白兎と雪狼の、果てなき旅路

ドライブやドライブや写真撮影を趣味とし、その他、HSPやAセクシャル、イジメ。精神的・心理的なことについて綴っていきます。

【人生・機能不全家族】機能不全家族 ~結婚に関心を持たない、理由~

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 昨日より、母と兄とともに十数年ぶりになる旅行に行って参りました。

 旅行と言っても県内ではありましたが、私の記憶にある限り、学生時代以来となる時間となりました。

 なんといいますか、身内と過ごす家の外での時間というもの。日常とは少し違った時を過ごすことができました。

 ある意味で、新鮮。

 決して家の中では見られない、自分が知らない身内の別の姿。

 食事を共にし、酒盃を交わし、同じ部屋で眠る。

 クルマでの遠征において、或いは会社での研修や出張にて一人でビジネスホテルに泊まることは多々ありましたが、そういったものとはまた別の……全く別の時間を過ごすことができた。

 

 相変わらずにはなりますが、父親は無関係です。

 そもそも、家族とすら思えないような人と、そんな時間を過ごすことは、私にはできません。

 

 

 そんな年末に、また別のウイスキーに手を出している白兎です。

 

 皆様、如何お過ごしでしょうか。

 

 

 

 私が幼少期より感じていた、違和感。

 

 家族。

 

 一つ屋根の下で生活を共にする、多少の違いはあれど、血の繋がった者同士の一つの括り。一つの団体を表す単位。

 

 それは、掛け替えのないもの。

 果たして、そうなのか?

 

 本日は、そういった内容について綴っていければと思っています。

 

 ※注記※

 本記事は私の生まれ育った環境や境遇についてお話しする。その域を超えません。

 それ以上に様々な思いや感情、ご経験をされていらっしゃる方が大勢いらっしゃること。それを承知の上で、私なりの本音を書いていきます。

 不快感、反論を覚えることがございましたら、ご意見くだされば幸いです。同情や弁明はできませんが、最低限、不快感を覚えさせてしまう原因となった本記事は削除いたします。

 上記についてご承知おきくださる方は、最後までご覧くだされば、幸いです。

 ※注記終了※

 

 

 前書きが相変わらず長くなってしまいましたが、始めていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 機能不全家族

 

 

 この言葉については、最近になりながらようやく知ることができた言葉であり、概念です。

 小さい頃から、自分なりに感じ続けてきた違和感や疑問。

 

 それが解決の糸口となったものでもあります。

 

 それについて言及する前に、私が抱いていた「家族」というものを、知人友人を通し聞き、幼いながらも自分なりに解釈してきたこと。それは。

 

 先述した通り、ひとつ屋根の下で時間を共にするもの。

 職業や環境に差異はあれど、イベント(例えば、誕生日祝だったり年末年始だっったり)というものを大切に、食卓を囲み、食べながら、飲みながら、和気あいあいと過ごす。

 血の繋がりは兎も角としても。

 それ以上の、確固たる繋がりがある絶対的なもの。

 

 

 今思えば、私の勝手な理想だった。

 しかしながら、私の家族というものは、決してそういうものではありませんでした。

 

 ここで、「機能不全家族」というものを簡単に説明できればと思います。

 

 簡単に申し上げますと、一般的な家庭として存在すべき「団らん」や「子育て」、「(子供から見て)両親同士の関係」が機能していない家族の事を指すと言われています。

 

 こう書くと難しくて厄介そうに感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、私なりに一言で表すとするなら。

 

 血が繋がっていようがいまいが、家族として成っていない、人間同士の集団。

 

 家族、という言葉に対し抱く思いは人の数だけ存在すると思っています、

 然れど、逆に申し上げるとするなら。

 家族というものに抱く考えや羨望は、人それぞれと言えるような気がしてならないのです。

 

 

 

 

 私の家族

 

 

 私が物心ついた頃より、まず、両親が全く会話している光景を見たことがありませんでした。

 極端かもしれませんが、今日に至るまで。

 本当に、一度たりとも見た記憶がありません。

 

 喩え意見が合わなくて怒鳴り合ったり、喧嘩したり。

 その後の謝罪を通して関係を取り戻したり。

 

 一切合切、その光景や声を聞いたことがありません。

 

「夫婦というものは、そういうことはしないものなんだ」

 そういった思い、考えを幼少期より覚え、信じてきました。

 

 

 

 

 祖父母の代から……?

 

 

 

 しかし、それは。祖父母の代から続いていたのかもしれません。

 今は亡き祖父母は、当時としてもかなり珍しい恋愛結婚だったそうです。

 デートや告白の際、思わずそれまで付き合っていた人の名前を間違えて口走ってしまった、ということもあったそうです。

 これだけ聞けば、「ラブラブ?じゃないの」と思っています。

 

 ですが、その実は。

 私の両親と、然程変わりませんでした。夫婦のやり取りの方向性としては、ほぼ真逆でしたが。

 あまりのも違いすぎる考えや思いの違いから、しょっちゅう喧嘩して。

 祖父が怒りに怒って出ていった時は、祖母が日本酒一升瓶を抱えて飲み耽って。

 今ではあまり聞かないかもしれませんが、ちゃぶ台返しを目の前でやらかしたり。

 

 母曰く、「なんで結婚したのかねぇ」なんて言うほどです。

 私からすれば、まだ「夫婦」というものをなんとなく。

 辛うじてながらもですが、理解できる。

 そんな祖父母でした。

 

 

 

 では、両親は?

 

 

 

 一方で、私の両親はというと。

 

 食事を共にした光景すら、一度も見たことがありません。

 夫と妻、その子供たちたる私たちが面向かって会話したり、喧嘩したり、和気あいあいと過ごした光景。

 一度も見たことがありません。

 

 夫婦が子供に留守を任せ、二人で外食や買い物に出かけたこと。

 一度も見たことがありません。

 

 私たち子供が進学する時。

 私には兄がいますが、それぞれが進学することについて話したり、激励したり、「頑張ってこいよ!」と押し出してくれたこと。

 

 一度もありません。

 

 最早、あるという事柄を上げることが本当にありません。

 

 

 

 母親

 

 

 両親双方がそうであるかと言うと、そういう訳ではありません。

 母は親身に、私や兄の声を聞き、受け入れ。それに対して自分なりの言葉を掛けてくれました。

 

 母は自分の意見を曲げることはないものの、とても強さを感じさせる女性です。

 意見がぶつかることは、少なくなかった。でもその中でも自分の訴えだけでなく、私や兄の声に懸命に応えてくれます。

 ひねくれた私は、「それは貴女の意見であって」なんて、冷たい言葉を掛ける言葉も多くありましたが。

 忙しいながらも、大変ながらも、寄り添ってくれた。

 決して「勉強しなさい」や「そんなんじゃ進学できない」という押し付けのない人。

 比べるようなものでは、決してないと思いながらも。

 私を、兄を産んでくれてありがとう。

 愚直過ぎるながらも、その言葉だけでは足りないほど、誇りさえ持てる母です。

 

 

 

 父親?そんなもの、私にはないよ。

 

 

 これまで書いてきた記事の中で、少しながらも私が書いて参りました、父親という存在。

 正直に申し上げます。

 

 

 父親というものや、男性というものを最初に学ぶ存在以前の、ヒトとして最低で糞がつく程大嫌いな人間。

 

 そういった思いしか持っていません。

 この世に生を享けて以来、それ以外のものを感じたことがありません。

 

 

 妻である母はおろか。

 私の祖父母にさえ、まともに話しをする姿も見たことがない。

 

 そのくせ、月一で飲みに行って帰ってきた時には。

 皆寝静まっている時間なのに。

 馬鹿が付くほどでかい声を出しながら、口汚い罵りや不満?を漏らして。

 仕舞には「畜生……馬鹿にしやがって」と吐き捨てる。

  法事の際でも飲んだくれて、調子に乗って無意味に饒舌になる。本当に気持ちが悪くなる程明るく、朗らか?になって、浮かれて。

 

 

 ……。

 それ、誰に向けた言葉?

 酔わないと本音すら言えないって、どれだけ器が小さいんだ?

 身内に見せないで、外面の良さだけ気にしてるのですね、貴方というヒトは。

 

 

 進路相談にだって答えらしい答えを出さなかったのに。

 

 

 どの口がほぞくか、馬鹿馬鹿しい。

 

 

 

 口汚すぎる罵りとなり、お目汚しとなってしまったかもしれません。ですが、私はどこかで期待していた。

 身勝手な期待を。

 子供が進学するという、ある意味世間という未知なる世界への旅立ちに対して。

 

 何も言わなかった男に。

 私はただただ失望し、幻滅し。

 血が繋がっている事実が、果てしなく穢らわしいと思う程に。

 

 

 

 

 家族が欲しいか?と聞かれれば

 

 断じて、「No」。

 私もいい歳になりながら、未だ結婚願望すらなく、生涯を共に歩めるような人もおりません。

 

 自分の両親が見せてきた、夫婦という姿。

 そんなものを見て。

 

 それを乗り越えて、幸せな家族を作ろうとも。

 「これが、家族というものだ」と見せつけたい。

 そういった思いは、私にはありません。

 

 小さい頃から見てきた、歪んだ夫婦の姿。家族という仮面を被った人たちの姿。

 

 私には。

 

「そんなもの、不要」

 

 それしかありません。

 

 

 

 言われて苦痛なこと

 

 

 散々身勝手な思いを綴って参りましたが。

 私には、「家族」や「夫婦」という言葉が苦手を通り越して、嫌いで嫌悪すら覚える言葉です。

 

 特に会社の先輩から言われがちな言葉です。そこに嫌味や心配といった気持ちはないのでしょうが。

 

 「白兎(私の実名)は結婚とかどう考えてるんだ?」

 「お前もそろそろいい歳だからなぁ」

 「今のうちじゃないと、後々大変だぞ」

 

 

 私のことを案じてくださっている、となんとなく思えることには思えます。

  人生の先輩としての心配や助言。

 

……そう、思いたい。

 

 わかってはいる、つもりです。わかるけれども。

 失礼承知で申し上げます。

 

 

 私がどう生きようが、貴方たちには関係ないことだ。

 

 

 

 私が思わず言葉としてに出てきそうになるのは、曖昧に濁す言葉ではなく。愛想笑いでもなく。

 「それ、セクハラです」

 

 世の中の背景を盾にした言葉しか出てこない、私は弱く、軟弱に過ぎる人間です。

 

 

 それでも、家族を持つ人たちが掛けてくれる言葉は、私には苦痛や悲哀しか齎さない。

 

 それだけは確かです。

 

 

 

 

 家族って、何?

 

 

 会社の同期も皆結婚し、それぞれ幸せな家族を築いていると思っています。

 

 ですが、私には。

 

 家族というものを理解するには。

 あまりにも、遠すぎるもの。

 

 この言葉に尽きます。

 

 私からすれば、そういった人たちに私情を介して付き合えないし、無理やり付き合いたいという思いはない。

 逆に、その手の話を向けられるには、辛すぎるし、答えられない。

 

 理解してほしいとは思えませんし、そうして欲しいと思いは傲慢に過ぎる。

 放っていてほしいという思いも、哀しいかな、届かない。

 

 私が願うことは。

 

 その人が思う、「幸せ」という定義を、それぞれが全うすれば、それで良いのではないか。

 

 私のような人間には、それ以上の言葉が見つかりません。

 

 世間体という観点から、どう見られても厭わない。何故なら。

 

 世間体、という価値観の押し付けは、私には苦痛以外でも何ものでもないから。

 

 

 その一言を絶叫したい。 

 

 

 

 

 どう感じるかは、人それぞれ……なはず

 

 

 思うことは、人それぞれ。

 その領域を侵さない程度に。

 皆様が、それぞれの思いに従って、過ごせることを願い。

 

 

 今回はここまでとさせていただきたく思います。

 

 年越しまで、後一日。どうか皆様が、平穏で幸いで。

 2019年を過ごせますこと切に願いながら、

 

 今回も御閲覧くださいまして、ありがとうございました。

 それではまた、次回まで。