【HSP・生き方】人と会わない生活 ~人間関係のストレス~
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食料品の調達や、嗜好品を買い求める為に赴くスーパーやコンビニ。
店員さんと客との間に、飛沫による感染防止用のビニールシートが張られて久しくなりました。
お金を渡す時も、お釣りを受け取る時も、直接的な手渡しは厳禁とされるだけでなく。
唯でさえ声量の小さい私は、マスク越しでは更に声が小さくなって。以前にも増して、「え?」「もう一度お願いします」と言われることがすっかり増えております。
その度に「すみません」と謝罪しながらも。元々人との会話が苦手で、紆余曲折を経て嫌うようにすらなった私は。
人との接触を物理的に遮断しなければならないまでに、この国が。世界中が追い込まれていることを痛感している、白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
新型コロナウイルスの驚異を前に、常識や普通とされてきたものが崩れ去ろうとしていることを述べました。
それを機に、私の中で前記事とはまた別のものが変わろうとしています。
感染症を防止する。それが大前提であることは重々承知しております。
しかし人と接触しないこと、特に会社で施行されている在宅勤務を重ねていく内に。
人と会わない生活と時間が増えたことは、確かな事実であり。
個人的には、そこから逃れられないプレッシャーやストレスを感じていたことを、改めて知るのでした。
今回は、人と会い、生活や仕事を共にすることによっては喜びや楽しさを齎しながらも。大半はストレスや苛立ち、不安の元になりかねないことを。
人と会わない生活が続くことにより変化していていることについて、特段後者について感じ続けてきた私の経緯を交えながら、綴っていきたいと思います。
- 人と会うことに緊張しながらも、どこかで興味を求めていた
- 様々な契機に、出会いが苦手から嫌いに変わっていって
- 会社でもストレスだらけだった人間関係
- 人と会わない生活に直面して
- 人間関係のストレスから解放されつつある今
人と会うことに緊張しながらも、どこかで興味を求めていた
本ブログを立ち上げてより再三申し上げてきましたが、私は元来人見知りが激しい人間です。
初対面の方とは会話はおろか、顔を合わせることさえ躊躇ってしまう程です。
学生生活だけでなく。社会人となってからも、趣味の延長で車のオフ会であっても。
周りが積極的に声を掛け合って、会話に華を咲かせたり盛り上がる中で。
それが出来る人たちが眩しいと思える程羨ましく思いながら。
どうして、自分は壁の花になってばかりいるんだろう。
そんな自己嫌悪に似た思いを、抱き続けてきました。
私が運良く交流関係を持てるようになるのも、大概は受動的で後手後手。それ故に、周りの関係がどんどん強固になっていく中で、取り残されていくような思いに刈られることも多くありました。
しかしながら。
目の前の人たちは、どんな口調と声色で接しているのか。どんな話題で盛り上がっているのか。
そんなものを、直接目を合わせることが苦手な私は遠目で、まるで観察するかのように見ていました。
人によっては卑怯者のような動きをしながら、そうやってでしか人を見られなかった私は。自分が臆病者でありながら、好奇心だけは旺盛な面倒な性格なんだろうと納得させてきました。
今では、自他の境界線が人よりも薄く、微妙な視線や声といった刺激でさえ拾ってしまい自分を簡単に失いかねない一方で、好奇心と興味は時としてそれを凌駕するHSSとHSPという気質があることを知って。
それらが私の人との関係性を結びつけることを難しくさせ、時には遠回しにさせてきていたのだと、何となく理解するに至っています。
様々な契機に、出会いが苦手から嫌いに変わっていって
これは今だから言えることではありますが。
現在の私は、幼少期の頃よりも人に対する警戒心がより強くなるだけでなく。
最悪、仲良くなれなくても良いや、と投げやりにも近い感情が根付いています。
顕著になったのは、私の場合はやはりイジメです。
それまでは、兄が比較的友人の数が多かったということもあり。
友達が少なかった私は、それを次第に羨ましがるようになって、先述した性格を強引に無視するかのようにして。
友達の数を一人でも増やそうと、躍起になっていたことさえありました。
それでも、持ち得た性格や人との接し方は変えられるはずもなく。一度仲良くなりかけた人でも、私よりもずっと素直で面白みのある人たちが現れる度に、少しずつ離れていって。
やっぱり、私には人と仲良くなるなんて、無理なんだろうな。
そうやって勝手に諦めかけていた矢先の出来事でした。
根源の主犯に煽動される形で私を拒絶した、それまで「友達」だった人たち。
人が離れてく不安。無視される恐怖。それでも世間体は、同じクラスメイトとして扱われる理不尽さ。
それらを前にして、私は友情や関係を続けることにシガミツクようなことはしませんでした。
「友達100人できるかな」という概念に、学校というものに入学して10年足らずで疑問と憤りを覚えると共に。
寧ろ人間関係を続ける上で、痛みや怖さを抱く位なら。
私には、そんなもの要らない。
そうして、人と向き合うこと自体を避けるかのようにして。私は自ら、人との関わり合いを避けて来ました。
そんな私の態度に、向き合わずに逃げるな、と言う方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、イジメだけでなく、何かしらの形で人間関係をこじらせた経験を持っている人には。
少なくとも、イジメという形で人間関係に対する意識を歪ませた私は、はっきり言えることがあります。
そのような激励とも叱咤とも取れる言葉は、届きません。下手をすれば逃げることが罪だ、という意識を植え付けかねあい、危険な言葉です。
そんな思いと共に、私は人との出会いが苦手から嫌いと化していくのでした。
会社でもストレスだらけだった人間関係
学校という閉鎖的空間から、ようやく抜け出した先に待っていた、社会人生活。
入社当初は、私が嫌っていた人間関係よりも、仕事を遂行することが優先される。
そんな身勝手な思いと共に始まった会社生活でも。
結局、人間関係は切っても切れないものであることを思い知りました。
然れど幸いなことに、同世代との絡みに苦手意識を持っていた私には。歳が大きく離れた先輩たちとのやり取りは、比較的円滑に進めることができました。
でも、相性が合わない人はどうしても出てくる訳で。
全てが全て行くはずなどなく、業務の内容よりも、人間関係でストレスを大きく溜める場面に沢山遭遇して参りました。
その煩わしさにも、人間の能力である「慣れ」を以て適応してきた最中。
思いもよらぬ形で、人と接触する機会を物理的に絶たれる日が、唐突に訪れました。
新型コロナウイルス。今尚様々な利害や思惑が錯綜する余りに何ら進展のない、私権ばかりが奪われる緊急事態に。
否、異常事態に見舞われる今日も続くこととなりました。
人と会わない生活に直面して
唐突の緊急事態宣言や、会社からの在宅勤務や通勤経路の変更、勤務時間変更を求められる等。
皆さんも前準備もままならない状況からの要請に対し、戸惑ったり様々な困難に出くわしたことと存じます。
私も4月中頃から在宅勤務に向けた機材や環境準備を、自分だけでなく職場中の社員に対しても行い、何とか数日で環境を整えることができ在宅勤務に入っています。
基本的には有事がなければ出社せず、社員からの在宅勤務やネットワーク機材の問い合わせに対応する、ヘルプデスクのような仕事を自宅でこなしています。
最初こそ電話音声でしかやり取りができないことに不便さを感じていたものの。
日が経ち、平時ではあり得ない勤務形態に適応していく内に。
喩え自社の上司や社員であったとしても、人と会わない生活に、心地好ささえ感じています。
それだけ、人と共に生きることに生き辛さやストレスを感じてきた自分が、不器用さや人間嫌いさを払拭できずにここまで来てしまったことに気が付くと同時に。
仕事だけでなく、学生の授業形態でさえ、従来のやり方を踏襲し続けるだけでなく。
考え方ややり方次第では、様々な可能性があるのではと、思えてなりません。
人間関係のストレスから解放されつつある今
こんなことを言うのは、不謹慎なのかもしれませんが。
私は、若い頃に人間関係で挫折して良かったとすら思っています。
仮に今、人間関係に起因する問題を抱えていたら。
会社生活を続けられたかどうかも怪しく、下手をすれば退職という道も選んでいたかもしれません。
逆にネットニュースでは自粛や在宅のストレスが積もりに積もって。
限界が来たことで、DVや非行に走るケースが増え始めていると報道されています。
そうでなくても、人と会えないこと自体にストレスを募らせて。
部屋飲みとSNSを組み合わせたオンライン飲み会というものも流行していると聞きます。
そう考えると、未曾有の事態を前にしても。良くも悪くも、人それぞれの思いや個性が出てくるのは自然なことなのではないか、と思えてなりません。
その一つ一つに賛同や否定があるとは、私は思いません。ここまで来てしまった以上、他の誰かの行動を批評すること自体、烏滸がましいとさえ思っています。
皆さんは。
会いたくても人に会えないこの異常事態を、どう捉えていらっしゃるか。
そして、その思いをどのような形で吐き出していらっしゃいますでしょうか。
そんな中で、私のような変わり者もいます。
元々インドア派である私には、例えば出社しなければならないことは時としてプレッシャーとなることもあります。人と出会いやり取りするだけでも、無駄に顔色を窺って勝手に疲れ果てて帰ってくる日もありました。
そんな人間には、この現状は無意味なストレスを排除してくれる時間とさえ感じています。
最近ではよく、「おうち時間、どうしていますか?」という文言を見かけるようになりました。
私の場合、ではありますが。
身内が全員独りの時間を大切にしたいということもあり、家の中でも特段居心地の悪さは感じてはおりません。
逆に通勤時間に費やされていた時間を、ブログを書くことで自分自身と向き合う時間が増えたこと。
そして私が好む、文章を書くという時間に割けることが、一番のストレス発散となっています。
願わくは。
収束した暁には、これまでの慣習に囚われ続けることがないように。
多種多様、個性という概念を重視しようとしている社会が、本当の意味でそれを実現できる世の中が来ることを、密かに願う私です。
無論、一番は。
新型コロナウイルスが元となった災厄が、一日でも早くなくなることを。
これまでの日常生活を、少しでも早く取り戻せる日が来ることを願っています。
今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
暇を持て余して衝動買いした、3Dパズルのオオカミ。
些細なことですぐ動揺し、ストレスを感じてしまう私と違って。
遠吠えする彼ら彼女らの、強さと孤高さ。
今でも、私の憧れです。