白兎と雪狼の、果てなき旅路

ドライブやドライブや写真撮影を趣味とし、その他、HSPやAセクシャル、イジメ。精神的・心理的なことについて綴っていきます。

【生き方・価値観】将来や展望などよりも ~頼られる、有り難み~

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 誕生日を迎え、一昔前なら社会人として脂が乗り始めたと呼ばれる位置に来ました。

 しかしリーマンショックの影響は今も尚会社に爪痕を残すこととなり、  私の立場はベテランと若手・新入社員の緩衝材となるような立ち回りをしております。

 都合の良い時は若手の筆頭などと呼称され、別の時には中堅と纏められることに理不尽さのような、しょうもなさを感じて数年が経つ、【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 会社に入社し10年が過ぎますが、私は長い間社会生活を経て貢献しているという実感はなく、またその嬉しさや喜びを感じたことなく過ごして参りました。

 そのせいか会社に対して信頼を置くこともなく、お偉い方が来た際も「面倒くさい」と思いながら無理やり設定された対話会に参加してきました。

 

 自分では隠しているつもりでも思っていることは顔に出ると、いつの日か先輩に言われたことがありましたが、それに違わず上司陣からは煙たがれるような扱いをされて久しいです。

 人事情報では既にブラックリスト入りしていることも確認しています。精神的に難しい社員、とのことでしたが……取り扱い注意、的な意味なのでしょうか。

 

 それはともかくとして。

 このまま定年まで。今でこそ60歳、契約社員では65歳と定められていますが、いつの日か70歳まで働き続けることを考えた時は、展望もクソもあるかと毒突くことも多くありました。

 

 しかし、ようやくここに来て。

 未来や将来などを憂えるよりも、今という時間の中で人に頼られることを重ねることに喜びを感じ、しかし傲慢さを出さずに謙虚で有り続けることの大切さを、身に沁みて感じつ立ち位置に着くに至っています。

 

 

 今回は、働かなければ生きていけない世の中となった今。

 会社で、まして社会人として妥協や愛想良くがなければ生き残れない現実と、長所を見出すことができないまま短所ばかり見続けてきたことで生き辛さや嫌気が差していた私が。

 入社十数年目にして、やっと社会生活において喜びを得られたこと。そして普通のことだと信じて疑わなかったことが、自分の個性であり長所であることに気付けたことについて、綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 仕事柄、頼られたり感謝されることが皆無な職場

 

 私が務める会社は、通信サービスを支えるネットワーク機器の運用や保守、場合によっては要望や需要に応じて機材の増築や減築を行っています。

 部署によっては営業活動や実際に顧客先に訪問することもありますが、私が所属する部署は外部とのやり取りが皆無に近く、社内でのやり取りが9割以上を占めます。

 また主たる目標といて通信サービスを安定して供給する為に設けられた部署ということもあり、成果や成績を具体的な数値として出すことが非常に難しい場所でもあります。

 

 何故なら。

 仮に機器故障が発生したとして、それを復旧させる為にどれだけの困難や時間を掛けたとしても。

 そうすることが「出来て当たり前」と認知されており、「頑張って直しました」と言ったところで称賛されることもないだけでなく。

 失敗すれば即問題扱いされ、「当たり前が、何故できなかったのか」と平気で問われます。

 会社からすれば安定したサービス供給を行うことが普通であると認識され信頼を得ているとしても、それを支える下々は頑張りや苦労を労われることはまずありません。

 もっと言えばどれだけ仕事をこなしたとしても、当たり前のことをやっているに過ぎないという評価しか下されない、ということになります。

 

 人によって、モチベーションの保ち方やもっと頑張ろうと思う考え方は違うとは重々承知しているつもりです。

 

 しかしながら、自分自身を己の観点から評価し鼓舞する自己承認で満足できる人もいれば、自分の存在を誇示できるだけの活躍や頑張りが周囲から認めてもらいたい他者承認という欲求は、大小関わらず誰もが持っていると私は思っています。

 それが認められないということが長く続くと、「なんで、自分はここにいるんだろう」という疑心だけでなく、「どうして誰も見てくれないのだろう」と周囲への不満が芽生えて。

 最後は「認められないなら、もういいや」と諦めてしまったり、会社への不信が重なって辞めてしまうことに繋がりかねません。

 

 

 さて、実際の私はというと。

 会社を辞めるに至ることはありませんでしたが、会社への不信感が募ったことは確かでした。そして時間と共に、自信とやる気がどこかへ消えていくこととなりました。

 

 

 入社一年目にして、認められないことの虚しさを知って

 

 

 今なら言えることではありますが、私も入社して数年は会社に、担当に認められたいという思いから、躍起になって業務をこなし、業務改善を提案して本社でプレゼンテーションを買って出て、入社一年目にして数百人を前にして改善内容の説明を行ったことがあります。

 当時は緊張で声が震える程でしたが、やり切った後は上層部から何かしらのアプローチがあると期待していました。

 

 でも。それは私の勝手な希望と願いに過ぎませんでした。

 

 プレゼンテーション終了後の懇親会では表彰に値する物だけが注目を集める称賛されるばかりで、そうでないものは唯の数合わせのサクラとして扱われるだけ。

 それだけで消沈した私が事務所に戻っても、特段変わることのない日常が続くだけでした。

 

 予選とも言える事業所内の提案の場では、担当を通り越して。事務所で一番上の立場にいる方だけでなく。各担当の責任者も出席する場まで作られ説明や提案をしたあの時間は。

 本社でのプレゼンが決定した後は通常業務を先輩や同期にお願いしながら、何度も資料と話す内容を訂正に訂正を重ね。上の人の要望に沿うように直していく内に、改善内容で本当に自分が言いたいことのほとんどが消えていって。周りが定時上がりしていく中、ひたすらパソコンに向かって頭を抱え、凝り固まった思考をリセットする為に紫煙をくゆらせ、ようやく出来上がった資料も。

 前日はGoサインが出たのに、次の日は掌返しするかのように全く異なる意見を提示されて、何度も心を折った末に完成させたものは、何だったのか。

 

 プレゼンテーションを終えた私を迎えたのは、只々虚無感しかありませんでした。

 その間に同期は資格を次々と取得し、上司陣からの評価は上がっていたと聞きました。

 僻む訳ではありませんし、今となっては過去のことと割り切ることができますが。

 私が費やした時間は、結局無駄だったんだな。資格という目に見える成果の方が、個人の頑張りとして評価されるんだ。

 それを目の当たりに、業務時間を終え帰宅した私は食事に手を付けるまでもなく、ひたすら煙草に火を点け続けていました。

 吐き出す紫煙と共に、募った思いを吐き出し続けました。

 

 クソ喰らえ、と。

 

 この会社では。いや、もしかしたら日本の企業(特に老舗では)では。

 独断と偏見混じりであることを、どうかお許しください。

 しかし、結局エリートの道を約束されたものにしか、展望や将来など約束されていないのでは、と思うと共に。

 能力主義を謳った会社説明会は、果たして何だったのだろうか。

 

 

 やさぐれて、会社に行くだけの毎日

 

 

 そんな疑心を遂に晴らすことなく、配属先が変わる度に知らない人々と共に働く日々。初対面から距離を詰めるまで相当な時間を要する私には、苦痛以外の何物でもありませんでした。

 更には職場ごとに自然と蔓延るように暗黙化された、ルールやしきたりのようなものにも辟易してきました。

 わからないことがあっても周りも忙しいから、聞きたくても聞けない。

 一方で仕事と全く関係のない話題で盛り上がるだけでなく。

 集中を欠けば即問題沙汰、という仕事に従事するこちらのことなどゴミが転がっているも同然なのか。ヘラヘラとしたり、無駄に室内に木霊する笑い声。

 

 その一々が耳に障り、苛立ちとなり。

 社員が業務を行っていても関係ないと言わんばかりに、口だけは饒舌でフォローも何もない上司陣への不信と不快感。

 

 東京に勤務していた時代でしたが、正直この時期が一番精神的に荒れていました。

 頼れると言えば、数人の同期と2,3人の先輩だけ。それ以外の人間は、誰一人として頼る気にもなれず、またとても頼れるようなものではありませんでした。

 

 碌な経験や思い出を作れぬまま、東京勤務から解放された私が持ち帰ったのは、うつ病と学生時代から更に強固となった人間不信でした。

 

 地元である長野に戻って、数年。東京で手土産として渡された、会社だけでなく同じ職場の上司や先輩に対する私の気持ちや態度は、悪化の一途を辿っていました。

 会社に対する思いや考えは、相応の根深さと恨みに満ちていました。加えて元々苦手としていた対人関係にさえ、さらなる悪影響を齎す結果となりました。

 

 もう、何の為に会社勤めしているのかさえ、わからなくなっていました。

 お金を貰う為。そう、人間関係も仕事の質も量もどうでも良い。

 生きる為に、お金を貰う……。

 

 ……ん?何か、おかしい気がする。

 自分を削り切ってまで貰う、お金の価値って、何だ?

 結局、お金の為に身や精神を切り売りすることしか、私にはできないのか?

 

 

 

 

 意外な形で訪れた、頼られることの喜び

 

 転機は、唐突でした。

 長野に戻って3年ほど経ったある日。それまで専属的に会社内におけるネットワーク機材やLAN関係の仕事を一人で執り行っていた方が、お辞めになる時期が迫っていました。

 その方曰く、「前々から言って来たのに、後任をどうするか会社が真剣に考える気が見えなかったからどうなっても知らない」というものでした。

 ……あれ。これ、私もかつて思ってきたことだ。

 既視感を覚えながら、その人の言い分を何故私が聞く機会があったのかと言うと。

 

 後任候補として、事業所の長を始めとする会議に招集されていたのです。

 

 何故私のような者が、今後の社内ネットワーク関係の仕事を担う者の選定会議に呼ばれていたかと申し上げると。

 元々パソコンのOfficeを始めとする簡単なスキルや知識を、興味と面白さや楽しさ中学時代から独学で得てきたことに加えて。専門学校でよりエンドユーザー側の知識を学び資格を取ったこと。

 そのことが知識欲や興味本位となって、ネットワークを管理しLAN、パソコンの操作や管理をしていたその人の元へ赴いて、より高度な話を聞き実際に簡単な業務を行ったことがあるから、というものでした。

 

 そんな理由で良いのかよ。

 そう思いましたが、現状は楽観視していた会社の体たらくが浮き彫りとなりました。

 私なんかで大丈夫かな、と思いながらも正式に後任としてネットワークとLAN管理者となることが決定しました。

 

 その後は分厚い引継書を手にしながら、想定外の事象や引継書に載っていない業務に振り回され、困惑する日々が続きました。

 

 以前記事にした老害と話さなければならない業務まで含まれていたこともあり、会社内で感情を殺してキレるという失態を見せる機会もありました。

 

 しかし、それよりも。

 時代と共に使用するパソコンの常識も変わっていき、昨年はWindows7のサポート終了に伴い全般的なWindows10へのバージョンアップ作業に明け暮れ。

 更新後はそれまでの操作感の変化のみならず、ネットワークとOSの相性の悪さから問い合わせが殺到する事態となりました。

 

 その問い合わせ先は、本社の部隊ではなく。

 事業所内で導入試験を買って出てパソコンの操作にそれなりの知識を持っていた、私へと向けられることとなりました。

 

 何故なら。

 引継書にも書いてあったことを、そのまま引用すると。

 LAN管理者は問い合わせに来る社員も、「お客様」として接すること。

 わからないことは本社含め入念に確認を行った上で実施し、自信がなければ実施してはならない。中途半端な自信は、却って迷惑だけでなくトラブルの元となる。

 

 始めこそ興味本位で引き継いだ業務を、生半可な覚悟で引き受けたことを後悔した日ばかりでした。

 

 然れど。

 「白兎、パソコンの調子がおかしいから見てくれ」と来てくれる先輩。

 「白兎君、パソコン固まっちゃったんだけど、助けて」と声を掛けてくれる上司。

 「ネットワークに繋がらなくて、ファイルサーバにもアクセスできなくなった。助けてくれ」と焦燥気味に迫られることも。

 

 全てが全て、順調に解決できた訳ではありませんでした。

 でも、不思議と嫌な気分を味わうことは多くありませんでした。

 寧ろ。

 会社のパソコンで困ったことがあれば、白兎に聞けという風習が出来上がりつつありました。

 本業では手も足も出ない程のベテラン中のベテランの方から、社員管理を行う上司まで、来る人は絶対的に困りごとを抱えてすぐにでも解決してほしいという思いも持ち合わせていました。

 

 そこに、私が元来持ち続けてきた「困った人を放っておけない」というお節介とも気質とも言える思いも相俟って。

 私はようやく、頼られることの嬉しさと喜び。それに甘んじることなく、解決した際に感謝される度に、胸を撫で下ろしながら。

 「良かった。お役に立て、幸いです。また何かありましたら、またご相談ください」

 涼し気な顔をしながら、胸の中ではガッツポーズをしていました。

 誰にもわからないように、隠れながも自分の気持ちを素直になるようになっていきました。

 

 会社という大きなものに認められなくても。

 身近な誰かに必要とされて、それに応えられることの方が、私にとって存在意義であると共に会社にいる意味である、と。

 長く悩んだ、会社における自分の立つ場所は。

 喩え小さくても、困っている誰かの役に立つことができれば、それでいいのかもしれない。

 そう思ってから、勝手に抱えていた肩の荷が降りた、と表現すれば良いのでしょうか。

 変に身構え、自分から肩を凝らせていた思いが、ようやく溶けて消え去ったような気がしています。

 

 

 

 

 どんな小さなことでも、喜びやモチベーション維持や向上に繋げられることを知って

 

 

 会社からすれば貢献度の高い社員に的を絞って成長の場を与える方が、会社の為やら効率やら、といった面から見れば適切なのだと思います。

 

 しかし全員が全員、そのような能力や潜在的なものを持っている訳ではありません。大半は大勢の中に埋もれ、やり甲斐やら会社におけるモチベーションやらが曖昧なまま社会人生活を終えていくのだと思っています。

 恐らく、私もその一人として漏れることはないと思います。

 

 そのような、言い方を悪くすれば非凡でない人間が社会生活を無難に送る術。

 人によって様々であるとは思いますが、現実的にはこういったことで悩み、苦しむことが多いのではないかと個人的に思っています。

 

 そのような中でも、私は自分が奇しくも遭遇し、現在の立場になって始めて見いだせたこと。

 会社の意向や考えがどうであれ、自分や他の社員等に対して、どんな小さなことでも「この分野なら負けない」「本業は少し苦手でも、サポートできるものはある」といったものを前面に出すことなのではないかと、私は考えます。

 

 その際大切なのは、「決して人と比較しないこと」。これに尽きると思います。

 物事、上には上が、下には下がいます。自分がどれだけ自信を持っていたとしても、場合によっては「そんな当たり前のことを」と鼻で笑われることも、あり得ない話ではないと思います。

 それはそれで、逆に「あ、そう。頑張ってのし上がってね」と皮肉を言い渡す思いを抱いても私は良いと考えています。

 

 私の場合であれば、ネットワークのに関すること(例えば、IPv4の割付といった算数的なもの)はからっきしです。

 この時点でネットワーク管理をする者として失格と言われかねませんが、パソコンの操作や設定の仕方は、OS問わず一通り網羅している自負はあります。

 無論全部が全部ではないのでわからないことは調べることも多くありますが、最終的に困ったという先輩や上司のパソコンを実際に操作して解決するだけでなく、何故そのようなことになったのか、どうやって解決したのかを可能な限り具体化して説明するよう心掛けています。

 

 

 それがどんなに小さなことで、一昔流行った「ググレカス」と言われることであっても。

 

 情報を仕入れただけでは手に入れることはできない、解決した時の依頼主(社員)の感謝の言葉。

 そして、頼られると言えば烏滸がましいかもしれないとは言いつつ。

 本社の専門部隊ではなく、至らない所は多くあれど、事業所内の私に声を掛けてくださったことへの嬉しさ。

 その期待に応えるべく、喩え回り道をしても解決した時の快感や喜び。

 

 それは出世や昇格と言った、目に見える誉れよりも。

 私には、そんなものよりも遥かに大事にしたい、有り難いこと他ならぬものです。

 

 

 

 纏まりのない文章となりましたが、今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

 

 

夕暮れに浮かぶ雲。寂と明日への希望に見えた。