【車・趣味】秋の新潟 ~奥只見湖・清津峡~
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最高気温が二桁に届かない日が出てきたと思いきや、一転して夏日を記録する日々に弄ばれるかのように、すっかり体調が崩れ気味の【やさぐれ紳士】白兎です。
インナーを真冬仕様に変えてしまったので、少し歩くだけで汗まみれになるのは勘弁願いたいところです……。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
遡ること、9月の下旬のこと。
ブログ仲間にして友人である「たーぼぅさん」より、新潟旅行の提案があったのは、唐突のことでした。
シルバーウィーク明けの平日を利用して、新潟在住のケモノの絵師の方にお会いし、合流して名所を巡るという計画でした。
私も何度か通過をしたことはあったものの、新潟市内の旅行は初めてでした。
今回の旅でも、素敵な出会いと場所を訪れることができた、思い出深い旅となりました。
その初段である本記事では、新潟までの道程と到着してから訪れた、奥只見湖と清津峡について。
道中のトラブルや珍現象(?)を交えながら、綴って参ります。
近いようで遠い、新潟市
私の住む長野県に隣接する、新潟県。
新潟に限らず、長野県は8つもの県と隣接しています。しかしながらその境目となる場所は険しい山々に囲まれ、往来するには数少ない鉄道を利用するか車を使うしか方法がありません。
そう考えると、交通が整っていなかった時代は如何に峠越えが命がけだったかということを思い知らされるものがあります。
今ではすっかり廃れてしまった宿場町も、かつては旅人や行商人が行き交って。活気づいて賑わっていたのだろうな、という思いを膨らませることしかできません。
そんな想像の域を出ない道中を、私は相棒であり愛車である「Lupus」を走らせていきます。上信越道から関越道へ、そして北陸道へ。
高低差の激しい道ではありましたが、ディーゼル+ターボの力強さを以て軽快に駆け抜けていきました。
今回は伊豆より盟友であるたーぼぅさんも愛車を走らせ、道中にあるパーキングエリアで合流してから休憩なしで新潟市に向かっていきます。まるでツーリングするかのように、エンジンも形状も異なりながら同じアクセラという名を冠せられた車。
台風が近づき土砂降りの道程でしたが、灰色と白のアクセラが駆ける道に、遮るものはありませんでした。
合流地点から、約2時間程で新潟市に入った私たちは、本日の宿に真っ直ぐ向かいました。同じ雪国でありながら、道路上の除雪装置や縦向きの信号機と、雪に対する本格的な対策が完備された市内。
そこは、北陸地方でも第2の大都市の呼称に相違ない賑やかさに満ちていました。
設計、間違えたのでは?と思わず疑うような、店舗が半分以上地面に埋まった新潟駅前のセブンイレブン。新潟市内では隠れた名所(?)とされているらしく、新潟を訪れた際はまずここに向かうのが通例とのこと。
予約したホテルでは夜鳴きそばが無料で振る舞われ、冷えた身体を温めてくれます。あっさりした醤油ベースでありながら、出汁の効いた味。お代わりしたくなる程美味で、お酒のお供にもなりそうです。
この日は互いに仕事終わり、かつ長距離を移動してきたということもあり、そのまま眠りに付くのでした。
雨の中、絵師さんとの出会い
翌日も弱いながらも、雨の降る一日となりました。
前日の疲れが程々取れたところで、いよいよ絵師さんと出会う時間が近づきます。
私は直接面識のない方でしたので、相変わらず初対面を前に内心ビクビクしておりました。
どんな人なのかな。私みたいな人見知りの激しい人間が、会っても大丈夫なのかな。
そんな憶測地味た思いは、出会ってすぐに消え去ることとなりました。
快活な見た目でありながら物静かな方でした。肌寒さを感じ冬仕様の格好で臨んだ私に反し、半袖から覗く腕や身体は引き締まっていました。しかし穏やかな雰囲気を醸し出すその様に、私の警戒心はすぐに消えてなくなりました。
挨拶も程々に、新潟市内を走ったことのない私に変わり、たーぼぅさんの愛車で名所巡りが始まります。
海より低い箇所もあるという新潟市から車を走らせ、辿り着いたその場所は、秘境とも呼べる山奥にあるのでした。
霧に覆われた境地、奥只見湖
標高は私が住む場所よりも高い、奥只見湖。キツイ傾斜を幾つも登りきった所に、そこは広がっていました。
この日は朝から雨降りだったこともあり、気温は二桁ギリギリ。霧も巻いていたこともあり、近くの商業施設に避難します。
野生動物も数多く、店内には剥製が飾られ、食事にもイノシシを始めとした料理が並んでいました。
今はダムが建設されていますが、その前はどのような風景が広がっていたのか。
思いを馳せるながら、雨の激しい外ではなく店内からカメラを構えシャッターを切ります。
通常はダムの中までトロッコ列車のような車両が走っているとのことでしたが、平日で天候も悪いということも重なり、この日は遠目に写真を撮ることしか叶いませんでした。
しかしながら、緑に覆われたその地はとても人の手が入ったとは思わせないような景色が、私たちを迎えていました。
そして、極めつけはこちら。
今回の旅に赴いた三人は、全く同じカメラを使っているという、珍しくありながら図らずとも嬉しさのような感情を抱くこととなりました。
3連続の、PENTAX K-70。エントリー機という位置付けながら必要十分過ぎる性能を誇る一眼レフカメラです。
写真でご飯を食べていくといったことがない限り、その描写力と備え付けられた機能は素晴らしいものがあります。高性能なカメラに頼らずとも、構図と設定合わせが噛み合えば素人でも思い出に残すには余りある一枚を撮ることが可能です。
カメラは機材も然ることながら、やはり「自分が何を撮りたいか」ということが最大に出て参ります。同じ情景でも性能で凌駕するよりも、腕や頭の中で描いた構図を如何に反映していくか。
私としては、その方が楽しいですし面白いと思います。どんなに高いカメラでも、下手すれば今のスマホの描写力を前にすれば簡単に負けることもありますので……。
休憩と雑談を挟んでいる内に、時間はお昼の時間を過ぎていました。夕暮れも早くなってきていることもあり、次なる場所へ向かって私たちは移動を開始するのでした。
謎の近代アートと合体した秘境、清津峡
場所は変わって、十日町。ここに、日本でも三本の指に入る峡谷があります。
それがここ、清津峡です。外界と隔てるように聳える無骨でありながら畏怖の念さえ覚えさせる岩肌の間を、透き通った川の流れが静かに木霊する場所。
海外の海岸を撮影した番組で見るような、青と緑が入り交じるかのように煌く水の流れ。見ているだけで吸い込まれてしまいそうな絶景です。
かつてはこの地を、強固な岩肌に張り付くようにして移動していたという記録も残っています。然れど過去に滑落や落石によって事故が起こったことで道は封鎖され、今はその面影を残すのみとなっています。
道がなければ、切り拓いて行く。移動手段の乏しかったかつての名残を、華麗な景色が労るようにも見えました。
その風景を横目に、いよいよ掘り進められた洞窟内へと向かっていきます……が、しかし。
中はホラーゲームの一場面を思わせるかのように、唯でさえ薄暗い電灯が色とりどりのフィルムに覆われて独特さを通り越して異様ささえ醸し出す雰囲気に満ちておりました。
唯でさえビビリな私は身構えながら、カメラを銃器か射影機か如く構えていました。
更に進むと、温泉を思わせる硫黄の匂いと共に、奥から妙な音楽なのか人の声なのか、判別不可能なものが聞こえて参りました。
不協和音と共に、「アッ、アッ」とも「ホッ、ヘッ、アッ、ヒッ、ハッ」とも聞こえてくる?
ヒトの、苦しんでいる声?
これは、ナニ??
この時点から、少しずつ正気を失ってパニックに陥り始めました。途中途中渓谷を見下ろせる開けた場所がありましたが、奥に進むに連れて非日常的なものが色濃くなっていきました。
まるで昆虫の複眼をバラしたかのように散りばめられた電飾。
目の前に渓谷の美しさが広がっているのに、全面鏡張りの宇宙船?のような有機物の塊。
やめテ。オカシくなっテキタ。
少し前に、動画等で話題となったクトゥルフ神話TRPGというものがあります。そこでは「正気度(通称SAN値)」という独特の固有パラメータのようなものが存在しており、この世のものではない異質なものやありえてはならないものを見ると正気度を失っていき、最後は狂気となって登場人物を廃人化させてしまう、というものがあります。
一時、SAN値直葬という言葉も流行りました。
今回目の当たりにした私の状態がまさにそれで、テンションが逆転して無駄に笑いを殺す、幼児退行したかのようにしょうもないことで笑い始めるといった、狂気に陥る寸前まで精神を削られていました。
元々お豆腐メンタルを自負している私には、受け入れられるだけの精神力が低すぎたようです。
秘境に訪れたといいながら、まさかの展開(?)で混沌と崩壊寸前の心を抱えることとなりましたが。
最奥地は、それを浄化する景色が広がっていました。
壁面は反射材で覆われ、水が張られた地面が外の渓谷を反射することで幻想的な風景を見せるという仕掛けがなされていました。
この日は曇り空と霧の為に薄暗くなっています。
実はこの水で張られた箇所は進んで行くことができます。靴とズボンの裾が浸らないように注意しながら進んでいくと。
割られたかのような大地の合間を静かに流れる川を拝むことができます。よく見ると、人が歩けそうな場所も見えます。
途中の仕掛けがなければ、もっと自然を満喫できたのに……と負け惜しみを思いながら、尚も響いてくる不協和音ですっかり心が折れてしまいそそくさと撤退することとしました。
後ほど調べてわかったことなのですが、どうやら近代美術家とコラボして自然と現代アートを両立させた空間を作り上げていた、とのことでした。
……。
怖がりには優しくないです。本当に。
現代アートって、難しいというか、理解が届かないところにあるんだなぁ……。
清津峡最奥で一応正気度を回復しながらも、狂気が一部収まらない私は自分でもよく理解できないテンションを暫く保ったまま。
夕暮れに沈み夜の街となっていく新潟市へ、私たち三人は戻っていくのでした。
新潟の旅は、まだ終わらず続きます。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。