白兎と雪狼の、果てなき旅路

ドライブやドライブや写真撮影を趣味とし、その他、HSPやAセクシャル、イジメ。精神的・心理的なことについて綴っていきます。

【車・HSP】馴染みとなった、伊豆へ・4章 ~思い出~

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 猛暑日、酷暑日からの豪雨や雷。慌ただしく変化する8月の中盤も、終わりに向かい始めています。

 先日も落雷に伴うネットワーク機材の故障で緊急招集され、5時間もの時間を要してようやく復旧できたという、入社以来最悪とも言える大規模な修復業務に従事して参りました。

 

 唯でさえ自分のことでいつも振り回されてばかりの私なのに。季節は、唯ひたすらに移り変わっていくかのように過ぎ去っていく。

 そこに、一個人の思いなど介入の余地もない程に。

 

 もっと、穏やかな春が続けば。もっと、熱く焦がれる夏がいつまでも。

 もっと、哀愁に満ちた秋がどこまでも。もっと、暖かさへの憧れを抱く冬が。

 

 次第に涼しさを増し、ヒグラシの鳴く声に耳を傾けながら、これまで以上に悲哀のような、虚しさのようなものを感じながら紫煙を吐いている【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 二泊三日の伊豆の旅の終わり。

 帰路に着く私は愛車の中でノリの良い音楽を流しながら。

 心の中はどこか空虚のような、寂しさのような感情に満たされるのでした。

 

 今回は最終日、帰路を駆け抜ける合間に感じた感傷のようなものに浸ったこと。それに付随するかのように、否が応でも思い出した記憶や思いについて、綴って参ります。

 

 

 

 ※注記※

 本記事と次記事では、伊豆旅行の最終日と題しますが、実質は半分以上、私の内面についての内容で、旅行記とは程遠いものとなります。

 陰湿・悲観的な表現が多くなりますので、そのようなものが苦手、或いは嫌悪を感じる方はお戻りすることを推奨いたします。

 それでも構わない、とご閲覧くださる方がいらっしゃいましたら、この上ない幸いなことと存じます。

 ※注記終了※

 

 

 

 

 

 

 予定は計画の一部。然れど、体調は最優先

 

 平日ということもあり、普段は何万円に跳ね上がる良質で快適なホテルの個室。半値以下の値段で泊まることができ、久方振りにゆっくり眠っていました。

 待ち合わせに遅れないように余裕を持って起き、歯を磨きながら外を覗くと、そこには薄曇りの合間から覗く太陽の姿。悪天候にも暑過ぎることもなくなりそうな様子を見て、ほっと一息。

 伊豆旅行最終日にして、連休の最後となるこの日は、私もたーぼぅさんも翌日は仕事。その為軽く近場を散策して昼食を摂り、そこで別れるという一応の予定を立てていました。

 名残惜しくても、最後は最後。後ろ髪を引かれる思いをしないよう、明日のことを振り払いながらチェックアウト。相方の登場を、車の中で待つことにしました。

 

 また、来るかわかりもしない明日のことを心配してる。考えたって、どうしようもないのに。

 

  心配性のせいなのかHSPの性なのか、頭の中は常に考え事だらけの私は、考えを無にしてリラックスといったことを経験したことがこれまで一度もありません。

 眠っている時以外はしょうもないことであっても、様々な考えや憶測が錯綜してばかりでした。

 

 思えば小さい頃は、「死」という漠然かつ定義のしようのないものを幼いながらも考えていた記憶があります。

 ヒトは死んだ後、どうなるのだろうか。今「自分」という身体に根付いている自我は、死語どこへ行くのか。消えてしまうのか、所謂天国か地獄へ行っても自意識を持ったまま存在し続けるのであろうか。

 考えたところで理解もできないだろうし、わかりもしない。好きで思考したい訳でもないのに、脳は動き続けていました。それは、三十路を超えて久しい今でも同じです。

 

 しかしそれでも、自分の意志で決めた旅行の時は、思い切り楽しめるようになってきました。運転している時や心奪われる風景をカメラに収められた時、動物たちに癒やされている時。そして車仲間や、友といる時。

 そういった時は寧ろ、動き続ける脳の考えに抑えつけられた理性を振り切って子供のようにはしゃいでしまいます。

 

 思い出せばいい歳こいて恥ずかしいこと姿ばかり見せてきましたが、そういう時もあっていいよね?と自分に言い聞かせてきました。

 

 意識が、現実に戻りました。車の中で紫煙をくゆらせますが、しかし友は現れません。

 一昔前ならせっかちな性格も相俟ってすぐ苛立っていましたが、歳と共に忍耐が身に付いていった私は、ネットニュースを見ながら待ちに徹しました。Line等で連絡を取ることも可能でしたが、急ぐ旅でもあるまいと吸い込んだ煙草の煙を吐き出していました。

 

 その後、見慣れた白のアクセラセダンが見えました。ホテルの駐車場に入るアクセラ、私も運転席から立ち上がって出迎えます。

 しかし、ここで異変。近寄った車越しに見る友の様子が、何かおかしい。事情を伺うと、体調を崩されてしまったとのこと。

 私はすぐに今日はお開きにしましょうと進言しました。たーぼぅさんも医者へ行くと言いましたが、どこか渋っているように私には見えました。

 

 幾ら相方の体調が悪いからと言えど、旅行最終日がこのような形で終わることが寂しくない、と言えば嘘になります。

 しかし良好な体調無くして楽しみは苦痛になる。何より私の思いなどより、強行して更に身体を壊してしまったら、私は責任を取れる勇気も自信も、根拠もありませんでした。

 旅行なら、時間さえ合えばいつでも来ることが出来る。私の個人的な寂しさなどより、大切な人の体調の方が最優先。

 

 もう、仲を深めた人とさよならなんて、したくない。

 

 短い会話の後、今回はお開きということで双方同意しました。何度も謝るたーぼぅさんでしたが、私の方こそ謝ることばかりでした。

 医者へ向かう友を遠目に、手を振りながら別れた私は、黙って煙草を銜えていました。

 

 無計画な私に、緻密な計画を立ててくださったこと。いつもいつもそんなことばかりで、無理させてしまったのではないか。

 

 悪いのは、たーぼぅさんじゃない。

 いつも頼ってばかりの、私の方が悪いんだ。

 

 そう。

 いつも私はそうやって、自分を責め続けてきた。

 それで万事解決できるだろうと、身勝手な思惑と願いを信じるかのように。

 

 

 

 思い出の伊豆。始まりは、臆病の塊だった私を迎えてくれたあの時から

 

 

 帰路を行く私は、愛車の窓を開けて穏やかな伊豆の風景と空気を肌に感じながら駆けていました。

 エアコンが苦手な私は余程の暑さや湿気がない限りは窓を全開にし、自然の風に当たりながら運転します。燃料の節約や冷房への耐性の低さというものことりますが、それ以上にその土地の風に当たり、思い出の一種として記憶に残したいという思いも多分に含みます。

 

 数年前。当時のアクセラでは初となる、ダウンサイジングディーゼルエンジン+可変ジオメトリーターボが搭載された、今の愛車が納車となりました。

 新たな相棒と共に、座席に押さえつけられるようなGを感じさせるトルクを楽しみながら。

 県内はあらかた愛車で走った私でしたが、県外の地を訪れることは仕事以外ではほとんどありませんでした。

 

 理由は、簡単で明快で、稚拙なものでした。

 自分の知らない場所や人に会うことが、怖かったからです。

 好奇心の塊のようだった幼少期から、いつの間にか私はすっかり歳を取ると共に臆病になっていました。心を満たすことから、心を守ることへスタンスが変わり果てて久しくありました。

 

 

 人の機嫌を損ねて、嫌われるなら。

 私の気持ちなんて、いらない。自由なんて、私には必要ない。

 

 

 

 心が、思いが沈み込んで十数年。その時が訪れたのは、あまりにも唐突でした。

 私を迎えてくれた、初めての伊豆でのこと。

 絶景と呼ばれる場所で撮った写真が、今でも宝物のように光り輝いています。

 

夕焼けと富士山と愛車。私の中で輝き続ける、思い出。

 

 

 普段は富士山が霞むか雲隠れしてしまうことが多いとのことでしたが、この日は偶然か奇跡か。澄んだ空気の中、くっきりと姿を見せた富士山と日暮れ寸前のタイミングが見事の重なり、今まで私が撮ってきた写真の中でも最も映えるものです。

 愛車のリアを撮った二枚目の写真はMAZDAのカスタムパーツメーカーの定期新聞にて、「文字数多めの熱い声!」という特集で一面を飾らせていただいたこともあります。

 車のSNSでも仲間内で噂がたちまち広がり、気恥ずかしさと嬉しさの双方を噛み締めたのも、喜びと恥ずかしさに満ちた甘酸っぱい思い出です。

 

 以来、伊豆の地は私にとって馴染みの場所となりました。

 訪れる度に、通る道を見たり泊まるホテルに到着した時には。

 

 あぁ、変わってない。長野と違って上り下りが激しい道だったけど、やっぱり楽しいや。

 久し振りだなぁ。

 

 そんな、まるで子どもの頃に帰った時のような思いを抱く時は。

 不思議と、いつも悶々としながらグチャグチャな頭の中が。

 行き過ぎた憶測と心配が、雲ひとつない空のように晴れ渡って、純粋に目の前の現実を見ることができて。それが偽りも嘘もない、どこまでも新鮮で生き生きとしていました。

 思わず息を漏らす光景ばかりだった私でしたが、不意に思い出したかのように思考が走ってばかりいました。

 

 自分にはいつも新鮮で、グッチャグチャな頭をリセットしてくれるこの風景が。

 他の人には、どのように見えるのだろう。

 

 心を揺さぶられるような風景なのか、ありきたりな情景なのか。それとも、然程心動かないものに過ぎないのだろうか。

 

 

 そんな時は決まって。

 ここ半年でようやく認知できたHSSの自分HSPの自分。

 二つの性質の自分が相容れることなく、鬩ぎ合いながら私という一人の人間を形作っていることに気付き始めていました。

 

 

 

 心に空いた、塞がることのない穴を埋めようとして。好奇心と興味が先走るように、目に見えない先へ先へと突き進もうとする私。

 

 

 

 心に空いた、塞がることのない穴を埋めようとして。これ以上穴が広がらないように、五感を最大限に活用して最良と思うものを取り入れることで良い子を、良い人を演じようとする私。

 

 

 帰路を走る中、そう思った私は気付きました。いえ、唐突に気が付いてしまった、と言った方が正しいかもしれません。

 

 

 私がこれまで生きてきたことも。今、生きていることも。

 全部自分のことばかり。HSSだとか、HSPだとか、それっぽいことを考えてきました。

 

 

 

 でもさ。

 自分以外の人のこと、何も考えてないじゃんか。

 違う?……そうだよね?

 

 

 

 

 今回は、ここまでにいたします。ご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。