白兎と雪狼の、果てなき旅路

ドライブやドライブや写真撮影を趣味とし、その他、HSPやAセクシャル、イジメ。精神的・心理的なことについて綴っていきます。

【写真・趣味】十五夜の月 ~素で十六夜と間違えました~

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 今年も早くも10月。10月1日は中秋の名月、十五夜ですね。

 秋に本格的に入っていく季節の節目ではありますが、今年は10月2日が満月のようです。月明かりの眩しさと静けさに、心を洗われているような、そんな思いに浸っている【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 そのことを忘れて自室でボーッとしておりましたが、各SNSで満月の写真を上げていらっしゃる方々の投稿を拝見していました。

 月。太陽に比べれば明るさも乏しいながらも。夜を照らし出し、日によってその姿を変える神秘的とも呼べる美しさ、そして繊細さのようなものを感じさせる天体。

 日の光は如何なる生物にとってもなくてはならない存在であることは思うものの、私は月の穏やかで柔らかい光に惹かれます。

 もし現代に溢れているPCやスマートフォン、そこから発せられる情報の海がなければ

、時間を忘れてずっと眺めていたい程です。

 

 などと言いながら、十五夜と十六夜を素で間違えて車のSNSで投稿するという天然をやらかしました。だって十六夜って名前がカッコいいんですもの(重度中二病

 

 

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  10月1日に三脚を自室の出窓に設置し、カメラを月の撮る為に最適とされる設定に合わせ撮影しました。私の持っているレンズの中でも最大望遠で撮影できる18-300mmの高倍率SIGMAレンズを用いています。

 

 

 閑話休題。

 

 良く陰と陽に例えられることも多い、太陽と月。姿を見せる時間帯に留まることなく、齎すものも正反対。

 二つは対極に位置するが為に、比較され、ヒトによって見方が変わってくるのかもしれません。

 

 

 太陽は地球に生きる、生けとし生けるものにとってなくてはならない存在であり、生命の象徴とも呼べるものと個人的に思っています。

 太陽がなければ、私たちヒトを含めた生き物は生きていけません。

 

 では月は?

 生存に必要なもの、というよりも、どちらかと言えば神秘性や華麗さといった側面で見られることが多いような気がします。

 

 日本でも世界でも古代より、太陽に勝らずとも劣らない信仰のようなものを抱いてきました。潮の満ち引きといった現実的なことだけでなく、ヒトの精神にも大きく影響を齎してきました。

 

 これは最近知ったことなのですが、月と言われて思い浮かぶ動物は……という質問に対し、日本では「餅をつく兎」と。言われることが多いです。

 他方で海外では、面白い程沢山の捉え方がされているようです。

 

 北ヨーロッパでは動物ではなく、「本を読むおばあさん」と見られているようです。

 アメリカや東ヨーロッパでも人間として認知されていますが、こちらでは「髪の長い女性」と認知されています。

 動物という観点から見れば、南ヨーロッパは「カニ」に。南アメリカでは「ロバ」或いは「ワニ」、アラビアでは「ライオン」と見られているそうです。

 

 こう見るだけでも、人種や住む地域を超えて、ヒトは各々感じることや思うこと、考え方に違いがあることがわかります。

 そういった側面から見ても、私が月の魅力に魅せられているのかもしれません。

 

 

 

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 撮影モードを換えて撮影した月、見方によっては金星のようにも見えます。

 

 

 話を戻しますが、月に魅了される理由がもう一つあります。

 精神的な理由となりますが、私自身が陰と呼べる性格であると自認しているということが一番です。

 

 これまでも綴ってきましたが、私は決して人当たりがよく公明正大、誰とでも仲良くなれるような人間ではありません。元々人見知りが激しいだけでなく、ワイワイゴチャゴチャとするような空気が苦手を通り越して嫌いだったこともあり、友人作りや人間関係の構築にはいつも苦労してばかりいました。

 一方で特段何もしなくても雰囲気や言動で人が寄ってくるような人が、学生時代にも社会人になってもいました。そういった人たちは、外から見ている限り笑顔で一杯でしたし、周りも自然と笑いが広がっていました。

 

 正直、羨ましいを通り越して妬むような感情をずっと抱いていた気がします。

 今でこそ自分というものを少しすず理解し始めたので陰キャラでもいっか、と開き直りつつありますが、当時はそういった場面に出くわすだけでも「自分はいらない人間だ」と勝手に嫌悪して、逃げてばかりいました。

 

 月が、雲に覆い隠されるかのように、誰にも気付かれない内に。

 

 また月の満ち欠けに似たように、私の気分屋なところもネガティブな感情を抱き続けてきました。

 話に一貫性がないことを嫌う癖に、自分の起伏の激しい感情を抑えきれないことも多々あり。自分だけでなく、周りにも迷惑を掛け嫌気を差させてきました。

 

 昔から月を見ることは好きでも、薄汚い生き方しかできない私自身と月の美しさを無意識に対比させていた、のかもしれません。

 

 

 今は、少しずつ自分の考えや感情の起伏を受け入れ始めることができ、同時に「周りも思っているほど、自分のことを見てなどいない」というカウンセラーの言葉もあり、諦めではなく享受という考え方ができるようになりつつある私ではありますが。

 

 未だに、月の変わらない美しさに。日によって姿を変えながらも、様々な表情を魅せてくれる月に、羨望を抱き続けています。

 いつの日か、自分の気持ちに振り回されずに、喩え朧気でも人が集まるような人間でなくても良いから。月のように物静かでありながら周りを見渡せる、そんな人になっていきたい。

 

 子供のような感想でありながら、そんなことを思いながらカメラを月に向ける、十五夜でした。

 

 

 皆さんは。

 暖かな太陽の日差しと、朧気な月の光。どちらがお好きでしょうか。

 

 

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