【Aセク・生き方】身内との時間 ~忘れていた温もり~
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晴れ渡り、行楽日和だったゴールデンウィークも、自粛ウィークとして終わりを告げ。昼間の気温も夏日を超えるような、暖かさを通り越して暑い日が繰り返すようになってきました。
田園にも水が入り始め、草木も目に見えた速さで成長しています。
そんな風景を横目に、冷房病でありながら暑さと湿気に弱く少し弱り気味な、白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
新型コロナウイルスの感染拡大防止の為、延長された緊急事態宣言。今週末を目処に、段階的に解除されていく模様です。
予断を許さない状況に変わりはありませんが、これで少しでも日常が戻ってくることを、切に願うばかりです。
一方で、在宅勤務という形で業務をこなし始めて、早くも一ヶ月が経とうとしています。慣れない環境下での仕事は弊害ややりにくさはありますが、人と距離を置く時間が増えたことは、私にとっては気持ちを安らげることに繋がっています。
人との距離と共に、もう一つ私には取りたくても取れないものがありました。
それは、身内との時間でした。
私の身内は業種も勤務時間もバラバラながら、全員が仕事に従事しています。
朝飯はおろか、同じ食卓で夕飯を共にすることさえそう多くはありませんでした。
たまにタイミングが合った時に外出したり、食事を共にする時間が来る度に、嬉しさすら感じた程です。
それが今、在宅勤務という意外な形によって身内と過ごす時間が増えるようになりました。
人と接触することを苦手とするだけでなく。他人への恋愛感情や欲情というものがわからずにいる私には。
私にとって身内は、より特別な存在です。
今回は身内との時間が増え、互いに顔を合わせ談笑することで、忘れかけていた温もりを肌身で感じていることを。Aセクシャルを自認する私にとって、これまで思っていた以上に大切なものであったことに気付いたことについて、綴っていきたいと思います。
幼少期より薄かった、身内の繋がり
本ブログを綴り始めてから、私は身内話について触れることを避け続けてきました。
かつて我が家は祖父母と両親、そして4歳年上の兄と私の3世代家族でした。
祖父母が他界し、両親と兄と一つ屋根の下で暮らす私たちは。
家族と呼ぶには不相応な関係を数十年続けて来ました。
いつも気丈であり続ける母は、昔から変わりません。素面でも酒を煽りながらも、私と面向かう時は常に自分を貫こうとする強さを持っています。
幼い頃の私は外界の全てが怖いとも感じる余りに。小柄な母の脚に両腕を回し、握り締めて恐怖から逃れるようにしていました。
兄は歳が離れていることもあり、喧嘩することはなく、恥ずかしがり屋で臆病な私を見守ってくれました。イヌに吠えられてすっかり怯えてしまった私を、口笛を吹きながら誘導し助けてくれたこともありました。
昔はあまり言葉を交わすことは多くありませんでしたが、頼もしい兄であったことに違いはありませんでした。
時を経て。
母は私生活だけでなく仕事上における出来事に対し、私にアドバイスを求められるようにさえなりました。
しがみついて離そうとしなかった、泣きながら見上げる臆病な私の頭を撫でる母。
いつの間にか、身体だけ大きくなった私は、見下ろす程にまでになりながらも。
俯きながら答えを求める母に対しての私の意見は、時に受け入れられながらも。
気丈であり曲がったことを嫌うように、粘ってまで意志を貫くことを嫌う私が折れることもありました。争いごとは、やはり私は嫌いです。
母は母。子は子のまま。
私としては、半ば母子家庭の環境で育ったような、そんな思いでさえいます。
兄は兄で精神を病んだことで現在休職の身にあり、私が出勤する頃はまだ寝ていて、私が眠る時に起きてくることもざらにありました。
時間が合えばアニメやゲームの話で盛り上がることは多いながらも、頻度としてはそれ程ありませんでした。
しかし今の兄は粗相した時に注意してくれる、言わば父親代わりの存在です。
そんな私を含めた身内は、性格が異なることは勿論のことながら、一家団欒と呼ぶような時間を取らなかった理由がもう一つあります。
私だけでなく。母も兄も、自分の時間を必要とし、独りの時間を確保できないと息詰まって相応のストレスを感じてしまいます。
時には語り合うようなことはあっても、大半は食事を摂った後も短い会話を交わした後、各々の自室へ戻っていくことがほとんどです。それは、祖父母が健在だった頃から然程変わっていません。
身内は身内でも、人間関係が歪んでいるも然ることながら。私たちは自らの意志で、身内で過ごす時間を薄くしていたのかもしれないと、今は思っています。
意外な形で取り戻しつつある時間
そんな中、新型コロナウイルスの蔓延に伴い、この数ヶ月だけでも多くのことが変わりました。
会社に就職して十数年経ち、初めて自宅で業務を執り行うこととなった在宅勤務も、その一つです。
私もそうですが、あまりに唐突の激変に、多くの人が戸惑って。憤りや哀しみを抱きながら、今尚持ち堪える日々が続いていることと思います。
しかしながら私は、通勤時間だけで往復2時間弱程費やしていた時間がなくなり、就業時間以外は大分余裕が生まれました。
その余裕が、これまで満たせなかった身内との繋がりを濃いものへと変えていくこととなりました。
会社規定にある休憩時間に、これまでも昼食を摂るようにしてきました。
在宅勤務に服している今は、兄と共に食事をするようになっています。
また終業後はそのまま自由時間になる為、母と兄と談話しながら夕飯を一緒に食べるようになりました。
更に通常勤務時は通勤や会社における人間関係により疲れ切ることが多かった私は早々に自室に籠もることが多くありましたが、余裕ができた分、身内で会話を弾ませたりジグソーパズルに勤しんだりと、ストレス発散と意思疎通をより濃いものとし。
改めて、と言っては過言かもしれませんが。
身内と過ごす時間に、嬉しさのような、楽しさのような。言葉では、上手く表現できそうにありませんが、安らかな時間と共に。
幸せの定義がわからないまま生きてきた私にとって、こういった何気ない時間が幸せの一つなのかもしれないと、思うようになっています。
そして、こんな考えが私の脳裏を過り始めました。
恋愛感情や性的欲求が向くことがない、Aセクシャルを自負している私は。
身内に一層強い感情が向きやすいのではないか、と。
それが今まで身内に対するフラストレーションをより強いものとなり、逆に思い入れも強くなりやすい傾向があるのかもしれないと、思い始めるに至っています。
Aセクシャルは、家族愛や友情は理解できる
性の多様性については、数年程前から世界だけでなく、日本も、企業も取り組むものとなっています。
私が自認するAセクシャルというものは、過去記事として掲載しております。ご興味のある方は、ご覧くだされば幸いです。
ここでは簡単にAセクシャルについてお話しします。
ヒトという存在は、誰かを好きになり、愛し合って子孫を残し繁栄していくものであると私は考えています。
初恋や恋愛による人との出会いと別れ。それを繰り返し、運命の人と巡り合って互いに愛し合って。結婚して新たな家庭を築き、新しい人生を歩んでいく、と言えば良いのでしょうか。
ここで疑問形で綴ったことに、理由があります。
Aセクシャルは、他人に対して恋愛感情や性的欲求が湧きません。故に、私には恋愛や結婚というものが未だに理解できていません。
単に運命の人と出会っていないだけだ、と言われたこともありましたが、それはまた違います。本当に、私の場合は単に理解できないだけです。
学生時代で周りが恋話等で盛り上がっていた中でも、私には所謂「ドキドキ感」のようなものがわからず、一人取り残された感情を抱いていました。
一昔前は、自分が他の人と違うことに戸惑ったり。時にはヒトという存在として、生存本能に欠けているのではないかと、独り悩んだ時期もありました。
今ではAセクシャルというものを自分なりに理解し、受け入れていることができています。
もう一つ、Aセクシャルというと誤解されることがあります。
極端な言い方になりますが、Aセクシャルは愛情や友情。つまり「情」というものが欠けている、もしくは理解できないのでは、と言われることがあります。
これについては、当事者である私からはっきりと言えることがあります。
喩えAセクシャルであっても、家族愛や友情はしっかりと理解できます。
先程述べた身内のことだけでなく。車仲間や友人との交流については、理解し合って共感できる人と出会えた時は、この上ない喜びを感じることができます。
故に、余程のことがなければ一度共感し合えた人との交流は、今も尚続いています。
そこまでは、他の人と大きな差はないと思っています。
違うのは、そこから恋仲になったり生涯添い遂げる仲に発展するだけの感情が湧かず、理解することができない。私はそう考えて今に至っています。
少し長く綴って参りましたが、Aセクシャルは他人に恋愛感情が向かないだけの、一人の人間に過ぎません。
持論になってしまいますが、そのようにご理解いただければ、この上ない幸いなことです。
独りの時間は大切にしながら
勤務形態の様変わりから、私はまた忘れていた大切なものを思い出すことができました。
身内と過ごすことは、他人より多少なりとも本音を言い合えます。
時々それが元で口喧嘩になったり険悪な空気になることもありますが。
それよりも、私は母と父親代わりの兄と過ごす時間が増えたことで、これまで以上に温もりと充実した感情を抱けるようになっています。
独りの時間を何よりも大切にする、私を含む身内ではありますが。独り過ごす時と向かい合う時間を、これまで以上に大事にしていきたい。そう思うようになりました。
コロナ禍で人との接触を絶たれ、精神的にも身体的にも疲弊されている方も多いと存じます。
皆さんは、大切な人たちとの時間を、どう過ごされていらっしゃいますでしょうか。
このような問いが野暮だと思えるよう、現在を取り巻く惨状が逸早く収束することを、願い続けています。
当たり前だと思っていた時間が戻ってくることを、切に祈りながら。
今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。