【車・趣味】まだ見ぬオオカミを目指して ~本命・ホッキョクオオカミ・下章~
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ここ数日の日中帯はとても良く晴れ渡り、秋を感じるドライブに最適な日和が続いています。
内勤族故にその心地好さを仕事中に感じることができないのが残念で仕方ありませんが、快晴からの明け方の氷点下だけが身に沁みて辛い【やさぐれ紳士】白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
ブログを綴るようになってから、ここまで連日に渡って更新し続けるのは初めてのことかもしれません。今回はオオカミのことを思い返して綴っていく内に、(色々な意味で)脳が焼き切れて一日遅れとなりました。
それだけ今回の旅が私にとってどれだけ印象的で、脳裏に焼き付いて、感情を昂ぶらせたか。旅の記憶が、言葉以上のものとなって今でも溢れ出ています。
この思いを、本日も綴って参ります。
私の理性を思い切り吹き飛ばした、ホッキョクオオカミたちの勇姿と共に。
先入観を払拭する、ホッキョクオオカミの優しい眼
これまで訪れたエリアでは、精悍な姿や愛くるしさを見せる動物たちを見て思わずほくそ笑んだり、声が出たり、溜め息に似た恍惚な思いを吐き出したり。何かとリアクションを取ってばかりの私でした。
このオオカミの丘で、ホッキョクオオカミたちと対峙している時は、それらさえすることなくひたすら彼らを追うようにカメラを振り回していました。
まるで、求めるかのように。もっと言えば、彼らの存在を、この手にしたい。
十分おかしく狂人地味た発言であることは、十分承知しているつもりです。
ですが、この思いは嘘でも誇張でもありません。オオカミを渇望するような思いは、私の理性などという軟弱なものを簡単に凌駕していました。
もののけ姫のモロの子を思わせるような趣き。私たちヒトと違い、忙しさという概念など知らぬかのように柔らかさと穏やかさを醸し出す姿。どこまでも落ち着きに満ちていて、最後まで優雅でした。
海外だけでなく、日本でもオオカミという存在は悪い存在として扱われることが沢山あります。
獰猛なその姿だけでなく、家畜を襲い食らうことから忌み嫌われてきた歴史が、各地で今でも残っています。
日本でも童話として三匹の子豚や赤ずきんといった作品の中で、登場人物を喰らおうと画策する悪とされてきました。
中には害獣を駆逐する益獣として、或いは神格化されることもありましたが、基本的には「恐れ」や「畏怖」という概念が付き纏い続けてきました。
そう。
オオカミは「怖い生き物」であると。「オオカミのようになってはいけない」と戒めるかのように。
敷地内を一周して、再び私たちの目の前で片方の子が見詰めてくれました。
「どうしたの?そんなに私たちを見続けて、面白いかな?」
本能が暴走しかけている私を見る、まるで心配するかのような、澄み切った優しい茶色の瞳。
この姿の、どこが恐ろしいのでしょうか。戒めとさせる程のものが、どこにあるのでしょうか。
ガラス一枚を隔てていながら。
私には、思わず抱きつきたくなる思いしか溢れませんでした。
私がオオカミ推しであることも、ケモナーであることも、差し置いて。
オオカミは、怖くて悪い生き物。歴史や経験があってこそ、そのような認知が広がったとしても。
目の前のホッキョクオオカミは、ひたすら柔和で、理知的で。
まるで寄り添ってくるかのように見えました。
私にはオオカミたち「だけ」が悪いという先入観は、ただの決め付けの延長に過ぎないのではないかと思えてなりませんでした。
少なくとも、こんなに優しくて、真っ直ぐな瞳を向けるこの子たちには。
眼前の出来事で物事を決めつけるなと言われるかもしれません。可愛さを目の当たりにしたことによる、勝手なエゴだと思われるかもしれません。
それでも。
私には、話に聞くだけや耳にするだけでの決め付けることは、決してできるものではないと確信するにまで至っていました。
悪者というレッテルを貼られたオオカミたちをと、こうして実際に向き合っているのだから。
孤高でありながら、仲間を思う勇姿
少し熱くなってしまいましたが、ホッキョクオオカミたちとの触れ合いに話を戻します。
オオカミと言えば、様々な熟語が存在します。その最たるものとして、一匹狼という言葉が出てくるかと思います。
こちらは、動き回っている子とは別の一頭。すまし顔をしているような、傍観しているような、一頭でいながらも達観している。そんな印象を受け取ることができます。
しかし実際のところ、オオカミという生き物は群れを作って行動すると言われています。単独で動き、獲物を狩る孤独ながらも崇高なイメージが(私の中では)強いですが、生態としては一つのグループに 3から10頭前後の個体が群れとなって、常に行動を共にするそうです。
そのグループで成長した子は群れを抜け出して、たった一匹で生き抜く道を選び、新たなグループを作り上げる期間があります。
オオカミは決して大きな身体を持たない為、上手くグループをを作ることができることもあれば、命を落とす危険性も孕んでいます。そのようなオオカミの姿を見て、人々は「自発的に行動する人」のことを『一匹狼』と呼ぶようになった、という説があります。
然れど現実のオオカミたちは、ヒトが作った言葉とは真逆の。
本来の生態を、生き様を見せてくれました。
先程伏せていた一頭も、私が動き回る子に夢中になっている合間に。
番であるかのように。或いは仲間であるかのように。
二頭のホッキョクオオカミが、まるで寄り添うようにして、共に歩いていました。
並びながら、互いに同じ方向を見据えるホッキョクオオカミ。締まった細身の身体、強靭さを知らしめるかのような四肢。極寒に耐える為の、フサフサでしっかりとした白い毛並み。
願わくは揃って遠吠えする姿を拝めたい欲もありましたが、それは流石に貪欲が過ぎたようです。
ですが、個人的にはベターショットの一つとなる一枚を収めることができたと思っています。
もし吼えたら、どんな声を出すのだろうか。想像心や憶測を掻き立てるという面でも、ある意味良い写真となりました。
最早、恍惚の域に達していました。
無我夢中で、オオカミと向き合って
その後もオオカミと向き合い続けていました。自分では、もうどの位の時間をオオカミの丘で過ごしていたのか、わからなくなる程でした。
それ程にまで、オオカミという生き物は私を魅了し、憧憬する存在であることを改めて実感するのでした。
正面からは、あまりに細身で顔が大きく見える程なのに。
「もう、いい加減飽きたでしょ?」
そっぽ向かれながらも、最後までサービス精神旺盛な姿を見せてくれたホッキョクオオカミに、私はどこまでも魅せられてばかりでした。
そして。
木々や岩、伸びた草が点在する敷地内で。
私の中ではベストショットとなる一枚を、撮ることができました。
背後から盗撮()されていることにも気付かず。それを見たオオカミ君が「撮られてるよ?」と呆れ顔を見せている様も、たーぼぅさんのカメラは確実に捉えていました。
この日は100と少しほどの写真を撮りましたが、その内の60枚近くがホッキョクオオカミで埋め尽くされていました。
直後に寄ったお土産屋で、お金など関係なしに本能のままホッキョクオオカミのぬいぐるみやエコバッグ、扇子まで購入していました。
この時点で精神の8割以上が崩壊し、自然と笑みが零れまくってしまう状態でしたが。
那須どうぶつ王国での時間は、もう少しだけ続きます。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。