白兎と雪狼の、果てなき旅路

ドライブやドライブや写真撮影を趣味とし、その他、HSPやAセクシャル、イジメ。精神的・心理的なことについて綴っていきます。

【車・趣味】馴染みとなった、伊豆へ・終章 ~明日へ進む糧にして~

 今週も何とか、週末を迎えることができました。暑さと湿気ですっかり死にかけです。

 

 巷では様々なニュースが飛び交って、見方によってはお祭り騒ぎのような状態になっていますね。新型コロナが目に見えて感染していることと、国の舵取りたる長の進退について。

 世論に興味や関心をあまり持たない私ではありますが、ある意味一大事とも言える出来事であることは認識しているつもりです。特に後者は直接的に己の身に降りかかるような大事ではないにせよ、間接的にはどうしても関心を抱かずにはいられない、大きな話題であるとは私も思います。

 

 ただ、そこに嫌味や皮肉だらけのコメントを垂れ流したり揶揄するようなことをして、投稿した方はそれで満足して終わるのでしょうか。

 経緯が経緯だけに言いたいことはわからないこともないですが、匿名という特性を悪用するかのように、単に抱えている鬱憤や激情を吐き出したいだけなのでは?と思ってならない、【やさぐれ紳士】白兎です。

 責任の伴う役職には、つくづく就きたいと思わなくなりました。いつまでも平社員でいたい気持ちで満たされました。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 先日は調子の悪さを理由に、荒んだ内容の投稿をいたしました。

 個人的な嫌悪や私という個人への辟易した思いばかりを、感情のまま殴り書くように綴りました。しかしながら、そのような記事でもお読み下さった方、スターを付けて下さった方、ブックマークして下さった方。

 これまでなら、お目汚し失礼いたしましたと謝罪を述べるところではございます。ですが今回は寧ろ、感謝の気持ちに溢れると共に。

 数は多くないとしても、見てくれる人がいること。改めて、溜め込んでばかりでずっと独りと思い続けてきた -または演じ続けてきた- 私には、何か救われるような、そんな思いを抱いております。

 

 もう一度、ここで御礼申し上げさせてください。 

 本当に、ありがとうございます。

 

 もっと申し上げたいことが沢山ありますが、あまり引っ張るのもお見苦しいかと思いますので、本編に入って参ります。

 

 伊豆旅行の最終日。カメラも破損し禄に写真も撮れずながらも、7月の終わりを飾るに相応しい輝かしい時間ばかりであったこと。

 その帰路に着く合間、寂しさや虚脱感に支配され、明日以降の仕事を思い出して虚しさばかりに染まっていく私。

 それを払拭すべく、ノリの良い曲と共に車を走らせる喜びと楽しさを噛みしめるように錯綜する感情を上書きしながら。

 帰宅しても尚、明日への、これからの糧となりバネとなり進んでいける原動力を再び得られたことを、綴って参ります。 

 

 

 

 心の中はまた考え事だらけでも、車内で熱唱して寂しさを誤魔化す

 

 愛車の中、一人車を実家に向けて走らせていきます。ナビの粋な計らい(?)で、来た道とは違うルートを案内されながら走る道も、かつて一度は通った道でした。

 伊豆を訪れる季節はこれまでバラバラだった為、それまでの道程の光景とはまた違う景色が、私を待っていました。

 朝露に濡れ、吹く風に揺れながら鮮やかに輝く森林の緑。煌びやかな派手さはなくても、自然が育んだ飾らない美しさと瑞々しさ。エアコンを切って窓を開けた時に聞こえてくる穏やかさと、時折吹き抜ける荒々しさを感じさせる、風切り音。

 サングラス越しでも眩しく思える、雲の間から姿を現し照らす太陽の輝き。

 自然が齎す感覚を肌に感じ、心地よさを心の半分で感じながら。

 もう半分は、既に考えの嵐に晒されていました。

 

 コロナ禍の元、県外に出てきて本当に良かったのか。明日の仕事のこと。少し長めの休みを取った合間に溜まった仕事関係のメール、どれくらいあるだろう。

 そして、何よりも。

 この旅が終われば、またいつもの日常に戻ること。その時の気持ちの落差に、今回も耐えられるのだろうか。

 ハンドルを握る私の内側は、意味がありそうで無意味な思いに支配されていました。

 

 これまでも規模の大小拘らず、車を通じたオフ会に何度も参加してきた私ではありますが、それが終わる度にいつも陥っては落胆し、回顧に耽ってきました。

 楽しかった時間と、現実に引き戻される無力感。所謂オフ会ロスというもので、私はいつも虚無感と虚脱感に引き込まれてばかりいました。

 

 今回も、その例外とはなりませんでした。

 

 時間を忘れて、我を忘れるようにして楽しんだ伊豆の旅。

 いつも周りの目ばかりを気にして、自分の気持ちにさえ素直になれない私にはあまりに尊くて、貴重さと大切さを感じる一方で。自我を喪失し暴走しかねない、諸刃の剣のような一瞬一瞬。

 息抜きというには、私にとっては危うさすら感じることもある、愛車との旅。溢れ出して止まらなくなりそうになる感情。激しく揺れ動くそれが、時には邪魔とも、鬱陶しいとまで思うこともあります。

 

 自分以外のものから齎される刺激が感情を刺激して、私でもその制御ができなくなることばかり。これまで抑え込んできた喜びや楽しさといった陽の気持ちが、止めどもなく溢れて堰を切ったようになりそうになる。

 全て己の内から生まれてくるものなのに、毎度直面しては息苦しさのような、胸が詰まりそうになるような思いに刈られてしまう私は。

 

 一体いつになれば、純粋にこの感情を受け入れられるのか。楽しむことを、喜ぶことを、素直に感じられるのか。

 小さい頃のように、何の後ろめたさもなく、我を忘れてはしゃぐことができる日が来るのか。それとも、これまでのように抑圧に抑圧を重ねて出来上がった、感情を抑えた「紳士」という名の詰まらない肩書きのまま生きる他ないのだろうか。

 

 ちょうどその時、通り雨の雫が降ってきました。通り雨と言うにはあまりにも弱く、まるで視界を遮るような霧雨のような、弱い雨でした。

 

 静かな雨に打たれながら、私と愛車は帰路をひたすら進んでいました。

 唯。

 煮え切らないような、不完全燃焼を起こしたかのような思いだけは、どこか燻っているという感覚だけは払拭できずにいました。

 

 -またしょうもないことでヘコタレてるのかよ、バカやろうが-

 ……だって、この旅が終わったら、また元通りなんだよ?寂しいよ、そんなの……

 

 私は、真逆とも言える自分の中の二つの思いを抱え、まるで対話するようになっていました。

 それでも、愛車は帰り道をひた走りしていきます。

 

  

 

 

 楽しさの後に訪れる寂しさ。それを、明日への糧に、バネにして

 

 途中で二回ほど休憩を挟みながら、無事自宅へと帰宅した私は複雑な思いで一杯でした。

 交通安全運動期間中だったこともあり、一般道では取り締まりを目的に佇む警官を。高速道路では事故直後なのか、処理に追われる現場とスピード違反をしたと思われる車が覆面に止められている光景を、それぞれ見て参りました。

 

 明日は我が身、といつもなら気を引き締める所ですが。今回は、少し違いました。

 

 無事に帰って来られたことだけでも、喜ばなければいけないと思うのに。

 車を止めて、いつものようにハンドルを軽くポンポンと叩いて愛車を労いながら、私は暫く車から降りることができませんでした。

 今回の旅も、楽しかったな。トラブルは随所であったけれど、次の旅も楽しみたいな。

 

 そうやって思えれば、どれだけ良いことと思ったことか。

 

 -終わったな、ほら、さっさと休んで明日に備えろよ-

 ……終わっちゃった。この時間が、いつまでも続けば良いのに……

 

 旅が終わってしまったという現実。矛盾する思考。面白みもない日常に戻らなければいけないという、無慈悲な事実。

 

 寂しさと虚しさ。無気力さと虚脱感が、運転席に座ったままの私を支配していました。

 ハンドルに残る、伊豆の暑さを持ってきたかのような温もり。いつまでも離したくない。このまま、『楽しい思い出』にだけ、ずっと浸っていたい。

 

 未来もない現実なんて、私にはいらない。

 

 でも、そんな甘ったれた思いが許されることなどありません。

 渋々運転席から降り、荷物を降ろして家へと入った私は、思い切り溜め息を吐き捨てました。

 息を吸って、まっすぐ現実の家の様子を見渡します。数十年暮らしているその様は変わらないようで、すっかり変わっていました。

 玄関の段差も、今の襖も、階段も。新築当時は、全てが大きく見えていたのが。

 こんなに、小さかったっけ。

 

 そうか、これが現実なんだ。止まっていたくても、時は進み続けている。

 今こうして旅を終えたことも、過去の出来事になって、いつの日か思い出して懐かしむような時が来る。

 止まっていては、ダメなんだ。

 

 そして、すぐに明日の仕事に向かう準備を軽く済ませ、自室で横になり、目を閉じます。

 

 今は、とりあえず休もう。

 

 そう思いながら、私はいつの間にか意識を手放していたのでした。

 

 

 人間は、心の拠り所のようなものがないと、生きていくのは難しいのかもしれません。

 どんな小さなことでも、些細なことでも。他人から見ればどうでもいいように見えるようなことでも。

 現実に期待を持てない私は、寧ろ現実というものは害悪の塊と言っても過言ではないような気がしています。

 

 誰も望んでいないのに、勝手に気を遣って。気に留めないようなことにさえ違和感を覚えて、その度に感情を揺さぶられて。頭の中は、常に思考とも呼べないヘドロのようなものが揺れ動いている。

 目を背きたいと思ったことは、数え切れない程あります。

 

 それでも、生きていかなければならない。母はよく寿命こそ運命だと言いますが、その瞬間が訪れるまでは勝手に死ぬことも許されない。

 

 ならば。

 たった2泊3日という短い旅立った今回のことも、しっかり脳裏に刻んで。

 希望のない明日への、小さな糧となるように。明日へと歩いて行ける、バネとなるように。

 旅の終わりを失望や無力さで終わらせるのではなく、思い出がまた一つ増えたと、弱い自分を鼓舞するにはあまりに小さなことであったとしても。

 

 今の私には、これが生きる気力となり、活力となっていると信じて。

 伊豆の旅を、終えることを自分に言い聞かせるのでした。

 

 

 長くなりました、伊豆旅行記も、ひとまず今回で終了となります。

 ご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

 

 

今回も、相棒。また、よろしく。

 

【うつ病】心の調子が沈んだまま ~偽善に満ちた、醜い自分と向き合う日々~

 ※注記※

 本記事は悲観的、虚無感、死を表現する言葉が多数含まれます。そのようなものが苦手な方、気持ちが現在落ち込んでいる方は、ご閲覧を控えてくださいますよう、お願い申し上げます。

 ※注記終了※

 

 

 

 いつからだろう。

 気持ちが、心が前に向かなくなり始めたのは。それだけではない。五感から齎される感覚も、それに反応することにさえ、何だか鈍さを覚え始めて久しい。

 

 このような時の私は、大概うつ病が再燃しかかっている時の兆候だ。何年も付き合ってきたせいで、すっかり認知できるようになっている。

 再燃、と言うと少し違うか。再発という言葉も、どうもしっくり来ない。

 

 うつは、完全に治ることのない病。少し良くなったと思っても小さな出来事で気持ちが沈み込んでしまう。ましてやそういう時に限って嫌なことが連続して起こるからか、余計にしんどくなっていくばかり。全く、皮肉な話だ。

 一度でもこの病を発症すれば、一度良くなったと安心しても再発する可能性が大きいというデータがある。更には快復と再発を繰り返していくと、再発率が90%まで高くなるという悪夢のような研究さえある。

 

 ただ、それも一般論の域を出ないのかもしれない。

 

 うつ病と診断され、十年弱が経とうとしている私だが、薬というものから完全に抜け出る程快復できたことは一度もなかった。一時は調子の良さを取り戻し断薬も試みたこともあった。最初の内は、薬から解放されたと軽はずみな喜びに浸っていたことに懐かしくさえ思える。

 

 だが結局、半年も経たない内に薬に頼る、元通りの生活に戻ってばかりだった。薬のことは事前に調べ主治医と相談する程度にこそなれたが、最終的には薬無しではまともな生活も送れない身体と心に成り果ててしまった。

 

 現在私が服用しているのは、抗うつ薬のイフェクサー。抗不安薬のメイラックス。精神の昂りを抑える漢方薬の抑肝散。

 睡眠については睡眠導入剤の代わりとして、比較的眠気が出やすい抗不安薬のリーゼ。中途覚醒には抗うつ薬ながらも眠気の作用が強いレスリンを服用。更に万が一のパニック時や強い不安に襲われた時の為の頓服として、レキソタンを処方されている。

 

 これだけの薬を処方されているが、最近は気持ちの落ち込みと虚無感。そして時折脳裏を過る希死念慮が現れることが多くなった。現実と向き合い、闘うのは自分の身体と精神。処方される薬は飽く迄私を支えてくれる援護部隊のようなものと考えている私ではあるが、それにさえ限界を感じ始めている。

 

 元々対人関係が良好とは言えない私は、人と接する度に心を乱され、時には相手を殺す勢いで抵抗したことも多かった。

 時には優しさや温もりの籠もった言葉と声を投げ掛けてくれる人もいた。しかし最後までそれを信じ切ることができなかった。

 悪いのは、全部私だった。合わない人間に見切りをつける勇気もなく、寄り添ってくれる人に心を委ねることも、最後までできなかった。

 

 

 全ては、裏切られる怖さに屈服した、私の弱さ他ならなかった。

 

 

 それでもまだ、私は周りに恵まれているのだろうと思う。

 愛想笑いと人に合わせることを知って以来、それらを使い分けながら何とか新入社員時代を乗り越えた。首都圏勤務で「合わない人とは、どこまで言っても合わない」ということを学び、薬の力を支えに壁を作ることで自分を守ることに徹してきた。

 古巣に戻った今は、入社当初の若気の至り真っ盛りだった私を知る人からの茶々を受け入れながら。

 事業所内の若手筆頭とも、少しネジが飛んだ変な奴とも、精神的に難しい人間、変わり者と称されるようになり、今に至っている。

 歪んだ認知のされかたのようにも見えるが、私としては全く気にはならない。寧ろ、安堵すら感じている。

 

 構っても面白みもない、詰まらない人間だと突っ撥ねられる位なら。

 悪評をつけられようが、嘲笑れようが、誰かに構って貰えたり口を利いて貰えるのなら、それはそれで良かったのだ。

 

 でもそれも、自分への嘘を貫き続けていることに変わりがないことに気が付いてしまった。本当の私なんて、今どこにいるのかなど、最早わからない。

 生きるための金を貰うために会社に務めているだけで、会社の為に生きているのではない。そう何度も自分に言い聞かせてきたつもりでいたのに、最後は私というものを見失いかけている自分が情けなくて、みっともなくて。

 クソが付けたくなる程、自分が憎らしい。本音も言えないまま十数年、いつまでも変わることのできない自分が醜くて仕方がない。

 

 

 これまでもそういった調子の悪さを露呈してきたことは幾らでもあった。

 唯、今回は少し違うらしい。今までは朝方の気持ちの沈みが激しいだけで済んでいたが、今は自分の時間である就業後から寝床に入るまで、意識が続く限り自分を意味もなく、執拗に責め続けている。

 

 この一ヶ月で、向き合うものも少なくなってきた。ブログに集中することもできず、ストレスの捌け口の一つであった運転さえも、最近は億劫になってしまった。

 そんな情けない自分が、余計に憎いのだろう。表面だけは調子良く見せておきながら、本当の自分は息を吐くことさえ必死になりかけながら喘いでいる。

 付き合いを休止することも言えず、偽善に満ちた私という存在を演技し続けている自分が、醜くて仕方ない。

 

 このような調子で、またいつもの私に戻れるのだろうか。薬と生きる処世術を身に着けただけの、傀儡とも言えるかもしれない自分に。

 

 今宵も薬と酒に溺れながら、無意味な問いを自分に語りかけている。

 その答えは、今も返ってこない。

 

穏やかな夕焼けにも、心は動かない。

 

【車・HSP】馴染みとなった、伊豆へ・4章 ~思い出~

 猛暑日、酷暑日からの豪雨や雷。慌ただしく変化する8月の中盤も、終わりに向かい始めています。

 先日も落雷に伴うネットワーク機材の故障で緊急招集され、5時間もの時間を要してようやく復旧できたという、入社以来最悪とも言える大規模な修復業務に従事して参りました。

 

 唯でさえ自分のことでいつも振り回されてばかりの私なのに。季節は、唯ひたすらに移り変わっていくかのように過ぎ去っていく。

 そこに、一個人の思いなど介入の余地もない程に。

 

 もっと、穏やかな春が続けば。もっと、熱く焦がれる夏がいつまでも。

 もっと、哀愁に満ちた秋がどこまでも。もっと、暖かさへの憧れを抱く冬が。

 

 次第に涼しさを増し、ヒグラシの鳴く声に耳を傾けながら、これまで以上に悲哀のような、虚しさのようなものを感じながら紫煙を吐いている【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 二泊三日の伊豆の旅の終わり。

 帰路に着く私は愛車の中でノリの良い音楽を流しながら。

 心の中はどこか空虚のような、寂しさのような感情に満たされるのでした。

 

 今回は最終日、帰路を駆け抜ける合間に感じた感傷のようなものに浸ったこと。それに付随するかのように、否が応でも思い出した記憶や思いについて、綴って参ります。

 

 

 

 ※注記※

 本記事と次記事では、伊豆旅行の最終日と題しますが、実質は半分以上、私の内面についての内容で、旅行記とは程遠いものとなります。

 陰湿・悲観的な表現が多くなりますので、そのようなものが苦手、或いは嫌悪を感じる方はお戻りすることを推奨いたします。

 それでも構わない、とご閲覧くださる方がいらっしゃいましたら、この上ない幸いなことと存じます。

 ※注記終了※

 

 

 

 

 

 

 予定は計画の一部。然れど、体調は最優先

 

 平日ということもあり、普段は何万円に跳ね上がる良質で快適なホテルの個室。半値以下の値段で泊まることができ、久方振りにゆっくり眠っていました。

 待ち合わせに遅れないように余裕を持って起き、歯を磨きながら外を覗くと、そこには薄曇りの合間から覗く太陽の姿。悪天候にも暑過ぎることもなくなりそうな様子を見て、ほっと一息。

 伊豆旅行最終日にして、連休の最後となるこの日は、私もたーぼぅさんも翌日は仕事。その為軽く近場を散策して昼食を摂り、そこで別れるという一応の予定を立てていました。

 名残惜しくても、最後は最後。後ろ髪を引かれる思いをしないよう、明日のことを振り払いながらチェックアウト。相方の登場を、車の中で待つことにしました。

 

 また、来るかわかりもしない明日のことを心配してる。考えたって、どうしようもないのに。

 

  心配性のせいなのかHSPの性なのか、頭の中は常に考え事だらけの私は、考えを無にしてリラックスといったことを経験したことがこれまで一度もありません。

 眠っている時以外はしょうもないことであっても、様々な考えや憶測が錯綜してばかりでした。

 

 思えば小さい頃は、「死」という漠然かつ定義のしようのないものを幼いながらも考えていた記憶があります。

 ヒトは死んだ後、どうなるのだろうか。今「自分」という身体に根付いている自我は、死語どこへ行くのか。消えてしまうのか、所謂天国か地獄へ行っても自意識を持ったまま存在し続けるのであろうか。

 考えたところで理解もできないだろうし、わかりもしない。好きで思考したい訳でもないのに、脳は動き続けていました。それは、三十路を超えて久しい今でも同じです。

 

 しかしそれでも、自分の意志で決めた旅行の時は、思い切り楽しめるようになってきました。運転している時や心奪われる風景をカメラに収められた時、動物たちに癒やされている時。そして車仲間や、友といる時。

 そういった時は寧ろ、動き続ける脳の考えに抑えつけられた理性を振り切って子供のようにはしゃいでしまいます。

 

 思い出せばいい歳こいて恥ずかしいこと姿ばかり見せてきましたが、そういう時もあっていいよね?と自分に言い聞かせてきました。

 

 意識が、現実に戻りました。車の中で紫煙をくゆらせますが、しかし友は現れません。

 一昔前ならせっかちな性格も相俟ってすぐ苛立っていましたが、歳と共に忍耐が身に付いていった私は、ネットニュースを見ながら待ちに徹しました。Line等で連絡を取ることも可能でしたが、急ぐ旅でもあるまいと吸い込んだ煙草の煙を吐き出していました。

 

 その後、見慣れた白のアクセラセダンが見えました。ホテルの駐車場に入るアクセラ、私も運転席から立ち上がって出迎えます。

 しかし、ここで異変。近寄った車越しに見る友の様子が、何かおかしい。事情を伺うと、体調を崩されてしまったとのこと。

 私はすぐに今日はお開きにしましょうと進言しました。たーぼぅさんも医者へ行くと言いましたが、どこか渋っているように私には見えました。

 

 幾ら相方の体調が悪いからと言えど、旅行最終日がこのような形で終わることが寂しくない、と言えば嘘になります。

 しかし良好な体調無くして楽しみは苦痛になる。何より私の思いなどより、強行して更に身体を壊してしまったら、私は責任を取れる勇気も自信も、根拠もありませんでした。

 旅行なら、時間さえ合えばいつでも来ることが出来る。私の個人的な寂しさなどより、大切な人の体調の方が最優先。

 

 もう、仲を深めた人とさよならなんて、したくない。

 

 短い会話の後、今回はお開きということで双方同意しました。何度も謝るたーぼぅさんでしたが、私の方こそ謝ることばかりでした。

 医者へ向かう友を遠目に、手を振りながら別れた私は、黙って煙草を銜えていました。

 

 無計画な私に、緻密な計画を立ててくださったこと。いつもいつもそんなことばかりで、無理させてしまったのではないか。

 

 悪いのは、たーぼぅさんじゃない。

 いつも頼ってばかりの、私の方が悪いんだ。

 

 そう。

 いつも私はそうやって、自分を責め続けてきた。

 それで万事解決できるだろうと、身勝手な思惑と願いを信じるかのように。

 

 

 

 思い出の伊豆。始まりは、臆病の塊だった私を迎えてくれたあの時から

 

 

 帰路を行く私は、愛車の窓を開けて穏やかな伊豆の風景と空気を肌に感じながら駆けていました。

 エアコンが苦手な私は余程の暑さや湿気がない限りは窓を全開にし、自然の風に当たりながら運転します。燃料の節約や冷房への耐性の低さというものことりますが、それ以上にその土地の風に当たり、思い出の一種として記憶に残したいという思いも多分に含みます。

 

 数年前。当時のアクセラでは初となる、ダウンサイジングディーゼルエンジン+可変ジオメトリーターボが搭載された、今の愛車が納車となりました。

 新たな相棒と共に、座席に押さえつけられるようなGを感じさせるトルクを楽しみながら。

 県内はあらかた愛車で走った私でしたが、県外の地を訪れることは仕事以外ではほとんどありませんでした。

 

 理由は、簡単で明快で、稚拙なものでした。

 自分の知らない場所や人に会うことが、怖かったからです。

 好奇心の塊のようだった幼少期から、いつの間にか私はすっかり歳を取ると共に臆病になっていました。心を満たすことから、心を守ることへスタンスが変わり果てて久しくありました。

 

 

 人の機嫌を損ねて、嫌われるなら。

 私の気持ちなんて、いらない。自由なんて、私には必要ない。

 

 

 

 心が、思いが沈み込んで十数年。その時が訪れたのは、あまりにも唐突でした。

 私を迎えてくれた、初めての伊豆でのこと。

 絶景と呼ばれる場所で撮った写真が、今でも宝物のように光り輝いています。

 

夕焼けと富士山と愛車。私の中で輝き続ける、思い出。

 

 

 普段は富士山が霞むか雲隠れしてしまうことが多いとのことでしたが、この日は偶然か奇跡か。澄んだ空気の中、くっきりと姿を見せた富士山と日暮れ寸前のタイミングが見事の重なり、今まで私が撮ってきた写真の中でも最も映えるものです。

 愛車のリアを撮った二枚目の写真はMAZDAのカスタムパーツメーカーの定期新聞にて、「文字数多めの熱い声!」という特集で一面を飾らせていただいたこともあります。

 車のSNSでも仲間内で噂がたちまち広がり、気恥ずかしさと嬉しさの双方を噛み締めたのも、喜びと恥ずかしさに満ちた甘酸っぱい思い出です。

 

 以来、伊豆の地は私にとって馴染みの場所となりました。

 訪れる度に、通る道を見たり泊まるホテルに到着した時には。

 

 あぁ、変わってない。長野と違って上り下りが激しい道だったけど、やっぱり楽しいや。

 久し振りだなぁ。

 

 そんな、まるで子どもの頃に帰った時のような思いを抱く時は。

 不思議と、いつも悶々としながらグチャグチャな頭の中が。

 行き過ぎた憶測と心配が、雲ひとつない空のように晴れ渡って、純粋に目の前の現実を見ることができて。それが偽りも嘘もない、どこまでも新鮮で生き生きとしていました。

 思わず息を漏らす光景ばかりだった私でしたが、不意に思い出したかのように思考が走ってばかりいました。

 

 自分にはいつも新鮮で、グッチャグチャな頭をリセットしてくれるこの風景が。

 他の人には、どのように見えるのだろう。

 

 心を揺さぶられるような風景なのか、ありきたりな情景なのか。それとも、然程心動かないものに過ぎないのだろうか。

 

 

 そんな時は決まって。

 ここ半年でようやく認知できたHSSの自分HSPの自分。

 二つの性質の自分が相容れることなく、鬩ぎ合いながら私という一人の人間を形作っていることに気付き始めていました。

 

 

 

 心に空いた、塞がることのない穴を埋めようとして。好奇心と興味が先走るように、目に見えない先へ先へと突き進もうとする私。

 

 

 

 心に空いた、塞がることのない穴を埋めようとして。これ以上穴が広がらないように、五感を最大限に活用して最良と思うものを取り入れることで良い子を、良い人を演じようとする私。

 

 

 帰路を走る中、そう思った私は気付きました。いえ、唐突に気が付いてしまった、と言った方が正しいかもしれません。

 

 

 私がこれまで生きてきたことも。今、生きていることも。

 全部自分のことばかり。HSSだとか、HSPだとか、それっぽいことを考えてきました。

 

 

 

 でもさ。

 自分以外の人のこと、何も考えてないじゃんか。

 違う?……そうだよね?

 

 

 

 

 今回は、ここまでにいたします。ご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

車・趣味】馴染みとなった、伊豆へ・三章 ~動物の楽園、アニマル・キングダム~

 暑い日が続きますが、朝は20℃を切るようになり始め、夕暮れ時は涼やかな風が吹くようになってきました。残暑と言えど、季節はしっかり進んでいるです。

 日の短さも相俟って、今年も終わりにゆっくりと、しかし確実に向かっていることを身に沁みて感じている、【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 さて、伊豆の地に降り立ち車の流し撮りを何とか成功させることができた私たちが、束の間の休憩を挟んだ後の話。

 こちらも少しずつ恒例化し始めている、動物園で癒やされる旅路。今回も、新しい動物園へ趣きカメラに収めて参りましたことについて、綴っていきます。

 

 尚これ以降の伊豆旅行の写真は、私の愛機が故障してしまったのでたーぼぅさんがお撮りした写真を使っています(ご本人より了承を得ています)。

 オリジナリティに欠けてしまいますが、何卒ご容赦ください。

 

 

 

 

 

 

 動物の楽園、アニマル・キングダム。自由気ままな草食獣たち

 

 今回案内していただいたのは、伊豆アニマル・キングダム。広大な敷地に数多くの動物が飼育され、その半数以上が放し飼い同然に自由気ままに暮らしている、名の通り動物の王国。

 

f:id:Rayleonard-00:20200819201018j:plain

 

 そっぽ向かれてしまいましたが、立派なガゼルから始まり。

 

f:id:Rayleonard-00:20200819202545j:plain

 

 反対側からその勇姿を拝みながらも。

 

f:id:Rayleonard-00:20200819201230j:plain

 

 別の子は「何奴?」とばかりに警戒し真正面から睨んできます。ただ口からはみ出している餌の若草が口元に。

 表情とのギャップが、見ていて微笑ましい限りです。

 

f:id:Rayleonard-00:20200819201656j:plain

 

 こちらはエミューさん。雨の後だったので体中泥だらけです。

 

f:id:Rayleonard-00:20200819201833j:plain

 

 私たちは動物たちが暮らすエリア上に掛けられた橋の上から撮影していますが、並んだら人間以上の体躯を誇ります。飛べなくなってしまった代わりに発達した脚で蹴られるようなことがあれば……。

 そんなことを考えさせられるのも、間近で動物たちと触れ合うことができるからこそ、なのかもしれません。

 

 他にも、動物園の代名詞の一つである、キリンやサイ。

 

f:id:Rayleonard-00:20200819203305j:plain

 

f:id:Rayleonard-00:20200819203424j:plain

 

 サイのツノは骨がなく、毛が進化し硬質化したものだそうです。

 

f:id:Rayleonard-00:20200819203556j:plain

 

 こちらはムフロンという草食獣。牡羊座を表すような特徴的な角を持つ種族で、その期限は定かではないとされています。

 

f:id:Rayleonard-00:20200819203813j:plain

 

 カメラを向ける私たちに興味を持ったのか、徐に近付いてきます。眠たげな目ではありますが。

 

f:id:Rayleonard-00:20200819203915j:plain

 

 そ、そんな睨むように見なくても……。

 

 

 更に小型の動物は、別の区画でのんびりしておりました。

 

f:id:Rayleonard-00:20200819204456j:plain


 ズザー ⊂(゜Д゜⊂⌒`つ≡≡≡ 

 

f:id:Rayleonard-00:20200819204640j:plain

 

 なんとなく、ションボリ?

 

f:id:Rayleonard-00:20200819204807j:plain

 

f:id:Rayleonard-00:20200819204837j:plain

 

 ウサギやモルモットも、身体を寄せ合う子も、自由に駆け回る子も。身体は小さくても、個性豊かな姿を見せてくれました。

 

 

 優雅に時を満喫する?肉食獣

 

 

 ところ変わって、肉食獣エリアへ足を運びます。

 肉食獣というと檻の中を忙しなく歩き回りながら、獲物を仕留める眼力、発達した四肢や顎や牙を見せつけ、強さのようなものを誇示する印象が強くあります。

 前回の茶臼山動物園でも、縁を結ぼうと励むライオンや吼えるように牙を見せつけたトラに圧倒されましたが、ここではどのような姿を見せてくれるのか。

 

 エリアに踏み入れると……。

 

 

f:id:Rayleonard-00:20200819205605j:plain

 

 顔の筋肉を緩ませ、あどけなささえ感じさせるチーターがお出迎え。

 

f:id:Rayleonard-00:20200819205702j:plain


 80~130キロの速度で獲物を追いかけ回す俊敏さと脚力を持つ君が、そんな穏やかな顔を見せるのか!?

 

f:id:Rayleonard-00:20200819210028j:plain

 

 「あ、どうもはじめまして。君、だぁれ?」

 こちらを向く顔も、興味と好奇心に満ちた優しい顔。

 ダメだ、ギューってしたくなってしまう。近付いた途端ガブリされるでしょうけど。

 

 いきなり心を射抜かれながら、次に待つのは。

 

f:id:Rayleonard-00:20200819210404j:plain

 

 ……デッカイ猫?ベロ出てますよ??

 

f:id:Rayleonard-00:20200819210449j:plain

 

 開いた片目から威厳を感じますが、オネムですよね?

 

f:id:Rayleonard-00:20200819210548j:plain

 

 はい、ライオンさんたちがゆったりお休み中です。寝姿までシンクロしております。

 百獣の王の威厳、どこへ置いて来てしまったんだ……。

 

 そして、本動物園の目玉に会いに行きます。

 

f:id:Rayleonard-00:20200819211144j:plain

 

 翡翠の瞳を持つ、ホワイトタイガー。間近で見ると、物凄い太い四肢と殺る気満々の目力。

 

f:id:Rayleonard-00:20200819211408j:plain

 

 「お主、我が領域に入ることは断じて許さぬ」

 この迫力、まさに肉食獣。人間なんて敵う訳がない。

 ですが、綺麗に整った毛並みと瞳は、不思議と見入るものがありました。

 

 ここにオオカミもいてくれれば、至福の喜びなのですが。

 などと変なことをこれ以上言うと食い殺されそうな気がしたので、ゆっくり手を振りながらお別れします。

 

 

 地に降りても尚、貫禄を見せる鳥類

 

 

 動物園で鳥、と言われればフラミンゴとお答えする方も多いかと思います。

 動かないまま片足で立ち並ぶ様は、さながら淡い紅色の彫刻の様。

 片足で立っているのは疲労などではなく、水辺に多くいる為に両脚で立つと水に体温を奪われてしまう為、それを避ける為に片足ずつ立つようにしているという噂があります。

 小さい頃、「片足で立ってて疲れないのかなぁ?」と好奇心と心配が混ざったような感情を抱きながらフラミンゴを見ておりました。

 

 鳥類は太古の昔、絶滅した恐竜の遺伝子を強く受け継いでいると言われ、私たちヒトを始めとする哺乳類や爬虫類から見ても異色の存在です。空を自由に飛べるものもいれば大地での脚力に特化するように進化したもの、海での活動に適するよう進化したもの。様々な進化系がありながら、それぞれ大空を舞う姿に憧れを持たせたり、愛くるしさを抱かせ、時にはヒトを超える頭脳をも持つものもいる。

 不思議でありながら、多くの関心を集める存在となっています。

 

 森の賢者と呼ばれ、飛行音を全く出さずに獲物へと忍び寄る夜の狩人。様々な感覚器官を最大限に活用し、頭脳も明瞭と言われている、このフクロウも。

 

f:id:Rayleonard-00:20200819211922j:plain


 正確にはアフリカワシミミズクという個体のようですが、夜行性のせいからか、何だか眠たそうです。しかしこう見ると、目がかなり大きいです。視力はどれくらいあるのでしょうか。

 

 

f:id:Rayleonard-00:20200819211957j:plain

 

 そんなことを考えている内に、こちらに気づいたようです。「何者!?」と驚いているようにも見えます。うーん、森の賢者とも哲学者とも呼ばれる彼らでさえ、このような仕草を見せるとは以外でした。純粋に可愛いです。

 

 

f:id:Rayleonard-00:20200819212030j:plain

 

 ほんわかしていると、今度は番人に転職したかのように鋭い視線を向けてきます。観察しているのか、分析しているのか。

 

 

f:id:Rayleonard-00:20200819212059j:plain

 

 「……ヒト、か。用などあらぬ、去るが良い」

 今度は呆れたような目を向けながら、私たちを見送ってくれました。

 表情豊かな子でした。漫画やアニメのように、次々と顔色を変える様子にすっかり心を奪われていました。

 親密になれば、もっと違う顔を見せてくれるのでしょうか。

 

 その場を後にし歩いていくと、鳥類エリアという暗幕で覆われた部屋を見つけました。小鳥のような囀りや甲高い声、様々な声が聞こえて来ます。

 

f:id:Rayleonard-00:20200819212135j:plain

 

 「また人間ですか。もうすぐ閉園時間ですよ?」

 部屋の扉を開けて出迎えてくれたのは、先程のミミズクよりも一回り小さなアフリカコノハズクです。この子は普段から来客と接する機会が多いのか、微動だにせず余裕の貫禄を見せていました。

 

f:id:Rayleonard-00:20200819212201j:plain

 

 

 ミミズクは警戒心が強くなると、近距離では思い切り羽根を広げて自分を大きく見せて威嚇します。

 逆に敵に見つからなそうな時は擬態の為に、顔を細くしてやり過ごします。

 この子は慣れっ子なのか、我々が近付いても全く動じません。

 寧ろ達観したかのような瞳は、どこまでも純粋で、真っすぐで。いつまでも見ていたい気持ちになります。

 ですが「帰りなさい、ヒトの子たちよ」と神々しささえ思わせるその姿を前に、私たちは写真を数枚撮るのが精一杯でした。

 

 

 番外編:クマーの子たち

 

 

 最後は番外編になりますが、一応名称ではクマと付いている子たちです。

 まずはこちら、アライグマ。

 

f:id:Rayleonard-00:20200819212342j:plain

 

 「わぁ、人間だ!餌くれよ餌!」

 希望の眼差しが、眩しすぎる。両足で立ってせがむかのように、こちらを直視してきます。口元も何気にニンマリ。これは完全にカモられるやつです。

 が、私たちが持っているのはカメラ。餌はありません。

 すると、どうでしょう。

 

f:id:Rayleonard-00:20200819212317j:plain

 

 「なんだよ、餌くんねぇのかよぉ」

 目を細めて、涙目になっているかのようにこちらを見る様子は、まるで人間の子どものよう。

 心做しか耳も垂れ気味。うわ、そんな顔で見られたら餌をくれたくなってしまう……!可愛いなもう。

 

 

f:id:Rayleonard-00:20200819212449j:plain

 

 すると次の瞬間には、「餌くれない奴なんて、どっか行っちゃえっ」と言わんばかりにそっぽ向かれました。

 こんなに愛くるしいのに、特定外来種に分別されていることが心に刺さりました。見た目の可愛さ故に、ヒトの欲望が齎したが為に一方的に除け者扱いされる。

 ヒトの醜くさを、考えさせられるひと時でもありました。

 

 

 最後を飾るのは、堂々と高台に鎮座するこの子です。

 

 

f:id:Rayleonard-00:20200819212524j:plain

 

 エゾヒグマ、その体躯は人間を遥かに凌駕しながら体重は100キロを優に超え、それでいながら50kmものスピードで駆けることができると言われる、日本における陸上生物の中でも最大の動物です。

 折の中でも一番高い場所に座し、見詰めるその先には、何が映っているのか。故郷の北海道の景色なのか、それとも。

 

f:id:Rayleonard-00:20200819212551j:plain

 

 ここで、まさかの舌を見せながらもスマイルを見せてくれました。強面なので若干引きつるような笑みにも見えますが、間違いなくヒトに教えられたものではなく、自然の笑顔。

 

 生きとし生けるもの、やはり感情のようなものは全ての生き物が持っている。

 自然とより共存するように生きる動物たちは、それらが生き生きとし、また眩しい位に輝いていました。

 

 ヒトも、かつては屈託のない笑みを浮かべ続けるような時代が、あったのだろうな。

 

 感傷に浸るような思いで、雨が降り始めたアニマル・キングダムを後にするのでした。

 

 

 今回は、ここまでにいたします。ご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

【車・趣味】馴染みとなった、伊豆へ・二章 ~雑談に耽る初日、初の流し撮り~

 ……暑い。35℃超えは長野生まれの人間には耐えられませぬ……。

 暦上では確かに残暑ではありますが、遅い夏の訪れと呼称しても良いのでは。

 そう思った瞬間、「あ、だから季節外れの暑さだから残暑なのか」と一人勝手に納得した、【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 熱帯夜続きで睡眠不足、という方もいらっしゃることと思います。(私は元々睡眠は薬頼りなので、除外)

 送り火も終わり、そろそろ秋ですねと申し上げたい所ではありますが、まだまだ暑さは続きそうです。

 暑さ続きの中マスクをしなければならないという極限状態ではありますが、適宜マスクを外し水分を補うなどして、熱中症にも気を付けていきたいところですね。

 ちなみに私は公共交通機関利用者ですが、開けたホームや駅から出た瞬間からマスクを外すようにしております。

 

 マスク常用の為に熱中症となり、搬送されるようなことがあれば、それこそ本末転倒。こんなご時世だからこそ、場所や状況を自ら判断して自己防衛と感染防止を進めて行きたいものです。

 

 

 さて今回も、前回の続きを綴って参ります。

 全国各地で浸水や川の氾濫を齎し、大きな被害を出した大雨の中、伊豆に到着した私と愛車Lupus。

 そこで待っていてくれた友との再会、翌日の写真活動について、私自身色々と初となるトラブルに見舞われた中。

 成功の裏に密かに、しかししっかりと準備してくれた盟友のありがたさを主としながら、語っていきます。

 

 

 

 

 

 

 伊豆の地で落ち合った友と語り、耽る夜

 

 

 ホテルに着いて安堵したのか、私はいつの間にか意識を手放しておりました。

 

 こういった時に見る夢に限って、大概ロクでもないものだったりします。

 愛車と駆け抜けて来た伊豆の地で、何でイジメを受けていた時の記憶が再生されるんだろう。

 当時の私を残して離れていった……いや、違うな。

 離れていくよう彼らに見切りを付けて独りの道を歩き始めた。そう自分に誓ったのに。

 こんな時だけ。

 夢の中で仲良くしたり、笑ったり。肩をすくめながら、協力するように振る舞って。

 まるで、いつまでも私という存在を見捨てないでと、言わないかのように。

 

 夢は、夢。現実はそんなに甘くも、いつまでも思い出に浸っていられる程楽なものではない。そう理解して、切り捨てたはずなのに、いつまでも私の脳裏から離れない。

 

 いい加減、目ぇ覚ませよ。私。

 

 そう思って目覚め、紫煙を燻らせ始めてすぐでした。

 

 住む場所も、歳も違う。それでも盟友と、親友と私を呼んでくれたたーぼぅさんから連絡が来たのは。

 すっかり部屋着になっていた私は慌てて着替え、部屋でスタンバイすること、数十分も立たぬ間にホテルまで向けに来てくださいました。

 お仕事後でお疲れなのに、私を迎えてくれたその顔は、変わらぬ温もりと柔和な笑みでした。

 

 私は勝手に伊豆入りして草臥れていたのに。

 どうして、そんな人を包むような笑みを浮かべられるのだろう。

 

 これが、器の違いなのかもな。

 そんな思いを胸に秘めて、合流した私たちは夕飯を共にしました。

 

 その後は恒例のカラオケに……という訳にもいかず、カフェレストランで寛ぐというのも気が引けた為、宿泊するホテルでゆっくりお話しすることになりました。

 先程の夢のことで、私が少し人恋しさのようなものを感じていたのだと思います。

 そんな私の我儘にも嫌な顔ひとつせず、たーぼぅさんは応えてくださいました。

 

 思えば去年までは色々な場所へ行って、その度に興奮と高揚感を味わって、飛び回ってばかりであったことに気が付きました。

 

 部屋で、ゆっくりと会話の時間が流れました。

  互いの仕事のこと、身体の調子のこと、趣味のこと。うかうかと出歩くことも厳しくなった、今のこと。

 それぞれの思いや考えを、惜しむことなく話しました。

 私は基本的に心のガードが堅く、自分の思ったことをすんなり外に出すことも苦手です。しっかり思いや考えを伝えられるのは、身内程度です。

 会社では猫を被って愛想良くしているつもりですが、胸裏に浮かんでいることはまた別ものであることが多いです。

 

 そんな私が思いを吐露できる人と出会えたのは、偶然でありながら奇跡的な出来事だったのだと、染み染み思いました。

 

 時を忘れて語り耽っている内に、時計は日付が変わる手前の時間を示していました。

 明日から、本格的に伊豆を楽しむ為にも、この日はお開きとなりました。

 天気予報は、朝から雨模様。晴れ渡らなくていいから、せめて曇り空で留まってほしい。

 そんなことを思いながら、ベッドに沈むのでした。

 

 

 

 愛機のカメラにトラブル

 

 

 翌朝、待ち合わせの時間よりも早く起きた私は、締め切っていた部屋のカーテンを開けました。

 

 そこには、薄っすら雨が降った跡と共に。

 雲の合間から、眩しい程の太陽が顔を覗かせていました。

 

 これまでも、悪天候を幾度となく退けてきました。気持ちが昂ぶるような、心が跳ねるような心境でいる時は、天気予報を覆してくれる。今回も、その例外ではありませんでした。遠出した数はもう数え切れない程となりましたが、雨に見舞われたのは二度しかありません。

 しかし、自分の晴れ男ぶりを自慢するよりも。晴れ女だった、今は亡き祖母に感謝するばかりです。

 

 さて、合流を果たした私たちは早速行動を開始。

 今回の目的の一つ、互いの愛車の流し撮りに挑戦です。

 電車が走る路線と旧国道が並列数分間続く場所があるので、そこを狙って片方が車を運転、もう一人が電車に乗車して車を撮影する、という計画です。

 静止したものを取ることは幾らでもできても、動くものをブレることなく撮影することは、慣れていないと難しいものです。私も真似したことがありましたが、互いに等速で移動していることが綺麗に撮影できる条件だったこともあり、困難を極めた記憶があります。

 

流し撮りもどき。

 

 この写真は数年前、私の愛車を後輩君が運転する様子を取ったものです。この時は車の走行に合わせてカメラを動かし、流し撮り「もどき」のように仕上がったものです。

 

 しかし今回は、本物の流し撮りに挑戦。時間も撮影できるチャンスにも限りがあった為、上手くいくかどうか不安と緊張で私は張り詰めていました。

 そんな私に、カメラの先輩であるたーぼぅさんが事前講座を開いてくださり、大体の感覚とタイミングを頭に叩き込みイメージトレーニング。

 その前に、電車までの時間があった為、互いの愛車が並んでいる所を撮りましょうということになりました。

 いつものようにピントを合わせて、ガシャンとシャッターを切る。

 

 その時でした。私が愛用しているカメラ、PENTAX K-70に異常が。

 

絞り制御部異常により、まともに撮れなくなった愛機

 

 上の写真は過去、夜景撮りをしようとした際設定をミスして真っ黒クロスケになったものです。

 これが昼間帯の明るい場所でシャッターを切っても、真っ黒な写真しか撮れなくなっていたのです。

 何度シャッターを切っても、設定をあれこれ変えても、直りません。

 昨日まで、こんなことなかったのに……。半泣きでその場で調べたところ、原因がすぐに判明しました。

 

  PENTAXのカメラで比較的多く発生している、絞り制御部の不良というものでした。

 

 現在のデジタル一眼レフカメラは絞り、シャッタースピード、ISO感度というという3つの要素の組み合わせで写真の出来が大きく変わります。どれも外界からの光をどれだけ取り入れるのかに関わるものですが原理そのものは異なっている為、この3つの設定をシチュエーションや被写体に合わせることで自然で機械的でない写真を撮ることができるようになります。

 

 然れどデジタル一眼の三要素の一つである絞りの制御部がダメになったことで、設定の如何に拘らず常に光を最小限になるようになり。昼間でも真っ暗な写真しか撮れなくなってしまうという結果となっておりました。

 

 折角、久し振りに写真を撮れる機会が来たのに。よりによって、こんな時に動作不良になるなんてっ……!

 

 落胆する私に、友は優しい声を掛けてくれました。

 

「白兎さんも同じカメラを使っていますし、私のカメラを使ってください」

 

f:id:Rayleonard-00:20200818194625j:plain

 

 向かって左の黒いボディのカメラが、私の愛機。右のシルバーボディのカメラは、たーぼぅさんのカメラです。

 本体もレンズも、同じものを使っています。

 

 とは言え、流し撮り初挑戦の私がいきなりぶっつけ本番というのも気が引けるものがありました。愛機もダメになってしまったこともあり、すっかり意気消沈していました。

 

 

 

 

 車と電車、双方に乗ることで織り成す一枚

 

  そんなやり取りをしている内に、電車の時間が迫っていました。晴れ間も、何とか持ち堪えてくれていました。

 まずは手慣れたたーぼぅさんが、私が運転するLupusを撮影することになりました。

 

 一回目。

 最初こそ電車と並ぶことができましたが、前方に規制速度を遥かに下回る速度で走る県外車に行く手を阻まれました。逸る思いとは裏腹に、電車はあっという間に姿を消して先を行きます。

 結果、タイミングが合わずに失敗。普段はお店に恵まれたバイパスの方へ車が流れるとのことでしたが、運に見放される残念な結果に終わりました。

 しかし、滅気ません。二回目に挑戦。

 今度は私が発進させるタイミングが早過ぎた為、またも失敗。自分の失態だけでなく、空には雲が広がり始めていたことも重なって、心の中でべそかく思いになりかけていました。

 やっぱり、ダメなのかな。

 

 そこに、叱咤するように友の鼓舞する言葉が飛びました。

 

 もう一回やって、それでもダメなら場所を変えましょう。

 

 そうだ。まだ雨も降ってきていない。初めての挑戦が最初から上手くいく訳がないんだ。

 やるだけやって、どうしようもなくなってから、初めて諦めろ。

 可能性があるのに、簡単に諦めようとするな。

 

 諦め癖がすっかり付いてしまった私に、再び火が灯りました。

 ダメ元でも、次の一回で決めてやろうじゃないか。

 

 良い開き直りと決意で表情を引き締め、三回目の撮影。

 

走る愛車のリア。運転する身では、決して見られない光景。

 

 先頭車両を目標に、アクセルとブレーキを微調整。電車の速度に合わせるようにしながら、前方にも注意を配る。

 

草むらと重なる愛車。スピード感がマシマシ。

 

 偶然撮れた、草むらの中から飛び出た愛車。疾走感が迸る。

 


 公道を駆け抜ける愛車と私。俯瞰視点だと、こんなにも躍動感が溢れるものなのか。

 

 

 走り終え、駅から降りてきたたーぼぅさんに向かい駆け寄る私。

 友の顔は、サムズアップと満足さに満ちた笑顔。

 相棒を、こんなに綺麗に撮ってくださったことに感動に浸り言葉を失った私でしたが。

 

  私だけが、この高揚感に浸っていてはなりません。今度は、親友の勇姿を収める番です。

 

 しかしながら、私のカメラは今回は使用不能が確定していました。

 流し撮りの前に了承を得ていたものの、幾ら慣れ親しんだカメラだと言えど、友人のカメラを易々と使っていいものなのだろうか……。

 相も変わらず、私は優柔不断でした。

 しかし、私と相棒を収めてくれたカメラを掲げなが。

 たーぼぅさんはニッコリ笑いながら「大丈夫ですよ」とだけ言ってくれました。

 その笑顔を裏切らないよう、私は友のカメラを握りました。

 ありがとうございます、と言いながら。

 

  

 先程の撮影で、互いに発進のタイミングや撮影できる場所は把握できていました。しかし、ここでまさかの弱い雨。

 私が、手こずったから。傘を差しながら、落胆に浸る私は電車を待つ他ありませんでした。

 

 それでも、電車に乗った時には気持ちが切り替わっていました。

 友と、その相棒の勇姿を。今度は、私がしっかり収める。

 

 一回目は電車のタイミングが完全に合わずに終わってしまいましたが、臨んだ二回目。雨は振りこそしましたが、空は明るく輝き始めていました。

 

晴れ渡った空よりも、曇り空の下映える白のアクセラ。

 

 たーぼぅさんの相棒、Camino de Esperanza(希望の道)の駆け抜ける様を。

 

 

 マスクを着用した乗客が静かに座る中を藻掻くように。電車の揺れで転びそうになっても、カメラだけは必死に握り締めて。

 

 

 不審者と思われても、変人と思われても。シャッターを切り続けて。

 

 合流し、上手く撮れたかどうか不安な私は内心ドギマギしながら写真を見せた時。

 

 喜びを隠すことなく笑みをくださった、友の顔。初めての挑戦で、ピントも疎らな写真でしたが、喜んでくれたその顔に、私も思わず顔を綻ばせながら。

 

 この日泊まるホテルに向かい車を走らせ。

 

レゴシも大好きなたまごサンド。

 

 近くのカフェで昼食にし、私の好きなBEASTARSのレゴシの好物たまごサンドを頬張りながら、久しく味わう喜びと感動に浸りました。

 

 その時、外を見ると。

 通り雨が、夕立の如く激しく振りながら。

 夏の伊豆の地を、冷やしていくのでした。

 

 

 今回はここまでといたします。ご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

【車・趣味】馴染みとなった、伊豆へ・一章 ~行く手を阻む大雨、忘れぬ運転への意識~

 お盆も半ば、8月の頭までの大雨が嘘のように晴れ渡る日が続いていますね。

 各所で猛暑日を次々と観測し、夏の本番を思わせるような茹だる暑さ。盆休み返上で仕事へ行っておりましたが、駅から会社までの行き来だけで滝のような汗をかいてはフラフラになっております、【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 先月7月。急に依頼された仕事を急ピッチで終えたり、意味もなく時間ばかりが過ぎていく会議に参加したり。

 何より休日にストレス発散目的で出かけることも叶わなくなったことに、苛立ちと虚無感を覚えてばかりでした。

 新型コロナウイルスの蔓延が自粛と自己防衛に拍車を掛け、自分で自分を戒め、自制に疲れていたのだと思います。

 

 去年までのように、愛車と一緒に駆け抜けたいな。

 

 好奇心と自衛心のジレンマに陥り、ブログに打ち込むこともできなくなり始めていた私は。衝動買いを繰り返すことでしか、己をコントロールすることができなくなっていました。

 

 そんな時、盟友からとある提案がありました。

 

 「こちらへ遊びにきますか」と。

 

 正直、結構悩みました。

 時期が時期だけに、他県へ行って良いものなのか。自粛警察や地元の方々に、他県から来た私を疎ましく見るのではないか。

 他県ナンバー狩りの魔の手が、愛車に襲いかかるかもしれない。

 

 それでも、私は「よろしくお願いします」と答えました。

 

 余りにも自分を抑えつける行為。喩え自分の気持ちのみならず、社会の動向に合わせる形での自制であっても、我慢の限界が来ていたのも事実でした。

 元々じっとしていることが苦手で、唯でさえエネルギーが有り余った状態のHSSの気質を持つ私には、様々な情報を取り入れ慄くHSPの気質を凌駕しているような状態。

 

 それだけでなく、新型コロナウイルスに感染すること自体は、私の中では最早仕方のないことだと考えつつありました。

 一方で自分はともかく、身内や会社にウイルスを持ち込むことは避けたい。

 

 正直に自分の気持ちに従って良いものか、悩みました。

 

 でも。

 行きたい。初めて行った時は遠い道程だったけど、いつの間にかすっかりお馴染となった伊豆へ。

 そしてそんな私を気兼ねなく誘ってくれた友に、会いに行きたい。

 

 誹謗中傷覚悟で、7月の25日から3日の予定で、久方振りとなる遠出へと出立するのでした。

 

 

 今回から数回に分けて、伊豆への旅路を綴っていきたいと思います。

 トラブルと束の間の高揚感に満ちた伊豆は、これまでにない初めての体験ばかりとなりました。

 初回となる今回は、その道中で遭遇した恐ろしい経験と。

 伊豆を訪れた時の感覚とこの度訪れた時との違いを、自分なりの成長と感じることができたことについて、お話しして参ります。

 

 

新たな装備と共に、いざ伊豆へ。



 

 

 

 

 

 

 無慈悲な雨と木漏れ日のような陽光

 

 当日、心療内科の診療と処方箋を受けた後、伊豆への旅路へ着くこととなりました。

 連休の半ばということもあり、混んでいることはある程度予想し、目的地であるホテルへの時間をナビアプリで計算した上で、休憩等を加味した上での時間は。

 おおよそ、四時間半から五時間弱。距離で言えばそれ程厳しいものではありませんでしたが、下道を通る関係上不確定情報が多かったこともあり、お昼前に長野を出立しました。

 途中、余裕があれば昼食をどこかのSAで摂るか、混んでいそうならコンビニ辺りで適当で済ませよう。

 

 甘く考えていた私の判断が、誤りの始まりでした。

 当日の天気は終始雨模様。しかも降水量も土砂降りを予期させていました。

 長野の地を出る前後は曇り空だったこともあり、これなら何とかなるかも……と考えていたのも、束の間でした。

 

 高速道路に乗り、いざ。その時でした。

 

 猛烈な大雨。

 近年では「バケツをひっくり返したような」だとか「数十年に一度」と呼ばれるようになって記憶に新しいです。

 

 そういう大雨、毎年来てますよね?

 

 愛車はレインセンサーワイパーという、センサーで読み取った雨の強度に応じてワイパーの早さを自動的に変更する機能が付いています。

 それがひっきりなしに、常にハイスピード状態。それでも、前が見えませんでした。

 降りしきる雨、前を行く車が跳ねた路上の水。飽和水蒸気量を超えて霧と化した一帯。

 実質、ホワイトアウトしているような状況と言っても過言ではありませんでした。方向感覚が麻痺するだけでなく、「自分がどこへ向かって進んでいるのか」がわからなくなる状況というものは、想像以上に恐ろしいものです。

 更に昼間帯ということもあって、目印になるのは淡い誘導灯とカーブの注意喚起を示す看板のみ。自分が走る道路を進行する車の視認さえ困難を極め、運転を司る私にできることと言えば。

 昼間帯ということで光量は十分と判断し機能しないオートライトを無視して主導でロービームを点灯させること、そしてスピードを控えること位しかありませんでした。

 

 このような時でも、「自分は見えているから」「自動なんだから、車に任せればいいだろう」とライトすら付けずに猛スピードで走り去っていく車もいる中、ハンドルをしっかり握り取られまいと歯を食いしばる私は思いました。

 

 何でも、機械任せにしたり自動化することに頼り切るのって、やっぱりいけないよな。

 

 幾ら便利になった世の中になったと言っても、機械に全部を委ねる……というのは、やはり私には同意しかねることです。

 専ら機械を相手にする職に就いているということもありますが、幾ら精密にできていて、どのような状況を想定しプログラムされたシステムであっても。誤作動や故障の可能性だけは、決して「0」にはできません。

 もしかしたら、整数に表せないほど細かく、小さな確率なのかもしれません。しかしそれでも、万が一その確率に当たるようなことがあった時。

 どんな被害が出るのか、どのような損害を被るのか、予想も尽きません。ましてや「機械の誤作動のせいです」なんて、とてもではありませんが理由や言い訳に出来るはずがない。

 安心や安全など、あり得ない。それは機械が確立するのではなく、操り使う私たち人間が作り上げるものなのだから。

 

 以前も述べた話を蒸し返すようなことになり、失礼いたしました。本編に戻ります。

 

 梅雨の延長を通り越して降り注ぐ雨は、容赦も慈悲もなく続きます。

 

 しかし富士山の麓を超え、山梨と静岡の県境に入った頃でした。

 大雨の中、休んだらもっと悲惨なことになると走り続け、流石に精神的にも腰痛的にもキツくなってきたと感じ立ち寄ったとあるPA。

 愛車から降りた私を待っていたのは。

 大雨を齎した黒い雲の合間から覗く、木漏れ日のような陽光でした。

 

 私は、晴れ渡った空よりも雨がしとしとと降り注ぐ天候が好きです。地面を、屋根を優しく小気味よく、穏やかに叩く雨の音と特有の匂いが、凝り固まった心に滲みるように感じるからです。

 

 然れどそこに至るまでの雨は、恐怖を思わせるものでした。一歩間違えれば、大事故にも大災害にも至る程の強力で、人間の存在などあまりに小さく感じさせる。自然の脅威とも、猛威とも言えるものでした。

 その最中、唐突ながらも緩やかに差した太陽の光を、サングラス越しで見上げた私は。

 

 太陽って、こんなに温かくて優しいんだっけ。

 

 そんな、子どものような考えと笑みを浮かべながら、紫煙を吹かしていました。

 

 

 

 

 雨にも負けず、自分にも負けず。そして降り立つ伊豆は、穏やかに満ちて

 

 

 ホッと息を吐き、気合を入れ直した私は、目的地へ向かって愛車を再び走らせました。

 前日に洗車を終えていたことも助けとなり、叩きつける雨も綺麗に弾いてくれたことも相俟って、精神的な負担を大分和らげてくれました。

 この調子で、一気に伊豆まで。

 

 その矢先。国道をひた走り新東名高速道路に乗ってから、悪夢のような出来事が起こりました。

 

 当時新東名の上り線の一車線は工事中で、恐らく水気を吸収し反射や滑りを防止する為に浸水性舗装に切り替える工事をしていました。これは真っ黒な見た目と一見ゴツゴツした見た目が特徴の路面で、雨が降っても雨水等を通すことで水たまりを作らないことを目的に開発された素材で、一般道路にも採用が広がっているものです。

 これによって車が高速で走るような道路で陥りやすい、ハイドロプレーニング現象という危険な状況を未然に防ぐようにしています。

 

 が、今回はその工事現場が却って仇となることとなりました。

 微妙に傾斜した工事車線が吸収しきれなかった雨水が走行車線に流れ込み、大きな水たまりを何箇所も、しかも連続で作っていたのです。

 そこに侵入する車が辿る末は……。

 路面とタイヤの間に水が入り込んで滑っていくような挙動をする、ハイドロプレーニング現象に見舞われることとなりました。

 

 雪国にお住まいの方はご存知かもしれませんが、雪が降った翌日に凍りついたり圧雪となった路面を走る時に滑ってしまい、ブレーキもハンドルも効かなくなってしまうことがあります。

 雪国や氷国(冬に雪は降らないが、気温が著しく下がることで路面が凍結しやすいところ)の人間ならすっかり慣れていても、それが夏場でも同じような状態に陥るのがハイドロプレーニング現象です。

 概略自体は知ってはいましたが、実際に体験するのとは全く違うものでした。

 ザバーっと水を跳ね上げながら水たまりを走る間だけ、ハンドルが固まったかのように全く動かすことができなくなり。驚く余りにブレーキを踏んでスピードを落とすこともできず、状況に身を委ねるしかない状態。

 車を運転する者として、愛車を駆る者として成す術もないまま無力感にひれ伏すしかない。そんな思いは、私の中で恐怖へと昇華していました。

 

 それを繰り返すこと、十数分。たかが十数分、然れど果てしなく長い時間、路面と陽気と闘っていたような気がしました。

 

 その時でした。

 

 伊豆の入り口である沼津に近づくにつれ、雨は止み始め、再び日が差し始めていました。

 恐怖に心折れそうになっていた私には、後光にも見える希望の光でした。

 異常事態から抜けられた私は、次第に余裕を取り戻していき。そこからは、これまで幾度となく訪れた場所までの道中を走り抜けていきました。

 いつも以上に。これまで以上に、気を引き締めながら。

 

 とは言いつつ、高低差の激しい道が瞬く間に変わりゆく伊豆の道は、寧ろ私に高揚感を齎しました。

 長野生まれである私ですが、場所によっては東京タワーとほぼ同じ標高から倍以上のところ。最も高い所では山よりも高い2000mを超える峠すらあり、高低差を行き交う道程には慣れているつもりです。

 しかしながら伊豆は長野以上に標高の移り変わりが激しく、海抜0地点から一気に400m近くまでを駆け抜けるような過酷な場所も沢山あります。

 そのような場所では長野と同じく、一気に駆け上がったり下ったりすることが難しいことから、様々な角度のヘアピンカーブが連続します。場合によっては180°展開するような所もあります。

 その山道とも海上からの急勾配とも呼べる道を、愛車とともに走り抜ける。その様は、地元の道を走っているような錯覚さえ感じさせるものです。

 

 初めて伊豆を訪れた時は、本当に「何だよこの道っ!?」「伊豆って平坦な場所だと思ってたのにぃ!!」と一人車内で泣き喚いていましたが。

 

 そのような恐れは鳴りを潜め、登りは愛車のディーゼルエンジンが齎すトルクとターボの力強さで十分過ぎる余裕を持って駆け上がって。

 下りは逆に、回転数を活かせないディーゼルの弱点を補うようにブレーキとエンジンブレーキのバランスを取りながら、下っていく。

 初めての伊豆は、ノーマル車同然であったこともあり車の特性と有り余る力に翻弄されていた私でした。

 

 車体購入金額と同額か、それ以上にチューニングし自分好みの乗り心地と動力指向に染めた愛車と共に駆ける伊豆の道は。

 それまでの鬱憤を忘れる程、夢中になれる時間を齎してくれました。

 

 勿論、巷で話題の煽り運転だけでなく。周りにまで自分の趣向を押し付けるような運転を抑えながら。

 前方車がスピードを控えているなら、距離を保ちながらハンドルから伝わる路面状況を楽しみながら。

 後続車が急ぐように距離を詰めてくるようなら、お先にどうぞと端に寄って先に行かせて、自分のペースを崩さないようにして。

 

 運転は、楽しむもの。決して車の性能任せに、他車を見下すような運転は、車のせいではなく運転者の問題である。

 車が悪いのではなく、それを制御し切れない運転者の技量や性格に問題があるのではないか。

 

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。最近報道される車の問題は、まさにそれなんだろうな。

 

 そんなことを考えながら運転を堪能している内に、ホテルのある東伊豆に到着していました。

 

 海が目の前のそこは。海風も穏やかで、雨も止んで曇り空ではありましたが。

 穏やかな雰囲気だけが、どこまでも広がっていました。

 

 

 

 辿り着いたホテルの一室。安堵して眠ってしまって

 

 

  例年以上に長引いた梅雨の影響を受け、まさかの事態に遭遇することとなってしまった、伊豆への上陸。

 幸い早くホテルに入ることができた為、少し仮眠を取ることができました。

 

 仕事を何気なくこなしているだけでは味わえない、高揚感。その後に訪れる、満足さと疲弊感。

 忘れていたようで、身体が覚えていた感覚を久しぶりだと思うよりも。

 

 凝り固まった心と感情を揺り動かして止まない、言葉にできない思い。

 何だか、懐かしいなぁ。

 

 そんな思いと共に、持ち込んだPCの動画を流しながら。

 

 私は、いつの間にかうたた寝しているのでした。

 

 

 次回は仕事終わりの友と再会し、時間を忘れて話耽ったことと。

 その後初めてとなる写活について、綴る予定です。

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、又次回まで。

 

 

 

相棒Lupusから、皆様へ。

 

 Lupus「白兎の長い語りグセのせいで、導入だけで5000字を超えてしまいました。どうかお許しを乞うと共に、お付き合いくだされば、幸いです」

【生き方・価値観】新型コロナとインフルエンザ ~医療従事の身内の言葉~

 もうすぐ、迎え盆ね。本日は子どもの頃から行って十数年経つ、盆提灯の準備を行いました。

 

 

 私の住む地域は少し異なる特徴を持つお盆の迎え方をします。

 遡ること、江戸時代。当時大災害に見舞われた水害により、多くの方が亡くなりました。その方々の魂を弔い、安寧を願う為にお盆の前にお墓参りをする習慣があります。その為お盆の際はお墓に行くことはなく、迎え火と送り火は自宅で執り行い、先祖を迎えそして送ります。

 

 当たり前だと信じていた習慣でしたが、会社で話した途端。そのような文化は私が住む地域を含んだ、極一部に限られたものであることを知って、自分の世界が如何に狭いことかを思い知らされた十年前の思い出に浸っている【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 日本では正月と並ぶ伝統である、お盆。血縁者や身内が帰省し寄り添い、思い出話に華を咲かせながら、迎えた先祖の魂と共に同じ時間を過ごす、大切な時間。

 そのような行事にさえ影響を与え、今も尚、帰省や移動にも大きな制約や自粛という精神的圧力をかけ続ける新型コロナウイルス。

 長野県でもこの二週間だけで、感染者が大きく増えておりますが、幸い重症化した方はいないとのことだけでも胸を撫で下ろす思いでいます。

 

 しかしながら、このような異常事態にさえ行動の責任を個々人の判断に任せるような言動しか出さない国の舵取り組には、苛立ちと呆れしか持てません。

 

 とは言え、このような場で個人的な思いを吐き捨てたところで日本が良くなる訳がないので、本題に移って参ります。

 

 先日、母の姉であり私の伯母が、母の誕生日祝いということで我が家に顔を見せてくれました。

 母が兄や私を産んだ時には、今は亡き祖母と共に私たちの世話をしてくれた恩人であり、十数年経つ今でも太陽のような明るさと公明正大さを持つ人です。

 伯母と母が繰り広げるマシンガントークを前にすれば、私のような口下手な人間は手も足も出ない活発で活気に満ち溢れています。身内故にという偏見もありますが、とても六〇代後半に入ったことなど感じさせない、陰陽で言うなら陽をひたすら行く伯母は。

 長年看護師を務め、今もその知識と腕は健在です。小さな身体の母がお産でダウン気味の所を、兄や私を自分の息子のように接してくれ、育ててくれた第二の母親とも思っています。

 

 そんな伯母が、新型コロナウイルスについて溜め息混じりで話し始めたことが切っ掛けでした。

 今では前線を退き病院の受付の仕事に従事していますが、これまで多くの現場を駆け抜けてきた医療のプロの言葉は。

 これまで開示してきた政府やマスコミの説明や報道などよりも、医術とは程遠い機械弄りをするような、素人の私でさせすんなり納得させ。

 正しい知識や物の見方を知らないことが、どれだけ人間という生き物を混乱させ陥れることになることになるかを、痛感させるものでした。

 

 その言葉は、短くも的確でした。

 

 新型コロナウイルスも、インフルエンザと同じ。風邪の症状で済む人もいれば重篤化することもある。しかもインフルエンザウイルスは変異し続けるのだから、新型コロナも同じように付き合って行くしかない。

 

 

 今回は医療の専門家である伯母から受けた言葉を受けて。

 未だ未知の域を出ない新型コロナウイルスの驚異を、知らないというだけで過剰な程恐れていた私に安堵を齎してくれたこと。

 それを受けて、今の日本に必要なことはワクチン以上に、ウイルスがどういったものであるかを概要程度でも良いから正しく知ることと共に。

 ウイルス感染者を敵視する風潮にある今だからこそ、真の敵は感染者ではなくコロナウイルスそのものであると再認識が必要であると考えるに至ったことについて、綴って行きたいと思います。

 

 

 ※注記※

 医療に従事する身内の言葉があったとは言え、本記事で綴る内容は飽く迄感銘を受けた素人である私の思いです。

 飽く迄感染症に対する意見の一つ、という域を出ることはないことだけは、どうかご容赦ください。

 ※注記終了※

 

 

 

 

 

 

 感染者数ばかりが取り沙汰される新型コロナウイルス

 

 

 連日報道される、新型コロナウイルスに関する話題。これといった展望も希望もなく、ただひたすら感染者数ばかりが取り沙汰されています。どの都道府県で、どれだけの数の感染者が確認されたか。前日を上回っているだとか、過去最悪の数だとか、そんなことばかりです。

 確かに、どれ程の規模で感染が広がっているのかというものは、大切な情報の一つです。

 

 しかし、おかしいと思った方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

 感染者数は、検査で陽性反応が出た人の、恐らく総数です。

 ですが何故、その内のどれ位が無症状の人なのか。重症化してしまった方はどの程度いるのか。

 そして亡くなった方だけでなく、反対に回復して日常に戻ることが出来た人は何人なのか。

 

 皆さんは、そんな疑問を抱きましたでしょうか。

 

 私は感染者の総数よりも、そういった内訳のようなものがどうして数字として出てこないのかが、不思議でなりません。

 

 漠然とした全体数ばかりで、何故細かな内容を報道できないのだろうか。

 新型コロナウイルスが未知のウイルスであり、治ったと退院した人が再発したり、ICUに運び込まれて数週間で絶望視されていた人が奇跡的に回復したといった、あまりに特異で人体にどういった影響を及ぼすのかさえ、未だにわかっていないこともあるかとは思います。

 ですが人間は、喩えロウソクに灯るような火のような、小さな希望なくして。絶望に立ち向かう勇気や気概をたちまち失って、最期は絶望に暮れてしまうと思うのは、私だけでしょうか。

 

 誰もわからないのだから、多少誤った情報が錯綜するのは仕方がないことだと思います。勿論、本当に性格な情報を求める方には、このような曖昧さも嫌うでしょう。

 それでも、医療に従事できない私のような人間には、輪郭程度で構わない。

 仮に感染してしまったとしても、無症状や風邪程度の軽症で済むのか、それとも重症化する可能性があるのか。

 条件が複雑過ぎて、そんなものなど分類できないことは、わかっているつもりです。でも、指数となるようなものは、どうしても欲しいことに変わりません。

 

 何故なら。

 

 感染してしまったら、終わり。

 

 そんな風潮の今の日本において、少しでも指標程度になるデータがあれば、少しは認識が変わると思っています。

 

 私だけならまだしも。

 仮に身内が感染した時に、誹謗され蔑ろにされた時。

 私には、耐えられるとは思えないからです。

 

  

 

 その陰で猛威を振るっていたインフルエンザ

 

 

 新型コロナウイルスが蔓延する前まで、日本だけでなく世界中でも流行し猛威を振るう病気があります。

 インフルエンザ。

 後にスペインかぜと呼ばれる、世界的大流行を引き起こした張本人。当時の世界人口の1/4が感染し、文献が多過ぎるあまり死者数は今も正確な値が出ていません。

 現代では治療薬や対処法、そして知識が一般の人にも広がったこともあり、そこまで恐ろしい病気であると大きく言われなくなってきています。

 

 しかしながら、今もインフルエンザが悪化して亡くなる方が大勢いらっしゃることもまた、事実です。

 今年の冬、アメリカで大流行したインフルエンザ。新型コロナウイルスの報道ですっかり陰に隠れてしまいましたが、アメリカだけでも2600万人が感染し、内14000人もの方が亡くなったとのことです。

 

 日本では然程蔓延しなかったものの、これまでインフルエンザによって学級閉鎖や高齢の方が患い亡くなるというニュースが飛び交っていました。

 

 認知や治療法が確立されているのに、何故。

 それは新型コロナウイルスと同じように。

 インフルエンザもウイルス型の急性疾患であること。

 そしてウイルスは、変異しやすいという研究データがあるからです。

 

 

 

 

 

 インフルエンザが変異したように、コロナウイルスも変異する

 

 

 元々インフルエンザウイルスは水鳥(カモなど)を宿主にする、毒性の弱いウイルスであったそうです。

 それが突然変異を起こしてヒトへと感染する能力を得て、私たちに猛威を振るうようになったと言われています。

 

 それだけに留まらず、幼児のインフルエンザ脳炎を引き起こすこともあれば、肺炎となる引き金になったりと、私たちヒトを殺すことも容易にあります。

 

 インフルエンザ脳炎と聞いて、小学生の頃に予防接種を受けたことを思い出した方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

 当時は注射が(正確には痛いことが)大嫌いだった私は、仮病を使ってでも避けようとした、今では思わずクスリとしてしまう思い出があります。当然避けることもできず、注射の痛みで泣きそうになるのを、クラスメイトに笑われないよう必死に我慢したものです。

 

 話はまた変わりますが、十数年前に鳥インフルエンザというものが話題となり、感染するとどうなるかわからないことから世界中が恐怖に陥ったこともありました。

 それだけでなく、同じ時期に大流行した豚インフルエンザ。

 今では新型インフルエンザと呼称されていますが、当時は毒性が強いことが報じられ、実際に数千人の方が亡くなりました。

 

 さて、鳥インフルエンザも豚インフルエンザも、宿主となる生き物の違いだけでなく。

 宿主の体内で変異を起こし、ヒトへの感染力を得るに至った、所謂変異が起きています。

 

 ここで、個人的に思ったことがあります。

 

 先述した新型コロナウイルスは、新型呼ばれるだけあり、元となるウイルスの存在は既に知られていました。

 それが突然変異や、時には陰謀論とされる遺伝子操作によってヒトへの感染、症状を引き起こしていると言われています。

 実は、過去中国で発生したSARSやMARSも、新種のコロナウイルスが原因であったと確証されています。

 

 では、今蔓延する新型コロナウイルスも。

 インフルエンザウイルスと同じように、もしくはSARSやMARSのように。

 既知のウイルスとは大きく異る特性を持つ為に、対抗する手段や研究が大きく遅延することになり。

 結果として、ヒトを脅かす未知の強力なウイルスであると、不可逆的に認知されたのではないか。

 それが医療関係者のみならず、一般人に恐怖の象徴としての印象を刷り込まれたことで、先述したように「感染したら最後」という認識をさせられていると、思えてならないのです。

 

 

 

 新型コロナウイルスへの歪んだ認知は改める必要も

 

 

 季節は帰省シーズンとなりながら、新型コロナウイルスの罹患リスクを抑える為に、私が通勤で使っている新幹線もガラガラ状態です。

 当たり前、なのかもしれません。

 帰省を機会に新型コロナウイルスに感染し発症するようなことがあれば、周りからどのような目で見られるのか。考えだしたら、とても切りがないことと思います。

 

 私も通勤途中で万が一感染したらなどと、怯える日々を半年以上続けています。

 

 しかし、です。

 

 敵の正体を知らないまま恐れることと、敵をある程度知って警戒することでは、意味合いが変わってくると思っています。

 少々荒い言葉になりますが、とある有名な哲学者の言葉があります。

 

 無知こそ、最大の罪である。

 

 知らない事ほど、怖いものはありません。相手がわからないからこそ、ヒトは余計に怯え警戒し、最大限の排除を試みようとします。

 自粛警察やマスク警察、果てには帰省警察がその良い例だと思います。

 

 そうやって自分こそ正義、と思い込んで周りを排他するよりも。

 多少の誤りがあったとしても、自分なりに情報を仕入れ、吟味して、取り入れる。それ位のことなら、私たちにもできると思っています。

 

 

 看護師の伯母は言いました。

 新型コロナウイルスは、宇宙人と戦っているようなものだと。

 

 それでも、最大の敵は感染者ではなく。

 感染を齎した、新型コロナウイルスなのだ、と。

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、又次回まで。

 

 

f:id:Rayleonard-00:20200812220151j:plain

 

【車・価値観】せめて、愛車の中では紳士で-後章- ~車内にいる心理~

 夏の到来を思わせるような灼熱の暑さがやってきたかと思えば、もう立秋が過ぎていましたね。暦では、もう秋となりました。

 もうすぐお盆。日本が古来より受け継がれてきた、現代でも貴重な行事の一つと思っています。

 盆過ぎれば暑さ和らぐかな。

 今年は例年以上に気温が上がらず、私の住む地域は寝る時には窓を開けていれば十分涼しくなり、下手すれば風邪をひくような今宵。

 他方で皆さんは暑さに負けず、しっかり睡眠を取れているか心配になっている、【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 先日後悔した記事ですが、誤字脱字のみならず、目次と見出しがメチャクチャになっていることに後々気づきました。現在は修正しておりますが、お目汚し、大変失礼いたしました。

 また内容も車に関することだったはずが、後半は私の回顧録のようになっておりました。

 運転に関することを書くための切っ掛けとするつもりが、思いの外思い出に浸っていました。普段声に出して先輩や後輩に、或いは身内にも昔語りをしない分、気持ちが文章となって表れたのだと思っています。

 って、これは言い訳ですね。すみません。

 

 さて、前回書き切れなかった分について、今回綴って参ります。

 車を運転する心意気やマナー。道路交通法で定められている数々の規制ではまかないきれない、ヒトの精神に委ねられることは。

 実は、それまで慣用句や比喩として用いられてきたことでさえ、科学的や心理学的に立証され始めていることを知ったこと。

 それを知ってから、報道される運転に関わるトラブルや事故が続く中で、「自分が幾ら気を付けても、場合によっては相手を苛立たせたり逆撫でするようなことをしているのかもしれない」と思ったと共に。

 せめて自分だけは精神的・感情的な運転をしないよう、愛車の中では紳士であり続けたいと願い、意識し始めたことについて、思いを言葉にしていきます。

 

 尚前記事については、下記バナーよりご覧できます。よろしければ合わせてお読みいただければ、幸いです。

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 「ハンドルを握ると性格が変わる」。それには根拠があった

 

 

 運転免許を取得して、実際に運転するようになって。

 

 皆さんもどこかで耳にしたことや、実際に指摘された言葉が少なからずあると思うものがあります。

 

 ハンドルを握ると、性格が変わる。

 

 普段は穏やかで柔和である人が、車のハンドルを握った途端に猛スピードで走らせたり。

 ハンドルを握るといつもの性格はどこへやら。周囲の車にだけでなく、歩行者や自転車にも暴言を吐き捨るようになってしまう。

 

 皆さん自身はそういった経験や、周りにそのような方はいらっしゃいますでしょうか。

 正直、怖いかもしれませんね。いきなり運転や言動が荒くなったりしたら……。

 

 私も、その一人。運転のみならず、車に乗って走り出した途端に心意気が大きく変化します。

 

 怖いかもしれない、と断定ではなく投げ掛けるようにしたのは、自分では怖いかすらわからない為です。

 

 私の場合は前回の記事でも述べた通り、罵詈雑言の激しさと気分次第で理性を失いかけるという危険なものです。

 安全運転だけでなく、事故を起こしたら自分だけでなく他人を巻き込むことになること。

 何より、小さなことでもすぐカッとなってしまう自分の器の小ささ。後続車がいないのに無理にこちらの前に出た車に、一々イライラして。その車がスピードに乗らずにノロノロしていれば更に暴言ばかり吐いて。

 ずっと気になりながらも、どうしても直すことができずにここまで来てしまいました。

 

 何故そのような心境になってしまうのか。

 血液型診断が流行っていた頃は、A型はそういった傾向が多いという、根拠も何もない、単なるせっかちな性格や律儀さが仇となってなどと、偏見も甚だしいものが散見されました。

 

 それは、本当なのでしょうか。

 

 そこで様々な文献を漁っていく内に、ハンドルを握ると性格が変わるという言葉は。

 最近ではより心理学的や精神学的に説明されてものが出てきていることを、皆さんは御存知でしょうか。

 

 興味深い文献がありましたので、ここでご紹介いたします。

 

 まず、ヒトという生き物は他の野生動物と比べて頭脳が発達しているという点を除けば、身体的にはとても特化した生き物ではありません。

 そんな弱い、私たちヒトが他の動物の頂点に立っていることができるのは、全身の体積と比較した時の脳の容量が、遥かに多種族を凌駕していることにあります。

 強靭な肉体や武器を持つ動物たちに立ち向かう方法は、自ら武器を作り上げて戦闘力を向上させるだけでなく、戦術や戦い方を本能と理性の双方で考えることで立ち向かってきたのではないかと、個人的に考えています。

 

 言わば私たちの先祖は、肉弾戦よりも頭脳戦で生き残ってきたとも言えるのではないでしょうか。

 

 さて、ではこのことと運転、車を操ることに同関係しているのか。一見関連性のないように見えるかもしれません。

 しかし私はとても興味深く、ヒトの生きてきた歴史が着々と受け継がれていることを示しているように感じてなりませんでした。

 

 そう思うに至った、一つ目の文献。

 それによると、ヒトよりも遥かに大きく力を持つ車に乗ると、その車に自分を重ね合わせてしまうことを無意識的に行ってしまう、というものがあります。

 

 元々、力という意味では大したものを持たなかったヒトは、その頭脳で開発してきた武器や兵器。それによって他の動物を狩っただけでなく、時には同じヒト同士の争いにも使われてきました。

 同じようにヒト自らが開発し普及させた車というものも、本来ヒトが持つ力を遥かに凌駕する能力を持っています。

 ヒトは、強いように見えて弱い生き物だと、私は考えています。ですので余計に、自分より更に強くて大きな車に乗ると、それがあたかも自分自身の力だと「勘違い」してしまう。その結果として、気が大きくなることで無茶な運転や他者を優越したような感覚になり。

 最悪は、他人を平気で殺めるような暴挙に出ることになるのではないか。

 そう思うに至りました。

 

 もう一つ、こちらは個人的に納得し腑に落ちたものです。

 

 それは、車という空間は外界から遮断され、一つの「空間」とて成り立っている、というものです。

 その空間には、限定的であったとしても外部からの刺激や邪魔が入らない場所と言えると、私は考えています。

 

 これは私個人の意見になりますが、ヒトは誰しも、個人的な空間を守りたいものであると思っています。

 喩えそれが家族でも、血縁者でも。

 

 一人きりになりたいと思う瞬間。多少の差はあれど、皆さんもあるのではないかと思っています。

 それを約束してくれる場所の一つ、それが車です。

 

 電車もある意味閉鎖された空間という意味では、車と同義かと思います。

 しかしながら、電車内は自分以外にも沢山の人が乗り合わせています。

 顔すら知らない誰かが、声を大にしながら喋り合う憩いの場。或いは学生さんが親しい子と、盛大に盛り上がる場でもあると思います。

 都のような人に溢れた場はともかく、私はそのような場に幾度となくでくわしてきました。

 公共交通機関とは一見綺麗な言葉に見えますが、実際は果たしてどうなのか。

 

 夕方の帰宅ラッシュの時間、車内は仕事に人付き合いに疲れているところで。

 ある人はアルコール飲料の缶を、車内の雰囲気など構わず開けて、飲み干して。

 仲間がいれば周りのことなど知ったことかと言わんばかりに声を張り上げて語るに語る。周囲の目など気にしたり気を遣うような様子も見せず、喋りたいことをただ喋り倒す。

 

 それ自体は、私は悪いことだとは思いません。電車というある程度安全が約束された場は気も緩むのも、わからなくないからです。

 

 でも。

 幾ら何でも調子が良すぎるのでは、と思う御仁がいるのも確かです。声の大きさだけで留まらず、自分語りで夢中……否、必死とも見える様を見れば見る程。

 

 家でやれ。出来ないならせめて節度位守れ馬鹿野郎。

 

 私は数えることもなく、そんな人を見てきました。歳など関係ありません。

 

 

 脱線しました、話を戻します。

 自動車というものも、規模の違いはあっても状況としては電車ととても似通っていると考えました。

 違う所と言えば、同じ車内でも周りに他人がいるか否かという違いだけです。

 然れどこの差は、思いの外大きいのではないかと思えてなりません。

 

 自分だけの空間。自分だけの車内。

 それは自室と然程変わらない場所。否、場合によっては家族にも侵されない唯一の空間と言っても過言ではないと思うのは、私だけでしょうか。

 

 昨今スピード超過やひき逃げといった事件が横行していますが。

 これもある意味、車内という領域に守られたことによるドライバーが、この上ない安心感と優越感に浸り切った結果、引き起こったものと思えてならないのです。

 

 でなければ、事故後の容疑者が「スピードを出し過ぎちゃった」だとか。

 現在問題になっている、バイクを追い回した挙げ句に追突させ死亡させたドライバーが。

「はい、終わり」

 といった事件。

 正気の沙汰ではない。

 

 そう片付けてしまえば、それまでです。しかし私は。

 ご遺族の方には申し訳ありません。そして加害者側に肩入れするつもりも毛頭ありません。しかしいい年こいた大人が、そんな子ども地味た発言をするとは、とても思えません。

 人を、車を使って殺したことが。言い訳にもならない言動で許されていい訳がない。

 

 なら何故、今もそのような事件がなくならないのか。

 私なりに追求すれば、追求する程。先に申し上げた、自分という空間を約束された車内。それを侵食したものは許さないという、ヒトの精神に起因するとしか思えないのです。

 

 

 絶えることのない運転のトラブルは、平ストレスを発散できないが為なのでは

 

 そういったトラブルを引き起こしたヒトは。

 もしかしたら、ストレスを別の形で発散できないからなのではないかとも考えました。

 

 ストレスは、今や現代病の要因と言っても言い過ぎではないと思います。

 特に今の日本は変に外国よりの働き方を見様見真似で取り入れた結果、日本人が本来持つ気質や性格に合わないものになっているような気がしてなりません。

 

 例えば、集団行動の美化は日本の文化でありながら。実態は成果主義という、外国の考え方。

 コツコツと仕事をしながら確実に生産性を上げる日本人の気質があるのに、求められるのは即時の結果と成果。唯でさえ生産性の悪さを指摘される日本の働き方に、外国の考え方を導入すること自体無理があると思うのは、私だけではない。そう信じたいです。

 

 そんな社会に立たされて、ストレスを感じることなく会社に貢献しろという考え方自体、無理があると思います。

 

 そこで受けたストレスを発散しなければ、私たちはとても生きていけません。まともに受け切ろうとなどすれば、精神を害し生きる意味さえ失いかねません。

 

 かつて、私がそうであったように。

 

 では、どうすればストレスを発散し健全さを保てるのか。そう考えた時に、私は思わず納得してしまうことがありました。

 先述した、車の運転での発散。これといった発散方法がなければ、一番手が付けやすい手段とも言えるかもしれません。

 

 どうしてそんな極端な結論に至ったか。

 例えば。

 高級車に乗って、周りの大衆車を圧倒する力を手にしているという『勘違い』。

 車に備え付けられた高度なサポート技術により、未熟であっても十分な技能を齎してくれる車の能力を、あたかも自分の技術であると『勘違い』すること。

 拍車を駆けるように、車内という独立した空間が他者を排除し、まるで自分が一番であると『勘違い』すること。

 

 日常生活では発散できないストレスを解消し、他人を蔑ろにしてでも自分というものを確立する為の場。それが車であり、運転であるのではないか。

  更に言えば、人によっては唯のストレス発散の道具に成り果てているのではないか。

 喩え事故を起こし人を殺めたり傷付けてしまうような、大惨事となったとしても。

 車を飛ばしている、その時は快感だったのかもしれません。

 しかし事故を起こした後は、自分は悪くない。車が悪い。事故に繋がるような運転をした他人が悪い。

 そうやって逃げるような言動しか取れないのではないかと、思えてなりません。

 

 

 然れど、車が好きで、運転することが好きになって。

 私という人間を変えてくれた車が。

 

 そんな都合の良い道具であって良いはずがないと、私は心底思えてなりません。

 車を、単なる道具として扱うな。

 そうはっきりと、申し上げたいのです。

 

 実生活はともかく、愛車の中ではせめて紳士で

 

 

 とは言いつつ、それも私という一個人が勝手に思うこと。

 誰もが思うことでも、そういった考えでいなければならないというとなど、烏滸がましいだけの思いに過ぎません。

 

 個人的には、道具としてしか扱われない車のことを想うと、寂しくてなりませんが。

 

 人の思いや考えは、変えられない。

 なら私ができることは、少ないけれど。一つだけ、出来ることがあると思っています。

 

 自分の車を大切に想うのなら、相応のマナーを自分なりに心掛けて実施する。

 これに尽きると思っています

 しかしながらマナーという基準は曖昧で、人それぞれ考えることが違う以上、定義はできません。

 

 だとするなら。

 

 せめて愛車の中では、私は紳士であり続けること。それが私が考える、車を運転するにあたっての最低限のマナーです。

 

 これまで何度かお話しして参りましたが、私はニヒルで将来など疾に捨てた碌でもない人間です。

 日常では親であろうが意見が沿わない時は平気で諦め、会社では理不尽なことでも出世の為ならば頑張る、といった思いも気合もありません。

 それでも、車という唯一無二の相棒と共に過ごす時間だけは、事故を起こさないことは大前提に。自分も、周りのドライバーも気持ちよく運転出来るような空気を、作り上げていきたい。

 譲ってもらった時は素直に感謝し、どんなに渋滞していても状況を鑑みて譲ったり。後続車がお急ぎのように張り付いてくるのなら、「お先にどうぞ」といった余裕を持つ。

 ウインカーを出さずに曲がってきたり、無理な侵入にも心乱されることなく、冷静にあり続ける。

 

 自分と人は、違って当たり前です。でもそこで張り合う労力と時間を浪費する位なら、せめて自分が乱心せずに許容するだけの器の広さを持ち合わせたいと思っています。

 

 かつてオフ会で茶々を入れられた、「ハンドルネーム通りの紳士だね!」と言ってくれた言葉を、実際の運転でもそうで居続けられるように、私はなりたい。

 その為にも、まずは今日から、そして明日も。喩え性根は腐っていても、紳士と言われるような運転ができる人を、私は目指していきます。

 

 

 今はまだ、相変わらず汚い罵りを口ずさむ未熟な私ですが。

 いつになるかはわかりません。

 でもいつの日か、必ず。

 

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

 

 

 

 

 

f:id:Rayleonard-00:20200802210831j:plain

 友人と共に、流し撮りに初挑戦。自分がハンドルを握る様を俯瞰的に見られるのも、新鮮で面白いです。

【車・価値観】せめて、愛車の中では紳士で-前章- ~本気で向かってくれた、あの人の言葉~

 先日の話になります。

 ワイパーをハイスピードにしても前が見えない程の大雨の中、愛車を走らせて参りました。工事中の高速道路が水溜りとなっている箇所が何箇所も点在し、ハマってハンドルを全く回せないハイドロプレーニング現象に遭遇し、久方振りに冷汗をかく事態に遭遇しました。

 幾ら気を付けていてもどうしようもない時がある、それが運転です。

 そんな悪天候の中でもライト不点灯の車が見えないことに「自分は見えていても、周りは見えないんだが……」と独りブツブツと文句を言いながら走り抜けて来た、【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 その時も一時不停止やながら運転で取り締まられている車を、何台か見て参りました。最近では高級車を100キロオーバーで走らせ事故を起こし、相手を死傷させるという最低なドライバーが後を立たないニュースも目立っています。

 そして併せてここ数年、横行する煽り運転も厳罰の対象となり、車の運転が安全へと向かう兆しを見せる一方で、締め付けも厳しいものとなり始めています。

 今までは他人事で見過ごしてきたことも、明日は我が身となる日も、そう遠くないことを実感いたしました。

 

 かく言う私も、自分の運転はかなり荒いことを自他共に認めております。

 無理やり割り込んできたり直進するこちらを阻んでも右折するような車に遭遇しては「危ねぇな馬鹿が」「入ってくるタイミングじゃないだろうクソが」と汚らしい罵りを吐き捨ててきました。

 務める会社内でも運転の荒さは常々指摘され、「白兎はハンドル握ると性格変わるから」と認知され、半ばネタ扱いされて久しくあります。

 

 しかし。

 

 私は、自分の運転が荒いと自認するだけで、運転を続けていて良いのだろうか。

 他人を批判したり指摘できるような運転技術やマナーを、心掛けているのか。

 とある一つの文献を目にした後、自分の車の運転について自問自答する切っ掛けがありました。

 

 

 今回はそれまで自分の中では当たり前のことだと信じて疑わなかったことが、より厳罰化の一途を辿ることで覆りつつあること。

 いつの間にか身に着いて、それに反した他者に攻撃的になることで、私という存在を肯定してきた「車を運転すること」の絶対的な価値観や考え方。

 それは、単なる思い込みや自惚れに過ぎなかったことを身に沁みて感じたと共に。

 それでもせめて、愛車の中では紳士でいたいと思うに至ったことについて、綴って行きたいと思います。

 

 

 ※注記※

 本記事では車の運転について綴って参りますが、道路交通法や運転マナーという側面から見れば、個人的な思いに偏るかと思います。

 法律はともかく、どのような考えが正しいか否かは、別問題と考えております。

 飽く迄【やさぐれ紳士】白兎という個人の考えに基づいて本記事を綴っていることを、ご容赦願うと共に、ご理解を頂戴できればと思います。

 ※注記終了※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 運転技術は教習所で。では、マナーは?

 車を運転するには、当然のことながら運転免許証が必須です。

 多くの方が自動車教習所に通って運転技能と知識を身に着け、仮免許を取得して。路上教習を経て自動車学校を卒業した後、学科試験に挑み合格して初めて、車を運転することが許されるようになります。

 

 学科試験で合否判定が行われる瞬間の緊張。そして自分の番号が表示された時の喜びを、皆さんは覚えていらっしゃいますでしょうか。

 

 私は元々運転免許を取ることに消極的ではあったものの、技能も学科も一発で終えることができた時は声を出して喜んだものです。今思えば、大衆の面前だったこともあって少し恥ずかしいですが……。

 

 とは言え、専門学校の夏休みの半分近くとお金を使って、やっと免許を取得することができた喜びは一入でした。

 当時から自分に自信がなかった私はマニュアル車の操作などという複雑なことなんて、できないと決めつける程でした。

 

 他人に貶され、笑われて。高校受験にも失敗して。

 その頃から、辛い思いばかりの世の中を、生きる意味なんてあるのだろうか。

 そんな諦観に明け暮れていた私が専門学校で情報系の国家資格を取得でき、その上車を運転することを許されたことは、その時はこの上ない喜びを味わっていました。

 

 と言いながら、私の住む地域は車無しでは生活できない僻地。免許を取っても車を運転しなければ何の役にも立ちません。

 いざ初心者マークを貼り付けて母親のマニュアルで練習がてら運転、運転。

 最近の車と違い、当時は各種アシスト機能がない単なる軽自動車のマニュアル。例えば坂道発進でしくじった時には後続車からのクラクションで一瞬にして混乱。母に坂道発進のやり方をもう一度半ば叩き込まれるように操作して難を逃れる、ということばかりでした。

 今思えば車を動かすだけでもヒーヒー言っていたのが、懐かしいと思うと共に。

 自分の運転技術が、車の運転の全てとも言えました。

 車に頼れる機能がないのなら、自分の技術や感覚がものを言う。だったら、経験を重ねるしかありません。

 

 車に運転させられるのではなく、絶対、上手く乗りこなしてやる。

 

 意気込みながら会社に入社し、いざ社用車で知らない道を運転していく内に。最初は「おっかねぇ」だとか「運転怖ぇ」と半泣き状態でしたが。

 徐々に自分の運転動作だけでなく周囲の状況、更には地域ごとに微妙に異なる車事情を把握し、自分のものになるよう吸収していくのでした。

 

 

 そんな中で、思ったことが離れない時期がありました。

 

 運転技能は、自動車学校で基礎を学び、路上教習で少しずつ車の流れに慣れていって。免許を取得した暁には、ひたすら運転してスピードの感覚だけでなく。

 車ごとに異なる車幅や見下ろし、死角といったものを学び、身に付けていくことで徐々に自分の糧となり、運転技能のさらなる向上。時には修正に当てることができました。

 

 一方で、今は死語となりつつある、運転する時の心構えやマナーといったもの。

 

 最後にきちんと習ったのは、自動車学校での座学が最後でした。

 では、免許皆伝となって自分だけで車を運転するようになった時。

 誰かが教えてくれたり注意してくれることなんて、あったっけ。

 

 免許を取り立ての頃は、そんな疑念が頭を過ぎったこともありました。

 然れど、ヒトという生き物の「慣れ」というものは、優れていながらも恐ろしいものだと、今も私は思います。

 

 何故なら。

 緊張でビクビクしながらハンドルを握って、隣の教官から「力、入り過ぎだよ」と注意されたのが酷く昔のことのように思える程に。

 

 運転する姿勢 -身体も心も- すっかり自分色に染まり上がっていたのでした。

 荒いを通り越して、無茶苦茶だった二十代前半の運転

 

 

 

 冒頭にも触れましたが、私は車に乗ると性格が変わったかのように罵詈雑言を吐くに吐きます。

 それだけでなく、免許取得後暫くは母の車を借りて遠出をするようになっていましたが。

 会社に務めて貯めたお金で、初めて自分の車を購入したのを契機に。私が運転する、自分の車が行く道は、道路交通法といった縛りはあれど。

 自分の中のルールが、全て。そう言っても過言ではない程、無茶な運転をしていました。

 

 気分屋で移り気の激しい性格であると自認できたのは、つい最近のことです。

 その前と言えば、気分が良い時は自分の速度でマイペース運転。後続車が詰めて来た時は「さっさと行って、目障りだから」と運転を人から邪魔されたくない一心で無理にでも後続車を行かせることもあれば。

 会社で気分を悪くした帰り道は、憂さ晴らしとばかりにスピード超過。一般道なのにエンジンが唸る程、車を飛ばしていって。

 前に法定速度や規制速度を守る、ゆっくりな車がいる時は「邪魔臭いな、どけっ」と視界不良の道でもお構いなしに追い越していきました。

 

 今思い返せば、若気の至りでは済まされない醜い思いと共に運転しておりました。

 

 また運転するに当たり、運転席に座す姿勢もシートを視界確保ができるギリギリまで倒して、ハンドルを握るのは常に片手。ソファーにもたれ掛かるような酷い格好で車の操縦をしてきました。

 

 そんな心構えと実際の身体の姿勢で、事故を起こさなかったこと、起きなかったことが不思議に思える程です。

 いや、違う。

 誰かを巻き込むようなことがなかったことを、寧ろ感謝しなければいけない位です。

 

 

 それでも尚、運転にもすっかり慣れた、ある日のこと。

 その日は私から見て、初めて直属の上司となった方と仕事に向かう時でした。

 軽自動車に慣れ切っていた私が、教習所以来となる普通車を運転するようになって久しく。

 フロントノーズ(ボンネットの長さ)にも何とか適応し、プライベートでも会社でも、運転する楽しさを蓄積させていた、その時でした。

 

 

「運転慣れてきたなぁ、白兎ぉ」

「え、あ、はい。お陰様で。車の運転って、楽しいですね、橋さん。自分の空間を守れるって言うのもあれですけど」

「そりゃ良かったな、ははっ」

 相変わらず不格好な姿勢で、高速道路を片手運転する私。その横では、煙草を吹かすその人は。

 名字が珍しい方で、滑舌の悪い私には噛んでしまい呼び辛かったその人を、私は『橋(ばし)さん』と呼んでいました。

 会社では強面で言うことはきっちり言う。私が小学生、ひいては生まれる以前から顔見知りで同じ職場で働いていた方々は、揃って丸くなったと言っていました。

 それでもより上の立場に立つ人の言葉に噛み付いて、自分の思うことはきっちり貫き通す。会社の方針だからと逃げようとする上層部にでさえ、納得が行くまで食らいついて離すことがない。とても頑固で自分を曲げようとしない、真っ直ぐな人。

 しかし私のような、当時20代の若者を部下にした時は驚いたとのことでしたが、実際仕事をするときは懇切丁寧に、それでいて冗談や雑談を交えながら業務を教えてくださった、とても面倒見の良い人でした。

 そんな橋さんが、頬を緩ませる私に。

 

「でもな、白兎?高速道路はせめて両手でハンドル握ろうな?」

 

 一言だけ、強制する訳でもなく、怒ることもなく投げ掛けてくれました。

 

「あ、はい」ととその時は軽く流す私でした。

 

 しかし。

 そんなことを言ってくれた人、今までいなかった。

 

 

 別の時には、緊急の修理業務を遂行するに当たった時。

 無知な私は聞こうともせず、適当な行動をしようとした時には。

 

「馬鹿っ!!何やってんだ、死ぬぞお前!!」

 

 これまで見たことのない、職人の顔。真剣で、若手や無知という理由など許さんという覇気に満ちていました。

 私は成す術もなく、どうすれば良いのかわからなくなり混乱してしまいました。

 あたふたするばかりで何もできないでいた私に、橋さんは的確に指示を出し、私は修理技術について聞く暇もなくその通りに動くことしかできずにいましたが、無事業務を終えるに至りました。

 

 本気で怒ってくれたこと。

 身体が一瞬硬直する位の怒気を以て愚行を止めてくださったのは、これまでもそのときが最初で最後でした。

 業務を終えた後は、私は怒られたことに動揺して気が気でありませんでした。しかしながら、互いに紫煙をくゆらせながら一息ついた時には。

「ありがとな、白兎。夜中の緊急対応は、疲れるよな!」

 笑いながら。

 いつもの、まるで本当の子どもを見るような優しい目と、柔らかな雰囲気を醸す橋さんに戻っていました。

 

 本気で怒られた時は、怖かった。今すぐその場を逃げたい位に、怖かった。

 私が、どうしようもなく臆病だったから。怒られることに、慣れていなかったから。

 怒られることから逃げる生き方を、ずっとしてきたから。だから、余計に怖かった。他の、ベテランの人が来てくれれば、こんな怖い思いをしなくて済んだかもしれないのに。

 

 でも。

 机を挟んで、お互いの煙草を吹かす橋さんと私の間には。

 会社の利害や上司と部下という関係もありませんでした。

 

「そ、そうですね。明日も普通に仕事ですもんね。でも、早く終わって良かったです。その、ありがとうございました」

「一人だと大変だからなぁ。皆お盆で帰省したり飲んでたりしてるから、お前が来てくれて助かったよ。ありがとな、白兎」

 

 

 静かに笑う時も、諭すように運転を指導してくれた時も。一歩間違えれば死に至ったかもしれない私の未熟さを本気で怒ってくれた時も。

 いつも、純粋に接してくれ続けてくださいました。

 

 あぁ、もし。

 もし、この人が実の父親だったら。

 喧嘩は絶えない仲になったかもしれないけれど。

  本当に「親父」と呼べたのかもしれないなぁ……。

 

 でも、だからこそ。

 この人の言うことなら、信じられる。

 他人を信じられなくなっていた私でも、橋さんだけは、私に本気で向かい合ってくれた。

 

 だったら私も、本気で応えたい。

 

 そんなことも重なって、私は指摘された自分の運転姿勢を矯正していきました。

  倒れ切る座席を起こして、背も腹も違和がないよう調整に調整を重ね。ハンドルを握る手も片手から、ギアチェンジやオートマチック車のシフトダウン以外の時は両手で握るよう心掛けていきました。

 最初こそ運転席に座る身体は狭苦しくて、両手で握るハンドルも窮屈で、兎にも角にも違和感だらけ。とても運転を楽しむ余裕もなく、油断すればすぐに片手ハンドルに戻ったり、座席を楽な位置に戻したりを繰り返していました。

 

 然れど。そこで「楽」を求めれば、全て元に戻ってしまう。

 橋さんが言ってくれた言葉が、全て無駄になる。

 

 一度付いてしまった、癖。それを正すのは容易ではありませんでした。

 そのような、運転に差し支える悪癖を、数年に及ぶ年月を経て。

 

 やっと、自分なりに正すことができました。

 矯正しようと決意し、「運転する者として、あるべき姿」は、飽く迄私という個人でしか定義できませんでした。

 

 狭すぎる世界かもしれません。

 それでも今は、それに従って運転姿勢を正すことが癖になるようになりました。

 誰かが乗った後の社用車で、少しでも違和感があれば直すようになり。

 「会社の車だし、まぁいいや適当で」という妥協することもなくなって。

 どんな状況であろうと、無意識で片手運転や座席が倒れているような時は否が応でも直し。

 どれが正しいとも言えない、運転に関すること。特に、身体の姿勢は、自分なりの答えを迷いながらも見つけ出して。

 

 今の愛車……相棒と共に行く運転姿勢を、見つけ出すことができました。

 

 

 私は、恐らく恵まれているのだと思います。

 赤の他人、それも二周り以上年下の若僧にでさえ。

 退職して久しくも、現役の時は目を背けることなく向き合ってくれた人がいてくれたこと。

 唯でさえ他者不信を、自分を含めた人間不信に陥っていた私にでさえ、本気で向かってくださった人がいたのだから。

 

 実の親なんかよりも、ずっと厳しくて。ずっと温かくて。

 ずっと、大きい。

 そんな人に巡り会えて、運転だけでなく、様々なことが私の中で覆ったのだから。

 

 

 すみません、テーマから大きくずれてしまいました。

 ですが、この話題を綴るには、どうしてもはずすことができない事柄故、脱線する形を取りながらも記事とさせていただきました。

 

 

 次回は運転に対する、精神的なことについて触れて参ります。

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

 

 

 

 

f:id:Rayleonard-00:20200805222448j:plain

 相棒と共に駆け抜ける。あの時思ったことが、今の私に刻まれていると。そう、信じたい。


【生き方・価値観】将来や展望などよりも ~頼られる、有り難み~

 誕生日を迎え、一昔前なら社会人として脂が乗り始めたと呼ばれる位置に来ました。

 しかしリーマンショックの影響は今も尚会社に爪痕を残すこととなり、  私の立場はベテランと若手・新入社員の緩衝材となるような立ち回りをしております。

 都合の良い時は若手の筆頭などと呼称され、別の時には中堅と纏められることに理不尽さのような、しょうもなさを感じて数年が経つ、【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 会社に入社し10年が過ぎますが、私は長い間社会生活を経て貢献しているという実感はなく、またその嬉しさや喜びを感じたことなく過ごして参りました。

 そのせいか会社に対して信頼を置くこともなく、お偉い方が来た際も「面倒くさい」と思いながら無理やり設定された対話会に参加してきました。

 

 自分では隠しているつもりでも思っていることは顔に出ると、いつの日か先輩に言われたことがありましたが、それに違わず上司陣からは煙たがれるような扱いをされて久しいです。

 人事情報では既にブラックリスト入りしていることも確認しています。精神的に難しい社員、とのことでしたが……取り扱い注意、的な意味なのでしょうか。

 

 それはともかくとして。

 このまま定年まで。今でこそ60歳、契約社員では65歳と定められていますが、いつの日か70歳まで働き続けることを考えた時は、展望もクソもあるかと毒突くことも多くありました。

 

 しかし、ようやくここに来て。

 未来や将来などを憂えるよりも、今という時間の中で人に頼られることを重ねることに喜びを感じ、しかし傲慢さを出さずに謙虚で有り続けることの大切さを、身に沁みて感じつ立ち位置に着くに至っています。

 

 

 今回は、働かなければ生きていけない世の中となった今。

 会社で、まして社会人として妥協や愛想良くがなければ生き残れない現実と、長所を見出すことができないまま短所ばかり見続けてきたことで生き辛さや嫌気が差していた私が。

 入社十数年目にして、やっと社会生活において喜びを得られたこと。そして普通のことだと信じて疑わなかったことが、自分の個性であり長所であることに気付けたことについて、綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 仕事柄、頼られたり感謝されることが皆無な職場

 

 私が務める会社は、通信サービスを支えるネットワーク機器の運用や保守、場合によっては要望や需要に応じて機材の増築や減築を行っています。

 部署によっては営業活動や実際に顧客先に訪問することもありますが、私が所属する部署は外部とのやり取りが皆無に近く、社内でのやり取りが9割以上を占めます。

 また主たる目標といて通信サービスを安定して供給する為に設けられた部署ということもあり、成果や成績を具体的な数値として出すことが非常に難しい場所でもあります。

 

 何故なら。

 仮に機器故障が発生したとして、それを復旧させる為にどれだけの困難や時間を掛けたとしても。

 そうすることが「出来て当たり前」と認知されており、「頑張って直しました」と言ったところで称賛されることもないだけでなく。

 失敗すれば即問題扱いされ、「当たり前が、何故できなかったのか」と平気で問われます。

 会社からすれば安定したサービス供給を行うことが普通であると認識され信頼を得ているとしても、それを支える下々は頑張りや苦労を労われることはまずありません。

 もっと言えばどれだけ仕事をこなしたとしても、当たり前のことをやっているに過ぎないという評価しか下されない、ということになります。

 

 人によって、モチベーションの保ち方やもっと頑張ろうと思う考え方は違うとは重々承知しているつもりです。

 

 しかしながら、自分自身を己の観点から評価し鼓舞する自己承認で満足できる人もいれば、自分の存在を誇示できるだけの活躍や頑張りが周囲から認めてもらいたい他者承認という欲求は、大小関わらず誰もが持っていると私は思っています。

 それが認められないということが長く続くと、「なんで、自分はここにいるんだろう」という疑心だけでなく、「どうして誰も見てくれないのだろう」と周囲への不満が芽生えて。

 最後は「認められないなら、もういいや」と諦めてしまったり、会社への不信が重なって辞めてしまうことに繋がりかねません。

 

 

 さて、実際の私はというと。

 会社を辞めるに至ることはありませんでしたが、会社への不信感が募ったことは確かでした。そして時間と共に、自信とやる気がどこかへ消えていくこととなりました。

 

 

 入社一年目にして、認められないことの虚しさを知って

 

 

 今なら言えることではありますが、私も入社して数年は会社に、担当に認められたいという思いから、躍起になって業務をこなし、業務改善を提案して本社でプレゼンテーションを買って出て、入社一年目にして数百人を前にして改善内容の説明を行ったことがあります。

 当時は緊張で声が震える程でしたが、やり切った後は上層部から何かしらのアプローチがあると期待していました。

 

 でも。それは私の勝手な希望と願いに過ぎませんでした。

 

 プレゼンテーション終了後の懇親会では表彰に値する物だけが注目を集める称賛されるばかりで、そうでないものは唯の数合わせのサクラとして扱われるだけ。

 それだけで消沈した私が事務所に戻っても、特段変わることのない日常が続くだけでした。

 

 予選とも言える事業所内の提案の場では、担当を通り越して。事務所で一番上の立場にいる方だけでなく。各担当の責任者も出席する場まで作られ説明や提案をしたあの時間は。

 本社でのプレゼンが決定した後は通常業務を先輩や同期にお願いしながら、何度も資料と話す内容を訂正に訂正を重ね。上の人の要望に沿うように直していく内に、改善内容で本当に自分が言いたいことのほとんどが消えていって。周りが定時上がりしていく中、ひたすらパソコンに向かって頭を抱え、凝り固まった思考をリセットする為に紫煙をくゆらせ、ようやく出来上がった資料も。

 前日はGoサインが出たのに、次の日は掌返しするかのように全く異なる意見を提示されて、何度も心を折った末に完成させたものは、何だったのか。

 

 プレゼンテーションを終えた私を迎えたのは、只々虚無感しかありませんでした。

 その間に同期は資格を次々と取得し、上司陣からの評価は上がっていたと聞きました。

 僻む訳ではありませんし、今となっては過去のことと割り切ることができますが。

 私が費やした時間は、結局無駄だったんだな。資格という目に見える成果の方が、個人の頑張りとして評価されるんだ。

 それを目の当たりに、業務時間を終え帰宅した私は食事に手を付けるまでもなく、ひたすら煙草に火を点け続けていました。

 吐き出す紫煙と共に、募った思いを吐き出し続けました。

 

 クソ喰らえ、と。

 

 この会社では。いや、もしかしたら日本の企業(特に老舗では)では。

 独断と偏見混じりであることを、どうかお許しください。

 しかし、結局エリートの道を約束されたものにしか、展望や将来など約束されていないのでは、と思うと共に。

 能力主義を謳った会社説明会は、果たして何だったのだろうか。

 

 

 やさぐれて、会社に行くだけの毎日

 

 

 そんな疑心を遂に晴らすことなく、配属先が変わる度に知らない人々と共に働く日々。初対面から距離を詰めるまで相当な時間を要する私には、苦痛以外の何物でもありませんでした。

 更には職場ごとに自然と蔓延るように暗黙化された、ルールやしきたりのようなものにも辟易してきました。

 わからないことがあっても周りも忙しいから、聞きたくても聞けない。

 一方で仕事と全く関係のない話題で盛り上がるだけでなく。

 集中を欠けば即問題沙汰、という仕事に従事するこちらのことなどゴミが転がっているも同然なのか。ヘラヘラとしたり、無駄に室内に木霊する笑い声。

 

 その一々が耳に障り、苛立ちとなり。

 社員が業務を行っていても関係ないと言わんばかりに、口だけは饒舌でフォローも何もない上司陣への不信と不快感。

 

 東京に勤務していた時代でしたが、正直この時期が一番精神的に荒れていました。

 頼れると言えば、数人の同期と2,3人の先輩だけ。それ以外の人間は、誰一人として頼る気にもなれず、またとても頼れるようなものではありませんでした。

 

 碌な経験や思い出を作れぬまま、東京勤務から解放された私が持ち帰ったのは、うつ病と学生時代から更に強固となった人間不信でした。

 

 地元である長野に戻って、数年。東京で手土産として渡された、会社だけでなく同じ職場の上司や先輩に対する私の気持ちや態度は、悪化の一途を辿っていました。

 会社に対する思いや考えは、相応の根深さと恨みに満ちていました。加えて元々苦手としていた対人関係にさえ、さらなる悪影響を齎す結果となりました。

 

 もう、何の為に会社勤めしているのかさえ、わからなくなっていました。

 お金を貰う為。そう、人間関係も仕事の質も量もどうでも良い。

 生きる為に、お金を貰う……。

 

 ……ん?何か、おかしい気がする。

 自分を削り切ってまで貰う、お金の価値って、何だ?

 結局、お金の為に身や精神を切り売りすることしか、私にはできないのか?

 

 

 

 

 意外な形で訪れた、頼られることの喜び

 

 転機は、唐突でした。

 長野に戻って3年ほど経ったある日。それまで専属的に会社内におけるネットワーク機材やLAN関係の仕事を一人で執り行っていた方が、お辞めになる時期が迫っていました。

 その方曰く、「前々から言って来たのに、後任をどうするか会社が真剣に考える気が見えなかったからどうなっても知らない」というものでした。

 ……あれ。これ、私もかつて思ってきたことだ。

 既視感を覚えながら、その人の言い分を何故私が聞く機会があったのかと言うと。

 

 後任候補として、事業所の長を始めとする会議に招集されていたのです。

 

 何故私のような者が、今後の社内ネットワーク関係の仕事を担う者の選定会議に呼ばれていたかと申し上げると。

 元々パソコンのOfficeを始めとする簡単なスキルや知識を、興味と面白さや楽しさ中学時代から独学で得てきたことに加えて。専門学校でよりエンドユーザー側の知識を学び資格を取ったこと。

 そのことが知識欲や興味本位となって、ネットワークを管理しLAN、パソコンの操作や管理をしていたその人の元へ赴いて、より高度な話を聞き実際に簡単な業務を行ったことがあるから、というものでした。

 

 そんな理由で良いのかよ。

 そう思いましたが、現状は楽観視していた会社の体たらくが浮き彫りとなりました。

 私なんかで大丈夫かな、と思いながらも正式に後任としてネットワークとLAN管理者となることが決定しました。

 

 その後は分厚い引継書を手にしながら、想定外の事象や引継書に載っていない業務に振り回され、困惑する日々が続きました。

 

 以前記事にした老害と話さなければならない業務まで含まれていたこともあり、会社内で感情を殺してキレるという失態を見せる機会もありました。

 

 しかし、それよりも。

 時代と共に使用するパソコンの常識も変わっていき、昨年はWindows7のサポート終了に伴い全般的なWindows10へのバージョンアップ作業に明け暮れ。

 更新後はそれまでの操作感の変化のみならず、ネットワークとOSの相性の悪さから問い合わせが殺到する事態となりました。

 

 その問い合わせ先は、本社の部隊ではなく。

 事業所内で導入試験を買って出てパソコンの操作にそれなりの知識を持っていた、私へと向けられることとなりました。

 

 何故なら。

 引継書にも書いてあったことを、そのまま引用すると。

 LAN管理者は問い合わせに来る社員も、「お客様」として接すること。

 わからないことは本社含め入念に確認を行った上で実施し、自信がなければ実施してはならない。中途半端な自信は、却って迷惑だけでなくトラブルの元となる。

 

 始めこそ興味本位で引き継いだ業務を、生半可な覚悟で引き受けたことを後悔した日ばかりでした。

 

 然れど。

 「白兎、パソコンの調子がおかしいから見てくれ」と来てくれる先輩。

 「白兎君、パソコン固まっちゃったんだけど、助けて」と声を掛けてくれる上司。

 「ネットワークに繋がらなくて、ファイルサーバにもアクセスできなくなった。助けてくれ」と焦燥気味に迫られることも。

 

 全てが全て、順調に解決できた訳ではありませんでした。

 でも、不思議と嫌な気分を味わうことは多くありませんでした。

 寧ろ。

 会社のパソコンで困ったことがあれば、白兎に聞けという風習が出来上がりつつありました。

 本業では手も足も出ない程のベテラン中のベテランの方から、社員管理を行う上司まで、来る人は絶対的に困りごとを抱えてすぐにでも解決してほしいという思いも持ち合わせていました。

 

 そこに、私が元来持ち続けてきた「困った人を放っておけない」というお節介とも気質とも言える思いも相俟って。

 私はようやく、頼られることの嬉しさと喜び。それに甘んじることなく、解決した際に感謝される度に、胸を撫で下ろしながら。

 「良かった。お役に立て、幸いです。また何かありましたら、またご相談ください」

 涼し気な顔をしながら、胸の中ではガッツポーズをしていました。

 誰にもわからないように、隠れながも自分の気持ちを素直になるようになっていきました。

 

 会社という大きなものに認められなくても。

 身近な誰かに必要とされて、それに応えられることの方が、私にとって存在意義であると共に会社にいる意味である、と。

 長く悩んだ、会社における自分の立つ場所は。

 喩え小さくても、困っている誰かの役に立つことができれば、それでいいのかもしれない。

 そう思ってから、勝手に抱えていた肩の荷が降りた、と表現すれば良いのでしょうか。

 変に身構え、自分から肩を凝らせていた思いが、ようやく溶けて消え去ったような気がしています。

 

 

 

 

 どんな小さなことでも、喜びやモチベーション維持や向上に繋げられることを知って

 

 

 会社からすれば貢献度の高い社員に的を絞って成長の場を与える方が、会社の為やら効率やら、といった面から見れば適切なのだと思います。

 

 しかし全員が全員、そのような能力や潜在的なものを持っている訳ではありません。大半は大勢の中に埋もれ、やり甲斐やら会社におけるモチベーションやらが曖昧なまま社会人生活を終えていくのだと思っています。

 恐らく、私もその一人として漏れることはないと思います。

 

 そのような、言い方を悪くすれば非凡でない人間が社会生活を無難に送る術。

 人によって様々であるとは思いますが、現実的にはこういったことで悩み、苦しむことが多いのではないかと個人的に思っています。

 

 そのような中でも、私は自分が奇しくも遭遇し、現在の立場になって始めて見いだせたこと。

 会社の意向や考えがどうであれ、自分や他の社員等に対して、どんな小さなことでも「この分野なら負けない」「本業は少し苦手でも、サポートできるものはある」といったものを前面に出すことなのではないかと、私は考えます。

 

 その際大切なのは、「決して人と比較しないこと」。これに尽きると思います。

 物事、上には上が、下には下がいます。自分がどれだけ自信を持っていたとしても、場合によっては「そんな当たり前のことを」と鼻で笑われることも、あり得ない話ではないと思います。

 それはそれで、逆に「あ、そう。頑張ってのし上がってね」と皮肉を言い渡す思いを抱いても私は良いと考えています。

 

 私の場合であれば、ネットワークのに関すること(例えば、IPv4の割付といった算数的なもの)はからっきしです。

 この時点でネットワーク管理をする者として失格と言われかねませんが、パソコンの操作や設定の仕方は、OS問わず一通り網羅している自負はあります。

 無論全部が全部ではないのでわからないことは調べることも多くありますが、最終的に困ったという先輩や上司のパソコンを実際に操作して解決するだけでなく、何故そのようなことになったのか、どうやって解決したのかを可能な限り具体化して説明するよう心掛けています。

 

 

 それがどんなに小さなことで、一昔流行った「ググレカス」と言われることであっても。

 

 情報を仕入れただけでは手に入れることはできない、解決した時の依頼主(社員)の感謝の言葉。

 そして、頼られると言えば烏滸がましいかもしれないとは言いつつ。

 本社の専門部隊ではなく、至らない所は多くあれど、事業所内の私に声を掛けてくださったことへの嬉しさ。

 その期待に応えるべく、喩え回り道をしても解決した時の快感や喜び。

 

 それは出世や昇格と言った、目に見える誉れよりも。

 私には、そんなものよりも遥かに大事にしたい、有り難いこと他ならぬものです。

 

 

 

 纏まりのない文章となりましたが、今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

 

 

夕暮れに浮かぶ雲。寂と明日への希望に見えた。

 

【車・趣味】四年の合間に、遠くへ来ていた・後編 〜成長は、留まることを知らない~

 7月の終わりも、雨で終えることになりそうですね。

 観測史上、最も梅雨が長かったのが1998年の 約二ヶ月というものが最長と言われています。

 今年もそれに近い梅雨の長さと、湿気に弱く早くも熱ダレ気味な【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 ここ一ヶ月程、仕事とプライベートが立て込んでっブログの更新が遅延気味ではありますが、早速前回の続きを綴って参りたいと思います。

 

 四年の月日で、籠りがちで人間不信を引き摺っていた私が、外の世界へと飛び出したいと思えたこと。

 今この瞬間にも、どこか知らない場所へ。馴染みとなっている場所へと帰る思いを抱えるまでになった、好奇心と回顧心。

 人から見たら大したことではないのかもしれない。

 でも私にとって、掛け替えのない大切な時間。

 思い出話と回顧録という自分語りになってしまいますが、お付き合いくだされば幸いです。

 

 

 

 

 行く先、愛車と共に止まることを知らず突き進んで

 

 

 以来、自発的であったり誘われたりと形は違えど。

 仕事の都合に合わせられるものは、本能が望むままに愛車とカメラを持ち出して出掛けていくこととなりました。

 

 私の行ったことのある最西では、三重県四日市市。暑さとムシムシとした陽気ですっかりグロッキーになりましたが、今まで見たことのない風景を撮影することができました。

 

四日市市の石油コンビナート。別名現実世界の「魔晄炉」

 

 

 

 北端ではスポーツランドSUGOで、サーキットを愛車と共に駆け抜けました。F1も走るサーキット場を、愛車で走ることなど夢にも思いませんでした。

 愛車のハンドル、アクセル、ブレーキ。腰を据えるシートもいつも通りなのに、サーキットラン(サーキットを実際に走る時間)が始まる前から手汗をかき、静かに興奮していたことも、今でも忘れずにいます。

 周回終了時はレースさながらにスタッフの方がゴールフラッグを振ってくれたことを契機とし、気分は最高潮を振り切っていました。

 

 

 味わったことのない高揚感と緊張、好奇心が満たされた時の鼓動の高鳴り。

 一度にみならず、何度も諦めと挫折を経て、すっかり惰性と妥協に慣れていた私でしたが。

 それでも燻るように残っていた望みや希望が叶った瞬間、そんな思いの全てを忘れ去っていました。

 そこにいるだけで、いつも無意味に動き続け考え続ける脳が停止して。

 場の雰囲気に飲まれるように、考えや思いを通すことなく現実を味わえる時間。

 

 もしかしたら、私にとっての幸せというものは。

 単純で夢も何もないけれど、こういったものなのかもしれません。

 

 

サーキットの愛車が並ぶ日など、予想できるだろうか。

 

 この直前、同サーキットで今でも伝説として継がれる名車が駆け抜けました。

 1991年。ル・マン24時間耐久レースにおいて、史上初となる日本メーカーが送り出したレーシングカーが優勝しました。

 それが、MAZDA 787Bです。

 

 

  それまではレースゲームでの疑似音や動画での間接的な形でしか聞くことができなかった、吼え猛るエンジン音。人によっては天使の絶叫と称する、甲高くサーキットに響き渡る快音。

 心が、震えました。それ位高揚し、恍惚ささえ覚えさせ、魅了するものでした。

 

 南端は伊豆半島、今ではすっかり行きつけの場所となっていますが、海と山に囲まれた自然豊かなそこは、愛車も映える絶景の数々が待っていました。

 

雲隠れすることの多い富士山と愛車を撮影できた、今尚思い出深い一枚。

 

 富士山を背景にし。

 

桜と愛車。明暗の対比。

 

 河津桜を背景に。

 

愛車に映り込む桜も、また一興。

 

 相棒にも桜の花を咲かせることができました。

 

 

 別の機会では。

 

 

夕日を受ける愛車。雨の予報にも負けなかった勇姿。

 

 強風により潮を被りながらも、夕日を背にする相棒を収める機会にも恵まれました。この日は雨の予報が出ておりましたが、何とか曇り空……を通り越して清々しいまでの晴れが私たちを迎えてくれました。

 

 

 しかし。

 世の中に流布し、蔓延する新型コロナウイルスを前に外出することも躊躇わせる時代と成り果てかけています。

 

 重なるように変化し始めた会社の勤め方。よく言えば働き方改革ですが、一度慣習化したものを変えていくことは、容易なことではありませんでした。

 体力だけでなく、精神的な余裕は益々削られていった私は。

 愛車と共にする時間は減るばかりとなり、気持ちもすっかり車から離れていきました。

 

 

 時には止まることもあった。それでも、愛車と突き進みたい思いだけは留まらない

 

 

 

 自粛に自粛を重ねた結果、愛車の走行距離は途端に短くなっていきました。ハンドルを握る機会まで減り、車のオーナーとしてはあるまじきメンテンナンスまで億劫さを覚える程でした。

 ディーゼルエンジン特有の劣化具合も相俟って、一時は愛車を手放すことも本気で考える程でした。

 

 今思えば。

 お金や手間といった損得勘定以上に思いを叩き込むように付き合ってきた相棒を、一時の感情で売り払い、新しいクルマ生活を始めることで。追い込まれた精神を回復できるのではないかと、本気で考えていたのだと思います。

 

 

 そんな折りでした。 

 

 友の誘いを受け、再び伊豆の地を訪れることとなりました。

 自粛や感染への過剰な恐怖心から自然に溜まっていた鬱憤と行き場のない気持ち。

 それを払拭する機会に出会いに恵まれ、数カ月ぶりに愛車を全力で運転したい思いに刈られ、思い出の地である伊豆を訪れました。

 

 

 詳細は別記事で上げようと思いますので、ここでは詳細を省略いたします。

 

 しかしながら向かう道中で、出会って四年を目前にして50,000キロを達成いたしました。

 

一年毎の換算で、12,000キロを記録。


 燃費は4年間通しで20.1でしたが、今回でまさかの平均燃費まで上がりました。

 

カタログ値21.6km/l。それを加味しても十分過ぎる燃費の良さ。

 

 

 

 また維持に徹する傍ら、原点回帰とも呼べるパーツの導入を行いました。

 切っ掛けとなったのは、約半年離れていた車のSNS。久方振りにログインした際に、知り合いの皆さんは私を温かく迎えてくださいました。


 そこでは、過去私が装着していたパーツについて言及されていました。
 それは私の運転ミスから破損させてしまったエアロでした。

 補修も考えましたが予算のこともあり泣く泣く廃棄し、私はメーカーの純正品に換装させてから一年と少しが経とうとしていました。

 

f:id:Rayleonard-00:20200729211519j:plain

 

 上の写真の、ボディ下のメッキ調のフロントエアロがそれに当たります。

 これはこれで、アクセラという車を引き締めるだけでなく、メーカーが提供する一品だけあり一体感を齎してくれるパーツです。

 

 然れど。

 多くのオフ会やプチオフで沢山の出会いと初めて訪れる場所を増やしてくれた、以前装着していたエアロ。

 その思い出と、「人とは違う、自分だけのアクセラ」を目指して取り付けたそれを、もう一度導入したいという衝動が再燃し。

 

f:id:Rayleonard-00:20200729212454j:plain

 

 初めて取り付けた時以上の予算を投じながらも、再び装着するに至ることができました。

 

 

f:id:Rayleonard-00:20200729212219j:plain

 

 写真では見え辛くなっていますが、純正のものよりもエラを張るようなデザインが特徴的です。それでいて車本来が持つ美しさやデザインを崩さずに、さり気なく飾ってくれたこのパーツを、忘れ去ることが私にはできませんでした。

 

 先程は、コロナ禍で車から離れていっていたと申し上げました。

 でも、それって。

 

 世の中の情勢に自分を当てはめて、言い訳にしていただけだったのかもしれません。

 

 

 本当はもっと、愛車と見知らぬ地へ共に出掛けたい。

 出会ったことのない人々と出会い、交流を深められる人と出会いたい。

 

 この相棒と出会う以前の私では、とても想像できなかった思いが、今の私の中でしっかり根付き、今尚成長を続けています。

 人と出会うこと。見知らぬ場所へ行くこと。自らハンドルを握る車でどこかへ行くこと。

 全て、臆病で人間不信に陥り自分さえも信じられなくなっていた私には出来るはずがない。叶いなどしない。やったところで失敗するだけ。

 だったら、やって後悔する前にやらずに悶々としていた方が、まだマシだ。

 

 それが何時の間にか、私は愛車という名の相棒に感化されるかのように成長してきた気がしてなりません。

 愛車を弄る度に、どうなったか実際に走って試したい。体感したい。

 その延長の、弄る切っ掛けをくれた人たちと出会って、話し、交流を深めたこと。

 

 人間不信と言いながら。私は、多分。自分が傷付くことを一番に怖がる、ただの臆病者です。恐らく、愛車と出会ってから四年経つ今も、それだけは変わらないことだと思っています。

 

 それでも、四年という月日の中で出会った人たちとの思い出。その時々に感じ、浸った気持ちは。

 誇大妄想や大袈裟な表現を使わなくとも、私を大きく変え。外の世界へ飛び出すことへの躊躇いを掻き消すこととなりました。

 

 何故なら。

 誰かに強制された訳ではない。

 全て、私自身が「そうしたい」と願った思いが、行動として現れたに過ぎないのだから。

 

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

相棒と駆け抜ける瞬間は、誰にも邪魔されない至福の時間。

 

【車・趣味】四年の合間に、遠くへ来ていた・前編 〜愛車の成長と共に~

 当初の梅雨明けは7月20日頃と予想されていましたが、8月頭までずれ込む可能性が、と発表されました。

 今回、Go toに乗るつもりは全くありませんでしたが、盟友の元へと愛車を走らせて参りました。

 宿泊先のホテルでも、「Go toキャンペーンの宿泊証明は、如何いたしますか?」と問われた際には、「あぁ……申請面倒なので、結構です」と苦笑い気味で答えた、【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 先日誕生日を迎え、また一つ歳を取った私ではありますが。

 四年前の今頃。

 三十路直前の自分へ、自分から誕生日プレゼントと洒落込み購入したのが、今の愛車であり相棒です。

 

 

出会いたての愛車。本格的な弄りも走りも知らなかった、あの時。



 あれから四年が経ち。

 私は愛車と共に、大きく成長できたと言って過言でなく。

 それと共に、出会ったばかりの私と愛車では考える由もなかった、遥か遠い所まで行くことになることとなりました。

 

 

 今回は簡単ではありますが、四年前に出会った愛車と共に様々な場所へ趣き、多くの人と出会うことで。

 自分の世界というものが、どれだけ狭く小さなものだったことかを思い知らされたと同時に。

 そのお陰で、自分なりに大きく成長できたこと、そして視野が広がったことについて、綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 愛車と出会った切っ掛けは、単なる数字という理屈に過ぎなかった

 

 今の愛車「Lupus」はディーゼルエンジンを積んでいます。

 ガソリン車とは燃料の違いだけでなく、低速や高速時の速度の出方、ターボの存在、重量比と何もかもが異なります。

 挙げ出せば切りがありませんが、愛車となる車を選んだ当初の理由は、実に単純なものでした。

 

 大型トラックにも積まれ、走り出しや上り坂にも負けない力を生み出すトルクの強さ。そしてガソリン車、ひいてはハイブリッド車にも迫る燃費の良さでした。

 

 これらは飽く迄メーカーが公表する数値上のデータでしかなく、実際の挙動や乗り心地といったものは別物です。

 

 しかしながら、当初は車のことに疎かった私は数字という理論値を信じることしかできませんでした。

 それまで乗っていた車が初速の遅さと上り坂での力負けで泣かされた経緯があったこともあり、飛びつくように。或いは縋る思いでディーゼル+ターボの車を購入することを半ば即決していました。

 

 試乗も何度も重ねた上で納車された直後こそ、望んでいた能力を発揮してくれました。

 アクセルを踏み込めばシートに押し付けられる力強さは、言わばジェットコースター。もっと強調した言い方をすれば、旅客機の離陸時の加速。

 思い切りアクセルを踏んだ時の高揚感は、この時から始まっていたと言っても過言ではありません。

 

 ですが。

 この時はまだ、車=移動手段という感覚が抜けずにいました。

 ましてやお金の掛かるチューニングやカスタマイズをすることなど、考えるも烏滸がましいとさえ思い込んでいました。

 

 チューニングやカスタマイズは、本当に車が好きな人や、車に命を掛けている人がやるものだ。

 

 言い方は大変悪くなりますが、当時は本気でそう思っていました。

 然れど、形は違えど。

 まさか、私自身がその一人となるとは、夢にも思わずに。

 

 

 車のSNSというオンライン上の付き合いから、実際に人と出会ってから

 

 

 本ブログにおいても、何度も取り上げている内容になりますが、何卒ご容赦ください。

 

 車について詳しい、或いは好きな知人が近くにおりませんでした。

 しかし、いざ念願とも言う愛車を手に入れたことで。

 車に、私という個性を出していきたいという欲望が次第に膨れ上がっていきました。

 

 そこで参考にしていたのが、今でも活動している車のSNSサイトです。

 長い付き合いのある方々の雑談から始まり、パーツのレビューだけでなく、プロ顔負けのDIYに挑戦されている方まで。

 様々な人が交流する場に、知り合い等といったツテもなくまま、唯ならない興味の強さと知識を求める欲望に突き動かされるようにして、私も本格的に活動を行うようになりました。

 

 元々の理由はパーツの良し悪しを勝手ながら吟味させてもらい、導入するか否かを決め。

 別の時には参考になる整備のやり方を、簡単なものなら真似して実践するようなレベルで留まっていました。

 

 と言いつつ、そこは交流を目的とするSNS。

 顔すら見たことない多くの方と(ネットワーク上では)友達関係になりました。しかし、どうしても「オフ会に参加してみませんか?」というお誘いだけは、頑なを通り越して意地でも拒否してきました。

 

 

 一度仲良くなった人が、前触れもなく消えていく怖さ。

 それを、現実で味わった。

 あの怖さは、考え方によっては死ぬことより辛い。

 

 そんな臆病な私を、ネットワーク上だけでは絶対に味わえない世界へ。

 実際にお会いして、お話して、車を一緒に走らせて。分かち合うのではなく、各々が感じた至福のひと時に浸ることができる時間。

 そういったものを、私は幸いにも巡り合うことができました。

 

 それが、今の盟友であり親友である人です。

 

 

 

tabouaxela.hatenablog.com

 

 

 

 短く、と当初申し上げました。

 申し訳ありません、思いが込み上げるほど文字数が大変なことになることが判明しましたので、今回は一度ここで切らせていただきます。

 

 

 不完全ではありますが、今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

【ケモノ・小説】Tails Intersecting ~あとがきと補足②~

 梅雨明け宣言が未だ出ないまま、夕暮れ時には雷を伴う激しい雨が降り注ぐ妙な天候が続いています。

 まるで台風の接近を思わせるような木々のざわめきを聞きながら、今年は例年と異なる天候を予期させる自然。

 コロナ、豪雨、地震。2020年に入って早くも半年が過ぎ去ろうとしている今でも、少しでも不安やストレスを軽減するような話題が未だにないことに不穏さを募らせている、【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 前書きは程々に、前回書き切れなかった短編小説「Tails Intersecting」のあとがきと補足を、今回も綴って参ります。

 

 

 

 

 

 

 

 各話のサブタイトル

 

 

 「Tails Intersecting」には各話ごとサブタイトルを設けています。サブタイトルはそれぞれ、チェスの用語から引用しています。

 私はチェス自体をプレイしたことはありませんが、ルール自体には意味があったり興味深いものがあった為、それぞれの話に沿うような形でチョイスしております。

 前述した通り、当初は三話程度の構成を想定していました。

 最初の話はサブタイトル無し、トムソンガゼルが絡まれる場面は「Stalemate」、結びとなる最終話は「End Game」と決めていましたが、構想や話の繋がりを考えていく内に伸びに伸びて行きました……。

 

 ここでは、各話に付けたサブタイトルの本来の意味と、小説内の登場人物たちの行動や立ち振舞がどのように結びついているのかをご紹介します。

 

 

 ・第二話「Stalemate」

 Stalemateは将棋で言う「詰み」の状態ではないにも関わらず、次にいかなる手を打ったとしても詰みが確定してしまう状態にあることを指します。手駒を動かした瞬間詰んでしまうことからゲームの継続ができなくなってしまう為、純粋な王手やチェックメイトとは異なります。

 小説内では学園が謳う共存に対し、争いやいざこざが絶えない日常に辟易したトムソンガゼルがトラたち4匹の肉食獣に囲まれ、絶体絶命の状況に陥ります。しかしトムソンガゼルも必死に抗い、一方的に負けを認めようとしない姿勢が、トラたちの暴挙と対峙し場が動かなくなります。ここを互いに決定打となるものを出せない所を、打ち手無し、Stalemateをサブタイトルに付けることとしました。

 

・第三話「Promotion」

  Promotionはポーン(将棋の「歩」に当たる駒)が相手陣地の最奥に辿り着いた際、より強力な駒へと昇華するというルールです。将棋界では「成る」とほぼ同意です。

 小説内ではそれまで変わり者を通して異端児とされてきたホッキョクオオカミがトムソンガゼルを庇い、敵意を向けてくるトラたちにそれまで見せることのなかった黒い思いや言葉を突き刺すように放つ様を、ホッキョクオオカミの成り上がり、Promotionをサブタイトルとしました。

 

・第四話「Material Advantage」

 将棋と違って相手の駒を自駒とできないチェスにおいては、駒の数が相手より多いか少ないかが対局に置いて重要になってきます。厳密には駒の強さによって指標のようなものが伴いますが、その指標が多かったり単純に駒の数が相手よりも多い程、チェスでは有利に働くことが多分にあります。それをMaterial Advantageと呼びます。

 小説内ではトラたち四匹を相手にするホッキョクオオカミは数的には非常に不利な状況にあります。それでも己が信念を貫こうと奮戦する様は、数の暴力を気迫で覆そうとしていた。

 本来の意味とは逆の意味で、数の暴力に立ち向かうホッキョクオオカミの様を表そうと、サブタイトルとしてMaterial Advantageを付けることに至りました。

 

・第五話「En Passant」

 読みは「アンパッサン」で、チェスにおいてはポーン(歩兵)の特殊な動きのことを指す用語です。将棋の「歩」と同じ立ち位置にいながら、ポーンは相手の駒を取る時に、限定的ではありますがとても特徴的な動きをすることがあります。

 小説では浮世離れした言葉や振る舞いをしていたホッキョクオオカミが、ハイイロオオカミの決め付けに近い言葉を受けて豹変する様を描きました。

 普段とは異なる、限定的な場面での主人公の変わり様。それをサブタイトルのEn Passantに合わせる形でホッキョクオオカミの変化を表しました。

 

・第六話「Check」

 Checkは相手のキング(将棋の王将)を次の手で取れる状態を指します。王手と同義です。王手を効かせている相手の駒を逃がすか自分のキングを逃さなければ負けが確定してしまう、かなり追い込まれた状態です。

 小説内ではハイイロオオカミがホッキョクオオカミへ大きなダメージを与え重傷を負い追い込まれます。が、小柄さを活かした反撃で致命傷を逃れ戦闘継続状態を維持するに至りました。

 一時的とは言え、ホッキョクオオカミが逃げようのない窮地に陥った状態を鑑みてCheckのサブタイトルとして用いることとしました。

 

・第七話「Checkmate」

 Checkmateは完全にキングが取られる寸前の状態で、次にどのような手を打っても負けが確定してしまう「詰み」のことです。

 小説内では負傷したホッキョクオオカミとハイイロオオカミが下がり、代わりに出てきたトラとグリズリーが殴り合い寸前の喧嘩に入ります。

 互いを討ち倒す為に、クラスメイトに目を瞑らせる極限状態になる寸前、思いが噴出したトムソンガゼルが訴えかけるように強気の発言を行います。

 これによって一気にクラス中からの視線だけでなく殺意まで向けられてしまったトムソンガゼルが、「死んでも構わない」と終わりを覚悟した様から、Checkmateをサブタイトルとしました。

 

・第八話「Illegal Move」

 Illegal Moveとは反則となる駒の動かし方全般を指し、自分からキングを取らせるような打ち手を始め、本来動けないはずのマスへ駒を動かし方をするといったものまで様々なものが含まれます。

 小説内では一話目から姿を消していたアラスカンマラミュートが登場し、殺伐とした教室内を引っ掻き回すような言動を繰り広げます。元々型に嵌まることを嫌うアラスカンマラミュートの動きを、ルールを無視した動きを表すIllegal Moveに重ねました。

 

・第九話「Castling」

  Castlingはキングとルーク(将棋の飛車と同じ動きをする)と言う駒を同時に動かす特殊な手の打ち方を示します。チェスでは初期位置のキングは危険な為、このキャスリングを行うことで防御と同時に攻撃の幅を持たせるために使われる手法です。

 小説ではアラスカンマラミュートの力説だけでなく、ホッキョクオオカミがそれまでかたることのなかった過去を晒す場面になります。二匹が同時に、本来行わない言動や行動に移った様子になぞらえ、Castlingというサブタイトルを冠しました。

 

・第十話「An étude」

  An étudeはエチュードと読み、所謂詰み将棋と同じで勝ちに至るまでの手を学ぶことを意味します。別名ではエンドゲーム・スタディとも呼ばれます。

 小説内では分裂しかけていたクラス中が纏まり始め、争いの終局に向かって全員が意気投合し始めます。同じ方向を向き始めたとは言いつつ、少し疑念やさらなる解決策を模索している所を、An étudeの意味に重ねました。

 

・第十一話「Sacrifice」

 厳密にはチェス独自の用語ではありませんが、Sacrificeは犠牲という意味があります。

 小説では出し物の重役を自ら買って出たホッキョクオオカミ。それまでの行動からすれば自己犠牲にも見える様子を見せますが、ホッキョクオオカミは彼なりの思いや条件を隠すことなく提示し、意志を貫こうとします。

 自己顕示と自己犠牲の狭間。表に出そうとさえしなかったホッキョクオオカミの葛藤のようなものを、Sacrificeのサブタイトルで補うことを考えました。

 

・最終話「End Game」

  End Gameは文字通り、ゲームの終わりを意味します。

 最終的にクラス中が折り合いを付け、期限ギリギリで決まったクラスの出し物。いざこざや血を流す場面はありましたが、最後は傷を負った肉食獣であるホッキョクオオカミを、草食獣のトムソンガゼルが心を開き始めたところで幕を閉じます。

 ゲームではないにせよ、紆余曲折を経ながらも困難の一場面を乗り越えたことで褶曲を迎えたホッキョクオオカミたち。それをEnd Gameとして物語は終わりを迎えることとしました。

 

 

 

 今後の創作について

 

 

 

 十四話と当初申し上げましたが、よく数えたら一二話構成の小説となりました。

 一話がおよそ4000字前後でしたので、約5万字前後の物語となりました。

 頭の中で浮かんだ光景を、文字だけで起こすことは、やはり難しいことを痛感しました。表現力だけでなく言葉の言い回し、知っている単語の多さを如何に活用するか。同じ言葉を使い回すことだけは避けたかったので、何度も修正しました。

 

 ただ、書き続けることの苦痛さは感じることはありませんでした。そういう意味では、やはり文章を書くことは好きなようです。

 

 今の所次の創作物については考えておりませんが、機会があればTails Intersectingの後日談、或いは全く別物が思い浮かんだ折りには、今回のように上げていければと思っているのが、今の正直な感想です。

 

 長くなりましたが、第一作となる小説については、これで締めとしたいと思います。

 

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

【ケモノ・小説】Tails Intersecting ~あとがきと補足①~

 誕生日を迎え、また歳を一つ取りました。

 学生の頃は1年がとてつもなく感じていたのに、25歳後半辺りから時の流れの速さを痛感し始めている、【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 先日、短編と謳いながら14話にも及ぶ小説の連載を終えることが出来ました。この場をお借りして、御礼申し上げます。

 執筆活動自体は高校の頃から行って参りましたが、公開するのはこれが初めてでした。

 文章だけで情景や登場人物の思いを伝える難しさを痛感しただけに留まらず、想像以上に苦労の連続でした。

 

 しかしながら、最終的には誰得な投稿となり、結局自己満足を満たすもの以外の何物でもありません。

 が、私には大きな一歩を踏み出せたことに違いはなく、投稿作品の第一作を書き終えてのあとがきのようなものを、勝手ながら綴っていきたい所存です。

 

 今回は本作品を執筆してきた上での解説や苦労点を並べながら、執筆を決意した経緯等について綴って行きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 小説公開の決意

 

 

 前書きにも書かせていただきましたが、小説の執筆そのものは十数年前から続けています。

 メインはファンタジー、サブとして学園ものを綴っています。メインの方のファンタジーものは一度収束させましたが、読み直してあまりの表現の稚拙さを恥じ、最初から書き直し初めて久しいです。

 本来執筆において重要なのは、物語の起承転結の骨組みをある程度明確にすることにあると考えています。骨組みが完成していないのに設定やら世界観といった肉付けを幾ら充実させても、簡単に崩れ去ってしまいます。建物と同じですね。

 

 この失敗を、最初のファンタジー作品でやらかしました。

 

 移気が激しい私は様々なものに影響されやすく、例えばあるアニメを見た後に「あ、この設定いいな」と思ったり。

 世界観もある程度固まっていたのに、覆すとまでは行かないまでも「どのようにして、その世界は存在しているのか」といったことを行く内に、良いなと思った作品の設定を自分なりにアレンジを加えたり。

 そんなこんなをしている内に、世界観から設定、登場人物の性格なども変わりに変わっていくというスパイラルに陥って参りました。

 

 素人であり、かつ公開していないことを前提にしているからこのような愚行が許されるのかもしれません。

 しかし自分が創る世界を作り直すということはあってはならない。

 自分で創ったのだから、一度決めたことを変えることは自己否定とほぼ同意と考えています。

 

 と言いながら、これも良いあれも良いとやっている内に。

 当初の作品と比べても、今手にある作品の設定や世界観は大きく異るものが残る結果となりました。

 

 その連鎖を断ち切りたかった。

 何より、喩え誰かが読んでくれなかったとしても、自分というものを読み物として公表したかった。

 そんな我儘から生まれたのが、本ブログで公開した「Tails Intersecting」です。

 

 

 各話のサブタイトル

 

 

 まず頭に浮かんだのは、本ブログで取り上げている私のテーマを登場人物たちに投影して表現したいという思いでした。

 生まれ、育った家族関係、イジメ、差別。そのようなものを陰のテーマとしながら、登場人物である主人公たちケモノが肉食獣と草食獣という隔たりを感じながら生きている世界観を考えました。

 

 これは多分に、BEASTARSの影響が大きいです。

 

 作品を書くに辺り、主人公を二人にするという構想は始めから持っていました。

 一人の視点から観る世界と、別の人物から観る世界の違いを表現したかった、という思いの強さが二大主人公制を選択させました。

 

 一匹は、孤高に生きることを決意し貫き通してきた、中型肉食獣のホッキョクオオカミ。

 もう一匹は、環境に適応しているように見せかけておきながら、周りに失望したことで溶け込むことをやめた草食獣のトムソンガゼル。

 現在ではハラスメントに繋がる可能性がある為大きな声で言うことはできませんが、二匹はそれぞれ男女の差や力関係の差、生まれた時点で決定付けられた生き方を強制されることとなった全く異なる思想や思い、価値観や考え方を表現するという思惑で選びました。

 

 当初はクラスから除け者扱いされたアラスカンマラミュートと、元々関わろうとする気のないホッキョクオオカミの予定でしたが、アラスカンマラミュートは別の役割を担って貰う形で主人公交代した、という経緯があります。

 

 

 登場人物

 

 

 ここで、「Tails Intersecting」に登場した人物(獣)をご紹介します。本来なら小説の冒頭にて説明すべき項目ですが、変遷に変遷を重ねた結果、当初考えていた以上に登場人物が増えてしまいました。

 しかしその甲斐あって各獣に役割を持たせられ、役に徹する人物像や話し口調などを熟考することは、事実です。

 

 箇条書きになりますが、ご紹介いたします。

 

・ホッキョクオオカミ

 本作の主人公。肉食獣ながらも180センチに満たない中型の身体。膂力は大型獣には及ばないが、オオカミの血を引くその身体は俊敏性と小さめの体躯は柔軟性にも富む。争いは好まないが戦いではイヌ科最大の武器である顎の力に頼った噛み付きよりも足技と身のこなしの早さを活かす。

 性格は争いをする位なら自ら身を引き、祭りごとのような騒ぎが嫌いなことも災いし知らぬ間に姿を消している。浮世離れしているその様はクラス一の変わり者と認識されているが、元々筋が通らないことを大いに嫌い、自らの生き方に触れる相手には容赦がない。怒る時は感情任せに怒鳴り散らさず、相手の非を次々と並べて論破していく冷徹で冷酷な一面を持つ。

 オオカミの血を引きながらホッキョクオオカミという希少種故に全身が白い毛並みであることを毛嫌いされたり気持ち悪がられたことを契機に世の中との付き合いを自ら拒絶し、孤高で孤独に生きることも良しとしている。

 

・トムソンガゼル

 もう一匹の主人公。代々ガゼルの血を次ぐ家系に生まれたが、母親のトムソンガゼルの遺伝子が強く出ており、家族からは血を汚した者と疎まれ、家族愛を知らないまま育った。母親以外の身内とは絶縁に近い状態。

 草食獣という弱い存在だけでなく、家族からさえ疎まれる自分に生きる価値を見出だせないまま成長したことで、自己嫌悪の塊と化し、他の獣と話したり共にいる自分を想像することさえできず、これ以上自分を傷付けない無意識が勉学への道にのめり込むことを選ばせた。

 母親を除いた獣とまともに向き合って話したことがないことからどう接すればいいのかわからず、何かと上から目線であったりわざと他者を遠ざけようとする物言いや言葉を用いる。

 それは自分の昏い過去を垣間見られるようなことがないようにする、彼の弱さの裏返しでもある。

 唯一存在を認めてくれる母親の「生きてさえいれば、必ず報われる時が来る」という言葉だけは常に信じ続けて、淡い期待と深い失望の両方を抱えながら生きている。

 

・アラスカンマラミュート

 ホッキョクオオカミをも上回る体躯の持ち主である、大型に分類されるイヌ科。遥か昔にオオカミの遺伝子を操作され、理性を強化されたイヌ科である為頭の回転は物凄く良いが、性格的には理性よりも本能が先に出る。

 遺伝子を弄られた惨めな存在、と過去にバカにされたことを深く妬んでおり、それらの記憶に触れることや自らの意志に背くような言葉に敏感に反応する。その為周りとの衝突が絶えない。

 敵を作りやすい性格ではあるが一度認めた存在はいつまでも大切にしようとする義理堅い所もあり、そのような者が傷付くような場面に出くわすようなことがあれば身や言葉を呈して守ろうとする。

 ホッキョクオオカミとは入学当初から意気投合する仲で、神出鬼没な彼をそこはかとなくフォローしされる関係。

 

 

・トラ

 ベンガルトラよりも一回り小柄なアムールトラに分類される。獣全体から見れば大型種に入るが、同じトラでもより大きく強いベンガルトラに強い羨望を抱いている。

 研ぎ澄まされた神経と本能からより強い者へと挑む姿勢が生まれてから強く、その度に僅差で負け続けてきた自分の生まれを呪いながらも、強くありたいという願いが強くあらねばならないという脅迫概念となって彼を支配している。

 他の獣に対してもその意識は強く働き、常に高圧的で邪険に扱う嫌いがある。

 

・ハイイロオオカミ

 イヌ科の中でも最大級の大きさを持ち、自分の強さと能力、そして血筋には誇りすら持っている。他の種族とは当たり障りのない対応をするが同族に対しては血族の誇りが邪魔をする形で同族嫌悪を生み出し、集団行動や統率を何よりも大切にするオオカミの中で彼一匹だけが孤立するという皮肉な結果を齎してきた。

 その寂しさを見せないよう気丈に振る舞っているが、折り合いを付けるということを知らないまま生きてきたことで、特にイヌ科同士が仲良くしている場に出くわすと嫉妬に近い感情に支配される繊細さも併せ持っているが、彼はそれを認めようとしていない。

 その思いの最中、一匹で孤高に振る舞うホッキョクオオカミのことを羨むと共に妬んでいた。

 

・柴犬

 トラたちの仲間内では一番血の気の多い性格だが、身体は小型から中型の間に位置する程度の体躯しかないイヌ科。従順ではあるが口の悪さと手が出やすい性格から次第に見放され、逆に試される場面を幾度となく強要された過去を持つ。

 同じイヌ科であるアラスカンマラミュートには一定の理解と歩み寄ろうとする姿勢を見せようとしているが、トラたちとつるむ関係上、これ以上見放されることを怖がってきた。その思いに従順さが重なったことで、トラたち仲間内の先鋒を担うように成り果てていた。

 言葉の汚さはあっても持ち得る従順さは光るものがあり、一度認めた相手には尽くそうとする律儀さと不器用さの両面を持っている。

 

・ピューマ

 メスライオンにそっくりな見た目を持つ。そのことを思春期にからかわれたことに激昂、相手を仕留める寸前の状態にまで追い込んだことがあり、過去から少年院送り手前となったことがあった。

 その残忍さと容赦のなさから周りは離れていったが、ピューマ自身は寧ろそれを喜びと感じる程だった。

 もっと自分を恐れろ、と。

 その最中で出会った、同じネコ科でより大型のトラと血を流す戦いを経て、その強さと獰猛さに憧れる形で仲を深めた過去がある。

 今でこそ過去の鳴りを潜めているが、柔らかげな物言いの裏では常に、血を求めている。

 

 

 

 他にも多くの獣が出てきましたが、彼ら彼女らは、各々違う悩みや葛藤を抱いている設定にしています。そのわだかまりのようなものが、作品冒頭から終盤まで争いの火種と化し、平穏と共存を謳う学園内でも争いが絶えない要因にもなっています。

 ここで紹介した獣たちは、この作品の構想時から思い浮かんでいたものです。

 

 次は各話ごとに付けたサブタイトル等について触れていこうと思いますが、長くなりそうなので、一度切らせていただきます。

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

 

Tails Intersecting -End Game-

 ※注記※

 本記事はこれまで投稿した「Tails Intersecting」「Tails Intersecting -Stalemate-」「Tails Intersecting -Promotion-」「Tails Intersecting -Material Advantage-」「Tails Intersecting -Promotion-」「Tails Intersecting -Castling-」「Tails Intersecting -En Passant-」「Tails Intersecting -Check-」「Tails Intersecting -Checkmate-」「Tails Intersecting -Illegal Move-」Tails Intersecting -Castling-」「Tails Intersecting -An étude-Tails Intersecting -Sacrifice-」の続編となる、短編小説です。

 登場人物は私の趣向により、ケモノです。

 この注記をご覧になり、違和感や嫌悪感を抱いた方は、申し訳ありませんがお引き返しください。

 ※注記終了※

 

 

 

 

 

 Tails Intersecting -End Game-

 

 

 

 二匹の獣を止めたのは、俺の猛り声だった。トラの上から目線もグリズリーの細まった目も気にする間もなく、俺は続けた。

「そういうのが、肉食獣の奢りなんだよ。お前ら大型は無理でも、草食獣だって、この白オオカミを支える位の脚はあるんだ。何せ、逃げる為に発達した脚は伊達じゃないんだからな」

 言いながらようやくホッキョクオオカミを立ち上がらせることができた。正直この状態で動くのは厳しい。

 それ以上に、こんなことで折れる自分自身の姿を想像することの方が嫌だった。

「強がるなガゼル、ホッキョクオオカミと廊下で共倒れでもしたらどうする気だ」

 手を出そうとして引いたトラの言葉は無粋で温もりのない声色だが、気持ちは伝わるのは確かに感じた。

「強がりでこんなことする程、俺は勇敢なんかじゃないさ」

 ふらつくホッキョクオオカミを何とか支えながら、俺は教室中の獣を見渡した。

 皆が皆違う感情を、それぞれの顔に出している。心配や不安が主だが、中には出しゃばるような俺に対する憤りのような表情も見て取れた。

 だから、俺は一気に考えと思いを同時に並べ始めた。

「そんなことより、頼みがある。この白オオカミを肉食獣の奴が連れて行けば、喧嘩を疑われる。肉食のこいつと草食の俺なら、下手に勘ぐられることはないだろう。寧ろ他校の奴らに狙われた俺を庇ったと思われれば御の字だ。俺たちが保健室へ行っている間に朝礼が始まる、その時にトラとハイイロオオカミが適当にはぐらかせてほしい。そうなると担任が真意を知ろうとしてくるだろうから、グリズリー、フォローをしてくれ。念を押しておくが、アラスカンマラミュート。クラスの出し物の為に動画撮影していましたなんてバカなこと話すんじゃないぞ。それは一段落してから話せばいいことだからな」

 息継ぎせずに喋ったから、俺は思い切り息を吸った。少しずつ肺にに溜まった空気を吐き出しながら、肩のホッキョクオオカミに視線をやった。

 半分潰れた左目で、俺を見ながら。その口元は、緩んでいた。

 皮膚を、肉を抉られて痛いはずなのに。俺たち草食なら死活問題の傷を負っているのに。

 平気だ、と言いたいかのようにホッキョクオオカミは微笑んでいた。

 

 どこが平気なんだ。これが、肉食獣の強さだとでも言いたい、のか。

 いや、違う。

 痛みを我慢しているというよりも、これ位の傷は慣れていると言いたげな、そんな思いを俺は感じた。

 何を考えているか窺わせようとさせない、いつもの曖昧な顔だが。

 今の俺には、こいつの気持ちがわかるような気がした。

 そうだろう、白オオカミ?

 

「もうすぐ保健委員が戻ってくる頃だから、床や机に散った血を協力して拭い去ってくれ。この教室で暴れたことが明るみにならなければ、それで良いんだ」

「思いの外頭が固いんだな、ガゼル?」

 ホッキョクオオカミの思いを無駄にしないように口走った俺の前に。

 見上げる程背丈のあるトラが立っていた。

 

 また、俺に突っかかるつもりなんだろう。こんな状況でもやりたいなら、殺れよ。

 

 歯を食いしばって睨んだ俺を見て、トラは大げさに笑いながら俺の頭に手を乗せてきた。俺の頭など簡単に握り潰せる程に大きな掌。

 何の、つもりだ。そう困惑した俺を尻目に、相変わらずのデカイ声と共に俺の頭をトラの手がポンポンと叩いてきた。

「無駄に気張るなよ、肉食獣肩に担ぎながらよ。お前に言われるまでもないのはわかっている。教師連中をはぐらかすこと位楽なものさ。これまでも、何度もやってきたことだからな。だろう、グリズリー」

 叩かれる度に、衝撃で脳が揺さぶられる。ぶっ、と情けない声が漏れる。

 「その位にしておけ」というグリズリーの声で、トラの手が止まった。肉食獣相手なら軽くのつもりなんだろうが、草食獣の俺にはお前の一手が重すぎるんだよバカ野郎。

「ホッキョクオオカミのことは、お前に任せるぞトムソンガゼル。こちらの方は僕たちに任せてくれ。少しは僕たちを……いや、肉食獣を信用してくれないか、トムソンガゼル」

 やんわりとした表情を浮かべるグリズリー。刺々しいと感じたことはなかったが、口数が少なく無骨だと思っていたこいつが。

 先程まで殴り合っていたトラと一緒に、笑っていた。

 

 こいつも、笑うんだな。

 当たり前か。肉食獣や草食獣、雄雌なんて関係なく。

 俺もこいつらも、同じ獣なんだから。

「そう、だったな。ありがとう、あとは頼む」

 後の言葉が続かないまま、俺はホッキョクオオカミと共に教室を後にする。

 扉を締めるまで、教室から「ガゼルのヤツ、ありがとうだってさ」やら「あいつがあんなこと言うところ、初めて見たよ」なんて声が聞こえてきた。

 捕食から逃げる為の俺の聴力、甘く見過ぎなんだよ。後で言葉責めし尽くしてやるから覚悟しておけ。

 そう思いながら、俺は少し強引に扉を閉めた。

 

 

 血を滴らせる肉食獣。それを支えながら歩く草食獣。逆の立場ならまだしも、保健室へと歩を進める俺たちは端から見ればさぞ異形だろう。

 登校したての獣。部活の朝練を終えた獣。授業前に雑談に耽っていた獣。

 こぞって会話を止め、俺たちへと視線を向けてきている。思わず口を押さえる者や小言を言っている奴もいるが、この際全部無視だ。

「ごめん、ガゼル君」

「一々謝るな白オオカミ。それとも周りが気になって仕方がないか?」

 体重の半分近くを俺に預けるホッキョクオオカミが、俺を気遣ってか弱々しい声を漏らした。だから俺は、わざと嫌味ついでに問いを投げてみた。

「草食獣に肩を預ける肉食獣、周りはおかしく見えるだろうな」

「そんなんじゃないよ」

 ホッキョクオオカミが言いたいことは、俺でもわかっていた。

 こいつが謝ったのは、そんな小さな偏見や常識に対してではない。純粋に、俺に対して迷惑を掛けていることへの贖罪なのだろう。

「なら余計に気にするな。俺も、その。お前に守ってもらったからな。だからこれ位のことで謝ることなんてない。だって、俺もお前みたいに」

 そこまで言いかけて、俺は言葉を潰した。

 俺が受けてきた、家系の事情。それを今、傷付いたこのホッキョクオオカミに話して何になる。

 確かにこいつは、多くの場所で傷付いてきたのだろう。俺が勉強に明け暮れたように、このオオカミは孤独を進んで選ぶことで、自分を保ってきた。

 それを同情やらわかった気持ちになるようなことは、俺自身が許せなかった。

 傷の舐め合いになるようなことで親近感や虚無感は満たされるかもしれない。

 だが、俺が受けてきた迫害とこいつのそれは、決して同じではない。どちらがより酷いだとか、比べることの方が烏滸がましい話だ。

 今俺たちを奇異の目で見ている周りの奴らは、そういった比較できないことを「肉食獣と草食獣」という世界の杓子定規に当てはめて見ているのだろう、と俺は思う。

 常識から外れた行動は、注目と同時に偏見を集める。「あのトムソンガゼルがオオカミを角で突き刺しでもしたのか」という声が飛び込んできた瞬間、白オオカミを放り出して本気で角を突き刺そうという衝動にかられかけたが、ホッキョクオオカミの身体が重過ぎてそれどころではなかった。

「みんな、どうして変な目を向けて来るんだろうね。僕が血を流し過ぎているからかな」

 そんな時でも、このオオカミは相変わらずだった。その声色は疑うというよりも、諦観のような哀愁を感じさせていた。

 俺はどう答えれば良いのか、一瞬迷った。だがすぐに、ホッキョクオオカミの目を見ながら一言だけ言ってやった。

「さあな、肉食獣と草食獣が一緒に歩く姿が珍しいんだろ」

 俺の声に呼応するかのように、ホッキョクオオカミが視線を落としてきた。憂いのような何かを、その顔に刻みながら。

「そんなものなのかな。僕は別に気にしないけど、ガゼル君は嫌じゃないの?」

  俺は無言のまま、床を蹴った右足を振り上げてホッキョクオオカミの尻を膝で蹴り上げた。短い悲鳴が頭上から聞こえたが、俺は気にすることなく続けた。

「そんな詰まらないことを気にして、お前を保健室へ連れていくとでも思っているのか」

 言って、急に羞恥心がこみ上げてきた。蹴られたホッキョクオオカミも自らの声が思った以上に恥ずかしかったようで、口元を押さえていた。

 

 

 沈黙が続く廊下。俺と白オオカミの靴音だけが静かに木霊する。

「それにしても」

 ゆっくり歩く間に、少し体力が戻ったのか。

「ガゼル君、優しいんだね」

 いつもの調子で、ホッキョクオオカミが頭の上から声を掛けてきた。

 本当に、このバカオオカミはっ……!

 真顔でそんなことを言う恥ずかしさはないのか!

 調子を崩されただけでなく、こいつに肩を貸してきた俺の方が体力的にキツくなってきた。もう面倒臭いから、適当に流すことにしよう。その方がいい。

「煩い。その腕と目を角で抉っても良いんだぞ」

「ガゼル君、そんなに嗜虐的だったっけ?」

「お前が知らなかっただけだろ」

  ガゼルの俺が肩を担ぐには、少し重いが。

 それまで見せたことのない、口元だけでなく、目元まで緩ませたホッキョクオオカミ。

 それを見るだけで。

 

 俺まで、顔の筋肉が緩んでしまった。

 

 

 身体の大きさも、力も、俊敏さも。性格まで違う俺たち獣は。

 全員が全員、同じでなくて良いはずなんだ。

 

 ホッキョクオオカミの長くてフサフサな尻尾が、短くい俺の尻尾と交わるようなことがないように。

 それでも、いつかは交わるような日が来るのかもしれない。

 今日起こった出来事だけでなく。

 肉食獣も、草食獣も関係のない、獣同士がわかり合えるような日が。

 

 

 

 

 

 

 Tails Intersecting -The End-