【生き方・価値観】新型コロナとインフルエンザ ~医療従事の身内の言葉~
スポンサーリンク
もうすぐ、迎え盆ね。本日は子どもの頃から行って十数年経つ、盆提灯の準備を行いました。
私の住む地域は少し異なる特徴を持つお盆の迎え方をします。
遡ること、江戸時代。当時大災害に見舞われた水害により、多くの方が亡くなりました。その方々の魂を弔い、安寧を願う為にお盆の前にお墓参りをする習慣があります。その為お盆の際はお墓に行くことはなく、迎え火と送り火は自宅で執り行い、先祖を迎えそして送ります。
当たり前だと信じていた習慣でしたが、会社で話した途端。そのような文化は私が住む地域を含んだ、極一部に限られたものであることを知って、自分の世界が如何に狭いことかを思い知らされた十年前の思い出に浸っている【やさぐれ紳士】白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
日本では正月と並ぶ伝統である、お盆。血縁者や身内が帰省し寄り添い、思い出話に華を咲かせながら、迎えた先祖の魂と共に同じ時間を過ごす、大切な時間。
そのような行事にさえ影響を与え、今も尚、帰省や移動にも大きな制約や自粛という精神的圧力をかけ続ける新型コロナウイルス。
長野県でもこの二週間だけで、感染者が大きく増えておりますが、幸い重症化した方はいないとのことだけでも胸を撫で下ろす思いでいます。
しかしながら、このような異常事態にさえ行動の責任を個々人の判断に任せるような言動しか出さない国の舵取り組には、苛立ちと呆れしか持てません。
とは言え、このような場で個人的な思いを吐き捨てたところで日本が良くなる訳がないので、本題に移って参ります。
先日、母の姉であり私の伯母が、母の誕生日祝いということで我が家に顔を見せてくれました。
母が兄や私を産んだ時には、今は亡き祖母と共に私たちの世話をしてくれた恩人であり、十数年経つ今でも太陽のような明るさと公明正大さを持つ人です。
伯母と母が繰り広げるマシンガントークを前にすれば、私のような口下手な人間は手も足も出ない活発で活気に満ち溢れています。身内故にという偏見もありますが、とても六〇代後半に入ったことなど感じさせない、陰陽で言うなら陽をひたすら行く伯母は。
長年看護師を務め、今もその知識と腕は健在です。小さな身体の母がお産でダウン気味の所を、兄や私を自分の息子のように接してくれ、育ててくれた第二の母親とも思っています。
そんな伯母が、新型コロナウイルスについて溜め息混じりで話し始めたことが切っ掛けでした。
今では前線を退き病院の受付の仕事に従事していますが、これまで多くの現場を駆け抜けてきた医療のプロの言葉は。
これまで開示してきた政府やマスコミの説明や報道などよりも、医術とは程遠い機械弄りをするような、素人の私でさせすんなり納得させ。
正しい知識や物の見方を知らないことが、どれだけ人間という生き物を混乱させ陥れることになることになるかを、痛感させるものでした。
その言葉は、短くも的確でした。
新型コロナウイルスも、インフルエンザと同じ。風邪の症状で済む人もいれば重篤化することもある。しかもインフルエンザウイルスは変異し続けるのだから、新型コロナも同じように付き合って行くしかない。
今回は医療の専門家である伯母から受けた言葉を受けて。
未だ未知の域を出ない新型コロナウイルスの驚異を、知らないというだけで過剰な程恐れていた私に安堵を齎してくれたこと。
それを受けて、今の日本に必要なことはワクチン以上に、ウイルスがどういったものであるかを概要程度でも良いから正しく知ることと共に。
ウイルス感染者を敵視する風潮にある今だからこそ、真の敵は感染者ではなくコロナウイルスそのものであると再認識が必要であると考えるに至ったことについて、綴って行きたいと思います。
※注記※
医療に従事する身内の言葉があったとは言え、本記事で綴る内容は飽く迄感銘を受けた素人である私の思いです。
飽く迄感染症に対する意見の一つ、という域を出ることはないことだけは、どうかご容赦ください。
※注記終了※
感染者数ばかりが取り沙汰される新型コロナウイルス
連日報道される、新型コロナウイルスに関する話題。これといった展望も希望もなく、ただひたすら感染者数ばかりが取り沙汰されています。どの都道府県で、どれだけの数の感染者が確認されたか。前日を上回っているだとか、過去最悪の数だとか、そんなことばかりです。
確かに、どれ程の規模で感染が広がっているのかというものは、大切な情報の一つです。
しかし、おかしいと思った方もいらっしゃるのではないでしょうか。
感染者数は、検査で陽性反応が出た人の、恐らく総数です。
ですが何故、その内のどれ位が無症状の人なのか。重症化してしまった方はどの程度いるのか。
そして亡くなった方だけでなく、反対に回復して日常に戻ることが出来た人は何人なのか。
皆さんは、そんな疑問を抱きましたでしょうか。
私は感染者の総数よりも、そういった内訳のようなものがどうして数字として出てこないのかが、不思議でなりません。
漠然とした全体数ばかりで、何故細かな内容を報道できないのだろうか。
新型コロナウイルスが未知のウイルスであり、治ったと退院した人が再発したり、ICUに運び込まれて数週間で絶望視されていた人が奇跡的に回復したといった、あまりに特異で人体にどういった影響を及ぼすのかさえ、未だにわかっていないこともあるかとは思います。
ですが人間は、喩えロウソクに灯るような火のような、小さな希望なくして。絶望に立ち向かう勇気や気概をたちまち失って、最期は絶望に暮れてしまうと思うのは、私だけでしょうか。
誰もわからないのだから、多少誤った情報が錯綜するのは仕方がないことだと思います。勿論、本当に性格な情報を求める方には、このような曖昧さも嫌うでしょう。
それでも、医療に従事できない私のような人間には、輪郭程度で構わない。
仮に感染してしまったとしても、無症状や風邪程度の軽症で済むのか、それとも重症化する可能性があるのか。
条件が複雑過ぎて、そんなものなど分類できないことは、わかっているつもりです。でも、指数となるようなものは、どうしても欲しいことに変わりません。
何故なら。
感染してしまったら、終わり。
そんな風潮の今の日本において、少しでも指標程度になるデータがあれば、少しは認識が変わると思っています。
私だけならまだしも。
仮に身内が感染した時に、誹謗され蔑ろにされた時。
私には、耐えられるとは思えないからです。
その陰で猛威を振るっていたインフルエンザ
新型コロナウイルスが蔓延する前まで、日本だけでなく世界中でも流行し猛威を振るう病気があります。
インフルエンザ。
後にスペインかぜと呼ばれる、世界的大流行を引き起こした張本人。当時の世界人口の1/4が感染し、文献が多過ぎるあまり死者数は今も正確な値が出ていません。
現代では治療薬や対処法、そして知識が一般の人にも広がったこともあり、そこまで恐ろしい病気であると大きく言われなくなってきています。
しかしながら、今もインフルエンザが悪化して亡くなる方が大勢いらっしゃることもまた、事実です。
今年の冬、アメリカで大流行したインフルエンザ。新型コロナウイルスの報道ですっかり陰に隠れてしまいましたが、アメリカだけでも2600万人が感染し、内14000人もの方が亡くなったとのことです。
日本では然程蔓延しなかったものの、これまでインフルエンザによって学級閉鎖や高齢の方が患い亡くなるというニュースが飛び交っていました。
認知や治療法が確立されているのに、何故。
それは新型コロナウイルスと同じように。
インフルエンザもウイルス型の急性疾患であること。
そしてウイルスは、変異しやすいという研究データがあるからです。
インフルエンザが変異したように、コロナウイルスも変異する
元々インフルエンザウイルスは水鳥(カモなど)を宿主にする、毒性の弱いウイルスであったそうです。
それが突然変異を起こしてヒトへと感染する能力を得て、私たちに猛威を振るうようになったと言われています。
それだけに留まらず、幼児のインフルエンザ脳炎を引き起こすこともあれば、肺炎となる引き金になったりと、私たちヒトを殺すことも容易にあります。
インフルエンザ脳炎と聞いて、小学生の頃に予防接種を受けたことを思い出した方もいらっしゃるのではないでしょうか。
当時は注射が(正確には痛いことが)大嫌いだった私は、仮病を使ってでも避けようとした、今では思わずクスリとしてしまう思い出があります。当然避けることもできず、注射の痛みで泣きそうになるのを、クラスメイトに笑われないよう必死に我慢したものです。
話はまた変わりますが、十数年前に鳥インフルエンザというものが話題となり、感染するとどうなるかわからないことから世界中が恐怖に陥ったこともありました。
それだけでなく、同じ時期に大流行した豚インフルエンザ。
今では新型インフルエンザと呼称されていますが、当時は毒性が強いことが報じられ、実際に数千人の方が亡くなりました。
さて、鳥インフルエンザも豚インフルエンザも、宿主となる生き物の違いだけでなく。
宿主の体内で変異を起こし、ヒトへの感染力を得るに至った、所謂変異が起きています。
ここで、個人的に思ったことがあります。
先述した新型コロナウイルスは、新型呼ばれるだけあり、元となるウイルスの存在は既に知られていました。
それが突然変異や、時には陰謀論とされる遺伝子操作によってヒトへの感染、症状を引き起こしていると言われています。
実は、過去中国で発生したSARSやMARSも、新種のコロナウイルスが原因であったと確証されています。
では、今蔓延する新型コロナウイルスも。
インフルエンザウイルスと同じように、もしくはSARSやMARSのように。
既知のウイルスとは大きく異る特性を持つ為に、対抗する手段や研究が大きく遅延することになり。
結果として、ヒトを脅かす未知の強力なウイルスであると、不可逆的に認知されたのではないか。
それが医療関係者のみならず、一般人に恐怖の象徴としての印象を刷り込まれたことで、先述したように「感染したら最後」という認識をさせられていると、思えてならないのです。
新型コロナウイルスへの歪んだ認知は改める必要も
季節は帰省シーズンとなりながら、新型コロナウイルスの罹患リスクを抑える為に、私が通勤で使っている新幹線もガラガラ状態です。
当たり前、なのかもしれません。
帰省を機会に新型コロナウイルスに感染し発症するようなことがあれば、周りからどのような目で見られるのか。考えだしたら、とても切りがないことと思います。
私も通勤途中で万が一感染したらなどと、怯える日々を半年以上続けています。
しかし、です。
敵の正体を知らないまま恐れることと、敵をある程度知って警戒することでは、意味合いが変わってくると思っています。
少々荒い言葉になりますが、とある有名な哲学者の言葉があります。
無知こそ、最大の罪である。
知らない事ほど、怖いものはありません。相手がわからないからこそ、ヒトは余計に怯え警戒し、最大限の排除を試みようとします。
自粛警察やマスク警察、果てには帰省警察がその良い例だと思います。
そうやって自分こそ正義、と思い込んで周りを排他するよりも。
多少の誤りがあったとしても、自分なりに情報を仕入れ、吟味して、取り入れる。それ位のことなら、私たちにもできると思っています。
看護師の伯母は言いました。
新型コロナウイルスは、宇宙人と戦っているようなものだと。
それでも、最大の敵は感染者ではなく。
感染を齎した、新型コロナウイルスなのだ、と。
今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、又次回まで。