【ブログ・うつ病】少しずつ戻り始める調子 ~無理をしない勇気~
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124年ぶりとなる、2月2日が節分となった2021年。今年はそれだけでなく、開催されるか危ぶまれる東京五輪・パラリンピック。それ以前に、数種に及ぶ変異種まで現れ未だ人類を追い込み続ける新型コロナウイルスの驚異。
報道機関を始めとした様々な発信媒体から放たれる情報の渦は、解決策も報じられぬまま。
ただただ、見たり聞いたりする私たちを不安や疑心を与えるものになりつつあると感じるのは、私だけなのでしょうか。
皆さん、こんばんは。徐々に復調中の【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。
今回は新たな代理君にセリフを吹き込んでみました。セリフのバリエーションを、もう少し広げたいと思う今宵です。
さておき、現在少しずつではありますが、以前の状態に向かって調子が戻りつつあります。
原因や背景には思い当たる節があります。が、今回は経過報告とさせていただきます。
詳細は次回にお話しさせていただくとして、ひとまず簡単に現状について。
まだ自分と向き合いながら、思いを言葉にすることは難しいと自負しています。しかしながら、不調となった元凶を幾つか特定し見直しや抑制することで、幾分か気持ちの整理や抑圧傾向からの抜け出すことができるようになって参りました。
今までも浮き沈みはありましたが、今回は別格とも呼べるものです。
あたかもそれは、うつ病を発症し症状は出ているにも拘らず。
「気のせいだ」「疲れているだけだ」と勝手に解釈して無理をして、気付いた時には壊れていた。
その一歩手前まで陥っている、そんな感覚でした。
逆に言えば、「何故そのような状態になってしまったのか」という要因を掴むことができなかったことも確かでした。
私が、初めてうつ病を患って。自分の身体も気持ちも動かなくなる恐怖。今までできていた、当たり前のことができないもどかしさと苛立ち。
そして、虚しさと虚無感。
一歩間違えればどうなっていたか……想像するだけでも、手が震えてしまいます。
今こうしてディスプレイに向かいながら、キーボードを叩こうとしている指が慄くかのように。
正直な話を、させてください。
私、自分に酔っていたのかもしれないな、と省みながら。
驕っていたのかもな……そう思いながら、情けなさと傲慢さを恥じると共に「イジメを受けたあの時から、何も変わっていないのかも」と思い詰める日々に苛まれていました。
イジメられて、弱い自分は恥ずべきもの、人生の汚点とすら思うようになって。
それを覆い隠すかのようにして、厭世家と虚無主義を纏ったかの如く人を、世の中を嫌いに嫌って。
独りで生きることを強いられるのではなく、寧ろ好んで生きている「ように見せかける」生き方をしてきた頃から、何も変わっていない。
寧ろSNSやブログを通して人と繋がることができた分、甘えるように弱くなったのではないか。
そんな思いに駆られながら、HSS型HSPという体の良い概念を用いて世間を客観視する「ふり」をしていただけなのか。
それをブログを通して、共感という名目の元、誰かに同意や同情を求めていたのかもしれない。
思い詰めれば詰める程、頭の中はたちまち掻き混ぜられ、他方で鎖で締め付けるように抑圧していく。
自分が生み出した、矛盾に重なる矛盾。そんなものに、自ら絡め取られ身動きが取れなくなって、悲鳴を上げるまで気付けずに来てしまった。そんな気がしてなりません。
自業自得の歯痒さと苦しさに晒されて、一ヶ月近く経った今、ようやく自分の愚かさに気付けた気がしています。
自分を追い詰めていたのは、他の誰でもない自分自身であること。
発端はTwitterやニュースアプリを始めとするSNSであったとしても、好奇心のあまりにのめり込み過ぎ負の感情を拾い過ぎ飽和仕切っていたこと。
そして。
そのようなものから感じた思いや感情を、「ブログの記事として上げなければ」という、脅迫概念とも使命感とも言える思い。
原因は一つではないにせよ、小さいものから大きなものまで、包括的に私という矮小な存在を支配していたことに、気が付くことができた気がしています。
私自身、バカだなと思いながら。
それでも、学ぶことがまた一つ増えた気がしています。
一つは、好奇心任せに外界の情報に手を出さないこと。
もう一つは、ブログの執筆を使命感や義務感と捉えて行う必要性などないということです。
特に後者は「最低でも4日に1記事」という、根拠のない目標を持ったことが、却って自分を苦しめる結果となりました。
書かなければ、何も伝わらない。
一方で、義務の如く書くような文章は。
自分にも人にも、何も生み出さない。
ありのままを、思ったことを素直に言葉にできなければ、無駄な文字の羅列となる。
そんなものを書くなら、じっくり考え言葉を選んで。
更新が遅いと詰られることがあっても、しっかり自分の意志を伝えたい。
それが、私がブログを始めたきっかけじゃないかと、今更ながら思い直させられました。
情報を発信すること「だけ」が全てではない。
自分が書く文章に、思いがこもっていなければ意味がない。
ならば無理して無意味な文字を書き連ねるよりも、無理をしないで熟考する勇気の方が大切だと、身勝手ながら思い至りこの記事を書いております。
時には、叫びたくなるような思いを抱えても。
頭の中を整理して、「自分の考えが正義」という勘違いに陥らない為にも。
無理をしない。ダメな時は何もしない勇気が、今の私には一番必要なものだと思うに至りました。
同時に、人の意見や考えも安易に否定することも、傲慢に繋がることと悟ることで世の中全てを拒絶しないよう、心掛けていきたいと誓いました。
負の感情塗れのものを目の当たりにしても、裏には確たる思いがある(逆に注目目的で、敢えて汚い言葉を発している人もいる)ことを、肝に銘じながら。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。