【HSS・HSP】矛盾を抱えて生きている・破 ~思わず共感した十箇条~
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週末の雨はどこへやら、絶好のドライブ日和となった週明け。
涼やかな風邪が吹き抜け、湿気もない麗らかな日和。それを室内業務で堪能できずに悶々とした一日を送った、白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
先日の投稿に続き、HSS型HSPの生態を表した十箇条。
公開した3つのことだけでも、想像以上に無意識に行っていることに気付くことができました。
いや、寧ろ。
HSS型HSPだとか、そうじゃないだとか、関係なく。
私は、私なりの生き方を見出しすようにしてここまできました。
それがようやく、十箇条という形で見えるようになったことで、自分のことをより一層理解することができるようになっていると痛感すると共に、胸のつかえが取れた清々しささえ感じています。
この気持ちが、同じように悩む誰かに届くことを、切に願っています。
さて、今回は前回に続いてHSS型HSPの生態十箇条。その第二弾である四つについて、私の経験や実体験を交えながら綴って参ります。
私のHSS型HSPやHSPの記事は、こちらから御覧になれます。よろしければご閲覧いただければ幸いです。
また本ブログの方針については、こちらを御覧くだされば幸いです。
矛盾4.行動的な慎重派
第四段はこちら。早速矛盾から始まります。
これは文言の通り、好奇心の赴くまま、行動的で止まらない所がありながら。内心では石橋を叩き過ぎて割ってしまう程の慎重さを併せ持っています。
これについては、私の場合慎重さの方が前面に出ることが多いです。仕事は兎も角、プライベート。特に車に関するパーツ導入に関してはかなり慎重で、レビューは「飽く迄その人の感想」と参考程度に留め、自分が取り入れるかは否かは相応の時間を要します。
価格だけでなく、実際に取り入れた時のイメージ像、対費用効果といったことを頭の中でシミュレートします。
結果的に空想が過ぎて妄想と化すことや、思い描いた姿が日が経つに連れて壊れてしまい、見送ったりお蔵入りしたものも数多くあります。
一方で考えなしに突っ込むというのも、時として有りだと考えつくこともあります。
例えば、とある物を見た瞬間、自分が思い描いていた理想像と重なったと「直感」した際は、レビューも見ずに即時購入といったことがあります。
それは特段、「個性を出せるもの」や「考える間もなく心を射止めたもの」と判断した時には、幾ら値が張ろうとも気に留めることなく手を出します。
身内が「そんなもの買ってどうするの」といったものでも、です。
その一例がこちら。
漫画「BEASTRAS」の主人公、レゴシのフィギュア。新型コロナの影響で二ヶ月待ち惚けを食いましたが、1万円以上の対価を支払って手にしました。
また車弄りも普段は恐ろしくてDIYでパーツを取り付けたりすることはほとんどないのですが、「これなら車を壊すことがないから大丈夫」と安全を担保できたものは不器用ながらも挑戦します。
安全なら危険を厭わない。そんな感覚でしょうか。
これは次に上げる、凝り性や収集家の一面があることも影響しているのかもしれません。
値段や価値ではない。
自分が良いと思ったものを、ひたすらこの手に収めたい。
行動に移った時の私は、自分の理性を以てしても止められることなく注文していた、ということさえあります。
他の十箇条にも言えることになりますが、熟考したり一歩引いた立ち位置からものを見て判断するのがHSPであるなら。
考えを挟むことなく、「これならいける」「それは違うだろ」と直感的に思ったことは押し通す一面がHSSではないかと、私なりに考えています。
考えが先か、直感が先か。
HSS型HSPを知る前は目まぐるしく変わる気持ちや感情に振り回されてばかりでしたが。
今は逆に、自分でも「面白い性質を持って生まれたものだ」とさえ思えるようになるに至っています。
矛盾5.飽き性で凝り性
続いてはこちら、飽きっぽい癖に変な所で凝り性があるです。
私は興味や関心を抱いたことには手を出してハマって、その為に必要な道具やお金を気にすることがなくなる程のめり込みます。アレも欲しいコレも欲しい状態になることが多々あります。
他方でどんな切っ掛けであったとしても、一度興味を失ったことものにはどれだけお金や時間を掛けていたとしてもあっさり諦めたり辞めてしまい、次の刺激となるものを求めてしまう飽きっぽいところがあります。
中学で勤しんだテニス部所属時も、より良いものを求めてラケットやガットを次々に買い漁りました。周りが一本や二本を大切にしているところを、私は三本以上所持していました。
ダーツもバレルという部品を十本以上買い、最早収集しているかの如くでした。
他にもプラモデルやエアガンが好きなこともあり、気に入ったものはすぐにでも手を出してきました。
一度惚れ込んだものに関するグッズや関連商品を集められるだけ集めようとする、凝り性な面が思い切り顔を出します。
気が付けば部屋が物で溢れかえっていた、ということばかりあります。
然れど熱が冷めたら最後。
何でこんなもの買ったんだろう、こんなに買ってどうするつもりだったんだと妙に冷めてしまい、「他の物にお金使えたのに」と自分で自分を蔑んでしまいます。
時間を忘れて熱中していたことであったとしても、その度合も関係なく飽きる。
まさに熱しやすく冷めやすい、という言葉がしっくりくる性質です。
基本関心を無くしたことやものに立ち戻ることはありませんが、稀に新たな刺激の源になりそうなものを見つけ出して返り咲くことがあるという、私自身奇妙に思える性質があります。
どうやらどれだけ熱を注ぎ込んでも、自分の中で普遍的で、あって当たり前となってしまうと飽きてしまう、というのが私の性質のようです。
最近では弄る所が無くなり、挙句の果てに乗り換えなんてことも考えていた車が、その良い例です。
愛車は、私の中では「個性」を表すものです。
一度落ち着いて飽きかけていた愛車も、車のSNSでのやり取りを切っ掛けに「普遍さを挽回して、もう一度個性を出したい」という思いが再燃し、新たなパーツを購入しております。
つくづく、どうしようもない金遣いの荒さに呆れを通り越して、苦笑いしている自分と。それだからこそ私だ、と妙に自信たっぷりな顔をしている自分が両立しています。
矛盾6.空気読めない気配り屋
十箇条の半分が終わりましたが、まだまだ続きます。
空気を読むことなく話したり行動する時もあれば、気配りする余りに自分のことはそっちのけ、と言えば良いのでしょうか。
少し語気が弱いのは、私の価値観や矜持として「空気を読まずにベラベラ喋られるのが嫌い」というものがある為、自分を抑えてでも周りを見ようと心掛けていることに起因します。
会話においても基本的に聞き役に回ることもあり、自分の意志を次から次へと喋ることはほとんど有りません。
ただし、空気を読まずに一人勝手に行動することは少ないとは言えないかもしれません。
自覚したのは、車のオフ会でした。
参加したメンバーがパーツ談義や談笑に耽る中、私は一人フラフラと関係ない場所へ赴くことがありました。
山岳地帯でのオフ会なら、山へ。海沿い付近なら砂浜へ。
車好きが集まって楽しむオフ会なのに、誰もいない場所をわざわざ探し出してそちらへ吸い寄せられるようにして向かっていく。
それを繰り返してきた結果、車仲間の中では「変わり者」と認識されています。
一人の個性のようなものを意識するようになり、今ではすっかりお気に入りの見られ方になっています。
このことに関しては、過去記事でも上げております。
矛盾7.改革しつつ順応する
本記事の最後となる性質です。
私なりの解釈になりますが、規範や模範に縛られることは嫌いでありながら、際立ちそうになるような時はいかにも付き従って面倒事にならないようにしている、といった感じになります。
私の場合、これは専ら、会社での立ち振舞に表れています。
伝統や慣習に縛られることが何よりも嫌で、例えば、会社の飲み会はここ最近全部欠席しています。
仕事を忘れて、立場や年齢関係なく語り合うと謳っていますが。
私には会社絡みの飲み会というものはどうしても仕事の延長上のイベントにしか感じることができません。
入社直後暫くは断ることもできずに強制参加させられたことでストレスを吐き出すどころか、却って時間と金と体力の浪費と思うばかりにストレスの元となっていました。
会社絡みで飲む酒ほど不味いものはない。
そういったものが好きな人は出れば良いし、無理強いするのはおかしな話だと思い続けて十年近く経ちます。
仕事とプライベートをきっちり区別したい私は、尚更強く思い続けています。
誰かが嫌な思いをする位なら、Win-Winを感じられる人同士でやれば何の問題もないだろう、というのが私の持論です。
片や仕事となれば別になります。
お金を貰っている以上、下手なことをすれば注意だけで済まされず、規約に抵触して処分の対象となりかねません。
私が勤める会社は通信事業を司っている以上、いかなる理由があっても通信サービスに支障を来たすことは許されません。
ハラスメントに至ることがない限り、個人的な意志や矜持は、意味を成しません。
そういう時は専ら、黙って従って業務を遂行することに集中します。余りの不満に感情が錯綜したり心乱されるようなことがあっても、その場は何とか収めてでも。
逆に言えば。
やるだけのことはやったから、文句は言わせないという勢いを抱きながら仕事をこなしています。
この気概から、会社ではブラックリスト入りして久しいです。
それでも、この現代では黙って泣き寝入りする位なら、言うことはちゃんと伝えたいというのが、私の思いです。
伝え方は穏便に、然れどただ黙っていられる程出来の良い社員ではない、と。
十箇条中半分となる項目を綴って参りました。
読み返せばする程、HSS型HSPではなく、ただの我儘の塊なのではないか。
少し、自信が無くなってきました。
それでも、まだ私は綴りたい思いに溢れています。
性格だと思い続けてきたこと。直しようもないことだと信じてきたことが。
私の中でやっと、外に向けて発することができる機会に恵まれたこと。
そして我慢は必要かもしれない時もあっても、「自分はおかしい」と思って本当の自分を騙して、隠して。
そうして久しい私は、十数年経ってようやく、自分らしさを取り戻しながら自信をつけ始めるに至っています。
ただでさえ少ない、HSS型HSPを、短い語句に纏めた十箇条。
私の経験、体験、その時の思いや感情を加えながら、次回も書き連ねていきたい所存です。
今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。