心の欠片を拾い集めて-中- ~抱えた気持ちを吐いて、感情を吐露して~
暦は七月、暑さがどうなるか懸念していましたが、今のところ蒸してはいますが気温は若干控えめな日が続いております。
引き続き、熱中症には気を付けて参りたいですね。
はい皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。
今回は前記事の続きを綴って参ります。
硝子の如く砕け散り、へし折れた心。
数ヶ月に渡る心理療法と、親友と過ごした時間によって、私という存在を再び見つけ出し再構築できた、そんなお話しです。
親友への連絡はしかし、またしても私の身勝手で
想いを言葉にし会話するという行動を苦手とする私にとって、独特とも言えるカウンセリングは確実な効果を齎しました。
それが功を奏し、復職も近い内に可能というお墨付きも頂戴することができました。
そんな折でした。
唐突に、ある方に久方振りにお会いしお話ししたいという思いが込み上げ、私を支配しました。
人間関係が長続きしない私に、出会って以来飾らず優しい声色と言葉で兄のように接してくださった親友、たーぼぅさんに。
しかし、私はまたやらかしました。互いの事情で疎遠になりつつあった相手にアポ無しで、唐突に「お会いしたい」と連絡を取るという愚行を犯しました。
当然、突然の連絡は彼を不満にさせ怒りを買うこととなりました。
結局、私は何も変わっていない。思考や理性を無視した思い付きでの行為。幾ら想いが膨らみ人恋しさを覚えても、失礼極まりない行動は許されるはずがない。
親しき仲にも礼儀あり。自分自身が掲げている理念に反することを、自ら破る私は。
最低でクズだ。
最終的にたーぼぅさんの器の広さと寛大さに救われる形で再会を約束してくださいました。
にも拘わらず、これが切っ掛けで縁が切れても……などと勝手な思いが脳裏を過っていました。
話の発端たる、最悪でクズな私の中には申し訳無さと後悔だけが残って。
当日を迎えることになりました。
凍り付いた心が溶けていく瞬間を、この身で感じて
久しく訪れた伊豆の地。私の胸中は懐かしさを感じながら、複雑な思いに支配されていました。
出会いを約束していただいたものの、どんな言葉を受けるかもそうでしたが。
プライベートにおける人間関係に大きなヒビを入れ軋轢を生むこととなった地に近いその場は、見慣れたはずだった景色一つ一つが呼吸を止めることになっていました。
それに。
人と対峙し幾度となく縁を切り切られを繰り返した私が、大切だと勝手に思っている相手に、本当に会って良いのだろうか。
焦燥と悔恨を携えながら、それでもたーぼぅさんは来てくださいました。
しかしながら出会って早々、視線を合わせることも叶わず、掠れた私の声は彼に伝わりませんでした。
経緯については、たーぼぅさんの記事にて。
申し訳無さの塊となり文鎮化した私は、たーぼぅさんの御母様と共に下田公園へ向かいます。
この記事を投稿する頃、地元でようやく咲き始めた紫陽花が、そこでは満開で景色を彩っていました。
紫陽花は根を張る土俵のphで色が変わる、という話は何となく知っているつもりでしたが、ワインレッドの如き色の紫陽花を見るのは初めてのことでした。
それだけでなく、棚田の如き起伏の大きい大地に力強く花を咲かせる、色取り取りの紫陽花たち。中には人の背丈を優に超えるものも数多くありました。
一時は人間関係の破綻に起因し、一眼レフカメラも持つことにさえ恐怖し触ることもできなくなっていましたが。
同じ紫陽花、然れどそれぞれの色を誇らしげに咲き乱れさせる姿と。
降雨予報が幸運にも外れ、直前まで降り注いだ雨粒を陽光が反射させより華麗さを増して。
シャッターを共に切るたーぼぅさんと、その先で朗らかに笑う御母様と行動を共にすることで、私の中で蔓延っていた負の思いはすっかり消え去っていました。
視界の隅々まで咲き乱れる花々だけではなかった、と今は言うことができます。
彼には、別の意味で色々とお叱りを受けるかもしれません、が。
抱えた気持ちを、積もり積もった想いと感情を吐き出して
休職ですっかり足腰が弱った私ではありましたが、紫陽花の花々を見届け昼食を挟み、御母様と別れたーぼぅさんとドライブすることとなりました。
柔らかな曲調流れる車内。久しさを感じながら、始めは他愛もない雑談が包み込みます。
然れど、時間が経つに連れ。
何時の間にか、私はそれまで抱えていた気持ちと、感情を吐露していました。
詳細は、お話しできないことをお許しください。
起こった事柄の詳細、その時の思い。当時周りにいた誰にも話さなかったことで発展した、決裂と絶縁。
特段聴いてほしい、という思いはなかったのは本当です。でも、一度口に出した想いも感情も、止まらなくなって。
決壊したかのように、誰にも言うまいと決意し理解されなくても構わないと心の奥底に無理やり押し込んで鍵を掛けてまで仕舞い込んでいた全てが。
止まらなくなって、止めたくても言葉は止むことはありませんでした。
私一人の責任とされても良い。そのことで他の人が今まで通り、楽しめる状況が壊れないのなら。
私が罪を被って、消えれば良い。本気でそう信じて、実行したのだから。
正直なところ、件の界隈には戻れないし戻りたくないと諦めていました。
私の話が全てではありませんし、脚色づけていると言われても何も言えない。
弁明と捉えられたくないという身勝手な思いもありました。
何より。
話したところで信頼や関係の回復は出来ないし無理だし、したくないと意固地になっていた自分もいました。
加えて家庭環境が崩壊している私には、譬え仕事でもプライベートでも身内に話をするという選択肢は端からありませんでした。
誰だって同じ、皆そうだから。そうやって片付けられて過ごし続けた私は、話すことも諦めていました。
だって、無駄だから。
一般論を翳して諭されたところで、私の気持ちなんて理解しようとも汲もうともしなかったから。
血の繋がりがあったところで、家族と括られることを忌み嫌って憎んですらいたから。
でも。
そんな馬鹿で不器用でどうしようもない私に、たーぼぅさんは嘆きつつも共感してくださいました。
最初こそ自嘲気味に話し、言葉を悪くすれば笑いたければ笑えよと自暴自棄になっていた私に。
それでも寄り添ってくださった、たーぼぅさん。
いつしか止めどなくなった心が、感情も思いも。
寂しさも憤りも切なさも虚しさも、全て抑えが効かなくなり止まらなくなっていました。
私のその様は彼曰く、千と千尋の神隠しのワンシーンと表現していました。
その頃だった、かな。私もすっかり緊張も負い目もなくなって、自然と笑っていました。
尚止まらない思いは、カラオケで発散する流れとなり、予定時間を延長し歌い終えた頃には宿泊先で寝床に倒れ込んでいました。
抑え込んでいた全てを吐露して、すっかり安心し切った私は、何時の間にか眠りについているのでした。
今回のお話し、上下二編で綴るとさせていただきましたが、三部構成へ更に変更させていただきたく思います。
今回も最後までご閲覧いただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
心の欠片を拾い集めて-上- ~砕け散った心は、子供時代から続いていた~
不安定な天候だった6月。早い時期での梅雨入りでしたが、妙に肌寒かったり唐突の雷雨に見舞われたりと、例年とはまた異なる荒れた天候が続きました。
7月を前にした今、真夏日をすっ飛ばして猛暑日が連続していますね。家の中だけでなく、最近活発に動かすようになった愛車の中も灼熱地獄。
ようやく関心が外へ向かい始め、動けるようになって参りました。
然れど暑さによる疲労、熱中症にはこれからも気を付けていきたい所存です。皆さんも、お気をつけをと願うと共に、どうか御自愛ください。
はい皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。
今更ですが、人間に嫌気が差してホッキョクオオカミになった私です。
さて、休職から4ヶ月が経とうとしている私ではありますが、ここに来て一気に進展がありました。
早ければ7月の半ばには復帰できる見通しが立ちました。
長いようで短かった、仕事から切り離された休暇期間。身体と精神を休ませる、という表向きな目的以外に、これまでの中でもある意味、充実しつつも私自身の考え方や価値観を見直す時間でもありました。
今回はそれらを掻い摘みながら、綴って参ります。よろしくお願いいたします。
心が折れ、憔悴し切った私とカウンセリング
これは以前の記事で投稿した内容の振り返りとなります。
昨年異動となり、職務内容だけでなく人間関係にも慣れないまま半年が過ぎようとしていたある時。
一つの切っ掛けで、張り詰めていた糸がプツッと切れる感覚と。折れないようしなりにしなって、これ以上曲がることもしなることもできなくなっていた心が音を立ててへし折れた感覚が重なり、咄嗟に現職から離れることを決意いたしました。
会社や職場に行けなくなる -例えば、身体症状を伴う等- の前に、自分から職場を切り捨てにいったという点では、端から見て唐突で意図不明と思われたのは至極当然でした。
休職を届け出た上司からの連絡が止まらず、当時チームを組んでいたメンバーから疑念と僅かな心配を向けられていたとのこと。
ですが、正直私には全てどうでも良いことでした。
元々本音を言うどころか隠す性分があり、しかし詰問されるとひた隠した思いを理論武装して迎撃に走るという、とてつもなく面倒臭くて厄介な性質を持っていたことも災いしたのだと思います。
今思い返せば、ということが後々重要になってくることなど知る由もなく。
そしていざ休暇に入った途端、追い打ちをかけるように人間関係でトラブルを引き起こすこととなりました。
仕事だけでなくプライベートも崩壊し拠り所を失い、自傷行為にさえ走るまでに憔悴し切った私はカウンセラーの手を借りることを勧められました。
それまでは取捨選択するのは得意と勝手に自負しておりましたが、当時は判断どころか何もかもがどうでも良い、もうどうにでもなれと自棄し感情も思いも彼方へと消え去っていました。
ですがこの、半強制的に受けることになったカウンセリングが、私という存在を再分析と再構築を促し再興の道を照らし出してくれることとなりました。
それを知り、落とし込むに至るのが数カ月後になるなんて、想像もできないまま。
行動と湧き立つ想いは、失った子ども時代から始まっていた
それまで精神を安定させ情緒を制御する為の薬を処方して貰うだけに通っていた心療内科に、同じ施設内にカウンセリングを行っていたことを初めて知った。そこから始まりました。
元々別のカウンセラーによるカウンセリングを受けていた時期もありましたが、すっかりご無沙汰であったことと。
唯でさえ人間不信だった私が休職に至り、より不信感の塊となった状態から始まりました。
そのカウンセラーさんは、ご自身で認知行動療法や傾聴が良しとされる界隈において、寧ろ賛成せず独自の方法で接する、と仰っていたことが今も耳に残っています。
語弊があるかもしれませんが、私個人も型に嵌まらない、嵌めようとするやり方に抵抗と違和感……時には不信や敵対心を覚えてきたやさぐれ者。
カウンセラーさんの言葉と柔和な対応に、「この人なら隠すことなく話ができる」と直感し、休職に至った経緯から始まり今日まで生きてきたことに対する考え方・思い・価値観・過去を全てお話しいたしました。
結果は、機能不全家族が齎したアダルトチルドレン。その中でも複数のタイプを内包するとのことでした。
それを聞いて、不思議と悲観することも憤りのようなものも感じることはありませんでした。
自分だけが、特別ではないから。
誰しも事情がある。それぞれ苦しんで辛い思いをしている。
そう、私だけが苦しくて辛い訳ではないのだから。
しかしながら、カウンセラーの言葉の一つ一つが身に沁みて、言葉を失った感覚が今でも覚えています。
比べることじゃない。
貴方は貴方として、その時々で演じることをしなければ生き抜けなかったのだから。
比べることじゃない。
でも、貴方はそうしてでも「生き抜いて」。辛かったことも苦しかったこともあったと思う、でも「ちゃんと今、ここにいる」んだよ。
カウンセリングを受け、言葉を掛けていただきながらも、私は苦笑いしかできませんでした。
実際はその程度の余裕しかなかったのだと思います。
そんなこと、考えたこともなかったから。
どうすれば良いのか、どう受け取ればいいのかわからなかったから。
その場は複合型のアダルトチルドレン(珍しいことではないそうです)であることを理解し、次回のカウンセリングに向けて内省することを約束してその日を終えることとなりました。
その後、実に四ヶ月に渡って私自身を顧みて客観的に見て、様々な面で変わったと言われるようになるまで。
当初は通しで連ねようと思っておりましたが、上下二編という形で綴らせていただきますこと、御容赦ください。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
親友に撮って頂いた一枚です。
温もりと優しさ ~ありがとうと、ごめんねを繰り返して~
いつの間にか梅雨入りしたようですね。一時は夏日を通り越し真夏日に迫る暑さに辟易していたと思えば、朝夕の気温差がより激しくなりましたね。
加えて湿度の高さも相俟って、暫く具合の悪い期間が続きそうですね。
ひとまず、ショッピングモールやお店の冷房をもう少し弱めていただけませんでしょうか……。
はい皆さん、こんばんは。着重ねの量で寒暖調整して早幾星霜、衣替えの概念を遠い昔に置いてきた【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。
これまで、当ブログでは生きてきた中で、私自身が感じてきた違和感や葛藤を中心とした話題を綴って参りました。
飽く迄、私の経験や思ったことについて「同情」を求めるものではなく。
同じような、似たようなものを感じた。それで嫌な思いをした、辛かった、苦しかった。
そのような方々に、少しでも「共感」していただける文章を書きたい。
独りよがりと思えるような決心の元、不定期になりながらも記事を書き連ねて参りました。
しかしながら、休職を経て四ヶ月目となる今、少しずつ変化しつつあります。
これまでは知識を持つ方々のお話しを元に、或いはインターネットを通して、独学と敬称するには烏滸がましいところではあります。
私なりに目の当たりにし、受け止めながら咀嚼して解釈することで知識として蓄えて参りました。
然れど、ここに来て頭では理解できても納得できないこと。
或いは純粋に、理解することを拒むかのように避けてきたことが、あまりにも増えております。
今回はそれについて綴って参りたく思っています。
何か。それは。
温もり。
そして優しさです。
疎外され、嫌われることには慣れていた
今から、遠い遠い昔の話。楽しかったり嬉しかったり、そういった思い出はすぐに薄れていくのに、いつまでも残り続ける記憶です。
幼少期から小学校卒業位までは小さい規模の集団だったこともあり、私は比較的平穏な時期を過ごしておりました。運動こそ苦手で恥ずかしがり屋であったものの、周囲に溶け込み目立つことなく日々を送っていました。
周りからは優しい、と言われることが多かった記憶がございます。今となっては自分自身、その言葉の意味を無意味に思案する時間こそあれど、疎まれ仲間外れとは程遠い日々でございました。
成長と共に、周りの趣向……流行とでも言えばいいのでしょうか、そういったものには興味関心を一切持たず、寧ろ流されることを嫌った私は好きなことを貫いていました。
或いは、ませていた、とも言い換えられるでしょうか。
それでも周囲は私のことを毛嫌いすることがなかったことは、幸いだったのかもしれません。
「このゲーム面白いからやってみて!」と強要することはせず、只管自分が興味のあることのみを追求していたことも良い方向に導いてくれたと言っても過言ではないと思っております。
変わっているところはあるが、自分を曲げない存在。クラスメイトから見た私はそのような感じだったのかな、などと思い返しています。
然れど中学校、思春期に入ってから状況は変わりました。
このことは過去にも綴っておりますので詳細は省かせていただきますが、各々の自我が芽生え始め、一人の人間として確たる価値観や性質が固まっていく中。
既に流行りに対する興味のない、しかし譲歩や馴れ合いを好まない私を害悪と思ったのでしょうか。
暴力のような身体的な攻撃はありませんでしたが、言葉や態度による否定、精神的に傷付け孤立させる動きが目立ち始め、日に日に明らかな個人攻撃が顕著になっていきました。
今思えば相手にも何かしろの思想や価値観が合わなかったからなのだろうな、と思うことはできます。が、証拠にならない嫌がらせや否定は私を益々疑心暗鬼にさせていきました。
実害を被った、その事実は変わらない。
それから暫く、疎外され嫌われるだけの学校という閉鎖空間など行きたくない、行く価値もないと思うようになり、ある時、一人の童ながら一つの結論に至りました。
人なんて、幾ら仲が良くても豹変するんだな。
寄って集る連中なんて、一人の意思もクソもないんだな、馬鹿馬鹿しい。
そう思ってしまってから、周りを見る目はすっかり変わってしまいました。
本音で言われているかもしれない、気遣いや優しさも。
からかいかもしれない、でも仲を深める為の婉曲した言葉も。
学生生活を謳歌する学園祭で盛り上がる周囲のテンションも。
疎まれ嫌われることに慣れてしまった私には、全て嘘と建前にしか見えなくなっておりました。
これらの経験が、人生に対し斜に構え人をわざと遠ざける腐った態度として身に付き、以降の私を形成していくこととなります。
人との触れ合いなんて、いらない。
馴れ合いなんてくだらない。
時を経て、社会人になっても相変わらず冷めた姿勢。快く思わない方々から様々な言葉も投げられました。
ですが、もう慣れ切った私にはどうでも良い言葉ばかり。このまま誰とも親しく過ごせなくても構わない、逆に変に近づかないでくれ。
独りでも、私は構わない。大丈夫。
私は自分で作り上げた鎧を纏って、人を遠ざけていました。
その時が訪れるまでは。
傷付くことに慣れたはず。だけど出会いと共に齎される、温もりと優しさは
いつの間にか本心を隠すことに慣れ切って、湧き上がる感情さえも無視した私は「冷静だがやさぐれた浮世人」を演じるようになっていました。
同時に人を信じることを止めた……否、諦めた私は誰にも本音をぶつけることだけでなく、鬱憤や思いを話すこともなく全て飲み込んでいました。
消化などされないことなど、わかっていたつもりでした。ですがそのような暴挙は遂に身体と精神を蝕むこととなりました。
これが報いか、と自分を呪ったことさえありました。
それから薬という補助を受けながら、人生なんてクソ喰らえと腐敗した時間を無駄に費やしていました。
しかしある時から、思ってもいなかった出来事と出会いに邂逅することとなりました。
学生時代に想像などできなかったことは、指摘されるまでもありませんでした。
共通の趣味を持つ人との出会い。それも直接的な出会いではなく、SNSを通してのもの。
当初こそ、人との出会いを通しての広がりといった希望よりも。
裏切りや「どうせいつか有耶無耶になって離れていく」と疑いが、圧倒的に私を支配していました。
ですが、現実は違いました。
初めて相対する私に、掛けてくださる心地好い声音と言葉、柔和なで朗らかな顔。
傷付くことも、嫌われることも慣れていた私には、余りにも温かくて。
十数年以上、自分とはとてつもなく離れ切って、実感も持てなかった。
戸惑いを通り越して、言葉では言い表せない事柄を無理やり理論や理屈として受け取ることが恒常化していた私は、素直に受け取ることが途方もない程困難で困惑しました。
言葉をちらつかせて、裏では何か企んでいるはず。騙す気か、利用するつもりか。
そのようなもの、慣れた私には無駄なこと。証拠を掴んだらすぐにでも切ってやる。
懐疑心の塊と化していた私、しかし出会いを切っ掛けに出会った人たちは私の疑いなど矮小で愚かとさえ思わせる程の想いに満ち溢れるものばかりでした。
運が良かったと言われればそうかもしれません。
ですが人を信じることを、優しさと温もりを捨てるように忘れた私には。
全てが温か過ぎました。一度のみならず何度も人を信じて頼ることを捨て去った私には。
言葉で表せない、安心感と言えば良いのか、心地好さと表現すればいいのか。
とにかく、こんな私と接してくださる人がいることの嬉しさ、喜び。そのようなものを噛み締める時間が増えていきました。
然れど一方で、「人を裏切り裏切られた私などが、そのような感情を感じていいのか」と思い悩む時間があったことも、また確かでした。
傷付いて独りになることは慣れ切った、だけど優しさや温もりは、信じきれない。
身勝手な想いが錯綜し、だがしかし享受し思い切り甘えたいという想い。
相反する想いは葛藤となり、やがてそれまで抑え込んでいた感情が暴走する結果を招きました。
ありがとうと、ごめんねを繰り返して
時が経ち、獣人を模した着ぐるみ界隈と出会いました。元々人間という存在が不信そのもので生理的に嫌悪するようになっていた私には、元来持ち合わせる自分を切り離すことで「羨望を叶え成り切る」という世界に飛び込んでいました。
元々好きだった、孤高ながら崇高な狼。それを高校時代から執筆していた物語の主人公と重ね合わていました。
しかし。
表面的には獣人であっても、中身は人間。当然ながら人それぞれの着ぐるみに対する考えにみならず、考え方そのものや価値観、譲れない想いは出て参ります。
結果的に、私も反りが合わず喧嘩別れするという事態に出くわすことととなりました。
正直な思いを綴らせていただくと、またか、という感情が強かった印象です。
所詮、着ぐるみと言えど中身が人間なら排他されることもあると。
同じ趣味を持つ者同士、和気藹々と言わずとも仲良くできれば、私はそれで良いのに。
理想郷を語るように思案を巡らせる自分が馬鹿馬鹿しくなり、一時は界隈を去ることも考えました。
もう、喧嘩も裏切りも沢山だから。
そうして無気力な日々を送っていたある日、とあるメッセージが届きました。
それはMr.Childrenの「Sign」の歌詞の一部でした。
『ありがとうとごめんねを繰り返して』
『人恋しさを積み木みたいに乗せていく』
謝罪の意味の「ごめん」。感謝の意の「ありがとう」。
喧嘩別れし絶縁した事実は変わらない、それでもそうやって頑張ってきたんだよね。
そう言われた瞬間、情けない位ボロ泣きしていました。感情を押し殺さなければ生き抜けなかった私は、込み上げる様々な思いを抑えることは最早できませんでした。
そこまでして、ようやく気がつけたような感覚に包まれました。
価値観の違いがあるから、いざこざは起こり。時として見限ることも見限られることもあることを。
でもありがとうと、ごめんねを繰り返しながら、生きているということを。
過去は誰にでもある。幸か不幸かなんて、わからない。
それでも直ぐ様拒絶するようなら、私にそうしてきた人たちと同じになる。
まずは、受け入れること。頭で理解できなくても、ひとまず発せられた言葉を受け止める。
脚色づけることなく。
今はまだ、私も上手く噛み砕いて自分のものにできずにいます。
ですが少しずつで良い。全部理解しようとしなくても良い。
拒絶された過去は過去。今は、新しい出会いをまず受け入れたい。
拒否することなく。時には謝ることはあっても、感謝を必ず添えながら。
自分を押し殺す必要性は ~心の声に、耳を傾けて~
気温の落差に身体が中々追いつかないところを、暑さと冷え込みが交互に押し寄せる日が続いていますね。
状況の変化で心もお疲れの方も多いことと存じます。
せめて、このまま夏に真っ直ぐ行くことなく、穏やかな春の温もりを肌で感じられる日が続くことを願うばかりです。
はい皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか
私はと言いますと、あまりにも沢山の出来事を一気に目の当たりにしたことで、これまでの人生の中で最も自分自身を省みる時間を過ごしておりました。
ここからは独白に近いものになりますが、どうかご容赦ください。
学生生活。就職活動を経て社会人として働き十数年。
カウセリングの力を借りながら、私はいつの間にか「自分というもの」をすっかり忘れ果て。
我儘も自分の思いも、「本当はどうしたいのか」ということも投げ捨てて、人に尽くすかのように合わせることを続けていたことに気が付くのでした。
このような書き方をすると如何にも被害者面をしているかのように見えるかもしれませんが、事実は異なります。
私という人間が、無意識的に行ってきた結果の積み重ね。
より極端な言い方をすれば。
人に嫌われない、捨てられないようにする為。
子供ながら必死に考え、生き永らえる為の処世術のようなものでした。
私は機能不全家族に起因するアダルトチルドレンのようです。
カウンセラーによる、アダルトチルドレンや機能不全家族診断の結果、どうやら複数のタイプを包括しているとのことでした。
薄々そうなのではないかと勘付いていましたが、この結果は、私の想像を上回るものでした。
詳細はより落ち着き、冷静になった際にお話しさせていただければ幸いですが、複数数タイプのアダルトチルドレンを抱えるということ。
驚く私に、カウンセラーは珍しいことではないと、優しくそっと伝えてくれました。
思い返せば、これまで過ごしてきた私の生き方に抱き続けていた違和感。
そのほとんどが腑に落ちました。
どうせ私なんて。私なんかが幸せになれる訳がない。そもそも幸せって、何?
私のことなんて気にしないで。独りで平気だから。私なんかより、他の人と楽しんで。私がこの場所にいなくても、別に問題ないだろう。
おちゃらけてバカ言って、少しでもみんなが笑えたり和めば良いな。難しい顔して黙り込む周りが、耐えられない。場違いであったとしても、空気が読めないと思われても、みんな笑顔でいられるのならそれで良い。
この記事を綴る合間に浮かんだものでは、このようなものが挙げられます。
諄いようではありますが、これらは全て。
意識的、無意識的に拘わらず、全て私自身が感じ行動に反映させてきたことです。
そして、自分が「本当はどうしたいのか」という意志はなく、只々「自我を創り出せなかった結果」人に全てを委ねていたこと。
仮初であったとしても、人が喜んでくれることで、捨てられないようにするのなら。
私自身を偽り、押し殺す。
色々考えて模索するよりも、私という一人の人間を犠牲にして済むのなら、その方がずっと簡単だったから。
自分を押し殺して物事が円滑に進むのなら、私はそれで構わないと信じてやまなかった。
このような思いは、休職に至ったことを切っ掛けに限界と疑念となって噴出することとなりました。
そう、休職は飽く迄切っ掛けでしかありませんでした。
然れど、記憶のない頃からの行いはカサブタと成り続けるだけに留まらず、種々の感情や想いを殺すことで膿んでいきます。
膿んでも尚、身体は大きくなり歳だけは取っても、積もる想いは悲鳴を上げ続けます。
見て見ぬ振りをしても、腫れ上がっていきます。
それがいつの日か、許容できる範囲を。耐えられると「思い込んでいた」領域を超えて、制御など受け付けず暴れ回ることとなります。
これが、言葉として表せる私です。
アダルトチルドレンは、タイプによってHSPに関わるとのことでした。
が、今の私が言えることは。
本当の自分を、幼い頃に抱いていた願望は。
家族に求められることではありません。
かと言って人に、赤の他人に求められるかと問われれば、哀しいかな、それも難しいと思っています。
そう申し上げると、では結局八方塞がりで苦しみや辛さを抱えるしかないのか……と考える方もいらっしゃるかもしれません。
でも、私はそうではないと確信を持っています。
自分を押し殺してまで、人に尽くす必要なんてどこにもありません。
ならば、「本当はどうしたいのか」「どうしたかったのか」。
「安心する為に、どう生きたかったのか」。
悲鳴を上げ続ける自分の声を。心の叫びに耳を傾けること。それが最初の一歩なのだと私は思っています。
綺麗事に聞こえると思います。それは十分承知しています。
逆に考えれば、そのような思いを抱えながら知人や友人、身内に話をして通用するか……ということです。
私は、それが叶いませんでした。
身内は論外としても。
知人友人にいきなりこのような話をしても、「互いに」理解し合い安息を得ることは難しいと思っています。
何故なら、と思うよりも答えは簡単なことだと私は思います。
主観的には「こんなに苦しいのに!なんでわかってくれないの!?」となったとしても。
余程のことがなければ、「えっ……?」と困惑されると同時に。
何言ってんだこいつ。
そう思われるのが関の山と、私は思います。
当然といえば当然、その人にも悩みや葛藤は大小問わずあるはずです。
それだけで手一杯のところに、救いを求める一心であったとしても。
直接言われることは稀にせよ、重過ぎる、と距離を置かれる可能性は大いにあります。場合によってはそれで縁の切れ目になることもあり得ます。
何より、「半端な優しさ」によって、互いを破滅しかねません。
なら、どうするか。
辛い、苦しいだけでなく。
自分が行っていることを、純粋に「楽しい」「嬉しい」と思えているかどうか、それを聴くことなのではないかと思うのが、私の答えです。
勿論仕事上では、そう考えることは難しいと思います。仕事を純粋に楽しめる方もらっしゃる他方で、仕事は「生きる為の金を得るもの」と考えている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
ちなみに私は後者です。
生きる為の金であり、逆ではない、というのが私の信念です。
長くなってしまいましたが、もう一度だけ言わせてください。
自分を押し殺してまで、人に合わせる必要など、どこにもありません。趣味やプライベートのみならず、譬え生活の為の仕事であったとしても。
当事者である自分が、身体的にも精神的にも、死んでしまっては何も残りません。
人の悲鳴……愚痴や不満、滅入ってどうしようもなくなった声に応えることはできても。
存外、自分が発する声なき思いを感じ取って、聴くことは難しいかもしれません。
かく言う、私がそのそうです。
そうだとしても、どうか自身が訴える声にだけは、どうか応えてください。救ってください。
自分の想いをわかってあげられれるのは、他ならぬ自分だけなのだから。
またもや纏まりのない文章となってしまいましたが、程々に切り上げさせていただきたく思います。
今は少しずつではありますが、私という人間を理解しながら。
願わくは、私の経験がお読みになる皆さんの足しになれれば、幸いです。
今回も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【生き方・HSP】優しさって、何だろう ~表面だけ合わせてきた罪~
今年を漢字一文字で表すと、という記事が少し前にニュースになっていました。
「金」。
成程と納得する前に、短絡的・直感的に五輪・パラが開催されたことに対する一言なのだろうな、と断定するのは容易なことです。
それよりも、もっとお金欲しいですね。
はい皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。
恐らく、この記事が今年最後のものになります。
今年に入ってから掲載ペースが大幅に落ちた私ではありますが、ここ数ヶ月は特に顕著でした。
私の2021年を表すなら、多分これになります。
人間関係と自己分析。
全てお話しするととんでもない長文になりそうなので、特に印象に残ったことを抜粋する形で綴って参ります。
まずは、人間関係。これは私にとって、永遠の悩みとも呼べるものです。
過去の記事でも何度か触れましたが、基本的に他人と関わりたくない、という思いが根源にあります。許されるのなら、独りで部屋に籠もって眠りに就き続きたいとさえ思うこともあります。
元々連絡を取り合うことも癖にさえなっていないことも相俟って、休日は独りの時間を過ごすことに苦痛を感じることはあまりありません。
と思いながら、公私問わず。
実際は幸いにも優しく声を掛けてくださり、車という共通の趣味を持つ方とも巡り合うことができました。
実務においてもわからないことだらけで、初動すら取れない私に仕事を振りながら一緒に一から遂行まで指導していただく毎日が続いております。
自分でやった方が早い。
その言葉が、不意に頭を過るのでした。
異動前、慣れ切った仕事に対してそんな思いを抱いていた私は。
自分がどれだけ傲慢であったか。
仕事を降る「フリ」をしているだけで、現実は人に聞かれ答えることに面倒臭さでいい加減な態度を取る、仕事を「投げ捨てる」仕方でしかなかった。
天狗になっていたあの時、前の職場の人々に不快感を、人知れず与えたいたことに気付かされれました。
だって。
わからない仕事を、前触れ無く与えられることが苦痛であったり、嫌気が差したり、時には「もういいよ」なんて勝手に苛立っているクソみたいな私にも。
親身にしてくださればされる程、温かくて、兎に角温かくて。
放っておこうと思えばできるのに、二ヶ月経とうとしても尚物覚えの悪い私に、何度でも同じことを。
怒ることもなく、変わらない優しい声音で導いてくださる。
なんで、そんなに人に優しくできるんだ。
私なんて、一つのことしかできない、不器用で馬鹿でどうしようもない奴なのに。
どうして。
人に優しくするって、何なんだよ。
こんな記事を過去に書いて、読み返せば読み返す程自分を正当化している私が、惨めに思えて仕方がない。
共感したい、わかり合いたいなんて綺麗事をほざいておきながら。
わかっていないのは、私の方じゃないか。
何が共感だよ、馬鹿馬鹿しい。
自分自身に悔しさと苛立ちと、嫌悪感が付き纏う。
自分が、醜い。穢らわしい。
自身を咒うかのような言葉が、思いが、感覚が押し寄せて。
休みの日はまともに動くこともできず、押し留めようととも溢れ出る負の思いに反論すること行動も思考も取れぬまま。
情けなく独り床に就く日が、果たして何時間、何日と流れたことか。
寝床に身体を横にしながら、同時に思うことが胸裏を引き裂いていることを自覚するまでに、時間はかかりませんでした。
性根は腐敗仕切っている、なのに。
何で、私なんかに。
悩みを話し易い。
そう言われるだけは、職場、プライベート問うことなく変わりありません。
自分なりに「近寄らないで」と見せているはずなのですが、時には人生相談クラスの重い話や凄惨な話を聴くことも珍しくあります。
現職場も後輩の子が、様々な悩みを話しに私の元を訪れています。
一度だけ「私って、そんなに話しやすい?」と無粋ながらも聞いてしまいましたが、数瞬の間もなく「めっちゃ話しやすいです」と笑顔を見せられて、私はますます困惑しています。
話を聴くことは、私も苦ではありません。寧ろ好きな位です。
然れど、いつまで経っても「こんな私が、聴いてもいいのですか」という気持ちはどうやっても拭うことができません。
私の数少ない友人、たーぼぅさんも。
私は記事として上げることはできませんでしたが、お会いした当時は相当参っていることがひと目みてわかって。
話す口調や声も疲れ果てていることを瞬時に理解いたしました。
その時は愚痴大会+αで終えました。
でも。
あの時、私は友人の心に本当に寄り添えたのか?
そう思う自分がいます。
前述した後輩さんも、同じ感覚を抱きました。
聞いてくれるだけで良い、彼女はそう言いました。
そう言ってくれるのは、純粋に嬉しい。
嬉しい、でも、本当にそれで君は良いのか?
もっと話したいことが、あるんじゃないのか?大丈夫というけれども、何を以て大丈夫と言うんだい?
これは、私が思っていた以上に冷徹なのに深入りしようとする嫌いがある、ということに起因する結果が齎したものだと考えています。
元々、人とは何かが違うと感じ生きてきました。
原因を突き止めるべく死物狂いで……それこそ、簡単に同意など得られないとわかっていながらも……調べに調べを重ね、私なりに噛み砕いて咀嚼して。
得られた結果が、HSPやHSS型HSPでした。
病気でない以上、診断そのものは当人でしかできません。喩え一時の感情や考え方に巻かれる形でHSPという結果に行き着くことも十分あり得ることだと思います。
しかしながら、少なくとも、という前置きを置かせていただけるのなら。
HSPを決定付けるとされる「DOSE」をほぼ満たしています。
興味があることには積極的に話していくのに、そうでないものには「うんうん」と曖昧な相槌を打つことが最早私の中では当たり前になって参りました。
両極端な事象を受け、結局捌き切ることができなかった私は、所詮その程度で中途半端な奴なんだなと思い今に至ります。
表面だけ良く見せて、裏では「興味のないことなどどうでもいい」。
相反する姿勢を見せ続けていく内に、私のような人間は一番タチが悪い半端者であることを自覚して、この記事を綴っています。
数年前に耳にし、今も耳を離れず独り聞く曲があります。
転載すること自体ご法度ながらも、承知の上で載せさせていただきました。
歌詞の中で、特に印象的だったものは。
「生きる意味なんて見出だせず、無駄を自覚して息をする」
「「寂しい」なんて言葉で この傷を表せていいものか」
「そんな意地ばかり抱え 今日も一人ベッドに眠る」
続けます。もう、今の私には止められません。
「自分が死んでもどうでもよくて」
「それでも周りに生きて欲しくて」
「矛盾を抱えて生きてくなんて 怒られてしまう」
……そう思って、何が悪い。
「「正しいものは正しくいなさい」」
「「死にたくないなら生きていなさい」」
……善を被った、脅し文句。よく言われました、中学時代に荒んでいた私は。
「悲しくなるなら それでもいいなら」
「ずっと一人で笑えよ」
悲しいと思った、虚しいと思った。
それでも良い、もしくはどうしようもない時は。
喩え励まされる言葉であったとしても。
そう言ったてめぇが、一人笑って過ごせよ。
年末を前にした言葉が、私の仕舞いになることは変わりません。
幾ら汚かろうが、下衆だろうが。
優しさを、最後まで理解できなかった、私の思いの全てです。
今回も。
今年も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
皆様、どうか。
良いお年を。
【価値観・人生】生き辛さは、或いは平等なのかもしれない ~HSPでも、そうでなくても~
気が付けば、2月ももう終わりに近付いています。
この一ヶ月で、新型コロナウイルス以外にも様々な災害に見舞われました。
大雪、強風、東北地方を始めとしながら、地域を限定しない地震と余震。さらには各地で山林火災も重なり、今年もどうやら異常気象と震災、そしてコロナ禍とかつての「普通の生活」に戻るには程遠い一年になる予感が過ってなりません。
いよいよ冬から春へと季節が移り行くことを肌身で感じております。
はい、皆さんこんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。
狼ばかりだったキャラクターから、初となる兎の新キャラを立ち上げアフレコしました。耳が存外長く画面に収まらなかったことは、どうかご容赦ください。
新型コロナウイルスの蔓延によって、これまでの平常や日常が一変してから、早くも一年が過ぎ去りました。
それによって普段の生活、生き方や価値観、コロナ禍以前の日本の社会の「当たり前」が大きく変わったと感じた方も多いかと思います。
仕事では、言い方を良くすれば古き良き時代の慣習。悪く言えば進歩のない、良かれと思われ続けてきた悪習。
プライベートでも同じように、今まで当たり前とされてきた考え方や生き方が、驚く程の変化を齎したことと思います。
その中で、「HSPだから生き辛い」と感じていたことが、まるで逆転現象を起こしたかのように「今までの普通ができなくなって生き辛い」という方が増えているという話を耳にしました。
これは今までのようなSNSからの情報もありますが、どちらかと言えば直接お話しする方々からの生の声。しかも、どこか悲壮感とも嘆きとも読み取れる言葉が見受けることから始まりました。
それらは一般的にHSPが「生き辛い」と感じること(私はHSS型HSP自認の為、当てはまらないことも含みます)と真逆のことができない、行えないことが辛くて悲しいというものです。
例えば、「人と顔を合わせてお酒を楽しめない」。これまで週何日も居酒屋に赴いて飲んでいた人が、コロナ禍によって感染の恐れと周りからの批判を考え自粛した結果と言っておりました。
これには忘年会や送別会といった、「これまで当たり前とされてきた、日本独自の慣習」も含まれているようです。
他には「家にいる時間が増えて、家族との時間が増えて辛い」と零す方も大勢いらっしゃいました。
話を聞くと、特に休日はやることもないのでパチンコに行ったり一人で出掛けることで時間を潰していたこともできなくなり、結果的に身内の方々と顔を合わせる機会が大きく増えたことで「自分の時間」を作れなくなった。そのことから生き辛さ、もっと言えば肩身が狭い思いを強いられていると感じているとのことでした。
とある方は、「家にいる猫だけが相手してもらえるだけだよ」と自嘲気味に笑っていました。
そのような話を聞いている内に、私は共感はできずとも「お気持ち、お察しいたします」というような心境になりました。
考え方も、生き方も、価値観も全然違うのに。
環境が一変するだけで、ここまで人の気持ちを、精神や思いまで変えてしまうことを、図らずとも実感しているのでした。
お酒は部屋飲み、一人でゆっくりまったりと。
会社主催の、仕事終わりの飲み会なんてクソ喰らえ。
これまでの私は、そのように考え実践し続けて参りました。
大人数で飲む人たちのことを楽しみにしている様子や考え方なんて、理解したくないと思い続けてきました。
仮にやりたいなら、そのような集まりや雰囲気が好きな人たちだけでやればそれで済むことだろう。
対して親しくもない人と付き合うことが、大人数でごちゃごちゃになる状況が苦手で嫌いな人間のことなど考えもしない。
そんな会社や社会の惰性的で伝統?のようなものを重んじて信じて止まない御仁たちを、正直言って時代錯誤甚だしいと嫌悪すらしていました。
家での時間の、また然り。時々人恋しくなることを自覚し始めているとは言え、一人でいることに苦を感じない私には「そんなに一人の時間は寂しかったり、辛いの?」「外界に刺激を求めなければ、部屋で一人過ごすことも難しいのか?」と疑問を呈してばかりでした。
でも。
これって、取り巻く情勢や環境が変わっただけで。
その人が持つ考え方や価値観にそぐわなくなることも十分あり得ることなのかもしれない、と思うようになりました。
よくよく考えてみれば、それはそうだよなと一人勝手に納得するに至っています。
特に、最近巷で流布され始めたHSPを紹介する文章を芽にするようになってから、ことさらそのような思いを抱くようになりました。
HSPは五感から入ってくる情報に敏感に反応し、更にそこから感情を左右されることは多々あります。これは大袈裟かもしれませんが、当事者である私もそのように感じ、時に苦しむことが多くあります。
でも。
そうでない人たち、言い方を変えれば人と接することを当たり前のように楽しみ憩いの時間とすることができる方々からすれば。
そう置き換えると、今日本を、世界を取り巻くコロナ禍は生き辛く苦しい時間を過ごしているのではないのか。そう思うようになりました。
人と会って何かをすることでストレスを発散する。或いは外界の刺激が多い場でも時間を忘れ、溜まりに溜まった鬱憤を晴らす。
それができないことは、HSPを自認する私からは途方も無い息苦しさと、行きどころのない虚無感や苛立ちを募らせてしまう。
行く着く先は、今まで当たり前とされてきた世界で生き抜いてきたHSPを自負する私たちが感じてきたことと同等、或いはそれ以上のストレスを蓄積させてしまう世の中になってしまったと言い換えることも過言ではないということでした。
私は、今の。語弊があることは承知で、コロナ禍で齎された生き方は心地良いだけに留まりません。人と距離を取らざるを得ない環境ですら、正直に申すと「それ位距離がないと、息をすることも重労働」とさえ思いながら生きてきました。
然れど。
HSP、HSS型HSPという概念を知って、情報を出すようになって以来。私はその概念を盾にして、時には「特別扱いして」と言わんばかりに驕っていたのかもしれないと思うようになりました。
現実は、私が考えるような狭い世界で動いている訳ではない。
HSPという「体の良い言葉」で武装して、そうでない人たちを「理解できない、人間ではない宇宙人のような存在」とさえ思っていました。
しかし、でも。生まれ持った性質があろうがそうでなかろうが、同じ人間。環境や立場が変われば状況の受け取り方も沸き立つ感情も変わる。
そんな当たり前のことを、私は忘れてしまう程にまで「HSPを、HSS型HSPを自負する人間がいる」ことを広げようとしていたのではないかと、思えてなりませんでした。
そうじゃないよな、と改めて自分に問いました。
HSPでもそうでなくても、辛い時は辛い。
生き辛い、息苦しくてどうしようもない時は誰も同じ。
状況や環境で受け取り感じるストレスや憤りは、喩え 人それぞれであったとしても。
しんどいものはしんどい、生きること事態にももう疲れた。
そう感じて意気消沈したり落ち込んだり、最悪追い詰めて生きることそのものを諦めてしまうことは、誰にでも起こり得るという思いを振り切ることは叶いませんでした。
逆説的に言えば。少し、辛辣な言葉になるかもしれません。
そういった意味では、生き辛さというものはある意味平等なのかもしれないという結論に至りました。
不安定で先行きの見えない現代だからこそ。
理解や許容はできなくとも。
少なからず、「自分が想像する以上の思いや考えを持つ人がいる」ことを、改めて認識すること。
それが、今の日本に必要だと私は考えます。
少なくとも。
開催が危ぶまれる東京五輪や政治のことを。
揚げ足を取るように。或いは揶揄する暇があるのであれば。
今回も最後までがお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【価値観・HSP】情報世界と向き合わない時間 ~負の感情の渦から逃げる必要性~
終わりが近付きつつある、2月。立春を終え雨水を迎えた世の中は、確実に春へと向かいつつあります。
天気予報を見ても、三寒四温という言葉が相応しい程にまで気温が上下する慌ただしい気候が予想されています。風邪にもインフルエンザにも、新型コロナウイルスにも気を付けていきたいですね。
【HSP・価値観】コロナ禍で見えた、様々な生き方 ~価値観も考えも、皆違うものを持っている~
大寒波が訪れたかと思った矢先、大寒を前に唐突の雨が降り驚いている合間に再び真冬の寒さに逆戻り。
精神的なストレスだけでなく、身体的にも厳しい季節で「何だか疲れてるな」と目頭を押さえている【やさぐれ紳士】白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
新型コロナウイルスの収束を願い始まった2021年。それが好転するどころか、寧ろ悪化の一途を辿っています。
一概に誰が悪いとは言えない状況。明日はどうなっているのか、最早簡単に想像することさえ難しくなってきています。
その最たるものとして、二度目となる緊急事態宣言。そして自粛要請にあると個人的に考えています。
昨年の4月、最初の時と比べて様々な意見や批評が飛び交っています。
お願いばかりで補填や補償をまるで考えていない上層部。散々自粛自粛と言いながら、御当人らは会食やら必要なのかもわからない会議ばかりに勤しんでいます。
見かねた国民は「どうせ偉い人たちもやってるんだから」と。「生活が掛かっているのだから」と罰則されることを恐れることなく。
これまでの生活が一変し溜まりに溜まった鬱憤を晴らす為に、本能のままに。
そしてお偉い方々にはもう頼れないと見限り、各々が生きる為に自ら考え行動し始めています。
SNS等では国の舵取りをする御仁たちへの酷評だけでなく、皮肉さえも溢れかえっています。これは血税を好き勝手に使い放題にしているから擁護のしようがないとして。
同時に、各々の考えに基づいて動き始めた、或いは動き続けている人々への批判も多く見られるようになりました。
しかしながら、私は一概に一般の人たちを批判するのはどうなのだろう、と思うのが正直なところです。
自らの考えや価値観に周りを当てはめて、外れるようなら間違っている、おかしいと見下して。自分が如何にも正義だと語る様は、果たして正しいのだろうかと思えてなりません。
夜の街に繰り出して飲みに行く若者の言葉が、記事になっていました。そこには「若者だけが自粛しなきゃいけないって言われるのはおかしな話。だから飲みに行く」というものでした。
皆さんはこの声を、思いをどう捉えましたでしょうか。
様々な意見があるかと思います。「我慢して自粛している人が沢山いるのに、そんな行為は身勝手極まりない」と反感を覚える方もいらっしゃるでしょう。
もしくは「そうだよ、これ以上我慢したら自分が壊れるよね。わかるよ」と共感する方もいらっしゃるかもしれません。
或いは、「好きにすればいいんじゃない、新型コロナに感染しても自己責任ってわかってやってるんだろうし」と無関心を示す方も。
そう。
これまでの慣習が私たち「日本人としての当たり前」として刷り込まれ疑問に思いもしなかったことでさえ、今の日本では各々の価値観や思いが様々な言葉となって生まれてきていると、私は思い始めているのです。
最初に上げた例も、その一つなのではと思っています。
これが個人的な飲み会ではなく、会社絡みのそれなら「出席するのが当たり前」という時代もかつてありました。
最近では様々なハラスメントに発展する事情もあり鳴りを潜め始めているとは言え、未だに「新入社員は上司や幹部の酒を注いで当然」「アルコールが身体に合わなくても、将来の為に出席した方が良い」「飲みニケーションは楽しみながら、大切に」。
そんな言葉を耳にした方も多いのではないでしょうか。
ですが(上辺だけの関係の)人付き合いが嫌いな私は常々疑問を抱くと共に適当な理由を付けて断ってきました。
ただでさえ疲れるし、お金と時間は浪費するし、聞きたくもないお偉いさんの武勇伝を延々と相槌を打ち続けるなんて、正直馬鹿らしくてとても耐えられません。
故にこれまでは、私自身そういったものに出たがる人や強制するような人の考えなどわからないと忌避し、好き勝手にどうぞと傍観して参りました。
でも、これも私という一人の人間の考えに過ぎないということに気付きました。
私はお酒を楽しむなら自室で好きなことをしながら、というスタイルです。
一方で人と面向かいながら、生の声や感情をやり取りしながらお酒を飲みたいという人もいるのだろうな、と今更思い至ったのです。
会社絡みだけでなく、プライベートの飲み会もそう。見知った間柄、顔を見ながら共に楽しむお酒の席は格別という方も、沢山いらっしゃるのだと。
多分、私のような気分屋で、勝手にHSS型HSPを自負していると語っているような人間よりも、遥かに多いのではないか。
そうでなくても、人の行動の根幹に根付く物事に対する価値観や考え方は、各々違うのだ、と。
それが現在進行系で収まることを知らないコロナ禍で顕在化したのではないかと、個人的に感じています。
飲み会一つ取っても、私のように「誘われることもなくなって生きやすくなった」と思う人もいる。他方で「人と一緒に飲みに行けない、ストレスが溜まりに溜まってもう限界だ」と悲鳴を上げている人もいる。
これは他の事柄にも十二分に当てはまると思います。
テレワークし続けることでストレス蓄積、感情コントロールの喪失や家庭事情の悪化を嘆く声も所々響いています。反対に満員電車に乗って出社したくないのにテレワークができないことに憤り苛立ちが募るという話も耳にします。
それだけでなく、旅行も食事も然り。両極端でありながら、双方の不満や苦しさが滲み出て止まらなくなってきています。
例を上げればキリがありません。
それでも、以前の私はこのような記事を上げていました。
この時の私はHSPを。HSS型HSPが抱く思いや考えだけを前面に出していました。
「世の中には喩え少数であっても、こんな人間もいるんだ」と。
ですがこれも、結局は私の考えや価値観が先走った思いの塊に過ぎなかったのだな、と振り返っています。
訴えるのは必要なこと、その意志は今も変わりません。
しかし主張ばかり続けるだけでは、共感どころか知っていただける機会で自分の手で蔑ろにしているのではないかと、思い至りました。
違うだろ、と私は私に叱責しました。
私がしたいことは、自分の考えだけ訴えて他を排除することではないだろ。近付き過ぎて同情する訳でも、距離をおいて傍観することを楽しむ訳じゃないだろ。
人は、価値観も考えも違えば、それを伝える言葉や思いも違う。
どれも正解ではない、でも間違いでもない。
その人が思ったことが基準になるだけで、それを根拠に批評するのはまた別の問題なんだろう。それを、このブログで綴りたいんだろ、とここ数日悩みながら自らに問い続けていました。
私の考えを、甘ちゃんだの芯がないだの結局他責かだの、様々なご指摘やご意見を抱かれるかもしれません。
人によっては、「そんな考え方は偽善だ」と論ずる方もいらっしゃるかもしれません。
それはそれで仕方がないのかな、と享受します。
私のことをどれだけ罵っていただいても、それはそれで仕方がないことですし、罵る方の考えを変えることはできません。
唯、一つだけ。
今現在このような状況に陥った日本において。
これまで当たり前だと、常識だとマナーだと言われてきたことを、見直し改める時期になってきていることは、事実ではないでしょうか。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【HSS・HSP】やはり自分がHSS型HSPだと思う時 ~喩え、自分勝手な奴だと思われても~
本年最初となる仕事の一週間を終え、部屋でカタカタとキーボードを叩きながら。
燃え尽きたぜ……真っ黒にな……
といった思いと疲労を感じたのは、これが初めてなのかもしれません。
おまけにどうぞとばかりに、大雪に強風で通勤列車が遅延や運休で通勤も支障だらけと、2021年幕開けから災厄ばかりですっかり萎えている【やさぐれ紳士】白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
しかしながら、年始から早速、色々と気付かされることが沢山ある一週間とも言えました。
年末年始休暇を経て、凝り固まった考え方や価値観がほぐれたせいか。
プライベートでも仕事でも、やはり自分はHSS型HSPなのだと自覚したこと。HSS型HSPとは何なのかを考え直させられることとなりました。
今回は年越しを経ながら、HSS型HSPという自分を客観的に見られたことを。今まで当たり前だと信じ、仕方ないと諦めていたことでさえ、HSS型HSP所以の捉え方や価値観であったことを、綴って参ります。
- 四六時中、身内でも近過ぎると精神が参る
- 職場の人と会う時間。嬉しくて楽しい半面、時間が経つに連れて嫌気が差す自分
- 夢中になれる仕事を見つけた時は、周りのことなど関係なくのめり込んでいた
- 自分勝手な奴と思われても、侵されたくない思い
四六時中、身内でも近過ぎると精神が参る
学校でも職場でも、休みに入ると嬉しくなると思います。少なくとも私は「世間の柵から解放される」という思いが先立って、ホッと緊張が途切れると同時に。
「休みは何をしようかな」というワクワク感と、高揚感のような感情を抱きます。
ブログを書きたい。買った本を読みたい。好きな音楽を飽きるまで聞いていたい。
好奇心が真っ先に向いたものに飛びつこうとする辺り、私は計画的に時間を使うということが物凄く苦手だということを実感しています。
他方で、これらのことは飽く迄「私という人間が一人で行いたいこと」という前提条件が付いていることに気付きました。
ブログは自分と向き合いながら書きたい。本は雑音がない状況で読みたい。身内のことを気にすることなく、自分の好きな音量で音楽を聞きたい。(爆音で流すつもりはありませんが……)
そう考えると、と思った時でした。
私にとって身内は掛け替えのない存在であり、表向きには言えない汚らしい罵りや憤りをこちらから発しつつ、同じように溜まった鬱憤を受けることで精神的な「ギブアンドテイク」を行って参りました。
然れど。
より深く、私が打ち込みたい。自分自身と向かい会いたいという時は、身内であっても「独りになりたい」という思いが一層強くなるのでした。
そして一度自分がやりたいことに集中し始めると身内そっちのけ で夢中になり、ご飯やお風呂の声がけにも適当に返事をして怒られる程になります。
自分がやりたいことに熱中している時、私の中では生活で当たり前のことでさえどうでもよくなってしまうのです。
身内からも「気分屋」と言われるのは、多分この辺りにあるのかなと邪推しています。
職場の人と会う時間。嬉しくて楽しい半面、時間が経つに連れて嫌気が差す自分
続いて、社会人として、お金を稼ぐ為に行く会社。ネットニュースではブラック企業についてや人間関係の悩みについて綴られた記事を多く見かけます。
特にコロナ禍となり今も尚その状態が続いている昨今では、この手のニュースが非常に増えたような印象が強いです。
さて、私はと言いますと。
社員が自分の両親程の方々が大半を占めるというとんでもない人員構成の事業所で、仕事への考え方から物事に対する価値観が全く異なる人たちばかりです。
逆に同期となる同世代の人間は数名しかおらず、後輩に当たる20代の社員が十数人です。
私の場合、同世代に対してはトラウマがあるので自分から歩み寄っていくことができません。また末っ子として生まれ育ち、学校の部活でも後輩らしい後輩もいなかったことからどう接すれば良いのかわからない……という悩みの一種とも言えるものを持ち続けています。
私もそうなのですが、発言も何を伝えたいのかわかりにくいものが多く、つい言葉の裏を探ってしまう私には苦手な存在となっています。
反対に先輩たちベテラン層は、こちらに対して遠慮なく、はっきりと物申してくれます。加えて若手(一応私も若手に部類されるみたいです。都合のいい時だけですが)の第一号だった私に構ってくださる方も多く、良い意味で可愛がっていただいています。
そんな私も父親像を知らないということも重なって、ベテランの方々との人間関係は比較的良好です。相手が冗談交じりで弄りに来ているのかも声色や顔色を見れば判断でき、社内LANを管理するという特殊な役柄上相談も多く、個人的には楽しく仕事をさせてもらっている、つもりです。
しかしながらここでも、天の邪鬼精神が顔を出し始めることとなります。
人付き合い自体は嫌いではない癖に、時間が経つにつれて何となく嫌気が差すと言えばいいのでしょうか。とにかく、人といる時間が長くなればなる程気疲れを引き起こしその場から離れたくなります。
今年の場合は年始の挨拶が、その最たるものでした。
長期休暇後に、元気な顔を見合いながら「今年もよろしくお願いします」と交わし続けていく朝の時間。
担当内の方と交わし終えた辺りで、私は既に人酔い状態になっていました。本の十数分なのに、首都圏の駅構内を移動する際に不特定多数の人々と行き違って一気に疲弊する、あの状態のような状況に陥っていました。
仕事初めからこれじゃあ……と思いながら。人が好きなのか嫌いなのか、自分でもよくわからない。
傍から見れば「変わり者」と思われ、言われるのも仕方ないと思う瞬間でした。
ちなみに私は、周りの社員と比べて有給休暇の数が極端に少ないです。
何故なら、仕事だけでなく人間関係でのやり取りで疲れを感じた瞬間、「うん、休み取ろう」と自己防衛するかのように有給をすぐに取ってしまうからです。
周りからは「そんなに休み取って何してんだ?」と聞かれることがあります。
でも、違うんです。一人の時間を補う為に休みを取っているんです、私。じゃないと、自分という存在がどこかへ行ってしまいそうで、消えそうになってしまいそうで、怖いんです。
夢中になれる仕事を見つけた時は、周りのことなど関係なくのめり込んでいた
先程のことがHSP起因であるとするなら、続くのはHSSの性質が出た場面です。
私の通う会社では 、この時期になると産業廃棄物の処理に向けた準備が始まります。昨年決済を取った産廃物を集め、業者が回収に来る日に一気に捨てられるようにしています。
今年は社内LANが一気に更改されたこともあり、沢山のパソコン類も廃棄することとなりました。社内LAN管理をしている私に、早速大仕事とも言える仕事が舞い込んで参りました。
今から十数年前程前までは、産業廃棄物としてのパソコンは引き渡し後に破壊されるという認識が根強かったことから、特にデータの消去や破砕をすることもなく業者に引き渡していました。
しかし最近では個人情報や会社情報の漏洩が大問題になることが、非常に多くなっています。特に会社の機密情報が漏洩するようなことがあれば一気に社会的信用を失うこととなります。
そこで最近はパソコンに取り付けられているハードディスクドライブやSSDを抜き取り、外部からドリル等を用いて穴を空け読み取りできなくするという、物理的破壊が義務付けられています。
少し前に流行った、データ完全消去ソフトウェアは、はっきりいって役に立ちません。詳しい人間がその気になれば、簡単に復元できてしまうからです。
そんな訳で、朝から捨てるパソコンを並べてHSSやSSDを引き抜く作業から始まった訳ですが。
パソコンをバラして、マザーボードが見えて各種配線が露出して。問題のHDDやSSDを探すのですが。
デスクトップ型とノート型ではバラし方全く異なり、設置位置も取り外し方もメーカーごとや機種ごとに違うことが多くあります。
四苦八苦して、どうやって取り外すんだと試行錯誤していく内に。
私はすっかり、時間など忘れて集中モードに入り込んでいました。
この時は、本当に周りのことが視界だけでなく五感から全く入ってこなくなります。目の前のことしか頭になくなり、感情も楽しいのやら嬉しいのやら、とにかく高揚感のようなものに支配されて眼前のこと以外考えられなくなります。
とにかく、楽しい。パソコンをバラして「このメーカーのパソコンって、中身こうなってるのか」と新しい発見が、能を刺激して止まない。
たかがそんなことに、と振り返ると自分でも思ってしまうことですが、それでも好奇心と刺激を満たしてくれるものに出会うと本当に周りが見えなくなることを、自意識がある中で実感できたのはこれが初めてのことでした。
その直後、産廃物品のリストと突合を行いながらパソコンをバラさなければならなかったことを指摘され、偉く叱られることとなりました。
それ程にまで、私が自負するHSSの側面は強力なのだと思うのでした。
自分勝手な奴と思われても、侵されたくない思い
年始の仕事を振り返って、改めて自分が自分勝手で自己中な人間なんだなと思い返しています。
多分きっと、周りの人たちは私のことを「気分屋の変わり者」と認識していると勝手ながら思っています。或いは自分勝手でどうしようもない奴と思う人もいるのだろうなと感じています。
でもこれが、私のHSS型HSPなのだろうなと思います。開き直るつもりはありませんが、言い訳もしませんし取り繕うようなこともいたしません。
だって、これが本当の自分なのだから。
それをこうして文章化し、自分でも納得できる形となる経験を積めたこと。そして然程違和感なくいられる自分がいることが、何だか清々しい思いを抱いています。
ここ一ヶ月位でしょうか。スマートニュースでも、HSPについて取り上げた記事が目につくようになり始めたのは。
そこにはHSPに特化した内容が綴られており、成程これがHSPというものなのかと誰もが比較的簡単に、以前よりもHSPというものに触れる機会が増えて来たことを実感しています。
しかしながら、やはりHSS型HSPやHSEについてはまだまだ浅い。
仮にHSPかも、と自己診断したところで、完璧に当てはまる人の方が少ないはず。
その自己診断で当てはまらなかった人は、「じゃあ、自分って何なんだ」となるのは目に見えています。
HSPの側面を持つ身として、紹介されることは嬉しいことです。
然れどHSPを軽く扱っていただきたくないという反抗心もあるのも、また事実です。
HSPに焦点を絞るのではなく、HSPに「+α」が沢山あることが、どんどん広がって欲しいし、願っています。
だから、HSSの側面も併せ持つHSS型HSPの私は。
ブログを通して、経験を通して。今年もHSS型HSPについて、日常視点で綴り続けたいと思います。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【ブログ・生き方】本年もよろしくお願い申し上げます。 ~ブログ開始から、一年経った今年の抱負~
年も明け、2021年の三ヶ日も疾風の如く過ぎ去りました。
いつも以上に、寒く。いつも以上に、人気のない街並み。
コロナ禍が終わることなく迎えた今年は、普段以上に「いつも」といいう定義が大きく変わり果ててしまったことを痛感しています。
皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。
そして、遅ればせながら。
皆様に置かれましては、昨年は本当にお世話になりました。
本年も変わることなく、何卒よろしくお願い申し上げます。
ここ最近の記事は代理君に挨拶してもらっていますが、これ、正直な感想を皆さんにお伺いしたいことがあります。
普通に文章で綴るか、このように喋らせるか。
もう少しキャラを作成してアフレコしようと考えてはおりますが、ご意見いただければ幸いです。
さて、2020年が今を生きる私たちにとって未曾有にして最悪、災厄の一年となりました。
正直な所、私は引き続き慎重な行動 -自己防衛本能から来る自らを規制すること、考えなしにの外出はできない- をしなければならない一年になる予感がしております。
延期された東京五輪・パラリンピックなど夢のまた夢。
耐え忍ぶと言いますか、我慢を強いられることが多くなると個人的に思っています。
然れど同時に、それももう限界が来ている気がしてなりません。
自粛に自粛を「要請」ばかりされ、特権階級や上級国民ばかりが好き勝手やっていることが報道されていることが、この国を確実に崩壊に向かわせているようにしか思えなくなって参りました。
それはそうだと思います。
とある記事ではお若い方々が飲み会に繰り出していったところを取材され、「お偉いさんが好き放題やっているのに、若者ばかりが自粛を強いられるのはおかしい」というものもありました。
わからなくはありません。
しかしながら、その行動も結局「他人の行動を言い訳」にしているのでは、と思ったのが、私の正直な感想です。
そこにあるのは、何かあった時に「他人のせい」にしたいから?
そうではなく、言いがかりを作りながらも「自分がそうしたいから」飲み会に行った?
非難するつもりはありません。ですがこの記事を見る限り、私は後者なのではないかと真っ先に思いました。
昨年から始めたブログで、私は生き方や育った環境、職業といった違いだけでなく。
同じ人間という種族であっても、価値観や考え方の違いがあること。
それを認めるか否か、受け入れるか否か。その度合だけで、人の行動というものは容認されたり非難の的になったりすると思っています。
私だったら、そうですね。
人と面向かって飲むことが好きではないので、まず飲む為に街へ繰り出すことはありません。
とは言え、それも人それぞれの価値観。
私は大切にしたい、されたいと思う人との繋がりがありさえすれば、当分会うことができない状況でも気にはなりません。
寧ろ無駄な会食やら宴会が減った分、失礼ながらも個人的には嬉しいことです。
一方で人と会うことで、直接的な交流を経て生きる為のエネルギーを得て、明日への糧にするという方もいらっしゃるかと思います。
こう考えるだけでも、「飲み会」というもの一つとっても大きく異なります。
どちらが良くて、どちらが悪いとも言えない。そんなグレーゾーンばかりのご時世。
私は、本ブログを通してそのような微妙な塩梅な部分を。
どちらかと言えば、少人数派に入るかもしれない「HSP」や「HSS型HSP」の視点に立ちながら、今年も綴っていければと思います。
最近になり、書籍にてHSS型HSPを纏めている書籍を購入いたしました。
「かくれ繊細さん」という本です。
まだ序盤の序盤しか読んでおりませんが、これまであまり深堀りされていなかったHSS型HSPやHSEについて書かれています。
次回以降、この書籍だけでなく、他にも入手した情報を元にしながら。
私が、私なりに考え文章化した思いを、綴っていきたいと思っています。
最後になりますが。
2021年。この一年が、このブログを訪れてくださった全ての方々に。
HSPやHSS型HSPで悩む方々に。
そして、ブログを通し仲良くさせていただいている皆さんにとって。
幸せな、より良い一年になることを、心から祈願させていただきます。
【HSS・HSP】HSPの4つの特徴について、自己分析 ~DOESを客観視することでわかること~
今年もいよいよ数日で終わりになりますね。30歳を超えてから、一年が過ぎ去る速度が物凄く早く感じている今宵です。
本日は照明器具を一気に交換しようと家電売場に行って参りましたが、蛍光管ではなくLED照明の製品が大半を占めていることに驚きを隠せませんでした。
時の流れも世間の進歩も、知らぬ間に進んでいることを改めて知ることとなりました。
では今回も、代理を通し挨拶申し上げます。
hss-hsp.hatenablog.com
HSPと一言で括られがちですが、その度合は人それぞれ、千差万別です。 まして私が自負するHSS型HSPやHSEとは、HSPのみに焦点が当てられた特徴だけでは必ずしも当てはまらないものも出て来てしまいます。
とは言え、「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」という故事成語がある通り。 自分のことを、HSPのことを知っているだけでも、闇雲に自分探しをするようなことをせずともより容易に、的確に自分というものを知ることができると考えています。
今回はHSPを構成する、4つの特徴を簡単に触れながら、私自身のそれぞれの特性の強弱を分析してみたことと。 自己分析した結果、もしかしたら「自分はHSPなのかも」とお思いの方の、参考になればという思いを乗せながら、綴って参ります。
HSPの判断材料となる、「DOES」
最初に、HSPと判断できる概念であるDOESについて簡単にお話しさせていただきます。
HSPという特徴を簡単に纏めている文献では「繊細」「生き辛い」といった抽象的な表現で紹介されていることが多くあります。
しかしながら、人間の精神は人知を超えるとも言える程複雑です。
その為、まずはDOESと呼ばれる4つの概念を知り、それに当てはまるかどうかを判断していく必要があります。
然れどこのDOESというものも、飽く迄自分が当てはまるか否かを見る為の指標の域を出ていないと、私は思っています。
ですのでまずは気軽に、少しでも当てはまったり「そう感じたことがあるかも」程度で良いと思いますので、あまり深く考えずに直感で答えていただくと良いかと思います。
では実際に、それぞれの特性について考えていきたいと思います。これらについては曖昧な表現が多い中、「ウサキさん☆」さんが具体的な表現を示してくださっているので、勝手ながら使わせていただきます。
最初のDは「処理の深さ」を表すDepth of processingの頭文字を取ったものです。
具体的には、
・納得いくまで考え込んでしまう
・考えすぎて悩んでしまう
・洞察力がある
・いったん理解すると誰よりも理解している
といったものがあります。
次のOは「神経の昂り易さ」、Overstimulatedです。刺激を受けやすい、とも約されます。
・危険を察知するのが早い
・神経が興奮して疲れてしまう
・常に安心を求める
・基本的にビビリ
このような例が上げられます。
続きまして、E。Emotional reactivity and high Empathyの頭文字を取り「感情的反応性・高度な共感性」と表現されますが、難しい言葉ばかりでよくわかりませんよね。
要は「感情が強く動き・共感する」というものです。
・感極まりやすい
・人の気持ちを察やすい
・周りの雰囲気につられやすい
・八方美人と言われる
例としてはこのようなイメージです。
最後のSは「些細なことにも心が揺れ動くか」といった意味のSensitivity to Subtle stimuli。単純に繊細かとも言い換えることができるかとおもいます。
・繊細なアートや感性を好む
・周囲の変化にいち早く気づく
・ちょっとしたヒントから多くを理解する
・気配り上手
といったものが例となります。
これらを見て、全ての例に当てはまることが条件ではありませ。DOESという4つの特徴、そのそれぞれの例に一つでも当てはまることがあるのなら、HSPである可能性があります。
私の「DOES」
では、私自身が上記の例に沿って自己分析していきたいと思います。
当てはまる度合いに応じて高い順から「A・B・C」、そして全く当てはまらない(そう思ったことはない)と思うものには「-」として表現させていただきます。
Dについて
・納得いくまで考え込んでしまう:A
・考えすぎて悩んでしまう:B
・洞察力がある:A
・いったん理解すると誰よりも理解している:A
Oについて
・危険を察知するのが早い:A
・神経が興奮して疲れてしまう:B
・常に安心を求める:B
・基本的にビビリ:A
Eについて
・感極まりやすい:C
・人の気持ちを察やすい:A
・周りの雰囲気につられやすい:A
・八方美人と言われる:-
Sについて
・繊細なアートや感性を好む:B
・周囲の変化にいち早く気づく:A
・ちょっとしたヒントから多くを理解する:A
・気配り上手:C
このようにして見ると、私の場合はD>O>S>Eの順番で強い傾向があるようです。
ここで何を言いたいかと言うと。
一般的に言われるHSPの特徴である、感受性の高さや共感力の強さ。
それは必ずしも、HSPと自負する、あるいは「そうかも」感じた方であったとしても全てが全て当てはまることはないということです。
などと書き連ねている私は共感を第一に掲げていた割に共感力を示すEが意外と低かったことに。少し驚いています。
人と違うことを受け入れることが、HSPの始まり
今回は簡単に例を上げさせていただき(うさき☆さん、勝手ながら御礼申し上げます)、HSP の特徴とHSS型HSPを自負する私という人間の自己分析を綴らせていただきました。
各例に対し5分足らずで評価してみましたが、意外な結果が出たと私自身驚くと共に「思っていたのと少し違う」という思いを抱いているのが、正直な感想です。
病気ではなく、気質であるHSPは自分でもわからないものであることを、再認識する切っ掛けとなりました。
同時に、HSPでもHSS型HSPでもHSEでも、自覚し自負していても本当の思いや考え、傾向が必ずとも一致するとは限らないことを、改めて知ることができました。
逆に言えば。
世間が提唱することやネットで紹介されていることが、全てではないということ。
そして。
実際に生きている中で、少しでも「周りとどこか違う」「周囲とズレている自分は、おかしいかも」と思っていらっしゃる方がいるのであれば。
それは、貴方の個性であり人とは違うものを持っている証です。
確かに生き辛いかもしれません。息苦しいかもしれません。
でも。気休めは嫌いなのではっきり申し上げます。
「その思いを、感覚に負けて周りに合わせる必要性」などありません。
私は寧ろ、天の邪鬼精神もあり人と違うことを嬉しく思っていますし、「違って何が悪い?」「周りに合わせる必要なんて、このご時世必要ないでしょう?」と思っています。
HSPは、まずは人と違うことを知って、受け入れること。
それを「世間体」というものを相手に天秤に掛けずに、臆せず自分を主張していくことが大切だと思っています。
日本人は普遍的で飛び出た杭を撃ち抜いてでも平準化しようという傾向があるかと思っていますが。
自分を殺してまで、人に合わせる時代は一昔前に終わっていると私は考えています。
なら、「人と違う自分」を第一に生きていくことが、より大切なことだと思います。
最初は簡単ではないかもしれません。私も自分がHSP、ましてHSS型HSPであることを受け入れるまで、途方も無い遠回りをしながら、数年掛けてようやく辿り着きました。
ですがきっと。
貴方が生きる上で覚えた「違和感」。それは必ず、いつの日か誇りにさえ思える日が来ます。
人との違いに苦悩する余りに、世の中に絶望し自害しかけた私のような人間でも。
こうしてブログを通じて思いを、HSPについて書くことができるようになった程なのですから。
最後の締めは和服Verの代理と言葉を以て、締めとさせていただきます。
【HSP・価値観】飲み会が減って心安らぐ日々 ~気疲れだけの付き合いは、もう沢山~
クリスマスイブということもあり、帰りの道路は混雑しておりました。
恐らく、家族や恋人が美味しい料理を食べる為に。交流を深めて、家族愛を、恋仲を深めて。特別な一日にしようとする人々が行き交っているのだろうな、と冷めた目で世間の忙しさを見据えていました。
家族という概念が崩壊し、血の繋がった者同士でさえ食卓を囲むことすらなくなって久しく。食に対しても正直好きなものを食べられればそれで良いと思う私には、格別な料理は却って違和感しか覚えらません。
更に同期や後輩が次々と結婚していく中で、恋愛や婚約といったものに関心どころか渇望も湧かない私には、12月24日はいつも通りの一日。
時間と労力を使って奔走するよりも、一人部屋でお気に入りの音楽を聞きながら、お酒を嗜むことを心から楽しんでいる【やさぐれ紳士】白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
以前初めて動画を埋め込みましたが、今回は別の手法を用いて動画をブログに載せる方法を模索しておりました。手始めに私の代理となるアバターを作成し、声を入れ込んだものを披露させていただきます。
題材は、私の好みであるオオカミを擬人化したものです。使い慣れたら日常的な会話も声を吹き込んで載せられればと思います。
さて、クリスマスが終われば、休む間もなく年末年始。世間は車の往来も激しくなり、お店は混雑の嵐。
コロナ禍と言えど、家族や親しい人との暖蘭は、大事にしたいという思いが滲み出ているようにも見えます。
周りに大切な人がいるというだけで、私のような人間からすれば羨む程です。家族愛こそあれど父親はいないも同然と認識し、人を(恋愛的な意味で)好きになることがわからない。
一昔前の当たり前の幸せが、わからない私には。
その分、という訳ではありませんが。一人でいることを楽しみ、リラックスしたり創作の時間に十分当てられる、周りを気にすることなくできる特権。
そんなものを噛み締められるのも、HSS型HSPを自負する私にとって、前向きな考えと行動となっています。
そういった人付き合いと年末年始と言われて、私が真っ先に思い浮かんだもの。
それは忘年会や御用納めを始めとする、お酒を飲みながら周りの人たちと互いを労い語り合う、ある意味社会人の行事たち。名前はその時々によって変わりはしますが、要は会社関係の飲み会です。
今年は新型コロナウイルスを罹患する危険性を鑑み、全て中止となりました。
その事実に、ホッと胸を撫で下ろすのでした。
今回は人によってはストレス発散の場となり交流を深める時間となる、飲み会について。
一部の人は集団での飲み会そのものがストレスとなっていること。そして、そのような時だけ妙に仲良さげに盃を交わすことに、違和感と嫌悪を抱き続けたことを。
HSP、HSS型HSPを自認する私個人という立場から、綴って参ります。
※注記※
本記事は批判的な言葉が並ぶことが多くなりますが、飽く迄一個人の意見に過ぎないことを、どうかご了承願いたく思います。
もし本記事により不快感を覚えた、または「それはおかしいだろう」というご意見をお持ちになった方は、お手数ですが問い合わせフォームよりご意見いただければと思います。
内容を鑑み、場合によっては本記事を削除いたします。
※注記終了※
- 飲み会という付き合いが、断ることなど烏滸がましいと思っていた二十代前半
- 心を病んで、飲み会から離れたことで感じたこと
- 大勢も騒がしさも苦手なHSPには、飲み会は苦しいだけの害悪
- 気疲れだけの付き合い、辞めにしませんか
飲み会という付き合いが、断ることなど烏滸がましいと思っていた二十代前半
十数年社会人をやって参りましたが、常々嫌気が差しながらも。
その年で退職してしまう先輩たちとの最後の付き合いという思いの方が先走り、私は自分の感情を上書きして飲み会という名目の付き合いに参加し続けてきました。
その場でお酒を飲み、料理を食べながら話す上司や先輩は、皆揃って上機嫌。不満気に眉を潜めたり、不機嫌さを顕にするような表情を浮かべる人はいませんでした。
そう、表面上は。
ですが遠くから聞こえてくる話を聞いていると、仕事のやり方や会社の考え方に不満を漏らす声。最初こそアルコールの勢いで機嫌良かったはずなのに、いつの間にか怒声やら罵声が飛び交うことも少なくありませんでした。
当時からお酒を飲むことは好きな私でしたが、そのような空気を目の当たりにしてから疑問が浮かぶようになっていました。
お酒って、楽しく飲むものではないのか、と。
素面では言えないようなことを言う為の起爆剤のような使い方をするものじゃないよね?と。
とは言え、相手は自分より一回り以上年上のベテランであり年配の方々。とてもそんな思いを吐露できるような雰囲気ではありませんでした。
時には我慢できず、感情任せに「飲み会の場で仕事の話をするってどうなの?」と口走ったこともありました。そんな時は「若造が」とばかりに頭引っ叩かれました。
今でこそ「アルコールに踊らされた老害が」と汚らしいながらも然程気にすることはなくなりましたが、20代前半の当時は理不尽さでお酒を楽しむどころの話ではなくなっていました。
然れど、「これが社会人か」と無理やり言い聞かせて感情を沈めていたことも事実でした。
思えばこの頃から。
社会の慣習に、飲み会という行事に違和感と不快感を抱き始めてのかもしれません。
心を病んで、飲み会から離れたことで感じたこと
それから暫くし、首都圏勤務となった私は心を壊し、精神を病みました。
会社って、何だっけ。人付き合いって、何だっけ。自分って、ナンダッケ?
抗うつ薬や精神安定剤が欠かせない身体と成り果てても、それでも業務に支障を来してはならないという思いだけを頼りに、病休も取らず魂が抜けた傀儡同然の身体と精神で会社へ務め続けました。
それだけなら、まだ何とか自分を保つことができました。うつ病と診断されようが、それが露呈するような場面を作らないようにして。追い詰められそうになったら適当な理由を付けて、私が最も苦手とする言い争いの場から去ることが可能だったからです。
とは言いながら、全てそんな行動理念だけで収まらない場面もありました。
最たる例が、飲み会です。
当時は今ほど精神に関する病気が浸透していなかったこと。それ以上に若者は飲み会に率先して参加するという、古く悪い慣習が蔓延っている時代でもありました。
自分のことでさえ手に負えない程精神を壊していた私は、断り一人休むことを第一優先していました。自分はうつ病なんです、などと言えない空気もありましたが、とにかく人と関わりたくない一心でいました。
ところが、参加を断る言葉を伝えた途端。
「何で、出られないの?忘年会なんだから、出席しないなんてあり得ないけど?」
不機嫌そうに眉をひそめる先輩の言葉に、私は思わず「何いってんだこいつ」とばかりに汚物を見るかのように睨みつけていたことを覚えています。
会社の付き合いなのに、自分を犠牲にしてまで参加しろ?対して付き合いもないだけでなく、病気のフォローもしない人たちと酒盃を交わすことは当然のこと?
何言ってんだお前。バブル期の慣習の化石か?
糞食らえ、時代錯誤のバカ共が。
思わず手が出そうになりましたが、そこは社会の場。手を出した方が負けだということは勿論ながら、そのような根拠も理由もなくただ慣例に前倣えしかできない人の相手をすることが、唐突に馬鹿馬鹿しくなった瞬間でした。
この時は最初に務めた地元で退職する方々の送別会が重なっていました。
首都圏内での忘年会よりも地元を大切にしたいという、ある意味無茶苦茶でありながら本心を伝えたところ、渋々了解してもらった経緯があります。
参加表の備考欄に、嫌味の如く「地元の大切な人を優先の為欠席」と書かれましたが。
私からすれば、どうでもいいことでした。
寧ろ。
その程度の書き込みで付き合いを回避できるのであれば、幾らでも言い訳してやる。
これ以上、自分を犠牲にしてまで会社に付き合う義理もない。
何より。
大勢の人が集まる場所が、耳から入る会話の嵐がただでさえ苦手で耐えられないことを、いつの間にか自覚している自分がいました。
図らずとも、このことを堺に自分が人ととはどこかズレていることを。後にHSP、HSS型HSPであることを知る切っ掛けとなったのです。
大勢も騒がしさも苦手なHSPには、飲み会は苦しいだけの害悪
それから間もなく、私は地元に戻ることとなりました。
相も変わらず、先輩方は飲み会の機会を設け「交流を深める」という名目の慣習を続けていました。
少人数ならともかく、何十人もいるような宴会はただ気疲れするだけで得るものは何もないことを知った私は、逆の発想を抱くようになっていました。
大勢が参加する飲み会なら、対して面白い話もせずお酌もしない私なんていなくても……構わないよな。
その頃からか私は、図らずとも人から評価されたり評価されることを怖がらなくなっていました。飲み会にも参加しないことを酷評しない人たちがいなくなったことは、私にとって幸いなことではありました。
始めこそアルコール禁忌の薬を飲んでいることを理由に飲み会を断り、その度に罪悪感のようなものを抱いていました。
しかし歳を取ると共に、自分をより深く知ることで。
自分がHSPであることを最初に知り。人付き合いそのものが苦手と認識し、自分を蔑ろにしてまで付き合う必要はないと考え始めて。
その後より複雑で理解されない、HSS型HSPであることを自覚してからは、より一層興味のないことにはとことん関心を抱かないことを知って。同時に親しい人たちとの交流は、喩え少人数であっても楽しいと感じ、大切にしたいと思う傾向にある自分がいることに気付くことができました。
お酒の場であろうがなかろうが、私は大人数で騒ぐよりも一対一を好むことを。多くても4人以下でないと「私なんていなくても構わないから、好きに楽しんで」と思うようになりました。
それからは私が大切と思いたい人との付き合いはより大事にしたいと思う一方で、「白兎は飲み会に出ない」と思われる程大人数での飲み会を遠慮なく断るようになりました。
気疲れだけの付き合い、辞めにしませんか
私の考えを、自分勝手や身勝手だと思う方もいらっしゃるかと思います。
開き直るつもりはありません、と最初に申し上げます。
それならそれで、私は構いません。
今回は飲み会をテーマとしましたが、何事も「好きな人はやれば良い」というのが、私の考えでありスタンスです。
飲み会で憂さ晴らしする。それはとても大事なことだと思っていることは事実です。
但し。
それに当てはまらない人間も、少なからずいるという前提を設けて。
私はHSS型HSPを自負した上で、言い方は悪くなりますが「大して親しくない人たち」との懇親を深めたいという気は更々ありません。
それで嫌われたり煙たがれるのなら、そこまでの縁だったと受け入れて、関係を切る覚悟はあります。
然れど。
そこまで割り切った考えに至ることができず、悶々とした日々を送っていらっしゃる方も多いと勝手ながら思っています。
難しいかとは思いますが。
自分を削って、身体や精神を犠牲にするような付き合いを続ける位なら。
そんなもの、辞めませんか。
私の経験上、その程度の付き合いで交流が深まった試しはありません。寧ろ相手ばかりが楽しむばかりで、自分にとって利益らしい利益は何も得られませんでした。
利益というといかにもな感じもしますので、言い方を変えさせていただきます。
飲み会だけでに留まらず、その付き合いは互いにWin-Winでしょうか。
どちらかが何かしらの我慢を強いられてはいませんでしょうか。
付き合う上で、ご自身に対し何かプラスになることはありますでしょうか。
そうでなければ、気疲れだけで何も生み出さない付き合いは、私は辞めても良いと思います。
その場では良いとしても。
後々自分を壊して取り返しが付かなくなる可能性は、否定できません。
かく言う私が、その一人です。人との繋がりを重視し自分を無視し続けたことで、自ら死を選ぶまでに追い込まれた一人です。
そんなことになる前に。
相手をヨイショするだけの。詰まらない慣習の残滓として残り続ける飲み会なんて。
もう、辞めにしませんか。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
締めはもう一人のアバター(和装Ver)を使わせていただきました。
【HSP・生き方】理解を求めるより、自分らしさを ~理解される努力よりも、自分を大切にする努力を~
学生の頃や社会人になりたての頃は、一年という時間が物凄く長く感じて仕方ありませんでした。
一年どころか、一週間が、一日があまりにも退屈で、変わりない毎日に嫌気が差していました。
それが三十路を過ぎた頃からか。一日や一週間が過ぎ去るのが遅いと思うことはあれど、時間が過ぎ去るのがとてつもなく早く感じるようになっています。
今年も、その一つ。気が付けば極月です。あと一ヶ月足らずで2020年も終わってしまいます。
時間が早く過ぎ去ってほしいと小さい頃から願い、早く歳を取りたいという年齢不相応な考えを持ち続けた私には、今がちょうどいい塩梅な時期なのだろうなと煙草を吹かしている【やさぐれ紳士】白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
コロナ禍で始まり、コロナ禍で終わりを迎えようとしている今年は。
大勢の方がコロナウィルスの害を被り、亡くなった事実を受け止めながら、お見舞いとご冥福をお祈りすると共に。
良い意味でも悪い意味でも、私たちヒトが生きる意味を考えさせられ、多様な生き方が見直される一年になったかと思います。
これまでの私生活に始まり、会社や学校、人との触れ合い方が次々と考え直される中で。私は、個人の生き方や考え方も尊重され重視されるような時間となったと考えています。
ことさら、生き辛さや息苦しさを感じて一日を送るのがやっとだ、というHSPの気質を持つ方。それだけでなく、HSSや双方を含むHSS型HSP、そしてHSSとは思えずとも外交的なHSPの方まで。
或いはそうでなくても、恒常的に人との繋がりを求めたくない人にとっても、人と物理的に距離を置くことができることを実感できる一年になったのではないかと思っています。
そんな私たちは、周りから理解を得られることはまずないと考えています。
目に見えない、心の持ちよう。それが病気でないのだから、尚更「人付き合いが悪い」「絡みづらい」と思われても不思議ではないからです。
それが、コロナウィルスの蔓延によってテレワークや外出自粛という名目で人と離れる機会ができたことで、自分という人間を見詰め直す機会に巡り会えた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
今回は、その当事者の一人であるHSS型HSPを自認する私が改めて人と接することを見つめ返したことで。
最後は、自分を理解できるのは自分しかいないことを再認識したことと。
それを他人に理解を求めても、何も始まらないことと。理解されることよりも自分らしさを大切にしたいと思ったことを、過去とこの一年で私が感じ思ったことを交えながら、綴って参ります。
- 息苦しさや生き辛さ。それをわかってあげられるのは、自分だけ
- 自分のことさえわからないのに、人に理解を求めても
- 皆が皆、同じ感覚や思考で生きている訳ではない
- 理解を求めるよりも、まずは自分らしさを大切にすること
息苦しさや生き辛さ。それをわかってあげられるのは、自分だけ
人と会うだけで疲れてしまう。
様々な場所から齎される情報が多すぎて、頭が一杯一杯になって他のことを考える余裕がなくなった。
ニュースや報道を見ていると、何だか自分のことのように思えて苦しい。
周りの人と、自分は何かが違う気がして嫌気が差した。疲れて苦しくて、幻滅した。
ネットやその他情報源が指し示す、HSPの兆候や心境を簡単に列挙しました。
その中で、ご自身が幾つ当てはまるか?……と質問形式で提示され、答えによってHSPか否かを診断するのが一般的な手法であると思います。
私としては、間違った方法ではないと思っています。
敵を知り、己を知ればという故事成語があるように、まずは自分がどんなことを思っているのか、どんなことに気が向いて仕方がないのかを知ることが、第一歩であると考えている為です。
が、しかしと付けさせていただきます。
この世の中に生きる中で、何となく息苦しさや生き辛さを感じて。その原因を知りたくて検索すれば、そのような診断サイトやアドバイスサイトにたどり着くことが容易になっています。
逆に言えばこの手の診断は、飽く迄普遍的で統計的情報を元に作られた質問群です。万人向けかもしれませんが、事細かに自分を知るという目的には向いてはいません。
人間は性格から考え方、価値観まで、それこそ星の数を数えるのと同意程の違いや差があります。
言い方は悪くなりますが、それをたかがネットの診断程度で「俺ってやっぱり変わっているんだ」「私はHSPやなんだ!」と判断するのは早計な気がしてなりません。
指標として使う分には、私も同意できます。寧ろ否定どころか賛同できることと思います。生きることに違和感を覚え、自分を知ろうとする切っ掛けを創ることは難しいと共に、それを実行できる人は少ないと思うと共に尊いことだと私は信じています。
然れど、それで満足して終わって足を止めてしまってはダメな気がしてなりません。
そのような診断をして、質問内容に少なからず「ん?これは違うかも?」や「何を聞きたいのか、ちょっとわかんないな」と思うことがあると思います。
決め付けにするつもりは毛頭ありませんが、生き辛さや息苦しさを何とかしたいと思い、進んで行った方は、必ず引っかかることが生じると思っています。
私もHSS型HSPを自負していますが、始めは体の良い診断結果に満足した結果、長年違和感を抱き続けることとなった経緯があると共に。
診断だけではわからないことは、自分の中に眠っていることに気付かされた現実がある為です。
統計などではわからない生きることの辛さや息をすることさえ苦しい思い。それは決して機械が判断できるものではありません。
全ては、そう思い感じた方の胸中に、奥底に眠るようにして根付いているものだと思うのです。
自分のことさえわからないのに、人に理解を求めても
本記事はHSPに特化させ綴っておりますが、そうでなくても、自分のことを完全に理解して生きている方はほとんど皆無と言っていいと、私は考えています。
知識や学力といったものである程度は取り繕うこともできますが、人間という生き物は、最後は自分自身が内包する思いや考え方に帰着すると思います。
何だか、生きていて窮屈な気がする。人と一緒にいても楽しめない、もしくは最初は楽しくても別れと同時に疲労が押し寄せる。周囲の空気が何となく気持ち悪くなって、その場から一刻も早く出たくなる。
これは「自分でもよくわからないけど、何となくそんな気分になる」と言い換えることができると思います。
では逆に。
そんな心境に陥った時や日々思っていることを、他人に説明しろと言われれば、どうなるでしょうか。
とても難しいことだと思います。
仮に話をしたところで、「気のせい」「思い込みすぎ」「それ、言い訳?」と言われる未来が見えてしまいます。
何故なら、言葉や理屈では説明がつかない思いの塊であると同時に。科学的根拠や医学的に説明ができるようなものではないからです。
もう少し踏み込むと、自分でも明瞭でないモヤモヤとした感情や思いが纏わりついているだけで必死なのに。
他人に説明できる余裕など、どこにあると言えるのでしょうか。
喩え訴えることができたとしても、真の理解は得られないと私は思えてなりません。
という私も、散々そのような思いに刈られ、人を忌避して避ける日々を送ってきた過去があります。
自分のことも、己が抱えている思いも感情も理解できないまま、魂がすっかり抜けた状態で20代を費やしたと言っても過言ではない程です。
それでも、他人が、周りが齎す怒りや悲しみといった感情が勝手に入り込んでくることが、苦しくて。避ける為なら、どんな方法をも用いてきました。
自分に関する質問ははぐらかしたり無視して。会社に付き物の飲み会でも人の話を聞くことに専念していました。
そこはHSPの特徴である、傾聴し共感すること。そして元来聴覚に敏感だったこともあり、然程苦痛に思うことはありませんでした。
でも、今思えば。面白くもない話を聞いている時間が、とてつもなく無駄で詰まらないと思って仕方がありませんでした。
他方で、自分でもよくわからない、自分自身という人間を知ってほしいと訴えようと喉元まで出かかって、最後は飲み込むという葛藤を味わい続けてもいました。
結局、言い出せないまま悶々とした日々を過ごし、それを他人のせいにして不貞腐れた生き方をしてきた気がします。
私という存在を理解されたいという気持ちと、他人に絶望し諦めている思い。
相反する思いは最終的に解決どころか、一層人を疑うこととなり果てていました。そして、人との溝を埋められない程にまで、自ら広げていました。
他の誰でもない、私自身の手で。幾度も裏切り裏切られて穢れ切った、この手で。
皆が皆、同じ感覚や思考で生きている訳ではない
人との違いを感じ、自ら離れるような態度を取り始めてどれ程の時が経った頃か。
相変わらず周りとの付き合いを拒み、淡々と仕事をこなしては定時で上がる。仕事をする面白みも何も感じない日々を送っていました。
そんな私のような性根が腐った人間にも、唯一心を開ける相手がいました。入社し初めての配属となった場所で、新入社員時代の苦楽を共にした同期の存在でした。
彼は何を言われても、催促されようとも、ひたすら自分のペースを守る人でした。仕事の配分だけでなく、休憩のタイミング、挙げ句には食事に行こうとする時間帯も絶対に曲げない人間です。
せっかちな私は食堂が混む前に行こうと仕事を急いで片付けても、彼は自らの生きるテンポを決して変えようとしませんでした。早く行こうと言っても、「まだ早い」「ちょっと、人がいなくなった時を見計らって」と諭す程でした。
でも、休憩に入った途端に和気あいあいとスマホでストレスを溶かす日々を一緒に過ごしていました。私とは全く違うのに、何だか歩調が不思議と合っている、そんな印象を抱き続けていました。
ある時、何となくではありますが、私は気付いたような気がしました。
この同期といる時は、気を安らげるのは確か。しかし、私の主張を簡単に受け入れるような人ではない。寧ろ自分というものをしっかり持ち、それに基づいて生きている。かと言って、彼自身の考えを押し付けようというつもりはありませんでした。
なら、私も「押し付けがましく理解を求める」よりも、「自分が思った通りに、貫いて生きてみてもいいのかな」って。
そう。これまでもそうだった。私は周りに求めるだけ求めて、返そうともしないまま生きてきてしまいました。
私にも非はあり、罪も多くあります。
然れど、結局は自分という存在を出しきれなかったことに尽き、これまでの私の全てと言っても過言ではない生き方でした。
そんな生き方、もう辞めにしよう。
人に求めることを、理解される為に自分を売るような生き様なんて。
理解を求めるよりも、まずは自分らしさを大切にすること
そう思ってから、守るべき礼儀は自分なりに押さえながら。親しき仲にも礼儀あり、という矜持は守りながら。
私はプライベートでも仕事でも、上下関係を気にして生きることを辞めました。
立場が上だから、何?偉いから、何?周りがヨイショするような相手が、何?
そのような思いが、私の行動理念になって久しくあります。それによって咎められても離れられても、あまり傷付くことはなくなりました。
孤独の最中にあったイジメ時代、周囲の視線に怯えながら辛うじて命を繋いでいた自分が嘘のように。自分で言うのも難ですが、私は変わることができたと思っています。
自分よりも人に存在意義を求めることは、ある意味簡単でありながら依存し易いです。私はその傾向が強かったこともありますが、その状態から抜け出すことは勇気と覚悟が必要になります。
共感性が高く感受性が強いHSPは、自分という存在自体が他人と違うと認識しがちかと私は思っています。故に人に認めて欲しい、助けて欲しいと縋ってしまう可能性が高いと考えています。
でも。
現実はそんなに優しくありません。これは経験的にも自信を持って言えます。
ならば媚びを売るようにして理解を求めるよりも、自分という存在を。自分らしさに耳を傾けて大切にすることが、尊いと共に大事なことだと思います。
今もし、貴方が生き辛さや息苦しさを感じているのなら。
それは、周りが齎したものでしょうか。恐らく、違うと思います。
その思いも、気持ちも、感情も。全ては貴方自身が抱えているものです。他ならぬ、貴方の内からの言葉であり、叫びです。
それを否定する必要は、私はないと思います。逆に受け入れろ、とも言えません。
まずは、言葉にならない自分の思いを、大切に抱きしめてみては如何でしょうか。そこから、変わることは多いと思います。
そういった思いの数々を、自分らしさと思えるようになるには、時間がかかるかもしれません。
ですが、向き合い続ければ変われるはずです。
人に裏切られて裏切ってを繰り返した、私のような屑の人間でさえ、そうすることで生き様そのものを変えることができたのだから。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【HSP・価値観】一匹狼 ~負け犬?ぼっち?単に、群れたくないだけです~
前代未聞の事態に始まり、もう師走に入りましたね。終え本格的な冬は、もう目の前まで来ています。
東京五輪があれだけ騒がれたのが、嘘のように。多くのイベントに、観光に、人に。数え切れない程の影響を齎した新型コロナウイルス。
2020年という切りの良い年は、私たちが忘れていた何かを思い出せと戒めるような、そんな一年で終わると勝手に想像している【やさぐれ紳士】白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
今年最後の旅を終え、久方振りに身体を休めることに専念することができました。眠気の余りに22時前に床に就き、睡眠時間は10時間以上というこれまでにない眠りについてばかりでした。
週末に至っては食事や買い物といった時以外は寝床に就いたままゴロゴロと、ただ過ぎゆく時間をゆっくり堪能する、ぐうたらとも時に身を任せるとも呼べる時間を過ごしておりました。
夢か現か。
そんな朧気な意識の中、先日投稿したHSPの記事のことを思い返していました。
誰とも接しない時間。雪が降りそうな空のもと、電気毛布とファンヒーターが部屋を温めて。起動したPCからは、お気に入りの動画をラジオ感覚で流しながら、ひたすら虚ろ虚ろとする時間。
部屋に一人寝入る、私。そこは、誰もいない空間。
どこまでも無機質で、私にとって果てしなく快適な時が流れる場所です。
人によっては、人の声すらしない空気を「寂しい」と思う方もいらっしゃるかもしれません。
でもそれって、人それぞれだよな、と妙に反発する自分がいました。
人に迷惑を掛けないのであれば、独りでいようが大勢といようが、その人の勝手だよね、と思いながら。
人は独りでは生きられない、と良く聞く中で。
せめて自分の意志がある時位は、独りで生きる時間が周りよりも多くても四の五の言われるようなことではないと、思うのでした。
今宵も独り、部屋で酒を嗜みながら。自分の時間を、私という人間と向き合うことを楽しみながら、今回も綴って参ります。
集団から敢えて離れて、独りでいることを好む者。集団の中にいることを良しとせず単独行動を取る人間を比喩する言葉、一匹狼。
憧れとさえ思うようになった、そんな生き方を考えながら。
媚を売って集団に「飼われる」ような接し方しかできなかった人間が、勝手に疲れて、勝手にやさぐれて。
人と接することもできないまで疲弊したことで見出して、群れることを嫌って独りでいることを好むようになった生き様を、記事にしていきます。
- 群れることでしか自分を守れなかった一方で、ストレスは感じ続けていた
- 真の孤独を味わってから、怖いものは薄れていって
- 一匹狼、という言葉を知って
- 負け犬とも、ぼっちと思われても構わない。単に、群れたくないだけ
群れることでしか自分を守れなかった一方で、ストレスは感じ続けていた
今の義務教育がどのような方針でいるのかはわかりませんが、私が小さい頃は「皆、仲良く」と先生に言われ続けて育ちました。
『友達百人できるかな』という歌がある通り、同級生となった周りと喧嘩することなく、仲良く友達を作りましょう。そのような文化があり、雰囲気もそれに準じた空気が流れていました。
確かにその通り、誰とも仲良く出来て楽しく過ごせることは大切なことだと思います。
多少のすれ違いはあったとしても、いざこざなどなく、偶然の出会いをいつまでも大切にしながら。
末永く友人としてあり続けることは、子どもを見る「大人たち」から見れば願いであったでしょうし、大きな問題を起こさないことを切に願ってのことだったと思います。
然れど、私は違和感ばかり覚えてばかりでした。
幼心ながらも、性格も考え方も違う周りに、男女の差に、同調することに疑問ばかり抱いていました。
楽しくなかったか、と聞かれれば、そうではありません。
ただ、何となく。同い年というだけで価値観も何もかも違う人と一緒に過ごす時間は、私はどこまでも「何か変」「何か違う気がする」という思いを抱えていました。
しかしながら、子どもは所詮子どもです。外界では肉親以外に頼れる存在は先生という絶対的なものを除けば、同級生という名の友だちしかいませんでした。
否かの小さな学校に進学した私は、特にその思いが先走って仕方ありませんでした。
一学年一クラスしかないような小さな小学校で、除け者にされることはある意味の「死」を意味することも無意識ながらも理解してしまった私は、否が応でも周りに合わせるという道を選んでいました。
自分が感じる違和よりも、自我を抑えて周りに合わせる生き方。
「何か変だ」と訴える自分を曝け出すことよりも、みんな仲良くしていることの安心さに身を委ねていました。
今思えば、それは卑怯な生き方だったと思い返しています。
この記事を綴っている今、意見も禄に言えない臆病者と私を自分で罵っています。
何故なら、表向きには笑いながら毎日を過ごしていたはずなのに。心のどこかで、私は周りとどこかズレていることを感じていながら、周囲に合わせることで誤魔化してきた事実があるからです。
もしも、この時期から多様性という言葉だけでなく。願わくばHSPやセクシャルマイノリティといった概念が広まっていたら……なんて、また周りの状況を言い訳にしている自分が、時々嫌になります。
人と。同級生と一緒にいることにさえ違和感を覚えて楽しめなかった癖に。
私は、今で言うストレスを感じながらも最後まで何も言うことも。自分の本当の思いを表に出すこともできませんでした。
本当の孤独を、この身で味わい絶望するまでは。
真の孤独を味わってから、怖いものは薄れていって
真の孤独、イジメと社会での孤立。
これについては、これまで何度も述べて参りました。
話してきた。それで慣れたはずなのに。
このことに触れる時には、精神がざわついて現実逃避の如く、心が一刻も離れようと全力で動いてしまいます。
自分では、表向きには慣れたと豪語している一方で。いざ向き合おうとすると途端に臆病になります。
ブログで訴えたくなっても、言葉が、思いが出てこない。
頭が、心が別のことを考えようと勝手に動いて、事実と向き合えずに悶々とする、そんな日々をこれまで何度も続けてきました。
でも、事実は事実。過去は、変えられない。
いい加減向き合えよ、白兎。
そう思いつつも躊躇って、気付けばブログを始めて一年弱経とうとしています。
そしてようやく、やっと本気で自分と向き合う心と時間を手にした今。
誰からも相手にされない孤独。それを三十年足らずで、私は幾度も体験してここにいます。
結果論にはなりますが、良いか悪いかは別としても。
自ら死を選ぼうとするまでに追い込まれた経験を経てからは、怖いものは一気に減ったような気がしています。
自分も、家族も。周りの人も視線も、評価も。
全てが、正直どうでも良くなっていました。
私は、私が生きたいように生きる。その中で下される言葉も、批評も、怖さを通り越して雑音のように思えるようになっていました。
会社でさえ、生きるために務めてお金を稼いでいる。逆ではない。
人に評価される為に、会社に務め社会に出ている訳ではないんだ。
そのような姿勢を見せ、貫くような仕草をすれば、離れていく人は沢山いました。
最初は、寂しさと虚しさが昔のように込み上げてばかりでした。
でも、いつしかそれで良いと思えるようになっていました。
煩わしい人間関係を断ち切れるのなら、私が恐れるものは何もない。
そんな生き様を貫くようになって、久しくある中。以前から知りながらも意味を理解できなかったある言葉が、私を救うこととなりました。
一匹狼、という言葉を知って
今ではすっかり魅了されるようになった、オオカミという生き物。
彼らは群れを作って行動しています。
しかしながら、効率的に狩りを行える群れから離れる個体がいます。
一匹のオオカミは他の動物に襲われたり満足に餌を捕らえられず餓死する危険性を孕みながらも、新しい群れを創り上げリーダーになり得る可能性も秘めています。
そのような危うさとチャンスを併せ持った状態を示すものとして、「一匹狼」という言葉が生まれたとされています。
人間はオオカミよりも遥かに弱い生き物です。群れを成し、知恵を出し合いながら獲物と対峙しながら生き永らえてきました。
そのような歴史があっても、ヒトもまた群れることを好まず一人で行動する人を「一匹狼」と表現しています。
勘違いされがちなのが、一匹狼と一人ぼっちです。
一見独りでいることに変わりはありませんが、決定的に違うことがあります。
それは本人の意志によるものか、周りに仲間外れにさせているかです。
一人ぼっちは「仲間に入りたいけど、できない。だから仕方なく独りでいる」とされています。別の視点から見れば、群れに負けて追い出された負け犬と同義とも言えます。
一方で一匹狼は「仲間なんていらない。自分で選んで独りでいる」と紹介されます。
この差異は、独りでいるという状況が「受動的か自発的か」でわけられると思います。周囲の意識や行動に左右されて「独りでいる」のか、自らの意志で敢えて「独りでいる」のか。似ているようで、大きく異なるものです。
かつて私は、周りに全てを委ねてばかりで自分の意志を示さぬままいきていました。それ故イジメや会社での孤立に繋がり、一人ぼっちという意識を長年抱え続けてきました。
裏切りと利権関係。仲間や友だちと言うには程遠い関係に疲れ果てた私は、精神科に通いカウンセラーと話すことを繰り返すことで、いつしか他人と距離を置いて独りでいることが快適で気楽に過ごしている自分がいることに気付かされました。
人の顔色を伺いながら生きるなんて、もう疲れた。そんなことをしなければ満たされない人間関係なんて、私には要らない。
それに気付いてからは、肩の荷が下りたどころか、身軽になってどこへでも行けるような好奇心とワクワクするような気持ちで一杯になるようになりました。
人の為に生きるのではない。自分の為に生きている。
そのような思いが迸るようになってから、私は随分変わったな、と振り返る程になっています。
負け犬とも、ぼっちと思われても構わない。単に、群れたくないだけ
巷では生きるも死ぬも人間関係に始まって、人間関係に終わるだとか。
仕事は業務内容よりも人間関係と言う方も大勢いらっしゃいます。
それを否定するつもりは、私もありません。現に、独りではやり過ごせない場面に出くわすことばかりですし、それが人生と言っても強ち間違いではないと思っています。
ですが。
HSPとHSSの気質を併せ持つことを自負する、私のような人間は集団生活で草臥れ果ててしまいます。
他人との関係を良好に保ち続けようとして、自分を壊したという過去があるとは言え、私はどうも独りでいる時間をこよなく愛する変わり者であるようです。
そのせいなのかはわかりませんが、会社では変わり者扱いされ人事情報でも「精神的に難しい人間」と評価されています。
それがどうした、何が悪いと冷めた目で、私は生きています。そんなことで評価されても批評されても、私にはどうでも良いことです。
もし、人間関係に悩んで独りでいることを恐れたり塞ぎ込んでしまっているような方がいらっしゃるのなら。
独りでいることは、そんなに怖いことでしょうか。仲間外れにされたり、仲間に入りたくても入れないことを理由に、自分というものを蔑ろにしてはいませんでしょうか。
一匹狼なんて言えば格好良いですが、変わり者と称されながらも生きている私のような人間もいます。
もしかしたら、一度自分を見直せば「独りでいる」ことは惨めなことでも怖いことでもないと、思い直せる機会があるかもしれません。
数は少ないかも知れません。おかしい奴だと思うかも知れません。
それでも、自分の意志で独りの道を選んで自らを見直して、やさぐれながらも生きている私のように。
裏切って裏切られてを繰り返して、死を見ても尚生き永らえている人間がいるのだから。
ただし、一つだけ。
一匹狼と自負している私ですが、自分が信頼できると思えた相手には自分を曝け出し、兎にも角にも尽くそうとする一面がある所を自覚しています。
確かに人は嫌いかもしれません。それでも、自分を「一人の人間」として見てくれる人には、特段自分ができることをしたいと思ってしまいます。
群れることは嫌いでも、人を選ぶ卑怯さはあるかもしれません。
それでも私が信じて、私を信じてくれる人は。掛け替えのない存在で、自分を犠牲にしてでも大切にしたい、そんな思いも持ち合わせています。
一匹狼は、決して感情のない人間ではないことだけは、最後にどうしても申し上げたいことであります。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【HSS・HSP】無理して好かれる必要などない ~好かれようとしない。その勇気と覚悟~
先日、愛車以外の我が家にある全車のタイヤをスタッドレスへ換装を完了しました。
長野でも例年以上に初雪が早く観測されていること、連日氷点下を記録する寒さを鑑みて普段よりも早めのタイヤ交換を終え、車の冬支度は万全な【やさぐれ紳士】白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
父親?知りません。
思慮を巡らせる暇も余裕もなかった、私が。
記憶に残らない小さい頃から、ずっとしてきて。
社会人になって、周りを気にし過ぎた余りに精神を害してしまったこと。
それは。
私は、嫌われない努力を続けてきました。
誰かに嫌われない為なら、他の誰かを裏切ることも平然に行って、十数年。
その惨めな結末を、この身を以て知ると共に。
自分を殺してまでも、媚びを売ったり群れに入ろうとしなくても。
足掻くようにして嫌われないことよりも、あるがままの自分を見せて無駄に好かれようとしなくても良いのではないかと思い至ったことを、綴って参ります。
嫌われようとしない努力や勇気ではなく。
好かれようとしない、思いや勇気の方が、一層大切であることを。
- 嫌われないこと。それは、独りになるのが怖かったから
- 嫌う、嫌われるを繰り返すことに疲れ果てて
- 好かれなくても良いと、自分自身の返事が聞こえた気がした
- 無理に好かれようとしなくても、生きていける。喩え孤独でも、孤高であれ
嫌われないこと。それは、独りになるのが怖かったから
私は元々、独りで黙々と何かに打ち込んで時間を忘れるのが好きな人間でした。
周りが身体を動かし汗を流しながら楽しげな喜び声を上げる中でも、独りで脳内で創り上がる世界に入り浸って創作を楽しんでいました。時には怪我や仮病を使ってまで、自分の世界に入り込んでいました。
別の時では、図画工作で同級生が作り終えて暇を潰す為に遊び始める所を。
私は独り、他の人の何倍も大きな作品を作る為に熱中していました。ひたすら紙を切り、絵を描き、装飾して繋ぎ合わせて。不器用でも、ひたすら夢中に。独りで楽しんでいました。
またある時は、一時流行ったカードゲームにドハマリして一気にクラス中の話題になっていました。
他方で私は独りだけ全く興味を示せず、とにかく自分の世界を、興味を惹かれるものを追い求めるかのように没頭していました。
10歳にしてゼノギアスという、ストーリーも難解でグロテスク表現や鬱展開ばかり。言い回しの難しさもあり内容はさっぱりでしたが、当時の高校生が遊ぶようなゲームに明け暮れていました。
それでも。当時の学校という閉鎖的空間は、私のような存在を容認するような空気ではありませんでした。
少しでも周りと違う意見を言えば反感を買い、除け者扱いされることばかりでした。
それに立ち向かう勇気も、周りに意志を提示するだけの力も頭も、当時の私にはなく。ただただ、周りの言うことに従うように、しかし悶々とする日々を送っていました。
やりたくもない、闘争心を剥き出して争うドッジボールも。やる意味もわからないディベートモドキも。
主張すればする程、精神的な痛みを負うことになると、半ば脅される様でした。
しかしながら、嫌々ながら賛同すれば、今度は身体も心も痛い思いをするという、とにかく理不尽な思いしかしなかった記憶ばかりです。
そうもしてまで、周りに合わせるようになったのは。
夢中になっている時は良くても、そうでない時は外の世界から齎される情報や感情に振り回されていたという、自覚という言葉に当たらずも遠からぬ思いをずっと背負ってきていたことにありました。
誰かが怒られている現場に直面すると、あたかも自分が悪いことをして責められているような錯覚に陥ること。
その訳もわからない感情の余りに、当人ではなく私が泣き出してしまったこと。
険悪な雰囲気の中で、教師を始めとして誰かが怒号を飛ばしそうな時。「お願いだから、みんな静かにして!じゃないと……」と勝手に読んでしまった空気に侵され自分を見失って。
結局誰かが騒ぎ出して、連帯責任とばかりにゲンコツを食らう。
この時はまだ、自分が外界の情報に過剰反応して気を揉んでしまう、HSPという気質を持っていることも。夢中になりだしたら止まらなくなるHSSの気質も持ち合わせていることなど知る訳もなく。
とにかく、怒られることや誰かが機嫌を損ねることを、自分のせいだと全てを勝手に背負い込んで。その思い込みがどんどん歪んでいって、最後に渡しは一つの結論に至ることとなりました。
自分が悪いことをしなければ、誰も怒らない。誰も悪い気分にはならない。良い雰囲気のまま、皆が気分良く生きていける。
自分が悪いことを、「嫌われるようなこと」をしなければ。
こんなこと、私の勝手で自己中心的な思いだったと、今は言えます。でも幼心で一度思い込んだ考えは、私に常に付き纏うようになっていきました。
嫌われなければ、誰からも怒られない。嫌われなければ、誰とでも仲良く過ごせる。
そう、嫌われなければ。
それを払拭できぬまま、私は歪曲し捻れた十数年を、自ら歩むこととなりました。
嫌う、嫌われるを繰り返すことに疲れ果てて
自分を殺して、他人に合わせる。
その言葉が当てはまるような生き方を、学生時代から社会人までずっとしてきました。
小さな同窓会があれば、業務を途中で切り止めてでも参加したり。逆に会社で飲み会があれば、友人の約束を残業があるから、と適当な理由を付けて断り飲み会に足を運んでいました。
しかしながら、状況によっては人に予定や気分を合わせられないことが増えていくこととなりました。
その度に嫌な顔をされることもありました。「彼女でもいるのか?」と冷やかされることもありました。
そして、何とか言い訳しようとも、それも次第に通じなくなって。言い訳ばかりで穴埋めもしようとしなかった私の元から、皆離れていきました。
待って。私を、置いていかないで。私を、独りにしないで。
私の場合、特に思春期にイジメを受けたということも重なり、独りになることを病的にまで恐れるようになっていました。
ですが人からすれば、そんなことなどを知ろうがいまいが、満足に自分の意見も意志も出せない人間など、一緒にいたり付き合っていたりしても面白くもないはずです。
それを嫌われることが怖い、などという稚拙な思いに縛られる私のような奴よりも、もっと個性的で周りを自然と巻き込むような、カリスマ性を備えていたり退屈しない時間を共にできる人に向かっていくことは、必然とも言えました。
そういった情景を幾度も目の当たりにしてきた私は、自分に非があると思い込んで。一方で他人の気持ちに寄り添おうともしないのに、勝手に恨みや妬みばかりを重ねて。
そんな終わりのない人間関係のやり取りに、知らぬ間に心を、精神をすり減らしていたことに気付いたのは。
頼る所を、拠り所を失った東京のど真ん中に勤務する中で。
精神を病み、如何なる人との関わりにも身体が拒絶反応を起こすようになってからなのでした。
好かれなくても良いと、自分自身の返事が聞こえた気がした
うつ病という心の病を患ってから、私は自然と人と距離を置くことを覚えていました。
その合間にも、友人も会社の人も、同期も。次々と私という廃人同然の人間から離れては消えていくのでした。
違ったのは、これまで強迫概念のように人に縋り付こうと必死に動き回って、その為なら自分など厭わないと思っていた自分が嘘のように。
他人なんて、どうでも良い。私なんて詰まらない人間なのだから、もっと一緒にいて楽しい人と一緒にいた方が良いよ。
私のことなんて、嫌ってくれ。記憶から消え去る位、嫌い尽くしてくれ。
投げやりとも自嘲とも言える思いと共に、すっかり人間関係に疲れ切っていることを知りながら、薬漬けという名の闘病生活に明け暮れる毎日を送っていました。
これが、人に裏切られ裏切り続けてきた最底辺の人間の末路か。
そのような思いに勝手に浸る中、転機が訪れました。
外の世界との接触を恐れるばかりに、引き籠もり同然の日々を送っていた私に、車のSNSを通してオフ会の招待がされたことでした。
残暑と言うには余りにも強すぎる陽光、そして暑さ。忘れもしない、常夏を思わせる横浜の地。
横浜シンボルタワーを背景とする駐車場。そこにはSNS上では交流はあったものの、顔を合わせることは初めてという人たちが大勢集まりました。
その光景を見るだけで、どうすれば良いのかわからず右往左往していた私に。
迷子になって途方に暮れる子どものような私に声をかけ、気遣うかのように声をかけてくれた人たちとの出会い。
初めて、会うのに。やり取りしたことと言えば、SNS上での短いやり取りだけだったのに。
新参者である私を迎えてくれた人たちは、眩しくて温かい笑顔と声色で満ち溢れていました。
それが、私の新たな始まりであると共に。これまで生きてきた中で抱えてきた全てを改める始まりでもありました。
その空気に入り浸るように、私は時を忘れて集まった方々との時間をひたすら楽しみました。
一方で、思い返すこともありました。
この時、「嫌われない為に、集まった全員と仲良くしよう」という思いが、どういう訳か働きませんでした。
このオフ会では、私が参加する以前から仲の良いメンバーは固まるように、楽しげに話し込んでいる人たちもいました。
以前なら羨んで、羨望の眼差ししか送ることができないまま、入り込んでいけない自分を情けなく思って。周りにも、いい歳しながら不貞腐れるような態度を振りまいていたのに。
それが、なかった。
とにかく、私を受け入れてくれた人たちとの時間を、いつまでも楽しんでいたいと願う程でした。
そう、願おうともそうでなくても、仲良くしていただける方との時間を過ごせるのなら、他に求めるものなど、私にはありませんでした。
オフ会が終わった後も、残滓というにはあまりに大きすぎるものばかりが私の中に残って、そしていつまでも忘れられなくなることとなりました。
この胸に、頭に残る温かさ。いつでも必死こいて、自分を捨ててまで求めていた温もりと穏やかさ。無理に合わせることなどしなくとも、多くの人と知り合い交流できたこと。
その後もその方々とは、特別連絡しなくともお会いすれば年の差など関係なく、にこやかさと共に話に華を咲かせることができるようになったこと。
あまりに初めて過ぎて、自分でも理解できなかった思い。でも、思い返せば思わず顔が綻んでしまう。
これって、なんだんだ。
私は人に裏切られて、裏切ってきた、どうしようもない人間なのに。
なのに、どうして。
こんなに優しくて、柔らかくて、温かいものは、何なのだろう。
そう思って数年。
ようやく、答えに巡り会えた気がしています。
無理に好かれなくても良いんだよ。
そんな言葉が、自分の中から滲み出たかのように聞こえた気がしてからは。
無理に好かれようとしなくても、生きていける。喩え孤独でも、孤高であれ
その後も車のオフ会に参加させていただきましたが、思ったことは最初のそれと全く同じであることに気付きました。
どのような形式のものであっても、年を経ても。
人に対する私の意識は、これまでと全く異なっていたこと。
寧ろ十数年悩み続けてきた思い……人に好かれなければ、嫌われてはならないと信じて生きてきたことが、嘘を通り越して馬鹿げた妄想のことのように思えることばかりでした。
そこで、私は薄々感じ始めていました。
嫌われることを恐れて自分を制する必要なんて、ないのではないか、と。
同時に、合わない人と無理に合わせることなどない。その為なら、嫌われても構わない。
そんな折でした。
はてなブログを通して、HSS型HSPを取り上げていらっしゃる「ウサキさん☆」さんのとある記事を見て、息を呑むほどの衝撃を受けました。
上手く同調できない周りに対して嫌悪し、嫌われる努力をするのではなく、「好かれようとしない」努力。
私は真逆なことをし続けて、自分自身を追い込んでは苦しめていることに、やっと気が付けたような気がしています。
人を嫌って、独りになって、一時の清々しさのようなものは得られても。
すぐに、何かが違うという錯覚に似た感情に駆られて、益々落ち込んできました。
私は、ずっと過ちを犯し続けていたのです。
嫌われて、嫌って、離れられて離れてを繰り返して。しかし、得られる結果は私が望むものとは程遠いことばかりでした。
そして今、それに気付いたことで、自分が成すべきことを。これから生きていく上で必要なことを理解できたような気がしています。
望んでも、望まなくても。人は否が応でも、生きる上で人間関係から逃れることはできません。
ことさらHSPを自負する人は、傷つきやすいと認知されています。
でも、私はその認識は少し違うのではないか、と思っています。
確かに周りの状況や空気に感化され過ぎて疲れ果てることはあります。それ以上疲れると自分が壊れるという錯覚にさえ陥ることから、外界との接触を拒絶する。そのことから傷つきやすいと見られているのではないかと考えています。
そして、最後は独りになりたいことを切願するあまりに、自ら嫌われる努力に走って、走って、走り抜いて。
気が付いた時には、ボロボロになった自分だけが残されるという結果になっている、そんな気がしてなりません。
他の誰でもない、私というHSS型HSPの一人が選び続け、何も残らない惨めな結末を見てきたからです。
然れど、本当は。
無理に外界に同調する傾向がわかっているのなら、無理に付き合おうと思ったり。自分を犠牲にしてまで合わせる必要などないと思うのです。
そしてその為には、他者目線の「嫌われる」という名目ではなく、「好かれようとしない」自分目線の考え。
そう思い始めてから、人とのやり取りが随分と楽になりました。
これはもしかしたら。HSPであっても、そうでなくても。
人間関係からに悩みを持つ方、全てに共有できる考えなのかも知れません。
他人を軸に、自分の立場を作るよりも。
自分を軸に、自分らしさと立ち位置を創る。
その方が、気楽で。より自分らしく生きられるのではないか。
唯一無二の自分という存在を、確固たるものとしていく為の考え方。
好かれようとしない努力が、まさにそれなのではと確信しながら、私は歩み始めています。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。