白兎と雪狼の、果てなき旅路

ドライブやドライブや写真撮影を趣味とし、その他、HSPやAセクシャル、イジメ。精神的・心理的なことについて綴っていきます。

【HSS・HSP】好奇心と恐怖は、表裏一体-前章- ~死と生を、共に抱いて~

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 仕事で社用車にて高速道路を走っている時のことでした。

 工事が行われている区間に差し掛かりましたが、片道規制にする程ではない道路状況。カラーコーンが一応置かれていましたが、普通車どころか大型車両でも余裕を持って通行可能と私は判断していました。

 丁度目の前を、大型のトラックが走っている所でした。緑ナンバーを付けていたことから、他者の製品などを運搬する業務に就いているドライバーと見受けました。何かあれば即訴訟沙汰になりかねないことから、相手をプロのトラック運転手と勝手に判断しました。

 

 その誤判断が、始まりでした。

 開けた高速道路、見通しもよく前方にも後方にも車両が見当たらない状況下で、何を考えていたのか、追い抜こうとする私たちの前にウインカーも出さずに割り込みを行って強行されました。

 幸い加速途中で速度も十分でなく、トラックが無理やり入り込んできても急ブレーキを踏む余裕があったことは救いでした。

 結果的にヒヤリとした程度で収まりましたが、一歩間違えれば車両前方に横から突っ込まれて操縦不能、最悪死亡事故に繋がりかねない大事故に繋がる一歩手前。トラックの挙動から、これはこちらの前に来るかも、という根拠のない直感で救われたと言っても、過言ではありませんでした。

 

 工事区間が終わり改めて問題のトラックを抜く際、同乗していた先輩がドライバーの様子を見てくださっていました。それを聞き、ハンドルを握る私は唖然を超えて殺意のような怒りを覚えました。

 

 スマホをハンドルに添え、耳にはイヤホン。

 言い逃れのない、ながら運転者。否、運転よりもスマホが主体となっている運転でした。

 

 飲酒運転と共に、ようやく最近になって厳罰化の対象となっているのに、そんな輩がまだいることに辟易しながら。

 前さえ禄に見ず、業務より、もっと言えば自分や人の命よりスマホの方が大事なんだなお前は。

 

 理由如何関係なしに、スマホ依存症にも拘らず運転するような馬鹿共の免許を即剥奪。及び二度と車に乗れない制度を逸早く創っていただきたいと、苛立ちが収まらない【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何でしょうか。

 

 

 車だけでなく、日常でもヒヤリとしたことや、危ないと感じたりあまりにも非常識な行動をする人が振りまいた災厄に巻き込まれ、イライラや行きどころのない怒りを覚えるようなことは多いかと思います。

 

 そんな境遇に遭った私でしたが。

 

 表向きには「自損しろ馬鹿野郎が」と口汚い罵りを吐き捨てながら。

 ヒヤッとした瞬間を、タイミング次第では死んでいたかもしれないのに。

 

 心のどこかで、肝が冷える出来事に遭遇しながら。

 死と生の瀬戸際に立つ、そんな状況だったのに。

 その瞬間を、心地好さのような爽快感のような。

 上手く言葉にできませんが、危機的な状況を楽しんでいた。精神をくすぐって昂ぶらせる、一種の快感に似た感情を抱いていた。

 いつもは周囲の顔を見ながら自分を隠して、騙して、本音も確信と自信を持てた時にしか言えない私。普段なら考えられないような自分がいることに、気付くのでした。

 

 

 今回は死と生を分けるような環境に陥った時に、普段であれば考えもしないようなことに、興味を惹かれるどころか拠り所にしている私という人間の側面を垣間見て。

 基本的に外界から齎される刺激を受け入れて処理し危害が及ばないことを第一にしている、もう半分の私とは真逆の自分がいること。

 それはこれまで綴ってきた、HSSとHSPが複雑に混ざり合いながら生きていることを自覚した、HSS型HSPの本質なのではないかと思ったことについて、既出の情報やチェックシートを参考にしながら綴って参ります。

 

 ※注記※

 本ブログで綴る内容は、飽く迄私という主観的な視点によるものが大半を占めています。

 本記事だけでなく、これまで私が綴った記事を参考にしてくださることは、この上ない幸いなことです。

 しかしながら、精神的な話は結論がない程難しく、自分なりの答えや考えを見つけることが目的の一つであると私は考えています。

 以上のことを鑑み、本記事も「HSS型HSPを自認する、【やさぐれ紳士】白兎という一人の人間の意見の一つ」として受け取ってくだされば、幸いです。

 ※注記終了※

 

 

 

 

 

 

 

 HSS型HSP≒好奇心と恐怖が紙一重

 

 

 本ブログでも度々ご紹介している、HSS型HSP。

 過去記事でも述べて参りましたが、HSPという概念やチェック項目は比較的充実してきていますが、HSS型のHSPというものは然程浸透していない印象が私の中で拭えずにいます。

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 これまで生きてきた中で抱き続けた違和感。他の人と違う感覚。もしかしたら、自分は何かの病気なのではないのか。

 人の顔色ばかり伺って。人の怒号が、まるで自分に向かられる怒りのように思えて、怖がって。言われた言葉をそのまま受け取れず、無意味に裏を探るようなことだらけ。

 そして体の良い態度と口ぶりで、逃げてばかりでした。他人から、環境が齎す力のようなものは、私を常に蝕み続けていました。次第に圧力や圧迫感のような心地悪さとなっていき、

 

 それを払拭してくれるものがHSPという考え方であり概要であり、決して「病気」ではないと知らしめてくれたものです。20代後半頃からその存在を知り始め、徐々にインターネット等で知識を深めていき、「最初の頃」こそはHSPが私を形成する根源である。そう信じ込んでいるほどでした。

 

 人と合うことを嫌い、苦手として交流を拒絶していた時期は、その認識で自分というものをある程度定義することができました。

 刺激に過敏で、五感の中でも聴覚と嗅覚に敏感で、周りの空気を否が応でも拾って、いつも毒されるような感覚でいたことは事実です。

 

 時が過ぎ、車を手にしたことを契機に。外の世界へと、思い切って飛び出したことにより、それまで信じて疑わなかったHSPの概念が揺らぐこととなりました。

 

 例えば。

 HSPを判断する指標の中に、「デリケートな香りや味、音、音楽などを好む」というものがあります。

 確かに私は騒音や唐突の音は大の苦手で、変に改造した車が出す無駄に大きく汚らしい排気音は嫌いです。

 しかし飽く迄私準拠にはなりますが、大きな音であったとしても心を揺さぶられるような低音や、音に幅を持たせた音響は好みであったりします。

 安らぐ、というよりも普段は平坦な精神を高揚させる。好むというよりは惹かれる、といった言い方の方がより正しいのかもしれません。

 

 他にも「動揺するような状況を避けることを、普段の生活で最優先している」という項目もあります。

 動揺や不安に陥るようなことは、自分からなるべく避けるようにしているのは確かなことです。少しでも不安定になると頭の中が掻き混ぜられたような錯覚に陥り、自分の意見どころか簡単な判断もできなくなってしまいます。

 一方で普段の生活を最優先しているか、となると話は変わってきます。HSPの判断材料の一つに「自分の中で決まりごとを作り、それを実行し続ける」というものがありますが、私はそういったルーティンのようなものは持っていません。

 会社からの帰路といった同じ経路であっても気分によって道を変えることはしょっちゅうあり、同じ映画や動画を見続けることは内容を粗方覚えてしまうので、二度見することはまずありません。

 

 そして決定的となったのが、「暴力的な映画やテレビ番組は見ないようにしている」というものです。

 余程過激で無い限り(内臓が出たり肉片が飛び散るような描写)、基本的にそこまで精神を害するようなことはないことに気が付きました。寧ろ一昔前より規制が掛かり始めた、出血といった描写がなくなったアニメはリアル感に欠け、個人的にイマイチささえ感じている程です。

 銃撃や格闘戦といったアクション映画はスリルを味わい格好良さを感じ、格闘技での殴り合いやKO集を好んで視聴しています。

 ボクシング・K-1・UFC。鍛え抜かれた肉体から繰り出される技のキレやパワーに魅せられている、そんな感じでしょうか。

 

 上記のように、自分をHSPという枠に当てはめて考えようとすると「何か違う」「そうは思わないなぁ」と腑に落ちないことが多いのではないかと考えるようになりました。

 

 そこから迷いに迷う日々が続くこととなりました。HSPであることは恐らく間違いなさそうでも、少しずれている自分。

 そもそも精神的なことは外部から判断のしようがないこともあり、最終的には当人の受け入れや捉え方に委ねられることになります。そうなると余計に外に助けと言いますか、アドバイスを求めることを難しくしていました。

 

 そんな路頭を彷徨うように、自分という存在を定義できずにいた私に大きな価値観の変化を齎したのが、HSSという考え方であり。

 HSPを自認する人の中にも、稀にHSSの気質を持ち合わせるということを知ってから、私の人生に対する、世の中に対するものの見方が大きく変わることとなるのでした。

 

 

 次回はHSPでありながらHSSの気質を持っているのではないか、と思うに至った項目のご紹介と、それを受けてのこれまでの私という存在、今生きている自分を思い返し、考え直すこととなったことをお話しできればと思います。

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

 

 

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