白兎と雪狼の、果てなき旅路

ドライブやドライブや写真撮影を趣味とし、その他、HSPやAセクシャル、イジメ。精神的・心理的なことについて綴っていきます。

【車・価値観】せめて、愛車の中では紳士で-前章- ~本気で向かってくれた、あの人の言葉~

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 先日の話になります。

 ワイパーをハイスピードにしても前が見えない程の大雨の中、愛車を走らせて参りました。工事中の高速道路が水溜りとなっている箇所が何箇所も点在し、ハマってハンドルを全く回せないハイドロプレーニング現象に遭遇し、久方振りに冷汗をかく事態に遭遇しました。

 幾ら気を付けていてもどうしようもない時がある、それが運転です。

 そんな悪天候の中でもライト不点灯の車が見えないことに「自分は見えていても、周りは見えないんだが……」と独りブツブツと文句を言いながら走り抜けて来た、【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 その時も一時不停止やながら運転で取り締まられている車を、何台か見て参りました。最近では高級車を100キロオーバーで走らせ事故を起こし、相手を死傷させるという最低なドライバーが後を立たないニュースも目立っています。

 そして併せてここ数年、横行する煽り運転も厳罰の対象となり、車の運転が安全へと向かう兆しを見せる一方で、締め付けも厳しいものとなり始めています。

 今までは他人事で見過ごしてきたことも、明日は我が身となる日も、そう遠くないことを実感いたしました。

 

 かく言う私も、自分の運転はかなり荒いことを自他共に認めております。

 無理やり割り込んできたり直進するこちらを阻んでも右折するような車に遭遇しては「危ねぇな馬鹿が」「入ってくるタイミングじゃないだろうクソが」と汚らしい罵りを吐き捨ててきました。

 務める会社内でも運転の荒さは常々指摘され、「白兎はハンドル握ると性格変わるから」と認知され、半ばネタ扱いされて久しくあります。

 

 しかし。

 

 私は、自分の運転が荒いと自認するだけで、運転を続けていて良いのだろうか。

 他人を批判したり指摘できるような運転技術やマナーを、心掛けているのか。

 とある一つの文献を目にした後、自分の車の運転について自問自答する切っ掛けがありました。

 

 

 今回はそれまで自分の中では当たり前のことだと信じて疑わなかったことが、より厳罰化の一途を辿ることで覆りつつあること。

 いつの間にか身に着いて、それに反した他者に攻撃的になることで、私という存在を肯定してきた「車を運転すること」の絶対的な価値観や考え方。

 それは、単なる思い込みや自惚れに過ぎなかったことを身に沁みて感じたと共に。

 それでもせめて、愛車の中では紳士でいたいと思うに至ったことについて、綴って行きたいと思います。

 

 

 ※注記※

 本記事では車の運転について綴って参りますが、道路交通法や運転マナーという側面から見れば、個人的な思いに偏るかと思います。

 法律はともかく、どのような考えが正しいか否かは、別問題と考えております。

 飽く迄【やさぐれ紳士】白兎という個人の考えに基づいて本記事を綴っていることを、ご容赦願うと共に、ご理解を頂戴できればと思います。

 ※注記終了※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 運転技術は教習所で。では、マナーは?

 車を運転するには、当然のことながら運転免許証が必須です。

 多くの方が自動車教習所に通って運転技能と知識を身に着け、仮免許を取得して。路上教習を経て自動車学校を卒業した後、学科試験に挑み合格して初めて、車を運転することが許されるようになります。

 

 学科試験で合否判定が行われる瞬間の緊張。そして自分の番号が表示された時の喜びを、皆さんは覚えていらっしゃいますでしょうか。

 

 私は元々運転免許を取ることに消極的ではあったものの、技能も学科も一発で終えることができた時は声を出して喜んだものです。今思えば、大衆の面前だったこともあって少し恥ずかしいですが……。

 

 とは言え、専門学校の夏休みの半分近くとお金を使って、やっと免許を取得することができた喜びは一入でした。

 当時から自分に自信がなかった私はマニュアル車の操作などという複雑なことなんて、できないと決めつける程でした。

 

 他人に貶され、笑われて。高校受験にも失敗して。

 その頃から、辛い思いばかりの世の中を、生きる意味なんてあるのだろうか。

 そんな諦観に明け暮れていた私が専門学校で情報系の国家資格を取得でき、その上車を運転することを許されたことは、その時はこの上ない喜びを味わっていました。

 

 と言いながら、私の住む地域は車無しでは生活できない僻地。免許を取っても車を運転しなければ何の役にも立ちません。

 いざ初心者マークを貼り付けて母親のマニュアルで練習がてら運転、運転。

 最近の車と違い、当時は各種アシスト機能がない単なる軽自動車のマニュアル。例えば坂道発進でしくじった時には後続車からのクラクションで一瞬にして混乱。母に坂道発進のやり方をもう一度半ば叩き込まれるように操作して難を逃れる、ということばかりでした。

 今思えば車を動かすだけでもヒーヒー言っていたのが、懐かしいと思うと共に。

 自分の運転技術が、車の運転の全てとも言えました。

 車に頼れる機能がないのなら、自分の技術や感覚がものを言う。だったら、経験を重ねるしかありません。

 

 車に運転させられるのではなく、絶対、上手く乗りこなしてやる。

 

 意気込みながら会社に入社し、いざ社用車で知らない道を運転していく内に。最初は「おっかねぇ」だとか「運転怖ぇ」と半泣き状態でしたが。

 徐々に自分の運転動作だけでなく周囲の状況、更には地域ごとに微妙に異なる車事情を把握し、自分のものになるよう吸収していくのでした。

 

 

 そんな中で、思ったことが離れない時期がありました。

 

 運転技能は、自動車学校で基礎を学び、路上教習で少しずつ車の流れに慣れていって。免許を取得した暁には、ひたすら運転してスピードの感覚だけでなく。

 車ごとに異なる車幅や見下ろし、死角といったものを学び、身に付けていくことで徐々に自分の糧となり、運転技能のさらなる向上。時には修正に当てることができました。

 

 一方で、今は死語となりつつある、運転する時の心構えやマナーといったもの。

 

 最後にきちんと習ったのは、自動車学校での座学が最後でした。

 では、免許皆伝となって自分だけで車を運転するようになった時。

 誰かが教えてくれたり注意してくれることなんて、あったっけ。

 

 免許を取り立ての頃は、そんな疑念が頭を過ぎったこともありました。

 然れど、ヒトという生き物の「慣れ」というものは、優れていながらも恐ろしいものだと、今も私は思います。

 

 何故なら。

 緊張でビクビクしながらハンドルを握って、隣の教官から「力、入り過ぎだよ」と注意されたのが酷く昔のことのように思える程に。

 

 運転する姿勢 -身体も心も- すっかり自分色に染まり上がっていたのでした。

 荒いを通り越して、無茶苦茶だった二十代前半の運転

 

 

 

 冒頭にも触れましたが、私は車に乗ると性格が変わったかのように罵詈雑言を吐くに吐きます。

 それだけでなく、免許取得後暫くは母の車を借りて遠出をするようになっていましたが。

 会社に務めて貯めたお金で、初めて自分の車を購入したのを契機に。私が運転する、自分の車が行く道は、道路交通法といった縛りはあれど。

 自分の中のルールが、全て。そう言っても過言ではない程、無茶な運転をしていました。

 

 気分屋で移り気の激しい性格であると自認できたのは、つい最近のことです。

 その前と言えば、気分が良い時は自分の速度でマイペース運転。後続車が詰めて来た時は「さっさと行って、目障りだから」と運転を人から邪魔されたくない一心で無理にでも後続車を行かせることもあれば。

 会社で気分を悪くした帰り道は、憂さ晴らしとばかりにスピード超過。一般道なのにエンジンが唸る程、車を飛ばしていって。

 前に法定速度や規制速度を守る、ゆっくりな車がいる時は「邪魔臭いな、どけっ」と視界不良の道でもお構いなしに追い越していきました。

 

 今思い返せば、若気の至りでは済まされない醜い思いと共に運転しておりました。

 

 また運転するに当たり、運転席に座す姿勢もシートを視界確保ができるギリギリまで倒して、ハンドルを握るのは常に片手。ソファーにもたれ掛かるような酷い格好で車の操縦をしてきました。

 

 そんな心構えと実際の身体の姿勢で、事故を起こさなかったこと、起きなかったことが不思議に思える程です。

 いや、違う。

 誰かを巻き込むようなことがなかったことを、寧ろ感謝しなければいけない位です。

 

 

 それでも尚、運転にもすっかり慣れた、ある日のこと。

 その日は私から見て、初めて直属の上司となった方と仕事に向かう時でした。

 軽自動車に慣れ切っていた私が、教習所以来となる普通車を運転するようになって久しく。

 フロントノーズ(ボンネットの長さ)にも何とか適応し、プライベートでも会社でも、運転する楽しさを蓄積させていた、その時でした。

 

 

「運転慣れてきたなぁ、白兎ぉ」

「え、あ、はい。お陰様で。車の運転って、楽しいですね、橋さん。自分の空間を守れるって言うのもあれですけど」

「そりゃ良かったな、ははっ」

 相変わらず不格好な姿勢で、高速道路を片手運転する私。その横では、煙草を吹かすその人は。

 名字が珍しい方で、滑舌の悪い私には噛んでしまい呼び辛かったその人を、私は『橋(ばし)さん』と呼んでいました。

 会社では強面で言うことはきっちり言う。私が小学生、ひいては生まれる以前から顔見知りで同じ職場で働いていた方々は、揃って丸くなったと言っていました。

 それでもより上の立場に立つ人の言葉に噛み付いて、自分の思うことはきっちり貫き通す。会社の方針だからと逃げようとする上層部にでさえ、納得が行くまで食らいついて離すことがない。とても頑固で自分を曲げようとしない、真っ直ぐな人。

 しかし私のような、当時20代の若者を部下にした時は驚いたとのことでしたが、実際仕事をするときは懇切丁寧に、それでいて冗談や雑談を交えながら業務を教えてくださった、とても面倒見の良い人でした。

 そんな橋さんが、頬を緩ませる私に。

 

「でもな、白兎?高速道路はせめて両手でハンドル握ろうな?」

 

 一言だけ、強制する訳でもなく、怒ることもなく投げ掛けてくれました。

 

「あ、はい」ととその時は軽く流す私でした。

 

 しかし。

 そんなことを言ってくれた人、今までいなかった。

 

 

 別の時には、緊急の修理業務を遂行するに当たった時。

 無知な私は聞こうともせず、適当な行動をしようとした時には。

 

「馬鹿っ!!何やってんだ、死ぬぞお前!!」

 

 これまで見たことのない、職人の顔。真剣で、若手や無知という理由など許さんという覇気に満ちていました。

 私は成す術もなく、どうすれば良いのかわからなくなり混乱してしまいました。

 あたふたするばかりで何もできないでいた私に、橋さんは的確に指示を出し、私は修理技術について聞く暇もなくその通りに動くことしかできずにいましたが、無事業務を終えるに至りました。

 

 本気で怒ってくれたこと。

 身体が一瞬硬直する位の怒気を以て愚行を止めてくださったのは、これまでもそのときが最初で最後でした。

 業務を終えた後は、私は怒られたことに動揺して気が気でありませんでした。しかしながら、互いに紫煙をくゆらせながら一息ついた時には。

「ありがとな、白兎。夜中の緊急対応は、疲れるよな!」

 笑いながら。

 いつもの、まるで本当の子どもを見るような優しい目と、柔らかな雰囲気を醸す橋さんに戻っていました。

 

 本気で怒られた時は、怖かった。今すぐその場を逃げたい位に、怖かった。

 私が、どうしようもなく臆病だったから。怒られることに、慣れていなかったから。

 怒られることから逃げる生き方を、ずっとしてきたから。だから、余計に怖かった。他の、ベテランの人が来てくれれば、こんな怖い思いをしなくて済んだかもしれないのに。

 

 でも。

 机を挟んで、お互いの煙草を吹かす橋さんと私の間には。

 会社の利害や上司と部下という関係もありませんでした。

 

「そ、そうですね。明日も普通に仕事ですもんね。でも、早く終わって良かったです。その、ありがとうございました」

「一人だと大変だからなぁ。皆お盆で帰省したり飲んでたりしてるから、お前が来てくれて助かったよ。ありがとな、白兎」

 

 

 静かに笑う時も、諭すように運転を指導してくれた時も。一歩間違えれば死に至ったかもしれない私の未熟さを本気で怒ってくれた時も。

 いつも、純粋に接してくれ続けてくださいました。

 

 あぁ、もし。

 もし、この人が実の父親だったら。

 喧嘩は絶えない仲になったかもしれないけれど。

  本当に「親父」と呼べたのかもしれないなぁ……。

 

 でも、だからこそ。

 この人の言うことなら、信じられる。

 他人を信じられなくなっていた私でも、橋さんだけは、私に本気で向かい合ってくれた。

 

 だったら私も、本気で応えたい。

 

 そんなことも重なって、私は指摘された自分の運転姿勢を矯正していきました。

  倒れ切る座席を起こして、背も腹も違和がないよう調整に調整を重ね。ハンドルを握る手も片手から、ギアチェンジやオートマチック車のシフトダウン以外の時は両手で握るよう心掛けていきました。

 最初こそ運転席に座る身体は狭苦しくて、両手で握るハンドルも窮屈で、兎にも角にも違和感だらけ。とても運転を楽しむ余裕もなく、油断すればすぐに片手ハンドルに戻ったり、座席を楽な位置に戻したりを繰り返していました。

 

 然れど。そこで「楽」を求めれば、全て元に戻ってしまう。

 橋さんが言ってくれた言葉が、全て無駄になる。

 

 一度付いてしまった、癖。それを正すのは容易ではありませんでした。

 そのような、運転に差し支える悪癖を、数年に及ぶ年月を経て。

 

 やっと、自分なりに正すことができました。

 矯正しようと決意し、「運転する者として、あるべき姿」は、飽く迄私という個人でしか定義できませんでした。

 

 狭すぎる世界かもしれません。

 それでも今は、それに従って運転姿勢を正すことが癖になるようになりました。

 誰かが乗った後の社用車で、少しでも違和感があれば直すようになり。

 「会社の車だし、まぁいいや適当で」という妥協することもなくなって。

 どんな状況であろうと、無意識で片手運転や座席が倒れているような時は否が応でも直し。

 どれが正しいとも言えない、運転に関すること。特に、身体の姿勢は、自分なりの答えを迷いながらも見つけ出して。

 

 今の愛車……相棒と共に行く運転姿勢を、見つけ出すことができました。

 

 

 私は、恐らく恵まれているのだと思います。

 赤の他人、それも二周り以上年下の若僧にでさえ。

 退職して久しくも、現役の時は目を背けることなく向き合ってくれた人がいてくれたこと。

 唯でさえ他者不信を、自分を含めた人間不信に陥っていた私にでさえ、本気で向かってくださった人がいたのだから。

 

 実の親なんかよりも、ずっと厳しくて。ずっと温かくて。

 ずっと、大きい。

 そんな人に巡り会えて、運転だけでなく、様々なことが私の中で覆ったのだから。

 

 

 すみません、テーマから大きくずれてしまいました。

 ですが、この話題を綴るには、どうしてもはずすことができない事柄故、脱線する形を取りながらも記事とさせていただきました。

 

 

 次回は運転に対する、精神的なことについて触れて参ります。

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

 

 

 

 

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 相棒と共に駆け抜ける。あの時思ったことが、今の私に刻まれていると。そう、信じたい。