【生き方・価値観】変わり者は褒め言葉・後章 ~周りと違っても、良いじゃない~
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五月の日差し。眩しいばかりの陽光と共に漂う緑と土の、青臭くも心地好い匂い。
草木の緑が深まり、田畑にも水が入り稲作が始まる季節。
会社まで歩き、自転車を走らせ、風を切る中で漂ってくる漂う香り。
鼻をくすぐられたのかように、通勤途中にも拘らず深呼吸していた、白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
前記事で、私は周囲とのズレを感じ始めただけに留まることなく。
周りとの違いを意識し始めたことについて、書き連ねて参りました。
今回は前回に続き、周囲とのズレや違いにより、人生に対し斜に構え始めたこと。
そうする自分を、周りに拒絶されることなく「個性」として認識されていたこと。
そして最終的に、言葉として「変わり者」と称されたことで、周りと違うことやズレていても良いのではないかと信じられるようになったことを、綴って参ります。
普通ではない自分、斜に構え始めた人生
小学校高学年を境に、次第に周囲とのズレを感じることが多くなっていきました。
授業に対する考え方。一人の生徒としての振る舞いや言動。友達との会話、付き合い方。そのほとんど全てに違和感を抱き続けていました。
勉学に対して、興味の持ったこと以外には積極的に学ぼうとすることを嫌っていた私は、中学高校はテストで赤点を取らない程度の努力しかしませんでした。誇れるものと言えば、パソコンを中心にした情報の授業の成績だけは常にトップでいたこと位です。
一方で既に偏差値の高い高校や大学への入学を目指すべく勉強に励む生徒もおり、ノートを目一杯使って黒板の文言や教師の言葉を書き連ねている者もいました。
当時から良い成績を収め進学の足掛かりとする生徒が多く、教師陣も名門校への進学をひたすら訴え、努力することを半ば強制していました。
そんな中、私は勉強に対する考え方が根本的に異なっていました。
名門校に進学することで、その後の就職活動が有利に働くことは確かです。
高校や大学受験は人生を左右しかねない重大なことであることは理解しています。
しかし私は、合格に向かいクラス一丸となることを強いることについては腑に落ちず、反骨精神さえ抱いていました。
クラスの雰囲気を少しでも壊す行為や言動をしただけで、異物扱いされた為です。
気の緩みを生じさせない為なのだろうと思いますが、異物扱いして注意されること自体に反感しか抱けませんでした。
もう一つ、勉学に対して思うことがあります。
例えば、数学の二次関数や三絃定理。
これ、生きていくのに必要なことなの?そういう知識が必要な仕事に就きたい人だけが学べばいいのに、共通科目にする必要性なんてどこにあるんだ?
そんな思いもあり、私は兎に角勉強というものに打ち込んだことはほとんどありませんでした。ようやく必死に知識を叩き込んだのは、専門学校での国家資格の受験に向かった時位でした。
勉強以外にも、生徒としての振る舞い方や服装にも周りとの違いを感じ続けていました。
寒がりな私は夏でもワイシャツだけでは通勤電車や教室の冷房に耐えられず、常にブレザーを着込んでいました。
他方学校ではメリハリを付けさせる為か、夏はブレザーの着用を禁止していました。
半袖や腕まくりで少しでも涼しさを得ようとするクラスメイトたちからは「何かの病気?」と揶揄されました。それ自体は冗談混じりということは声色でわかったので、大して気にするようなことはありませんでした。
問題だったのは、生徒指導の教師から物凄い剣幕で注意を受けたことでした。
特別制服を着崩すようなことも、学校指定外のものを着ていた訳でもないのに、怒声を張られたことに不快感を持っただけで済むことはなく。
健康や体調よりも、そんなにしてまで校風というものの方が大事なのか?学校外からの評価でも気にしているのかな?
勉強も服装も、振る舞いも。大抵は私の思いを貫いたことで注意の対象になったのだと思ってはいます。
ですがそれ以上に。無理矢理にでも枠に収めようとすることに対して、枠に収まろうとしない者を邪険にされることに対して。
私の中の反感や不快感は増していくばかりでした。
そして最後は、「そんなに言われるなら」と意固地になるようになり。
生きることに。誰かが決めた「常識」のようなものに対して斜に構えるようになっていきました。
何をしても文句や非難を浴び続けた、イジメを受けたことも相俟って。半端な注意は、「下らないことに躍起になって、馬鹿馬鹿しい」と鼻で笑って流すようになっていました。
社会人になっても変わらなかった、周囲との違い、そして違和感
以来私は、事あるごとに「好きだとか、やりたい人がやればいいのでは」という意志が芽生えて、すっかり心に根を張っていました。
そして露骨に反発することだけでは、却って相手を刺激して必要以上の被害を被ることを学び続けました。
それはそれで釈然としない。
何よりこちらの「普通」は、相手のそれと同義ではない。自分は、周りとやはりズレていて違っていると悟ってからは。
本音は、常に頭と心の中にしまい込んで。学園祭や卒業式で泣いていた周りと比べて、然程満喫しなかった学生時代を終え、そのまま社会人になりました。
周囲との違うことの自覚と、自分を嘘と偽りで塗り固めた姿勢を抱き続けながら。
その思いは、入社後も大きな変化を見せることはありませんでした。
「新入社員だから」。
入社後研修の終わり頃、各クラスごとに配属後の意気込みを示す為に強制された、しょうもない余興。
「若手だから」。
化石寸前の、昭和の慣習を引っ提げて強制参加させられた飲み会。「勿論、出られるな?」と迫る上司の声は、拒否権など許されませんでした。
そしていざ懇親会という名の宴が始まると。そういった時だけ、会社役員の人に胡麻を擂るように謙る上司や所長の姿を見ることになりました。
無理やり引っ張って行かれることを嫌った私は、壁の花となりながらアルコールを流し込んでいました。
会社関係で飲む酒ほど不味いものはない、と思いながら。
普段はそれっぽいことを言うのに、目上の御仁が来た時は不自然な程の笑みと無駄に大きな声を出す上司たち。
正直、気持ち悪さすら感じました。
学生時代だけで終わると、勝手に信じていた周囲との違いや違和感。
結局、どこにいても変わらないと、私は落胆さえしていました。
その後は、学生よりも世界が広がった社会人という立場に立ったこともあり。
本当の自分の思いは、ますます心の奥底へと沈んでいきました。
変わり者、と言われたことに自信に繋げて
周りとの違いを意識する余りに、私は生きることに対してすっかり意気消沈していました。
朝起きて出勤して、業務を終えて帰宅し、寝る。
面白みも何もない、傀儡のような毎日を送っていました。
そんな私に、転機と言っても過言ではない出来事と巡り会いました。
本ブログを立ち上げてから、私が変わる切っ掛けとなったと再三申し上げている、車のSNS。最初こそ人の記事を見て回るだけの、所謂ROM専として徘徊するだけでした。
しかし車を買い替え、車に対する愛着や拘りが芽生え始めたことを契機として。
自分の愛車を、紹介したい。自分が導き出した、車への思いを伝えたい。
それは十年以上募らせてきた、「周りと違う自分」を、愛車を通して示したいという意志の裏返しでもありました。
おっかなびっくりで始めた車のSNSでしたが、他の人が紹介していたパーツや整備方法を吟味しながら、自分が良いと思えたものを選択して投稿していきました。
勢い任せな所もありましたが、車という共通の趣味を持つ輪はどんどん広がっていきました。
それは、私が想像していた以上でした。同時に同じ車でも、弄り方の違いは「個性」として認識されることを知り。
のめり込むようにして交流を進め、遂にはオフ会にまで参加するようになりました。
度々顔を出すようになったオフ会。その中で、一際目立つ方と出会いました。
その人は集合時こそ他の参加者と話を進めていましたが、開催と共に姿を消すようにして、フラフラと一人歩き回り。イベントが開催される時間でも「興味ないからね」と喫煙所で紫煙を吐いていました。
私はその人に、そこか親近感のようなものを抱いていました。
周りが集合する中で、人がいなくなったからとにこやかに笑いながら車を写真に収める姿勢。仲が良いメンツで固まって話に耽る中でも、誰もいない所で一人カメラを構えるその姿。
歳は私よりも10歳以上離れている方でしたが、私もオフ会では似たような行動を取っていたこともあり。
知らない間に、その人とすっかり意気投合していました。
この写真は、その人と有料のロープウェイを使って上がった、八ヶ岳の写真です。
カメラを持ち、共に歩きながら、その人は言いました。
「周りと同じことしたって、面白くないじゃん」
その言葉を受けて、溜まりに溜まっていた思いが一気に解放された気がしました。
私は思わず「わかります。話すことも楽しいですけど、マンネリ化するじゃないですか。それに私、集団行動が嫌いで、人がいない所にすぐ行きたくなっちゃうんですよ」
標高2200mを超える参道を歩きながら、空気の薄さに慣れない私たちは行き絶え絶えでした。
そして、シャッターを切った私が思わず「誰もいないって、いいなぁ」と呟いた時でした。
一緒に歩いていたその人が、ニコニコしながら私にこう言いました。
「白兎君も変わり者みたいだね」
え?今、何て……?
そう思いながら、私は言葉を探し出し、紡ぎ出しました。
「えっと、他の人たちみたいに……一緒になって行動しないところとか、ですか?」
「いや、ほとんど全部かな」
私を見据える瞳。SNSでも歯に衣着せぬ物言いをする方でしたが、その時は柔らかさと共に、小さく笑い声を零していました。
変わり者。
その言葉を受けた私も、何だか嬉しさが込み上げて、思わず「ありがとうございます」などと場違いなお礼を述べていました。
「そういうところも含めて、変わり者だよ」
オフ会が終わり、その時の様子を車のSNSで記事化した際にも、その方はコメントをくださいました。
変わり者同士、と。
きっと私は、その言葉を待っていたのだと思います。
自分では半ば認めつつも、誰かからそう言ってもらいたいことを、願っていたのかもしれません。
それが切っ掛けとなって、私は自信を持てたような気がしています。
周りからどう思われても、悪意がなければ自分が思った通りに行動したり、言葉を紡げばいいと。
人は人、私は私。
そう自信を持って言えるのは、変わり者という、私の中では褒め言葉を貰えたからなのだと信じています。
周りと違っても、良いじゃない
良く言えば、個性。悪く言えば、同調性や協調性に欠けている。
周りと合わないだけでなく、私は時には合わせようともしないこともあります。
それに戸惑った時もあれば、反感や反骨精神すら抱き続けることになった、周囲との違い。
周りに同調、協調することが美徳とされる世の中で。
変わり者という言葉は、私に自信と勇気を齎しました。
勿論、全てに反抗して自我を通し続けることは良いことではなく、場合によっては処罰の対象になることは承知しているつもりです。
しかしながら、喩え些細なことであっても、周りとの違いを感じて。
それが発展して戸惑いや生き辛さに繋がるようなことがある位なら。
私は、我慢するなら変わり者と言われて距離を置かれるようなことがあったとしても、それはそれで良いのではないかと思っています。
自分の思いに背き続けること程、苦しいことはないと私は思います。
周囲と考え方や思いが違うこと。時としてそれは不安となり、排他される対象になりかねない恐怖となるかもしれません。
ですが私は、もう一度言わせていただきます。
違っていることは、悪いことなのでしょうか。皆が皆、同じでなければならない理由はあるのでしょうか。
喩え侮蔑の意味を込めて「変わり者」と言われるようなことがあったとしても。
私は、褒め言葉と受け止めて、今の自分がいます。
その事実だけは他の誰がどう思おうとも、変わることはありません。
他の誰でもない、自分が素直に「変わっている」と認めることができるのであれば。
今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。