。
もしくは、どうしようもなくなって自棄になる感じです。
これを鑑みて、私は。
そのような事態に陥らないように。自分も相手も険悪にならぬよう、色々考えて、試行錯誤して立ち振る舞ってきました。
こう書くと、いかにも上手いこと立ち回ってきたと思われるかとしれません。
ですが、その実態は。
逃げ場のない、追い詰められた状況を恐れて、不安がって。それを避けるように、ただ逃げるという選択や行動を取る。
逃げてばかりの、臆病者な私は、そうすることでどうにか生きて参りました。
しかし、そんな生き方にも限界はありました。
逃げることも、回避することもできない状況に、これまで幾度となく追い込まれてばかりでした。
私は、追い込まれれば追い込まれる程、言葉が出てこなくなってしまいます。
そんな時の私は、相手に対して「ヤバい、怒られるようなことしたかも」と思うよりも。
得体のしれない「恐怖」のようなものから怯えて、無反応に陥ってしまいます。
その度に無力さや虚無を抱えて。
変わりたいと思っても、私はいつまでも、怯えた子供のままでした。
そんな自分の惰弱な姿勢が、半ば当たり前になって久しい。
そんな時でした。
それまで経験してこなかったことと出会うことで、殺し続けてきた感情が、訴えかけるように芽生え始めていました。
もっと自分を、意志を出して、貫けるようになりたい。
そんな時に、後ろへ引き返そうとする私の背中を押してくれたものがあります。
それが、前述したものとは別の開き直りをすることで、乗り越えてきたことも、実際にありました。
根拠としては乏しくて、主観的過ぎるかもしれませんが。
開き直ることで、私は人生を、生きることを見つめ直し、変えることができはじめています。
私の考える「開き直り」
先日、とあるイベントに参加して参りました。
同じ趣味を持っている、不特定多数・混雑時の首都圏駅構内の彷彿させる程の人が集まるイベントでした。
唯でさえ人間嫌いで、雑踏や人の密集が大の苦手である私は、人の密度や妙な温もりや湿気、そしてノイズだらけの会場に立った私は。
脳内処理のキャパシティを遥かに超えて混乱さえしていました。
そういった状況に置かれた時に。
いつも、どこからか囁かれる言葉が心を支配しかけていました。
「人が怖い」「耳からの雑音が酷すぎておかしくなる」「自分が壊れる」「今すぐ、ここを離れろ」
そんな、不安と恐怖塗れの状態に陥ってしまいました。
それでも。
自分が行きたいと決めたからには、何が何でも終わるまでは向き合いたいと思い。
自分を曲げてまで、逃げたくありませんでした。
否。
逃げるのは、もうやめたいんだろ。
その程度で、逃げるな。
戒めるように、鼓舞するようにして。
私はイベントに挑む覚悟を改め、開き直ることで、初めてだったその場で新たな出会いや交流を経て、自分が望む結果を残すことができました。
自分が決めたのなら、最後まで責任を貫く。
そうすれば、望んだだけでは決して得られないものが手に入り、後に繋がるものが必ず残る。
文章に起こせば簡単になってしまいますが、私はその重み・大切さを身にしみて感じ、今も大事にしています。
無意識でも、開き直っていた
今回のイベントは、私が初めてクルマのオフ会に参加する直前の状態と非常に似ておりました。
緊張や不安で、逃げ出して全部投げ出したくなる思い。
主催者や参加者を蔑ろにしかねない、身勝手で臆病な私の思い。今でもその念に、本能に、振り回されています。
それを振り切ることができたのは、他の誰でもない、自分が決めたからには。
逃げたり避けたりして、自分の意志を無視するな。無駄にするな。
その思いは、無意識的でした。しかし私という意志を、思いを。
目の前の恐怖や不安を原因にして、無駄にしたくないという思いそのものでした。
飽く迄無意識に、と拘るように書き続けているのには、理由があります。
いつもそうやって覚悟を決めて、自分に正直でいられることを目指しています。
ですが、実際は思うことと違う行動を取ることばかりです。
大概のことは、十数年繰り返してきた、逃げるようにして、自分が我慢すれば事は円滑に進む。
そうやって生きてきた時間が長すぎたのか、私が弱すぎるのか。
今でも、「覚悟を決めて生きたい」という理性よりも、「自分を守らなければ」という本能が勝っています。
現実の私は、強くなんてない。弱いままです。
自分を貫くことを、いつかは意志として持ちたい
逃げたり避けたりすることは簡単にできるが、それと拮抗する程の、好奇心や興味を唆られるような場面に出くわした時。
そこから身を引くのか、それとも飛び込むか。
選択の末、飛び込むことを私が自ら選択した時。
それでも、その瞬間が訪れるまで、私は逃げたい、引き返したいという思いが付き纏います。
これまでと同じような思いに刈られた時、私は自分に。
「素直に今を受け入れろ」。
と叱咤します。
普段は出もしない、自分の奥底に眠っている本音であるような、自分を奮い立たせるような、そのような言葉であり感情。
私を幾度となく突き動かし、良くも悪くも、私という存在を無くさずにここまで来ることができました。
唯の我儘で頑固で、弱い自分を隠して。
今でも守ろうとする私がいることは事実です。
それでも。
自分にも人にも良いことのない手段としての開き直りではなく。
私という存在が、覚悟と責任を持って、選択して行動していきたい。
そう心から願っています。
追い詰められて、反抗的になるような稚拙なやり方ではなく。
追い詰められる前に、自分の選択に誇りを持てるようになる為の、開き直り。
喩え、今は無理であったとしても。
いつかは、無意識的にではなく、そういった思いを矜持に変えていきたいと願いつつ、私という存在を少しでも変えていきたいと思っています。
拒絶された過去に縛られてたまま自分も同じように、人を拒絶しないように。
人の意志に共感しながら、自分も大切にしていきたい。
今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。