ここ数日暑さがぶり返す日々が続いていますが、週末はまた寒くなるようです。日中でも一桁代の気温までしか上がらないという噂もあります。
生きる上でのストレスも、人を介した人工的なものと、もしかしたら自然から齎される天然由来のものもあるのではないかと思い始めている、【やさぐれ紳士】白兎です。
気圧が低くなると頭痛がしたり、曇りや雨が続くと気分がなんとなく塞ぎ込んでしまうように。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
日頃のストレスが認知されるようになり、企業もアピールするかのようにストレスチェックを行うようになって久しくあります。
しかしながら、その実態は「〇〇に対し、弊社は積極的に取り組んでいます」という実績だけが欲しいと言わんばかりに、残念ながらアフターケアや職場環境の改善といった具体的な対策を行う様子が見られないというのが現状です。
同じように、本ブログでも取り扱っているLGBTやセクシャルマイノリティも、また然り。
ですが、一つ忘れ去られているものがあります。
ネットを契機にその存在を認知されるようになり、芸能界でも少しずつ発言が見られるようになった、HSPです。
うつ病を始めとする病気ではない、気質という側面がとても強い概念。それでありながら性格でもなく考え方の一つでもないことから、生きる上で「何か変」だとか「周りと違う」と思っても広まらないのが実情です。
そして上手い具合に自ら認知できたとしても、「その後、どうやって生きれば良いのか」と疑問を抱いたままになることも。もしくは「例えようのない辛い思い、自分だけなの?」と相談することもできないまま、言わば泣き寝入りで終わってしまうことが多いのではないかと思っています。
私もその一人です。今でこそHSS型HSPと認識することができ、ある程度の傾向といったものは見え始めている……つもりですが、やはり自信が持てずにいます。
時には押しつぶされるように、別の時には自傷するかのように、自分を傷つけて落ち込む日もあります。
そんな折、今まで私が抱えていたHSPに対する思いだけでなく。
HSPというものを一言で表すと、という概念を覆す切っ掛けがありました。
ブログでも読者登録させていただいているHSPやHSS型HSPを積極的に発信されている「ウサキさん☆」さんの言葉でした。
「繊細で傷付きやすいHSP」。ようやく認知されてきたHSPも、どちらかと言えばかなり後ろ向きと言うか、「HSP≒心が弱い」という認識を与えてしまいそうな印象があります。
それよりも、「深く考え洞察力があるHSP」である方がしっくり来るとおっしゃっています。
これまでHSPに対して後ろ向きな意識しか持てず、それでも何とか付き合うように生きてきた私は、思わず言葉を失うものでした。
今回は「繊細で傷付きやすい」という、ある種のレッテルを張られたHSPに、新しい考え方を持つ切っ掛けに出会えたことについて。
その事実は、確かに正しいと言えると私も考えています。
がしかし、それは飽く迄結果論として傷付きやすいと言われてしまい、それが独り歩きしてHSPというものを形作っているのではないかと思い始めています。
そうなるには、必ず何かしらの過程のようなものがあるのではないかと考えたことについて、綴って参ります。
尚本記事では「うさきさん☆」ご本人と直接連絡を行い、許可を頂戴しています。
またうさきさん☆のTwitterは、こちらになります。
- 幼少期から傷付くことを恐れ、自分に自信を持てない日々
- 傷付きやすいというのは「結果」。そこに至る経緯や理由は存在する
- HSPは考え深く、洞察力の高さ故に最悪を考えてしまう
- 傷付きやすいと言われるかもしれない。その前に、HSPとしてより前向きに受け入れられる理由を見つける
幼少期から傷付くことを恐れ、自分に自信を持てない日々
はじめに、私はHSPを自認している身ではありますが、自覚する以前から自分が傷付きやすい人間だという感覚を持ち続けてきました。
周りは失敗しても、何度でも頑張るように挑戦し続けるのに。私は一度でも失敗したらすぐに自己嫌悪と虚無感に襲われ、「なんだろう、この虚しい気持ち」という思いを引き摺ってきました。
保育園の頃から、割とそんな思いを抱えていました。周囲に言うようなことはしませんでしたが、遊んでいる最中でも、工作をしている最中でも、何か小さな失敗を犯す度に一人落ち込んでいました。
また絵心がないことから絵を上手く描けず、とりあえず描いた自分の絵と、周りが描いた上手い絵を勝手に比べて、「自分って、何やっても下手なんだ」と幼いながらも凹んでいた記憶があります。
それでいて失敗を糧にということができない子どもだったことから、再挑戦して次こそ成功を、という度胸も負けず嫌いさもすぐにへし折れてばかりいました。
失敗するからこそ意味がある、と今なら言うことができますが、当時はそんなことなどわからないまま、ただひたすら周りと比べて、その差に気落ちして、ひたむきになることもなく終わる。その為か大人しいとも繊細とも言われ続けてきました。
それは年齢を重ねても変わることはありませんでした。寧ろ年を経て、自我が成立すると共にますます傷付きやすく、傷付くことを恐れるようになっていきました。
不器用で、家庭科での裁縫や図画工作で挑戦し出来上がる品々は歪んでいたり歪であったり。運動音痴とまでは行かなくとも、野球やサッカー、ドッジボールといった競技も苦手。
失敗したりミスをして、クラスメイトに「良く出来てるじゃん!」「大丈夫、輝にすんな!」とフォローして貰っても、自分の中はいつも傷塗れ。必修科目や義務教育でもなければ、やらなければ良かったと後悔する日ばかりでした。
そういった失敗を犯すことがい、次第に許せないという気持ちへと変化していきました。
それが遊びであっても、テストであっても。
そんな思いが仇となり、努力することをすっかり諦めてしまった私は。
受験にも失敗し、ますます自信を失って自分を傷付けることが常習化していって。
学生時代を楽しんだ、という思い出すら残せないまま、自らの手で自信を持つ機会を奪っていく。そんな詰まらない、得るものもないことばかりに躍起になっていくのでした。
傷付きやすいというのは「結果」。そこに至る経緯や理由は存在する
時を経て、社会人になっても私は傷付くことを恐れるあまりに保守的で内向的な性格と行動が続いていました。
新しい仕事を任されても、恐れてばかりで聞くことも怖かった。そんなこともわからないのか、と言われるのが、言葉に言い表せない程恐ろしくて。
仕事柄上失敗を許されないことも合わさり、グイグイ前へと進んでいく同期の中、私だけは相変わらず安牌を取り続けていました。
ある時、ん?と自分の態度や行動指針に疑問を持つ機会がありました。
それは奇しくも、気を病み精神を害した時のことでした。仕事上やプライベートでの人付き合いに疲れ、味気もやりがいもない仕事を淡々とこなす日々に疲れ果て。
今まで「自分にとって当たり前のこと」と思うばかりに考えようともしなかった、自分自身を見つめ直す機会に出会えたことが最大のきっかけでした。
失敗したり、上手く行かないことばかりだった私。
失敗することが。上手く行かないことが。
本当に怖いのか?
それとも、失敗して「誰かに怒られる」ことが怖いのか?
怒られて自分が傷付くことを恐れて、失敗を嫌がっているのではないのか?
……そうだ。
傷付きやすい、繊細だと言われるHSPという概念を知ってから、私もそうではないかと受け入れ始めて。
少しずつ知っていく内に、当てはまったりそうでなかったりな所を、他の誰でもない自分自身で見ていくことで。
私が抱え続けていた、傷付きやすくて繊細なことも。
一般的に認知されているHSPの概念の一つである、傷付きやすくて繊細なことも。
それは、飽く迄結果しか見ていないことなのではないかと、思い至るようになりました。
そして。物事の結果には、必ず経緯や理由があるという、当たり前のようで忘れがちなことに気付くことができました。
同時に一般に流布するものは、全て鵜呑みにするのではなく、自分なりの解釈を保つ必要があるのではないかと、疑問を持つようになっていきました。
HSPは考え深く、洞察力の高さ故に最悪を考えてしまう
HSPを知り、その先にあるHSS型のHSPというものを知り。
自分がHSS型HSPであることを認識するようになってから、はてなブログの世界に飛び込みました。
そこには同じ悩みや疑問、生き辛さを抱える方々に出会うと共に、人それぞれ違うHSPへの考えを持つ方との出会いを経て。
HSPに対する思いや考えを、より自分なりに固めていくこととなりました。
私なりのHSPというものに対するものを上げると。
繊細で傷付きやすいのは確かでも、それは結果論に過ぎないのではと思うことです。
傷付きやすいから、HSPなのか。繊細だからHSPなのかと結論付けられるのなら、私は違うと思っています。
どうして傷付きやすいのか。どこが、繊細なのか。
結論ばかりに目を向けず、先にそういった「理由」を見出さなければ、レッテルのように張られたHSPの特徴……言い換えるなら「一方的な決め付け」を払拭することはできません。
勿論、繊細であることも傷付きやすいことも悪いと申すつもりは毛頭ありません。寧ろ善悪で判断するようなことではないと思っています。
私はその先にある、「どうして、傷付きやすいのか」「どういったところが繊細なのか」という所に目を向けたいのです。
例えば私の場合、「人の怒りの声や感情を、自分のことのように感じてしまう。だから傷付きやすい」といったところです。他にも「失敗することで、誰かに怒られるかもしれない。だから失敗することが怖いし、怒られると思い切り傷付いて立ち直れない」となります。
このように客観的に見ると、私は「怒る」ということに敏感なことがわかります。
更に「五感の中でも特に耳、聴覚が敏感だ」という事実を組み合わせていくと。
耳から入ってくる怒りの声が、怖い。それを聞くと、何もできなくなる位脅えてしまう。それが原因で傷付きやすい。
このようにして見るだけでも、打てる対策や行動も自ずと見えてくるかと思います。
私は雑踏が苦手を通り越して嫌いではありますが、それも「多くの音という情報が否が応でも耳から入ってきて、処理しきれなくなって自分というものを見失ってしまう。だから、騒がしい所や人の多い所は嫌い」と言い直すことができます。
それを避ける為に知らない人ばかりが行き交う雑多に踏み込むことを避けて、自分のペースを守る為にイヤホンをして音を遮断する、という対策を取っています。
傷付きやすいと言われるかもしれない。その前に、HSPとしてより前向きに受け入れられる理由を見つける
傷付きやすいと言われる、HSP。気質である以上外的な判断もままならないまま、自分だけが苦しさや生き辛さを抱え、「生きているだけで辛い」「こんな気質、欲しくて生まれた訳じゃないのに」と後ろ向きな感情を抱きがちです。
私も、かつてはそうでした。聴覚が敏感で様々な音に苛まされ、飛び交う怒号が自分に向けられているように思えて。それを覆すどころか考え直すようなこともできないまま、こんな思いを持ち続けるなら死んだ方が良いと願ったことも幾度となくあります。
しかし、と私は言いたいです。
仮に自分がHSPとわかって、「私ってHSPなんだ!」と前向きに受け入れられる人は多くないと思っています。
逆に「HSP、か。でも、どうやってこの先生きていけばいいんだろう……」とさらなる不安に陥ることの方が多いと、私は考えています。
そんな疑問や、時には藁にもすがる思いで求めても、答えはあまりにも少ない。
なら、まずは自分のどういったところが外界に対して過敏に反応するのかを見定めて。それによって、これまでどのような感情や思いを抱いてきたのか。
最初に、そうした自己分析に似たことをすることが大切だと思っています。
その上で、過敏で敏感な所を抱えてしまっていること、そしてそこから入ってくる情報で傷付きがちな事象を思い返すこと。
最初は、辛いことです。嫌な思い出を思い返すこと程、辛いことはありません。
でも。それを乗り越えた先には、掴みたくても掴めなかった光のようなものがあると、私は信じています。
と言いつつ、最初は上手くいかないことばかりです。まずはHSPだから、敏感で傷付きやすいから、と思うことはあっても。
少しずつ、前向きな理由を探し出していきましょう。
過敏で敏感なHSPだからこそ、できることだと私は思います。
私を例にさせていただけるのなら。
はじめは色んな音を、無駄な音を拾ってばかりの、この耳を引きちぎってやりたい。そうすれば、楽になる。だったら、切り落とすことも惜しくない。
そう思った私も、今はこの耳に助けられるだけでなく、新鮮な音を届け心を躍動させるものとなっています。
このような感じで、自分なりの感情と思いのままに。
否定せず、心の感じるままに。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。