【生き方・趣味】心の浄化 ~趣味くらいは、せめて自由に~
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何だか、日本中が重苦しい空気に包まれている。そんな思いが頭から離れません。
自発的にとは言え、半年以上も自由な行動を制限されると、流石に精神も腐敗が進んできます。
それでも会社の飲み会や時間だけを浪費する会議や研修がなくなっただけでも、人との交流が嫌いな自分に取ってはある意味、楽をできている【やさぐれ紳士】白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
このご時世、出歩くのも躊躇うようになってしまった中。仕事が休みの日でも不貞寝の如くダラダラと過ごさずに済んでいる、持って良かった趣味に感謝する思いでいます。
本ブログでも度々登場する、車です。
車の趣味と言っても、その幅はとても広く、どこに重きを置くかは人によって千差万別。自分好みのチューニングを行うこと。相棒たる愛車と共に出かけること。持ち主と同じように年を取り、老いていく車をいつまでも乗られるようにメンテナンスをすること。
今回は私が初めて自分の給料で購入し、今は母の足となっている軽自動車が主役となります。
もうすぐ納車から9年経つ年季の入った趣きとなりつつありますが、未だにその動力や走りは現役。その理由が、車と少しでも長く共にありたいと思えるようになったことから始まっていたのでした。
今回は思い入れのある初の車と過ごしてきた時間を交えながら、束縛されて久しいだけでなく、希望や未来も見出だせない現代において、自由を許されたほぼ唯一と言える趣味を通して。
暗い雲に覆われるような、くすんでいくような心を何度も洗われ、浄化されたかについて、綴って参ります。
- 技術だけは進歩しても、将来も夢も、クソもない世の中
- 車のことを、運転することが趣味となった切っ掛け
- 時を経て、母の愛車となった車の面倒を見ることも趣味にして
- 心の洗浄、浄化。その元である趣味だけは、せめて自由に
技術だけは進歩しても、将来も夢も、クソもない世の中
私が生まれるよりも前、日本は高度成長期という爆発的な技術と工業基盤を発展、盤石にすることで世界有数の国へと躍り出る時代がありました。世間ではバブルと呼ばれる時期です。
当時の人たちは様々な革新を確実なものとする為に骨身を削り、汗と共に血すら流すような努力と労働で数多くの分野を進歩させ、貢献したと聞きます。
今では大学院卒でなければ入れないような大企業も人材を欲する為に高卒も積極的に採用し、企業間での人材の引き抜きも多かったと耳にしています。
私の務める情報通信業もその例に漏れず、それまでは一部の富裕層にしかなかった電話やインターネットを普及させる為に、毎日仕事で追われサービス残業も当たり前だった、と退職された大先輩から何度も話をされました。
その苦労さは現在のそれと比較などできない程の激務だったとのことでしたが、私に話をしてくださった人たちはこぞって「あの時は良かった」「キツかったけど楽しかった」と感慨に耽る程。
高度成長期の面影すら知らない私には、ドタバタな時代だったのだろう、としか言いようがありません。
当事者でないということが一番ですが、今の日本を取り巻く環境との乖離があまりにも酷すぎるからなのではないか、と思うことが一番の理由だったりしす。
確かに労働環境は良くなりつつあります。しかしながら古き良きものは忘れ去られ、悪い慣習だけが残り続けていると思えないようなことばかりがあります。
組織や会社としての成果よりも個人主義と謳い始めて久しいのに、未だになくならない格差。上下関係による軋轢や圧力、能力重視とされる昇給・昇格制度も結局は年功序列。昇給も満足に行わず、給料は上がったとしても税金も上乗せで差し引かれ、雀の涙のようなお金しか残りません。
その癖都合の良い時は「皆仲良く」とよそよそしい言動と態度により行使される、懇親会と称する自己満足の飲み会。社員との交流と体の良い言葉が並ぶ、一方的な押し付けばかりの意見交換会。
誰にも幸せも親しみ、信頼感も残らない悪しき習慣。その無駄な経費を削減できないのか、と思ってもどうにもならない。余裕を持って笑っていられるのは、いつも上層部の幹部だけ。自らの上司である中間管理職もそういった時だけはヘコヘコとしているのを見ているだけで、溜め息しか出ません。
そして止めと言わんばかりに、これまで安牌とされてきた終身雇用や年金も危うい状況となっています。恐らく、私のような年代の人間は年金すら禄に貰うことも叶わないまま、貰う前に死ねと言われるようになる時もそう遠くないような気がしてなりません。
技術的な進歩も限界推移に達しつつあり、それを担う労働も機械やAIに取って代わられるだろうという「2045年問題」という夢物語のような話も現実味を帯び始めています。
こんな腐った世の中で、将来や未来にを描いて希望を持てと言われたところで。
ボロ雑巾のようにいつまでも使われるくらいなら、私は早死してやりたいと思うことしかできません。
車のことを、運転することが趣味となった切っ掛け
話が大きく逸れてすみません。
そんな体たらくな企業に、私は何も求めていません。生きる為にお金を求めて会社に勤めるのであって、お金の為に会社で生きている訳ではありません。
どれだけ批判を貰っても、それだけは譲れません。故に会社での付き合いは最低限に、憂さ晴らしやストレス発散は飲み会ではなく、趣味で。
そんなスタンスを貫くようになった私が出会ったのが、車でした。
一昔前、「今の若者は何故〇〇離れするのか」というような話題が飛び交っていました。タバコやお酒に並び、車も例外ではありませんでした。
時代が変わったから、と言えばそれで済むことなのでしょう。でも、私からすれば。
良いじゃん、そんなの個人の自由なんだから。他人にとやかく言われる筋合いないから。
そんな反骨精神と共に、私は車を購入する道を歩み始めました。最初から車好きだったかと聞かれれば、ある意味不可抗力だったと情けない答えしか返せません、が。
長野在住者として、車は必須でした。そんな中で車に対する知識も魅力も持っていなかった私が選んだのが、MAZDA AZワゴンでした。
2011年式のこの車はスズキのワゴンRのOEMとして、MAZDAが販売していた軽自動車です。今もOEMは続いていますが車名は変わってFlairとして販売されており、社名変更前の最終形式となる車です。
数多くある車の中からこの車を選んだ理由は簡単でした。見た目と、他の人が乗っていないだろうという天の邪鬼精神です。
始めこそ業務都合で運転していたこの車でしたが、私に車の魅力を、運転する楽しさを教えてくれることになりました。
軽自動車故に動力は貧弱ですが、軽さは車の世界でも正義となります。運動性の良さと程よい車高は街中走行だけでなく高速道路でも十分な力を見せ、私を少しずつ、多くの場所へと連れて行ってくれました。
そこから車に関する知識を身に付け、タイヤ交換やバッテリー交換、洗車といったものを自分の手で行うようになっていきます。
全てプロに任せた方が、安全面からすれば言うことはありません。
しかしそれでも、半ば暗示するかのように不器用と自分を呪ってきたこの手で。下手くそながらも、時間が掛かっても一つ一つの作業を終える度に喜びと達成感を得るようになりました。
そして、3年が経った頃。
母が愛車を廃車とすると聞いて、私は自分の車を新しく買い直す選択をし。
私の足だったAZワゴンは、母の新たな足として活躍することとなるのでした。
時を経て、母の愛車となった車の面倒を見ることも趣味にして
自分の手を離れた元愛車でしたが、面倒は引き続き見ることは最初から心に決めていました。
残っていた支払いという金銭面だけでなく、私にとって初めての車は最後の最後まで、この手で維持する。
どれだけお金が掛かろうが、手間が掛かろうが。
自分の趣味として選んだ車たちに、差などない。
そして、私が母の為にできることは、あまり多くありませんでした。だから、せめて車のこと位は、私が全部引き受ける。
全て、趣味だから。好きだからこそ、苦もなく感じなかった。自由らしい自由がない今の時代、私にそれを教えてくれる存在。それが車だから。
母に譲渡する形となったAZワゴンは、私に車のメンテナンスを教えてくれることとなりました。
直射日光や雨風に晒される極限状態の中、耐え続けるボディ。数百度という高温になるエンジン、それらを制御するコンピュータ。ボディ全体を支え運転に安心を齎す足回り。
人間が歳と衰えに逆らえないのと同じで、車も相応の劣化や破損が年と共に出て参ります。多少目を瞑って延命することはできても、最終的には部品交換をしなければ最悪の事態を生み出してしまう、凶器となりかねません。
ここ数年は、毎年のように不具合が見つかりました。その都度何万というお金が掛かりました。塗装もすっかり紫外線で色褪せ、細かいキズも数多く抱えています。
一時はディーラーから、これ以上メンテナンスに費用を掛ける位なら乗り換えた方が安く済むと言われたこともありました。
しかし母や私の意志を貫き、異常が見つかった部品は全て交換し今も母の足として活躍しています。
そして本日、雨の合間を縫って溝のなくなり履きつぶしたスタッドレスタイヤからノーマルタイヤへと交換。買い物の前にタイヤの空気圧調整と洗車を行い、コーティングを決行しました。
久しく面倒を見られなかったこともあり、普段ならやらない2重コーティングを実施した結果。
近寄らなければわからない程の輝きを取り戻し、新車の時の頃を彷彿させる美しさを再び見せてくれました。
ちなみにヘッドライト部分が白みがかっていますが、これも紫外線によるヘッドライトカバーのプラスチック部品の曇り(くすみ)です。
少し裏技になりますが、専用のコンパウンドではなく虫除けスプレーを使うことで曇りを落とすことができます。これは虫除けスプレーの有効成分であるDEET(ディート)と呼ばれる成分がプラスチックを薄く溶かす効果によるものです。ヘッドライトカバーの曇りは表面上に出来るのでそれをプラスチックごと溶かして削ぎ落とす、といった感じになります。
この方法を使うと元々パーツに塗布されている保護成分まで溶かしてしまうので、アフターケアは必須です。実際に試してみましたが、思っていた以上に綺麗になります。ご興味のある方は、お試しください。(但し自己責任でお願いいたします。)
心の洗浄、浄化。その元である趣味だけは、せめて自由に
最近ネットニュースで、転職や退職、起業といった話題を見ることがあります。
そこには必ずと言っていい程、「古い社会背景の企業から抜け出す」といった文言が書かれています。
コロナ禍を通じて、それまで当たり前とされてきたことが覆りつつあるのかもしれません。
しかし、です。
そういった所で脚光を浴びるのは、極一部の人だけ。その他の大部分は失敗して環境を悪化させるか、もしくは脱却したくても諸々の事情でそれすらも叶わないという人が大勢いるのだと、私は思っています。
それ以前に、自分が「本当にやりたい」仕事に就いているような人など、それこそ数%しかいない。多くの人は、お金の為に仕方なく働いていると思います。
ニュースで取材されている方々の言葉や思いは、大いに納得し同意できます。
然れど今の会社を退職するつもりは、今の所ありません。
散々不満を書き殴ったのに、辞める気はないのかと聞かれれば。
別に、好きでしがみついている訳ではありません。少なくとも私の場合、退職という選択をするまでのどうしようもない不満までは抱いていません。辞めて再就職のやり取りをやる手間暇を考えたら、多少不平不満があっても気にしないようにしています。
前書き通り、会社に期待することなど、もう捨てています。
それは新しく未来を切り開く勇気がないだけじゃないのか、という声も飛んできそうな気もします。
意気地なし。そう言いたければ言ってくださって結構です。全くその通りで、私は臆病者です。
会社でやりたいことはないのか。そう問われれば。
会社でやりたいことなんてありませんし、そんな都合の良い仕事なんてそうそうないと思います。
それこそ、趣味で間に合っています。
お金を貰う以上、自由を奪われる。
逆に言えばお金にも何にもならなくても、趣味ならどんなことでもできる。好きであるのだから、尚の事。制限付きのことをやる位なら、私は好き放題できる趣味をいつまでも生き甲斐としていきたいと思っています。(無論、法律破りは論外ですが)
私の生き甲斐は、仕事ではありません。仕事で腐り、汚れた心と精神、そして身体を浄化する趣味です。
それくらいは、誰の文句もなくやっても良いのではないでしょうか。
今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。