白兎と雪狼の、果てなき旅路

ドライブやドライブや写真撮影を趣味とし、その他、HSPやAセクシャル、イジメ。精神的・心理的なことについて綴っていきます。

【HSP・トラウマ】タイムスリップ現象 ~蘇る感情~

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 閑散とした町並み。

 娯楽施設も使えないのか、近所で響き渡る子どもたちの楽しげな声。

  私が小学生の頃は、公園で日が暮れるまで遊ぶ、そんな空気が当たり前のことでした。

  緊急事態宣言によって、世の中全体が悪い方向に流れてかけている中でも、良い意味でも日本の昔に戻りつつあると感じている、白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 在宅勤務によって通勤の時間もなくなり、駅から会社までの往復が唯一の運動さえなくなっています。

 歩行時間換算で、片道たった15分。それでも貴重な運動であったことを、身を以て痛感しています。

 お恥ずかしい話ですが、太りました。3キロは優に増えています。

 唯でさえ運動嫌いな私は代替えとなる運動に取り組むことなく、食べる量は変わらないので体重増加は当たり前なことです。

 しかしながら、実際は頭が痛い話です。身体、確実に重くなっています。

 

 一ヶ月の在宅勤務で、身体面だけでなく、精神面でも少し悪い影響が出始めています。

 眠りが、確実に悪くなっています。これまでの就寝時間に合わせて眠剤を飲んで寝床についても、明け方の2時や3時まで眠れない日が続いています。

 そして、妙な夢を見始めて止まらなくなっております。

 内容はバラバラで気に留める程のものではありません。

 しかし気になっているのは目が覚めた時に必ず、夢の中で出てきた登場人物。そして、行きどころのない感情を抱いていることです。

 

 不安か恐怖か、或いは虚無感。それと、無力さ。

 何故寝起き早々、そのような感情を抱いてしまうようになったのか。もしくは、夢によって感情が彷彿させているのか。

 外部に出るか否かは別にしても、感情豊かと言われるHSP。目覚めても尚残り、まるで蘇ってくるかのような感情の残滓。

 

 腑に落ちない、と言うよりも気持ち悪さと好奇心を元にして調べていったところ、興味深いものに辿り着きました。

 

 

 

 タイムスリップ現象という、聞き慣れない用語でありながら。

 今だけでなく、これまで生きてきた私を取り巻いて離れることのないことであることを、知るに至りました。

 

 今回は私の経験を交えながら、タイムスリップ現象というものについてお話ししていきながら。

 似て非なるものであるフラッシュバックとの違いについて、綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 感覚が鋭くなっていくことに気付き、眠れなくなった日々

 

 

 私はある時を境に、睡眠に対して良い印象を持てなくなっています。

 母曰く、乳幼児だった私が眠っている時、急用でどうしても合間を縫って出かけなければならない時があった際、心配しながら帰ってきてもそのままスヤスヤと眠っていたと言う程、夜泣きなどで困らせられることはない子供だったそうです。

 しかし専門学生時代に借りていた学生マンションが鉄道の真横であった為、朝早くから夜遅くまで、電車が往来するけたたましい音を毎日聞くこととなりました。

 それまでは部活をしていたこともあり、疲れで知らぬ間に眠り耽っていました。ですが鉄道が通り過ぎる音は予兆なく突然響き渡る為、唐突の騒音に驚いて不安に刈られるようになりました。

 思い返せば、その頃から音に対して物凄く敏感になっておりました。

 横の部屋から聞こえてくる話し声だけでなく、上の階で焼き肉パーティでもしているのか、楽しげな騒ぎ声も壁伝いに全て耳が拾って。聞きたくもないのに、何故か跡切れ跡切れのそれに聞き入ってしまってばかりでした。

 あたかもそれは、自分から眠りを妨げる要因を作っているようなものでした。

 

 そしてトドメとなったのが、火災報知器による爆音でした。

 ようやく眠れるか否かの、夢うつつの中響き渡った大音量に、私はたちまちパニックに陥って。それが誤検知だとわかっても、いつまた音に晒されるかわからない。

 かつて大の苦手で大嫌いだった爆竹やクラッカーを思い出させたそれは、私に恐怖と不安を植え付けるには十分に過ぎました。

 思えばこの時から、私はHSPという気質を。特に音に対して敏感であったことを自覚し始めていたのかもしれません。

 

 それはともかくとして、以来、眠ることに対して「眠らなければ、明日に響く」と強迫概念を抱くようになり。それによって余計に眠れなくなって、意識が飛んだと思って起きたとしても、1、2時間しか経っていないことがざらになっていき。

 次第に睡眠を取ることへの恐怖感とも、億劫さとも言える感情や思いを抱いくようになりました。

 少しでも緩和できるよう耳栓を導入し、数年前からは睡眠導入剤と中途覚醒防止の為の眠剤を飲み続けています。

 

 その自然でない眠りは。

 不眠症とは別の弊害を、今でも残すこととなりました。

 

 

 

 奇妙な夢から、生々しい感情だけが残って

 

 

 

 睡眠導入剤や眠剤は、寝入りや中途覚醒防止をサポートしてくれます。

 一方で、睡眠の質は低下させると言われています。

 眠りの質の低下は、奇妙で気味の悪い夢を見る形で表面化することとなりました。

 

 これまでも奇っ怪な夢を、幾度となく見てきました。

 それ自体に一貫性はなく、夢の中の私が立っている場所や立場は多種多様。登場する人も見知らぬ顔、或いは顔にモヤが掛かったような人たちばかりで、内容も余りに現実離れし過ぎていた為、目が覚めても「あぁ、夢か」と安堵できるものがほとんどだったことが、唯一の救いでした。

 

 その救済とも呼べた夢が、最近の一ヶ月で変貌し始めています。

 

 相変わらずシチュエーション自体は、その日毎に大体変わることは変わりません。

 問題なのは、夢の中で登場してくる人たち。それはかつて見限り、関係を断ち切ってきた友人と呼べる古人であったり、高校時代に世話になった恩師であったりとする、私が苦手とする人間関係を再現するようなものになっていることにあります。

 

 既に就職しているはずなのに。夢の中の私は、通ってもいない大学のような場所で古き友人に「このままだと退学になるよ」と急かされたり。

 また別の時は、理由はわからないながらも恩師が怒り任せに教室中の私たちを必要以上に怒鳴り上げたり。時には私個人に対して「お前がいるから、このクラスが滅茶苦茶なことになっている。今すぐ勉強に励むか、退学しろ」と鬼の形相で迫ることもありました。

 そして、以前本ブログにも上げさせていただいたような内容に近い夢も見ることもあり。

 

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 疲れを取るはずの睡眠で、必要のない疲ればかりが蓄積して。

 最近では、また眠ることに怖さと不安を覚えるようになっています。

 

 その中でも際立っているのは。

 夢の内容は元より、目覚めても尚抱え続けている感情の強さでした。

 

 夢から覚めても、掌の汗と共に残る焦りにも似た思い。ホラー映画とはまた違う、デジャブのように蘇る怖いという思いと不安さ。

 

 現実と夢を通り越してお、いつまでも残り続けて離れない、感情の渦。

 あまりにも生々しい思いは、眠ることによる安寧を私に齎すことはありません。

 

 然れど「感情だけが生々しく残っている」という状態は、私が抱え始めた問題を少しでも理解し、調べる切っ掛けとなるのでした。

 最初は過去のトラウマの再体験する、フラッシュバックを疑って掛かりましたが、調べていく内に若干異なることに気付きました。

 その上で、非常に酷似したものがあることを突き止め、ようやく「これだ」と思えるものに辿り着きました。

 

 

 

 

 感情だけが蘇る、タイムスリップ現象

 

  ※注記※

 以下の内容はタイムスリップ現象を説明する中で、ADHDを始めとする病名について触れて参ります。

 万が一それにより気分を害された、もしくは傷付いたと感じられた際には、問い合わせフォームよりご意見ください。内容を鑑みて、場合によっては本記事を削除いたします。

 ※注記終了※

 

 

 感情や気持ちが過去と同期してしまう状態や現象。

 それらはタイムスリップ現象と呼ばれています。

 

 その名の通り、時空を超えてタイムスリップしたかのように時間を遡ってしまうことを指します。

 タイムスリップの先に待つもの、それは。

 

 過去の出来事を鮮明に、かつ予期せず思い出し、「その時と同じ気持ちになってしまう」現象と説明されます。

 

 これは子供を含むADHD(発達障害)の方にも見られるものである、とされています。

 

 今回私がタイムスリップ現象というものに関心を持ち、惹かれたことには理由があります。

 確かに私は、イジメを受けた経験がトラウマとして残り続けています。

 しかしながら、イジメられていた時の状況や環境までを完全に思い出し、再現するまでには至らない点にあります。

 現に主犯だけでなく、その取り巻き、私の訴えを聞きながら無視した当時の担任の声など、幸いなことにすんなり忘れかけております。

 

 それでも、忘れられないもの。それは。

 イジメを受けていた時の感情や思いです。

 どうして私がイジメに、という疑念から始まって。

 会う度に吐き捨てられる汚らしい言葉の数々、戸惑いのあまりに黙った末の怒り混じりの詰り。何をしても文句しか返ってこない理不尽さと不平さ。

 学校が恐怖の場と化し、不安と恐れ慄くままに仮病を使ってでも逃げた、自分への憤りと情けなさ。

 そしてクラスメイト全員の前で激しく罵られたことで、我慢に我慢を重ねた怒りの爆発に便乗した、私の思いの全て。

 

 様々な出来事の度に感じて、打ちのめされて。

 それでも脳は忘れまいと勝手に判断したのか、或いはこの逆境を生き延びろとでも言いたかったのか。

 状況はともかく当時の私が感じ取り、思い浮かんだ感情と思いだけは死ぬことなく鮮明に残り続けて。今も、私を支配し続けると共に。自分でも解くことができない呪縛に、もがいています。

 

 そうやって、青春と呼べるような時代を潰してでも繋ぎ止めてきた思いは。

 イジメに叩きのめされることなく、今の私に、自分を見つめ直す機会を残してくれたと信じながら。

 こうして、感情と思いだけが鮮明に残り続ける現状について綴るに至っています。

 

 こうして綴っていると、タイムスリップ現象とフラッシュバックの違いが、益々曖昧になってきます。

 ですが、そこには微妙なニュアンスでありながら、私個人としては決定的な違いがあることを見出すことができました。

 

 

 

 

 

 タイムスリップ現象とフラッシュバック

 

 

 定義としては非常に似通っている、タイムスリップ現象とフラッシュバック。

 両者の違いは何か。

 

 

 似通ってはいますが、両者は一つだけ異なっている点があります。

 この二つを比べたり無理やり分ける必要もないと考えていますが、今回は私なりに両者の違いを一言だけ、申し上げます。

 

 タイムスリップ現象は、記憶に付随する「思いや感情」が色濃く出て、記憶よりも感情や思いに支配されてしまうものと定義するなら。

 

 フラッシュバックはトラウマを始めとした強い精神的ショックが「記憶として鮮明に再現されて」、その鮮明さ故に苦痛や生きることの辛さを感じてしまうもの。

 

 違いは、「主体となるもの」の違いにあると考えています。

 タイムスリップ現象が過去の「感情や思い」に唐突に縛られてしまう一方。

 フラッシュバックは「過去の出来事そのもの」にふとした瞬間囚われてしまう。

 

 タイムスリップ現象を初めて耳にした私が、フラッシュバックと重ね合わせた上で自分なりに見出した答えです。

 

 辛さの強弱だけでなく、似たもの同士として比べるようなものではないと思うと共に。

 

 トラウマ=フラッシュバックと考えていた私の考えを改めることになると共に。

 トラウマを持っていても、人によって、様々な捉え方と考え方があることを、身に沁みて感じることとなる瞬間でもありました。

 

 

 

 

 

 

 

 同じ外傷でも、目に見えない傷は無視される現状

 

 

 

 骨折や外傷のように、他人の目から見て明らかに危ない、或いは異常と思わることはあっても。

 同じ外傷であっても、精神的であったり心理的な傷は、周りから診断されないばかりか、時には無視されることもあります。

 

 その傷や痛みを抱える本人が、ひたすら悩み、苦しみながらも、耐え続けるしかないのか。

 

 私は独り、奥歯を噛み締めて。俯くことしかできずにいます。

 

 でも、ここで勇気を出して。声を大にして申し上げます。

 

 大小など問わず、トラウマを抱える人は沢山いると思います。

 

 私はたまたま、タイムスリップ現象に悩まされている身ではあります。

 しかしながら。タイムスリップもフラッシュバックも、比べることなく。

 癒えぬ傷に、今尚苦しんでいる人がいることを知っていただきたい思いに刈られるばかりに、本記事を綴らせていただきました。

 

 

 

 纏まりのない記事となってしまいましたが、今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

 

 

 

 

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 またまた衝動買いした、木製パズルのオオカミ。

 脆弱な私を前にしても、ひたすら遠吠えする姿は強さの象徴であり。

 身に付けたくてもできない、複雑な思いを抱えさせるその様は。

 どこまでも、孤高で。美しいです。