【車・趣味】初雪と洗車、雪を被った浅間山 ~冬晴れの空の下~
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何かと忙しい、師走。旧暦の読み方の中で唯一「○○月」と付かない12月を不思議と思っておりましたが、「極月(ごくげつ、ごくづき)」という別名があることをつい最近知った【やさぐれ紳士】白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
本日私の住む地域でも、初雪が降りました。
すっかり冷え切った部屋の温度に身体がついていかず、温かく柔らかなお布団から出るのも一苦労という具合で目を冷ましてカーテンを開けると、そこは白の世界が広がっていました。
日の光が強くすぐに溶けてしまいましたが、いよいよ本格的な冬の訪れを肌身で感じる朝となりました。
寒い朝だから、もう少し部屋に閉じこもって二度寝したい。
一度起き上がってスマホでニュースやその他通知を確認を一通り行った私は、再び布団に戻りウトウト……。冬の二度寝って、どうしてこんなに心地良いのでしょうか。
夢と現実を行き来していた、その時でした。
普段は出掛けない兄が「出掛けよう」と言って準備を始めたという母の声を聞き、私の意識は一気に覚醒しました。
十数分で準備を終えた私は煙草を吹かしながら母と兄が出発準備ができるのを待ち。数本吸い終えたところで出立することとなりました。
兄の車で出かける空は、雲ひとつない冬空の快晴。太陽の眩しさが、肌を焦がし目を刺激します。
特別な目的を設けずに出た、車での、細やかな休日。未だに他人を、大勢の人混みで寄ってしまう兄も朗らかに笑い。後部座席に座った母の身体が、以前より小さく感じながら、私たちはただ道を走っていきます。
他人の介在がない、安らかな一時。人の感情や思いの変化に敏感な私も、すっかりリラックスしているのでした。
お昼ごはんを終え、食材の買い物を終えた私たちは早々に帰路に就きました。
すっかり外界に嫌気が差した兄には長時間の外出は発散よりも負担となり、今でもすぐに草臥れてしまうと言います。
うつ病を悪化させたことの弊害であることは、わかっていました。
今はまだ書くことはできませんが、兄に降り下りた前職の社長、同棲先での人間関係。
全てが、楽観的で快活に見えた兄を変えてしまいました。
兎も角。
家に着いた私たちは、買い連ねた品々を車から降ろしていきます。今回はUNIQLOで超極暖ヒートテックを始め、よれてしまったフリースを新潮しました。締めて1万一千円也。
今年の寒さはまだまだですが、時には氷点下二桁にまで下がる私の住む地域。
寒さは重ね着で耐える私には、どれも命を繋ぐものばかりです(少し誇張表現ではありますが……)。
そんな中、荷持を降ろしながら、家の駐車場に鎮座する愛車が目に止まりました。
雪を被り、溶けて埃を纏ったかのように汚れてしまった相棒。
前回リコールと抱合せで洗車していただいたのが、約一ヶ月前のこと。間に一度洗車を挟みましたが、青空駐車故、汚れるのは仕方ないことであることも事実です。
しかし。汚れた相棒を見た私の意志はすでに固まっていました。
やらねば。洗車して愛車をリフレッシュさせたい。
迸る思いと共に、荷降ろしを身内に任せて私は相棒と共に飛び出していました。
コロナ禍に見舞われた、この一年。その中を共に駆け抜けてくれた愛車であり、相棒を、綺麗にしたい。
情動に突き動かされ、陽光が傾き始めた午後。日差しの暑さが残る中、洗車とコーティングを行って参りました。
洗車機を潜らせ、汚れが落ちた愛車と向き合いながら。
残った水気を拭い、その後二回に渡りコーティング剤を塗り重ね、終わることにはすっかり汗だくになっていました。
午前中のお出かけも合わさり、眠気も出始めていました。
が、折角だから相棒と共にドライブしながら写真を取りたいという欲に刈られ、私は愛車を走らせていました。
何かを思った瞬間は、その後訪れることはない。思い出して後悔してからでは遅過ぎる。
何度もその思いを味わった私は、ただ感じるままに愛車と共に駆け抜けていました。
コーティングしたボディに反射する太陽が、いつもより眩しいな、などと思っている内に。
車と自然を同時に収められる場所を、偶然見つけるに至りました。
そこは普段通らずとも、時々会社帰りに通る道。噂では速度超過した車を取り締まる為に警察が張っている、少し開けた地。
そこは、地元の御山である浅間山が一望できる場所でした。
新興住宅地が増え、新築されたアパートや一軒家が気になりましたが。
この時は相棒と、生まれてずっと眺めてきた浅間山を同時に収められることに、興奮と嬉しさに満ち溢れるままに、夢中でシャッターを切っていました。
いつもと趣向を変え、車の向きを横にしつつ少し遠目から。
ポツリと浮かんだ雲も、活火山として今も生き続けている浅間山から吹き出す噴煙も。
凛と澄み渡った青空に映え、相棒も陽光を受けて輝いていました。
これから来るであろう冬を前にしながら。
思えば、地元で真剣に映える写真を撮りたいと思ったのは、これが初めてのことでした。
見慣れた風景。いつもなら何気に目の端に移りながら、気にも止めずにここまで来ました。
然れど、冬晴れの空の下に佇む浅間山も、空も、雲も。
これまで見過ごしてきたのはどうしてだったんだと思うほどに、全てが昔のまま、美しくて。
そんな言葉で語れないことはわかっているつもりでも、それ以外の言葉が出てくることはありませんでした。
以前なら、そんな発想力がない自分を貶していましたが。
感じるものを、ただありのままに感じるのも、ありなのかもな。
無理に言葉にしなくても、飾らなくても、思い浮かんだものにひたすら浸ることも、悪いことじゃないな。
口では上手く説明できないことを、昔から自負していた私には、文章が全てと自覚する時期もありました。
でも、思いを言葉にできない時はできなくても、良いと思えるようになりました。
取り繕うようにした言葉は、真の思いとかけ離れることが多いこと。
何より。
思いを言葉にして終わらせるよりも、いつまでもこの胸に残り続ける、言葉にできないもの。
たまにはそういったものに浸るのも良いと思えるようになった心と共に、今も私は身を委ねている感覚でこの記事を綴っています。
新型コロナウイルスのことは、どうかひとまず置いておかせてください。
今年も事故なく、幾度も雨の予報を覆してくれた相棒「Lupus」に、綺麗でツルツルになったボディを撫でながら「ありがとう」と言いながら。
年の瀬迫るこの日に、曇りなき澄んだ景色を齎してくれた自然に感謝しつつ、改めて帰路に就くのでした。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
ありがとう、Lupus。これからも、よろしくね。