【生き方・人間関係】雑談 〜人間関係の始まり〜
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大寒過ぎても雨が降る。これまで経験したことのない、前例のない気候。
雪や氷に覆われる白い世界は、いつやってくるのでしょうか。
こんばんは、白兎です。
皆様、如何お過ごしでしょうか。
連日、これまた社会人となって以来、仕事に追われる日々が続いております。
何とか目標指数を果たし、次の日を迎えている、今日この頃です。
唐突ではありますが。
仕事と聞いて、皆様は何を思い浮かぶでしょうか。
業務を遂行していく中で求められる、質や量。完遂すべき目標。
これもまた、答えのないものと思っています。業種のみならず、立場や社会情勢、所属する会社の動向。更には従事する人々によって、仕事に対する思いや考えは様々であると私は考えています。
そんな私が、仕事をすること、と聞かれたら。
真っ先に人間関係が思い浮かびます。
自分がどれ程仕事をこなせても、限界はあります。一人で抱え込めば抱える程、次第に追い詰められていき……自分というものを見失い、或いは無くしてしまいます。
かつて、私はそうやって自分を蔑ろにしてきた結果。
危うく私という存在を放棄し、傀儡と成りかねました。
そんな時、周りの上司や先輩、同僚、後輩。沢山の人たちが助けてくれ、助言を頂戴しました。
社会人として、仕事をこなす一人の人間として、私は人間関係というものが常に付き纏うものであると思います。
大切であるとわかってはいても、口下手で不器用。そして、人間不信である私には、どうしても人間関係を上手く築けずにおりました。
人を信じることをやめてしまったと勝手に思っていた私に、優しくて、温か過ぎる程の。
定年退職して今はもういない、かつて上司だった人に言われた言葉があります。
「仕事を覚える前に、まずは雑談が大切だと思うんだよ、俺は」
その言葉があって、今の私が社会というものに向き合うことができています。
その言葉を掛けてくれたからこそ、私が私でいることができます。
職場を去ったあの人は、今どうしているだろうかという思いは、心の隅に置いておきながら。
今回は、人間関係という複雑で難しいことに対して。
私に教えてくれた、「雑談が人間関係を作り、仕事へと広がっていく」ということについて綴っていきたいと思います。
- 仕事よりも大切で、厄介な人間関係
- 馬が合わない人も出てくる中で
- ハラスメントも関係しているのでは
- 何気なくかけてくれた言葉を、矜恃にして
- 良い人間関係は、言葉のキャッチボールができている
- 思うようにはいかない、人と人との関係・繋がり
仕事よりも大切で、厄介な人間関係
個人的な事情や考え以上に、人間関係は大切であると思う一方で。
時には煩わしく、仕事を辞めかねない引き金にすらなるもの。
しかし哀しいかな、人間関係はいつまでも、どこまでも完全に断ち切ることができません。
近いものとして、学生時代の同級生があると思います。
仕事と学校。
同じ人間関係であっても、似て非なるもの。
学校なら、「この人とは合わないな」と思ったら、関わらないようにすれば済んでしまいます。話しかけたり近寄らないといった物理的接触を断ち、精神面でも気にかけたり感情を出さないようにすれば良い、と私は考えています。
できない時も、たまにはありますが。
一方で、仕事はそうしたいと願ってもできません。
意見が合わない。口も聞きたくない。顔も見たくない。
だから無視する、という訳にはいきません。
学校は生徒「個人」の知識や身体を育む場所であり、仕事は「社会的貢献」する為に遂行するものや場所であるから、と私は考えます。
人間関係が自分自身を視点にしているのか、周りに向いているかの違いとも言えるかもしれません。
それ故、仕事上の人間関係は好き嫌いの問題では片づけられません。
そうやって、頭では理解しているつもりでも。
心は、やはり素直です。
幾ら仕事だから、ビジネスマンだから、と言われても、良好でない人間関係は良い成果を上げることは難しい。
人間嫌いで苦手、人との関係作りを上手くできない私には、悩みに悩んで参りました。
馬が合わない人も出てくる中で
実際、馬が合わずに仕事が滞ったことは、これまでいく度となくあります。
同じ職場にいても、意見の食い違いや経験の差から、 揉め事に発展して仕事が止まったり。
同じ会社の人間なのに、仕事を進める為に開いた会議。
そこに質問や改善案を通り越して、罵詈雑言寸前の負の感情で満ちた発言の応酬で、会議がいつまでも終わらない。
私に限った話を申し上げますと。
一方通行の命令だったり、個人のキャパシティを超えるような要求だったり。
事前の情報提供がなかったのに、他社員が大勢いる中での大叱責を喰らったり。
これらを「うっさいな」と流せる人もいれば、「次は言わせねぇぞ!」と逆境と捉え、奮闘する人もいるかと思います。
が。
私は頑固な所が結構あります。
価値観や仕事に対する考えの相違は仕方がないとしても、筋が通っていなかったりあまりにも一方的に話を進められると、猛反発します。
相手が喩え上司であったり大先輩であったとしても、感情任せに噛みつき返すのではなく、逆に血が引いていって変に冷静になって、指摘された点に反論いていきます。
最悪、話にならないと感じた時は、黙り込みます。「聞いてるの?」と喧嘩腰で迫られても、睨むようにしつつ頷くだけになることさえあります。
こう書くと、つくづく私も人として、社会人として非が多いなぁ、と痛感します。
ハラスメントも関係しているのでは
話を戻します。
人間関係の難しさは去ることながら、最近は各種ハラスメントのこともあり、お互い言いたいことを本気で言えないのではないか、と最近思うようになりました。
上司は上司で、部下は部下で、表面上は良好そうに見えても、互いを警戒し合っている。そのような場面に出くわすことも多々あります。
私が思うに、もしかしたら、人間関係が上手くいかないのは、そんな背景もあるのかもしれません。
何気なくかけてくれた言葉を、矜恃にして
長くなりましたが、本題に入って参ります。
十数年前、会社に入りたての頃の私。
右も左もわからずに、職場に着いた私を出迎えてくれた人。
私の会社は社員の年齢層が極端で、私が入社した当時、一番近い先輩が50歳目前という有様でした。
ジェネレーションギャップという言葉ではとても埋められない、私という存在から見てありとあらゆるものがかけ離れていた職場。
当時の私は、同僚に声掛けすることさえ躊躇う程、怯えて怖がる程の臆病者でした。
そんな私にコーヒーを入れていただき、着任の挨拶を控え萎縮する私に。
その人が掛けてくれた言葉は、今でも私の心に深く刻まれています。
「仕事を覚える前に、まずは雑談が大切だと思うんだよ、俺は」
最初こそ、「えっ?」と思いながら、曖昧な相槌を打ちました。
仕事よりも、本当に大切なのか?と。
戸惑う余りに視線を逸した私に、その人は続け様に話してくれました。
「白兎(実名)は、何か好きなこととかあるのか?」
仕事をして、お金を稼ぐ為に入ったはずなのに。
どうして、そんなことを聞いてくるのだろう。
そんな疑問とは裏腹に、私はその人の目を恐る恐る見ながら。
「そう、ですね。小説書いたり、することです」
冷めぬコーヒーを一口啜って、何故か、警戒という言葉で凝り固まった身体が少し緩んだ感覚。
今でも覚えています。
「小説か!凄いじゃん。官能小説でも書いてるの?」
と笑ったその人に、私も笑いながら「違いますよ!」と無意識に返していました。
仕事を覚える手段は様々あると思います。
マニュアルを見たり、先人が残したメモ書きやノートに目を通したり、実際に仕事を先輩と共にして頭だけでなく、体に覚え込ませる。
それでもわからない、理解できない、腑に落ちない。
そこで初めて、人に聞くという選択肢が出てくると思っています。
ですが。
幾ら自分で調べてきたとしても、いきなり「教えてください!」と言われたら、相手はどう思うのだろう。
親身になってくれる教えてくれる人もいれば、それくらい調べればわかるだろ、と突っぱねる人もいるかもしれません。そればかりは、千差万別。定義しようとする方がおこがましいと思っています。
極端な例を上げさせていただきます。
職場に新入社員が入ってきたり、異動により新しく社員が着任した時。
仮に、そのような人たちがよろしくお願いします、と最初に挨拶を聞いてから、話すこともなく、まともに向き合うこともなかったとして。
いきなり頼まれごとをされたら、皆様はどうお思いになるでしょうか。
今の私なら、「あ、いいですよ」と答えながらも、内心モヤモヤします。
端的に言えば「話をしたこともまともにないのに、いきなり仕事のことを聞くなんて。私には怖くて無理だな」と思う一方で。
「わからなくはない。でも、もう少し段階を踏んだ方がお互い気が楽になるのでは……」と無意識に思う為です。
そうやって、私が仕事に対して、人と接することに対して。
どうすれば、私も相手も、気分良く仕事を進められるだろうか。
その答えを、既に会社を去って久しいその人の言葉、そしてその意味、大切さ。
「仕事を覚える前に、まずは雑談が大切」
今は私なりに理解し、矜持と言えるものにできることができました。
良い人間関係は、言葉のキャッチボールができている
人間関係、と言うと幅が広すぎて難解なイメージになりがちです。
然れど私が思う限り、人間関係=思いが通じるか否か≒親密かどうかと考えています。
思いが通じているかどうか、これもまた微妙なところではあります。
そこで、私としては過去に貰った言葉が大きく影響してきます。
人間関係を新しく作る時、或いは良くする為必要になってくるもの。
それは親身なものではなくても、仕事を遂げるという思いによる大義でなくても。
雑談という、身近でありそうでどうでも良さそうなことを話す。
それだけで、何かしらの変化はあるのではないか。
私はそう思っています。
「好きなものは何?」「ラーメンだったら何味が好き?」「食べられないものとかあるの?」と聞かれたとしたら。
仕事以前に、しょうもない話だと受け取る人もいるかと思います。
ですが、私は素直にこう答えます。
「蕎麦ですね。麺類は全体的に好きです」「以前は味噌でしたが、最近はあっさりした醤油や塩ラーメンが良いですね」「魚介全般」。
そう返しただけでも、自然と会話は弾みます。
「蕎麦か。あ、あそこの蕎麦屋、安いけど味は良いよ」。
「あっさり系か、ならこの店が白兎には合うかもよ」。
「魚介ダメなの!美味いのに、勿体ない。人生損してるよ」。
実際にこんな会話が成立して参りました。
言わずもがな、これらは仕事とは全く関係のない唯の雑談です。
しかし、私は思います。
こういった会話を通して、話す相手と意見を交わすことで。
自分を知ってもらい、相手を知って。
それだけでも人間関係の礎を築く切っ掛けになり、そこから仕事を学ぶというスタートラインに並ぶことができるのではないか。
しょうもないと、と断言されても。少なくとも、私はそうして人との繋がりを築き、発展させて今に至ります。
ここでは食べ物について述べて参りましたが、乗っているクルマでも趣味でも、何でも良いと思っています。
仕事とは無関係の雑談が、相手を知り、人間関係を作り始める切っ掛けになると、私は信じています。
仕事よりも雑談、その言葉に陶酔したり心酔することはありません。
でも、退職してしまったあの人が言ったことは、強ち間違っていなかった。
雑談という、言葉のキャッチボール。相手の、自分の言葉を受け取って、しっかり返すこと。
それが会話であり、人間関係をより良いものになる。
人間関係を良好にし、保つ為の道標を知らなかった、私に送ってくれた言葉は、今でもしっかり生きています。
逆に、一方的な意志投げ方は、言葉をボールにしたドッジボールであると私は認識しています。
相手に言葉、自分の意志や考えというボールを当てれば終わり。
それは、最早会話ですらない。
それが正当と言われるのなら、私はこう返します。
「それなら、壁に向かって話せばいいのでは?」
思うようにはいかない、人と人との関係・繋がり
人と人の繋がり、関係。それが人間関係。
大分私情が入ってしまいましたが、余程のことが無い限り、私は 人間関係を良好に保っていきたいと思っています。
誰だって、好き好んで相手を陥れたいと思ってはいない。そう、私は考えています。
例外があったとしても、それはそれとして。
自分と相手。もっと言えば、自分と世界を結びつけるもの。
私の場合、それが「雑談」というものでした。
切っ掛けは、私は何でもいいと思っています。
その切っ掛けを掴んで、相手と共有し、共感することで。
閉ざされかけていた、人間関係という険しい壁を乗り越えられる切り口になると、私は考え、信じています。
少なくとも、人間関係という問題だけで人生を棒に振っていまいかねない。
それって、私は悔しいと思うんです。苦しくても、悔しくても。そこで折れたら、相手の思うツボと考えたら、負けたくないんです、私は。
経験談で塗り固めた本記事ではありましたが、もし同じよいうに悩んで、苦しんでいる方がいらっしゃれば。
私のような、一見ふざけたような生き方をしているように見えても、何とか生きながらえています。
それに共感し、願わくは、試してくださればこの上ない幸いです。
今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。