白兎と雪狼の、果てなき旅路

ドライブやドライブや写真撮影を趣味とし、その他、HSPやAセクシャル、イジメ。精神的・心理的なことについて綴っていきます。

【車・趣味】秋の新潟 ~夫婦岩、そして帰還へ~

 近頃は週の後半に天気が悪くなる日が続いています。

 穏やかな雨は気持ちを落ち着かせてくれますが、叩きつける激しい雨音は不安だけでなく気を滅入らせるような。そんな精神の境を行き来していてどうにも落ち着かない日々を送っている、【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 今は、雨も止んで週末前の喧騒も収まり、ただただ静かな空気が流れています。

 佐渡を回り終えた直後の、穏やかでありながら旅の終わりを感じて。妙な安心感のようにであるように思えて、しかし寂しさとも、虚しさとも思える心境。状況は、あの時の旅の終焉のそれと似通っています。

 

 

 今回は、連日載せて参りました、佐渡ヶ島と新潟旅行の最後の記事を綴って参ります。

 時間はより加速するようにして、佐渡の名所巡りに終止符が打たれ。本州への帰還。初めてとなる旅客船内、そして残滓と呼ぶには激しい雨に見舞われた新潟からの帰路。

 初めてが多すぎて言葉にできないことばかりでしたが、最後までを自分なりの言葉で、その時の思いを綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 子沢山?な夫婦岩

 

 佐渡金山遺跡にて機械成分を堪能した頃、時間は既にお昼を過ぎていました。

 眠気と空腹が脳内に溢れ出す頃、この日のお昼ご飯を用意してくださった場所へとツアーバスが到着します。

 

 そこでは現地の方がお待ちしており、簡単にその場の説明をしてくださいました。

 

 夫婦岩と呼ばれる、荒波と風が削って出来上がった天然の岩たちです。

 

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 写真の右側がお父さん、左側がお母さんと呼称されているようです。

 二つの岩が向かい合うように、寄り添うようにしている様は、円満な夫婦のように見えることから、その名が付いたとのことです。

 私には夫婦のというものが今も理解できずにいますが、波風に晒されながらも未来永劫向き合い続けるその様は、この岩たちは私たち人間よりも遥かに強固な関係で結ばれているのかもしれません。

 また写真の左側にはお子さんもいらっしゃるそうで、長男や長女、次男と次の世代へとその固い関係を連ねているとのことでした。

 更には手前の小さな岩は、孫岩としてお孫さんとして親しまれているとのことでした。

 

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夫婦円満と呼ばれる様を、私は知りたい。この目で、見てみたい。

 

 数百年、数千年の時を経ながらも、着々と自然も子孫を残しているかのように見えました。そういう意味では、現代少子化が叫ばれることを鑑みれば、我々ヒトよりも着々と次世代に向けて子を育んでいる、とも言えるのかもしれません。

 個人的に一番触れられたくない、結婚や家族という話を振られた途端に嫌悪感を抱く、例えば私のような人間よりも、ずっと。

 

 そんな自分の思いは、旅には不要なもの。無理やり振り払うようにして、自然が創り上げた海岸沿いの風景を写真に収めていきます。

 

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 夫婦岩の更に先の、せり出た岩肌には上陸しているしている人の姿も見えました。

 時間がもっとあれば、いつまでも見ていたい考えに駆られました。

 

 正確には、この情景から発せられる思いのようなものを感じ取りながら、私なりの思いを馳せたかった、といった方が正しいのかもしれません。

 

 相手は無機物、何の感情もクソもないと言う方もいらっしゃるかもしれません。もしくは目に見えるその姿こそが全てで、それこそが美しいと仰る方もいるでしょう。

 

 でも。私は妙に、センシティブな思いに耽ってばかりでした。

 海の中に聳えることとなった、岩たち。人工物のように整備されたり守られたりするようなこともなく、彼ら彼女らは独りで立ち向かってきた。

 倒されないように、壊されないように。岩として生まれ、削られる運命にあったとしても。

 自分という存在を、掻き消されないように、必死に。暑さも寒さも、時代をも乗り越えて。

 夫婦岩として名所とされ、今の姿がある。荒削りだからこそ、時代を思わせ、その傷を想像させる。

 私たちヒトにはとても耐えられないであろう思いに、私は一人感化されていました。

 

 願わくは。この先、十年も百年も、更に未来でも。変わらぬ姿を残してほしいと勝手に願うと共に。

 いつの日か、この身が果てる前に、もう一度見に行きたい。そんな感情に支配されるのでした。

 

 

 

 

 佐渡の各所を巡り、時間は無慈悲に帰港便に迫って

 

 

 眼鏡越しに見る日本海、夫婦岩。

 友以外の、周りのツアー客の声。先の佐渡金山遺跡を見てからか、妙に高揚した声が響く中、私は聞こえない振りをしていました。

 否、無理やり遮断して一人でいたいことを望んでいましたが。

 時間はお昼時を少し過ぎた時刻を示していました。ツアーのメインの一つである、昼食の時間でした。

 

 佐渡、新潟と言えば新鮮な海産物。それを丼に詰め込んだ海鮮丼が、本日の目玉でした。

 

 しかしながら。

 本ブログでも度々話題にさせていただいています通り、私は海産物は大の苦手。苦手を通り越してとても食べられません。

 漂う磯の香り。人によっては心地好いのかもしれませんが、私には耐えられない臭いとなってしまいます。

 

 

 数十年前、中学校での地引網が主目的となった臨海学校。一泊二日の修学旅行のようなものでしたが、海のものが苦手な私には地獄でしかありませんでした。

 海岸中に広がる、磯と引き上がられた海産物が(失礼ですが)腐っていくような臭い。当時はクラス単位ではなく学年単位での旅行でしたが、皆が海水浴を楽しむ中。

 臭いにやられ、同級生なのにヒトの波に酔った私はすっかり気持ち悪くなってしまい、独り浜辺で彼ら彼女らが楽しむ様を見るという、同い年なのにさながらプールの監視者のようなことを半ばやるような体たらくでした。

 

 楽しそうだな。ワイワイ、わちゃわちゃ。

 ……でも、私はいいかな。一人で、海を見ている方がいいや。

 クラスが、学年が地引網していようが、何していようが。何十分でも、何時間でも、海を目の前にしているだけで私は満足できそうだ。

 

 

 そんなしょうもない思い出はともかくとして。

 事情を知ってくださっているたーぼぅさんの図らいで、メインの海鮮丼をソースカツ丼に変えていただいたことで、難を逃れることができました。

 

 幸いこの日はツアー客が周りを気にしない方ばかりだったこともあり、奇異の目を向けられるようなことはありませんでした。

 私の他にも、生の海鮮は苦手とおっしゃっている方のお話しを片耳に挟みました。

 

 人間誰しも、好き嫌いや得手不得手は必ずあると私は思っています。

 食べ物だけに限らず、お酒の種類、飲み物の甘さの加減。

 だからとは申し上げません。ですが、押し付けのように「海鮮が上手い所に行ったのなら、食べなきゃ損」だとか。

 「あんな上手いもの食べないなんて、何食べんのよ」だとか。最悪の言葉は、「食べないだなんて、生きてて損だよ」。

 

 良いんです、損していたって。私は食に価値を求めていませんから。何を食べたいといった好みを超えて、何を食べて生きているなんて人にとやかく言われたくありません。

 それを杓子定規に当てて、その地で「美味しいもの」とされるものを食べられない者を、あたかも変わり者とも異常者とも言ってくる御仁は、残念ながら未だに健在します。

 

 駄目なのでしょうか。自分の好きなものを食べることが。

 苦手や嫌いなものを、無理してまで食べなければならないことは、勿体ないと纏められるようなことなのでしょうか。

 

 

 それはともかく。ソースカツ丼、美味しくいただきました。

 

 

 

 時間は無慈悲に平等で、帰還の時が迫る

 

 昼食後は陶器や酒造所と巡りましたが、申し訳ありません、私の興味の圏外でした故写真や感想は特にありませんでした。

 

 疲れも溜まってきていたので話半分に聞いていなかった私も私ですが、陶器は佐渡金山に纏わる特殊な貴金属が混ざった材質の土が、独特の色や焼き上げた後の音が金属のような甲高い音になると。

 

 酒造所では国際航空便のファーストクラスに選ばれて久しいという日本酒を蒸留しているとのことでしたが、クルマで新潟入りしている私たちは試飲もできないこともあり、私はフラフラと酒造所を歩いておりました。

 

 時間となりバスに戻った他のツアー客は試飲を繰り返したのか、すっかり上機嫌な様子でした。

 これも、旅の楽しみ方の一つなのかなと思いながら。

 バス内に漂うアルコール臭に顰め面を崩せなかった私は、まだまだ精神的に若いようです。(自分で言うのも難ですが)

 

 さておき、時間は容赦なく過ぎ去っていきました。本州から離れた佐渡ヶ島に、まだいたいという思いなど切り捨てるようにして。

 帰りの船出の時間が迫り、私たちは再び両津港へと戻ることとなりました。

 

 時間的に、行きで来たジェットフォイルは利用できそうにありませんでした。

 その代わりに、倍の時間を掛けながらもゆったりとした船旅を味わうことができる旅客船に乗ることとなりました。

 

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 旅客船、ときわ丸。ジェットフォイルの三倍、いやそれ以上の大きさを誇る旅客船です。

 

 実はこの時、本来であれば雑魚寝する2等客室で帰る予定でした。行きの倍以上掛かる、二時間半という長い船旅の時間。

 

 そんな時、私は思わず思いが言葉となって口から出ていました。普段は思いはココロの中に、という私が。余程のことがなければ闘う勢いで口を出しもしない私が。

 

 

 折角なら、もっとゆったりできる席を確保しませんか?

 

 

 1から計画していただいた、たーぼぅさんに。

 半ば無理を言う形で私の提案を申し出て、切符売り場で予約確認したところ、予約制の一等船室の椅子席が空いていたことも重なって。

 

 急遽予定を変更し、新幹線で言えばグランクラスのようなゆったり寛げる席を取ることができました。

 

 

 ジェットフォイルとは違う船旅。それから、各々の帰路に着くこととなります。

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

【車・趣味】秋の新潟 ~佐渡金山遺跡、正と負の遺産~

 10月下旬入間近にして、一気に秋から冬へと季節が加速し始めました。ここ数年は暖冬続きで気が緩んでいた感がありますが、今年は本格的な寒さと雪に注意を一層払う必要があるかもしれません。

 今朝も10℃に満たない気温に見舞われ、仕事よりも温かいお布団から抜け出す方が大変だった【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 既に1ヶ月が経ってしまいましたが、今回は前回の続きである佐渡ヶ島の旅を綴って参ります。

 今回は世界遺産暫定リストに上がっている、佐渡金山跡について写真と共に追憶していきたいと思います。

 

 

 

 

 日本のマチュピチュ?佐渡金山跡

 

 佐渡ヶ島と言われて、真っ先に思い浮かぶのは佐渡金山ではないでしょうか。

 

 遥か昔、佐渡は大罪を犯した者の流刑地とされていました。技術と科学によって安全を確保された現代とは大きく異なり、一度流されれば生きて本土へ戻ることは死を意味していた時代もありました。

 時は進んで、江戸時代。金が年単位で数百kg、銀が数十トンという莫大な勤続が採掘されることとなりました。それが、今は佐渡金山跡とも佐渡金山遺跡とも呼ばれる鉱山でした。

 

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 当時は大量の富を得るというよりも、幕府へ献上され名声と地位を得る為に利用されたと聞くその場所。

 今は当時の面影を薄く残しながら、緑に覆われた天然の要塞とも呼べる技術の発展と自然の強さを併せ持つような、厳かさに似た雰囲気に包まれる場所となっていました。

 

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 巷で現実世界のラピュタと呼ばれるのも頷ける、静謐さの中に見るものを慄かせる壮大さとも偉大さとも思わせる空気を漂わせています。ヒトが切り開いて塹壕のような形にされても尚、跡地となったそこに芽を宿し成長した草木の力強さが入り乱れるその様。周りのツアー客の歓声にも聞こえる声が遠くに聞こえるかのように、言葉を失った私は無心でカメラのシャッターを切っていました。

 

 なんと言葉にすれば良いのか、正直今でもわかりません。

 

 ですが、一昔前にテレビで紹介され話題となった南アメリカに存在する「マチュピチュ」。ヒトが文明を残しながらも滅んだ後も、地球の緑の力強さが加わることで「天空の聖殿」と称されるその場所を、まるでこの目で見たかような錯覚に陥ることとなりました。

 

 元々は自然の山肌だったものが、ヒトの手による発破や開拓によって姿を表すこととなった天然の金山。

 それが数世紀の時を経て、地球の意志とも呼べる草木に覆われても、尚朽ち果てた様子もなく。

 寧ろ、共存しているかのようでした。

 

 

 北沢浮遊選鉱場跡とも呼称される、美しさと侘しさ漂う情景

 

  晴れ渡っていた空は、いつの間にか雲に覆われていました。奇しくもそれは、私たちの到着を待ち望んでいたかのようにも思えました。

 青空の下であれば人工物と自然が絶妙に混ざりあった綺麗で不思議な場所、と言えたかもしれませんが。

 雨が振りそうな灰色の空に映る北沢浮遊選鉱場跡は、一層侘しさのような雰囲気を醸し出すこととなりました。

 

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 朽ちることなく形を残す、コンクリート。火力発電所としてかどうしていた場所のようですが、ここがどれだけ重要で貴重な要所だったかを思い知らせるかのように、強固な造りをしているのかを見せつけていました。

 

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 補修はあるとしても、ほとんど当時の面影を残すかのよう。仮に一人で入れ、と言われても、ちょっと怖いです。

 

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 古代のコロッセオのような建造物。


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 詳細を調べていない為、それぞれがどのような役割を担っていたかもわからない構築物が点在していました。ここでの自由時間は30分足らずと短い時間でしたが、この地に立ち、情景を見て、静けさに浸るだけで多くのことを考えさせられることとなりました。

 歴史は、表向きには輝かしい部分ばかりが記録として残され、後世に語り継がれることが多くあります。

 しかし、その裏には必ず個々人単位での思いや思惑、そしてとても語ることのできない負の部分があったのだと思います。

 この身で立ち、この目で見て、この耳で聞かなければ決して感じられないもの。上手く言葉にできないことも然ることながら、語り継いではならない事実もあることを感じる、そんな一時でした。

 

 

 炭鉱内を、この足で歩く

 

 緑に溢れる場から離れ、次は炭鉱内を実際に歩く時間が設けられました。

 佐渡金山遺跡の坑内は、江戸時代の主に人海戦術とも言える人手を掛けて掘り進んだ箇所。もう一つは明治に入り機械が導入された頃の箇所を巡るという、二つのコースが用意されていました。

 

 人の手で切り拓いた道と、機械産業の発展で切り拓いた道か。

 私たちはメカメカしいもの好きということ、そしてリアルな人形が展示されているという江戸時代コースは気味が悪そうということで、明治時代コースを選択しました。

 

 

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 色褪せた赤に塗られた、滑車のようなものが付けられたこの装置は、一体……?

 

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 炭鉱へ続く道に敷かれたレール。この道を使って、内部で採掘した金銀を運び出していたのでしょうか。

 

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 入り口から広がる闇は、外の光を遮っているかのようでした。当時は明かりも乏しかったでしょう、もっと暗くて恐ろしさもあったのかもしれません。

 いざ、足を踏み入れます。

 この日の外気温は20℃を欠ける程度の気温。厚着をして乗り込んだ私には少し暑いとも感じる陽気でしたが。

 炭鉱内は嘘のように、妙に冷え込んでいました。寒さに慣れているつもりの私も、思わず「寒っ」と口走った程です。

 

 

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 坑内には近代技術の走りとも言える、電気で動くトロッコ車両が点在していました。高さは腰程の大きさで、無骨ながらもどこか可愛らしさを感じさせています。

 そして驚くことに、この車両は充電式ということが直後に訪れた展示室で明らかになりました。

 現代のスマホのように、小型化高性能化されたものと程遠い充電機器。それが今の生活になくてはならない存在となった充電技術の礎となったことを思うと、感慨深いものを覚えました。

 

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 写真はカメラの師匠でもあるたーぼぅさんに教えを請い、撮影したものです。

 薄暗い照明。半ば汚泥かした地面。そして、冷たい岩の連続。幾ら近代化が進んでいた時代の産物と言えど、人肌が恋しいものだったのではないかと、一人思いに耽っていました。

 

 とても独りでは歩けない、な。

 

 肌寒さを感じ続けながら、炭鉱を後にするのでした。

 

 

 華々しさと負の一面を垣間見て

 

 華々しい歴史の跡地として語られる佐渡金山遺跡。ですがそこには、巨万の富と同時に儚く散っていった命の数々があることを、忘れてはいけないと思います。

 炭鉱内には発破した後や、酸素を取り入れる為に空けられた穴などが随所で見られましたが、逆に言えばその数だけ朽ちた人たちがあったということを物語っているとも言えるかと思います。

 炭鉱という狭く、暗い場所。限られた酸素を使い切り、酸欠で命を落とした人。

 発破時の計算ミスや予期せぬ落盤で崩壊し、巻き込まれ亡くなった人。

 厳しい労働に身体が参り、そのまま生きて地上に出ることもなく生涯を終えた人。

 

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 私は以前、世界遺産登録された富岡製糸場を見てきたことがあります。そこも機械に溢れ、務めた人たち……特にそこは女性について取り上げられることが多いです。

 然れど、貧富の格差による、今で言うイジメや劣悪な労働環境で身体を壊し、そのまま帰らぬ人となった方も多いと聞きます。

 

 華々しさの陰には、必ず犠牲や負の感情といったものが存在すると私は思っています。

 それが皮肉にも、輝かしく後世で認められるような存在となる支えになったとしても。

 

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 私は見た目の華やかさは勿論ながらも。そういった表舞台に出てこない、出せないような人たちのことについて目を向けなければならないと考えています。

 

 私の好きな言葉に、このようなものがあります。

 

 幸運を。死にゆく貴方に敬礼を。

 

 歴史の表に出てくることは、本当に氷山の一角であり、かつ内容も書き換えられた可能性も否定できません。

 そのようにして語り継がれてきた偉人たちよりも、私は寧ろ、影で支え繁栄の道の礎となった方々を思うと共に。

 心の底から、鎮魂と安寧を願うばかりです。

 

 

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 炭鉱の脇に咲く、秋桜の群生地。その花たちが、吹き抜けた風と共に一斉に揺れるのでした。

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

【HSP・価値観】傷付きやすいと言われてても ~理由は、もっと前向きなところにあった~

  ここ数日暑さがぶり返す日々が続いていますが、週末はまた寒くなるようです。日中でも一桁代の気温までしか上がらないという噂もあります。

 生きる上でのストレスも、人を介した人工的なものと、もしかしたら自然から齎される天然由来のものもあるのではないかと思い始めている、【やさぐれ紳士】白兎です。

 気圧が低くなると頭痛がしたり、曇りや雨が続くと気分がなんとなく塞ぎ込んでしまうように。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 日頃のストレスが認知されるようになり、企業もアピールするかのようにストレスチェックを行うようになって久しくあります。

 しかしながら、その実態は「〇〇に対し、弊社は積極的に取り組んでいます」という実績だけが欲しいと言わんばかりに、残念ながらアフターケアや職場環境の改善といった具体的な対策を行う様子が見られないというのが現状です。

 同じように、本ブログでも取り扱っているLGBTやセクシャルマイノリティも、また然り。

 

 ですが、一つ忘れ去られているものがあります。

 

 ネットを契機にその存在を認知されるようになり、芸能界でも少しずつ発言が見られるようになった、HSPです。

 うつ病を始めとする病気ではない、気質という側面がとても強い概念。それでありながら性格でもなく考え方の一つでもないことから、生きる上で「何か変」だとか「周りと違う」と思っても広まらないのが実情です。

 そして上手い具合に自ら認知できたとしても、「その後、どうやって生きれば良いのか」と疑問を抱いたままになることも。もしくは「例えようのない辛い思い、自分だけなの?」と相談することもできないまま、言わば泣き寝入りで終わってしまうことが多いのではないかと思っています。

 

 私もその一人です。今でこそHSS型HSPと認識することができ、ある程度の傾向といったものは見え始めている……つもりですが、やはり自信が持てずにいます。

 時には押しつぶされるように、別の時には自傷するかのように、自分を傷つけて落ち込む日もあります。

 

  そんな折、今まで私が抱えていたHSPに対する思いだけでなく。

 HSPというものを一言で表すと、という概念を覆す切っ掛けがありました。

 

 ブログでも読者登録させていただいているHSPやHSS型HSPを積極的に発信されている「ウサキさん☆」さんの言葉でした。

 

 「繊細で傷付きやすいHSP」。ようやく認知されてきたHSPも、どちらかと言えばかなり後ろ向きと言うか、「HSP≒心が弱い」という認識を与えてしまいそうな印象があります。

 それよりも、「深く考え洞察力があるHSP」である方がしっくり来るとおっしゃっています。

 

 これまでHSPに対して後ろ向きな意識しか持てず、それでも何とか付き合うように生きてきた私は、思わず言葉を失うものでした。

 

 

 今回は「繊細で傷付きやすい」という、ある種のレッテルを張られたHSPに、新しい考え方を持つ切っ掛けに出会えたことについて。

 その事実は、確かに正しいと言えると私も考えています。

 がしかし、それは飽く迄結果論として傷付きやすいと言われてしまい、それが独り歩きしてHSPというものを形作っているのではないかと思い始めています。

 そうなるには、必ず何かしらの過程のようなものがあるのではないかと考えたことについて、綴って参ります。

 

 

 尚本記事では「うさきさん☆」ご本人と直接連絡を行い、許可を頂戴しています。

 またうさきさん☆のTwitterは、こちらになります。

 

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 幼少期から傷付くことを恐れ、自分に自信を持てない日々

 

 はじめに、私はHSPを自認している身ではありますが、自覚する以前から自分が傷付きやすい人間だという感覚を持ち続けてきました。

 周りは失敗しても、何度でも頑張るように挑戦し続けるのに。私は一度でも失敗したらすぐに自己嫌悪と虚無感に襲われ、「なんだろう、この虚しい気持ち」という思いを引き摺ってきました。

 

 保育園の頃から、割とそんな思いを抱えていました。周囲に言うようなことはしませんでしたが、遊んでいる最中でも、工作をしている最中でも、何か小さな失敗を犯す度に一人落ち込んでいました。

 また絵心がないことから絵を上手く描けず、とりあえず描いた自分の絵と、周りが描いた上手い絵を勝手に比べて、「自分って、何やっても下手なんだ」と幼いながらも凹んでいた記憶があります。

 それでいて失敗を糧にということができない子どもだったことから、再挑戦して次こそ成功を、という度胸も負けず嫌いさもすぐにへし折れてばかりいました。

 失敗するからこそ意味がある、と今なら言うことができますが、当時はそんなことなどわからないまま、ただひたすら周りと比べて、その差に気落ちして、ひたむきになることもなく終わる。その為か大人しいとも繊細とも言われ続けてきました。

 

 それは年齢を重ねても変わることはありませんでした。寧ろ年を経て、自我が成立すると共にますます傷付きやすく、傷付くことを恐れるようになっていきました。

 不器用で、家庭科での裁縫や図画工作で挑戦し出来上がる品々は歪んでいたり歪であったり。運動音痴とまでは行かなくとも、野球やサッカー、ドッジボールといった競技も苦手。

 失敗したりミスをして、クラスメイトに「良く出来てるじゃん!」「大丈夫、輝にすんな!」とフォローして貰っても、自分の中はいつも傷塗れ。必修科目や義務教育でもなければ、やらなければ良かったと後悔する日ばかりでした。

 

 そういった失敗を犯すことがい、次第に許せないという気持ちへと変化していきました。

 それが遊びであっても、テストであっても。

 

 そんな思いが仇となり、努力することをすっかり諦めてしまった私は。

 受験にも失敗し、ますます自信を失って自分を傷付けることが常習化していって。

 

 学生時代を楽しんだ、という思い出すら残せないまま、自らの手で自信を持つ機会を奪っていく。そんな詰まらない、得るものもないことばかりに躍起になっていくのでした。

 

 

 傷付きやすいというのは「結果」。そこに至る経緯や理由は存在する

 

 時を経て、社会人になっても私は傷付くことを恐れるあまりに保守的で内向的な性格と行動が続いていました。

 新しい仕事を任されても、恐れてばかりで聞くことも怖かった。そんなこともわからないのか、と言われるのが、言葉に言い表せない程恐ろしくて。

 仕事柄上失敗を許されないことも合わさり、グイグイ前へと進んでいく同期の中、私だけは相変わらず安牌を取り続けていました。

 

 ある時、ん?と自分の態度や行動指針に疑問を持つ機会がありました。

 それは奇しくも、気を病み精神を害した時のことでした。仕事上やプライベートでの人付き合いに疲れ、味気もやりがいもない仕事を淡々とこなす日々に疲れ果て。

 今まで「自分にとって当たり前のこと」と思うばかりに考えようともしなかった、自分自身を見つめ直す機会に出会えたことが最大のきっかけでした。

 

 失敗したり、上手く行かないことばかりだった私。

 失敗することが。上手く行かないことが。

 

 本当に怖いのか?

 

 それとも、失敗して「誰かに怒られる」ことが怖いのか?

 怒られて自分が傷付くことを恐れて、失敗を嫌がっているのではないのか?

 

 ……そうだ。

 傷付きやすい、繊細だと言われるHSPという概念を知ってから、私もそうではないかと受け入れ始めて。

 少しずつ知っていく内に、当てはまったりそうでなかったりな所を、他の誰でもない自分自身で見ていくことで。

 私が抱え続けていた、傷付きやすくて繊細なことも。

 一般的に認知されているHSPの概念の一つである、傷付きやすくて繊細なことも。

 

 それは、飽く迄結果しか見ていないことなのではないかと、思い至るようになりました。

 そして。物事の結果には、必ず経緯や理由があるという、当たり前のようで忘れがちなことに気付くことができました。

 同時に一般に流布するものは、全て鵜呑みにするのではなく、自分なりの解釈を保つ必要があるのではないかと、疑問を持つようになっていきました。

 

 

 HSPは考え深く、洞察力の高さ故に最悪を考えてしまう

 

 

 HSPを知り、その先にあるHSS型のHSPというものを知り。

 自分がHSS型HSPであることを認識するようになってから、はてなブログの世界に飛び込みました。

 そこには同じ悩みや疑問、生き辛さを抱える方々に出会うと共に、人それぞれ違うHSPへの考えを持つ方との出会いを経て。

 HSPに対する思いや考えを、より自分なりに固めていくこととなりました。

 

 

 私なりのHSPというものに対するものを上げると。

 繊細で傷付きやすいのは確かでも、それは結果論に過ぎないのではと思うことです。

 

 傷付きやすいから、HSPなのか。繊細だからHSPなのかと結論付けられるのなら、私は違うと思っています。

 どうして傷付きやすいのか。どこが、繊細なのか。

 結論ばかりに目を向けず、先にそういった「理由」を見出さなければ、レッテルのように張られたHSPの特徴……言い換えるなら「一方的な決め付け」を払拭することはできません。

 勿論、繊細であることも傷付きやすいことも悪いと申すつもりは毛頭ありません。寧ろ善悪で判断するようなことではないと思っています。

 私はその先にある、「どうして、傷付きやすいのか」「どういったところが繊細なのか」という所に目を向けたいのです。

 

 例えば私の場合、「人の怒りの声や感情を、自分のことのように感じてしまう。だから傷付きやすい」といったところです。他にも「失敗することで、誰かに怒られるかもしれない。だから失敗することが怖いし、怒られると思い切り傷付いて立ち直れない」となります。

 このように客観的に見ると、私は「怒る」ということに敏感なことがわかります。

 更に「五感の中でも特に耳、聴覚が敏感だ」という事実を組み合わせていくと。

 

 耳から入ってくる怒りの声が、怖い。それを聞くと、何もできなくなる位脅えてしまう。それが原因で傷付きやすい。

 

 このようにして見るだけでも、打てる対策や行動も自ずと見えてくるかと思います。

 私は雑踏が苦手を通り越して嫌いではありますが、それも「多くの音という情報が否が応でも耳から入ってきて、処理しきれなくなって自分というものを見失ってしまう。だから、騒がしい所や人の多い所は嫌い」と言い直すことができます。

 それを避ける為に知らない人ばかりが行き交う雑多に踏み込むことを避けて、自分のペースを守る為にイヤホンをして音を遮断する、という対策を取っています。

 

 

 

 

 傷付きやすいと言われるかもしれない。その前に、HSPとしてより前向きに受け入れられる理由を見つける

 

 

 傷付きやすいと言われる、HSP。気質である以上外的な判断もままならないまま、自分だけが苦しさや生き辛さを抱え、「生きているだけで辛い」「こんな気質、欲しくて生まれた訳じゃないのに」と後ろ向きな感情を抱きがちです。

 

 私も、かつてはそうでした。聴覚が敏感で様々な音に苛まされ、飛び交う怒号が自分に向けられているように思えて。それを覆すどころか考え直すようなこともできないまま、こんな思いを持ち続けるなら死んだ方が良いと願ったことも幾度となくあります。

 

 しかし、と私は言いたいです。

 

 仮に自分がHSPとわかって、「私ってHSPなんだ!」と前向きに受け入れられる人は多くないと思っています。

 逆に「HSP、か。でも、どうやってこの先生きていけばいいんだろう……」とさらなる不安に陥ることの方が多いと、私は考えています。

 そんな疑問や、時には藁にもすがる思いで求めても、答えはあまりにも少ない。

 

 なら、まずは自分のどういったところが外界に対して過敏に反応するのかを見定めて。それによって、これまでどのような感情や思いを抱いてきたのか。

 最初に、そうした自己分析に似たことをすることが大切だと思っています。

 その上で、過敏で敏感な所を抱えてしまっていること、そしてそこから入ってくる情報で傷付きがちな事象を思い返すこと。

 

 最初は、辛いことです。嫌な思い出を思い返すこと程、辛いことはありません。

 でも。それを乗り越えた先には、掴みたくても掴めなかった光のようなものがあると、私は信じています。

 

 

 と言いつつ、最初は上手くいかないことばかりです。まずはHSPだから、敏感で傷付きやすいから、と思うことはあっても。

 

 少しずつ、前向きな理由を探し出していきましょう。

 過敏で敏感なHSPだからこそ、できることだと私は思います。

 

 私を例にさせていただけるのなら。

 

 はじめは色んな音を、無駄な音を拾ってばかりの、この耳を引きちぎってやりたい。そうすれば、楽になる。だったら、切り落とすことも惜しくない。

 そう思った私も、今はこの耳に助けられるだけでなく、新鮮な音を届け心を躍動させるものとなっています。

 

 このような感じで、自分なりの感情と思いのままに。

 否定せず、心の感じるままに。

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

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【車・趣味】秋の新潟 ~ジェットフォイルで乗り込む佐渡ヶ島~

 数ヶ月振りとなる夜勤を終え、昼間帯を思いっきり眠りこけておりました。

 昨晩から今朝まで気温が大きく下がり、吐く息もすっかり白くなってきました。冬の三種の神器、コタツとファンヒーター、電気毛布を事前に用意しておいたお陰で昼過ぎまでヌクヌクしていた【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 さて今回は、新潟旅行の続きとなります。

 新潟の名所巡りを終え、宿に着いた私たちは道中の疲れを感じながらも深い眠りに至ることは叶いませんでした。こういう時の高揚感は、簡単に静まるものではないと改めて実感するのでした。

 その翌日、サプライズとも言えるさらなる旅路に着くこととなりました。

 

 新潟旅行第二弾、佐渡ヶ島編を綴って参ります。

 

 

 

 

 

 地元にはない、船の出る港

 

 

 台風12号が予想進路を外れ、大した弊害もなく迎えた翌朝。

 台風も然ることながら、刺激された秋雨前線の活動次第では大雨になる恐れもあり、旅行一週間前から天気予報が気になって仕方がありませんでした。

 何故なら、今回のメインイベントとなる計画が台無しになる可能性があった為でした。

 

 寝床から起き上がり、睡眠不足で重い身体で窓の外を見ると。

 そこには晴れとは行かずとも、風も穏やかで雨も明け方に降った様子が広がっていました。

 

 これなら、行ける。

 

 朝食を各々終えた私たちは早速合流し、早い時間に出立する乗り物が待つ場所へと車を走らせました。

 

 辿り着いたのは、伊豆やその他の地でも見てきた漁港とは違う、物資が行き交いする所でした。朝早くにも拘らず自家用車やバスが往来し、何かと忙しさを醸し出しています。

 その名も、佐渡汽船ターミナル。私には聞き慣れない言葉が並んでいましたが、港には貨物船や漁船といった、様々な船が停泊。或いは出港したり帰港していました。

 

 ひとまず、それぞれの愛車を専用の駐車場に止めます。時間があった為、愛車の撮影会を簡単に開催。

 

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 立体駐車場内も薄暗く、外も雲に覆われていたいました。それが功を奏し、ほぼ真逆とも言えるボディカラーの愛車たちを白飛びなく、加工も必要なく撮影できました。

 

 数枚シャッターを切った所で、時間が迫ってきました。場所を移動します。

 

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 やってきたのは、旅客船の乗り場。どこかレトロと言うか、バブル期のかつての賑わいと現代が入り交じるような、不思議な空間。

 

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 どこか味わい深ささえ思わせるオブジェも、旅心をくすぐられます。

 

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 建物内を一通り散策し終え、いよいよその時間がやって参りました。

 

 小さい頃から、母より乗ったことがあると自慢された船。

 ジェットフォイルへ乗船すべく、はやる足を宥めながら向かいます。

 

 

 水上を駆けるジェット機、ジェットフォイル

 

 

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 航空機メーカーとして名高い、ボーイング社の刻印入の船。それだけでもとてるつもない違和感、それ以上にメカ好きにはたまらない感情の躍動を齎すこの船。

 

 ボーイング929「ジェットフォイル」。水上を航行する船でありながら、推進にはガスタービンを用いたウォータージェット推進という方法で海を行きます。

 停泊時や低速では通常の船と同じで、戦隊の浮力で浮かび航行します。しかし違うのは、この機体が船でありながら「ジェット機」に分類されていることにあります。

 

 

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 乗船していると見ることはできませんが、船の底に翼と呼べる部位が存在しています。

 これが船の速度が上がると共に揚力を得、船体そのものが浮き上がって最終的にはこの翼だけで航行します。

 その速度、時速換算で約80キロ。自動車で高速道路を巡行するのとほぼ同じ速度で、海を駆け抜けていきます。通常の旅客船では2時間半掛かる新潟ー佐渡間を半分以下の一時間の船旅で収まることを約束しています。

 そんな速度で海を走って大丈夫なのか、という問題も、精密に制御されたアクチュエーターやショックアブソーバーが横風や波の衝撃を適度に吸収することで、高速航行を実現します。

 

 私自身、車は様々な車種や中型トラックに始まり。飛行機、戦艦(修学旅行時に乗船)、ヘリコプター(業務にて搭乗)と様々な乗り物に乗って参りましたが、船は今回が初めてでした。

 それがこのような素敵仕様に塗れた高速船に乗れる日が来るとは、夢にも思いませんでした。

 

 座席に腰を降ろし、シートベルトを締めると、ガスタービンが気分を盛り上げる景気の良い音を吼えるように奏でました。

 HSPであり、特に聴覚が敏感なことに。そして幼少期よりガンダムに触れてきたことからメカ好きな自分に感謝しつつ。

 

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 港に停泊する数々の船に別れを告げるように、我々が乗るジェットフォイルは発進していきました。

 この日は台風一過ということもあり海も荒れており、最高速度75キロが限界でしたが、見渡す限り海しかない所を駆け抜けていく爽快感は凄まじいものがありました。

 船旅をまったりと過ごすには向きませんが、洗練され培われた機会的技術の結晶たる機体に乗ることは、メカ好きには誉れ高きことです。

 荒れた波もものともしないアクチュエーターやショックアブソーバーは横揺れも最低限にまで軽減しましたが、この日は流石に不規則な揺れが断続しました。

 それでも翼で滑走するかのように海を行くジェットフォイルは、新鮮さと高揚感を齎すには十分でした。

 

 初の船旅を堪能する間もなく。

 

 目的地である、佐渡ヶ島両津港に着岸しました。

 

 

 

 初、佐渡ヶ島へ上陸

 

 佐渡ヶ島に到着した頃には、道中での暗い雲はどこへやら。

 青空が広がり、日差しの暑ささえ感じさせていました。

 

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 私たちを一時間と少しで、日本で第二位の離島まで連れてきてくれた船にお別れを告げ。

 初となる、佐渡ヶ島への上陸を果たしました。

 寝不足がたたり若干グロッキーになった私でしたが、ここからは一日の流れが一段と早くなることとなります。

 

 佐渡ヶ島は離島としては破格の大きさで、一周するにはそれなりの日数を掛けなければなりません。

 そこを名所巡りという名目に絞ることで、佐渡日帰り旅行を実現しました。日程調整、並びに予約をしてくださったたーぼぅさんには、この場を借りて御礼申し上げます。

 

 本当なら愛車を持ち込んで自由気ままに走り回りたい気持ちもありました。しかしながら船舶で車両運搬すると数万円という莫大なお金を必要とします。

 そういった理由もあり、今回は現地の旅行会社が主催する一日ツアーに参加する形で、佐渡ヶ島の魅力をこの身で感じるべく旅が始まります。

 

 修学旅行を彷彿させる、大型バスを借り切っての移動。新型コロナウイルスの感染防止対策を十分に行われた車両で、最初となる目的地へ向けてバスが走り出します。

 

 その間、気が抜けた私たちはガイドさんの説明を耳に挟みながら、思わずウトウトと眠りについてしまうのでした。

 

 

 台風過ぎの絶景、尖閣湾揚島遊園

 

 目が覚めると、最初の目的地に辿り着いていました。

 尖閣湾揚島遊園という、堅苦しさを感じさせるそこは。

 山に囲まれた地に生まれた者として、どこまでも開けて自由な風景が広がっていました。

 

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 無骨で荒々しさを見せる岩肌。その上や側面に生える、瑞々しい木々。

 そしてその眼下に広がる、見渡す限りの海。

 波が押し寄せる音も、少しばかり激しさを帯びていましたが、耳から脳裏へと通り抜けていくような、澄んだ心地好い音。

 

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 水面も波立っていますが、昨日の雨を考えれば嘘のように穏やかなものでした。

 

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 明け方に降ったのでしょう、雨の雫が木々に付き、滴り落ちそうです。ぼかした背景の雫も、小さな珠となって写すことができます。

 晴れの天気では不可能な、初秋に相応しい侘び寂びの情景。この緑も、一ヶ月もすればまた違ったものとなるのでしょう。

 

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 海面に顔を出す児島で羽根を休める海鳥たち。吹き付ける海の風に耐えるかのよう。

 

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 普段なら遊覧船が行き交い、たらい舟を体験できるとのことでしたが、今年はそれも止む無く中止に追い込まれているそうです。

 

 各地の名産や名物が、例年通りになることを切に願いながら、切り立った岩肌と海の鬩ぎ合いをカメラに収めていきます。

 

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 引き込まれそうになるような、幾重もの青が重なった海も。

 

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 水に削られ、風に削られた岩盤も、色とりどり。手前の木々も、奥の山も、それぞれが持つ色を見せつけるかのように生き生きとしていました。

 

 

 

 佐渡ヶ島の旅は、まだ始まったばかりです。

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

【車・趣味】秋の新潟 ~奥只見湖・清津峡~

 最高気温が二桁に届かない日が出てきたと思いきや、一転して夏日を記録する日々に弄ばれるかのように、すっかり体調が崩れ気味の【やさぐれ紳士】白兎です。

 インナーを真冬仕様に変えてしまったので、少し歩くだけで汗まみれになるのは勘弁願いたいところです……。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 遡ること、9月の下旬のこと。

 ブログ仲間にして友人である「たーぼぅさん」より、新潟旅行の提案があったのは、唐突のことでした。

 シルバーウィーク明けの平日を利用して、新潟在住のケモノの絵師の方にお会いし、合流して名所を巡るという計画でした。

 私も何度か通過をしたことはあったものの、新潟市内の旅行は初めてでした。

 

 今回の旅でも、素敵な出会いと場所を訪れることができた、思い出深い旅となりました。

 

 その初段である本記事では、新潟までの道程と到着してから訪れた、奥只見湖と清津峡について。

 道中のトラブルや珍現象(?)を交えながら、綴って参ります。

 

 

 

 

 

 近いようで遠い、新潟市

 

 私の住む長野県に隣接する、新潟県。

 新潟に限らず、長野県は8つもの県と隣接しています。しかしながらその境目となる場所は険しい山々に囲まれ、往来するには数少ない鉄道を利用するか車を使うしか方法がありません。

 そう考えると、交通が整っていなかった時代は如何に峠越えが命がけだったかということを思い知らされるものがあります。

 今ではすっかり廃れてしまった宿場町も、かつては旅人や行商人が行き交って。活気づいて賑わっていたのだろうな、という思いを膨らませることしかできません。

 

 そんな想像の域を出ない道中を、私は相棒であり愛車である「Lupus」を走らせていきます。上信越道から関越道へ、そして北陸道へ。

 高低差の激しい道ではありましたが、ディーゼル+ターボの力強さを以て軽快に駆け抜けていきました。

 

 今回は伊豆より盟友であるたーぼぅさんも愛車を走らせ、道中にあるパーキングエリアで合流してから休憩なしで新潟市に向かっていきます。まるでツーリングするかのように、エンジンも形状も異なりながら同じアクセラという名を冠せられた車。

 台風が近づき土砂降りの道程でしたが、灰色と白のアクセラが駆ける道に、遮るものはありませんでした。

 

 合流地点から、約2時間程で新潟市に入った私たちは、本日の宿に真っ直ぐ向かいました。同じ雪国でありながら、道路上の除雪装置や縦向きの信号機と、雪に対する本格的な対策が完備された市内。

 そこは、北陸地方でも第2の大都市の呼称に相違ない賑やかさに満ちていました。

 

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 設計、間違えたのでは?と思わず疑うような、店舗が半分以上地面に埋まった新潟駅前のセブンイレブン。新潟市内では隠れた名所(?)とされているらしく、新潟を訪れた際はまずここに向かうのが通例とのこと。

 

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 予約したホテルでは夜鳴きそばが無料で振る舞われ、冷えた身体を温めてくれます。あっさりした醤油ベースでありながら、出汁の効いた味。お代わりしたくなる程美味で、お酒のお供にもなりそうです。

 

 この日は互いに仕事終わり、かつ長距離を移動してきたということもあり、そのまま眠りに付くのでした。

 

 

 雨の中、絵師さんとの出会い

 

 翌日も弱いながらも、雨の降る一日となりました。

 前日の疲れが程々取れたところで、いよいよ絵師さんと出会う時間が近づきます。

 私は直接面識のない方でしたので、相変わらず初対面を前に内心ビクビクしておりました。

 

 どんな人なのかな。私みたいな人見知りの激しい人間が、会っても大丈夫なのかな。

 

 そんな憶測地味た思いは、出会ってすぐに消え去ることとなりました。

 快活な見た目でありながら物静かな方でした。肌寒さを感じ冬仕様の格好で臨んだ私に反し、半袖から覗く腕や身体は引き締まっていました。しかし穏やかな雰囲気を醸し出すその様に、私の警戒心はすぐに消えてなくなりました。

 

 挨拶も程々に、新潟市内を走ったことのない私に変わり、たーぼぅさんの愛車で名所巡りが始まります。

 海より低い箇所もあるという新潟市から車を走らせ、辿り着いたその場所は、秘境とも呼べる山奥にあるのでした。

 

 

 霧に覆われた境地、奥只見湖

 

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 標高は私が住む場所よりも高い、奥只見湖。キツイ傾斜を幾つも登りきった所に、そこは広がっていました。

 この日は朝から雨降りだったこともあり、気温は二桁ギリギリ。霧も巻いていたこともあり、近くの商業施設に避難します。

 

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 野生動物も数多く、店内には剥製が飾られ、食事にもイノシシを始めとした料理が並んでいました。

 今はダムが建設されていますが、その前はどのような風景が広がっていたのか。

 思いを馳せるながら、雨の激しい外ではなく店内からカメラを構えシャッターを切ります。

 

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 通常はダムの中までトロッコ列車のような車両が走っているとのことでしたが、平日で天候も悪いということも重なり、この日は遠目に写真を撮ることしか叶いませんでした。

 

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しかしながら、緑に覆われたその地はとても人の手が入ったとは思わせないような景色が、私たちを迎えていました。

 

 そして、極めつけはこちら。

 

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 今回の旅に赴いた三人は、全く同じカメラを使っているという、珍しくありながら図らずとも嬉しさのような感情を抱くこととなりました。

 3連続の、PENTAX K-70。エントリー機という位置付けながら必要十分過ぎる性能を誇る一眼レフカメラです。

 写真でご飯を食べていくといったことがない限り、その描写力と備え付けられた機能は素晴らしいものがあります。高性能なカメラに頼らずとも、構図と設定合わせが噛み合えば素人でも思い出に残すには余りある一枚を撮ることが可能です。

 

 カメラは機材も然ることながら、やはり「自分が何を撮りたいか」ということが最大に出て参ります。同じ情景でも性能で凌駕するよりも、腕や頭の中で描いた構図を如何に反映していくか。

 私としては、その方が楽しいですし面白いと思います。どんなに高いカメラでも、下手すれば今のスマホの描写力を前にすれば簡単に負けることもありますので……。

 

 

 休憩と雑談を挟んでいる内に、時間はお昼の時間を過ぎていました。夕暮れも早くなってきていることもあり、次なる場所へ向かって私たちは移動を開始するのでした。

 

 

 

 謎の近代アートと合体した秘境、清津峡

 

 

 場所は変わって、十日町。ここに、日本でも三本の指に入る峡谷があります。

 

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 それがここ、清津峡です。外界と隔てるように聳える無骨でありながら畏怖の念さえ覚えさせる岩肌の間を、透き通った川の流れが静かに木霊する場所。

 

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 海外の海岸を撮影した番組で見るような、青と緑が入り交じるかのように煌く水の流れ。見ているだけで吸い込まれてしまいそうな絶景です。

 

 かつてはこの地を、強固な岩肌に張り付くようにして移動していたという記録も残っています。然れど過去に滑落や落石によって事故が起こったことで道は封鎖され、今はその面影を残すのみとなっています。

 道がなければ、切り拓いて行く。移動手段の乏しかったかつての名残を、華麗な景色が労るようにも見えました。

 

 その風景を横目に、いよいよ掘り進められた洞窟内へと向かっていきます……が、しかし。

 

 中はホラーゲームの一場面を思わせるかのように、唯でさえ薄暗い電灯が色とりどりのフィルムに覆われて独特さを通り越して異様ささえ醸し出す雰囲気に満ちておりました。

 唯でさえビビリな私は身構えながら、カメラを銃器か射影機か如く構えていました。

 

 更に進むと、温泉を思わせる硫黄の匂いと共に、奥から妙な音楽なのか人の声なのか、判別不可能なものが聞こえて参りました。

 

 不協和音と共に、「アッ、アッ」とも「ホッ、ヘッ、アッ、ヒッ、ハッ」とも聞こえてくる?

 ヒトの、苦しんでいる声?

 これは、ナニ??

 

 この時点から、少しずつ正気を失ってパニックに陥り始めました。途中途中渓谷を見下ろせる開けた場所がありましたが、奥に進むに連れて非日常的なものが色濃くなっていきました。

 まるで昆虫の複眼をバラしたかのように散りばめられた電飾。

 目の前に渓谷の美しさが広がっているのに、全面鏡張りの宇宙船?のような有機物の塊。

 

 やめテ。オカシくなっテキタ。

 

 少し前に、動画等で話題となったクトゥルフ神話TRPGというものがあります。そこでは「正気度(通称SAN値)」という独特の固有パラメータのようなものが存在しており、この世のものではない異質なものやありえてはならないものを見ると正気度を失っていき、最後は狂気となって登場人物を廃人化させてしまう、というものがあります。

 一時、SAN値直葬という言葉も流行りました。

 今回目の当たりにした私の状態がまさにそれで、テンションが逆転して無駄に笑いを殺す、幼児退行したかのようにしょうもないことで笑い始めるといった、狂気に陥る寸前まで精神を削られていました。

 元々お豆腐メンタルを自負している私には、受け入れられるだけの精神力が低すぎたようです。

 

 秘境に訪れたといいながら、まさかの展開(?)で混沌と崩壊寸前の心を抱えることとなりましたが。

 最奥地は、それを浄化する景色が広がっていました。

 

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 壁面は反射材で覆われ、水が張られた地面が外の渓谷を反射することで幻想的な風景を見せるという仕掛けがなされていました。

 この日は曇り空と霧の為に薄暗くなっています。

 実はこの水で張られた箇所は進んで行くことができます。靴とズボンの裾が浸らないように注意しながら進んでいくと。

 

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 割られたかのような大地の合間を静かに流れる川を拝むことができます。よく見ると、人が歩けそうな場所も見えます。

 

 途中の仕掛けがなければ、もっと自然を満喫できたのに……と負け惜しみを思いながら、尚も響いてくる不協和音ですっかり心が折れてしまいそそくさと撤退することとしました。

 

 後ほど調べてわかったことなのですが、どうやら近代美術家とコラボして自然と現代アートを両立させた空間を作り上げていた、とのことでした。

 

 ……。

 

 怖がりには優しくないです。本当に。

 現代アートって、難しいというか、理解が届かないところにあるんだなぁ……。

 

 清津峡最奥で一応正気度を回復しながらも、狂気が一部収まらない私は自分でもよく理解できないテンションを暫く保ったまま。

 夕暮れに沈み夜の街となっていく新潟市へ、私たち三人は戻っていくのでした。

 

 新潟の旅は、まだ終わらず続きます。

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

【Aセク・LGBT】受け入れられなくても ~然れど、寛容することはできないこともある~

 ※注記※

 本記事ではLGBTやセクシャルマイノリティについて述べています。

 セクシャルマイノリティは分類などできない程複雑なものですが、当事者の一人として、本音の数々を綴っていきます。

 個人的に憤りを感じたこともあり、汚い言い回しや皮肉、嫌味が並ぶこととなりますが、どうかご容赦ください。

 ※注記終了※

 

 

 

 先日辺りから、セクシャルマイノリティに障る発言をした某議員さんが差別的発言だとされ、連日報道界隈を賑わせています。

 恐らくご本人は「異性と結婚して子を増やせ」と言わんばかりの発言のみならず、謝罪どころか開き直る有様。

 流石議員様、お高い身分にいらっしゃる方々はどうも想像力に欠けていると見受けられます。

 

 それだけでなく、報道に関わる方々も同じことが言えるような気がしてなりません。

 話題に上げることは簡単ですが、安易に「LGBT」という言葉に食いついて報道する方々も、報道して目を向けてくれれば御の字。表向きに非難するだけで、裏に隠れた当事者たちの心境や思いを真に理解するつもりはないのだろうな、と冷めた感情しか浮かばない【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 この話題は波紋を広げ、有名人や芸能人からも苦言を呈する言葉がTwitterを始めとしたSNSでも飛び交っています。

 報道機関などよりも、寄り添うように並べられる言葉。当事者たちが打ち明けづらいことを世の中に発信してくれることは、有り難いことと思うと共に。

 

 LGBTという括りでは収まっていない、Aセクシャルを自負する私としては。

 各企業や団体が積極的にセクシャルマイノリティについて謳ったところで、結局「理解」はされても「受け入れられる」ことはほとんどないのだろうな、と諦めに近い思いを抱いています。

 多種多様な人間を、と言いながらも。研修や講座で聞くだけでは性に関する事柄は決して理解されないだろう、と思う為です。

 当事者ですら困惑する自分自身の性への考えは、語りかけること程度で理解できる程、簡単ではないはずなのだから。

 

 

 今回は昨今理解が進み始めたと言われていたLGBT、セクシャルマイノリティに対して、暴言とも差別的な発言が大体的に報じられたことを受けて、世の中で未だ流布し解消されない性に対する考え。

 当事者が打ち明けたところで異物扱いされかねない世の中で、未だいることを。

 そして私個人として、それらが受け入れられなくてもある程度は仕方がないと思いながらも、それでも、差別的な発言は看過することも許すこともできない憤りを抱いたことを、綴って参ります。

 

 過去にAセクシャルやセクシャルマイノリティについて綴った記事は、こちらからご覧になれます。よろしければ、ご閲覧いただければ幸いです。

 

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 LGBTを貶す発言をするヒトから見れば、セクシャルマイノリティは他人事

 

 

 セクシャルマイノリティに関する問題は、これまでも幾度となく話題となり、切っ掛けとなって世に知れ渡り、認知されてきたという残念な一面があります。

 少し前の話になりますが、「女性は子供を産む機械」「装置」ととんでもない発言をした元大臣の発言です。

 これは差別云々以前に、人を人として見ていないことが露呈しました。何を思ってこのような暴言を吐いたのかは本人のみぞ知ることと思いますが、比喩としてと弁解しても到底済まされないことです。ご本人は日本の将来を憂いてのことなのかもしれませんが、人を愚弄するにも程があると思うものがありました。

 他にも男女格差について様々な意見が行き交い問題を作る発端となる失言も見られました。海外ではLGBTについて理解を求める運動が盛んに行われていますが、日本では啓発運動が良い所で留まり、鳴りを潜めてきました。

 

 そんな折、今回話題となっている議員の発言はあまりに唐突でした。その文言に、怒りすら覚える程でした。

 

「バイセクシャルとトランスジェンダーは生まれつきだが、レズとゲイについては広がれば〇〇区が滅んでしまう」。

 

 ……ほぉ、左様ですか。

 

 この御仁、理解を進めようというつもりは更々ないことはわかりました。。

 定義?しているつもりなのかもしれませんが、そもそもセクシャルマイノリティは生まれつき、本能として持った性に対する思いや考え方なはず。それをまるで害悪な存在だと言っているような発言は、仮にどう弁解されても謝罪されても許せることではありません。

 

 おまけにこの御方、子供も孫もひ孫もいらっしゃるとのことです。そんなご自身の生き様を、正当化するかのように誇張したというインタビュー記録もあります。

 

 ……そうですか。

 つまり、貴方のように結婚して子を育むことが「普通のこと」という認識なんですね?その偏った「普通のこと」から漏れる人たちは、子孫繁栄に携わらない害と言いたいのか?そのような人たちがいることで、日本社会は破綻すると?

 

 随分な物言いですね。結構なことです。

 しかし「普通」でないことだけで、そこまで言われる筋合いはありません。

  

 人の思いや感情、考え方はある程度定義できたとしても、完璧に分類することなど不可能です。喩え部類として近いものがあっても微妙に違っていたり、定義文を見て「うーん、それはないかな」と人によって全く異なる感じ方や解釈の仕方があります。

 ましてやセクシャルマイノリティは性に関することもあり、とてもデリケートで安々と触れられたくないことです。安々と公言するどころか、受け入れられることも簡単なことではありません。

 

 それを蔑ろにし、更に迫害するような発言をする御仁は、挙げ句に開き直って「自分の思ったことを言っただけ、謝罪する考えはない」という捨て台詞にも似た言葉。

 

 何区の何党所属議員の方かは知りませんが、もう謝罪も何もいりません。

 セクシャルマイノリティの話以前に、頭が凝り固まったような方と仲良くしたいと思う程、私の心は広くありません。どれだけ偉くてお金持ちなのかは知る気もありませんが、自身の考えを曲げられなくなった老害はさっさとご退場願いたいところです。

 

 しかしながら、事は簡単ではありません。

 揚げ足を取るように報道する、メディアにも問題があると私は考えています。

 

 

 

 

 セクシャルマイノリティを出汁にすれば視聴が伸びる、そんな考えが見え透くマスコミ

 

 

 近頃の報道関係は事実を隠蔽し、自分たちにとって都合の良い形に内容を改変して一般人である私たちに情報を流している、と盛んに騒がれるようになっています。

 「マスゴミ」と揶揄される酷い有様ではありますが、個人的には賛同します。

 

 何故なら、一つの問題や発言に食らいつくようにこぞって報道するだけで、それに対する説明やフォローがないことにあります。

 

 今回のセクシャルマイノリティについてもそうですが、発言した議員を「問題発言した」ということだけを伝えるだけで終わっています。剰えそれだけで「悪」と決めつけて悪者扱いして祭り上げるかのようにして、時が過ぎれば賞味期限切れとばかりに触れられることはほとんどありません。

 

 私の考えになりますが、仮に誰かの発言が問題だったというのであれば、「どこが問題になるのか」ということ。問題として取り上げるのであれば、その「基準」となるものがどういったもので、どの部分に抵触するから「この発言はマズイだろう」というところまで情報を示すのが、情報提供者として成すことなのではないかと思っています。

 

 今回に限れば、「セクシャルマイノリティに反する問題だ!」と大体的に言われても、人によっては「セクシャルマイノリティって、何?」となる人も少なからずいると思います。

 そのような情報も示すことなく、まるで揚げ足を取るようなやり方は、個人的に違うのでは、と思えてなりません。

 

 セクシャルマイノリティは、一言で説明できるような簡単なものではありません。しかしそれでも、ある程度の情報を提供しないのであれば、単なる野次馬と同等です。

 善悪で判断できない事柄こそ、情報を指し示し世間に知らせるのが、マスコミの仕事であり本命なのではないでしょうか。

 誰かを貶める、煽るような情報しか出せないのなら、それこそ不要なものだと私は思います。

 

 

 

 

 受け入れられることは難しい。それでも差別的な発言は、許す気はない 

 

 話を戻します。

 この度セクシャルマイノリティについて堂々と発言された議員さん、恐らく今後は進退を含めた情報程度しか我々には届かないと思います。

 

 正直なところ、そんなことはどうでも良いことです。

 

 私が最も思ったことは、LGBTやセクシャルマイノリティは、程度の差はあれどやはり受け入れられることは難しいことなのだなと痛感したことです。

 

 少子化が進み、これからの日本を支えていく人材についての憂い。それだけでなく、年金や国債といった現実的な話を前には、私も抱える性に対する考え方は蚊帳の外。もっと言えば、そのような問題を危惧する方々から見ればただの害悪なのかもしれません。

 

 色々と意見は出るでしょうが、私としては無理もないか、という諦めに近い感情しか湧きません。逆に安易に知った顔されるよりは良いのかな、なんて思うほどです。

 逆の言い方をすれば、セクシャルマイノリティについて理解を強要するようなこともまた、それはそれで違うのかなと思うのです。

 

 何故なら、当事者の性に対する考えや意識は、その人にしかわからないことだから。定義されていても、理解を促す啓蒙活動を以てしても、理解はできても納得はされないでしょうから。

 

 私が抱えるAセクシャルは、他人に恋愛感情も性的欲求も抱けないものです。それを口にしたところで、「いい相手に出会ってないだけ」「そんなこと言って、本当はムッツリなんだろ」と、心無い言葉を受けてきました。

 そして「そろそろ相手を見つけて、可愛い子どもを育てないとな」と言われた時が、一番ショックでした。

 そうしたい、という思いが湧き上がらないのに……。

 

 故に受け入れられることは、私は進んで望むません。寧ろ触れないでくれれば、私はそれで構いません。

 

 然れど、本記事で取り上げた発言は、あからさまに「人として失格」「『普通』の生き方をできない人間が増えれば、国が滅ぶ」といった内容とも捉えられます。

 そのような、例外に漏れた人を人間扱いしないような言葉は、私は許すことはできません。

 

 普通でないだけで、異物扱いするのか。

 異性を愛し、子を育むことができない考えや本能を持つ者は、人ではなく人形だとでも言いたいのか。

 

 なら、そうすることを「普通」と定義する理由だけでなく。

 特定の性にしか興味を抱けない、もしくは全く興味を持てない人間もいることを。

 許容するまでとはいかなくても、少なからず存在していることに、少しでも目を向けてくれる日が来ることを願うばかりです。

 叶いもしないかもしれない、願いを。

 

 

 今回もご閲覧いただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

 

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【感情・価値観】怒りを撒き散らす人 ~がっかり、本当残念~

 季節の変わり目は身体だけでなく、精神もついて行けずに不調になることが多々あります。一昔前のように暦通りに四季が移り変われば準備を済ませて、盤石な状態で季節を楽しめましたが、昨今では唐突に気温や大気の状態が変化しやすく、身も心もつらい状態が続きます。

 日頃の生きるストレスだけでなく、そういった自然からも少なくない影響を受けているのだろうな、と肌身で感じる場面に直面した【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 些細なことでしたが、会社からの帰路にて嫌な思いをする出来事に出くわして参りました。

 不安定極まりないこの世の中で、コロナ禍も合わさり、誰もが不安や不満は抱いていることと思います。

 しかしながら、それを自身の中で消化することも、趣味を始めとしたものでも発散できず。負の感情を怒りとして、怒鳴るようなことでしか吐き出せない人がいることは、残念ながら事実です。

 

 怒りを制御できないのは辛いことではありますが、周りに迷惑を掛けたり不快にさせる方法しか知らない人は、色々な意味で残念な気持ちでしか見られなくなって久しい思いです。

 

 

 今回はふとした出来事を通して、怒りという強烈な感情を周囲にぶち撒けることしかできないことについて。

 感情の過度な抑制は病気に繋がることを、この身で味わった一人として。

 見窄らしくて見苦しいと思うと共に、誰も幸せにならないであろうと思ったことを、ディズニー・アニメのズートピアの主人公の一人ニックのセリフ。

「がっかり、本当残念」という思いに載せながら、綴って参ります。

 

 ※注記※

 本記事では口汚い罵りの言葉や、憶測の域を出ない私の勝手な思いが飛び交います。

 そのような表現が苦手、嫌悪感を覚える方は、申し訳ありませんが引き返すことを強く勧めさせていただきます。

 ※注記終了※

 

 

 

 

 

 ガソリンスタンドにて待つ、たった数十秒の合間に浴びせられた怒りの捨て台詞

 

 帰宅ラッシュの真っ只中でした。通勤列車から降りた私は愛車に乗りながら、溜め息を吐いていました。

 

 休み明けの勤務は、どうしても疲れますよね。

 

 不安定な世の中、時には鞭打ってきた自分の身体と心を癒やす憩いの時間に当てる。

 溜まった鬱憤を晴らす為に、思い切って出掛けて心の毒を吐き出す。

 時には何もかも忘れて、ひたすら寝床に着いて横になる時間を堪能する。

 

 そんな時間から一気に現実に引き戻されて、殺伐とした職場で業務を遂行することは中々キツイものがあるかと思います。

 

 私もその一人で、週明けから次から次へと降り注ぐ仕事の嵐に翻弄され、すっかり草臥れていました。

 明日一日出社すれば、また休日であればいいのに。叶いもしない願いを抱えながら、愛車の燃料計に目を落としました。

 目盛りは、そろそろ給油しないといけない状態を示していました。

 近頃は原油価格が安定しないこともあり、早めに給油しておこう。そんな思いと共に、帰路の途中にあるガソリンスタンドを目指します。

 そのスタンドはコンビニ併設型のスタンドで、フルサービスやただのセルフ給油所よりも遥かに安く燃料を入れることができる場所でした。週末は県外の方も訪れることもあり、混雑することで知られています。

 週明けということもあり、嫌な予感はしていましたが……給油スペースは満車で、順番待ちをする車が何台もいるような状況でした。

 

 このスタンドは燃料代を浮かせることができるものの、国道沿い、しかも信号付近に位置しているということもあり、時には交通の妨げになるような渋滞を作ってしまうこともあります。他に出入り口がない為、本日も運悪く順番待ちの車が敷地内に収まらず、私が国道を塞ぐような形で渋滞を作る要因となってしまいました。

 

 片側二車線の道路なので、後続車は次々と避けるように空いている車道に車線変更して過ぎ去っていきます。

 

 気まずい。そして、何だか申し訳ない。

 

 そんな思いを抱きながらも、早く道路からお店に入りたい一心でいた私でした。

 

 その時は、唐突でした。

 「他のスタンドで入れろよ馬鹿野郎っ!!」だったか。

 「こんな所で入れようとすんなよ馬鹿野郎っ!!」だったか。

 抜かしていく車の中で、口汚い罵声を吐き捨てていく輩の声が残されていきました。

 

 そいつは確か、白の軽ワゴン車だったかと思います。汚い言葉に似つかわしい、4、50代の男の声でした。

 

 あ?と最初こそ思いましたが。

 やることを成して、そそくさと給油所を後にしました。

 

 燃料も満タンにできたこともあり、思いを書き連ねている今、不快感も憤りも特に感じていません。

 

 ただ。

 器の小さいドライバーに出くわしたな。

 普段からあのような罵声を吐くような奴なら、どうしようもないな。

 そんな、冷めた思いしか残らずにいます。

 

 

 

 不平不満を怒りに変えて撒き散らす。それで、満足したのか?

 

 

 今回は給油所での出来事でしたが、それ以外にも不平不満を喚いているようなヒトを見かける機会が増えたような気がします。

 お客様は神様だ、と未だに凝り固まった考えに縛られるヒト。

 店員でもないのに「〇〇はどこにある?」と聞かれて「すみません、店員じゃないので」と返した途端に舌打ちするヒト(実話)。

 会社では一対一で話せば話は終わるのに、わざわざ大衆の面前で大声張って責任追及する老害(実話)。

 上げればきりがありません。それ位、感情を怒りに変えて撒き散らすことしかできないヒトが多いことは事実です。

 

 そうしたい思いを、私自身全部否定するつもりはありません。同情を求める形で非難するつもりもありません。

 

 この世の中に生まれ、生きている以上、自分の思い通りにいかないことの方が大半を占めます。それにより感じる不満やストレスは毒と化して身体を犯し、精神を侵食していきます。

 それを何らかの形でガス抜きしなければ、いづれ心身が耐えきれなくなり不調を齎すことになります。それも、苦しいことを誰にも理解されないまま。

 

 例えば、誰にも相談することもできずに抱え込み続けた挙げ句に精神を壊してしまった、私のように。

 

 しかし、と思います。

 沸騰しかけている感情や思いを、怒りに変えることは仕方がないとしても。

 それを関係のない、もしくは多少その要因になった人に攻撃的な態度を以て、当たり散らすことは果たしたどうなのだろうと思って仕方ありません。

 理性を持っているとは言え、人間も時にはそれを振り切って生存本能が先走ることはあるとは思います。

 

 でも。

 怒鳴った所で、そのヒトは一瞬であっても救われるかもしれません。

 では、それを浴びせられた人は?その人の気持ちを考えて、怒声を張り上げているのでしょうか?

 

 そんなことをして、満足するのでしょうか。

  

 

 

 周りに迷惑や不快を与えてまで怒りを吐く存在は、害悪でしかない

 

 私たち人間は、他の動物と異なり理性だけでなく、沢山のコミュニケーション方法を持っている生き物です。

 特に相手との意思疎通には、多種族を遥かに超えた言語を用いるという優れた能力を持っています。

 

 不満があれば、言えばいい。冷静な言葉と態度を以て、主張すれば良いと思うのが私の考えです。

 それができない状況の方が多いだろ、という考えもわかります。

 

 でもだからと言って、周りに不快感や迷惑を感じさせるような発散の仕方は、個人的には容認できないのです。

 先程述べたような怒りを伝播させる手段-私は愚行としか思えませんが-は、他に発散する方法がないからではないからなのではないか、と安易な予想ができてしまいます。

 

 もっと端的に言えば。

 他人を巻き込むようなストレスや怒りの発散は、単なる害悪でしかないと私は考えています。

 

 事情を知る以前に、他に方法は幾らでもあるのでは?という考えが巡ってしまうのです。

 

 

 がっかり、本当残念

 

 

 様々な世代が入り乱れる現代では、「こうすればストレスも一気に発散!」というものがないと思っています。

 発散方法は人それぞれ、身体を動かして溜め込んだ毒を出し切る人もいれば、趣味に没頭する人。私のように文章を綴ることで心の安寧を保つ人。

 多種多様な手段が溢れる中、どの手段で日頃の鬱憤を晴らすかは、それこそ人それぞれだと思います。

 

 そんな中で、少しの不満で怒鳴り散らすようなやり方は、私の中では古典的かつ浅はかな手段と思えてなりません。

 

 どこかのCMで、「その日の汚れ、その日の内に」というキャッチフレーズがありますが。

 同じように、「自分の不満、自分のやり方で」解消する方法が、一つはあると私は信じます。

 

 その上で、それでも他人を罵倒し萎縮させるような方法しかないと言われれば、最早言えることは何もありません。

 

 同時に。

 そのようなヒトには、私は「がっかり、本当残念」と辟易してしまいます。

 

 仲の良し悪しはともかくとしても。

 対話なくして、人と人の交流や共感はあり得ない。

 それが、私の経験です。

 

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。 

 

 

 

 

 

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【写真・趣味】十五夜の月 ~素で十六夜と間違えました~

 今年も早くも10月。10月1日は中秋の名月、十五夜ですね。

 秋に本格的に入っていく季節の節目ではありますが、今年は10月2日が満月のようです。月明かりの眩しさと静けさに、心を洗われているような、そんな思いに浸っている【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 そのことを忘れて自室でボーッとしておりましたが、各SNSで満月の写真を上げていらっしゃる方々の投稿を拝見していました。

 月。太陽に比べれば明るさも乏しいながらも。夜を照らし出し、日によってその姿を変える神秘的とも呼べる美しさ、そして繊細さのようなものを感じさせる天体。

 日の光は如何なる生物にとってもなくてはならない存在であることは思うものの、私は月の穏やかで柔らかい光に惹かれます。

 もし現代に溢れているPCやスマートフォン、そこから発せられる情報の海がなければ

、時間を忘れてずっと眺めていたい程です。

 

 などと言いながら、十五夜と十六夜を素で間違えて車のSNSで投稿するという天然をやらかしました。だって十六夜って名前がカッコいいんですもの(重度中二病

 

 

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  10月1日に三脚を自室の出窓に設置し、カメラを月の撮る為に最適とされる設定に合わせ撮影しました。私の持っているレンズの中でも最大望遠で撮影できる18-300mmの高倍率SIGMAレンズを用いています。

 

 

 閑話休題。

 

 良く陰と陽に例えられることも多い、太陽と月。姿を見せる時間帯に留まることなく、齎すものも正反対。

 二つは対極に位置するが為に、比較され、ヒトによって見方が変わってくるのかもしれません。

 

 

 太陽は地球に生きる、生けとし生けるものにとってなくてはならない存在であり、生命の象徴とも呼べるものと個人的に思っています。

 太陽がなければ、私たちヒトを含めた生き物は生きていけません。

 

 では月は?

 生存に必要なもの、というよりも、どちらかと言えば神秘性や華麗さといった側面で見られることが多いような気がします。

 

 日本でも世界でも古代より、太陽に勝らずとも劣らない信仰のようなものを抱いてきました。潮の満ち引きといった現実的なことだけでなく、ヒトの精神にも大きく影響を齎してきました。

 

 これは最近知ったことなのですが、月と言われて思い浮かぶ動物は……という質問に対し、日本では「餅をつく兎」と。言われることが多いです。

 他方で海外では、面白い程沢山の捉え方がされているようです。

 

 北ヨーロッパでは動物ではなく、「本を読むおばあさん」と見られているようです。

 アメリカや東ヨーロッパでも人間として認知されていますが、こちらでは「髪の長い女性」と認知されています。

 動物という観点から見れば、南ヨーロッパは「カニ」に。南アメリカでは「ロバ」或いは「ワニ」、アラビアでは「ライオン」と見られているそうです。

 

 こう見るだけでも、人種や住む地域を超えて、ヒトは各々感じることや思うこと、考え方に違いがあることがわかります。

 そういった側面から見ても、私が月の魅力に魅せられているのかもしれません。

 

 

 

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 撮影モードを換えて撮影した月、見方によっては金星のようにも見えます。

 

 

 話を戻しますが、月に魅了される理由がもう一つあります。

 精神的な理由となりますが、私自身が陰と呼べる性格であると自認しているということが一番です。

 

 これまでも綴ってきましたが、私は決して人当たりがよく公明正大、誰とでも仲良くなれるような人間ではありません。元々人見知りが激しいだけでなく、ワイワイゴチャゴチャとするような空気が苦手を通り越して嫌いだったこともあり、友人作りや人間関係の構築にはいつも苦労してばかりいました。

 一方で特段何もしなくても雰囲気や言動で人が寄ってくるような人が、学生時代にも社会人になってもいました。そういった人たちは、外から見ている限り笑顔で一杯でしたし、周りも自然と笑いが広がっていました。

 

 正直、羨ましいを通り越して妬むような感情をずっと抱いていた気がします。

 今でこそ自分というものを少しすず理解し始めたので陰キャラでもいっか、と開き直りつつありますが、当時はそういった場面に出くわすだけでも「自分はいらない人間だ」と勝手に嫌悪して、逃げてばかりいました。

 

 月が、雲に覆い隠されるかのように、誰にも気付かれない内に。

 

 また月の満ち欠けに似たように、私の気分屋なところもネガティブな感情を抱き続けてきました。

 話に一貫性がないことを嫌う癖に、自分の起伏の激しい感情を抑えきれないことも多々あり。自分だけでなく、周りにも迷惑を掛け嫌気を差させてきました。

 

 昔から月を見ることは好きでも、薄汚い生き方しかできない私自身と月の美しさを無意識に対比させていた、のかもしれません。

 

 

 今は、少しずつ自分の考えや感情の起伏を受け入れ始めることができ、同時に「周りも思っているほど、自分のことを見てなどいない」というカウンセラーの言葉もあり、諦めではなく享受という考え方ができるようになりつつある私ではありますが。

 

 未だに、月の変わらない美しさに。日によって姿を変えながらも、様々な表情を魅せてくれる月に、羨望を抱き続けています。

 いつの日か、自分の気持ちに振り回されずに、喩え朧気でも人が集まるような人間でなくても良いから。月のように物静かでありながら周りを見渡せる、そんな人になっていきたい。

 

 子供のような感想でありながら、そんなことを思いながらカメラを月に向ける、十五夜でした。

 

 

 皆さんは。

 暖かな太陽の日差しと、朧気な月の光。どちらがお好きでしょうか。

 

 

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【HSS・HSP】好奇心と恐怖は、表裏一体-後章- ~死と生を、共に抱いて~

 皆さん、こんばんは。如何でしょうか。

 

 

 さて、一記事でまとめようと思っていながら3分割することとなったHSS型HSPの最後の纏めに入りたいと思います。

 今回は外部から入手した情報よりも、私個人が考えるHSS型HSPについて綴って参ります。意見の差異等あるかもしれませんが、HSS型HSPの一人の意見として捉えてくだされば、幸いです。

 

 HSPやHSS型HSPについての記事は、以下からご覧いただけます。

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 本記事の前章は、こちらから。

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 中章はこちらです。併せてご覧くだされば、幸いです。

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 HSS型HSPは、矛盾だらけ。その一言に尽きる

 

 これまで述べて来た通り、矛盾を抱えながら、頭の中をパンパンに膨らませながらも辛うじて生きているのがHSS型HSPです。

 外部の情報や刺激を過敏な程受け取り、そこから予想される数多の事態を想定しながら、生きるために必要な行動もこなさなければならない。時には脳内の処理が追いつかずオーバーヒート状態に陥り、身動きが取れなくなってしまうことさえあるHSP。

 片や何もせずにじっとしているのも苦手。夜勤明けや長距離運転といった、疲労が溜まっていてもただ横になって過ごすのは苦痛すら感じてしまうこともあります。

 

 身体は休息を欲しがっている。でも、どこかで刺激を追い求め続けている。

 人にどう思われるのか怖くて、初めて会う人が怖い。でも、心の端で人を求めている。

 痛いのは嫌だけど、死や生について考えることは昔から。そして、死ぬことそのものに恐怖を抱いていない。

 

 これらは私が抱いているものですが、全てにおいて矛盾しています。

 

 そう。

 私は、生きていることそのものが矛盾に満ちています。

 

 

 

 

  身体・精神的な生死、社会的な生死

 

 

 現実的な話として、大を擁して小を捨てる。意見の余地もないまま、少数を説得したり従うことを強制することを良しとする考え方が、日本の文化として色濃く残っています。少しでも異論を唱えれば異物扱いされ、排除されていくのが事実です。

 

 生きていくという根源を歪めてでも、そうしなければ生き残れない現実。

 

 そんな風習に、私は納得したことが一度もありません。

 皆が皆同じ方向を向いて進まなければいけないという考え。今思えば、小学校の頃から違和感を抱いていました。

 

 その為に、心を歪められても立ち向かってばかりいたような気がしています。

 先導者のような輩に周りが踊らされているように見え、それを嫌ったが為にイジメの標的とされた中学時代。

 

 精神が悪臭漂わせる程に腐ったことで疲れ果て、中間的を通り越して浮世離れしたような立ち振舞をして、何も得られなかった高校時代。

 自分の中では人生の黄金期だった専門学生時代も、結局は終われば理想郷に見えた虚構。学生時の友人との関係を全て切り捨て乗り込んだ社会人生活も、豪華な飾り付けに溢れた言葉とは裏腹に自己利益と生存を求める人間ばかり。

 学生時代の失敗を活かそうと、意見せず黙って従っていれば「意志はないのか」と責められて。

 応対するのも次第に面倒になって、心は再び腐っていく中で。立場の違いからゴミ扱いされながらも、傀儡のように仕事をこなしす無意味な日々。

 

 最早、生きるという意味すら考えることもなくなっていた私に訪れたものは。

 

 死。

 

 生きることの喜びや楽しさ、意義を見出だせないのであれば、死んでいるのも同然と思った瞬間でした。

 自殺未遂まで犯し、うつ病と診断されて、薬漬けとなることとなりましたが。

 

 そこまでして、ようやく生きることという意味を見つけられた気がしています。

 

 身体や精神を壊してまで、私という存在が持つ考えや意志を曲げる必要などないのだと。

 金の為に生きているのではなく、生きる為に金を得ているということのだと。

 周囲の為に生きているのではなく、生きているから周りがいるのだと。

 

 生かされているのではなく、私は私の為に生きているのだと。

 そうでなければ、死んでいるのと同義だ。そんな屈するような生き様をする位なら、死んでも構わない。

 

 

 こじつけのようかもしれませんが、その時に私は気付いたのだと思います。

 ヒトには身体的、精神的な死と生があると共に。社会的な死と生もあるのではないかと。 

 無意識のまま闘ってきた矛盾も、突き詰めれば死と生に繋がることを。

 

 

 

 死と生を抱きながら

 

 

 一貫した意志を持てないことを小馬鹿にされたり、卑怯者と一蹴されたこともありました。

 

 それは私が幼かったというだけでなく、自分というものを深く知るだけの指標や材料がなかったことにありました。

 その為に、自分は人とはどこか違っている。変わっているを通り越して、どこかおかしいんだと思うことも多くありました。

 

 しかしようやく、朧気ながらもどちらかに偏るという考え方や判断ができないことはおかしいことでも、不思議なことでもないことを、HSS型HSPという考え方が教えてくれました。

 

 そしてHSS型HSPを知れば知るほど。深く潜り込めば潜り込むほど。

 「安全という前提」があれば危険を厭わず、寧ろ突っ込んでいく時さえあるということを知るに至りました。

 

 喩え、時には死に近付き過ぎる程のスリルを求めることもあれば、生に固執し過ぎるまでの保身に走ることがあっても。

 

 勿論、この記事や私の考え方はHSS型HSPというものを考える一つの意見に過ぎません。言い訳になりますが、綴りながら考えがグチャグチャになって文章が纏まらなくなり、何度も投げ出そうとしました。ああでもないこうでもないと言いながら、書いては消してを繰り返し、ここまで書き連ねても本当に言いたいことを書けているかどうか、綴っている私にもわからなくなっています。

 

 でも。

 唯でさえ少ないHSS型HSP。曖昧である癖に複雑なものを抱えていると自負している身として、迷い悩んでいる人に一つの例として示したい、という思いは確かな事実です。

 

 今回は車両事故寸前という境地から、死と生について綴りました。

 今後も日常生活で感じたこと、思い耽ることがHSS型HSPに結びつく切っ掛けがあれば、綴ることを続けて参りたい所存です。

 

 

 三回にも分けておきながら纏まりのない記事となってしまったことは、どうかご容赦ください。

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。 

 

 

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【うつ病・家族】家族も、突き詰めれば他人 ~自分の気持ちをわかるのは、自分だけ~

 梅雨や気圧の関係で、昔怪我をした場所に痛むことがあると思う。疼き、或いは疼痛というものだ。

 私も学生時代に勤しんでいたテニスで利き腕の肘を壊してしまい、湿気が多い日や大きく冷え込むような時は必ずと言って肘が疼くように痛む。塗り薬や貼り薬が効かないので耐えることしかできないが、逆に言えば本人にしかわからない痛みだ。仮に整形外科を受診し、レントゲンを撮っても異常なしと言い渡される。お世辞にも健康的とは言えない骨格の写真を見せられながら、原因は腱鞘炎の類と診断されるのがお決まりだった。

 

 本人にしかわからない、もしくは本人でも実際は良くわからずに苦しむものを、私はもう一つ知っている。どれだけ周りが気を遣ってくれたり、親切にしてもらっても、素直に「ありがとう」の一言も言えなくなるもの。

 

 精神を蝕む病、うつ病。

 

 今、季節も夏から秋へと移りかけている。昼間の日差しの暑さと吹き抜ける涼やかな風は、時に言葉には表せない不快で息苦しい状況へ追い込むこともある。

 そんな季節の変わり目になると、必ずと言って家の中は嫌気が差すような陰険さに満たされる。今日は、そんな考えが不愉快な程しっくり来るような日だった。

 

 連休明けの勤務を終え、帰路を走る愛車から降りて一息吐く。霧雨のような細かい雨が、私を静かに濡らす。

 台風が近付いてきているからか、風も変に強く感じる。穏やかさからとは程遠い、荒々しく木々を揺らし高く、短く吼えるような風切り音が耳に刺さる。

 さっさと部屋に言って寛ごう、そう思い家に入る。が、違和感を覚えた。

 

 静か過ぎる。

 家族を分離させる要因となっている父が帰ってきていないことが一番だった。

 それでもいつもなら私より早く帰って来ている母や、療養中ながらも自室から出て迎えてくれる兄も姿を見せない。

 

 これは、また何かあったな。

 

 そう思いながら荷物を降ろし着替えていると、声色を小さくした母の声が二階から聞こえてきた。

 作り置いてくれた夕飯を運ぶ手伝いをしながら、母が口走った。

 

 兄の調子が、帰ってきてから悪いらしい。

 

 言い方は悪くなるが、そこまでは「いつものことか」と溜め息を吐く自分がいた。

 詳しい話は聞いていない。否、私自身聴くつもりがないというのが本音だ。

 いや、それも嘘だ。本当は何があったのかを聴く勇気も、受け止められる器も私にはないのだ。

 

 

 十年弱も実家から離れ、同棲生活同然とも言える生活を送っていた兄。居場所も詳しく知らず、仕事を転々として。

 どんな結末を迎えたのかは知らない。だが遂には精神的に限界を迎え、全てを投げ出し兄は帰ってきた。

 

 心身虚脱、という言葉があてはまる程に。久し振りというには余りに時が過ぎてしまった兄の姿は、すっかり生きる気力を失っていた。

 見ているだけで、こちらまで泣けてくる程にまで、ボロボロになっていた。私が学生時代、生きる意味を見失う中、夢に向かい直走る兄は、太陽のように眩しかったのに。

 すっかり意欲を無くし、何に対しても興味も失ってしまった。私の前で言うことはないが、時折死にたい、消えたいという希死念慮さえ抱いている。

 

 紛れもない、うつ病だった。

 

 今は少しでも。喩え本当に小さな一歩だったとしても、以前の姿に戻れるよう、自宅療養を続けている。

 しかし、比較的早い段階で診療を受け対処した私よりも。

 我慢に我慢が祟った兄は、より深刻な状態に陥っていた。余りに、遅すぎたのだ。

 

 私もかつてはそうだった。一人暮らしを選び借りたアパートの部屋の角で、パソコンから流れる音楽を垂れ流しながら、食欲もなく無意味に横になり続ける日々。

 生きる意味に、もう疑問すら抱かなくなった私は、とにかく死にたいと願った。

 誰の記憶からも消えることを、腐敗し膿だらけになった心の底から、切願した。

 

 しかし私は、蟻地獄のような世界から這い上がった。薬の力に助けられながら、今ではそれでも普通に会話できる程度にまでは戻ることができた。

 自分が死んでも構わないという思いは、あの時から変わってはいない。自分が勝手に逝くことができれば、それはそれで一つの救いなのだと私は信じて疑ってはいない。

 だが、遺体の処理や葬儀といったことを考えると、家族に迷惑を掛けることは明白だった。その小さな思いが、私を生かした。

 かつて、亡くなった祖母の口から「優しい」と言われた思いと共に、ヒトとしての感情を引き換えに。

 

 それからは一進一退と言える、精神の上昇と下降を繰り返すような日々を過ごしている。それは、兄も同じだった。

 

 

 帰宅して早々、兄に帰宅を知らせる。開いたその部屋は真っ暗で、兄は毛布に包まりながら壁に顔を埋めるように寝入っていた。

 交わす言葉は、少なかった。

 

 自室のパソコンを立ち上げてから、私は一人夕飯を食した。家族の顔を見ながらご飯を食べることに意味を見出だせずにいる。家族揃っての食事というものに疎い私には、疑問に思うことも寂しいとも感じることもない。

 

 その合間。何やら隣が騒がしくなった。

 

 食事を終えた私は、あからさまに不機嫌な顔をした母に話を聞こうとした。どうも夕飯を食べようとしない兄に何度目となる声を掛けたようなのだが、それを突き放されるような言い様で突っ撥ねられたとのことらしい。それが癪に障ったようで、母も機嫌を損ねたようだった。

 

 全く、もう。そう思いながら、私はアルコールの缶を開け、中身と共に思いを飲み干した。

 

 確かに母は、当時はまだ未知のことが多かったうつ病に掛かった祖母を十数年見続け、その最期を看取った。

 凄絶だった、としか話さない母は、それ以上のことを語ることは今もない。精神病棟、閉鎖病棟。とてもヒトとして扱わないような場所での出来事は、想像を絶するものだったのだろう、としか私には言えない。

 

 そんな母も比較的ドライな性格ではあるが、母親として兄のことを放っておくことはできない、と言っている。

 

 だが、と私は思う。

 想う人と添い遂げ、子を育むようなことを望まない私には、母の偉大過ぎる思いを理解できない、と勝手に解釈していることも大いにあると思う。

 然れどそれ以上に、家族であっても。同じ屋根の下で暮らしているだけで、血の繋がりがあったとしても、最後は他人なのだと思ってしまう自分がいる。

 家族だから、気持ちがわかるのか。家族だから、救えるのか。家族だから……なんだというのか。

 

 自分の気持ちなど、結局当の本人にしかわからない。言葉を以てしても通じ合えないというのに、どうやって掬い上げることができるというのか。

 

 私も、自分の気持ちにはあまり触れられたくない人間だ。だから余計に、無理に接するようなことには否定的な思いしか浮かばない。

 

 放っておいてくれない?

 人間味もクソもない思いが、時々思い浮かんで離れなくなる。

 

 

 世間ではよく、ヒトは一人では生きられないだとか。絆、という言葉に出した途端に安っぽくなるものを使って、人と人の繋がりの大切さを強調する文献を見かける。

 

 私には、どこまで行ってもそういった答えに辿り着かない。苦しい時はいつも独りだった。友達というものも、所詮見せかけの集まりでしかなかった。

 

 もし。こんなどうしようもない私に。

 人の繋がりを、大切さを、重さを教えてくれる人がいるのなら。

 

 

 勝手な願い出をする私を、思い切りぶん殴ってください。そして人を信じられなくなった私に、教えてください。

 

 家族の尊さというものを。

 

 

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【HSS・HSP】好奇心と恐怖は、表裏一体-中章- ~死と生を、共に抱いて~

 9月も後半、朝夕はめっきり気温が低い日が続くようになって参りました。

 つい一ヶ月前はタオルケットでも暑くて寝付けなかったのに、今では毛布二枚準備して寝床に入るようにしています。

 昼間は突き刺さる日差しが続いておりますが、秋風を堪能する時間が少しでも長く続くことを願っている【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何でしょうか。

 

 

 気温の変化だけでなく、湿気や日差しの強さでも体調がすぐ変化してしまう身体に、長く悩んで参りました。

 冷房が前提の夏では外気温が幾ら跳ね上がっても長袖が手放せず、すぐに冷房病になる私は服装のことで周囲から奇異の目で見られてばかりいました。

 冬は冬で氷点下二桁まで落ち込む日も珍しくなく、幾ら防寒の為に重ね着しても手足は容赦なく冷え切り感覚がすぐになくなる程です。

 着ぶくれする私を見てちょっかいを入れてくる会社の先輩たちにも一々全て対応するのも次第に億劫になっていき、最終的に「8枚着ていますが、何か問題が?」と自嘲する術を身に着けました。

 

 これを単なる冷え性と捉えるのか、適正温度の幅が狭いのか、変温動物なのかと自ら嘲るのか微妙な所ですが、環境の変化に機敏に反応してしまう自分の身体に辟易して久しいです。

 

 もっと普通に、オシャレ感覚で季節に合わせた服装ができれば、なぁ。

 

 そう思うこともありましたが、これももしかしたら身体が敏感に反応してくれることで無意識の内に守ってくれていると考えられるようになってからは、大分救われるようになりました。

 

 それがHSPであり、悩み耽った自身を納得させるには十分過ぎるほどの指標でした。

 率直に受け入れることも大切ですが、まずは受け入れてみる。難しい表現であっても自分なりに噛み砕いて咀嚼して、落とし込む。

 それから享受するか否定するかを考えるのも悪くないと、私は思っています。

 

 

 今回は前回の続きとなるHSPの概念に、新しく加わることとなったHSSという考え方について綴っていきたいと思います。

 相対する考え方でありながら、矛盾を超えて同時に抱えることもある二つの性質。

 初めこそ私も半信半疑でした。しかしそれまでの鬱屈した思いが晴れ渡る程の説得力と思い当たる節が余りに多いことに気付き、そして。

 HSS型HSPという存在が極稀でありながら、存在するということを。

 それが他の誰でもない、私自身がその一人であることを、チェックシートをご紹介しながら私が思い浮かべたことや事実を交えながら、本記事を綴ります。

 

 

 HSPに関する記事は、以下のリンクからご参照してくだされば幸いです。

 

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 前回の記事は、以下からご閲覧くだされば有難き幸せです。

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 差別と紙一重だった精神病の歴史、それを知る者として

 

  HSPは自認しながらも、時と共に生粋のそれではないのではないかと違和感を覚え始めた頃でした。

 一昔前は精神的な苦痛や症状は「うつ病」「精神分裂病(現代では統合失調症)」と診断され、まともに受診することもできなかったと聞きます。

 所謂狂人だとか、廃人とされてきた時代です。今では考えられない、人種差別と言っても過言ではなかった頃のお話しです。精神病を発症しているだけで、唯の風邪であっても病院での受付を拒否されたという信じられない事実があります。

 私の祖母が、その一人でした。

 

 今は精神心理学の進歩や薬剤の進化もあり徐々に誤った認知や差別的眼差しも減ったことも幸いし、様々な精神的な疾患や不調が社会的にも認められるようになって参りました。

 しかしながらそれも極一部に過ぎなかったり、会社全体ではケアをしますと豪語している割には個人レベルへの落とし込みができていなかったりと、かなりの温度差がありました。

 

 以前お話ししたかもしれませんが、私が東京勤務で精神を害しうつ病と診断される前に、直属の上司に精神的にキツイことを相談した時のことでした。この頃から集中力の欠如や意欲の低下、希死念慮の発現を訴えたところ、今ではとても信じがたい応対されたことがありました。

 

 散歩や野原で寝転んだりして、空を見ていれば良いんじゃないの?

 

 あの、そういう意欲すらなくなっているんです、と答えたところ。

 

 やりたくないだけじゃないの?やればいいんだよ、まずは。

 

 相談して、また後悔しました。イジメを担任に話した時と同じ時位、上司の前で盛大な溜め息を吐きました。

 

 やっぱり目に見えたり数値として見えるような疾病でなければ、根性論や精神論で済ませようとするのね。出世まっしぐらのエリートにはわからない感覚、なんだろうな。

 

 それから私は会社に頼ることなく、自ら調べながら知識を蓄え。希死念慮が顕著になって自分で自分を殺そうとしたことを切っ掛けに、進んで心療内科を受診することを決意しました。

 

 全てが全て、このような精神疾患を軽視するような環境にあるとは申し上げられませんが。

 個人的には、全く以て理解が進んでいないと感じると共に。喩え人の上に立つような管理者のような人であっても、理解しようとする気もないんだな。

 

 そのような経緯から、今回取り上げているHSPについても簡単に公にしても無駄だ、という意識が強く働いていました。

 ましてやそれ以上に認知度の低いHSS、それも混合型であるHSS型HSPを自らの言葉で、ブログとして上げることにはかなりの抵抗がありました。

 

 でも。

 もし、私と同じような感じ方や悩みを抱えて。

 生きることそのものが辛い。そう思っている人がいるのであれば。

 私がこの身で受け、この精神で感じ思い悩み、時には死を選ぼうとしながらもそれでも死に体で生き長らえたことを、私なりの言葉と思いを伝えたい。寄り添うとまではいかなくても、「こんな人もいるんだ」と共感してくださることで少しでも楽になれればという思いと。

 

 人を疑って、裏切って、自暴自棄になり自分というものを見失いかけた、私のような人間の二の舞を、誰も踏んでほしくない。

 

 そんな自己満ともお節介と共に、HSS型HSPについて綴ることを決意し、今に至ります。

 そんな私に、切っ掛けとなりながらHSS型HSPを自認するに至ったものをご紹介して参ります。

 

 

 HSSとHSPを知る切っ掛けとなるチェックシート

 

 HSPに関する自己チェックは、現在幅広く出回っています。質問項目も提唱者自ら考案したものから噛み砕いたものまで、様々です。

 こちらについては捉え方や考え方の違いを鑑みて、本記事では省略いたします。「HSP チェック」と調べるだけで多くのページが出て参りますので、ご自身に合ったものでご判断くださればと思います。

 

 問題なのは、その結果や質問項目を見て「いや、そこまでは」と感じたり「それは違う気がする」という項目があった場合です。

 そういった事柄が多ければ多いほど、HSPではないかと診断に至ったとしても「やっぱり違った」「じゃあ、自分の中のモヤモヤは一体何なんだ」と更に思い悩むことになりかねません。

 

 HSPというと、内向的で刺激に敏感、思慮深く傷付きやすいという考え方が比較的一般的かと思います。

 

 私もHSP診断をして暫くはそれで納得し満足した気でいましたが、時間が経ち自分に対し違和感を覚える度に診断し直すにつれて、HSPという定義だけで収まらない自分がいることに気が付き始めました。

 

 それから再び、自分探しの闘いが再発しました。とにかく不安に思ったり不確定と思ったことは徹底的に潰したいと思った私は、躍起になりながらネットの世界に潜り込む日々が続きました。

 

 超HSP?違う。

 境界性パーソナリティ障害?似ている、似ているけど、そうじゃない。

 解離性障害?人格が変わるようなことはあっても、記憶はしっかり共有しているから当てはまらない。

 

 その繰り返しの果てに見つけ出したもの、それがHSSというものでした。

 詳細は過去記事や外部サイトにお任せするとして、ここではHSSの判断材料となるものを列挙いたします。

 但し提唱者が外国の方といこともあり、日本人の感性や捉え方とは必ずしも一致しないことはご留意ください。

 本記事では質問内容に対して私なりの答えとその理由を述べていきたいと思います。本来は○×で答えることが望ましいのかもしれませんが、実際は私も「うーん?」となったものもありましたので、それを含めて書き綴っていきます。

 以下、HSSに関する質問です。

 

 

 

 ・もし安全なら、未知の新しい体験ができる薬をやってみたい。

 判定:◎

 未知の体験というものをどう定義するかによって変わってくると思いますが、私は個人的趣味であり好きなものである「獣人になることができるか」という基準を以て判断しました。

  元々人間という存在を疎く思って久しい私には憧れを持つ存在になれるのであれば、一時的な痛みなどを伴うような劇薬を用いてでもそうなりたいと強く願っていました。

 状況に応じて獣人と人間を使い分けられれば最高ではありますが、最悪人間に戻れなくなっても、それはそれでいいかなって。

 

 ちなみにこの質問が、明確に「薬物等を使ってトリップしたい」となれば確実に拒否になります。

 

 

 ・会話によってはひどく退屈になる時がある。

 判定:○

 興味のない話題で盛り上がるような場面では、私は煙草を吹かして誤魔化すことはしょっちゅうです。

 芸能ネタ、恋話、家族について。

 そういう話は、好きな人同士で話せば良いのでは?と思うのが私の考えです。特に恋話は私にとって無縁かつ不快なので顔を歪めながらその場から即退場する程です。

 

 

 ・行ったことのある好きな場所にもう一度行くよりも、好きにならないかもしれないけれど知らない場所の方へ行ってみたい。

 判定:△~○

 思い出に残った場所へは季節を変えるなどしてもう一度行きたいとは思います。

 ただ変化の乏しい所は思い入れがあったとしてももう一度行きたいと思うことはあまりありません。地元が最たる例です。

 

 

 ・スキーやロッククライミング・サーフィンのようなスリルのあるスポーツをやってみたい。

 判定:✕

 そもそも運動が嫌いなのでやりたい気持ちは皆無です。万一事故って大怪我して、痛い思いするなんて嫌です。

 しかし高いところや見晴らしの良いところは好きなので、足場がほぼない高所を綱渡りの如く進むとったことであればやってみたい気持ちはあります。

 

 

 ・長い間家にいるとイライラする。

 判定:○

 喩え家族であっても誰もいない状況であれば幾らでも寛げます。

 現実的にそのようなことは滅多にないので、あまりにも人と同じ場所に居続けるとなると気が滅入ってしまいます。そのような時は愛車と共に出掛けることはあります。

 

 

 ・何もせずにじっと待っているのは嫌い。

 判定:◎

 仕事であってもプライベートでも、打ち込めるようなことがないとイライラが溜まって仕方がなくなります。基本的に無駄なことが大嫌いなので、仕事でもしょっちゅう移動して気を紛らわせる位です。

 

 

 

 ・同じ映画を二度見ることはめったにない。

 判定:○

 映画そのものに興味がないこともありますが、一回見るだけで展開やセリフを大体覚えてしまうので二度と見ることはほぼありません。

 しかしながらこれも、例えば好きなアニメ作品であれば好きなセリフを何回も聞きたいという願望もあることからラジオ感覚で流しっぱなしにすることはあるにはあります。

 

 

 

 ・あまりやったことのないことをするのが楽しい。

 判定:△~○

 基本的にビビりなので、事例のないことを率先してやることはまずありません。

 逆に指標となるものがあれば、喩えマイナーなことであってもやりたくなってウズウズすることはあります。新しいことを開拓することは苦手ですが模倣は得意、という性格も大きいかもしれません。

 車のDIYなどがそれに当たります。

 

 

 

 ・もしなにかめずらしいことを目にしたら、わざわざ寄り道をしてでも確かめに行く。

 判定:○?

 質問に具体例がないので、なんとも言い難いといのが正直なところです。

 但しいつもの帰路を通らず、わざと遠回りになる道を選択して愛車を走らせることはあります。

 

 

 

 ・毎日同じ人たちと一緒にいると飽きてしまう。

 判定:✕

 人見知りが激しいので新しい環境は大の苦手です。年代や役職問わず、変に馴れ馴れしくされるのも嫌ですが、そこら変に転がっているゴミを見るような目で見るような視線で対応されることの方がずっと嫌です。

 実際にそれをやられて黙認を通し、視線だけで敵意を向けるという無茶苦茶なこともやらかしました。

 

 

 

 ・君のやることは予測がつかないと友人たちに言われる。

 判定:?

 これを面向かって言うような日本人はまずいないと思いますが、それも偏見だったらごめんなさい。

 

 

 ・知らない場所を探検するのが好き。

 判定:△~○

 探検をどこまでの範囲を示すかによりますが、知らない場所へ行って景色を眺めるだけでも私は好きです。行動を伴うとなると身体を使うことになるので、それは遠慮したいです。

 

 

 ・日課はもたないようにしている。

 判定:○

 ルーティン、というものは持ちません。基本的に気まぐれな人間なので、喩え自分が決めた決め事であってもそれに自身を当てはめ強制することは窮屈な感覚になるので嫌です。

 

 

 ・強い体験を与えてくれるアートに惹きつけられる。

 判定:?

 サイケデリック的なことを指しているのであれば✕になります。近代アート等は何が良いのか理解できません。

 

 

 

 ・気分を高揚させてくれる物質が好き。

 判定:✕

 薬物は置いておくとして、カフェインは思い切り眠りに影響するので極力撮らないようにしています。

 

 

 ・思いもつかないようなことをする友だちのほうが好きだ。

 判定:○

 私は元々刺激から逃げる態度を取って生きてきたので、発想力も乏しい人間です。そんな私に緻密な計画を立てて連れ出してくれる人は有り難く思うと共に、大切にしたいと思っています。

 

 

 ・新しい知らない場所へ行ってみたい。

 判定:◎

 自分から探すことは苦手ですが、新鮮さを常に欲しているので新しい場所を見つけるだけで価値のあることです。

 

 

 ・もし旅行に行くお金があったら外国へ行きたい。

 判定:◎

 欧州へ行きたいという思いは中学生の頃から抱いています。レンガ造りの町並みを歩いたり、壮大なアルプス山脈の脇を車で走り抜けることを考えるだけで現実を忘れられます。

 

 

 ・探検家になってみたい。

 判定:✕

 そこまでの度胸はありません。

 

 

 ・誰かが性的なジョークを飛ばしたり、性的なことを口にして、みんなが気まずそうに笑うような時でも、自分はそれを楽しいと感じる。

 判定:○

 このようなご時世セクハラ地味た発言は厳禁とされていますが、それでもしょうもないことでツボることが多いです。そういう時は一人静かに笑いを殺しながら耐えています。

 

 

 

 以上の質問内容を、本来なら○か✕で答え、○の数を数えます。今回は私の回答では△や◎も○と判定しています。

 更に男女の差に応じて結果が変わってくるそうです。個人的に男女の差はなくても良い気がしてなりませんが……。

 


 ・女性の場合

もし11以上の項目にチェックを入れたら、おそらく、あなたは刺激追求型(HSS)です。7以下であればおそらくHSSではありません。8~10の間だったら、たぶんあなたは両者の中間です。

 

 ・男性の場合

もし、13以上の項目にチェックを入れたら、おそらく、あなたは刺激追求型(HSS)です。9以下であればおそらくHSSではありません。10~12の間だったら、たぶんあなたは両者の中間です。

 

 

 私は14項目が当てはまったので、HSSという判定になりました。

 これに加えてHSPの診断でも当てはまるようであればHSS型HSPとなります。

 逆にどちらの質問にもあてはまらなければHSPでもHSSでもなく、片方だけならHSPかHSS、となる訳です。

 

 私の場合は双方当てはまることがわかったことから、以来自分をHSS型HSPと自認するようになりました。

 

 

 想像していた以上に長くなってしまいましたので、タイトルの内容回収は次回に持ち越したいと思います。

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

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【HSS・HSP】好奇心と恐怖は、表裏一体-前章- ~死と生を、共に抱いて~

 仕事で社用車にて高速道路を走っている時のことでした。

 工事が行われている区間に差し掛かりましたが、片道規制にする程ではない道路状況。カラーコーンが一応置かれていましたが、普通車どころか大型車両でも余裕を持って通行可能と私は判断していました。

 丁度目の前を、大型のトラックが走っている所でした。緑ナンバーを付けていたことから、他者の製品などを運搬する業務に就いているドライバーと見受けました。何かあれば即訴訟沙汰になりかねないことから、相手をプロのトラック運転手と勝手に判断しました。

 

 その誤判断が、始まりでした。

 開けた高速道路、見通しもよく前方にも後方にも車両が見当たらない状況下で、何を考えていたのか、追い抜こうとする私たちの前にウインカーも出さずに割り込みを行って強行されました。

 幸い加速途中で速度も十分でなく、トラックが無理やり入り込んできても急ブレーキを踏む余裕があったことは救いでした。

 結果的にヒヤリとした程度で収まりましたが、一歩間違えれば車両前方に横から突っ込まれて操縦不能、最悪死亡事故に繋がりかねない大事故に繋がる一歩手前。トラックの挙動から、これはこちらの前に来るかも、という根拠のない直感で救われたと言っても、過言ではありませんでした。

 

 工事区間が終わり改めて問題のトラックを抜く際、同乗していた先輩がドライバーの様子を見てくださっていました。それを聞き、ハンドルを握る私は唖然を超えて殺意のような怒りを覚えました。

 

 スマホをハンドルに添え、耳にはイヤホン。

 言い逃れのない、ながら運転者。否、運転よりもスマホが主体となっている運転でした。

 

 飲酒運転と共に、ようやく最近になって厳罰化の対象となっているのに、そんな輩がまだいることに辟易しながら。

 前さえ禄に見ず、業務より、もっと言えば自分や人の命よりスマホの方が大事なんだなお前は。

 

 理由如何関係なしに、スマホ依存症にも拘らず運転するような馬鹿共の免許を即剥奪。及び二度と車に乗れない制度を逸早く創っていただきたいと、苛立ちが収まらない【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何でしょうか。

 

 

 車だけでなく、日常でもヒヤリとしたことや、危ないと感じたりあまりにも非常識な行動をする人が振りまいた災厄に巻き込まれ、イライラや行きどころのない怒りを覚えるようなことは多いかと思います。

 

 そんな境遇に遭った私でしたが。

 

 表向きには「自損しろ馬鹿野郎が」と口汚い罵りを吐き捨てながら。

 ヒヤッとした瞬間を、タイミング次第では死んでいたかもしれないのに。

 

 心のどこかで、肝が冷える出来事に遭遇しながら。

 死と生の瀬戸際に立つ、そんな状況だったのに。

 その瞬間を、心地好さのような爽快感のような。

 上手く言葉にできませんが、危機的な状況を楽しんでいた。精神をくすぐって昂ぶらせる、一種の快感に似た感情を抱いていた。

 いつもは周囲の顔を見ながら自分を隠して、騙して、本音も確信と自信を持てた時にしか言えない私。普段なら考えられないような自分がいることに、気付くのでした。

 

 

 今回は死と生を分けるような環境に陥った時に、普段であれば考えもしないようなことに、興味を惹かれるどころか拠り所にしている私という人間の側面を垣間見て。

 基本的に外界から齎される刺激を受け入れて処理し危害が及ばないことを第一にしている、もう半分の私とは真逆の自分がいること。

 それはこれまで綴ってきた、HSSとHSPが複雑に混ざり合いながら生きていることを自覚した、HSS型HSPの本質なのではないかと思ったことについて、既出の情報やチェックシートを参考にしながら綴って参ります。

 

 ※注記※

 本ブログで綴る内容は、飽く迄私という主観的な視点によるものが大半を占めています。

 本記事だけでなく、これまで私が綴った記事を参考にしてくださることは、この上ない幸いなことです。

 しかしながら、精神的な話は結論がない程難しく、自分なりの答えや考えを見つけることが目的の一つであると私は考えています。

 以上のことを鑑み、本記事も「HSS型HSPを自認する、【やさぐれ紳士】白兎という一人の人間の意見の一つ」として受け取ってくだされば、幸いです。

 ※注記終了※

 

 

 

 

 

 

 

 HSS型HSP≒好奇心と恐怖が紙一重

 

 

 本ブログでも度々ご紹介している、HSS型HSP。

 過去記事でも述べて参りましたが、HSPという概念やチェック項目は比較的充実してきていますが、HSS型のHSPというものは然程浸透していない印象が私の中で拭えずにいます。

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 これまで生きてきた中で抱き続けた違和感。他の人と違う感覚。もしかしたら、自分は何かの病気なのではないのか。

 人の顔色ばかり伺って。人の怒号が、まるで自分に向かられる怒りのように思えて、怖がって。言われた言葉をそのまま受け取れず、無意味に裏を探るようなことだらけ。

 そして体の良い態度と口ぶりで、逃げてばかりでした。他人から、環境が齎す力のようなものは、私を常に蝕み続けていました。次第に圧力や圧迫感のような心地悪さとなっていき、

 

 それを払拭してくれるものがHSPという考え方であり概要であり、決して「病気」ではないと知らしめてくれたものです。20代後半頃からその存在を知り始め、徐々にインターネット等で知識を深めていき、「最初の頃」こそはHSPが私を形成する根源である。そう信じ込んでいるほどでした。

 

 人と合うことを嫌い、苦手として交流を拒絶していた時期は、その認識で自分というものをある程度定義することができました。

 刺激に過敏で、五感の中でも聴覚と嗅覚に敏感で、周りの空気を否が応でも拾って、いつも毒されるような感覚でいたことは事実です。

 

 時が過ぎ、車を手にしたことを契機に。外の世界へと、思い切って飛び出したことにより、それまで信じて疑わなかったHSPの概念が揺らぐこととなりました。

 

 例えば。

 HSPを判断する指標の中に、「デリケートな香りや味、音、音楽などを好む」というものがあります。

 確かに私は騒音や唐突の音は大の苦手で、変に改造した車が出す無駄に大きく汚らしい排気音は嫌いです。

 しかし飽く迄私準拠にはなりますが、大きな音であったとしても心を揺さぶられるような低音や、音に幅を持たせた音響は好みであったりします。

 安らぐ、というよりも普段は平坦な精神を高揚させる。好むというよりは惹かれる、といった言い方の方がより正しいのかもしれません。

 

 他にも「動揺するような状況を避けることを、普段の生活で最優先している」という項目もあります。

 動揺や不安に陥るようなことは、自分からなるべく避けるようにしているのは確かなことです。少しでも不安定になると頭の中が掻き混ぜられたような錯覚に陥り、自分の意見どころか簡単な判断もできなくなってしまいます。

 一方で普段の生活を最優先しているか、となると話は変わってきます。HSPの判断材料の一つに「自分の中で決まりごとを作り、それを実行し続ける」というものがありますが、私はそういったルーティンのようなものは持っていません。

 会社からの帰路といった同じ経路であっても気分によって道を変えることはしょっちゅうあり、同じ映画や動画を見続けることは内容を粗方覚えてしまうので、二度見することはまずありません。

 

 そして決定的となったのが、「暴力的な映画やテレビ番組は見ないようにしている」というものです。

 余程過激で無い限り(内臓が出たり肉片が飛び散るような描写)、基本的にそこまで精神を害するようなことはないことに気が付きました。寧ろ一昔前より規制が掛かり始めた、出血といった描写がなくなったアニメはリアル感に欠け、個人的にイマイチささえ感じている程です。

 銃撃や格闘戦といったアクション映画はスリルを味わい格好良さを感じ、格闘技での殴り合いやKO集を好んで視聴しています。

 ボクシング・K-1・UFC。鍛え抜かれた肉体から繰り出される技のキレやパワーに魅せられている、そんな感じでしょうか。

 

 上記のように、自分をHSPという枠に当てはめて考えようとすると「何か違う」「そうは思わないなぁ」と腑に落ちないことが多いのではないかと考えるようになりました。

 

 そこから迷いに迷う日々が続くこととなりました。HSPであることは恐らく間違いなさそうでも、少しずれている自分。

 そもそも精神的なことは外部から判断のしようがないこともあり、最終的には当人の受け入れや捉え方に委ねられることになります。そうなると余計に外に助けと言いますか、アドバイスを求めることを難しくしていました。

 

 そんな路頭を彷徨うように、自分という存在を定義できずにいた私に大きな価値観の変化を齎したのが、HSSという考え方であり。

 HSPを自認する人の中にも、稀にHSSの気質を持ち合わせるということを知ってから、私の人生に対する、世の中に対するものの見方が大きく変わることとなるのでした。

 

 

 次回はHSPでありながらHSSの気質を持っているのではないか、と思うに至った項目のご紹介と、それを受けてのこれまでの私という存在、今生きている自分を思い返し、考え直すこととなったことをお話しできればと思います。

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

 

 

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【生き方・趣味】心の浄化 ~趣味くらいは、せめて自由に~

 何だか、日本中が重苦しい空気に包まれている。そんな思いが頭から離れません。

 自発的にとは言え、半年以上も自由な行動を制限されると、流石に精神も腐敗が進んできます。

 それでも会社の飲み会や時間だけを浪費する会議や研修がなくなっただけでも、人との交流が嫌いな自分に取ってはある意味、楽をできている【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 このご時世、出歩くのも躊躇うようになってしまった中。仕事が休みの日でも不貞寝の如くダラダラと過ごさずに済んでいる、持って良かった趣味に感謝する思いでいます。

 本ブログでも度々登場する、車です。

 

 車の趣味と言っても、その幅はとても広く、どこに重きを置くかは人によって千差万別。自分好みのチューニングを行うこと。相棒たる愛車と共に出かけること。持ち主と同じように年を取り、老いていく車をいつまでも乗られるようにメンテナンスをすること。

 

 今回は私が初めて自分の給料で購入し、今は母の足となっている軽自動車が主役となります。

 もうすぐ納車から9年経つ年季の入った趣きとなりつつありますが、未だにその動力や走りは現役。その理由が、車と少しでも長く共にありたいと思えるようになったことから始まっていたのでした。

 

 今回は思い入れのある初の車と過ごしてきた時間を交えながら、束縛されて久しいだけでなく、希望や未来も見出だせない現代において、自由を許されたほぼ唯一と言える趣味を通して。

 暗い雲に覆われるような、くすんでいくような心を何度も洗われ、浄化されたかについて、綴って参ります。

 

 

 

 

 

 技術だけは進歩しても、将来も夢も、クソもない世の中

 

 私が生まれるよりも前、日本は高度成長期という爆発的な技術と工業基盤を発展、盤石にすることで世界有数の国へと躍り出る時代がありました。世間ではバブルと呼ばれる時期です。

 当時の人たちは様々な革新を確実なものとする為に骨身を削り、汗と共に血すら流すような努力と労働で数多くの分野を進歩させ、貢献したと聞きます。

 今では大学院卒でなければ入れないような大企業も人材を欲する為に高卒も積極的に採用し、企業間での人材の引き抜きも多かったと耳にしています。

 私の務める情報通信業もその例に漏れず、それまでは一部の富裕層にしかなかった電話やインターネットを普及させる為に、毎日仕事で追われサービス残業も当たり前だった、と退職された大先輩から何度も話をされました。

 その苦労さは現在のそれと比較などできない程の激務だったとのことでしたが、私に話をしてくださった人たちはこぞって「あの時は良かった」「キツかったけど楽しかった」と感慨に耽る程。

 

 高度成長期の面影すら知らない私には、ドタバタな時代だったのだろう、としか言いようがありません。

 当事者でないということが一番ですが、今の日本を取り巻く環境との乖離があまりにも酷すぎるからなのではないか、と思うことが一番の理由だったりしす。

 

 確かに労働環境は良くなりつつあります。しかしながら古き良きものは忘れ去られ、悪い慣習だけが残り続けていると思えないようなことばかりがあります。

 組織や会社としての成果よりも個人主義と謳い始めて久しいのに、未だになくならない格差。上下関係による軋轢や圧力、能力重視とされる昇給・昇格制度も結局は年功序列。昇給も満足に行わず、給料は上がったとしても税金も上乗せで差し引かれ、雀の涙のようなお金しか残りません。

 その癖都合の良い時は「皆仲良く」とよそよそしい言動と態度により行使される、懇親会と称する自己満足の飲み会。社員との交流と体の良い言葉が並ぶ、一方的な押し付けばかりの意見交換会。

 誰にも幸せも親しみ、信頼感も残らない悪しき習慣。その無駄な経費を削減できないのか、と思ってもどうにもならない。余裕を持って笑っていられるのは、いつも上層部の幹部だけ。自らの上司である中間管理職もそういった時だけはヘコヘコとしているのを見ているだけで、溜め息しか出ません。

 

 そして止めと言わんばかりに、これまで安牌とされてきた終身雇用や年金も危うい状況となっています。恐らく、私のような年代の人間は年金すら禄に貰うことも叶わないまま、貰う前に死ねと言われるようになる時もそう遠くないような気がしてなりません。

 技術的な進歩も限界推移に達しつつあり、それを担う労働も機械やAIに取って代わられるだろうという「2045年問題」という夢物語のような話も現実味を帯び始めています。

 

 こんな腐った世の中で、将来や未来にを描いて希望を持てと言われたところで。

 

 ボロ雑巾のようにいつまでも使われるくらいなら、私は早死してやりたいと思うことしかできません。

 

 

 車のことを、運転することが趣味となった切っ掛け

 

 話が大きく逸れてすみません。

 

 そんな体たらくな企業に、私は何も求めていません。生きる為にお金を求めて会社に勤めるのであって、お金の為に会社で生きている訳ではありません。

 どれだけ批判を貰っても、それだけは譲れません。故に会社での付き合いは最低限に、憂さ晴らしやストレス発散は飲み会ではなく、趣味で。

 

 そんなスタンスを貫くようになった私が出会ったのが、車でした。

 一昔前、「今の若者は何故〇〇離れするのか」というような話題が飛び交っていました。タバコやお酒に並び、車も例外ではありませんでした。

 

 時代が変わったから、と言えばそれで済むことなのでしょう。でも、私からすれば。

 

 良いじゃん、そんなの個人の自由なんだから。他人にとやかく言われる筋合いないから。

 

 そんな反骨精神と共に、私は車を購入する道を歩み始めました。最初から車好きだったかと聞かれれば、ある意味不可抗力だったと情けない答えしか返せません、が。

 

 

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 長野在住者として、車は必須でした。そんな中で車に対する知識も魅力も持っていなかった私が選んだのが、MAZDA AZワゴンでした。

 2011年式のこの車はスズキのワゴンRのOEMとして、MAZDAが販売していた軽自動車です。今もOEMは続いていますが車名は変わってFlairとして販売されており、社名変更前の最終形式となる車です。

 数多くある車の中からこの車を選んだ理由は簡単でした。見た目と、他の人が乗っていないだろうという天の邪鬼精神です。

 

 始めこそ業務都合で運転していたこの車でしたが、私に車の魅力を、運転する楽しさを教えてくれることになりました。

 軽自動車故に動力は貧弱ですが、軽さは車の世界でも正義となります。運動性の良さと程よい車高は街中走行だけでなく高速道路でも十分な力を見せ、私を少しずつ、多くの場所へと連れて行ってくれました。

 そこから車に関する知識を身に付け、タイヤ交換やバッテリー交換、洗車といったものを自分の手で行うようになっていきます。

 全てプロに任せた方が、安全面からすれば言うことはありません。

 しかしそれでも、半ば暗示するかのように不器用と自分を呪ってきたこの手で。下手くそながらも、時間が掛かっても一つ一つの作業を終える度に喜びと達成感を得るようになりました。

 

 そして、3年が経った頃。

 母が愛車を廃車とすると聞いて、私は自分の車を新しく買い直す選択をし。

 私の足だったAZワゴンは、母の新たな足として活躍することとなるのでした。

 

 

 

 時を経て、母の愛車となった車の面倒を見ることも趣味にして

 

 自分の手を離れた元愛車でしたが、面倒は引き続き見ることは最初から心に決めていました。

 残っていた支払いという金銭面だけでなく、私にとって初めての車は最後の最後まで、この手で維持する。

 どれだけお金が掛かろうが、手間が掛かろうが。

 

 自分の趣味として選んだ車たちに、差などない。

 そして、私が母の為にできることは、あまり多くありませんでした。だから、せめて車のこと位は、私が全部引き受ける。

 

 全て、趣味だから。好きだからこそ、苦もなく感じなかった。自由らしい自由がない今の時代、私にそれを教えてくれる存在。それが車だから。

 

 母に譲渡する形となったAZワゴンは、私に車のメンテナンスを教えてくれることとなりました。

 直射日光や雨風に晒される極限状態の中、耐え続けるボディ。数百度という高温になるエンジン、それらを制御するコンピュータ。ボディ全体を支え運転に安心を齎す足回り。

 

 人間が歳と衰えに逆らえないのと同じで、車も相応の劣化や破損が年と共に出て参ります。多少目を瞑って延命することはできても、最終的には部品交換をしなければ最悪の事態を生み出してしまう、凶器となりかねません。

 ここ数年は、毎年のように不具合が見つかりました。その都度何万というお金が掛かりました。塗装もすっかり紫外線で色褪せ、細かいキズも数多く抱えています。

 

 一時はディーラーから、これ以上メンテナンスに費用を掛ける位なら乗り換えた方が安く済むと言われたこともありました。

 しかし母や私の意志を貫き、異常が見つかった部品は全て交換し今も母の足として活躍しています。

 

 そして本日、雨の合間を縫って溝のなくなり履きつぶしたスタッドレスタイヤからノーマルタイヤへと交換。買い物の前にタイヤの空気圧調整と洗車を行い、コーティングを決行しました。

 久しく面倒を見られなかったこともあり、普段ならやらない2重コーティングを実施した結果。

 

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 近寄らなければわからない程の輝きを取り戻し、新車の時の頃を彷彿させる美しさを再び見せてくれました。

 ちなみにヘッドライト部分が白みがかっていますが、これも紫外線によるヘッドライトカバーのプラスチック部品の曇り(くすみ)です。

 

 少し裏技になりますが、専用のコンパウンドではなく虫除けスプレーを使うことで曇りを落とすことができます。これは虫除けスプレーの有効成分であるDEET(ディート)と呼ばれる成分がプラスチックを薄く溶かす効果によるものです。ヘッドライトカバーの曇りは表面上に出来るのでそれをプラスチックごと溶かして削ぎ落とす、といった感じになります。

 この方法を使うと元々パーツに塗布されている保護成分まで溶かしてしまうので、アフターケアは必須です。実際に試してみましたが、思っていた以上に綺麗になります。ご興味のある方は、お試しください。(但し自己責任でお願いいたします。)

 

 

 

 

 心の洗浄、浄化。その元である趣味だけは、せめて自由に

 

 

 最近ネットニュースで、転職や退職、起業といった話題を見ることがあります。

 そこには必ずと言っていい程、「古い社会背景の企業から抜け出す」といった文言が書かれています。

 コロナ禍を通じて、それまで当たり前とされてきたことが覆りつつあるのかもしれません。

 

 しかし、です。

 そういった所で脚光を浴びるのは、極一部の人だけ。その他の大部分は失敗して環境を悪化させるか、もしくは脱却したくても諸々の事情でそれすらも叶わないという人が大勢いるのだと、私は思っています。

 それ以前に、自分が「本当にやりたい」仕事に就いているような人など、それこそ数%しかいない。多くの人は、お金の為に仕方なく働いていると思います。

 

 ニュースで取材されている方々の言葉や思いは、大いに納得し同意できます。

 然れど今の会社を退職するつもりは、今の所ありません。

 

 散々不満を書き殴ったのに、辞める気はないのかと聞かれれば。

 

 別に、好きでしがみついている訳ではありません。少なくとも私の場合、退職という選択をするまでのどうしようもない不満までは抱いていません。辞めて再就職のやり取りをやる手間暇を考えたら、多少不平不満があっても気にしないようにしています。

 前書き通り、会社に期待することなど、もう捨てています。

 

 それは新しく未来を切り開く勇気がないだけじゃないのか、という声も飛んできそうな気もします。

 

 意気地なし。そう言いたければ言ってくださって結構です。全くその通りで、私は臆病者です。

 

 会社でやりたいことはないのか。そう問われれば。

 

 会社でやりたいことなんてありませんし、そんな都合の良い仕事なんてそうそうないと思います。

 それこそ、趣味で間に合っています。

 

 

 お金を貰う以上、自由を奪われる。

 逆に言えばお金にも何にもならなくても、趣味ならどんなことでもできる。好きであるのだから、尚の事。制限付きのことをやる位なら、私は好き放題できる趣味をいつまでも生き甲斐としていきたいと思っています。(無論、法律破りは論外ですが)

 

 私の生き甲斐は、仕事ではありません。仕事で腐り、汚れた心と精神、そして身体を浄化する趣味です。

 それくらいは、誰の文句もなくやっても良いのではないでしょうか。

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

【人生・価値観】兄と弟 ~いつの間にか大きくなった、兄の背中~

 季節の移り変わりという微妙なタイミングで、初めて甚平を購入し寝間着としています。肌を人に見せることに妙な抵抗を覚えてしまう私が、家にいる時位はいいだろうと軽い気持ちで衝動買いしてしまいました。

 日本の文化、侮ることなかれということを思い知らされました。綿と少量の麻で作られた甚平の通気性と汗の吸収が凄まじく、それでいて着心地が優しい。人前に着ていける自信は芽生えないものの、すっかりその虜となっています。

 そんなことを思いながら、もし、明治維新が起こらずに江戸という時代が続いたとするのなら。今の日本はどうなっていたのだろうかと、興味と想像が止まらくなっている【やさぐれ紳士】白兎です。

 着物と袴といったものも、歳を取ったら着てみたいとも思う今宵です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 さて、前書きが長くなりました。本題に入って行きたいと思います。

 

 本ブログでも再三綴ってきたことながらも、燻るように芽生え始めていた思い。それが、ここ最近より顕著になりつつあります。

 一昔では当たり前とも言えた三世代家族という環境の中、二人兄弟の弟として。末っ子として、私はこの世に生を受けました。

 

 生まれ育った環境を深く考えることもなく、私は保育園を卒園してから学生へ、そして社会人となって久しい歳となりました。

 しかし、状況や取り巻く環境は巡り巡るように変わっていって。

 今は自分の生まれを、末っ子として生まれたことについて、考え直させられるようになるに至りました。

 

 願おうが否が、この世に生まれ落ちた自分を取り巻く環境を。

 二人兄弟とは言え、その末っ子として育ち、時を経ると共に歳を取った今。

 変わりゆく身内に、いつ沈んでもおかしくない危うい状態に陥りそうになる中で、末っ子だからこそできることはないかと私なりに考え、思ったことを綴っていきたいと思います。

  今回は、そのきっかけとなった兄の上京と、彼に会いに行くまでについてお話しできればと思います。

 

 

 

 

 

 

 末っ子として、祖父母からも、母や伯母からも甘やかされて育った

 

 母方の祖父母と両親、そして4つ歳の離れた兄の弟として、私は生まれ、育ちました。

 祖父は私たち孫にはいつもにこやかな笑みを浮かべ、欲しいものをねだると嫌な顔ひとつせず買ってくれる、優しさと甘さの塊のような人でした。

 祖母は自他共厳しく曲がったことは許さない人でした。小さい頃からあまり外出せず、思春期になってもすぐ家に帰っていた私はあまり干渉されませんでしたが、学生時代は自由奔放だった兄はその都度詰問責めにあったと聞いています。兄から直接聞いた話ではありませんが……兎にも角にも、私から見た祖母は真っ直ぐで、純粋で。それでいてしょうもないことですぐに笑う、人間味に溢れる人物でした。

 母は自分がアレコレ言われることが大嫌いらしく、私たちにしつこくしてくることも、深いって聞き入ってくることもしない人です。大喧嘩するようなことはありませんでしたが、お互いにあまり深入りするような関係ではありませんでした。

 しかし、愛情がなかったかと言われればそうではないと思っています。社会人となった私とは酒盃を交わしながら語ることも多くなったこともあり、母は母なりに苦労を重ねていたこと、血の繋がりのない夫をある時を堺にヒトとしてみていなくなったこと。

 こう書くと、歪んだ家庭なのだとつくづく思うばかりではあります。ですが少なくとも私は、母子家庭で育ったと考えるようになった頃から意見は一致し、親子ながらも母とは近ず離れずの関係を今も築いています。

 

 干渉されることは、私も嫌いです。近過ぎない人間関係が、私には合っているようです。

 

 そして、もう一人。母の姉である伯母は、幼い頃から世話になっています。母と同じ位に、頭が上がらない存在です。

 長年看護師を務める伯母は乳離しない頃から祖母と共に私たち兄弟の面倒を見てくれ、仕事に追われる母と一緒に育て上げてくれました。

 

 家族皆、末っ子の私を可愛がってくれました。自分で言うのもお恥ずかしい話ではありますが、あまり怒られたことなく私は育ちました。思い切り怒られたのは母位で、それでも感情任せの怒りというよりも冷徹的な態度で叱責されたという感じでした。

 祖母もそれなりに口煩い人でしたが、私に対してはそれ程過干渉するようなことはありませんでした。寧ろ自転車で少し遠くの回転寿司へ一緒に行ったり、地元の祭りで手を引いて歩いて貰った、優しくも心強い祖母の印象が強く残っています。

 

 そして、4つ上の兄。学年は小学校の時にギリギリ被った位で、私生活を除けばほとんど接した記憶はありません。

 小さい頃は同級生よりも、兄にくっついていってその友達と遊んでいました。周りから見れば弟分のように見られ、人見知りが激しくはにかむ私をからかいながらも柔らかい眼差しと共に接してくれました。

 私生活という面でも、やはり年が離れていたこともあって互いに干渉したり目立った喧嘩もすることはなく、それは今も同じです。しかし互いに兄だからとか弟だからとか、そういった見方を互いに昔からしなかったこともあり、やはり近くも遠くもない関係でい続けていたと思っています。

 

 とは言いながら、歳の差がある分、成長の違いは年を追うごとに顕著となっていくこととなりました。

 周りと遊ぶことに夢中になった兄は、私と過ごす時間よりも外で遊ぶことが多くなっていき。外の世界を知らない臆病な私は、兄がどこか知らない場所へ行き始めていることを感じ始め。

 その感覚の違いが、兄弟という関係であっても互いを遠ざけ始めていき。

 

 気付いた時には、兄は東京という大都会へと移り住んでいました。

 

 

 

 一人上京した兄。迎えてくれた兄は、知らない間に大きく見えて

 

 同じ頃の私は、中学を卒業して間もない頃でした。

 

 思春期の大半を青春ではなく、イジメを被る時間に、無駄に費やした。

 

 そんな私が高校に上がっても、場所は同じく学校という閉鎖された空間。一度でも負の連鎖が始まれば、中学時代の悪夢を繰り返すことは明白でした。

 私は、人との交流を拒む道をひたすら歩み続ける選択を選んでいました。周りがどれだけ楽しく騒ぐように楽しんでいようとも、恋話に華を咲かせていようとも。

 

 私には、全てが煩わしく面倒の塊で、果てしなく幻滅する時間しかありませんでした。

 イジメという、腐ったゴミのようなヘドロのような、ヒトの醜さを身で味わった私に。

 青春という言葉は燃やす以前に霧散し、ただただ時間を浪費する毎日を送っていました。

 

 抜け殻のようになった私の元に、それは不意に訪れました。

 上京した兄から、遊びに来ないかという連絡が来たのです。

 

 世間知らずの私には、東京という都会がどんなものなのかさえ想像もできずにいました。

 しかし、小さい頃の兄との思い出が希薄になっていた私は、心をすっかり揺さぶられていました。

 

 兄に、会いたい。話がしたい。いつの間にか遠くに行ってしまった兄との時間を、少しでも取り戻したい。

 

 今思えば、本当に無茶苦茶な生徒だったと自分でも若気の至りだなと苦笑する程ですが、私は担任に対しバカ正直に「都会に行った兄に用事がある」と伝え無理やり学校を休み、当時はまだ長野新幹線と呼ばれていた新幹線に乗り東京へと向かいました。

 

 兎にも角にも、唯でさえ一人で出歩くことのなかった私には、新幹線の中で緊張と久しからぬワクワク感に満たされ、車両に揺られるまま。

 一時間程の乗車で、東京に辿り着きました。改札を抜けた、その先では。

 

 私を見つけ、手を挙げニッコリと笑う兄の姿がありました。唯でさえ人の波で不安が最高潮になりかけていた私にとって、その笑みは何よりも私を安心させると共に笑いを零させました。

 

 あれ。

 私はふと、自分に問いかけていました。

 

 こんなにニコって笑ったの、どれ位振りだっけ。

 

 そんなことを思ったのも束の間、私は兄の元に駆け寄って「久し振り」と声を掛けていました。

 それを聞いて、私の方を優しく叩きながら「良く来たな!」と迎えてくれた兄の声。

 

 何だか、不思議な感覚に浸っていたような気がしています。

 

 小さい頃って、こんなに優しい声だったかな。私に向かって、眩しいとさえ思う笑顔を向けたこと、あったかな。

 こんなに、大きかったっけ。

 

 ねぇ、兄さん。

 

 

 

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【車・価値観】汚れは、共に駆け抜けてきた証 ~久方振りの洗車を終えて~

 早いもので、暦も9月に入りました。日暮れまでの時間も、体感を超えて目に見えて短くなりつつあります。

 つい数日前までは、西日がこれでもか、という程眩しく輝いていたのに。6時を過ぎれば薄暗くなり、一時間後には完全に夜へと変貌するようになる中。

 仕事終わりに久し振りの洗車をして汗を流しながら、夜9時前に思い立ったかのようにコーティングまで勢い任せに行って汗だくになっている、【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 ここ数日、昼間帯の険しい暑さが嘘のように思える程、夕方には激しい雷を伴う雨に見舞われています。幸い災害には至らずに済んでおりますが、各所では数十年に一度とも言える大雨となる、と同じような文言がニュースで取り上げられています。

 何十年も前の天候を現代に照らし合わせて注意喚起されても、正直どうしようもないです。バケツを引っくり返したような雨と言われても、どんなものなのか想像もできません。

 

 ヒトや農作物、交通。強烈過ぎる雨は、様々な面で災いを齎します。それは、車にとっても例外ではありません。

 本日洗車した際も、ボディは雨粒のシミや砂埃に塗れて。ガラスは最早何の汚れなのかわからない程の汚れを被り、ワイパーが通らない場所は見るに耐えないものとなっていました。

 

 今回は会社帰りでも、愛車を綺麗にしたいと強く願う思いに刈られ、常闇に沈みゆく中洗車して。その後一段落して、コーティングを施した際に思ったことを。

 納車から四年経つ愛車の汚れは、共に駆け抜けてきた証の一つなのだと思い耽ったことについて、綴って参ります。

 

 

 

 

 

 汚れて輝きを失っていく愛車。天候と忙しさと気分を言い訳に放った一ヶ月

 

 止めどなく降り注ぐ雨。山を超えても、谷を駆け上がっても、トンネルを幾つも抜けても、雨は止みませんでした。

 伊豆の旅の帰路。強弱の差はあれど、晴れ間を拝むことは遂に叶わなかった、あの日。私と相棒は、小雨の中も台風のような嵐の中も駆け抜けました。

 バックミラー越しの後方確認はおろか、前方すら禄に視界を確保できない致命的状況。

 しかしながら、この時は旅に出る数日前に施工したコーティングが功を奏し、ボディもガラスも雨水を物ともせず跳ね飛ばしてくれました。

 車全体にを叩きつけるかのように、不安を煽るに煽る雨音と微かな衝撃も。視界を明瞭に保ってくれた、それだけで勇気づけられると共に、愛車の頼もしさを実感する瞬間でもありました。

 

 伊豆旅行を終えて、一ヶ月近くが経ちました。

 今の私は、自分でもよくわからない虚脱感と虚無感に支配されるように日々を過ごすようになっています。

 

 一つに、天候がまるで安定しないことが上がります。梅雨明けが8月上旬だったこともあり、お盆を過ぎて尚35℃を超える日が続きました。現在は落ち着いてきていますが、今度は台風の接近に伴い雨模様の日々、そして湿気に満ちた時間が確実に増えてきています。

 不安定な天気は、身体だけでなく精神も蝕みます。先日も雷の影響で私の務める会社の通信機器が破損し、緊急対応を行いました。昼夜逆転とも言える長い復旧作業により眠れなくなる日が一週間程続き、身体の怠さと精神の滅入り具合には泣かされるものがありました。

 

 仕事面でもコロナ禍の影響もあり遅々として進まない業務が多くなり、担当内も不和のような、張り詰めたような空気に満ちてきました。

 

 -まぁたイライラしてるな。嫌だねぇ、ホント-

 ……無理、ないよ。年々定年退職で皆いなくなっているのに、仕事は減らないんだから……

 

 顔は笑っているように見えるのに、声に朗らかさや快活さが感じられない周囲の人々。ストレスの捌け口が圧力的に減っていく今も状況では、無理がないのもわかります。

 私も、その一人だから。

 

 ……でも、したくもないのに他人の感情まで読み取る自分が、辛い……

 -無関心な方が、良かったのにな-

 

 追い打ちを掛けるように、8月に入ってから、長野でも猛烈な勢いで新型コロナウイルスの感染者数が増えてきています。この一ヶ月だけで、それまで鳴りを潜めていた感染が爆発的に広がっているかのような錯覚にさえ陥る勢いとなっています。つい先日200人を突破したと思った矢先に、既に二週間足らずで300人を超えようとしています。

 県内各地で集団感染が発表されていることから、出かける先も自然と少なくなり始め。9月に入り、すっかり仕事以外で外出する機会もめっきり減りつつあります。

 感染することを悪だと言い、過剰な誹謗中傷を行うことなど、最早無意味なことでしかないと思えてなりません。

 

 ここまで来てしまった以上、感染していないことを善などと、誰が言えるのでしょうか。

 

 天候、仕事の忙しさ、自分で勝手に追い込まれていく精神。

 その間にも雨に打たれ、砂埃を被っていく愛車は、本来の輝きを失っていきました。

 そんな相棒に向き合い、洗車へ行こうという意欲も浮かばずに来ていました。

 

 仕事帰りに乗り込む愛車の中では。私の口から漏れるのは、溜め息しかありませんでした。

 いつもの「帰ろう、Lupus」と厨二地味た言葉もなく。

 

 

 

 汚れるのは、仕方がない。だからと放っておいて良いのか

 

 

 シートカバーでもしていない限り、車を汚れから守る方法はありません。屋根付きの駐車場があれば大分違うのでしょうが、それも限られた人や条件でしか当てはまらないと思っています。

 それ故これまでなら、時間を見つけては愛車と洗車場へ行き、汚れを洗い流すと共にコーティングを施すことで輝きと撥水性を維持して参りました。

 

 洗車し、残った水滴を拭き取って。コーティング剤を塗布して更に磨き上げる時間。

 その時間は愛車と共に旅に出ている時間と、同じでした。愛車の窓、ボディに向き合い拭き上げを行い。水が侵入してしまうドア周りやエンジンルーム周り、給油口と細かい所まで拭いていると、いつの間にかこんなに汚れていたんだと苦笑いしながら汚れと共に水分を綺麗に拭って。

 そんな時は、普段の雑念やいらぬ心配事も忘れて、一心不乱に愛車と向き合っていました。

 

 また数日もすれば、結局汚れてしまうだろう。どれだけ丁寧にやろうがいまいが、最後はまた汚れ果てる。

 

 理屈ではその通りでしたが、実際に車と向かい合う気持ちは違っていました。

 とにかく、綺麗にしてあげたい。いつまでも、綺麗な愛車と共に走り抜けていきたい。

 

 その為に時間も手間も、お金も惜しむことはありませんでした。

 

 それが、いつの間にか妥協へと変わり。ここ最近では、見て見ぬふりへと意識が下降していくばかりでした。

 午前中は照りつけるような日差しが、愛車のボディを焼くように降り注ぐのに。帰社後に戻ると、薄っすらと水滴が付いている。

 朝は激烈な太陽、午後は微弱な雨。

 こうなると、車体に残った雨粒は残ったまま翌朝を迎えることとなります。その状態で太陽光を浴びると、水滴がレンズのような効果を振る舞うようになり、直射日光を収束させてボディやガラスへ膨大なダメージを齎すと共に汚れの原因となります。

 コーティング剤のお陰で多少は被害を免れることができますが、それも限定的。徐々にボディの皮膜を犯し続け、最後は塗装面に達し大きな傷跡を残すこととなってしまいます。

 

 そう。自然を前にした時、どれだけマメに洗車やコーティングを行っても、結局イタチごっこになってしまうことに気づいてしまったのです。

 

 それでも、そろそろ洗車したいな、と思って天気予報アプリを見たところで。

 雨、雨、雨に続く雨。

 

 日を増すごとに、気落ちと共に諦めと妥協という、私の悪い性格が顔を出し始めました。

 

 -もう、暫く諦めて大人しくしてろよ。無駄なんだから-

 

 全部天気のせいだと、仕事が忙しいからと、気が乗らないと言い訳するようになっていた、ある日。

 その日は、一日曇り空の予報でした。涼やかな風が靡き、翌日も猛暑に襲われることはないとの予報。

 風が幾分強くはありましたが、気温も低く陽光もない、洗車にはうってつけとも言える日でした。

 偶然か、帰社後に月極駐車場に止めている愛車を、その時は何故かマジマジと見ていました。

 

 -どうした、早く帰ろう。早くしないと混むぞ-

 ……嫌だ……

 

 自分の中で、久し振りに思いが激しく交錯するような、複雑な感情に刈られていました。

 

 -何言ってんだ、また雨が降るんだから無駄なこと-

 ……だって、こんなにLupusが汚れているんだよ?このまま放っておくなんて、もうできない……

 

 ドアを開け、風通しを良くする為に窓を全開にして車内の熱気を全て外へと逃します。サンシェードを外し、私は短く息を吐きました。

 

 ……無駄かもしれない。でも、やっぱり綺麗な愛車に乗っていたいよ。汚れたままの車に乗り続けるなんて、やっぱり我慢できない……

 -本気かよ、面倒臭ぇな-

 ……一緒に洗車してくれるよね?……

 -わかったよ。汚い車にいつまでも乗るのも、こっちだっていやだからな-

 

 アクセルを踏み、普段の帰り道から逸れながら。

 私は愛車と共に、馴染みと言える洗車場への道を走り始めていました。

 

 

 

 暑い夏の洗車に一時間。疲れ以上に感じる充足感

 

 とは言いつつ、基本的に面倒くさがりな私は自前でシャンプーを用意したり手洗いをする程マメな人間ではありません。車好きな方から言わせれば邪道と言われそうな気もしますが、洗車は基本的に機会式洗車機に突っ込み、汚れを落とします。

 ここからは、時間との勝負です。太陽光はないとは言え、残った水滴を拭き取り残してしまうとシミの原因となり、取り除く為には膨大な労力を必要とする為です。

 セルフ洗車場に置かれたタオルを用い、まずは窓から。私の住む地域の水はカルキ成分が多いせいか、少しの吹き漏れがあると白い跡が残ってしまいます。

 

 これまでの洗車で培った手順を、不器用ながらも素早く、自分なりに丁寧に。

 

 私の愛車であるアクセラは然程大きい車ではありませんが、一人で拭き取りにはそれなりの時間を要します。細かい所までやるとなると、最低でも30分掛かります。

 終盤で、やや強い風が吹く中でも、汗が流れ始めます。しかし、これで終わらせる訳にはいきません。

 

 次は雨水を弾き、紫外線をカットしてくれるコーティング剤の塗り込みに入ります。綿入が普段遣っているものは、プロスタッフ社のCCウォーターゴールドというコーティング剤で、ボディに直接吹き掛けてタオルで拭き取るだけでOKという簡易コーティング剤の一種です。

 耐久性はそこそこですが、施工直後の輝きや艶、撥水性はこれまで幾つか試してきたものの中でも上位に入ります。施工の手軽さも相俟って、個人が使うコーティング剤としてはかなりの性能を誇ると思っています。

 

 ガラスには塗布できないので、専用のものを使った後は、ひたすらコーティング剤を拭いて拭き取り。普段は手を付けづらいホイールも、念入りに。

 

 この作業だけで、同じく30分近くの時間を使います。その頃には体力のない私はグロッキー気味になり、汗も止まらなくなります。

 

 仕上げのひと拭きを終えて、完了。肩で息をしながら眺める愛車は、元々持つ色合いを取り戻りし輝いていました。

 明日も仕事、ということは最初からわかっていました。途中で雨が降り出したら無駄に終わることも、わかっていました。

 

 然れど、艶と輝きに満ちた愛車を見ただけで。

 

 一時間掛かった施工は、無駄ではなかったということを。

 仕事を終えて疲れているはずなのに。

 

 上手く言葉にできない、充足感のような、満足感のような。

 とにかく、曇り空には似合わないような晴れ渡った気持ちに満ち溢れ、私は帰路につきました。

 運転席で、膨大な汗を拭いながら。

 

 

 

 汚れた愛車は、共に駆け抜けてきた証だと思った瞬間

 

 

 炎天下に晒されたり、氷点下に耐える。時には豪雨をもろに浴びて、雹や霰に打ちひしがれることもある車たちは、人間ではとても生きられない環境でも、ひたすら耐え抜きます。

 しかも車は常に汚れに満ちる運命にあるように思えます。四季豊かな日本では花粉や黄砂、海辺では潮水。予想もつかない雨に晒されることも、強風で巻き上げられた砂埃に塗れることもあって。

 冬は事故防止の為とは言え、車に甚大な損害を与える塩化カルシウムの塩害を受けることとなります。

 

 車の持ち主の一人として、私はいつまでも綺麗な愛車でいて欲しいと願うと共に、そうする為ならどのような労力も時間も惜しまない覚悟をしているつもりです。

 

 しかし、私も気紛れな人間です。時には車に向き合うこともままならなくなることも、挙げ句には一日中車に乗らない日さえあります。

 これをエゴだ、と言われてしまえば、最早返す言葉はありません。

 

 とは言いつつ、元々インドアな私はこの数年で、本当に沢山の場所へと出向けるようになりました。

 その度に愛車は汚れ、時にはそのダメージ故にパーツ交換を余儀なくされたことも沢山あります。

 

 そうしてきたことで、今回洗車を終えて思うことがありました。

 

 車が汚れてしまうことは、避けられない。でも駐車場の差はあっても、乗り回さなければ必要以上に汚れることはないのではないのか。

 多くの場所へ趣き、走り回ってきたからこその、車の汚れ。これは、共に様々な場所を駆け抜けてきた証なのではないか、と。

 

 そう思った瞬間、洗車による疲れなど吹っ飛んでいました。そしてすぐ、各地を訪れた写真を眺めていました。

 

 納車されて四年。写真を見返せば見返す程、数え切れない場所へ。それ以前の私には道なる世界へと出向いていたことを、思い返すこととなりました。

 

 改めて、車は単なる道具ではないということを思い。ただの移動手段と考えることは、私にはできないことを実感しました。

 

 愛車Lupusは、ところどころ傷が残り始めています。悲しいことですが、避けられません。

 私の都合で面倒を見られなくて申し訳ないと思うと同時に。

 愛車が元気に走ることができる限り、私も全力を尽くす。

 

 共に駆け抜ける為に、私と愛車が共有する傷が増えるのなら、厭うことなどないと思うのでした。

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

 

 

 

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  これからもよろしく、相棒。