白兎と雪狼の、果てなき旅路

ドライブやドライブや写真撮影を趣味とし、その他、HSPやAセクシャル、イジメ。精神的・心理的なことについて綴っていきます。

【車・趣味】秋の新潟 ~ありがとう、新潟。また来ます~

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 この週末は、久方ぶりの秋晴れに恵まれました。夕暮れに染まる大地、反射するように煌めく紅葉。

 寒さも日に日に厳しくなっていく中、ここ数年では秋らしさを堪能している【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 いよいよ、新潟旅行も終わりが近づいてきました。初の船旅、新潟の名所巡り、佐渡ヶ島での時間。

 今回はそれらを思い返しながら、本州への帰港にて乗り込んだ旅客船。ゆっくり寛ぐ時間さえも、あっという間に過ぎ去ったこと。

 そして、本降りの雨が降りしきる中フォーリングしながら旅の終わりを迎えたことを、綴ってまいります。

 

 

 

 

 最大定員1500人を誇る旅客船、ときわ丸

 

 直前の座席変更も叶い、いざ乗り込むのは旅客船・ときわ丸。就航開始から7年弱という、比較的新しい船でした。

 

 

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 1階と2階は車両を搭載する区画となっており、3~5階が客室や売店、アミューズメントエリアといったお客さんが自由に出歩くことができる構造をしています。6階部分は操舵室で立ち入ることはできませんが、その様はホテルとも、小さめのショッピングモールとも呼べる豪華さと広さを有していました。

 

 今回私たちが急遽座席(客室?)変更したのは、一等船室のイス席と呼ばれる場所でした。

 

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 全席指定席で、適度に離れた席同士。

 混雑時の座席争奪戦となる自由席や、がらがらの指定席なのに何故か隣に座られることが良くある新幹線とは一線を画していました。

 

 そしてこのソファーのような座席、フルリクライニング可能という豪華仕様。

 

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 だらしない私の脚が映っておりますが、ここからさらに座席を倒してベッド代わりにすることも可能です。

 船室内も穏やかで、子どもがはしゃぐ声も聞こえてきません。さざなみの音を聞いてリラックスするも良し、自分好みの音楽を聞きながら完全に横になるのも良し。

 佐渡ヶ島での旅を終え疲れていた私たちには、勿体ない程でした。

 

 隣に座るたーぼぅさんが船内を探索に行くとおっしゃいましたが、私は唐突の疲弊感と睡魔に襲われていました。

 通勤で重宝しているノイズキャンセルイヤホンが、ここでも大きな役割を果たすこととなり。私は眠るとまではいかなくとも、目を瞑って暫しの安らぎに身を委ねるのでした。

 

 どれ位の時が経ったか。

 気怠さと共に身体を起こした私は、ニコチン補給の為に喫煙所へ向かうと共に、船内を見て歩くことにしました。

 

 喫煙室へは、二等船室の脇を通っていく必要がありました。そこで、一等と二等の差を垣間見ることができました。

 二等船室も一等船室と同じくイス席と絨毯席に分かれていましたが、絨毯席のそこは家族連れの子どもたちが疲れ果てて眠っていたりはしゃいでいたり。或いは一人旅の方が自分の領域を自ら確保して雑魚寝していました。

 人、特に見知らぬ人と同じ空間にいることを苦手とする私は、思わず「一等船室に変えて正解だった」と零していました。

 

 

 私は元来、近すぎる人との距離感は苦手としています。今もそれは健在で、場合によってはたった十数分という時間であっても、何となく自分という領域を侵されている。

 そんな錯覚に襲われると同時に、真っ先にその場から離れることに躍起になります。

 20代、いや10代後半の頃からか。

 自分ではなく他人を排除しようという間違ったやり方を試みて、当然の成り行きと言わんばかりに失敗してばかりきました。

 その度に自己嫌悪し、他人が嫌いになって。頼むから、一人にしてくれ、だなんて身勝手な思いを抱えながら、いつも憤ってばかりでした。

 三十路を超え、ようやく自分の内から湧き出る思いや環境に対する対処法……処世術とも言えるかもしれませんが、自分なりの答えを見出だせてきた気がしています。

 人との距離を保つなら、出来得ることを全て行う。お金が掛かっても、傍から白い目で見られようが、自分が良いと。心地良いと思えることなら、惜しまない。

 

 当初の計画である二等客室の絨毯席を、個の領域を確保できるであろう一等船室にして欲しいと懇願したのは、こういった所にあります。追加料金が1000円で済んだということも大きかったです。

 

 無論、人との距離感や人の存在を気にするか否かは千差万別。私は耐えられなくても、子どもがはしゃいだりグズる空間でも眠れる方もいらっしゃいます。

 それは比べるものでもなんでもない。寧ろ、比較して自分を繊細だとか、「雑魚寝とかありえない」とか、そんな風に見下すことはしてはならないと思っています。

 

 人は人、自分は自分。

 

 私の思惑は置き去って。

 歩き回った船内は人も疎らで、アミューズエリアやスナックコーナー、開放されたイベントプラザもガラガラ状態でした。

 

 コロナ禍でなければ、より沢山の旅行客と活気、そして賑わいに溢れていたのだろうな。

 

 そんな思いを懐きながら喫煙所に辿り着いた私は、煙草の紫煙を吐いていました。

 窓の外は、雨を齎すであろう黒い雲に覆われる様を見ながら。

 

 

 

 風が吹き荒れるデッキにて、思いを語り合う

 

 

 船に揺られること、二時間が経つか否かの時でした。

 最高でも19ノット、時速換算約35キロとジェットフォイルの半分以下の速度で航行する旅客船は、新潟港に辿り着くまでまだ時間がありました。

 

 二回目のニコチン補給をしようと身体を起こした時。隣に座すたーぼぅさんも仮眠を終えたようでした。

 船室内は休んでいる方もいらっしゃったので、私たちは二人で船内を再び探索することにしました。

 

 船室を出た船内は静まり返っていました。船室を出てすぐの場所にある、佐渡汽船の歴史を語る展示スペースに立ち寄りながら、デッキを目指しました。

 

 ジェットフォイルでは船外に出ることは禁止されていたこともあり。この旅で味わえた、船旅の思い出を、この身に、肌に記憶する為に。

 

 デッキへ出る重い扉を開け放つと、静かな船内とは裏腹に叩きつけるような風と、まるで舞い散るような潮水が私たちを待ち構えていました。

 肌寒さと険しさの風。船のショックアブソーバーとスタビライザーが全力で働き快適な旅を齎していたことを理解する瞬間でした。

 

 荒波に抗うようにして進み、横風をも跳ね除けるかのように邁進する旅客船。

 そのデッキに佇む、私とたーぼぅさん。

 

 荒い風を感じながら、私たちは自然と思いを語り始めていました。

 

 私は、外に出ることを。人と触れ合うことを怖がるあまりに籠もる毎日を送っていた。それが車という共通の趣味を切っ掛けに人と対峙することを少しずつ克服し、遂には船旅をするまでに至ったことを。

 その中で多くの人と出会って、それでもこうして旅を共にできる人は、私には少ないと。

 

 私の謝意を聞き入れていただく一方で。

 旅は、その時々で全く別物になり得る。移動手段も季節も、そして気象にも簡単に左右される。

 だからこそ行けた場所は、写真に収めていきたい。自分なりの、良いと思った構図に切り取って。

 

 友の言葉に、私も頷きながら笑っていました。

 

 そして、新潟港へ間もなく到着するアナウンスが聞こえてくる頃には。

 

 風、心地良いですね。

 どちらかが言ったかわからないその言葉に、私たちは湿気る海辺を見続けていました。

 

 次に来られる時が、あるとするなら。

 平穏な水面であることを、願いながら。

 

 

 新潟から最寄りのサービスエリアにて、夕食と別れ

 

 程なくして新潟港に着岸した旅客船。我先にと出口に向かう方々を尻目に 、私たちは最後までまったりと過ごすことを貫きました。

 私たちに残されたのは、各々の場所へ帰る帰路だけ。焦る理由は何もありません。

 

 船を降りてから互いの愛車に乗り込み、賑わいが冷め始めた新潟市内を抜けながら関越道に乗り、私たちは撤退していきました。

 

 今年はどちらかの車でという旅行が多かったこともあり、久しぶりのフォーリングを楽しみました。

 疎らな高速道路を駆け抜ける高揚感、力強い愛車たちの唸り。私にとって、こういう時間が幸せなのかもしれないかな、とも思える程でした。

 時を忘れて、仕事を忘れて、イライラも鬱屈も葛藤も、全部忘れて。

 

 その後暫く走り、最寄りのサービスエリアで夕食を摂ることになりました。傍からすれば贅沢な海鮮丼だった昼食を食べられずにいた私には、安い訳でもなく普遍的な定食がどれだけ有り難いことだったか。昼食の分まで貪るように、ハンバーグ定食を掻き込んでいきました。

 

 食後の、暫しの休み。フードコートも客はポツリポツリ、情報を垂れ流しているテレビからの音がやけに大きく感じる程の座席で。

 話したいことは、沢山ありました。時間が許されるのなら、いつまでも話したいと思うばかりでした。

 

 でも、こういう時に限って、思っていることが言葉になりません。ブログでは馬鹿みたいに書く癖に、やっぱり私は話し下手です。

 

 多分、きっと。

 友といる時間を、ずっと過ごしていたいという幼稚な願いが駆け巡っていたのだと、今は思います。

 

 ずっと独りで。独りでいることに慣れて、人と共にいることを望まなくなったこんな私が。

 一緒に旅をする、自慢の友人が目の前にいること。

 それだけで、私は良かったのだと思います。言葉は要らない、そんなことを感じながら。

 

 しかし、時間という限られたものは容赦なく、情けをかけることもなく。誰にでも平等に流れていきます。

 幾許かの時と話を終えた私たちは別れ、各々の帰路に就くこととなりました。

 

 目の前が暗夜と大雨で見えない道を。ひたすら、駆け抜けるようにして。

 

 

 ありがとう、新潟。また来ます

 

 二泊三日の新潟の旅は、こうして終わりました。

 行動範囲が狭い私には、初めて尽くしの旅行。隣の県なのに、知らないことやまだ見ぬものが沢山ありました。

 

 これからは冬となり、車での外出も危険さがより増す時期となって参ります。

 

 だから。冬を越えて、雪や氷が溶けた、来年の春先以降には。

 もう一度、新潟の地を訪れたいと願っています。

 

 いや、願いだけじゃない。

 また行きたいという、私の我儘とも欲望とも言えるものが、胸と脳裏に焼き付いています。

 次に行く時は。普段人任せな私が、自分が行きたいと思う場所を見出して、プランに組み入れていく。

 そんな思いを懐きながら。

 

 さようなら、新潟。また来年、行かせていただきます。

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

  

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