【車・趣味】秋の新潟 ~夫婦岩、そして帰還へ~
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近頃は週の後半に天気が悪くなる日が続いています。
穏やかな雨は気持ちを落ち着かせてくれますが、叩きつける激しい雨音は不安だけでなく気を滅入らせるような。そんな精神の境を行き来していてどうにも落ち着かない日々を送っている、【やさぐれ紳士】白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
今は、雨も止んで週末前の喧騒も収まり、ただただ静かな空気が流れています。
佐渡を回り終えた直後の、穏やかでありながら旅の終わりを感じて。妙な安心感のようにであるように思えて、しかし寂しさとも、虚しさとも思える心境。状況は、あの時の旅の終焉のそれと似通っています。
今回は、連日載せて参りました、佐渡ヶ島と新潟旅行の最後の記事を綴って参ります。
時間はより加速するようにして、佐渡の名所巡りに終止符が打たれ。本州への帰還。初めてとなる旅客船内、そして残滓と呼ぶには激しい雨に見舞われた新潟からの帰路。
初めてが多すぎて言葉にできないことばかりでしたが、最後までを自分なりの言葉で、その時の思いを綴っていきたいと思います。
子沢山?な夫婦岩
佐渡金山遺跡にて機械成分を堪能した頃、時間は既にお昼を過ぎていました。
眠気と空腹が脳内に溢れ出す頃、この日のお昼ご飯を用意してくださった場所へとツアーバスが到着します。
そこでは現地の方がお待ちしており、簡単にその場の説明をしてくださいました。
夫婦岩と呼ばれる、荒波と風が削って出来上がった天然の岩たちです。
写真の右側がお父さん、左側がお母さんと呼称されているようです。
二つの岩が向かい合うように、寄り添うようにしている様は、円満な夫婦のように見えることから、その名が付いたとのことです。
私には夫婦のというものが今も理解できずにいますが、波風に晒されながらも未来永劫向き合い続けるその様は、この岩たちは私たち人間よりも遥かに強固な関係で結ばれているのかもしれません。
また写真の左側にはお子さんもいらっしゃるそうで、長男や長女、次男と次の世代へとその固い関係を連ねているとのことでした。
更には手前の小さな岩は、孫岩としてお孫さんとして親しまれているとのことでした。
数百年、数千年の時を経ながらも、着々と自然も子孫を残しているかのように見えました。そういう意味では、現代少子化が叫ばれることを鑑みれば、我々ヒトよりも着々と次世代に向けて子を育んでいる、とも言えるのかもしれません。
個人的に一番触れられたくない、結婚や家族という話を振られた途端に嫌悪感を抱く、例えば私のような人間よりも、ずっと。
そんな自分の思いは、旅には不要なもの。無理やり振り払うようにして、自然が創り上げた海岸沿いの風景を写真に収めていきます。
夫婦岩の更に先の、せり出た岩肌には上陸しているしている人の姿も見えました。
時間がもっとあれば、いつまでも見ていたい考えに駆られました。
正確には、この情景から発せられる思いのようなものを感じ取りながら、私なりの思いを馳せたかった、といった方が正しいのかもしれません。
相手は無機物、何の感情もクソもないと言う方もいらっしゃるかもしれません。もしくは目に見えるその姿こそが全てで、それこそが美しいと仰る方もいるでしょう。
でも。私は妙に、センシティブな思いに耽ってばかりでした。
海の中に聳えることとなった、岩たち。人工物のように整備されたり守られたりするようなこともなく、彼ら彼女らは独りで立ち向かってきた。
倒されないように、壊されないように。岩として生まれ、削られる運命にあったとしても。
自分という存在を、掻き消されないように、必死に。暑さも寒さも、時代をも乗り越えて。
夫婦岩として名所とされ、今の姿がある。荒削りだからこそ、時代を思わせ、その傷を想像させる。
私たちヒトにはとても耐えられないであろう思いに、私は一人感化されていました。
願わくは。この先、十年も百年も、更に未来でも。変わらぬ姿を残してほしいと勝手に願うと共に。
いつの日か、この身が果てる前に、もう一度見に行きたい。そんな感情に支配されるのでした。
佐渡の各所を巡り、時間は無慈悲に帰港便に迫って
眼鏡越しに見る日本海、夫婦岩。
友以外の、周りのツアー客の声。先の佐渡金山遺跡を見てからか、妙に高揚した声が響く中、私は聞こえない振りをしていました。
否、無理やり遮断して一人でいたいことを望んでいましたが。
時間はお昼時を少し過ぎた時刻を示していました。ツアーのメインの一つである、昼食の時間でした。
佐渡、新潟と言えば新鮮な海産物。それを丼に詰め込んだ海鮮丼が、本日の目玉でした。
しかしながら。
本ブログでも度々話題にさせていただいています通り、私は海産物は大の苦手。苦手を通り越してとても食べられません。
漂う磯の香り。人によっては心地好いのかもしれませんが、私には耐えられない臭いとなってしまいます。
数十年前、中学校での地引網が主目的となった臨海学校。一泊二日の修学旅行のようなものでしたが、海のものが苦手な私には地獄でしかありませんでした。
海岸中に広がる、磯と引き上がられた海産物が(失礼ですが)腐っていくような臭い。当時はクラス単位ではなく学年単位での旅行でしたが、皆が海水浴を楽しむ中。
臭いにやられ、同級生なのにヒトの波に酔った私はすっかり気持ち悪くなってしまい、独り浜辺で彼ら彼女らが楽しむ様を見るという、同い年なのにさながらプールの監視者のようなことを半ばやるような体たらくでした。
楽しそうだな。ワイワイ、わちゃわちゃ。
……でも、私はいいかな。一人で、海を見ている方がいいや。
クラスが、学年が地引網していようが、何していようが。何十分でも、何時間でも、海を目の前にしているだけで私は満足できそうだ。
そんなしょうもない思い出はともかくとして。
事情を知ってくださっているたーぼぅさんの図らいで、メインの海鮮丼をソースカツ丼に変えていただいたことで、難を逃れることができました。
幸いこの日はツアー客が周りを気にしない方ばかりだったこともあり、奇異の目を向けられるようなことはありませんでした。
私の他にも、生の海鮮は苦手とおっしゃっている方のお話しを片耳に挟みました。
人間誰しも、好き嫌いや得手不得手は必ずあると私は思っています。
食べ物だけに限らず、お酒の種類、飲み物の甘さの加減。
だからとは申し上げません。ですが、押し付けのように「海鮮が上手い所に行ったのなら、食べなきゃ損」だとか。
「あんな上手いもの食べないなんて、何食べんのよ」だとか。最悪の言葉は、「食べないだなんて、生きてて損だよ」。
良いんです、損していたって。私は食に価値を求めていませんから。何を食べたいといった好みを超えて、何を食べて生きているなんて人にとやかく言われたくありません。
それを杓子定規に当てて、その地で「美味しいもの」とされるものを食べられない者を、あたかも変わり者とも異常者とも言ってくる御仁は、残念ながら未だに健在します。
駄目なのでしょうか。自分の好きなものを食べることが。
苦手や嫌いなものを、無理してまで食べなければならないことは、勿体ないと纏められるようなことなのでしょうか。
それはともかく。ソースカツ丼、美味しくいただきました。
時間は無慈悲に平等で、帰還の時が迫る
昼食後は陶器や酒造所と巡りましたが、申し訳ありません、私の興味の圏外でした故写真や感想は特にありませんでした。
疲れも溜まってきていたので話半分に聞いていなかった私も私ですが、陶器は佐渡金山に纏わる特殊な貴金属が混ざった材質の土が、独特の色や焼き上げた後の音が金属のような甲高い音になると。
酒造所では国際航空便のファーストクラスに選ばれて久しいという日本酒を蒸留しているとのことでしたが、クルマで新潟入りしている私たちは試飲もできないこともあり、私はフラフラと酒造所を歩いておりました。
時間となりバスに戻った他のツアー客は試飲を繰り返したのか、すっかり上機嫌な様子でした。
これも、旅の楽しみ方の一つなのかなと思いながら。
バス内に漂うアルコール臭に顰め面を崩せなかった私は、まだまだ精神的に若いようです。(自分で言うのも難ですが)
さておき、時間は容赦なく過ぎ去っていきました。本州から離れた佐渡ヶ島に、まだいたいという思いなど切り捨てるようにして。
帰りの船出の時間が迫り、私たちは再び両津港へと戻ることとなりました。
時間的に、行きで来たジェットフォイルは利用できそうにありませんでした。
その代わりに、倍の時間を掛けながらもゆったりとした船旅を味わうことができる旅客船に乗ることとなりました。
旅客船、ときわ丸。ジェットフォイルの三倍、いやそれ以上の大きさを誇る旅客船です。
実はこの時、本来であれば雑魚寝する2等客室で帰る予定でした。行きの倍以上掛かる、二時間半という長い船旅の時間。
そんな時、私は思わず思いが言葉となって口から出ていました。普段は思いはココロの中に、という私が。余程のことがなければ闘う勢いで口を出しもしない私が。
折角なら、もっとゆったりできる席を確保しませんか?
1から計画していただいた、たーぼぅさんに。
半ば無理を言う形で私の提案を申し出て、切符売り場で予約確認したところ、予約制の一等船室の椅子席が空いていたことも重なって。
急遽予定を変更し、新幹線で言えばグランクラスのようなゆったり寛げる席を取ることができました。
ジェットフォイルとは違う船旅。それから、各々の帰路に着くこととなります。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。