白兎と雪狼の、果てなき旅路

ドライブやドライブや写真撮影を趣味とし、その他、HSPやAセクシャル、イジメ。精神的・心理的なことについて綴っていきます。

【HSP・価値観】コロナ禍で見えた、様々な生き方 ~価値観も考えも、皆違うものを持っている~

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 大寒波が訪れたかと思った矢先、大寒を前に唐突の雨が降り驚いている合間に再び真冬の寒さに逆戻り。

 精神的なストレスだけでなく、身体的にも厳しい季節で「何だか疲れてるな」と目頭を押さえている【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 新型コロナウイルスの収束を願い始まった2021年。それが好転するどころか、寧ろ悪化の一途を辿っています。

 

 一概に誰が悪いとは言えない状況。明日はどうなっているのか、最早簡単に想像することさえ難しくなってきています。

 その最たるものとして、二度目となる緊急事態宣言。そして自粛要請にあると個人的に考えています。

 

 昨年の4月、最初の時と比べて様々な意見や批評が飛び交っています。

 お願いばかりで補填や補償をまるで考えていない上層部。散々自粛自粛と言いながら、御当人らは会食やら必要なのかもわからない会議ばかりに勤しんでいます。

 見かねた国民は「どうせ偉い人たちもやってるんだから」と。「生活が掛かっているのだから」と罰則されることを恐れることなく。

 これまでの生活が一変し溜まりに溜まった鬱憤を晴らす為に、本能のままに。

  そしてお偉い方々にはもう頼れないと見限り、各々が生きる為に自ら考え行動し始めています。

 

 SNS等では国の舵取りをする御仁たちへの酷評だけでなく、皮肉さえも溢れかえっています。これは血税を好き勝手に使い放題にしているから擁護のしようがないとして。

 同時に、各々の考えに基づいて動き始めた、或いは動き続けている人々への批判も多く見られるようになりました。

 

 しかしながら、私は一概に一般の人たちを批判するのはどうなのだろう、と思うのが正直なところです。

 

 自らの考えや価値観に周りを当てはめて、外れるようなら間違っている、おかしいと見下して。自分が如何にも正義だと語る様は、果たして正しいのだろうかと思えてなりません。

 

 夜の街に繰り出して飲みに行く若者の言葉が、記事になっていました。そこには「若者だけが自粛しなきゃいけないって言われるのはおかしな話。だから飲みに行く」というものでした。

 

 皆さんはこの声を、思いをどう捉えましたでしょうか。

 

 様々な意見があるかと思います。「我慢して自粛している人が沢山いるのに、そんな行為は身勝手極まりない」と反感を覚える方もいらっしゃるでしょう。

 もしくは「そうだよ、これ以上我慢したら自分が壊れるよね。わかるよ」と共感する方もいらっしゃるかもしれません。

 或いは、「好きにすればいいんじゃない、新型コロナに感染しても自己責任ってわかってやってるんだろうし」と無関心を示す方も。

 

 そう。

 これまでの慣習が私たち「日本人としての当たり前」として刷り込まれ疑問に思いもしなかったことでさえ、今の日本では各々の価値観や思いが様々な言葉となって生まれてきていると、私は思い始めているのです。

 

 最初に上げた例も、その一つなのではと思っています。

 これが個人的な飲み会ではなく、会社絡みのそれなら「出席するのが当たり前」という時代もかつてありました。

 最近では様々なハラスメントに発展する事情もあり鳴りを潜め始めているとは言え、未だに「新入社員は上司や幹部の酒を注いで当然」「アルコールが身体に合わなくても、将来の為に出席した方が良い」「飲みニケーションは楽しみながら、大切に」。

 そんな言葉を耳にした方も多いのではないでしょうか。

 

 ですが(上辺だけの関係の)人付き合いが嫌いな私は常々疑問を抱くと共に適当な理由を付けて断ってきました。

 ただでさえ疲れるし、お金と時間は浪費するし、聞きたくもないお偉いさんの武勇伝を延々と相槌を打ち続けるなんて、正直馬鹿らしくてとても耐えられません。

 故にこれまでは、私自身そういったものに出たがる人や強制するような人の考えなどわからないと忌避し、好き勝手にどうぞと傍観して参りました。

 

 でも、これも私という一人の人間の考えに過ぎないということに気付きました。

 私はお酒を楽しむなら自室で好きなことをしながら、というスタイルです。

 

 一方で人と面向かいながら、生の声や感情をやり取りしながらお酒を飲みたいという人もいるのだろうな、と今更思い至ったのです。

 会社絡みだけでなく、プライベートの飲み会もそう。見知った間柄、顔を見ながら共に楽しむお酒の席は格別という方も、沢山いらっしゃるのだと。

 多分、私のような気分屋で、勝手にHSS型HSPを自負していると語っているような人間よりも、遥かに多いのではないか。

 そうでなくても、人の行動の根幹に根付く物事に対する価値観や考え方は、各々違うのだ、と。

 

 それが現在進行系で収まることを知らないコロナ禍で顕在化したのではないかと、個人的に感じています。

 飲み会一つ取っても、私のように「誘われることもなくなって生きやすくなった」と思う人もいる。他方で「人と一緒に飲みに行けない、ストレスが溜まりに溜まってもう限界だ」と悲鳴を上げている人もいる。

 

 

 これは他の事柄にも十二分に当てはまると思います。

 テレワークし続けることでストレス蓄積、感情コントロールの喪失や家庭事情の悪化を嘆く声も所々響いています。反対に満員電車に乗って出社したくないのにテレワークができないことに憤り苛立ちが募るという話も耳にします。

 

 それだけでなく、旅行も食事も然り。両極端でありながら、双方の不満や苦しさが滲み出て止まらなくなってきています。

 

 

 例を上げればキリがありません。

 それでも、以前の私はこのような記事を上げていました。

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 この時の私はHSPを。HSS型HSPが抱く思いや考えだけを前面に出していました。

 「世の中には喩え少数であっても、こんな人間もいるんだ」と。

 

 ですがこれも、結局は私の考えや価値観が先走った思いの塊に過ぎなかったのだな、と振り返っています。

 

 訴えるのは必要なこと、その意志は今も変わりません。

 しかし主張ばかり続けるだけでは、共感どころか知っていただける機会で自分の手で蔑ろにしているのではないかと、思い至りました。

 違うだろ、と私は私に叱責しました。

 私がしたいことは、自分の考えだけ訴えて他を排除することではないだろ。近付き過ぎて同情する訳でも、距離をおいて傍観することを楽しむ訳じゃないだろ。

 

 人は、価値観も考えも違えば、それを伝える言葉や思いも違う。

 どれも正解ではない、でも間違いでもない。

 その人が思ったことが基準になるだけで、それを根拠に批評するのはまた別の問題なんだろう。それを、このブログで綴りたいんだろ、とここ数日悩みながら自らに問い続けていました。

 

 私の考えを、甘ちゃんだの芯がないだの結局他責かだの、様々なご指摘やご意見を抱かれるかもしれません。

 人によっては、「そんな考え方は偽善だ」と論ずる方もいらっしゃるかもしれません。

 

 

 それはそれで仕方がないのかな、と享受します。

 私のことをどれだけ罵っていただいても、それはそれで仕方がないことですし、罵る方の考えを変えることはできません。

 

 唯、一つだけ。

 今現在このような状況に陥った日本において。

 これまで当たり前だと、常識だとマナーだと言われてきたことを、見直し改める時期になってきていることは、事実ではないでしょうか。

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。 

 

 

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