【コロナ禍・人生】如何に「普通」に生きるか
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東京五輪・パラリンピックまで秒読み段階、といった時期になって参りました。
しかしまあ、世論では歓迎どころか、言い方は失礼ですが「そんなことやっている場合か」と怒りを通り越して呆れの声に溢れ返っています。
マスコミでは「悲観的」とやんわりとした表現を用いていますが、実際はコロナ禍を終息させずに何を戯言を……といったところが本音ではないでしょうか。
首都圏や大都市だけでなく、地方でも新型コロナの感染拡大第四派が到来しているのに、政府の御仁は本当に色々と欠如しているようですね。命やお金の危機感やらが。
そんな方々の、お願いに重なるお願いなんて、もう誰も聞いていませんよ?
はい皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。
前回の投稿から、一ヶ月近く経っております。
この間、様々なことが一気に目まぐるしく起こっておりました。
事の始まりは、4月の頭。新年度の開始と同時に組織の新体制の元、業務が始まった矢先。
担当内で、新型コロナの陽性者が出た。
上司からの、唐突の通達でした。
即座に退社命令、翌日は特別消毒の為フロアの全封鎖。この間も陽性者との接触者を洗い出す為に、幹部クラスの人たちは阿鼻叫喚の悲惨な状況だったそうです。
そして、翌週の朝。陽性者と共に出張したか、社用車での移動は一緒だったか、座席位置から半径2m以内だったか。
これらを鑑みて各社員に通達が行われ、私は一週間の在宅勤務を命じられました。
この結果は、ある程度予想がついていました。
私は2週間前、陽性反応が出てしまった方と泊出張で出かけていたからです。
但し、濃厚接触者ではなく、飽く迄「暫定接触者」というよくわからない位置づけをされ、PCR検査の対象外とされました。
でも、実際の私はかなりの不安に苛まれていました。
自分が新型コロナに感染しても、それは仕方がないという思いはありました。これは、一年前から変わっていません。
しかし、身内へ知らぬ間に感染させてしまったら……という見えない恐怖だけは、コロナ禍になって以来最大のものでした。
身内は基礎疾患を持っている者ばかりなので、もし陽性者になってしまえば、最悪の場合は死ぬ。
それが、ウイルスを持ち込んだ私が原因となれば、私自らが殺したも同然になる。
誇大妄想かもしれませんが、そんな不穏と怖さが付き纏い、まともに在宅勤務をこなすことなどできずにいました。
拍車を掛けたのが、先に述べたPCR検査対象外ということにありました。
幾ら保健所の指導と言われても、仮に感染していても無症状だったら、どうすればいいんだ。
症状がなければ、医者にも行けない。その間にも誰かに移してしまう可能性も0ではない。
自分は、本当に在宅勤務止まりで良いのだろうか。
そのような混乱と揺れに揺れる心。しかし、時間はゆっくり、確実に過ぎ去ります。
指定された出社停止期間の終わりが近づき、いよいよ出社前夜となった時。
携帯に、上司から連絡が入ってきました。
新たに感染者が二人出た
その言葉を聞いた途端、短い言葉を返す声さえ震えていたことを覚えています。
これまで全国の新型コロナ感染者のニュースを見ていた時は、「あぁ、また増えたか」「なんだか、もう唯の数字だけだな」と、他人事でしか見ていない自分がいました。
それが、身近で起きたらどうなるか。
醜く、みっともない程の萎縮と不安を暴露する体たらくを晒す様でした。
結局、新たに陽性反応が出た方との座席位置が2m以下だったということで、更に一週間出社停止、引き続き在宅勤務という結果に落ち着きました。
が、これまでの在宅勤務から引き続き、始まりに過ぎなかったのです。
以前、このような記事を投稿いたしました。
この時は新型コロナが流行し始め、会社も政府の要望に応えるべく出社率を下げる目的で在宅勤務を勧めていた時期でした。
当時、私は煩わしい人間関係に長らく辟易していて、ようやく解放されたとぬか喜びしていたと記憶しています。
その思いは、今も変わらずにいることは事実です。不要な人付き合いにはもう飽き飽きしていますし、一人でいられる時間が大切な私には、失礼ながらも有り難いことだからです。
然れど、そんな時間が長く続くと様々な面で不調が生じることとなりました。
私が務める会社は基本現場の業務です。専用の端末や設備の運用保守は現地でしかできませんので、在宅勤務でできることは本当に僅かです。
一日中パソコンとにらめっこしていても、何一つ成果をあげることができません。
普段であれば、一日が終わる度に「今日の仕事、終わったな。明日も何とか乗り切ろう」というモチベーションの維持ができていたのが、それができない。
要するに、やる気もさることながら、気持ちのオンオフができなくなる。結果的に生活が平坦になり過ぎて、感情が死んでしまいます。
結果的に、日頃の疲れやストレスを車やブログといった趣味で溶かすという習慣が消失していました。
生きているのに、行動が制限される。これは生殺しされながら監禁されていることと同じように感じてなりませんでした。
外出禁止という訳ではなかった為、休日は普通に出かけて洗車や外食を楽しめたことは、それでも幸いなことでした。
そしてようやく、迎えた4月の最終週。出社停止が解除され、久方ぶりの出社日。
今まで何気なく通勤を共にしていた人たちと顔を合わせ、会話して。
職場に着いてからも、互いの無事を喜びながらも他愛もない雑談を交えながら、溜まりに溜まった仕事をこなす。
たかが二週間、然れど二週間。
数ヶ月も会社に来ていなかったかのような錯覚を感じる程でした。
しかしながら、感染した3名は出社日未定のまま。逸早い回復を祈りながら、在宅勤務明けの出社を終えるのでした。
人間は、本当に自ら体験しないと学ぶことができない生き物であると、改めて認識することとなりました。
誰に責任があるとか、誰が悪いとか、そういうことは本当にどうでも良くて小さい話なのだなということも、再認識しました。
そして、如何に「普通」で「普段通り」の生活ができることがどれだけ有り難くて大切なことなのかを教えてくれたと、私は胸に深く刻むのでした。
最後に、一つだけ。
五輪強行開催しようと慌てふためく、政府と組織委員会とIOCの御仁方。
お高い給料と満額ボーナスを貰っておきながら、このような凄惨な庶民の生き様を見ていらっしゃいますか。
感染者が増えたか減ったか、人の流れがどうなったか、テストマラソンは成功に終わったか。
そんな目先のことなんかに、目を向けているのは愚行中の愚行ですよ。
伝わるとなんて思っていませんが、いい加減自分たちが何をしようとしているのか、もう一度考えてください。
それが無理なら、庶民が味わっているこの苦境と同じ立ち位置に立ってください。
まずは、新型コロナの猛威を身を以て知ってからだ。
五輪五輪なんて、夢物語を語っている場合ではないだろう。
貴方方の頭は、単なる飾りか本当に腐っているのか?
人として、もう一度やり直せ。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。