【HSS・HSP】無理して好かれる必要などない ~好かれようとしない。その勇気と覚悟~
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先日、愛車以外の我が家にある全車のタイヤをスタッドレスへ換装を完了しました。
長野でも例年以上に初雪が早く観測されていること、連日氷点下を記録する寒さを鑑みて普段よりも早めのタイヤ交換を終え、車の冬支度は万全な【やさぐれ紳士】白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
父親?知りません。
思慮を巡らせる暇も余裕もなかった、私が。
記憶に残らない小さい頃から、ずっとしてきて。
社会人になって、周りを気にし過ぎた余りに精神を害してしまったこと。
それは。
私は、嫌われない努力を続けてきました。
誰かに嫌われない為なら、他の誰かを裏切ることも平然に行って、十数年。
その惨めな結末を、この身を以て知ると共に。
自分を殺してまでも、媚びを売ったり群れに入ろうとしなくても。
足掻くようにして嫌われないことよりも、あるがままの自分を見せて無駄に好かれようとしなくても良いのではないかと思い至ったことを、綴って参ります。
嫌われようとしない努力や勇気ではなく。
好かれようとしない、思いや勇気の方が、一層大切であることを。
- 嫌われないこと。それは、独りになるのが怖かったから
- 嫌う、嫌われるを繰り返すことに疲れ果てて
- 好かれなくても良いと、自分自身の返事が聞こえた気がした
- 無理に好かれようとしなくても、生きていける。喩え孤独でも、孤高であれ
嫌われないこと。それは、独りになるのが怖かったから
私は元々、独りで黙々と何かに打ち込んで時間を忘れるのが好きな人間でした。
周りが身体を動かし汗を流しながら楽しげな喜び声を上げる中でも、独りで脳内で創り上がる世界に入り浸って創作を楽しんでいました。時には怪我や仮病を使ってまで、自分の世界に入り込んでいました。
別の時では、図画工作で同級生が作り終えて暇を潰す為に遊び始める所を。
私は独り、他の人の何倍も大きな作品を作る為に熱中していました。ひたすら紙を切り、絵を描き、装飾して繋ぎ合わせて。不器用でも、ひたすら夢中に。独りで楽しんでいました。
またある時は、一時流行ったカードゲームにドハマリして一気にクラス中の話題になっていました。
他方で私は独りだけ全く興味を示せず、とにかく自分の世界を、興味を惹かれるものを追い求めるかのように没頭していました。
10歳にしてゼノギアスという、ストーリーも難解でグロテスク表現や鬱展開ばかり。言い回しの難しさもあり内容はさっぱりでしたが、当時の高校生が遊ぶようなゲームに明け暮れていました。
それでも。当時の学校という閉鎖的空間は、私のような存在を容認するような空気ではありませんでした。
少しでも周りと違う意見を言えば反感を買い、除け者扱いされることばかりでした。
それに立ち向かう勇気も、周りに意志を提示するだけの力も頭も、当時の私にはなく。ただただ、周りの言うことに従うように、しかし悶々とする日々を送っていました。
やりたくもない、闘争心を剥き出して争うドッジボールも。やる意味もわからないディベートモドキも。
主張すればする程、精神的な痛みを負うことになると、半ば脅される様でした。
しかしながら、嫌々ながら賛同すれば、今度は身体も心も痛い思いをするという、とにかく理不尽な思いしかしなかった記憶ばかりです。
そうもしてまで、周りに合わせるようになったのは。
夢中になっている時は良くても、そうでない時は外の世界から齎される情報や感情に振り回されていたという、自覚という言葉に当たらずも遠からぬ思いをずっと背負ってきていたことにありました。
誰かが怒られている現場に直面すると、あたかも自分が悪いことをして責められているような錯覚に陥ること。
その訳もわからない感情の余りに、当人ではなく私が泣き出してしまったこと。
険悪な雰囲気の中で、教師を始めとして誰かが怒号を飛ばしそうな時。「お願いだから、みんな静かにして!じゃないと……」と勝手に読んでしまった空気に侵され自分を見失って。
結局誰かが騒ぎ出して、連帯責任とばかりにゲンコツを食らう。
この時はまだ、自分が外界の情報に過剰反応して気を揉んでしまう、HSPという気質を持っていることも。夢中になりだしたら止まらなくなるHSSの気質も持ち合わせていることなど知る訳もなく。
とにかく、怒られることや誰かが機嫌を損ねることを、自分のせいだと全てを勝手に背負い込んで。その思い込みがどんどん歪んでいって、最後に渡しは一つの結論に至ることとなりました。
自分が悪いことをしなければ、誰も怒らない。誰も悪い気分にはならない。良い雰囲気のまま、皆が気分良く生きていける。
自分が悪いことを、「嫌われるようなこと」をしなければ。
こんなこと、私の勝手で自己中心的な思いだったと、今は言えます。でも幼心で一度思い込んだ考えは、私に常に付き纏うようになっていきました。
嫌われなければ、誰からも怒られない。嫌われなければ、誰とでも仲良く過ごせる。
そう、嫌われなければ。
それを払拭できぬまま、私は歪曲し捻れた十数年を、自ら歩むこととなりました。
嫌う、嫌われるを繰り返すことに疲れ果てて
自分を殺して、他人に合わせる。
その言葉が当てはまるような生き方を、学生時代から社会人までずっとしてきました。
小さな同窓会があれば、業務を途中で切り止めてでも参加したり。逆に会社で飲み会があれば、友人の約束を残業があるから、と適当な理由を付けて断り飲み会に足を運んでいました。
しかしながら、状況によっては人に予定や気分を合わせられないことが増えていくこととなりました。
その度に嫌な顔をされることもありました。「彼女でもいるのか?」と冷やかされることもありました。
そして、何とか言い訳しようとも、それも次第に通じなくなって。言い訳ばかりで穴埋めもしようとしなかった私の元から、皆離れていきました。
待って。私を、置いていかないで。私を、独りにしないで。
私の場合、特に思春期にイジメを受けたということも重なり、独りになることを病的にまで恐れるようになっていました。
ですが人からすれば、そんなことなどを知ろうがいまいが、満足に自分の意見も意志も出せない人間など、一緒にいたり付き合っていたりしても面白くもないはずです。
それを嫌われることが怖い、などという稚拙な思いに縛られる私のような奴よりも、もっと個性的で周りを自然と巻き込むような、カリスマ性を備えていたり退屈しない時間を共にできる人に向かっていくことは、必然とも言えました。
そういった情景を幾度も目の当たりにしてきた私は、自分に非があると思い込んで。一方で他人の気持ちに寄り添おうともしないのに、勝手に恨みや妬みばかりを重ねて。
そんな終わりのない人間関係のやり取りに、知らぬ間に心を、精神をすり減らしていたことに気付いたのは。
頼る所を、拠り所を失った東京のど真ん中に勤務する中で。
精神を病み、如何なる人との関わりにも身体が拒絶反応を起こすようになってからなのでした。
好かれなくても良いと、自分自身の返事が聞こえた気がした
うつ病という心の病を患ってから、私は自然と人と距離を置くことを覚えていました。
その合間にも、友人も会社の人も、同期も。次々と私という廃人同然の人間から離れては消えていくのでした。
違ったのは、これまで強迫概念のように人に縋り付こうと必死に動き回って、その為なら自分など厭わないと思っていた自分が嘘のように。
他人なんて、どうでも良い。私なんて詰まらない人間なのだから、もっと一緒にいて楽しい人と一緒にいた方が良いよ。
私のことなんて、嫌ってくれ。記憶から消え去る位、嫌い尽くしてくれ。
投げやりとも自嘲とも言える思いと共に、すっかり人間関係に疲れ切っていることを知りながら、薬漬けという名の闘病生活に明け暮れる毎日を送っていました。
これが、人に裏切られ裏切り続けてきた最底辺の人間の末路か。
そのような思いに勝手に浸る中、転機が訪れました。
外の世界との接触を恐れるばかりに、引き籠もり同然の日々を送っていた私に、車のSNSを通してオフ会の招待がされたことでした。
残暑と言うには余りにも強すぎる陽光、そして暑さ。忘れもしない、常夏を思わせる横浜の地。
横浜シンボルタワーを背景とする駐車場。そこにはSNS上では交流はあったものの、顔を合わせることは初めてという人たちが大勢集まりました。
その光景を見るだけで、どうすれば良いのかわからず右往左往していた私に。
迷子になって途方に暮れる子どものような私に声をかけ、気遣うかのように声をかけてくれた人たちとの出会い。
初めて、会うのに。やり取りしたことと言えば、SNS上での短いやり取りだけだったのに。
新参者である私を迎えてくれた人たちは、眩しくて温かい笑顔と声色で満ち溢れていました。
それが、私の新たな始まりであると共に。これまで生きてきた中で抱えてきた全てを改める始まりでもありました。
その空気に入り浸るように、私は時を忘れて集まった方々との時間をひたすら楽しみました。
一方で、思い返すこともありました。
この時、「嫌われない為に、集まった全員と仲良くしよう」という思いが、どういう訳か働きませんでした。
このオフ会では、私が参加する以前から仲の良いメンバーは固まるように、楽しげに話し込んでいる人たちもいました。
以前なら羨んで、羨望の眼差ししか送ることができないまま、入り込んでいけない自分を情けなく思って。周りにも、いい歳しながら不貞腐れるような態度を振りまいていたのに。
それが、なかった。
とにかく、私を受け入れてくれた人たちとの時間を、いつまでも楽しんでいたいと願う程でした。
そう、願おうともそうでなくても、仲良くしていただける方との時間を過ごせるのなら、他に求めるものなど、私にはありませんでした。
オフ会が終わった後も、残滓というにはあまりに大きすぎるものばかりが私の中に残って、そしていつまでも忘れられなくなることとなりました。
この胸に、頭に残る温かさ。いつでも必死こいて、自分を捨ててまで求めていた温もりと穏やかさ。無理に合わせることなどしなくとも、多くの人と知り合い交流できたこと。
その後もその方々とは、特別連絡しなくともお会いすれば年の差など関係なく、にこやかさと共に話に華を咲かせることができるようになったこと。
あまりに初めて過ぎて、自分でも理解できなかった思い。でも、思い返せば思わず顔が綻んでしまう。
これって、なんだんだ。
私は人に裏切られて、裏切ってきた、どうしようもない人間なのに。
なのに、どうして。
こんなに優しくて、柔らかくて、温かいものは、何なのだろう。
そう思って数年。
ようやく、答えに巡り会えた気がしています。
無理に好かれなくても良いんだよ。
そんな言葉が、自分の中から滲み出たかのように聞こえた気がしてからは。
無理に好かれようとしなくても、生きていける。喩え孤独でも、孤高であれ
その後も車のオフ会に参加させていただきましたが、思ったことは最初のそれと全く同じであることに気付きました。
どのような形式のものであっても、年を経ても。
人に対する私の意識は、これまでと全く異なっていたこと。
寧ろ十数年悩み続けてきた思い……人に好かれなければ、嫌われてはならないと信じて生きてきたことが、嘘を通り越して馬鹿げた妄想のことのように思えることばかりでした。
そこで、私は薄々感じ始めていました。
嫌われることを恐れて自分を制する必要なんて、ないのではないか、と。
同時に、合わない人と無理に合わせることなどない。その為なら、嫌われても構わない。
そんな折でした。
はてなブログを通して、HSS型HSPを取り上げていらっしゃる「ウサキさん☆」さんのとある記事を見て、息を呑むほどの衝撃を受けました。
上手く同調できない周りに対して嫌悪し、嫌われる努力をするのではなく、「好かれようとしない」努力。
私は真逆なことをし続けて、自分自身を追い込んでは苦しめていることに、やっと気が付けたような気がしています。
人を嫌って、独りになって、一時の清々しさのようなものは得られても。
すぐに、何かが違うという錯覚に似た感情に駆られて、益々落ち込んできました。
私は、ずっと過ちを犯し続けていたのです。
嫌われて、嫌って、離れられて離れてを繰り返して。しかし、得られる結果は私が望むものとは程遠いことばかりでした。
そして今、それに気付いたことで、自分が成すべきことを。これから生きていく上で必要なことを理解できたような気がしています。
望んでも、望まなくても。人は否が応でも、生きる上で人間関係から逃れることはできません。
ことさらHSPを自負する人は、傷つきやすいと認知されています。
でも、私はその認識は少し違うのではないか、と思っています。
確かに周りの状況や空気に感化され過ぎて疲れ果てることはあります。それ以上疲れると自分が壊れるという錯覚にさえ陥ることから、外界との接触を拒絶する。そのことから傷つきやすいと見られているのではないかと考えています。
そして、最後は独りになりたいことを切願するあまりに、自ら嫌われる努力に走って、走って、走り抜いて。
気が付いた時には、ボロボロになった自分だけが残されるという結果になっている、そんな気がしてなりません。
他の誰でもない、私というHSS型HSPの一人が選び続け、何も残らない惨めな結末を見てきたからです。
然れど、本当は。
無理に外界に同調する傾向がわかっているのなら、無理に付き合おうと思ったり。自分を犠牲にしてまで合わせる必要などないと思うのです。
そしてその為には、他者目線の「嫌われる」という名目ではなく、「好かれようとしない」自分目線の考え。
そう思い始めてから、人とのやり取りが随分と楽になりました。
これはもしかしたら。HSPであっても、そうでなくても。
人間関係からに悩みを持つ方、全てに共有できる考えなのかも知れません。
他人を軸に、自分の立場を作るよりも。
自分を軸に、自分らしさと立ち位置を創る。
その方が、気楽で。より自分らしく生きられるのではないか。
唯一無二の自分という存在を、確固たるものとしていく為の考え方。
好かれようとしない努力が、まさにそれなのではと確信しながら、私は歩み始めています。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。