白兎と灰色狼の、果てなき旅路

ドライブやドライブや写真撮影を趣味とし、その他、HSPやAセクシャル、イジメ。精神的・心理的なことについて綴っていきます。

【HSP・価値観】飲み会が減って心安らぐ日々 ~気疲れだけの付き合いは、もう沢山~

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 クリスマスイブということもあり、帰りの道路は混雑しておりました。

 恐らく、家族や恋人が美味しい料理を食べる為に。交流を深めて、家族愛を、恋仲を深めて。特別な一日にしようとする人々が行き交っているのだろうな、と冷めた目で世間の忙しさを見据えていました。

 

 家族という概念が崩壊し、血の繋がった者同士でさえ食卓を囲むことすらなくなって久しく。食に対しても正直好きなものを食べられればそれで良いと思う私には、格別な料理は却って違和感しか覚えらません。

 更に同期や後輩が次々と結婚していく中で、恋愛や婚約といったものに関心どころか渇望も湧かない私には、12月24日はいつも通りの一日。

 時間と労力を使って奔走するよりも、一人部屋でお気に入りの音楽を聞きながら、お酒を嗜むことを心から楽しんでいる【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 以前初めて動画を埋め込みましたが、今回は別の手法を用いて動画をブログに載せる方法を模索しておりました。手始めに私の代理となるアバターを作成し、声を入れ込んだものを披露させていただきます。

 

あいさつ

 

  題材は、私の好みであるオオカミを擬人化したものです。使い慣れたら日常的な会話も声を吹き込んで載せられればと思います。

 

 

 さて、クリスマスが終われば、休む間もなく年末年始。世間は車の往来も激しくなり、お店は混雑の嵐。

 コロナ禍と言えど、家族や親しい人との暖蘭は、大事にしたいという思いが滲み出ているようにも見えます。

 

 周りに大切な人がいるというだけで、私のような人間からすれば羨む程です。家族愛こそあれど父親はいないも同然と認識し、人を(恋愛的な意味で)好きになることがわからない。

 一昔前の当たり前の幸せが、わからない私には。

 その分、という訳ではありませんが。一人でいることを楽しみ、リラックスしたり創作の時間に十分当てられる、周りを気にすることなくできる特権。

 そんなものを噛み締められるのも、HSS型HSPを自負する私にとって、前向きな考えと行動となっています。

 

 そういった人付き合いと年末年始と言われて、私が真っ先に思い浮かんだもの。

 それは忘年会や御用納めを始めとする、お酒を飲みながら周りの人たちと互いを労い語り合う、ある意味社会人の行事たち。名前はその時々によって変わりはしますが、要は会社関係の飲み会です。

 今年は新型コロナウイルスを罹患する危険性を鑑み、全て中止となりました。

 その事実に、ホッと胸を撫で下ろすのでした。

 

 

 今回は人によってはストレス発散の場となり交流を深める時間となる、飲み会について。

 一部の人は集団での飲み会そのものがストレスとなっていること。そして、そのような時だけ妙に仲良さげに盃を交わすことに、違和感と嫌悪を抱き続けたことを。

 HSP、HSS型HSPを自認する私個人という立場から、綴って参ります。

 

 

 ※注記※

 本記事は批判的な言葉が並ぶことが多くなりますが、飽く迄一個人の意見に過ぎないことを、どうかご了承願いたく思います。

 もし本記事により不快感を覚えた、または「それはおかしいだろう」というご意見をお持ちになった方は、お手数ですが問い合わせフォームよりご意見いただければと思います。

 内容を鑑み、場合によっては本記事を削除いたします。

 ※注記終了※

 

 

 

 

 

 

 飲み会という付き合いが、断ることなど烏滸がましいと思っていた二十代前半

 

 十数年社会人をやって参りましたが、常々嫌気が差しながらも。

 その年で退職してしまう先輩たちとの最後の付き合いという思いの方が先走り、私は自分の感情を上書きして飲み会という名目の付き合いに参加し続けてきました。

 

 その場でお酒を飲み、料理を食べながら話す上司や先輩は、皆揃って上機嫌。不満気に眉を潜めたり、不機嫌さを顕にするような表情を浮かべる人はいませんでした。

 

 そう、表面上は。

 

 ですが遠くから聞こえてくる話を聞いていると、仕事のやり方や会社の考え方に不満を漏らす声。最初こそアルコールの勢いで機嫌良かったはずなのに、いつの間にか怒声やら罵声が飛び交うことも少なくありませんでした。

 当時からお酒を飲むことは好きな私でしたが、そのような空気を目の当たりにしてから疑問が浮かぶようになっていました。

 

 お酒って、楽しく飲むものではないのか、と。

 素面では言えないようなことを言う為の起爆剤のような使い方をするものじゃないよね?と。

 

 とは言え、相手は自分より一回り以上年上のベテランであり年配の方々。とてもそんな思いを吐露できるような雰囲気ではありませんでした。

 時には我慢できず、感情任せに「飲み会の場で仕事の話をするってどうなの?」と口走ったこともありました。そんな時は「若造が」とばかりに頭引っ叩かれました。

 今でこそ「アルコールに踊らされた老害が」と汚らしいながらも然程気にすることはなくなりましたが、20代前半の当時は理不尽さでお酒を楽しむどころの話ではなくなっていました。

 然れど、「これが社会人か」と無理やり言い聞かせて感情を沈めていたことも事実でした。

 

 思えばこの頃から。

 社会の慣習に、飲み会という行事に違和感と不快感を抱き始めてのかもしれません。

 

 

 

 心を病んで、飲み会から離れたことで感じたこと

 

 

 それから暫くし、首都圏勤務となった私は心を壊し、精神を病みました。

 

 会社って、何だっけ。人付き合いって、何だっけ。自分って、ナンダッケ?

 

 抗うつ薬や精神安定剤が欠かせない身体と成り果てても、それでも業務に支障を来してはならないという思いだけを頼りに、病休も取らず魂が抜けた傀儡同然の身体と精神で会社へ務め続けました。

 それだけなら、まだ何とか自分を保つことができました。うつ病と診断されようが、それが露呈するような場面を作らないようにして。追い詰められそうになったら適当な理由を付けて、私が最も苦手とする言い争いの場から去ることが可能だったからです。

 

 とは言いながら、全てそんな行動理念だけで収まらない場面もありました。

 最たる例が、飲み会です。

 当時は今ほど精神に関する病気が浸透していなかったこと。それ以上に若者は飲み会に率先して参加するという、古く悪い慣習が蔓延っている時代でもありました。

 自分のことでさえ手に負えない程精神を壊していた私は、断り一人休むことを第一優先していました。自分はうつ病なんです、などと言えない空気もありましたが、とにかく人と関わりたくない一心でいました。

 

 ところが、参加を断る言葉を伝えた途端。

 

 「何で、出られないの?忘年会なんだから、出席しないなんてあり得ないけど?」

 

 不機嫌そうに眉をひそめる先輩の言葉に、私は思わず「何いってんだこいつ」とばかりに汚物を見るかのように睨みつけていたことを覚えています。

 

 会社の付き合いなのに、自分を犠牲にしてまで参加しろ?対して付き合いもないだけでなく、病気のフォローもしない人たちと酒盃を交わすことは当然のこと?

 

 何言ってんだお前。バブル期の慣習の化石か?

 糞食らえ、時代錯誤のバカ共が。

 

 思わず手が出そうになりましたが、そこは社会の場。手を出した方が負けだということは勿論ながら、そのような根拠も理由もなくただ慣例に前倣えしかできない人の相手をすることが、唐突に馬鹿馬鹿しくなった瞬間でした。

 

 この時は最初に務めた地元で退職する方々の送別会が重なっていました。

 首都圏内での忘年会よりも地元を大切にしたいという、ある意味無茶苦茶でありながら本心を伝えたところ、渋々了解してもらった経緯があります。

 

 参加表の備考欄に、嫌味の如く「地元の大切な人を優先の為欠席」と書かれましたが。

 私からすれば、どうでもいいことでした。

 寧ろ。

 

 その程度の書き込みで付き合いを回避できるのであれば、幾らでも言い訳してやる。

 これ以上、自分を犠牲にしてまで会社に付き合う義理もない。

 

 何より。

 大勢の人が集まる場所が、耳から入る会話の嵐がただでさえ苦手で耐えられないことを、いつの間にか自覚している自分がいました。

 

 図らずとも、このことを堺に自分が人ととはどこかズレていることを。後にHSP、HSS型HSPであることを知る切っ掛けとなったのです。

 

 

 

 大勢も騒がしさも苦手なHSPには、飲み会は苦しいだけの害悪

 

 

 それから間もなく、私は地元に戻ることとなりました。

 相も変わらず、先輩方は飲み会の機会を設け「交流を深める」という名目の慣習を続けていました。

 少人数ならともかく、何十人もいるような宴会はただ気疲れするだけで得るものは何もないことを知った私は、逆の発想を抱くようになっていました。

 

 大勢が参加する飲み会なら、対して面白い話もせずお酌もしない私なんていなくても……構わないよな。

 

 その頃からか私は、図らずとも人から評価されたり評価されることを怖がらなくなっていました。飲み会にも参加しないことを酷評しない人たちがいなくなったことは、私にとって幸いなことではありました。

 

 始めこそアルコール禁忌の薬を飲んでいることを理由に飲み会を断り、その度に罪悪感のようなものを抱いていました。

 

 しかし歳を取ると共に、自分をより深く知ることで。

 自分がHSPであることを最初に知り。人付き合いそのものが苦手と認識し、自分を蔑ろにしてまで付き合う必要はないと考え始めて。

 その後より複雑で理解されない、HSS型HSPであることを自覚してからは、より一層興味のないことにはとことん関心を抱かないことを知って。同時に親しい人たちとの交流は、喩え少人数であっても楽しいと感じ、大切にしたいと思う傾向にある自分がいることに気付くことができました。

 

 お酒の場であろうがなかろうが、私は大人数で騒ぐよりも一対一を好むことを。多くても4人以下でないと「私なんていなくても構わないから、好きに楽しんで」と思うようになりました。

 

 それからは私が大切と思いたい人との付き合いはより大事にしたいと思う一方で、「白兎は飲み会に出ない」と思われる程大人数での飲み会を遠慮なく断るようになりました。

 

 

 

 

 気疲れだけの付き合い、辞めにしませんか

 

 私の考えを、自分勝手や身勝手だと思う方もいらっしゃるかと思います。

 

 開き直るつもりはありません、と最初に申し上げます。

 それならそれで、私は構いません。

 

 今回は飲み会をテーマとしましたが、何事も「好きな人はやれば良い」というのが、私の考えでありスタンスです。

 

 飲み会で憂さ晴らしする。それはとても大事なことだと思っていることは事実です。

 但し。

 それに当てはまらない人間も、少なからずいるという前提を設けて。

 

 私はHSS型HSPを自負した上で、言い方は悪くなりますが「大して親しくない人たち」との懇親を深めたいという気は更々ありません。

 それで嫌われたり煙たがれるのなら、そこまでの縁だったと受け入れて、関係を切る覚悟はあります。

 

 然れど。

 そこまで割り切った考えに至ることができず、悶々とした日々を送っていらっしゃる方も多いと勝手ながら思っています。

 

 難しいかとは思いますが。

 自分を削って、身体や精神を犠牲にするような付き合いを続ける位なら。

 

 そんなもの、辞めませんか。

 私の経験上、その程度の付き合いで交流が深まった試しはありません。寧ろ相手ばかりが楽しむばかりで、自分にとって利益らしい利益は何も得られませんでした。

 利益というといかにもな感じもしますので、言い方を変えさせていただきます。

 

 飲み会だけでに留まらず、その付き合いは互いにWin-Winでしょうか。

 どちらかが何かしらの我慢を強いられてはいませんでしょうか。

 付き合う上で、ご自身に対し何かプラスになることはありますでしょうか。

 

 そうでなければ、気疲れだけで何も生み出さない付き合いは、私は辞めても良いと思います。

 その場では良いとしても。

 後々自分を壊して取り返しが付かなくなる可能性は、否定できません。

 

 かく言う私が、その一人です。人との繋がりを重視し自分を無視し続けたことで、自ら死を選ぶまでに追い込まれた一人です。

 そんなことになる前に。

 相手をヨイショするだけの。詰まらない慣習の残滓として残り続ける飲み会なんて。

 

 もう、辞めにしませんか。

 

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

締め

 

 締めはもう一人のアバター(和装Ver)を使わせていただきました。

 

 

 

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