白兎と雪狼の、果てなき旅路

ドライブやドライブや写真撮影を趣味とし、その他、HSPやAセクシャル、イジメ。精神的・心理的なことについて綴っていきます。

【うつ病】心の調子が沈んだまま ~偽善に満ちた、醜い自分と向き合う日々~

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 ※注記※

 本記事は悲観的、虚無感、死を表現する言葉が多数含まれます。そのようなものが苦手な方、気持ちが現在落ち込んでいる方は、ご閲覧を控えてくださいますよう、お願い申し上げます。

 ※注記終了※

 

 

 

 いつからだろう。

 気持ちが、心が前に向かなくなり始めたのは。それだけではない。五感から齎される感覚も、それに反応することにさえ、何だか鈍さを覚え始めて久しい。

 

 このような時の私は、大概うつ病が再燃しかかっている時の兆候だ。何年も付き合ってきたせいで、すっかり認知できるようになっている。

 再燃、と言うと少し違うか。再発という言葉も、どうもしっくり来ない。

 

 うつは、完全に治ることのない病。少し良くなったと思っても小さな出来事で気持ちが沈み込んでしまう。ましてやそういう時に限って嫌なことが連続して起こるからか、余計にしんどくなっていくばかり。全く、皮肉な話だ。

 一度でもこの病を発症すれば、一度良くなったと安心しても再発する可能性が大きいというデータがある。更には快復と再発を繰り返していくと、再発率が90%まで高くなるという悪夢のような研究さえある。

 

 ただ、それも一般論の域を出ないのかもしれない。

 

 うつ病と診断され、十年弱が経とうとしている私だが、薬というものから完全に抜け出る程快復できたことは一度もなかった。一時は調子の良さを取り戻し断薬も試みたこともあった。最初の内は、薬から解放されたと軽はずみな喜びに浸っていたことに懐かしくさえ思える。

 

 だが結局、半年も経たない内に薬に頼る、元通りの生活に戻ってばかりだった。薬のことは事前に調べ主治医と相談する程度にこそなれたが、最終的には薬無しではまともな生活も送れない身体と心に成り果ててしまった。

 

 現在私が服用しているのは、抗うつ薬のイフェクサー。抗不安薬のメイラックス。精神の昂りを抑える漢方薬の抑肝散。

 睡眠については睡眠導入剤の代わりとして、比較的眠気が出やすい抗不安薬のリーゼ。中途覚醒には抗うつ薬ながらも眠気の作用が強いレスリンを服用。更に万が一のパニック時や強い不安に襲われた時の為の頓服として、レキソタンを処方されている。

 

 これだけの薬を処方されているが、最近は気持ちの落ち込みと虚無感。そして時折脳裏を過る希死念慮が現れることが多くなった。現実と向き合い、闘うのは自分の身体と精神。処方される薬は飽く迄私を支えてくれる援護部隊のようなものと考えている私ではあるが、それにさえ限界を感じ始めている。

 

 元々対人関係が良好とは言えない私は、人と接する度に心を乱され、時には相手を殺す勢いで抵抗したことも多かった。

 時には優しさや温もりの籠もった言葉と声を投げ掛けてくれる人もいた。しかし最後までそれを信じ切ることができなかった。

 悪いのは、全部私だった。合わない人間に見切りをつける勇気もなく、寄り添ってくれる人に心を委ねることも、最後までできなかった。

 

 

 全ては、裏切られる怖さに屈服した、私の弱さ他ならなかった。

 

 

 それでもまだ、私は周りに恵まれているのだろうと思う。

 愛想笑いと人に合わせることを知って以来、それらを使い分けながら何とか新入社員時代を乗り越えた。首都圏勤務で「合わない人とは、どこまで言っても合わない」ということを学び、薬の力を支えに壁を作ることで自分を守ることに徹してきた。

 古巣に戻った今は、入社当初の若気の至り真っ盛りだった私を知る人からの茶々を受け入れながら。

 事業所内の若手筆頭とも、少しネジが飛んだ変な奴とも、精神的に難しい人間、変わり者と称されるようになり、今に至っている。

 歪んだ認知のされかたのようにも見えるが、私としては全く気にはならない。寧ろ、安堵すら感じている。

 

 構っても面白みもない、詰まらない人間だと突っ撥ねられる位なら。

 悪評をつけられようが、嘲笑れようが、誰かに構って貰えたり口を利いて貰えるのなら、それはそれで良かったのだ。

 

 でもそれも、自分への嘘を貫き続けていることに変わりがないことに気が付いてしまった。本当の私なんて、今どこにいるのかなど、最早わからない。

 生きるための金を貰うために会社に務めているだけで、会社の為に生きているのではない。そう何度も自分に言い聞かせてきたつもりでいたのに、最後は私というものを見失いかけている自分が情けなくて、みっともなくて。

 クソが付けたくなる程、自分が憎らしい。本音も言えないまま十数年、いつまでも変わることのできない自分が醜くて仕方がない。

 

 

 これまでもそういった調子の悪さを露呈してきたことは幾らでもあった。

 唯、今回は少し違うらしい。今までは朝方の気持ちの沈みが激しいだけで済んでいたが、今は自分の時間である就業後から寝床に入るまで、意識が続く限り自分を意味もなく、執拗に責め続けている。

 

 この一ヶ月で、向き合うものも少なくなってきた。ブログに集中することもできず、ストレスの捌け口の一つであった運転さえも、最近は億劫になってしまった。

 そんな情けない自分が、余計に憎いのだろう。表面だけは調子良く見せておきながら、本当の自分は息を吐くことさえ必死になりかけながら喘いでいる。

 付き合いを休止することも言えず、偽善に満ちた私という存在を演技し続けている自分が、醜くて仕方ない。

 

 このような調子で、またいつもの私に戻れるのだろうか。薬と生きる処世術を身に着けただけの、傀儡とも言えるかもしれない自分に。

 

 今宵も薬と酒に溺れながら、無意味な問いを自分に語りかけている。

 その答えは、今も返ってこない。

 

穏やかな夕焼けにも、心は動かない。