【価値観・HSP】情報世界と向き合わない時間 ~負の感情の渦から逃げる必要性~
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終わりが近付きつつある、2月。立春を終え雨水を迎えた世の中は、確実に春へと向かいつつあります。
天気予報を見ても、三寒四温という言葉が相応しい程にまで気温が上下する慌ただしい気候が予想されています。風邪にもインフルエンザにも、新型コロナウイルスにも気を付けていきたいですね。
はい皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。
少しセリフを変えてアフレコしてみました。次は新規の子にお願いして、新作を出したいと思っています。
さて、実に半月ぶりとなるブログを記述しながら。
自分の気持ちと向き合うことって、実は簡単そうに思えてとても難しくて複雑なことなのだと実感しています。
時間は、沢山流れました。でもいざブログに、キーボートに向かおうとすると、思いばかりが空回りして言葉が出てこない。
書いては消して、書いては消して。何も進まないことに、苛立つことも意気消沈することもありました。
然れど、全てが無駄な日々だったという訳でもなかったことと、今は思うことができているような気がしています。
それは、ネット社会。情報の世界から「自ら背を向ける」という時間が増えたことにあります。
昨今、有名無名問わず、スキャンダルや憶測に近い報道が数多く出回っています。
事実の全てが伝えられているとは思いませんが、あまりにも現実から掛け離れた邪推にも程があるだろうと感じざるを得ない稚拙なものも平気で飛び交っています。
更に拍車を掛けるかのように、匿名性を優位にSNSやネットニュースのコメント欄には罵詈雑言から批評、単なる個人攻撃とも取れる言葉……はっきり言って「汚らしい言葉」の数々がひしめいているように見えます。
私としては、報道もSNSも「煽り」が過ぎるのかなと思えて仕方がありません。
それなりの確証や証拠があるのでしょうが、今のネット社会は正直「注目を集める為の手段」に成り下がっているような気がしています。
如何にもなタイトルを付け、視聴する者の関心を集める。その実は中身のない、事実無根とも呼べるような言葉の羅列。本来公平性があって然るものであるはずの報道でさえ、個人的な感情や推測ばかり。
それに対してコメント欄には、記事そのものへの批判に始まり、内容に対する意見や感情の塊とも読み取れる言霊の嵐。
私は世間に興味関心が薄い嫌いがある為、情報収集は主にこういったネット世界から齎されるものに頼って久しくあります。
しかし、ここ数ヶ月は前述の体たらくから「何やってんだこの人たち」と思うようになり。「報道だからって、匿名だからって何言っても許されると思ってるのか」と嫌悪するようになっていました。
そんなに互いを攻撃して、感情を剥き出して。相手の顔が見えないからといって、そんな不満をぶちまけるような書き込みをして満足するのかな。
いや、そうか。満足するからするに決まっているか。
尤も、報道される側が碌でもないことをやらかすことが最たる要因ではありますが。例えば政治とか、自粛期間中のクラブ訪問やら。
元々好奇心からのネット社会徘徊を繰り返す私でしたが、やはりと言いますか、そこに並ぶ言の葉たちに乗る怒りの感情というものはすぐに伝播します。
怒りや負の感情というものは、見ていて気持ちのいいものとは言い難い。
そこでここ一ヶ月程、ネット社会から、情報が渦巻く世界から身を遠ざけていました。必要な情報も特になく流し読みする程度なら、そもそもニュースも必要ありませんでした。
SNSも然りです。親しい人とのやり取りだけで十分ということに、今更になって気が付きました。掲示板や呟きができるサービスは、今の私には不要なものだと思えるようになりました。
過多な他人の感情が錯綜する世界から遠ざかる時間は、もしかしたら今の時代には必要なことなのかもしれません。
それ位、感情は人を揺り動かし、実際に行動させる程の力があると私は考えます。
殊更、誰か個人を攻撃するようなものは。
用法用量を守って、適切に。
何事も、程々に、適量に。
薬の宣伝ではありませんが、何事にも適度という一言が全てなのかもしれません。特に私のような、好奇心はある癖にガラスの心にしてお豆腐メンタルな人間には。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。