【HSP・HSP】過去の自分と向かい合う中 ~素直に向き合うのが、難しいまま~
先週辺りから、新型コロナウイルスの感染が急増し、第三波の到来を認識せざるを得ない状況となっております。
政府は急遽Go toキャンペーンの見直しという名目で一時的な休止を提言したとのことですが、私からすれば遅過ぎるとも言え、またGo toが齎す影響を甘く見ていたと思えずにはいられません。
歴史は繰り返すとは、全くその通りだと思います。人は、いつも痛い目を受けたり大打撃と言える痛みを味わねば学ばない。重大な事態に遭遇しなければ、人は、特に上に立つ者は動かない。
企業も、国も。
皮肉な話だと、一人酒を飲みながら感傷に浸るような思いでいる、【やさぐれ紳士】白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
先日までは大好きなオオカミに出会う旅を綴り続け、自分でも驚くペースでブログを上げておりました。
その後のここ数日は、一つの話題を上げようとしながらも、書いては消してを繰り返しています。
上手く思いを纏められない歯痒さと、どんな言葉を連ねれば伝わるのか。
そんな思いを抱きながら、自分と向き合う日々が続いています。
それは、自分がこれまで生きてきた中で当たり前だと信じていたものでありながら。
ある日を境に、間違ったものだと薄々気付きながら。
私自身が、信念とも矜持とも呼べる、生きたいように生きることを選び抜いた。
HSS型HSP。本ブログで取り上げていることです。
ブログを立ち上げて最初の頃は、過去の出来事を感情任せに書き上げて参りましたが。
はてなブログだけでなくTwitterでもお世話になっている「ウサキさん☆」さんの記事にて、以前私が記載した内容を紹介してくださいました。
正直、嬉しさや喜びよりも。
驚き。思わず言葉を失うまでの衝撃が走ったことを、覚えています。
HSPだけでなく、HSSにも言及されて。
交流会まで開いていらっしゃる、HSS型HSPを自認する私からすれば師匠ともお呼びできるウサキさん☆さん。
その記事の中で、思わずハッとさせられて。深く考えさせられるものがありました。
それについて自分にも当てはまることを綴ろうとしていますが。
これまですらすらと自分の思いを言葉に出来たことが不思議な程、今記事にしようとしている内容は上手く纏められないまま、早くも数週間が経とうとしています。
過去と向き合うことは、これまで何度も行ってきました。
思い出すことも、烏滸がましい。時には思い出す行為そのものが怖く、その度に悪夢という形で表れて参りました。
でも。
今書かないと、脳内で、胸の中で荒れ狂う残滓になりそうな気がして。
書きたいと思うから、自分の本音を、過去を曝け出せる。でなければ、ずっと燃えカスのように残り続けてしまう。
それが自分を苦しめて、生き辛くしてしまうことは、わかっています。これまでの経験からも、こうして文章を綴っている今現在のように。
そして、そうは言いながらも何日も書けない事実を、仕事やプライベートの問題を上げて言い訳としたくないことも拍車を掛けています。
言い訳をしたり、物事が上手に運べないことを他人や環境のせいにすることは、これまで沢山ありました。
だけど、それももうやめよう。幾ら弁明したり如何にもなことを言ったところで、最終的には私自身の問題。
何より。
今書こうとしていることは、私が取り上げたいHSPやHSS型HSPのこと。今胸の中にある思いも考えも、感情も。
周りで起きていることとは、関係ない。他でもない、自分自身のこと。
だからこそ、しっかり自分で考えて、納得のいく文章にしたい。
そんな思いを抱きながら、この記事を久方振りである車のオフ会兼自分への慰安旅行という名目(別記事で綴ります)で、お世話になるホテルにて綴っています。
この日宿泊したお宿では。
経営者ご夫妻が大の犬好きということを伺い、フロントで甲斐犬の兄妹と触れ合うことができました。
狩猟犬として生まれ、その意志を継いだ子たちは。
人懐っこく、愛くるしい姿を見せながら、寒暖差と人混みに疲れた私を癒やしてくれました。
明くる日も、旅は続きます。この旅路のことは、またいつの日か記事にいたします。
纏まりのない文章となってしまいましたが、今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【イジメ・Aセク】夢は、悪夢ばかり
就寝時の寝苦しさと、明け方の肌寒さが身に染みる。
真夜中だったと思う。睡眠薬の効果が残っていて眠いはずなのに、はっきりと意識が戻って起きてしまった。寒さに弱い私は毛布に包まっていたはずなのに、全身に汗をかいていた。
身体の火照りではない。
また、悪夢と言える夢を見た。もう、何回目と、何日連続かと数える気も疾うにやめて久しい。
いつまでも忘れられない。いつまでも忘れさせない。いつまでも忘れることを許されない行いが、夢となって私を責め続けている。
明けない夜はない。止まない雨はない。抜けないトンネルはない。
悪いことを励ます言葉は、数多く存在する。だがどれも、私を苦しみから解放してくれることはなかった。多分、これからも。
全てではないと信じたい。でも、私にも非があった。
私の稚拙な考えが、ある人たちの人生を狂わせてしまったことに違いはない。
その後ろめたい思いが、死ぬまで私を縛り続けるのだろう。
それでも……。
脳が創り上げたその場所は、中学校の教室を彷彿させる現実味を帯びていた。
粗雑な木の天板と安価な鉄パイプで作られた机。同じように時代を感じさせる、草臥れ傷だらけの椅子。
それらが無数に並び、顔は靄が掛かりわからないながらも多くの人が腰掛けながら会話に耽っていた。
そうだ、ここは逃げ場のない学校という名前の監獄だ。壁が無機質なコンクリート色に塗り固められていた以外は、完全にあの時と同じだった。
私は何をすることもなく、誰とも話すこともなく鎮座していた。雑に広げられたノートは真っ白のまま、筆記用具はどうしてか傷だらけ。すっかり色褪せ元の色を失ったシャープペンシル、消しゴムも所々欠けて外装もボロボロ。
主観視点の私は、というと、特にそんな風景に感じることはなかった。
いつも通りのこと、と怒りも哀しみも湧かない夢の中の私は異常なのは明らかだったが、感情はこれといって浮かんでこなかった。
ただ、一つ。
怯えるような、怖気づいた草食動物のような、しかし圧倒的な不安だけが私という存在を支配していた。
その場から、動けない。怖くて、立ち上がることもできない。
そこに、怒りと罵りに塗れた声が容赦なく飛んできた。
お前がちゃんと考えないからだろ。
そんなとこ座ってる暇があったら、何かしららどうなの。
邪魔なんだよあんた。
人から何か言われないと何も出来ない訳?
気持ち悪い。
汚い。
卑怯者。
臆病者。
言い訳らしい言葉を、情けなく叫んだつもりでも。言葉に、声にならない。
それが彼女たちを更に苛立たせて、私を更に責め続ける。
明けのない問答に、私が折れた。
そんなに憎くて邪魔なら、すぐに消えるから。
もう、関わらないでくれ。関わるな。
声のない怒号と共に机を蹴って椅子を蹴り飛ばして、私は暗闇の中へと独り歩いていく。
そこは光もない、ただ地面があるということが感覚でわかるだけの道。何も見えない、何もないはずなのに。
気を狂わせるような、腐敗した臭いが立ち込めていた。無味なのに吐き気を催す、胸と腹を思い切り締め付ける膨満感。
夢か現実なのか、わからなくなって困惑する私の背後から。
あいつらが。彼女たちの怨嗟のような声はどこまでも追いかけてくる。
またそうやってどこかへ行くつもり?
何か言ったらどうなの、卑怯者。
逃げてる暇があったら、やることやりなさいよ。
本っ当に、気持ち悪い。
そこで、自分の意志に火が灯り始める。
動けよ。動かされてないで、自分で動けよ俺。
黙ってないで、腕の一つ動かせよ俺。
動けよ、俺の身体!!
そうやって目覚めては、いつも血が滲み出る位口を噛みしめる。歯が軋む音も、もう慣れた気がする。
……そうだよ、私は。
いや、俺は。卑怯者だよ。
でもな、やり方は他にもあっただろ。いつまでも夢で責めるように、あの時だって他のやり方があったはずだろ?
それとも。
生霊のようにしてまで責める程、俺がお前らにしてきたことはそんなに酷かったと言いたいのか。
だったら、一つだけ言わせろ。
確かに俺の言い方や態度は、お前らを傷付けたかもしれない。
でもさ。
お前らがやったことも、俺の中に残ってるんだよ。
今も、こうしてさ。
眠剤が効いて意識が朧気なのに、怒りとも、省みるとも言える感情だけははっきりとしていた。
寝床から起き上がって、気晴らしに点けた煙草も、本当に気晴らしにもならないだろう。
だけど、そうでもして現実を味合わないと、戻れなくなるような気がした。
私が、私として。味気ない、この世の中でも、生きていることを思い出す為にも。
もっと、車で出掛けたことを。掛け替えのない友人との思い出が、夢になれば良いのに。
それは、一生叶わないのかも知れない。
自分が犯した咎と、受け続けた罪に向き合い続けることしか、今の私にはできないのだろう。
吐き捨てる紫煙と一緒に、思わず笑い声が漏れた。
今日も、眠れない夜と付き合うことになりそうだ。心のどこかで、勝手にそう思っている。
願わくは、もう覚めないことを、胸の片隅に感じながら、私は再び床に着いた。
今夜も、冷えそうだ。
【車・HSP】まだ見ぬオオカミを目指して ~終章・那須高原の紅葉~
週明けの初日からクライマックスな仕事日和となる、嬉しくない一日を久し振りに経験して参りました。
ネットワーク機器の致命的故障が立て続けに3件、長距離移動、そして朝晩と昼間帯の寒暖差。車での移動は元々好きなこともありそれ程負担にはなりませんでしたが、一日で20℃近い気温の変動が続くここ数日は、じわりじわりと身体を蝕まれているような錯覚さえ感じている【やさぐれ紳士】白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
通信業者とのひと悶着を終え、夕食と朝食で美味しい食事をいただいて。
オオカミに出会う旅も、いよいよ終わりが見えて参りました。
この日はホテルから車で走って数十分の所に聳える、那須岳へと向かって。
色付き始めた紅葉をこの目で見る為に、愛車を走らせるのでした。
まだ見ぬオオカミとの出会いを果たして。初めて訪れた高原地帯の秋を楽しむ旅、その終わりまでを綴って参ります。
- 晴天ではなけれど、回復した天候と広がる高原地帯の全貌
- 那須岳山頂は、白一色の世界
- 晴れ男は伊達じゃない。那須高原の、艶やかな自然をこの目で見た瞬間
- 言葉にできない、オオカミとの出会い。そして紅葉を見る旅を終えて
晴天ではなけれど、回復した天候と広がる高原地帯の全貌
基本的に私は、自室以外で良く眠れた試しがありません。
寝具の違いだけでなく、部屋の綺麗さ、雰囲気。そして旅の高揚感が眠りを妨げ、翌日には確実に疲れが残ってしまいます。
それが仕事であっても、プライベートの旅であっても。
この日は、違いました。
普段睡眠導入剤や中途覚醒を抑える眠剤を飲んでいても、必ず一回は真夜中に起きてしまう私が。
セットした目覚ましの音と共に目覚めると、朝の日差しが差し込んでいました。
清々しい朝、という言葉がしっくり来る目覚め。それだけでも驚くのに。
昨日まで霧が立ち込め、小雨が降り。周囲の情景すらまともに見られなかった那須高原が、晴れ渡っていました。
林の中にあるホテル。
その木々の間から差し込む木漏れ日が、眩しいと思える程。
陽の光を浴びながら、互いに「久し振りにゆっくり眠れた」と言い合って思わず笑った私たちは出立前の準備を終え朝食に向かいました。
食堂では昨晩の夕食、そして朝食と同じスタッフの方が対応してくださっていることに驚愕すると共に、有り難さとリゾートホテルの底力のようなものを見せ付けられた気がしました。
その場で調理してくださり、美味しい食事をいただいたこと。そして終始懇切丁寧な対応をしてくださったサンバレー那須のスタッフの方々に、旅の疲れを癒やす場を提供してくださったことに感謝に留まらず、それ以上の思いを感じずにはいられませんでした。
サンバレー那須さん、本当にありがとうございました。また、機会があれば利用させてください。
しかしながら、これだけのおもてなしを受け、魅せられて。
それでも文句を垂れることにしか能のない御仁方とは、二度と遭遇したくないと思うのでした。
言いたいことは、家の中で散々ほざいていれば良い。それで気が済むのかは知りませんが。
さて、それはともかくとして。ホテルを後にした私たちは、目の前に聳える那須岳を目指し愛車を走らせました。
前日に降った雨が大気を浄化し、車の窓から入ってくる空気は冷たいながらも澄み切っていました。
吸い込むだけで、心地良い。
そして明瞭となった視界には。
昨日は何も見えないまま、ひたすら宿泊地を目指して走り抜けてきた高原地帯が。
雲に覆われ始めたものの。
標高で言えば、東京タワーの二倍以上高い場所に位置する、高原一帯は。
空を支配する白と、遠い街並みの青。そして緑や黄色、赤と様々な顔を見せる木々が広がっていました。
10月中旬だというのに、今年は季節の移り変わりが早いことを実感する景色でした。
朝霧も漂う中、我々は更に上を目指して愛車「Lupus」を唸らせながら駆け抜けて行きます。
かつて活火山として活動し、連なる多くの山々を総称する、那須岳へ向かって。
那須岳山頂は、白一色の世界
那須岳。栃木県那須郡那須町、昨晩身体と心を休ませていただいた、サンバレー那須を麓にする茶臼岳の別称。
今も尚硫黄の臭気を漂わせる、標高2000m弱の山。他にも朝日岳や三本槍岳といった、軒並み1900mの山々が聳える高山地帯。
観光地としてだけでなく、装備を整えた登山家にも有名で人気のようで、那須岳の山頂近くまで運行している那須ロープウェイは多くの人で賑わう程でした。
登山を目的としていないながらも、山頂付近から見える紅葉や那須高原の街並みを一望できることを期待した私たちは、片道5分程のロープウェイに乗り込みます。
しかし、そこは山岳地帯。一筋縄では行かないことを、ロープウェイのゴンドラ越しに思い知らされることとなりました。
始点から終着点に向かい登っていくに連れ、世界はたちまち白くなっていき。
高い所を嫌うどころか溜め息を漏らす私が、ゴンドラの揺れで「おっふ」と零した時には、視界は50mもない程にまで濃い霧が立ち込めていました。
これは、駄目かなと思いながらも降り立った那須岳頂上付近は。
写真の通り、とても景色を楽しむことも撮影することもできない程、白い世界がどこまでも広がっていました。
20分程好転を期待して待機しますが、厚い霧はいつまで経っても晴れることはありません。ホテルでは優しく差し込んでいた陽光も、遂に届くことはありませんでした。
ロープウェイの終着地にある、那須岳の解説板を観光の記念として撮影して、次の下り線で我々は素早く撤収することにしました。
この判断が、後々響いてくることなど、知る由もなく。
10月半ばとは言えど、この日は天候と気温の変化に悩まされました。
元々寒がりで何重にも着重ね都心の冬は乗り越えられる格好をしてきた私はともかくとして。
温かい場所に住まいを持つたーぼぅさんは、冷えゆく山岳地帯に震えていました。
良いと思える写真も撮れそうにない状況は変わらず、冷えが増していくばかり。
ロープウェイ乗り場近くに停め、ここまで私たちと共に走ってくれた愛車撮影することとし、山を降りることとします。
朝露か、山頂近くまで走る最中に降った雨を浴びてか。
愛車「Lupus」は、曇り空の元で映える渋い茶と灰の間の色を見せていました。
今ではアクセラという名はなくなり、MAZDA3という名に統合された相棒。
目付きもすっかり変わってしまいましたが、私の相棒は飽く迄「アクセラ」。その名を冠せられた最後の型を、その姿を撮影します。
カタログでは色気のない茶色として紹介されてしまう、チタニウムフラッシュマイカの相棒。
ですが、雨に濡れ霧を切り裂いてきたその勇姿とも呼べる様は。
七色と言っては過言であっても、様々な表情を魅せてくれます。ここでは、哀愁を感じさせるような渋さを携えていました。
引き締まりながらも眼前をひたすら見据える、澄んだヘッドライト。
その目は。
弾いた雨水が溜まっていました。
それが、どうしてか。
どこか、物憂げそうに見えて。
涙が溢れそうになることを堪えていて。でも、Lupusは。
溢れた涙を零している……?
そう見えた、そう思えたのは。
私が感受性の高いHSPだからか。
それとも、単に愛車を愛でる余りに。無機物である車にも、感情移入した結果か。
いづれにせよ、間近で見ているようでいながら、このような形で愛車を撮ったのは初めてのことでした。
18-300mmの高倍率レンズを最大望遠にして、遠くの景色や被写体ではなく、わざと数メートルの愛車を捉える。
写真は、基カメラは。
性能云々よりも、使い方次第で思わぬものが撮れることを実感して。
決して、見る人に感動や凄さを齎さなくても。撮った本人が感傷に浸れるものも映し出すということを、実感した瞬間でした。
自己満ですが、良いんです。少なくとも私は。
写真でご飯食べている訳でも、人々に魅せるものを撮ろうとしている訳でも、それだけの腕がある訳でもありません。
ですが、良いのです。
旅の思い出を、そこまで一緒に走ってくれた愛車を撮れた。これまで見せたことのない姿を見せてくれた愛車を、撮れた。
それだけで、私は嬉しくて、喜びなのだから。
晴れ男は伊達じゃない。那須高原の、艶やかな自然をこの目で見た瞬間
思いに耽りながら、車内で語り合いながら、私たちは来た道を下っていきました。
私たちと同じように、那須岳の山頂を。全貌を観ようとする車が、次々と対向車線を登っていきます。
登っても、真っ白だよ。
皮肉を言うつもりではありませんでしたが、そんなことを思い見たバックミラーとサイドミラー。
私は思わず、往来車の邪魔にならない場所を探すことに躍起になっていました。
丁度いい場所を見つけて、車を忙しいまでに降りた理由。
何故なら。
雲が去り、秋の彩りに身を包み始めた那須岳が広がっていたのだから。
清々しいまでの青空と、染まりつつある木々の色々。
丁度先程までいたロープウェイ乗り口から山頂付近だけが雲に覆われています。
夏の温もりを残しながら、確実に秋へと向かっていく季節の移ろい。
雨を跳ね除けた山々の猛々しさと、どこまでも澄んだ青い空。
写真撮影では構図や魅せる角度といったものを気にせず、個人的に「あ、これいいかも」と軽いノリでシャッターを切ってばかりの私ではありますが。
言葉を失った数枚を撮れたのが、久しく思える程でした。
周りにも目を移すと、そこにはこっちも忘れるなと言わんばかりに染まり上がった木々たち。
やがて枯れ、落ちていくその前の最期の絢爛な様を見せびらかすような、赤。
その姿、私なりにではありますがしかと見届けさせていただきました。
最後に。
オオカミとの出会いを果たし。願っても思わなかった紅葉を見る旅を齎し、共に駆け抜けてくれた相棒を収めます。
陽の光をを浴びると、鈍いながらも艷やかな色を魅せる相棒。
チタニウムフラッシュマイカ、本当に何色と言えば伝わるのかが未だにわからない華麗さと渋さを併せ持っていると、親バカ心ながらも思っています。
空の蒼さも取り込む様は、山頂付近で撮った同じ車とは思えない輝きを放っていました。
最後の最後で心に残る風景を魅せてくれた那須岳を後にし。
個人的に名残惜しさばかりが残る中、那須塩原駅でたーぼぅと別れ、私は一人相棒と共に帰路に着くのでした。
言葉にできない、オオカミとの出会い。そして紅葉を見る旅を終えて
人の目を、周りの空気、場の雰囲気ばかりを気にし始めたのは、いつのことだっただろう。
思い出せないその頃から、私は自分のことよりも周りのことが気になって、それだけで頭が一杯になっていました。
自分の思いや考えがあったとしても、それと周囲を見えない天秤に掛けて。
自分が我慢すれば、「その場は」穏便に終わるだろうと勝手に思い込んできました。
喩え、自分の心を壊すことになっても。
そうやって歪んで、大きく遠回りをしてきましたが。
今回の旅で、自分の本音を。
私自身が、何をどうしたいのか。それを、はっきり示して実行に移せた日々となりました。
空想でしかなかった、本物のオオカミの勇ましくも靭やかな姿をこの目で見て。
晴れ渡る空の下、紅葉を純粋に楽しむことができた旅。
きっと、この旅はこれからの私の生き方にも大きな影響を及ぼすことになると思っています。
誰かにくっついてばかりだった、臆病で無計画だった私が。
願いを叶える為に、自ら意志を見せて実現した旅だったのだから。
そんな私の我儘にお付き合いいただいたたーぼぅさんに。
手違いを起こしながら、柔軟で丁寧な対応をしてくださったホテルの方々に。
そして、思い出の地となる那須高原まで共に駆け抜けてくれた相棒Lupus。
皆さんに感謝しながら、オオカミを目指す旅は、これにて終わりとなります。
願わくは。
遠吠えするオオカミを見てみたいという、もう一つの望みを残して。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【仕事・価値観】電気通信事業者として ~知らないことに付け入る汚さと不誠実さ~
全国で新型コロナウイルスの再拡大が連日報道されています。季節の変わり目か、或いは気の緩みか。いづれにしても、このままでは年末年始に大きな制約が課せられることになりそうな予感がしています。
新型コロナウイルスによって、これまでの多くの慣習が見直されて。新しい生活様式、ニューノーマルという言葉の浸透と共に普段の過ごし方を見直す切っ掛けとなりながら。
ここに来て、そのストレスの反動が出始めていることと。鬱憤をかつての生活慣習によって晴らしたいという思いが再燃しているのではないかと思えてならない【やさぐれ紳士】白兎です。
人との(特に見知らない人や多人数での)交流が嫌いな私には、コロナ禍の生活様式の方が性に合っていて大歓迎だったりします。あまり声を大にして言えることではありませんが。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
以前お話ししたかもしれませんが、私は電気通信事業に従事しております。
情報通信を実現する為のネットワークを構築し、契約者に利用してもらう為のサービスを提供しつつ、有事の際は修理や保守までを受け持っています。
そんな折、実は以前よりブログ友であり盟友である「たーぼぅ」さんから相談を受けておりました。
内容は「光回線を使っているのに通信速度が遅すぎる。酷いと3Mbbsしか出ない」というものです。
原因は経験則でなんとなく想定できましたが、どうやら契約事業者の対応が酷すぎて埒が明かないとのこと。かれこれ一年弱揉めているとのこと。
今回赴いた、那須高原の旅。それは動物たちとの触れ合いや紅葉を巡るだけでなく、別の目的がありました。
実際にその業者と私が直接話をし、実態を把握すること。そして依頼主の通信環境を改善する為に、可能な限りの働きかけを行うことでした。
それは、ちょうどオオカミと出会う旅の終着地である宿泊地。サンバレー那須におけるチェックインを終え、部屋に入り落ち着いた時でした。
そしていざ、掛け合ってみると。
同じ電気通信事業者としてあり得ぬ程。あまりにも杜撰で場当たり的な応対を目の当たりにすることとなりました。
今回は情報基盤を担う通信事業に務める者として、契約者が詳しく知らないことをいいことに適当を通り越したいい加減な対応をしていることを目の当たりにして。
料金を頂戴している身でありながら、それに見合う対応もできない業者に怒りを覚えたと同時に失望したこと。
そして、相手が知らなければ適当なことを言って責任転嫁するような汚さと不誠実さをこの耳で聞いたことで、事業者として私なりにあるべき姿があるだろう、と思ったことを綴って参ります。
※注記※
本記事では個人情報や事業者が特定されないよう細心の注意を払いつつ、内容を綴っていきます。
また人によっては汚らしいと思う表現が含まれます。
そのような表現が苦手、もしくは嫌悪感を抱く方は、誠に勝手ながらお引取り願うと共にブラウザバックを推奨させていただきます。
この注記を以て、内容に対する批判や中傷するコメントは一切お受けいたしませんことを、予めご了承ください。
申し訳ありませんが、何卒ご理解とご容赦をお願いいたします。
※注記終了※
- 電気通信事業者の果たす役割と責務
- 友の悲鳴に応えたい、でもそれ以前に通信事業者の問題なのは明白だった
- 問い合わせに対してまともに応えようとすらしない不誠実な態度の業者
- お金をいただいて通信を提供している、その自覚すらないのか
- 知らないことは罪?否、それを説明して納得していただくのが通信事業者の仕事だろう
電気通信事業者の果たす役割と責務
始めに、何やら堅苦しい用語で固められている電気通信事業者というものを、私なりに簡単にご説明いたします。
電話やインターネットといった、現代ではなくてはならない通信業の中でも、特に有線に特化したサービスを提供する事業者のことを指します。別の言い方をすれば、一戸建てやマンションで固定電話を使ったり、インターネットを使う為に工事を行ったり、故障の際は訪問して修理を行う仕事です。
この業界は独占禁止法を始め、電気通信事業法という、聞き慣れないかもしれませんが事細かく通信事業のあり方を定め個人情報保護だけでなく。(細かすぎるので省略しますが)通信の安全を確保する上で不可欠な不正アクセス行為の禁止にも抵触しかねない業務を行っています。
厳しく国によって管理されている業界です。
しかしながら普段使う電話やインターネットだけでなく、110番や119番といった緊急回線を常に確保するという責任を背負っています。
そして、昨今増えている自然災害や加害事故の際は一刻も早く現場へ急行。第一に通信の確保を最優先とし、避難所や待避所に避難されて来た方々に外部への通信を逸早く確立。その後は既存の設備を順次直しながら、不安に暮れる方々と寄り添いながら通信が回復することを辛抱強く待つ。
東日本大震災や北海道胆振東部地震。昨年の台風19号による水害。上げれば切りがありませんが、そのような災害時にも派遣する人材を揃え、長期に渡る復旧活動と終わりの見えない恐怖と対峙しながら、通信を途絶えさせてはならないという責務と共にここまで歩んで参りました。
長々と難しい用語を並べて参りましたが。
簡単に纏めると、縛りは多いけどネットワーク主体の現代を支える人たちであって。
スマートフォンに押されがちだけど電話やインターネットが使えるように日々運用や保守を行っている業種。
だけど災害で通信基盤が陥落した時でも、被災地と全国を結ぶネットワークを迅速かつ確実に創り上げて、孤立することを防いでね。
それが君たち、電気通信事業者だよ。
といった感じになります。
私はその中でも、情報通信を担う根源である、基地局と呼ばれるビルに集約された設備の運用・保守を行う仕事を行っています。
ざっくりしたご説明ながらも、平時でも緊急時でもあらゆる通信手段を絶やさない。
それが、私たち電気通信事業者です。
友の悲鳴に応えたい、でもそれ以前に通信事業者の問題なのは明白だった
しかしながら。
那須高原という地で取り合うこととなった、友が契約する業者は。
先述した責任と守らなければならない業務遂行さえ投げ出すような、無能さと不誠実さに塗れていることを知ることとなりました。
今回の相談内容は、インターネットの通信速度が極端に遅過ぎること。そして固定電話さえ繋がらなくなるというものでした。那須高原で会おう、という数ヶ月前から相談を受けておりました。
これは通信事業から見れば余りに致命的なことです。
一応インターネット、特に一般ユーザー(個人契約)と契約する上で、必ず説明されることがあります。
それは「理論上は○○Mbbs出ますが、混雑時はそこまで速度がでないかもしれませんがごめんなさい、でもご了承くださいね」というものです。
これはベストエフォート型という方式になりますが、「頑張るけど速度が出なくてもごめんなさいね」というものです。
その証拠に、どの通信事業者もインターネットの契約プランではこぞって「10Gbbs」や「1Gbbs」といった超高速通信を実現しています。
実はここに落とし穴があります。
そう、飽く迄それは「理論値」であって「実測値」ではないことです。
インターネットだけでなく、SNSやニュース専門アプリが配信される現代において。仮に通信速度が極端に遅くなっても、契約者からすれば簡単に相談や通信毒度の低下を究明する為に原因究明を申し込むことを難しくしています。
何故なら、理論値は理論値。建物の立地条件や利用ユーザー数によって、日々通信速度というものは変動してしまいます。
喩え、原因がどこにあるかわからなくても。
このことは、 通信事業者からすれば体の良い物言いができることを意味します。
調査はします。
お使いのお宅の方が、問題なのではありませんか。
努力はしているんだから、我慢してくださいよ。
そんな甘ったるい対応は、契約者でありユーザーである人を簡単に陥れることができます。
契約書に書いてあるんだから。
ですが。
この度相談を受けた内容は、明らかにそのような適当な内容で解決できるものではないと直感していました。
根拠は持っていました。
それよりも。
同じ電気通信事業者として、利用するユーザーを嘲笑うかのように。もしくは、知らないことをいいことに誤魔化せるだろうという思いが、隠す気もなく見えていました。
確かに、気の置けない友からの依頼でした。私もその依頼を受け、当初から考えられる原因の憶測と対応を考え続けていました。
そう。
依頼主との親密さと、通信事業者としての考え方は別物として来ました。
そして、その時はやって参りました。
問い合わせに対してまともに応えようとすらしない不誠実な態度の業者
これから述べる内容は、専門用語や技術的なことは省略いたしますことを、予めご了承ください。
始めに契約者である友人がカスタマーセンター、別名で言えば故障修理受付部門に電話を入れました。
「現在電話が大変込み合っています。暫く時間を置いて掛け直すか、このままお待ち下さい」
無機質なアナウンスが続くこと、十数分。これは現実的に十分あり得ることなので、ひたすら相手が出るのを待ちます。
ようやく、担当者が対応してくださいました。これまでの経緯を説明する友、しかし返答は相変わらずということで相当苛立っている様子でした。
「IPv6の設定が未設定です、まず設定してください」
とのこと。私は溜め息を吐きました。
事前に伺っていた情報によると、元々最大200Mbbsの速度が出る光回線の契約とのことでした。月々払う通信料金も、安いものではありません。
何より、一昔の先進技術として流行ったADSLでも、最大48Mbbsの速度を出すことが出来ます。今で言えば、WiMAXと同等の速度です。
それが、たった3Mbbsしか出ないとのこと。動画再生もままならない遅さです。
私は直感しました。これは技術云々ではなく、回線を提供する側に問題がある、と。
私は、基本的に会社や社会に対して不誠実な碌でもない人間です。会社に尽くすこともお偉いさん方との交流も、下らない余興であり金と時間の浪費と考える程です。
然れど、こんな私でも腐っても電気通信事業者。温い文言で言い逃れなどさせないと心に決め、友から受け取った電話に応対しました。
カスタマーセンターなら、自社が提供しているサービス内容は少なくとも熟知しているだろう。手始めに、まずは提供している通信の内容を問うことで探りを入れ始めました。
が、しかし。
電気通信事業者なら通づるだろうサービス内容や対応方法を問うた途端。
電話を一方的に切られてしまいました。こちらはスマートフォンでの通話、操作誤りなどありません。
……ほぉ。取次誤りかどうかはわかりませんが、(第三者である私が介入しましたが)対応そのものを一方的に切るとは。
そこでたーぼぅさんも私も、一気に殺る気に満ちました。
いい度胸だ。良いだろう、徹底的に問い詰めてやる。
客が神、という考えは個人的に嫌いですし論外と考えています。
しかしこれは、度が過ぎるあるまじき対応。
再度電話をするも、相変わらずの無味な電子案内。それでも、私たちは待つことにしました。
どれだけ時間が掛かっても、構わない。だが次は、安易に逃げるようなことは許さん。
たかが顧客だと、舐めるよ。
胸中で煮えくり返る思いを留めながら、待つこと30分。
担当者が変わったのか、一から説明させられることとなった友が苛立つ様を見ながら、私に電話が取り次がれました。
飽く迄冷静に。
しかし先程の一方的な遮断に始まり、全ての状況を掌握するまで、この通話は切らんぞ。
お金をいただいて通信を提供している、その自覚すらないのか
マイクの向こうから聞こえてきたのは、気怠そうにする声。
如何にも面倒な客が来たなぁ、と言わんばかりの声色でした。
まずは状況把握。苛立つ心を抑え、提供サービスから現状までを慎重に聞いていきます。
私が持ち得る知識を引き出し、大凡の内容を把握。
ですが、非常に残念なことに。
私は感情任せに怒ったつもりは毛頭ありません。誠意を見せろ、などといった精神論に至ったつもりもありません。
飽く迄、技術的なこととカスタマーセンターとしての対応について言及したに過ぎません。
それを、「はい」「あ……はい」と言うばかり。
苛立つことはあってもキレることは滅多にない私は、理論武装した上で詰るようにしてキレる程でした。
はいはいとこちらの話を聞くことが、電気通信事業者の役割か?違うだろうが。
別に対応者を責めるつもりはありませんし、至らぬ点を逆手に金を返せなどという短絡的な話を、こちらはしたい訳ではありません。
単純に、通信状況を改善して欲しい。それだけのことです。
それを面倒そうにわからない、答えられないなら「別の者と電話を変わります」ことすら言えないのか?
それで一端の電気通信事業者の肩書を背負っているなど、笑わせる。
これは駄目だな、と思いながらも。
対応策をこちら側から敢えて提言します。
インターネット網との架け橋を担う業者(通称プロバイダ。略称ISP)と。
回線そのもの、つまり物理的な光回線などを提供する業者は異なることがあります。
中には手続きの煩雑さを解消する為に双方を同時に担う業者も存在します。
今回の場合は前者、相手は飽く迄ISP。回線そのものはどこかの事業主から借りていることが判明しました。
この場合、ISPは利用者から故障や速度遅延といった相談が寄せられた際、回線提供主
に基地局から提供先までの障害状況を確認することが可能です。
そこをピンポイントで問い質したところ。
「回線貸し出し側で障害がある、とのことです」という返答をいただきました。
ん?あれ、そんな情報、今まで出して来ましたか?
そちらは飽く迄、利用者側の不備をアドバイスするかのように、言い訳してきたのですよね。
それがここに来て、大本に問題があると申し上げますか。
ふぅん、左様でございますか。なら、こちらにも考えがあります。
知らないことは罪?否、それを説明して納得していただくのが通信事業者の仕事だろう
あのですね、とわざとらしく電話口で思わず私は零していました。
「それは今わかったことではありませんよね」
「何故顧客に説明せず、こちらの問題として処理しようとするのですか?問題があったなら、説明することなんて当たり前のことですよ」
「いい加減な対応しておきながら、こちらがお話しすれば状況把握できていますよね。どうしてそれができないのですか?」
「詳しいことがわからないユーザーだからこそ、きちんと説明をしてくださいよ。何のためのカスタマーセンターなのですか。クレーム処理ではなく、通信サービスを維持継続するのが、お仕事ですよね。いい加減な対応は、お客さんの信頼を失いますよ?」
行き過ぎた、と後から反省しましたが、感情を抑え切れませんでした。
どうやら私は、本気でキレると頭の血がたちまち下がっていって、冷静になって。
自分なり、ではありますが。事実を鑑みながら正論をまくし立てるように論じ、相手が納得しようがいまいが「違いますか?」と締め括ることを、改めて自分を知る機会ともなりました。
この時点で激白し過ぎたことを実感した私は頭を冷やすべく部屋を後にし、煙草を吸う為に外へと趣きましたが。
部屋を後にするドアの向こうで、たーぼぅさんに怒りに満ちた怒号が飛んでいました。
煙草を吹かしながら、そうなるのが普通ですよ、という思いと共に紫煙を吐き捨てていました。
たーぼぅは、決して悪くない。
何ヶ月もユーザー側に責任を押し付け、それで言い逃れてきた契約元がどうしようもない事業者ということを、この耳で、この身で知ったのは紛れもない事実です。
結局のところ。
お金を、料金を頂戴しているという自覚がまるでないことを知ってしまいました。
昨今モラルの問題として、客が神とする勘違いしている御仁が話題になりつつあります。
今回は、その逆を行っていました。
利用料金を貰えていれば、後のことはどうでも良い。クレーマーなんて適当にあしらっておけ。嫌なら解約すれば良い。
違うでしょう?
頂戴しているお金相応の対応をするのが、事業者の仕事です。契約できれば良い、など以ての外です。
電気通信は、とても複雑な構成をしながらも、サービスをを展開しています。
別に、仕様から何まで伝えろとは申しません。
ですが最低限、困っているユーザーに寄り添って解決まで歩んでいくのが、事業者としてあるべき姿なのではないかと思います。
少なくとも私は。
この悶着で旅が、オオカミと出会う旅が台無しになりかけましたが。
後日、通信状況が解消されたことを聞き、この度の騒動は解決に至りました。私も首を突っ込んだ手前気が気ではありませんでしたが、相談を受けた手前、役目をを果たせたのかなとほっと胸を撫で下ろすのでした。
お金を頂戴すること。そこには相応の自覚と然るべき対応が求められることを胸に刻みながら。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【車・趣味】まだ見ぬオオカミを目指して ~那須どうぶつ王国その5と、ヒトの醜さ~
ここに来て、急に新型コロナウイルスの再拡大が懸念されるニュースが目立つようになってきました。
最近は通勤で使っている列車も、ツアー客が目立つようになって久しくあります。加えて車内でアルコール飲料を開ける音が響き、周囲のことなど関係ないと言わんばかりに盛り上がる御仁さえ遭遇するようになりました。
日本人が半ば無意識的に行ってきた手洗いやマスク着用という文化も、緩み始めていると思えてならない【やさぐれ紳士】白兎です。
皆さん、こんばんは、如何お過ごしでしょうか。
連日に渡って綴って参りました、那須どうぶつ王国。オオカミとようやく出会えた旅も、終わりを迎えることとなります。
最後を飾るのは、動物園でもアイドルとして活躍し脚光を浴びる子たちとの出会い。
その後訪れ、お世話になることとなるホテルで。
動物たちが見せることのない、ヒトという生き物が持つ理性があらぬ方向に飛んでしまった、醜い姿を目の当たりにしたことを。
目先のことだけを見ない、汚さとも言える無様さを見て、落胆したことを綴って参ります。
- 可愛い見た目でも仏頂面な印象だった、レッサーパンダが?
- 紅葉と硫黄の香りが広がる、ホテルまでの道程
- 目の前のことにしかものを言えない、ホテルでのヒトたち
- GO toに踊らされて、恥など捨てたのか。貴方たちは、何をしに来たのですか?
可愛い見た目でも仏頂面な印象だった、レッサーパンダが?
動物たちとの触れ合いも、いよいよ終盤となって参りました。
ホッキョクオオカミとの対峙を終えてすっかり脳みそが溶けた私でしたが、最後のエリアへと意地の如き思いと共に入り込んでいきます。
動物園のアイドルにして必ずと言っても過言ではない、可愛さと愛くるしさを併せ持つ、レッサーパンダが住む「アジアの森」へ。
これまでの熱帯エリアや亜熱帯エリアは湿度を高めに設定されマスク越しの呼吸のし辛さ、眼鏡の曇りといった弊害に悩まさました。
しかしこの一帯は名の通りアジアの気候を再現しており、ヒトである私たちにも快適と言える場所でした。
そして、彼らが相変わらずの様子で寛いでいました。
半開きの目が、午前中に充電切れを起こしたことを想像させる、おっとりさと愛くるしさの象徴レッサーパンダ。木の上でウトウトしています。
人気の動物故、多くの来園者に賑わっています。子どもたちの「いたー!」という歓喜の声も響き渡ります。
しかしそれも何のその。気にしないかのように、ひたすらマイペースを貫きお昼寝に戻ろうとしていました。
ホッキョクオオカミでオーバーヒートした脳を休める為に、暫しその姿に癒やされていると。
開かれた目には、野生の鋭さ。これまで動き回っているか眠っているかのどちらかしか見たことがありませんでした。
その為か、獲物を狙うかのように前を見据えるレッサーパンダの、別の一面。
ここまで抱いてきた、動物園のアイドルに対する印象が変わる瞬間でした。
などと思っていた途端。
このはち切れんばかりの愛くるしさ。ベロを見せながら、満面の笑みを浮かべる看板っ子。室内の灯りと窓から注ぐ光が差し込み、さながら陸上の天使を思わせる可愛らしさを披露してくれました。
天真爛漫、という言葉もしっくり来る感じです。
どうやら、眠気が覚め活動状態に入ってくれたようです。
天使の微笑みを振りまきながら、敷地内を駆け回り始めます。
フワフワな毛並みに、混じり気のない笑み。コロナ禍に、現代生活に疲れた私たちを癒やしてくれます。
それは決して、「負けるな!」と鼓舞する威容ではありません。心が折れそうな時に支えてくれるような強さは微塵もありません。
逆に「そんな顔して、どうしたの?強張ってるよ、ほら笑顔笑顔!」と語りかけるかのような、優しさと無垢さを包括する姿を見せてくれました。
激励するのではなく、そっと寄り添うような仕草と表情は、現代の社会に生きる私たちに安らぎと憩いを齎すものでした。
私個人としては、オオカミや猛禽類のような精悍な顔や身体と、堂々と見せることはなくとも強さと靭やかさを兼ね備える動物が好みです。
しかしこのレッサーパンダたちが見せてくれた愛嬌と穏やかさは、凝り固まった疲れや鬱屈さを溶かしてくれる優しさに満ちていました。すっかり、見入っていたのがその証拠でした。
溜まった鬱憤や行きどころのない激情に苛まれることの多い、私たち。
今年は特に、新型コロナウイルスという脅威を最後まで払拭できないまま。
疑心暗鬼と見えない恐怖、そして鬱屈な思いを背負ったまま年末を迎えることになると思います。
今年に入るまで遭遇することのなかった、今までの生活や慣例が破壊された世の中となり、殺伐とした雰囲気は未だ消えずにいます。
決して強くない、私たちヒトは。
動物たちの。オオカミやレッサーパンダを始めとする彼ら彼女らに。
触れ合ったり時間を共にしたりすることで、時には思いを馳せ、時には癒やしを求めているのだろう、と思うのでした。
人間同士だけでは解消できない、様々な感情や思いを、まるで共有するかのように。
さて、そんな私の頭の中身など振り払って。レッサーパンダたちの、ありのままの姿を追っていきます。
木の上から地上に降り、水面で遊ぶかのような仕草も見せてくれます。浮かんでいる作り物の笹が気になったのでしょうか。
ほっこりさせて貰いながら、再び頭上へと視線を向けると。
もう一頭の子も、眠気スッキリで万全状態と言わんばかりに立ち上がっていました。
しかし、その顔をよく見てみると……。
口から、何かがはみ出ています。
ベロ、しまい忘れているよ?
他の動物園のレッサーパンダは、どちらかと言うと強面な子が多かった印象でしたが。
那須どうぶつ王国の子たちは、揃ってリラックス仕切っているかのようでした。そのギャップとも思える姿が、また愛らしく可愛いです。
「え、なぁに?」
困り顔にも見える表情を浮かべながらも、やはりベロはチロリとはみ出たままでした。
ホッキョクオオカミたちを目の前にした時とはまた違う、可愛げな彼らに私はすっかり癒やされていました。
思い切り、抱きしめたいです。
極めつけはこちら。
毛繕いするように、互いの身体を舐め合う様を拝むことができました。これまで単独で動く子たちを見てきた私にとって、レッサーパンダが身を寄せ合い互いを信頼し切っているような姿を目の当たりにした私は。
溶けかけの脳が、完全に液状化することとなりました。
駄目だ、愛おしすぎる。見ているこちらの方が、思わず破顔する。
抱擁したい思いが込み上げ続ける中、時間も迫っていたこともあり。
那須どうぶつ王国を後にし、本日の宿泊地までの道へ着くのでした。
また会えたら、いいな。そんな思いを抱きながら。
紅葉と硫黄の香りが広がる、ホテルまでの道程
愛車へと戻り、本日の宿を目指し駆け出した私たち。
すっかり脳みそが溶けて口から出てきそうな状態になっていた私は、正気を保つのも必死でした。
隣に座すたーぼぅさんに、何度も心配されてしまったことは、私の至らぬ所だと反省するばかりでした。
実は今回、それ以外にも私のミスで旅自体が台無しになる寸前にまで行っていました。
互いにツインルームを一人で泊まるプランを予約するつもりだったところを。
まさかの宿違いで予約。気付いたのは出立前の3日ほど前だったかと思います。
互いに手を尽くしながらも、最終的にはたーぼぅさんが予約したホテルさんが無理なお願いを快諾してくださいました。
Go to トラベルが盛んな最中、ホテルのスタッフの方々にはお手数とご迷惑を掛けてしまったことに変わりはありません。
それも、元々は私のミスから始まったこと。
たーぼぅさん始め、申し訳ない思いで一杯になると共に。多くの方に感謝するばかりでした。
さてさて、ホテルまでの道程はワインディングロードが続く、走っていて気持ちのいい高原の道でした。
少しずつ色付き始めた木々。赤はまだ甘さがありましたが、黄色に染まる山は冬の訪れを予感させながらも。
運転中でも目を引き寄せられる華やかさを見せていました。(ハンドルを握る私は当然ながら、写真も撮れず景色も堪能する訳にはいきませんでした。脇見運転、駄目、絶対)
山道を抜けると、次々と温泉が湧く地帯に出ました。特に鹿の湯付近を通過する時は、とてつもない硫黄の臭いが立ち込めていました。
これが、温泉という香りなど凌駕するとてつもない臭い。悪臭と言っては失礼ですが、外気導入にしていた愛車内が一気に硫黄臭で満たされて。
むせこむ程の強烈さ。吸い過ぎると死ぬのではないかと思える程の苛烈さ。
学生時代、硫化水素を発生させる実験で死にかけた、腐った卵のような臭い。
これは、身体に効くだろう、などと思いながら。
何事も適量が一番なのだろうな、とシミジミと考えさせられました。
目の前のことにしかものを言えない、ホテルでのヒトたち
伊香保温泉街のような雰囲気を漂わせる温泉街。宿場町と同じように当時の面影を残しつつ、現代にまで風情と趣き。思わず車の速度を落として、牛歩の如く行きたくなる情景。
その先に、本日お世話になる「サンバレー那須」がありました。
高度成長期、次々と訪れる人々を迎える為に増築と新たな宿泊棟を造っていったのだろう。建物は、良く言えば当時の面影を残すレトロさを醸し出して。悪く言えば古臭くボロボロになっていました。
しかしながら私は、どこか懐かしさを感じる心境でした。
温泉街に立つ、古き良き時代の面影を残すリゾートホテル。普段の旅行ではビジネスホテルを使うことが多い私には、新鮮でした。
綺麗なことが、全てではない。そんなことを思いながら。
然れど、ここから様々な障害に鉢合わせることとなりました。
Go to を利用し、様々な地域から沢山の人々が押し寄せる勢いでホテル周辺は車が往来していました。
その中で目立ったのが、レンタカーを示す「わ」ナンバーの車。東京在住の方々を悪く言うつもりはありませんが、大半は足立や品川のものでした。
恐らく、道がわからなかったのでしょう。
でもさ。
ウインカーやハザードランプも無しに急停車や徐行して道を塞いだり。唐突のブレーキから方向指示器なしで急ハンドルを切ったり。
挙げ句には逆走しておきながら、いかにもこちらが悪いかのように睨んでくる始末。
あのですね。
普通に危ないから、貴方たち。免許持っているからと言って、公道で無双して言い訳ではないのですよ?今の車にはナビも装備されているでしょうし、スマホでも確実なナビゲートも可能な世の中なのだから。
後続車に無意味なブレーキを踏ませる運転をする前に、目的地をしっかり入力してから車を動かしてくれよ。それでも迷うのなら、せめて待避所で車を止めてくれ。運転しながらルート案内なんて確認しないでくれ、お願いだから。
運転に慣れていないのか、サンデードライバーなのか知りませんが、我が物顔で行き交いするのはちょっと違うのでは?
車を運転することは、経験則や経歴など関係なしに周りの状況を把握すること。他車の進行を無闇に妨害しないこと。
そして、運転する上で生じた不行きや不味さも、全て自分の責任と思って車を動かすこと。
それすらままならないのに、何のリアクションも取らない所か、こちらに責任を擦り付けるに睨み付けるなんて、正気の沙汰ではありません。
車を運転することは、私にとって楽しくて喜びです。
それ故、無粋な運転を平然とする方々を全否定することはできません。
しかしながら、限度というものがあります。流石にこちらも怒号を飛ばしてしまいました。
交通ルールも守れない輩が、でかい態度を取るな。
詰まらないことで事故に発展したりトラブルになる位なら。
公共交通機関を使ってください、お願いだから。
GO toに踊らされて、恥など捨てたのか。貴方たちは、何をしに来たのですか?
宿に着いてからも、身や心を休ませる雰囲気はそこにはありませんでした。
予約した人々が溢れ返る状況。それだけなら、まだ仕方なしと流せたと思います。
ですがそこは、阿鼻叫喚……否、無法地帯と化していました。
ホテルのスタッフの方が、最前線で訪れる人を宿泊者リストと照らし合わせながら一人ひとり確認し。
フロントではごった返した宿泊予定者を、アナログながらも一組ずつ呼び出し手続きを進めていました。
その労力と大変さなど、知ったことかと言わんばかりに。
子どもはロビーを縦横無尽に、奇声のような声を上げながら駆けて。
それを止めることもせず、親御さんたちは話に夢中になっていたりスマホに集中する有様。
さらには、とある宿泊予定者がスタッフを呼び止めて。
順番を抜かされた、といったクレームにもならない唯の我儘を言う始末。
なんだこれ。
スタッフの方々が必死に対応しているのに、宿泊者側が一方的な態度を見せ付ける無様さ。
それが、さも当たり前だろと言いたいかのように。
Go toに踊らされたのか、お前たちは?
そもそも那須塩原に、何をしに来たんだ?
行楽地や観光地を楽しんで、その余韻に浸りながら一夜を明かす為にここにいる、そうじゃないのか。
まさか、お金を払っているから、自分が絶対的立場に立っているだなんて思っていませんよね?
それとも、あれですか。
Go toで安く泊まれることが目的で来たとでも?
とんだ勘違いですよ、貴方たち。
目的と方法を履き違えていますが、気付きませんか?
何のための旅行なのですか。目的は多岐に渡るでしょうが、「旅を楽しむ」為に来ているはずですよね?
宿泊施設でくだらない文句や怒号を放っておきながら、子どもを野放しにする為に来た訳ではないですよね?
違いますか?
目の前の金に目が行ってこの場にいるなら、今すぐ帰れ。何様のつもりだ。
それとも、みっともない姿を晒してでも、結局はお金ですか。
だとしたら、無様極まりない醜態ですよ。恥というものすら捨てたのですか?
Go toは、そんなヒトの醜さを曝け出す政策ではないはずだと私は思っています。
コロナ禍で困窮した業界を救済する為、そして閉じこもりがちな民衆に旅を促す為のもの。
それがこの様とは……旅の目的、忘れているとしか思えませんでした。
人間誰しも、好きに文句を言いたいヒトはいないと思っているのは、私だけでしょうか。
それは違う、と言いたいです。
折角計画した旅なのだから、ホテル側も泊まる側も円滑で円満で終わりたいはず。
敢えてそれを自ら瓦解していく姿を目の当たりにした私は。
元々ヒトの醜さや汚さを散々見てきた身として。
見苦しい馬鹿共が、とバッサリ切り捨てていました。
そうこうしている内にチェックインを無事終えた私たちは、夕食までの一時を部屋で過ごすこととなりました。
受付で垣間見たヒトの意地汚さを、忘れたい一心で。
途中から口汚い罵りばかりとなり、申し訳ありませんでした。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
P.S
那須どうぶつ王国のお土産屋売り場で一目惚れして買った、ホッキョクオオカミのぬいぐるみを眺めて癒やしを求めていました。
【車・趣味】まだ見ぬオオカミを目指して ~本命・ホッキョクオオカミ・下章~
ここ数日の日中帯はとても良く晴れ渡り、秋を感じるドライブに最適な日和が続いています。
内勤族故にその心地好さを仕事中に感じることができないのが残念で仕方ありませんが、快晴からの明け方の氷点下だけが身に沁みて辛い【やさぐれ紳士】白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
ブログを綴るようになってから、ここまで連日に渡って更新し続けるのは初めてのことかもしれません。今回はオオカミのことを思い返して綴っていく内に、(色々な意味で)脳が焼き切れて一日遅れとなりました。
それだけ今回の旅が私にとってどれだけ印象的で、脳裏に焼き付いて、感情を昂ぶらせたか。旅の記憶が、言葉以上のものとなって今でも溢れ出ています。
この思いを、本日も綴って参ります。
私の理性を思い切り吹き飛ばした、ホッキョクオオカミたちの勇姿と共に。
先入観を払拭する、ホッキョクオオカミの優しい眼
これまで訪れたエリアでは、精悍な姿や愛くるしさを見せる動物たちを見て思わずほくそ笑んだり、声が出たり、溜め息に似た恍惚な思いを吐き出したり。何かとリアクションを取ってばかりの私でした。
このオオカミの丘で、ホッキョクオオカミたちと対峙している時は、それらさえすることなくひたすら彼らを追うようにカメラを振り回していました。
まるで、求めるかのように。もっと言えば、彼らの存在を、この手にしたい。
十分おかしく狂人地味た発言であることは、十分承知しているつもりです。
ですが、この思いは嘘でも誇張でもありません。オオカミを渇望するような思いは、私の理性などという軟弱なものを簡単に凌駕していました。
もののけ姫のモロの子を思わせるような趣き。私たちヒトと違い、忙しさという概念など知らぬかのように柔らかさと穏やかさを醸し出す姿。どこまでも落ち着きに満ちていて、最後まで優雅でした。
海外だけでなく、日本でもオオカミという存在は悪い存在として扱われることが沢山あります。
獰猛なその姿だけでなく、家畜を襲い食らうことから忌み嫌われてきた歴史が、各地で今でも残っています。
日本でも童話として三匹の子豚や赤ずきんといった作品の中で、登場人物を喰らおうと画策する悪とされてきました。
中には害獣を駆逐する益獣として、或いは神格化されることもありましたが、基本的には「恐れ」や「畏怖」という概念が付き纏い続けてきました。
そう。
オオカミは「怖い生き物」であると。「オオカミのようになってはいけない」と戒めるかのように。
敷地内を一周して、再び私たちの目の前で片方の子が見詰めてくれました。
「どうしたの?そんなに私たちを見続けて、面白いかな?」
本能が暴走しかけている私を見る、まるで心配するかのような、澄み切った優しい茶色の瞳。
この姿の、どこが恐ろしいのでしょうか。戒めとさせる程のものが、どこにあるのでしょうか。
ガラス一枚を隔てていながら。
私には、思わず抱きつきたくなる思いしか溢れませんでした。
私がオオカミ推しであることも、ケモナーであることも、差し置いて。
オオカミは、怖くて悪い生き物。歴史や経験があってこそ、そのような認知が広がったとしても。
目の前のホッキョクオオカミは、ひたすら柔和で、理知的で。
まるで寄り添ってくるかのように見えました。
私にはオオカミたち「だけ」が悪いという先入観は、ただの決め付けの延長に過ぎないのではないかと思えてなりませんでした。
少なくとも、こんなに優しくて、真っ直ぐな瞳を向けるこの子たちには。
眼前の出来事で物事を決めつけるなと言われるかもしれません。可愛さを目の当たりにしたことによる、勝手なエゴだと思われるかもしれません。
それでも。
私には、話に聞くだけや耳にするだけでの決め付けることは、決してできるものではないと確信するにまで至っていました。
悪者というレッテルを貼られたオオカミたちをと、こうして実際に向き合っているのだから。
孤高でありながら、仲間を思う勇姿
少し熱くなってしまいましたが、ホッキョクオオカミたちとの触れ合いに話を戻します。
オオカミと言えば、様々な熟語が存在します。その最たるものとして、一匹狼という言葉が出てくるかと思います。
こちらは、動き回っている子とは別の一頭。すまし顔をしているような、傍観しているような、一頭でいながらも達観している。そんな印象を受け取ることができます。
しかし実際のところ、オオカミという生き物は群れを作って行動すると言われています。単独で動き、獲物を狩る孤独ながらも崇高なイメージが(私の中では)強いですが、生態としては一つのグループに 3から10頭前後の個体が群れとなって、常に行動を共にするそうです。
そのグループで成長した子は群れを抜け出して、たった一匹で生き抜く道を選び、新たなグループを作り上げる期間があります。
オオカミは決して大きな身体を持たない為、上手くグループをを作ることができることもあれば、命を落とす危険性も孕んでいます。そのようなオオカミの姿を見て、人々は「自発的に行動する人」のことを『一匹狼』と呼ぶようになった、という説があります。
然れど現実のオオカミたちは、ヒトが作った言葉とは真逆の。
本来の生態を、生き様を見せてくれました。
先程伏せていた一頭も、私が動き回る子に夢中になっている合間に。
番であるかのように。或いは仲間であるかのように。
二頭のホッキョクオオカミが、まるで寄り添うようにして、共に歩いていました。
並びながら、互いに同じ方向を見据えるホッキョクオオカミ。締まった細身の身体、強靭さを知らしめるかのような四肢。極寒に耐える為の、フサフサでしっかりとした白い毛並み。
願わくは揃って遠吠えする姿を拝めたい欲もありましたが、それは流石に貪欲が過ぎたようです。
ですが、個人的にはベターショットの一つとなる一枚を収めることができたと思っています。
もし吼えたら、どんな声を出すのだろうか。想像心や憶測を掻き立てるという面でも、ある意味良い写真となりました。
最早、恍惚の域に達していました。
無我夢中で、オオカミと向き合って
その後もオオカミと向き合い続けていました。自分では、もうどの位の時間をオオカミの丘で過ごしていたのか、わからなくなる程でした。
それ程にまで、オオカミという生き物は私を魅了し、憧憬する存在であることを改めて実感するのでした。
正面からは、あまりに細身で顔が大きく見える程なのに。
「もう、いい加減飽きたでしょ?」
そっぽ向かれながらも、最後までサービス精神旺盛な姿を見せてくれたホッキョクオオカミに、私はどこまでも魅せられてばかりでした。
そして。
木々や岩、伸びた草が点在する敷地内で。
私の中ではベストショットとなる一枚を、撮ることができました。
背後から盗撮()されていることにも気付かず。それを見たオオカミ君が「撮られてるよ?」と呆れ顔を見せている様も、たーぼぅさんのカメラは確実に捉えていました。
この日は100と少しほどの写真を撮りましたが、その内の60枚近くがホッキョクオオカミで埋め尽くされていました。
直後に寄ったお土産屋で、お金など関係なしに本能のままホッキョクオオカミのぬいぐるみやエコバッグ、扇子まで購入していました。
この時点で精神の8割以上が崩壊し、自然と笑みが零れまくってしまう状態でしたが。
那須どうぶつ王国での時間は、もう少しだけ続きます。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【車・趣味】まだ見ぬオオカミを目指して ~本命、ホッキョクオオカミ・上章~
各地で初雪が観測されるようになって参りました。今年の冬は、例年以上に本格的なようです。
今日もコタツでヌクヌク、ファンヒーターを炊いてホカホカ。電気毛布でアッタカな夜を過ごしている、【やさぐれ紳士】白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
前回は少し湿っぽい方向に話が逸れてしまいましたが、いよいよ、待ちに待った時がやってきました。
再挑戦を切望した、ホッキョクオオカミとの対面。雨も止んで少し温かくなった那須どうぶつ王国。
果たして、颯爽と動き回る彼らと対峙することは叶うのか。
ここ数年で幾つもの夢を抱き、叶えられて来れたことも重ねながら、本日も綴って参ります。
今回は写真が多くなりますが、何卒ご容赦ください。
本命の、ホッキョクオオカミ
再びオオカミの丘へと戻ってきた私たちの前では、最初に訪れた時以上の来園者と盛り上がりが広がっていました。
そこには、動き始めたホッキョクオオカミたちの姿が。
うわっ……うっわっ……!
雨の後ということもあり純白とはいかなくとも、白くてフワフワな毛並みを携えたホッキョクオオカミが、遂に、遂に!
靭やかで軽い足取りながら、大きい個体で80センチにもなる体躯が大地を踏み締めていきます。
オオカミの面影を残すイヌとしてはアラスカンマラミュートやシベリアンハスキーがいますが、彼らは大きくても60センチということなので、やはり一回り以上大きく見えます。
そして毛並みの奥に見える、引き締まった四肢の筋肉も野生ならでは。極限地帯を生き残る為に極められた体躯は、果たしてどれ程の力を秘めているのでしょうか。
そんなことを、理性が途切れるまでに昂ぶった頭で考えていると。
そのまま軽い足取りで。
「あぁ、こんにちは。今日も冷えるね」
ガラス一枚で仕切られた、目の前にまで近付いてきてくれました!その距離、1メートルもありません。本当に眼前です。
野生でありながら彼(彼女?)の表情は、あまりにも穏やかでした。
「えっと、どうしたんだい?」
どうやらホッキョクオオカミはオオカミの中でも比較的温厚な性格なようです。上手く関係を築くことができれば懐くことさえあるそうです。
その温厚さが、オオカミでありながら見知らぬ私たちを目の当たりにしても真っ直ぐで、力強い体躯とは対照的に優しさとも憂いとも見える表情を浮かべている。そのように見えました。
しかし。
「変な顔してるけど、大丈夫?」
柔らかな眼差しを見せるホッキョクオオカミを前にした私は、理性が完全に飛んでいました。
生まれて初めて見る、オオカミの勇姿。それを一枚の障害物を挟んで、たった数十センチという間近で見られたこと。
それだけでなく、オオカミという孤高で強い生き物。
彼らは私にとって、歳と共に憧れと羨望の存在となっていました。
最初こそその気高さと格好良さで自分が細々と執筆する小説の主役として描いてきました。
更に2018年から連載されつい先日終わりを迎えた、動物たちの生き様を描いたBEASTARSの主人公に抜擢されたのも、オオカミでした。
どうして、そんなに気高さを誇っていられるんだ?」
そんな思いから、いつの間にか私は、彼らの姿と崇高さにすっかり魅了され。推しと言うなど失礼なまでの存在となっていました。
たかが動物じゃないか、という人もいらっしゃると思います。子どもじゃあるまい、動物園に行くなんて馬鹿らしいと思う方もいらっしゃるでしょう。
然れど。
それ以上にヒトの醜さを目の当たりにした私には、他人を好いたり愛するよりも大きな思いを抱いていることを改めて感じていました。
ヒトは、切っ掛けさえあればいとも簡単に裏切ったり見捨てたりする汚い生き物であることを身を以て知っている私には。
いつかはヒトと関係を築き繁栄しながら、時には害獣と呼ばれ、毛皮の材料として根絶やしにされてきたオオカミ。
なのに。
そんな一人のヒトを前にしても、こんな余裕さと涼やかな顔を、どうして浮かべられるのだろうか。
それを目の前にした瞬間、私の理性などという軟なものは消し飛びました。
普段無意識に抑えている感情が、衝動が破裂したかのように、私はカメラのシャッターを切りに切っていました。
無我夢中に。それこそ、馬鹿みたいに。
「……本当に大丈夫かい?」
駄目みたいです、はい。
思い返せば思い返す程、自分を抑えられなくなるような昂りと興奮がぶり返してきてしまった為、申し訳ありませんが一旦仕切り直しさせていただきます。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【車・趣味】まだ見ぬオオカミを目指して ~那須どうぶつ王国・その4~
ここ数日は思いを言葉にしたい感情がとても強くなっており、ブログの更新も捗っております。
夏場はプライベートや仕事でやや追い詰められていた感もありましたが、こうして伸び伸びと。
ブログを書かなければ。そういった強迫概念ではなく、純粋に文章を書ける喜びと嬉しさを噛み締めている、【やさぐれ紳士】白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
数多くの動物と出会ってきた、那須どうぶつ王国。
今回はコロナ禍でありながら、イヌたちと触れ合う機会に恵まれ、理性と本能だけでなく。
過去の記憶が、今でも私を縛り続けていることを知って軽蔑する中で。
動物たちにも内心を見透かされたことを目の当たりにして、自分の中に今も広がる失望を食い千切るような思いで彼ら彼女らと向かい合えたことを、綴って参ります。
触れ合うことが目的!ふれあいドッグパーク
珍しい動物たちのラッシュを一先ず終え、制御が効かなくなり始めた脳を冷やす為に軽く一服を挟んで。
再度、動き回るホッキョクオオカミたちをこの目で見ようと動き始めた私たちの目の前に、それはありました。
ふれあいドッグパーク。
名が呈す通り、イヌたちと触れ合い交流を深める区画でした。
しかし、今も尚新型コロナウイルスとの闘いは終わりが見えずにいます。これまでも触れ合うことを目的とする動物園のコーナーも感染リスクを鑑みて、中止或いは限定的開放という場所を数多く見て参りました。
ここもそうなのだろう……と私もたーぼぅさんも遠目で見ながら、思わず見過ごしすになりました。
が、しかし。区画内にはイヌたちだけでなく、スタッフの方も、来園者の姿がチラホラと見えました。
もしかして……?
疑心暗鬼ながらも、入り口は消毒液がある程度で特に制限されている様子はありませんでした。
簡易的な仕切りで区切られた敷地内には、沢山のイヌたちと来園された人々が入り交じるかのようにして。
触ったり撫でたり、ベンチで寄り添う様子が広がっていました。
ラブラドールレトリバー、ゴールデンレトリバー、サモエドと……見たことがない、大型犬?
動物の中でも、特に犬科の動物が好きで推しでもある私には、願ってもいなかった光景でした。
でも。
触れ合いや触ること、触られることがあの日から苦手になり。すっかり怖くなってしまった私にとって、ある意味挑戦という側面もあるのでした。
こんな時に限って、裏切られて捨てられた過去が蘇って
私は生まれてこの方、ペットを飼ったことがありません。
可愛かったり勇猛であったり、ありのままの姿を晒す動物たちを見ることは大好きです。
ですが、仮に動物を飼うことを決めたとしても。
私には最期まで面倒をみるという覚悟が持てないまま、ここまで生きてきてしまいました。
生きとし生けるもの。いつまでも元気でいてくれればと思うのは、多分私たちヒトの驕りや勝手な思い。
いづれ弱り、最期を看取るのが、動物を飼う為に必要な覚悟。私は恐らく、彼ら彼女らの最期を見届ける程、強くありません。
親しみが湧けば湧くほど。愛情が深ければ深いほど、お別れは辛くなる。
私には、それが何よりも怖い。
同じ種族のヒトにさえ貶され、貶められたこともある私は。
もう、失いたくない。喩えそれが別の種族の動物であっても。
そんな思いもあってか、私は敷地内で自由に動き回るイヌたちにさえ手を伸ばせずにいました。
触って見たい。撫でてみたい。
でも、それで嫌われて吠えられたら。私は、また嫌われたことになる。
いつも通りでいたつもり過ごしていたのに、時を境に異物扱いされて除け者にされた。
こんな時にも、あの日の記憶が蘇るのか。なんて弱い生き物なんだ。
私なんて。
言葉に出さずも躊躇う私。一方で動物慣れしたたーぼぅさんは、一番大きなワンちゃんが座すベンチへと向かっていました。
遅れないように、私も慌てて後を追いました。もう、怖いなんて言ってなどいられない。
否、怖がってなんかいられない。自分で自分を鼓舞するように、ワンちゃんの横に座りました。
その子は、ニュージーランド・ハンタウェイという牧羊犬でした。最大で60センチ、体重は30キロにもなる大型犬。
ボウ君と名付けられたその子は、ヒトが来ようが関係ないかのように、静かに伏せていました。
おっかなびっくりで隣に座った私、しかしこの柔和でありながら遠くを見据える姿。
貫禄、とは違う。懐の深さ、と言えば良いのかわかりませんが、吠えることもなく大人しく、優しい子。
たーぼぅさんがその身体を撫でて、満足げな笑みを浮かべているのを見て真似しようとしました。
しかし、やっぱり怖さが私の手を止めてしまいます。
気付いてくださったのか、茶々を入れるように。
「白兎さん、怖いの?」とたーぼぅさん。悪気などないことなんて、すぐにわかりました。
言葉が出ず、子どものようにコクっと頷いた私。いい歳こいて何してんだか、と自分を責めていました。
みっともない。情けない。意気地なし。
撫でるだけでなく、触るのも、怖かった。でも、その身体は確かに温かった
そこに、優しい声色のアドバイスが。
「頭や項を優しく撫でるだけで良いんですよ。ネコと違ってゴワゴワした毛並みかもしれませんが、大丈夫。怖くなんてないですから」
怖く、ない。
そうだ。今は動物たちを拝めに来たんだ。推しのオオカミを、ホッキョクオオカミを。
それだけじゃない。他の動物たちと触れ合いに来たんだ。
昔の記憶は、確かに消えない。だけど今は、それが出てくる場面でじゃないだろう?
私は。私は、本物の動物に触れたいんだ。
過去の記憶と今この瞬間は、全然違う場面だろうがっ!昔と現在を、一緒にするな、私っ!
緊張で溜まった唾を一気に飲み込み、それでも震える手でボウ君の身体に触れました。
微動だにせず、しかし彼は、優しい目で遠くを見ていました。
恐る恐る、首から胴へを撫でます。
彼の心臓の鼓動を感じながら。柔らかそうに見えた毛並みは、確かにゴワゴワした感触。然れど、確かな温もりに包まれていました。
優しくて、温かい。
「ね、大丈夫でしょ?」
たーぼぅさんの声を聞いて現実に戻った私は。
思わず「……うん」とだけ返すのでした。
見るだけと、見て触って、触れ合うのとは違う。
彼らも、私たちと同じようにこの世界に、同じ時間を生きている。
そう実感した途端、一層愛おしさが堰を切ったように溢れ出ました。
頭頂部から、マズル。両耳や胴の横と、手が勝手に動いていきます。
私が警戒すれば、彼らも当然警戒し返すだろう。だから、私を支配しつつあった思いをできるだけ殺して。今できるだけの、不器用でもいいから、優しさを彼らに。
そうして触れていく内に、私はすっかり詰まりかけた息も戻り、すっかり彼らの虜になっていました。
思えば一番触らせてくれて。極僅かな方を除いて、ヒトを信じることを未だにできずにいる疑い深い私のような存在でも。
身体も心も大きい、このボウ君でした。
今回お相手してくれたボウ君以外にも。
サモエドスマイルで有名な、サモエドのアカネちゃん。あまりカメラを向けられることが嫌なのか、そっぽ向かれてばかりでしたが。
フワフワで真っ白な毛並みは、これまで見て終わって満足していましたが。
極寒に耐えられるようしっかりとした、想像以上に硬い毛並み。私がビビっていたばかりに近寄ってくれることはありませんでしたが、想像と現実は余りに違うことを知れたことは私にとって大きなものでした。
そして、もう一つ。
イヌたちは、否動物たちは。
私たちヒトの気持ちに敏感なのかもしれない、と思い至りました。
警戒心や恐れが滲み出ていた私には、イヌたちも同じように近付くことも、寄ってくることもありませんでした。
一方で動物慣れしていたりペットを飼われている人には、吸われるようにして寄り添っていた。それは、身構えることを知らない子どもたちが顕著でした。
ヒトがどんな記憶や経験であっても、疑いや排他的な気持ちを抱いていれば。
動物たちは機敏に反応して、同じようにこちらを疑うようにして、決して気を許しはしないことを、身を以て知りました。
これを悟った瞬間、思わず天を仰いでしまいました。
すっかり、見透かされてた。いつまでも現実に向き合えないなんて。何をしに来たんだよ、那須どうぶつ王国に。
ダッセぇな、私。
ふれあいドッグパークを出て、すぐの場所なのに。
楽しそうにイヌたちに声を掛けるカップルや、子どもたちの声が、妙に遠く感じるのでした。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【車・趣味】まだ見ぬオオカミを目指して ~那須どうぶつ王国・その3~
10/31日の満月は今年最小で、ハロウィンとちょうど重なったのは数十年ぶりの出来事だったそうです。
元々死者の霊が家族の元を訪れる日とされ、同時に悪魔や魔女といった悪い精霊から身を守るために仮面を被って魔除けをする日だった、というハロウィン。日本で言うお盆と同じと考えれば、今年のハロウィンは鎮魂には素敵で美しい夜だったのかもしれません。
物事の起源を知ると知らないでは、同じ行事に対する意識も大きく変わるな、と思う【やさぐれ紳士】白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
ワオキツネザルが駆け回り場を乱す亜熱帯エリアを抜けた、その目の前には。
これまで見てこなかった、長蛇の列ができていました。何があるのだろう、と不思議に思いましたが、ニュースで世間に知れ渡り脚光を浴びる存在を見ようと駆けつけた人々でした。
那須どうぶつ王国のもう一つの目玉が、砂漠の天使と呼ばれるとあるネコ科の動物の赤ちゃんが国内初として誕生したのでした。
動き回るオオカミを見るまでに辿り着く前に、沢山の動物たちとの出会う旅の続きを、早速綴って参ります。
長野県の県鳥であり、絶滅危惧種とされているライチョウ
並んだそこは保全の森と呼ばれ、保育室のように完全に回覧者と動物たちを隔離されている場所でした。
これまでが自由に動物たちが行き交い、触れる程の距離で触れ合いができた同じ動物園内とは思えない程、厳重に守られている印象を受けました。
そして、列ができるほどの混雑が生まれたこともすぐに納得しました。
エリア名の通り希少種であったり絶滅危惧種に指定される動物を保護し、育て、保全活動に努めているその場では。
私の住む長野県の県鳥とされ、高山地帯にしか生息しないライチョウが最初に迎えてくれました。
お昼過ぎということもあり、今にも目を閉じて眠ってしまいそうな様子です。
フワフワで温かそうな羽毛に包まれて、すっかりリラックス状態のライチョウたち。
長野県の高山地帯では、種が絶えないよう保全活動が続いていると聞きます。唯でさえ小さく攻撃や迎撃できる力もないライチョウは、天敵相手にはとても敵わず雛が捕食されたり疫病が蔓延するなどの理由もあって、数を減らしつつあります。
生息数を取り戻す為には相当の時間と多大な努力が必要とされていますが、一つの種が絶滅してしまうと考えるだけでも、胸が痛む思いに駆られます。
どの動物が悪いとか、環境のせいだとか、そういう問題ではないものがあることを考えさられる時間でした。
願わくは、茶色の岩肌と少ない緑の高山地帯に。
白と茶の羽毛を持つライチョウたちの番やヒナたちが、すくすくと育っている光景が広がることを。
カメラを構え、願いながらシャッターを切るのでした。
時間限定公開、砂漠の天使とスナネコの赤ちゃん
次は、より順番整理が厳しくなる場所を目の前にしました。
どうやらここが、他の来園者たちもお目当ての動物。
展覧可能時間も午前と午後、それぞれ2時間程しか設けられず。更にコロナウイルスのリスク回避の為に、対面時間は数分しかないという厳しい条件下。
そこまでして、ようやく会えたのは。
過酷な砂漠地帯に生き、砂漠の天使とも呼ばれるスナネコ。その親子たちです。
身を寄せ合って、眠りに付く様。
天使と、誇張気味な呼び名にも思わず頷ける可愛さと家族の温かさがそこにはありました。
ガイドを務めてくださった飼育員さん曰く、動き回っていたがつい数分前にお昼寝時間に入ったとのことです。彼ら彼女らは動き回るので集合写真を撮ることは難しいらしく、とても幸運のタイミング、と仰っていました。
生まれて半年もしない子どもを、まるで守るかのように抱くようにしています。微笑ましいだけでなく、母性愛、と言えばいいのでしょうか。安全な動物園内でも子どもを守り抜くという本能が滲み出る光景は、健気さと強さの両方を見せ付けているようにも見えました。
写真の真ん中で潰れかけているように見えるのが、話題の赤ちゃんのようです。
別角度から。正面からは顔を背けているように見えましたが、もう一頭お休み中でした。お父さん、でしょうか。
雨が降り、少し冷えた那須高原。
それを温もりと優しさで満たすには十分過ぎる、砂漠の天使たちでした。
ネコ・ネコ・ネコ。アムールネコとマヌルネコ
まだまだ、ネコたちの独壇場が続きます。
こちら、充電中のアムールネコです。日本の一部ではトラネコと呼ばれるように、トラのような模様の毛並みを持つネコです。
一見イエネコのようにも見えますが、少し頭が大きように見えます。子ネコ、なのでしょうか。
こちらも午前中に駆け回って、充電が切れてしまったかのように眠っています。無防備で、ストレスという言葉が見当たらないように見える寝顔。
早く大人になりたいのかな。それとも、夢の中でも世界を走り回っているのかな。
もっと大きくなって、もっとこの地を駆け巡りたいね。
別の場所では。
少し強面な子が。
耳の一がイエネコよりも下がった位置にあり、体格的にも四肢がやや短く毛並みも丸いことから太った見た目の、マヌルネコと言うネコです。
凍った大地や雪の上で腹ばいになっても身を冷やすことなく過ごせるよう、進化したとされています。
しかしそれよりも。何か気に入らない出来事でもあったのでしょうか。
白兎「ん。不機嫌そうなネコだ。どうしたんだろう」
マヌルネコ「あ?」
白兎「あ、こっち見た、一枚撮r」
マヌルネコ「あ゛ぁ?」
白兎「もしかして、オコなn」
マヌルネコ「あ゛ぁん!?」
白兎「なんかすみませんでした」
マヌルネコ様のご機嫌を損ねたようです。よく見ると、確かにネコというよりも別の寒冷地に住むような温かそうで伸びそうな毛並みを持っていました。
お湯に浸かるカピバラさんと紅葉
屋内施設から出た私たち。深い霧が立ち込めていましたが、雨はすっかり上がっていました。
ホッキョクオオカミのリベンジ撮影前に、屋外にいる動物たちを見ていくことにします。
すると、この季節によく広告のネタにされる動物が。
「おや、いらっしゃい。どうだい、一緒にお湯でも」
温かなお湯が張られた湯船に浸かり、すっかりご満悦のカピバラの群れに遭遇。
慌てる様子もなく、盤石といった様子で歩を進めるその様は貫禄さえ感じます。
今回初めて知ることとなりましたが、カピバラは齧歯類、つまりネズミの仲間に分類されるそうです。その中でも最も大きい個体が、この子たちということです。
たまたま小学生低学年の少年と並ぶ場面があったのですが……。
座った状態で人間の子どもの腰位の大きさです。言い方は悪くなりますが、デカいよねカピバラさん?
全力突進なんてしたらヒトの子どもなんて吹っ飛ばす位余裕なのに、温泉浸かるイメージがすっかり定着する位だから飽く迄温厚なんですよねそうですよね?
そんな私の思いなど関係なく優雅?に歩くカピバラエリアの真横。
先程まで降った雨が、雫となり、紅葉した葉を濡らしていました。
ここ数年は気温の下がりが甘く紅葉もイマイチな年が続きました。紅葉というよりも枯れ葉をイメージさせるような茶色くくすんだ木々が多い印象でしたが。
私の住む地域とほぼ同じ位置にある、ここ那須どうぶつ王国の楓は、曇り空を背景に朱い色を映えさせていました。
もう少しすれば、里にも鮮やかな黄や朱が覆うことになるのだろう。
霜や氷で覆われる前に。
その年を必死に生き、最期に彩り華やかな衣装を纏いながら、やがて散っていく様を。
私たちに見せ付けて、冬の訪れを知らせることになるのだろうな。
さて、感傷に浸りながら那須どうぶつ王国での時間も少なくなって行く中。
遂に、待ち望んだ時間がやってくることとなりました。
次回、動く白い影。孤高のホッキョクオオカミ、推しを捉えられるか?
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【車・趣味】まだ見ぬオオカミを目指して ~那須どうぶつ王国・その2~
来週の気象予報で氷点下が示された為、先日タイヤをスタッドレスに交換し終えました。
本日もユニクロのヒートテックの超極暖というものを初めて購入し、本格的な冬の訪れに備えを着々と進めている【やさぐれ紳士】白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
那須どうぶつ王国のオオカミの丘、温帯エリアを抜けた私たちは、続けてウェットランドと称される場所へと向かいました。
亜熱帯地帯に生息する動物たちが自由に暮らすそのエリアは、これまでのどの動物園よりも自由で、ある意味混沌ろする場所であることを、身を以て知る由もなく。
それでは、オオカミを見る旅。続きを綴って参ります。
阿鼻叫喚?亜熱帯エリア
やってきたウェットランド。湿地帯を生活の場としたり、熱帯とまではいかなくとも温暖な気候の地に暮らす動物たちが活き活きと過ごすエリアは。
何やら騒がしさのような、叫び声に近い鳴き声があちらこちらで木霊する賑やかさが出迎えました。
鳥、ではない。キーキーという、甲高い鳴き声。
これは、一体?
その正体は、鳴き声だけでなく。動物園と言えば檻、という概念をなくしたこの動物園ならではの魅力でありながら、エリア一帯に阿鼻叫喚の如き混沌を齎すこととなっていました。
その犯人は、動物に詳しくない私でも一発で当てることができる存在でした。
私たちの足元を、目の前の木々を。
来園者たちの背後や前を自由奔放に走り回っているその様を、見てしまったのだから。
無双する犯人
「ドヤッ」
威嚇しているのか存在誇示をしているのか。兎にも角にも、この一帯を支配(?)しているのが、このワオキツネザルたちです。
こう言うと失礼ですが、元々私は霊長類。つまりサルやチンパンジーといった動物にはどうやっても可愛さや惹かれる何かを見出すことができず、基本的に放置やスルーしてきてばかりでした。どの動物園にも必ずいる霊長類には目もカメラも向けず、さっさと通り抜けるのが通例でした。
ですが、今回取り上げるには余りある理由が存在しました。
那須どうぶつ王国は、同じエリア内に数多くの動物が入り乱れ生活する自由と開放感溢れる動物園です。
そのことが、これから紹介する動物たちの中に勝手に入り込み、(実害はなくとも)場を困惑させる様子が多々あり。
失礼ながらも、思わず失笑する場面が多すぎたことにあります。
ワオキツネザルさんたち。もう少し落ち着いても、良いんだよ?
色とりどりの鳥たちと陸上動物たちの楽園
気を取り直して。
このエリアは熱帯エリアの鳥たちよりも活発ではありませんでしたが、それでも各々の本能に従って生きていることを実感させられました。
水辺で悠々自適に過ごすのは、クロエリセイタカシギという鳥。小さくなったフラミンゴのように、華奢で細長い脚で胴体を支えています。
視線を上げると、木の上にはオニオオハシの姿が。胴体並みか、それ以上に大きな嘴が印象的です。
なんとなく、ではありますが。どこかハワイやフィジーといった暑い国を思わせて。
南国の象徴、と思えたのは……私だけ、かな。
それはともかく、存在感がとてつもない嘴です。指を噛まれたら綺麗に無くなってしまいそう。
嘴の触り心地って、どんな感じなのかな……なんて考えている私は、真っ先に喰われそうです。
オニオオハシが更に小さくなって、雀よりも少し大きい位の大きさのアカハシコサイチョウ。白を基調に黒が混ざった黒の羽毛を纏う身体に、真紅とも血色とも見える嘴。
唯の小鳥じゃないぞ、と誇示するかのようでもありました。
視線を地上に戻すと。
珍しい耳の形をと毛並みの色を持つ乙事主……ではなく、アカカワイノシシというイノシシがマイペースに地を踏み鳴らしていました。
イノシシというと茶色や灰色というイメージが強いですが、この子たちはその他の通り(美味しそうな)狐色の毛並みを持っています。
耳も先の毛が尖っていて、まるでネコ科の一部の種に見られる珍しい形をしています。
然れど、性格は穏やかで周囲を気にしないのでしょうか。カメラを向けようがスマホを向けられようが、来園者を見ることなく自由気ままでありながら、ゆっくり動き回っていました。
尻尾を左右に思い切り振っている様を見るだけでも、喜んでいるのかリラックスしているのか。彼ら彼女らも我々も、ほっこりする一場面でした。
来園当初より幾分気分が落ち着き、エリア内をくまなく見渡す余裕ができた頃。
何やら、熱いやり取りが交わされている現場に直撃したようです。
孔雀の雌雄(夫婦、でしょうか?)が頭上に張られた木々の上で、熱い思いを伝えあっていました。
おっと。
見ているだけで火傷しそうな情景が眼前で、躊躇うことなく繰り広げられていました。お熱いところ、失礼いたしました。
鳥類はオスが派手な色合いの羽根を持り、その色合いや威勢の良さを見定めメスが……と言われていますが。
クジャクのメスも、とても綺麗な水色と緑の羽毛に覆われていることを、この時初めて知りました。
オスもメスも、綺麗で美しい。
幼少期に憧れた、クジャク。
その番を、こんなに近い場所で見られる日が来るなんて。当時保育園に通う前後だった私が、想像できる訳がない、と思いながら。
私たちヒトと違って、綺麗だなぁ……。
妙な感傷に浸る程でした。
見つめ合う二羽。
しかし直後。
「待たせたな!」
空気を読まないこいつらが乱入して、すっかり場が冷めてしまいました。
飼育員の方が霧吹きを持って必死に持ち場に戻るよう誘導されていましたが、後の祭り。
雰囲気をぶち壊しても走り回るワオキツネザルたちの奔走ぶりは、思わず失笑ものでした。
大きいネコ?ジャガー親子
放し飼いエリアの途中、何やら人だかりが。スマホを片手にする人々が盛り上がっていました。
何がいるのだろう?と思った矢先のこと。
「こ、こんにちは」
!!!
ジャガーの子どもが、縦横無尽に走り回っている場面に出くわしました。
子どもと言えど、肉食獣の頂点に立つ者。先程の動物たちとは隔離され、狭い檻の中でつぶらな瞳をこちらに向けていました。
なんて綺麗で、優しくて、真っ直ぐ表情なんだろう。
人間の世界なら……腐敗と汚さで塗れた社会を知る前の、好奇心と純粋さで溢れている頃、とでも言えば良いのでしょうか。
実はこの写真は、最初に見かけた檻の隣で撮ったものです。
束縛を絶ち自由を優先するかのように造られた、那須どうぶつ王国。
檻はあっても木々が張り巡らされ、他の区画へと自在に行き来できるよう工夫がなされており、好奇心旺盛な子どもの猛獣もストレスなく過ごせるように設計されていました。
それがこれです。
壁越しにこちらを見ているようで、なんだか、遊び疲れて眠そうな目をしています。
きっと、この後眠りに付くのでしょう。大草原を、誰にも邪魔されずに走り回っている夢を見るのかもしれません。
すくすくと成長して、大人になって。いつまでも元気でいてね。
そんなエールをこの子に送った、その横では。
「騒がしいけど、眠いから煩くしないでもらえない?」
……わぁお。先程の子のお母さんです。
開いた片目だけでも、威厳だけでなく。「これ以上騒ぐなら、わかるわね?」と言わんばかりの威圧。
体勢こそお休み寸前ですが、ネコ科の中でもライオンに次ぐ大きさを誇る体長を誇るジャガー。
……えー、完全に休戦姿勢ではありますが。靭やかな上腕で殴られても鋭い牙と共に開かれ噛み砕かれる顎は、とても人間が耐えられるものではありません。
しかし、何でしょう。強かさで余裕を見せながら、相手を手玉に取ることなど造作もないと暗に主張しているようなお姉様のような気怠さの中に垣間見える強健さとも、凶暴さとも言えるような。
「理屈なんてどうでもいいのよ、人間さん。じゃあ、お休みなさい」
野生の強さ。
それを見せながらも目を瞑る、屈強な精神。
私たちヒトは、備わった力は対して強いものではありません。
その弱さを、発達した頭脳を用いて武器を作り、集団戦という戦術を考案し、今日まで生き永らえて来ました。
私たちとジャガーの親子とは、きっと相見える時はないと思います。
それでも、喩えガラス越しであっても。
こうして向かい合えるのは、現代に生まれ技術が発展したからこそ実現したということを、忘れてはならないと思う瞬間でもありました。
動物園だから、安心して動物たちを見られる訳ではない。
安心と安全を最優先に思慮し、熟考し、来園者に危害が及ばないよう十分配慮を重ねられたのが、今の動物園なのだと。
園内を巡る間にも、グズる子どもや動物を撮影しようとスマホ片手に騒ぐ御仁もいらっしゃいました。
騒ぐ為でも、子どもがグズっても何も言われないのが当たり前だと勘違いしていそうな方々を見て、冷たい目で見据える私がいることを自覚して、思うのでした。
娯楽施設かもしれません。ですが目に見えない所で、沢山の努力が重ねられていることを、忘れてはいけないと。お金を払っているのだからという詰まらない理由で、何をしても構わないと思うのは的外れな考えなのではないか。
オオカミを見る為という身勝手な理由で訪れた私が、そのような妙に堅苦しく冷徹な思いを抱く時間がありました。
束の間ながら、しかし確実に。
さて、亜熱帯エリアを抜けた私たちは、妙な人だかりに出くわすこととなりました。
その理由は、世間では話題になっていながら。ニュースを見ない私には、想像も付かないものでした。
次回、スナネコの赤ちゃん。貴女は犬科とネコ科、どちらがお好きですか?
今回も最後までをお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【車・趣味】まだ見ぬオオカミを目指して ~那須どうぶつ王国・その1~
吐く息も、日を追うごとに白くなってきました。
十三夜の月が綺麗に見える窓際に立ちながら、明日は更に着込まないといけないかなとため息を吐いている(現在6枚重ね着中の)、【やさぐれ紳士】白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
目的地が近づくに連れて、雨が上がると共に霧が立ち込めるようになっていく中。
今回の目的地である那須どうぶつ王国へ辿り着き、目的としていたオオカミを拝む瞬間が近付いて参りました。
その第一弾として、本記事を綴って参ります。
人にも、動物にも近づくことも怖がっていた私
本旅の目的地の那須どうぶつ王国。実は「国内 オオカミ」と検索するまで、存在すら知らない動物園でした。
幼少期は母に、祖父母に連れられ何度も赴いた動物園。
思えばその頃は怖がるものなど何もないという勢いで、動き回る動物たちを見て、吼えたり鳴いたりする彼らと同じようにキャッキャしていた記憶があります。
特に思い出深いのは、色鮮やかな羽を持つ孔雀でした。誇らしげにバサッと音を立てながら立派な羽根を広げる様を見て、見惚れるようにしながら興奮していた思い出が、今も瞼の裏に蘇ります。
しかし、歳を取り自我が芽生えていくに連れて、私はすっかり臆病になっていました。
元々飽く迄客観的に、遠くから見たり写真で見ることとは好きな私には、この目で、この身で動物たちと相見えることに対しては怖いという思いを抱えていました。
それが、それこそ紆余曲折を経ることで。
どれだけ偉大なヒトよりも、崇高とすら思えるようになったオオカミを、この目で見たい。写真では気高いながらも獰猛さを発する彼ら彼女らに、直接会いたい。
そんな思いを胸に秘めて訪れたのが、那須どうぶつ王国でした。
ホッキョクオオカミを、初めて展示し始めたその地に。
いよいよ、私たちは降り立ちました。
那須どうぶつ王国
この動物園はこれまで訪れたそれとは少し異なり、訪れる者には半屋内施設として、天気に左右されることなく園内を自由に行き来できる仕組み。反対に動物たちはそれぞれの特性や好みに応じた広い敷地に放し飼いされているという、珍しい造りをしていました。
私たちが到着した時間は小雨が降っていましたが、傘をお守り代わりに持ち歩く程度で済んだことは斬新的でありながら新鮮で、来園する者にとってとても有り難い計らいとも言えるものでした。
そのままチケット売り場へ直行、入園料を見て驚きました。
地元の動物園は、安い所で大人一人500円という場所もありましたが、まさかの2000円超えという高値。
入園料にしては都会のそれ並みか、少し高いかも……とすら思ってしまいました。
が、それも一瞬のことでした。
あらゆる動物が、自由奔放に行き交う光景を目の当たりにした瞬間。
お金が全てではないことを、すぐに理解することとなりました。
霧が舞う、海抜750mの動物園。私が住む地域よりも高い場所に位置する那須どうぶつ王国は、そのような矮小な思いを掻き消す魅力に溢れていることを、駐車場に愛車を止めた時には知る由もありませんでした。
ホッキョクオオカミが目の前に!が……
出入り口ゲートを通過し、私の欲求はすぐに行動となっていました。
考えるよりも先に、という言葉。私にとって、多分きっと、初めて味わう感覚だったのだと思います。
ホッキョクオオカミが飼育されているエリアを示す道を、高鳴る鼓動と思考が止まった、本能と共に。
北アメリカゾーン「オオカミの丘 Wolf hills」と名付けられたその場所。
昼過ぎ直後で人影も疎らなそこは。
オオカミでも自由に動き回れる、自然を最大限に模した、広々とした敷地。雨に濡れた芝や木々、艶めかしい色を放つ岩。
それだけでもため息が漏れる程でしたが、私は目を見開きながら眼前の景色を食い入るように見つめ続けていました。
この敷地に、私が追い求めてきたもの。
極寒の地、北極を気高く生きるホッキョクオオカミの姿を見る為に。
そして、敷地の端。小さく丸くなった、白い身体を見つけました。
い、いた。オオカミが、ホッキョクオオカミが。
この目で、遂に、遂に……!
しかしながら、雨降りの中少し寒くなっていたのでしょうか。身を丸めてウトウトしている様子でした。
あ、おはよう。とばかりに目を開きました。ですが、動こうという気配は感じられません。
寧ろ眠気眼というか、夢うつつといった様子でした。
これだけだと大きな白い犬の様にも見えてしまい、想像していた孤高で格好良いという印象が吹っ飛んでいました。逆に言えばオオカミと言っても、野生の動物。可愛い一面もあるんだ、と頬が緩んでしまいました。
奥にもう一匹いましたが、こちらも月曜日の朝を迎えて虚ろな目をする社会人のような、気怠げさを全開にしていました。
うん、これはこれで良い。良いんだけど……!
もっと活発に動く君たちの姿を、見せてほしい。
身勝手な思いと、彼らが敷地内を歩き回る様を拝めることを願いながら、一度この場を離れることにしました。
一度で駄目なら、何度でも。チャンスが来るまで、何度でも。しつこいと思われても、気持ち悪いと思われても、構わない。
推しの子たちを見るのであれば、唯では帰らない。
昔のように、簡単に諦める。潔いとも言えそうで、期待を簡単にゴミ箱へ捨ててしまうことは、もうなくなっていました。
適度な温度に保たれた温室内を自由に行き交い、伸び伸びと過ごす動物たち
次は熱帯地帯に生息する動物たちがいる、室内展示場に足を運びました。適度な温度と湿度に保たれたそこは、冷え切った外の世界とは無縁とも言えました。眼鏡がすぐに曇ってしまい、カメラのファインダーを覗くのにも一苦労でした。
こちらは臭い放屁を放つと悪い印象が根付いているスカンク。小動物というだけあり、機敏に動き回ります。たまたま給水するタイミングをお目にかかれたのですが、毛並みも綺麗でフワフワな印象でした。
ミミズクの子ども、恐らく兄弟でしょうか。寄り添って離れようとしない様は、仲の良さを連想させるには簡単なことでした。
小型でありながら、猛禽類。その目は鋭く、嘴と鉤爪は子どもながらも、夜の空を支配する者に相応しい。
「ん?誰、君たち?」
大きく見開かれた目は、幼さのような、あどけなさのような。大人への階段を登っている最中です、という様子のこの子たちを応援したくなりました。
「!!」
その時、二羽が同時に同じ方向を向きました。同調しているかのような様は、彼らの繋がりの強さを思わせるものがありました。
ゆっくり、大人になっていってね。
視線を移すと、敷地内はまだまだ多くの鳥たちが私たちを迎えてくれました。
他の動物園にもいることもある、ハシビロコウ。あまり動かずにじっとしている印象が強くありましたが、ここにいる子は比較的首を動かしたり動いたりと、割とアグレッシブでした。放ち飼いの環境が、やはり違うのでしょうか。
こちらはヒロハシサギ。頭の大きさに対して、大きな瞳が特徴です。
色艶やかな子がいました。熱帯地帯に生きる鳥ということで艶めいた青と紫の羽毛を持つこの子、実はオウギバトというハトの仲間だそうです。
大きさを二周り以上小さくした孔雀のようにも見える華やかさ。青という色は、それだけでもヒトを惹きつける魅力があるのかもしれません。
そして。
「やあ」
「いらっしゃい」
アビシニアンワシミミズクという、砂漠地帯に生息するミミズクのお出迎えです。
微動だにせず、真っ直ぐこちらを見据える様は、流石夜のハンターと言えば良いのでしょうか。
唯でさえ過酷な砂漠地帯に生まれ、飲水にも食べ物にもありつけるか難しいのに。
そのブレない瞳は、強さの現れなのか。
些細な変化で右往左往し騒ぎ立てることしかできない、私たちヒトと違って。
彼らはこの世に生まれた瞬間から、生きる強さと意志を持って、生きている。
そんな我々の弱さを貫くような、ひたすら真っすぐな目線でした。
室内の温かさと触れそうなまでの距離にいる動物たちと触れ合いほっこりした私たちは、次なるエリアへと足を運んでいきます。
そこは、さらなる喧騒と忙しさが広がっていました。
来園者の存在すら無視するように、走り回る影の正体は……。
次回、無双する影たち。
見えぬその影を、抜き去れ、Lupus。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【車・趣味】まだ見ぬオオカミを目指して ~いざ、那須塩原へ~
今年も残るところ、二ヶ月を割る寸前まで来ました。来週は氷点下が予想されていることを知って愕然としながら、週末には車も自分も、本格的な冬支度をしなければと意気込んでいる【やさぐれ紳士】白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
新潟の旅を終え、現実を忘れられる時間から現実へと戻り意気消沈しておりました。
楽しい時間は、あまりにも儚い。
過ぎ去る時間は、どんな時でも同じ24時間なのに。一切の感情を得ない現実は、あまりにも無味で彩りもない。
刺激が、少なすぎる。
自分の感情を湧き立てる、大きな刺激が。
今回はそんな退屈な日々を送りながら、私はさらなる刺激を求めて奔走するかのように情報収集していた中。
自分でも驚くような、しかし邂逅とも呼べるものを見つけ出すことができたこと。
そして、これまで人任せのばかりだった私が、初めてといっても過言ではない旅に出たことについて、綴って参ります。
愛車にも冠した、オオカミという存在
私は元々犬科の動物が好きで、ケモノというジャンルでも好んで閲覧し、また自分でも描いて参りました。
そして連載が終了してしまった、「BEASTARS」の主人公を務めるレゴシもまた、ハイイロオオカミとしてその生き様が作者さんによって描かれました。
日を追うごとに、私は犬科の動物を。ひいてはオオカミという存在に憧れるようになっていきました。
愛車の愛称にオオカミを示すラテン語の「Lupus」を冠し、高校生時代から書いている小説の主人公も、本ブログでも公開した小説も、主役をオオカミにする程。
私の中で、オオカミという存在は憧憬であり。過去にはヒトとして生まれたことを後悔させられることを何度も味わう内に、ヒトへの関心よりもオオカミに対するそれが凌駕するようになっていきました。
数多くこの世界に生きる動物たち。その中オオカミは孤高でありながら仲間に対しては無類の愛を注ぐ存在です。
時には毛皮の材料として、また別の時には害獣として駆逐されてきた歴史があります。 かつては日本でも存在した彼らは、伝染病やヒトによって駆逐されたことで姿を消してしまいました。
残存するオオカミも年々数を減らし続けており、今では逆に生息数を増やす活動が外国では行われていると聞きます。
国内でも数少ない、オオカミをこの目で見たい
そんな彼ら彼女らを、この目で見られる絶好の機会を見つけ出すことができました。
現在日本国内の動物園でオオカミを見られる場所は、そう多くありません。その中でも国内初となる、純白の毛並みに身を包んだホッキョクオオカミが見られる那須どうぶつ王国の存在を知りました。
新潟の旅を忘れられず、喪失感に苛まれるかのようだった私は思わず、「たーぼぅ」さんに打診していました。
オオカミを、見に行きたい。
思えば車のSNSで知り合って数年、多くの場所へ共に行った仲となりましたが。
私が自ら、ここへ行きたいと明確に、我儘のように申し上げたのは、これが初めてでした。
私の進言にも、たーぼぅさんは快諾してくださいました。
今回はたーぼぅさんは電車で。私は愛車Lupusを駆りながら。
目的地となる那須塩原へと、向かうこととなりました。
オオカミのいる那須塩原へ、愛車Lupusで駆け抜ける
此度の旅も、前回と同じく順風満帆とはいきませんでした。
上陸すれば今シーズン最大の勢力となると言われた、台風14号が接近していた為です。
旅行の一週間ほど前から、天気予報とにらめっこする日々が続いておりました。
前日までは晴れなのに、丁度旅の日は大雨と強い風が予想され、変わることはありませんでした。
嫌な予感ばかりが募りました。
本当は土曜日に移動と動物園巡りをし、翌日はまったりと帰宅する予定を組んでいましたが。
最悪日曜日にオオカミだけ見て、急ぎ帰還することも想定していました。
ところが、でした。
台風って、そんな動きするんです??
思わぬ動き方を描く進路図を見て思わず「えぇ……?」と苦笑いしましたが、当日はそれでも刺激された秋雨前線の影響で断続的に雨が降っていました。
最初の合流地点、高崎駅からほど近い倉賀野駅で落ち合います。
たーぼぅさんのブログでは、我が相棒Lupusを「スカイアクティブ1.5D(改)」と称されていて、クスッとしてしまいました。
パッと見はノーマル+α止まりの見た目ですが、車体価格以上のパーツを導入し、チューニングを施し、徹底的に私好みの運動性と足回りに仕上げた相棒は、ノーマル状態では味わえない性能に纏まっていると自負しています。(親ばか心も含めて)
そのまま関越道を行き、途中で北関東自動車道、そして東北自動車道と乗り継いでいきます。
心做しか。目的地に近づくに連れて、雨が弱まっていくようでした。
お昼時直前で宇都宮SAに辿り着くことができ、ここで昼食を摂ることに。栃木と言えば、というつもりはありませんでしたが、餃子定食をいただくことにしました。
午後の行動に向けて英気を養いつつ、控えめでしたがニンニク臭がマスクの中で渦巻き。量自体も少々多めだったことで、満腹感を通り越して眠気を催す程でしたが、満足のいくご飯を食べ終えて。
私たちの旅は、まだ続いていきます。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【車・趣味】秋の新潟 ~ありがとう、新潟。また来ます~
この週末は、久方ぶりの秋晴れに恵まれました。夕暮れに染まる大地、反射するように煌めく紅葉。
寒さも日に日に厳しくなっていく中、ここ数年では秋らしさを堪能している【やさぐれ紳士】白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
いよいよ、新潟旅行も終わりが近づいてきました。初の船旅、新潟の名所巡り、佐渡ヶ島での時間。
今回はそれらを思い返しながら、本州への帰港にて乗り込んだ旅客船。ゆっくり寛ぐ時間さえも、あっという間に過ぎ去ったこと。
そして、本降りの雨が降りしきる中フォーリングしながら旅の終わりを迎えたことを、綴ってまいります。
最大定員1500人を誇る旅客船、ときわ丸
直前の座席変更も叶い、いざ乗り込むのは旅客船・ときわ丸。就航開始から7年弱という、比較的新しい船でした。
1階と2階は車両を搭載する区画となっており、3~5階が客室や売店、アミューズメントエリアといったお客さんが自由に出歩くことができる構造をしています。6階部分は操舵室で立ち入ることはできませんが、その様はホテルとも、小さめのショッピングモールとも呼べる豪華さと広さを有していました。
今回私たちが急遽座席(客室?)変更したのは、一等船室のイス席と呼ばれる場所でした。
全席指定席で、適度に離れた席同士。
混雑時の座席争奪戦となる自由席や、がらがらの指定席なのに何故か隣に座られることが良くある新幹線とは一線を画していました。
そしてこのソファーのような座席、フルリクライニング可能という豪華仕様。
だらしない私の脚が映っておりますが、ここからさらに座席を倒してベッド代わりにすることも可能です。
船室内も穏やかで、子どもがはしゃぐ声も聞こえてきません。さざなみの音を聞いてリラックスするも良し、自分好みの音楽を聞きながら完全に横になるのも良し。
佐渡ヶ島での旅を終え疲れていた私たちには、勿体ない程でした。
隣に座るたーぼぅさんが船内を探索に行くとおっしゃいましたが、私は唐突の疲弊感と睡魔に襲われていました。
通勤で重宝しているノイズキャンセルイヤホンが、ここでも大きな役割を果たすこととなり。私は眠るとまではいかなくとも、目を瞑って暫しの安らぎに身を委ねるのでした。
どれ位の時が経ったか。
気怠さと共に身体を起こした私は、ニコチン補給の為に喫煙所へ向かうと共に、船内を見て歩くことにしました。
喫煙室へは、二等船室の脇を通っていく必要がありました。そこで、一等と二等の差を垣間見ることができました。
二等船室も一等船室と同じくイス席と絨毯席に分かれていましたが、絨毯席のそこは家族連れの子どもたちが疲れ果てて眠っていたりはしゃいでいたり。或いは一人旅の方が自分の領域を自ら確保して雑魚寝していました。
人、特に見知らぬ人と同じ空間にいることを苦手とする私は、思わず「一等船室に変えて正解だった」と零していました。
私は元来、近すぎる人との距離感は苦手としています。今もそれは健在で、場合によってはたった十数分という時間であっても、何となく自分という領域を侵されている。
そんな錯覚に襲われると同時に、真っ先にその場から離れることに躍起になります。
20代、いや10代後半の頃からか。
自分ではなく他人を排除しようという間違ったやり方を試みて、当然の成り行きと言わんばかりに失敗してばかりきました。
その度に自己嫌悪し、他人が嫌いになって。頼むから、一人にしてくれ、だなんて身勝手な思いを抱えながら、いつも憤ってばかりでした。
三十路を超え、ようやく自分の内から湧き出る思いや環境に対する対処法……処世術とも言えるかもしれませんが、自分なりの答えを見出だせてきた気がしています。
人との距離を保つなら、出来得ることを全て行う。お金が掛かっても、傍から白い目で見られようが、自分が良いと。心地良いと思えることなら、惜しまない。
当初の計画である二等客室の絨毯席を、個の領域を確保できるであろう一等船室にして欲しいと懇願したのは、こういった所にあります。追加料金が1000円で済んだということも大きかったです。
無論、人との距離感や人の存在を気にするか否かは千差万別。私は耐えられなくても、子どもがはしゃいだりグズる空間でも眠れる方もいらっしゃいます。
それは比べるものでもなんでもない。寧ろ、比較して自分を繊細だとか、「雑魚寝とかありえない」とか、そんな風に見下すことはしてはならないと思っています。
人は人、自分は自分。
私の思惑は置き去って。
歩き回った船内は人も疎らで、アミューズエリアやスナックコーナー、開放されたイベントプラザもガラガラ状態でした。
コロナ禍でなければ、より沢山の旅行客と活気、そして賑わいに溢れていたのだろうな。
そんな思いを懐きながら喫煙所に辿り着いた私は、煙草の紫煙を吐いていました。
窓の外は、雨を齎すであろう黒い雲に覆われる様を見ながら。
風が吹き荒れるデッキにて、思いを語り合う
船に揺られること、二時間が経つか否かの時でした。
最高でも19ノット、時速換算約35キロとジェットフォイルの半分以下の速度で航行する旅客船は、新潟港に辿り着くまでまだ時間がありました。
二回目のニコチン補給をしようと身体を起こした時。隣に座すたーぼぅさんも仮眠を終えたようでした。
船室内は休んでいる方もいらっしゃったので、私たちは二人で船内を再び探索することにしました。
船室を出た船内は静まり返っていました。船室を出てすぐの場所にある、佐渡汽船の歴史を語る展示スペースに立ち寄りながら、デッキを目指しました。
ジェットフォイルでは船外に出ることは禁止されていたこともあり。この旅で味わえた、船旅の思い出を、この身に、肌に記憶する為に。
デッキへ出る重い扉を開け放つと、静かな船内とは裏腹に叩きつけるような風と、まるで舞い散るような潮水が私たちを待ち構えていました。
肌寒さと険しさの風。船のショックアブソーバーとスタビライザーが全力で働き快適な旅を齎していたことを理解する瞬間でした。
荒波に抗うようにして進み、横風をも跳ね除けるかのように邁進する旅客船。
そのデッキに佇む、私とたーぼぅさん。
荒い風を感じながら、私たちは自然と思いを語り始めていました。
私は、外に出ることを。人と触れ合うことを怖がるあまりに籠もる毎日を送っていた。それが車という共通の趣味を切っ掛けに人と対峙することを少しずつ克服し、遂には船旅をするまでに至ったことを。
その中で多くの人と出会って、それでもこうして旅を共にできる人は、私には少ないと。
私の謝意を聞き入れていただく一方で。
旅は、その時々で全く別物になり得る。移動手段も季節も、そして気象にも簡単に左右される。
だからこそ行けた場所は、写真に収めていきたい。自分なりの、良いと思った構図に切り取って。
友の言葉に、私も頷きながら笑っていました。
そして、新潟港へ間もなく到着するアナウンスが聞こえてくる頃には。
風、心地良いですね。
どちらかが言ったかわからないその言葉に、私たちは湿気る海辺を見続けていました。
次に来られる時が、あるとするなら。
平穏な水面であることを、願いながら。
新潟から最寄りのサービスエリアにて、夕食と別れ
程なくして新潟港に着岸した旅客船。我先にと出口に向かう方々を尻目に 、私たちは最後までまったりと過ごすことを貫きました。
私たちに残されたのは、各々の場所へ帰る帰路だけ。焦る理由は何もありません。
船を降りてから互いの愛車に乗り込み、賑わいが冷め始めた新潟市内を抜けながら関越道に乗り、私たちは撤退していきました。
今年はどちらかの車でという旅行が多かったこともあり、久しぶりのフォーリングを楽しみました。
疎らな高速道路を駆け抜ける高揚感、力強い愛車たちの唸り。私にとって、こういう時間が幸せなのかもしれないかな、とも思える程でした。
時を忘れて、仕事を忘れて、イライラも鬱屈も葛藤も、全部忘れて。
その後暫く走り、最寄りのサービスエリアで夕食を摂ることになりました。傍からすれば贅沢な海鮮丼だった昼食を食べられずにいた私には、安い訳でもなく普遍的な定食がどれだけ有り難いことだったか。昼食の分まで貪るように、ハンバーグ定食を掻き込んでいきました。
食後の、暫しの休み。フードコートも客はポツリポツリ、情報を垂れ流しているテレビからの音がやけに大きく感じる程の座席で。
話したいことは、沢山ありました。時間が許されるのなら、いつまでも話したいと思うばかりでした。
でも、こういう時に限って、思っていることが言葉になりません。ブログでは馬鹿みたいに書く癖に、やっぱり私は話し下手です。
多分、きっと。
友といる時間を、ずっと過ごしていたいという幼稚な願いが駆け巡っていたのだと、今は思います。
ずっと独りで。独りでいることに慣れて、人と共にいることを望まなくなったこんな私が。
一緒に旅をする、自慢の友人が目の前にいること。
それだけで、私は良かったのだと思います。言葉は要らない、そんなことを感じながら。
しかし、時間という限られたものは容赦なく、情けをかけることもなく。誰にでも平等に流れていきます。
幾許かの時と話を終えた私たちは別れ、各々の帰路に就くこととなりました。
目の前が暗夜と大雨で見えない道を。ひたすら、駆け抜けるようにして。
ありがとう、新潟。また来ます
二泊三日の新潟の旅は、こうして終わりました。
行動範囲が狭い私には、初めて尽くしの旅行。隣の県なのに、知らないことやまだ見ぬものが沢山ありました。
これからは冬となり、車での外出も危険さがより増す時期となって参ります。
だから。冬を越えて、雪や氷が溶けた、来年の春先以降には。
もう一度、新潟の地を訪れたいと願っています。
いや、願いだけじゃない。
また行きたいという、私の我儘とも欲望とも言えるものが、胸と脳裏に焼き付いています。
次に行く時は。普段人任せな私が、自分が行きたいと思う場所を見出して、プランに組み入れていく。
そんな思いを懐きながら。
さようなら、新潟。また来年、行かせていただきます。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【車・趣味】秋の新潟 ~夫婦岩、そして帰還へ~
近頃は週の後半に天気が悪くなる日が続いています。
穏やかな雨は気持ちを落ち着かせてくれますが、叩きつける激しい雨音は不安だけでなく気を滅入らせるような。そんな精神の境を行き来していてどうにも落ち着かない日々を送っている、【やさぐれ紳士】白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
今は、雨も止んで週末前の喧騒も収まり、ただただ静かな空気が流れています。
佐渡を回り終えた直後の、穏やかでありながら旅の終わりを感じて。妙な安心感のようにであるように思えて、しかし寂しさとも、虚しさとも思える心境。状況は、あの時の旅の終焉のそれと似通っています。
今回は、連日載せて参りました、佐渡ヶ島と新潟旅行の最後の記事を綴って参ります。
時間はより加速するようにして、佐渡の名所巡りに終止符が打たれ。本州への帰還。初めてとなる旅客船内、そして残滓と呼ぶには激しい雨に見舞われた新潟からの帰路。
初めてが多すぎて言葉にできないことばかりでしたが、最後までを自分なりの言葉で、その時の思いを綴っていきたいと思います。
子沢山?な夫婦岩
佐渡金山遺跡にて機械成分を堪能した頃、時間は既にお昼を過ぎていました。
眠気と空腹が脳内に溢れ出す頃、この日のお昼ご飯を用意してくださった場所へとツアーバスが到着します。
そこでは現地の方がお待ちしており、簡単にその場の説明をしてくださいました。
夫婦岩と呼ばれる、荒波と風が削って出来上がった天然の岩たちです。
写真の右側がお父さん、左側がお母さんと呼称されているようです。
二つの岩が向かい合うように、寄り添うようにしている様は、円満な夫婦のように見えることから、その名が付いたとのことです。
私には夫婦のというものが今も理解できずにいますが、波風に晒されながらも未来永劫向き合い続けるその様は、この岩たちは私たち人間よりも遥かに強固な関係で結ばれているのかもしれません。
また写真の左側にはお子さんもいらっしゃるそうで、長男や長女、次男と次の世代へとその固い関係を連ねているとのことでした。
更には手前の小さな岩は、孫岩としてお孫さんとして親しまれているとのことでした。
数百年、数千年の時を経ながらも、着々と自然も子孫を残しているかのように見えました。そういう意味では、現代少子化が叫ばれることを鑑みれば、我々ヒトよりも着々と次世代に向けて子を育んでいる、とも言えるのかもしれません。
個人的に一番触れられたくない、結婚や家族という話を振られた途端に嫌悪感を抱く、例えば私のような人間よりも、ずっと。
そんな自分の思いは、旅には不要なもの。無理やり振り払うようにして、自然が創り上げた海岸沿いの風景を写真に収めていきます。
夫婦岩の更に先の、せり出た岩肌には上陸しているしている人の姿も見えました。
時間がもっとあれば、いつまでも見ていたい考えに駆られました。
正確には、この情景から発せられる思いのようなものを感じ取りながら、私なりの思いを馳せたかった、といった方が正しいのかもしれません。
相手は無機物、何の感情もクソもないと言う方もいらっしゃるかもしれません。もしくは目に見えるその姿こそが全てで、それこそが美しいと仰る方もいるでしょう。
でも。私は妙に、センシティブな思いに耽ってばかりでした。
海の中に聳えることとなった、岩たち。人工物のように整備されたり守られたりするようなこともなく、彼ら彼女らは独りで立ち向かってきた。
倒されないように、壊されないように。岩として生まれ、削られる運命にあったとしても。
自分という存在を、掻き消されないように、必死に。暑さも寒さも、時代をも乗り越えて。
夫婦岩として名所とされ、今の姿がある。荒削りだからこそ、時代を思わせ、その傷を想像させる。
私たちヒトにはとても耐えられないであろう思いに、私は一人感化されていました。
願わくは。この先、十年も百年も、更に未来でも。変わらぬ姿を残してほしいと勝手に願うと共に。
いつの日か、この身が果てる前に、もう一度見に行きたい。そんな感情に支配されるのでした。
佐渡の各所を巡り、時間は無慈悲に帰港便に迫って
眼鏡越しに見る日本海、夫婦岩。
友以外の、周りのツアー客の声。先の佐渡金山遺跡を見てからか、妙に高揚した声が響く中、私は聞こえない振りをしていました。
否、無理やり遮断して一人でいたいことを望んでいましたが。
時間はお昼時を少し過ぎた時刻を示していました。ツアーのメインの一つである、昼食の時間でした。
佐渡、新潟と言えば新鮮な海産物。それを丼に詰め込んだ海鮮丼が、本日の目玉でした。
しかしながら。
本ブログでも度々話題にさせていただいています通り、私は海産物は大の苦手。苦手を通り越してとても食べられません。
漂う磯の香り。人によっては心地好いのかもしれませんが、私には耐えられない臭いとなってしまいます。
数十年前、中学校での地引網が主目的となった臨海学校。一泊二日の修学旅行のようなものでしたが、海のものが苦手な私には地獄でしかありませんでした。
海岸中に広がる、磯と引き上がられた海産物が(失礼ですが)腐っていくような臭い。当時はクラス単位ではなく学年単位での旅行でしたが、皆が海水浴を楽しむ中。
臭いにやられ、同級生なのにヒトの波に酔った私はすっかり気持ち悪くなってしまい、独り浜辺で彼ら彼女らが楽しむ様を見るという、同い年なのにさながらプールの監視者のようなことを半ばやるような体たらくでした。
楽しそうだな。ワイワイ、わちゃわちゃ。
……でも、私はいいかな。一人で、海を見ている方がいいや。
クラスが、学年が地引網していようが、何していようが。何十分でも、何時間でも、海を目の前にしているだけで私は満足できそうだ。
そんなしょうもない思い出はともかくとして。
事情を知ってくださっているたーぼぅさんの図らいで、メインの海鮮丼をソースカツ丼に変えていただいたことで、難を逃れることができました。
幸いこの日はツアー客が周りを気にしない方ばかりだったこともあり、奇異の目を向けられるようなことはありませんでした。
私の他にも、生の海鮮は苦手とおっしゃっている方のお話しを片耳に挟みました。
人間誰しも、好き嫌いや得手不得手は必ずあると私は思っています。
食べ物だけに限らず、お酒の種類、飲み物の甘さの加減。
だからとは申し上げません。ですが、押し付けのように「海鮮が上手い所に行ったのなら、食べなきゃ損」だとか。
「あんな上手いもの食べないなんて、何食べんのよ」だとか。最悪の言葉は、「食べないだなんて、生きてて損だよ」。
良いんです、損していたって。私は食に価値を求めていませんから。何を食べたいといった好みを超えて、何を食べて生きているなんて人にとやかく言われたくありません。
それを杓子定規に当てて、その地で「美味しいもの」とされるものを食べられない者を、あたかも変わり者とも異常者とも言ってくる御仁は、残念ながら未だに健在します。
駄目なのでしょうか。自分の好きなものを食べることが。
苦手や嫌いなものを、無理してまで食べなければならないことは、勿体ないと纏められるようなことなのでしょうか。
それはともかく。ソースカツ丼、美味しくいただきました。
時間は無慈悲に平等で、帰還の時が迫る
昼食後は陶器や酒造所と巡りましたが、申し訳ありません、私の興味の圏外でした故写真や感想は特にありませんでした。
疲れも溜まってきていたので話半分に聞いていなかった私も私ですが、陶器は佐渡金山に纏わる特殊な貴金属が混ざった材質の土が、独特の色や焼き上げた後の音が金属のような甲高い音になると。
酒造所では国際航空便のファーストクラスに選ばれて久しいという日本酒を蒸留しているとのことでしたが、クルマで新潟入りしている私たちは試飲もできないこともあり、私はフラフラと酒造所を歩いておりました。
時間となりバスに戻った他のツアー客は試飲を繰り返したのか、すっかり上機嫌な様子でした。
これも、旅の楽しみ方の一つなのかなと思いながら。
バス内に漂うアルコール臭に顰め面を崩せなかった私は、まだまだ精神的に若いようです。(自分で言うのも難ですが)
さておき、時間は容赦なく過ぎ去っていきました。本州から離れた佐渡ヶ島に、まだいたいという思いなど切り捨てるようにして。
帰りの船出の時間が迫り、私たちは再び両津港へと戻ることとなりました。
時間的に、行きで来たジェットフォイルは利用できそうにありませんでした。
その代わりに、倍の時間を掛けながらもゆったりとした船旅を味わうことができる旅客船に乗ることとなりました。
旅客船、ときわ丸。ジェットフォイルの三倍、いやそれ以上の大きさを誇る旅客船です。
実はこの時、本来であれば雑魚寝する2等客室で帰る予定でした。行きの倍以上掛かる、二時間半という長い船旅の時間。
そんな時、私は思わず思いが言葉となって口から出ていました。普段は思いはココロの中に、という私が。余程のことがなければ闘う勢いで口を出しもしない私が。
折角なら、もっとゆったりできる席を確保しませんか?
1から計画していただいた、たーぼぅさんに。
半ば無理を言う形で私の提案を申し出て、切符売り場で予約確認したところ、予約制の一等船室の椅子席が空いていたことも重なって。
急遽予定を変更し、新幹線で言えばグランクラスのようなゆったり寛げる席を取ることができました。
ジェットフォイルとは違う船旅。それから、各々の帰路に着くこととなります。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
【車・趣味】秋の新潟 ~佐渡金山遺跡、正と負の遺産~
10月下旬入間近にして、一気に秋から冬へと季節が加速し始めました。ここ数年は暖冬続きで気が緩んでいた感がありますが、今年は本格的な寒さと雪に注意を一層払う必要があるかもしれません。
今朝も10℃に満たない気温に見舞われ、仕事よりも温かいお布団から抜け出す方が大変だった【やさぐれ紳士】白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
既に1ヶ月が経ってしまいましたが、今回は前回の続きである佐渡ヶ島の旅を綴って参ります。
今回は世界遺産暫定リストに上がっている、佐渡金山跡について写真と共に追憶していきたいと思います。
日本のマチュピチュ?佐渡金山跡
佐渡ヶ島と言われて、真っ先に思い浮かぶのは佐渡金山ではないでしょうか。
遥か昔、佐渡は大罪を犯した者の流刑地とされていました。技術と科学によって安全を確保された現代とは大きく異なり、一度流されれば生きて本土へ戻ることは死を意味していた時代もありました。
時は進んで、江戸時代。金が年単位で数百kg、銀が数十トンという莫大な勤続が採掘されることとなりました。それが、今は佐渡金山跡とも佐渡金山遺跡とも呼ばれる鉱山でした。
当時は大量の富を得るというよりも、幕府へ献上され名声と地位を得る為に利用されたと聞くその場所。
今は当時の面影を薄く残しながら、緑に覆われた天然の要塞とも呼べる技術の発展と自然の強さを併せ持つような、厳かさに似た雰囲気に包まれる場所となっていました。
巷で現実世界のラピュタと呼ばれるのも頷ける、静謐さの中に見るものを慄かせる壮大さとも偉大さとも思わせる空気を漂わせています。ヒトが切り開いて塹壕のような形にされても尚、跡地となったそこに芽を宿し成長した草木の力強さが入り乱れるその様。周りのツアー客の歓声にも聞こえる声が遠くに聞こえるかのように、言葉を失った私は無心でカメラのシャッターを切っていました。
なんと言葉にすれば良いのか、正直今でもわかりません。
ですが、一昔前にテレビで紹介され話題となった南アメリカに存在する「マチュピチュ」。ヒトが文明を残しながらも滅んだ後も、地球の緑の力強さが加わることで「天空の聖殿」と称されるその場所を、まるでこの目で見たかような錯覚に陥ることとなりました。
元々は自然の山肌だったものが、ヒトの手による発破や開拓によって姿を表すこととなった天然の金山。
それが数世紀の時を経て、地球の意志とも呼べる草木に覆われても、尚朽ち果てた様子もなく。
寧ろ、共存しているかのようでした。
北沢浮遊選鉱場跡とも呼称される、美しさと侘しさ漂う情景
晴れ渡っていた空は、いつの間にか雲に覆われていました。奇しくもそれは、私たちの到着を待ち望んでいたかのようにも思えました。
青空の下であれば人工物と自然が絶妙に混ざりあった綺麗で不思議な場所、と言えたかもしれませんが。
雨が振りそうな灰色の空に映る北沢浮遊選鉱場跡は、一層侘しさのような雰囲気を醸し出すこととなりました。
朽ちることなく形を残す、コンクリート。火力発電所としてかどうしていた場所のようですが、ここがどれだけ重要で貴重な要所だったかを思い知らせるかのように、強固な造りをしているのかを見せつけていました。
補修はあるとしても、ほとんど当時の面影を残すかのよう。仮に一人で入れ、と言われても、ちょっと怖いです。
古代のコロッセオのような建造物。
詳細を調べていない為、それぞれがどのような役割を担っていたかもわからない構築物が点在していました。ここでの自由時間は30分足らずと短い時間でしたが、この地に立ち、情景を見て、静けさに浸るだけで多くのことを考えさせられることとなりました。
歴史は、表向きには輝かしい部分ばかりが記録として残され、後世に語り継がれることが多くあります。
しかし、その裏には必ず個々人単位での思いや思惑、そしてとても語ることのできない負の部分があったのだと思います。
この身で立ち、この目で見て、この耳で聞かなければ決して感じられないもの。上手く言葉にできないことも然ることながら、語り継いではならない事実もあることを感じる、そんな一時でした。
炭鉱内を、この足で歩く
緑に溢れる場から離れ、次は炭鉱内を実際に歩く時間が設けられました。
佐渡金山遺跡の坑内は、江戸時代の主に人海戦術とも言える人手を掛けて掘り進んだ箇所。もう一つは明治に入り機械が導入された頃の箇所を巡るという、二つのコースが用意されていました。
人の手で切り拓いた道と、機械産業の発展で切り拓いた道か。
私たちはメカメカしいもの好きということ、そしてリアルな人形が展示されているという江戸時代コースは気味が悪そうということで、明治時代コースを選択しました。
色褪せた赤に塗られた、滑車のようなものが付けられたこの装置は、一体……?
炭鉱へ続く道に敷かれたレール。この道を使って、内部で採掘した金銀を運び出していたのでしょうか。
入り口から広がる闇は、外の光を遮っているかのようでした。当時は明かりも乏しかったでしょう、もっと暗くて恐ろしさもあったのかもしれません。
いざ、足を踏み入れます。
この日の外気温は20℃を欠ける程度の気温。厚着をして乗り込んだ私には少し暑いとも感じる陽気でしたが。
炭鉱内は嘘のように、妙に冷え込んでいました。寒さに慣れているつもりの私も、思わず「寒っ」と口走った程です。
坑内には近代技術の走りとも言える、電気で動くトロッコ車両が点在していました。高さは腰程の大きさで、無骨ながらもどこか可愛らしさを感じさせています。
そして驚くことに、この車両は充電式ということが直後に訪れた展示室で明らかになりました。
現代のスマホのように、小型化高性能化されたものと程遠い充電機器。それが今の生活になくてはならない存在となった充電技術の礎となったことを思うと、感慨深いものを覚えました。
写真はカメラの師匠でもあるたーぼぅさんに教えを請い、撮影したものです。
薄暗い照明。半ば汚泥かした地面。そして、冷たい岩の連続。幾ら近代化が進んでいた時代の産物と言えど、人肌が恋しいものだったのではないかと、一人思いに耽っていました。
とても独りでは歩けない、な。
肌寒さを感じ続けながら、炭鉱を後にするのでした。
華々しさと負の一面を垣間見て
華々しい歴史の跡地として語られる佐渡金山遺跡。ですがそこには、巨万の富と同時に儚く散っていった命の数々があることを、忘れてはいけないと思います。
炭鉱内には発破した後や、酸素を取り入れる為に空けられた穴などが随所で見られましたが、逆に言えばその数だけ朽ちた人たちがあったということを物語っているとも言えるかと思います。
炭鉱という狭く、暗い場所。限られた酸素を使い切り、酸欠で命を落とした人。
発破時の計算ミスや予期せぬ落盤で崩壊し、巻き込まれ亡くなった人。
厳しい労働に身体が参り、そのまま生きて地上に出ることもなく生涯を終えた人。
私は以前、世界遺産登録された富岡製糸場を見てきたことがあります。そこも機械に溢れ、務めた人たち……特にそこは女性について取り上げられることが多いです。
然れど、貧富の格差による、今で言うイジメや劣悪な労働環境で身体を壊し、そのまま帰らぬ人となった方も多いと聞きます。
華々しさの陰には、必ず犠牲や負の感情といったものが存在すると私は思っています。
それが皮肉にも、輝かしく後世で認められるような存在となる支えになったとしても。
私は見た目の華やかさは勿論ながらも。そういった表舞台に出てこない、出せないような人たちのことについて目を向けなければならないと考えています。
私の好きな言葉に、このようなものがあります。
幸運を。死にゆく貴方に敬礼を。
歴史の表に出てくることは、本当に氷山の一角であり、かつ内容も書き換えられた可能性も否定できません。
そのようにして語り継がれてきた偉人たちよりも、私は寧ろ、影で支え繁栄の道の礎となった方々を思うと共に。
心の底から、鎮魂と安寧を願うばかりです。
炭鉱の脇に咲く、秋桜の群生地。その花たちが、吹き抜けた風と共に一斉に揺れるのでした。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。