【生き方・人生】亡き人を想う ~思い出は、心の中で生き続ける~
朝晩の寒さと日中の暖かさが交互にやってくる日が増えて参りました。三寒四温という言葉がある通り、立春を過ぎてから冬の寒さと春の訪れが入れ替わる忙しくも季節の移り変わりを肌身で感じる時期となって参りました。
我が家の小さな庭では、今は亡き祖母が好きだった福寿草の花々が凍てつく大地に負けずに芽を出して。日中は黄色の花弁を誇らしげに広げ、力強く咲き誇っています。
人は、時と共に老いながら変化していると実感させながら。木々や花々は季節の移り行くままに、儚くも強く生き続けていることを、小さな小さな福寿草を見ながら思い耽る今日この頃です。
皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。
2月15日。6年前となるこの日、祖母は静かに息を引き取りました。
6月6日。12年前、祖父がこの世を去り仏の世界へと旅立ちました。
今年は祖母の7回忌と祖父の13回忌が偶然にも重なる年でした。
私は勝手ながら、これは偶然ではなく亡き祖父母が必然としてくれた、運命的な何かを感じぜずにはいられませんでした。
この記事を綴るこの日、祖父母の法事に行って参りました。
目覚めた朝、外は快晴ながらも風が強い陽気。
母が語るに晴れ女だったという祖母による晴れ渡り、祭り事や賑やかさが好きだった祖父が歓喜の余りに風を荒らしているのかな、と私は思わず頬を緩ませていました。
祖父母の命日、月命日に赴く墓参りは決まってこのような天候ばかりだったこともあり、「相変わらず、二人とも元気だね」と言葉に出さずとも胸の奥で静かに思うのでした。
法事の準備をする時間となり、礼服を用意し着用しようとしました、が。
不摂生によるサイズオーバーにより、着込むことが叶いませんでした……。特にスラックスは顕著で、胴回りは元より、腿周りが全く通らなくなっておりました。
この礼服、購入したのは確か、祖母が亡くなった時。6年の歳月で、私は歳だけでなく横方向へと身体も成長していました。
痩せないとな、とやりもしない思いを携えながら、泣く泣く普段着兼仕事着である黒のスーツもどきを纏うこととなりました。
法事の時間が近付き、身に纏う服を無視するかのような冷たい風が舞う中。私は母と共に、葬儀にて弔いの義を執り行ってくださったお寺へと向かいます。
駐車場で母の姉である叔母と合流し、3人で境内へと足を踏み入れていくと。
唯でさえ寒い空気が、山門を潜った途端、凛とした澄み切ったものに変わるのでした。
鼻から吸う空気。服越しでも引き締められるような厳かさと、肌に直接沁みるかのような冷ややかさ。
気の所為などではないと思いながら。
事務所から入り、法事の準備に取り掛かる住職(私の住む地域では住職のことを「おっしゃん」と呼びます)とお手伝いさんにお願いし、待合部屋にて暫しの間を過ごし。
ストーブを始めとする暖房器具が炊かれながらも寒さを忘れることは叶わないまま、法事が執り行われました。
冷え切り澄んだ本堂。
コロナ禍ということもあり、マスク越しでありつつも、しかしながら。
経文を読む住職の声が、木魚を叩く音が、大小の鈴の音が。
どこまでも澄み切り、凍えるようなお堂の空気を震わせるかのように、経を聞く私の耳に届いてきました。
会社や私生活。自分の理想や自己都合に合わないことに苛立って、嫌悪して。
好き勝手に苛立ち、幻滅してきた自分が、精神も心もあまりにも矮小だったことを諭されている。そんな気がしてなりませんでした。
思い込みで卑下する訳でもなく、純粋に、感じることしか私にはできませんでした。
同時に。
何年もの間、忘れかけていた祖父母との思い出を彷彿させる時間であったことも確かでした。
怒ることなく、いつもニコニコ笑いながら傍にいてくれて。最期は誤嚥性肺炎で亡くなった祖父。
自他共に厳しいながらも、しょうもないことで笑いこけて。十数年に渡るうつ病と認知症に苛まれながら、お別れの時は薬の作用が抜けて綺麗な顔で逝った祖母。
二人が亡くなって、約十年の時が過ぎて。
私は、変われたのかな?
イジメで、会社でゴミのようになった私は、あの時から成長したのかな?
ボロボロで崩壊間際の家族でも、見守ってくれるかな。
いや、違う。
どうか違う世界からでも、見守ってください。
住職のお経を唱える声の元、合掌し焼香しつつ、法事は無事終わりを迎えました。
直後、住職は最近の葬儀や法事についてお話ししてくださいました。
新型コロナウイルスに関係なく、近頃は家族葬が増えたことで法事を執り行わないことが増えていること。
お寺に法事を依頼する時も「おっしゃん、偉い寒いな」という方が増えたということ。
それにあやかってか、都会では木造ではなく鉄筋製で冷暖房完備、待合室だろうが本堂だろうが床暖房完備というお寺も増えているということを、住職は嘆くかのように仰っていました。
価値観はそれぞれとして、私はおっしゃんのご意見に賛同です。
確かに住環境は整備され、快適性や居住性をより良くする為に床暖房やオール電化が進んでいることは紛うことなき事実です。
しかしながら、敢えて疑問を投げさせていただきます。
お寺というものは外界から切り離されて、静かで、お香の匂いが漂って。夏の暑さであろうが冬の寒さであろうが、自然が齎すありのままを受け入れる場だと考えております。
住環境が整い快適になっている現代だからこそ、隔絶された寺社の厳しさや険しさ。それがあってこそ法事の意味があると、個人的に思う次第です。
現に今も、お香の香りが髪や衣服に染み付き。こたつに入れる脚も、法事時の寒さは覚えています。
古い思想、と言われるかもしれません。ですが私は、充実した現状から離れたものから得られるものがあると信じています。
今回の場合、故人を想う場。それが寺社であっても、そうでなくても。
時代は進化し続けても、私は残るものがあると思っています。
大切だった。大切だと思っていた。
もしくは亡くなって初めて気付いた、故人の思い出。
日頃のストレスや心を揺さぶられることよりも、余りに小さなものだと思える程、大きくて忘れることなどできないと、私は信じて敬うと共に、この記事を残させていただきます。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【ブログ・うつ病】少しずつ戻り始める調子 ~無理をしない勇気~
124年ぶりとなる、2月2日が節分となった2021年。今年はそれだけでなく、開催されるか危ぶまれる東京五輪・パラリンピック。それ以前に、数種に及ぶ変異種まで現れ未だ人類を追い込み続ける新型コロナウイルスの驚異。
報道機関を始めとした様々な発信媒体から放たれる情報の渦は、解決策も報じられぬまま。
ただただ、見たり聞いたりする私たちを不安や疑心を与えるものになりつつあると感じるのは、私だけなのでしょうか。
皆さん、こんばんは。徐々に復調中の【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。
今回は新たな代理君にセリフを吹き込んでみました。セリフのバリエーションを、もう少し広げたいと思う今宵です。
さておき、現在少しずつではありますが、以前の状態に向かって調子が戻りつつあります。
原因や背景には思い当たる節があります。が、今回は経過報告とさせていただきます。
詳細は次回にお話しさせていただくとして、ひとまず簡単に現状について。
まだ自分と向き合いながら、思いを言葉にすることは難しいと自負しています。しかしながら、不調となった元凶を幾つか特定し見直しや抑制することで、幾分か気持ちの整理や抑圧傾向からの抜け出すことができるようになって参りました。
今までも浮き沈みはありましたが、今回は別格とも呼べるものです。
あたかもそれは、うつ病を発症し症状は出ているにも拘らず。
「気のせいだ」「疲れているだけだ」と勝手に解釈して無理をして、気付いた時には壊れていた。
その一歩手前まで陥っている、そんな感覚でした。
逆に言えば、「何故そのような状態になってしまったのか」という要因を掴むことができなかったことも確かでした。
私が、初めてうつ病を患って。自分の身体も気持ちも動かなくなる恐怖。今までできていた、当たり前のことができないもどかしさと苛立ち。
そして、虚しさと虚無感。
一歩間違えればどうなっていたか……想像するだけでも、手が震えてしまいます。
今こうしてディスプレイに向かいながら、キーボードを叩こうとしている指が慄くかのように。
正直な話を、させてください。
私、自分に酔っていたのかもしれないな、と省みながら。
驕っていたのかもな……そう思いながら、情けなさと傲慢さを恥じると共に「イジメを受けたあの時から、何も変わっていないのかも」と思い詰める日々に苛まれていました。
イジメられて、弱い自分は恥ずべきもの、人生の汚点とすら思うようになって。
それを覆い隠すかのようにして、厭世家と虚無主義を纏ったかの如く人を、世の中を嫌いに嫌って。
独りで生きることを強いられるのではなく、寧ろ好んで生きている「ように見せかける」生き方をしてきた頃から、何も変わっていない。
寧ろSNSやブログを通して人と繋がることができた分、甘えるように弱くなったのではないか。
そんな思いに駆られながら、HSS型HSPという体の良い概念を用いて世間を客観視する「ふり」をしていただけなのか。
それをブログを通して、共感という名目の元、誰かに同意や同情を求めていたのかもしれない。
思い詰めれば詰める程、頭の中はたちまち掻き混ぜられ、他方で鎖で締め付けるように抑圧していく。
自分が生み出した、矛盾に重なる矛盾。そんなものに、自ら絡め取られ身動きが取れなくなって、悲鳴を上げるまで気付けずに来てしまった。そんな気がしてなりません。
自業自得の歯痒さと苦しさに晒されて、一ヶ月近く経った今、ようやく自分の愚かさに気付けた気がしています。
自分を追い詰めていたのは、他の誰でもない自分自身であること。
発端はTwitterやニュースアプリを始めとするSNSであったとしても、好奇心のあまりにのめり込み過ぎ負の感情を拾い過ぎ飽和仕切っていたこと。
そして。
そのようなものから感じた思いや感情を、「ブログの記事として上げなければ」という、脅迫概念とも使命感とも言える思い。
原因は一つではないにせよ、小さいものから大きなものまで、包括的に私という矮小な存在を支配していたことに、気が付くことができた気がしています。
私自身、バカだなと思いながら。
それでも、学ぶことがまた一つ増えた気がしています。
一つは、好奇心任せに外界の情報に手を出さないこと。
もう一つは、ブログの執筆を使命感や義務感と捉えて行う必要性などないということです。
特に後者は「最低でも4日に1記事」という、根拠のない目標を持ったことが、却って自分を苦しめる結果となりました。
書かなければ、何も伝わらない。
一方で、義務の如く書くような文章は。
自分にも人にも、何も生み出さない。
ありのままを、思ったことを素直に言葉にできなければ、無駄な文字の羅列となる。
そんなものを書くなら、じっくり考え言葉を選んで。
更新が遅いと詰られることがあっても、しっかり自分の意志を伝えたい。
それが、私がブログを始めたきっかけじゃないかと、今更ながら思い直させられました。
情報を発信すること「だけ」が全てではない。
自分が書く文章に、思いがこもっていなければ意味がない。
ならば無理して無意味な文字を書き連ねるよりも、無理をしないで熟考する勇気の方が大切だと、身勝手ながら思い至りこの記事を書いております。
時には、叫びたくなるような思いを抱えても。
頭の中を整理して、「自分の考えが正義」という勘違いに陥らない為にも。
無理をしない。ダメな時は何もしない勇気が、今の私には一番必要なものだと思うに至りました。
同時に、人の意見や考えも安易に否定することも、傲慢に繋がることと悟ることで世の中全てを拒絶しないよう、心掛けていきたいと誓いました。
負の感情塗れのものを目の当たりにしても、裏には確たる思いがある(逆に注目目的で、敢えて汚い言葉を発している人もいる)ことを、肝に銘じながら。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【うつ病】気分は下がる一方で ~上がる気配がないのが辛い~
ちょうど、抗うつ薬を変えた頃から。多分2週間ほど経ったここ数日、全く以てやる気と言いますか、意欲の欠片も湧いて来ない日々が続いています。
何と申せば良いのか……ただ朝起きて、仕事をこなして帰宅して、寝るだけの日々。休日もラジオ感覚でお気に入りの動画を流しながら、ただ寝床に横たわる時間が増えています。
久しぶりの感覚です。何もしようとしない、できない、その気力すらなくなりつつ自分への憤りと虚しさを感じるのは。
厄介なのは、原因がこれといったものが思い当たらないところにあります。
仕事によるストレスなのか。コロナ禍の現実に幻滅しているのか。宿泊を伴うような遠出を、自分では避けて禁じているつもりでも、内心は出掛けられないことに鬱憤を募らせているのか。
それとも、平穏を望み部屋に籠もることを良しとしリラックスしている反面、刺激に満たされない鬱屈な毎日に参り始めているのか。
正直なところ、どれも当てはまると言えばそうですが、完全に「これが要因」と判断しきれていない。逆にそのじれったい思いが、抑うつ感に繋がっているのかもしれません。挙げ句にそれを払拭しようと努力しようともしない辺り、なるほど自分が如何に気分屋であるかを思い知らされています。
こんな文を書いていて、溜め息しか出ていません。
つくづく、自分が情けない。
昨年まで……ブログを始めてからは自分の思いを、考えを綴ることで整理できない脳内をリセットさせると同時に。
私は、私がここまで生きてきた中で感じ続けていたことを文章化することで、同じ悩みを抱える人の参考になればという思いで、筆を置くことなく自分と向き合い続けて参りました。
なのに、どうして。
こんなにキーボードを叩くことが。思いを言葉にすることが、苦痛にさえ思えるんだ。
愚痴は極力ブログでは書かない。そうやって決め込んで臨んだつもりのこのブログ。
見返してみれば、ここ最近の記事は負の感情に満ちた思いばかりが連なっています。
おまけに更新期間も、とても褒められたものではない程にまで間隔が空くようになっている始末。
なにやってるんだろ、私。
このザマで共感なんて綺麗事をほざく自分が醜くて汚らわしく思えてしまう。
……あ、本当にダメだ。続きが何も思い浮かばない。感情が、苛立ちばかりが先んじて言葉にすらできない。
ごめんなさい。
暫く、こんなどうしようもない時期が続きそうです。
【HSP・価値観】コロナ禍で見えた、様々な生き方 ~価値観も考えも、皆違うものを持っている~
大寒波が訪れたかと思った矢先、大寒を前に唐突の雨が降り驚いている合間に再び真冬の寒さに逆戻り。
精神的なストレスだけでなく、身体的にも厳しい季節で「何だか疲れてるな」と目頭を押さえている【やさぐれ紳士】白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
新型コロナウイルスの収束を願い始まった2021年。それが好転するどころか、寧ろ悪化の一途を辿っています。
一概に誰が悪いとは言えない状況。明日はどうなっているのか、最早簡単に想像することさえ難しくなってきています。
その最たるものとして、二度目となる緊急事態宣言。そして自粛要請にあると個人的に考えています。
昨年の4月、最初の時と比べて様々な意見や批評が飛び交っています。
お願いばかりで補填や補償をまるで考えていない上層部。散々自粛自粛と言いながら、御当人らは会食やら必要なのかもわからない会議ばかりに勤しんでいます。
見かねた国民は「どうせ偉い人たちもやってるんだから」と。「生活が掛かっているのだから」と罰則されることを恐れることなく。
これまでの生活が一変し溜まりに溜まった鬱憤を晴らす為に、本能のままに。
そしてお偉い方々にはもう頼れないと見限り、各々が生きる為に自ら考え行動し始めています。
SNS等では国の舵取りをする御仁たちへの酷評だけでなく、皮肉さえも溢れかえっています。これは血税を好き勝手に使い放題にしているから擁護のしようがないとして。
同時に、各々の考えに基づいて動き始めた、或いは動き続けている人々への批判も多く見られるようになりました。
しかしながら、私は一概に一般の人たちを批判するのはどうなのだろう、と思うのが正直なところです。
自らの考えや価値観に周りを当てはめて、外れるようなら間違っている、おかしいと見下して。自分が如何にも正義だと語る様は、果たして正しいのだろうかと思えてなりません。
夜の街に繰り出して飲みに行く若者の言葉が、記事になっていました。そこには「若者だけが自粛しなきゃいけないって言われるのはおかしな話。だから飲みに行く」というものでした。
皆さんはこの声を、思いをどう捉えましたでしょうか。
様々な意見があるかと思います。「我慢して自粛している人が沢山いるのに、そんな行為は身勝手極まりない」と反感を覚える方もいらっしゃるでしょう。
もしくは「そうだよ、これ以上我慢したら自分が壊れるよね。わかるよ」と共感する方もいらっしゃるかもしれません。
或いは、「好きにすればいいんじゃない、新型コロナに感染しても自己責任ってわかってやってるんだろうし」と無関心を示す方も。
そう。
これまでの慣習が私たち「日本人としての当たり前」として刷り込まれ疑問に思いもしなかったことでさえ、今の日本では各々の価値観や思いが様々な言葉となって生まれてきていると、私は思い始めているのです。
最初に上げた例も、その一つなのではと思っています。
これが個人的な飲み会ではなく、会社絡みのそれなら「出席するのが当たり前」という時代もかつてありました。
最近では様々なハラスメントに発展する事情もあり鳴りを潜め始めているとは言え、未だに「新入社員は上司や幹部の酒を注いで当然」「アルコールが身体に合わなくても、将来の為に出席した方が良い」「飲みニケーションは楽しみながら、大切に」。
そんな言葉を耳にした方も多いのではないでしょうか。
ですが(上辺だけの関係の)人付き合いが嫌いな私は常々疑問を抱くと共に適当な理由を付けて断ってきました。
ただでさえ疲れるし、お金と時間は浪費するし、聞きたくもないお偉いさんの武勇伝を延々と相槌を打ち続けるなんて、正直馬鹿らしくてとても耐えられません。
故にこれまでは、私自身そういったものに出たがる人や強制するような人の考えなどわからないと忌避し、好き勝手にどうぞと傍観して参りました。
でも、これも私という一人の人間の考えに過ぎないということに気付きました。
私はお酒を楽しむなら自室で好きなことをしながら、というスタイルです。
一方で人と面向かいながら、生の声や感情をやり取りしながらお酒を飲みたいという人もいるのだろうな、と今更思い至ったのです。
会社絡みだけでなく、プライベートの飲み会もそう。見知った間柄、顔を見ながら共に楽しむお酒の席は格別という方も、沢山いらっしゃるのだと。
多分、私のような気分屋で、勝手にHSS型HSPを自負していると語っているような人間よりも、遥かに多いのではないか。
そうでなくても、人の行動の根幹に根付く物事に対する価値観や考え方は、各々違うのだ、と。
それが現在進行系で収まることを知らないコロナ禍で顕在化したのではないかと、個人的に感じています。
飲み会一つ取っても、私のように「誘われることもなくなって生きやすくなった」と思う人もいる。他方で「人と一緒に飲みに行けない、ストレスが溜まりに溜まってもう限界だ」と悲鳴を上げている人もいる。
これは他の事柄にも十二分に当てはまると思います。
テレワークし続けることでストレス蓄積、感情コントロールの喪失や家庭事情の悪化を嘆く声も所々響いています。反対に満員電車に乗って出社したくないのにテレワークができないことに憤り苛立ちが募るという話も耳にします。
それだけでなく、旅行も食事も然り。両極端でありながら、双方の不満や苦しさが滲み出て止まらなくなってきています。
例を上げればキリがありません。
それでも、以前の私はこのような記事を上げていました。
この時の私はHSPを。HSS型HSPが抱く思いや考えだけを前面に出していました。
「世の中には喩え少数であっても、こんな人間もいるんだ」と。
ですがこれも、結局は私の考えや価値観が先走った思いの塊に過ぎなかったのだな、と振り返っています。
訴えるのは必要なこと、その意志は今も変わりません。
しかし主張ばかり続けるだけでは、共感どころか知っていただける機会で自分の手で蔑ろにしているのではないかと、思い至りました。
違うだろ、と私は私に叱責しました。
私がしたいことは、自分の考えだけ訴えて他を排除することではないだろ。近付き過ぎて同情する訳でも、距離をおいて傍観することを楽しむ訳じゃないだろ。
人は、価値観も考えも違えば、それを伝える言葉や思いも違う。
どれも正解ではない、でも間違いでもない。
その人が思ったことが基準になるだけで、それを根拠に批評するのはまた別の問題なんだろう。それを、このブログで綴りたいんだろ、とここ数日悩みながら自らに問い続けていました。
私の考えを、甘ちゃんだの芯がないだの結局他責かだの、様々なご指摘やご意見を抱かれるかもしれません。
人によっては、「そんな考え方は偽善だ」と論ずる方もいらっしゃるかもしれません。
それはそれで仕方がないのかな、と享受します。
私のことをどれだけ罵っていただいても、それはそれで仕方がないことですし、罵る方の考えを変えることはできません。
唯、一つだけ。
今現在このような状況に陥った日本において。
これまで当たり前だと、常識だとマナーだと言われてきたことを、見直し改める時期になってきていることは、事実ではないでしょうか。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【生き方・価値観】苛立つ自分、凍り付く感情
理由は幾つかあるのはわかっている。
ここ数日、苛立つ日々が続いて募っているのを感じている。元々苛立った時に怒鳴り声を上げたり人や物に当たることは少ない性格だと自負している私だが、それでも鬱屈とした時間ばかりが過ぎ去っていると思えてならない。
人間関係が最たるものだと自負している、つもりではある。
例外はあるが、元より人と共にいる時間が苦になることとなることが多い私にとって、今の社会は息を吸うのも草臥れると思うことが多々ある。
仕事そのものに対しては、それ程苦痛や違和感を抱かずにこなせているのは幸いなことだと改めて思う。専ら機械を相手にする仕事だけあり、生じた業務に対し基本的に一人で打ち込めることが大きい。
人と違って、機械は素直だ。こちらが操作した通りに動き、不備があれば不具合を起こす。不具合の要因を特定し修正すれば、大概解決することができる。
興味や関心を仕事に持ち込むのはどうなのか、という意見があるかとは思うが、少なからず私はそういった思いを大切にしている。いつしか自覚した、一度打ち込めることがあれば、喩え仕事であったとしても飽きずに食らい続ける。満足するまで手を離さず、しかし業務遂行という目的を忘れることなく。
そうでなければ、私のような人間は恐らく、現代を生き残っていくことはできないだろう。多分、きっと。
そう、仕事というものは業務内容だけではないからだ。人間関係という、直接業務に関係のない事柄が大きくのしかかってくる。
職柄上、社内やグループ会社が大半を占めるとは言え、やはり私にとって人との付き合いは精神的にかなりの苦痛となることが多い。
弊害、と言っては失礼とは思いながらも、実際に嫌悪すら感じている事実は変えられない。
職場という狭い場所を見るだけでもそうだ。仕事量が飽和している社員がいる一方で、窓際族よろしく与えられる仕事が少なすぎて徘徊している輩もいる。それに対して不満でもあるのか、ブツブツ独り言を並べているのだから、はっきり言って気持ちが悪いし「御託はいいから仕事しろ」と言いたくなる。
新入社員にしてもそうだ。最近はあまり強い言葉で叱ったり指導できないご時世になっていることが、却って弊害になっているように思えてしまう。
しかし、だ。用があって私の元に来たのはわかったが、よりによって言われた言葉が「今、お暇ですか」だった。
言いたいことはわかる。自分が年上で先輩だから、という拘りのようなものも私は持ち合わせていない。
だが「それはあんまりだろ」と思うと共に、情けないながら、「暇じゃないです」なんて大人げない返事をしてしまった。
せめて「今よろしいですか」「お時間ありますでしょうか」辺りが妥当だろう。
と思いたいのは山々だが、残念ながら私の中では「常識」や「マナー」という言葉も態度も死語と化し化石となっていると改めて思うと共に。
三十路過ぎて間もない私が言うのも難ではあるが、「これが若さか」と諦めに似た感情すら抱いて久しくいる。
枚挙にいとまがないが、これ以外にも多すぎる人間関係という問題で大分ストレスが溜まっているらしい。
現に今日、上司へ仕事の進め方について相談並びに現況報告をした時でさえ。
余りにも的はずれな回答や提案の嵐に、苛立ちで昂りかけていた感情がすっかり影を落とした。
そんな私の口から出た言葉は、凍り付いて動かなくなった感情の代わりに冷めきったものだった。
余りに稚拙で、自分勝手な。組織の一人としてあるまじきものだった。
「人員増員により説明する時間の方が増えるので、私一人でやります」
諦観か、奢りか。恐らく後者なのだろうが、その時の私は一切の感情なくそう答える以外の選択肢はなくなっていた。
それにしても、だ。自分勝手にも程があると、綴りながらこれまた勝手に落胆している自分がいる。
つくづく、自分が嫌になる。
もっと自分が理性で動ければ。もっと人を重んじ大切にできれば。もっと、人と歩み寄って。
都合の良い言葉を使うのなら、苦楽を共にできるような人間だったら。
妄想に似た考えと共に浮かぶ、ありもしない自分の姿。そして苛立つ一方で感情を凍らせる現実。
恐らくこれからも、解決できずに一人悶々とする日々が続くのだろうと溜め息を吐きながら。
三十路を過ぎておきながら綺麗な理想をいつまでも抱いている自分に辟易して。
吐き出しようのない思いを、酒と共に飲み込んでいるのだった。
【HSS・HSP】やはり自分がHSS型HSPだと思う時 ~喩え、自分勝手な奴だと思われても~
本年最初となる仕事の一週間を終え、部屋でカタカタとキーボードを叩きながら。
燃え尽きたぜ……真っ黒にな……
といった思いと疲労を感じたのは、これが初めてなのかもしれません。
おまけにどうぞとばかりに、大雪に強風で通勤列車が遅延や運休で通勤も支障だらけと、2021年幕開けから災厄ばかりですっかり萎えている【やさぐれ紳士】白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
しかしながら、年始から早速、色々と気付かされることが沢山ある一週間とも言えました。
年末年始休暇を経て、凝り固まった考え方や価値観がほぐれたせいか。
プライベートでも仕事でも、やはり自分はHSS型HSPなのだと自覚したこと。HSS型HSPとは何なのかを考え直させられることとなりました。
今回は年越しを経ながら、HSS型HSPという自分を客観的に見られたことを。今まで当たり前だと信じ、仕方ないと諦めていたことでさえ、HSS型HSP所以の捉え方や価値観であったことを、綴って参ります。
- 四六時中、身内でも近過ぎると精神が参る
- 職場の人と会う時間。嬉しくて楽しい半面、時間が経つに連れて嫌気が差す自分
- 夢中になれる仕事を見つけた時は、周りのことなど関係なくのめり込んでいた
- 自分勝手な奴と思われても、侵されたくない思い
四六時中、身内でも近過ぎると精神が参る
学校でも職場でも、休みに入ると嬉しくなると思います。少なくとも私は「世間の柵から解放される」という思いが先立って、ホッと緊張が途切れると同時に。
「休みは何をしようかな」というワクワク感と、高揚感のような感情を抱きます。
ブログを書きたい。買った本を読みたい。好きな音楽を飽きるまで聞いていたい。
好奇心が真っ先に向いたものに飛びつこうとする辺り、私は計画的に時間を使うということが物凄く苦手だということを実感しています。
他方で、これらのことは飽く迄「私という人間が一人で行いたいこと」という前提条件が付いていることに気付きました。
ブログは自分と向き合いながら書きたい。本は雑音がない状況で読みたい。身内のことを気にすることなく、自分の好きな音量で音楽を聞きたい。(爆音で流すつもりはありませんが……)
そう考えると、と思った時でした。
私にとって身内は掛け替えのない存在であり、表向きには言えない汚らしい罵りや憤りをこちらから発しつつ、同じように溜まった鬱憤を受けることで精神的な「ギブアンドテイク」を行って参りました。
然れど。
より深く、私が打ち込みたい。自分自身と向かい会いたいという時は、身内であっても「独りになりたい」という思いが一層強くなるのでした。
そして一度自分がやりたいことに集中し始めると身内そっちのけ で夢中になり、ご飯やお風呂の声がけにも適当に返事をして怒られる程になります。
自分がやりたいことに熱中している時、私の中では生活で当たり前のことでさえどうでもよくなってしまうのです。
身内からも「気分屋」と言われるのは、多分この辺りにあるのかなと邪推しています。
職場の人と会う時間。嬉しくて楽しい半面、時間が経つに連れて嫌気が差す自分
続いて、社会人として、お金を稼ぐ為に行く会社。ネットニュースではブラック企業についてや人間関係の悩みについて綴られた記事を多く見かけます。
特にコロナ禍となり今も尚その状態が続いている昨今では、この手のニュースが非常に増えたような印象が強いです。
さて、私はと言いますと。
社員が自分の両親程の方々が大半を占めるというとんでもない人員構成の事業所で、仕事への考え方から物事に対する価値観が全く異なる人たちばかりです。
逆に同期となる同世代の人間は数名しかおらず、後輩に当たる20代の社員が十数人です。
私の場合、同世代に対してはトラウマがあるので自分から歩み寄っていくことができません。また末っ子として生まれ育ち、学校の部活でも後輩らしい後輩もいなかったことからどう接すれば良いのかわからない……という悩みの一種とも言えるものを持ち続けています。
私もそうなのですが、発言も何を伝えたいのかわかりにくいものが多く、つい言葉の裏を探ってしまう私には苦手な存在となっています。
反対に先輩たちベテラン層は、こちらに対して遠慮なく、はっきりと物申してくれます。加えて若手(一応私も若手に部類されるみたいです。都合のいい時だけですが)の第一号だった私に構ってくださる方も多く、良い意味で可愛がっていただいています。
そんな私も父親像を知らないということも重なって、ベテランの方々との人間関係は比較的良好です。相手が冗談交じりで弄りに来ているのかも声色や顔色を見れば判断でき、社内LANを管理するという特殊な役柄上相談も多く、個人的には楽しく仕事をさせてもらっている、つもりです。
しかしながらここでも、天の邪鬼精神が顔を出し始めることとなります。
人付き合い自体は嫌いではない癖に、時間が経つにつれて何となく嫌気が差すと言えばいいのでしょうか。とにかく、人といる時間が長くなればなる程気疲れを引き起こしその場から離れたくなります。
今年の場合は年始の挨拶が、その最たるものでした。
長期休暇後に、元気な顔を見合いながら「今年もよろしくお願いします」と交わし続けていく朝の時間。
担当内の方と交わし終えた辺りで、私は既に人酔い状態になっていました。本の十数分なのに、首都圏の駅構内を移動する際に不特定多数の人々と行き違って一気に疲弊する、あの状態のような状況に陥っていました。
仕事初めからこれじゃあ……と思いながら。人が好きなのか嫌いなのか、自分でもよくわからない。
傍から見れば「変わり者」と思われ、言われるのも仕方ないと思う瞬間でした。
ちなみに私は、周りの社員と比べて有給休暇の数が極端に少ないです。
何故なら、仕事だけでなく人間関係でのやり取りで疲れを感じた瞬間、「うん、休み取ろう」と自己防衛するかのように有給をすぐに取ってしまうからです。
周りからは「そんなに休み取って何してんだ?」と聞かれることがあります。
でも、違うんです。一人の時間を補う為に休みを取っているんです、私。じゃないと、自分という存在がどこかへ行ってしまいそうで、消えそうになってしまいそうで、怖いんです。
夢中になれる仕事を見つけた時は、周りのことなど関係なくのめり込んでいた
先程のことがHSP起因であるとするなら、続くのはHSSの性質が出た場面です。
私の通う会社では 、この時期になると産業廃棄物の処理に向けた準備が始まります。昨年決済を取った産廃物を集め、業者が回収に来る日に一気に捨てられるようにしています。
今年は社内LANが一気に更改されたこともあり、沢山のパソコン類も廃棄することとなりました。社内LAN管理をしている私に、早速大仕事とも言える仕事が舞い込んで参りました。
今から十数年前程前までは、産業廃棄物としてのパソコンは引き渡し後に破壊されるという認識が根強かったことから、特にデータの消去や破砕をすることもなく業者に引き渡していました。
しかし最近では個人情報や会社情報の漏洩が大問題になることが、非常に多くなっています。特に会社の機密情報が漏洩するようなことがあれば一気に社会的信用を失うこととなります。
そこで最近はパソコンに取り付けられているハードディスクドライブやSSDを抜き取り、外部からドリル等を用いて穴を空け読み取りできなくするという、物理的破壊が義務付けられています。
少し前に流行った、データ完全消去ソフトウェアは、はっきりいって役に立ちません。詳しい人間がその気になれば、簡単に復元できてしまうからです。
そんな訳で、朝から捨てるパソコンを並べてHSSやSSDを引き抜く作業から始まった訳ですが。
パソコンをバラして、マザーボードが見えて各種配線が露出して。問題のHDDやSSDを探すのですが。
デスクトップ型とノート型ではバラし方全く異なり、設置位置も取り外し方もメーカーごとや機種ごとに違うことが多くあります。
四苦八苦して、どうやって取り外すんだと試行錯誤していく内に。
私はすっかり、時間など忘れて集中モードに入り込んでいました。
この時は、本当に周りのことが視界だけでなく五感から全く入ってこなくなります。目の前のことしか頭になくなり、感情も楽しいのやら嬉しいのやら、とにかく高揚感のようなものに支配されて眼前のこと以外考えられなくなります。
とにかく、楽しい。パソコンをバラして「このメーカーのパソコンって、中身こうなってるのか」と新しい発見が、能を刺激して止まない。
たかがそんなことに、と振り返ると自分でも思ってしまうことですが、それでも好奇心と刺激を満たしてくれるものに出会うと本当に周りが見えなくなることを、自意識がある中で実感できたのはこれが初めてのことでした。
その直後、産廃物品のリストと突合を行いながらパソコンをバラさなければならなかったことを指摘され、偉く叱られることとなりました。
それ程にまで、私が自負するHSSの側面は強力なのだと思うのでした。
自分勝手な奴と思われても、侵されたくない思い
年始の仕事を振り返って、改めて自分が自分勝手で自己中な人間なんだなと思い返しています。
多分きっと、周りの人たちは私のことを「気分屋の変わり者」と認識していると勝手ながら思っています。或いは自分勝手でどうしようもない奴と思う人もいるのだろうなと感じています。
でもこれが、私のHSS型HSPなのだろうなと思います。開き直るつもりはありませんが、言い訳もしませんし取り繕うようなこともいたしません。
だって、これが本当の自分なのだから。
それをこうして文章化し、自分でも納得できる形となる経験を積めたこと。そして然程違和感なくいられる自分がいることが、何だか清々しい思いを抱いています。
ここ一ヶ月位でしょうか。スマートニュースでも、HSPについて取り上げた記事が目につくようになり始めたのは。
そこにはHSPに特化した内容が綴られており、成程これがHSPというものなのかと誰もが比較的簡単に、以前よりもHSPというものに触れる機会が増えて来たことを実感しています。
しかしながら、やはりHSS型HSPやHSEについてはまだまだ浅い。
仮にHSPかも、と自己診断したところで、完璧に当てはまる人の方が少ないはず。
その自己診断で当てはまらなかった人は、「じゃあ、自分って何なんだ」となるのは目に見えています。
HSPの側面を持つ身として、紹介されることは嬉しいことです。
然れどHSPを軽く扱っていただきたくないという反抗心もあるのも、また事実です。
HSPに焦点を絞るのではなく、HSPに「+α」が沢山あることが、どんどん広がって欲しいし、願っています。
だから、HSSの側面も併せ持つHSS型HSPの私は。
ブログを通して、経験を通して。今年もHSS型HSPについて、日常視点で綴り続けたいと思います。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【ブログ・生き方】本年もよろしくお願い申し上げます。 ~ブログ開始から、一年経った今年の抱負~
年も明け、2021年の三ヶ日も疾風の如く過ぎ去りました。
いつも以上に、寒く。いつも以上に、人気のない街並み。
コロナ禍が終わることなく迎えた今年は、普段以上に「いつも」といいう定義が大きく変わり果ててしまったことを痛感しています。
皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。
そして、遅ればせながら。
皆様に置かれましては、昨年は本当にお世話になりました。
本年も変わることなく、何卒よろしくお願い申し上げます。
ここ最近の記事は代理君に挨拶してもらっていますが、これ、正直な感想を皆さんにお伺いしたいことがあります。
普通に文章で綴るか、このように喋らせるか。
もう少しキャラを作成してアフレコしようと考えてはおりますが、ご意見いただければ幸いです。
さて、2020年が今を生きる私たちにとって未曾有にして最悪、災厄の一年となりました。
正直な所、私は引き続き慎重な行動 -自己防衛本能から来る自らを規制すること、考えなしにの外出はできない- をしなければならない一年になる予感がしております。
延期された東京五輪・パラリンピックなど夢のまた夢。
耐え忍ぶと言いますか、我慢を強いられることが多くなると個人的に思っています。
然れど同時に、それももう限界が来ている気がしてなりません。
自粛に自粛を「要請」ばかりされ、特権階級や上級国民ばかりが好き勝手やっていることが報道されていることが、この国を確実に崩壊に向かわせているようにしか思えなくなって参りました。
それはそうだと思います。
とある記事ではお若い方々が飲み会に繰り出していったところを取材され、「お偉いさんが好き放題やっているのに、若者ばかりが自粛を強いられるのはおかしい」というものもありました。
わからなくはありません。
しかしながら、その行動も結局「他人の行動を言い訳」にしているのでは、と思ったのが、私の正直な感想です。
そこにあるのは、何かあった時に「他人のせい」にしたいから?
そうではなく、言いがかりを作りながらも「自分がそうしたいから」飲み会に行った?
非難するつもりはありません。ですがこの記事を見る限り、私は後者なのではないかと真っ先に思いました。
昨年から始めたブログで、私は生き方や育った環境、職業といった違いだけでなく。
同じ人間という種族であっても、価値観や考え方の違いがあること。
それを認めるか否か、受け入れるか否か。その度合だけで、人の行動というものは容認されたり非難の的になったりすると思っています。
私だったら、そうですね。
人と面向かって飲むことが好きではないので、まず飲む為に街へ繰り出すことはありません。
とは言え、それも人それぞれの価値観。
私は大切にしたい、されたいと思う人との繋がりがありさえすれば、当分会うことができない状況でも気にはなりません。
寧ろ無駄な会食やら宴会が減った分、失礼ながらも個人的には嬉しいことです。
一方で人と会うことで、直接的な交流を経て生きる為のエネルギーを得て、明日への糧にするという方もいらっしゃるかと思います。
こう考えるだけでも、「飲み会」というもの一つとっても大きく異なります。
どちらが良くて、どちらが悪いとも言えない。そんなグレーゾーンばかりのご時世。
私は、本ブログを通してそのような微妙な塩梅な部分を。
どちらかと言えば、少人数派に入るかもしれない「HSP」や「HSS型HSP」の視点に立ちながら、今年も綴っていければと思います。
最近になり、書籍にてHSS型HSPを纏めている書籍を購入いたしました。
「かくれ繊細さん」という本です。
まだ序盤の序盤しか読んでおりませんが、これまであまり深堀りされていなかったHSS型HSPやHSEについて書かれています。
次回以降、この書籍だけでなく、他にも入手した情報を元にしながら。
私が、私なりに考え文章化した思いを、綴っていきたいと思っています。
最後になりますが。
2021年。この一年が、このブログを訪れてくださった全ての方々に。
HSPやHSS型HSPで悩む方々に。
そして、ブログを通し仲良くさせていただいている皆さんにとって。
幸せな、より良い一年になることを、心から祈願させていただきます。
【ブログ・価値観】思いを、言葉に ~自分を出すことの怖さを乗り越え、一年が過ぎて~
今年も、残り僅かですね。
そう思っていても、どこか不思議な気がしてならない時が時々あります。
一年も、一時間も、一分も一秒も。
全部、私たち人間が定めた勝手な規則に過ぎないこと。それなのに、年末年始から始まって四季折々の行事が来る度に、私たちは喜んだり楽しんだり、時には泣いたり悲しむことさえあります。
ただ、人という生き物はそうやって自分が生きている今を。瞬間の連続である人生を歩みながら、変化や恒例となる行いを味わい吟味することで「生きている証」を刻んでいるのかもしれません。
時間の概念が消え去ったら、きっと多分、私たちは生きていけなくなるのだろうな、と思っています。
年末を迎えることで今年を振り返り、数時間後には来年となる。それだけで、「また新しい一年が始まる」という繰り返しを行いながら、これからも人生というはてなき道を歩いていくのだろうな、などとほろ酔い気分で一人ひっそりと考えている今宵です。
皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。
年末年始ということも鑑みて、和装の代理の子に挨拶をお願いしました。
ちなみに全体像はこのように仕上げております。
さて、個人的趣向は程々に。
2020年という一年、皆さんは如何お思いながら終えようとしていらっしゃいますでしょうか。
個人的には、世間に対する皮肉や嫌味、訝しさが物凄く大きくなった一年だったと思います。
私が正直に思った思いを、代理を通じてお伝えできればと思います。
今回代理を務めたのは、シロクマ君です。
私の友が好きであり推しであることから、急遽搭乗してもらいました。
一方で、自分という存在に焦点を当てて振り返ると。
新鮮、と言っては難ではありますが……それでも、一歩どころか何メートルも跳躍する程にまで、また前進することができた。
そんな一年となった気がしています。
一番は、ブログというものに出会い自ら思いを紡ぐようになったこと。
もう一つは、内容が限定的でありながらも交流させていただいた方々に出会えたこと。そしてこれまでは自分の心の内に仕舞い続けてきた思いを、進んで発信するようになったことです。
読書感想文のような文章は苦手としながら。
自分の思いを、ここまで外部に向けて文章化して発信するとは、ブログを始めるまで思いもしませんでした。
上手い下手は別として。約一年を通して約150の記事を上げ、思いを言葉にして参りました。
それだけで私は、文章を書くという喜びと楽しさだけでなく。
どうすれば伝わるかを。似た表現を如何に工夫するか。
試行錯誤しながら、私事ながら楽しませていただきました。
同時に。
一方通行の発信を、自分が満足するようにするのではなく。
周りを、本ブログの読者になってくださった方々を、コメントを拝見していく内に。
SNSの。仮想的な情報発信の源であるブログであったとしても。
実際に面向かって会話するコミュニケーションと、大差はないことを。
言葉のドッジボールではなく、キャッチボールであることを再認識することができた、気がしています。
一方で、ブロガーの皆さんには新参者である私を受け入れいただいたことのみならず。
コメントやDMでのやり取りだけでなく、Twitterで活躍されていらっしゃる方にも紹介してくださいました。
元々身内と言うに等しい方だけの付き合いしかできなかった私が、SNSという情報の海に進出することができました。
私のブログではHSPやHSS型HSP。Aセクといったマイナーな内容を取り上げさせていただきながら。
一年足らずで皆さんと交流を深めることができたことに多大なる感謝を表しながら、御礼申し上げる次第です。
来年は、そうですね。
より自分が発信していきたい事柄を前面に出しながら、今年躍進できたように思いを言葉にしていきたいと思っています。
未だ収まらることを知らない新型コロナウイルスという災厄。
2021年は。平成33年、昭和96年という一年は、皆さんにとって幸せな一年であることを願いながら。
今年お世話になった全ての方々に御礼を申し上げながら、短いながら本記事を締めさせていただきたく思います。
【HSS・HSP】HSPの4つの特徴について、自己分析 ~DOESを客観視することでわかること~
今年もいよいよ数日で終わりになりますね。30歳を超えてから、一年が過ぎ去る速度が物凄く早く感じている今宵です。
本日は照明器具を一気に交換しようと家電売場に行って参りましたが、蛍光管ではなくLED照明の製品が大半を占めていることに驚きを隠せませんでした。
時の流れも世間の進歩も、知らぬ間に進んでいることを改めて知ることとなりました。
では今回も、代理を通し挨拶申し上げます。
hss-hsp.hatenablog.com
HSPと一言で括られがちですが、その度合は人それぞれ、千差万別です。 まして私が自負するHSS型HSPやHSEとは、HSPのみに焦点が当てられた特徴だけでは必ずしも当てはまらないものも出て来てしまいます。
とは言え、「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」という故事成語がある通り。 自分のことを、HSPのことを知っているだけでも、闇雲に自分探しをするようなことをせずともより容易に、的確に自分というものを知ることができると考えています。
今回はHSPを構成する、4つの特徴を簡単に触れながら、私自身のそれぞれの特性の強弱を分析してみたことと。 自己分析した結果、もしかしたら「自分はHSPなのかも」とお思いの方の、参考になればという思いを乗せながら、綴って参ります。
HSPの判断材料となる、「DOES」
最初に、HSPと判断できる概念であるDOESについて簡単にお話しさせていただきます。
HSPという特徴を簡単に纏めている文献では「繊細」「生き辛い」といった抽象的な表現で紹介されていることが多くあります。
しかしながら、人間の精神は人知を超えるとも言える程複雑です。
その為、まずはDOESと呼ばれる4つの概念を知り、それに当てはまるかどうかを判断していく必要があります。
然れどこのDOESというものも、飽く迄自分が当てはまるか否かを見る為の指標の域を出ていないと、私は思っています。
ですのでまずは気軽に、少しでも当てはまったり「そう感じたことがあるかも」程度で良いと思いますので、あまり深く考えずに直感で答えていただくと良いかと思います。
では実際に、それぞれの特性について考えていきたいと思います。これらについては曖昧な表現が多い中、「ウサキさん☆」さんが具体的な表現を示してくださっているので、勝手ながら使わせていただきます。
最初のDは「処理の深さ」を表すDepth of processingの頭文字を取ったものです。
具体的には、
・納得いくまで考え込んでしまう
・考えすぎて悩んでしまう
・洞察力がある
・いったん理解すると誰よりも理解している
といったものがあります。
次のOは「神経の昂り易さ」、Overstimulatedです。刺激を受けやすい、とも約されます。
・危険を察知するのが早い
・神経が興奮して疲れてしまう
・常に安心を求める
・基本的にビビリ
このような例が上げられます。
続きまして、E。Emotional reactivity and high Empathyの頭文字を取り「感情的反応性・高度な共感性」と表現されますが、難しい言葉ばかりでよくわかりませんよね。
要は「感情が強く動き・共感する」というものです。
・感極まりやすい
・人の気持ちを察やすい
・周りの雰囲気につられやすい
・八方美人と言われる
例としてはこのようなイメージです。
最後のSは「些細なことにも心が揺れ動くか」といった意味のSensitivity to Subtle stimuli。単純に繊細かとも言い換えることができるかとおもいます。
・繊細なアートや感性を好む
・周囲の変化にいち早く気づく
・ちょっとしたヒントから多くを理解する
・気配り上手
といったものが例となります。
これらを見て、全ての例に当てはまることが条件ではありませ。DOESという4つの特徴、そのそれぞれの例に一つでも当てはまることがあるのなら、HSPである可能性があります。
私の「DOES」
では、私自身が上記の例に沿って自己分析していきたいと思います。
当てはまる度合いに応じて高い順から「A・B・C」、そして全く当てはまらない(そう思ったことはない)と思うものには「-」として表現させていただきます。
Dについて
・納得いくまで考え込んでしまう:A
・考えすぎて悩んでしまう:B
・洞察力がある:A
・いったん理解すると誰よりも理解している:A
Oについて
・危険を察知するのが早い:A
・神経が興奮して疲れてしまう:B
・常に安心を求める:B
・基本的にビビリ:A
Eについて
・感極まりやすい:C
・人の気持ちを察やすい:A
・周りの雰囲気につられやすい:A
・八方美人と言われる:-
Sについて
・繊細なアートや感性を好む:B
・周囲の変化にいち早く気づく:A
・ちょっとしたヒントから多くを理解する:A
・気配り上手:C
このようにして見ると、私の場合はD>O>S>Eの順番で強い傾向があるようです。
ここで何を言いたいかと言うと。
一般的に言われるHSPの特徴である、感受性の高さや共感力の強さ。
それは必ずしも、HSPと自負する、あるいは「そうかも」感じた方であったとしても全てが全て当てはまることはないということです。
などと書き連ねている私は共感を第一に掲げていた割に共感力を示すEが意外と低かったことに。少し驚いています。
人と違うことを受け入れることが、HSPの始まり
今回は簡単に例を上げさせていただき(うさき☆さん、勝手ながら御礼申し上げます)、HSP の特徴とHSS型HSPを自負する私という人間の自己分析を綴らせていただきました。
各例に対し5分足らずで評価してみましたが、意外な結果が出たと私自身驚くと共に「思っていたのと少し違う」という思いを抱いているのが、正直な感想です。
病気ではなく、気質であるHSPは自分でもわからないものであることを、再認識する切っ掛けとなりました。
同時に、HSPでもHSS型HSPでもHSEでも、自覚し自負していても本当の思いや考え、傾向が必ずとも一致するとは限らないことを、改めて知ることができました。
逆に言えば。
世間が提唱することやネットで紹介されていることが、全てではないということ。
そして。
実際に生きている中で、少しでも「周りとどこか違う」「周囲とズレている自分は、おかしいかも」と思っていらっしゃる方がいるのであれば。
それは、貴方の個性であり人とは違うものを持っている証です。
確かに生き辛いかもしれません。息苦しいかもしれません。
でも。気休めは嫌いなのではっきり申し上げます。
「その思いを、感覚に負けて周りに合わせる必要性」などありません。
私は寧ろ、天の邪鬼精神もあり人と違うことを嬉しく思っていますし、「違って何が悪い?」「周りに合わせる必要なんて、このご時世必要ないでしょう?」と思っています。
HSPは、まずは人と違うことを知って、受け入れること。
それを「世間体」というものを相手に天秤に掛けずに、臆せず自分を主張していくことが大切だと思っています。
日本人は普遍的で飛び出た杭を撃ち抜いてでも平準化しようという傾向があるかと思っていますが。
自分を殺してまで、人に合わせる時代は一昔前に終わっていると私は考えています。
なら、「人と違う自分」を第一に生きていくことが、より大切なことだと思います。
最初は簡単ではないかもしれません。私も自分がHSP、ましてHSS型HSPであることを受け入れるまで、途方も無い遠回りをしながら、数年掛けてようやく辿り着きました。
ですがきっと。
貴方が生きる上で覚えた「違和感」。それは必ず、いつの日か誇りにさえ思える日が来ます。
人との違いに苦悩する余りに、世の中に絶望し自害しかけた私のような人間でも。
こうしてブログを通じて思いを、HSPについて書くことができるようになった程なのですから。
最後の締めは和服Verの代理と言葉を以て、締めとさせていただきます。
【HSP・価値観】飲み会が減って心安らぐ日々 ~気疲れだけの付き合いは、もう沢山~
クリスマスイブということもあり、帰りの道路は混雑しておりました。
恐らく、家族や恋人が美味しい料理を食べる為に。交流を深めて、家族愛を、恋仲を深めて。特別な一日にしようとする人々が行き交っているのだろうな、と冷めた目で世間の忙しさを見据えていました。
家族という概念が崩壊し、血の繋がった者同士でさえ食卓を囲むことすらなくなって久しく。食に対しても正直好きなものを食べられればそれで良いと思う私には、格別な料理は却って違和感しか覚えらません。
更に同期や後輩が次々と結婚していく中で、恋愛や婚約といったものに関心どころか渇望も湧かない私には、12月24日はいつも通りの一日。
時間と労力を使って奔走するよりも、一人部屋でお気に入りの音楽を聞きながら、お酒を嗜むことを心から楽しんでいる【やさぐれ紳士】白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
以前初めて動画を埋め込みましたが、今回は別の手法を用いて動画をブログに載せる方法を模索しておりました。手始めに私の代理となるアバターを作成し、声を入れ込んだものを披露させていただきます。
題材は、私の好みであるオオカミを擬人化したものです。使い慣れたら日常的な会話も声を吹き込んで載せられればと思います。
さて、クリスマスが終われば、休む間もなく年末年始。世間は車の往来も激しくなり、お店は混雑の嵐。
コロナ禍と言えど、家族や親しい人との暖蘭は、大事にしたいという思いが滲み出ているようにも見えます。
周りに大切な人がいるというだけで、私のような人間からすれば羨む程です。家族愛こそあれど父親はいないも同然と認識し、人を(恋愛的な意味で)好きになることがわからない。
一昔前の当たり前の幸せが、わからない私には。
その分、という訳ではありませんが。一人でいることを楽しみ、リラックスしたり創作の時間に十分当てられる、周りを気にすることなくできる特権。
そんなものを噛み締められるのも、HSS型HSPを自負する私にとって、前向きな考えと行動となっています。
そういった人付き合いと年末年始と言われて、私が真っ先に思い浮かんだもの。
それは忘年会や御用納めを始めとする、お酒を飲みながら周りの人たちと互いを労い語り合う、ある意味社会人の行事たち。名前はその時々によって変わりはしますが、要は会社関係の飲み会です。
今年は新型コロナウイルスを罹患する危険性を鑑み、全て中止となりました。
その事実に、ホッと胸を撫で下ろすのでした。
今回は人によってはストレス発散の場となり交流を深める時間となる、飲み会について。
一部の人は集団での飲み会そのものがストレスとなっていること。そして、そのような時だけ妙に仲良さげに盃を交わすことに、違和感と嫌悪を抱き続けたことを。
HSP、HSS型HSPを自認する私個人という立場から、綴って参ります。
※注記※
本記事は批判的な言葉が並ぶことが多くなりますが、飽く迄一個人の意見に過ぎないことを、どうかご了承願いたく思います。
もし本記事により不快感を覚えた、または「それはおかしいだろう」というご意見をお持ちになった方は、お手数ですが問い合わせフォームよりご意見いただければと思います。
内容を鑑み、場合によっては本記事を削除いたします。
※注記終了※
- 飲み会という付き合いが、断ることなど烏滸がましいと思っていた二十代前半
- 心を病んで、飲み会から離れたことで感じたこと
- 大勢も騒がしさも苦手なHSPには、飲み会は苦しいだけの害悪
- 気疲れだけの付き合い、辞めにしませんか
飲み会という付き合いが、断ることなど烏滸がましいと思っていた二十代前半
十数年社会人をやって参りましたが、常々嫌気が差しながらも。
その年で退職してしまう先輩たちとの最後の付き合いという思いの方が先走り、私は自分の感情を上書きして飲み会という名目の付き合いに参加し続けてきました。
その場でお酒を飲み、料理を食べながら話す上司や先輩は、皆揃って上機嫌。不満気に眉を潜めたり、不機嫌さを顕にするような表情を浮かべる人はいませんでした。
そう、表面上は。
ですが遠くから聞こえてくる話を聞いていると、仕事のやり方や会社の考え方に不満を漏らす声。最初こそアルコールの勢いで機嫌良かったはずなのに、いつの間にか怒声やら罵声が飛び交うことも少なくありませんでした。
当時からお酒を飲むことは好きな私でしたが、そのような空気を目の当たりにしてから疑問が浮かぶようになっていました。
お酒って、楽しく飲むものではないのか、と。
素面では言えないようなことを言う為の起爆剤のような使い方をするものじゃないよね?と。
とは言え、相手は自分より一回り以上年上のベテランであり年配の方々。とてもそんな思いを吐露できるような雰囲気ではありませんでした。
時には我慢できず、感情任せに「飲み会の場で仕事の話をするってどうなの?」と口走ったこともありました。そんな時は「若造が」とばかりに頭引っ叩かれました。
今でこそ「アルコールに踊らされた老害が」と汚らしいながらも然程気にすることはなくなりましたが、20代前半の当時は理不尽さでお酒を楽しむどころの話ではなくなっていました。
然れど、「これが社会人か」と無理やり言い聞かせて感情を沈めていたことも事実でした。
思えばこの頃から。
社会の慣習に、飲み会という行事に違和感と不快感を抱き始めてのかもしれません。
心を病んで、飲み会から離れたことで感じたこと
それから暫くし、首都圏勤務となった私は心を壊し、精神を病みました。
会社って、何だっけ。人付き合いって、何だっけ。自分って、ナンダッケ?
抗うつ薬や精神安定剤が欠かせない身体と成り果てても、それでも業務に支障を来してはならないという思いだけを頼りに、病休も取らず魂が抜けた傀儡同然の身体と精神で会社へ務め続けました。
それだけなら、まだ何とか自分を保つことができました。うつ病と診断されようが、それが露呈するような場面を作らないようにして。追い詰められそうになったら適当な理由を付けて、私が最も苦手とする言い争いの場から去ることが可能だったからです。
とは言いながら、全てそんな行動理念だけで収まらない場面もありました。
最たる例が、飲み会です。
当時は今ほど精神に関する病気が浸透していなかったこと。それ以上に若者は飲み会に率先して参加するという、古く悪い慣習が蔓延っている時代でもありました。
自分のことでさえ手に負えない程精神を壊していた私は、断り一人休むことを第一優先していました。自分はうつ病なんです、などと言えない空気もありましたが、とにかく人と関わりたくない一心でいました。
ところが、参加を断る言葉を伝えた途端。
「何で、出られないの?忘年会なんだから、出席しないなんてあり得ないけど?」
不機嫌そうに眉をひそめる先輩の言葉に、私は思わず「何いってんだこいつ」とばかりに汚物を見るかのように睨みつけていたことを覚えています。
会社の付き合いなのに、自分を犠牲にしてまで参加しろ?対して付き合いもないだけでなく、病気のフォローもしない人たちと酒盃を交わすことは当然のこと?
何言ってんだお前。バブル期の慣習の化石か?
糞食らえ、時代錯誤のバカ共が。
思わず手が出そうになりましたが、そこは社会の場。手を出した方が負けだということは勿論ながら、そのような根拠も理由もなくただ慣例に前倣えしかできない人の相手をすることが、唐突に馬鹿馬鹿しくなった瞬間でした。
この時は最初に務めた地元で退職する方々の送別会が重なっていました。
首都圏内での忘年会よりも地元を大切にしたいという、ある意味無茶苦茶でありながら本心を伝えたところ、渋々了解してもらった経緯があります。
参加表の備考欄に、嫌味の如く「地元の大切な人を優先の為欠席」と書かれましたが。
私からすれば、どうでもいいことでした。
寧ろ。
その程度の書き込みで付き合いを回避できるのであれば、幾らでも言い訳してやる。
これ以上、自分を犠牲にしてまで会社に付き合う義理もない。
何より。
大勢の人が集まる場所が、耳から入る会話の嵐がただでさえ苦手で耐えられないことを、いつの間にか自覚している自分がいました。
図らずとも、このことを堺に自分が人ととはどこかズレていることを。後にHSP、HSS型HSPであることを知る切っ掛けとなったのです。
大勢も騒がしさも苦手なHSPには、飲み会は苦しいだけの害悪
それから間もなく、私は地元に戻ることとなりました。
相も変わらず、先輩方は飲み会の機会を設け「交流を深める」という名目の慣習を続けていました。
少人数ならともかく、何十人もいるような宴会はただ気疲れするだけで得るものは何もないことを知った私は、逆の発想を抱くようになっていました。
大勢が参加する飲み会なら、対して面白い話もせずお酌もしない私なんていなくても……構わないよな。
その頃からか私は、図らずとも人から評価されたり評価されることを怖がらなくなっていました。飲み会にも参加しないことを酷評しない人たちがいなくなったことは、私にとって幸いなことではありました。
始めこそアルコール禁忌の薬を飲んでいることを理由に飲み会を断り、その度に罪悪感のようなものを抱いていました。
しかし歳を取ると共に、自分をより深く知ることで。
自分がHSPであることを最初に知り。人付き合いそのものが苦手と認識し、自分を蔑ろにしてまで付き合う必要はないと考え始めて。
その後より複雑で理解されない、HSS型HSPであることを自覚してからは、より一層興味のないことにはとことん関心を抱かないことを知って。同時に親しい人たちとの交流は、喩え少人数であっても楽しいと感じ、大切にしたいと思う傾向にある自分がいることに気付くことができました。
お酒の場であろうがなかろうが、私は大人数で騒ぐよりも一対一を好むことを。多くても4人以下でないと「私なんていなくても構わないから、好きに楽しんで」と思うようになりました。
それからは私が大切と思いたい人との付き合いはより大事にしたいと思う一方で、「白兎は飲み会に出ない」と思われる程大人数での飲み会を遠慮なく断るようになりました。
気疲れだけの付き合い、辞めにしませんか
私の考えを、自分勝手や身勝手だと思う方もいらっしゃるかと思います。
開き直るつもりはありません、と最初に申し上げます。
それならそれで、私は構いません。
今回は飲み会をテーマとしましたが、何事も「好きな人はやれば良い」というのが、私の考えでありスタンスです。
飲み会で憂さ晴らしする。それはとても大事なことだと思っていることは事実です。
但し。
それに当てはまらない人間も、少なからずいるという前提を設けて。
私はHSS型HSPを自負した上で、言い方は悪くなりますが「大して親しくない人たち」との懇親を深めたいという気は更々ありません。
それで嫌われたり煙たがれるのなら、そこまでの縁だったと受け入れて、関係を切る覚悟はあります。
然れど。
そこまで割り切った考えに至ることができず、悶々とした日々を送っていらっしゃる方も多いと勝手ながら思っています。
難しいかとは思いますが。
自分を削って、身体や精神を犠牲にするような付き合いを続ける位なら。
そんなもの、辞めませんか。
私の経験上、その程度の付き合いで交流が深まった試しはありません。寧ろ相手ばかりが楽しむばかりで、自分にとって利益らしい利益は何も得られませんでした。
利益というといかにもな感じもしますので、言い方を変えさせていただきます。
飲み会だけでに留まらず、その付き合いは互いにWin-Winでしょうか。
どちらかが何かしらの我慢を強いられてはいませんでしょうか。
付き合う上で、ご自身に対し何かプラスになることはありますでしょうか。
そうでなければ、気疲れだけで何も生み出さない付き合いは、私は辞めても良いと思います。
その場では良いとしても。
後々自分を壊して取り返しが付かなくなる可能性は、否定できません。
かく言う私が、その一人です。人との繋がりを重視し自分を無視し続けたことで、自ら死を選ぶまでに追い込まれた一人です。
そんなことになる前に。
相手をヨイショするだけの。詰まらない慣習の残滓として残り続ける飲み会なんて。
もう、辞めにしませんか。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
締めはもう一人のアバター(和装Ver)を使わせていただきました。
【車・趣味】今年最後の大旅行 ~伊豆大島上陸、そして帰路へ~
関越道で数十時間に及ぶ立ち往生。各地で大雪。そして12月とは思えない冷え込み。
今シーズンの冬は、これまでのそれとどこか違う何かを感じさせます。
自宅付近でも氷点下二桁を記録し、会社に行くことはおろか、布団から這い出るのがやっとの思いだった【やさぐれ紳士】白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
ジェットフォイルが奏でる音響を背景音としながら、伊豆大島へと渡った私たち。
そこは天然の城壁とも呼べる断崖絶壁と、潮の香りが漂う、どこか懐かしささえ感じさせる町並みが広がっているのでした。
今回は初となる伊豆大島に上陸し、短いながらも離島で過ごした時間。日常生活では、山国では味わえない海の町ならではの空気と時の流れを綴りながら。
今年最後の大旅行を、締めて参ります。
切り立つ大地と風が生み出した、海風と共に生きる伊豆大島
ジェットフォイルを降り、伊豆大島の地を踏んだ私たちを待っていたのは、沢山の観光客。そして、切り立った大地と風が生み出した伊豆大島の絶景でした。
自然が創り上げた、まさに難攻不落と言っても過言ではない程の断崖絶壁。緑に囲まれ和らいでいるとはいえ、来るものを拒むかのように聳える岩肌。この島に住む方々や自由に飛び回れる海鳥以外は受け付けない、厳かな空気が吹き付ける風と共に伝わってきました。
反対側を見渡すと、そこには海が広がるばかり。遠くに本州が見えるとは言え、山に囲まれた地に生まれ育った私には絶海の孤島にすら思えるような情景でした。
遅めのお昼を摂る為に歩き出した私たち。品川ナンバーの車が行き交うこの地が、伊豆の名を持ちながらも東京都の一部であることが、何とも不思議な感覚を齎します。
微かに雨粒が降り注ぐ町並みは、古き良き時代を表現しているかのようでした。潮風に晒され傷んだコンクリート製の家屋、錆びついたトタンの屋根。その随所に植えられた木々や花々が昔と今を繋いでいるかのようにさえ見え、発展した都市部にはない温もりを伝えてくれました。
時間の制約もあり、徒歩で移動できた距離は僅かでした。それでも、喩え一部であっても伊豆大島の町をこの目で見て、肌で感じることができました。
少し困ったのは、ここは漁業が盛んな町だったこと。魚介類が食べられない私には、名物の魚介をふんだんに使用した料理を出してくれるお店ばかりで、少々難儀しました。
結果、港近くの5F建てビルにして船客待合所の中にある「minatoにぎわいテーブル」で食事を摂ることになりました。
船の発着場の屋上で、海風と共に伊豆大島の空気に触れながら
2019年にオープニングセレモニーが執り行われた船客待合所は、津波の避難所にもなる広いスペースを有したゆったりとした建物です。地上の1階部分は船のチケット売り場兼待合所。2階はお土産売り場で3階がレストラン、4階部分が津波避難スペースにして展望エリアとなっていました。5階は関係者以外立入禁止区域です。
静岡県の伊豆半島から一時間足らずで東京都に立っているのが、新鮮な雰囲気を齎してくれます。
名所も沢山あり、余裕があればレンタカーを借りて、島を一周したいと思いながら、遅めの昼食を頬張ります。この日はご飯が食べたかったので、炒飯を注文しました。
旅行に行ったならその地の名物を食べてきたかと、よく聞かれます。(主に会社で)
毎度のこと私の答えはNoなので、大概「勿体ないな」「上手いもん喰わないなんて、人生損してるぞ」と言われます。
正直、私にとってそれはどうでもいいことです。
私が旅をするのは、行ったことのない場所の空気や景色に触れることの新鮮さと喜び。再び訪れた際には懐かしさを抱きながら、前回訪れた時との差異を -気温や気候など- を肌身で感じ、目で、音で、匂いで感じる為であることが主です。
旅の楽しみ方は、人それぞれ。極端な言い方をすれば、自分が満足できる楽しみ方をできればそれで良いのです。
話は逸れましたが、食事を終えた私たちは、帰りの船を待つ時間を使い観光客が立ち入れる最上階の展望エリアへと足を運んでいました。
海鳥たちの鳴き声が木霊するその場所に出て、私たちは写真撮影と会話に華を咲かせました。
コロナ禍でなければ、恐らく展望エリアも人だかりができていたであろうその場所を、ほぼ独占していました。
私とたーぼぅさんの会話が、静かに交わされます。
コロナ禍のこと、仕事のこと。互いの健康のことや、趣味のこと。
そして今年は、これで最後の旅行になること。
それが、なんとなく漠然としながらも、どこか寂しい気持ちになりつつある私の思いを吐露していました。
湿っぽいのは苦手な私ではありますが、そんな私に、たーぼぅさんは傾聴してくださいました。
それが、どれだけありがたくて。頼もしくて、嬉しいことだったか。
私には血の繋がった兄がおりますが。
血は繋がっていないとしても、もう一人の兄として慕いたい。この人に甘えたい。
もっと、傍にいたい。
そんな軟弱で、甘ったれた思いすら込み上げていました。
それはともかく、思いを言葉にできなかったことを悔いる一方で。
無理に捻り出す必要もないのかな、などと思う自分がいました。
展望エリアの端にある手すりに肘を付き身体を預けながら、そやって思い感じている自分の気持ちは、何物にも変えられない真実であり事実であることが、わかったのだから。
伊豆大島を離れるまでの時間は、あまりにも短くて
カメラのシャッターを切ることに、会話に夢中になっている間にも、早くも帰りの便にして熱海行き最終便の船に乗り込む時間が迫ってきました。
たーぼぅさんの声を聞き、海辺へと目を向けると。
帰りに搭乗するジェットフォイルが、荒れる波を掻き分けて「翼走」してきました。よく見ると、先端にある翼と呼ばれる部分が立ち上がって海面を飛ぶかのように船体を浮かせています。
船が行き去った後方の水面が白く波立ち、ジェットフォイルの翼走により「切り裂かれた」とも呼べる跡のようにも見えます。
港に近付くに連れて。
翼部分が格納され、通常の船と同じ姿へと様変わりしていました。
乗船中は見ることができない、ジェットフォイルの変形とも呼べる機構を捉えることができ、「変形は浪漫」と思いながら。海上を時速80キロで進む為に熟考され洗練された技術を前に感嘆の声を出すことしかできませんでした。
伊豆大島を離れる時間がやってきました。滞在時間はたったの数時間でしたが、本州から離れた東京都であるこの地の空気に触れて、また一つ知らぬ場所をこの身を持って踏み込めたことと。
その帰りの船内で、ジェットフォイルが吼えながらも奏でる音色を背景に、すっかり値落ちしてしまいながらも。
もう一度、今度は時間に余裕を持ってゆっくり回りたい。そんな決意のようなものを、夢現で思いながら。
大旅行の終わりは、青空と共に
眠気眼で起きた私が状況把握した時には、船が熱海港に着岸手前のところでした。
凝り固まった身体をほぐそうと伸びている内に、ジェットフォイルは無事着岸。今回の船旅の終わりを告げました。
港を後にした私たちは軽い夕食を摂り、談話を重ねました。
話は、いつまでも尽きませんでした。
しかしながら、(私は船内で寝ていながらも)双方ともに疲労を隠せなかったことに加えて、翌日のことを考慮し早めに解散することといたしました。
車をメインにする旅としては最長となる、3箇所目のホテルまで送ってくださったたーぼぅさんに感謝の言葉と頭を深く下げながら、私たちは別れました。
来年こそ、コロナ禍が解消され自由に旅を満喫できることを。さらなる旅路を共にできることを、胸の中で静かに願いながら。
宿泊地に着いてすぐ、倒れるように寝入った私の意識が現実に帰ったのは、翌朝でした。
ホテルでの朝食を堪能し、私は8時前に相棒と共に伊豆の地を後にし出立していました。どこか後ろ髪を引かれるような思いに駆られたのは、きっと気の所為ではないと思いながら。
その道中、燃料補給しつつ休息の為に立ち寄ったコンビニから。
晴れ渡る富士山の勇姿と青空を拝むことができました。
その後は休憩を挟むことなく、地元長野まで愛車と共に駆け抜けていきました。3連休明けの道は空き、愛車を駆る喜びを噛み締めながら。
長野に入る頃には、伊豆の地より10℃近く冷えた空気が、私と相棒を待ち受けているのでした。
三泊四日の旅。
まだ20代前半で体力のある頃は、京都を五泊し名所を巡ることもありましたが、今の相棒と共に旅するようになってからは初めてとなる大旅行となりました。
新型コロナウイルスが蔓延し、満足に外出もできずに終わりそうだった2020年。車のオフ会や伊豆大島への渡航という、私としては大旅行と呼べる程の旅を経ることで鬱屈を覆しました。
同時に、数年前は人に会うことさえ嫌っていた私が。
この記事を綴る今では、寧ろ人に会い話をしたいとさえ思えるようになった自分が不思議に思うと共に。
車に会えたことで。恩人と思える人に、仲間と思える人たちに出会えたことが、私の生き方そのものを変えてくれたのだとしみじみ感じています。
過去にどれだけ深く、抉られるような傷を負っても。
人は変わることができるということを、この身体と精神で、思い切り感じています。
来年は、マスクなしで。思い切り笑い合える出会いと交流を、切に願いながら。
今回の旅でお付き合いくださった、たーぼぅさん始め。車仲間に、初めてお会いした方々に、この場を借りて深く御礼申し上げます。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【車・趣味】今年最後の大旅行 ~十月桜と二度目のジェットフォイル~
本日、今シーズン初となる氷点下二桁を観測しました。
私の住む地域から程近い菅平高原は、-20℃という想像もできないまでに冷え込む一日となりました。
日本国内において、最低気温を記録する野辺山高原、菅平高原、開田高原。
極寒地の三本指だけでなく、氷点下を連日叩き出してくる長野県ではありましたが。
近年気象異常により然程寒くならなくなったところから、いきなり襲い来るようになった今シーズンの冬。超極暖ヒートテックで内部から、こたつ・ガスストーブ・電気毛布の三種の神器で外側からもヌクヌク温まっている【やさぐれ紳士】白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
イヌたちと戯れるホテルで朝までぐっすり休むことができた私は、この日もブログ友であるたーぼぅさんにお世話になりながら、大旅行の続きを歩み始めるのでした。
今回は伊豆の名所を回りながら、人生二度目となる船旅を経て。
私が旅してきた中で二つ目となる離島、伊豆大島を巡った今年最後の旅を綴って参ります。
穏やかな伊豆に咲く、十月桜
目覚ましを前に目が覚めた私は、大きく伸びながらゆっくりと息を吐きました。
前日の疲れだけでなく、日頃積もりに積もったストレスや疲労が、一夜にして一気に溶けたような心地良い朝。多少の眠気は残っていたので、カーテンを一気に広げます。
眩むような陽光。全身を包むように温めるように、焦がすような陽の光が降り注いでいました。
宿のオーナーさんが喫煙を許可してくださったベランダに出て、紫煙を吐きながら眼下に広がる風景を見下ろすと。
昨日の曇り空や雨は、どこへやら。温もりに満ちた太陽と、それを反射する海。冬を目前にしても、南国の空気は私には暖かすぎる程でした。
海から流れてくる潮風も太陽の光も、小鳥の囀りも。
この季節では銀世界に覆われることもある山国生まれの私には、何もかもが心地好いものばかりでした。
チェックアウトギリギリまでのんびりと部屋で過ごし、宿を後にする時はオーナーさんの丁寧な挨拶と見送りまで受けながら、愛車へと乗り込みます。
甲斐犬たちと触れ合える、まるで家のような安心感と緩やかな雰囲気が漂う、今回お世話になったホテル。
次は、先代犬の跡を継ぐ新しいゴールデンレトリバーの子が来ることを願いながら、また利用したいと思うのでした。
さて、いよいよ旅の再開です。予め待ち合わせをしていた場所にて、たーぼぅと合流。立てていただいた計画に沿って、私たちは移動を開始します。
まず訪れたのは、大室山の麓に位置する桜公園。
標高580mと私の住む地元よりも低いながらも、海抜0から数キロで600m近く駆け上がることを考えると。伊豆が如何に起伏の激しい場所であるか、想像するのは容易いことを思い知らされます。
11月最後の三連休ということもあり、山頂へと向かうロープウェイは長蛇の列が出来上がっていましt。数年前とは言え、一度登った大室山ではなく向かった桜公園には。
4月と10月、年に二度咲く十月桜が儚くも可憐な花を咲かせていました。
中心は濃く、花弁は淡い桃色の桜。
寒さが覆いつつある伊豆半島の空気にも負けることなく、必死に、しかし立派な花びらを広げ咲き誇る桜たち。
数年前に、同じ伊豆の地で撮影会を行った河津桜とは色合いや勢いは控えめですが、同じ桜の仲間。
この桜公園では様々な種の桜が植えられ、ほぼ一年を通し桜を楽しむことができます。今回はこの時期に咲く十月桜の周囲を回って終わりましたが、一周するとなると小一時間は掛かる程度の広さのある、穏やかでゆっくりとした時間が流れる場でした。
が、私たちは次なる場所を目指し足早にその場を去ります。次に訪れた際は、もう少しゆっくりと歩きたいという思いを残しながら。
次に訪れたのは、お酒の販売店でした。
煙草の自販機やコカコーラの意匠を背にするベンチ。幼少期の頃を思い出させるような趣きの酒屋さんです。
数十年前、今は亡き祖父と共に出かけた際に立ち寄った自販機で、「?」のラベルが貼られた、ランダムで飲み物が出てくるものがありました。
当時の私は……5歳位だったかな。
祖父からお金を貰ってワクワクしながらボタンを押して出てきたのが。
ブラックコーヒー。
子ども心ながら飲めないものが出てきたガッカリ感を滲ませながら、泣く泣く祖父に缶コーヒーをぶっきらぼうにあげた。それを喜ぶ祖父の笑顔。
そんなほろ苦い……否。ただただ苦い思い出ですら蘇ったことはさて置いて。
こちらの酒屋さん、どうやらアニメにも登場する聖地となっているようです。
お店に入るや否や、所狭しと並んだそのアニメ関連のグッズ。この酒屋さんが登場する一面を切り取った、何枚もの画像写真が目に飛び込んできました。
……本当に、酒屋さん?と思いながら、私はお土産に名物の日本酒や焼酎、地ビールを買い漁り始めます。
他方でご一緒いただいたたーぼぅさんは、お店に勤める方が同級生とのことで、女将さんやオーナーさんと談笑していらっしゃいました。
たーぼぅさんとは、車を通して知り合って。オフ会だけでなく、個人レベルで車を走らせ楽しむプチオフに何度もご一緒させていただきました。私の中では知り合いを通り越し、今は友と認め合う、嬉しさと喜びを噛み締められる仲になったと思っています。
然れど。
地元で、昔からの付き合いや繋がりがあるだけで話が弾む姿を見た私は。
会計を済ませながら、少し嫉妬すると同時に。過去に、特に学生時代の。
かつて「友だち」と呼べる人間を全て切り、捨て去った私には。
自ら進んで捨ててきた癖に、交友関係を全て失った私には最早存在しない繋がりを垣間見たことで。
たーぼぅさんの持つ、対人能力の高さと人望のようなものが、何だか羨ましくなって。
私は、人として冷たくドライであることを再自覚するのでした。
この時はそんな詰まらない思いを飲み込んで、微笑を浮かべてやり過ごす狡猾な手段で乗り切りながら、心の中で溜め息を吐く自分がいました。
さて。そんなしみったれた、根腐りした思いは捨てて。
今この瞬間を楽しもうと、自分を叱咤した私は、友と共に次なる場所へと向かうことになりました。
が、しかし。
時間という制約が、私たちを容赦なく追い詰めていることに気付くのには、少し遅かったようです。
起動する音が心地好ささえ感じさせる、ジェットフォイル
というのも、前もって打ち合わせていた計画に支障を来す事態に遭遇しかけていました。
それは、伊豆という名が付けられながら住所は東京という不思議な離島である、伊豆大島。
その地に向かう為にジェットフォイルを予約してくださったのですが、出港地が熱海。三連休の最終日ということも重なり、下道は絶賛渋滞の嵐。車で行こうにも迂回路が存在せず、渋滞に特攻することは目に見えていました。
かと言って、電車ではギリギリ間に合うかどうかの瀬戸際。
悩む時間さえ惜しい中、私たちは電車で移動しつつ熱海の一つ手前の駅で降り、タクシーで熱海港を目指すのが最短と判断。
まさに時間との勝負といっても誇張ではない、ハラハラドキドキの時間でした。
結果的に、辛うじて拾えたタクシーの運転手の方(このご時世珍しい、マニュアル車を駆っていました)がベテランかつ地元を熟知していらっしゃり、最短ルートで送ってくださった甲斐もあり。
事前予約した出向便の出立30分前に熱海港に辿り着くことが出来ました。
予想以上に早く港へ降り立つことができた私たちは、乗り込む船を撮影する時間にも恵まれることとなりました。
群青色と白に塗装された、ジェットフォイル。熱海港は船乗り場近くでも緩いということもあり、比較的近場から船を撮ることができました。
こちらのジェットフォイル、たーぼぅさんの話によると先代が引退したことを契機に新造された機体であり、既存のジェットフォイルの中でも静粛性を始め洗練されているとのことでした。
しかしながら山国生まれにして山国育ちの私には船という存在そのものが新鮮であり、パッと見真新しく塗装されたように見える紺色が心を掴んで離すことはありませんでした。
出向時間が近付き。
海鳥たちが群がる、初島行きの旅客船を見送って。
いよいよ、私たちが乗り込むジェットフォイルの出立時間となりました。
たーぼぅさんの勧めで、愛機カメラである「PENTAX K-70」の録画モードを初めて使用し、ジェットフォイルの起動音から出向までを撮影しました。
同時に本ブログでは初となる、その一部を動画として上げさせていただきます。
船とは言え、航空機である旅客機と同格のガスタービンエンジンを搭載した本機の音は凄まじいものがあります。
ご視聴の際は音量を調整の上、ご覧ください。
動画冒頭に声が混じっていますが、これは昂ぶる感情を抑え切れなくなった私の声です。
単なる爆音でない、耳だけでなく、胸の奥を、心の奥底から震わせるような至高のエンジン音。
前回の佐渡ヶ島に向かう行きのジェットフォイルは、言い訳がましいかもしれませんが。
大勢の人々と前席に座す方が連れる小型犬のわめきが気になって聞き入ることは叶いませんでした。
今回は人も少なく、かつエンジンに近い座席を取ってくださったたーぼぅさんの粋な図らいにより、快音を堪能することができました。
人によっては単なる雑音とも、煩い音と思う方もいらっしゃるかと思います。
片や私は、HSPの、特に聴覚が敏感なこともあってか。
唐突の爆音ではなく、段階を経ながら最大出力まで唸り、吼えると例えられるその音は。
私には快音であり、気分と感情を高揚させるものでした。
これだけでなく、例えば新幹線や地下鉄のモーター音。車のエンジンが発する音や、排気音。
無機質ながらも、どうやら私はそういった音に惹かれ、心奪われることが多いことに気付かされました。
もしかしたら、ある種の音フェチなのかも……?
それはともかく。
最大時速84キロという、海上でありながら高速道路を走る車と同等以上の速度を叩き出しながら。
伊豆半島の遠目に、駆け抜けるようにして。
まだ見ぬ地、伊豆大島へと乗り込むのでした。
今回はここまでとさせていただきます。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
P.S
音フェチ、というものについて、興味深い文献を見つけ出しました。機会を見て、また記事にしたいと思います。
【車・趣味】今年最後の大旅行 ~犬好きオーナー夫妻のペンション~
長野県内では、各所で積雪が観測されました。
特に日本海側に近い長野市や飯山市は一日中雪が降り、世界をすっかり銀世界へと変貌させることとなりました。
本日も一日中白い結晶が降り降りました。そう言いながら、積雪よりも明日明朝の道路が凍結していないかが気掛かりで仕方がない【やさぐれ紳士】白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
数多くのクルマたちと、オーナーたる方々と出会い、お話しし、笑顔を零しながら再会を誓ったオフ会を終えました。
思わぬ形で富士山の麓が齎す寒さで体力を奪われた私は、この日身体を休める宿を目指し愛車と共に駆け下りていきました。
辿り着いたそこで、心を癒やしてくれる思わぬ存在と邂逅するのでした。
ホテルというよりも、ペンションという呼び方が正しいその宿泊施設を運営するオーナーさんは、物静かながらも温かみのあるご夫婦でした。
通された部屋は一軒家の一室を思わせるファミリールームで、一人占めするにはとても勿体ない程。しかしながら、ビジネスホテルのようなキチッと清掃された無機質感は皆無で、海辺に向かう窓を開放すれば潮風が吹き抜ける空間が広がっていました。
部屋一杯の温もり。思えば会社絡みの出張でも個人旅行でもビジネスホテルばかりだった私には、初めてとも言える雰囲気でした。
そしてこのホテルではオーナーご夫妻が何頭も保護犬を引き取り育ててきたと仰っていました。
ホテルの紹介ページには看板犬であるゴールデンレトリバーが載っており、穏やかな表情で宿泊者をもてなしていた、そうなのですが。
病気を患い、オーナーご夫妻に優しく看取られながら天国へと旅立ったそうです。
フロントに飾られたゴールデンレトリバーの子の写真を見た瞬間、何となくではありましたが。
虹の橋を渡ってしまったのだろうか、と薄々感じていました。
それだけで感情移入した私は思わず声を震わせましたが、命あるもの、必ず終わりはある。
一日で様々な思いと感情を受け取った私は、少し疲れていました。気を紛らわせようと部屋でブログを書いていると、何やら室外から賑やかな声が聞こえてきます。
持ち込んだお酒が切れてしまったことも重なったので、思い切って部屋の扉を開けると、そこには。
御年18歳となる甲斐犬のお父さんと、その息子兄妹たちが、別の宿泊者カップルと見られる方たちと戯れていました。
動物アレルギーを持つ方を気遣い、普段はフロントから出さないようにしているとのことでしたが、問題がなければ宿泊する人たちと会わせ遊ばせているとのことでした。
イヌ科の動物に目がない私は、図らずもその空気にご一緒させていただきました。
オーナーさんにバンザイさせられるこちらの子は、毛の色が虎のように綺麗な模様が特徴な男の子です。三毛猫のように褐色と黒の毛が並ぶ甲斐犬は「虎毛犬」とも呼ばれ、珍しいと共に希少とのことでした。
性格はオーナーさんの元へ行ったかと思えば私を含めた宿泊者たちの元に来たりと忙しなく動き回る、わんぱくという言葉が相応しい元気な子です。
オーナーさんにはデレデレのようで、されるがままの姿が可愛らしい。
一方で褐色の毛並みに身を包んだこちらの子は女の子で、快活な兄(弟?)とは対照的に落ち着きがあり堂々とした振る舞いを見せていました。
一時間近くだったかと思います。
ロビーを走り回る甲斐犬の兄妹と共に、オーナーご夫妻と宿泊するカップルの方々とイヌについて語り、触れ合っていました。
以前の記事で、動物を見るのは好きでも触るのはビビリで中々触れることができなかった私も。
褐色の甲斐犬(妹)が、私の足元で佇んだ際、思わずその身体を抱き締めていました。
狩猟犬として、基本的に主にしか懐かない勇敢な甲斐犬。
その毛並みを、怖くて震えそうになる手で、優しく撫でると。
嫌がる素振りも見せず、私の手を受け入れてくれました。
イヌならではのゴワゴワとした強い毛並みの中から溢れる、温かさ。
昼間の寒さが嘘のように感じられる程の、温もり。
十二分に堪能させてもらったと思った瞬間、今度は兄妹でじゃれ合い始めました。その姿はロビーを、私たち宿泊者をホッコリとさせるには十分過ぎる程でした。
現代社会において、己の地位や利権ばかりを気にして行動する御仁が多い中。
この甲斐犬の兄妹を含めて、イヌたちはどうしてこんなにも自由でありながら。
人を癒やしてくれるのだろう。
イヌたちに対する思いを語ってくださったオーナーご夫妻、そして甲斐犬たちとの触れ合いを存分に楽しみ、忘れかけていたアルコール飲料の補充の為に自販機に立ったその時。
私の両足の合間から、茶トラ柄の兄甲斐犬君が頭をすっぽり埋めて顔を出しておりました。
「ナニナニ、何かくれるの??」と言わんばかりに、目を輝かせながら。
理性が飛びそうになる寸前でした。もう、あれです。シチュエーションが最高。
「ダメだよ?これ、お酒だから」
自販機から取り出したビール缶を手にする私を、尚見上げ尻尾を振って表情を緩ませる甲斐犬兄君。
……そんな表情なんか見せられたら、本当に何かあげたくなるじゃないか。
然れど、人間でも度が過ぎれば毒なものは毒に変わりはなく。
「……ダメ、あげられないんだ。ごめんね」
思わず顔が綻んでしまった私を尻目に、何も貰えないことを悟った甲斐犬君はしょんぼりしながらフロント奥へと帰っていくのでした。
これまで私は、ホテルは身体を休めるだけの場所。人と触れ合うこと必要性などないと信じて生きてきました。
それが一瞬にして、見知らぬ人と接することも悪くないとさえ思える夜となりました。
予想もしない出来事に出くわしながら、イヌという動物が生んでくれた人との繋がり。
この日は寝床に付くまで、綻んだ顔を元に戻すことができないまま、疲れを感じながらも心を温められた私は眠りに就くのでした。
明くる日も、これまでの旅行の中でも大旅行となる時間は続きます。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【車・趣味】今年最後の大旅行 ~沢山の車たちに囲まれて、その2~
いよいよ寒さが本格的になって参りました。愛車が毎朝凍りつくようになって久しいながら、ついに路面にブラックアイスバーンが発生するようになってきております。
各地で車の事故が相次いでいるということもあり、年末年始の忙しさに惑わされることなく自分の地盤を固めて安全を心がけようと思う【やさぐれ紳士】白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
今年最後となる大旅行の序章にして最大のイベントとなった、車のオフ会。
前回に引き続き、今回も綴って参ります。
久方振りの再会を喜びながら、車について語り合う時間
約一年振りとなる再会を、喜びと同時に「このような世の中になり、すっかりご無沙汰となって」と悔いるような思いを吐露しながら、私は車を通して知り合い仲間となった方を中心に話を続けていきました。
皆から「師匠」と慕われる方のアクセラです。前回の記事で紹介させていただいたアクセラがモデルチェンジし、「アクセラ」の名を冠せられる最後の型となった車種です。
こちらは私の相棒と同じディーゼルエンジンを搭載している車種ですが、2200ccという排気量と「ツインシーケンシャルターボ」という大小二つのターボを載せています。
かつて同車種に同乗させていただいた時の、離陸する航空機を彷彿させる加速力とトルクの強さを堪能した時には、言葉も出ない程の有り余る力強さに感動さえ覚えました。
そしてこちらの「師匠」は私が初めて車のSNSに登録した際、真っ先にオフ会のお誘いをいただいた方でもあります。当時は人間不信甚だしく禄な人付き合いもできずにいた私は頑なに断ってしまいましたが、今ではお会いする度に即興漫才をするかのように会話をする程、仲良くさせていただいています。
私が、自ら大勢が集まるオフ会に参加するようになって。その一日が嘘のようにあっという間に過ぎ去る時間を共にできる喜びと高揚感を得られるようになったのは、自分で言うのも難ではありますが奇跡と好機に恵まれた結果だと自負しています。
人との出会いの場を蹴り飛ばして拒否していた数年前の自分を、今は少し恥じらい情けなかったと思いながら。
そんな私を受け入れてくださった方々には、ありがとうという一言では片付けられない思いが沢山詰まっています。それでも「世の中は敵だらけ」と信じて止まなかった私を救ってくださった皆さんには、今も心の底から感謝しております。
そんな中で師匠がボケた所を、透かさずツッコミを入れ、そこにボケを被せてくる師匠とのやり取りの合間は、堅苦しい思いすら忘れさせてくれる時間です。
お次は。
今のMAZDAが一押しする、赤のボディカラーのアクセラセダン。独自にパーツを取り付けながら正統派を崩さない、洗練された弄りが素敵な一台です。
曇り空とPENTAXのHDRを用いることで、カメラでは色飛びし易い赤も満足のいく映え方を捉えることができました。
このアクセラを駆る方も、私が初めて参加したオフ会で知り合って以降仲良くさせていただいております。物静かでありながら淡々と話を進める姿は、感情に囚われがちな私には見習いたいとさえ思う方です。
それでいながら隙きあらばカメラ片手に奔走する姿を見せることもあり、単独行動大好きな私は感化されてイベントそっちのけでご一緒させていただいたこともあります。
愛車の色と同じ熱い思いを抱きながら、自分の意志を貫き通す姿。お話していて楽しいながら、憧れすら抱くお方です。
ちなみに本オフ会では師匠相手に私と共にツッコミにツッコんで、私含めて笑い耽っていました。
まだまだ続きます。
今は無きロータリーエンジンを積んだ、RX-8。
十数年前、入社して幾ばくもない私。当時は車のくの字も知らず興味も抱いていなかった中、緊急の設備修理の最中乗せてくださった先輩が駆っていた車のことが、今も忘れられません。
RX-7。
90年代を風靡し、かの有名なガンダムの形式番号にさえ影響を与えたと言われる名機。
仕事場へ向かう途中、車のことやロータリーエンジンについて熱く語ってくれた先輩を前に、何も知らず興味も示さなかった当時の私は「はぁ……」と相槌を打つことしかできませんでした。
時を経て。
車を好きになり、ある程度ではあれど。
昔乗せて貰った車と同じロータリーエンジンを動力とする車を愛車とするこちたの方とは、数年前のオフ会でお会いし仲良くさせていただいております。
響き渡るロータリーエンジン特有の音響は、音に敏感な一方で拠り所にしている私には快音であり、心を、精神を震わせ高ぶらせてくれます。
会話を主としながらも盛り上がり、高止まりを知らない勢いのオフ会。
しかし、天候は反比例するかのように、陽光を遮り会場を深い霧で覆い尽くしていくのでした。
初めてお会いする方々も、車を趣味にしていることに変わりなく仲良くなって
視界数十メートルという白い世界に包まれ、冷たい風が容赦なく叩きつけるようになって参りました。
寒さには厚着で対応する、長野生まれにして育った私も、手がかじかみ体温と体力を徐々に。しかし確実に奪われていきました。
それでも、オフ会の終了まで粘ることを選んでいました。
参加を表明した当初こそ、途中で離脱することを念頭にしておりました。
然れど一度浸ったオフ会の雰囲気は、易々と帰ることを躊躇う程になっていました。
その中で、これまで顔は拝見しながらもお話ししたことがなかった方も。
完全に初見ながらもお話しすることで、交流を深められた方もいらっしゃいました。
カメラを握る手すら満足に動かせず、話すことを切っ掛けに仲良くなる第一歩を踏み出せた方が多い中、その愛車を収められなかったことを悔い、申し訳なかったと思いながら。
前回の記事で語らせていただいた、マツダスピードアクセラ。オーナーたるご本人は目立つ弄りもせず面白みのない車と仰っていました。
しかしながら。
弄るとしても車本来が持つ見た目を残しながら、を矜持とする私としては、外見を大きく崩す弄り方よりも共感できるものがありました。
何よりも。
オフ会では自己紹介と愛車を示す一枚紙を用意するのが多い中で、ご自身のHNを懇親の一品で表したその姿に盛大に笑いながらも、センスの素晴らしさに圧倒されました。
そして、もう一台。
HDRの度が過ぎてしまい、油絵のようになってしまいましたが……。
ファミリア、アクセラの名を継ぎ、新たに「MAZDA3」として生まれ変わった、白のMAZDA3。今回のオフ会はアクセラが圧倒的多数を占める中、唯一無二の一台として鎮座しておりました。
私も試乗を通して、アクセラから進化した技術と車体自体の素晴らしさを実感しながらも。一人のオーナーさんが駆る一台として間近に見るのは、これが初めてのことでした。
これまで車のSNSで発言こそ拝見しながら、声の一つも掛けられなかった私でした。しかしいざ対面しお話しさせていただきとても気さくながらも芯の通った方でした。
初対面を極度に恐れ避ける傾向が強い私にも、優しい声を掛けてくださいました。それでいながら「師匠」とのやりとりを眼前で披露され、笑いを堪えることは叶いませんでした。
来年こそ気兼ねなく車仲間が集まれることを願いながら
これまでお会いした方も、初めてお会いした方とも、車という共通の趣味を通しながらも楽しく過ごす時間。
刹那、と言っては過言になるかもしれません。然れどいつの間にか、閉会の時間となっていました。
2020年。新型コロナウイルスという脅威を前に様々な制約を余儀なくされた一年でした。
そのような逆境の中、開催してくださった主催者の方を始め、スタッフを務めてくださった方々に感謝の意を表し。
否、それ以上に。
国が、政府が、政府でさえ。まともな対策を打とうともせず根性論と精神論を押し付けて辟易する中。
楽しい時間と場を用意し提供してくださった皆さんに、この場を借りて心から御礼を申し上げます。
そして。
世間に疎い私を誘ってくださり、このオフ会を共にし楽しませていただいた盟友へ。
この上ない謝意と、歳の差はあれど仲良くさせていただいていることに。
言葉では言い表せない思いを抱きつつ、それでも純粋に「有難う」と申し上げます。
もう一人。
無機質に、「一台」と言いたくない程になった相棒に。
2020年を締め括るオフ会を開催してくださった全ての方々に、参加された方々に。
心より、御礼申し上げます。
これにてオフ会は終わることとなりました。
然れど今年の、これまで愛車と共に過ごしてきた中でも最大の大旅行となる旅は、まだ始まったばかりでした。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【車・趣味】今年最後の大旅行 ~沢山の車たちに囲まれて、その1~
冬将軍の到来が予報され、いよいよ以て寒さが堪える日々が始まりました。
日陰になる場所はブラックアイスバーン特有の反射を見せ始め、朝夕の車での移動に一層の注意が必要となって参りました。
それ以上に、朝の暖かなお布団から出ることが早くも困難になり始めて「あと二時間位はじっとしていたい……」と思うようになっている【やさぐれ紳士】白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
寒さが厳しくなる直前となる、11月の終わり。
今年最初として最後となる、車のオフ会に参加して参りました。
コロナ禍で開催さえ危ぶまれ、次々と中止となる中……。
富士山の麓にある水ヶ塚公園にて開催された、「富士山山嶺」の駐車場で開催されることとなったオフ会。
然れどこのオフ会は、これまでのそれとは参加募集や趣旨が異なる、新しいものとなりました。
今回は今年最後となる大旅行となった、第一日目。富士山の麓で行われた車のオフ会に参加させていただき、新型コロナによってすっかりご無沙汰となってしまった方々に出会えた喜びと嬉しさ。
それと共に、以前とは違う募集方式によって新たな出会いを果たすことができ、人と接する新たな機会を得られたことを、綴って参ります。
初となる、Twitter主体による車を趣味とする人々の集い
それは、あまりにも唐突のことでした。
普段より仲良くさせていただいている友から、「Twitterでオフ会を計画しているけど、どうする?」と言われたのは。
Twitter。私のような人間は事ある毎に発言できるような人間ではなく、経験したことを積みに積んで文章にしていく分類の人間でした。
それとは真逆に位置する、今この瞬間を短い言葉で発信するTwitterは、登録こそしていたもののROM専(投稿を見るだけで、自分から発言をしない人のこと)を貫いていました。
そんな中、元々車のSNSを通して知り合った方々もTwitterで積極的に活動しているという話を聞きました。
対して私が大きく変わることができたきっかけとなった車のSNSは、残念ながら改悪を重ねた結果、過疎化が進んでおります。
言い方は悪くなることは承知の上ですが、変動する情報の流れに付いていこうとしない運営の考えが滲み出てしまった結果と言い換えることもできます。
然れど、失礼ながらも私から言わせていただくのなら。
内気で外に出ようともしなかった私を変えてくれる切っ掛けとなったSNSが過疎ってしまうことは、残念に思うとともに虚しささえ感じてしまいます。
それは兎も角、これまで半ば蔑ろにしてきたTwitterでオフ会の開催をされていることを知った私は友に依頼し、参加させて欲しい旨を伝えました。
一ヶ月ほど経った頃でしょうか。
その日が、遂に訪れることとなりました。
今までとは異なる、Twitterを元にした車のオフ会。大きな不安と好奇心を抱えながら、会場に向かうのでした。
富士山の麓に集まった車たちに囲まれて
オフ会を前に、私は開催前日に現地近くまで移動し前泊することにしました。ちょうど休日出勤しなければならない日程と上手く重なったことで、混雑する時間帯を避けて気持ち良くドライブすることができました。
オフ会前日は、雲ひとつない秋空の元、愛車と共に目的地までまっしぐら。その途中。
※ドライブレコーダーから動画から切り取った一枚です※
長野から山梨に入った直後、目の前には堂々と鎮座する富士山の勇姿が広がっていました。
これまで何度も富士山を拝める場所を走って参りましたが、この日程綺麗で雄々しい姿を見ることはありませんでした。
更に、富士の魅力を見せ付けられることとなりました。
ドラレコの配置の都合上余計なものが入り込んでしまっていますが、山頂付近に積もった雪でさえくっきりと見ることができました。
雄大で日本の象徴の一つとも呼べる富士山。それを間近で、曇りのない空の下で拝めたことで、私の心は躍動し続けました。普段なら雲が掛かった富士を見て「やっぱりでかいな、富士山は」程度の言葉を零すことしかありませんでした。
しかしこの日は、ハンドルを握りながら、私は出す言葉を失っていました。惚けるように、目の前の山に見入っていました。(運転中そんなことをしたら危ないので、実際はチラチラと視線を移す程度でした)
オフ会当日も、晴れ渡った富士の麓での交流を楽しみにしておりました。
然れど、自然は酷なものです。
その日を迎えた、会場となる水ヶ塚公園駐車場は雲と霧に覆われることとなりました。富士山の山頂はおろか、麓も見えるか怪しい気候となりました。
ですが、企画から当日の運営まで司ってくださった主催者の方、誘導含め会場を纏めてくださった方々のお力の元、オフ会は開催されました。
ここからは、参加された方々の愛車の写真を列挙して参ります。
まずは主催してくださった方の愛車です。
これまで本ブログで度々紹介させていただいている我が相棒とは形も見た目も別物に思う方もいらっしゃるかもしれません。しかしながら、この車もアクセラです。
少しだけ補足させていただくと、MAZDAという車メーカーが大衆車として世に繰り出した「ファミリア」という車がありました。今は亡き私の祖父も、ファミリアに乗っていた時期があったそうです。
その後継機として発表され、名前を変えて売り出されたものが「アクセラ」です。
今は更に名前が変わり「MAZDA3」として販売されていますが、未だにアクセラの名を冠せられた車たちは元気に走り続けています。
その中で、主催者さんが今も愛しているこの車種は(前期や後期といったマイナーチェンジを除いて)二世代前の型です。加えて今では半ば普遍化しつつあるダウンサイジングターボエンジンという考えを覆す、2300cc+ターボというモンスターマシンと呼ぶこともできる「マツダ スピードアクセラ」という代物です。下手なアクセルワークをしようものならホイールスピンを起こすという馬力は、MAZDAを知る者なら伝説とも名車とも言える車です。
主催者さんの愛車は、それだけで留まりません。何が凄いかと言うと、車の九割近くをラッピングという手法を用いて自分色に染め上げている職人技にあります。
写真ではシルバーに見えてしまいますが、実際は車体の局面や部位に合わせて精巧に組み合わされたラッピングシートが綺麗に貼られ、元だったボディカラーすらわからなくなる程です。
プロ顔負けの技術の結晶、その持ち主でいらっしゃる今回のオフ会の主催者さんとは、私が初めて車のオフ会に参加してからの顔なじみとして仲良くさせていただいております。
お次はこちらの方の愛車。
別会社の車もお持ちながら、同じ型のアクセラを駆る二刀流の方の愛車です。こちらの方も初めてのオフ会で知り合いとなってから、何かとお世話になっております。
外見はアフターパーツを用いず原型を保っていらっしゃる愛車は、飾り気なくシンプルでありながら美しさを両立するスタイル。主催者と同じ型の車でありながら、両極端に位置する。それでも、双方ともに華麗さを際立たせています。
続きまして……と言って、「ん?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。
はい、レクサス「NX300」です。
こちらの方もかつては同じマツダスピードアクセラを駆り、現在はレクサスも所有していらっしゃいます。初めてお会いしたのは、宮城にあるSUGOサーキットでサーキットランと伝説のレーシングカー「MAZDA 787B」の走行会の機会を作ってくださった頃からのお付き合いです。
アクセラという車種がメインと謳われつつも、どんな車で来てもウェルカムなオフ会となった今回を象徴する一台でした。
まだまだ続きますが、本記事は一旦区切らせていただきます。参加された方々の紹介は、次の記事でも綴って参ります。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。