白兎と雪狼の、果てなき旅路

ドライブやドライブや写真撮影を趣味とし、その他、HSPやAセクシャル、イジメ。精神的・心理的なことについて綴っていきます。

【HSP・生き方】理解を求めるより、自分らしさを ~理解される努力よりも、自分を大切にする努力を~

 学生の頃や社会人になりたての頃は、一年という時間が物凄く長く感じて仕方ありませんでした。

 一年どころか、一週間が、一日があまりにも退屈で、変わりない毎日に嫌気が差していました。

 

 それが三十路を過ぎた頃からか。一日や一週間が過ぎ去るのが遅いと思うことはあれど、時間が過ぎ去るのがとてつもなく早く感じるようになっています。

 今年も、その一つ。気が付けば極月です。あと一ヶ月足らずで2020年も終わってしまいます。

 時間が早く過ぎ去ってほしいと小さい頃から願い、早く歳を取りたいという年齢不相応な考えを持ち続けた私には、今がちょうどいい塩梅な時期なのだろうなと煙草を吹かしている【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 コロナ禍で始まり、コロナ禍で終わりを迎えようとしている今年は。

 大勢の方がコロナウィルスの害を被り、亡くなった事実を受け止めながら、お見舞いとご冥福をお祈りすると共に。

 良い意味でも悪い意味でも、私たちヒトが生きる意味を考えさせられ、多様な生き方が見直される一年になったかと思います。

 これまでの私生活に始まり、会社や学校、人との触れ合い方が次々と考え直される中で。私は、個人の生き方や考え方も尊重され重視されるような時間となったと考えています。

 ことさら、生き辛さや息苦しさを感じて一日を送るのがやっとだ、というHSPの気質を持つ方。それだけでなく、HSSや双方を含むHSS型HSP、そしてHSSとは思えずとも外交的なHSPの方まで。

 或いはそうでなくても、恒常的に人との繋がりを求めたくない人にとっても、人と物理的に距離を置くことができることを実感できる一年になったのではないかと思っています。

 

 そんな私たちは、周りから理解を得られることはまずないと考えています。

 目に見えない、心の持ちよう。それが病気でないのだから、尚更「人付き合いが悪い」「絡みづらい」と思われても不思議ではないからです。

 それが、コロナウィルスの蔓延によってテレワークや外出自粛という名目で人と離れる機会ができたことで、自分という人間を見詰め直す機会に巡り会えた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

 今回は、その当事者の一人であるHSS型HSPを自認する私が改めて人と接することを見つめ返したことで。

 最後は、自分を理解できるのは自分しかいないことを再認識したことと。

 それを他人に理解を求めても、何も始まらないことと。理解されることよりも自分らしさを大切にしたいと思ったことを、過去とこの一年で私が感じ思ったことを交えながら、綴って参ります。

 

 

 

 

 

 

 息苦しさや生き辛さ。それをわかってあげられるのは、自分だけ

 

 人と会うだけで疲れてしまう。

 様々な場所から齎される情報が多すぎて、頭が一杯一杯になって他のことを考える余裕がなくなった。

 ニュースや報道を見ていると、何だか自分のことのように思えて苦しい。

 周りの人と、自分は何かが違う気がして嫌気が差した。疲れて苦しくて、幻滅した。

 

 ネットやその他情報源が指し示す、HSPの兆候や心境を簡単に列挙しました。

 

 その中で、ご自身が幾つ当てはまるか?……と質問形式で提示され、答えによってHSPか否かを診断するのが一般的な手法であると思います。

 

 私としては、間違った方法ではないと思っています。

 敵を知り、己を知ればという故事成語があるように、まずは自分がどんなことを思っているのか、どんなことに気が向いて仕方がないのかを知ることが、第一歩であると考えている為です。

 

 が、しかしと付けさせていただきます。

 この世の中に生きる中で、何となく息苦しさや生き辛さを感じて。その原因を知りたくて検索すれば、そのような診断サイトやアドバイスサイトにたどり着くことが容易になっています。

 逆に言えばこの手の診断は、飽く迄普遍的で統計的情報を元に作られた質問群です。万人向けかもしれませんが、事細かに自分を知るという目的には向いてはいません。

 人間は性格から考え方、価値観まで、それこそ星の数を数えるのと同意程の違いや差があります。

 言い方は悪くなりますが、それをたかがネットの診断程度で「俺ってやっぱり変わっているんだ」「私はHSPやなんだ!」と判断するのは早計な気がしてなりません。

 

 指標として使う分には、私も同意できます。寧ろ否定どころか賛同できることと思います。生きることに違和感を覚え、自分を知ろうとする切っ掛けを創ることは難しいと共に、それを実行できる人は少ないと思うと共に尊いことだと私は信じています。

 然れど、それで満足して終わって足を止めてしまってはダメな気がしてなりません。

 そのような診断をして、質問内容に少なからず「ん?これは違うかも?」や「何を聞きたいのか、ちょっとわかんないな」と思うことがあると思います。

 決め付けにするつもりは毛頭ありませんが、生き辛さや息苦しさを何とかしたいと思い、進んで行った方は、必ず引っかかることが生じると思っています。

 

 私もHSS型HSPを自負していますが、始めは体の良い診断結果に満足した結果、長年違和感を抱き続けることとなった経緯があると共に。

 診断だけではわからないことは、自分の中に眠っていることに気付かされた現実がある為です。

 

 統計などではわからない生きることの辛さや息をすることさえ苦しい思い。それは決して機械が判断できるものではありません。

 全ては、そう思い感じた方の胸中に、奥底に眠るようにして根付いているものだと思うのです。

 

 

 自分のことさえわからないのに、人に理解を求めても

 

 本記事はHSPに特化させ綴っておりますが、そうでなくても、自分のことを完全に理解して生きている方はほとんど皆無と言っていいと、私は考えています。

 知識や学力といったものである程度は取り繕うこともできますが、人間という生き物は、最後は自分自身が内包する思いや考え方に帰着すると思います。

 

 何だか、生きていて窮屈な気がする。人と一緒にいても楽しめない、もしくは最初は楽しくても別れと同時に疲労が押し寄せる。周囲の空気が何となく気持ち悪くなって、その場から一刻も早く出たくなる。

 これは「自分でもよくわからないけど、何となくそんな気分になる」と言い換えることができると思います。

 

 では逆に。

 そんな心境に陥った時や日々思っていることを、他人に説明しろと言われれば、どうなるでしょうか。

 

 とても難しいことだと思います。

 仮に話をしたところで、「気のせい」「思い込みすぎ」「それ、言い訳?」と言われる未来が見えてしまいます。

 何故なら、言葉や理屈では説明がつかない思いの塊であると同時に。科学的根拠や医学的に説明ができるようなものではないからです。

 もう少し踏み込むと、自分でも明瞭でないモヤモヤとした感情や思いが纏わりついているだけで必死なのに。

 

 他人に説明できる余裕など、どこにあると言えるのでしょうか。

 喩え訴えることができたとしても、真の理解は得られないと私は思えてなりません。

 

 

 という私も、散々そのような思いに刈られ、人を忌避して避ける日々を送ってきた過去があります。

 自分のことも、己が抱えている思いも感情も理解できないまま、魂がすっかり抜けた状態で20代を費やしたと言っても過言ではない程です。

 それでも、他人が、周りが齎す怒りや悲しみといった感情が勝手に入り込んでくることが、苦しくて。避ける為なら、どんな方法をも用いてきました。

 自分に関する質問ははぐらかしたり無視して。会社に付き物の飲み会でも人の話を聞くことに専念していました。

 そこはHSPの特徴である、傾聴し共感すること。そして元来聴覚に敏感だったこともあり、然程苦痛に思うことはありませんでした。

 

 でも、今思えば。面白くもない話を聞いている時間が、とてつもなく無駄で詰まらないと思って仕方がありませんでした。

 他方で、自分でもよくわからない、自分自身という人間を知ってほしいと訴えようと喉元まで出かかって、最後は飲み込むという葛藤を味わい続けてもいました。

 結局、言い出せないまま悶々とした日々を過ごし、それを他人のせいにして不貞腐れた生き方をしてきた気がします。

 

 私という存在を理解されたいという気持ちと、他人に絶望し諦めている思い。

 相反する思いは最終的に解決どころか、一層人を疑うこととなり果てていました。そして、人との溝を埋められない程にまで、自ら広げていました。

 他の誰でもない、私自身の手で。幾度も裏切り裏切られて穢れ切った、この手で。

 

 

 

 皆が皆、同じ感覚や思考で生きている訳ではない

 

 

 人との違いを感じ、自ら離れるような態度を取り始めてどれ程の時が経った頃か。

 相変わらず周りとの付き合いを拒み、淡々と仕事をこなしては定時で上がる。仕事をする面白みも何も感じない日々を送っていました。

 

 そんな私のような性根が腐った人間にも、唯一心を開ける相手がいました。入社し初めての配属となった場所で、新入社員時代の苦楽を共にした同期の存在でした。

 彼は何を言われても、催促されようとも、ひたすら自分のペースを守る人でした。仕事の配分だけでなく、休憩のタイミング、挙げ句には食事に行こうとする時間帯も絶対に曲げない人間です。

 せっかちな私は食堂が混む前に行こうと仕事を急いで片付けても、彼は自らの生きるテンポを決して変えようとしませんでした。早く行こうと言っても、「まだ早い」「ちょっと、人がいなくなった時を見計らって」と諭す程でした。

 

 でも、休憩に入った途端に和気あいあいとスマホでストレスを溶かす日々を一緒に過ごしていました。私とは全く違うのに、何だか歩調が不思議と合っている、そんな印象を抱き続けていました。

 

 ある時、何となくではありますが、私は気付いたような気がしました。

 この同期といる時は、気を安らげるのは確か。しかし、私の主張を簡単に受け入れるような人ではない。寧ろ自分というものをしっかり持ち、それに基づいて生きている。かと言って、彼自身の考えを押し付けようというつもりはありませんでした。

 なら、私も「押し付けがましく理解を求める」よりも、「自分が思った通りに、貫いて生きてみてもいいのかな」って。

 そう。これまでもそうだった。私は周りに求めるだけ求めて、返そうともしないまま生きてきてしまいました。

 私にも非はあり、罪も多くあります。

 然れど、結局は自分という存在を出しきれなかったことに尽き、これまでの私の全てと言っても過言ではない生き方でした。

 

 そんな生き方、もう辞めにしよう。

 人に求めることを、理解される為に自分を売るような生き様なんて。

 

 

 

 理解を求めるよりも、まずは自分らしさを大切にすること

 

 

 そう思ってから、守るべき礼儀は自分なりに押さえながら。親しき仲にも礼儀あり、という矜持は守りながら。

 私はプライベートでも仕事でも、上下関係を気にして生きることを辞めました。

 

 立場が上だから、何?偉いから、何?周りがヨイショするような相手が、何?

 

 そのような思いが、私の行動理念になって久しくあります。それによって咎められても離れられても、あまり傷付くことはなくなりました。

 孤独の最中にあったイジメ時代、周囲の視線に怯えながら辛うじて命を繋いでいた自分が嘘のように。自分で言うのも難ですが、私は変わることができたと思っています。

 

 

 自分よりも人に存在意義を求めることは、ある意味簡単でありながら依存し易いです。私はその傾向が強かったこともありますが、その状態から抜け出すことは勇気と覚悟が必要になります。

 共感性が高く感受性が強いHSPは、自分という存在自体が他人と違うと認識しがちかと私は思っています。故に人に認めて欲しい、助けて欲しいと縋ってしまう可能性が高いと考えています。

 

 でも。

 現実はそんなに優しくありません。これは経験的にも自信を持って言えます。

 

 ならば媚びを売るようにして理解を求めるよりも、自分という存在を。自分らしさに耳を傾けて大切にすることが、尊いと共に大事なことだと思います。

 

 今もし、貴方が生き辛さや息苦しさを感じているのなら。

 それは、周りが齎したものでしょうか。恐らく、違うと思います。

 その思いも、気持ちも、感情も。全ては貴方自身が抱えているものです。他ならぬ、貴方の内からの言葉であり、叫びです。

 それを否定する必要は、私はないと思います。逆に受け入れろ、とも言えません。

 

 まずは、言葉にならない自分の思いを、大切に抱きしめてみては如何でしょうか。そこから、変わることは多いと思います。

 そういった思いの数々を、自分らしさと思えるようになるには、時間がかかるかもしれません。

 ですが、向き合い続ければ変われるはずです。

 

 人に裏切られて裏切ってを繰り返した、私のような屑の人間でさえ、そうすることで生き様そのものを変えることができたのだから。

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

 

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【車・趣味】初雪と洗車、雪を被った浅間山 ~冬晴れの空の下~

 何かと忙しい、師走。旧暦の読み方の中で唯一「○○月」と付かない12月を不思議と思っておりましたが、「極月(ごくげつ、ごくづき)」という別名があることをつい最近知った【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 本日私の住む地域でも、初雪が降りました。

 すっかり冷え切った部屋の温度に身体がついていかず、温かく柔らかなお布団から出るのも一苦労という具合で目を冷ましてカーテンを開けると、そこは白の世界が広がっていました。

 日の光が強くすぐに溶けてしまいましたが、いよいよ本格的な冬の訪れを肌身で感じる朝となりました。

 

 寒い朝だから、もう少し部屋に閉じこもって二度寝したい。

 一度起き上がってスマホでニュースやその他通知を確認を一通り行った私は、再び布団に戻りウトウト……。冬の二度寝って、どうしてこんなに心地良いのでしょうか。

 

 夢と現実を行き来していた、その時でした。

 

 普段は出掛けない兄が「出掛けよう」と言って準備を始めたという母の声を聞き、私の意識は一気に覚醒しました。

 

 十数分で準備を終えた私は煙草を吹かしながら母と兄が出発準備ができるのを待ち。数本吸い終えたところで出立することとなりました。

 

 兄の車で出かける空は、雲ひとつない冬空の快晴。太陽の眩しさが、肌を焦がし目を刺激します。

 特別な目的を設けずに出た、車での、細やかな休日。未だに他人を、大勢の人混みで寄ってしまう兄も朗らかに笑い。後部座席に座った母の身体が、以前より小さく感じながら、私たちはただ道を走っていきます。

 

 他人の介在がない、安らかな一時。人の感情や思いの変化に敏感な私も、すっかりリラックスしているのでした。

 

 お昼ごはんを終え、食材の買い物を終えた私たちは早々に帰路に就きました。

 すっかり外界に嫌気が差した兄には長時間の外出は発散よりも負担となり、今でもすぐに草臥れてしまうと言います。

 

 うつ病を悪化させたことの弊害であることは、わかっていました。

 今はまだ書くことはできませんが、兄に降り下りた前職の社長、同棲先での人間関係。

 全てが、楽観的で快活に見えた兄を変えてしまいました。

 

 兎も角。

 家に着いた私たちは、買い連ねた品々を車から降ろしていきます。今回はUNIQLOで超極暖ヒートテックを始め、よれてしまったフリースを新潮しました。締めて1万一千円也。

 今年の寒さはまだまだですが、時には氷点下二桁にまで下がる私の住む地域。

 寒さは重ね着で耐える私には、どれも命を繋ぐものばかりです(少し誇張表現ではありますが……)。

 

 そんな中、荷持を降ろしながら、家の駐車場に鎮座する愛車が目に止まりました。

 雪を被り、溶けて埃を纏ったかのように汚れてしまった相棒。

 

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 前回リコールと抱合せで洗車していただいたのが、約一ヶ月前のこと。間に一度洗車を挟みましたが、青空駐車故、汚れるのは仕方ないことであることも事実です。

 

 しかし。汚れた相棒を見た私の意志はすでに固まっていました。

 やらねば。洗車して愛車をリフレッシュさせたい。

 

 迸る思いと共に、荷降ろしを身内に任せて私は相棒と共に飛び出していました。

 

 コロナ禍に見舞われた、この一年。その中を共に駆け抜けてくれた愛車であり、相棒を、綺麗にしたい。

 

 情動に突き動かされ、陽光が傾き始めた午後。日差しの暑さが残る中、洗車とコーティングを行って参りました。

 洗車機を潜らせ、汚れが落ちた愛車と向き合いながら。

 残った水気を拭い、その後二回に渡りコーティング剤を塗り重ね、終わることにはすっかり汗だくになっていました。

 

 午前中のお出かけも合わさり、眠気も出始めていました。

 が、折角だから相棒と共にドライブしながら写真を取りたいという欲に刈られ、私は愛車を走らせていました。

 

 何かを思った瞬間は、その後訪れることはない。思い出して後悔してからでは遅過ぎる。

 何度もその思いを味わった私は、ただ感じるままに愛車と共に駆け抜けていました。

 コーティングしたボディに反射する太陽が、いつもより眩しいな、などと思っている内に。

 

 車と自然を同時に収められる場所を、偶然見つけるに至りました。

 そこは普段通らずとも、時々会社帰りに通る道。噂では速度超過した車を取り締まる為に警察が張っている、少し開けた地。

 

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 そこは、地元の御山である浅間山が一望できる場所でした。

 新興住宅地が増え、新築されたアパートや一軒家が気になりましたが。

 この時は相棒と、生まれてずっと眺めてきた浅間山を同時に収められることに、興奮と嬉しさに満ち溢れるままに、夢中でシャッターを切っていました。

 

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 いつもと趣向を変え、車の向きを横にしつつ少し遠目から。

 


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 ポツリと浮かんだ雲も、活火山として今も生き続けている浅間山から吹き出す噴煙も。

 凛と澄み渡った青空に映え、相棒も陽光を受けて輝いていました。

 

 これから来るであろう冬を前にしながら。

 思えば、地元で真剣に映える写真を撮りたいと思ったのは、これが初めてのことでした。

 見慣れた風景。いつもなら何気に目の端に移りながら、気にも止めずにここまで来ました。

 

 然れど、冬晴れの空の下に佇む浅間山も、空も、雲も。

 これまで見過ごしてきたのはどうしてだったんだと思うほどに、全てが昔のまま、美しくて。

 そんな言葉で語れないことはわかっているつもりでも、それ以外の言葉が出てくることはありませんでした。

 以前なら、そんな発想力がない自分を貶していましたが。

 

 感じるものを、ただありのままに感じるのも、ありなのかもな。

 無理に言葉にしなくても、飾らなくても、思い浮かんだものにひたすら浸ることも、悪いことじゃないな。

 

 口では上手く説明できないことを、昔から自負していた私には、文章が全てと自覚する時期もありました。

 でも、思いを言葉にできない時はできなくても、良いと思えるようになりました。

 取り繕うようにした言葉は、真の思いとかけ離れることが多いこと。

 

 何より。

 思いを言葉にして終わらせるよりも、いつまでもこの胸に残り続ける、言葉にできないもの。

 たまにはそういったものに浸るのも良いと思えるようになった心と共に、今も私は身を委ねている感覚でこの記事を綴っています。

 

 新型コロナウイルスのことは、どうかひとまず置いておかせてください。

 今年も事故なく、幾度も雨の予報を覆してくれた相棒「Lupus」に、綺麗でツルツルになったボディを撫でながら「ありがとう」と言いながら。

 年の瀬迫るこの日に、曇りなき澄んだ景色を齎してくれた自然に感謝しつつ、改めて帰路に就くのでした。

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

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 ありがとう、Lupus。これからも、よろしくね。

【HSP・価値観】一匹狼 ~負け犬?ぼっち?単に、群れたくないだけです~

  前代未聞の事態に始まり、もう師走に入りましたね。終え本格的な冬は、もう目の前まで来ています。

 

 東京五輪があれだけ騒がれたのが、嘘のように。多くのイベントに、観光に、人に。数え切れない程の影響を齎した新型コロナウイルス。

 2020年という切りの良い年は、私たちが忘れていた何かを思い出せと戒めるような、そんな一年で終わると勝手に想像している【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 今年最後の旅を終え、久方振りに身体を休めることに専念することができました。眠気の余りに22時前に床に就き、睡眠時間は10時間以上というこれまでにない眠りについてばかりでした。

 週末に至っては食事や買い物といった時以外は寝床に就いたままゴロゴロと、ただ過ぎゆく時間をゆっくり堪能する、ぐうたらとも時に身を任せるとも呼べる時間を過ごしておりました。

 

 夢か現か。

 そんな朧気な意識の中、先日投稿したHSPの記事のことを思い返していました。

 

 誰とも接しない時間。雪が降りそうな空のもと、電気毛布とファンヒーターが部屋を温めて。起動したPCからは、お気に入りの動画をラジオ感覚で流しながら、ひたすら虚ろ虚ろとする時間。

 部屋に一人寝入る、私。そこは、誰もいない空間。

 どこまでも無機質で、私にとって果てしなく快適な時が流れる場所です。

 

 人によっては、人の声すらしない空気を「寂しい」と思う方もいらっしゃるかもしれません。

  でもそれって、人それぞれだよな、と妙に反発する自分がいました。

 

 人に迷惑を掛けないのであれば、独りでいようが大勢といようが、その人の勝手だよね、と思いながら。

 人は独りでは生きられない、と良く聞く中で。

 せめて自分の意志がある時位は、独りで生きる時間が周りよりも多くても四の五の言われるようなことではないと、思うのでした。

 

 今宵も独り、部屋で酒を嗜みながら。自分の時間を、私という人間と向き合うことを楽しみながら、今回も綴って参ります。

 集団から敢えて離れて、独りでいることを好む者。集団の中にいることを良しとせず単独行動を取る人間を比喩する言葉、一匹狼。

 憧れとさえ思うようになった、そんな生き方を考えながら。

 媚を売って集団に「飼われる」ような接し方しかできなかった人間が、勝手に疲れて、勝手にやさぐれて。

 人と接することもできないまで疲弊したことで見出して、群れることを嫌って独りでいることを好むようになった生き様を、記事にしていきます。

 

 

 

 

 群れることでしか自分を守れなかった一方で、ストレスは感じ続けていた

 

 今の義務教育がどのような方針でいるのかはわかりませんが、私が小さい頃は「皆、仲良く」と先生に言われ続けて育ちました。

 『友達百人できるかな』という歌がある通り、同級生となった周りと喧嘩することなく、仲良く友達を作りましょう。そのような文化があり、雰囲気もそれに準じた空気が流れていました。

 

 確かにその通り、誰とも仲良く出来て楽しく過ごせることは大切なことだと思います。

 多少のすれ違いはあったとしても、いざこざなどなく、偶然の出会いをいつまでも大切にしながら。

 末永く友人としてあり続けることは、子どもを見る「大人たち」から見れば願いであったでしょうし、大きな問題を起こさないことを切に願ってのことだったと思います。

 

 然れど、私は違和感ばかり覚えてばかりでした。

 幼心ながらも、性格も考え方も違う周りに、男女の差に、同調することに疑問ばかり抱いていました。

 楽しくなかったか、と聞かれれば、そうではありません。

 

 ただ、何となく。同い年というだけで価値観も何もかも違う人と一緒に過ごす時間は、私はどこまでも「何か変」「何か違う気がする」という思いを抱えていました。

 しかしながら、子どもは所詮子どもです。外界では肉親以外に頼れる存在は先生という絶対的なものを除けば、同級生という名の友だちしかいませんでした。

 否かの小さな学校に進学した私は、特にその思いが先走って仕方ありませんでした。

 

 一学年一クラスしかないような小さな小学校で、除け者にされることはある意味の「死」を意味することも無意識ながらも理解してしまった私は、否が応でも周りに合わせるという道を選んでいました。

 自分が感じる違和よりも、自我を抑えて周りに合わせる生き方。

 「何か変だ」と訴える自分を曝け出すことよりも、みんな仲良くしていることの安心さに身を委ねていました。

 今思えば、それは卑怯な生き方だったと思い返しています。

 

 この記事を綴っている今、意見も禄に言えない臆病者と私を自分で罵っています。

 何故なら、表向きには笑いながら毎日を過ごしていたはずなのに。心のどこかで、私は周りとどこかズレていることを感じていながら、周囲に合わせることで誤魔化してきた事実があるからです。

 

 もしも、この時期から多様性という言葉だけでなく。願わくばHSPやセクシャルマイノリティといった概念が広まっていたら……なんて、また周りの状況を言い訳にしている自分が、時々嫌になります。

 人と。同級生と一緒にいることにさえ違和感を覚えて楽しめなかった癖に。

 私は、今で言うストレスを感じながらも最後まで何も言うことも。自分の本当の思いを表に出すこともできませんでした。

 

 本当の孤独を、この身で味わい絶望するまでは。

 

 

 真の孤独を味わってから、怖いものは薄れていって

 

 真の孤独、イジメと社会での孤立。

 これについては、これまで何度も述べて参りました。

 

 話してきた。それで慣れたはずなのに。

 このことに触れる時には、精神がざわついて現実逃避の如く、心が一刻も離れようと全力で動いてしまいます。

 自分では、表向きには慣れたと豪語している一方で。いざ向き合おうとすると途端に臆病になります。

 ブログで訴えたくなっても、言葉が、思いが出てこない。

 頭が、心が別のことを考えようと勝手に動いて、事実と向き合えずに悶々とする、そんな日々をこれまで何度も続けてきました。

 

 でも、事実は事実。過去は、変えられない。

 

 いい加減向き合えよ、白兎。

 

 そう思いつつも躊躇って、気付けばブログを始めて一年弱経とうとしています。

 そしてようやく、やっと本気で自分と向き合う心と時間を手にした今。

 

 誰からも相手にされない孤独。それを三十年足らずで、私は幾度も体験してここにいます。

 結果論にはなりますが、良いか悪いかは別としても。

 

 自ら死を選ぼうとするまでに追い込まれた経験を経てからは、怖いものは一気に減ったような気がしています。

 自分も、家族も。周りの人も視線も、評価も。

 全てが、正直どうでも良くなっていました。

 私は、私が生きたいように生きる。その中で下される言葉も、批評も、怖さを通り越して雑音のように思えるようになっていました。

 

 会社でさえ、生きるために務めてお金を稼いでいる。逆ではない。

 人に評価される為に、会社に務め社会に出ている訳ではないんだ。

 

 そのような姿勢を見せ、貫くような仕草をすれば、離れていく人は沢山いました。

 最初は、寂しさと虚しさが昔のように込み上げてばかりでした。

 でも、いつしかそれで良いと思えるようになっていました。

 煩わしい人間関係を断ち切れるのなら、私が恐れるものは何もない。

 

 そんな生き様を貫くようになって、久しくある中。以前から知りながらも意味を理解できなかったある言葉が、私を救うこととなりました。

 

 一匹狼、という言葉を知って

 

  今ではすっかり魅了されるようになった、オオカミという生き物。

 彼らは群れを作って行動しています。

 しかしながら、効率的に狩りを行える群れから離れる個体がいます。

 一匹のオオカミは他の動物に襲われたり満足に餌を捕らえられず餓死する危険性を孕みながらも、新しい群れを創り上げリーダーになり得る可能性も秘めています。

 そのような危うさとチャンスを併せ持った状態を示すものとして、「一匹狼」という言葉が生まれたとされています。

 

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 人間はオオカミよりも遥かに弱い生き物です。群れを成し、知恵を出し合いながら獲物と対峙しながら生き永らえてきました。

 そのような歴史があっても、ヒトもまた群れることを好まず一人で行動する人を「一匹狼」と表現しています。

 

 勘違いされがちなのが、一匹狼と一人ぼっちです。

 一見独りでいることに変わりはありませんが、決定的に違うことがあります。

 

 それは本人の意志によるものか、周りに仲間外れにさせているかです。

 

 一人ぼっちは「仲間に入りたいけど、できない。だから仕方なく独りでいる」とされています。別の視点から見れば、群れに負けて追い出された負け犬と同義とも言えます。

 一方で一匹狼は「仲間なんていらない。自分で選んで独りでいる」と紹介されます。

 この差異は、独りでいるという状況が「受動的か自発的か」でわけられると思います。周囲の意識や行動に左右されて「独りでいる」のか、自らの意志で敢えて「独りでいる」のか。似ているようで、大きく異なるものです。

 

 かつて私は、周りに全てを委ねてばかりで自分の意志を示さぬままいきていました。それ故イジメや会社での孤立に繋がり、一人ぼっちという意識を長年抱え続けてきました。

 裏切りと利権関係。仲間や友だちと言うには程遠い関係に疲れ果てた私は、精神科に通いカウンセラーと話すことを繰り返すことで、いつしか他人と距離を置いて独りでいることが快適で気楽に過ごしている自分がいることに気付かされました。

 

 人の顔色を伺いながら生きるなんて、もう疲れた。そんなことをしなければ満たされない人間関係なんて、私には要らない。

 

 それに気付いてからは、肩の荷が下りたどころか、身軽になってどこへでも行けるような好奇心とワクワクするような気持ちで一杯になるようになりました。

 人の為に生きるのではない。自分の為に生きている。

 

 そのような思いが迸るようになってから、私は随分変わったな、と振り返る程になっています。

 

 

 

 負け犬とも、ぼっちと思われても構わない。単に、群れたくないだけ

 

 

  巷では生きるも死ぬも人間関係に始まって、人間関係に終わるだとか。

 仕事は業務内容よりも人間関係と言う方も大勢いらっしゃいます。

 

 それを否定するつもりは、私もありません。現に、独りではやり過ごせない場面に出くわすことばかりですし、それが人生と言っても強ち間違いではないと思っています。

 

 ですが。

 HSPとHSSの気質を併せ持つことを自負する、私のような人間は集団生活で草臥れ果ててしまいます。

 他人との関係を良好に保ち続けようとして、自分を壊したという過去があるとは言え、私はどうも独りでいる時間をこよなく愛する変わり者であるようです。

 

 そのせいなのかはわかりませんが、会社では変わり者扱いされ人事情報でも「精神的に難しい人間」と評価されています。

 それがどうした、何が悪いと冷めた目で、私は生きています。そんなことで評価されても批評されても、私にはどうでも良いことです。

 

 もし、人間関係に悩んで独りでいることを恐れたり塞ぎ込んでしまっているような方がいらっしゃるのなら。

 

 独りでいることは、そんなに怖いことでしょうか。仲間外れにされたり、仲間に入りたくても入れないことを理由に、自分というものを蔑ろにしてはいませんでしょうか。

 

 一匹狼なんて言えば格好良いですが、変わり者と称されながらも生きている私のような人間もいます。

 もしかしたら、一度自分を見直せば「独りでいる」ことは惨めなことでも怖いことでもないと、思い直せる機会があるかもしれません。

 数は少ないかも知れません。おかしい奴だと思うかも知れません。

 それでも、自分の意志で独りの道を選んで自らを見直して、やさぐれながらも生きている私のように。

 裏切って裏切られてを繰り返して、死を見ても尚生き永らえている人間がいるのだから。

 

 ただし、一つだけ。

 一匹狼と自負している私ですが、自分が信頼できると思えた相手には自分を曝け出し、兎にも角にも尽くそうとする一面がある所を自覚しています。

 確かに人は嫌いかもしれません。それでも、自分を「一人の人間」として見てくれる人には、特段自分ができることをしたいと思ってしまいます。

 群れることは嫌いでも、人を選ぶ卑怯さはあるかもしれません。

 それでも私が信じて、私を信じてくれる人は。掛け替えのない存在で、自分を犠牲にしてでも大切にしたい、そんな思いも持ち合わせています。

 一匹狼は、決して感情のない人間ではないことだけは、最後にどうしても申し上げたいことであります。

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。 

【HSS・HSP】無理して好かれる必要などない ~好かれようとしない。その勇気と覚悟~

 先日、愛車以外の我が家にある全車のタイヤをスタッドレスへ換装を完了しました。

 長野でも例年以上に初雪が早く観測されていること、連日氷点下を記録する寒さを鑑みて普段よりも早めのタイヤ交換を終え、車の冬支度は万全な【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 父親?知りません。

  

 

 

 思慮を巡らせる暇も余裕もなかった、私が。

 記憶に残らない小さい頃から、ずっとしてきて。

 社会人になって、周りを気にし過ぎた余りに精神を害してしまったこと。

 

 

 それは。

 私は、嫌われない努力を続けてきました。

 誰かに嫌われない為なら、他の誰かを裏切ることも平然に行って、十数年。

 その惨めな結末を、この身を以て知ると共に。

 

 自分を殺してまでも、媚びを売ったり群れに入ろうとしなくても。

 足掻くようにして嫌われないことよりも、あるがままの自分を見せて無駄に好かれようとしなくても良いのではないかと思い至ったことを、綴って参ります。

 

 嫌われようとしない努力や勇気ではなく。

 好かれようとしない、思いや勇気の方が、一層大切であることを。

 

 

 

 

 嫌われないこと。それは、独りになるのが怖かったから

 

  私は元々、独りで黙々と何かに打ち込んで時間を忘れるのが好きな人間でした。

 周りが身体を動かし汗を流しながら楽しげな喜び声を上げる中でも、独りで脳内で創り上がる世界に入り浸って創作を楽しんでいました。時には怪我や仮病を使ってまで、自分の世界に入り込んでいました。

 別の時では、図画工作で同級生が作り終えて暇を潰す為に遊び始める所を。

 私は独り、他の人の何倍も大きな作品を作る為に熱中していました。ひたすら紙を切り、絵を描き、装飾して繋ぎ合わせて。不器用でも、ひたすら夢中に。独りで楽しんでいました。

 またある時は、一時流行ったカードゲームにドハマリして一気にクラス中の話題になっていました。

 他方で私は独りだけ全く興味を示せず、とにかく自分の世界を、興味を惹かれるものを追い求めるかのように没頭していました。

 10歳にしてゼノギアスという、ストーリーも難解でグロテスク表現や鬱展開ばかり。言い回しの難しさもあり内容はさっぱりでしたが、当時の高校生が遊ぶようなゲームに明け暮れていました。

 

 それでも。当時の学校という閉鎖的空間は、私のような存在を容認するような空気ではありませんでした。

 少しでも周りと違う意見を言えば反感を買い、除け者扱いされることばかりでした。

 

 それに立ち向かう勇気も、周りに意志を提示するだけの力も頭も、当時の私にはなく。ただただ、周りの言うことに従うように、しかし悶々とする日々を送っていました。

 やりたくもない、闘争心を剥き出して争うドッジボールも。やる意味もわからないディベートモドキも。

 主張すればする程、精神的な痛みを負うことになると、半ば脅される様でした。

 

 しかしながら、嫌々ながら賛同すれば、今度は身体も心も痛い思いをするという、とにかく理不尽な思いしかしなかった記憶ばかりです。

 

 

 そうもしてまで、周りに合わせるようになったのは。

 夢中になっている時は良くても、そうでない時は外の世界から齎される情報や感情に振り回されていたという、自覚という言葉に当たらずも遠からぬ思いをずっと背負ってきていたことにありました。

 

 誰かが怒られている現場に直面すると、あたかも自分が悪いことをして責められているような錯覚に陥ること。

 その訳もわからない感情の余りに、当人ではなく私が泣き出してしまったこと。

 険悪な雰囲気の中で、教師を始めとして誰かが怒号を飛ばしそうな時。「お願いだから、みんな静かにして!じゃないと……」と勝手に読んでしまった空気に侵され自分を見失って。

 結局誰かが騒ぎ出して、連帯責任とばかりにゲンコツを食らう。

 

 この時はまだ、自分が外界の情報に過剰反応して気を揉んでしまう、HSPという気質を持っていることも。夢中になりだしたら止まらなくなるHSSの気質も持ち合わせていることなど知る訳もなく。

 とにかく、怒られることや誰かが機嫌を損ねることを、自分のせいだと全てを勝手に背負い込んで。その思い込みがどんどん歪んでいって、最後に渡しは一つの結論に至ることとなりました。

 自分が悪いことをしなければ、誰も怒らない。誰も悪い気分にはならない。良い雰囲気のまま、皆が気分良く生きていける。

 自分が悪いことを、「嫌われるようなこと」をしなければ。

 

 こんなこと、私の勝手で自己中心的な思いだったと、今は言えます。でも幼心で一度思い込んだ考えは、私に常に付き纏うようになっていきました。

 

 

 嫌われなければ、誰からも怒られない。嫌われなければ、誰とでも仲良く過ごせる。

 

 そう、嫌われなければ。

 

 それを払拭できぬまま、私は歪曲し捻れた十数年を、自ら歩むこととなりました。

 

 

 

 嫌う、嫌われるを繰り返すことに疲れ果てて

 

 自分を殺して、他人に合わせる。

 その言葉が当てはまるような生き方を、学生時代から社会人までずっとしてきました。

 小さな同窓会があれば、業務を途中で切り止めてでも参加したり。逆に会社で飲み会があれば、友人の約束を残業があるから、と適当な理由を付けて断り飲み会に足を運んでいました。

 

 しかしながら、状況によっては人に予定や気分を合わせられないことが増えていくこととなりました。

 その度に嫌な顔をされることもありました。「彼女でもいるのか?」と冷やかされることもありました。

 そして、何とか言い訳しようとも、それも次第に通じなくなって。言い訳ばかりで穴埋めもしようとしなかった私の元から、皆離れていきました。

 

 待って。私を、置いていかないで。私を、独りにしないで。

 

 私の場合、特に思春期にイジメを受けたということも重なり、独りになることを病的にまで恐れるようになっていました。

 

 ですが人からすれば、そんなことなどを知ろうがいまいが、満足に自分の意見も意志も出せない人間など、一緒にいたり付き合っていたりしても面白くもないはずです。

 それを嫌われることが怖い、などという稚拙な思いに縛られる私のような奴よりも、もっと個性的で周りを自然と巻き込むような、カリスマ性を備えていたり退屈しない時間を共にできる人に向かっていくことは、必然とも言えました。

 

 そういった情景を幾度も目の当たりにしてきた私は、自分に非があると思い込んで。一方で他人の気持ちに寄り添おうともしないのに、勝手に恨みや妬みばかりを重ねて。

 

 そんな終わりのない人間関係のやり取りに、知らぬ間に心を、精神をすり減らしていたことに気付いたのは。

 頼る所を、拠り所を失った東京のど真ん中に勤務する中で。

 精神を病み、如何なる人との関わりにも身体が拒絶反応を起こすようになってからなのでした。

 

 

 

 

 好かれなくても良いと、自分自身の返事が聞こえた気がした

 

 

 うつ病という心の病を患ってから、私は自然と人と距離を置くことを覚えていました。

 その合間にも、友人も会社の人も、同期も。次々と私という廃人同然の人間から離れては消えていくのでした。

 違ったのは、これまで強迫概念のように人に縋り付こうと必死に動き回って、その為なら自分など厭わないと思っていた自分が嘘のように。

 

 他人なんて、どうでも良い。私なんて詰まらない人間なのだから、もっと一緒にいて楽しい人と一緒にいた方が良いよ。

 私のことなんて、嫌ってくれ。記憶から消え去る位、嫌い尽くしてくれ。

 

 投げやりとも自嘲とも言える思いと共に、すっかり人間関係に疲れ切っていることを知りながら、薬漬けという名の闘病生活に明け暮れる毎日を送っていました。

 これが、人に裏切られ裏切り続けてきた最底辺の人間の末路か。

 

 

 そのような思いに勝手に浸る中、転機が訪れました。

 

 外の世界との接触を恐れるばかりに、引き籠もり同然の日々を送っていた私に、車のSNSを通してオフ会の招待がされたことでした。

 

 残暑と言うには余りにも強すぎる陽光、そして暑さ。忘れもしない、常夏を思わせる横浜の地。

 

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 横浜シンボルタワーを背景とする駐車場。そこにはSNS上では交流はあったものの、顔を合わせることは初めてという人たちが大勢集まりました。

 その光景を見るだけで、どうすれば良いのかわからず右往左往していた私に。

 迷子になって途方に暮れる子どものような私に声をかけ、気遣うかのように声をかけてくれた人たちとの出会い。

 初めて、会うのに。やり取りしたことと言えば、SNS上での短いやり取りだけだったのに。

 新参者である私を迎えてくれた人たちは、眩しくて温かい笑顔と声色で満ち溢れていました。

 

 それが、私の新たな始まりであると共に。これまで生きてきた中で抱えてきた全てを改める始まりでもありました。

 

 その空気に入り浸るように、私は時を忘れて集まった方々との時間をひたすら楽しみました。

 

 一方で、思い返すこともありました。

 この時、「嫌われない為に、集まった全員と仲良くしよう」という思いが、どういう訳か働きませんでした。

 

 このオフ会では、私が参加する以前から仲の良いメンバーは固まるように、楽しげに話し込んでいる人たちもいました。

 以前なら羨んで、羨望の眼差ししか送ることができないまま、入り込んでいけない自分を情けなく思って。周りにも、いい歳しながら不貞腐れるような態度を振りまいていたのに。

 

 それが、なかった。

 とにかく、私を受け入れてくれた人たちとの時間を、いつまでも楽しんでいたいと願う程でした。

 そう、願おうともそうでなくても、仲良くしていただける方との時間を過ごせるのなら、他に求めるものなど、私にはありませんでした。

 

 オフ会が終わった後も、残滓というにはあまりに大きすぎるものばかりが私の中に残って、そしていつまでも忘れられなくなることとなりました。

 この胸に、頭に残る温かさ。いつでも必死こいて、自分を捨ててまで求めていた温もりと穏やかさ。無理に合わせることなどしなくとも、多くの人と知り合い交流できたこと。

 その後もその方々とは、特別連絡しなくともお会いすれば年の差など関係なく、にこやかさと共に話に華を咲かせることができるようになったこと。

 

 あまりに初めて過ぎて、自分でも理解できなかった思い。でも、思い返せば思わず顔が綻んでしまう。

 これって、なんだんだ。

 私は人に裏切られて、裏切ってきた、どうしようもない人間なのに。

 

 なのに、どうして。

 こんなに優しくて、柔らかくて、温かいものは、何なのだろう。

 

  そう思って数年。

 ようやく、答えに巡り会えた気がしています。

 

 

 無理に好かれなくても良いんだよ。 

 

 

 そんな言葉が、自分の中から滲み出たかのように聞こえた気がしてからは。 

 

 

 無理に好かれようとしなくても、生きていける。喩え孤独でも、孤高であれ

 

 その後も車のオフ会に参加させていただきましたが、思ったことは最初のそれと全く同じであることに気付きました。

 どのような形式のものであっても、年を経ても。

 

 人に対する私の意識は、これまでと全く異なっていたこと。

 寧ろ十数年悩み続けてきた思い……人に好かれなければ、嫌われてはならないと信じて生きてきたことが、嘘を通り越して馬鹿げた妄想のことのように思えることばかりでした。

 そこで、私は薄々感じ始めていました。

 

 嫌われることを恐れて自分を制する必要なんて、ないのではないか、と。

 同時に、合わない人と無理に合わせることなどない。その為なら、嫌われても構わない。

 

 そんな折でした。

 

 

 

hss-hsp.hatenablog.com

 

 

 はてなブログを通して、HSS型HSPを取り上げていらっしゃる「ウサキさん☆」さんのとある記事を見て、息を呑むほどの衝撃を受けました。

 

 上手く同調できない周りに対して嫌悪し、嫌われる努力をするのではなく、「好かれようとしない」努力。

 

 私は真逆なことをし続けて、自分自身を追い込んでは苦しめていることに、やっと気が付けたような気がしています。

 人を嫌って、独りになって、一時の清々しさのようなものは得られても。

 すぐに、何かが違うという錯覚に似た感情に駆られて、益々落ち込んできました。

 

 私は、ずっと過ちを犯し続けていたのです。

 嫌われて、嫌って、離れられて離れてを繰り返して。しかし、得られる結果は私が望むものとは程遠いことばかりでした。

 

 そして今、それに気付いたことで、自分が成すべきことを。これから生きていく上で必要なことを理解できたような気がしています。

 

 

 望んでも、望まなくても。人は否が応でも、生きる上で人間関係から逃れることはできません。

 ことさらHSPを自負する人は、傷つきやすいと認知されています。

 

 でも、私はその認識は少し違うのではないか、と思っています。

 確かに周りの状況や空気に感化され過ぎて疲れ果てることはあります。それ以上疲れると自分が壊れるという錯覚にさえ陥ることから、外界との接触を拒絶する。そのことから傷つきやすいと見られているのではないかと考えています。

 そして、最後は独りになりたいことを切願するあまりに、自ら嫌われる努力に走って、走って、走り抜いて。

 気が付いた時には、ボロボロになった自分だけが残されるという結果になっている、そんな気がしてなりません。

 他の誰でもない、私というHSS型HSPの一人が選び続け、何も残らない惨めな結末を見てきたからです。

 

 然れど、本当は。

 無理に外界に同調する傾向がわかっているのなら、無理に付き合おうと思ったり。自分を犠牲にしてまで合わせる必要などないと思うのです。

 そしてその為には、他者目線の「嫌われる」という名目ではなく、「好かれようとしない」自分目線の考え。

 そう思い始めてから、人とのやり取りが随分と楽になりました。

 

 これはもしかしたら。HSPであっても、そうでなくても。

 人間関係からに悩みを持つ方、全てに共有できる考えなのかも知れません。

 

 他人を軸に、自分の立場を作るよりも。

 自分を軸に、自分らしさと立ち位置を創る。

 

 その方が、気楽で。より自分らしく生きられるのではないか。

 唯一無二の自分という存在を、確固たるものとしていく為の考え方。

 好かれようとしない努力が、まさにそれなのではと確信しながら、私は歩み始めています。

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

  

 

 

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【HSP・HSS】楽しき時間は、行き行きて ~そして訪れる、寂しさと虚しさ~

 世間は感染症拡大によって、混迷を極めています。

 誰が悪い訳でもない。悪いのは新型コロナウイルスなのに。

 まるで犯人探しをするように動き回る行政、Go toのストップ。一年足らずでこの様なら、下手すればこの先数年は人と会うことさえ悪事と指差されることになるのではないかと思えてなりません。

 深く考えずとも、誰かに会いたいと思えば気軽に出掛けられた時を、つい懐かしく思えてしまう【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 今回の三連休に加えて一日お休みをいただき、約一年振りとなる車のオフ会に参加し。

 間もなく冬に入ろうとする各地を、雪や凍結といった物理的に行けなくなってしまう前に予定を詰めに詰め込んで行って参りました。

 3泊4日の旅。長期出張を除けば、これまでで一番長い遠征旅行となった今回。

 

 詳細は写真加工を行った上で、別記事として上げさせていただきますが。

 この記事を書いている今この瞬間、虚無感と寂しさで胸が詰まって何もやりたくない思いで一杯になっています。

 

 今回の旅で、改めて自分がHSS型HSPであることを認識いたしました。

 

 出立する寸前までは、車のオフ会に参加することが怖いと思える程、要らぬ憶測や心配ばかりが先走って億劫にさえ思っておりました。

 50台もの車が一挙に集まるオフ会は、私自身あまり経験が多くありません。車のSNSを通じて仲良くさせていただいている方も何人かいらっしゃいましたが、大半は会ったこともない方々ばかり。

 そんな中に、私のような奥手で独りで歩き回るような変わり者が行って、邪険にされるかもしれない。

 

 でも、人嫌いを自負している癖に、久方振りになる方々と会いたい。

 相反する思いを抱えながら長野を出発して、独りで運転する楽しさを堪能していく内に。

 

 今度は好奇心と積極性のような思いが表立つようになっていって。

 オフ会当日はそれまでの杞憂は何だったのかという程、顔見知りの方にも、始めてお会いする方にも次々と話しかけて、仲良くなって。

 テンションが裏返る勢いで、思い切り人の集まりを楽しんでいる自分がいました。

 一方で自分を守ろうとする思いも働き、どこかで、話しかける人を厳選している私がいるのもまた、事実でした。

 

 天候には恵まれなかったものの無事オフ会を終えた後は伊豆の友と共に、まだ訪れぬ伊豆大島にまで足を運びました。

 一連の旅を終え、帰宅した私はすっかり気が抜けて。夕飯寸前まで眠りに耽って、こうして記事を綴っています。

 

 仕事をする一日も、旅行をする一日も、同じ24時間なのに。

 何で、こんなに違うのだろう。

 楽しい時間や、自分の好奇心を満たす時間はとてつもなく短く感じるのに。

 終わった後は、どうして胸を締め付けられる感覚を抱く位、虚しさとも辛いとも思える感情を抱いているんだ。

 

 あれだけ人と会うことを嫌っていた私が、自分でも制御できない思いに刈られているのは、何でなんだ。

 

 人といる時は、何もかも忘れて笑っているのに。

 どうして独りの時は、いつものように思いや感情が頭の中をグチャグチャにかき回すんだ。

 

 もっと、生きることを。人といることを純粋に楽しめる人間でいられたら、こんな思いなど背負わないで済んだのかも知れないのに、どうして。

 

 どうして、普段は情報と感情を恐れる位臆病なのに。時々であっても、自分でも抑えきれない衝動に支配されるんだよ、私。

 

 HSS型HSPと言ってしまえば、簡単なことはわかってはいるつもりです。

 だけど、それで済ませたくない思いが、錯綜して止まらないことが、こんなにも苦しいなんて。言葉にすらできない自分が、憎らしいし悔しいし、情けない。

 

 私は。

 知った振りをして、HSPやHSS型HSPを語っていたのかもしれないと思えてならない思いでいます。

 自分のことなのに、自分がわからない。考えれば考える程、私というものがわからなくなります。

 

 多分、こうやって一生悩んでは苦しむことになるのだろうなと、何気なく悟っています。

 純粋に、単純に物事を楽しんで終わらない。その先に潜むものを、自分が感じたまま深く取り入れて落とし込んで。考えて考えて、答えが出なくても考えて。

 HSPを陰の性質と言うなら、HSSという陽の性質を併せ持つことの意味を、どこまでも追求することになるのだろう。

 

 ただ。今はそれを発信できる場が、ここにあります。

 私の思ったことや感じたことを、他の誰かの役に立つのであれば、まだ救いはあると自分に言い聞かせています。

 喩えお節介で終わったとしても。

 今感じている虚しさを、自分なりの言葉にできるのなら。

 

 

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【HSP・HSP】過去の自分と向かい合う中 ~素直に向き合うのが、難しいまま~

 先週辺りから、新型コロナウイルスの感染が急増し、第三波の到来を認識せざるを得ない状況となっております。

 政府は急遽Go toキャンペーンの見直しという名目で一時的な休止を提言したとのことですが、私からすれば遅過ぎるとも言え、またGo toが齎す影響を甘く見ていたと思えずにはいられません。

 歴史は繰り返すとは、全くその通りだと思います。人は、いつも痛い目を受けたり大打撃と言える痛みを味わねば学ばない。重大な事態に遭遇しなければ、人は、特に上に立つ者は動かない。

 企業も、国も。

 皮肉な話だと、一人酒を飲みながら感傷に浸るような思いでいる、【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 先日までは大好きなオオカミに出会う旅を綴り続け、自分でも驚くペースでブログを上げておりました。

 その後のここ数日は、一つの話題を上げようとしながらも、書いては消してを繰り返しています。

 上手く思いを纏められない歯痒さと、どんな言葉を連ねれば伝わるのか。

 そんな思いを抱きながら、自分と向き合う日々が続いています。

 

 

 それは、自分がこれまで生きてきた中で当たり前だと信じていたものでありながら。

 ある日を境に、間違ったものだと薄々気付きながら。

 私自身が、信念とも矜持とも呼べる、生きたいように生きることを選び抜いた。

 

 HSS型HSP。本ブログで取り上げていることです。

 

 ブログを立ち上げて最初の頃は、過去の出来事を感情任せに書き上げて参りましたが。

 はてなブログだけでなくTwitterでもお世話になっている「ウサキさん☆」さんの記事にて、以前私が記載した内容を紹介してくださいました。

  

 

hss-hsp.hatenablog.com

 

 

 正直、嬉しさや喜びよりも。

 驚き。思わず言葉を失うまでの衝撃が走ったことを、覚えています。

 

 HSPだけでなく、HSSにも言及されて。

 交流会まで開いていらっしゃる、HSS型HSPを自認する私からすれば師匠ともお呼びできるウサキさん☆さん。

 

 その記事の中で、思わずハッとさせられて。深く考えさせられるものがありました。

 

 それについて自分にも当てはまることを綴ろうとしていますが。

 これまですらすらと自分の思いを言葉に出来たことが不思議な程、今記事にしようとしている内容は上手く纏められないまま、早くも数週間が経とうとしています。

 

 過去と向き合うことは、これまで何度も行ってきました。

 思い出すことも、烏滸がましい。時には思い出す行為そのものが怖く、その度に悪夢という形で表れて参りました。

 

 でも。

 今書かないと、脳内で、胸の中で荒れ狂う残滓になりそうな気がして。

 書きたいと思うから、自分の本音を、過去を曝け出せる。でなければ、ずっと燃えカスのように残り続けてしまう。

 それが自分を苦しめて、生き辛くしてしまうことは、わかっています。これまでの経験からも、こうして文章を綴っている今現在のように。

 

 そして、そうは言いながらも何日も書けない事実を、仕事やプライベートの問題を上げて言い訳としたくないことも拍車を掛けています。

 

 言い訳をしたり、物事が上手に運べないことを他人や環境のせいにすることは、これまで沢山ありました。

 

 だけど、それももうやめよう。幾ら弁明したり如何にもなことを言ったところで、最終的には私自身の問題。

 何より。

 今書こうとしていることは、私が取り上げたいHSPやHSS型HSPのこと。今胸の中にある思いも考えも、感情も。

 周りで起きていることとは、関係ない。他でもない、自分自身のこと。

 だからこそ、しっかり自分で考えて、納得のいく文章にしたい。

 そんな思いを抱きながら、この記事を久方振りである車のオフ会兼自分への慰安旅行という名目(別記事で綴ります)で、お世話になるホテルにて綴っています。

 

 この日宿泊したお宿では。

 

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 経営者ご夫妻が大の犬好きということを伺い、フロントで甲斐犬の兄妹と触れ合うことができました。

 狩猟犬として生まれ、その意志を継いだ子たちは。

 

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 人懐っこく、愛くるしい姿を見せながら、寒暖差と人混みに疲れた私を癒やしてくれました。

 

 明くる日も、旅は続きます。この旅路のことは、またいつの日か記事にいたします。

 

 

 纏まりのない文章となってしまいましたが、今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

【イジメ・Aセク】夢は、悪夢ばかり

 就寝時の寝苦しさと、明け方の肌寒さが身に染みる。

 

 真夜中だったと思う。睡眠薬の効果が残っていて眠いはずなのに、はっきりと意識が戻って起きてしまった。寒さに弱い私は毛布に包まっていたはずなのに、全身に汗をかいていた。

 身体の火照りではない。

 

 また、悪夢と言える夢を見た。もう、何回目と、何日連続かと数える気も疾うにやめて久しい。

 

 いつまでも忘れられない。いつまでも忘れさせない。いつまでも忘れることを許されない行いが、夢となって私を責め続けている。

 

 明けない夜はない。止まない雨はない。抜けないトンネルはない。

 悪いことを励ます言葉は、数多く存在する。だがどれも、私を苦しみから解放してくれることはなかった。多分、これからも。

 

 全てではないと信じたい。でも、私にも非があった。

 私の稚拙な考えが、ある人たちの人生を狂わせてしまったことに違いはない。

 その後ろめたい思いが、死ぬまで私を縛り続けるのだろう。

 それでも……。

 

 

 脳が創り上げたその場所は、中学校の教室を彷彿させる現実味を帯びていた。

 粗雑な木の天板と安価な鉄パイプで作られた机。同じように時代を感じさせる、草臥れ傷だらけの椅子。

 それらが無数に並び、顔は靄が掛かりわからないながらも多くの人が腰掛けながら会話に耽っていた。

 

 そうだ、ここは逃げ場のない学校という名前の監獄だ。壁が無機質なコンクリート色に塗り固められていた以外は、完全にあの時と同じだった。

 

 私は何をすることもなく、誰とも話すこともなく鎮座していた。雑に広げられたノートは真っ白のまま、筆記用具はどうしてか傷だらけ。すっかり色褪せ元の色を失ったシャープペンシル、消しゴムも所々欠けて外装もボロボロ。

 主観視点の私は、というと、特にそんな風景に感じることはなかった。

 いつも通りのこと、と怒りも哀しみも湧かない夢の中の私は異常なのは明らかだったが、感情はこれといって浮かんでこなかった。

 ただ、一つ。

 怯えるような、怖気づいた草食動物のような、しかし圧倒的な不安だけが私という存在を支配していた。

 その場から、動けない。怖くて、立ち上がることもできない。

 

 そこに、怒りと罵りに塗れた声が容赦なく飛んできた。

 

 

 お前がちゃんと考えないからだろ。

 そんなとこ座ってる暇があったら、何かしららどうなの。

 邪魔なんだよあんた。

 人から何か言われないと何も出来ない訳?

 気持ち悪い。

 汚い。

 卑怯者。

 臆病者。

 

 

 言い訳らしい言葉を、情けなく叫んだつもりでも。言葉に、声にならない。

 それが彼女たちを更に苛立たせて、私を更に責め続ける。

 

 

 明けのない問答に、私が折れた。

 そんなに憎くて邪魔なら、すぐに消えるから。

 もう、関わらないでくれ。関わるな。

 

 声のない怒号と共に机を蹴って椅子を蹴り飛ばして、私は暗闇の中へと独り歩いていく。

 そこは光もない、ただ地面があるということが感覚でわかるだけの道。何も見えない、何もないはずなのに。

 

 気を狂わせるような、腐敗した臭いが立ち込めていた。無味なのに吐き気を催す、胸と腹を思い切り締め付ける膨満感。

 夢か現実なのか、わからなくなって困惑する私の背後から。

 

 あいつらが。彼女たちの怨嗟のような声はどこまでも追いかけてくる。

 

 

 またそうやってどこかへ行くつもり?

 何か言ったらどうなの、卑怯者。

 逃げてる暇があったら、やることやりなさいよ。

 本っ当に、気持ち悪い。

 

 

 そこで、自分の意志に火が灯り始める。

 動けよ。動かされてないで、自分で動けよ俺。

 黙ってないで、腕の一つ動かせよ俺。

 動けよ、俺の身体!!

 

 

 そうやって目覚めては、いつも血が滲み出る位口を噛みしめる。歯が軋む音も、もう慣れた気がする。

 

 ……そうだよ、私は。

 いや、俺は。卑怯者だよ。

 

 でもな、やり方は他にもあっただろ。いつまでも夢で責めるように、あの時だって他のやり方があったはずだろ?

 それとも。

 

 生霊のようにしてまで責める程、俺がお前らにしてきたことはそんなに酷かったと言いたいのか。

 

 

 だったら、一つだけ言わせろ。

 確かに俺の言い方や態度は、お前らを傷付けたかもしれない。

 でもさ。

 お前らがやったことも、俺の中に残ってるんだよ。

 

 今も、こうしてさ。

 

 眠剤が効いて意識が朧気なのに、怒りとも、省みるとも言える感情だけははっきりとしていた。

 寝床から起き上がって、気晴らしに点けた煙草も、本当に気晴らしにもならないだろう。

 

 だけど、そうでもして現実を味合わないと、戻れなくなるような気がした。

 私が、私として。味気ない、この世の中でも、生きていることを思い出す為にも。

 

 

 もっと、車で出掛けたことを。掛け替えのない友人との思い出が、夢になれば良いのに。

 それは、一生叶わないのかも知れない。

 

 自分が犯した咎と、受け続けた罪に向き合い続けることしか、今の私にはできないのだろう。

 吐き捨てる紫煙と一緒に、思わず笑い声が漏れた。

 

 今日も、眠れない夜と付き合うことになりそうだ。心のどこかで、勝手にそう思っている。

 

 願わくは、もう覚めないことを、胸の片隅に感じながら、私は再び床に着いた。

 

 今夜も、冷えそうだ。

【車・HSP】まだ見ぬオオカミを目指して ~終章・那須高原の紅葉~

 週明けの初日からクライマックスな仕事日和となる、嬉しくない一日を久し振りに経験して参りました。

 ネットワーク機器の致命的故障が立て続けに3件、長距離移動、そして朝晩と昼間帯の寒暖差。車での移動は元々好きなこともありそれ程負担にはなりませんでしたが、一日で20℃近い気温の変動が続くここ数日は、じわりじわりと身体を蝕まれているような錯覚さえ感じている【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 通信業者とのひと悶着を終え、夕食と朝食で美味しい食事をいただいて。

 オオカミに出会う旅も、いよいよ終わりが見えて参りました。

 この日はホテルから車で走って数十分の所に聳える、那須岳へと向かって。

 色付き始めた紅葉をこの目で見る為に、愛車を走らせるのでした。

 

 

 まだ見ぬオオカミとの出会いを果たして。初めて訪れた高原地帯の秋を楽しむ旅、その終わりまでを綴って参ります。

 

 

 

 

 

 晴天ではなけれど、回復した天候と広がる高原地帯の全貌

 

 基本的に私は、自室以外で良く眠れた試しがありません。

 寝具の違いだけでなく、部屋の綺麗さ、雰囲気。そして旅の高揚感が眠りを妨げ、翌日には確実に疲れが残ってしまいます。

 それが仕事であっても、プライベートの旅であっても。

 

 この日は、違いました。

 普段睡眠導入剤や中途覚醒を抑える眠剤を飲んでいても、必ず一回は真夜中に起きてしまう私が。

 

 セットした目覚ましの音と共に目覚めると、朝の日差しが差し込んでいました。

 清々しい朝、という言葉がしっくり来る目覚め。それだけでも驚くのに。

 昨日まで霧が立ち込め、小雨が降り。周囲の情景すらまともに見られなかった那須高原が、晴れ渡っていました。

 

 林の中にあるホテル。

 その木々の間から差し込む木漏れ日が、眩しいと思える程。

 

 陽の光を浴びながら、互いに「久し振りにゆっくり眠れた」と言い合って思わず笑った私たちは出立前の準備を終え朝食に向かいました。

 

 食堂では昨晩の夕食、そして朝食と同じスタッフの方が対応してくださっていることに驚愕すると共に、有り難さとリゾートホテルの底力のようなものを見せ付けられた気がしました。

 

 その場で調理してくださり、美味しい食事をいただいたこと。そして終始懇切丁寧な対応をしてくださったサンバレー那須のスタッフの方々に、旅の疲れを癒やす場を提供してくださったことに感謝に留まらず、それ以上の思いを感じずにはいられませんでした。

 サンバレー那須さん、本当にありがとうございました。また、機会があれば利用させてください。

 

 しかしながら、これだけのおもてなしを受け、魅せられて。

 それでも文句を垂れることにしか能のない御仁方とは、二度と遭遇したくないと思うのでした。

 言いたいことは、家の中で散々ほざいていれば良い。それで気が済むのかは知りませんが。

 

 さて、それはともかくとして。ホテルを後にした私たちは、目の前に聳える那須岳を目指し愛車を走らせました。

 前日に降った雨が大気を浄化し、車の窓から入ってくる空気は冷たいながらも澄み切っていました。

 吸い込むだけで、心地良い。

 

 そして明瞭となった視界には。

 昨日は何も見えないまま、ひたすら宿泊地を目指して走り抜けてきた高原地帯が。

 

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 雲に覆われ始めたものの。

 標高で言えば、東京タワーの二倍以上高い場所に位置する、高原一帯は。

 

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 空を支配する白と、遠い街並みの青。そして緑や黄色、赤と様々な顔を見せる木々が広がっていました。

 

 10月中旬だというのに、今年は季節の移り変わりが早いことを実感する景色でした。

 

 朝霧も漂う中、我々は更に上を目指して愛車「Lupus」を唸らせながら駆け抜けて行きます。

 かつて活火山として活動し、連なる多くの山々を総称する、那須岳へ向かって。
 

 

 那須岳山頂は、白一色の世界

 

 那須岳。栃木県那須郡那須町、昨晩身体と心を休ませていただいた、サンバレー那須を麓にする茶臼岳の別称。

 今も尚硫黄の臭気を漂わせる、標高2000m弱の山。他にも朝日岳や三本槍岳といった、軒並み1900mの山々が聳える高山地帯。

 観光地としてだけでなく、装備を整えた登山家にも有名で人気のようで、那須岳の山頂近くまで運行している那須ロープウェイは多くの人で賑わう程でした。

 

 登山を目的としていないながらも、山頂付近から見える紅葉や那須高原の街並みを一望できることを期待した私たちは、片道5分程のロープウェイに乗り込みます。

 

 しかし、そこは山岳地帯。一筋縄では行かないことを、ロープウェイのゴンドラ越しに思い知らされることとなりました。

 

 始点から終着点に向かい登っていくに連れ、世界はたちまち白くなっていき。

 高い所を嫌うどころか溜め息を漏らす私が、ゴンドラの揺れで「おっふ」と零した時には、視界は50mもない程にまで濃い霧が立ち込めていました。

 

 これは、駄目かなと思いながらも降り立った那須岳頂上付近は。

 

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 写真の通り、とても景色を楽しむことも撮影することもできない程、白い世界がどこまでも広がっていました。

 20分程好転を期待して待機しますが、厚い霧はいつまで経っても晴れることはありません。ホテルでは優しく差し込んでいた陽光も、遂に届くことはありませんでした。

 

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 ロープウェイの終着地にある、那須岳の解説板を観光の記念として撮影して、次の下り線で我々は素早く撤収することにしました。

 

 この判断が、後々響いてくることなど、知る由もなく。

 

 10月半ばとは言えど、この日は天候と気温の変化に悩まされました。

 元々寒がりで何重にも着重ね都心の冬は乗り越えられる格好をしてきた私はともかくとして。

 温かい場所に住まいを持つたーぼぅさんは、冷えゆく山岳地帯に震えていました。

 良いと思える写真も撮れそうにない状況は変わらず、冷えが増していくばかり。

 

 ロープウェイ乗り場近くに停め、ここまで私たちと共に走ってくれた愛車撮影することとし、山を降りることとします。 
 

 

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 朝露か、山頂近くまで走る最中に降った雨を浴びてか。

 愛車「Lupus」は、曇り空の元で映える渋い茶と灰の間の色を見せていました。

 

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 今ではアクセラという名はなくなり、MAZDA3という名に統合された相棒。

 目付きもすっかり変わってしまいましたが、私の相棒は飽く迄「アクセラ」。その名を冠せられた最後の型を、その姿を撮影します。

 

 カタログでは色気のない茶色として紹介されてしまう、チタニウムフラッシュマイカの相棒。

 

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 ですが、雨に濡れ霧を切り裂いてきたその勇姿とも呼べる様は。

 七色と言っては過言であっても、様々な表情を魅せてくれます。ここでは、哀愁を感じさせるような渋さを携えていました。

 

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 引き締まりながらも眼前をひたすら見据える、澄んだヘッドライト。

 その目は。

  弾いた雨水が溜まっていました。

 

 それが、どうしてか。

 どこか、物憂げそうに見えて。

 

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 涙が溢れそうになることを堪えていて。でも、Lupusは。

 溢れた涙を零している……?

 

 そう見えた、そう思えたのは。

 私が感受性の高いHSPだからか。

 それとも、単に愛車を愛でる余りに。無機物である車にも、感情移入した結果か。

 

 いづれにせよ、間近で見ているようでいながら、このような形で愛車を撮ったのは初めてのことでした。

 18-300mmの高倍率レンズを最大望遠にして、遠くの景色や被写体ではなく、わざと数メートルの愛車を捉える。

 

 写真は、基カメラは。

 性能云々よりも、使い方次第で思わぬものが撮れることを実感して。

 決して、見る人に感動や凄さを齎さなくても。撮った本人が感傷に浸れるものも映し出すということを、実感した瞬間でした。

 

 自己満ですが、良いんです。少なくとも私は。

 写真でご飯食べている訳でも、人々に魅せるものを撮ろうとしている訳でも、それだけの腕がある訳でもありません。

 ですが、良いのです。

 

 旅の思い出を、そこまで一緒に走ってくれた愛車を撮れた。これまで見せたことのない姿を見せてくれた愛車を、撮れた。

 それだけで、私は嬉しくて、喜びなのだから。

 

 

 

 晴れ男は伊達じゃない。那須高原の、艶やかな自然をこの目で見た瞬間

 

 思いに耽りながら、車内で語り合いながら、私たちは来た道を下っていきました。

 私たちと同じように、那須岳の山頂を。全貌を観ようとする車が、次々と対向車線を登っていきます。

 

 登っても、真っ白だよ。

 

 皮肉を言うつもりではありませんでしたが、そんなことを思い見たバックミラーとサイドミラー。

 

 私は思わず、往来車の邪魔にならない場所を探すことに躍起になっていました。

 

 丁度いい場所を見つけて、車を忙しいまでに降りた理由。

 何故なら。

 

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 雲が去り、秋の彩りに身を包み始めた那須岳が広がっていたのだから。

 清々しいまでの青空と、染まりつつある木々の色々。

 

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 丁度先程までいたロープウェイ乗り口から山頂付近だけが雲に覆われています。

 夏の温もりを残しながら、確実に秋へと向かっていく季節の移ろい。

 雨を跳ね除けた山々の猛々しさと、どこまでも澄んだ青い空。

 写真撮影では構図や魅せる角度といったものを気にせず、個人的に「あ、これいいかも」と軽いノリでシャッターを切ってばかりの私ではありますが。

 

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 言葉を失った数枚を撮れたのが、久しく思える程でした。

 

 周りにも目を移すと、そこにはこっちも忘れるなと言わんばかりに染まり上がった木々たち。

 

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 やがて枯れ、落ちていくその前の最期の絢爛な様を見せびらかすような、赤。

 その姿、私なりにではありますがしかと見届けさせていただきました。

 

 最後に。

 オオカミとの出会いを果たし。願っても思わなかった紅葉を見る旅を齎し、共に駆け抜けてくれた相棒を収めます。

 

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 陽の光をを浴びると、鈍いながらも艷やかな色を魅せる相棒。

 チタニウムフラッシュマイカ、本当に何色と言えば伝わるのかが未だにわからない華麗さと渋さを併せ持っていると、親バカ心ながらも思っています。

 

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 空の蒼さも取り込む様は、山頂付近で撮った同じ車とは思えない輝きを放っていました。

 

  最後の最後で心に残る風景を魅せてくれた那須岳を後にし。

 個人的に名残惜しさばかりが残る中、那須塩原駅でたーぼぅと別れ、私は一人相棒と共に帰路に着くのでした。

 

 

 言葉にできない、オオカミとの出会い。そして紅葉を見る旅を終えて

 

 人の目を、周りの空気、場の雰囲気ばかりを気にし始めたのは、いつのことだっただろう。

 思い出せないその頃から、私は自分のことよりも周りのことが気になって、それだけで頭が一杯になっていました。

 自分の思いや考えがあったとしても、それと周囲を見えない天秤に掛けて。

 自分が我慢すれば、「その場は」穏便に終わるだろうと勝手に思い込んできました。

 

 喩え、自分の心を壊すことになっても。

 

 そうやって歪んで、大きく遠回りをしてきましたが。

 今回の旅で、自分の本音を。

 私自身が、何をどうしたいのか。それを、はっきり示して実行に移せた日々となりました。

 

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 空想でしかなかった、本物のオオカミの勇ましくも靭やかな姿をこの目で見て。

 

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  晴れ渡る空の下、紅葉を純粋に楽しむことができた旅。

 

 きっと、この旅はこれからの私の生き方にも大きな影響を及ぼすことになると思っています。

 誰かにくっついてばかりだった、臆病で無計画だった私が。

 願いを叶える為に、自ら意志を見せて実現した旅だったのだから。

 

 そんな私の我儘にお付き合いいただいたたーぼぅさんに。

 手違いを起こしながら、柔軟で丁寧な対応をしてくださったホテルの方々に。

 そして、思い出の地となる那須高原まで共に駆け抜けてくれた相棒Lupus。

 

 皆さんに感謝しながら、オオカミを目指す旅は、これにて終わりとなります。

 

 願わくは。

 遠吠えするオオカミを見てみたいという、もう一つの望みを残して。

 

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 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

【仕事・価値観】電気通信事業者として ~知らないことに付け入る汚さと不誠実さ~

 全国で新型コロナウイルスの再拡大が連日報道されています。季節の変わり目か、或いは気の緩みか。いづれにしても、このままでは年末年始に大きな制約が課せられることになりそうな予感がしています。

 新型コロナウイルスによって、これまでの多くの慣習が見直されて。新しい生活様式、ニューノーマルという言葉の浸透と共に普段の過ごし方を見直す切っ掛けとなりながら。

 ここに来て、そのストレスの反動が出始めていることと。鬱憤をかつての生活慣習によって晴らしたいという思いが再燃しているのではないかと思えてならない【やさぐれ紳士】白兎です。

 人との(特に見知らない人や多人数での)交流が嫌いな私には、コロナ禍の生活様式の方が性に合っていて大歓迎だったりします。あまり声を大にして言えることではありませんが。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 以前お話ししたかもしれませんが、私は電気通信事業に従事しております。

 情報通信を実現する為のネットワークを構築し、契約者に利用してもらう為のサービスを提供しつつ、有事の際は修理や保守までを受け持っています。

 

 そんな折、実は以前よりブログ友であり盟友である「たーぼぅ」さんから相談を受けておりました。

 内容は「光回線を使っているのに通信速度が遅すぎる。酷いと3Mbbsしか出ない」というものです。

 

 原因は経験則でなんとなく想定できましたが、どうやら契約事業者の対応が酷すぎて埒が明かないとのこと。かれこれ一年弱揉めているとのこと。

 

 

 今回赴いた、那須高原の旅。それは動物たちとの触れ合いや紅葉を巡るだけでなく、別の目的がありました。

 実際にその業者と私が直接話をし、実態を把握すること。そして依頼主の通信環境を改善する為に、可能な限りの働きかけを行うことでした。

 

 それは、ちょうどオオカミと出会う旅の終着地である宿泊地。サンバレー那須におけるチェックインを終え、部屋に入り落ち着いた時でした。

 

 そしていざ、掛け合ってみると。

 同じ電気通信事業者としてあり得ぬ程。あまりにも杜撰で場当たり的な応対を目の当たりにすることとなりました。

  

 

 今回は情報基盤を担う通信事業に務める者として、契約者が詳しく知らないことをいいことに適当を通り越したいい加減な対応をしていることを目の当たりにして。

 料金を頂戴している身でありながら、それに見合う対応もできない業者に怒りを覚えたと同時に失望したこと。

 そして、相手が知らなければ適当なことを言って責任転嫁するような汚さと不誠実さをこの耳で聞いたことで、事業者として私なりにあるべき姿があるだろう、と思ったことを綴って参ります。

 

 

 ※注記※

 本記事では個人情報や事業者が特定されないよう細心の注意を払いつつ、内容を綴っていきます。

 また人によっては汚らしいと思う表現が含まれます。

 そのような表現が苦手、もしくは嫌悪感を抱く方は、誠に勝手ながらお引取り願うと共にブラウザバックを推奨させていただきます。

 この注記を以て、内容に対する批判や中傷するコメントは一切お受けいたしませんことを、予めご了承ください。

 申し訳ありませんが、何卒ご理解とご容赦をお願いいたします。

 ※注記終了※

 

 

 

 

 

 

 電気通信事業者の果たす役割と責務

 

 始めに、何やら堅苦しい用語で固められている電気通信事業者というものを、私なりに簡単にご説明いたします。

 

 電話やインターネットといった、現代ではなくてはならない通信業の中でも、特に有線に特化したサービスを提供する事業者のことを指します。別の言い方をすれば、一戸建てやマンションで固定電話を使ったり、インターネットを使う為に工事を行ったり、故障の際は訪問して修理を行う仕事です。

 この業界は独占禁止法を始め、電気通信事業法という、聞き慣れないかもしれませんが事細かく通信事業のあり方を定め個人情報保護だけでなく。(細かすぎるので省略しますが)通信の安全を確保する上で不可欠な不正アクセス行為の禁止にも抵触しかねない業務を行っています。

 厳しく国によって管理されている業界です。

 しかしながら普段使う電話やインターネットだけでなく、110番や119番といった緊急回線を常に確保するという責任を背負っています。

 そして、昨今増えている自然災害や加害事故の際は一刻も早く現場へ急行。第一に通信の確保を最優先とし、避難所や待避所に避難されて来た方々に外部への通信を逸早く確立。その後は既存の設備を順次直しながら、不安に暮れる方々と寄り添いながら通信が回復することを辛抱強く待つ。

 

 東日本大震災や北海道胆振東部地震。昨年の台風19号による水害。上げれば切りがありませんが、そのような災害時にも派遣する人材を揃え、長期に渡る復旧活動と終わりの見えない恐怖と対峙しながら、通信を途絶えさせてはならないという責務と共にここまで歩んで参りました。

 

 

 長々と難しい用語を並べて参りましたが。

 簡単に纏めると、縛りは多いけどネットワーク主体の現代を支える人たちであって。

 スマートフォンに押されがちだけど電話やインターネットが使えるように日々運用や保守を行っている業種。

 だけど災害で通信基盤が陥落した時でも、被災地と全国を結ぶネットワークを迅速かつ確実に創り上げて、孤立することを防いでね。

 それが君たち、電気通信事業者だよ。

 

 といった感じになります。

 

 私はその中でも、情報通信を担う根源である、基地局と呼ばれるビルに集約された設備の運用・保守を行う仕事を行っています。

 

 

 ざっくりしたご説明ながらも、平時でも緊急時でもあらゆる通信手段を絶やさない。

 それが、私たち電気通信事業者です。

 

  

 

 友の悲鳴に応えたい、でもそれ以前に通信事業者の問題なのは明白だった

 

 

 しかしながら。

 那須高原という地で取り合うこととなった、友が契約する業者は。

 先述した責任と守らなければならない業務遂行さえ投げ出すような、無能さと不誠実さに塗れていることを知ることとなりました。

 

 

 今回の相談内容は、インターネットの通信速度が極端に遅過ぎること。そして固定電話さえ繋がらなくなるというものでした。那須高原で会おう、という数ヶ月前から相談を受けておりました。

 

 これは通信事業から見れば余りに致命的なことです。

 

 一応インターネット、特に一般ユーザー(個人契約)と契約する上で、必ず説明されることがあります。

 それは「理論上は○○Mbbs出ますが、混雑時はそこまで速度がでないかもしれませんがごめんなさい、でもご了承くださいね」というものです。

 これはベストエフォート型という方式になりますが、「頑張るけど速度が出なくてもごめんなさいね」というものです。

 

 その証拠に、どの通信事業者もインターネットの契約プランではこぞって「10Gbbs」や「1Gbbs」といった超高速通信を実現しています。

 

 実はここに落とし穴があります。

 そう、飽く迄それは「理論値」であって「実測値」ではないことです。

 

 インターネットだけでなく、SNSやニュース専門アプリが配信される現代において。仮に通信速度が極端に遅くなっても、契約者からすれば簡単に相談や通信毒度の低下を究明する為に原因究明を申し込むことを難しくしています。

 

 何故なら、理論値は理論値。建物の立地条件や利用ユーザー数によって、日々通信速度というものは変動してしまいます。

 喩え、原因がどこにあるかわからなくても。

 

 このことは、 通信事業者からすれば体の良い物言いができることを意味します。

 

 調査はします。

 お使いのお宅の方が、問題なのではありませんか。

 努力はしているんだから、我慢してくださいよ。

 

 そんな甘ったるい対応は、契約者でありユーザーである人を簡単に陥れることができます。

 契約書に書いてあるんだから。

 

 ですが。

 

tabouaxela.hatenablog.com

 

 この度相談を受けた内容は、明らかにそのような適当な内容で解決できるものではないと直感していました。

 

 根拠は持っていました。

 それよりも。

 同じ電気通信事業者として、利用するユーザーを嘲笑うかのように。もしくは、知らないことをいいことに誤魔化せるだろうという思いが、隠す気もなく見えていました。

 

 確かに、気の置けない友からの依頼でした。私もその依頼を受け、当初から考えられる原因の憶測と対応を考え続けていました。

 そう。

 依頼主との親密さと、通信事業者としての考え方は別物として来ました。

 

 そして、その時はやって参りました。

 

 

 

 問い合わせに対してまともに応えようとすらしない不誠実な態度の業者

 

 これから述べる内容は、専門用語や技術的なことは省略いたしますことを、予めご了承ください。

 

 始めに契約者である友人がカスタマーセンター、別名で言えば故障修理受付部門に電話を入れました。

 

 「現在電話が大変込み合っています。暫く時間を置いて掛け直すか、このままお待ち下さい」

 無機質なアナウンスが続くこと、十数分。これは現実的に十分あり得ることなので、ひたすら相手が出るのを待ちます。

 

 ようやく、担当者が対応してくださいました。これまでの経緯を説明する友、しかし返答は相変わらずということで相当苛立っている様子でした。

 

 「IPv6の設定が未設定です、まず設定してください」

 

 とのこと。私は溜め息を吐きました。

 

 事前に伺っていた情報によると、元々最大200Mbbsの速度が出る光回線の契約とのことでした。月々払う通信料金も、安いものではありません。

 何より、一昔の先進技術として流行ったADSLでも、最大48Mbbsの速度を出すことが出来ます。今で言えば、WiMAXと同等の速度です。

 

 それが、たった3Mbbsしか出ないとのこと。動画再生もままならない遅さです。

 

 私は直感しました。これは技術云々ではなく、回線を提供する側に問題がある、と。

 

 私は、基本的に会社や社会に対して不誠実な碌でもない人間です。会社に尽くすこともお偉いさん方との交流も、下らない余興であり金と時間の浪費と考える程です。

 

 然れど、こんな私でも腐っても電気通信事業者。温い文言で言い逃れなどさせないと心に決め、友から受け取った電話に応対しました。

 カスタマーセンターなら、自社が提供しているサービス内容は少なくとも熟知しているだろう。手始めに、まずは提供している通信の内容を問うことで探りを入れ始めました。

 

 が、しかし。

 電気通信事業者なら通づるだろうサービス内容や対応方法を問うた途端。

 

 電話を一方的に切られてしまいました。こちらはスマートフォンでの通話、操作誤りなどありません。

 

 ……ほぉ。取次誤りかどうかはわかりませんが、(第三者である私が介入しましたが)対応そのものを一方的に切るとは。

 

 そこでたーぼぅさんも私も、一気に殺る気に満ちました。

 

 いい度胸だ。良いだろう、徹底的に問い詰めてやる。

 客が神、という考えは個人的に嫌いですし論外と考えています。

 

 しかしこれは、度が過ぎるあるまじき対応。

 

 再度電話をするも、相変わらずの無味な電子案内。それでも、私たちは待つことにしました。

 どれだけ時間が掛かっても、構わない。だが次は、安易に逃げるようなことは許さん。

 

 たかが顧客だと、舐めるよ。

 

 胸中で煮えくり返る思いを留めながら、待つこと30分。

 担当者が変わったのか、一から説明させられることとなった友が苛立つ様を見ながら、私に電話が取り次がれました。

 

 飽く迄冷静に。

 しかし先程の一方的な遮断に始まり、全ての状況を掌握するまで、この通話は切らんぞ。

 

 

 

 お金をいただいて通信を提供している、その自覚すらないのか

 

 

 マイクの向こうから聞こえてきたのは、気怠そうにする声。

 如何にも面倒な客が来たなぁ、と言わんばかりの声色でした。

 

 まずは状況把握。苛立つ心を抑え、提供サービスから現状までを慎重に聞いていきます。

 私が持ち得る知識を引き出し、大凡の内容を把握。

 

 ですが、非常に残念なことに。

 私は感情任せに怒ったつもりは毛頭ありません。誠意を見せろ、などといった精神論に至ったつもりもありません。

 

 飽く迄、技術的なこととカスタマーセンターとしての対応について言及したに過ぎません。

 それを、「はい」「あ……はい」と言うばかり。

 

 苛立つことはあってもキレることは滅多にない私は、理論武装した上で詰るようにしてキレる程でした。

 

 はいはいとこちらの話を聞くことが、電気通信事業者の役割か?違うだろうが。

 

 別に対応者を責めるつもりはありませんし、至らぬ点を逆手に金を返せなどという短絡的な話を、こちらはしたい訳ではありません。

 単純に、通信状況を改善して欲しい。それだけのことです。

 それを面倒そうにわからない、答えられないなら「別の者と電話を変わります」ことすら言えないのか?

 それで一端の電気通信事業者の肩書を背負っているなど、笑わせる。

 

 これは駄目だな、と思いながらも。

 対応策をこちら側から敢えて提言します。

 

 インターネット網との架け橋を担う業者(通称プロバイダ。略称ISP)と。

 回線そのもの、つまり物理的な光回線などを提供する業者は異なることがあります。

 中には手続きの煩雑さを解消する為に双方を同時に担う業者も存在します。

 

 今回の場合は前者、相手は飽く迄ISP。回線そのものはどこかの事業主から借りていることが判明しました。

 この場合、ISPは利用者から故障や速度遅延といった相談が寄せられた際、回線提供主

に基地局から提供先までの障害状況を確認することが可能です。

 

 そこをピンポイントで問い質したところ。

 

 「回線貸し出し側で障害がある、とのことです」という返答をいただきました。

 

 

 ん?あれ、そんな情報、今まで出して来ましたか?

 そちらは飽く迄、利用者側の不備をアドバイスするかのように、言い訳してきたのですよね。

 

 それがここに来て、大本に問題があると申し上げますか。 

 ふぅん、左様でございますか。なら、こちらにも考えがあります。

 

 

 

 知らないことは罪?否、それを説明して納得していただくのが通信事業者の仕事だろう

 

 

 あのですね、とわざとらしく電話口で思わず私は零していました。

 「それは今わかったことではありませんよね」

 「何故顧客に説明せず、こちらの問題として処理しようとするのですか?問題があったなら、説明することなんて当たり前のことですよ」

 「いい加減な対応しておきながら、こちらがお話しすれば状況把握できていますよね。どうしてそれができないのですか?」

 「詳しいことがわからないユーザーだからこそ、きちんと説明をしてくださいよ。何のためのカスタマーセンターなのですか。クレーム処理ではなく、通信サービスを維持継続するのが、お仕事ですよね。いい加減な対応は、お客さんの信頼を失いますよ?」

 

 行き過ぎた、と後から反省しましたが、感情を抑え切れませんでした。 

 どうやら私は、本気でキレると頭の血がたちまち下がっていって、冷静になって。

 自分なり、ではありますが。事実を鑑みながら正論をまくし立てるように論じ、相手が納得しようがいまいが「違いますか?」と締め括ることを、改めて自分を知る機会ともなりました。

 

 この時点で激白し過ぎたことを実感した私は頭を冷やすべく部屋を後にし、煙草を吸う為に外へと趣きましたが。

 部屋を後にするドアの向こうで、たーぼぅさんに怒りに満ちた怒号が飛んでいました。

 

 煙草を吹かしながら、そうなるのが普通ですよ、という思いと共に紫煙を吐き捨てていました。

 

 たーぼぅは、決して悪くない。

 

 何ヶ月もユーザー側に責任を押し付け、それで言い逃れてきた契約元がどうしようもない事業者ということを、この耳で、この身で知ったのは紛れもない事実です。

 

 

 結局のところ。

 お金を、料金を頂戴しているという自覚がまるでないことを知ってしまいました。

 昨今モラルの問題として、客が神とする勘違いしている御仁が話題になりつつあります。

 

 今回は、その逆を行っていました。

 利用料金を貰えていれば、後のことはどうでも良い。クレーマーなんて適当にあしらっておけ。嫌なら解約すれば良い。

 

 

 違うでしょう?

 頂戴しているお金相応の対応をするのが、事業者の仕事です。契約できれば良い、など以ての外です。

 電気通信は、とても複雑な構成をしながらも、サービスをを展開しています。

 

 別に、仕様から何まで伝えろとは申しません。

 ですが最低限、困っているユーザーに寄り添って解決まで歩んでいくのが、事業者としてあるべき姿なのではないかと思います。

 

 少なくとも私は。

 

 この悶着で旅が、オオカミと出会う旅が台無しになりかけましたが。

 後日、通信状況が解消されたことを聞き、この度の騒動は解決に至りました。私も首を突っ込んだ手前気が気ではありませんでしたが、相談を受けた手前、役目をを果たせたのかなとほっと胸を撫で下ろすのでした。

 

 お金を頂戴すること。そこには相応の自覚と然るべき対応が求められることを胸に刻みながら。

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。 

 

 

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【車・趣味】まだ見ぬオオカミを目指して ~那須どうぶつ王国その5と、ヒトの醜さ~

 ここに来て、急に新型コロナウイルスの再拡大が懸念されるニュースが目立つようになってきました。

 最近は通勤で使っている列車も、ツアー客が目立つようになって久しくあります。加えて車内でアルコール飲料を開ける音が響き、周囲のことなど関係ないと言わんばかりに盛り上がる御仁さえ遭遇するようになりました。

 

 日本人が半ば無意識的に行ってきた手洗いやマスク着用という文化も、緩み始めていると思えてならない【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは、如何お過ごしでしょうか。

 

 

 連日に渡って綴って参りました、那須どうぶつ王国。オオカミとようやく出会えた旅も、終わりを迎えることとなります。

 最後を飾るのは、動物園でもアイドルとして活躍し脚光を浴びる子たちとの出会い。

 その後訪れ、お世話になることとなるホテルで。

 

 動物たちが見せることのない、ヒトという生き物が持つ理性があらぬ方向に飛んでしまった、醜い姿を目の当たりにしたことを。

 目先のことだけを見ない、汚さとも言える無様さを見て、落胆したことを綴って参ります。

 

 

 

 

 可愛い見た目でも仏頂面な印象だった、レッサーパンダが?

 

 動物たちとの触れ合いも、いよいよ終盤となって参りました。

 ホッキョクオオカミとの対峙を終えてすっかり脳みそが溶けた私でしたが、最後のエリアへと意地の如き思いと共に入り込んでいきます。

 

 動物園のアイドルにして必ずと言っても過言ではない、可愛さと愛くるしさを併せ持つ、レッサーパンダが住む「アジアの森」へ。

 

 これまでの熱帯エリアや亜熱帯エリアは湿度を高めに設定されマスク越しの呼吸のし辛さ、眼鏡の曇りといった弊害に悩まさました。

 しかしこの一帯は名の通りアジアの気候を再現しており、ヒトである私たちにも快適と言える場所でした。

 そして、彼らが相変わらずの様子で寛いでいました。

 

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 半開きの目が、午前中に充電切れを起こしたことを想像させる、おっとりさと愛くるしさの象徴レッサーパンダ。木の上でウトウトしています。

 

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 人気の動物故、多くの来園者に賑わっています。子どもたちの「いたー!」という歓喜の声も響き渡ります。

 しかしそれも何のその。気にしないかのように、ひたすらマイペースを貫きお昼寝に戻ろうとしていました。

 

 ホッキョクオオカミでオーバーヒートした脳を休める為に、暫しその姿に癒やされていると。

 

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 開かれた目には、野生の鋭さ。これまで動き回っているか眠っているかのどちらかしか見たことがありませんでした。

 その為か、獲物を狙うかのように前を見据えるレッサーパンダの、別の一面。

 ここまで抱いてきた、動物園のアイドルに対する印象が変わる瞬間でした。

 

 などと思っていた途端。

 

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 このはち切れんばかりの愛くるしさ。ベロを見せながら、満面の笑みを浮かべる看板っ子。室内の灯りと窓から注ぐ光が差し込み、さながら陸上の天使を思わせる可愛らしさを披露してくれました。

 天真爛漫、という言葉もしっくり来る感じです。

 

 どうやら、眠気が覚め活動状態に入ってくれたようです。

 天使の微笑みを振りまきながら、敷地内を駆け回り始めます。

 

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 フワフワな毛並みに、混じり気のない笑み。コロナ禍に、現代生活に疲れた私たちを癒やしてくれます。

 

 それは決して、「負けるな!」と鼓舞する威容ではありません。心が折れそうな時に支えてくれるような強さは微塵もありません。

 逆に「そんな顔して、どうしたの?強張ってるよ、ほら笑顔笑顔!」と語りかけるかのような、優しさと無垢さを包括する姿を見せてくれました。

 激励するのではなく、そっと寄り添うような仕草と表情は、現代の社会に生きる私たちに安らぎと憩いを齎すものでした。

 

 私個人としては、オオカミや猛禽類のような精悍な顔や身体と、堂々と見せることはなくとも強さと靭やかさを兼ね備える動物が好みです。

 

 しかしこのレッサーパンダたちが見せてくれた愛嬌と穏やかさは、凝り固まった疲れや鬱屈さを溶かしてくれる優しさに満ちていました。すっかり、見入っていたのがその証拠でした。

 

 

 溜まった鬱憤や行きどころのない激情に苛まれることの多い、私たち。

 今年は特に、新型コロナウイルスという脅威を最後まで払拭できないまま。

 疑心暗鬼と見えない恐怖、そして鬱屈な思いを背負ったまま年末を迎えることになると思います。

 今年に入るまで遭遇することのなかった、今までの生活や慣例が破壊された世の中となり、殺伐とした雰囲気は未だ消えずにいます。

 

 決して強くない、私たちヒトは。

 動物たちの。オオカミやレッサーパンダを始めとする彼ら彼女らに。

 触れ合ったり時間を共にしたりすることで、時には思いを馳せ、時には癒やしを求めているのだろう、と思うのでした。

 人間同士だけでは解消できない、様々な感情や思いを、まるで共有するかのように。

 

 

 さて、そんな私の頭の中身など振り払って。レッサーパンダたちの、ありのままの姿を追っていきます。

 

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 木の上から地上に降り、水面で遊ぶかのような仕草も見せてくれます。浮かんでいる作り物の笹が気になったのでしょうか。

 

 ほっこりさせて貰いながら、再び頭上へと視線を向けると。

 

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 もう一頭の子も、眠気スッキリで万全状態と言わんばかりに立ち上がっていました。

 

 しかし、その顔をよく見てみると……。

 口から、何かがはみ出ています。

 

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 ベロ、しまい忘れているよ?

 他の動物園のレッサーパンダは、どちらかと言うと強面な子が多かった印象でしたが。

 那須どうぶつ王国の子たちは、揃ってリラックス仕切っているかのようでした。そのギャップとも思える姿が、また愛らしく可愛いです。

 

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 「え、なぁに?」

 困り顔にも見える表情を浮かべながらも、やはりベロはチロリとはみ出たままでした。

  ホッキョクオオカミたちを目の前にした時とはまた違う、可愛げな彼らに私はすっかり癒やされていました。

 思い切り、抱きしめたいです。

 

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 極めつけはこちら。

 毛繕いするように、互いの身体を舐め合う様を拝むことができました。これまで単独で動く子たちを見てきた私にとって、レッサーパンダが身を寄せ合い互いを信頼し切っているような姿を目の当たりにした私は。

 

 溶けかけの脳が、完全に液状化することとなりました。

 駄目だ、愛おしすぎる。見ているこちらの方が、思わず破顔する。

 

 抱擁したい思いが込み上げ続ける中、時間も迫っていたこともあり。

 那須どうぶつ王国を後にし、本日の宿泊地までの道へ着くのでした。

 

 また会えたら、いいな。そんな思いを抱きながら。

 

 

 

 紅葉と硫黄の香りが広がる、ホテルまでの道程

 

 

 愛車へと戻り、本日の宿を目指し駆け出した私たち。

 すっかり脳みそが溶けて口から出てきそうな状態になっていた私は、正気を保つのも必死でした。

 隣に座すたーぼぅさんに、何度も心配されてしまったことは、私の至らぬ所だと反省するばかりでした。

 

 実は今回、それ以外にも私のミスで旅自体が台無しになる寸前にまで行っていました。

 

 互いにツインルームを一人で泊まるプランを予約するつもりだったところを。

 まさかの宿違いで予約。気付いたのは出立前の3日ほど前だったかと思います。

 

 互いに手を尽くしながらも、最終的にはたーぼぅさんが予約したホテルさんが無理なお願いを快諾してくださいました。

 Go to トラベルが盛んな最中、ホテルのスタッフの方々にはお手数とご迷惑を掛けてしまったことに変わりはありません。

 それも、元々は私のミスから始まったこと。

 

 たーぼぅさん始め、申し訳ない思いで一杯になると共に。多くの方に感謝するばかりでした。

 

 さてさて、ホテルまでの道程はワインディングロードが続く、走っていて気持ちのいい高原の道でした。

 少しずつ色付き始めた木々。赤はまだ甘さがありましたが、黄色に染まる山は冬の訪れを予感させながらも。

 

 運転中でも目を引き寄せられる華やかさを見せていました。(ハンドルを握る私は当然ながら、写真も撮れず景色も堪能する訳にはいきませんでした。脇見運転、駄目、絶対)

 

 山道を抜けると、次々と温泉が湧く地帯に出ました。特に鹿の湯付近を通過する時は、とてつもない硫黄の臭いが立ち込めていました。

 

 これが、温泉という香りなど凌駕するとてつもない臭い。悪臭と言っては失礼ですが、外気導入にしていた愛車内が一気に硫黄臭で満たされて。

 むせこむ程の強烈さ。吸い過ぎると死ぬのではないかと思える程の苛烈さ。

 学生時代、硫化水素を発生させる実験で死にかけた、腐った卵のような臭い。

 

 これは、身体に効くだろう、などと思いながら。

 何事も適量が一番なのだろうな、とシミジミと考えさせられました。

 

 

 

 目の前のことにしかものを言えない、ホテルでのヒトたち

 

 

 伊香保温泉街のような雰囲気を漂わせる温泉街。宿場町と同じように当時の面影を残しつつ、現代にまで風情と趣き。思わず車の速度を落として、牛歩の如く行きたくなる情景。

 その先に、本日お世話になる「サンバレー那須」がありました。

 

 高度成長期、次々と訪れる人々を迎える為に増築と新たな宿泊棟を造っていったのだろう。建物は、良く言えば当時の面影を残すレトロさを醸し出して。悪く言えば古臭くボロボロになっていました。

 しかしながら私は、どこか懐かしさを感じる心境でした。

 温泉街に立つ、古き良き時代の面影を残すリゾートホテル。普段の旅行ではビジネスホテルを使うことが多い私には、新鮮でした。

 

 綺麗なことが、全てではない。そんなことを思いながら。

 

 然れど、ここから様々な障害に鉢合わせることとなりました。

 

 Go to を利用し、様々な地域から沢山の人々が押し寄せる勢いでホテル周辺は車が往来していました。

 その中で目立ったのが、レンタカーを示す「わ」ナンバーの車。東京在住の方々を悪く言うつもりはありませんが、大半は足立や品川のものでした。

 恐らく、道がわからなかったのでしょう。

 

 でもさ。

 

 ウインカーやハザードランプも無しに急停車や徐行して道を塞いだり。唐突のブレーキから方向指示器なしで急ハンドルを切ったり。

 挙げ句には逆走しておきながら、いかにもこちらが悪いかのように睨んでくる始末。

 

 

 あのですね。

 

 普通に危ないから、貴方たち。免許持っているからと言って、公道で無双して言い訳ではないのですよ?今の車にはナビも装備されているでしょうし、スマホでも確実なナビゲートも可能な世の中なのだから。

 後続車に無意味なブレーキを踏ませる運転をする前に、目的地をしっかり入力してから車を動かしてくれよ。それでも迷うのなら、せめて待避所で車を止めてくれ。運転しながらルート案内なんて確認しないでくれ、お願いだから。

 運転に慣れていないのか、サンデードライバーなのか知りませんが、我が物顔で行き交いするのはちょっと違うのでは?

 

 車を運転することは、経験則や経歴など関係なしに周りの状況を把握すること。他車の進行を無闇に妨害しないこと。

 そして、運転する上で生じた不行きや不味さも、全て自分の責任と思って車を動かすこと。

 

 それすらままならないのに、何のリアクションも取らない所か、こちらに責任を擦り付けるに睨み付けるなんて、正気の沙汰ではありません。

 

 車を運転することは、私にとって楽しくて喜びです。

 それ故、無粋な運転を平然とする方々を全否定することはできません。

 

 しかしながら、限度というものがあります。流石にこちらも怒号を飛ばしてしまいました。

 

 交通ルールも守れない輩が、でかい態度を取るな。

 

 詰まらないことで事故に発展したりトラブルになる位なら。

 公共交通機関を使ってください、お願いだから。

 

 

 

 GO toに踊らされて、恥など捨てたのか。貴方たちは、何をしに来たのですか?

 

 

 宿に着いてからも、身や心を休ませる雰囲気はそこにはありませんでした。

 

 予約した人々が溢れ返る状況。それだけなら、まだ仕方なしと流せたと思います。

 

 ですがそこは、阿鼻叫喚……否、無法地帯と化していました。

 ホテルのスタッフの方が、最前線で訪れる人を宿泊者リストと照らし合わせながら一人ひとり確認し。

 フロントではごった返した宿泊予定者を、アナログながらも一組ずつ呼び出し手続きを進めていました。

 

 その労力と大変さなど、知ったことかと言わんばかりに。

 子どもはロビーを縦横無尽に、奇声のような声を上げながら駆けて。

 それを止めることもせず、親御さんたちは話に夢中になっていたりスマホに集中する有様。

 

 さらには、とある宿泊予定者がスタッフを呼び止めて。

 順番を抜かされた、といったクレームにもならない唯の我儘を言う始末。

 

 

 なんだこれ。

 スタッフの方々が必死に対応しているのに、宿泊者側が一方的な態度を見せ付ける無様さ。

 それが、さも当たり前だろと言いたいかのように。

 

 

 Go toに踊らされたのか、お前たちは?

 そもそも那須塩原に、何をしに来たんだ?

 

 行楽地や観光地を楽しんで、その余韻に浸りながら一夜を明かす為にここにいる、そうじゃないのか。

 まさか、お金を払っているから、自分が絶対的立場に立っているだなんて思っていませんよね?

 

 それとも、あれですか。

 Go toで安く泊まれることが目的で来たとでも?

 

 

 とんだ勘違いですよ、貴方たち。

 

 

 目的と方法を履き違えていますが、気付きませんか?

 何のための旅行なのですか。目的は多岐に渡るでしょうが、「旅を楽しむ」為に来ているはずですよね?

 宿泊施設でくだらない文句や怒号を放っておきながら、子どもを野放しにする為に来た訳ではないですよね?

 

 違いますか?

 

 目の前の金に目が行ってこの場にいるなら、今すぐ帰れ。何様のつもりだ。

 

 それとも、みっともない姿を晒してでも、結局はお金ですか。

 だとしたら、無様極まりない醜態ですよ。恥というものすら捨てたのですか?

 

 Go toは、そんなヒトの醜さを曝け出す政策ではないはずだと私は思っています。

 コロナ禍で困窮した業界を救済する為、そして閉じこもりがちな民衆に旅を促す為のもの。

 

 それがこの様とは……旅の目的、忘れているとしか思えませんでした。

 人間誰しも、好きに文句を言いたいヒトはいないと思っているのは、私だけでしょうか。

 それは違う、と言いたいです。

 折角計画した旅なのだから、ホテル側も泊まる側も円滑で円満で終わりたいはず。

 

 敢えてそれを自ら瓦解していく姿を目の当たりにした私は。

 元々ヒトの醜さや汚さを散々見てきた身として。

 

 見苦しい馬鹿共が、とバッサリ切り捨てていました。

 

 そうこうしている内にチェックインを無事終えた私たちは、夕食までの一時を部屋で過ごすこととなりました。

 受付で垣間見たヒトの意地汚さを、忘れたい一心で。

 

 

 途中から口汚い罵りばかりとなり、申し訳ありませんでした。

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 P.S

 

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 那須どうぶつ王国のお土産屋売り場で一目惚れして買った、ホッキョクオオカミのぬいぐるみを眺めて癒やしを求めていました。

【車・趣味】まだ見ぬオオカミを目指して ~本命・ホッキョクオオカミ・下章~

 ここ数日の日中帯はとても良く晴れ渡り、秋を感じるドライブに最適な日和が続いています。

 内勤族故にその心地好さを仕事中に感じることができないのが残念で仕方ありませんが、快晴からの明け方の氷点下だけが身に沁みて辛い【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 ブログを綴るようになってから、ここまで連日に渡って更新し続けるのは初めてのことかもしれません。今回はオオカミのことを思い返して綴っていく内に、(色々な意味で)脳が焼き切れて一日遅れとなりました。

 それだけ今回の旅が私にとってどれだけ印象的で、脳裏に焼き付いて、感情を昂ぶらせたか。旅の記憶が、言葉以上のものとなって今でも溢れ出ています。

 

 この思いを、本日も綴って参ります。

 私の理性を思い切り吹き飛ばした、ホッキョクオオカミたちの勇姿と共に。

 

 

 

 

 

 先入観を払拭する、ホッキョクオオカミの優しい眼 

 

 これまで訪れたエリアでは、精悍な姿や愛くるしさを見せる動物たちを見て思わずほくそ笑んだり、声が出たり、溜め息に似た恍惚な思いを吐き出したり。何かとリアクションを取ってばかりの私でした。

 

 このオオカミの丘で、ホッキョクオオカミたちと対峙している時は、それらさえすることなくひたすら彼らを追うようにカメラを振り回していました。

 

 まるで、求めるかのように。もっと言えば、彼らの存在を、この手にしたい。

 

 十分おかしく狂人地味た発言であることは、十分承知しているつもりです。

 ですが、この思いは嘘でも誇張でもありません。オオカミを渇望するような思いは、私の理性などという軟弱なものを簡単に凌駕していました。

 

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 もののけ姫のモロの子を思わせるような趣き。私たちヒトと違い、忙しさという概念など知らぬかのように柔らかさと穏やかさを醸し出す姿。どこまでも落ち着きに満ちていて、最後まで優雅でした。

 

 

 海外だけでなく、日本でもオオカミという存在は悪い存在として扱われることが沢山あります。

 獰猛なその姿だけでなく、家畜を襲い食らうことから忌み嫌われてきた歴史が、各地で今でも残っています。

 日本でも童話として三匹の子豚や赤ずきんといった作品の中で、登場人物を喰らおうと画策する悪とされてきました。

 中には害獣を駆逐する益獣として、或いは神格化されることもありましたが、基本的には「恐れ」や「畏怖」という概念が付き纏い続けてきました。

 

 そう。

 オオカミは「怖い生き物」であると。「オオカミのようになってはいけない」と戒めるかのように。

 

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 敷地内を一周して、再び私たちの目の前で片方の子が見詰めてくれました。

 「どうしたの?そんなに私たちを見続けて、面白いかな?」

 本能が暴走しかけている私を見る、まるで心配するかのような、澄み切った優しい茶色の瞳。

 

 この姿の、どこが恐ろしいのでしょうか。戒めとさせる程のものが、どこにあるのでしょうか。

 ガラス一枚を隔てていながら。

 私には、思わず抱きつきたくなる思いしか溢れませんでした。

 私がオオカミ推しであることも、ケモナーであることも、差し置いて。

 

 オオカミは、怖くて悪い生き物。歴史や経験があってこそ、そのような認知が広がったとしても。

 

 目の前のホッキョクオオカミは、ひたすら柔和で、理知的で。

 まるで寄り添ってくるかのように見えました。

 

 私にはオオカミたち「だけ」が悪いという先入観は、ただの決め付けの延長に過ぎないのではないかと思えてなりませんでした。

 少なくとも、こんなに優しくて、真っ直ぐな瞳を向けるこの子たちには。

 

 眼前の出来事で物事を決めつけるなと言われるかもしれません。可愛さを目の当たりにしたことによる、勝手なエゴだと思われるかもしれません。

 

 それでも。

 私には、話に聞くだけや耳にするだけでの決め付けることは、決してできるものではないと確信するにまで至っていました。

 悪者というレッテルを貼られたオオカミたちをと、こうして実際に向き合っているのだから。

 

 

 

 孤高でありながら、仲間を思う勇姿

 

 少し熱くなってしまいましたが、ホッキョクオオカミたちとの触れ合いに話を戻します。

 オオカミと言えば、様々な熟語が存在します。その最たるものとして、一匹狼という言葉が出てくるかと思います。 

 

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 こちらは、動き回っている子とは別の一頭。すまし顔をしているような、傍観しているような、一頭でいながらも達観している。そんな印象を受け取ることができます。

 しかし実際のところ、オオカミという生き物は群れを作って行動すると言われています。単独で動き、獲物を狩る孤独ながらも崇高なイメージが(私の中では)強いですが、生態としては一つのグループに 3から10頭前後の個体が群れとなって、常に行動を共にするそうです。

 

 そのグループで成長した子は群れを抜け出して、たった一匹で生き抜く道を選び、新たなグループを作り上げる期間があります。

 オオカミは決して大きな身体を持たない為、上手くグループをを作ることができることもあれば、命を落とす危険性も孕んでいます。そのようなオオカミの姿を見て、人々は「自発的に行動する人」のことを『一匹狼』と呼ぶようになった、という説があります。

 

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 然れど現実のオオカミたちは、ヒトが作った言葉とは真逆の。

 本来の生態を、生き様を見せてくれました。

 

 先程伏せていた一頭も、私が動き回る子に夢中になっている合間に。

 

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 番であるかのように。或いは仲間であるかのように。

 二頭のホッキョクオオカミが、まるで寄り添うようにして、共に歩いていました。

 

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 並びながら、互いに同じ方向を見据えるホッキョクオオカミ。締まった細身の身体、強靭さを知らしめるかのような四肢。極寒に耐える為の、フサフサでしっかりとした白い毛並み。

 願わくは揃って遠吠えする姿を拝めたい欲もありましたが、それは流石に貪欲が過ぎたようです。

 

 ですが、個人的にはベターショットの一つとなる一枚を収めることができたと思っています。

 もし吼えたら、どんな声を出すのだろうか。想像心や憶測を掻き立てるという面でも、ある意味良い写真となりました。

 

 最早、恍惚の域に達していました。

 

 

 

 無我夢中で、オオカミと向き合って

 

 その後もオオカミと向き合い続けていました。自分では、もうどの位の時間をオオカミの丘で過ごしていたのか、わからなくなる程でした。

 それ程にまで、オオカミという生き物は私を魅了し、憧憬する存在であることを改めて実感するのでした。 

 

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 正面からは、あまりに細身で顔が大きく見える程なのに。

 

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 「もう、いい加減飽きたでしょ?」
 そっぽ向かれながらも、最後までサービス精神旺盛な姿を見せてくれたホッキョクオオカミに、私はどこまでも魅せられてばかりでした。

 

 そして。

 

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 木々や岩、伸びた草が点在する敷地内で。

 私の中ではベストショットとなる一枚を、撮ることができました。

 

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 背後から盗撮()されていることにも気付かず。それを見たオオカミ君が「撮られてるよ?」と呆れ顔を見せている様も、たーぼぅさんのカメラは確実に捉えていました。

 

 

  この日は100と少しほどの写真を撮りましたが、その内の60枚近くがホッキョクオオカミで埋め尽くされていました。

 

 直後に寄ったお土産屋で、お金など関係なしに本能のままホッキョクオオカミのぬいぐるみやエコバッグ、扇子まで購入していました。

 

 

 この時点で精神の8割以上が崩壊し、自然と笑みが零れまくってしまう状態でしたが。

 那須どうぶつ王国での時間は、もう少しだけ続きます。

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

【車・趣味】まだ見ぬオオカミを目指して ~本命、ホッキョクオオカミ・上章~

 各地で初雪が観測されるようになって参りました。今年の冬は、例年以上に本格的なようです。

 今日もコタツでヌクヌク、ファンヒーターを炊いてホカホカ。電気毛布でアッタカな夜を過ごしている、【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 前回は少し湿っぽい方向に話が逸れてしまいましたが、いよいよ、待ちに待った時がやってきました。

 

 再挑戦を切望した、ホッキョクオオカミとの対面。雨も止んで少し温かくなった那須どうぶつ王国。

 果たして、颯爽と動き回る彼らと対峙することは叶うのか。

 

 ここ数年で幾つもの夢を抱き、叶えられて来れたことも重ねながら、本日も綴って参ります。

 今回は写真が多くなりますが、何卒ご容赦ください。

 

 

 

 

 本命の、ホッキョクオオカミ

 

 再びオオカミの丘へと戻ってきた私たちの前では、最初に訪れた時以上の来園者と盛り上がりが広がっていました。

 

 そこには、動き始めたホッキョクオオカミたちの姿が。

 

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 うわっ……うっわっ……!

 雨の後ということもあり純白とはいかなくとも、白くてフワフワな毛並みを携えたホッキョクオオカミが、遂に、遂に!

 

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 靭やかで軽い足取りながら、大きい個体で80センチにもなる体躯が大地を踏み締めていきます。

 オオカミの面影を残すイヌとしてはアラスカンマラミュートやシベリアンハスキーがいますが、彼らは大きくても60センチということなので、やはり一回り以上大きく見えます。

 そして毛並みの奥に見える、引き締まった四肢の筋肉も野生ならでは。極限地帯を生き残る為に極められた体躯は、果たしてどれ程の力を秘めているのでしょうか。

 そんなことを、理性が途切れるまでに昂ぶった頭で考えていると。

 

 そのまま軽い足取りで。

 

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 「あぁ、こんにちは。今日も冷えるね」

 ガラス一枚で仕切られた、目の前にまで近付いてきてくれました!その距離、1メートルもありません。本当に眼前です。

 

 

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 野生でありながら彼(彼女?)の表情は、あまりにも穏やかでした。

 「えっと、どうしたんだい?」

 どうやらホッキョクオオカミはオオカミの中でも比較的温厚な性格なようです。上手く関係を築くことができれば懐くことさえあるそうです。

 その温厚さが、オオカミでありながら見知らぬ私たちを目の当たりにしても真っ直ぐで、力強い体躯とは対照的に優しさとも憂いとも見える表情を浮かべている。そのように見えました。

 

 しかし。

 「変な顔してるけど、大丈夫?」

 

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 柔らかな眼差しを見せるホッキョクオオカミを前にした私は、理性が完全に飛んでいました。

 

 生まれて初めて見る、オオカミの勇姿。それを一枚の障害物を挟んで、たった数十センチという間近で見られたこと。

 それだけでなく、オオカミという孤高で強い生き物。

 彼らは私にとって、歳と共に憧れと羨望の存在となっていました。

 

 最初こそその気高さと格好良さで自分が細々と執筆する小説の主役として描いてきました。

 更に2018年から連載されつい先日終わりを迎えた、動物たちの生き様を描いたBEASTARSの主人公に抜擢されたのも、オオカミでした。

 

 どうして、そんなに気高さを誇っていられるんだ?」

 そんな思いから、いつの間にか私は、彼らの姿と崇高さにすっかり魅了され。推しと言うなど失礼なまでの存在となっていました。

 

 たかが動物じゃないか、という人もいらっしゃると思います。子どもじゃあるまい、動物園に行くなんて馬鹿らしいと思う方もいらっしゃるでしょう。

 

 

 然れど。

 それ以上にヒトの醜さを目の当たりにした私には、他人を好いたり愛するよりも大きな思いを抱いていることを改めて感じていました。

 

  ヒトは、切っ掛けさえあればいとも簡単に裏切ったり見捨てたりする汚い生き物であることを身を以て知っている私には。

 いつかはヒトと関係を築き繁栄しながら、時には害獣と呼ばれ、毛皮の材料として根絶やしにされてきたオオカミ。

 なのに。

 そんな一人のヒトを前にしても、こんな余裕さと涼やかな顔を、どうして浮かべられるのだろうか。

 

 それを目の前にした瞬間、私の理性などという軟なものは消し飛びました。

 

 普段無意識に抑えている感情が、衝動が破裂したかのように、私はカメラのシャッターを切りに切っていました。

 無我夢中に。それこそ、馬鹿みたいに。

 

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 「……本当に大丈夫かい?」

 

 駄目みたいです、はい。

 

 思い返せば思い返す程、自分を抑えられなくなるような昂りと興奮がぶり返してきてしまった為、申し訳ありませんが一旦仕切り直しさせていただきます。

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

【車・趣味】まだ見ぬオオカミを目指して ~那須どうぶつ王国・その4~

 ここ数日は思いを言葉にしたい感情がとても強くなっており、ブログの更新も捗っております。

 夏場はプライベートや仕事でやや追い詰められていた感もありましたが、こうして伸び伸びと。

 ブログを書かなければ。そういった強迫概念ではなく、純粋に文章を書ける喜びと嬉しさを噛み締めている、【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 数多くの動物と出会ってきた、那須どうぶつ王国。

 今回はコロナ禍でありながら、イヌたちと触れ合う機会に恵まれ、理性と本能だけでなく。

 過去の記憶が、今でも私を縛り続けていることを知って軽蔑する中で。

 

 動物たちにも内心を見透かされたことを目の当たりにして、自分の中に今も広がる失望を食い千切るような思いで彼ら彼女らと向かい合えたことを、綴って参ります。

 

 

 

 触れ合うことが目的!ふれあいドッグパーク

 

 珍しい動物たちのラッシュを一先ず終え、制御が効かなくなり始めた脳を冷やす為に軽く一服を挟んで。

 再度、動き回るホッキョクオオカミたちをこの目で見ようと動き始めた私たちの目の前に、それはありました。

 

 ふれあいドッグパーク。

 名が呈す通り、イヌたちと触れ合い交流を深める区画でした。

 

 しかし、今も尚新型コロナウイルスとの闘いは終わりが見えずにいます。これまでも触れ合うことを目的とする動物園のコーナーも感染リスクを鑑みて、中止或いは限定的開放という場所を数多く見て参りました。

 ここもそうなのだろう……と私もたーぼぅさんも遠目で見ながら、思わず見過ごしすになりました。

 

 が、しかし。区画内にはイヌたちだけでなく、スタッフの方も、来園者の姿がチラホラと見えました。

 

 もしかして……?

 

 疑心暗鬼ながらも、入り口は消毒液がある程度で特に制限されている様子はありませんでした。

 簡易的な仕切りで区切られた敷地内には、沢山のイヌたちと来園された人々が入り交じるかのようにして。

 触ったり撫でたり、ベンチで寄り添う様子が広がっていました。

 

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 ラブラドールレトリバー、ゴールデンレトリバー、サモエドと……見たことがない、大型犬?

 

 動物の中でも、特に犬科の動物が好きで推しでもある私には、願ってもいなかった光景でした。

 

 でも。

 触れ合いや触ること、触られることがあの日から苦手になり。すっかり怖くなってしまった私にとって、ある意味挑戦という側面もあるのでした。

 

 

 こんな時に限って、裏切られて捨てられた過去が蘇って

 

 

 私は生まれてこの方、ペットを飼ったことがありません。

 可愛かったり勇猛であったり、ありのままの姿を晒す動物たちを見ることは大好きです。

 ですが、仮に動物を飼うことを決めたとしても。

 私には最期まで面倒をみるという覚悟が持てないまま、ここまで生きてきてしまいました。

 

 生きとし生けるもの。いつまでも元気でいてくれればと思うのは、多分私たちヒトの驕りや勝手な思い。

 いづれ弱り、最期を看取るのが、動物を飼う為に必要な覚悟。私は恐らく、彼ら彼女らの最期を見届ける程、強くありません。

 親しみが湧けば湧くほど。愛情が深ければ深いほど、お別れは辛くなる。

 

 私には、それが何よりも怖い。

 同じ種族のヒトにさえ貶され、貶められたこともある私は。

 もう、失いたくない。喩えそれが別の種族の動物であっても。

 

 そんな思いもあってか、私は敷地内で自由に動き回るイヌたちにさえ手を伸ばせずにいました。

 触って見たい。撫でてみたい。

 

 でも、それで嫌われて吠えられたら。私は、また嫌われたことになる。

 いつも通りでいたつもり過ごしていたのに、時を境に異物扱いされて除け者にされた。

 

 こんな時にも、あの日の記憶が蘇るのか。なんて弱い生き物なんだ。

 私なんて。

 

 言葉に出さずも躊躇う私。一方で動物慣れしたたーぼぅさんは、一番大きなワンちゃんが座すベンチへと向かっていました。

 遅れないように、私も慌てて後を追いました。もう、怖いなんて言ってなどいられない。

 否、怖がってなんかいられない。自分で自分を鼓舞するように、ワンちゃんの横に座りました。

 

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 その子は、ニュージーランド・ハンタウェイという牧羊犬でした。最大で60センチ、体重は30キロにもなる大型犬。

 ボウ君と名付けられたその子は、ヒトが来ようが関係ないかのように、静かに伏せていました。

 

 おっかなびっくりで隣に座った私、しかしこの柔和でありながら遠くを見据える姿。

 貫禄、とは違う。懐の深さ、と言えば良いのかわかりませんが、吠えることもなく大人しく、優しい子。

 

 たーぼぅさんがその身体を撫でて、満足げな笑みを浮かべているのを見て真似しようとしました。

 しかし、やっぱり怖さが私の手を止めてしまいます。

 

 気付いてくださったのか、茶々を入れるように。

 「白兎さん、怖いの?」とたーぼぅさん。悪気などないことなんて、すぐにわかりました。

 言葉が出ず、子どものようにコクっと頷いた私。いい歳こいて何してんだか、と自分を責めていました。

 

 みっともない。情けない。意気地なし。

 

 

 撫でるだけでなく、触るのも、怖かった。でも、その身体は確かに温かった

 

 

 そこに、優しい声色のアドバイスが。

 「頭や項を優しく撫でるだけで良いんですよ。ネコと違ってゴワゴワした毛並みかもしれませんが、大丈夫。怖くなんてないですから」

 怖く、ない。

 

 そうだ。今は動物たちを拝めに来たんだ。推しのオオカミを、ホッキョクオオカミを。

 それだけじゃない。他の動物たちと触れ合いに来たんだ。

 

 昔の記憶は、確かに消えない。だけど今は、それが出てくる場面でじゃないだろう?

 私は。私は、本物の動物に触れたいんだ。

 

 過去の記憶と今この瞬間は、全然違う場面だろうがっ!昔と現在を、一緒にするな、私っ!

 

 緊張で溜まった唾を一気に飲み込み、それでも震える手でボウ君の身体に触れました。

 

 

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 微動だにせず、しかし彼は、優しい目で遠くを見ていました。

 恐る恐る、首から胴へを撫でます。

 彼の心臓の鼓動を感じながら。柔らかそうに見えた毛並みは、確かにゴワゴワした感触。然れど、確かな温もりに包まれていました。

 

 優しくて、温かい。

 

 「ね、大丈夫でしょ?」

 たーぼぅさんの声を聞いて現実に戻った私は。

 

 思わず「……うん」とだけ返すのでした。

 

 見るだけと、見て触って、触れ合うのとは違う。

 彼らも、私たちと同じようにこの世界に、同じ時間を生きている。

 そう実感した途端、一層愛おしさが堰を切ったように溢れ出ました。

 頭頂部から、マズル。両耳や胴の横と、手が勝手に動いていきます。

 

 私が警戒すれば、彼らも当然警戒し返すだろう。だから、私を支配しつつあった思いをできるだけ殺して。今できるだけの、不器用でもいいから、優しさを彼らに。

 そうして触れていく内に、私はすっかり詰まりかけた息も戻り、すっかり彼らの虜になっていました。

 思えば一番触らせてくれて。極僅かな方を除いて、ヒトを信じることを未だにできずにいる疑い深い私のような存在でも。

 身体も心も大きい、このボウ君でした。

 

 今回お相手してくれたボウ君以外にも。

 

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 サモエドスマイルで有名な、サモエドのアカネちゃん。あまりカメラを向けられることが嫌なのか、そっぽ向かれてばかりでしたが。

 

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 フワフワで真っ白な毛並みは、これまで見て終わって満足していましたが。

 極寒に耐えられるようしっかりとした、想像以上に硬い毛並み。私がビビっていたばかりに近寄ってくれることはありませんでしたが、想像と現実は余りに違うことを知れたことは私にとって大きなものでした。

 

 そして、もう一つ。

 イヌたちは、否動物たちは。

 私たちヒトの気持ちに敏感なのかもしれない、と思い至りました。

 警戒心や恐れが滲み出ていた私には、イヌたちも同じように近付くことも、寄ってくることもありませんでした。

 一方で動物慣れしていたりペットを飼われている人には、吸われるようにして寄り添っていた。それは、身構えることを知らない子どもたちが顕著でした。

 

 ヒトがどんな記憶や経験であっても、疑いや排他的な気持ちを抱いていれば。

 動物たちは機敏に反応して、同じようにこちらを疑うようにして、決して気を許しはしないことを、身を以て知りました。

 

 

 これを悟った瞬間、思わず天を仰いでしまいました。

 すっかり、見透かされてた。いつまでも現実に向き合えないなんて。何をしに来たんだよ、那須どうぶつ王国に。

 

 ダッセぇな、私。

 

 ふれあいドッグパークを出て、すぐの場所なのに。

 楽しそうにイヌたちに声を掛けるカップルや、子どもたちの声が、妙に遠く感じるのでした。

 

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

【車・趣味】まだ見ぬオオカミを目指して ~那須どうぶつ王国・その3~

 10/31日の満月は今年最小で、ハロウィンとちょうど重なったのは数十年ぶりの出来事だったそうです。

 元々死者の霊が家族の元を訪れる日とされ、同時に悪魔や魔女といった悪い精霊から身を守るために仮面を被って魔除けをする日だった、というハロウィン。日本で言うお盆と同じと考えれば、今年のハロウィンは鎮魂には素敵で美しい夜だったのかもしれません。

 物事の起源を知ると知らないでは、同じ行事に対する意識も大きく変わるな、と思う【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 ワオキツネザルが駆け回り場を乱す亜熱帯エリアを抜けた、その目の前には。

 これまで見てこなかった、長蛇の列ができていました。何があるのだろう、と不思議に思いましたが、ニュースで世間に知れ渡り脚光を浴びる存在を見ようと駆けつけた人々でした。

 那須どうぶつ王国のもう一つの目玉が、砂漠の天使と呼ばれるとあるネコ科の動物の赤ちゃんが国内初として誕生したのでした。

 

 動き回るオオカミを見るまでに辿り着く前に、沢山の動物たちとの出会う旅の続きを、早速綴って参ります。

 

 

 

 

 

 長野県の県鳥であり、絶滅危惧種とされているライチョウ

 

 並んだそこは保全の森と呼ばれ、保育室のように完全に回覧者と動物たちを隔離されている場所でした。

 これまでが自由に動物たちが行き交い、触れる程の距離で触れ合いができた同じ動物園内とは思えない程、厳重に守られている印象を受けました。

 そして、列ができるほどの混雑が生まれたこともすぐに納得しました。

 

 エリア名の通り希少種であったり絶滅危惧種に指定される動物を保護し、育て、保全活動に努めているその場では。

 

 私の住む長野県の県鳥とされ、高山地帯にしか生息しないライチョウが最初に迎えてくれました。

 

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 お昼過ぎということもあり、今にも目を閉じて眠ってしまいそうな様子です。

 

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 フワフワで温かそうな羽毛に包まれて、すっかりリラックス状態のライチョウたち。

 

 長野県の高山地帯では、種が絶えないよう保全活動が続いていると聞きます。唯でさえ小さく攻撃や迎撃できる力もないライチョウは、天敵相手にはとても敵わず雛が捕食されたり疫病が蔓延するなどの理由もあって、数を減らしつつあります。

 生息数を取り戻す為には相当の時間と多大な努力が必要とされていますが、一つの種が絶滅してしまうと考えるだけでも、胸が痛む思いに駆られます。

 

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 どの動物が悪いとか、環境のせいだとか、そういう問題ではないものがあることを考えさられる時間でした。

 願わくは、茶色の岩肌と少ない緑の高山地帯に。

 白と茶の羽毛を持つライチョウたちの番やヒナたちが、すくすくと育っている光景が広がることを。

 カメラを構え、願いながらシャッターを切るのでした。

 

 

 時間限定公開、砂漠の天使とスナネコの赤ちゃん

 

 次は、より順番整理が厳しくなる場所を目の前にしました。

 どうやらここが、他の来園者たちもお目当ての動物。

 展覧可能時間も午前と午後、それぞれ2時間程しか設けられず。更にコロナウイルスのリスク回避の為に、対面時間は数分しかないという厳しい条件下。

 そこまでして、ようやく会えたのは。

 

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 過酷な砂漠地帯に生き、砂漠の天使とも呼ばれるスナネコ。その親子たちです。

 身を寄せ合って、眠りに付く様。

 天使と、誇張気味な呼び名にも思わず頷ける可愛さと家族の温かさがそこにはありました。

 ガイドを務めてくださった飼育員さん曰く、動き回っていたがつい数分前にお昼寝時間に入ったとのことです。彼ら彼女らは動き回るので集合写真を撮ることは難しいらしく、とても幸運のタイミング、と仰っていました。

 

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 生まれて半年もしない子どもを、まるで守るかのように抱くようにしています。微笑ましいだけでなく、母性愛、と言えばいいのでしょうか。安全な動物園内でも子どもを守り抜くという本能が滲み出る光景は、健気さと強さの両方を見せ付けているようにも見えました。

 

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 写真の真ん中で潰れかけているように見えるのが、話題の赤ちゃんのようです。

 

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 別角度から。正面からは顔を背けているように見えましたが、もう一頭お休み中でした。お父さん、でしょうか。

 

 雨が降り、少し冷えた那須高原。

 それを温もりと優しさで満たすには十分過ぎる、砂漠の天使たちでした。

 

 

 ネコ・ネコ・ネコ。アムールネコとマヌルネコ

 

 まだまだ、ネコたちの独壇場が続きます。

 

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 こちら、充電中のアムールネコです。日本の一部ではトラネコと呼ばれるように、トラのような模様の毛並みを持つネコです。

 

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 一見イエネコのようにも見えますが、少し頭が大きように見えます。子ネコ、なのでしょうか。

 こちらも午前中に駆け回って、充電が切れてしまったかのように眠っています。無防備で、ストレスという言葉が見当たらないように見える寝顔。

 早く大人になりたいのかな。それとも、夢の中でも世界を走り回っているのかな。

 もっと大きくなって、もっとこの地を駆け巡りたいね。

 

 別の場所では。

 

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 少し強面な子が。

 耳の一がイエネコよりも下がった位置にあり、体格的にも四肢がやや短く毛並みも丸いことから太った見た目の、マヌルネコと言うネコです。

 凍った大地や雪の上で腹ばいになっても身を冷やすことなく過ごせるよう、進化したとされています。

 

 しかしそれよりも。何か気に入らない出来事でもあったのでしょうか。

 

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 白兎「ん。不機嫌そうなネコだ。どうしたんだろう」

 マヌルネコ「あ?」

 

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 白兎「あ、こっち見た、一枚撮r」

 マヌルネコ「あ゛ぁ?」

 

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 白兎「もしかして、オコなn」

 マヌルネコ「あ゛ぁん!?」

 白兎「なんかすみませんでした」

 

 

 マヌルネコ様のご機嫌を損ねたようです。よく見ると、確かにネコというよりも別の寒冷地に住むような温かそうで伸びそうな毛並みを持っていました。

 

 

 お湯に浸かるカピバラさんと紅葉

 

 

 屋内施設から出た私たち。深い霧が立ち込めていましたが、雨はすっかり上がっていました。

 ホッキョクオオカミのリベンジ撮影前に、屋外にいる動物たちを見ていくことにします。

 すると、この季節によく広告のネタにされる動物が。

 

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 「おや、いらっしゃい。どうだい、一緒にお湯でも」

 温かなお湯が張られた湯船に浸かり、すっかりご満悦のカピバラの群れに遭遇。

 

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 慌てる様子もなく、盤石といった様子で歩を進めるその様は貫禄さえ感じます。

 今回初めて知ることとなりましたが、カピバラは齧歯類、つまりネズミの仲間に分類されるそうです。その中でも最も大きい個体が、この子たちということです。

 

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 たまたま小学生低学年の少年と並ぶ場面があったのですが……。

 

 座った状態で人間の子どもの腰位の大きさです。言い方は悪くなりますが、デカいよねカピバラさん?

 全力突進なんてしたらヒトの子どもなんて吹っ飛ばす位余裕なのに、温泉浸かるイメージがすっかり定着する位だから飽く迄温厚なんですよねそうですよね?

 

 そんな私の思いなど関係なく優雅?に歩くカピバラエリアの真横。

 

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 先程まで降った雨が、雫となり、紅葉した葉を濡らしていました。

 ここ数年は気温の下がりが甘く紅葉もイマイチな年が続きました。紅葉というよりも枯れ葉をイメージさせるような茶色くくすんだ木々が多い印象でしたが。

 私の住む地域とほぼ同じ位置にある、ここ那須どうぶつ王国の楓は、曇り空を背景に朱い色を映えさせていました。

 

 もう少しすれば、里にも鮮やかな黄や朱が覆うことになるのだろう。

 霜や氷で覆われる前に。

 その年を必死に生き、最期に彩り華やかな衣装を纏いながら、やがて散っていく様を。

 私たちに見せ付けて、冬の訪れを知らせることになるのだろうな。

 

 

 さて、感傷に浸りながら那須どうぶつ王国での時間も少なくなって行く中。

 遂に、待ち望んだ時間がやってくることとなりました。

 

 次回、動く白い影。孤高のホッキョクオオカミ、推しを捉えられるか?

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

【車・趣味】まだ見ぬオオカミを目指して ~那須どうぶつ王国・その2~

 来週の気象予報で氷点下が示された為、先日タイヤをスタッドレスに交換し終えました。

 本日もユニクロのヒートテックの超極暖というものを初めて購入し、本格的な冬の訪れに備えを着々と進めている【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 那須どうぶつ王国のオオカミの丘、温帯エリアを抜けた私たちは、続けてウェットランドと称される場所へと向かいました。

 亜熱帯地帯に生息する動物たちが自由に暮らすそのエリアは、これまでのどの動物園よりも自由で、ある意味混沌ろする場所であることを、身を以て知る由もなく。

 

 それでは、オオカミを見る旅。続きを綴って参ります。

 

 

 

 

 阿鼻叫喚?亜熱帯エリア

 

 やってきたウェットランド。湿地帯を生活の場としたり、熱帯とまではいかなくとも温暖な気候の地に暮らす動物たちが活き活きと過ごすエリアは。

 何やら騒がしさのような、叫び声に近い鳴き声があちらこちらで木霊する賑やかさが出迎えました。

 鳥、ではない。キーキーという、甲高い鳴き声。

 これは、一体?

 

 その正体は、鳴き声だけでなく。動物園と言えば檻、という概念をなくしたこの動物園ならではの魅力でありながら、エリア一帯に阿鼻叫喚の如き混沌を齎すこととなっていました。

 その犯人は、動物に詳しくない私でも一発で当てることができる存在でした。

 私たちの足元を、目の前の木々を。

 来園者たちの背後や前を自由奔放に走り回っているその様を、見てしまったのだから。

 

 

 無双する犯人

 

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 「ドヤッ」

 威嚇しているのか存在誇示をしているのか。兎にも角にも、この一帯を支配(?)しているのが、このワオキツネザルたちです。

 こう言うと失礼ですが、元々私は霊長類。つまりサルやチンパンジーといった動物にはどうやっても可愛さや惹かれる何かを見出すことができず、基本的に放置やスルーしてきてばかりでした。どの動物園にも必ずいる霊長類には目もカメラも向けず、さっさと通り抜けるのが通例でした。

 

 ですが、今回取り上げるには余りある理由が存在しました。

 

 那須どうぶつ王国は、同じエリア内に数多くの動物が入り乱れ生活する自由と開放感溢れる動物園です。

 そのことが、これから紹介する動物たちの中に勝手に入り込み、(実害はなくとも)場を困惑させる様子が多々あり。

 失礼ながらも、思わず失笑する場面が多すぎたことにあります。

 

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 ワオキツネザルさんたち。もう少し落ち着いても、良いんだよ?

 

 

 

 色とりどりの鳥たちと陸上動物たちの楽園

 

 気を取り直して。

 このエリアは熱帯エリアの鳥たちよりも活発ではありませんでしたが、それでも各々の本能に従って生きていることを実感させられました。

 

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 水辺で悠々自適に過ごすのは、クロエリセイタカシギという鳥。小さくなったフラミンゴのように、華奢で細長い脚で胴体を支えています。

 

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 視線を上げると、木の上にはオニオオハシの姿が。胴体並みか、それ以上に大きな嘴が印象的です。

 なんとなく、ではありますが。どこかハワイやフィジーといった暑い国を思わせて。

 南国の象徴、と思えたのは……私だけ、かな。

 それはともかく、存在感がとてつもない嘴です。指を噛まれたら綺麗に無くなってしまいそう。

 嘴の触り心地って、どんな感じなのかな……なんて考えている私は、真っ先に喰われそうです。

 

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 オニオオハシが更に小さくなって、雀よりも少し大きい位の大きさのアカハシコサイチョウ。白を基調に黒が混ざった黒の羽毛を纏う身体に、真紅とも血色とも見える嘴。

 唯の小鳥じゃないぞ、と誇示するかのようでもありました。

 

 

 視線を地上に戻すと。

 

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 珍しい耳の形をと毛並みの色を持つ乙事主……ではなく、アカカワイノシシというイノシシがマイペースに地を踏み鳴らしていました。

 イノシシというと茶色や灰色というイメージが強いですが、この子たちはその他の通り(美味しそうな)狐色の毛並みを持っています。

 

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 耳も先の毛が尖っていて、まるでネコ科の一部の種に見られる珍しい形をしています。

 然れど、性格は穏やかで周囲を気にしないのでしょうか。カメラを向けようがスマホを向けられようが、来園者を見ることなく自由気ままでありながら、ゆっくり動き回っていました。

 尻尾を左右に思い切り振っている様を見るだけでも、喜んでいるのかリラックスしているのか。彼ら彼女らも我々も、ほっこりする一場面でした。

 

 
  来園当初より幾分気分が落ち着き、エリア内をくまなく見渡す余裕ができた頃。

 

 

 何やら、熱いやり取りが交わされている現場に直撃したようです。

 

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 孔雀の雌雄(夫婦、でしょうか?)が頭上に張られた木々の上で、熱い思いを伝えあっていました。

 

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 おっと。

 見ているだけで火傷しそうな情景が眼前で、躊躇うことなく繰り広げられていました。お熱いところ、失礼いたしました。

 

 鳥類はオスが派手な色合いの羽根を持り、その色合いや威勢の良さを見定めメスが……と言われていますが。

 クジャクのメスも、とても綺麗な水色と緑の羽毛に覆われていることを、この時初めて知りました。

 

 オスもメスも、綺麗で美しい。

 幼少期に憧れた、クジャク。

 その番を、こんなに近い場所で見られる日が来るなんて。当時保育園に通う前後だった私が、想像できる訳がない、と思いながら。

 

 私たちヒトと違って、綺麗だなぁ……。

 

 妙な感傷に浸る程でした。

 
 

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 見つめ合う二羽。

 しかし直後。

 

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 「待たせたな!」

 空気を読まないこいつらが乱入して、すっかり場が冷めてしまいました。

 飼育員の方が霧吹きを持って必死に持ち場に戻るよう誘導されていましたが、後の祭り。

 雰囲気をぶち壊しても走り回るワオキツネザルたちの奔走ぶりは、思わず失笑ものでした。

 

 

 大きいネコ?ジャガー親子

 

 放し飼いエリアの途中、何やら人だかりが。スマホを片手にする人々が盛り上がっていました。

 何がいるのだろう?と思った矢先のこと。

 

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 「こ、こんにちは」

 

 !!!

 ジャガーの子どもが、縦横無尽に走り回っている場面に出くわしました。

 子どもと言えど、肉食獣の頂点に立つ者。先程の動物たちとは隔離され、狭い檻の中でつぶらな瞳をこちらに向けていました。

 

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 なんて綺麗で、優しくて、真っ直ぐ表情なんだろう。

 人間の世界なら……腐敗と汚さで塗れた社会を知る前の、好奇心と純粋さで溢れている頃、とでも言えば良いのでしょうか。

 

 実はこの写真は、最初に見かけた檻の隣で撮ったものです。

 束縛を絶ち自由を優先するかのように造られた、那須どうぶつ王国。

 檻はあっても木々が張り巡らされ、他の区画へと自在に行き来できるよう工夫がなされており、好奇心旺盛な子どもの猛獣もストレスなく過ごせるように設計されていました。

 

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 それがこれです。

 壁越しにこちらを見ているようで、なんだか、遊び疲れて眠そうな目をしています。

 きっと、この後眠りに付くのでしょう。大草原を、誰にも邪魔されずに走り回っている夢を見るのかもしれません。

 

 すくすくと成長して、大人になって。いつまでも元気でいてね。

 そんなエールをこの子に送った、その横では。

 

 

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 「騒がしいけど、眠いから煩くしないでもらえない?」

 ……わぁお。先程の子のお母さんです。

 開いた片目だけでも、威厳だけでなく。「これ以上騒ぐなら、わかるわね?」と言わんばかりの威圧。

 体勢こそお休み寸前ですが、ネコ科の中でもライオンに次ぐ大きさを誇る体長を誇るジャガー。

 

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 ……えー、完全に休戦姿勢ではありますが。靭やかな上腕で殴られても鋭い牙と共に開かれ噛み砕かれる顎は、とても人間が耐えられるものではありません。

 

 しかし、何でしょう。強かさで余裕を見せながら、相手を手玉に取ることなど造作もないと暗に主張しているようなお姉様のような気怠さの中に垣間見える強健さとも、凶暴さとも言えるような。

 

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 「理屈なんてどうでもいいのよ、人間さん。じゃあ、お休みなさい」

 野生の強さ。

 それを見せながらも目を瞑る、屈強な精神。

 

 

 私たちヒトは、備わった力は対して強いものではありません。

 その弱さを、発達した頭脳を用いて武器を作り、集団戦という戦術を考案し、今日まで生き永らえて来ました。

 

 私たちとジャガーの親子とは、きっと相見える時はないと思います。

 

 それでも、喩えガラス越しであっても。

 こうして向かい合えるのは、現代に生まれ技術が発展したからこそ実現したということを、忘れてはならないと思う瞬間でもありました。

 

 動物園だから、安心して動物たちを見られる訳ではない。

 安心と安全を最優先に思慮し、熟考し、来園者に危害が及ばないよう十分配慮を重ねられたのが、今の動物園なのだと。

 

 園内を巡る間にも、グズる子どもや動物を撮影しようとスマホ片手に騒ぐ御仁もいらっしゃいました。

 騒ぐ為でも、子どもがグズっても何も言われないのが当たり前だと勘違いしていそうな方々を見て、冷たい目で見据える私がいることを自覚して、思うのでした。

 娯楽施設かもしれません。ですが目に見えない所で、沢山の努力が重ねられていることを、忘れてはいけないと。お金を払っているのだからという詰まらない理由で、何をしても構わないと思うのは的外れな考えなのではないか。

 

 オオカミを見る為という身勝手な理由で訪れた私が、そのような妙に堅苦しく冷徹な思いを抱く時間がありました。

 束の間ながら、しかし確実に。

 

 

 さて、亜熱帯エリアを抜けた私たちは、妙な人だかりに出くわすこととなりました。

 その理由は、世間では話題になっていながら。ニュースを見ない私には、想像も付かないものでした。

 

 

 次回、スナネコの赤ちゃん。貴女は犬科とネコ科、どちらがお好きですか?

 

 

 今回も最後までをお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。