白兎と雪狼の、果てなき旅路

ドライブやドライブや写真撮影を趣味とし、その他、HSPやAセクシャル、イジメ。精神的・心理的なことについて綴っていきます。

【車・趣味】まだ見ぬオオカミを目指して ~本命、ホッキョクオオカミ・上章~

 各地で初雪が観測されるようになって参りました。今年の冬は、例年以上に本格的なようです。

 今日もコタツでヌクヌク、ファンヒーターを炊いてホカホカ。電気毛布でアッタカな夜を過ごしている、【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 前回は少し湿っぽい方向に話が逸れてしまいましたが、いよいよ、待ちに待った時がやってきました。

 

 再挑戦を切望した、ホッキョクオオカミとの対面。雨も止んで少し温かくなった那須どうぶつ王国。

 果たして、颯爽と動き回る彼らと対峙することは叶うのか。

 

 ここ数年で幾つもの夢を抱き、叶えられて来れたことも重ねながら、本日も綴って参ります。

 今回は写真が多くなりますが、何卒ご容赦ください。

 

 

 

 

 本命の、ホッキョクオオカミ

 

 再びオオカミの丘へと戻ってきた私たちの前では、最初に訪れた時以上の来園者と盛り上がりが広がっていました。

 

 そこには、動き始めたホッキョクオオカミたちの姿が。

 

f:id:Rayleonard-00:20201104191356j:plain

 

 うわっ……うっわっ……!

 雨の後ということもあり純白とはいかなくとも、白くてフワフワな毛並みを携えたホッキョクオオカミが、遂に、遂に!

 

f:id:Rayleonard-00:20201104191930j:plain

 

 靭やかで軽い足取りながら、大きい個体で80センチにもなる体躯が大地を踏み締めていきます。

 オオカミの面影を残すイヌとしてはアラスカンマラミュートやシベリアンハスキーがいますが、彼らは大きくても60センチということなので、やはり一回り以上大きく見えます。

 そして毛並みの奥に見える、引き締まった四肢の筋肉も野生ならでは。極限地帯を生き残る為に極められた体躯は、果たしてどれ程の力を秘めているのでしょうか。

 そんなことを、理性が途切れるまでに昂ぶった頭で考えていると。

 

 そのまま軽い足取りで。

 

f:id:Rayleonard-00:20201104193514j:plain

 

 「あぁ、こんにちは。今日も冷えるね」

 ガラス一枚で仕切られた、目の前にまで近付いてきてくれました!その距離、1メートルもありません。本当に眼前です。

 

 

f:id:Rayleonard-00:20201104195726j:plain




 

 野生でありながら彼(彼女?)の表情は、あまりにも穏やかでした。

 「えっと、どうしたんだい?」

 どうやらホッキョクオオカミはオオカミの中でも比較的温厚な性格なようです。上手く関係を築くことができれば懐くことさえあるそうです。

 その温厚さが、オオカミでありながら見知らぬ私たちを目の当たりにしても真っ直ぐで、力強い体躯とは対照的に優しさとも憂いとも見える表情を浮かべている。そのように見えました。

 

 しかし。

 「変な顔してるけど、大丈夫?」

 

f:id:Rayleonard-00:20201104193811j:plain

 

 柔らかな眼差しを見せるホッキョクオオカミを前にした私は、理性が完全に飛んでいました。

 

 生まれて初めて見る、オオカミの勇姿。それを一枚の障害物を挟んで、たった数十センチという間近で見られたこと。

 それだけでなく、オオカミという孤高で強い生き物。

 彼らは私にとって、歳と共に憧れと羨望の存在となっていました。

 

 最初こそその気高さと格好良さで自分が細々と執筆する小説の主役として描いてきました。

 更に2018年から連載されつい先日終わりを迎えた、動物たちの生き様を描いたBEASTARSの主人公に抜擢されたのも、オオカミでした。

 

 どうして、そんなに気高さを誇っていられるんだ?」

 そんな思いから、いつの間にか私は、彼らの姿と崇高さにすっかり魅了され。推しと言うなど失礼なまでの存在となっていました。

 

 たかが動物じゃないか、という人もいらっしゃると思います。子どもじゃあるまい、動物園に行くなんて馬鹿らしいと思う方もいらっしゃるでしょう。

 

 

 然れど。

 それ以上にヒトの醜さを目の当たりにした私には、他人を好いたり愛するよりも大きな思いを抱いていることを改めて感じていました。

 

  ヒトは、切っ掛けさえあればいとも簡単に裏切ったり見捨てたりする汚い生き物であることを身を以て知っている私には。

 いつかはヒトと関係を築き繁栄しながら、時には害獣と呼ばれ、毛皮の材料として根絶やしにされてきたオオカミ。

 なのに。

 そんな一人のヒトを前にしても、こんな余裕さと涼やかな顔を、どうして浮かべられるのだろうか。

 

 それを目の前にした瞬間、私の理性などという軟なものは消し飛びました。

 

 普段無意識に抑えている感情が、衝動が破裂したかのように、私はカメラのシャッターを切りに切っていました。

 無我夢中に。それこそ、馬鹿みたいに。

 

f:id:Rayleonard-00:20201104203327j:plain

 

 「……本当に大丈夫かい?」

 

 駄目みたいです、はい。

 

 思い返せば思い返す程、自分を抑えられなくなるような昂りと興奮がぶり返してきてしまった為、申し訳ありませんが一旦仕切り直しさせていただきます。

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

【車・趣味】まだ見ぬオオカミを目指して ~那須どうぶつ王国・その4~

 ここ数日は思いを言葉にしたい感情がとても強くなっており、ブログの更新も捗っております。

 夏場はプライベートや仕事でやや追い詰められていた感もありましたが、こうして伸び伸びと。

 ブログを書かなければ。そういった強迫概念ではなく、純粋に文章を書ける喜びと嬉しさを噛み締めている、【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 数多くの動物と出会ってきた、那須どうぶつ王国。

 今回はコロナ禍でありながら、イヌたちと触れ合う機会に恵まれ、理性と本能だけでなく。

 過去の記憶が、今でも私を縛り続けていることを知って軽蔑する中で。

 

 動物たちにも内心を見透かされたことを目の当たりにして、自分の中に今も広がる失望を食い千切るような思いで彼ら彼女らと向かい合えたことを、綴って参ります。

 

 

 

 触れ合うことが目的!ふれあいドッグパーク

 

 珍しい動物たちのラッシュを一先ず終え、制御が効かなくなり始めた脳を冷やす為に軽く一服を挟んで。

 再度、動き回るホッキョクオオカミたちをこの目で見ようと動き始めた私たちの目の前に、それはありました。

 

 ふれあいドッグパーク。

 名が呈す通り、イヌたちと触れ合い交流を深める区画でした。

 

 しかし、今も尚新型コロナウイルスとの闘いは終わりが見えずにいます。これまでも触れ合うことを目的とする動物園のコーナーも感染リスクを鑑みて、中止或いは限定的開放という場所を数多く見て参りました。

 ここもそうなのだろう……と私もたーぼぅさんも遠目で見ながら、思わず見過ごしすになりました。

 

 が、しかし。区画内にはイヌたちだけでなく、スタッフの方も、来園者の姿がチラホラと見えました。

 

 もしかして……?

 

 疑心暗鬼ながらも、入り口は消毒液がある程度で特に制限されている様子はありませんでした。

 簡易的な仕切りで区切られた敷地内には、沢山のイヌたちと来園された人々が入り交じるかのようにして。

 触ったり撫でたり、ベンチで寄り添う様子が広がっていました。

 

f:id:Rayleonard-00:20201103203929j:plain

 

 ラブラドールレトリバー、ゴールデンレトリバー、サモエドと……見たことがない、大型犬?

 

 動物の中でも、特に犬科の動物が好きで推しでもある私には、願ってもいなかった光景でした。

 

 でも。

 触れ合いや触ること、触られることがあの日から苦手になり。すっかり怖くなってしまった私にとって、ある意味挑戦という側面もあるのでした。

 

 

 こんな時に限って、裏切られて捨てられた過去が蘇って

 

 

 私は生まれてこの方、ペットを飼ったことがありません。

 可愛かったり勇猛であったり、ありのままの姿を晒す動物たちを見ることは大好きです。

 ですが、仮に動物を飼うことを決めたとしても。

 私には最期まで面倒をみるという覚悟が持てないまま、ここまで生きてきてしまいました。

 

 生きとし生けるもの。いつまでも元気でいてくれればと思うのは、多分私たちヒトの驕りや勝手な思い。

 いづれ弱り、最期を看取るのが、動物を飼う為に必要な覚悟。私は恐らく、彼ら彼女らの最期を見届ける程、強くありません。

 親しみが湧けば湧くほど。愛情が深ければ深いほど、お別れは辛くなる。

 

 私には、それが何よりも怖い。

 同じ種族のヒトにさえ貶され、貶められたこともある私は。

 もう、失いたくない。喩えそれが別の種族の動物であっても。

 

 そんな思いもあってか、私は敷地内で自由に動き回るイヌたちにさえ手を伸ばせずにいました。

 触って見たい。撫でてみたい。

 

 でも、それで嫌われて吠えられたら。私は、また嫌われたことになる。

 いつも通りでいたつもり過ごしていたのに、時を境に異物扱いされて除け者にされた。

 

 こんな時にも、あの日の記憶が蘇るのか。なんて弱い生き物なんだ。

 私なんて。

 

 言葉に出さずも躊躇う私。一方で動物慣れしたたーぼぅさんは、一番大きなワンちゃんが座すベンチへと向かっていました。

 遅れないように、私も慌てて後を追いました。もう、怖いなんて言ってなどいられない。

 否、怖がってなんかいられない。自分で自分を鼓舞するように、ワンちゃんの横に座りました。

 

f:id:Rayleonard-00:20201103205821j:plain

 

 その子は、ニュージーランド・ハンタウェイという牧羊犬でした。最大で60センチ、体重は30キロにもなる大型犬。

 ボウ君と名付けられたその子は、ヒトが来ようが関係ないかのように、静かに伏せていました。

 

 おっかなびっくりで隣に座った私、しかしこの柔和でありながら遠くを見据える姿。

 貫禄、とは違う。懐の深さ、と言えば良いのかわかりませんが、吠えることもなく大人しく、優しい子。

 

 たーぼぅさんがその身体を撫でて、満足げな笑みを浮かべているのを見て真似しようとしました。

 しかし、やっぱり怖さが私の手を止めてしまいます。

 

 気付いてくださったのか、茶々を入れるように。

 「白兎さん、怖いの?」とたーぼぅさん。悪気などないことなんて、すぐにわかりました。

 言葉が出ず、子どものようにコクっと頷いた私。いい歳こいて何してんだか、と自分を責めていました。

 

 みっともない。情けない。意気地なし。

 

 

 撫でるだけでなく、触るのも、怖かった。でも、その身体は確かに温かった

 

 

 そこに、優しい声色のアドバイスが。

 「頭や項を優しく撫でるだけで良いんですよ。ネコと違ってゴワゴワした毛並みかもしれませんが、大丈夫。怖くなんてないですから」

 怖く、ない。

 

 そうだ。今は動物たちを拝めに来たんだ。推しのオオカミを、ホッキョクオオカミを。

 それだけじゃない。他の動物たちと触れ合いに来たんだ。

 

 昔の記憶は、確かに消えない。だけど今は、それが出てくる場面でじゃないだろう?

 私は。私は、本物の動物に触れたいんだ。

 

 過去の記憶と今この瞬間は、全然違う場面だろうがっ!昔と現在を、一緒にするな、私っ!

 

 緊張で溜まった唾を一気に飲み込み、それでも震える手でボウ君の身体に触れました。

 

 

f:id:Rayleonard-00:20201103210149j:plain

 

 微動だにせず、しかし彼は、優しい目で遠くを見ていました。

 恐る恐る、首から胴へを撫でます。

 彼の心臓の鼓動を感じながら。柔らかそうに見えた毛並みは、確かにゴワゴワした感触。然れど、確かな温もりに包まれていました。

 

 優しくて、温かい。

 

 「ね、大丈夫でしょ?」

 たーぼぅさんの声を聞いて現実に戻った私は。

 

 思わず「……うん」とだけ返すのでした。

 

 見るだけと、見て触って、触れ合うのとは違う。

 彼らも、私たちと同じようにこの世界に、同じ時間を生きている。

 そう実感した途端、一層愛おしさが堰を切ったように溢れ出ました。

 頭頂部から、マズル。両耳や胴の横と、手が勝手に動いていきます。

 

 私が警戒すれば、彼らも当然警戒し返すだろう。だから、私を支配しつつあった思いをできるだけ殺して。今できるだけの、不器用でもいいから、優しさを彼らに。

 そうして触れていく内に、私はすっかり詰まりかけた息も戻り、すっかり彼らの虜になっていました。

 思えば一番触らせてくれて。極僅かな方を除いて、ヒトを信じることを未だにできずにいる疑い深い私のような存在でも。

 身体も心も大きい、このボウ君でした。

 

 今回お相手してくれたボウ君以外にも。

 

f:id:Rayleonard-00:20201103213654j:plain

 

 サモエドスマイルで有名な、サモエドのアカネちゃん。あまりカメラを向けられることが嫌なのか、そっぽ向かれてばかりでしたが。

 

f:id:Rayleonard-00:20201103213838j:plain

 

 フワフワで真っ白な毛並みは、これまで見て終わって満足していましたが。

 極寒に耐えられるようしっかりとした、想像以上に硬い毛並み。私がビビっていたばかりに近寄ってくれることはありませんでしたが、想像と現実は余りに違うことを知れたことは私にとって大きなものでした。

 

 そして、もう一つ。

 イヌたちは、否動物たちは。

 私たちヒトの気持ちに敏感なのかもしれない、と思い至りました。

 警戒心や恐れが滲み出ていた私には、イヌたちも同じように近付くことも、寄ってくることもありませんでした。

 一方で動物慣れしていたりペットを飼われている人には、吸われるようにして寄り添っていた。それは、身構えることを知らない子どもたちが顕著でした。

 

 ヒトがどんな記憶や経験であっても、疑いや排他的な気持ちを抱いていれば。

 動物たちは機敏に反応して、同じようにこちらを疑うようにして、決して気を許しはしないことを、身を以て知りました。

 

 

 これを悟った瞬間、思わず天を仰いでしまいました。

 すっかり、見透かされてた。いつまでも現実に向き合えないなんて。何をしに来たんだよ、那須どうぶつ王国に。

 

 ダッセぇな、私。

 

 ふれあいドッグパークを出て、すぐの場所なのに。

 楽しそうにイヌたちに声を掛けるカップルや、子どもたちの声が、妙に遠く感じるのでした。

 

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

【車・趣味】まだ見ぬオオカミを目指して ~那須どうぶつ王国・その3~

 10/31日の満月は今年最小で、ハロウィンとちょうど重なったのは数十年ぶりの出来事だったそうです。

 元々死者の霊が家族の元を訪れる日とされ、同時に悪魔や魔女といった悪い精霊から身を守るために仮面を被って魔除けをする日だった、というハロウィン。日本で言うお盆と同じと考えれば、今年のハロウィンは鎮魂には素敵で美しい夜だったのかもしれません。

 物事の起源を知ると知らないでは、同じ行事に対する意識も大きく変わるな、と思う【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 ワオキツネザルが駆け回り場を乱す亜熱帯エリアを抜けた、その目の前には。

 これまで見てこなかった、長蛇の列ができていました。何があるのだろう、と不思議に思いましたが、ニュースで世間に知れ渡り脚光を浴びる存在を見ようと駆けつけた人々でした。

 那須どうぶつ王国のもう一つの目玉が、砂漠の天使と呼ばれるとあるネコ科の動物の赤ちゃんが国内初として誕生したのでした。

 

 動き回るオオカミを見るまでに辿り着く前に、沢山の動物たちとの出会う旅の続きを、早速綴って参ります。

 

 

 

 

 

 長野県の県鳥であり、絶滅危惧種とされているライチョウ

 

 並んだそこは保全の森と呼ばれ、保育室のように完全に回覧者と動物たちを隔離されている場所でした。

 これまでが自由に動物たちが行き交い、触れる程の距離で触れ合いができた同じ動物園内とは思えない程、厳重に守られている印象を受けました。

 そして、列ができるほどの混雑が生まれたこともすぐに納得しました。

 

 エリア名の通り希少種であったり絶滅危惧種に指定される動物を保護し、育て、保全活動に努めているその場では。

 

 私の住む長野県の県鳥とされ、高山地帯にしか生息しないライチョウが最初に迎えてくれました。

 

f:id:Rayleonard-00:20201102190813j:plain

 

 お昼過ぎということもあり、今にも目を閉じて眠ってしまいそうな様子です。

 

f:id:Rayleonard-00:20201102191046j:plain

 

 フワフワで温かそうな羽毛に包まれて、すっかりリラックス状態のライチョウたち。

 

 長野県の高山地帯では、種が絶えないよう保全活動が続いていると聞きます。唯でさえ小さく攻撃や迎撃できる力もないライチョウは、天敵相手にはとても敵わず雛が捕食されたり疫病が蔓延するなどの理由もあって、数を減らしつつあります。

 生息数を取り戻す為には相当の時間と多大な努力が必要とされていますが、一つの種が絶滅してしまうと考えるだけでも、胸が痛む思いに駆られます。

 

f:id:Rayleonard-00:20201102191552j:plain

 

 どの動物が悪いとか、環境のせいだとか、そういう問題ではないものがあることを考えさられる時間でした。

 願わくは、茶色の岩肌と少ない緑の高山地帯に。

 白と茶の羽毛を持つライチョウたちの番やヒナたちが、すくすくと育っている光景が広がることを。

 カメラを構え、願いながらシャッターを切るのでした。

 

 

 時間限定公開、砂漠の天使とスナネコの赤ちゃん

 

 次は、より順番整理が厳しくなる場所を目の前にしました。

 どうやらここが、他の来園者たちもお目当ての動物。

 展覧可能時間も午前と午後、それぞれ2時間程しか設けられず。更にコロナウイルスのリスク回避の為に、対面時間は数分しかないという厳しい条件下。

 そこまでして、ようやく会えたのは。

 

f:id:Rayleonard-00:20201102192351j:plain

 

 過酷な砂漠地帯に生き、砂漠の天使とも呼ばれるスナネコ。その親子たちです。

 身を寄せ合って、眠りに付く様。

 天使と、誇張気味な呼び名にも思わず頷ける可愛さと家族の温かさがそこにはありました。

 ガイドを務めてくださった飼育員さん曰く、動き回っていたがつい数分前にお昼寝時間に入ったとのことです。彼ら彼女らは動き回るので集合写真を撮ることは難しいらしく、とても幸運のタイミング、と仰っていました。

 

f:id:Rayleonard-00:20201102193057j:plain

 

 生まれて半年もしない子どもを、まるで守るかのように抱くようにしています。微笑ましいだけでなく、母性愛、と言えばいいのでしょうか。安全な動物園内でも子どもを守り抜くという本能が滲み出る光景は、健気さと強さの両方を見せ付けているようにも見えました。

 

f:id:Rayleonard-00:20201102193422j:plain

 

 写真の真ん中で潰れかけているように見えるのが、話題の赤ちゃんのようです。

 

f:id:Rayleonard-00:20201102193517j:plain

 

 別角度から。正面からは顔を背けているように見えましたが、もう一頭お休み中でした。お父さん、でしょうか。

 

 雨が降り、少し冷えた那須高原。

 それを温もりと優しさで満たすには十分過ぎる、砂漠の天使たちでした。

 

 

 ネコ・ネコ・ネコ。アムールネコとマヌルネコ

 

 まだまだ、ネコたちの独壇場が続きます。

 

f:id:Rayleonard-00:20201102194321j:plain

 

 こちら、充電中のアムールネコです。日本の一部ではトラネコと呼ばれるように、トラのような模様の毛並みを持つネコです。

 

f:id:Rayleonard-00:20201102194657j:plain

 

 一見イエネコのようにも見えますが、少し頭が大きように見えます。子ネコ、なのでしょうか。

 こちらも午前中に駆け回って、充電が切れてしまったかのように眠っています。無防備で、ストレスという言葉が見当たらないように見える寝顔。

 早く大人になりたいのかな。それとも、夢の中でも世界を走り回っているのかな。

 もっと大きくなって、もっとこの地を駆け巡りたいね。

 

 別の場所では。

 

f:id:Rayleonard-00:20201102195037j:plain

 

 少し強面な子が。

 耳の一がイエネコよりも下がった位置にあり、体格的にも四肢がやや短く毛並みも丸いことから太った見た目の、マヌルネコと言うネコです。

 凍った大地や雪の上で腹ばいになっても身を冷やすことなく過ごせるよう、進化したとされています。

 

 しかしそれよりも。何か気に入らない出来事でもあったのでしょうか。

 

f:id:Rayleonard-00:20201102195446j:plain

 

 白兎「ん。不機嫌そうなネコだ。どうしたんだろう」

 マヌルネコ「あ?」

 

f:id:Rayleonard-00:20201102195605j:plain

 

 白兎「あ、こっち見た、一枚撮r」

 マヌルネコ「あ゛ぁ?」

 

f:id:Rayleonard-00:20201102200013j:plain

 

 白兎「もしかして、オコなn」

 マヌルネコ「あ゛ぁん!?」

 白兎「なんかすみませんでした」

 

 

 マヌルネコ様のご機嫌を損ねたようです。よく見ると、確かにネコというよりも別の寒冷地に住むような温かそうで伸びそうな毛並みを持っていました。

 

 

 お湯に浸かるカピバラさんと紅葉

 

 

 屋内施設から出た私たち。深い霧が立ち込めていましたが、雨はすっかり上がっていました。

 ホッキョクオオカミのリベンジ撮影前に、屋外にいる動物たちを見ていくことにします。

 すると、この季節によく広告のネタにされる動物が。

 

f:id:Rayleonard-00:20201102200814j:plain

 

 「おや、いらっしゃい。どうだい、一緒にお湯でも」

 温かなお湯が張られた湯船に浸かり、すっかりご満悦のカピバラの群れに遭遇。

 

f:id:Rayleonard-00:20201102200941j:plain

 

 慌てる様子もなく、盤石といった様子で歩を進めるその様は貫禄さえ感じます。

 今回初めて知ることとなりましたが、カピバラは齧歯類、つまりネズミの仲間に分類されるそうです。その中でも最も大きい個体が、この子たちということです。

 

f:id:Rayleonard-00:20201102201148j:plain

 

 たまたま小学生低学年の少年と並ぶ場面があったのですが……。

 

 座った状態で人間の子どもの腰位の大きさです。言い方は悪くなりますが、デカいよねカピバラさん?

 全力突進なんてしたらヒトの子どもなんて吹っ飛ばす位余裕なのに、温泉浸かるイメージがすっかり定着する位だから飽く迄温厚なんですよねそうですよね?

 

 そんな私の思いなど関係なく優雅?に歩くカピバラエリアの真横。

 

f:id:Rayleonard-00:20201102201535j:plain


 先程まで降った雨が、雫となり、紅葉した葉を濡らしていました。

 ここ数年は気温の下がりが甘く紅葉もイマイチな年が続きました。紅葉というよりも枯れ葉をイメージさせるような茶色くくすんだ木々が多い印象でしたが。

 私の住む地域とほぼ同じ位置にある、ここ那須どうぶつ王国の楓は、曇り空を背景に朱い色を映えさせていました。

 

 もう少しすれば、里にも鮮やかな黄や朱が覆うことになるのだろう。

 霜や氷で覆われる前に。

 その年を必死に生き、最期に彩り華やかな衣装を纏いながら、やがて散っていく様を。

 私たちに見せ付けて、冬の訪れを知らせることになるのだろうな。

 

 

 さて、感傷に浸りながら那須どうぶつ王国での時間も少なくなって行く中。

 遂に、待ち望んだ時間がやってくることとなりました。

 

 次回、動く白い影。孤高のホッキョクオオカミ、推しを捉えられるか?

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

【車・趣味】まだ見ぬオオカミを目指して ~那須どうぶつ王国・その2~

 来週の気象予報で氷点下が示された為、先日タイヤをスタッドレスに交換し終えました。

 本日もユニクロのヒートテックの超極暖というものを初めて購入し、本格的な冬の訪れに備えを着々と進めている【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 那須どうぶつ王国のオオカミの丘、温帯エリアを抜けた私たちは、続けてウェットランドと称される場所へと向かいました。

 亜熱帯地帯に生息する動物たちが自由に暮らすそのエリアは、これまでのどの動物園よりも自由で、ある意味混沌ろする場所であることを、身を以て知る由もなく。

 

 それでは、オオカミを見る旅。続きを綴って参ります。

 

 

 

 

 阿鼻叫喚?亜熱帯エリア

 

 やってきたウェットランド。湿地帯を生活の場としたり、熱帯とまではいかなくとも温暖な気候の地に暮らす動物たちが活き活きと過ごすエリアは。

 何やら騒がしさのような、叫び声に近い鳴き声があちらこちらで木霊する賑やかさが出迎えました。

 鳥、ではない。キーキーという、甲高い鳴き声。

 これは、一体?

 

 その正体は、鳴き声だけでなく。動物園と言えば檻、という概念をなくしたこの動物園ならではの魅力でありながら、エリア一帯に阿鼻叫喚の如き混沌を齎すこととなっていました。

 その犯人は、動物に詳しくない私でも一発で当てることができる存在でした。

 私たちの足元を、目の前の木々を。

 来園者たちの背後や前を自由奔放に走り回っているその様を、見てしまったのだから。

 

 

 無双する犯人

 

f:id:Rayleonard-00:20201101194347j:plain

 

 「ドヤッ」

 威嚇しているのか存在誇示をしているのか。兎にも角にも、この一帯を支配(?)しているのが、このワオキツネザルたちです。

 こう言うと失礼ですが、元々私は霊長類。つまりサルやチンパンジーといった動物にはどうやっても可愛さや惹かれる何かを見出すことができず、基本的に放置やスルーしてきてばかりでした。どの動物園にも必ずいる霊長類には目もカメラも向けず、さっさと通り抜けるのが通例でした。

 

 ですが、今回取り上げるには余りある理由が存在しました。

 

 那須どうぶつ王国は、同じエリア内に数多くの動物が入り乱れ生活する自由と開放感溢れる動物園です。

 そのことが、これから紹介する動物たちの中に勝手に入り込み、(実害はなくとも)場を困惑させる様子が多々あり。

 失礼ながらも、思わず失笑する場面が多すぎたことにあります。

 

f:id:Rayleonard-00:20201101195404j:plain

 

 ワオキツネザルさんたち。もう少し落ち着いても、良いんだよ?

 

 

 

 色とりどりの鳥たちと陸上動物たちの楽園

 

 気を取り直して。

 このエリアは熱帯エリアの鳥たちよりも活発ではありませんでしたが、それでも各々の本能に従って生きていることを実感させられました。

 

f:id:Rayleonard-00:20201101195843j:plain

 

 水辺で悠々自適に過ごすのは、クロエリセイタカシギという鳥。小さくなったフラミンゴのように、華奢で細長い脚で胴体を支えています。

 

f:id:Rayleonard-00:20201101200123j:plain


 視線を上げると、木の上にはオニオオハシの姿が。胴体並みか、それ以上に大きな嘴が印象的です。

 なんとなく、ではありますが。どこかハワイやフィジーといった暑い国を思わせて。

 南国の象徴、と思えたのは……私だけ、かな。

 それはともかく、存在感がとてつもない嘴です。指を噛まれたら綺麗に無くなってしまいそう。

 嘴の触り心地って、どんな感じなのかな……なんて考えている私は、真っ先に喰われそうです。

 

f:id:Rayleonard-00:20201101200903j:plain


 オニオオハシが更に小さくなって、雀よりも少し大きい位の大きさのアカハシコサイチョウ。白を基調に黒が混ざった黒の羽毛を纏う身体に、真紅とも血色とも見える嘴。

 唯の小鳥じゃないぞ、と誇示するかのようでもありました。

 

 

 視線を地上に戻すと。

 

f:id:Rayleonard-00:20201101200728j:plain

 

 珍しい耳の形をと毛並みの色を持つ乙事主……ではなく、アカカワイノシシというイノシシがマイペースに地を踏み鳴らしていました。

 イノシシというと茶色や灰色というイメージが強いですが、この子たちはその他の通り(美味しそうな)狐色の毛並みを持っています。

 

f:id:Rayleonard-00:20201101200758j:plain

 

 耳も先の毛が尖っていて、まるでネコ科の一部の種に見られる珍しい形をしています。

 然れど、性格は穏やかで周囲を気にしないのでしょうか。カメラを向けようがスマホを向けられようが、来園者を見ることなく自由気ままでありながら、ゆっくり動き回っていました。

 尻尾を左右に思い切り振っている様を見るだけでも、喜んでいるのかリラックスしているのか。彼ら彼女らも我々も、ほっこりする一場面でした。

 

 
  来園当初より幾分気分が落ち着き、エリア内をくまなく見渡す余裕ができた頃。

 

 

 何やら、熱いやり取りが交わされている現場に直撃したようです。

 

f:id:Rayleonard-00:20201101203222j:plain

 

 孔雀の雌雄(夫婦、でしょうか?)が頭上に張られた木々の上で、熱い思いを伝えあっていました。

 

f:id:Rayleonard-00:20201101203423j:plain

 

 おっと。

 見ているだけで火傷しそうな情景が眼前で、躊躇うことなく繰り広げられていました。お熱いところ、失礼いたしました。

 

 鳥類はオスが派手な色合いの羽根を持り、その色合いや威勢の良さを見定めメスが……と言われていますが。

 クジャクのメスも、とても綺麗な水色と緑の羽毛に覆われていることを、この時初めて知りました。

 

 オスもメスも、綺麗で美しい。

 幼少期に憧れた、クジャク。

 その番を、こんなに近い場所で見られる日が来るなんて。当時保育園に通う前後だった私が、想像できる訳がない、と思いながら。

 

 私たちヒトと違って、綺麗だなぁ……。

 

 妙な感傷に浸る程でした。

 
 

f:id:Rayleonard-00:20201101205038j:plain

 

 見つめ合う二羽。

 しかし直後。

 

f:id:Rayleonard-00:20201101194347j:plain

 

 「待たせたな!」

 空気を読まないこいつらが乱入して、すっかり場が冷めてしまいました。

 飼育員の方が霧吹きを持って必死に持ち場に戻るよう誘導されていましたが、後の祭り。

 雰囲気をぶち壊しても走り回るワオキツネザルたちの奔走ぶりは、思わず失笑ものでした。

 

 

 大きいネコ?ジャガー親子

 

 放し飼いエリアの途中、何やら人だかりが。スマホを片手にする人々が盛り上がっていました。

 何がいるのだろう?と思った矢先のこと。

 

f:id:Rayleonard-00:20201101205829j:plain

 

 「こ、こんにちは」

 

 !!!

 ジャガーの子どもが、縦横無尽に走り回っている場面に出くわしました。

 子どもと言えど、肉食獣の頂点に立つ者。先程の動物たちとは隔離され、狭い檻の中でつぶらな瞳をこちらに向けていました。

 

f:id:Rayleonard-00:20201101210520j:plain

 

 なんて綺麗で、優しくて、真っ直ぐ表情なんだろう。

 人間の世界なら……腐敗と汚さで塗れた社会を知る前の、好奇心と純粋さで溢れている頃、とでも言えば良いのでしょうか。

 

 実はこの写真は、最初に見かけた檻の隣で撮ったものです。

 束縛を絶ち自由を優先するかのように造られた、那須どうぶつ王国。

 檻はあっても木々が張り巡らされ、他の区画へと自在に行き来できるよう工夫がなされており、好奇心旺盛な子どもの猛獣もストレスなく過ごせるように設計されていました。

 

f:id:Rayleonard-00:20201101210329j:plain

 

 それがこれです。

 壁越しにこちらを見ているようで、なんだか、遊び疲れて眠そうな目をしています。

 きっと、この後眠りに付くのでしょう。大草原を、誰にも邪魔されずに走り回っている夢を見るのかもしれません。

 

 すくすくと成長して、大人になって。いつまでも元気でいてね。

 そんなエールをこの子に送った、その横では。

 

 

f:id:Rayleonard-00:20201101211430j:plain

 

 「騒がしいけど、眠いから煩くしないでもらえない?」

 ……わぁお。先程の子のお母さんです。

 開いた片目だけでも、威厳だけでなく。「これ以上騒ぐなら、わかるわね?」と言わんばかりの威圧。

 体勢こそお休み寸前ですが、ネコ科の中でもライオンに次ぐ大きさを誇る体長を誇るジャガー。

 

f:id:Rayleonard-00:20201101214048j:plain

 

 ……えー、完全に休戦姿勢ではありますが。靭やかな上腕で殴られても鋭い牙と共に開かれ噛み砕かれる顎は、とても人間が耐えられるものではありません。

 

 しかし、何でしょう。強かさで余裕を見せながら、相手を手玉に取ることなど造作もないと暗に主張しているようなお姉様のような気怠さの中に垣間見える強健さとも、凶暴さとも言えるような。

 

f:id:Rayleonard-00:20201101220352j:plain

 

 「理屈なんてどうでもいいのよ、人間さん。じゃあ、お休みなさい」

 野生の強さ。

 それを見せながらも目を瞑る、屈強な精神。

 

 

 私たちヒトは、備わった力は対して強いものではありません。

 その弱さを、発達した頭脳を用いて武器を作り、集団戦という戦術を考案し、今日まで生き永らえて来ました。

 

 私たちとジャガーの親子とは、きっと相見える時はないと思います。

 

 それでも、喩えガラス越しであっても。

 こうして向かい合えるのは、現代に生まれ技術が発展したからこそ実現したということを、忘れてはならないと思う瞬間でもありました。

 

 動物園だから、安心して動物たちを見られる訳ではない。

 安心と安全を最優先に思慮し、熟考し、来園者に危害が及ばないよう十分配慮を重ねられたのが、今の動物園なのだと。

 

 園内を巡る間にも、グズる子どもや動物を撮影しようとスマホ片手に騒ぐ御仁もいらっしゃいました。

 騒ぐ為でも、子どもがグズっても何も言われないのが当たり前だと勘違いしていそうな方々を見て、冷たい目で見据える私がいることを自覚して、思うのでした。

 娯楽施設かもしれません。ですが目に見えない所で、沢山の努力が重ねられていることを、忘れてはいけないと。お金を払っているのだからという詰まらない理由で、何をしても構わないと思うのは的外れな考えなのではないか。

 

 オオカミを見る為という身勝手な理由で訪れた私が、そのような妙に堅苦しく冷徹な思いを抱く時間がありました。

 束の間ながら、しかし確実に。

 

 

 さて、亜熱帯エリアを抜けた私たちは、妙な人だかりに出くわすこととなりました。

 その理由は、世間では話題になっていながら。ニュースを見ない私には、想像も付かないものでした。

 

 

 次回、スナネコの赤ちゃん。貴女は犬科とネコ科、どちらがお好きですか?

 

 

 今回も最後までをお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

【車・趣味】まだ見ぬオオカミを目指して ~那須どうぶつ王国・その1~

 吐く息も、日を追うごとに白くなってきました。

 十三夜の月が綺麗に見える窓際に立ちながら、明日は更に着込まないといけないかなとため息を吐いている(現在6枚重ね着中の)、【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 目的地が近づくに連れて、雨が上がると共に霧が立ち込めるようになっていく中。

 今回の目的地である那須どうぶつ王国へ辿り着き、目的としていたオオカミを拝む瞬間が近付いて参りました。

 

 その第一弾として、本記事を綴って参ります。

 

 

 

 

 人にも、動物にも近づくことも怖がっていた私

 

 本旅の目的地の那須どうぶつ王国。実は「国内 オオカミ」と検索するまで、存在すら知らない動物園でした。

 

 幼少期は母に、祖父母に連れられ何度も赴いた動物園。

 思えばその頃は怖がるものなど何もないという勢いで、動き回る動物たちを見て、吼えたり鳴いたりする彼らと同じようにキャッキャしていた記憶があります。

 特に思い出深いのは、色鮮やかな羽を持つ孔雀でした。誇らしげにバサッと音を立てながら立派な羽根を広げる様を見て、見惚れるようにしながら興奮していた思い出が、今も瞼の裏に蘇ります。

 

 しかし、歳を取り自我が芽生えていくに連れて、私はすっかり臆病になっていました。

 元々飽く迄客観的に、遠くから見たり写真で見ることとは好きな私には、この目で、この身で動物たちと相見えることに対しては怖いという思いを抱えていました。

 

 それが、それこそ紆余曲折を経ることで。

 どれだけ偉大なヒトよりも、崇高とすら思えるようになったオオカミを、この目で見たい。写真では気高いながらも獰猛さを発する彼ら彼女らに、直接会いたい。

 そんな思いを胸に秘めて訪れたのが、那須どうぶつ王国でした。

 

 ホッキョクオオカミを、初めて展示し始めたその地に。

 いよいよ、私たちは降り立ちました。

 

 

 

 那須どうぶつ王国

 

  この動物園はこれまで訪れたそれとは少し異なり、訪れる者には半屋内施設として、天気に左右されることなく園内を自由に行き来できる仕組み。反対に動物たちはそれぞれの特性や好みに応じた広い敷地に放し飼いされているという、珍しい造りをしていました。

 私たちが到着した時間は小雨が降っていましたが、傘をお守り代わりに持ち歩く程度で済んだことは斬新的でありながら新鮮で、来園する者にとってとても有り難い計らいとも言えるものでした。

 

f:id:Rayleonard-00:20201030220111j:plain

 

 そのままチケット売り場へ直行、入園料を見て驚きました。

 地元の動物園は、安い所で大人一人500円という場所もありましたが、まさかの2000円超えという高値。

 入園料にしては都会のそれ並みか、少し高いかも……とすら思ってしまいました。

 が、それも一瞬のことでした。

 あらゆる動物が、自由奔放に行き交う光景を目の当たりにした瞬間。

 

 お金が全てではないことを、すぐに理解することとなりました。

 霧が舞う、海抜750mの動物園。私が住む地域よりも高い場所に位置する那須どうぶつ王国は、そのような矮小な思いを掻き消す魅力に溢れていることを、駐車場に愛車を止めた時には知る由もありませんでした。

 

 

 

 ホッキョクオオカミが目の前に!が……

 

 出入り口ゲートを通過し、私の欲求はすぐに行動となっていました。

 考えるよりも先に、という言葉。私にとって、多分きっと、初めて味わう感覚だったのだと思います。

 ホッキョクオオカミが飼育されているエリアを示す道を、高鳴る鼓動と思考が止まった、本能と共に。

 

 北アメリカゾーン「オオカミの丘 Wolf hills」と名付けられたその場所。

 昼過ぎ直後で人影も疎らなそこは。

 

f:id:Rayleonard-00:20201031185408j:plain

 

 オオカミでも自由に動き回れる、自然を最大限に模した、広々とした敷地。雨に濡れた芝や木々、艶めかしい色を放つ岩。

 それだけでもため息が漏れる程でしたが、私は目を見開きながら眼前の景色を食い入るように見つめ続けていました。

 この敷地に、私が追い求めてきたもの。

 極寒の地、北極を気高く生きるホッキョクオオカミの姿を見る為に。

 

 そして、敷地の端。小さく丸くなった、白い身体を見つけました。

 

f:id:Rayleonard-00:20201031190539j:plain

 

 い、いた。オオカミが、ホッキョクオオカミが。

 この目で、遂に、遂に……!

 

 しかしながら、雨降りの中少し寒くなっていたのでしょうか。身を丸めてウトウトしている様子でした。

 

f:id:Rayleonard-00:20201031190719j:plain

 

 あ、おはよう。とばかりに目を開きました。ですが、動こうという気配は感じられません。

 寧ろ眠気眼というか、夢うつつといった様子でした。

 これだけだと大きな白い犬の様にも見えてしまい、想像していた孤高で格好良いという印象が吹っ飛んでいました。逆に言えばオオカミと言っても、野生の動物。可愛い一面もあるんだ、と頬が緩んでしまいました。

 

f:id:Rayleonard-00:20201031191120j:plain



 奥にもう一匹いましたが、こちらも月曜日の朝を迎えて虚ろな目をする社会人のような、気怠げさを全開にしていました。

 うん、これはこれで良い。良いんだけど……!

 

 もっと活発に動く君たちの姿を、見せてほしい。

 

 身勝手な思いと、彼らが敷地内を歩き回る様を拝めることを願いながら、一度この場を離れることにしました。

 

 一度で駄目なら、何度でも。チャンスが来るまで、何度でも。しつこいと思われても、気持ち悪いと思われても、構わない。

 推しの子たちを見るのであれば、唯では帰らない。

 昔のように、簡単に諦める。潔いとも言えそうで、期待を簡単にゴミ箱へ捨ててしまうことは、もうなくなっていました。

 

 

 適度な温度に保たれた温室内を自由に行き交い、伸び伸びと過ごす動物たち

 

 次は熱帯地帯に生息する動物たちがいる、室内展示場に足を運びました。適度な温度と湿度に保たれたそこは、冷え切った外の世界とは無縁とも言えました。眼鏡がすぐに曇ってしまい、カメラのファインダーを覗くのにも一苦労でした。

 

f:id:Rayleonard-00:20201031192134j:plain

 

 こちらは臭い放屁を放つと悪い印象が根付いているスカンク。小動物というだけあり、機敏に動き回ります。たまたま給水するタイミングをお目にかかれたのですが、毛並みも綺麗でフワフワな印象でした。

 

f:id:Rayleonard-00:20201031192529j:plain

 

 ミミズクの子ども、恐らく兄弟でしょうか。寄り添って離れようとしない様は、仲の良さを連想させるには簡単なことでした。

 小型でありながら、猛禽類。その目は鋭く、嘴と鉤爪は子どもながらも、夜の空を支配する者に相応しい。

 

f:id:Rayleonard-00:20201031192908j:plain


 「ん?誰、君たち?」

 大きく見開かれた目は、幼さのような、あどけなさのような。大人への階段を登っている最中です、という様子のこの子たちを応援したくなりました。

 

f:id:Rayleonard-00:20201031193743j:plain

 

 「!!」

 その時、二羽が同時に同じ方向を向きました。同調しているかのような様は、彼らの繋がりの強さを思わせるものがありました。

 ゆっくり、大人になっていってね。

 

 

 視線を移すと、敷地内はまだまだ多くの鳥たちが私たちを迎えてくれました。

 

f:id:Rayleonard-00:20201031194212j:plain

 

 他の動物園にもいることもある、ハシビロコウ。あまり動かずにじっとしている印象が強くありましたが、ここにいる子は比較的首を動かしたり動いたりと、割とアグレッシブでした。放ち飼いの環境が、やはり違うのでしょうか。

 

f:id:Rayleonard-00:20201031194313j:plain

 

 こちらはヒロハシサギ。頭の大きさに対して、大きな瞳が特徴です。

 

 

f:id:Rayleonard-00:20201031194347j:plain

 

 色艶やかな子がいました。熱帯地帯に生きる鳥ということで艶めいた青と紫の羽毛を持つこの子、実はオウギバトというハトの仲間だそうです。

 大きさを二周り以上小さくした孔雀のようにも見える華やかさ。青という色は、それだけでもヒトを惹きつける魅力があるのかもしれません。

 

 そして。

 

f:id:Rayleonard-00:20201031195553j:plain

 

 「やあ」

 

f:id:Rayleonard-00:20201031194708j:plain

 

 「いらっしゃい」
 アビシニアンワシミミズクという、砂漠地帯に生息するミミズクのお出迎えです。

 微動だにせず、真っ直ぐこちらを見据える様は、流石夜のハンターと言えば良いのでしょうか。

 唯でさえ過酷な砂漠地帯に生まれ、飲水にも食べ物にもありつけるか難しいのに。

 そのブレない瞳は、強さの現れなのか。

 

 些細な変化で右往左往し騒ぎ立てることしかできない、私たちヒトと違って。

 彼らはこの世に生まれた瞬間から、生きる強さと意志を持って、生きている。

 

 そんな我々の弱さを貫くような、ひたすら真っすぐな目線でした。

 

 

 室内の温かさと触れそうなまでの距離にいる動物たちと触れ合いほっこりした私たちは、次なるエリアへと足を運んでいきます。

 そこは、さらなる喧騒と忙しさが広がっていました。

 来園者の存在すら無視するように、走り回る影の正体は……。

 

 次回、無双する影たち。

 見えぬその影を、抜き去れ、Lupus。

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

【車・趣味】まだ見ぬオオカミを目指して ~いざ、那須塩原へ~

 今年も残るところ、二ヶ月を割る寸前まで来ました。来週は氷点下が予想されていることを知って愕然としながら、週末には車も自分も、本格的な冬支度をしなければと意気込んでいる【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 新潟の旅を終え、現実を忘れられる時間から現実へと戻り意気消沈しておりました。

 

 楽しい時間は、あまりにも儚い。

 過ぎ去る時間は、どんな時でも同じ24時間なのに。一切の感情を得ない現実は、あまりにも無味で彩りもない。

 刺激が、少なすぎる。

 

 自分の感情を湧き立てる、大きな刺激が。

 

 今回はそんな退屈な日々を送りながら、私はさらなる刺激を求めて奔走するかのように情報収集していた中。

 自分でも驚くような、しかし邂逅とも呼べるものを見つけ出すことができたこと。

 そして、これまで人任せのばかりだった私が、初めてといっても過言ではない旅に出たことについて、綴って参ります。

 

 

 

 

 愛車にも冠した、オオカミという存在

 

 私は元々犬科の動物が好きで、ケモノというジャンルでも好んで閲覧し、また自分でも描いて参りました。

 

f:id:Rayleonard-00:20201028210440j:plain

 

 そして連載が終了してしまった、「BEASTARS」の主人公を務めるレゴシもまた、ハイイロオオカミとしてその生き様が作者さんによって描かれました。

 

 日を追うごとに、私は犬科の動物を。ひいてはオオカミという存在に憧れるようになっていきました。

 愛車の愛称にオオカミを示すラテン語の「Lupus」を冠し、高校生時代から書いている小説の主人公も、本ブログでも公開した小説も、主役をオオカミにする程。

 私の中で、オオカミという存在は憧憬であり。過去にはヒトとして生まれたことを後悔させられることを何度も味わう内に、ヒトへの関心よりもオオカミに対するそれが凌駕するようになっていきました。

 

 数多くこの世界に生きる動物たち。その中オオカミは孤高でありながら仲間に対しては無類の愛を注ぐ存在です。

 時には毛皮の材料として、また別の時には害獣として駆逐されてきた歴史があります。 かつては日本でも存在した彼らは、伝染病やヒトによって駆逐されたことで姿を消してしまいました。

 

 残存するオオカミも年々数を減らし続けており、今では逆に生息数を増やす活動が外国では行われていると聞きます。

 

 

 国内でも数少ない、オオカミをこの目で見たい

 

 

 そんな彼ら彼女らを、この目で見られる絶好の機会を見つけ出すことができました。

 

 現在日本国内の動物園でオオカミを見られる場所は、そう多くありません。その中でも国内初となる、純白の毛並みに身を包んだホッキョクオオカミが見られる那須どうぶつ王国の存在を知りました。

 

 新潟の旅を忘れられず、喪失感に苛まれるかのようだった私は思わず、「たーぼぅ」さんに打診していました。

 

 オオカミを、見に行きたい。

 

 思えば車のSNSで知り合って数年、多くの場所へ共に行った仲となりましたが。

 私が自ら、ここへ行きたいと明確に、我儘のように申し上げたのは、これが初めてでした。

 私の進言にも、たーぼぅさんは快諾してくださいました。

 

 今回はたーぼぅさんは電車で。私は愛車Lupusを駆りながら。

 目的地となる那須塩原へと、向かうこととなりました。

 

 

 オオカミのいる那須塩原へ、愛車Lupusで駆け抜ける

 

 此度の旅も、前回と同じく順風満帆とはいきませんでした。

 上陸すれば今シーズン最大の勢力となると言われた、台風14号が接近していた為です。

 

 旅行の一週間ほど前から、天気予報とにらめっこする日々が続いておりました。

 前日までは晴れなのに、丁度旅の日は大雨と強い風が予想され、変わることはありませんでした。

 嫌な予感ばかりが募りました。

 本当は土曜日に移動と動物園巡りをし、翌日はまったりと帰宅する予定を組んでいましたが。

 最悪日曜日にオオカミだけ見て、急ぎ帰還することも想定していました。

 

 ところが、でした。

 

f:id:Rayleonard-00:20201028214135p:plain

 

 台風って、そんな動きするんです??

  思わぬ動き方を描く進路図を見て思わず「えぇ……?」と苦笑いしましたが、当日はそれでも刺激された秋雨前線の影響で断続的に雨が降っていました。

 

 最初の合流地点、高崎駅からほど近い倉賀野駅で落ち合います。

 

tabouaxela.hatenablog.com

 

 たーぼぅさんのブログでは、我が相棒Lupusを「スカイアクティブ1.5D(改)」と称されていて、クスッとしてしまいました。

 パッと見はノーマル+α止まりの見た目ですが、車体価格以上のパーツを導入し、チューニングを施し、徹底的に私好みの運動性と足回りに仕上げた相棒は、ノーマル状態では味わえない性能に纏まっていると自負しています。(親ばか心も含めて)

 

 そのまま関越道を行き、途中で北関東自動車道、そして東北自動車道と乗り継いでいきます。

 

 心做しか。目的地に近づくに連れて、雨が弱まっていくようでした。

 

 

f:id:Rayleonard-00:20201028221859j:plain

 

 お昼時直前で宇都宮SAに辿り着くことができ、ここで昼食を摂ることに。栃木と言えば、というつもりはありませんでしたが、餃子定食をいただくことにしました。

 午後の行動に向けて英気を養いつつ、控えめでしたがニンニク臭がマスクの中で渦巻き。量自体も少々多めだったことで、満腹感を通り越して眠気を催す程でしたが、満足のいくご飯を食べ終えて。

 

 私たちの旅は、まだ続いていきます。

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

【車・趣味】秋の新潟 ~ありがとう、新潟。また来ます~

 この週末は、久方ぶりの秋晴れに恵まれました。夕暮れに染まる大地、反射するように煌めく紅葉。

 寒さも日に日に厳しくなっていく中、ここ数年では秋らしさを堪能している【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 いよいよ、新潟旅行も終わりが近づいてきました。初の船旅、新潟の名所巡り、佐渡ヶ島での時間。

 今回はそれらを思い返しながら、本州への帰港にて乗り込んだ旅客船。ゆっくり寛ぐ時間さえも、あっという間に過ぎ去ったこと。

 そして、本降りの雨が降りしきる中フォーリングしながら旅の終わりを迎えたことを、綴ってまいります。

 

 

 

 

 最大定員1500人を誇る旅客船、ときわ丸

 

 直前の座席変更も叶い、いざ乗り込むのは旅客船・ときわ丸。就航開始から7年弱という、比較的新しい船でした。

 

 

f:id:Rayleonard-00:20201025180648j:plain

 

 1階と2階は車両を搭載する区画となっており、3~5階が客室や売店、アミューズメントエリアといったお客さんが自由に出歩くことができる構造をしています。6階部分は操舵室で立ち入ることはできませんが、その様はホテルとも、小さめのショッピングモールとも呼べる豪華さと広さを有していました。

 

 今回私たちが急遽座席(客室?)変更したのは、一等船室のイス席と呼ばれる場所でした。

 

f:id:Rayleonard-00:20201025182449j:plain


 全席指定席で、適度に離れた席同士。

 混雑時の座席争奪戦となる自由席や、がらがらの指定席なのに何故か隣に座られることが良くある新幹線とは一線を画していました。

 

 そしてこのソファーのような座席、フルリクライニング可能という豪華仕様。

 

f:id:Rayleonard-00:20201025182238j:plain

 

 だらしない私の脚が映っておりますが、ここからさらに座席を倒してベッド代わりにすることも可能です。

 船室内も穏やかで、子どもがはしゃぐ声も聞こえてきません。さざなみの音を聞いてリラックスするも良し、自分好みの音楽を聞きながら完全に横になるのも良し。

 佐渡ヶ島での旅を終え疲れていた私たちには、勿体ない程でした。

 

 隣に座るたーぼぅさんが船内を探索に行くとおっしゃいましたが、私は唐突の疲弊感と睡魔に襲われていました。

 通勤で重宝しているノイズキャンセルイヤホンが、ここでも大きな役割を果たすこととなり。私は眠るとまではいかなくとも、目を瞑って暫しの安らぎに身を委ねるのでした。

 

 どれ位の時が経ったか。

 気怠さと共に身体を起こした私は、ニコチン補給の為に喫煙所へ向かうと共に、船内を見て歩くことにしました。

 

 喫煙室へは、二等船室の脇を通っていく必要がありました。そこで、一等と二等の差を垣間見ることができました。

 二等船室も一等船室と同じくイス席と絨毯席に分かれていましたが、絨毯席のそこは家族連れの子どもたちが疲れ果てて眠っていたりはしゃいでいたり。或いは一人旅の方が自分の領域を自ら確保して雑魚寝していました。

 人、特に見知らぬ人と同じ空間にいることを苦手とする私は、思わず「一等船室に変えて正解だった」と零していました。

 

 

 私は元来、近すぎる人との距離感は苦手としています。今もそれは健在で、場合によってはたった十数分という時間であっても、何となく自分という領域を侵されている。

 そんな錯覚に襲われると同時に、真っ先にその場から離れることに躍起になります。

 20代、いや10代後半の頃からか。

 自分ではなく他人を排除しようという間違ったやり方を試みて、当然の成り行きと言わんばかりに失敗してばかりきました。

 その度に自己嫌悪し、他人が嫌いになって。頼むから、一人にしてくれ、だなんて身勝手な思いを抱えながら、いつも憤ってばかりでした。

 三十路を超え、ようやく自分の内から湧き出る思いや環境に対する対処法……処世術とも言えるかもしれませんが、自分なりの答えを見出だせてきた気がしています。

 人との距離を保つなら、出来得ることを全て行う。お金が掛かっても、傍から白い目で見られようが、自分が良いと。心地良いと思えることなら、惜しまない。

 

 当初の計画である二等客室の絨毯席を、個の領域を確保できるであろう一等船室にして欲しいと懇願したのは、こういった所にあります。追加料金が1000円で済んだということも大きかったです。

 

 無論、人との距離感や人の存在を気にするか否かは千差万別。私は耐えられなくても、子どもがはしゃいだりグズる空間でも眠れる方もいらっしゃいます。

 それは比べるものでもなんでもない。寧ろ、比較して自分を繊細だとか、「雑魚寝とかありえない」とか、そんな風に見下すことはしてはならないと思っています。

 

 人は人、自分は自分。

 

 私の思惑は置き去って。

 歩き回った船内は人も疎らで、アミューズエリアやスナックコーナー、開放されたイベントプラザもガラガラ状態でした。

 

 コロナ禍でなければ、より沢山の旅行客と活気、そして賑わいに溢れていたのだろうな。

 

 そんな思いを懐きながら喫煙所に辿り着いた私は、煙草の紫煙を吐いていました。

 窓の外は、雨を齎すであろう黒い雲に覆われる様を見ながら。

 

 

 

 風が吹き荒れるデッキにて、思いを語り合う

 

 

 船に揺られること、二時間が経つか否かの時でした。

 最高でも19ノット、時速換算約35キロとジェットフォイルの半分以下の速度で航行する旅客船は、新潟港に辿り着くまでまだ時間がありました。

 

 二回目のニコチン補給をしようと身体を起こした時。隣に座すたーぼぅさんも仮眠を終えたようでした。

 船室内は休んでいる方もいらっしゃったので、私たちは二人で船内を再び探索することにしました。

 

 船室を出た船内は静まり返っていました。船室を出てすぐの場所にある、佐渡汽船の歴史を語る展示スペースに立ち寄りながら、デッキを目指しました。

 

 ジェットフォイルでは船外に出ることは禁止されていたこともあり。この旅で味わえた、船旅の思い出を、この身に、肌に記憶する為に。

 

 デッキへ出る重い扉を開け放つと、静かな船内とは裏腹に叩きつけるような風と、まるで舞い散るような潮水が私たちを待ち構えていました。

 肌寒さと険しさの風。船のショックアブソーバーとスタビライザーが全力で働き快適な旅を齎していたことを理解する瞬間でした。

 

 荒波に抗うようにして進み、横風をも跳ね除けるかのように邁進する旅客船。

 そのデッキに佇む、私とたーぼぅさん。

 

 荒い風を感じながら、私たちは自然と思いを語り始めていました。

 

 私は、外に出ることを。人と触れ合うことを怖がるあまりに籠もる毎日を送っていた。それが車という共通の趣味を切っ掛けに人と対峙することを少しずつ克服し、遂には船旅をするまでに至ったことを。

 その中で多くの人と出会って、それでもこうして旅を共にできる人は、私には少ないと。

 

 私の謝意を聞き入れていただく一方で。

 旅は、その時々で全く別物になり得る。移動手段も季節も、そして気象にも簡単に左右される。

 だからこそ行けた場所は、写真に収めていきたい。自分なりの、良いと思った構図に切り取って。

 

 友の言葉に、私も頷きながら笑っていました。

 

 そして、新潟港へ間もなく到着するアナウンスが聞こえてくる頃には。

 

 風、心地良いですね。

 どちらかが言ったかわからないその言葉に、私たちは湿気る海辺を見続けていました。

 

 次に来られる時が、あるとするなら。

 平穏な水面であることを、願いながら。

 

 

 新潟から最寄りのサービスエリアにて、夕食と別れ

 

 程なくして新潟港に着岸した旅客船。我先にと出口に向かう方々を尻目に 、私たちは最後までまったりと過ごすことを貫きました。

 私たちに残されたのは、各々の場所へ帰る帰路だけ。焦る理由は何もありません。

 

 船を降りてから互いの愛車に乗り込み、賑わいが冷め始めた新潟市内を抜けながら関越道に乗り、私たちは撤退していきました。

 

 今年はどちらかの車でという旅行が多かったこともあり、久しぶりのフォーリングを楽しみました。

 疎らな高速道路を駆け抜ける高揚感、力強い愛車たちの唸り。私にとって、こういう時間が幸せなのかもしれないかな、とも思える程でした。

 時を忘れて、仕事を忘れて、イライラも鬱屈も葛藤も、全部忘れて。

 

 その後暫く走り、最寄りのサービスエリアで夕食を摂ることになりました。傍からすれば贅沢な海鮮丼だった昼食を食べられずにいた私には、安い訳でもなく普遍的な定食がどれだけ有り難いことだったか。昼食の分まで貪るように、ハンバーグ定食を掻き込んでいきました。

 

 食後の、暫しの休み。フードコートも客はポツリポツリ、情報を垂れ流しているテレビからの音がやけに大きく感じる程の座席で。

 話したいことは、沢山ありました。時間が許されるのなら、いつまでも話したいと思うばかりでした。

 

 でも、こういう時に限って、思っていることが言葉になりません。ブログでは馬鹿みたいに書く癖に、やっぱり私は話し下手です。

 

 多分、きっと。

 友といる時間を、ずっと過ごしていたいという幼稚な願いが駆け巡っていたのだと、今は思います。

 

 ずっと独りで。独りでいることに慣れて、人と共にいることを望まなくなったこんな私が。

 一緒に旅をする、自慢の友人が目の前にいること。

 それだけで、私は良かったのだと思います。言葉は要らない、そんなことを感じながら。

 

 しかし、時間という限られたものは容赦なく、情けをかけることもなく。誰にでも平等に流れていきます。

 幾許かの時と話を終えた私たちは別れ、各々の帰路に就くこととなりました。

 

 目の前が暗夜と大雨で見えない道を。ひたすら、駆け抜けるようにして。

 

 

 ありがとう、新潟。また来ます

 

 二泊三日の新潟の旅は、こうして終わりました。

 行動範囲が狭い私には、初めて尽くしの旅行。隣の県なのに、知らないことやまだ見ぬものが沢山ありました。

 

 これからは冬となり、車での外出も危険さがより増す時期となって参ります。

 

 だから。冬を越えて、雪や氷が溶けた、来年の春先以降には。

 もう一度、新潟の地を訪れたいと願っています。

 

 いや、願いだけじゃない。

 また行きたいという、私の我儘とも欲望とも言えるものが、胸と脳裏に焼き付いています。

 次に行く時は。普段人任せな私が、自分が行きたいと思う場所を見出して、プランに組み入れていく。

 そんな思いを懐きながら。

 

 さようなら、新潟。また来年、行かせていただきます。

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

  

f:id:Rayleonard-00:20201026193428j:plain

【車・趣味】秋の新潟 ~夫婦岩、そして帰還へ~

 近頃は週の後半に天気が悪くなる日が続いています。

 穏やかな雨は気持ちを落ち着かせてくれますが、叩きつける激しい雨音は不安だけでなく気を滅入らせるような。そんな精神の境を行き来していてどうにも落ち着かない日々を送っている、【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 今は、雨も止んで週末前の喧騒も収まり、ただただ静かな空気が流れています。

 佐渡を回り終えた直後の、穏やかでありながら旅の終わりを感じて。妙な安心感のようにであるように思えて、しかし寂しさとも、虚しさとも思える心境。状況は、あの時の旅の終焉のそれと似通っています。

 

 

 今回は、連日載せて参りました、佐渡ヶ島と新潟旅行の最後の記事を綴って参ります。

 時間はより加速するようにして、佐渡の名所巡りに終止符が打たれ。本州への帰還。初めてとなる旅客船内、そして残滓と呼ぶには激しい雨に見舞われた新潟からの帰路。

 初めてが多すぎて言葉にできないことばかりでしたが、最後までを自分なりの言葉で、その時の思いを綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 子沢山?な夫婦岩

 

 佐渡金山遺跡にて機械成分を堪能した頃、時間は既にお昼を過ぎていました。

 眠気と空腹が脳内に溢れ出す頃、この日のお昼ご飯を用意してくださった場所へとツアーバスが到着します。

 

 そこでは現地の方がお待ちしており、簡単にその場の説明をしてくださいました。

 

 夫婦岩と呼ばれる、荒波と風が削って出来上がった天然の岩たちです。

 

f:id:Rayleonard-00:20201024182903j:plain

 

 写真の右側がお父さん、左側がお母さんと呼称されているようです。

 二つの岩が向かい合うように、寄り添うようにしている様は、円満な夫婦のように見えることから、その名が付いたとのことです。

 私には夫婦のというものが今も理解できずにいますが、波風に晒されながらも未来永劫向き合い続けるその様は、この岩たちは私たち人間よりも遥かに強固な関係で結ばれているのかもしれません。

 また写真の左側にはお子さんもいらっしゃるそうで、長男や長女、次男と次の世代へとその固い関係を連ねているとのことでした。

 更には手前の小さな岩は、孫岩としてお孫さんとして親しまれているとのことでした。

 

f:id:Rayleonard-00:20201024185920j:plain

夫婦円満と呼ばれる様を、私は知りたい。この目で、見てみたい。

 

 数百年、数千年の時を経ながらも、着々と自然も子孫を残しているかのように見えました。そういう意味では、現代少子化が叫ばれることを鑑みれば、我々ヒトよりも着々と次世代に向けて子を育んでいる、とも言えるのかもしれません。

 個人的に一番触れられたくない、結婚や家族という話を振られた途端に嫌悪感を抱く、例えば私のような人間よりも、ずっと。

 

 そんな自分の思いは、旅には不要なもの。無理やり振り払うようにして、自然が創り上げた海岸沿いの風景を写真に収めていきます。

 

f:id:Rayleonard-00:20201024190009j:plain


 夫婦岩の更に先の、せり出た岩肌には上陸しているしている人の姿も見えました。

 時間がもっとあれば、いつまでも見ていたい考えに駆られました。

 

 正確には、この情景から発せられる思いのようなものを感じ取りながら、私なりの思いを馳せたかった、といった方が正しいのかもしれません。

 

 相手は無機物、何の感情もクソもないと言う方もいらっしゃるかもしれません。もしくは目に見えるその姿こそが全てで、それこそが美しいと仰る方もいるでしょう。

 

 でも。私は妙に、センシティブな思いに耽ってばかりでした。

 海の中に聳えることとなった、岩たち。人工物のように整備されたり守られたりするようなこともなく、彼ら彼女らは独りで立ち向かってきた。

 倒されないように、壊されないように。岩として生まれ、削られる運命にあったとしても。

 自分という存在を、掻き消されないように、必死に。暑さも寒さも、時代をも乗り越えて。

 夫婦岩として名所とされ、今の姿がある。荒削りだからこそ、時代を思わせ、その傷を想像させる。

 私たちヒトにはとても耐えられないであろう思いに、私は一人感化されていました。

 

 願わくは。この先、十年も百年も、更に未来でも。変わらぬ姿を残してほしいと勝手に願うと共に。

 いつの日か、この身が果てる前に、もう一度見に行きたい。そんな感情に支配されるのでした。

 

 

 

 

 佐渡の各所を巡り、時間は無慈悲に帰港便に迫って

 

 

 眼鏡越しに見る日本海、夫婦岩。

 友以外の、周りのツアー客の声。先の佐渡金山遺跡を見てからか、妙に高揚した声が響く中、私は聞こえない振りをしていました。

 否、無理やり遮断して一人でいたいことを望んでいましたが。

 時間はお昼時を少し過ぎた時刻を示していました。ツアーのメインの一つである、昼食の時間でした。

 

 佐渡、新潟と言えば新鮮な海産物。それを丼に詰め込んだ海鮮丼が、本日の目玉でした。

 

 しかしながら。

 本ブログでも度々話題にさせていただいています通り、私は海産物は大の苦手。苦手を通り越してとても食べられません。

 漂う磯の香り。人によっては心地好いのかもしれませんが、私には耐えられない臭いとなってしまいます。

 

 

 数十年前、中学校での地引網が主目的となった臨海学校。一泊二日の修学旅行のようなものでしたが、海のものが苦手な私には地獄でしかありませんでした。

 海岸中に広がる、磯と引き上がられた海産物が(失礼ですが)腐っていくような臭い。当時はクラス単位ではなく学年単位での旅行でしたが、皆が海水浴を楽しむ中。

 臭いにやられ、同級生なのにヒトの波に酔った私はすっかり気持ち悪くなってしまい、独り浜辺で彼ら彼女らが楽しむ様を見るという、同い年なのにさながらプールの監視者のようなことを半ばやるような体たらくでした。

 

 楽しそうだな。ワイワイ、わちゃわちゃ。

 ……でも、私はいいかな。一人で、海を見ている方がいいや。

 クラスが、学年が地引網していようが、何していようが。何十分でも、何時間でも、海を目の前にしているだけで私は満足できそうだ。

 

 

 そんなしょうもない思い出はともかくとして。

 事情を知ってくださっているたーぼぅさんの図らいで、メインの海鮮丼をソースカツ丼に変えていただいたことで、難を逃れることができました。

 

 幸いこの日はツアー客が周りを気にしない方ばかりだったこともあり、奇異の目を向けられるようなことはありませんでした。

 私の他にも、生の海鮮は苦手とおっしゃっている方のお話しを片耳に挟みました。

 

 人間誰しも、好き嫌いや得手不得手は必ずあると私は思っています。

 食べ物だけに限らず、お酒の種類、飲み物の甘さの加減。

 だからとは申し上げません。ですが、押し付けのように「海鮮が上手い所に行ったのなら、食べなきゃ損」だとか。

 「あんな上手いもの食べないなんて、何食べんのよ」だとか。最悪の言葉は、「食べないだなんて、生きてて損だよ」。

 

 良いんです、損していたって。私は食に価値を求めていませんから。何を食べたいといった好みを超えて、何を食べて生きているなんて人にとやかく言われたくありません。

 それを杓子定規に当てて、その地で「美味しいもの」とされるものを食べられない者を、あたかも変わり者とも異常者とも言ってくる御仁は、残念ながら未だに健在します。

 

 駄目なのでしょうか。自分の好きなものを食べることが。

 苦手や嫌いなものを、無理してまで食べなければならないことは、勿体ないと纏められるようなことなのでしょうか。

 

 

 それはともかく。ソースカツ丼、美味しくいただきました。

 

 

 

 時間は無慈悲に平等で、帰還の時が迫る

 

 昼食後は陶器や酒造所と巡りましたが、申し訳ありません、私の興味の圏外でした故写真や感想は特にありませんでした。

 

 疲れも溜まってきていたので話半分に聞いていなかった私も私ですが、陶器は佐渡金山に纏わる特殊な貴金属が混ざった材質の土が、独特の色や焼き上げた後の音が金属のような甲高い音になると。

 

 酒造所では国際航空便のファーストクラスに選ばれて久しいという日本酒を蒸留しているとのことでしたが、クルマで新潟入りしている私たちは試飲もできないこともあり、私はフラフラと酒造所を歩いておりました。

 

 時間となりバスに戻った他のツアー客は試飲を繰り返したのか、すっかり上機嫌な様子でした。

 これも、旅の楽しみ方の一つなのかなと思いながら。

 バス内に漂うアルコール臭に顰め面を崩せなかった私は、まだまだ精神的に若いようです。(自分で言うのも難ですが)

 

 さておき、時間は容赦なく過ぎ去っていきました。本州から離れた佐渡ヶ島に、まだいたいという思いなど切り捨てるようにして。

 帰りの船出の時間が迫り、私たちは再び両津港へと戻ることとなりました。

 

 時間的に、行きで来たジェットフォイルは利用できそうにありませんでした。

 その代わりに、倍の時間を掛けながらもゆったりとした船旅を味わうことができる旅客船に乗ることとなりました。

 

f:id:Rayleonard-00:20201024214941j:plain

 

 旅客船、ときわ丸。ジェットフォイルの三倍、いやそれ以上の大きさを誇る旅客船です。

 

 実はこの時、本来であれば雑魚寝する2等客室で帰る予定でした。行きの倍以上掛かる、二時間半という長い船旅の時間。

 

 そんな時、私は思わず思いが言葉となって口から出ていました。普段は思いはココロの中に、という私が。余程のことがなければ闘う勢いで口を出しもしない私が。

 

 

 折角なら、もっとゆったりできる席を確保しませんか?

 

 

 1から計画していただいた、たーぼぅさんに。

 半ば無理を言う形で私の提案を申し出て、切符売り場で予約確認したところ、予約制の一等船室の椅子席が空いていたことも重なって。

 

 急遽予定を変更し、新幹線で言えばグランクラスのようなゆったり寛げる席を取ることができました。

 

 

 ジェットフォイルとは違う船旅。それから、各々の帰路に着くこととなります。

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

【車・趣味】秋の新潟 ~佐渡金山遺跡、正と負の遺産~

 10月下旬入間近にして、一気に秋から冬へと季節が加速し始めました。ここ数年は暖冬続きで気が緩んでいた感がありますが、今年は本格的な寒さと雪に注意を一層払う必要があるかもしれません。

 今朝も10℃に満たない気温に見舞われ、仕事よりも温かいお布団から抜け出す方が大変だった【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 既に1ヶ月が経ってしまいましたが、今回は前回の続きである佐渡ヶ島の旅を綴って参ります。

 今回は世界遺産暫定リストに上がっている、佐渡金山跡について写真と共に追憶していきたいと思います。

 

 

 

 

 日本のマチュピチュ?佐渡金山跡

 

 佐渡ヶ島と言われて、真っ先に思い浮かぶのは佐渡金山ではないでしょうか。

 

 遥か昔、佐渡は大罪を犯した者の流刑地とされていました。技術と科学によって安全を確保された現代とは大きく異なり、一度流されれば生きて本土へ戻ることは死を意味していた時代もありました。

 時は進んで、江戸時代。金が年単位で数百kg、銀が数十トンという莫大な勤続が採掘されることとなりました。それが、今は佐渡金山跡とも佐渡金山遺跡とも呼ばれる鉱山でした。

 

f:id:Rayleonard-00:20201020205236j:plain

 

 当時は大量の富を得るというよりも、幕府へ献上され名声と地位を得る為に利用されたと聞くその場所。

 今は当時の面影を薄く残しながら、緑に覆われた天然の要塞とも呼べる技術の発展と自然の強さを併せ持つような、厳かさに似た雰囲気に包まれる場所となっていました。

 

f:id:Rayleonard-00:20201020205319j:plain

 

 巷で現実世界のラピュタと呼ばれるのも頷ける、静謐さの中に見るものを慄かせる壮大さとも偉大さとも思わせる空気を漂わせています。ヒトが切り開いて塹壕のような形にされても尚、跡地となったそこに芽を宿し成長した草木の力強さが入り乱れるその様。周りのツアー客の歓声にも聞こえる声が遠くに聞こえるかのように、言葉を失った私は無心でカメラのシャッターを切っていました。

 

 なんと言葉にすれば良いのか、正直今でもわかりません。

 

 ですが、一昔前にテレビで紹介され話題となった南アメリカに存在する「マチュピチュ」。ヒトが文明を残しながらも滅んだ後も、地球の緑の力強さが加わることで「天空の聖殿」と称されるその場所を、まるでこの目で見たかような錯覚に陥ることとなりました。

 

 元々は自然の山肌だったものが、ヒトの手による発破や開拓によって姿を表すこととなった天然の金山。

 それが数世紀の時を経て、地球の意志とも呼べる草木に覆われても、尚朽ち果てた様子もなく。

 寧ろ、共存しているかのようでした。

 

 

 北沢浮遊選鉱場跡とも呼称される、美しさと侘しさ漂う情景

 

  晴れ渡っていた空は、いつの間にか雲に覆われていました。奇しくもそれは、私たちの到着を待ち望んでいたかのようにも思えました。

 青空の下であれば人工物と自然が絶妙に混ざりあった綺麗で不思議な場所、と言えたかもしれませんが。

 雨が振りそうな灰色の空に映る北沢浮遊選鉱場跡は、一層侘しさのような雰囲気を醸し出すこととなりました。

 

f:id:Rayleonard-00:20201020211435j:plain

 

f:id:Rayleonard-00:20201020211619j:plain

 

f:id:Rayleonard-00:20201020212102j:plain

 

 朽ちることなく形を残す、コンクリート。火力発電所としてかどうしていた場所のようですが、ここがどれだけ重要で貴重な要所だったかを思い知らせるかのように、強固な造りをしているのかを見せつけていました。

 

f:id:Rayleonard-00:20201020211516j:plain

 

 補修はあるとしても、ほとんど当時の面影を残すかのよう。仮に一人で入れ、と言われても、ちょっと怖いです。

 

f:id:Rayleonard-00:20201020212026j:plain

 

 古代のコロッセオのような建造物。


f:id:Rayleonard-00:20201020211704j:plain

 

 詳細を調べていない為、それぞれがどのような役割を担っていたかもわからない構築物が点在していました。ここでの自由時間は30分足らずと短い時間でしたが、この地に立ち、情景を見て、静けさに浸るだけで多くのことを考えさせられることとなりました。

 歴史は、表向きには輝かしい部分ばかりが記録として残され、後世に語り継がれることが多くあります。

 しかし、その裏には必ず個々人単位での思いや思惑、そしてとても語ることのできない負の部分があったのだと思います。

 この身で立ち、この目で見て、この耳で聞かなければ決して感じられないもの。上手く言葉にできないことも然ることながら、語り継いではならない事実もあることを感じる、そんな一時でした。

 

 

 炭鉱内を、この足で歩く

 

 緑に溢れる場から離れ、次は炭鉱内を実際に歩く時間が設けられました。

 佐渡金山遺跡の坑内は、江戸時代の主に人海戦術とも言える人手を掛けて掘り進んだ箇所。もう一つは明治に入り機械が導入された頃の箇所を巡るという、二つのコースが用意されていました。

 

 人の手で切り拓いた道と、機械産業の発展で切り拓いた道か。

 私たちはメカメカしいもの好きということ、そしてリアルな人形が展示されているという江戸時代コースは気味が悪そうということで、明治時代コースを選択しました。

 

 

f:id:Rayleonard-00:20201020212358j:plain

 

 色褪せた赤に塗られた、滑車のようなものが付けられたこの装置は、一体……?

 

f:id:Rayleonard-00:20201020212249j:plain

 

 炭鉱へ続く道に敷かれたレール。この道を使って、内部で採掘した金銀を運び出していたのでしょうか。

 

f:id:Rayleonard-00:20201020212314j:plain

 

 入り口から広がる闇は、外の光を遮っているかのようでした。当時は明かりも乏しかったでしょう、もっと暗くて恐ろしさもあったのかもしれません。

 いざ、足を踏み入れます。

 この日の外気温は20℃を欠ける程度の気温。厚着をして乗り込んだ私には少し暑いとも感じる陽気でしたが。

 炭鉱内は嘘のように、妙に冷え込んでいました。寒さに慣れているつもりの私も、思わず「寒っ」と口走った程です。

 

 

f:id:Rayleonard-00:20201020212205j:plain

 

 坑内には近代技術の走りとも言える、電気で動くトロッコ車両が点在していました。高さは腰程の大きさで、無骨ながらもどこか可愛らしさを感じさせています。

 そして驚くことに、この車両は充電式ということが直後に訪れた展示室で明らかになりました。

 現代のスマホのように、小型化高性能化されたものと程遠い充電機器。それが今の生活になくてはならない存在となった充電技術の礎となったことを思うと、感慨深いものを覚えました。

 

f:id:Rayleonard-00:20201020212428j:plain

 

 写真はカメラの師匠でもあるたーぼぅさんに教えを請い、撮影したものです。

 薄暗い照明。半ば汚泥かした地面。そして、冷たい岩の連続。幾ら近代化が進んでいた時代の産物と言えど、人肌が恋しいものだったのではないかと、一人思いに耽っていました。

 

 とても独りでは歩けない、な。

 

 肌寒さを感じ続けながら、炭鉱を後にするのでした。

 

 

 華々しさと負の一面を垣間見て

 

 華々しい歴史の跡地として語られる佐渡金山遺跡。ですがそこには、巨万の富と同時に儚く散っていった命の数々があることを、忘れてはいけないと思います。

 炭鉱内には発破した後や、酸素を取り入れる為に空けられた穴などが随所で見られましたが、逆に言えばその数だけ朽ちた人たちがあったということを物語っているとも言えるかと思います。

 炭鉱という狭く、暗い場所。限られた酸素を使い切り、酸欠で命を落とした人。

 発破時の計算ミスや予期せぬ落盤で崩壊し、巻き込まれ亡くなった人。

 厳しい労働に身体が参り、そのまま生きて地上に出ることもなく生涯を終えた人。

 

f:id:Rayleonard-00:20201020212507j:plain

 

 私は以前、世界遺産登録された富岡製糸場を見てきたことがあります。そこも機械に溢れ、務めた人たち……特にそこは女性について取り上げられることが多いです。

 然れど、貧富の格差による、今で言うイジメや劣悪な労働環境で身体を壊し、そのまま帰らぬ人となった方も多いと聞きます。

 

 華々しさの陰には、必ず犠牲や負の感情といったものが存在すると私は思っています。

 それが皮肉にも、輝かしく後世で認められるような存在となる支えになったとしても。

 

f:id:Rayleonard-00:20201020212521j:plain

 

 私は見た目の華やかさは勿論ながらも。そういった表舞台に出てこない、出せないような人たちのことについて目を向けなければならないと考えています。

 

 私の好きな言葉に、このようなものがあります。

 

 幸運を。死にゆく貴方に敬礼を。

 

 歴史の表に出てくることは、本当に氷山の一角であり、かつ内容も書き換えられた可能性も否定できません。

 そのようにして語り継がれてきた偉人たちよりも、私は寧ろ、影で支え繁栄の道の礎となった方々を思うと共に。

 心の底から、鎮魂と安寧を願うばかりです。

 

 

f:id:Rayleonard-00:20201020212549j:plain

 

 炭鉱の脇に咲く、秋桜の群生地。その花たちが、吹き抜けた風と共に一斉に揺れるのでした。

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

【HSP・価値観】傷付きやすいと言われてても ~理由は、もっと前向きなところにあった~

  ここ数日暑さがぶり返す日々が続いていますが、週末はまた寒くなるようです。日中でも一桁代の気温までしか上がらないという噂もあります。

 生きる上でのストレスも、人を介した人工的なものと、もしかしたら自然から齎される天然由来のものもあるのではないかと思い始めている、【やさぐれ紳士】白兎です。

 気圧が低くなると頭痛がしたり、曇りや雨が続くと気分がなんとなく塞ぎ込んでしまうように。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 日頃のストレスが認知されるようになり、企業もアピールするかのようにストレスチェックを行うようになって久しくあります。

 しかしながら、その実態は「〇〇に対し、弊社は積極的に取り組んでいます」という実績だけが欲しいと言わんばかりに、残念ながらアフターケアや職場環境の改善といった具体的な対策を行う様子が見られないというのが現状です。

 同じように、本ブログでも取り扱っているLGBTやセクシャルマイノリティも、また然り。

 

 ですが、一つ忘れ去られているものがあります。

 

 ネットを契機にその存在を認知されるようになり、芸能界でも少しずつ発言が見られるようになった、HSPです。

 うつ病を始めとする病気ではない、気質という側面がとても強い概念。それでありながら性格でもなく考え方の一つでもないことから、生きる上で「何か変」だとか「周りと違う」と思っても広まらないのが実情です。

 そして上手い具合に自ら認知できたとしても、「その後、どうやって生きれば良いのか」と疑問を抱いたままになることも。もしくは「例えようのない辛い思い、自分だけなの?」と相談することもできないまま、言わば泣き寝入りで終わってしまうことが多いのではないかと思っています。

 

 私もその一人です。今でこそHSS型HSPと認識することができ、ある程度の傾向といったものは見え始めている……つもりですが、やはり自信が持てずにいます。

 時には押しつぶされるように、別の時には自傷するかのように、自分を傷つけて落ち込む日もあります。

 

  そんな折、今まで私が抱えていたHSPに対する思いだけでなく。

 HSPというものを一言で表すと、という概念を覆す切っ掛けがありました。

 

 ブログでも読者登録させていただいているHSPやHSS型HSPを積極的に発信されている「ウサキさん☆」さんの言葉でした。

 

 「繊細で傷付きやすいHSP」。ようやく認知されてきたHSPも、どちらかと言えばかなり後ろ向きと言うか、「HSP≒心が弱い」という認識を与えてしまいそうな印象があります。

 それよりも、「深く考え洞察力があるHSP」である方がしっくり来るとおっしゃっています。

 

 これまでHSPに対して後ろ向きな意識しか持てず、それでも何とか付き合うように生きてきた私は、思わず言葉を失うものでした。

 

 

 今回は「繊細で傷付きやすい」という、ある種のレッテルを張られたHSPに、新しい考え方を持つ切っ掛けに出会えたことについて。

 その事実は、確かに正しいと言えると私も考えています。

 がしかし、それは飽く迄結果論として傷付きやすいと言われてしまい、それが独り歩きしてHSPというものを形作っているのではないかと思い始めています。

 そうなるには、必ず何かしらの過程のようなものがあるのではないかと考えたことについて、綴って参ります。

 

 

 尚本記事では「うさきさん☆」ご本人と直接連絡を行い、許可を頂戴しています。

 またうさきさん☆のTwitterは、こちらになります。

 

twitter.com

 

 

 

 

 

 

 幼少期から傷付くことを恐れ、自分に自信を持てない日々

 

 はじめに、私はHSPを自認している身ではありますが、自覚する以前から自分が傷付きやすい人間だという感覚を持ち続けてきました。

 周りは失敗しても、何度でも頑張るように挑戦し続けるのに。私は一度でも失敗したらすぐに自己嫌悪と虚無感に襲われ、「なんだろう、この虚しい気持ち」という思いを引き摺ってきました。

 

 保育園の頃から、割とそんな思いを抱えていました。周囲に言うようなことはしませんでしたが、遊んでいる最中でも、工作をしている最中でも、何か小さな失敗を犯す度に一人落ち込んでいました。

 また絵心がないことから絵を上手く描けず、とりあえず描いた自分の絵と、周りが描いた上手い絵を勝手に比べて、「自分って、何やっても下手なんだ」と幼いながらも凹んでいた記憶があります。

 それでいて失敗を糧にということができない子どもだったことから、再挑戦して次こそ成功を、という度胸も負けず嫌いさもすぐにへし折れてばかりいました。

 失敗するからこそ意味がある、と今なら言うことができますが、当時はそんなことなどわからないまま、ただひたすら周りと比べて、その差に気落ちして、ひたむきになることもなく終わる。その為か大人しいとも繊細とも言われ続けてきました。

 

 それは年齢を重ねても変わることはありませんでした。寧ろ年を経て、自我が成立すると共にますます傷付きやすく、傷付くことを恐れるようになっていきました。

 不器用で、家庭科での裁縫や図画工作で挑戦し出来上がる品々は歪んでいたり歪であったり。運動音痴とまでは行かなくとも、野球やサッカー、ドッジボールといった競技も苦手。

 失敗したりミスをして、クラスメイトに「良く出来てるじゃん!」「大丈夫、輝にすんな!」とフォローして貰っても、自分の中はいつも傷塗れ。必修科目や義務教育でもなければ、やらなければ良かったと後悔する日ばかりでした。

 

 そういった失敗を犯すことがい、次第に許せないという気持ちへと変化していきました。

 それが遊びであっても、テストであっても。

 

 そんな思いが仇となり、努力することをすっかり諦めてしまった私は。

 受験にも失敗し、ますます自信を失って自分を傷付けることが常習化していって。

 

 学生時代を楽しんだ、という思い出すら残せないまま、自らの手で自信を持つ機会を奪っていく。そんな詰まらない、得るものもないことばかりに躍起になっていくのでした。

 

 

 傷付きやすいというのは「結果」。そこに至る経緯や理由は存在する

 

 時を経て、社会人になっても私は傷付くことを恐れるあまりに保守的で内向的な性格と行動が続いていました。

 新しい仕事を任されても、恐れてばかりで聞くことも怖かった。そんなこともわからないのか、と言われるのが、言葉に言い表せない程恐ろしくて。

 仕事柄上失敗を許されないことも合わさり、グイグイ前へと進んでいく同期の中、私だけは相変わらず安牌を取り続けていました。

 

 ある時、ん?と自分の態度や行動指針に疑問を持つ機会がありました。

 それは奇しくも、気を病み精神を害した時のことでした。仕事上やプライベートでの人付き合いに疲れ、味気もやりがいもない仕事を淡々とこなす日々に疲れ果て。

 今まで「自分にとって当たり前のこと」と思うばかりに考えようともしなかった、自分自身を見つめ直す機会に出会えたことが最大のきっかけでした。

 

 失敗したり、上手く行かないことばかりだった私。

 失敗することが。上手く行かないことが。

 

 本当に怖いのか?

 

 それとも、失敗して「誰かに怒られる」ことが怖いのか?

 怒られて自分が傷付くことを恐れて、失敗を嫌がっているのではないのか?

 

 ……そうだ。

 傷付きやすい、繊細だと言われるHSPという概念を知ってから、私もそうではないかと受け入れ始めて。

 少しずつ知っていく内に、当てはまったりそうでなかったりな所を、他の誰でもない自分自身で見ていくことで。

 私が抱え続けていた、傷付きやすくて繊細なことも。

 一般的に認知されているHSPの概念の一つである、傷付きやすくて繊細なことも。

 

 それは、飽く迄結果しか見ていないことなのではないかと、思い至るようになりました。

 そして。物事の結果には、必ず経緯や理由があるという、当たり前のようで忘れがちなことに気付くことができました。

 同時に一般に流布するものは、全て鵜呑みにするのではなく、自分なりの解釈を保つ必要があるのではないかと、疑問を持つようになっていきました。

 

 

 HSPは考え深く、洞察力の高さ故に最悪を考えてしまう

 

 

 HSPを知り、その先にあるHSS型のHSPというものを知り。

 自分がHSS型HSPであることを認識するようになってから、はてなブログの世界に飛び込みました。

 そこには同じ悩みや疑問、生き辛さを抱える方々に出会うと共に、人それぞれ違うHSPへの考えを持つ方との出会いを経て。

 HSPに対する思いや考えを、より自分なりに固めていくこととなりました。

 

 

 私なりのHSPというものに対するものを上げると。

 繊細で傷付きやすいのは確かでも、それは結果論に過ぎないのではと思うことです。

 

 傷付きやすいから、HSPなのか。繊細だからHSPなのかと結論付けられるのなら、私は違うと思っています。

 どうして傷付きやすいのか。どこが、繊細なのか。

 結論ばかりに目を向けず、先にそういった「理由」を見出さなければ、レッテルのように張られたHSPの特徴……言い換えるなら「一方的な決め付け」を払拭することはできません。

 勿論、繊細であることも傷付きやすいことも悪いと申すつもりは毛頭ありません。寧ろ善悪で判断するようなことではないと思っています。

 私はその先にある、「どうして、傷付きやすいのか」「どういったところが繊細なのか」という所に目を向けたいのです。

 

 例えば私の場合、「人の怒りの声や感情を、自分のことのように感じてしまう。だから傷付きやすい」といったところです。他にも「失敗することで、誰かに怒られるかもしれない。だから失敗することが怖いし、怒られると思い切り傷付いて立ち直れない」となります。

 このように客観的に見ると、私は「怒る」ということに敏感なことがわかります。

 更に「五感の中でも特に耳、聴覚が敏感だ」という事実を組み合わせていくと。

 

 耳から入ってくる怒りの声が、怖い。それを聞くと、何もできなくなる位脅えてしまう。それが原因で傷付きやすい。

 

 このようにして見るだけでも、打てる対策や行動も自ずと見えてくるかと思います。

 私は雑踏が苦手を通り越して嫌いではありますが、それも「多くの音という情報が否が応でも耳から入ってきて、処理しきれなくなって自分というものを見失ってしまう。だから、騒がしい所や人の多い所は嫌い」と言い直すことができます。

 それを避ける為に知らない人ばかりが行き交う雑多に踏み込むことを避けて、自分のペースを守る為にイヤホンをして音を遮断する、という対策を取っています。

 

 

 

 

 傷付きやすいと言われるかもしれない。その前に、HSPとしてより前向きに受け入れられる理由を見つける

 

 

 傷付きやすいと言われる、HSP。気質である以上外的な判断もままならないまま、自分だけが苦しさや生き辛さを抱え、「生きているだけで辛い」「こんな気質、欲しくて生まれた訳じゃないのに」と後ろ向きな感情を抱きがちです。

 

 私も、かつてはそうでした。聴覚が敏感で様々な音に苛まされ、飛び交う怒号が自分に向けられているように思えて。それを覆すどころか考え直すようなこともできないまま、こんな思いを持ち続けるなら死んだ方が良いと願ったことも幾度となくあります。

 

 しかし、と私は言いたいです。

 

 仮に自分がHSPとわかって、「私ってHSPなんだ!」と前向きに受け入れられる人は多くないと思っています。

 逆に「HSP、か。でも、どうやってこの先生きていけばいいんだろう……」とさらなる不安に陥ることの方が多いと、私は考えています。

 そんな疑問や、時には藁にもすがる思いで求めても、答えはあまりにも少ない。

 

 なら、まずは自分のどういったところが外界に対して過敏に反応するのかを見定めて。それによって、これまでどのような感情や思いを抱いてきたのか。

 最初に、そうした自己分析に似たことをすることが大切だと思っています。

 その上で、過敏で敏感な所を抱えてしまっていること、そしてそこから入ってくる情報で傷付きがちな事象を思い返すこと。

 

 最初は、辛いことです。嫌な思い出を思い返すこと程、辛いことはありません。

 でも。それを乗り越えた先には、掴みたくても掴めなかった光のようなものがあると、私は信じています。

 

 

 と言いつつ、最初は上手くいかないことばかりです。まずはHSPだから、敏感で傷付きやすいから、と思うことはあっても。

 

 少しずつ、前向きな理由を探し出していきましょう。

 過敏で敏感なHSPだからこそ、できることだと私は思います。

 

 私を例にさせていただけるのなら。

 

 はじめは色んな音を、無駄な音を拾ってばかりの、この耳を引きちぎってやりたい。そうすれば、楽になる。だったら、切り落とすことも惜しくない。

 そう思った私も、今はこの耳に助けられるだけでなく、新鮮な音を届け心を躍動させるものとなっています。

 

 このような感じで、自分なりの感情と思いのままに。

 否定せず、心の感じるままに。

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

f:id:Rayleonard-00:20201009211545j:plain

 

【車・趣味】秋の新潟 ~ジェットフォイルで乗り込む佐渡ヶ島~

 数ヶ月振りとなる夜勤を終え、昼間帯を思いっきり眠りこけておりました。

 昨晩から今朝まで気温が大きく下がり、吐く息もすっかり白くなってきました。冬の三種の神器、コタツとファンヒーター、電気毛布を事前に用意しておいたお陰で昼過ぎまでヌクヌクしていた【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 さて今回は、新潟旅行の続きとなります。

 新潟の名所巡りを終え、宿に着いた私たちは道中の疲れを感じながらも深い眠りに至ることは叶いませんでした。こういう時の高揚感は、簡単に静まるものではないと改めて実感するのでした。

 その翌日、サプライズとも言えるさらなる旅路に着くこととなりました。

 

 新潟旅行第二弾、佐渡ヶ島編を綴って参ります。

 

 

 

 

 

 地元にはない、船の出る港

 

 

 台風12号が予想進路を外れ、大した弊害もなく迎えた翌朝。

 台風も然ることながら、刺激された秋雨前線の活動次第では大雨になる恐れもあり、旅行一週間前から天気予報が気になって仕方がありませんでした。

 何故なら、今回のメインイベントとなる計画が台無しになる可能性があった為でした。

 

 寝床から起き上がり、睡眠不足で重い身体で窓の外を見ると。

 そこには晴れとは行かずとも、風も穏やかで雨も明け方に降った様子が広がっていました。

 

 これなら、行ける。

 

 朝食を各々終えた私たちは早速合流し、早い時間に出立する乗り物が待つ場所へと車を走らせました。

 

 辿り着いたのは、伊豆やその他の地でも見てきた漁港とは違う、物資が行き交いする所でした。朝早くにも拘らず自家用車やバスが往来し、何かと忙しさを醸し出しています。

 その名も、佐渡汽船ターミナル。私には聞き慣れない言葉が並んでいましたが、港には貨物船や漁船といった、様々な船が停泊。或いは出港したり帰港していました。

 

 ひとまず、それぞれの愛車を専用の駐車場に止めます。時間があった為、愛車の撮影会を簡単に開催。

 

f:id:Rayleonard-00:20201016193958j:plain

 

f:id:Rayleonard-00:20201016194034j:plain

 

 立体駐車場内も薄暗く、外も雲に覆われていたいました。それが功を奏し、ほぼ真逆とも言えるボディカラーの愛車たちを白飛びなく、加工も必要なく撮影できました。

 

 数枚シャッターを切った所で、時間が迫ってきました。場所を移動します。

 

f:id:Rayleonard-00:20201016194515j:plain

 

f:id:Rayleonard-00:20201016194552j:plain

 

 やってきたのは、旅客船の乗り場。どこかレトロと言うか、バブル期のかつての賑わいと現代が入り交じるような、不思議な空間。

 

f:id:Rayleonard-00:20201016194751j:plain

 

 どこか味わい深ささえ思わせるオブジェも、旅心をくすぐられます。

 

f:id:Rayleonard-00:20201016195034j:plain

 

 建物内を一通り散策し終え、いよいよその時間がやって参りました。

 

 小さい頃から、母より乗ったことがあると自慢された船。

 ジェットフォイルへ乗船すべく、はやる足を宥めながら向かいます。

 

 

 水上を駆けるジェット機、ジェットフォイル

 

 

f:id:Rayleonard-00:20201016195814j:plain

 

 航空機メーカーとして名高い、ボーイング社の刻印入の船。それだけでもとてるつもない違和感、それ以上にメカ好きにはたまらない感情の躍動を齎すこの船。

 

 ボーイング929「ジェットフォイル」。水上を航行する船でありながら、推進にはガスタービンを用いたウォータージェット推進という方法で海を行きます。

 停泊時や低速では通常の船と同じで、戦隊の浮力で浮かび航行します。しかし違うのは、この機体が船でありながら「ジェット機」に分類されていることにあります。

 

 

f:id:Rayleonard-00:20201016201056j:plain

 

 乗船していると見ることはできませんが、船の底に翼と呼べる部位が存在しています。

 これが船の速度が上がると共に揚力を得、船体そのものが浮き上がって最終的にはこの翼だけで航行します。

 その速度、時速換算で約80キロ。自動車で高速道路を巡行するのとほぼ同じ速度で、海を駆け抜けていきます。通常の旅客船では2時間半掛かる新潟ー佐渡間を半分以下の一時間の船旅で収まることを約束しています。

 そんな速度で海を走って大丈夫なのか、という問題も、精密に制御されたアクチュエーターやショックアブソーバーが横風や波の衝撃を適度に吸収することで、高速航行を実現します。

 

 私自身、車は様々な車種や中型トラックに始まり。飛行機、戦艦(修学旅行時に乗船)、ヘリコプター(業務にて搭乗)と様々な乗り物に乗って参りましたが、船は今回が初めてでした。

 それがこのような素敵仕様に塗れた高速船に乗れる日が来るとは、夢にも思いませんでした。

 

 座席に腰を降ろし、シートベルトを締めると、ガスタービンが気分を盛り上げる景気の良い音を吼えるように奏でました。

 HSPであり、特に聴覚が敏感なことに。そして幼少期よりガンダムに触れてきたことからメカ好きな自分に感謝しつつ。

 

f:id:Rayleonard-00:20201016201633j:plain

 

f:id:Rayleonard-00:20201016201654j:plain

 

 港に停泊する数々の船に別れを告げるように、我々が乗るジェットフォイルは発進していきました。

 この日は台風一過ということもあり海も荒れており、最高速度75キロが限界でしたが、見渡す限り海しかない所を駆け抜けていく爽快感は凄まじいものがありました。

 船旅をまったりと過ごすには向きませんが、洗練され培われた機会的技術の結晶たる機体に乗ることは、メカ好きには誉れ高きことです。

 荒れた波もものともしないアクチュエーターやショックアブソーバーは横揺れも最低限にまで軽減しましたが、この日は流石に不規則な揺れが断続しました。

 それでも翼で滑走するかのように海を行くジェットフォイルは、新鮮さと高揚感を齎すには十分でした。

 

 初の船旅を堪能する間もなく。

 

 目的地である、佐渡ヶ島両津港に着岸しました。

 

 

 

 初、佐渡ヶ島へ上陸

 

 佐渡ヶ島に到着した頃には、道中での暗い雲はどこへやら。

 青空が広がり、日差しの暑ささえ感じさせていました。

 

f:id:Rayleonard-00:20201016203053j:plain

 

 私たちを一時間と少しで、日本で第二位の離島まで連れてきてくれた船にお別れを告げ。

 初となる、佐渡ヶ島への上陸を果たしました。

 寝不足がたたり若干グロッキーになった私でしたが、ここからは一日の流れが一段と早くなることとなります。

 

 佐渡ヶ島は離島としては破格の大きさで、一周するにはそれなりの日数を掛けなければなりません。

 そこを名所巡りという名目に絞ることで、佐渡日帰り旅行を実現しました。日程調整、並びに予約をしてくださったたーぼぅさんには、この場を借りて御礼申し上げます。

 

 本当なら愛車を持ち込んで自由気ままに走り回りたい気持ちもありました。しかしながら船舶で車両運搬すると数万円という莫大なお金を必要とします。

 そういった理由もあり、今回は現地の旅行会社が主催する一日ツアーに参加する形で、佐渡ヶ島の魅力をこの身で感じるべく旅が始まります。

 

 修学旅行を彷彿させる、大型バスを借り切っての移動。新型コロナウイルスの感染防止対策を十分に行われた車両で、最初となる目的地へ向けてバスが走り出します。

 

 その間、気が抜けた私たちはガイドさんの説明を耳に挟みながら、思わずウトウトと眠りについてしまうのでした。

 

 

 台風過ぎの絶景、尖閣湾揚島遊園

 

 目が覚めると、最初の目的地に辿り着いていました。

 尖閣湾揚島遊園という、堅苦しさを感じさせるそこは。

 山に囲まれた地に生まれた者として、どこまでも開けて自由な風景が広がっていました。

 

f:id:Rayleonard-00:20201016203123j:plain

 

 無骨で荒々しさを見せる岩肌。その上や側面に生える、瑞々しい木々。

 そしてその眼下に広がる、見渡す限りの海。

 波が押し寄せる音も、少しばかり激しさを帯びていましたが、耳から脳裏へと通り抜けていくような、澄んだ心地好い音。

 

f:id:Rayleonard-00:20201016203205j:plain

 

 水面も波立っていますが、昨日の雨を考えれば嘘のように穏やかなものでした。

 

f:id:Rayleonard-00:20201016203238j:plain

 

 明け方に降ったのでしょう、雨の雫が木々に付き、滴り落ちそうです。ぼかした背景の雫も、小さな珠となって写すことができます。

 晴れの天気では不可能な、初秋に相応しい侘び寂びの情景。この緑も、一ヶ月もすればまた違ったものとなるのでしょう。

 

f:id:Rayleonard-00:20201016203312j:plain

 

 海面に顔を出す児島で羽根を休める海鳥たち。吹き付ける海の風に耐えるかのよう。

 

f:id:Rayleonard-00:20201016203345j:plain

 

 普段なら遊覧船が行き交い、たらい舟を体験できるとのことでしたが、今年はそれも止む無く中止に追い込まれているそうです。

 

 各地の名産や名物が、例年通りになることを切に願いながら、切り立った岩肌と海の鬩ぎ合いをカメラに収めていきます。

 

f:id:Rayleonard-00:20201016203420j:plain

 

f:id:Rayleonard-00:20201016203540j:plain

 

f:id:Rayleonard-00:20201016203444j:plain

 

 引き込まれそうになるような、幾重もの青が重なった海も。

 

f:id:Rayleonard-00:20201016203511j:plain

 

 水に削られ、風に削られた岩盤も、色とりどり。手前の木々も、奥の山も、それぞれが持つ色を見せつけるかのように生き生きとしていました。

 

 

 

 佐渡ヶ島の旅は、まだ始まったばかりです。

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

【車・趣味】秋の新潟 ~奥只見湖・清津峡~

 最高気温が二桁に届かない日が出てきたと思いきや、一転して夏日を記録する日々に弄ばれるかのように、すっかり体調が崩れ気味の【やさぐれ紳士】白兎です。

 インナーを真冬仕様に変えてしまったので、少し歩くだけで汗まみれになるのは勘弁願いたいところです……。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 遡ること、9月の下旬のこと。

 ブログ仲間にして友人である「たーぼぅさん」より、新潟旅行の提案があったのは、唐突のことでした。

 シルバーウィーク明けの平日を利用して、新潟在住のケモノの絵師の方にお会いし、合流して名所を巡るという計画でした。

 私も何度か通過をしたことはあったものの、新潟市内の旅行は初めてでした。

 

 今回の旅でも、素敵な出会いと場所を訪れることができた、思い出深い旅となりました。

 

 その初段である本記事では、新潟までの道程と到着してから訪れた、奥只見湖と清津峡について。

 道中のトラブルや珍現象(?)を交えながら、綴って参ります。

 

 

 

 

 

 近いようで遠い、新潟市

 

 私の住む長野県に隣接する、新潟県。

 新潟に限らず、長野県は8つもの県と隣接しています。しかしながらその境目となる場所は険しい山々に囲まれ、往来するには数少ない鉄道を利用するか車を使うしか方法がありません。

 そう考えると、交通が整っていなかった時代は如何に峠越えが命がけだったかということを思い知らされるものがあります。

 今ではすっかり廃れてしまった宿場町も、かつては旅人や行商人が行き交って。活気づいて賑わっていたのだろうな、という思いを膨らませることしかできません。

 

 そんな想像の域を出ない道中を、私は相棒であり愛車である「Lupus」を走らせていきます。上信越道から関越道へ、そして北陸道へ。

 高低差の激しい道ではありましたが、ディーゼル+ターボの力強さを以て軽快に駆け抜けていきました。

 

 今回は伊豆より盟友であるたーぼぅさんも愛車を走らせ、道中にあるパーキングエリアで合流してから休憩なしで新潟市に向かっていきます。まるでツーリングするかのように、エンジンも形状も異なりながら同じアクセラという名を冠せられた車。

 台風が近づき土砂降りの道程でしたが、灰色と白のアクセラが駆ける道に、遮るものはありませんでした。

 

 合流地点から、約2時間程で新潟市に入った私たちは、本日の宿に真っ直ぐ向かいました。同じ雪国でありながら、道路上の除雪装置や縦向きの信号機と、雪に対する本格的な対策が完備された市内。

 そこは、北陸地方でも第2の大都市の呼称に相違ない賑やかさに満ちていました。

 

f:id:Rayleonard-00:20201013202359j:plain



 設計、間違えたのでは?と思わず疑うような、店舗が半分以上地面に埋まった新潟駅前のセブンイレブン。新潟市内では隠れた名所(?)とされているらしく、新潟を訪れた際はまずここに向かうのが通例とのこと。

 

f:id:Rayleonard-00:20201013202607j:plain

 

 予約したホテルでは夜鳴きそばが無料で振る舞われ、冷えた身体を温めてくれます。あっさりした醤油ベースでありながら、出汁の効いた味。お代わりしたくなる程美味で、お酒のお供にもなりそうです。

 

 この日は互いに仕事終わり、かつ長距離を移動してきたということもあり、そのまま眠りに付くのでした。

 

 

 雨の中、絵師さんとの出会い

 

 翌日も弱いながらも、雨の降る一日となりました。

 前日の疲れが程々取れたところで、いよいよ絵師さんと出会う時間が近づきます。

 私は直接面識のない方でしたので、相変わらず初対面を前に内心ビクビクしておりました。

 

 どんな人なのかな。私みたいな人見知りの激しい人間が、会っても大丈夫なのかな。

 

 そんな憶測地味た思いは、出会ってすぐに消え去ることとなりました。

 快活な見た目でありながら物静かな方でした。肌寒さを感じ冬仕様の格好で臨んだ私に反し、半袖から覗く腕や身体は引き締まっていました。しかし穏やかな雰囲気を醸し出すその様に、私の警戒心はすぐに消えてなくなりました。

 

 挨拶も程々に、新潟市内を走ったことのない私に変わり、たーぼぅさんの愛車で名所巡りが始まります。

 海より低い箇所もあるという新潟市から車を走らせ、辿り着いたその場所は、秘境とも呼べる山奥にあるのでした。

 

 

 霧に覆われた境地、奥只見湖

 

f:id:Rayleonard-00:20201013204040j:plain


 標高は私が住む場所よりも高い、奥只見湖。キツイ傾斜を幾つも登りきった所に、そこは広がっていました。

 この日は朝から雨降りだったこともあり、気温は二桁ギリギリ。霧も巻いていたこともあり、近くの商業施設に避難します。

 

f:id:Rayleonard-00:20201013204420j:plain

 

f:id:Rayleonard-00:20201013204447j:plain

 

 野生動物も数多く、店内には剥製が飾られ、食事にもイノシシを始めとした料理が並んでいました。

 今はダムが建設されていますが、その前はどのような風景が広がっていたのか。

 思いを馳せるながら、雨の激しい外ではなく店内からカメラを構えシャッターを切ります。

 

f:id:Rayleonard-00:20201013204909j:plain

 

 通常はダムの中までトロッコ列車のような車両が走っているとのことでしたが、平日で天候も悪いということも重なり、この日は遠目に写真を撮ることしか叶いませんでした。

 

f:id:Rayleonard-00:20201013210842j:plain

 

しかしながら、緑に覆われたその地はとても人の手が入ったとは思わせないような景色が、私たちを迎えていました。

 

 そして、極めつけはこちら。

 

f:id:Rayleonard-00:20201013205227j:plain


 今回の旅に赴いた三人は、全く同じカメラを使っているという、珍しくありながら図らずとも嬉しさのような感情を抱くこととなりました。

 3連続の、PENTAX K-70。エントリー機という位置付けながら必要十分過ぎる性能を誇る一眼レフカメラです。

 写真でご飯を食べていくといったことがない限り、その描写力と備え付けられた機能は素晴らしいものがあります。高性能なカメラに頼らずとも、構図と設定合わせが噛み合えば素人でも思い出に残すには余りある一枚を撮ることが可能です。

 

 カメラは機材も然ることながら、やはり「自分が何を撮りたいか」ということが最大に出て参ります。同じ情景でも性能で凌駕するよりも、腕や頭の中で描いた構図を如何に反映していくか。

 私としては、その方が楽しいですし面白いと思います。どんなに高いカメラでも、下手すれば今のスマホの描写力を前にすれば簡単に負けることもありますので……。

 

 

 休憩と雑談を挟んでいる内に、時間はお昼の時間を過ぎていました。夕暮れも早くなってきていることもあり、次なる場所へ向かって私たちは移動を開始するのでした。

 

 

 

 謎の近代アートと合体した秘境、清津峡

 

 

 場所は変わって、十日町。ここに、日本でも三本の指に入る峡谷があります。

 

f:id:Rayleonard-00:20201013210925j:plain

 

 それがここ、清津峡です。外界と隔てるように聳える無骨でありながら畏怖の念さえ覚えさせる岩肌の間を、透き通った川の流れが静かに木霊する場所。

 

f:id:Rayleonard-00:20201013211301j:plain

 

 海外の海岸を撮影した番組で見るような、青と緑が入り交じるかのように煌く水の流れ。見ているだけで吸い込まれてしまいそうな絶景です。

 

 かつてはこの地を、強固な岩肌に張り付くようにして移動していたという記録も残っています。然れど過去に滑落や落石によって事故が起こったことで道は封鎖され、今はその面影を残すのみとなっています。

 道がなければ、切り拓いて行く。移動手段の乏しかったかつての名残を、華麗な景色が労るようにも見えました。

 

 その風景を横目に、いよいよ掘り進められた洞窟内へと向かっていきます……が、しかし。

 

 中はホラーゲームの一場面を思わせるかのように、唯でさえ薄暗い電灯が色とりどりのフィルムに覆われて独特さを通り越して異様ささえ醸し出す雰囲気に満ちておりました。

 唯でさえビビリな私は身構えながら、カメラを銃器か射影機か如く構えていました。

 

 更に進むと、温泉を思わせる硫黄の匂いと共に、奥から妙な音楽なのか人の声なのか、判別不可能なものが聞こえて参りました。

 

 不協和音と共に、「アッ、アッ」とも「ホッ、ヘッ、アッ、ヒッ、ハッ」とも聞こえてくる?

 ヒトの、苦しんでいる声?

 これは、ナニ??

 

 この時点から、少しずつ正気を失ってパニックに陥り始めました。途中途中渓谷を見下ろせる開けた場所がありましたが、奥に進むに連れて非日常的なものが色濃くなっていきました。

 まるで昆虫の複眼をバラしたかのように散りばめられた電飾。

 目の前に渓谷の美しさが広がっているのに、全面鏡張りの宇宙船?のような有機物の塊。

 

 やめテ。オカシくなっテキタ。

 

 少し前に、動画等で話題となったクトゥルフ神話TRPGというものがあります。そこでは「正気度(通称SAN値)」という独特の固有パラメータのようなものが存在しており、この世のものではない異質なものやありえてはならないものを見ると正気度を失っていき、最後は狂気となって登場人物を廃人化させてしまう、というものがあります。

 一時、SAN値直葬という言葉も流行りました。

 今回目の当たりにした私の状態がまさにそれで、テンションが逆転して無駄に笑いを殺す、幼児退行したかのようにしょうもないことで笑い始めるといった、狂気に陥る寸前まで精神を削られていました。

 元々お豆腐メンタルを自負している私には、受け入れられるだけの精神力が低すぎたようです。

 

 秘境に訪れたといいながら、まさかの展開(?)で混沌と崩壊寸前の心を抱えることとなりましたが。

 最奥地は、それを浄化する景色が広がっていました。

 

f:id:Rayleonard-00:20201013215258j:plain

 

 壁面は反射材で覆われ、水が張られた地面が外の渓谷を反射することで幻想的な風景を見せるという仕掛けがなされていました。

 この日は曇り空と霧の為に薄暗くなっています。

 実はこの水で張られた箇所は進んで行くことができます。靴とズボンの裾が浸らないように注意しながら進んでいくと。

 

f:id:Rayleonard-00:20201013215632j:plain

 

 割られたかのような大地の合間を静かに流れる川を拝むことができます。よく見ると、人が歩けそうな場所も見えます。

 

 途中の仕掛けがなければ、もっと自然を満喫できたのに……と負け惜しみを思いながら、尚も響いてくる不協和音ですっかり心が折れてしまいそそくさと撤退することとしました。

 

 後ほど調べてわかったことなのですが、どうやら近代美術家とコラボして自然と現代アートを両立させた空間を作り上げていた、とのことでした。

 

 ……。

 

 怖がりには優しくないです。本当に。

 現代アートって、難しいというか、理解が届かないところにあるんだなぁ……。

 

 清津峡最奥で一応正気度を回復しながらも、狂気が一部収まらない私は自分でもよく理解できないテンションを暫く保ったまま。

 夕暮れに沈み夜の街となっていく新潟市へ、私たち三人は戻っていくのでした。

 

 新潟の旅は、まだ終わらず続きます。

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

【Aセク・LGBT】受け入れられなくても ~然れど、寛容することはできないこともある~

 ※注記※

 本記事ではLGBTやセクシャルマイノリティについて述べています。

 セクシャルマイノリティは分類などできない程複雑なものですが、当事者の一人として、本音の数々を綴っていきます。

 個人的に憤りを感じたこともあり、汚い言い回しや皮肉、嫌味が並ぶこととなりますが、どうかご容赦ください。

 ※注記終了※

 

 

 

 先日辺りから、セクシャルマイノリティに障る発言をした某議員さんが差別的発言だとされ、連日報道界隈を賑わせています。

 恐らくご本人は「異性と結婚して子を増やせ」と言わんばかりの発言のみならず、謝罪どころか開き直る有様。

 流石議員様、お高い身分にいらっしゃる方々はどうも想像力に欠けていると見受けられます。

 

 それだけでなく、報道に関わる方々も同じことが言えるような気がしてなりません。

 話題に上げることは簡単ですが、安易に「LGBT」という言葉に食いついて報道する方々も、報道して目を向けてくれれば御の字。表向きに非難するだけで、裏に隠れた当事者たちの心境や思いを真に理解するつもりはないのだろうな、と冷めた感情しか浮かばない【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 この話題は波紋を広げ、有名人や芸能人からも苦言を呈する言葉がTwitterを始めとしたSNSでも飛び交っています。

 報道機関などよりも、寄り添うように並べられる言葉。当事者たちが打ち明けづらいことを世の中に発信してくれることは、有り難いことと思うと共に。

 

 LGBTという括りでは収まっていない、Aセクシャルを自負する私としては。

 各企業や団体が積極的にセクシャルマイノリティについて謳ったところで、結局「理解」はされても「受け入れられる」ことはほとんどないのだろうな、と諦めに近い思いを抱いています。

 多種多様な人間を、と言いながらも。研修や講座で聞くだけでは性に関する事柄は決して理解されないだろう、と思う為です。

 当事者ですら困惑する自分自身の性への考えは、語りかけること程度で理解できる程、簡単ではないはずなのだから。

 

 

 今回は昨今理解が進み始めたと言われていたLGBT、セクシャルマイノリティに対して、暴言とも差別的な発言が大体的に報じられたことを受けて、世の中で未だ流布し解消されない性に対する考え。

 当事者が打ち明けたところで異物扱いされかねない世の中で、未だいることを。

 そして私個人として、それらが受け入れられなくてもある程度は仕方がないと思いながらも、それでも、差別的な発言は看過することも許すこともできない憤りを抱いたことを、綴って参ります。

 

 過去にAセクシャルやセクシャルマイノリティについて綴った記事は、こちらからご覧になれます。よろしければ、ご閲覧いただければ幸いです。

 

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 LGBTを貶す発言をするヒトから見れば、セクシャルマイノリティは他人事

 

 

 セクシャルマイノリティに関する問題は、これまでも幾度となく話題となり、切っ掛けとなって世に知れ渡り、認知されてきたという残念な一面があります。

 少し前の話になりますが、「女性は子供を産む機械」「装置」ととんでもない発言をした元大臣の発言です。

 これは差別云々以前に、人を人として見ていないことが露呈しました。何を思ってこのような暴言を吐いたのかは本人のみぞ知ることと思いますが、比喩としてと弁解しても到底済まされないことです。ご本人は日本の将来を憂いてのことなのかもしれませんが、人を愚弄するにも程があると思うものがありました。

 他にも男女格差について様々な意見が行き交い問題を作る発端となる失言も見られました。海外ではLGBTについて理解を求める運動が盛んに行われていますが、日本では啓発運動が良い所で留まり、鳴りを潜めてきました。

 

 そんな折、今回話題となっている議員の発言はあまりに唐突でした。その文言に、怒りすら覚える程でした。

 

「バイセクシャルとトランスジェンダーは生まれつきだが、レズとゲイについては広がれば〇〇区が滅んでしまう」。

 

 ……ほぉ、左様ですか。

 

 この御仁、理解を進めようというつもりは更々ないことはわかりました。。

 定義?しているつもりなのかもしれませんが、そもそもセクシャルマイノリティは生まれつき、本能として持った性に対する思いや考え方なはず。それをまるで害悪な存在だと言っているような発言は、仮にどう弁解されても謝罪されても許せることではありません。

 

 おまけにこの御方、子供も孫もひ孫もいらっしゃるとのことです。そんなご自身の生き様を、正当化するかのように誇張したというインタビュー記録もあります。

 

 ……そうですか。

 つまり、貴方のように結婚して子を育むことが「普通のこと」という認識なんですね?その偏った「普通のこと」から漏れる人たちは、子孫繁栄に携わらない害と言いたいのか?そのような人たちがいることで、日本社会は破綻すると?

 

 随分な物言いですね。結構なことです。

 しかし「普通」でないことだけで、そこまで言われる筋合いはありません。

  

 人の思いや感情、考え方はある程度定義できたとしても、完璧に分類することなど不可能です。喩え部類として近いものがあっても微妙に違っていたり、定義文を見て「うーん、それはないかな」と人によって全く異なる感じ方や解釈の仕方があります。

 ましてやセクシャルマイノリティは性に関することもあり、とてもデリケートで安々と触れられたくないことです。安々と公言するどころか、受け入れられることも簡単なことではありません。

 

 それを蔑ろにし、更に迫害するような発言をする御仁は、挙げ句に開き直って「自分の思ったことを言っただけ、謝罪する考えはない」という捨て台詞にも似た言葉。

 

 何区の何党所属議員の方かは知りませんが、もう謝罪も何もいりません。

 セクシャルマイノリティの話以前に、頭が凝り固まったような方と仲良くしたいと思う程、私の心は広くありません。どれだけ偉くてお金持ちなのかは知る気もありませんが、自身の考えを曲げられなくなった老害はさっさとご退場願いたいところです。

 

 しかしながら、事は簡単ではありません。

 揚げ足を取るように報道する、メディアにも問題があると私は考えています。

 

 

 

 

 セクシャルマイノリティを出汁にすれば視聴が伸びる、そんな考えが見え透くマスコミ

 

 

 近頃の報道関係は事実を隠蔽し、自分たちにとって都合の良い形に内容を改変して一般人である私たちに情報を流している、と盛んに騒がれるようになっています。

 「マスゴミ」と揶揄される酷い有様ではありますが、個人的には賛同します。

 

 何故なら、一つの問題や発言に食らいつくようにこぞって報道するだけで、それに対する説明やフォローがないことにあります。

 

 今回のセクシャルマイノリティについてもそうですが、発言した議員を「問題発言した」ということだけを伝えるだけで終わっています。剰えそれだけで「悪」と決めつけて悪者扱いして祭り上げるかのようにして、時が過ぎれば賞味期限切れとばかりに触れられることはほとんどありません。

 

 私の考えになりますが、仮に誰かの発言が問題だったというのであれば、「どこが問題になるのか」ということ。問題として取り上げるのであれば、その「基準」となるものがどういったもので、どの部分に抵触するから「この発言はマズイだろう」というところまで情報を示すのが、情報提供者として成すことなのではないかと思っています。

 

 今回に限れば、「セクシャルマイノリティに反する問題だ!」と大体的に言われても、人によっては「セクシャルマイノリティって、何?」となる人も少なからずいると思います。

 そのような情報も示すことなく、まるで揚げ足を取るようなやり方は、個人的に違うのでは、と思えてなりません。

 

 セクシャルマイノリティは、一言で説明できるような簡単なものではありません。しかしそれでも、ある程度の情報を提供しないのであれば、単なる野次馬と同等です。

 善悪で判断できない事柄こそ、情報を指し示し世間に知らせるのが、マスコミの仕事であり本命なのではないでしょうか。

 誰かを貶める、煽るような情報しか出せないのなら、それこそ不要なものだと私は思います。

 

 

 

 

 受け入れられることは難しい。それでも差別的な発言は、許す気はない 

 

 話を戻します。

 この度セクシャルマイノリティについて堂々と発言された議員さん、恐らく今後は進退を含めた情報程度しか我々には届かないと思います。

 

 正直なところ、そんなことはどうでも良いことです。

 

 私が最も思ったことは、LGBTやセクシャルマイノリティは、程度の差はあれどやはり受け入れられることは難しいことなのだなと痛感したことです。

 

 少子化が進み、これからの日本を支えていく人材についての憂い。それだけでなく、年金や国債といった現実的な話を前には、私も抱える性に対する考え方は蚊帳の外。もっと言えば、そのような問題を危惧する方々から見ればただの害悪なのかもしれません。

 

 色々と意見は出るでしょうが、私としては無理もないか、という諦めに近い感情しか湧きません。逆に安易に知った顔されるよりは良いのかな、なんて思うほどです。

 逆の言い方をすれば、セクシャルマイノリティについて理解を強要するようなこともまた、それはそれで違うのかなと思うのです。

 

 何故なら、当事者の性に対する考えや意識は、その人にしかわからないことだから。定義されていても、理解を促す啓蒙活動を以てしても、理解はできても納得はされないでしょうから。

 

 私が抱えるAセクシャルは、他人に恋愛感情も性的欲求も抱けないものです。それを口にしたところで、「いい相手に出会ってないだけ」「そんなこと言って、本当はムッツリなんだろ」と、心無い言葉を受けてきました。

 そして「そろそろ相手を見つけて、可愛い子どもを育てないとな」と言われた時が、一番ショックでした。

 そうしたい、という思いが湧き上がらないのに……。

 

 故に受け入れられることは、私は進んで望むません。寧ろ触れないでくれれば、私はそれで構いません。

 

 然れど、本記事で取り上げた発言は、あからさまに「人として失格」「『普通』の生き方をできない人間が増えれば、国が滅ぶ」といった内容とも捉えられます。

 そのような、例外に漏れた人を人間扱いしないような言葉は、私は許すことはできません。

 

 普通でないだけで、異物扱いするのか。

 異性を愛し、子を育むことができない考えや本能を持つ者は、人ではなく人形だとでも言いたいのか。

 

 なら、そうすることを「普通」と定義する理由だけでなく。

 特定の性にしか興味を抱けない、もしくは全く興味を持てない人間もいることを。

 許容するまでとはいかなくても、少なからず存在していることに、少しでも目を向けてくれる日が来ることを願うばかりです。

 叶いもしないかもしれない、願いを。

 

 

 今回もご閲覧いただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

 

f:id:Rayleonard-00:20201007200640j:plain




【感情・価値観】怒りを撒き散らす人 ~がっかり、本当残念~

 季節の変わり目は身体だけでなく、精神もついて行けずに不調になることが多々あります。一昔前のように暦通りに四季が移り変われば準備を済ませて、盤石な状態で季節を楽しめましたが、昨今では唐突に気温や大気の状態が変化しやすく、身も心もつらい状態が続きます。

 日頃の生きるストレスだけでなく、そういった自然からも少なくない影響を受けているのだろうな、と肌身で感じる場面に直面した【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 些細なことでしたが、会社からの帰路にて嫌な思いをする出来事に出くわして参りました。

 不安定極まりないこの世の中で、コロナ禍も合わさり、誰もが不安や不満は抱いていることと思います。

 しかしながら、それを自身の中で消化することも、趣味を始めとしたものでも発散できず。負の感情を怒りとして、怒鳴るようなことでしか吐き出せない人がいることは、残念ながら事実です。

 

 怒りを制御できないのは辛いことではありますが、周りに迷惑を掛けたり不快にさせる方法しか知らない人は、色々な意味で残念な気持ちでしか見られなくなって久しい思いです。

 

 

 今回はふとした出来事を通して、怒りという強烈な感情を周囲にぶち撒けることしかできないことについて。

 感情の過度な抑制は病気に繋がることを、この身で味わった一人として。

 見窄らしくて見苦しいと思うと共に、誰も幸せにならないであろうと思ったことを、ディズニー・アニメのズートピアの主人公の一人ニックのセリフ。

「がっかり、本当残念」という思いに載せながら、綴って参ります。

 

 ※注記※

 本記事では口汚い罵りの言葉や、憶測の域を出ない私の勝手な思いが飛び交います。

 そのような表現が苦手、嫌悪感を覚える方は、申し訳ありませんが引き返すことを強く勧めさせていただきます。

 ※注記終了※

 

 

 

 

 

 ガソリンスタンドにて待つ、たった数十秒の合間に浴びせられた怒りの捨て台詞

 

 帰宅ラッシュの真っ只中でした。通勤列車から降りた私は愛車に乗りながら、溜め息を吐いていました。

 

 休み明けの勤務は、どうしても疲れますよね。

 

 不安定な世の中、時には鞭打ってきた自分の身体と心を癒やす憩いの時間に当てる。

 溜まった鬱憤を晴らす為に、思い切って出掛けて心の毒を吐き出す。

 時には何もかも忘れて、ひたすら寝床に着いて横になる時間を堪能する。

 

 そんな時間から一気に現実に引き戻されて、殺伐とした職場で業務を遂行することは中々キツイものがあるかと思います。

 

 私もその一人で、週明けから次から次へと降り注ぐ仕事の嵐に翻弄され、すっかり草臥れていました。

 明日一日出社すれば、また休日であればいいのに。叶いもしない願いを抱えながら、愛車の燃料計に目を落としました。

 目盛りは、そろそろ給油しないといけない状態を示していました。

 近頃は原油価格が安定しないこともあり、早めに給油しておこう。そんな思いと共に、帰路の途中にあるガソリンスタンドを目指します。

 そのスタンドはコンビニ併設型のスタンドで、フルサービスやただのセルフ給油所よりも遥かに安く燃料を入れることができる場所でした。週末は県外の方も訪れることもあり、混雑することで知られています。

 週明けということもあり、嫌な予感はしていましたが……給油スペースは満車で、順番待ちをする車が何台もいるような状況でした。

 

 このスタンドは燃料代を浮かせることができるものの、国道沿い、しかも信号付近に位置しているということもあり、時には交通の妨げになるような渋滞を作ってしまうこともあります。他に出入り口がない為、本日も運悪く順番待ちの車が敷地内に収まらず、私が国道を塞ぐような形で渋滞を作る要因となってしまいました。

 

 片側二車線の道路なので、後続車は次々と避けるように空いている車道に車線変更して過ぎ去っていきます。

 

 気まずい。そして、何だか申し訳ない。

 

 そんな思いを抱きながらも、早く道路からお店に入りたい一心でいた私でした。

 

 その時は、唐突でした。

 「他のスタンドで入れろよ馬鹿野郎っ!!」だったか。

 「こんな所で入れようとすんなよ馬鹿野郎っ!!」だったか。

 抜かしていく車の中で、口汚い罵声を吐き捨てていく輩の声が残されていきました。

 

 そいつは確か、白の軽ワゴン車だったかと思います。汚い言葉に似つかわしい、4、50代の男の声でした。

 

 あ?と最初こそ思いましたが。

 やることを成して、そそくさと給油所を後にしました。

 

 燃料も満タンにできたこともあり、思いを書き連ねている今、不快感も憤りも特に感じていません。

 

 ただ。

 器の小さいドライバーに出くわしたな。

 普段からあのような罵声を吐くような奴なら、どうしようもないな。

 そんな、冷めた思いしか残らずにいます。

 

 

 

 不平不満を怒りに変えて撒き散らす。それで、満足したのか?

 

 

 今回は給油所での出来事でしたが、それ以外にも不平不満を喚いているようなヒトを見かける機会が増えたような気がします。

 お客様は神様だ、と未だに凝り固まった考えに縛られるヒト。

 店員でもないのに「〇〇はどこにある?」と聞かれて「すみません、店員じゃないので」と返した途端に舌打ちするヒト(実話)。

 会社では一対一で話せば話は終わるのに、わざわざ大衆の面前で大声張って責任追及する老害(実話)。

 上げればきりがありません。それ位、感情を怒りに変えて撒き散らすことしかできないヒトが多いことは事実です。

 

 そうしたい思いを、私自身全部否定するつもりはありません。同情を求める形で非難するつもりもありません。

 

 この世の中に生まれ、生きている以上、自分の思い通りにいかないことの方が大半を占めます。それにより感じる不満やストレスは毒と化して身体を犯し、精神を侵食していきます。

 それを何らかの形でガス抜きしなければ、いづれ心身が耐えきれなくなり不調を齎すことになります。それも、苦しいことを誰にも理解されないまま。

 

 例えば、誰にも相談することもできずに抱え込み続けた挙げ句に精神を壊してしまった、私のように。

 

 しかし、と思います。

 沸騰しかけている感情や思いを、怒りに変えることは仕方がないとしても。

 それを関係のない、もしくは多少その要因になった人に攻撃的な態度を以て、当たり散らすことは果たしたどうなのだろうと思って仕方ありません。

 理性を持っているとは言え、人間も時にはそれを振り切って生存本能が先走ることはあるとは思います。

 

 でも。

 怒鳴った所で、そのヒトは一瞬であっても救われるかもしれません。

 では、それを浴びせられた人は?その人の気持ちを考えて、怒声を張り上げているのでしょうか?

 

 そんなことをして、満足するのでしょうか。

  

 

 

 周りに迷惑や不快を与えてまで怒りを吐く存在は、害悪でしかない

 

 私たち人間は、他の動物と異なり理性だけでなく、沢山のコミュニケーション方法を持っている生き物です。

 特に相手との意思疎通には、多種族を遥かに超えた言語を用いるという優れた能力を持っています。

 

 不満があれば、言えばいい。冷静な言葉と態度を以て、主張すれば良いと思うのが私の考えです。

 それができない状況の方が多いだろ、という考えもわかります。

 

 でもだからと言って、周りに不快感や迷惑を感じさせるような発散の仕方は、個人的には容認できないのです。

 先程述べたような怒りを伝播させる手段-私は愚行としか思えませんが-は、他に発散する方法がないからではないからなのではないか、と安易な予想ができてしまいます。

 

 もっと端的に言えば。

 他人を巻き込むようなストレスや怒りの発散は、単なる害悪でしかないと私は考えています。

 

 事情を知る以前に、他に方法は幾らでもあるのでは?という考えが巡ってしまうのです。

 

 

 がっかり、本当残念

 

 

 様々な世代が入り乱れる現代では、「こうすればストレスも一気に発散!」というものがないと思っています。

 発散方法は人それぞれ、身体を動かして溜め込んだ毒を出し切る人もいれば、趣味に没頭する人。私のように文章を綴ることで心の安寧を保つ人。

 多種多様な手段が溢れる中、どの手段で日頃の鬱憤を晴らすかは、それこそ人それぞれだと思います。

 

 そんな中で、少しの不満で怒鳴り散らすようなやり方は、私の中では古典的かつ浅はかな手段と思えてなりません。

 

 どこかのCMで、「その日の汚れ、その日の内に」というキャッチフレーズがありますが。

 同じように、「自分の不満、自分のやり方で」解消する方法が、一つはあると私は信じます。

 

 その上で、それでも他人を罵倒し萎縮させるような方法しかないと言われれば、最早言えることは何もありません。

 

 同時に。

 そのようなヒトには、私は「がっかり、本当残念」と辟易してしまいます。

 

 仲の良し悪しはともかくとしても。

 対話なくして、人と人の交流や共感はあり得ない。

 それが、私の経験です。

 

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。 

 

 

 

 

 

f:id:Rayleonard-00:20201005190959j:plain

 

【写真・趣味】十五夜の月 ~素で十六夜と間違えました~

 今年も早くも10月。10月1日は中秋の名月、十五夜ですね。

 秋に本格的に入っていく季節の節目ではありますが、今年は10月2日が満月のようです。月明かりの眩しさと静けさに、心を洗われているような、そんな思いに浸っている【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 そのことを忘れて自室でボーッとしておりましたが、各SNSで満月の写真を上げていらっしゃる方々の投稿を拝見していました。

 月。太陽に比べれば明るさも乏しいながらも。夜を照らし出し、日によってその姿を変える神秘的とも呼べる美しさ、そして繊細さのようなものを感じさせる天体。

 日の光は如何なる生物にとってもなくてはならない存在であることは思うものの、私は月の穏やかで柔らかい光に惹かれます。

 もし現代に溢れているPCやスマートフォン、そこから発せられる情報の海がなければ

、時間を忘れてずっと眺めていたい程です。

 

 などと言いながら、十五夜と十六夜を素で間違えて車のSNSで投稿するという天然をやらかしました。だって十六夜って名前がカッコいいんですもの(重度中二病

 

 

f:id:Rayleonard-00:20201001212251j:plain

 

  10月1日に三脚を自室の出窓に設置し、カメラを月の撮る為に最適とされる設定に合わせ撮影しました。私の持っているレンズの中でも最大望遠で撮影できる18-300mmの高倍率SIGMAレンズを用いています。

 

 

 閑話休題。

 

 良く陰と陽に例えられることも多い、太陽と月。姿を見せる時間帯に留まることなく、齎すものも正反対。

 二つは対極に位置するが為に、比較され、ヒトによって見方が変わってくるのかもしれません。

 

 

 太陽は地球に生きる、生けとし生けるものにとってなくてはならない存在であり、生命の象徴とも呼べるものと個人的に思っています。

 太陽がなければ、私たちヒトを含めた生き物は生きていけません。

 

 では月は?

 生存に必要なもの、というよりも、どちらかと言えば神秘性や華麗さといった側面で見られることが多いような気がします。

 

 日本でも世界でも古代より、太陽に勝らずとも劣らない信仰のようなものを抱いてきました。潮の満ち引きといった現実的なことだけでなく、ヒトの精神にも大きく影響を齎してきました。

 

 これは最近知ったことなのですが、月と言われて思い浮かぶ動物は……という質問に対し、日本では「餅をつく兎」と。言われることが多いです。

 他方で海外では、面白い程沢山の捉え方がされているようです。

 

 北ヨーロッパでは動物ではなく、「本を読むおばあさん」と見られているようです。

 アメリカや東ヨーロッパでも人間として認知されていますが、こちらでは「髪の長い女性」と認知されています。

 動物という観点から見れば、南ヨーロッパは「カニ」に。南アメリカでは「ロバ」或いは「ワニ」、アラビアでは「ライオン」と見られているそうです。

 

 こう見るだけでも、人種や住む地域を超えて、ヒトは各々感じることや思うこと、考え方に違いがあることがわかります。

 そういった側面から見ても、私が月の魅力に魅せられているのかもしれません。

 

 

 

f:id:Rayleonard-00:20201001212351j:plain

 

 撮影モードを換えて撮影した月、見方によっては金星のようにも見えます。

 

 

 話を戻しますが、月に魅了される理由がもう一つあります。

 精神的な理由となりますが、私自身が陰と呼べる性格であると自認しているということが一番です。

 

 これまでも綴ってきましたが、私は決して人当たりがよく公明正大、誰とでも仲良くなれるような人間ではありません。元々人見知りが激しいだけでなく、ワイワイゴチャゴチャとするような空気が苦手を通り越して嫌いだったこともあり、友人作りや人間関係の構築にはいつも苦労してばかりいました。

 一方で特段何もしなくても雰囲気や言動で人が寄ってくるような人が、学生時代にも社会人になってもいました。そういった人たちは、外から見ている限り笑顔で一杯でしたし、周りも自然と笑いが広がっていました。

 

 正直、羨ましいを通り越して妬むような感情をずっと抱いていた気がします。

 今でこそ自分というものを少しすず理解し始めたので陰キャラでもいっか、と開き直りつつありますが、当時はそういった場面に出くわすだけでも「自分はいらない人間だ」と勝手に嫌悪して、逃げてばかりいました。

 

 月が、雲に覆い隠されるかのように、誰にも気付かれない内に。

 

 また月の満ち欠けに似たように、私の気分屋なところもネガティブな感情を抱き続けてきました。

 話に一貫性がないことを嫌う癖に、自分の起伏の激しい感情を抑えきれないことも多々あり。自分だけでなく、周りにも迷惑を掛け嫌気を差させてきました。

 

 昔から月を見ることは好きでも、薄汚い生き方しかできない私自身と月の美しさを無意識に対比させていた、のかもしれません。

 

 

 今は、少しずつ自分の考えや感情の起伏を受け入れ始めることができ、同時に「周りも思っているほど、自分のことを見てなどいない」というカウンセラーの言葉もあり、諦めではなく享受という考え方ができるようになりつつある私ではありますが。

 

 未だに、月の変わらない美しさに。日によって姿を変えながらも、様々な表情を魅せてくれる月に、羨望を抱き続けています。

 いつの日か、自分の気持ちに振り回されずに、喩え朧気でも人が集まるような人間でなくても良いから。月のように物静かでありながら周りを見渡せる、そんな人になっていきたい。

 

 子供のような感想でありながら、そんなことを思いながらカメラを月に向ける、十五夜でした。

 

 

 皆さんは。

 暖かな太陽の日差しと、朧気な月の光。どちらがお好きでしょうか。

 

 

f:id:Rayleonard-00:20201001212002j:plain