白兎と灰色狼の、果てなき旅路

ドライブやドライブや写真撮影を趣味とし、その他、HSPやAセクシャル、イジメ。精神的・心理的なことについて綴っていきます。

【価値観・人生】生き辛さは、或いは平等なのかもしれない ~HSPでも、そうでなくても~

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  気が付けば、2月ももう終わりに近付いています。

 この一ヶ月で、新型コロナウイルス以外にも様々な災害に見舞われました。

 大雪、強風、東北地方を始めとしながら、地域を限定しない地震と余震。さらには各地で山林火災も重なり、今年もどうやら異常気象と震災、そしてコロナ禍とかつての「普通の生活」に戻るには程遠い一年になる予感が過ってなりません。

 いよいよ冬から春へと季節が移り行くことを肌身で感じております。

 

 

灰色兎

 

  はい、皆さんこんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。

 狼ばかりだったキャラクターから、初となる兎の新キャラを立ち上げアフレコしました。耳が存外長く画面に収まらなかったことは、どうかご容赦ください。

 

 

 新型コロナウイルスの蔓延によって、これまでの平常や日常が一変してから、早くも一年が過ぎ去りました。

 それによって普段の生活、生き方や価値観、コロナ禍以前の日本の社会の「当たり前」が大きく変わったと感じた方も多いかと思います。

 

 仕事では、言い方を良くすれば古き良き時代の慣習。悪く言えば進歩のない、良かれと思われ続けてきた悪習。

 プライベートでも同じように、今まで当たり前とされてきた考え方や生き方が、驚く程の変化を齎したことと思います。

 

 

 その中で、「HSPだから生き辛い」と感じていたことが、まるで逆転現象を起こしたかのように「今までの普通ができなくなって生き辛い」という方が増えているという話を耳にしました。

 

 

 これは今までのようなSNSからの情報もありますが、どちらかと言えば直接お話しする方々からの生の声。しかも、どこか悲壮感とも嘆きとも読み取れる言葉が見受けることから始まりました。

 

 それらは一般的にHSPが「生き辛い」と感じること(私はHSS型HSP自認の為、当てはまらないことも含みます)と真逆のことができない、行えないことが辛くて悲しいというものです。

 例えば、「人と顔を合わせてお酒を楽しめない」。これまで週何日も居酒屋に赴いて飲んでいた人が、コロナ禍によって感染の恐れと周りからの批判を考え自粛した結果と言っておりました。

 これには忘年会や送別会といった、「これまで当たり前とされてきた、日本独自の慣習」も含まれているようです。

 

 他には「家にいる時間が増えて、家族との時間が増えて辛い」と零す方も大勢いらっしゃいました。

 話を聞くと、特に休日はやることもないのでパチンコに行ったり一人で出掛けることで時間を潰していたこともできなくなり、結果的に身内の方々と顔を合わせる機会が大きく増えたことで「自分の時間」を作れなくなった。そのことから生き辛さ、もっと言えば肩身が狭い思いを強いられていると感じているとのことでした。

 とある方は、「家にいる猫だけが相手してもらえるだけだよ」と自嘲気味に笑っていました。

 

 そのような話を聞いている内に、私は共感はできずとも「お気持ち、お察しいたします」というような心境になりました。

 

 考え方も、生き方も、価値観も全然違うのに。

 環境が一変するだけで、ここまで人の気持ちを、精神や思いまで変えてしまうことを、図らずとも実感しているのでした。

 

 お酒は部屋飲み、一人でゆっくりまったりと。

 会社主催の、仕事終わりの飲み会なんてクソ喰らえ。

 これまでの私は、そのように考え実践し続けて参りました。

 

 大人数で飲む人たちのことを楽しみにしている様子や考え方なんて、理解したくないと思い続けてきました。

 仮にやりたいなら、そのような集まりや雰囲気が好きな人たちだけでやればそれで済むことだろう。

 対して親しくもない人と付き合うことが、大人数でごちゃごちゃになる状況が苦手で嫌いな人間のことなど考えもしない。

 そんな会社や社会の惰性的で伝統?のようなものを重んじて信じて止まない御仁たちを、正直言って時代錯誤甚だしいと嫌悪すらしていました。

 

 家での時間の、また然り。時々人恋しくなることを自覚し始めているとは言え、一人でいることに苦を感じない私には「そんなに一人の時間は寂しかったり、辛いの?」「外界に刺激を求めなければ、部屋で一人過ごすことも難しいのか?」と疑問を呈してばかりでした。

 

 でも。

 これって、取り巻く情勢や環境が変わっただけで。

 

 その人が持つ考え方や価値観にそぐわなくなることも十分あり得ることなのかもしれない、と思うようになりました。

 よくよく考えてみれば、それはそうだよなと一人勝手に納得するに至っています。

 

 特に、最近巷で流布され始めたHSPを紹介する文章を芽にするようになってから、ことさらそのような思いを抱くようになりました。

 HSPは五感から入ってくる情報に敏感に反応し、更にそこから感情を左右されることは多々あります。これは大袈裟かもしれませんが、当事者である私もそのように感じ、時に苦しむことが多くあります。

 

 でも。

 そうでない人たち、言い方を変えれば人と接することを当たり前のように楽しみ憩いの時間とすることができる方々からすれば。

 そう置き換えると、今日本を、世界を取り巻くコロナ禍は生き辛く苦しい時間を過ごしているのではないのか。そう思うようになりました。

 人と会って何かをすることでストレスを発散する。或いは外界の刺激が多い場でも時間を忘れ、溜まりに溜まった鬱憤を晴らす。

 それができないことは、HSPを自認する私からは途方も無い息苦しさと、行きどころのない虚無感や苛立ちを募らせてしまう。

 

 行く着く先は、今まで当たり前とされてきた世界で生き抜いてきたHSPを自負する私たちが感じてきたことと同等、或いはそれ以上のストレスを蓄積させてしまう世の中になってしまったと言い換えることも過言ではないということでした。

 

 

 私は、今の。語弊があることは承知で、コロナ禍で齎された生き方は心地良いだけに留まりません。人と距離を取らざるを得ない環境ですら、正直に申すと「それ位距離がないと、息をすることも重労働」とさえ思いながら生きてきました。

 然れど。

 HSP、HSS型HSPという概念を知って、情報を出すようになって以来。私はその概念を盾にして、時には「特別扱いして」と言わんばかりに驕っていたのかもしれないと思うようになりました。

 

 現実は、私が考えるような狭い世界で動いている訳ではない。

 HSPという「体の良い言葉」で武装して、そうでない人たちを「理解できない、人間ではない宇宙人のような存在」とさえ思っていました。

 

 しかし、でも。生まれ持った性質があろうがそうでなかろうが、同じ人間。環境や立場が変われば状況の受け取り方も沸き立つ感情も変わる。

 そんな当たり前のことを、私は忘れてしまう程にまで「HSPを、HSS型HSPを自負する人間がいる」ことを広げようとしていたのではないかと、思えてなりませんでした。

 

 そうじゃないよな、と改めて自分に問いました。

 

 HSPでもそうでなくても、辛い時は辛い。

 生き辛い、息苦しくてどうしようもない時は誰も同じ。

 状況や環境で受け取り感じるストレスや憤りは、喩え 人それぞれであったとしても。

 しんどいものはしんどい、生きること事態にももう疲れた。

 そう感じて意気消沈したり落ち込んだり、最悪追い詰めて生きることそのものを諦めてしまうことは、誰にでも起こり得るという思いを振り切ることは叶いませんでした。

 

 

 逆説的に言えば。少し、辛辣な言葉になるかもしれません。

 そういった意味では、生き辛さというものはある意味平等なのかもしれないという結論に至りました。

 不安定で先行きの見えない現代だからこそ。

 理解や許容はできなくとも。

 少なからず、「自分が想像する以上の思いや考えを持つ人がいる」ことを、改めて認識すること。

 それが、今の日本に必要だと私は考えます。

 

 少なくとも。

 開催が危ぶまれる東京五輪や政治のことを。

 揚げ足を取るように。或いは揶揄する暇があるのであれば。

 

 

 今回も最後までがお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

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